日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
ナサニエル・ウエスト『いなごの日』
フィッツジェラルドやフォークナーなどと同様、ハリウッドで映画の脚本を書いていたこともある(( 30年代を通して10数本の映画の脚本を書いている。ジョン・ファーローの『Five Came Back』あたりが代表作になるのだろうか。クレジットはされていないが、ヒッチコック『断崖』の脚本の第一稿なども彼が書いたという。))小説家、ナサニエル・ウエストがその頃の体験をもとに書き上げた代表作『いなごの日』。意外と読んでいなかったので、時間の余裕のある今のうちに読んでおくことにした。
主人公のトッド・ハケットは美術学校時代にスカウトされ、ハリウッドで絵描きとしてセットと衣装のデザインの仕事をし始めたばかりの、美術監督の卵。彼は新しい住居で出会った若くて美しい女性フェイ・グリーナーに一目惚れする。彼女もまたスターになることを夢見ている女優の卵だった。ふたりはすぐに親しくなるが、フェイはトッドのことを男としては見ておらず、そのことを最初から彼に向かってはっきりという。それでも彼女にどうしようもなく惹かれる気持ちを抑え、距離をおいて関係をつづけようとするトッドをよそ目に、フェイは、自分に吸い寄せられるようにして集まってくるさまざまな男たちと、時には娼婦のように奔放に振る舞うのだった……。
ハリウッドを描いたと言っても、ここに出てくるのはフィッツジェラルドの『ラスト・タイクーン』に描かれるようなハリウッドの敏腕プロデューサーや有名俳優ではなく、その底辺にうごめくものたちにすぎない。フェイの父親である哀れで滑稽な道化師、なにをしているのかよくわからないメキシコ人、凶暴な小人……。リアルであると同時に、グロテスクでもある登場人物たち。何度か繰り返される「カリフォルニアに死にに来た人たち」という言葉は、正確にはなにを意味しているのだろうか。この小説のなかで実際に死ぬのは、病死するフェイの父親だけである。しかし、どの登場人物も、自分の夢、アメリカン・ドリームをここに葬りに来たようにみえる。夢の工場=夢の墓場、ハリウッド。
ハリウッドを舞台にしただけの風俗小説という側面もあり、最初はいささか退屈でもあるのだが、ラスト、映画のプレミア試写に集まった盲目の群衆の波にトッドが飲み込まれてゆくさまを、黙示録の絵図のように描くモブシーン(と言いたくなる場面)はなかなかの圧巻だった。
タイトルの「いなごの日」は聖書から来ていて、モーゼがエジプトの王に対していった言葉のなかに、さらには、黙示録のなかにも、いなごの大群が出てくる。いずれにおいても、いなごのイメージは世界の終末を意味するものとして現れると言っていい。この小説のラストの暴動のシーンは、まさにその黙示録的イメージをウエスト独自の目を通してシュールに描いたものだ((いなごの黙示録的イメージは、例えばジョン・ブアマンの『エクソシスト2』などにも描かれている。))。
75年にジョン・シュレシンジャーが、ドナルド・サザーランド、カレン・ブラックの主演で『イナゴの日』として映画化している(「イナゴ」とカタカナ表記になっている点に注意)。映画と原作の違いについては、ポーリン・ケイル『Reeling』(どこかに日本語訳があったかもしれないが、未確認)などを参照。
ただ、好みで言うなら、同じ新潮文庫に収録されている『クール・ミリオン』のほうがずっと面白かった。貧しさから家を奪われてしまった少年が立身出世を目指して旅に出るが、次々と嘘のように災難が降り掛かってきて、歯を、片目をというふうに身体を徐々に失ってゆくという壮絶な物語が、ピカレスクロマンふうに語られてゆく。『いなごの日』と同じく、アメリカン・ドリームを裏返したような物語であるが、これを読むと『いなごの日』が普通のリアリズム小説のように思えてくるほど、この二つの小説はまったく異なるスタイルで書かれているところが面白い。いささか現実離れした荒唐無稽な小説ではあるが、吝嗇な(というイメージの)ユダヤ人への憎悪、コミュニズムに対する漠とした不安、この憎悪と不安を煽るようにして台頭してきたファシズムという、30年代のアメリカの現実を、ある意味、『いなごの日』以上に如実に描き出しているのが特徴だ。
チェン・チャンホー『キング・ボクサー/大逆転』(King Boxer/Five fingers of Death, 1972) ★★½
タイトルだけ見るとボクシングの映画のように思えるが、ボクシングとはまったく関係ない。カンフー映画である。
カンフー映画とふつう呼ばれているアクション映画のルーツは1930年代ごろにまでさかのぼる。その頃から武術を描いた映画は存在していた(むろん、60年代70年代のカンフー映画は、日本映画を始めいろいろな要素が入り込んできていて、全然別のものになっていたはずだが)。しかし、それが世界的に知られるようになるのは、ようやく1970年代に入ってからのことだった。このショー・ブラザーズ製作作品は、ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』(こちらはゴールデン・ハーヴェスト製作)と並んで、アメリカで最初に公開されたカンフー映画であり、アメリカの観客にカンフー映画の存在を知らしめた作品として認知されている。決して出来の悪い映画ではないが、そういう意味では、作品自体の出来というよりも、カンフー映画の歴史においてそれが果たした役割において、重要な一本であるといえる。
