日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
雨の中、絞首台に向かう死刑囚の足下だけをとらえた後退移動撮影。上昇するキャメラが、絞首台越しに背後の壁にうつる影を通して死刑執行の様子をとらえる。場面が変わると、ベビーベッドに横たわった赤ん坊が、ベッドの手すりからつり下げられた、まるで絞首刑囚のように見える人形の影におびえて泣き叫んでいる。続く場面では、「○○の父ちゃんは首をつられて死んだ……、○○の父ちゃんは首をつられて死んだ……」とはやし立てる子供たちの声に追われるようにして、小雨の降る薄暗い運動場を、10才ぐらいの男の子が画面手前に向かって逃げるように歩いてくる。かれはどうやらベビーベッドで泣き叫んでいたあの赤ん坊らしい。男の子は、いじめっ子のなかのリーダー格らしき邪悪そうな男児ととっくみあいの喧嘩を始める。そしてふたたび場面が変わる。今度もまた夜の暗い木立のなか、20代ぐらいの若者が、どうやらひとりの女性をめぐって、殴り合いの喧嘩を始める。血は争えないなという言葉にかっとなったひとりが、正当防衛とはいえ相手を殺してしまう。かれが、あのベビーベッドの赤ん坊であることはいうまでもない。
ここまでわずか5分足らずの冒頭のシーンを初めて見たときは本当にびっくりした。ボーゼージにこんなシュールな場面が撮れたとは。『白い恐怖』の数年後の作品ということを考えればそれほど不思議ではないのかもしれないが、しかし、冒頭からラストまでずっと続くこの作品の悪夢のような陰鬱な雰囲気は、他のボゼージ作品には(ナチスを描いた作品にさえ)ないものだ。 しかし、その一方で、犬の名前にまで「ミスター」という敬称をつけるモーゼという名の黒人(演じている俳優はレックス・イングラムというのだが、もちろんあの有名なハリウッド監督とは別人)や、ちょっと頭の弱い聾唖者(かれが殺人現場で主人公のナイフを拾ったために生まれる緊張関係)や、妙に哲学的な保安官など、ユニークな登場人物との関わりを通して、結局は、楽天的な結末を迎えるところは、やはりいつものボーゼージだったりする。 ボーゼージ最後の傑作といわれているのもうなずける。なんとも曰くいいがたい作品だ。
ウェス・アンダーソンの『ムーンライズ・キングドム』のタイトルは、この映画への言及だという話も聞くが、本当なのか。こちらのほうはまだ見ていないので、それも含めて見るのが楽しみだ。
ジョアン・ペドロ・ロドリゲス作品のクラウド・ファウンディングによる公開で話題の DotDash から発行されるメールマガジン第1号(http://dotdashfilm.com/?page_id=361)に、ブラジルの伝説的映画、マリオ・ペイショトの『限界』について書きました。 このメルマガでは、ここの「シネマ・マイノリティー・レポート」や「余白の映画史」のコーナーなどで取り上げているような未知の作家や忘れられた傑作を、連載のかたちで順次紹介してゆく予定です。転載できないのが残念ですが、なにについて書いたのだけは毎回お知らせします。
ワーナー・アーカイヴ・コレクションから出ている DVD でニコラス・レイの『生まれながらの悪女』を見たのだが、嬉しいのは、この DVD には使われなかった別エンディングが特典映像に収録されていることだ。 『生まれながらの悪女』は、プロデューサーのハワード・ヒューズが例によって編集に手を出してダメにしてしまった映画のひとつといわれている。このアメリカ公開版では、不倫がばれて、ジョーン・フォンテインがザカリー・スコットから三行半を突きつけられたあと、空港でのザカリーとジョーン・レスリーとの嘘のような和解の場面があって、ラストの屋敷前でのメル・ファラーとフォンテインとの短い別れのシーンが続く。ショーウィンドウに飾られたフォンテインの絵の値札が替えられるショットが、ラストショットである。
