日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
フェルディナント・キットル『平行車線』 フェルディナント・キットル『平行車線』(Die Parallelstraße, 1962)
「カフカ的部屋の中で、イヨネスコ的登場人物たちが、サルトル的シチュエーションに身をおいて、カミュ的問題に取り組む映画」(ヘルムート・ハーバー)
冒頭、画面いっぱいに「188」という数字が現れたかと思うと、いきなりスクリーンが真っ暗になり、様々な言語がノイズのようにミックスされた声が暗闇のなかから聞こえてくる(その中には、「いらっしゃいませ。5階でございます」という日本語の声も混じっている)。やがてスクリーンが明るくなると、モノクロの薄暗い画面のなかに小さな会議室のような場所が現れる。5人の男たちがなにかについて議論しあっているようなのだが、ちょうどセッションが終わったところらしく、6人目の議長らしき男が一旦休息を宣言する。すると今度は、空港を捉えたカラー映像を背景にクレジットが読み上げられてゆくのだが、それが終わったところで唐突に、「エンド・オブ・パート2」という字幕が現れるのだ。なんとも人を食った始まり方である。
『平行車線』はしばしばニュー・ジャーマン・シネマのパイオニア的作品であるといわれる。しかし、この映画のことを知っている人はそう多くはないだろう。日本で出ているニュー・ジャーマン・シネマの研究書にさえ、この映画のことはまったくふれられていない。 この作品が撮られた1962年は、あの有名なオーバーハウゼン宣言が行われた年である。監督のフェルディナント・キットルは宣言に署名したひとりであり、その中心メンバーだった。「古い映画は死んだ。われわれは新しい映画を信じる」というこの宣言の結語の部分はあまりにも有名だが、この宣言に関わった26名のうちで現在も映画に関わり続けているものはそう多くない。かれらが撮った映画の大部分も忘れ去られてしまった。この『平行車線』もそんなふうに忘れられてしまった映画の一本だ。
当時、フランスの批評家ロベール・ベナユーンは『平行車線』を、「この一年間のもろもろの下らない映画の埋め合わせをしてくれる哲学的スリラー、瞑想の西部劇」と評し、ジャック・リヴェットはこの映画を1968年のベストテンに選んでいる(ちなみに、この年かれが他に選んだ作品は、ロバート・クレイマー『ジ・エッジ』、ガレル『アネモネ』、ストローブ=ユイレ『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記』、グラウベル・ローシャ『狂乱の大地』、モンテ・ヘルマン『銃撃』、リュック・ムレ『密輸業者』など錚々たるラインナップ)。しかしやがて、この作品もほとんど上映される機会を失ってゆき、不当に(といってもいいだろう)人々の記憶から消えていった。 『平行車線』がようやく多くの人々の目に触れることになったのは、数年前に Edition Filmmuseumからこの作品が DVD 化されたからである。わたしがこの映画を見ることができたのもそのおかげだ。
映画に戻ろう。クレジットが終わると、スクリーンはふたたびモノクロになり、場面は先ほどの会議室に戻る。議長の台詞から、どうやら5人の男たちはある人物についてのドキュメントを議論しあっているらしいことが窺えるのだが、その問題の人物がだれなのかはさっぱりわからない。 議長は、観客にだけ聞こえる声で、5人の男たちの無能さを嘆いてみせる。かれらは、ドキュメントが彼ら自身の生活を映す鏡であることを理解できてない。これまでにも3日ごとに5人の男たちが交代でやってきたが、彼らと同じく、今度の5人も決してやり遂げることができないだろう。その先には死が待っている。あと90分でかれらの命も終わる。──そんなふうに議長はわれわれに向かって語るのだが、その説明を聞いても、かれらの置かれているシチュエーションはいっこうに明らかにならない。それどころか、謎はよけいに深まるばかりだ。