さらなる武術の高みを目指して田舎の道場を後にし、都の道場に入門する主人公。その道場とライバル関係にあるもうひとつの道場の師範と弟子たちの悪役ぶり。やがて開かれる武術大会が近づくにつれ、次第に悪質になってゆくライバル道場の嫌がらせ。一子相伝の秘拳を伝授される主人公。ライバル道場の卑劣な襲撃によって拳を砕かれ、再起不能になってしまったかと思われた主人公の、奇跡の復活。
ここに描かれる物語は、ほとんど紋切り型の連続でできていて、漫画チックであるとさえいえる。しかし、それは決して映画をつまらなくしていない。むしろその逆である。いい意味で、B級映画のよさが詰まったアクション映画だ。
この映画でもやはり、ライバル道場の用心棒役で日本人の武術家が登場するのだが、あいもかわらず、卑劣で、情け容赦ない、極悪人として描かれている。この時代のカンフー映画が日本から多くの影響を受けていることを考えるとなんとも複雑な気持ちにさせられるが、国どうしの歴史を考えると仕方がないのだろう。チャン・チェも自分の映画の時代背景を設定するに際して、日本の明治時代を参考にしたと言いつつ、映画のなかでは日本人を極悪人として描いていた。この頃の香港製カンフー映画は、日本で公開されることなど基本的に前提として作られていない。だから、『ドラゴン怒りの鉄拳』も、日本で初公開されたときには、日本人の反感を買いそうなセリフやシーンはカッとされて上映された。『ドラゴン怒りの鉄拳』のノーカット・ヴァージョンが公開されるのは2001年になってからである。
アントニオ・ピエトランジェリ『私は彼女をよく知っていた』(Io la conoscevo bene, 65) ★★½
「50年代と60年代のイタリアのコメディ映画において、女は、母親か、妹か、娼婦として登場するのがふつうで、彼女たちは、さまざまな問題や不幸を抱えていたり、抑圧に苦しむ人間としては描かれない。〈フェミニズム〉という言葉はあの頃存在すらしていなかった」
この映画の脚本を書いているエットーレ・スコラ((スコラのデヴュー作『Se permettete parliamo di donne』はピエトランジェリ作品をモデルにして撮られたとも言われる。))は、あるインタビューのなかで上のように語っている。女は、家庭を守る存在であるか、男性にとっての性の対象であるか、あるいは、これからそのどちらかになろうとしている存在(妹)であるか、そのいずれかであって、自立した存在としては決して描かれてこなかったということだろう。一方で、ソフィア・ローレンに代表されるように、50年代には女がイタリアン・コメディの主人公であることも少なくなかったが、60年代に入ると、ヴィットリオ・ガスマンやアルベルト・ソルディといった男性俳優がコメディの主役の座を占めてゆくことになるという分析もある。そのなかで、ピエトランジェリは、この分野で例外的に、女たちを従来のコメディとは違う形で描き続けた存在だったと言えそうだ。
『私は彼女をよく知っていた』はピエトランジェリの代表作であり、60年代のイタリア映画における最も重要な一本であるとも言われる。それなのに、この映画は、一部の専門家をのぞくと、ほとんどだれからも忘れ去られてしまった状態にあった。それが、最近になってその存在が広く知られるようになったのには、例によって、クライテリオンから DVD と Blu-ray のかたちでソフト化されたことが大きく関わっていると見ていいだろう。また、フランスでは、たしか一昨年にリヴァイヴァル上映されてもいる。 ネットのレヴューサイトなどにおけるこの映画の評価はいずれも極めて高い。そんな映画が長いあいだ忘れ去られてしまっていたとは不思議だが、しかし、こういうことはよくあることである。そして、そういう映画は、いずれはこうしてまた日の目を見るものなのである。
ピエトランジェリが喜劇を得意とする監督であったせいか、『私は彼女をよく知っていた』はしばしばコメディとして扱われることがある。人間喜劇という意味でなら、たしかにこの映画は喜劇であると言えよう。しかし、笑える映画を期待してこれを見たなら、きっと肩透かしを食うに違いない。わたしが見終わったときの印象は、コメディ映画よりは、むしろ初期のアントニオーニの映画などに近いものがあった。
ラジオから当時流行りのポップミュージックが流れるなか、砂浜をカメラがゆっくりとパンしてゆき、最後に、トップレス姿でうつ伏せに寝そべって日光浴をしている女を捉えるショットで映画は始まる(ロジェ・ヴァディムの『素直な悪女』のブリジッド・バルドーの登場シーンを思い出す人もいるだろう)。スター女優になることを夢見て田舎からローマへと出てきた若い娘、アドリアーナがこの映画の主人公である。クラブで流行歌にあわせて踊りまくり、出会った男たちと次々にアヴァンチュールを繰り広げながら、それでいて、田舎娘らしい人の良さと純真さを失わないでいる娘、アドリアーナ。彼女が経験するさまざまな出会いのエピソードだけでこの映画はできていると言ってもいい。 彼女が出会う男たちのなかには、その後二度と登場しないものもいれば、ジャン=クロード・ブリアリのように長い間隔をおいてから再登場するものもいる。しかし、いずれにしても、その出会いから何かの物語が生まれることはない。このエピソディックな物語の語り方は見るものに単調な印象をあたえるかもしれないが、その一方で、刹那的に生きるアドリアーナの人生の空しさを次第に浮き彫りにもしてゆく。彼女に近づく男たちはひとり残らず、彼女を欲望の対象にしているか、あるいは利用し、搾取しようとしているか、あるいはその両方である(唯一の例外は、彼女が駅の待合室で短い間一緒に過ごす、あの素朴なボクサーくらいだろう)。
