映画の誘惑

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365日間映画日誌

日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。

2016年1月〜3月

 

2016年3月26日
ロバート・シオドマク『大いなる罪びと』――ギャンブル、エヴァ・ガードナー、そしてゴダール

ロバート・シオドマク『大いなる罪びと』(The Great Sinner, 49)

『The Rocking Horse Winner』、『スペードの女王』……。偶然なのだが、なぜか最近、ギャンブルをテーマにした映画を見ることが多い。今回紹介するこの『大いなる罪びと』もまた賭けを描いた映画である。

ギャンブルを主題にした映画は、これまでそれこそ数え切れないほど撮られてきた。『スペードの女王』はサイレント時代にすでに映画化されているし、ほとんど映画の創造と同時に存在しはじめたといっていい西部劇において、ギャンブルはこのジャンルに欠かせない舞台装置のひとつであった。ギャンブルこそ明確に描かれてはいないが、カードゲームに興ずる人たちを撮影したリュミエール兄弟の『エカルテ遊び』までさかのぼるとすれば、それこそ賭けは映画の創成期から常に存在してきたといえるだろう。日本のやくざ映画においても賭博はなくてはならない要素のひとつであり、また『博奕打ち 総長賭博』や「女賭博師」シリーズなどにおいては、物語そのものを動かす原動力にさえなっている。

一口にギャンブルを主題にした映画といっても、カジノやパチンコ店、あるいはボクシング界を舞台にイカサマがらみの物語を描いた映画もあれば、『ハスラー』のようにギャンブラー同士の熾烈な勝負を描いた映画もあり、様々である。しかし、ロバート・シオドマクの『大いなる罪びと』が描くのは、いかさま師のたちの騙しあいでも、ギャンブラー同士の勝負でもない。ギャンブルに魅了され、その誘惑に抗えずに破滅していく一人の男の姿である。ソロルド・ディキンソンの『スペードの女王』も、賭けで破滅してゆく男を描いた映画だったが、どちらかというと賭けそのものよりも、それにまつわる数奇な物語を語ってゆくことに眼目がおかれていた。『大いなる罪びと』に描かれるのは、そういう外側から見られたギャンブルではなく、いわば賭博者の内面の戦いであるといってもいいだろう。それは、「大いなる罪びと」というタイトルにも現れている。日本人の感覚では若干わかりづらいのだが、キリスト教が根付いている欧米諸国において、賭博者は、勝とうが負けようが、誘惑に負けた敗残者、罪びとであるということなのかもしれない。ギャンブルを描いた映画に、「The Sin Unatoned」や、「The Sins of St. Anthony」などといった「罪」という言葉の入ったタイトルが多いのは多分偶然ではないのだろう。

グレゴリー・ペック演じる有名作家フェージャは、列車のなかで出合った美しい女性ポーリーヌ(エヴァ・ガードナー)に導かれるようにしてヴィースバーデン(ドイツ)のカジノに出入りするようになる。最初は、ギャンブラーを描く小説の取材のつもりだったのだが、ポーリーヌが父親のつくった借金のかたにされていることを知ると、その借用書を取り戻すつもりで自らもギャンブルに手を出す。はじめは負け続けるが、やがて強運が訪れ、ついにはカジノが一時ストップするほどの大金を手に入れる。しかし、カジノのオーナー(メルヴィン・ダグラス)は、適当な口実をもうけて借用書を渡すのを一日引き伸ばす。しかし、フェージャはそのたった一日を待つことができず、せっかく手に入れた大金を賭けで失い、挙句の果てに、自分がこれまでに書いたものだけでなく、これから先に書くであろうすべての著作物の権利までをカードゲームで賭けて、あっという間に負けてしまう。フェージャは教会で一人ひざまずいて自らの罪を懺悔するが、近くにあったお布施箱が目に入ると、それにまで手を伸ばそうとする……。

多くの人が指摘していることであるが、この映画のベースになっているのはおそらくドストエフスキーの『賭博者』であろう(ただし、クレジットはされていない)。大まかなあらすじや、ドイツを舞台にしていること、あるいは、登場人物の名前など、ドストエフスキーの小説との類似点は多々ある。重要な違いは、主人公が小説家という設定になっているところだろうか。ドストエフスキー自身が、この小説を書いていたころ、自分の著作の権利を借金の肩代わりにしていたことを考えると、それも物語に取り入れて脚色したということなのだろう。いずれにせよ、作家が自分の作品の権利までをも賭けの対象にするというのは、金や土地の権利をギャンブルで賭けるよりももっとずっと凄まじいものがある。ちなみに、ドストエフスキーの『賭博者』が正式に映画化されるのは、シオドマク作品の約10年後に撮られたクロード・オータン=ララ監督、ジェラール・フィリップ主演の映画『賭博者』(58) においてである。

ソロルド・ディキンソンの『スペードの女王』のように、一目でわかるような視覚的効果や演出はなされていないが、シオドマクはこの映画で、ギャンブルに堕ちてゆく一人の男の内面を、巧みな編集によって、まるで観客自身が目くるめく渦に飲み込まれてゆくかのような感覚と共に描いている。ギャンブルで破滅する人間を描いた映画はたくさんある。しかし、人がどうやってギャンブラーになるのかを、ドラッグのようにいったん知ってしまうと抜け出すことのできない賭けの誘惑を、これほど見事に描いた映画はあまりないのではないだろうか。そういう意味では、ギャンブルを描いた最高の一本といってもいいと思う。

シオドマクは、周知のように、ドイツからフランスをへてアメリカに渡った亡命映画作家である。アメリカに渡ったシオドマクは、先に渡米していた弟カートの手助けで、ユニヴァーサルと契約し、『幻の女』をはじめとする数々の名作をこの製作会社で撮ることになる。シオドマクのアメリカ時代は、ほとんどこのユニヴァーサル時代であるといってもいいくらいである。しかし、ユニヴァーサル一色の彼のアメリカ時代にも、RKOで撮られた『らせん階段』や、二〇世紀フォックスで撮られた『都会の叫び』など、他社に貸し出されて作った作品がほんの数本だけ存在する。実は、この『大いなる罪びと』もまた、シオドマクがMGMに貸し出されて撮った作品であった。

『大いなる罪びと』を見ていてまず驚くのは、俳優陣の豪華さだ。グレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナーの共演というだけでも十分ゴージャスなのに加えて、エヴァ・ガードナーの父親役にウォルター・ヒューストン、そのウォルター・ヒューストンの母親役にエセル・バリモアという贅沢な配役。さらには、ギャンブラーたちが煙草入れなどの私物だけでなく、〈魂〉をも売り渡す場所として作中重要な位置を占める質屋の陰険な女店主をアグネス・ムーアヘッドが演じているというのもすごい。この豪華さは、ユニヴァーサルで撮られたシオドマク作品にはめったにないものだ。ウォルター・ヒューストンとエセル・バリモアの掛け合いには目を奪われるし、ほんの2回しか出てこないアグネス・ムーアヘッドも強烈な印象を残す。グレゴリー・ペック演ずる主人公と同じく、ギャンブルにおぼれて、娘の金まで平気で次々と賭けにつぎ込んでことごとく負けながら、いつも陽気に笑っていて、決して破滅のほうへは(少なくとも自ら進んでは)向かっていかないという意味で、主人公とは対照的な敗残者を演じるウォルター・ヒューストンはいつものように最高だし、ほとんど死に掛けていると思われていたエセル・バリモアが車椅子に乗って現れ、ヒューストンに乗せられてギャンブルの味を覚えたかと思うと、瞬く間に全財産(その遺産をウォルター・ヒューストンは当てにしていたわけだが)を失ってしまい、気づくとテーブルに背筋を伸ばして座ったまま死んでいるというシーンも忘れがたい。

しかし、このMGM的大作主義とでも呼べそうなものは、果たしてこの映画にふさわしかったのだろうか。この映画がユニヴァーサルで撮られていたら、ひょっとしたらもっと素晴らしいものになっていたかもしれないという気がしないでもない。もっと地味な俳優たちで、こじんまりと作られていたほうがこの作品には合っていたのではないだろうか。そもそも、エヴァ・ガードナーという女優はあまりにも華やか過ぎるのだ。オーラがありすぎて、どの映画に出ているときも、彼女がそこにいるだけで現実感が若干薄らいでしまうようなところがあり、いつも少し周りから浮いてしまう。彼女のそういうところが、わたしは少し苦手なのである。もちろん、そういう彼女でなければできない役もたくさんあるのだが(たとえば、『パンドラ』など)。

さて、ここからは余談になる。この映画のことを調べているときに、なぜかゴダールの名前がちらちら出てくるので、不思議に思っていたのだったが、その謎が解けた。この『大いなる罪びと』は、フランスで公開されたときに、"Passion fatale" (「破滅的な情熱」)というタイトルをつけられていた。ゴダールの『映画史』で、歌うエヴァ・ガードナーのイメージで始まるセクションのタイトル "Fatale beauté"(「破滅的な美しさ」)は、実は、このシオドマク作品のフランスでのタイトルにちなんで付けられたものだったのである(と、ゴダール本人が言っている)。そのなかでゴダールは、性と美と死と映画との宿命的な関係を考察し、女が常にキャメラの背後にいる男によって撮られてきたという映画の歴史が指摘されていたのだった。ゴダールの『映画史』は何度となく見ているのだが、今回、このシオドマク作品をはじめて見て、そう言えばそんなエピソードがあったなとぼんやり思い出したしだいである。

折にふれて、本気なのか冗談なのかわからない発言を繰り返しているゴダールの、これもまた言葉遊びに過ぎないのだろうか。それとも、ここにはさらに深く考察すべき何かがあるのか。ゴダールがエヴァ・ガードナー主演の『裸足の伯爵夫人』がお気に入りだったことは知られているし、そういえば、『さらば、愛の言葉よ』でも、ペック=ガードナー主演の『キリマンジャロの雪』が引用されていたのだった。しかし、エヴァ・ガードナーとゴダールのひそかな関係について考えるのはまたの機会にしよう。

2016年3月19日
ロイ・ウォード・ベイカー『The House in the Square』

20世紀を生きる科学者がふとしたきっかけで19世紀にタイムスリップし、そこで恋をする。そんな物語にいまさら何の興味がある? と思いながら見はじめたのだが、これがなかなか良くできていて、思わぬ拾い物だった。さすが、わたしの大好きな『火星人地球大襲撃』を撮った監督である。

近代的な実験室で、防御服に身を包んだ主人公の物理化学者(タイロン・パワー)が、なにやら核実験らしきことを行っているシーンから映画は始まる。B級SF映画を思わせる雰囲気の出だしだが、実際の内容はSFというよりはファンタジーに近い。主人公が科学者だから、何かの実験中にタイムスリップしてしまうのかと思いきや、家に帰ってきたところ玄関先で雷に打たれてそのまま19世紀に行ってしまうという、科学とは何の関係もない理由付けになっている(タイロン・パワーが科学者というのはにわかには信じがたいのだけれども、いかにも科学者らしいシーンは冒頭だけなので、そのうちに慣れる)。現代に帰ってくるシーンもやはり、ただ雷に打たれて帰ってくるだけだ。もっとも、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も、過去と現在の行き来は落雷のエネルギーを使っていたわけだから、この映画はそのルーツだともいえる(あちらは雷をちゃんと科学的に利用していたわけだが)。

正直言って、この映画には目新しいところはほとんどない。最初はモノクロで始まり、主人公がタイムスリップすると同時に画面が色づき始めてカラーに変わるという手法がとられているのだが、これも今となってはそれほど興味を引くものではない(マイケル・パウエルはすでに、『天国への階段』(46) のなかで、この世をカラーで、天国をモノクロで見せるという、意表をついたカラーの使い方をしていた)。

しかし、タイムスリップした主人公が、あまりにもいろんなことを知りすぎているために周囲から恐れられ、ついには狂人扱いされて、次第に追い詰められていくという展開はなかなか新鮮である。その過程も実に丁寧に、スリリングに描かれていて、最後まで飽きさせない。一人だけ彼を理解してくれている女性を演じているアン・ブリスのあえかな美しさも特筆に価する。

日本では DVD 化はされていない。原題は『The house in the square』だが、アメリカでは「I'll Never Forget You」というタイトルで公開されたので、こちらで検索しないとヒットしないかもしれない。 ロイ・ウォード・ベイカーという監督はときおり、おっと思う作品を撮る人なのだが、でき不出来の差が結構あって、もうこの人の傑作はあらかた見てしまったのではないかという気もする(そのなかでわたしが特にすきなのは、『火星人地球代襲撃』 を別格とすると、『脱走四万キロ』『残酷な記念日』など)。個人的には、『黒い狼』のちゃんとした DVD をなんとかTSUTAYAでレンタルしてくれないものかと思っているのだが、難しいか(日本でもいちおう DVD は出ているのだが、けっこうお粗末な代物らしい)。

2016年3月10日
『スペードの女王』とソロルド・ディキンソンについての覚書――イギリス映画の密かな愉しみ2

 

『Rocking Horse Winner』もなかなかの拾い物であったが、この『スペードの女王』は文字通りの傑作であったといっておこう。これも小説を映画化した原作ものであるが、とにかく出来がいい。いや、びっくりするほどよく出来ているといってもいい。

『スペードの女王』は、戦後まもなくに日本でも公開され、かつてはビデオ化もされていたようだ。しかし、今となっては、この作品を見たことがある人はそれほど多くはないだろうし、ソロルド・ディキンソンという名前に聞き覚えがある人もほとんどいないのではないだろうか。実はわたしも、つい最近になってこの監督の存在を初めて知ったばかりなのである。日本だけでなく、本国イギリスを始めとして、海外においても、ディキンソンはこれまで正当な評価を受けてきたとは言いがたい。そんな彼に、近年、新たな注目が集まり、再評価の動きが現れはじめたのには、例によって、マーティン・スコセッシの活動が少なからぬ影響を与えているようだ。スコセッシはディキンソンのことを、「イギリスにおける第一級の映画作家の一人である」と高く評価し、この『スペードの女王』についても傑作と絶賛している。わたしが見た DVD にもスコセッシによる短いが熱烈なイントロダクションが特典としてつけられていた。ディキンソンを高く評価している監督は彼だけではない。例えばジョン・ブアマンは、ディキンソンのことを、「マイケル・パウエルのように大胆で、デイヴィッド・リーンのように編集に無駄がなく、キャロル・リードように感情に訴えかける緊張感がある」と評している。

このようにプロからも高く評価されている映画作家が、なぜこんなに長いあいだ忘却に近い状態におかれていたのだろうか。その理由は定かではないが、彼のキャリアは最初からタイミングの悪さと不運につきまとわれていたというこことはできそうだ。ディキンソンの初期の傑作『ガス燈』(40) に感銘を受けたデイヴィッド・O・セルズニックは、すぐに電信を打って彼をハリウッドに招こうとした。しかし、ディキンソンは戦争を理由にこれを断る。もしもセルズニックの招待を受け入れていたなら、彼はヒッチコックがたどったのとちょうど同じような道をたどって、ハリウッドで成功を収めていたかもしれない。『ガス燈』は高い評価を得た作品だが、その数年後にはMGMによってバーグマン主演でリメイクされてしまい、その結果、ディキンソン版『ガス燈』は早々に市場から引っ込められてしまう。