やがて、「平行車線パート3」という字幕が現れ、5人の男たちは、189,190というふうに番号が振られたドキュメントに順々に目を通してゆくのだが、そのドキュメントというのは、実のところ、カラーで撮られたドキュメンタリー映像にすぎない。そこに映っているのは、世界中から集められてきた様々な光景である(これらはすべて、キットルが、1959年から1960年にかけて、キャメラマンのロナルト・マルティーニと共に世界を旅して撮りためた映像だ)。それは一種の工業記録映画であったり、エスニック・ドキュメンタリーであったり、遺跡をめぐる旅の記録のようなものであったりするのだが、その見事なドキュメント映像に重ねられるナレーションは、ときに映像と奇妙なズレを見せはじめる。幻惑的で、突飛で、シュールでさえある散文詩のようなナレーションによって、屠殺場は誕生の場所に、悪魔島は宗教的な聖地に変貌する、といったぐあいだ。見ているものはやがてしだいにどこともわからない場所へと誘われてゆく(ドキュメンタリーをナレーションによって別のものに変容させるという手法は、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスの『追憶のマカオ』を多少思い出させもする)。
これらの短いカラー・ドキュメント映像が終わると、そのつど場面は先ほどのモノクロの会議室に戻り、5人の男たちは今見たばかりの映像について議論し合うのだが、その議論の内容がまたナンセンスで、まるで意味をなさない。 かれらの仕事は、これらのドキュメントを理解し、それらを貫いているテーマを見付け、これらの映像を撮った人物を理解することだ。しかしそれは議長が言うように、最初から失敗を運命づけられているように見える。かれらは、これらのドキュメントから抜き出したテーマをカテゴリー別に分類し、チャートに当てはめようとするのだが、それは支離滅裂な結果を生むだけだ。
もっとも、眼にしたものを前にして、そこになんの一貫性も統一的な意味も見いだせず途方に暮れるのは、われわれ観客とて同じである。正直、わたしにはこの映画がなんなのかさっぱりわからない。あの会議室の5人と同じく、眼にした映像を前にしてただ戸惑うばかりだ。この映画にはいったいどういう意味があるのだろうか。310番まで番号が振られたドキュメント映像(そのうちわれわれが実際に見ることができるのはたった16本だけである)は、戦後急速に工業化するドイツ社会に、それを異化するような視線を投げかけているようにも思える。あるいは、この映画は、映画を見ることの意味自体を問うているという解釈もできるだろう。しかし、ひょっとするとここにはなんの意味もないのかもしれない……。たしかなのは、この映画を見ることが、何よりも一つの強烈な体験であるということだ。ドキュメンタリー部分がもたらすクリス・マルケルの『サン・ソレイユ』にも似た幻惑。モノクロパートの会議室の不毛なやりとりが現出させる不条理。なんともとらえどころのない映画だが、それゆえにというべきか、なにか妙なものを見てしまったといういわく言い難い印象を残す。映画が、意味より何より、一つの体験であるとするなら、この映画がもたらす体験はなかなかに強烈なものである。こういう映画こそ、映画館で見たいものだが、現状、それはなかなか難しいだろう。DVD で見られるようになっただけでも感謝しなければならない。
ラヤ・マーティン『Short Film About the Indio Nacional (or The Prolonged sorrow of the Filipinos)』
フィリピン映画の新鋭ラヤ・マーティンの監督第2作で、彼の長編デビュー作。この映画を撮ったとき、マーティンはわずか21歳だったが、映画は国際的な映画祭などで非常に高く評価され、彼の名を一躍有名にした。
岩山と崖に挟まれた細い山道を、その先にある真っ暗なトンネルに向かって歩いてゆくひとりの少年。この冒頭のモノクロ・サイレントで撮られたイメージは、映画を見進むにつれて実にシンボリックなものであったことがわかってくる。この暗いトンネルは、フィリピンが通り抜けなければならなかった長い長い隷属の歴史を象徴しているのである。
「次に来るのは、フィリピンの長い長い悲しみである」 映画はこの言葉と共に終わる。題名の通り1時間半にも満たないこの短い映画が描くのは、スペイン、アメリカ、日本といった海外諸国に代わる代わるに国土を支配され、ようやく独立を勝ち取ったあとも独裁者による圧政に苦しめられることになるフィリピンの長い長い隷属の歴史の始まりの瞬間であるといっていい。