印象深いシーンが一つある。チネチッタ界隈にあるらしい豪邸に、映画関係者たちが多数集まって行われるパーティのシーンだ。まだ無名のアドリアーナもそのパーティに参加している。いまや落ち目の俳優バッジーニ(ウーゴ・トニャッティ)が、なんとかこのチャンスをものにして映画の役を得ようと、パーティの主賓である別の俳優ロベルトの前で、列車の走る音をタップダンスで模倣するという芸を披露する。少し踊っただけで苦しそうにゼイゼイ息を吐きながらも、バッジーニは、周りの人間が囃し立てるのに促されてどんどんタップのスピードを上げてゆく。やっとの思いで踊り終えた彼に、ロベルトが近づいてきて、なんとかアドリアーナを自分の家にくるように誘ってくれないかともちかける。バッジーニは、これが仕事につながるのならと、このポン引きのような役目を引き受けるのだが、アドリアーナにあっさりと断られる。結果を知ったロベルトは、すがりつくようにして追いかけようとするバッジーニを置き去りにして、スポーツカーに乗って走り去る。この映画のなかでは、男たちの多くもまた敗北者(ルーザー)にすぎない。そして、アドリアーナは、その敗北者にすら利用されるような存在なのである。
マルコ・フェッレーリの『Dillinger è morto』の結末を少し思い出させもする、ラストのアドリアーナの投身自殺はいささか唐突に思えるかもしれない。それはピエトランジェリがドラマを語ろうとはしないし、アドリアーナの内面を描こうともしないからだ。しかし、浮かれ騒いでいるようにしか見えないアドリアーナの顔のアップ、ピエトランジェリが繰り返しもちいる彼女の顔のアップが、そのなにも語らない無表情さによって、この結末を静かに予告していたと言ってもいい。(アドリアーナとともに地面へと向かって落下してゆくカメラの動きは、ひょっとするとオフュルスの『快楽』の最後のエピソードを真似たのであろうか。)
それにしても、映画のタイトルである「私は彼女をよく知っていた」の「私」とははたして誰なのか? この映画にはナレーションは使われていないし、語り手も登場しない。タイトルの「私」が不在であることは、結局のところ、だれも彼女のことを知っていないということを意味しているのかもしれない。
個人的には、完全に納得させられる作品ではなかった。しかし、この映画でアドリアーナを演じているステファニア・サンドレッリ(『誘惑されて棄てられて』『暗殺の森』)は、ゴダールの映画に出ていても全然不思議ではないくらい、モダンで、コケティッシュで、素晴らしい。全部見たわけではないが、これは彼女の最高傑作と言ってもいいだろう。少なくとも、彼女の女優人生を代表する一本であることは間違いない。
急に暇になったので、これからはブログをまめに更新していこうと思う。
チャン・チェ『少林拳対五遁忍術』★½
チャン・チェのショー・ブラザーズ時代後期の作品。カンフー映画ファンの間では評価が高いようなのだが、わたしはあまりノレなかった。ジミー・ウォングが出ていないチャン・チェはいまいち悲壮感に欠ける。やはり主人公には片腕くらい失くしてもらわないと。とはいえ、カンフーと忍術の戦いというのはなかなかユニークであり、見れば話の種にはなる。
映画の冒頭に、忍者についてはこれこれの資料を参考にしたという字幕が出るのだが、どう見ても怪しい。金色の派手な衣装を着た忍者(世を忍ぶから忍者ではないのか?)が、頭にかぶった金色の笠で光を反射させて相手の目を晦ませ、そのスキに笠から短剣を飛ばせて攻撃するとか、デタラメもいいところだろう。このデタラメさを楽しめるかどうかで、この映画の評価も変わってきそうだ。 か弱い娘のふりをして主人公に近づき、お色気で誘惑しようとする日本人忍者の名前が「ジュンコ」という妙にモダンな名前になっているのもいささか変である(全裸にはならずに、鎖帷子に似せたような襦袢を着て寝台に横たわったりするところが、逆に艶めかしい)。両手両足をそれぞれ縄で縛って引きちぎってバラバラにしたり、からだを真っ二つにするなど、チャン・チェお得意の残酷描写もあいかわらず健在。チャン・チェのエロティシズムはむしろ、こういった残酷な身体描写にこそ表れていると言ったほうがいいかもしれない。
オリヴィエ・アサイヤスの書いたチャン・チェ論を読みたいと思っているのだが、それが掲載されている「カイエ・デュ・シネマ」の香港映画特集号が手に入らない。むかし何度も本屋で見かけてはいたのだが、結局買いそびれてしまった。今でも買おうと思えば買えるとは思うのだけれど、正直、そこまでしてほしくはない。どこかで手軽に読めないものか。
フィルムアート社から今月末に発売される予定になっている『映画を撮った35の言葉たち』という本に参加させていただきました。 完成した本はまだ見ていないのですが、映画監督たちが残した言葉から映画史を振り返ってゆく、ちょっとユニークな映画監督ガイドであり、映画への誘いの書となっていると思います。わたしはフリッツ・ラング、オーソン・ウェルズ、ニコラス・レイについて書いています。詳細
渡辺進也/フィルムアート社=編、得地直美=イラストレーション 赤坂太輔、伊藤洋司、井上正昭、荻野洋一、木原圭翔、葛生賢、隈元博樹、黒岩幹子、須藤健太郎、角井誠、長門洋平、南波克行、橋本一径、降矢聡、三浦哲哉、安井豊作、結城秀勇=著 発売日:2017年12月25日
ジョン・フォード『赤毛布恋の渦巻き』(Riley the Cop, 1928)