こんなふうにどこかくすんで見えるディキンソンの映画監督としてのキャリアは、わずか20年ほどのあいだに9本の長編を作っただけで終わってしまう。しかし、彼の映画との関わりはこれで終わりはしなかった。1952年に現役を引退すると、ニューヨークを拠点に映画製作に携わり、その後、60年にロンドンに戻ると、英国で初めて大学に映画学科を設置し、67にはこの国で最初の映画研究の教授になった。ディキンソンは映画についての研究書も出していて、彼が書いたソヴィエト映画についての研究書は、あのジェイ・レイダ(『ゴダールの映画史』でも言及される人物)の高名なロシア映画史のなかでもたびたび引用されている。 ディキンソンは、まだ映画を撮り始める前の30年代の初め頃にすでに、エイゼンシュタインやヴェルトフの映画をロンドンの観客に紹介する活動を行っていた。ロシア・ソヴィエト映画についての彼の造詣の深さは、プーシキンの高名な小説を映画化した『スペードの女王』においても随所に発揮されている。

有名な小説なので『スペードの女王』の物語については詳しく書く必要はないだろう。19世紀のロシア。賭けトランプにとりつかれていた工兵士官シュヴォーリンは、賭けに必勝する秘密と引き替えに悪魔に魂を売ったと噂される老伯爵夫人に、下女を誘惑して近づくが、結局、秘密を聞き出す前に伯爵夫人をショックで死なせてしまう。落胆している彼の前に伯爵夫人の亡霊が現れ、トランプに勝つ秘密の数字を彼に教える。シュヴォーリンはその秘密を使ってトランプに勝ち続けるが、結局は、伯爵夫人の亡霊に呪われて破滅してゆく。

この小説は、ロシア映画のサイレント時代に『アエリータ』のプロタザーノフによってすでに映画化されている。こちらもけっして悪い作品ではなかったが、ディキンソン版と比べるとやはり地味な印象はぬぐえない。ディキンソンの『スペードの女王』も金のかかっている映画ではないと思うのだが、繊細な美術と見事な撮影(『マダムと泥棒』『血を吸うカメラ』のオットー・ハート)、そして映画的な創意工夫によって、とてもゴージャスな印象を見るものに与える。しかも、この企画はもともと別の監督の下で進められていたのだが、彼が突然降板したために、撮影開始のわずか5日前にディキンソンが急遽代役を務めることになったのだというから、作品の完成度になおさら驚いてしまう。

鏡、枝付き燭台、時代物の調度品の数々。石造りの歩道に落ちる影。逢引と陰謀の舞台となるオペラ座に舞う雪(墜落したドイツの航空機の防風窓に使われる合成樹脂から作られた偽物の雪)。ディキンソンはサイレント映画は撮ったことがないはずだが、20年代末にフランスで映画製作の現場を知り、ハリウッドでサイレントからトーキーへと時代が移り変わるのを目撃した経験からか、この映画にはどことはなしにサイレント映画の呼吸が感じられる。しかし、その一方で、彼は音に対しても大変なこだわりを見せている。画面のどこかで終始聞こえている風のうねり。あるいは、亡霊となった伯爵夫人がクリノリンのペチコートの裾をゆっくりと引きずるときのシュッ、シュッという音……(ディキンソンによると、ジェット機が飛び立つ音などをミックスして様々な効果音が作られたという)。ディキンソンは、限られた手段を巧みに駆使し、繊細に作り上げた音とイメージを見事に絡み合わせて、陰鬱で、息詰まるような世界を作り上げている。

主人公シュヴォーリンが立ち寄るかび臭い古本屋のメフィストフェレスを思わせる主人。伯爵夫人がカードの秘密を知るシーンで、彼女が謎の屋敷を訪れ、廊下の先の暗闇に飲み込まれていく瞬間(この数年前に撮られたコクトーの『美女と野獣』を彷彿とさせるとさせる)。悪魔に魂を売り渡してしまった伯爵夫人がマリアのイコン画に向かって祈りをささげた瞬間、絵のなかのマリアの顔にさっと影がさすという照明の巧みさ。伯爵夫人に近づくために彼女の下女を誘惑しようとしてシュヴォーリンが恋文を書いているとき(といっても恋文の指南書の文章を丸写しするだけなのだが)、テーブルの上の燭台を覆っていた蜘蛛の巣が、何も知らずに遠くで彼からもらった手紙をベッドの上でそっとなでている純情な下女の顔にオーヴァーラップしてゆく、あざとくも忘れがたいシーン。あるいは、ロシアの教会で行われる伯爵夫人の葬式を描いた驚くべき場面で、シュヴォーリンが棺に顔を寄せたとき、死んでいるはずの伯爵夫人の両眼がかっと見開かれる、あのぞっとするような瞬間。そして、姿を見せない伯爵夫人の亡霊が、声となって現れ、一陣の風がシュヴォーリンの部屋の中をかき回したかと思うと、次の瞬間には嘘のように消えている、悪夢のようなシーン……。

『The Rocking Horse Winner』に比べると、ずっとずっとホラーよりの作品ではあるが、ここでも、すべては主人公の狂気が見させた幻覚だったという解釈もできるつくりになっていて、その意味では、この映画もまたトドロフの言う「幻想」属する作品であるといえる。

わずかな予算のなかで、あるものすべてを最大限に映画的に活用する手腕において、ディキンソンにはエドガー・G・ウルマーなどに近しいものを感じるが、肝心のものを何も見せずに怪しげな恐怖の雰囲気を増幅させていくところは、ヴァル・リュートン製作ののホラーにも似ている。B級映画ファンにぜひ見てほしい一本である。

主人公を演じているアントン・ウォルブルックは『ガス燈』にも主演している俳優だが(彼がこの映画の監督にディキンソンを強く推したのだという)、日本の映画ファンにはマイケル・パウエルの『赤い靴』で芸術に憑かれた団長レルモントフを演じた男優といったほうがわかりやすいだろう。宮崎アニメに登場する魔女のような伯爵夫人役のイーディス・エヴァンスは、これが映画デビューだとは信じがたい、存在感を示している(もっとも、わたしはよく知らないのだが、彼女は演劇の世界では伝説的な存在であったようだ)。

『スペードの女王』が作られた49年のイギリスでは、ロバート・ハーメルの『カインド・ハート』、アレクサンダー・マッケンドリックの『ウィスキー・ガロア』、パウエル&プレスバーガーの『The Small Back Room』、そして『第三の男』といった、数々の傑作が撮られている。この作品の印象が多少かすんだとしても不思議ではないのかもしれない。しかし、それにしても、これだけの作品が今までほとんど忘れ去られていたというのはちょっと信じられない。

しかし、それと同じくらいに驚くのは、実は気づいていなかっただけで、このソロルド・ディキンソンという映画作家が、意外に身近な場所にいたことである。彼の代表作のひとつである『ガス燈』は、なんと驚いたことに、日本でも発売されているジョージ・キューカー版『ガス燈』の DVD におまけとして収録されていたのだ。これだけではない。冷酷なテロリズムに巻き込まれてゆく姉妹を描いたサスペンス映画の傑作『Secret People』も、『オードリー・ヘップバーンの初恋』というタイトルで DVD が出ているのである(この映画にはたしかにデビュー間もないヘップバーンが出演してはいるのだが、主演でもなんでもないし、邦題が匂わせているような「初恋」要素もほとんどない。まったくふざけたタイトルである。たしかに、だれも知らないソロルド・ディキンソンという監督が撮った『Secret People』として売り出すよりも、ヘップバーンの恋愛映画として売ったほうが、DVD の売り上げは桁違いに上がるだろう。しかし、このB級映画を潜在的に求めていた観客は、このタイトルではこの映画に近づかないだろうし、逆に、ヘップバーンの恋愛映画を期待してみた人たちは肩透かしを食うだろう。こういう DVD マフィアたちは、商品を売るためには何だってするが、肝心の映画のことだけは考えていない。人はこうして映画と出会い損ねるのである)。

2016年3月2日
アンソニー・ペリッシャー『The Rocking Horse Winner』──イギリス映画の密かな愉しみ1

グリアスンらによるドキュメンタリー運動、イーリング・コメディ、フリー・シネマ、ハマー・プロ……、といった映画史の概説に出てくるような事柄なら知ってはいるし、多数の作品を見てもいる。しかし、それ以外に自分はイギリス映画のことをどれだけ知っているのだろうか。正直言って、あまり自信がない。そんなことを痛感したのは、最近、監督の名前もタイトルもまったく聞いたことがないイギリス映画の佳作を何本か見たからだ。こんな素晴らしい映画があったなんて、どうして今までだれも教えてくれなかったのか。 今日はそのなかから2本の作品を紹介しようと思う。偶然だが(偶然なのか)、どちらも賭けにまつわる映画である。

 

■ Anthony Pelissier『The Rocking Horse Winner』

子供たちだけが大人にはない特殊な超能力を持っていて、独自の世界を生きている。そのために子供の世界と大人の世界のあいだに見えない亀裂が走り、大人たちには子供のことが理解できず、あるいはその本当の姿が見えない。そんな状態を描いた最初の映画は何だったのだろうか。アンソニー・ペリッシャー(名前の読み方がわからないので適当な表記だが)の『The Rocking Horse Winner』は、『光る眼』あたりを通って『シックス・センス』へといたるそんな〈子供映画〉の、最初とは言わないまでも、いちばん古い作品のひとつとは言えるかもしれない。もっとも、特殊な能力といっても、この映画に描かれるそれは、空を飛べるとか、時間を止められるとかいったたいそうなものではなく、それこそ幽霊が見えるなどといった、第六感に毛が生えた程度のものにすぎない。

この映画の舞台となるのはイギリスのとある上流家庭だ。いまこの家は経済的に困窮していて、家庭内には張り詰めた空気が漂っている。そんな状態にあっても父親のほうはろくに仕事を探そうともせず、それが高級志向の母親をなおさらいらだたせている。少年には、そんな家庭内のぴりぴりとした空気が〈ささやき〉として聞こえてき、そのたびに頭がおかしくなりそうになる。あるとき、プレゼントにもらった木馬に乗って遊んでいた少年の脳裏に、競馬の勝ち馬の名前が突然ひらめく。そしてそのとき、彼を悩ませていた〈ささやき〉も消えていたのだった。嘘のような話だが、その馬は実際にレースで一着になる。こうして少年は、新しく家にやってきた運転手の男と、叔父さんの3人で、木馬から予知した競馬馬に賭け、次々に大穴を当ててゆく。少年はただただ母親を助けるために、木馬に乗って競馬で賞金を稼ぎ続けるのだが、縁起を担いで、そのことを両親には秘密にし、貯まった金を、親戚からだと偽って定期的に母親の手に渡るようにしていた。両親はそんなこととは露知らず、その金で、高級な服を買い、毎晩のように夜会へと出かけてゆく。最初は楽しく始まった競馬もやがては義務とプレッシャーで少年を追い詰めてゆき、やがてスランプに陥ったとき、少年は木馬の上で狂ったように体をゆすりながら気を失い、そのまま意識不明の昏睡状態に陥ってしまうのだった……。

原作はD・H・ロレンスの同名小説。最初は子供向けのファミリー映画かと思ってみていたのだが、少年が狂ったように髪を振り乱し、顔中から汗をたらしながら、薄暗い部屋で必死に木馬を揺らしている姿を下から仰ぐように撮ったシーンの、壁に映る影とか、木馬の不気味な表情。そしてそこから、少年が絶命したあとに初めて事の真相を知った母親の手によって木馬が焼かれるラストまでは、ほとんどホラー映画のクライマックスに近いものがある。 子供が超能力を持つ世界といっても、この映画の少年が本当に木馬から競馬馬を予知できたのかどうかは、本当のところわからず、たんに超ラッキーだっただけかもしれない(実際、少年は、しきりと「ラッキー」という言葉を口にしている)。この映画に描かれる不思議な出来事は、合理的に説明可能であるともいえるし、また超自然的な説明をすることもできるという意味では、ファンタジーでもSFでもなく、ツヴェタン・トドロフいうところの「幻想」にまさに属する作品といっていいかもしれない。少年が主人公でありながら、彼の内面は周囲の大人たちには(そして観客にも)うかがい知れず、それゆえにひたすら不気味である。

テーマは一目瞭然で、浅薄な物質主義と愚かな虚栄心が批判されていると思うのだが、この映画に描かれる父親の影の薄さには、経済的な無力さだけでなく、性的な不能も暗に示されているのかもしれない。母親が高級な毛皮やバッグに向ける欲望は、そもそも、性的な欲求不満の代償であったともいえる。おそらく、ロレンスの原作(実は読んでいない)では、そのあたりがかなり強調して描かれているのではないか(『チャタレー夫人』からのただの推測だが)。ただし、この映画のなかでは、検閲のせいもあってか、そのあたりのことはほとんど暗示すらされていない。しかし、ラストでひとりで狂ったように木馬を揺らす少年の姿にマスタベーションへの示唆を読み取るのはそれほど難しいことではないし、彼の行為は、性的に満たされずにいる母親を満たしてあげたいという少年の欲望の表れであるという解釈も可能であろう。深読みだろうか?