この映画は基本的にモノクロ・サイレントなのだが、冒頭のトンネルのショットに続く短いエピソードだけがカラーのトーキーで撮られている。小屋のような貧しい家屋で眠れぬ夜を過ごしている女をキャメラが延々長回しでとらえ続け、耐え難いほどの長い時間(に思える)が流れたあとで、女の隣に寝ていた夫らしき人物がむくっと起き上がり、寝物語にある不思議な物語を女に語ってきかせる。それはざっとこんな話だ。
真夜中、家に帰ろうと道を急いでいた少年が、重たい荷物を担いだ怪しげな老人に出会う。実はその老人こそはフィリピンであり、彼が担いでいた重たい荷物はフィリピンが背負っている数々の苦悩なのである。
このDVキャメラで撮影されたカラーパートは、この映画で唯一現在を描いた部分であり、いわば、この映画全体のイントロにあたる。夫が語る物語の意味はあえて説明する必要はないだろう。女が眠れずにいるのは、フィリピンの抱える苦しみは現在もまだ続いていることを物語っている。
夫が物語を語り終えたところで、ようやくタイトルが現れ、以後映画は、モノクロ・サイレントのかたちで進んでゆく(映画監督以外にも多彩な顔を持つアーティスト、カーヴン(デ・ラ・クルス)による不穏なピアノ音楽が大きな効果を上げている)。そこで描かれるのは、19世紀末、スペインの植民地支配下にあったフィリピンの姿である。スペインによる圧政と、それに抗おうとする運動とが、いくつかのエピソードによって語られていく。教会の鳴鐘係の少年、死にかけの少女のために祈る家族、反植民地革命に加わる青年、フィリピンの神話的英雄を描いた芝居を演じる役者たち……。正直言って、スペインの歴史に詳しくないものには、描かれているものがなにを意味しているかを正確にすべて把握するのは難しいかもしれない。
たとえば、カティプネロス(あるいは、カティプーナン)と呼ばれる、反植民地をかかげて武力革命を目指す秘密組織(まず、この言葉自体が我々には聞き慣れない)のメンバーたちが、スペインの僧侶を川に投げ込むシーンで、「1,2,3百年!」とかけ声をかけるのは、スペインによる約3百年にわたる植民地支配をほのめかしているといった具合に、フィリピン人ならすぐにそれとわかるこうした部分でさえ、われわれにはすぐには理解できないだろう。
しかし、その一方で、一見どういう意味が隠されているのかわからない場面にいちばん心惹かれたりもする。たとえば、子供たちが日食を見ようとして野原でぽかーんと口を開けて空を見上げる場面の美しさ。
この映画に描かれる1890年代とは、まさしく映画が生まれた時代である。しかし、フランスやアメリカなどと違って植民地下にあったこの時代のフィリピンで撮られた映画は、いずれも外国人の手によるものであり、フィリピン人による最初の映画が作られるのはこれよりずっと後、1919年になってからだといわれている。つまり、この映画創生期に、フィリピン人によるフィリピンの映像は存在していなかったのである。ラヤ・マーティンがこの映画でやろうとしたことは、いわばこの欠けている映像を補おうとする試みであったと言っていいかもしれない。フィリピンに欠けていた国民的映画、存在し得なかったフィリピン版『国民の創世』を作り上げること。慎ましいタイトルとは裏腹に、この映画が目指していたものはずっと野心的だったと考えられる。それに完全に成功しているかどうかはわからないが、繰り返し見るたびに新しい発見のある、実に豊かな映画であることは間違いない。
ジョセフ・ロージー『拳銃を売る男』
Imbarco a mezzanotte (Stranger on the Prowl/Encounter) 52
『大いなる夜』撮影時にすでに自分の名前が日米活動委員会のブラックリストに載ることを知っていたロージーは、アメリカから逃げるようにして次作をイタリアに撮影しに行く。それがこの『拳銃を売る男』である。すでにブラックリストに名前が載っていたロージーは、アンドレア・ファルサノという偽名でこの映画を撮ることを余儀なくされた。一説によると、この作品はブラックリストに載った映画作家によって初めて海外で撮られた作品であるという。ロージーの長い長い亡命生活はこの作品とともに始まったのである。
製作会社のリヴィエラ・フィルムズというのはどうやらブラックリストに載せられた作家たちが海外で映画を撮るために作り上げた会社らしいが、詳細は不明である。『拳銃を売る男』は全編イタリアで撮影され、製作国は正式にはイタリアということになるのだろうが、プロダクション自体が亡命アメリカ人たちの隠れ蓑のような会社であり、主演は往年のハリウッドのスター、ポール・ムニという、もはやイタリア映画ともアメリカ映画とも言い難い曖昧なものになっていて、それがまさにこと時のロージーの置かれていた状態をいみじくも表しているといってもいい。
