映画の誘惑

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365日間映画日誌

日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。

2014年01月〜03月

2014年3月12日
カレン・シャフナザーロフ『ゼロシティ』『夢』

カレン・シャフナザーロフは、『ジャズメン』など数本がすでに公開されてはいるものの、あまり認知されているとは言えない。なかなかユニークな監督なので、『ゼロシティ』が日本で DVD 化されたこの機会に、軽く紹介しておこう。 シャフナザーロフは 1952年生まれなので、ソクーロフなどとほぼ同じ世代になるだろうか。フィルモグラフィーを見ると、映画監督としてのデビューは1970年代の半ばになっているのだが、この時期に撮っていた作品は見ていないし、なぜか情報も少ない。彼の名が知られるようになるのは、1984年の『ジャズメン』からと言っていいだろう(この映画、わたしは未見)。つづく87年の『メッセンジャー・ボーイ』は、軽佻浮薄なソ連の新人類の青春を描きながら、ゴルバチョフ時代のソ連の風俗(公園でブレイクダンスを踊る若者たちなど)を映し出した作品で、なんとも言えない味わいを残す。これも悪くないのだが、やはりこの監督の魅力は、奇想天外な物語の中に、ソ連崩壊前後のロシアを痛烈に皮肉った作品にあるのではないだろうか。『ゼロシティ』や『夢』といった映画がそれである。以下に簡単に紹介していく。

 

■カレン・シャフナザーロフ『ゼロシティ』(90)

ビジネスの問題を解決するためにエンジニアの男がとある町にやってくるのだが、その町は最初からどこか変だった。事務所に行くと、受付の女は何故か全裸でタイプライターを打っているし、レストランで食事をしていると、ウェイターが頼んでもいないケーキを持ってくる。そのケーキは主人公の頭部をそっくりそのままかたどって作られていて、気味が悪いので食べるのを拒否すると、ウェイターは、食べて頂かないと、ケーキを作ったパティシエが自殺してしまいますと警告する。主人公はそんなばかなと言うが、ケーキを作った男は本当にピストル自殺してしまう。いや、最初はそう見えたのだが、それは自殺ではなく、殺人だった可能性が浮上し、エンジニアの男は否応なしに事件に巻き込まれてゆく。しかも、死んだパティシエは、彼が会ったこともない実の父親だという……。

主人公はこの町から出ようとするのだが、列車のチケットはすべて売り切れている。タクシーで隣の駅まで行こうとするが、それもうまく行かず、地下にある怪しげな博物館に何故かたどり着く。その博物館では、本気なのか冗談なのか、ソ連の歴史が、キッチュに、グロテスクに見せ物化されている。地元で掘り起こされたというミイラ、初めて外国人と姦通し、その現場を押さえられて罰せられたロシア女性、そして、57年に(これはいわゆる「雪解け」の時代にあたる)町で初めてロックンロールを踊ったために組織を追われた男などなど……。それらが蝋人形のかたちで展示されているのである。しかも、その初めてロックンロール(チャック・ベイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」だ)を踊った男こそは、自分の父親(つまり自殺したパティシエ)だったと、主人公はあとになって聞かされるのだが、それは本当なのか……。カフカ的というよりは、テリー・ギリアム的なブラック・ユーモア。

主人公のエンジニアは、スターリン時代の過去に囚われたままの人たちと、現代の風潮に追いつこうとする人たちとのあいだの対立に知らず知らずのうちに巻き込まれてゆくのだが、その2つの陣営を分ける象徴がロックンロールだというのがわかりやすい。 なんとか町を抜け出して森を歩き、夜霧につつまれた川を小舟でこぎ出してはみたものの、どこに向かって進んでいいかわからず、川のまんなかで主人公が途方に暮れているところで映画は終わる。ソ連崩壊前夜の時代の空気を、あざといぐらいに見事に感じさせるラストである。

町から出られなくなるというシチュエーション自体はさして珍しいものでもないかもしれないが、それがソ連の歴史と結びつけてアイロニカルに語られていくところが実にユニークだ。

日本版 DVD のブックレット(下写真)には、高橋洋の解説が載っている。

■ カレン・シャフナザーロフ『夢』Sny (93)

1893年のロシア、サンクト・ペテルブルグに住む若き伯爵夫人が夜ごと悪夢に悩まされている。その悪夢に出てくる世界は、不思議なことに、ソ連崩壊後の1993年のロシアの姿にそっくりである。夢の中で伯爵夫人は、現代女性の身なりをして、モスクワのレストランで皿洗いをしているのだが、やがて怪しげな男(伯爵夫人の夫と同じ俳優が演じている)にスカウトされて、ポルノのモデルのようなことをするまでになる。伯爵夫人の主治医も、フランスから来た高名な医者も、彼女の悪夢をどうすることもできない……。

映画は、19世紀末と20世紀末のロシアという、正確に100年を隔てた二つのロシアを、いわばパラレルワールドとして描いてゆく。ソヴィエト時代をすっ飛ばして、まるで革命などなかったかのように唐突に現れる20世紀末ロシアの姿は、19世紀の人々にとってはいうまでもなく、われわれ観客の目にも、ひたすら荒唐無稽なものに思えてくる。

