日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
6月29日より始まる「濱口竜介プロスペクティヴ in Kansai」に多少とも協力していまして、神戸映画資料館のホームページに、「〈言葉〉を撮るドキュメンタリー──濱口竜介・酒井耕の東北三部作について」という文書を書かせて頂きました。東日本大震災後に、濱口監督が酒井耕監督と共同で、津波被災者たちの声を集めて映画にしたドキュメンタリー『なみのおと』と、その続編に当たる『なみのこえ 気仙沼』『なみのこえ 新地町』、そして、これらの作品の方法論を深化させていくかたちで平行して撮られたユニークなドキュメンタリー『うたうひと』の、いわゆる東北三部作について論じたものです。ブログを全然更新していないぶんだけ気合いを入れて書きました(いいのか悪いのかわかりませんが)。
濱口竜介監督の作品は本当にどれも素晴らしいものばかりですので、神戸・大阪・京都で行われる上映のほうにもぜひ駆けつけて下さい。
アントワーヌ・ド・ベック『ラ・シネフィリー 視線の誕生──1944−1968年 ある文化の歴史』
のんびり読んでたので、やっと半分ほど読み終わった。シネフィリー(映画愛)を歴史的に論じた本と思って読みはじめたのだが、今のところ、実質、「カイエ・デュ・シネマ」誌を中心とした映画批評史といってもいい内容。しかも、少なくともここまで読んできた部分(第3章の「ヒッチコック問題」、第4章の「トリュフォーはいかにして『フランス映画のある種の傾向』を書いたか」)に関しては、山田宏一などの書物ですでに知っていることだったりするので、これはという発見はさほどない。 しかし、第2章の戦中から戦後に書けてのジョルジュ・サドゥールの批評を扱った部分は、意外と知られていないことがいろいろ書かれていてなかなか面白かった。例えば、山田氏などの本では、サドゥールの批評は、「カイエ」の批評家たちと対比するかたちで、軽くふれられるだけだったりする。たしかに、その左翼教条主義的な批評は、ある意味、全然つまらないのだが、ここを押さえておかないと見えてこないことがいろいろあると気づかされた。
周知のように、サドゥールは自他共に認める左翼の批評家で、当時は「レクラン・フランセ」(のちに「レ・レットル・フランセーズ」に吸収される映画雑誌)で映画批評を展開していた。サドゥールは、スターリン時代のソヴィエト映画を、左翼的イデオロギーが謳われているというだけの理由で(ほとんどそんなふうに見える)手放しで絶賛することが多かった。そして、スターリンを描いたソヴィエト映画に、サドゥールはひとりの英雄の姿を本気で認めていたのだった。 やがて創刊される「カイエ・デュ・シネマ」に集まったトリュフォーらの若き批評家たちは、アメリカ映画を熱烈に支持したために、サドゥールら左翼よりの批評家たちには、彼らのアメリカ映画主義が保守的で、場合によっては反共産主義的であると受け取られることさえあった。アンドレ・バザンはこれらの跳ねっ返りの若き批評家たちとは一線を画していたとはいえ、「ソヴィエト映画におけるスターリン神話」と題された一文において、バザンは、当時まだ現存していたスターリンを描いたソヴィエト映画に、危険な神話化を感じ取って、これらの映画におけるスターリンの表象の仕方を批判したのであり、これをみても、バザンの映画批評がサドゥールのそれとは全然異なるものだったことがわかる。 こうした、サドゥールに代表される左翼よりの映画批評家たちと、「カイエ」のアメリカ映画主義のヘゲモニーを押さえておかないと、リヴェットが「カイエ」にバルネットの『ゆたかな夏』を絶賛する記事を書いたニュアンスもなかなか理解できない。
今読んでいる第5章「モラルはトラヴェリングの問題である」も、サミュエル・フラーのフランスでの受容のされ方について詳しく書かれていて、とても面白い。反共的な映画作家と見なされていたフラーが、サドゥールに気に入られなかったのは当然だろう。バザンが、ヒッチコックやホークスをさして評価していなかったのは有名だが、フラーのこともまったく評価していなかったらしい。サドゥールに宛てたある手紙の中で、フラーを "salaud"「ゲス野郎」呼ばわりしてるのには驚く。
後半では、「ポジティフ」との関わりとか、ベルナール・ドルトのことなど、日本ではあまり論じられない視点からフランスの映画批評とシネフィルの歴史が語られているようなので、ますます興味深い内容になっていそうな予感がする。
DotDash メルマガ第7号では、アラム・アヴァキアンの『エンド・オブ・ザ・ロード』という映画を取り上げた。
『エンド・オブ・ザ・ロード』は、トマス・ピンチョンと並び称されるアメリカの現代作家ジョン・バースの『旅路の果て』を、アルメニア系アメリカ人アラム・アヴァキアンが、『イージー・ライダー』の脚本家テリー・サザーンと共に脚色し、時代設定を原作の50年代から60年代末に移し替えて映画化したインディーズ作品。 公開当時こそ、一部の批評家たちから高い評価を得たものの、批評家ポーリン・ケイルによって酷評され、おまけに、今見るとどうということのない数シーンのために成人指定を受けてしまったことが災いして、その後、上映されることもほとんどなくなっていたこの幻の作品が、にわかに注目を浴びることになったのは、昨年、スティーヴン・ソダーバーグの尽力によってこの映画がついに DVD 化されたからだ。 ベトナム戦争や人種暴動などによって疲弊しきっていたこの時代のアメリカの精神を良くも悪くも見事に描き出している映画といっていいだろう。大傑作と言う気はないが、見れば忘れがたい印象を残す作品だ。
一部を引用:
「冒頭、ベトナム戦争や、人種問題に端を発した暴動やデモの映像、ポップアートふうに反転し点滅するアメリカ国旗などのイメージが矢継ぎ早にモンタージュされる一方で、角帽をかぶった卒業生ジェイコブ・ホーナー(ステイシー・キーチ)が、大学の卒業式のお祭り騒ぎには目もくれず、まったくの無表情でキャンパスをゆっくりと歩いて出て行く様子が映し出される。かれがどこかおかしいとハッキリわかるのは次のシーンだ。ジェイコブは駅のホームで直立不動の姿勢をとって列車を待つ。しかし列車が到着してもかれはその姿勢を崩さず、無表情のままじっとそこにたち続ける。ビリー・ホリデイの "Don't worry 'bout me" が流れ、ナチスの台頭やホロコースト、JFKの暗殺、キング牧師の葬儀などのニュース映像とジェイコブの(というかキーチの)幼少期の写真が次々にモンタージュされてゆく。やがて日が暮れ、あたりが真っ暗になってもかれは駅のホームから微動だにしない。それはまるで、押し寄せてくるイメージの氾濫に抵抗しているようでもあり、自分の行き先がわからないことを身体全体で表現しているようでもある。」
△上に戻る