ロレンスの原作をそつなく映画化しただけという気がしないでもないが、思った以上に面白かった。

もう一本紹介しようと思っていたが、長くなったので、またの機会にしよう。

2016年2月23日
クロード・ファルラド『テムロック』――アナーキー・イン・フランス

クロード・ファルラド『テムロック』(Themroc, 1973)

 

またしても奇妙奇天烈な映画を発見してしまった。いろんな映画を見てきたつもりだったが、まだこんなものが残っていたとは。つくづく映画とは奥が深いものだ。

それにしても、アンダーグランドの底深いところで作られた映画ならともかく、ここにはミシェル・ピッコリを始め、『クレールの膝』のベアトリス・ロマンや、ミュウ・ミュウといった名の知れた俳優たちも多数出演しているのだから、なおさら驚く(その多くはカフェ・ド・ラ・ガールの団員である)。ミシェル・ピッコリは数々の風変わりな役を演じてきたが(その中の最たるものは、『最後の晩餐』『Dillinger è morto』などのマルコ・フェッレーリが監督したいくつかの作品である)、この映画のピッコリの役は、彼が生涯に演じたあらゆる役のなかで最もエキセントリックなものといえるかもしれない。

見始めてまず驚くのは、この映画には台詞がないことだ。台詞がないといっても、『裸の島』のように登場人物がだれも喋らないわけでもなければ、『アーチスト』のように擬似サイレント映画風に作られているわけでもない。みんな普通に話しているし、その声も観客には聞こえている。ただ、彼らが話す言葉がまったく意味不明なのである。なにやら言葉らしきものを喋ってはいるのだが、もごもごと口ごもるようにして吐き出されるその言葉は、どこの国の言葉でもなく、ときには言葉としての体さえなしていない。それでも、彼らの間ではそれで十分にコミュニケーションが取れているらしく、だれも相手に聞き返したり、意味を尋ねたりすることもない。ただ、観客にはその言葉がまったく意味不明なのだ(この言葉の扱い方は、ジャック・タチの作品のそれを思い出させもする)。しかし、そんな風に理解可能な言葉がひとつとして発せられないにもかかわらず、観客にはおよその状況が理解できるように、この映画は作られている。

要約してみよう。

ミシェル・ピッコリ演じる主人公は、ビルの塗装の仕事をしている低賃金労働者で、毎朝バスで仕事場に行き、彼と同じような労働者たちに混じって、毎日同じような仕事を繰り返して生きているらしい(ロッカー・ルームでピッコリの同僚たちが、赤と白のユニフォームに着替えて2チームに分かれるシーンが出てくるから、一瞬、ラグビーの選手か何かと思ってしまう。紅白に分かれる理由は、結局、わからなかった)。あるとき、彼は、社長らしき人物が秘書と浮気をしている現場を、高いビルの窓から仕事中に目撃してしまう。たぶんそれが原因で、ピッコリは社長に呼び出され、なにやら小言を受ける。むろん、このときも、社長が語る言葉はまったく意味不明である。ピッコリのほうはというと、社長の一言一言に、ゴホゴホと咳き込むというか、その咳でもって返答するだけで、もはや意味不明の言葉さえまともに発しない(ピッコリと咳というと、この十数年後に撮られるゴダール『パッション』におけるピッコリの役をどうしても思い出してしまう)。

そして彼はそのまま社長室を出てゆくのだが、ここで何かがぷつんと切れてしまったのか、この直後からピッコリの行動は次第に常軌を逸してゆく。まずは、どこかから拾ってきたコンクリートブロックを荷台に積んで自宅に持ち帰ると、入り口のドアにそれを積み上げてセメントで固め、自分と家族をマンションの中に閉じ込めてしまう。もっとも、家族といっても何か説明があるわけではないので、ピッコリとの関係は推測するしかない。年老いた女は明らかに母親だろうが、ベッドで裸同然の姿で寝ている若い女(ベアトリス・ロマン)は誰なのか。ピッコリが彼女を見るときの様子などから、愛人とはいかないまでも、彼がひそかに淫らな感情を寄せている女なのかなと思ってみていたのだが、実は、彼女はピッコリの妹であるらしい。いずれにしても、もはやここには普通の意味での親子や、兄妹の関係は存在しないといっていい。

ピッコリは入り口のドアを封じる一方で、通りに面した窓の枠をハンマーで叩き壊しはじめ、それから、家のなかにあるテレビや家具など、ありとあらゆる文明の利器をそこから下に放り投げる。やがて騒ぎを聞きつけて警察の機動隊が出動してくるのだが、ピッコリはまったく意に介さず、逆にこの状況を楽しんでさえいるようにも見える。しかし、おかしいのはピッコリだけではない。警察のほうもどう見ても普通ではないのだ。現場に集まった野次馬の一人をぼこぼこに殴りはじめる警官がいるかと思えば、同じく現場周辺にいた若い女を羽交い絞めにしてレイプしはじめる警官たちもいる。一部の警官だけとはいえ、彼らがやっていることを周りの警官たちは、知ってか知らずか、だれ一人注意しない。

そうこうするうちに、近隣の住民たちのなかにピッコリの〈反乱〉に共感する者たちも現れはじめる。とりわけ、ピッコリの住居の向かいのビルに住む女は、彼の行動に激しく反応し、同じように自宅の窓枠をハンマーで壊しはじめ、彼女の夫もそれに理解を示すようなそぶりを見せる。やがて、そんな住民たちが数名、縄梯子を伝ってピッコリの住居に集まってくるようになる。

社会生活のレールから外れはじめたときから、ピッコリの口から発せられるのは、もはや意味不明の言葉でも、文節不明瞭な言葉ですらなく、アーとか、ガウガウとかいった、うめき声や叫びでしかなくなる。人間というよりは、まるで一匹の獣である。あるいは、石器時代の人間にまで退化してしまったといったほうが正確だろうか。だれかがこの映画のピッコリをレオス・カラックス作品(とりわけ「メルド」)におけるドニ・ラヴァンと比較していたが、そのとおりだと思った(機動隊によって投げ込まれた催涙弾の臭いをうまそうにかぐシーンなどを見ると、もはやこいつは動物でさえなく、宇宙人なのではないかという気さえしてくるのだが)。そして彼の周りに集まってくるものたちも、同じように、反社会化してゆくというよりは、社会性を次第に失ってゆく。彼らは、他人だろうと、兄妹だろうと、何のタブーも感じずに肉体的に交わる。

しかし彼らの奇行はそれだけにとどまらない。 ピッコリは、夜中、はしごを使って一人で夜の街に出かけてゆくと、警官を2名ほど殴り倒して自宅につれて帰り、それを丸焼きにする。そして、その人肉を、彼の周りに集まったものたちも嬉々として食べはじめるのだ……(人肉嗜食というテーマも、『ウイークエンド』(67)を通じてまたゴダールとつながるのだが、これは偶然だろうか)。

もうめちゃくちゃである。しかし、一見意味不明であるこの映画は、実に単純明快な作品であるとも言える。その場ではだれが支配者であり、だれが被支配者であるのか。だれが権力の側にいて、だれがその支配下にあるのか。そんなことは見ればわかることであり、いちいち説明する言葉など必要ないのである。だからこの映画には普通の言葉は一切話されないというわけだ(しかし、この映画に理解可能な言葉が欠落している理由は、それだけではないだろう。政治的、社会的、あるいはエディプス的な、全ての抑圧に逆らうというのであれば、それを支えている言葉というシステムもまた根底から問題視されるというのは、当然といえば当然のことである)。

むろん、ここには1968年5月の革命の、あるいはその挫折の余波が色濃く反映されているのだろう。同時代のフランス映画だけを取り上げるならば、この作品が撮られたころには、例えばギ・ドゥボールの『スペクタクルの社会』(74)のように5月以後の社会の現状を映画という媒体を通して分析し、そこに一定の理論を与えようとする作品や、ゴダールの『万事快調』(72)のように工場のストライキ騒動をジャック・タチ風に描きつつ労働と愛というテーマを取り上げた〈教育映画〉、あるいは、直接政治や社会問題が描かれるわけではないが、恋愛映画のなかに同時代の社会の空気を見事に描き出し、ある意味、絶望的に〈別の生〉への渇望を感じさせたユスターシュの『ママと娼婦』といった作品が作られていた。そんななかで、クロード・ファルラドの『テムロック』は、その是非はともかくとして、生産ではなく破壊というアナーキーな方向に最も振り子を切った作品のひとつであったことは間違いない(そこに、ジャック・ドワイヨンらによる『01年』を付け加えてもいいだろう。そこでは、〈すべてを止める〉をモットーに、労働も、時間割も、車も、テレビもない世界で、人々が気ままに散歩し、議論し、歌い、フリー・セックスに興じる世界、まさしくユートピアの01年が描かれていたのだった。事実、この作品は、当時の「カイエ・デュ・シネマ」において、『テムロック』と一まとめに論じられている)。

[それにしても「テムロック」とはいったい何なのだろう。映画のなかで、隣のビルの女と、催涙弾をラグビーボールのように投げ合いながら、ピッコリが「テムロック!」と何度も叫ぶシーンがあるだけで、結局、何の意味かぜんぜんわからなかった。それが実はピッコリ演じる男の名前だと知ったのは、映画を見終わってからだ(ひょっとしたら、途中にあるヒントを見落としていただけかもしれないが)。]

註:『01年』が当時話題になっていた漫画にインスパイアされたものだということは知っていたが、その漫画というのがあの「シャルリ・エブド」の漫画家ジェベのものだというのを知ったのはつい最近である。

2016年2月18日
ウジェーヌ・グリーン『La Sapienza』についての覚書

ウジェーヌ・グリーン『La Sapienza』(2014)

ただの覚書。

ほとんど棒読みのような抑揚のない台詞回し(アルティキュラション、書き言葉的なリエゾン)、カメラに真正面向いて話す俳優たち、そのミニマムな演技。似て非なるものだとあらかじめ断った上で、「ブレッソン的」と言いたくなる禁欲的スタイル(あるいは、『繻子の靴』のオリヴェイラ)。それでいて、ブレッソン作品のような画面連鎖のサスペンスは皆無。要するに、いつものウジェーヌ・グリーン……。

といえばそれまでだが、なかなかに興味深い内容で、最後まで飽きずに見られた。成功作といってもいいだろう。実際、このアメリカ生まれのヨーロッパ映画作家の長編第5作目となる本作は、彼の映画としては例外的に、映画祭などを中心に世界各地で頻繁に上映され、アメリカにおいても、グリーンが本格的に紹介されるきっかけになった。

『La Sapienza』を一言で言うなら、ウジェーヌ・グリーン版「イタリア旅行」とでもいうことになるだろうか。 名誉ある賞を受賞したパリ在住のスイス人建築家が、冷え切った関係になっていた妻を伴ってイタリアに旅立つ。彼の目的は、かねてより執筆を考えていたイタリアバロック盛期の建築家フランチェスコ・ボッロミーニの足跡を訪ね直すことだった。旅の途中、マジョーレ湖のほとりで、夫婦は、偶然、若い姉弟(あるいは兄妹)と出会う。「時代遅れの」謎の病に悩まされている姉を妻と共に後に残して、建築家は、建築家の卵だという弟のほうと、男二人でローマへと旅を続けることになる(ちょうどロッセリーニの『イタリア旅行』のバーグマンとサンダースが、イタリアでいったん離れ離れになるように)。二人の間にやがて師弟関係のようなものが生まれる。建築家は、若者に建築について教えているつもりが、実は、本当に教えられていたのは自分のほうだったことに気づく。建築においても、結婚生活においても、行き詰まり、意味を見失っていた彼は、旅の最後に、芸術の、人生の意味を新たに見出す。一方、建築家の妻と病気の姉は、モリエールの『病は気から』を観劇に出かけ、この劇の中に生へのヒントを見出していた。

知と光、愛と人生をめぐる省察。

建築とは光と人を迎え入れる空間である……。

"“To me, it’s obvious that it’s there. But that’s the Baroque way. In the Baroque period, there was no longer the feeling that God was visible in the world. God was hidden, like in Caravaggio: never a representation of God, always a light that comes from an invisible source. So that’s my way of expressing divinity in the modern world through cinema. It’s present, not through visual things, but in what the characters go through, the architecture, the movement of the camera. I don’t feel a need to have a direct discussion about it." (Eugene Green)

フランチェスコ・ボッロミーニの神秘主義とボロニーニの合理主義の対立(名前が似ているので混乱する)。 「わたしはボロニーニだ」(ボッロミーニではなく)と建築家は言う。ボッロミーニにあこがれるボロニーニ……。(モダンで合理主義的、物質主義的、官僚主義的なパリの描写から映画が始まっていたことを想起。)

作品のタイトルは、ボッロミーニの代表作のひとつ、サンティーヴォ・デッラ・サピエンツァ聖堂から取られている(映画のポスターなどに使われている写真に写っている建物)。チャペルの鍵をめぐるエピソードがユーモラスだ(グリーン自身の体験から来ているらしい)。

ウジェーヌ・グリーンについては、かつてこことかここに書いた記事を参照。

 

2016年2月9日
レオ・マッケリー『マイ・サン・ジョン/赤い疑惑』--反共プロパガンダ映画の臨界点

これはいろんな意味ですごい映画だ。レオ・マッケリーにさえこのような映画を撮らせてしまったとは、1950年代のハリウッドというのはなんと暗澹たる時代だったのだろう。

1940年代の半ばあたりから(正確に言うならば、1930年代に始まり、第二次大戦中の一時期をのぞいて)50年代の米ソ冷戦の時代に至るまで、ハリウッドで数多く作られたいわゆる「反共映画」(反共産主義プロパガンダ映画)については、すでに5年ほど前にここで簡単に紹介してある。ただ、そこで取り上げた作品は、基本的に40年代に撮られた作品ばかりだった。50年代の米ソ冷戦時代に作られた作品についてはほとんどふれなかったのだが、共産主義の脅威を扇情的に訴えかけるプロパガンダ映画の数は、この時代になって減るどころかますます増えていく。

1952年に撮られたこのマッケリーの『マイ・サン・ジョン』は、そんな冷戦時代のハリウッドで撮られた反共映画のなかで、いや、端的にいって、あらゆる反共映画のなかで、もっとも悪名高い一本なのである。(ちなみに、1952年は大統領選の年で、50年代前半に制作された反共プロパガンダ映画の3分の1近くがこの年に集中している。その中には、リベラル派として知られるあのドア・シャリーが製作した反共ドキュメンタリーの短編『The Hoaxters』も含まれる(註1)。)

40年代にハリウッドで撮られた反共プロパガンダ映画というのがどのようなものであったかについては、先ほどのページを読んでいただければだいたい分かると思うので、ここでは繰り返さない。50年代に作られた反共映画も、基本的には同じようなものだったのだろう。もっとも、わたしはこの時代に撮られた反共映画は数えるほどしか見ていない。あえてみる気がしないというのが正直な気持ちである。見る前から、見終わった後の疲労感がだいたい想像が付いてしまうと言ったほうがいいか。しかし、善悪2項対立の構図をつくり、極端な形でその一方を賛美・高揚するというのがプロパガンダの基本的あり方であるからには、時代が変わったからといって反共プロパガンダ映画のかたちがそう極端に変わるとは思えない。

ただし、プロパガンダ映画といえども時代の影響は多少なりともうける。40年代に撮られた反共プロパガンダ映画の多くが、ギャング映画やフィルム・ノワールに近いスタイルで撮られていたのは、これらのジャンルの作品がその頃に数多く作られていたからに他ならない。これに対して、50年代の反共プロパガンダ映画が特権的に活用したジャンルの一つが、SF映画であった。いわゆる〈侵略もの〉SF映画──宇宙からやって来た異星人たちが、人間そっくりの姿をして社会に潜り込み、知らず知らずのうちに地球を支配してゆく。隣人や親族がいつの間にかエイリアンに乗っ取られているという恐怖が、〈侵略もの〉SF映画の醍醐味である──は、自分たちの身近な人間がいつの間にかコミュニストになっているかも知れないという恐怖を扇情的に描き、反共を訴えかけるのにまさにうってつけのジャンルであった。英語では「敵性外国人」のことを「エネミー・エイリアン」と呼ぶわけだから、共産主義のスパイがエイリアンとして描かれるのもいわば当然だったと言える。(もっとも、これらの映画に描かれるエイリアンたちは、当然、共産主義者だと直接名指されているわけではないから、今これらのSF映画を見る観客たちは、これらのエイリアンがはたしてコミュニストを表しているのか、それとも逆に、コミュニストたちを弾圧しようとするマッカーシーイスムを象徴しているのか、どちらに解釈していいのか時として分からなくなる)。

前置きが長くなってしまったが、レオ・マッケリーの『マイ・サン・ジョン』という映画は、実に、この〈侵略もの〉SF映画とほとんどそっくりと言ってもいい構造をしているのである。

