日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
ラッセル・ラウズ『The Thief』(52)
ラッセル・ラウズには、『必殺の一弾』のような忘れがたい作品もあるにはあるが、どちらかというと小物と言っていい監督だと思う。しかし、ときおり妙に野心的なことを試みたりするので、無視できない。その中でもとりわけ風変わりな作品がこの『The Thief』である。タイトルは「泥棒」という意味だが、ここで盗まれるのは金塊でも宝石でもなく、米国の原子力に関する情報だ。『The Thief』は、50年代のアメリカで作られたスパイ映画である。この時代、冷戦を背景に少なからぬ数のスパイものが撮られた。これもその中の1本であるが、この映画には他のスパイ映画にはないユニークな特徴がある。全編を通してセリフが1つもないのだ。
レイ・ミランド演じる原子力専門の科学者がどうやらソ連に情報を売っているらしい。金のために手を染めてしまったが、いまではもうこんなことはやめたいと思っている……。主人公がおかれたそんな状況を、映画はセリフをまったく使わずに明らかにしていく。 画面に登場する人物は一言も言葉を発することがない。電話をかけた相手も、電話を受けた相手も、ただ無言で受話器を持ち上げるだけだ。公衆電話も、スパイの仲間がマイクロフィルムの受け渡しをする中継場所として利用されるにすぎない。この映画では電話のコミュニケーション機能はまったく無視されている。だがその一方で、くり返される無言の電話のやりとりは、主人公が追い込まれた閉塞的状況をきわだたせていく。電話は映画的には見事に機能しているのだ。
この映画に存在する言葉は、ビルの名前や、オフィスの壁に飾られた科学者の業績をたたえるパネルの文章といったわずかばかりの書かれた文字だけである。ソ連の連絡係がレイ・ミランドに手渡す組織からの指令が書かれたメモも、毎回カメラに映しだされることなく焼却されてしまう。無言で連絡を取り合う諜報員たちがいつも情報の交換場所として使っているのが、言葉の森である図書館だというのが、何とも皮肉だ。
セリフを一切なくすという手法は、ともすると強引な印象を与えかねないが、スパイの秘密主義がその口実を与え、正当化している。しかし、それ以上に、苦悶するレイ・ミランドの神経症的と呼びたくなるような演技が、言葉の不在を納得させる(ある意味、『失われた週末』のアルコール中毒症患者の延長上にある演技だ)。
有名な映画らしいのだが、実をいうと、つい最近までその存在を知らなかった。なんでも知っているつもりになっていたが、まだまだ未知の作品は存在する。映画は奥が深い。
ヴィットリオ・デ・セータ Vittorio De Seta
1923年、シチリア、パレルモの貴族の一家に生まれる。最初、ローマで建築を学んでいたが、ジャン=ポール・ル・シャノワがイタリアで映画のロケをした際((『Village magique』の撮影のことだと思われる。デ・セータはこの映画に脚本家としてもクレジットされている。))にたまたま助監督の仕事をしたことをきっかけに、映画の道に進む。徴兵された際に自分の育ってきた環境とはまったく違う労働者階級のそれを発見し、強く惹かれたという。1953年に、16ミリ・キャメラを持ってイタリア南部にゆき、そこで初めていくつかのシークエンスを撮影。そしてその一年後、デ・セータは再びそこに戻って5年間で10本の魅力的な短編ドキュメンタリー映画を撮りあげる。
それらの短編ドキュメンタリーは Carlotta より出ている DVD 『Vitttorio De Seta - Le Monde Perdu』のなかにほぼおさめられている。文明から遠く離れて暮らす農民、炭坑夫、漁師、羊飼いたちのの日々の暮らしや彼らのしぐさ、そこで数千年来変わらず続いている風習や伝統、今はもちろん、撮影された当時においてさえ、すでに失われかけていた風習や伝統をキャメラで記録した実に美しいドキュメンタリーだ。デ・セータは、ジャン・ルーシュがアフリカを撮ったように、あたかも人類学者として、これらの風景や人物たちと向き合っていると言ってもいい。 一見素朴なドキュメンタリーに見えるが、同時録音でないことを利用して(?)映像とサウンドを微妙にずらすなど、さりげなく技巧を使っていることも見逃せない。そしてなによりも、なんでもない現実の風景からポエジーを立ち上がらせるまなざしの鋭さが圧倒的だ。「デ・セータは詩人の声で語る人類学者だ」というマーチン・スコセッシの言葉ほど、簡潔で的確な言葉はないだろう。