フォードはトーキー映画を初めて撮ったあともサイレント映画を何本か作り続けた。これは現存するフォード最後のサイレント映画(のはず)である。このあとに撮られたフォードのサイレント映画は失われてしまった。
「すぐれた警官であるかどうかは、かれが逮捕しなかった人間の数でわかる」という格言(?)で映画は始まる。
今まで一度として人を逮捕したことがないベテラン警官ライリーがこの映画のとりあえずの主人公である。そのはずなのだが、IMDb のストーリー要約を見ると、まるで彼が脇役であるかのように物語がまとめられてあって、本当に同じ映画のことを語っているのかと一瞬疑ってしまう。IMDb のストーリー要約ではこういうことはよくあるのだが、フォード映画の場合これは不思議ではないという気もする。最初にストーリーがあって、それにそってシーンが作り上げられてゆくというよりは、それぞれ独立したシーンが並べられたあとにストーリーが出来上がってゆくという印象を、フォードの映画を見ていると受けるのだ。プロデューサーから撮影スケジュールが遅れていると言われたフォードが、脚本から一シーン分をまるまる破り捨て、これでいいだろと言ったという逸話は有名だが、この逸話はフォードの映画の本質を言い当てているようにも思う。フリッツ・ラングが同じようなことをするところなど想像もつかない。
ライリー警官は、子供の頃から見守ってきた地元の青年と娘がもうすぐ結婚すると知って喜ぶ。だが娘は、青年との結婚を快く思っていない叔母に連れられてベルリンに旅行に行ってしまう。青年はなけなしの金をはたいて彼女の後を追うのだが、なぜか彼には勤め先の金を盗んで逃げた逃亡犯という汚名が着せられる。ライリーは彼を追ってベルリンに向かう。ところが、向こうに着くと、彼は青年のことなどなかば放ったらかしにして、ドイツ娘と楽しくやり始める。果たして彼は青年を逮捕して、警官人生で初めての手柄を立てることができるのか……。
後半ドイツが舞台となる部分は、フォードがドイツのウーファ撮影所のムルナウに会いに行った話を思い出させる。物語の舞台はドイツからさらにパリへと移るのだが、パリのナイトクラブのシーンには、ルビッチの『陽気な巴里っ子』の影響が色濃い。
ライリー役のJ・ファレル・マクドナルドのコミカルな演技は、後年のウィル・ロジャースなどに通じるものがあり、彼とその同僚のドイツ系警官とのライヴァル関係は、ジョン・ウェインとヴィクター・マクラグレン、あるいはジェームズ・キャグニーとダン・デイリーといった、フォード映画が数々描くことになるライヴァル関係を予感させるものである。ライリーは最後にドイツ娘と結ばれ、青年と娘のカップルとダブルで結婚式を行うことになるのだが、そのドイツ娘が実は彼のライヴァルであるドイツ系警官の妹だったと最後にわかるというオチ。
『ジョン・フォード/ギデオン』(Gideon's Day, 1958)
"Gideon of Scotlandyard" というタイトルでも知られる。このタイトルからもわかるように、イギリス、スコットランドヤードを舞台にした作品で、ワイラーの『探偵物語』(51) やフライシャーの『センチュリアン』(72) などの系譜にも連なる警察ものである。フォードが警察官を主人公にした映画を撮ったのは、たぶん『赤毛布恋の渦巻き』以来であり、これ以後もなかったはず。その意味で、これはフォードのフィルモグラフィーのなかでかなり異質な一本であると言っていい。
ギデオンの〈平凡な〉一日を描くこの映画は、ギデオンが最も信頼している同僚刑事の汚職疑惑、そして彼の交通事故死という重々しいエピソードでいきなり始まる。この同僚刑事を轢き殺した男は、彼の愛人の夫である画家であり、この夫婦はひそかに給金強盗に加担していた。その一方で、精神病院から脱走して少女を殺害した狂人がいまだ捕まらずに、街をうろつきまわっている。次から次へと起きる事件にギデオンは休む暇もなく、最後は、有閑階級のドラ息子たちによる銀行強盗を解決して、ようやく我が家に帰り着くのだが、ホッとしたのもつかの間、事件を知らせる電話が鳴り響き、彼は再びスコットランドヤードに連れ戻されるのだった。
フォードらしからぬダークな内容だが、コミカルな要素は随所に散りばめられている。『赤毛布恋の渦巻き』がコメディ調のスケッチに近いものであったとするなら、こちらは非常にシリアスであると同時に、コミカルでもある、悲喜劇とでもいうべき濃い内容の映画になっている。いや、むしろ、平凡な日常のなかのヒロイズムとでもいうべきものを描いているというべきか。実際、フォードは映画のなかで描かれる犯罪そのものにはほとんど興味を持っていないように思える。
人や車の行き交うロンドンの通りを捉えた映像をバックにクレジットが流れ、それが終わると、スコットランドヤードのオフィスのデスクに座る主人公ギデオン警部のショットがつづくのだが、カラー映画にもかかわらず、その顔はほとんど判別がつかないほど深い影に覆われている。まるでフィルム・ノワールのような暗い画面だ。グレッグ・トーランドが撮影を担当した『果てなき船路』などで頂点に達するキアロスクーロの画面は、カラー映画になってからフォードの映画から徐々に消えてゆくのだが、この映画を見ると、フォード作品におけるドイツ表現主義の影響の名残とでもいうべきものは、作品が扱う主題次第によっていつでも前面に現れれてくる状態にあったといえる。
ギデオンを演じるジャック・ホーキンスの、すぐにカッとなり、身振りや言葉でその怒りを表しながら、その感情をぐっと抑えつける演技は、フォード映画に出ているときのジョン・ウェインのそれを容易に思い出させる。