この映画が描くのは、ごくごく平凡なアメリカの一家だ。2人の息子たち(二人とも絵に描いたような健全なラグビー選手である)が両親に別れを告げ、米ソ代理戦争の地と化していた韓国へと(アメリカを共産主義から守るために?)出征してゆくところから映画は始まる。そこに、長い間留守にしていた一家の長男ジョン(ロバート・ウォーカー)が帰ってくるのだが、息子の変化に父親はめざとく気づく。この父親(ディーン・ジャガー)は、ごくごく気のいい男ではあるのだが、聖書を盲信し、アメリカを共産主義の魔の手から救わなければならないと本気で考えていて、在郷軍人会に出かけていって稚拙なスピーチをしたりするような頭の硬い人間でもあった(彼がナイーヴな愛国主義によって書き上げた自作の稚拙な詩をジョンの前で披露するシーンは、この映画でもっとも滑稽でおぞましい瞬間のひとつである)。

ジョンと父親は、宗教や愛国心をめぐって何度も口論し合い、そのうちに父親は、ジョンが共産主義者になってしまったのではないかと疑うようになる。母親(ヘレン・ヘイズ)のほうは、3人の中でもとりわけ出来のいいお気に入りの息子ジョンのことを信じ切っていて、夫に向かって「あんたは頭が悪いんだよ」といって息子をかばう(註2)。しかし、あるとき父親がジョンのことをコミュニストと呼ぶのを聞いてしまってから、母親の中にも小さな不安が芽生えはじめる。母親はジョンに、自分は共産主義者ではないと聖書に誓わせ、それで安心する。しかし、父親にいわせれば、共産主義者たちにとって聖書などなんの価値もないのだから、聖書に誓ったからといって真実を語っていることにはならない。

そこに偶然(あるいは偶然を装って)、一人の男(ヴァン・へフリン)が母親に近づいてくる。やたらジョンのことに関心を示すこの男は、実はFBIの捜査官だということが判明する。ジョンは、折しも世間を賑わせていた共産スパイの女の事件と関わりを持っていたらしいのだ。そういえば、母親は、名前を名乗らない女からジョンにかかってきた電話を何度か取り次いでいた。こうして母親の内に芽生えた不安は徐々に大きくなってゆく。 慌ただしくワシントンに帰っていったジョンからの電話で、彼が置いていったズボンを届けに飛行機でワシントンまで出かけていった母親は、ズボンのポケットに入っていた鍵が女共産スパイの部屋の鍵だと知り愕然とする(母親がその鍵で部屋に入っていく様子を隠しカメラで撮影したフィルムを、FBI の捜査官たちが上映してみているシーンがまた気味が悪い)。母親からも糾弾され、FBIの捜査官の追及も厳しくなり、ジョンはいったん国外に逃亡を図るが、最後になって思い直し、自首することを決意する。だが結局、その前にコミュニストのエージェントによって殺されてしまう。

なんとも居心地が悪いのはその後に続く場面だ。ジョンは死ぬ直前に、自分が共産主義を信じたのは間違いだったと告白した音声カセットテープを残していた。彼の死後、そのテープの告白が、彼の母校のクラスで、無垢な眼をしたティーンエージャーたちに向かって再生されるのであるが、これがまたなんとも不気味なのである。その告白のなかでジョンは、父親と母親を愛し、尊敬していると語り、教育を悪魔にも等しい悪だと断定する。教育は「刺激剤」であり、

「この刺激剤は麻薬のようなものになります。常習性の麻薬の売人が、蛇のような狡賢さで、無知な人間に最初の接種を行うのと同じように、別の蛇たちが若者の欲望を満たそうと待ち構えているのです。今この瞬間も、ソヴィエトのスパイたちがあなた方を見張っているのです」

まるで、知性を持つことが悪の始まりであるかのようだ……。

すでにかなりの長文になってしまったが、もう一つどうしても指摘しておかなければならない。マッケリーがこの映画で断罪しているのは、共産主義や、反体制主義、あるいは、ハート=心を忘れて(マッケリーにとって、結局一番重要だったのは「ハート」なのである)あまりにも知性的になりすぎることだけではない。非常にさりげなくほのめかされているだけなのでわかりにくいのだが、『マイ・サン・ジョン』のジョン(ロバート・ウォーカー)は、明らかにホモセクシャルであることが暗示されている。それはたとえば、彼に女から電話がかかってきた時に、母親が「息子にはカノジョがいる」と大はしゃぎする場面などが逆説的に雄弁に物語っている。そして、この映画のジョンは、このホモセクシャリティにおいても同様に断罪されているのである。ジョン役にロバート・ウォーカーが選ばれた理由の一つがそこにあったことは間違いない(むろん、『見知らぬ乗客』で彼が演じた役と重なるからである)。

こんな映画を本当にあのレオ・マッケリーが撮ったのだろうか? たしかに、マッケリーの政治信条を知らずとも、『恋の情報網』における愛国主義の発露、『我が道を往く』『聖メアリーの鐘』のカトリシズムの顕揚、『善人サム』の愚かさこそ善なりといった主人公の描き方を見れば、彼がどちらかというと右寄りで、小難しい共産主義とはほど遠い人物であったとしても不思議ではない。いってみれば、『我が道を往く』や『善人サム』の底流に流れていたものを論理的に極端に突き詰めて出てきた結論がこの『マイ・サン・ジョン』だったのである。しかし、それにしてもこれはあんまりだという気がしないでもない。われわれが『我輩はカモである』に見たと思ったあのアナーキズムはいったい何だったのだろうか。

この時期のマッケリーを雄弁に物語るエピソードがある。1947に行われた非米活動委員会による聴聞会で、「ロシアであなたの『我が道を往く』が公開禁止になったのはなぜだと思いますか?」と訊かれたマッケリーは、「あの映画の中には〈神〉がいるからです」と答えたというのである。さらに、1950年には、セシル・B・デミルと一緒になって、監督協会のメンバーたち全員に忠誠宣誓(公職に就く者に要求される、反体制活動をしないという宣誓)を求めたといわれる。 マッケリーがこの映画で、共産主義を本気で糾弾しようとしていたことはほぼ間違いないのだろう。

しかし、時として、極端はもう一方の極端にふれてしまうことがある。『マイ・サン・ジョン』の古めかしい愛国主義に凝り固まった愚鈍な父親の描き方は、あまりにも滑稽すぎて、もはやパロディにしか思えない。同様に、共産主義者だと分かったとたん、あんなにも愛していた息子を、怪物でも見るように見る母親の姿も、これまた哀れなほどに愚かしく、とても共感を呼ぶようには思えない。ひょっとしたら、この映画は、一見、反共プロパガンダ映画を装ってはいるが、実は、共産主義を盲目的に悪だと決めつけ、愚かしい愛国主義を押しつけてくる者たちをあざ笑っているのではないかとさえ思えてくる。だが、一方で、窮地から脱するために、母親を精神病院に入れようとさえ考えるジョンにも、やはりおぞましいものを感じずにはいられない。

この映画は時として、教育映画のような印象を見る者に与える。しかし、ではこの映画はいったい何を教えようとしているのだろうか。それが一向に判然としないのである。教育すべきことが判然としない教育映画とは、なんとも居心地悪いものである。

この映画をまがまがしいものにしている理由が他にもある。実は、映画の完成直前にジョン役のロバート・ウォーカーが亡くなってしまったのである。ジョンがワシントンから故郷の母親に電話をするシーンで、電話ボックスのウォーカーがほとんど目にもとまらぬほどの短いショットでインサートされ、しかも母親の音声しか聞こえてこないという奇妙な編集がされているのを見て、これはいったい何事かと思ったのだが、理由はこれだったのである。未撮影のシーンを残してウォーカーが死んでしまったので、マッケリーは仕方なしに、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』の彼の出演シーンをこの映画に流用したのである。その結果、『マイ・サン・ジョン』のウォーカーには、コミュニストのスパイだけでなく、殺人鬼のイメージまでがオーヴァーラップすることになってしまったというわけだ。

この映画のことを前回取り上げなかったのは、リストの範囲を40年代に絞ったからという理由だけではない。単純に、この作品がまだソフト化されておらず、見ることがかなわなかったのである。これは日本だけに限った話ではなく、『マイ・サン・ジョン』という映画は、アメリカ本国においても、長い間なかなか見ることが難しい作品であり続けていたようだ。この作品がハリウッドの反共プロパガンダ映画の中でもとりわけカルト作品になってしまったのには、これがいわば不可視の作品であったということも少なからず関係しているに違いない。それが今では、こんな映画でさえも、ブルーレイの美麗な画質で見ることができるとは、実にありがたいと同時に、なんともあっけない気がしてしまうのは、贅沢というものだろうか。

日本では未公開なので、「赤い疑惑」という副題は、テレビ放送時に付けられたものである(とりあえず、山口百恵に謝れといいたい)。

註1:1952年製作のハリウッド映画についての同時代の総括としては、例えば、マニー・ファーバーの「Blame the audience」(1952) という文章などを参照のこと。ちなみに、ファーバーは彼なりの論理で、この作品をこの年のベストフィルムの一つと考えていた。

註2:実際、この父親も母親も、教育の低い無知な人間として描かれている。マッケリー自身はこう語っている。「この両親には教育がありません。ふたりは全財産をつぎ込んで息子たちに高い教育を受けさせました。でも、子供たちのひとりが賢くなりすぎてしまったのです。これが問題を突きつけます。人はいったいどこまで賢くなれるのでしょうか? 母親が読んだことがある本はたった2冊、聖書と料理本だけです。それにしても、本当に賢かったのはどちらなのでしょう。母親でしょうか、それとも息子でしょうか?」

2016年1月29日
ラオール・ウォルシュ『賭博の町』

ラオール・ウォルシュ『賭博の町』(Silver River, 48)

41年の『壮烈第七騎兵隊』より始まる、ウォルシュとエロール・フリンが組んだ全7作の最後を飾る映画(なぜかこれだけ見逃していた)。

賭博場、銀鉱山、銀行の設立、インディアンの襲撃……。西部劇でおなじみの要素がぎゅっと詰まった、いつものように傑作。 ただし、この映画のエロール・フリンは、他のウォルシュ作品やそれ以外の彼の出演作とはいささか趣が違う。南北戦争中、軍のためにやったはずの行いによって不当にも除隊を余儀なくされた彼は、以後、自分のルールのみを信じて己の内に閉じこもるようになる。賭博場を開き、その儲けで銀鉱山の権利を手に入れ、銀行まで設立して、町を一人で支配するまでに至った彼は、自分が欲する女の夫(彼は銀鉱山の持ち主でもあったのだが)を、危険と分かっている地域にみすみす行かせ、結果的に彼を死に至らしめ、そのことを黙ったまま、女を妻にする……。

いつになく複雑でダークなこの映画のフリンは、この直後に登場しはじめる新しい西部劇(アンドレ・バザンいうところの「超西部劇」)、とりわけアンソニー・マン作品における登場人物たちの複雑なサイコロジーを先取りしていたかのようである。 暗黒面に堕ちそうになるフリンをいさめる良心の声ともいうべき弁護士役のトマス・ミッチェルが、これまたいつものように素晴らしい。フリンが次第に権力者にのし上がっていって誰も刃向かうことができなくなっていっても、彼だけは変わらずに己を貫く一方で、酒におぼれる弱さも見せる(酔っぱらっていないトマス・ミッチェルがいただろうか?)。ときに傍観者のように、ときにピエロのように振る舞う彼は、シェイクスピアに登場する重要な脇役のようでもある(シェイクスピア的でないトマス・ミッチェルがいただろうか?)。

 

2016年1月28日
ショーン・ベイカー『Tangerine』── iPhone で撮られたバーレスク・コメディ

しばらくまともに更新していなかったので、その埋め合わせに、年末からずっとハイペースで更新を続けていたのだが、そろそろペースダウンしようと思う。書くネタならいくらでもあるが、あんまり急いで更新していると、書く内容が散漫になってくる。それに、頻繁に更新したからといって急激にアクセスが増えるわけでもない。特にいいことがあるわけでもないので、これからはもうちょっと間隔を開けて更新をしていこうと思う。

* * *
一本の映画がまるまる携帯電話によって撮影され、それが世界中で公開される。とにもかくにも凄い時代になったものだと思う。

ショーン・ベイカーの『Tangerine』は、何よりもまず、全編が iPhone のみによって撮影されたことで世界の注目を浴びることになった映画である。今の携帯電話の動画機能の驚くべき進歩についてあまり詳しくないものなら、それはさぞかしチープな映像に違いないと思うかも知れない。たしかに、キャメラのアングルやポジションはいささか変化が乏しく、単調な印象を与えはする。しかし、映像自体にはほとんどチープさは感じられず、わたしのような素人の目には金をかけた大作映画の画面とそれほど大差のないものにさえ思えた。もっとも、テレビの画面で見ただけなので、映画館の大スクリーンで見たら、また違った感想を持つのかも知れない。(彼がこの映画の撮影にどういうアプリを使ったか、どうやって撮ったのかは、いろんなインタビューで語っているので、独自に調べていただきたい)。

そんなわけで、作品自体よりもその撮られ方のほうにもっぱら注目が集まっているこの映画だが、意外と古風な映画だったというのが見終わっての素直な感想である。といっても、古風なというのは別に悪い意味ではない。いかにもタランティーノ以後の作品という雰囲気を漂わせつつも、この映画にはキーストン・コメディ以来のどたばた喜劇の伝統がそれとはなしに感じられる。その影響が見て取れるとか、そういうものを意図して撮られたといいたいわけではない。ただ、何気ないことをきっかけに始まった「追っかけ」が雪だるま式にふくらんでいって、最後は大勢を巻き込んでの大騒動になるというのは、大昔からあるコメディのパターンであり、この映画は、ある意味で、それをきちんと踏襲して、なかなかうまく作品をまとめ上げているということである。

ただ、そんな古典的なコメディとこの映画が違っているのは、「追っかけ」の中心にいるふたりが、ハリウッドのストリートで客引きをして生計を立てているニューハーフであり、しかも彼らは、監督が街でスカウトした本物のニューハーフだということだ(とりあえず、「ニューハーフ」という言葉を使ったが、これでよかったのか。英語だと「トランスジェンダー」という便利な言葉があるのだが、この言葉は日本ではまだそれほど市民権を得ているようには見えない。ちなみに、「トランスジェンダー」ではない人たちのことは、「シスジェンダー」と呼ぶのがポリティカリー・コレクトのようだ)。主役ふたりがニューハーフというのはともかく、それを演じるのが素人のニューハーフというのは、ハリウッドのメジャー映画ならあり得なかったことだろう。

『Tangerine』の監督が社会的にマージナルな存在に寄せる関心はこれだけではない。ふたりのニューハーフ(シンディとアレクサンドラ)の物語とは別に、ショーン・ベイカーはアルメニア人のタクシー運転手を登場させ、この一見無関係な二つの物語を同時並行させて描いていく。彼のタクシーには酔っぱらいからネイティヴ・アメリカンまで、社会の落伍者や周縁的存在が次々と乗り込んでくる。一方、彼自身も、多くの家族を抱え(彼以外はほぼ全員英語が話せない)、妻がいる身でありながら、シンディやアレクサンドラのような男の娼婦相手に自分の欲求を抑えることができない。ふたりのニューハーフの物語がこの映画の物語の縦糸だとするならば、このアルメリア人のタクシー運転手とその家族の物語は、この映画の物語の横糸であり、この二つの物語が最後に一つになる時、混沌はクライマックスに達する。