別エンディングはこれよりもずっと長い。ハワード・ヒューズが書いたという空港の場面はこの別エンディングにも入ってるのだが、全体的には非常にシニカルな終わり方になっている。ザカリー・スコットに出て行けといわれたあと、フォンテインが乗っていた車が転落事故を起こし、フォンテインは大けがをして病院に担ぎ込まれるのだが、そこの若いハンサムな医者にさっそく目をつけ、医者の妻に訴えられる。そこに、ウィンドウの絵の値段が2倍につり上がるショットが挿入される。次に、フォンテインが離婚のことで訪問したらしい弁護士事務所の場面がつづくのだが、ここでもフォンテインはハンサムな弁護士をなにげに誘惑して籠絡する。そしてまたしてもウィンドウの絵が2倍につり上がるところで、この別エンディングは終わる(絵の値段がつり上がってゆくショットは、この別エンディングの編集で見ないとイマイチおもしろさがわからない)。フォンテインは反省もしていなければ、罰も受けない。これ以上ないシニカルな終わり方だ。
これ以外にも複数のヴァージョンがあるみたいで、この DVD に入ってる別エンディングは、ヒューズが海外での上映向けに残していたエンディングのようだ(このあたり、したたか)。様々なヴァージョンには、ジョージ・スティーヴンスやリチャード・フライシャーまでもが、別撮りテイクに関わっていたという。
日本で発売されている DVD 『ニコラス・レイ傑作選 生まれながらの悪女』は持っていないのだが、情報によると、この版にはアメリカ公開版ではなく、別エンディングのほうだけが入っているらしい。エイゼンシッツのニコラス・レイ伝記によると、海外では長い間このヴァージョンだけが上映されてきたらしいので、それほどおかしなことではないのかもしれない。いずれにせよ、ワーナー・アーカイヴ版では、両方の版が見比べられるし、ずっと安くてお得である(ただし、字幕はついていないが)。
レオンス・ペレ:
サイレント時代にフランスで活躍した映画俳優・監督。1880年、ドゥー‐セーヴル県ニオールに生まれる。
最初は舞台俳優として出発するが、やがて映画界に身を投じる。ゴーモンで、ルイ・フイヤード監督らのもと、いくつかの短篇に俳優として出演すると、ペレはすぐさま監督としても活躍しはじめる。かれの映画俳優としてのデビューと、監督としてのデビューはほぼ同時であり、また、その監督作品の多くで、ペレは自ら主役を演じている。1913年に始まる「レオンス」シリーズは、ペレが主演・監督した初期短篇の代表作である。
ところで、この1913年になるまで、フランスでは、映画監督や俳優の名前は、映画のクレジットに登場することはなかったと言われている。製作会社がそれを禁じていたのだ。自分の名前をクレジットに載せるよう、最初にゴーモンに認めさせたのがこのレオンス・ペレだった。そして、これをきっかけに、他の監督たちも彼にならったという。その意味では、かれはフランスで最初の映画監督=作家だったといっていいかもしれない。
やがてペレは、ゴーモンで、ルイ・フイヤードに次ぐナンバー2監督と目されるまでになる。しかし、それほどの監督にしては、日本での知名度はいささか低すぎるといわざるをえない。フランス版ウィキペディアにはペレについての非常に詳細な記述があるが、今のところ日本版にはレオンス・ペレの項目はない。 かくいうわたしも、つい最近、KINO から出ている『Gaumont Treasures: 1897-1913』という DVD に収められている2本の作品、『カドール岩場の謎』と『パリの子供』を見て、レオンス・ペレという作家を発見したばかりなのだ。
『カドール岩場の謎』(Le Mystère des roches de Kador, 12)
資産家の娘が相続する遺産をめぐる犯罪劇。彼女が成人するまでのあいだ後見人をつとめることになっている男が、遺産を手に入れようとあれこれ画策する。タイトルとなってるほどのミステリーはないのだが、面白いのは後半の展開だ。男によって目の前で自分の恋人が撃たれるのを見て、娘はショック状態に陥ってしまう。医者は、彼女を治療するために、そのときの光景を役者を使って再現した映画を作り、それを彼女に見せる。娘は映画を見たショックでふたたび記憶を取り戻す。
再現フィルムを見た娘が、真っ白なスクリーンを前にしてのけぞるイメージを見て、おや、この場面はどこかで見たことがあるぞ、と思う。そうだ、このシーンは『ゴダールの映画史』のなかで引用されていたのだった。『映画史』に出てくるこの実にインパクトのあるイメージははっきりと覚えていたが、それとレオンス・ペレという名前は、この映画を見るまで全然結びつかなかった。 それにしても、映画のなかに映画が出てくること自体、この時代では珍しい。しかも、映画が治療のために使われるというのは、希有の例ではないだろうか。このシーンのためだけでも、この映画は見るに値する。