正直言って微妙な作品である。ロージーのフィルモグラフィーの中ではマイナーな一本だと言っていい。しかし、魅力的な部分があるのも確かである。 映画は、名もない流れ者(ポール・ムニ)がとある港町にやってくるところから始まる。無一文の男は持っていた拳銃を売って金にしようとするがそれもうまくいかない。パンを盗み食いしているところを見とがめられて、パン屋の女を衝動的に殺してしまった男は、サーカス見たさに町をうろついていた貧しい家庭の少年(彼も直前にそのパン屋で牛乳を盗んでいて、罪の意識を感じている)と偶然知り合い、親子を装ってサーカスに潜り込むが、やがてそこに警察の捜査の手が迫ってくる……。
戦後イタリア社会を少年の目を通して描く前半は、まるでデ・シーカのネオ・レアリズモ映画のようであり、ロージーらしいところはあまり感じられない。少年のいかにも自然な演技はネオ・レアリズモ的だが、それに比べるとポール・ムニ(ロージーのインタビューによると、現場では少年と全くそりが合わなかったらしい)の演技はいかにも古めかしく思え、ちぐはぐな印象を与える。しかし、映画は次第にサスペンス色をましてゆき、ロージーが撮ったフィルム・ノワール作品に少しばかり近づいてゆく。特に素晴らしいのは、ラストでムニがイタリアの瓦屋根を伝って逃亡を図る夜のシーンである。日本の時代劇を別として、イタリア映画ほど瓦屋根を美しく見せてくれる映画はほかにない。撮影は、フランス映画を代表するキャメラマンで、『ベルリン・天使の詩』などでも知られるアンリ・アルカン。
フィルム・ノワール覚え書き5〜『夜は千の眼を持つ』『Strangers in the Night』
■ジョン・ファロー『夜は千の眼を持つ』(Night Has a Thousand Eyes, 47)
真夜中、鉄橋から線路に身を投げて自殺しようとする女を、恋人らしき男がぎりぎりの瞬間に駆けつけて救い出すところから映画は始まる。「空に輝く星々が千の眼のように自分を見ている。この星の下で自分は死ぬ運命なのだ」と、世迷い言のようなことをつぶやく女。男が彼女を連れてレストランに入ると、まるで2人が来ることを予期していたかのように一人の男(エドワード・G・ロビンソン)が彼らを待っている。実は、女が自殺を図ったのは、彼女は星の輝く夜に死ぬとロビンソンに言われたからだった。ロビンソンは、自分には予知能力があるのだといって、信じがたい話をし始めるのだった……。
コーネル・ウールリッチ原作の映画化。ダークな雰囲気や、回想で始まる語りは、完全にフィルム・ノワールのものだが、お話自体は現実離れしたファンタスティックな内容で、フィルム・ノワールとしては変わり種の一つと言っていい。しかし、ヴァル・リュートンのホラー映画が、ある意味、フィルム・ノワールであったことを考えるならば、フィルム・ノワールの一端にこういう作品があっても不思議ではない。しかし、ヴァル・リュートンの曖昧きわまるグレーの世界と比べると、白黒がはっきりしすぎていて、そのぶん魅力に欠けるのも確か。 関係者一同が一軒家に集まるクライマックスはミステリーによくあるシチュエーションだが、もともと起きそうにないロビンソンの予言を、全員が必死で阻止しようとするにもかかわらず、次々とそれが実現されていくところは実にサスペンスフルで、大いに楽しめる。
■ アンソニー・マン『Strangers in the Night』(44)
1時間にも満たないアンソニー・マン初期の作品。これ以前にミュージカル映画などを数本撮っているが、マンの実質的なデビュー作はこれなのではないだろうか。地味な作品の割には、ミニチュアを使った列車脱線事故のシーンがあったりするところがアンバランス。
一人の兵士が、文通を通じて知り合った女性に初めて会いに、戦地から帰ってくるところから映画は始まる。家を訪れると、あいにく彼女は数日不在で、母親だという老婦人と家政婦がいるだけだったが、母親は彼を歓迎し、家に泊まるよう勧める。老婦人は大広間に飾られた巨大な娘の肖像画を彼に見せてやる。その絵に描かれている女性は、彼が想像していたとおりの、いやそれ以上の美人だった。しかし、何日待っても娘は姿を見せない……。
