日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
京都駅ビルシネマで「ラテンビート映画祭2010」というのが開催されている。新作についてはほとんど見ていないのでわからないが、旧作のくくりで上映されるルクレシア・マルテルの『沼地という名の町』(2001) は、アルゼンチンでプール付の邸宅に住んでいるあるブルジョア家庭のよどんだ日常を、感覚的なイメージの連続で描いた作品で、むかしNHKのBS2で放映されたときに見て、すごく印象に残っている(調べてみたら、ホームページの2004年7月の日記にタイトルだけメモしてあった。まだこのブログを始める前だ)。全然期待していなかったので、録画しなかったことを後悔している。
ルクレシア・マルテルという名前は当時ほとんど無名で(いまもそれに近いけれど)、周りではだれも話題にしていなかった。しかし、気になったので、その次に撮った『La niña santa』(2005) という作品も DVD 化されたときに見た。『沼地という名の町』のときよりもずっと演出力は達者になっていたが、やはりこの作品にもプールが出てき、水面に惹かれる作家であるらしいことを示している。子供たちが、無垢であると同時に、悪魔的でもある振る舞いを見せるところも、『沼地という名の町』と共通するところだ。
実を言うと、わたしはこの監督のことをいままでちゃんと調べたことがなく、どういう評価を受けていているのかはもちろん、どこの生まれで何歳なのかも知らなかった。最近になって、例の「カイエ」による "Les années 2000" ベストテンで、レイモン・ベルールが『La niña santa』を、そして、「カイエ」の若手の同人らしい批評家が『沼地という名の町』を選んでいるのを知り、へぇ−、やっぱり評価されてるんだと知ったところだ。なかなか寡作な作家で、『La niña santa』の4年後に撮った『頭のない女』(もちろん未公開)が今のところ最新作だ。これも一部ではくそ味噌の評価を受けていて、なかなか期待が持てる。
ルクレシア・マルテルなんて名前を出してもだれも興味を持たないだろうと思ったので、いままで一度もふれなかったが、作品が上映されるいい機会なので、ここで簡単に紹介しておいた。気づくのが遅かったので、『沼地という名の町』の一回目の上映は終わってしまっているが、10月1日にもう一度上映があるので、興味がある人は、足を運んでみてほしい。細かいところは覚えていないので、わたしも気力があったらもう一度見たいと思っている(朝一の回なので無理かもしれない)。もっとも、完全に好き嫌いの分かれる映画だと思うので、ダメな人には全然ダメだと思う。自己責任でお願いします。
この映画祭では、ブエノスアイレスを舞台にしたコッポラの最新作『テトロ』も上映される。『コッポラの胡蝶の夢』は、野心的な失敗作という意味では面白かったが、わたしは断然この『テトロ』のほうが好きだ。 作家を志しながら、いまは挫折してブエノスアイレスに住む兄をたずねて、弟がアメリカからやってくる。ふたりのぎくしゃくした関係は、兄が完成できずに投げ出した自伝的作品をめぐって、一挙に表面化する。モノクロとカラーを使い分けて大胆にイメージをくり広げる一方で、古典的な枠組みに収まるファミリー・ロマンスをきっちりと描いてみせているあたり、コッポラなかなかやるじゃないかと言いたい。
『映画史』のゴダールは、日本には個々の映画作家はいても、日本映画というものは存在しないという意味のことを言って物議を醸した。ゴダールのファンでさえ、それは言い過ぎだろと思ったものだが、韓国映画史を30年代から振り返ってみるうちに浮かんでくるのは、韓国映画というのは本当に存在したのだろうかという思いだ。 20世紀の初頭から日本の統治下にあったという特殊な事情を考慮しても、現存するサイレント映画は1本しかなく( 実は、もう一本残っているサイレント映画があるのだが、これは韓国映画がすでにトーキー化してひさしい48年(!)に撮られた作品である。 )、30年代につくられた映画さえ、まともなかたちで残っているのは3本だけというのは、いくらなんでも嘘だろと思ってしまう。これはなにも戦前だけの話ではない。戦後になっても松竹や日活に比すべき大手プロダクションは生まれず、50年代の朝鮮戦争、60年代になっての軍事独裁政権の成立といったぐあいに、映画業界の発展をはばむ事態が次々と起きる。こうした事態に加え、もともと映画フィルムの保存に対してはそれほど意識は高くなかったためか、60年代になって撮られながら、つい最近までフィルムが紛失していたものさえある。 韓国映画を何作品かまとめてみると、俳優のストックの貧しさも実感した。どの映画を見ても、同じ俳優が使い回しされている。華やかな男優・女優にあふれるいまの韓国映画とは大違いだ。