わたしはレオンス・ペレの短篇をほとんど見ていない(どこかで見たことがあるかもしれないが、思い出せない)ので知らないのだが、『Gaumont Treasures』の特典映像に入っているドキュメンタリーを見ると、ペレは映画のなかに、映画が上映される光景や、映画を見る観客の様子を、好んで描くことがあったみたいである。これもまた、同時代の監督たちとくらべてこの映画作家のユニークだった点の一つであるといっていいようだ。
『パリの子供』(13)
戦争で父親を亡くし、孤児院に入れられた少女が、そこを抜け出したあと、悪党たちに誘拐されてしまう。死んだと思われていた父親は、実は生きていて、英雄として帰国し、必死で娘を捜し回る……。
ディケンズふうというか、『レ・ミゼラブル』ふうというか、物語は紋切り型のメロドラマだといっていいだろう。しかし、それを語る語り口は実に巧みだ。この映画が撮られた1913年という年代を考えると、ここで使われている映画テクニックのレベルは驚異的であるといってもいいかもしれない。
「ペレは、モンタージュのあらゆる可能性、様々なショット、逆光、キャメラマンのスペヒトによる非常に美しい撮影などなどを、実に見事に使いこなしている。凡庸なシナリオをもとに、レオンス・ペレは、洗練された映画の語彙を駆使して、ストーリーを滑らかでスピーディに語ることができた。逆光、クロースアップ、仰角撮影、移動撮影、その他無数の革新的なテクニックをペレは見事に用いており、これは、ルイ・フイヤードの古典的で簡潔なスタイルや、当時はまだはっきりとは見て取れなかったD・W・グリフィスのある種のプリミティヴ主義とは、対照をなすものだ。ペレは、フランスの当時のテクニックが、アメリカのそれを上回っていたことを示している。」(ジョルジュ・サドゥール)
たしかに、1913年といえば、グリフィスがまだ最初の長編『ベッスリアの女王』(長編といってもほぼ1時間の作品だが)を撮る前だし、それを考えると、この2時間を超える長編(16 fps で124分)を、よどみなく語る手際は、注目に値する。
しかし、わたしが『パリの子供』を見てなによりも驚いたのは、その繊細な照明の使い方だ。たとえば、グリフィスの場合(とりわけ初期の短篇では)、室内シーンと室外シーンははっきりと断絶しているのがふつうで、そこに窓らしきものが見えていても、それはきまって閉じられている。窓が内と外を通底させる瞬間など皆無だといっていい。泥棒が窓から侵入するといった場面でさえ、グリフィス作品では、室外のショットと室内のショットは、完全に断絶した形で示される。透明なガラス窓を通して、室内に外の光が差し込むなどといったショットは、少なくとも初期のグリフィス作品にはないはずである(まあ、全部見たわけではないのだが)。
ところが、『パリの子供』では、セットではなく実際の部屋を使って、背後の窓から差し込む光で人物を逆光で浮かび上がらせるといったことまでやっているのだ。あるいは、ガラス窓を挟んで、手前と奥の二つの部屋があり、手前の部屋は真っ暗で、奥の部屋だけ明かりがともっていて、そこで人物が動き回っている様子をガラス窓を通して見せるといったショットなど、同時代としては非常に珍しいものではないだろうか。
この繊細で、表情豊かなライティングは、グリフィスよりもむしろ、ロシアの初期サイレント映画の巨匠エフゲニー・バウエルのような作家の作品と比較すべきものだろう。バウエルもまた、光に対する希有な感受性を持っていた映画作家だった。
ルイ・フイヤードもまた、『ファントマ』や『ジュデックス』のまれな瞬間において、ガラス窓や、玄関の開かれたドアを通してそそぎこむ外光によって、建物の内と外を通底させることがあった。これはレオンス・ペレの影響を受けてのことだったのか。いずれにせよ、照明の繊細さという点では、フイヤードの作品はペレのそれよりも劣っていたように思う。