ライリー警官は独身だったが、最後に結婚する。一方、ギデオンには最初から妻も娘もいる。考えてみれば、フォードは、主人公が結婚して妻も子供もいて、家に帰ると愛する家族が待っているという映画を、意外なくらい撮っていないのではないだろうか。ひょっとすると、これはそういう意味でも例外的なフォード映画の一本になるのかもしれない。
登場する度に彼を苛立たせる子供のような顔をした新米警官と、自分の娘がいつの間にかいい関係になっていることをギデオンが最後に知るというラストは、『赤毛布恋の渦巻き』のオチを少し思い出させる。二人を玄関で見送ったあとで、「警官とだけは結婚しちゃダメよ」と、本気とも思えない顔で娘に忠告する母親。その母親の言葉を聞いているのかいないのか、「うん」と生返事する娘の視線は、その新米刑事を追いかけている。
この映画は米英合作ということになるのだろうか。ともあれ、最初に公開されたのはイギリスでだったようだ。アメリカでは、この映画はモノクロ映画として公開されたらしい。嘘のような話だが、映画の世界ではこんなことはごくごく普通に起きるのである。『モナリザ』が白黒に塗りつぶされたら大事件になるが、映画の世界では、カラー映画がモノクロにされてしまっても、だれも騒ぎはしないのだ。
アンドレ・バザンがクリス・マルケルの初期ドキュメンタリー作品『シベリアからの手紙』(58) について書いた文章。フランス語の原文が手に入らなかったので、英語からの重訳である。 (今日は、とりあえず急いで訳しただけなので、細かいチェックは明日になってからする。) バザンとマルケルの関係については、12月16日の神戸資料館での講演のなかで軽くふれる予定。
覚えておられるだろうが、クリス・マルケルは『世界のすべての記録』と『彫像もまた死す』(後者は今も、検閲によって半分カットされたヴァージョンしか公開されていない)のナレーションを書いた人物である。これらの作品の、痛烈な皮肉とポエジーが見え隠れする、鋭く力強いナレーション((英訳では「narration」という言葉が使われているが、マルケルはこれよりも「commentaire」という、どちらかと言うと対象に対する客観的な距離が感じられる言葉を好んで使った。彼の極めて文学的なコメンタリーは、その後テキストとして本にまとめられ、『Commentaire』『Commentaire2』として出版されている。))は、その作者に、現在のフランス映画のもっとも活気に溢れた周辺部分を形作っている短編映画の分野において、特別な地位を保証するに十分だろう。共通の理解で結ばれている友人アラン・レネによるこれらの作品のナレーションの作者として、クリス・マルケルはすでに、テクストとイメージの間の視覚的な関係を大いに変化させてきた。だが、彼の野心は明らかにもっとラディカルであり、それゆえ、彼自身が自分で映画を作ることが必要になったのである。
最初に『北京の日曜日』が作られて、1956年のトゥール映画祭で賞を取り、そして今、驚くべき作品『シベリアからの手紙』がついに現れた。『北京の日曜日』は見事な作品だったが、主題の大きさに比べて短すぎるという点において、少しがっかりさせるものでもあった。それに、この映画の映像は、しばしば非常に美しくはあるが、結局のところ満足なドキュメンタリーの素材を提供するものではなかったということも言っておかなければならない。見終わったあとに、これではまだ足りないという気にさせたのである。だが、マルケルが『シベリアからの手紙』で蒔きつづけることになる、言葉とイメージの間の弁証法の種は、すでにそこに存在していた。この新作『シベリアからの手紙』のなかで、その種は長編映画にふさわしい大きさにまで育ち、重みを獲得する。
〈一つのドキュメンタリー的視点〉
『シベリアからの手紙』をどうやって説明したらいいだろうか。最初は否定的に、この映画が、ドキュメンタリー方式の映画――〈主題〉を描く映画――でこれまでわれわれが見てきたものとは何一つ似ていないことを指摘してみる。だがそうなると、この映画はいったい何なのかを説明する必要がある。そっけなく、客観的に言うならば、これは、シベリアを何千キロにも渡って自由に旅できるという稀な特権を与えられた一人のフランス人によるレポート映画である。過去3年の間に、われわれはロシアに旅行したフランス人たちによるレポート映画を何本か目にしたが、『シベリアからの手紙』はそのどれにも似ていない。だからより詳細に見てみるべきである。次のような大凡の説明をしてみよう。『シベリアからの手紙』は、映画に撮られたレポートというかたちで過去と現在のシベリアの現実を描いたエッセイである、と。あるいは、ジャン・ヴィゴが『ニースについて』について語った言葉(「一つのドキュメンタリー的視点」)を借りるならば、映画によって記録された(documented)エッセイであると言ってもいいかもしれない。大事なのは「エッセイ」という言葉であり、これは文学においてこの言葉が持っているのと同じ意味で使われている。つまりは、歴史的であると同時に政治的な、さらには一人の詩人によって書かれたエッセイである。