もっとも、タクシー運転手こそ登場するが、この映画は基本的に「歩く」映画である。理由は簡単で、ふたりのニューハーフは車を持っていないし、金もないからだ(そしてこの映画のスタッフにも金がないからだ)。だから、彼らの移動手段はもっぱら二本の足であり、たまに乗り物を利用することがあっても、それは市バスだったりする(ハリウッドを舞台にした映画で、こういうふうに市バスが登場するのは珍しいのではないだろうか)。そんなわけで、狂ったように街を歩き回るふたりをキャメラは追いかけてゆくのだが、その中で、何度もこの街を描いてきたはずのアメリカ映画が見せたことのなかったような都市の横顔が、ふいに浮かび上がる瞬間がある(『Los Angeles Plays Itself』のトム・アンダーセンもこの映画は気にいるのではないだろうか)。そういえば、ジャームッシュの映画を初めて見た時もこんな感覚を覚えたな。ふとそう思ったりもする。むろん、そういう感覚は、この映画のほんの稀な瞬間に訪れるだけである。最初にもいったように、『Tangerine』が全体として与える印象はどちらかというと古風なものであって、ジャームッシュを初めて見た時の衝撃とはほど遠い。

しかし、この映画にはインディーズ映画ならではの美点がいろいろあることもたしかである。監督のショーン・ベイカーは、インタビューなどで、本当は金のかかった映画を撮りたかったと繰り返し語っている。『Tangerine』の成功で彼は間違いなくメジャーへの道を進むことになるだろう。その時、彼が次に撮る映画に、この映画が持っていた少なからざる美点──それらはすべて、幸か不幸か資金不足がもたらしたものだった──がどれほど失われずにいるか。そのあたりをじっくり見定めたいと思う。

 

日本では未公開だと思っていたが、東京国際映画祭で上映されたことがあるらしい。案外、見ている人が多いのかも知れない。

監督のバックボーンについては全く調べていないのでほとんど知らない。知っているのは、彼が映画を撮りたいと思うようになったきっかけが、ジェームズ・ホエール『フランケンシュタイン』のラストで館が焼け落ちる瞬間を見たときだったということ。それから、彼がブノワ・ジャコの『シングル・ガール』が好きなこと、ロメールからブリュノ・デュモンにいたるフランス映画が大好きだということくらいだ。もっとも、ブノワ・ジャコ云々はフランスのメディアについて語った時の言葉なので、多少のリップ・サーヴィスも混じっているのかも知れない。

2016年1月24日
ドミニク・ブニシュティ『従兄ジュール』

備え付けの古めかしい大きなドリル、その横には万力がおかれている。埃だらけのテーブルの上に所狭しと並べられた大小様々のやっとこやハンマーを、キャメラは横移動でなめるように映し出してゆく。どうやらここはなにかの作業場らしい。剥き出しの地面には、入り口から入り込んだのか、3匹の鶏が勝手に動き回っている。やがて小屋とは別の住居らしき建物の扉が開き、中から現れた老人が、表においてあった靴を履いて歩き出す。そのカツカツという響きからそれが普通の靴ではなく、木靴であることに気づく(この映画が撮られた時代を考えるならば、この頃になってもまだ木靴を履いて生活している人がいたのかと驚く)。近くの道路からだれかが通りすがりに声をかける。そのやりとりから、老人の名前がジュールだということが知れる。

老人は先ほどの仕事場にやってくると、おそらく湯などを沸かす時に使ったりするらしい小さな竈に藁くずを入れて火を付ける。それから、さっき映った工具がずらりと並べてあったテーブルの上に木くずのようなものをばらまくと、木くずはたちまち赤くなって燃え出す。テーブルだと思っていたものはどうやら大きな竈の一部だったらしい。老人がすかさずテーブルの上に散らばっていた小さな石ころのようなものを集めて燃えはじめた木くずに振りかけると、炎は突然めらめらと勢いをまして燃えはじめ、それと同時に、ガシャン、ガシャンというけたたましい音がどこかから聞こえてくる。

一瞬何が起きているのかわからなかったが、ガシャン、ガシャンというものすごい物音は、『千と千尋の神隠し』の釜爺が使っていたのもこんなのだったかと思わせる古めかしい巨大なふいごから空気が送り出される音だった。老人は手元の鎖ひもを使って画面奥に見えるふいごを操作していたのである。いったい何を作っているのか一向にわからないが、そのふいごを使って竈で真っ赤になるまで熱した金属を、老人は次々と、ハンマーでリズミカルにたたきながら、器用に変形させてゆく。

『従兄ジュール』とぶっきらぼうに名付けられたこの映画はそんなふうに静かに始まる。いや、静かにというのは正確ではない。冒頭からこの映画には静謐な雰囲気が漂っている一方で、いたるところに様々な音が満ちている。木靴がたてるカツカツという靴音、ふいごから空気が送り込まれるガシャガシャという音、バチバチと炎のはぜる音、真っ赤になった鉄をハンマーでたたく音、金属板の上に置いたハンマーがカタカタと震えてから平衡状態になって止まる音……。何気ないこれらの音が驚くほどクリアに聞こえてくるのだ。

おそらく老人の妻らしき老婆が、表でジャガイモの皮を剥いている。ふたりはそのジャガイモを茹でた料理を小さなテーブルを囲んで食べる。それから、彼女は井戸で水をくみ、仕事場の竈でお湯を沸かせてコーヒーを淹れ、ふたりで椅子を並べてそれを飲む。ふたりともほとんど何もしゃべらない。おそらく、これら一つ一つの行為やしぐさは、これまで毎日のように繰り返されてきたのであろう。ふたりの間にも、今さら余分な言葉など必要ないといった空気が流れている。 台詞がほとんどないだけではない。冒頭、ロケ地を示す短い字幕が入るだけで、この映画にはナレーションもまったくない。見るものはだから多くを推測するしかないのだが、ここに描かれているのは、あえて推測するまでもないシンプルきわまりない世界であるとも言える。

フランス、ブルゴーニュ地方の田園地帯。見渡すかぎりに野原と雑木林が広がるその緑の中にその家はぽつんとある。おそらくは一番近い隣家でさえも数キロ離れたところにあるのだろう。そんなふうに隔絶され、時間さえもが止まってしまったような世界で、ほとんど儀式と化した日常が繰り返される。映画に描かれるのはたった一日の出来事(のように見える)のだが、ふたりが見せる一つひとつの所作には何十年という時間が刻み込まれているのが見ていて感じられる。

しかし、何とも不思議なのは、この素朴きわまりない世界が、見事なカラーによるシネマスコープの大画面とステレオ音響によって再現されていることだ。ゴージャスなカラー、シネスコの大画面で撮影された『草とり草紙』といった作品を想像してもらえれば、この映画の雰囲気がいくらか分かってもらえるだろうか。

監督の Dominique Benicheti ドミニク・ブニシュティ(とりあえずフランス語の綴りの規則通りに読んでみたが、この呼び方でいいのだろうか)は、この映画をこのフォーマットで撮ることにこだわったという。当時のフランスでは、この手の映画は、アート系の映画ばかりを上映する cinema d'essai と呼ばれる映画館でしかなかなか上映が難しかったのだが、そういう映画館が、シネスコでステレオサウンドの映画を上映できる設備を備えていることはまだ稀だった。作品のフォーマットを変えればもっと多くの劇場で上映されたはずであるが、ブニシュティはそれを頑なに拒んだという。『従兄ジュール』が、公開当時に多くの批評家から高い評価を得ながら、すぐに忘れ去られていったのには、監督のこのこだわりに一因があったことは間違いない。

それどころか、2000年代になってこの映画の修復を自ら手がけはじめた彼は、最新のデジタル技術によってこの作品を3D映画として甦らせることさえ試みていたというのだ(結局、彼はその途中で他界してしまうのだが)。時代の流れからぽつんと取り残されたような世界と、最新の映像テクノロジーとの何とも奇妙な結びつき。正直、監督のこのこだわりにはわたしの理解を少し超えたところがある。

そもそも、この映画はシネスコで撮影される必要が本当にあったのだろうか。老人と老婆がいかにも田舎の農家らしい小さなテーブルを囲んで食事をする場面では、最初しばらくの間、この横長の画面に老人だけが映し出される。てっきり彼一人なのだと思っていると、不意にキャメラが右にパンし、向かいに座っている老婆を映し出すのだ。しかし、今度は老人の姿が画面から消えてしまい、われわれは老婆だけを眼にすることになる。するとキャメラは今度は左にパンをし、老婆を画面から閉め出す代わりに、また老人だけを捉えてみせるのだ(シネマスコープの横長の特性をあえて無視したようなフレーミング)。

一方、屋外の田園風景を撮ったショットでは、シネスコの画面は緑の広がりを申し分なく見事に捉えてみせる。ただ、ここでも、多くの場合、キャメラは、道や川が画面に平行に収まるようなかたちで、遠い位置から風景を映し出すだけだ。いささか単調なキャメラワークという印象を与えるが、それも、ずっと見ているうちにミニマリズムの作品を見ているような効果をもたらしはじめるから不思議だ。(ちなみに、この映画の撮影監督はふたりいて、そのうちのひとりは『アメリカの夜』のピエール=ウィリアム・グレン。)

ここでは事件など何も起こらないし、起きようがないように思える。事実、映画は老人の周りの日常を淡々と描き出してゆくだけのように見える。しかし、ふと気づくのだ。老婆の姿をしばらく眼にしていないことに。老人があの仕事場に寄りつかなくなったことに。あまりにも淡々と進んでいくので気がつかなかったのだが、そういえば先ほどから老人は、一人でテーブルに座って紅茶を飲み、一人で料理を作り、一人でベッドメイキングをしている。薄々感じられていたことは、映画の終わり近くになって彼が一人で服のボタンを付け直す姿を見て、確信に変わる。

夜の暗闇の中にぽつんと浮かび上がる明かりのともった窓越しに老人を捉えたショットにつづいて、無人の仕事場が映し出され、映画は終わる。そこに、老人の名前と生年を示す「ジュール:1890年生まれ」という字幕が現れ、そのあとに老婆の名前(ここで初めて彼女の名前がフェリシーだということが分かる)と、彼女の没年が「1971年」と記され、「この映画は1968年から1973年までの間に撮影されたと」と書かれているのを見て、やはり彼女は撮影中に亡くなっていたのだと分かった時、わたしは鈍い感動がこみ上げてくるのを抑えられなかった。

ところで、この映画はいったいどういうジャンルに分類されるのだろうか。一応はドキュメンタリーということになるのだろう。老人は監督の従兄にあたる人物で(映画のタイトルはそこから)、実際にこの家に妻のフェリシーと一緒に住み、この映画に描かれたような暮らしをしてきた。この映画はそれをありのままに描いているように見える。たしかに、キャメラのポジションなどから多少の演出はあったのだろうということは、見ている時から推察された。しかしそれぐらいのことなら『北極の怪異』の頃からドキュメンタリーの許容範囲であったはずだ。だから、これは純然たるドキュメンタリーだといわれても特に疑問は感じなかっただろう。

しかし、見終わった後で、監督自身が話している映像を見てみると、この映画が思った以上にフィクションに近かったことが分かってくる。撮影前には詳細な絵コンテが準備され、その通りに撮影が進められていたようなのだ。 何も知らずに見たならば、この映画はある一日の老人を朝から晩まで描いた映画のように思える。しかし実際には、この映画の撮影には数年の月日がかかっていたのである。これもこの映画のフィクションの部分ということになる。 しかし、この映画に限らずドキュメンタリーか、フィクションかというのは截然と分けることができるものでもないし、結局のところ、そんなことは問題ではないのだ。老夫婦はひょっとしたらキャメラの前で日常を演じていただけなのかも知れない。しかし、それは同時に彼らが実際に生きてきた日常だったのである。

2016年1月20日
沢島忠『間諜』

なんというか、単純に面白かったですね。 ベテラン監督沢島忠による時代劇なんですが、タイトルからもわかるようにスパイ映画でもある、そういうちょっと変わった作品です。

1964年の作品だから、東映がいわゆる集団時代劇によって新風を吹き起こしていたというか、その最後のあだ花を咲かせようとしていたときに撮られた映画ですね。東映が時代劇から任侠映画へとシフトしていくちょうどその境目で、試行錯誤が重ねられ、ときに実験的な試みも行われる。そういう背景の中から現れた時代劇の一本と言っていいでしょう。 いわゆる明朗時代劇とは全然違うし、また集団時代劇とも違うアクション時代劇ですが、山根貞男が集団時代劇に見た「死との戯れ」「陰惨な活劇性」といったものは、明らかにこの作品にも存在しており、その意味では、『十三人の刺客』などの作品と同じ空気が感じられる映画と言えます。

3人の間諜=スパイが主人公の映画で(スパイを演じるのは、内田良平、松方弘樹、緒形拳。今でこそ豪華な顔ぶれですが、この当時はそれほどでもなかったはずです)、その意味では、たしかにスパイ映画なのですが、忍者映画に近い部分も多分にあります。情報戦というよりは、アクションに重きが置かれて作られているスパイものといってもいいでしょう(そもそもこの頃は情報といっても、盗み出すべきテープもマイクロチップもなかったわけですし)。

しかし、松方弘樹が敵に捕まった仲間を助けに行く場面での、下水口(?)の柵越しのショットとか(ワイダの『地下水道』のラストのような)、内田良平と松方が垂直の断崖をロープ(というか、縄)一つでロッククライミングしていく場面などは、時代劇ではあまり見たことのない画面であり、今見てもなかなか新鮮です。あと、松方と野川由美子が、あれは何というのでしょうか、雨露に濡れた製糸場のような場所の間をゆっくりと歩きながら、初めて愛を確かめ合う場面も忘れがたいですね(どちらかというとかなりドライに作られているこの映画で、珍しく情感のあふれる場面です)。 阿波踊りの盛り上がりをアクションに転化させていくところなどは、マキノの『阿波の踊子』を思い出させますね。

ちなみに、沢島忠はこの前年に鶴田浩二・高倉健主演で『人生劇場・飛車角』を撮っており、これが任侠映画の始まりとされています。山根貞男は、集団時代劇に描かれた「死との戯れという要素」は、「任侠やくざ映画の内部」へととめどなく内向してゆくと分析していますが、そういうふうに見ると、この映画のラストで松方弘樹がたった一人で敵陣に突っ込んでいくシーンは、任侠映画のクライマックスのようにも見えてきます。

2016年1月18日
クシシュトフ・ザヌーシ『カムフラージュ』

クシシュトフ・ザヌーシ『カムフラージュ』(77)

傑作だと思った。

わたしがこれまでに見たザヌーシの映画は、『結晶の構造』『イルミネーション』『家族生活』『太陽の年』『巨人と青年』のわずか5本に過ぎない。どれも興味深い作品だったが、実を言うと、心から面白いと思ったことは一度もなかった。しかし、この『カムフラージュ』は最初から最後まで本当にいろんな意味で面白い映画だった。