フィルム・ノワールというよりも、ゴシック・ホラーに近い雰囲気の作品ではあるが、壁に落ちる影の使い方など、ノワール的な要素は随所に垣間見える。崖の上の一軒家で展開する数奇な物語という点では、ジョセフ・H・ルイスの『私の名前はジュリア・ロス』(あるいは『レベッカ』)と並べてみたくなる作品でもある。 むろん、これ以後のマンの傑作群と比べたらこれは小品に過ぎないし、彼らしさにもいささか欠ける作品だが、この映画での演出ぶりはすでに堂々たるもので、最後まで楽しめる。 ついでだが、"Night Has a Thousand Eyes" にはコルトレーンのアレンジで知られる曲があるように、"Strangers in the Night" はフランク・シナトラで有名な曲名でもある。どちらも映画の中では歌われない(はず)。
"Martin Scorsese's Word Cinema Project" 『Touki bouki』『野性のもだえ』 World Cinema Project は、世界中の周縁的かつ重要な映画作品(とりわけ映画アーカイヴが充実していない国の作品)を、修復保存し、かつ世界中で上映していくことを目的として、2007年にマーチン・スコセッシによって設立されたプロジェクトである。 そうやって修復された映画は、当然のことながら、DVD や Blu-ray のかたちでソフト化されてもいる。クライテリオンから出た BOX セット "Martin Scorsese's World Cinema Project"(DVD と Blu-ra のデュアル・エディション)には、このプロジェクトで修復された6本の作品が収められている。セネガル映画『Touki bouki』、メキシコ映画『Redes』、インド映画『ティタスという名の河』、トルコ映画『野性のもだえ』、モロッコ映画『Trances』、韓国映画『下女』の6作品である。
まずはジブリル・ディオップ・マンベティの『Touki bouki』とメティン・エルクサンの『野性のもだえ』だけを紹介する。
■ジブリル・ディオップ・マンベティ『Touki bouki』72
セネガル映画、いやアフリカ映画におけるもっとも重要な作家の一人でありながら、ジブリル・ディオップ・マンベティの名前は、ウスマン・センベーヌやスレイマン・シセなどとくらべると、これまであまりにも長い間、不当にも忘れ去られていたといっていい。
20代で映画を撮り始めたものの、長編第一作『Touki bouki』を完成後、20年以上も沈黙しつづけ、80年代の終わりにようやく活動を再開したとおもったら、その数年後に、わずか50歳なかばで肺ガンでなくなってしまった彼のフィルモグラフィーには、長短篇合わせて数本の作品しか存在しない。そして、そのいずれもが、まれにしか上映されることはなかった。
スコセッシのプロジェクトによって『Touki bouki』は鮮やかな色彩とともに甦り、ソフト化もされて、マンベティの名前をそれまで以上に世に知らしめることになった。それでもいまだに日本では、マンベティはセンベーヌやシセほどの知名度を得るには至っていない。
『トゥキ・ブゥキ/ハイエナの旅』は、いわばジャン・ルーシュによってリメイクされた『気狂いピエロ』とでも呼ぶべき作品である。冒頭、屠殺場の床を真っ赤に染める獣の血。この映画では「動物は一匹も犠牲にされていない」どころか、流れ出る血はすべて本物のはずだ。少なくとも、そんなふうに思わせる(マンベティはジョルジュ・フランジュの『獣の血』を見たのだろうか)。マンベティにはフランスのヌーヴェル・ヴァーグの血が流れ込んでいるに違いない。映画に描かれるのは、パリを夢見て、そのチケットを手に入れるために、犯罪を繰り返す若いカップルの逃避行だ。しかしストーリーを語ったところで何も説明したことにはならない。キャメラの奔放な動き、ジャンプ・カットを多用した大胆な編集、伝統的なアフリカ音楽と現代音楽(ジョゼフィン・ベイカー!)を併用するやりかた、現実のシーンと地続きで現れる夢のシーンなどなど。この映画がそれまでのアフリカ映画とは一線を画し、今も人を魅了するのは、このフォルムの新しさである。