政治的なドキュメンタリーや、ある特定の主張をもつドキュメンタリーにおいてさえ、事実上は、映像(すなわち、映画特有の要素)が作品の第一の素材をなしていることが普通である。作品の方向性は、映画作家がモンタージュにおいて行う選択を通して示され、ナレーションが、記録された映像(document)にこうして与えられる意味の組み立てを仕上げる。マルケルの映画においては、今述べたこととはまったく別のことが起きるのである。そこでは、第一の素材は知性であり、その直接的な表現手段は言語であって、映像は、この言語的な知性との関係で、三番目に介入してくるに過ぎないと言っていい。通常のプロセスが逆転しているのである。思い切って別のメタファーを使ってみよう。クリス・マルケルは、ショットとショットの関係を通して持続の感覚と戯れる従来のモンタージュとは対照的に、〈水平的な〉モンタージュとわたしが名付ける、全く新しいモンタージュの概念を自分の映画にもたらしたのである。そこでは、映像は、それに先立つ映像とも、それにつづく映像とも関わらず、むしろ、語られている言葉[ナレーション]と、何らかのかたちで、水平に関わっているのである。
耳から眼へ
あるいは、マルケルの映画では、基本をなす要素は語られ聴かれる言葉の美しさであり、知性は聴覚的要素から視覚的要素へと流れると言ったほうがいいかもしれない。そこではモンタージュは耳から眼へと形作られてきたのである。紙数が限られているので、ひとつだけ例をあげよう。それはこの映画で最も成功している瞬間でもある。マルケルは、意味に満たされていると同時に、まったくニュートラルでもある一つのドキュメンタリー映像を提示する。それはイルクーツクの通りを捉えた映像である。一台のバスが通り過ぎ、道端で労働者が道路工事をしている。ショットの最後に、どことなく不思議な顔をした(控えめに言って、少しばかり自然の恵みを受けた顔をした)人物がたまたまカメラの前を通りかかる。マルケルはこのどちらかと言うと平凡な映像に、2つの対照的な視点からコメントを加える。最初は共産党の方針に沿ったコメントで、それによると、このだれとも知れない通行人は、「北の国(north country=シベリアのこと?)を絵のように鮮やかに代表している」ということになる。ところが、もう一つの反動的な観点に立ったコメントの中では、彼は「人を困らせるアジア人」ということになってしまう。
このたった一つの、人を考えさせる対照法だけでも、見事なインスピレーションの賜であるが、その機知はどちらかと言うと安易なものにとどまる。その時である、マルケルはそこに、偏りのない、微に入り細をうがつ第三のコメントを加え、このかわいそうなモンゴル人を「やぶにらみのヤクート((主に北東アジアに居住するテュルク系民族に属して、サハと自称する。ロシア連邦サハ共和国の主要構成民族の1つである。人種はモンゴロイドであるが、近年はロシア人との混血が進んでおり、中にはコーカソイドの容貌をもっている一派も存在する。[ウィキペディア]))」と客観的に描写するのである。ここに至って、映画はたんなる才気とアイロニーの作品を遥かに超えたものとなる。というのも、マルケルがたった今証明してみせたのは、客観性というものが、特定の党派に偏った相対する二つの視点以上に、偽りのものだということだからである。少なくとも、ある種の現実に対して、公平無私であることは幻想にすぎない。マルケルの映画のなかに今見てきた操作は、したがって、同じ映像を異なる三つの知的文脈のなかに置き、その結果をたどるという、まさに弁証法的な操作なのである。
知性と才能
このかつてない試みがどういうものなのかを読者に完全にわかってもらうために、最後に指摘しておきたい。クリス・マルケルは、現場で撮られたドキュメンタリー映像を使うだけにとどまらず、助けになるものならありとあらゆる映像素材を――静止画像(彫刻や写真)はもちろん、アニメーションまで――使っていることである。[アニメーション映画作家ノーマン・]マクラレンのように、彼はためらうことなく、この上なくシリアスな話題をこの上なくコミカルなやり方で語ってみせる(マンモスの場面がそうである)。この花火のように陳列されるテクニックには、一つだけ共通項がある。それは知性である。すなわち知性と才能。あと一つだけ指摘しておかなければならない。この映画の撮影はサッシャ・ヴィエルニ―、音楽はピエール・バルボ―、そして、見事に読み上げられるナレーションは、ジョルジュ・ルキエによるものだということである。
(「フランス・オプセルヴァトゥール」紙、1958年10月30日)
ガード・オズワルド『Crime of Passion』(57) ★★
リュック・ムレお気に入りの監督ガード・オズワルドによるフィルム・ノワール。
新聞記者としてのキャリアをあっさり捨てて刑事と結婚した女は、郊外で主婦として暮らす日常に早くも死ぬほど退屈しはじめる。いまや彼女の望みは唯一つ、野心などかけらもない平刑事の夫を出世させることだった。そのためなら彼女はなんでもするだろう。なんでも……。
女を演じるのはバーバラ・スタンウィック。よく理解できると同時に、理不尽でもある欲望に突き動かされる女を、いつものように見事に演じている。実直でいささか鈍感な夫の役を演じているスターリング・ヘイドンもここではなかなかのはまり役だ。二人の関係に亀裂を走らせる夫の上司役であるレイモンド・バーが、あいかわらず不気味な存在感を見せている。
強引にいうならば、『ボヴァリー夫人』をフィルム・ノワールにしたような映画である。『赤い崖』のほうが好きだが、これも悪くない。冒頭のロサンゼルスの坂道を下ってゆく路面電車のショットが期待させるほどにはロケーションが生かされていなかったのが残念