クシシュトフ・ザヌーシは、68年に『結晶の構造』で長編デビューするのだが、これは70年に物価高騰に抗議する労働者たちによる暴動、いわゆる〈12月事件〉が起きたのをきっかけに、ポーランドがギエレク政権へと移行する時期とほぼ軌を一にしている。この政権下でポーランドは70年代の前半に〈奇跡〉の経済回復を遂げる。こうして、しばらくは政治的安定が保たれるのだが、70年代の後半になると、ギエレク政権は高度経済成長政策の失敗から深刻な経済危機を招き、76年6月にはふたたび物価高騰に抗議する労働者のストライキが発生する。80年にはストライキはポーランド全土に波及し、ギエレクは辞任を余儀なくされる。そして、こうした流れの先にあの〈連帯〉が誕生するわけである。

簡単に言うならば、ポーランド人たちの自由を求める動きが、ソヴィエト体制下にある権力によってなんとか押さえつけられていた時代である。しかし、決して明るくはなかったこの70年代は、ザヌーシのフィルモグラフィーにおいて、多くの傑作が生み出されるもっとも実り豊かな時代だったと言われている。見逃している作品が山ほどあるので大きなことは言えないが、『カムフラージュ』はその中でも屈指の傑作であるとわたしは思う。

(ザヌーシはちょうど同じころに登場したキエシロフスキら同世代の映画作家らとともに、「モラルの不安派」などと呼ばれたりもする。この「モラルの不安」の元のポーランド語が正確に何を意味するのかは知らない。英語では "Cinema of Moral Concern" などと書くのが普通であるから、むしろ「モラルの問題」とか、「モラルへの関心」ぐらいのほうが近い気もするのだが、「モラルの不安」という日本語がある程度流通している。 手元にある『巨人と青年』の劇場用パンフレットには、「ポーランドが社会主義体制になり、政治経済ら、あらゆる領域で多くの問題を残した。基本的人権の無視、言論統制による真実に触れることへのタブー、官僚政治の汚職と腐敗など。国民とくに若者たちに政治への無関心、社会主義への不信を生み、個人的モラルの欠如へと結びついた。こうした政治、社会問題をカメラを通して洞察し、あるがままの現実をえぐり出して国民に訴え、ゆがんだモラルを正そうという作家たちのこと」と書いてある。

こうしたレッテルというのは、ほとんどの場合、作家たち本人ではなく、批評家などによってつけられるもので、往々にして的をはずしているものである。少なくともザヌーシの場合には、誤解を招きかねない表現なので、ここでの「モラル」とは「政治」とほぼイコールであるぐらいに思っておいたほうがいいのではないか。つまりは、直接政治を描くことができないので、モラルの問題を通して政治を描いた映画、それが「モラルの不安」と呼ばれる作家たちの映画であると。)

 

『結晶の構造』

 

ポーランドのとある大学で言語学の夏期キャンプが数日にわたって行われている。ここで学生たちが言語学についての研究発表を行い、優秀な論文が審査されるのである。これがこの映画の唯一の舞台である。この研究発表会の審査員として新しくやってきた大学助手、若きヤロスワフは、同じく審査を担当している古株の教授ヤークブとのっけから対立しあう。ヤロスワフはまっすぐな性格で、理想主義者だが、軽率で思慮が足りないところがある。一方、経験豊富な年長者ヤークブは狡猾な出世主義者で、何もかもをシニカルな眼で見ている。映画は、次第に激しくなっていくこの二人の対立関係を軸に進んでゆく(この二人の対立は実は見かけほど単純ではないのだが)。ヤークブは折にふれて、ヤロスワフのナイーヴさをからかい、挑発し、まるでメフィストフェレスのようにヤロスワフを抜き差しならぬ状況へと導いてゆくことになるだろう。

ザヌーシの映画がしばしば科学者やエンジニアらを主人公にしてきたことはよく知られている。ザヌーシ自身が最初は大学で物理を学んだということももちろんあるだろう。しかしそれだけではない。セルジュ・ダネーも指摘するように、この時代の東欧の社会主義国の多くがそうだったように、ポーランドでも直接的に権力を批判することは難しかったが、「科学の権力=権威」を批判するこことなら可能だったからである。『カムフラージュ』に登場するのは科学者でもエンジニアでもなく、言語学の研究者たちだが、広い意味でサイエンス=知に携わるものである点では彼らも科学者と変わりない。

この『カムフラージュ』もいくつかのレベルで見ることができる映画である。

一つ目は、ごく表面的な物語が語るとおりの映画として。

そのように見たとき、この映画は、大学を舞台に、理想に燃える善玉教師(ヤロスワフ)と体制ばかりを気にするシニカルな悪玉教師(ヤークブ)の闘いを描いた、例えば『青い山脈』のような映画(全然関係のない古い日本映画だが、この映画を見ているときにふと思い浮かべたので)と、そう大差ない物語を語っているように見えなくもない。

二つ目は、大学の夏期キャンプを、同時代のポーランドの社会を映し出す陰画として描いた映画として。

この一見社会とは隔絶されたように見えるアカデミックな世界にも、腐敗した政治、序列をめぐる不毛な闘い、硬直した制度、階級格差といった、現実社会のゆがみが様々な形で見え隠れしている。学生たちが貧しい食事をする一方で、教授たちは豪勢なディナーを楽しんでいる。論文の審査は、斬新さや想像力ではなく、(党によって)認められている規範にどれがいちばん近いかによって判断される。いちばんわかりやすいのはプールのシーンだろう。キャンプのあいだ空になっていたプールが、最終日近くになって、突然、きれいに掃除され、水を入れられる。最終日にやってくる大学総長がそこでひと泳ぎ(というか、ひと飛び込み)する、ただそれだけのためにプールに水が張られるのだ(このシーンに限らず、この太っちょの大学総長が登場する場面は、この映画のもっともコミカルな部分になっている)。

ヤロスワフとヤークブの対立は最初、一人の学生の論文をめぐって始まる。提出期限がわずか一日遅れただけの論文をヤークブは、「ルールはルールだ」といって冷たく拒絶する。理想主義者のヤロスワフは、その型破りの論文を認めるようにヤークブを説得する。ヤークブは結局その論文を認めることにするが、「君はこの結果を受け止めることができるのか?」と不敵な笑いを浮かべながらヤロスワフに警告する。実は、やがてここを訪れることになっている大学総長は、その問題の学生(彼は別の大学から来ているのだが)の指導教授を嫌っていたのだ。ヤークブは、そういう大学内の政治を知り尽くした上で物事を判断しているのだが、ヤロスワフにはそういったことはまったく見えていず、単純によい悪いですべてを性急に判断することしかできない。ヤロスワフは、この論文を認めさせたことで、後々、自己矛盾とでも言うべき袋小路へと追い込まれてゆき、事態はとんでもない結末を迎えることになるのだ。

三つ目は、ポーランドという一地域に限定されない普遍的な寓話として。

最初は、いつも人を小ばかにしたような薄笑いを浮かべたいけ好かない人物と思えたヤークブも、実は、若いころはヤロスワフのように理想に燃えていた時期があったのかもしれない。しかし、そのように真っ直ぐなだけでは必ず壁にぶつかる。彼はそれを警告するために事あるごとにわざとヤロスワフを挑発していたのだろうか。愚かな理想主義と、利口な折衷主義、果たしてどちらが正しいのか。例によってザヌーシは結論など与えてはくれない。次第に緊張感を増していく二人の対立は、最後についに取っ組み合いのけんかにまで発展するのだが、結局、どちらが勝つでもなく、負けるでもなく、向かい合った二人を置き去りにして映画は終わる。喜劇でも、悲劇でもなく、笑劇として。

 

『イルミネーション』

 

「カムフラージュ」というタイトルも様々な意味に解釈が可能だろう。わたしはポーランド語のことはまったくわからないのだが、原題の "Barwy ochronne" は直訳すると「糞の色」(失礼)という意味になるとも聞く(違うかもしれない)。映画のタイトルバックが、かえるやイモリなどの冷血動物のイラストで始まっていることを考えるならば、「カムフラージュ」は動物的な「擬態」をまず連想させる(あまりふれる余裕がなかったが、ヤークブはいつも双眼鏡を片手に鳥などを観察していて、ダーウィン的な弱肉強食を肯定し、それを人間社会にも当てはめて考えているようなところがある。彼は、ヤロスワフがキャンプの間に知り合い、一時いい感じにもなったイギリス人女性(彼女は、小鳥を襲わないように野良猫に鈴をつけさせる)が、別の男と水辺で裸で抱き合っているところを、ヤロスワフにわざわざその双眼鏡で目撃させるのだ。「自然」はこの映画のいま一つの隠れたテーマである)。

カムフラージュ:偽装、迷彩、だまし、ごまかし。この言葉はすべてが見かけどおりではないことを意味している。悪意に満ちているように見えるヤークブは、実は、若い世代が現実を生き抜くための実践的な指導者なのかもしれないし、彼自身、ある意味、犠牲者だったのかもしれない。何も間違ったところがないように思えたヤロスワフは、最後には、偽善者のように思えてくる。一見政治とは無縁に見えるアカデミックな世界にも政治は隠れているし、一見政治的ではないこの映画自体も、非常に政治的な映画である……。

ポーランド映画に限らず、東欧の映画というのは、歴史に詳しくないとなかなか理解できない部分も多く、単純に楽しめないことが少なくない。この作品にも、ポーランド人が見れば誰にでもわかるが、そうでないものには見過ごされてしまう細部が多々あるのだろう(そんな細部の一例を挙げておこう。ザヌーシは、この映画と同じ年に撮られたアンジェイ・ワイダの『大理石の男』で使われた銅像をセットに運ばせ、ヤロスワフとヤーコブが歩きながら激しく議論しあう場面で、二人をわざわざその彫像の前で立ち止まらせるのだ。これはいったい何を意味しているのだろう?)。 しかし、同時に、『カムフラージュ』は、ポーランドのことなど何一つ知らないものが見ても、ここに描かれているのは自分がおかれている状況のことだと思えるような、そんな作品にもなっている。単純に見ても楽しめるし、見直すたびにきっと新しい発見があるに違いない。そんな奥の深さを感じさせるところが、この映画の魅力である。

2016年1月14日
ジャック・ターナー『Circle of Danger』

ジャック・ターナー『Circle of Danger』(51)

ついでに、ジャック・ターナーの映画をもう一本簡単に紹介しておく。 これはターナーが独立プロで撮った初めての作品である。そして、この映画はアメリカ映画ではなく、イギリス映画として製作された。

タイトルからフィルム・ノワール的な作品を想像してしまうが、実際は、ちょっと違う。この映画にはたしかにフィルム・ノワール的な部分があるにはる。事実、フィルム・ノワールの研究書などでも、たまにこのジャンルのひとつとして語られることも作品なのである。しかし、やはりこれをフィルム・ノワールとして考えるのはちょっと難しい気がする。むしろ、素人探偵の登場する犯人探しミステリーものとでも言った方が近いだろう。

主人公のアメリカ人(レイ・ミランド)は、英国軍に参加して戦死した弟の死の真相を確かめるためにイギリスに渡る。主人公の弟はある作戦中に命を落としたことになっていた。レイ・ミランドはその作戦に参加していた関係者の一人ひとりをたずねて回るのだが、彼らはすでに亡くなっていたり、現場に居合わせていなかったので真相を知らなかったりして、なかなか核心にたどり着けない。それに、疑ってかかると、誰もが何かを隠しているようにも見えてくる。 一方、調査を進めるうちにレイ・ミランドはある女性と知り合うのだが、彼女との関係も、一向に進みそうで進まない。こうして、映画はほとんど回り道をするようにジグザグを描きながら進んでゆき、最後の最後にようやくレイ・ミランドは弟を殺したのが誰だったかを突き止めるのだが……。

とまあ、簡単にまとめるとそんな話である。普通の人が見ると、物語がなかなか進まず、中だるみしているように思えるかもしれない。たしかに、傑作とはいえない作品ではあるだろう。しかし、ジャック・ターナーのファンには、紛れもなくターナーの映画だと思える瞬間が随所にあらわれるので、見ていて飽きない、非常に興味深い作品である。

たとえば、スコットランドの田舎町の家が舞台となるシーン。玄関の扉を開けると、戸外と玄関と居間が一直線に見えるような空間を人物が進んでいくのだが、そのわずか数秒の間に、人物は光と影のアーチを何度も潜り抜けるのである(『過去を逃れて』のワン・シーンを思い出させる照明)。

レイ・ミランドはスコットランドのその家で知り合った女性に、丘の上から湖を見下ろす場所に連れて行かれる(「この景色を見せたかったの」)。夕暮れの中でその絶景を並んで見ている二人を逆光で捉えるショットがいい(この逆光もまた非常にジャック・ターナー的だ)。

しかし何といってもとりわけ素晴らしいのは、ラストの数分間だ。レイ・ミランドはイギリス中を歩き回った挙句、最後に、またスコットランドに帰ってくることになる。ミランドと犯人は、それぞれライフルを片手に、見渡す限り何もないスコットランドの平野に出てゆく。そこにもう一人が加わる。ターナーは、驚くべき正確さで人物を動かし、そのわずかの動きだけでこの上ないサスペンスを作り出してゆく。派手なアクションは何もなく、ただ人物が立ち、ゆっくりと歩き、そして振り返る。それだけで画面が張り詰めていく見事さ。 このラスト・シーン(実は、このあとに蛇足と呼ぶべき大団円のシーンがつづくのだが)は、ジャック・ターナーが生涯を通じて撮った最も素晴らしい場面のひとつといってもいいくらいだ。このシーンを見るためだけでも、この映画を見る価値はあると断言しておく。

2016年1月12日
ジャック・ターナー『Experiment Perilous』

ジャック・ターナー『Experiment Perilous』(44)

 

「視覚的スタイルだけで判断するなら、ターナーの最も完成された作品のひとつ。ターナーは俳優たちの身体、キャメラのポジション、舞台装置を用いて、作品全体に広がる繊細なイメージのパターンを作り上げている」(クリス・フジワラ)

 

ヒナギクの咲く草原に黒雲がゆっくりと立ち込めてゆき、稲光がした瞬間にカットが切り替わるとあたりはもう真っ暗で、土砂降りの雨の中、海岸沿いの線路を一台の列車が、画面手前に向かって走ってくる。不吉なことの始まりを予感させるこのオープニングがすばらしい。(列車はミニチュアのように見えるが、だとすればあまりにもリアルだし、実際の列車だとしたら不気味なほど非現実的だ。)

列車には主人公である精神科医ベイリーが乗っている。彼は車上で一風変わった老婦人と出会う。最初彼は、精神を病んでいる女性ではないかと疑うが、話してみるとすぐにそうではないことに気づく。この気さくな老婦人は名家として知られるベドロー家のひとりだった。どういうわけか彼女は、自分の家には死んでも帰りたくないのだけれど、兄のニックに会うためにどうしても帰らなくてはならないのだという。 駅に到着すると二人はすぐに別れるのだが、ベイリー医師は、その直後に老婦人が心臓発作で亡くなったことを知る。やがて彼は一枚の肖像画をきっかけに、老婦人の兄ニックとその若き妻アリーダ(へディ・ラマー)の住む屋敷へと導かれてゆく。そして、ニックから彼の妻アリーダはひょっとして狂っているのではないかと相談される。彼女は本当に狂っているのだろうか……。