伯爵夫人の悪夢は未来を見せる予知夢だと考えた伯爵は、祖国が彼女の見る夢に現れるようなグロテスクなものになってしまわないためには、今の社会を変革しなければならない。でなければ革命が起きて、悪夢が現実になってしまうと議会で主張するのだが、一笑に付される。これがスキャンダルとなり、彼は政界から追われるようにして、夫人とともに田舎の森に囲まれた別荘に移り住む。

映画は、モスクワで皿洗いをしていた女性にそっくりの(ということは、伯爵夫人とも瓜二つな)女性が、伯爵夫妻が訪れた別荘(今ではもうだれも住んでいない廃墟になっている)にやってきて、そこで自分そっくりの貴婦人が描かれた絵を見つけるところで終わる。しかし、それはもはや伯爵夫人の見る夢の中ではなく、20世紀末の現実のロシアであるようだ。19世紀末のサンクト・ペテルブルグが現実で、20世紀末のモスクワが夢なのだと思ってきた観客は、ここにきて突如自信がなくなる。本当にそうだったのか……。

20世紀の女が生まれ変わる以前の遠い過去の自分を夢に見る『晴れた日に永遠が見える』(ヴィンセント・ミネリ)という映画があるが、これはその時間方向を逆にしたような映画といっていいだろう。こういうふうに遠く隔たった二つの時代がつながってしまうという構成自体はそんなに珍しくないのかもしれないが、この映画ではそれが、この100年で激変するソ連の歴史と重ね合わされているところが絶妙だ。 (

下の DVD にはたぶん字幕は入っていない。念のため)

2014年3月7日
フィルム・ノワール覚書4〜カーティス・バーンハート『高い壁』

主人公が目が覚めると傍らで妻が死んでいた……。

記憶喪失はフィルム・ノワールでしばしば描かれる主題の一つだが、ここではそれが、主人公の戦争で受けた脳障害と結びつけて語られる。精神病院の中で治療を受けるあいだにしだいに記憶を取り戻してゆく主人公。記憶として現れる主観映像は、真相の解明をただ曖昧に引き延ばすだけだ。 もっとも、勘のいいものには大方の展開と真犯人の予想は早い段階でつくだろう。しかし、それはどうでもいい。冒頭、暗い廊下をハーバート・マーシャルが足を引きずるようにして手前に向かって歩いてくる場面の不吉で、謎めいた雰囲気。渋いスタイルの中にも、MGM製フィルム・ノワールらしい豪華さが感じられる、雨の中のクライマックス。ここにはフィルム・ノワールをフィルム・ノワールたらしめる魅力がいっぱい詰まっている。

カーティス・バーンハートは日本では決して高く評価されている監督とは言えないが、とりわけフィルム・ノワールのファンのあいだでは非常に有名な存在である。バーンハートは、ドイツに生まれたが、ナチス・ドイツを逃れてハリウッドに渡った。ラングやシオドマクと同じく、彼もまた、そのドイツ的な感性を通じてハリウッドのフィルム・ノワールを豊かにしたひとりであるといっていいだろう。 かれが撮った『追求』『失われた心』は、フィルム・ノワールの傑作がもっているオーラには欠けているかもしれないが、いずれ劣らぬ素晴らしい作品である。

『高い壁』の主役を演じているロバート・テイラーは、赤狩りの時代に不幸な運命を強いられたひとりだった。名高い親ソ映画『Song of Russia』に出演したために非米活動委員会に呼び出され、そこで彼は、『高い壁』の脚本家であるレスター・コールの名前を証言する。これは、彼のその後の人生に大きな汚点を残すことになるだろう。

『高い壁』は今度発売される『フィルム・ノワール ベスト・コレクション DVD-BOX Vol.4』に収録されている。同 BOX にはこの他に、ロバート・シオドマクの『容疑者』、アンドレ・ド・トスの『落とし穴』、『テンション』(ジョン・ベリー)、『危険な女』(ジョン・ブラーム)、『ダーク・シテイ』(ウィリアム・ディターレ)、『アンダーワールド・ストーリー』(サイ・エンドフィールド)、『ジョニー・オハラの真実』(ジョン・スタージェス)の8作品を収録。『危険な女』は回想シーンの中に回想シーンが入っている、変な構成の映画(だったと思う)。『容疑者』と『ダーク・シティ』は DVD で見ているはずなのだが、全然思い出せない。 フィルム・ノワールの影の名作と言われているジョン・ベリーの『テンション』はとても見たい。

2014年3月6日
ジーン・ネグレスコ『三人の波紋』

シドニー・グリーンストリートが出ているのは知っていたので、観音像のアップで始まるオープニングを見たときから、なんだか『マルタの鷹』みたいだなと思っていると、やがてピーター・ローレが登場し、最後に、大金がからんだ籤をめぐってわれを忘れたシドニー・グリーンストリートが、観音像を握りしめながらわなわなと震えだし、人格崩壊していくところで、あ、やっぱりこれは『マルタの鷹』を相当意識してるなと思う。