。 ストーリーは良く出来てるし、キャスティングも申し分ない。当時の批評も好意的だったのだが、映画はヒットしなかった。若いプロデューサー、ハーマン・コーエンは、映画が当たらなかった理由がわからず、人々がどんなものを見ているのかを確かめるためにアメリカを旅して周る。そこで彼が知ったのは、親たちの世代が家庭でテレビに釘付けになっているいま、映画館の観客の大部分を占めているのがティーン・エイジャーだということだった。そこで彼は、若者たちをターゲットにしたホラー映画『心霊移植人間』(I Was a Teenage Werewolf, 57) を、フリッツ・ラングの編集者だったジーン・ファウラー・Jr に監督させ、大ヒットさせる。
狭義の意味でのフィルム・ノワールが終わりかけていた時代のエピソードとしてなかなか興味深い。
アルド・ラド『ガラス人形たちの短い夜』(La corta notte delle bambole di vetro, 71) ★★½
そんなにたくさん見ているわけではないが、これはジャッロ映画のなかでもかなりの変わり種の一つではないだろうか。なにせ主人公は最初から最後までずっと死んだままなのだから。いや、死んだままというのは嘘で、本当は死んだと思われたままというのが正確なのだが。
映画は、主人公(ジャン・ソレル)が道端の植え込みのなかで死んだ状態で発見されるところから始まる。だが実は、彼は死んではいなくて、全身が麻痺して動けない仮死状態だっただけなのだが、病院の医師はそれに気づかず、彼は死んだものとみなされて死体安置室に寝かされてしまう。一体なぜこんなことになってしまったのか。主人公は死体袋のなかで必死に思い出そうとする。ジャーナリストである彼は、恋人とプラハに来ていたのだが、ある上流社会のパーティに出た直後にその恋人が行方不明になってしまったのだった。彼女の足跡をたどって調べ回っているうちに、彼は知ってはならない恐るべき真実に近づきすぎてしまう。一方、主人公が仮死状態で動けないままこうして記憶を辿っているあいだも、彼の友人の医師はなんとか彼を蘇生させようと試みるのだが、うまく行かない。このままでは、彼はすぐにも生きたまま解剖されてしまうことになる……。
71年だから、ソヴィエト侵攻後のプラハが舞台である。同時に、当時のイタリアは、不安と混乱と暴力の時代がまさに始まろうとしていたそんな頃だったはずだ。主人公は、政界・財界の大物たちを巻き込んだ恐るべき秘密(例によって、セックスに関わる秘密)に近づきすぎたために、文字通り生きたまま葬られてしまう。ここには当然ながらなにがしかの政治的なメッセージが込められていると考えていいだろう。さらには、プラハという場所は当然、カフカを思い出させるし、物語はつい「カフカ的」と呼びたくなるような迷宮めいた展開をしてゆく(実際、回想シーンの中にはほんの一瞬、主人公と恋人がカフカの生家のある通りを歩くシーンが出てきたはずである)。 映画の語り口はいささかまどろっこしい気もするが、ラストシーンは強烈で、子供の頃見たならばトラウマになっていたこと間違いなし。
ルチオ・フルチ『幻想殺人』(Una lucertola con la pelle di donna, 71) ★★½
さすがは〈巨匠〉ルチオ・フルチというべき見ごたえのある作品である。
これもロンドンを舞台にしたミステリー。後年、元祖スプラッター映画の監督として名を馳せてゆくことになるフルチだが、この頃は残酷描写を比較的抑えた上品な(?)作品を撮っていた。『ザンゲリア』などの後期作品が好きな人には物足りなく思えるかもしれないけれど、わたしにはこっちのほうが好みに近い。
上流夫人キャロルは、毎夜、奇妙な夢に悩まされている。夢のなかで彼女は、自分とは真逆の退廃的な生活をしている隣のアパルトマンの若い女をナイフで刺し殺すのだった。キャロルがその夢の話を精神分析医に話した直後に、その女が夢のとおりに殺されてしまう。現場からはキャロルのものであるコートや、彼女の指紋の付いたナイフが見つかり、警察は彼女に疑いの目を向ける。キャロル自身も、あれが夢だったのか、現実だったのか次第にわからなくなってゆく。弁護士であるキャロルの父親は証拠を集めて、彼女を釈放させるが、その直後から、キャロルは、夢の中の殺人現場に居合わせていた怪しげなヒッピーに付け回され始める……。
これもありがちな話ではあるが、フルチは観客の注意をあちこちにそらしながら、曖昧な雰囲気をたくみに作り上げてゆき、最後にあっと言わせる。その手腕はなかなかのものだ。キャロル役を演じているフロリンダ・ボルカンは、フルチの傑作『マッキラー』でも主役を演じている女優で、この映画では、次第に精神のバランスを失ってゆく女を見事に演じきっている。ロケーション撮影もなかなか巧みだ。今は使われていない教会(?)の廃墟のなかでキャロルがヒッピーに追い詰められ、ようやく扉をこじ開けて外に出ると、そこはもう逃げ場のない屋根の上で、そこに追手が迫ってくるという場面は、とりわけ忘れがたい。
刑事の役でスタンリー・ベイカーが出演している。事件の解決には実のところあまり貢献しないのだが、ただそこにいるだけで大きな存在感を示しているところはさすがだ。口笛の妙な使い方も印象に残る。
残酷描写は抑えてあるといったが、一箇所、犬を使った凄まじいシーンがあるので要注意。この場面はヴァージョンによってはカットされていて、見ることができない。動物虐待の疑いで、たしか裁判沙汰にもなったはずである。裁判では、製作者側が、撮影中に犬を実際に虐待したのではなく、特殊効果を使ってそう見せているだけだということを、実演してみせたらしい。
フランチェスコ・マッツェイ『尼僧連続殺人』
<未>
(L'Arma, L'Ora, Il Movente, 72) ★½