なぜかすべてヴィスタサイズで撮られているのが、この時代としてはめずらしいのではないかと思う。DVD はすべてレターボックス・サイズで収録されているのが残念だが、それでもその鮮烈な美しさは十分に感じ取ることができる((ここで使われているフィルムは、当時テクニカラーの向こうを張っていた "Ferraniacolor" と呼ばれるカラーフィルムらしい(調査中)。素材が同じだからそう思っただけかもしれないが、ジャン=ダニエル・ポレの『地中海』を少し思い出させる色彩だった。))
デ・セータの名を知らしめたのは、これらの短編ドキュメンタリーの次に彼が撮った長編劇映画『オルゴソロの盗賊』である。慎ましい生活をしていた羊飼いが、謂われなき憲兵殺しの疑いをかけられて、年若い弟と共に逃亡生活を余儀なくされ、最後は、貼られたレッテル通りの盗賊となってゆく。短編ドキュメンタリー「Pastori a Orgosolo」や「Un giorno in Barbagia」で描かれていた羊飼いの生活が作品の中にさりげなく取り込まれていたりして、記録映画作家としての才能が遺憾なく発揮されている作品だが、同時に、この映画には鋭い社会的メッセージが込められている。貧困による犯罪の犠牲者が、自ら犯罪者となりはてるという物語は、たとえばデ・シーカの『自転車泥棒』と同じものだと言ってよい。しかし、「カイエ」の批評家ジャン=アンドレ・フィエスキは、公開当時、「ネオ・ネオ・リアリズム」と題した記事で、この映画が従来のネオ・リアリズム作品とどの点で違うかを次のように分析している。
『揺れる大地』のヴィスコンティと『自転車泥棒』のデ・シーカは、受け入れがたい社会的現実を登場人物に自覚させ、それを観客にも伝える際に、前者は造形において、後者はモラルにおいて、形式主義に陥っている。デ・セータの『オルゴソロの盗賊』は、登場人物自身が自分のおかれた現実に徐々に気づいていくさまを、ドキュメンタリー的まなざしによって浮かべあがらせていくという点で分析的であり、また、社会的状況についての判断を、最後は観客自らにゆだねているという点で総合的である、と。
フィエスキは、(ソ連の)「左翼の映画作家が非常に重視する、テーマの明快で首尾一貫した弁証法的表現」をこの映画に見いだし、その際、マーク・ドンスコイの『母』を例に挙げているのだが、わたしはというと、この映画を見ながら思いだしていたのはエイブラハム・ポロンスキーの『夕陽に向かって走れ』だった。ネオ・リアリズムの作家があれをリメイクすればこんな映画になるのではないか。そんなことを考えていたのだ。
ちなみに、ジャック・リヴェットは、1963年の「カイエ」ベストテンにこの作品を選んでいる。 『オルゴソロの盗賊』はヴェネチア映画祭で受賞し、デ・セータの国際的な評価も一気に高まったのだが、その後、成功作に恵まれず、やがてはすっかり忘れられていく。彼の再評価が高まるきっかけとなったのは、2004年に Salvo Cuccia によって撮られたドキュメンタリー『Détour De Seta』だったと言われる。Carlotta からの DVD 発売もその流れを受けたものだろう。デ・セータの再評価には、イタリア系の映画作家マーチン・スコセッシもおおきくかかわっていたようだ(スコセッシと並ぶヴィットリオ・デ・セータの写真)。
日本ではまだ無名に近い存在と言っていいだろう。せめて DVD ぐらい出るといいのだが……。
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