『パリの子供』を撮った数年後の1917年、ペレはアメリカに渡り、そこで成功を収めたあと、20年代初めにふたたびフランスに帰国して、映画を撮り続け、1935年にパリで亡くなった。55才という若さだった。
アベル・ガンス『世界の終わり』(30)
ガンスのトーキー第一作。『地球最後の日』や、『アルマゲドン』、『ディープ・インパクト』といった作品の元祖とでもいうべきSFだが、一般には失敗作と考えられていて、ガンス本人も全然認めていなかった。
彗星が数ヶ月足らずで地球を直撃することを発見したフランスの天文学者が、新聞やラジオを通して、この事実を全世界に伝えようとする。しかし、そのため株は暴落し、市場は大混乱する。投資家たちはこうなっても金儲けのことしか考えず、政府を動かして、天文学者の一味を、世間を混乱させたテロリストとして追い詰めてゆく。 簡単にいうと、『20世紀少年』みたいな展開。キリストが磔にされるシーンから始まる(実は、芝居だとあとでわかる)、いかにも幻視者ガンスらしい黙示録的作品だが、後半、ルイ・フイヤードふうのすごい活劇になるのでびっくりする。とくに、エッフェル塔における攻防戦では、エレベーターが落下して大破するなど、かなり大がかりだ。水星が地球に接近して、各地で天変地異が起きるシーンは、暴風雨のニュース映像などを使ってごまかしているだけのチープなものだが、それでもそれなりによくできていて、バカにできない。
一方で、天文学者の弟である世捨て人のような貧乏詩人が登場するのだが、かれは兄と同じ女を愛し、女からも愛されながら、苦悩することが自分の天命なのだといって、女を兄に譲ろうとする。ガンス自身が詩人を演じているのだが、そのメランコリックで大げさな演技は、サイレント時代にこそふさわしい、古めかしいものだ。
世界大戦に突入する直前だった世界が、彗星の接近で一致団結し、最後に世界共和国の誕生が高らかに宣言されるという、ナイーブすぎる結末には唖然とさせられる(もっとも、その直後に、国際会議場は彗星の影響で崩れ去ってしまうのだが……)。
ツッコミどころは色々あるが、ガンスらしさは随所に現れている。彼を知るには見逃すことができない作品だ。それから、この映画はもともと3時間の大作だったのだが、今は、全体の約半分しかフィルムが残っていないということも、忘れてはいけない。『ナポレオン』や『鉄路の白薔薇』の監督には、1時間半はいかにも短すぎる。
ベルナール・ケイザンヌ&ジョルジュ・ペレック『眠る男』(Un homme qui dort, 74)。
ジョルジュ・ペレックは、アルファベットの「e」を一切使わないフランス語で書かれた小説『煙滅』(恐ろしいことに、日本語訳が存在する)など、アクロバティックなエクリチュールで知られるフランスの小説家である。ペレックがそうした言語遊戯をはじめるのは、1967年に文学グループ「ウリポ」に加わってからで、それ以前にはいくつかの半自伝的ともいえる小説を書いていた。映画『眠る男』は、かれがウリポにおける言語遊戯を本格的にはじめる直前の時期に書いた同名小説を、ベルナール・ケイザンヌとともに映画化したものである。
作家が撮った映画ということもあり、何となく敬遠していたのだが、今回初めて見て、思った以上に素晴らしい出来だったので驚いた。
パリの屋根裏部屋に住む学生が、生から離脱し、世界に無関心になることを決意して、自己に閉じこもってゆくさまが描かれる。男は一言も喋らず、聞こえてくるのは、二人称で画面外から語りかける女性の声のみ。イメージと声がときに見せる微妙なズレが、見るものに、パリをさまよい歩きながら、同時に、部屋から一歩も出ていないような印象を与える。良くも悪くも、テクストの強度によって成立している映画だ。
パリはきれいですねと言う人がいると、いや、薄汚い街ですよと反射的に答えてしまうのだが、こういう映画を見ると、やっぱりパリは絵になる。しかし、執拗に列挙をつづけてゆく、この映画の偏執的で即物的なテキストには、ロマンティスムのかけらもない。ポンピドゥー時代の巴里の憂鬱(?) この映画の第二の主人公ともいうべきパリの街をとらえたモノクロのイメージが素晴らしい。 (撮影を担当しているベルナール・ジツェルマンは、長編映画では、この作品がほぼデビュー作。このあと、アラン・タネールや、少なからぬシャブロル作品とかかわってゆくことになる。)