原題は「凶器、犯行時刻、動機」くらいの意味だろう。ひょっとすると原作そのままのタイトルなのかもしれないが、いずれにしても、ミステリーとしてここまで直接的なタイトルはあまり見たことがない。
清廉潔白で通っているが実は複数の女性と関係をもっている神父が、教会のなかで何者かによって殺害されるところから映画は始まる。ジャッロ映画に悪徳神父が登場するのは珍しくないが、この映画はその最初の一本であるとも言われる。
教会の屋根裏が、孤独な孤児の少年の遊び場になっていて、その床の穴から殺人現場がまるみえになっているという空間が、サスペンスに貢献している(床の穴から教会に落下する少年のビー玉)。
ジャッロ映画としてはいささかパンチに欠けるけれども、修道女たちの全裸シャワーシーンなど、カトリックのイメージをジャッロ特有のエロティシズムと結びつけた最初の一例としては記憶に値する作品である。
ジャッロ映画と呼ばれるイタリアのサスペンス&ホラーのジャンルについては、ダリオ・アルジェントやマリオ・バーヴァといった何人かのお気に入りの監督作品を除くと、あまり熱心に見てこなかった。信頼できる道案内人がいなかったというのが、その最たる理由の一つである。要するに、いろいろあってどれを見たらいいのかわからないのだ。 特に理由はないのだが、最近になって、このあたりの作品をまとめてみておきたいと思うようになった。さすがに全部見るわけには行かないので、ネットなどで公開されている「ジャッロ映画ベスト20」などといったたぐいの、だれが作ったかもわからないリストなどを参考にしながら、代表作と言われている作品を順番に見ていっているところである。 ほんのメモ代わりだが、何かの参考になればと思って、感想を書いておく。
ジャッロ映画についてはここを参照。
マッシモ・ダラマーノ『おまえ(たちは)ソランジェになにをしたのか?(未)』(Cosa avete fatto a Solange?, 72) ★★
「ソランジェ、残酷なメルヘン」というよく分からない邦題がついている。
物語にはほとんど登場しないソランジェという女性がタイトルになっているという奇妙さ。このタイトルは半分ネタバレと言ってもいいものだが、これは、ミステリー仕立てのものが大部分であるジャッロというジャンルにおいて、「謎」はたいてい口実にすぎないことを雄弁に物語っている。ここでも、物語は、繰り返される残酷な殺人方法(その意味は最後にわかるのだが)をスタイリッシュに見せるためのアリバイにすぎない。
ただ一方で、このドイツ=イタリア合作映画は、60年代にドイツで量産された一群のエドガー・ウォレス((エドガー・ウォレスは『キング・コング』の原作者として名高いが、SF小説ではほとんど成功していなかった。『キング・コング』はこのジャンルでの唯一の成功例といっていいのだが、ウォレスは映画の製作途中に病に倒れ、完成作品を見ることはなかった。))原作映画("krimi" film)の流れのなかでも理解しなければならないだろう。ロンドンを舞台にした連続殺人というのも、この "krimi" ジャンルの特徴でもあるのだ。この映画は、"krimi" の最後の作品の一つであると同時に、ジャッロ映画の一つでもあるということである。
映画の鍵を握る女性ソランジェは結局ほとんどセリフ一言もしゃべらないのだが、これは、彼女を演じる女優カミーユ・キートンが、あのバスター・キートンの孫娘であるという事実と関係があるのだろうか(この映画はカミーユの映画デビュー作だった)。
この映画について調べているときに、ニコラス・ウィンディング・レフンがこの映画をリメイクしようとしていることを知って驚いた。ひょっとすると、オリジナル以上に面白い映画になるかもしれない。
アルド・ラド『彼女が死ぬのを見たのはだれか?』(Chi l'ha vista morire?, 72) ★½
この映画にも、「死んでいるのは誰?」という意味不明の邦題がついている。
アルプスの雪山での殺人シーンに始まった映画の舞台は、すぐにヴェネチアに移る。幼い娘を殺された父親が、犯人を探し求めて迷路のようなヴェネチアの街をさまようという物語は、ニコラス・ローグの『赤い影』をどうしても思い出させる。
ジャッロ映画にしては珍しく、残酷シーンをあまり見せないことに徹しているところが特徴。黒いヴェールをかぶった殺人鬼が犠牲者に迫る場面で繰り返し使われる主観ショットと、エンニオ・モリコーネの不安を煽る音楽がなかなか効果的に使われている。これも非常に評価の高いジャッロ映画ではあるが、いささか平凡な作品に思えた。
日本版 DVD
エルネスト・ガスタルディ、ヴィットリオ・サレルノ『リビドー』(Libido, 65) ★★
リビドーという原題、冒頭に掲げられるフロイトの言葉、主人公にトラウマを残すことになる少年時代の原光景(ベッドに縛り付けられた母親が父親によって殺される現場)……。しかし、この通俗フロイト主義とでも呼ぶべきものは、実のところ、巧妙にしかけられた物語の罠の一つでしかない。映画は、主人公が、トラウマとなっている光景の現場である少年時代の家に帰ってくるところから始まる。そこから奇妙な出来事が次々と起き始めるという物語は、まあ、ありがちなものと言っていい。舞台となる一軒家の撮り方もいささか凡庸ではあるが(鏡の間もあまり効果的に活用されていない)、あれこれ予想していた展開を次々と裏切ってゆくストーリー展開は、なかなか楽しませてくれる。
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