『Touki bouki』はたしかに政治的な映画ではないが、それはこの映画がセネガルの現実とは無縁のところで作られているということを意味するわけではない。しかし、そのあたりについて考えるためには、この映画が「権力と愚かさについて」と題された3部作の1作目であり、その第2作目である『ハイエナ』を撮ったあとで、結局、3作目を完成させることなくマンベティが亡くなってしまったということを、頭に入れておかなければならないだろう。『ハイエナ』はアルフレッド・デュレンマットの戯曲『貴婦人故郷に帰る』を原作としつつも、あきらかに『トゥキ・ブゥキ』の続編として構想されていたようだ。『ハイエナ』を見ることで『Touki bouki』の見方もまた変わってくるように思えるのだが、残念ながらまだ見る機会がない。
■メティン・エルクサン『野性のもだえ』(Susuz yaz, 63)
トルコ映画。監督名は allcinema などでは「イスマイル・メチン」となっているが、世界的には Metin Erksan という名前で通っている(「イスマイル・メチン」は彼の出生名 İsmail Metin Karamanbey)。
40年代に映画批評家として活動した後、52年に監督デビュー。当時のトルコ映画の多くがそうだったように、エジプトのメロドラマやアメリカのジャンル映画を模倣した作品を作る一方で、もっとトルコの現実に即した映画を制作し、しばしば当局の検閲に苦しめられる。 『野性のもだえ』はベルリン映画祭に出品されて金熊賞を受賞し、エルクサンの名を世に知らしめた。70年代に入ってからは商業ベースに乗った作品を多数発表し、なかには、フリードキンの『エクソシスト』をリメイクした作品まであった。82年に引退するまでに42本の映画を監督し、うち29本は自ら脚本を書いた。2012年に死去。
『野性のもだえ』は、海外では "Dry Summer" のタイトルで知られる。邦題はいささか扇情的なものになっているが、実は、あながち映画の内容からほど遠いというわけでもない。
映画の舞台となっているのはトルコのアナトリア地方。ヌリ・ビュルゲ・ジェイランの『かつて、アナトリアで』と同じ地方だが、見て受ける印象はかなり違う。あれはあまり生活臭の感じられない映画だったが、『野性のもだえ』に描かれるのは、いろんな意味で泥臭い世界である。 この地方の農民たちにとって、水は命であり、とりわけ日照りの季節には、文字通り水が死活問題となる(「水は大地の血だ」)。その水を、唯一の水源である川の上流に住む兄弟のうち、利己的で野獣のような兄のほうが、堰き止めて独占したことから、兄弟一家と川下に住む農民たちの間に不穏な空気が流れ始める。弟のほうは、兄と違って話が分かり、自分たちの田畑に必要な水がいかなくなっても構わないから、水を他の農民たちに分け与えようと考えるのだが、兄はそれを絶対許さない。やがて、農民たちの一部がどうにも我慢ができなくなって、兄を殺そうと襲撃するが、結局失敗する。 弟の若くて美しい妻に、兄がずっと欲情を抱きつづけていることが事態をさらに混乱させる。またしても自分を襲ってきた農民の一人を殺してしまった兄は、弟に自分の身代わりになってくれと頼む。そして、弟が遠く離れた監獄に投獄されると、弟が妻に宛てた便りを全部隠し、なんとか彼女を寝取ろうと企む。やがて、弟が獄中で亡くなったという誤った噂が流れ、兄は嘆き悲しむ弟の妻を強引に自分のものにしてしまう。そこに、実は生きていた弟が帰って来、ついには兄弟通しの殺し合いが始まる……。
とまあ、ざっとストーリーを説明しただけでも、ドロドロとした話だということが分かるだろう。メキシコ時代のブニュエルの自然主義とグル・ダッドのメロドラマを足して2で割ったような、そんな映画だといえばわかりやすいだろうか。実はそれほど期待していなかったのだが、見はじめるとそのパワフルな世界にすぐに引き込まれてしまった。とにかく面白い。 実際の農民たちをエキストラに使ったネオリアリズムふうのスタイルが取られている一方で、どこかシュールなおとぎ話のような雰囲気も漂わせている作品である。弟の妻に欲情し、壁の隙間からのぞき見たり、ついには田んぼの案山子を彼女に見立ててプロポーズまでする兄の描写は、グロテスクであると同時に滑稽でもある。このエルクサン映画の倒錯的な部分はこの後の作品でさらに顕在化していくように思えるのだが、わたしが実際に見たのはこの映画だけなので、そのあたりのことはただ推測するしかない。
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