わりと予想通りに進んでいく筋立てではあるが、一応ミステリーなので物語については全部を書かないことにしよう。 この映画は「ゴシック・ノワール」という言葉でしばしば語られる。「ゴシック・ノワール」の正確な定義は知らないが、わたしが理解するところでは、現代ではなく、20世紀初頭とか、場合によっては19世紀末といった、少し過去の時代に物語が設定され、薄気味が悪い屋敷などを舞台に(本物のゴシックならば古城などが出てくるところだが、そこまではいかない)繰り広げられるフィルム・ノワール、とでもいうことになるだろうか。キューカーの『ガス燈』などが、ゴシック・ノワールの代表的作品とされる。 実際、『Experiment Perilous』は、同じ年に撮られた『ガス燈』との類似をしばしば指摘されてきた。不気味な屋敷、狂気を疑われる妻、妻を殺そうとしているかもしれない夫……。類似点は多々ある。しかし、『ガス燈』程ではないにしろ、『レベッカ』(40)『断崖』(41)といった同時代の作品ともこの映画は似通っている。いずれも『Experiment Perilous』以前に撮られた作品だ。もっとも、これは影響関係云々というよりも、「ゴシック・ノワール」と呼ばれるもののある種のパターンと考えたほうがいいのかもしれない。

ターナー自身の作品に立ち返るならば、クリス・フジワラも指摘するように、「魅惑的な女性、彼女を精神病者扱いにしようとするヨーロッパ人、平凡で、単純なアメリカ人」よりなるトライアングルは、「キャット・ピープル」における同様のトライアングルの再現である。 たしかに、この映画は、フィルム・ノワール以上に、この時代に同じ RKO で撮られていたヴァル・リュートン製作の一連のホラー映画に近いものがあるといっていいかもしれない。ただし、リュートンのホラー作品に比べるならば、『Experiment Perilous』には魅力的な曖昧さがいささか欠けているといえる。多くの魅力を持つ作品ではあるが、あと一歩で傑作になり損ねているという印象を与えるのは、脚本の穴と思える部分以外に、このあたりにも原因があるのだろうか。

この映画を見ていていちばん驚いたのはその多層的な声の使い方だ。冒頭、ベイリー医師は、列車の中に登場する前に、まずナレーションの声として現れる。その後も、時には画面に映っている彼自身や登場人物たちの声を掻き消すようにして、彼の声が画面外から聞こえてき、さらには、彼の意識の中で聞こえている他の様々な声がそこに加わる。老婦人が書いたニックの伝記を読む彼女の声、彼女の死について語るベイリーの知人の声、A・グレゴリーなる人物が書いたニックについての記事をベイリーの秘書が読み上げる声……(この謎の人物のイニシャルAは、アレック、アレクサンドルというふうに、思いもかけぬ反響を聞かせることになるだろう)。それだけではない、ニックが息子に読んで聞かせる(というよりも洗脳しようとするといったほうがよい)魔女の物語も、何よりも不気味な声としてベイリーに(そして観客に)扉の陰から聞こえてくる。このどちらかというといささか平凡な物語を魅力的にしている要素のひとつが、この多層的な声の使い方であることはたしかだろう。

ちなみに、タイトルの "experiment perilous" とは、映画の中でニックが引用する、古代ギリシャの医者ヒポクラテスが医術について語ったとされる言葉、"Life is short, art is long, decision difficult, and experiment perilous."(「人生は短く、技芸の道は長い。決断は難く、試みには危険が伴う」ぐらいの意)の中に出てくる一節である(もっとも、ヒポクラテスのこの言葉には、これ以外にも微妙に違うヴァージョンが存在する)。日本では「芸術は長く、人生は短い」という訳で知られる言葉だが、これはある種の誤訳だと考えていいだろう。

2016年1月9日
エリック・フォトリノ『光の子供』──映画のキスから生まれた子供の物語

「私は自分の生まれについてほとんど何も知らない。パリで生まれたことは知っているが、母は誰かわからず、父はただひたすら女優のスナップを撮り続けていた。そして息を引き取る少し前、私が映画のキスから生まれたことを打ち明けた。」

冒頭2ページ目に現れるこのフレーズが、この小説の本質的な部分を要約している。主人公であり、語り手でもある人物、ジル・エクトールは、ヌーヴェル・ヴァーグ映画の撮影技師だった亡き父ジャンが、おそらく映画の撮影中に出会ったはずの女優が母親であると信じて、自分が生まれた頃(60年代)に撮られたヌーヴェル・ヴァーグ作品が上映されているパリの映画館に、フィルムに刻まれた母の姿を探し求めて通い詰める(フィルムの中に父親の姿を探すセルジュ・ダネーを意識した?)。

そんなふうにして、映画館でルイ・マルの『恋人たち』を見ていた時(予定では『モード家の一夜』が上映されるはずだったのだが)、かれは謎めいた女性マイリスと出会い、たちまち恋に落ちる。マイリスは実は人妻だったが、二人はそんなことにはお構いなく逢瀬を重ねてゆく。だが、ふっと現れては消えるマイリスの存在はいつまでたってもつかみ所のないままだ。

物語(といえるほどはっきりした物語はないのだが)は、この「ママと娼婦」とでもいうべきふたりの女性をアリアドネの糸にして紡がれてゆき、最後に、幻のようにこのふたりが溶け合う瞬間、どちらも主人公の前からフェイドアウトすると同時に、物語も終わりを迎える。 とまあ、乱暴にまとめるとそんな風な話になるだろうか。しかし、この小説における本当の中心は、少なくとももっとも魅力的な存在は、この小説が始まった時にはすでに亡くなっている主人公の父親であると言っていい。

「父は映画スタジオの写真家だった」という言葉でこの小説は始まる。映画スタジオの写真家 "photographe de plateau" というのは、映画の撮影とは別に、あるいはそれと平行して、現場のスナップショットを撮ったり、俳優の顔写真を撮ったりする人のことで、その写真はポスターや雑誌などの宣伝媒体で使われたり、場合によっては、写真集にまとめられたりもする。ただ、読み進めていくうちに、主人公の父親ジャン・エクトールは、映画スタジオの写真家であっただけでなく、いわゆる撮影監督 "chef operateur" でもあったらしいことがわかってくるのだが、そのあたりについてはあまりちゃんとした説明がなかったように思う。

それはともかく、主人公の記憶の中に現れるこの父親、「彼の人生は《光》が全てで、寝ても覚めても光のことしか考えていなかった」と主人公の語るこの撮影技師の言葉がなかなかに興味深い。

 

「映画には夜がない」ジャンはよくそう言っていた。 「観客は視覚を研ぎ澄ませてスクリーンを見なくちゃいけないのに、フランス映画に出てくる夜のシーンはいつも青みがかっている。フランス人に想像力がないからだ」

というようなエピソードが随所に出てきて、映画好きを楽しませてくれるのである。

 

ところで、このジャン・エクトールという人物は、『モード家の一夜』『突然炎のごとく』『野生の少年』『ぼくの小さな恋人たち』などなど、さらには『キューバ・シ』でクリス・マルケルとも仕事をしたことになっている。それどころか、フランス映画だけにとどまらず、『甘い生活』の頃のフェリーニとも組んだことがあるという。むろん、そのような撮影監督は実在しないから、この人物は、様々な撮影監督よりなるアマルガムということになるはずなのだが、奇妙なことに、訳者後書きでは、この大事な点には全くふれられていない。原作の最後のページにオマージュとして、アンリ・アルカン、ネストール・アルメンドロス、ギスラン・クロケ、ラウール・クタール、アンリ・ドカエなどなど、30数名にも及ぶ撮影監督の名前が挙げられているので、それで事足りると思ったのだろうか。 しかし、これらの撮影監督たちが撮る映像は十人十色で、それぞれにはっきりした個性がある。それを一人の人物にまとめるというのは、彼らに対する、何よりも彼らがフィルムに定着させた光に対する裏切りのような気がしないでもない。それがこの小説を読んでいて覚えた大きな疑念の一つである。

納得のいかないところは他にもいろいろある。この小説には、ほとんど毎ページと言っていいぐらいに映画のタイトルが登場するのだが、そのほとんどはヌーヴェル・ヴァーグの作品である。この小説が、フィルムの中に自分の母親かもしれない女優の姿を探す物語であるからには、アメリカ映画の話がほとんど出てこないのは仕方がないし、主人公の父親がヌーヴェル・ヴァーグの映画ばかり撮っていたという設定なのだから、ヌーヴェル・ヴァーグの作品しか出てこないというのもわかる。しかし、この小説に出てくるヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちというのは、トリュフォー、ロメール、ユスターシュなどが中心で、後はシャブロルなどの名前がほんの数回出てくるぐらいだ。ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちの中でもどちらかというと〈軟派〉な、といって悪ければ、〈ロマネスクな〉作家たちばかりで、私の記憶が正しければ、この小説の中にはゴダールの名前も、リヴェットの名前も、一度として登場しない。 これはわたしが嫌いなタイプの(というとまずいので、わたしとは話が合わないタイプのといい直しておく)〈フランス映画好き〉と姿が重なってくるわけで、読み始めて割と早い段階から感じていた違和感は、結局最後までぬぐえなかった。

そもそも、アメリカ映画の話をせずにヌーヴェル・ヴァーグについて語るというのが間違いだと思うのだが、そういう意味では小説のかなり終わり間際に出てくるジョージ・キューカーのエピソードはちょっと面白かった(オードリー・ヘップバーン──これもいかにもという平凡な選択──の話などと並ぶ、この小説におけるアメリカ映画についての数少ない言及の一つ)。

 

「《見る》という行為はそもそもなんなのだろう? 父はジョージ・キューカーのエピソードを教えてくれた。彼は50年代、数十名もの無名若手俳優のオーディションをしていた。ジョージ・キューカーはまだ当時知られていないゲイリー・クーパーという名の男が自分の前を通っても見向きもしなかった。ジョージ・キューカーが初めて心を動かされたのは、実は自分で撮ったフィルムを映写した時だった。ゲイリー・クーパーはスクリーンにまぎれもなく確かにいた。キューカーは本当の意味で《見る》ことなく見ていたことに戸惑いを覚えながら、クーパーを直ちに呼び戻した。」

 

読む前は、タイトルからもっと哲学的な、あるいは瞑想的な小説を期待していたのだが、肝心の〈光〉について書かれている部分にはさして深みが感じられないし、単なる知識面においても、読んでいて映画について教えられることはあまりなかった。

この小説は、テーマとかスタイルの点でモディアノの小説とよく比較されるようだ(パリという街が第2の主人公であるように描かれているところとか、推理小説的な〈謎〉の探求とか)。たしかに読んでいて近いものは感じた。実は、わたしはそれほどモディアノの小説を評価してはいないのだが(まあ、あんまり読んではいないのだけれど)、しかし、これと比べればモディアノの小説のほうが数段上だというのが正直な感想である。 「フランス映画ってなんだかオシャレ」とか、「パリが好き!」という人が読めばそれなりに楽しめ、ひょっとしたら大好きになる小説かもしれないが、わたしのようなすれっからしのシネフィルを唸らせるような小説ではなかったし、映画とは関係なく、単なる小説としてみても、それほどのものとは思えなかった。だから、『舞踏会に向かう三人の農夫』(あれは写真をめぐる物語だったが)クラスの小説を期待して読むと、ちょっとがっかりするかもしれない。 しかし、まあ、映画好きが読めばそれなりに興味深い小説ではあるし、読んで損はないと思う。

フォトリノは本作で2007年にフェミナ賞を受賞した。

 

2016年1月6日
アレクサンダー・マッケンドリック『The Maggie』と異世界としてのスコットランド

アレクサンダー・マッケンドリック『The Maggie』(54)

マッケンドリックがイーリング・スタジオで撮ったコメディ。残念ながら日本では未公開で、『マダムと泥棒』などと比べるとあまり知られていない作品ではあるが、マッケンドリックを代表する傑作のひとつである。

この映画は、マッケンドリックのもう一つの傑作コメディ、『Whiskey Galore』ととても共通する部分があって、ほとんど姉妹作といいたくなるほどだ。といっても、ストーリー的に似ているという意味ではない。似ているのは、その背景とテーマである。 スコットランド沖で難破した船からウィスキーを根こそぎ盗み出そうとする村民たちの悪戦苦闘と、かれらと英国国防市民軍の指揮官との騙し合い(そこに、主人公の結婚問題やら何やらがいろいろと絡んでくる)をコミカルに描く『Whiskey Galore』は、スコットランドという異世界とその住民たちの魅力をたっぷりと描いた作品だった。

『The Maggie』が描くのもまたスコットランドの世界であるが、この映画は、この土地の生活や風習とはまったく正反対のアメリカ人のビジネスマンを登場させることによって、〈スコットランド的なもの〉をよりいっそう鮮やかに浮かび上がらせているといえる(もっとも、ここに描かれる〈スコットランド的なもの〉が、本当にスコットランドの現実を反映しているものなのかどうかは、正直、わたしにはよくわからないのだが)。 『Whiskey Galore』と同じく、この映画にも船が登場し、危うく難破しそうにさえなるところまで同じである。しかし、『Whiskey Galore』があくまで島の住民たちの側から描かれていたのに対し、『The Maggie』では、逆に、船の側から物語が語られてゆく。タイトルの「The Maggie」とは、実は、この映画に出てくるおんぼろ蒸気船("puffer")の名前である。誰からも馬鹿にされ、笑われるこの船が、実はスコットランドの魂とでも呼ぶべき存在であることが最後に理解されてくる。そんな映画なのだ。

物語は、このスコットランドのおんぼろ船が港に入ってくるところから始まる。この船のいかにも一癖ありそうな老齢の船長マクタガートは、船のライセンスを更新するための金がなくて、やっきになってた。彼がそのことで海運事業事務所を訪れていたとき、偶然そこに、船を探しに一人のイギリス人がやってくる。彼はあるアメリカ人のビジネスマンに雇われていて、このビジネスマンが新居に家具などを運ぶための船を調達しに来ていたのだが、船が見つからずに困っていた。これはチャンスだと思ったマクタガート船長は、船ならあると話を持ちかける。イギリス人は、港で「The Maggie」の隣に泊まっていた立派な船を船長のものだと勘違いして、「The Maggie」をチャーターすることを決めてしまう。

こうして、「The Maggie」は、アメリカ人のビジネスマン、カルヴィン・B・マーシャル(ポール・ダグラス)の高価な積荷を載せて、スコットランドのとある島を目指すことになるのだが、自分の荷物がおんぼろ船に載せられたことにすぐに気づいたアメリカ人ビジネスマンは、すぐにも積荷を別の船に積み替えるように部下のイギリス人に指示を出す。ところが、このイギリス人の部下が間抜けで、「The Maggie」の船長や乗組員に簡単にあしらわれてしまう。業を煮やしたアメリカ人ビジネスマンは、飛行機で船に追いつき、船長に積荷を降ろすように言うのだが、船長らはのらりくらりと、あの手この手で、話をそらし、ごまかして、ビジネスマンを翻弄する。最初は自信満々だったアメリカ人ビジネスマンは、次第に自信をなくしてゆき、最後には、事態を自分の手でコントロールすることは不可能だとあきらめてしまう。彼は、この短い旅の間に、大げさではなく、文字通り自己のアイデンティティを喪失しそうになりさえするのだ。

アメリカ人ビジネスマンが、途中の小さな船着場で「The Maggie」から積荷を降ろさせ、それを積み替える別の船が到着するのを待っていると、桟橋に横付けにしていた「The Maggie」が満ち潮でせり上がったために、もともと崩れかけていた桟橋が船に押し上げられて崩落してしまう(船長と乗組員たちは、そうなることに気づいていながら、くすくすと笑いながら事態を眺めているだけだ)。これで、別の船が到着しても、桟橋が崩れてしまったために積荷を載せかえることはできなくなってしまった。そこに、待っていた船が到着し、降りてきた船長がアメリカ人ビジネスマンに、「あなたがマーシャルさんですか」とたずねると、アメリカ人は途方にくれたようにこう答えるのだ。"I am no longer absolutely sure."