なんのことはない、見終わって確認してみたら、脚本を書いているのはジョン・ヒューストンだった。ヒューストンは自分が実際に聞いた実話をもとに、『マルタの鷹』のいわば続編としてこの映画の脚本を書いたらしい。彼は自分でこの作品を監督するつもりだったらしいが、戦争のせいでかなわず、結局、ジーン・ネグレスコが監督することになった。 偶然出会った三人の物語が、冒頭と結末をのぞくとそれぞれ無関係に進行してゆく。『マルタの鷹』の物語とは直接なんの関係もないが、これも一種の「失敗の物語」となっているところが、いかにもヒューストンらしい。 観音像の御利益を素朴に信じているらしいジェラルディン・フィッツジェラルドが徐々に発揮してゆくファム・ファタールぶりも注目だ。ピーター・ローレが珍しく気のいい善人の役を演じているのだが、彼はこういう役のときも悪くない。

2014年1月26日
ハリー・クーメル『赤い唇』『Malpertuis』

日本ではほとんど知られていないが、幻想映画の巨匠として海外ではかなり有名なベルギーの映画作家ハリー・クーメルの映画を2本。

『赤い唇』Les levres rouges (1971)

ベルギーの保養地オステンドにある海辺のホテルを舞台に繰りひろげられる吸血鬼物語。旅行でこの土地を訪れた新婚夫婦が、ミステリアスな伯爵夫人と出会ったことがきっかけで、奇妙で不気味な世界へと引き込まれてゆく。

伯爵夫人の名前がエリーザベト・バートリ( ボロヴツィクの『インモラル物語』にも登場する史上名高い連続殺人者で、吸血鬼伝説のモデル)であることをのぞくと、この映画に吸血鬼映画らしいところはほとんどない。「ドラキュラ」はもちろん、「吸血鬼」という言葉も出てこないし、血を吸う場面さえほとんどないのだ。しかし、この「エリーザベト・バートリ」という名前が出てくるだけでこの映画を吸血鬼映画に変えてしまうには十分である。 いや、そもそも、この映画の吸血鬼伝説は、怪しげな雰囲気を作り出し、繊細なエロティシズムを全編に漂わせるために利用されているだけといっていい。その中心にいる謎の伯爵夫人を演じるのは、『去年マリエンバードで』のデルフィーヌ・セイリグ。彼女は、優雅に身体をしなだれさせて女性を誘惑し、眉ひとつ動かさずに死体を谷底に突き落とす。そして最後は、串刺しにされて燃え上がるのだ。

ちなみに、最初、吸血鬼映画に出るのを渋っていたデルフィーヌ・セイリグを説得したのはアラン・レネだったという。 それから、日本版ウィキペディアの「レ・フィルム・デュ・キャロッス」には、このトリュフォーが創設した映画会社が『あこがれ』に続いて製作した第2作『Anna la bonne』がハリー・クーメル監督作品になっているが、これはたぶんクロード・ジュトラの間違いだろう。

『Malpertuis』1971

原題の「マルペルトゥイス」は物語の舞台になっている館の名前。映画は、『不思議の国のアリス』を喚起する導入部ではじまる。テレンス・スタンプを思わせる美青年の水夫ヤンは、怪しげなキャバレーで気を失い、気がつくと奇妙な館の中にいる。館の主人のカサヴィウスは、ずっとベッドに寝たきりなのにもかかわらず、そこの住人たちすべてを支配しているらしい。カサヴィウスは死んでもなおこの館を支配しつづけ、住人たちはそこに囚われの身となりつづける。ヤンは館の謎をなんとか突き止めようとするのだが……。

ハリー・クーメルの代表作であり、幻想映画史上名高い作品ではあるのだが、ファンタジーものが基本的に苦手なわたしには、このいかにも「幻想的な映画ですよ」という雰囲気に乗り切れず、『赤い唇』のほうがずっと好みだった。 それよりも面白いのは、館の主人カサヴィウスをオーソン・ウェルズが演じていることだ。といっても、この映画のウェルズは、ベッドにずっと寝たままで、ほとんど顔で演技しているだけである。その演技もちょっと芝居じみていて、良くも悪くも、その場の空気をひとりでかっさらっている。 しかし、『赤い唇』のデルフィーヌ・セイリグといい、この映画のウェルズといい、地味な内容の映画に華を与えてくれるスターをうまく持ってくるプロデューサーとしての勘のよさはなかなかのものだ。 ただ、ウェルズとの関係は、セイリグほどにはうまく行かなかったようだ。DVD の特典映像に入っていたメイキングを見ると、この最晩年の出演作でもウェルズはその傍若無人ぶりで皆を困らせていたようだ。撮影開始時にはウェルズを崇めたてまつっていたミシェル・ブーケが、最後にはウェルズを心から憎んでいたとか、キャストやスタッフがここぞとばかりにウェルズの悪口を言いまくっていて面白い。

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