この映画の公開時、ジョルジュ・フランジュは、「夢幻的映画の例外的に成功した作品」と絶賛した。催眠術のような幻惑的ナレーションや、トラヴェリング撮影など、レネの初期作品を思い出させる部分が多い映画だが、いわれてみれば、フランジュの『白い少女』などと通じるところもある。 後半にしたがって、青年の妄想ともいうべきイメージ(廃墟で音もなく燃え上がる洗面台など)があふれだし、画面は露出過多気味に白々として、現実感を失ってゆく。 しかし、映画は最後の最後に希望のようなものを残す。「何も待つものがなくなるまで待ち続ける」だけだった青年は、ほんのすこしだけ世界への関心を取り戻したように見える。映画は次のように語る声とともに終わる。
「きみはもはや近づきがたく、澄んで透明な存在ではない。きみは恐れている。きみは待っている。きみはクリシー広場で、雨が止むのを待っている」
Gerald Kargl『Angst』(83)。
オーストリアの監督 Gerald Kargl が撮った唯一の長編。精神病院から退院したばかりの狂人が、殺人衝動を抑えきれずにその日のうちに次々と人を殺してゆく様子を淡々と描いた作品で、公開当時、各地で上映禁止になり、その後、ほとんど上映される機会もなく、呪われた作品とされていた。最近になって再評価され始め、今年、あのカルロッタから DVD が出たばかり。
こういう主人公を扱った映画は今では珍しくないが、ふつうなら主人公の行動と平行して警察の捜査が描かれるとか、彼の行動を怪しむ隣人が登場するとかして、サスペンスを盛り上げる工夫を多少ともするものだが、この映画にはそういう意思はまったく感じられない。キャメラは、主人公の行動を間近からとらえることだけを意図しているようだ。 セリフらしいセリフがほとんどないかわりに、全編にわたって使われている狂人のモノローグが、観客をさらに主人公の異常な精神状態へと近づける。主人公を取り巻くように360度回転する特殊な装置を使って撮影されたキャメラワークが、現実遊離的な不思議な感覚をもたらしている。
残忍な殺人描写は今見てもショッキングで、ホラーファンは必見の映画だろう。しかし、「カイエ・デュ・シネマ」に載った記事のように、ヘルツォークや、ましてムルナウの『ノスフェラトゥ』を引き合いに出して語るような作品かどうかは、大いに疑問だ。なので、ホラーファン以外にはあえて薦めはしないが、興味深い作品であることは確かである。 それから、音楽をあのクラウス・シュルツェが担当してることも特筆すべきだろう。ただし、本人は、曲を作ったあとで作品を見て、絶句したとか。まさかこんな映画になるとは思っていなかったらしい。
(フランスでは『Schizophrenia』というタイトルで知られている。下写真はカルロッタから出ている DVD。Blu-ray 版 あり。)
■『ゆたかな夏』(51)
そこらじゅうスターリンの写真だらけだし、まさに「スターリン」という単語が発せられるとともに終わるプロパガンダ映画なのだが、冒頭からキャメラは動き、列車は走り、車はすれ違いざまに急停止してバックし、荷車の藁の上で寝ていた女は川に落ちる。優雅ですてきな田園詩。 「嫉妬は資本主義へのあともどり」というセリフにはたまげた。 フランスの若き批評家たちに熱狂的に迎えられたこの作品だが(とりわけ、リヴェットがこの作品について書いた文章は熱がこもっている)、バルネット本人は、押しつけられて撮ったやっつけ仕事としか見なしていなかったようだ。 ゴダールの『映画史』では、たしか、キューブリックの『シャイニング』のホテルの廊下をすすむ前進移動のショットが、この映画の後退移動のショットと無媒介的にモンタージュされていた。
■『ノヴゴロドの人びと』(43)
ナチスと闘うロシアのパルチザンたちを描く。ドヴジェンコふうの森と飛行機。言葉のわからないフランス兵とロシア娘の恋。オペラを熱唱しながらナチの秘密基地を探し回るオペラ歌手。『ゆたかな夏』『小駅』も悪くなかったが、これが、日本で知られているバルネットのイメージに一番近いか。最初の方で、胸につけたバッジにスターリンの顔が一瞬だけ映る。
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