たしかに、部外者(ストレンジャー)にとって、スコットランドという土地は異世界のようなものに思えるに違いない。それがこの映画の中では、イーリング・コメディ独特の論理によってさらに誇張されて、独自の世界に作り上げられ、『Whiskey Galore』以上に抱腹絶倒の笑いを生む一方で、時としてまるで悪夢のようにたち現れてくる。だから、誰だったか忘れたが、この映画を他のイーリング・コメディの作品よりも、例えば『ウィッカーマン』のような作品に近い映画だと指摘していたのはあながち的外れではないと思う。

よくあるアメリカ映画ならば、この悪夢のような世界の中でアイデンティティを喪失してしまった主人公が、新しい人間として生まれ変わるところで映画が終わるというのが定石だろう。しかし、マッケンドリックはそれほど甘くはない。たしかに、アメリカ人ビジネスマンは、この船旅の中で、スピードと功利性、そして金という彼が信じていたものすべてが崩れ去ってゆくのを眼にする。いくら急がせても、船長は隙を見ては酒場に行って酔っ払う。金に執着しているように見えた船長の妹(実は彼女が「The Maggie」の所有者)は、結局、船を売ることを拒み、アメリカ人を唖然とさせる。暇があったら電話ばかりしているアメリカ人を見て誰かがこういう。「あんなに電話ばかりしているやつは見たことがない」(携帯電話がなくては生きていけない人間には、耳がいたい、あるいは理解しがたいせりふかもしれない)。ここではすべてがアメリカ式とは正反対なのだ。

ところで、アメリカ人がそんな風に始終電話をかけている相手は、彼の奥さんであるのだが、彼女の声は観客にはまったく聞こえない。せいぜい、電話口でのアメリカ人の短いせりふから、どうやら夫婦の関係がうまくいっていないらしいことがわかるぐらいだ。そもそもアメリカ人が船で運ばせようとしている積荷は、奥さんへのプレゼントなのだが、結局、彼女は最後まで画面に一度として姿を現すことはない。

あるとき、アメリカ人ビジネスマンは、100歳になったスコットランドの老人の誕生パーティに無理やり連れて行かれるのだが、この場面で、アメリカ人ビジネスマンと彼の妻との関係がようやくぼんやりと見えてくる(この場面は、スコットランド人の共同体意識とでもいったものを知る上でも重要である)。彼は最初いやいや参加するのだが、幸せに満ちた光景を見るうちに次第に笑みがこぼれ、やがて一人の若い娘と楽しそうに踊りはじめさえする。彼女には今、結婚を考えている相手が二人いるという。一人は将来が約束された青年実業家。もう一人は貧乏な船乗りだ。アメリカ人ビジネスマンは、それなら迷うことはない、青年実業家を選ぶべきだと言うのだが、彼女はこう答える。たしかに彼と結婚すれば生活は安定するかもしれない。でも、忙しい彼とは一緒にいられる時間はあまりないだろう。漁師の青年はたしかに貧しいかもしれないが、船を下りているときはいつでも自分と一緒にいてくれる。だからわたしは彼と結婚するのだ、と。

アメリカ人は彼女が話すのをただ聞いているだけなのだが、その表情や短い受け答えの台詞から、彼と妻との関係が仄見えてくる。おそらく彼の妻も、安定した生活と引き換えに、夫との幸せな時間を失ってしまったのだろう。そして、今まさに彼は、高価なプレゼントというまたしても物質的なもので妻を喜ばせようとしているのだが、果たしてそれは本当に彼女にとってうれしいことなのか。マッケンドリックはそんなアメリカ人の心のうちを、台詞を使って語らせたりはしない。アメリカ人ビジネスマンの妻は画面に一度として登場しないし、彼も彼女のことをほとんどまったく語らないのだが、そんなふたりの関係を、直接的な台詞を使わずに観客にわからせていく、マッケンドリックの手腕はなかなかに見事だ。

ようやく目的地に近づいたとき、「The Maggie」は危うく座礁しそうになる。そのとき、驚いたことに、アメリカ人は、あれほど大切にしていた積荷をすべて海に投げ捨てるように船長に言う。こうして彼は、船を軽くして座礁から免れさせるのだ。彼は生まれ変わったのか? 平凡な映画なら、彼が新居で妻と抱き合ってキスする姿でも見せてそう確信させて終わるところだろうが、マッケンドリックは、ほとんど言葉を交わすこともなく、ただ船長と握手して、手ぶらで新居に向かってゆくアメリカ人ビジネスマンの後ろ姿を見せるだけだ。

映画は最後に、冒頭の場面と同じ港からでていく船の姿を見せて終わる。しかし、船の名前はもはや「The Maggie」ではない。船には、アメリカ人ビジネスマンから取った「カルヴィン・B・マーシャル号」という新しい名前が刻まれているのだ。洒落た終わり方である。

***

 

アメリカ式との闘いとローカル・コミュニティの存在をコミカルに描いた作品という意味では、ジャック・タチの『のんき大将』などとの比較も可能かもしれない。

この「〈スコットランド〉映画」とでも呼ぶべきものは、たとえば『ローカル・ヒーロー/夢に生きた男』のビル・フォーサイスなどを通じて確実に受け継がれている。

2016年1月1日
G・W・パプスト『懐かしの巴里』『炭坑』

■ 『懐かしの巴里』(Die Liebe der Jeanne Ney, 27)

なにやらノスタルジックな邦題が付けられてしまっているが、実際の内容は、タイトルからイメージするものとはだいぶ違う。パプストとしてはあまり有名な作品ではないけれど、時にどぎつくいやらしい人間描写が、いかにも『パンドラの箱』と『淪落の女の日記』の監督にふさわしい、なかなかの傑作である。

原題は「ジャンヌ・ネイの恋」ぐらいの意味だろう。邦題は、とにかく「巴里」と付けたかっただけだと思うが、ロケーション撮影によってこの当時のパリの様子がふんだんに記録されているのは本当である。

物語は、ロシア革命に揺れるクリミアから始まる。ヒロインのジャンヌ・ネイは、この地にオブザーバーとして滞在している外交官の父親をボルシェビキに殺されてしまうのだが、そのボルシェビキというのが、実は、自分が愛した男アンドレアスだと知って彼女は愕然とする。 ジャンヌは、革命軍に占拠されたクリミアを辛くも脱出し、パリに逃げ延びる。アンドレアスも実は、革命の任務のためにパリに来ていた。やがてふたりは再会し、再び逢瀬を重ねる。父親を殺した男との恋愛というものすごいドラマのはずなのだが、彼女の心の葛藤はほとんど描かれず、それどころか、そんな出来事などなかったかのように物語は進んでゆく。

実際、パプストは、ジャンヌとアンドレアスとの恋愛の行方を描くこと以上に、彼らの周りに現れる人間たちの姿、とりわけ、彼らの欲にまみれた醜い姿を描くことに興味を持っていたようだ。ジャンヌがパリで身を寄せることになる私立探偵の叔父、その盲目の娘(ブリギッテ・ヘルム!)、この娘を利用して事務所の金を盗もうとする売国奴ハリビエフ(彼はクリミアで、ジャンヌの父親が殺されるきっかけを作った男で、今はアンドレアスと同じくパリにいて、ジャンヌの叔父の金だけでなく、ジャンヌをも狙っている)などなど、あくの強い人間たちが次々と現れるのだが、パプストが彼らを描くタッチがこれまたいやらしい。

売国奴ハリビエフ(フリッツ・ラプス)は、ジャンヌの叔父の盲目の娘の境遇につけ込んで、金を盗む目的のためだけに彼女に結婚を申し込む。ハリビエフは、喜びに舞い上がる彼女の手を右手で握りしめる一方で、彼女の目が見えないのをいいことに、もう一方の手で隣に座ったジャンヌの体をまさぐろうとする。 中でも強烈な印象を残すのは、ジャンヌの叔父が守銭奴になる場面だ。金持ちの盗まれた指輪を取り戻し、その謝礼に大金を受け取ることになったこの叔父は、まだ受け取ってもいないその大金を貰った時のことを想像して、真夜中にひとりでありもしない札束を数え、舌でなめ回すのである(エアー札束?)。 この叔父は結局ハリビエフによって殺され、その罪はアンドレアスになすりつけられる。恋人の無実を証明しようとジャンヌが奔走するクライマックスは、まるでグリフィスの映画を見ているように面白い。

 

 

『炭坑』(Kameradschaft, 31)

『我が谷は緑なりき』『どたんば』『メイトワン-1920』など「炭坑映画」とでも呼ぶべき映画の名作は数あるが、これはその最高傑作のひとつと言ってもいい一本。

炭坑映画には炭鉱事故の場面がつきものである。それはこの映画も例外ではない。ただ、ここで描かれる炭坑は、他の炭坑映画とは少し状況が違っている。この炭坑の真ん中にはフランスとドイツの国境が走っているのであり、しかも、映画が描くのは、フランスとドイツの間に様々なわだかまりがまだ残っていた第一次大戦終戦直後であるから、状況はいっそう複雑だ。

映画の冒頭、2人の少年が空き地でビー玉遊びをしている。最初は仲良く遊んでいたふたりは、やがて勝ち負けをめぐって喧嘩をはじめ、地面を指さして、ここからこっちはフランスで、そっちはドイツだ、この線からこっちに入ってくるなと言って、別々の方向に去ってゆく。少年のひとりはフランス人で、もうひとりはドイツ人だったのである。映画はこうして見えない国境を描くところから始まるのだが、国境は、やがて次々と物質化されてゆく。まず、独仏の国境の検問所の杓子定規な対応が描かれ、次には、地下深くの坑道でさえ、頑丈な鉄柵が両国の行き来を閉ざしていることが示される。

そんな状況の中、フランス側の炭坑で最悪の事故が起きる。坑内に充満していたガスが引火し、大爆発したのである。一刻も早い救助活動が必要とされる時、例外的な処置として、ドイツ人たちの救助チームが国境を越えてフランス側の炭坑に向かう。その一方で、3人のドイツ人が、地下の坑道をふさいでいた国境の鉄柵を勝手にぶちこわして、坑内に閉じ込められたフランス人の救助に向かう。彼らは、その直前のシーンで、フランス人たちがたむろする酒場に乗り込んでいって、フランス人たちに侮辱された(と、少なくとも本人たちは思い込んでいる)3人である。

こうして、両国間の様々な怨恨を乗り越えて、必死の救助活動が行われるさまを映画は描いてゆく。この映画でもっとも有名な場面の一つは、ガスマスクをかぶったドイツ人の救助員を眼にしたフランス人抗夫が、その瞬間、第一次大戦の戦場での記憶をフラッシュバックさせてしまい、錯乱状態に陥るシーンだ。このシーンは、当時でさえ、やり過ぎだと言われて批評家から批判されもした、悪名高い場面でもある。しかし、パプストとしては、この炭坑映画を戦争の問題と重ね合わせて描くことにこそ意味があったのだろう。

救助活動が終わった時、フランス人抗夫たちもドイツ人抗夫たちも、国の違いを超えて皆が一つとなって闘い、この困難な作業をやり終えたことをたたえ合う。そして最後に、ドイツ人のリーダーと、フランス人のリーダーがそれぞれ、自分たちの敵はドイツ人でもフランス人でもない、われわれの共通の敵はガスなのだという趣旨の演説を行って、拍手喝采をあびる。『西部戦線一九一八』を見たものならば、これはあの映画で描かれた、「真の敵はドイツ人でもフランス人でもなく戦争なのだ」というテーマと全く同じものだということに気づくだろう。

この映画は実際に起きた炭鉱事故をもとにしているのだが、いくら実話をもとにしているとはいえ、炭鉱事故をきっかけにフランス人とドイツ人が互いの立場を超えて一つになって戦う姿を描くことを通じて、最後に反戦を訴えかけるというのは、今のわれわれにはいささか理想主義的過ぎると思えてしまうのもたしかである。しかし、忘れてはならないのは、この映画がこの演説のシーンで終わっているわけではないということだ。 パプストは、ドイツ人とフランス人が協力し合う姿を描く一方で、それを妨げる国際政治の力学や、その政治を基底で支える資本主義の構図(現場に出向きもせず、建物の上階から電話のみで指示を出す会社の幹部たちと、地下で必死で作業する抗夫たちの対照)を、随所に描き込んでいた。そして、この映画のラストがまた非常にアイロニカルなものだ。あの3人のドイツ人によって壊された地下の坑道の鉄柵は、結局、元通りに設置し直され、柵のドイツ側とフランス側それぞれに、銃を持った見張りが立ち、再び国境の行き来が閉ざされるところで映画は終わっているのである。

[f:id:pop1280:20151231211635j:image:w400]

しかし、わたしがこの映画でいちばん驚いたのは、実は、今書いてきたこととはあまり関係のないシーンだった。その場面を見た時、最初、わたしはそれが何を意味しているかがわからず呆然としてしまった。それほど強烈な印象を残すシーンだったのだ。

鉄とガラスでできた巨大な建物の天井から、絞首刑にされた無数の死体がつり下げられている──。と、最初はそう思えたのだが、つづくショットで、これもまた広大なシャワー室が映し出され、そこで無数の抗夫たちが汚れた体を洗い流しているのを見て、やっと、先ほど天井からつり下げられた死体に見えたものが、実は、抗夫たちが脱いだ衣服がひもにつり下げられていたのだと理解したのである。

『炭坑』はパプストの映画の中ではドキュメンタリータッチで撮られたリアリスティックな作品と見なされるのが普通である。たしかに、暗い炭坑の底の場面でもことさら表現主義的な照明が用いられることはなく、パプストはあくまで自然な描写に徹しているといっていい。しかし、この映画には、この絞首刑を思わせる場面のように不吉なイメージがときおり紛れ込んでもいるのだ。この映画のリアリズムには表現主義が染みこんでいると、映画批評家のバルテレミー・アマンガルは指摘している。

パプストがこのシーンをどういう意図で撮ったのかはわからない。しかし、今われわれがこの映画のこのシーンを見る時、そこにナチスのガス室のイメージを重ね合わせて見ないことは難しいだろう。無論、この映画が撮られたのが1931年だということを考えれば、パプストがそんなことを考えていたことはあり得ない。ただ、彼がこの映画にこめた平和へのメッセージを考えると、このシーンがやがてドイツに起きる事態を予言していたように思えてきて仕方がない。

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