いろんな意味で、一昔前の韓国映画は、地味でつまらないというイメージがあった。しかし、それは本当なのか。ただ知らないだけではないのか。そう思って、手当たり次第に見ていっているところである。しかし、今のところ、そのイメージはそれほど大きく変わっていない。韓国の文化や、韓国社会の変遷、歴史的事件の裏側などがわかるといった意味で興味深い映画ならたくさんある。けれども、純粋に映画的に興奮させてくれる作品は、ごくわずかだった。
わたしが見た作品について簡単に覚書を書いてみた。最初は、20本ぐらいまとめて書くつもりだったが、書いているうちに長くなってしまったので、何度かにわけて紹介することにする。最初は、年代順に書いていたのだが、それもつまらないので、テーマ的に関係ありそうなものを並べてみた。
■ヤン・ジュナム『迷夢』Sweet Dream (36)
2000年代に入って、韓国では過去の映画フィルムの発掘、修復、DVD 化が急ピッチで進められている。一昔前までは、終戦直後に撮られた反日映画『自由万歳』(46) が、現存する最古の韓国映画と考えられていた。その後、2005年になって、この『迷夢』が中国の中国電影資料館に保管されていたのが発見され、韓国最古のフィルムとして認定された。その数年後には、34年作の無声映画『青春の十字路』のオリジナルネガが韓国国内で発見されたので、『迷夢』は「韓国最古のフィルム」の称号をすでに失ってしまっている。しかし、トーキー作品としては、『迷夢』がいま残っている最古の韓国映画であることに変わりはない。
結婚して娘もいる人妻が、買い物さえも自由にさせてくれない夫を捨て、家を飛び出す。『迷夢』のこの冒頭の部分までは、当時日本の支配下にあった韓国で上演されていたというイプセンの『人形の家』の影響をうかがわせもする。しかし、あたかもその罰であるかのように、ヒロインが愛人に裏切られ、さらには自分の乗ったタクシーで娘をひいてしまい、過ちを悔いて自殺するという展開は、因習的なものでしかない。ここに描かれているのは、日本統治下の朝鮮におけるベストセラーである「タクチ本」にもしばしば取り上げられていた「新女性」と呼ばれる女性のひとつの形であったと思われる。男性中心的な韓国社会と、軍国主義日本からの二重の制約を受けていた当時の韓国の女性たちの中から、新しいイデオロギーを抱いて自立を目指す女性たちが現れてきた。そうした女性たちが「新女性」と呼ばれていたようだ。この映画のヒロインにも、当時の韓国社会が反映されていると思われる。ただし、この映画のヒロインの描かれ方にはポジティヴなところはほとんど見られない。彼女が家を飛び出す理由は、夫が高い服を買うことを許してくれないという自己中心的なものにすぎず、いまのわれわれが見ても、自立を目指す女性というよりは、ただの身勝手なエゴイストにしか見えないだろう。
■ハン・ヒョンモ『自由夫人』(56)
大学教授夫人が、洋服店に働きに出たのをきっかけに、やがてダンスを覚え、ついには夫以外の男性と関係を持つようになるが、最後には、自分の行いを悔いて夫に許しを請う。 どこかで聞いたような話だ。ヒロイン自身は、結局、夫に許されて家庭に戻るのだが、彼女をそそのかして、ある意味、道を踏み外させた彼女の友人の女は、悪い男にだまされて最後に自殺する。『迷夢』から30年たってもなにも変わっていない。ただ違うのは、戦後韓国における物質文明の浸透ぶりと、女性の欲望があからさまに描かれていることだ。物語の展開自体は古めかしいが、当時の社会風俗の描き方には攻めの姿勢が見て取れる。
■ シン・サンオク『離れの客とお母さん』(61)
タイトルは若干わかりにくい。わたしなら「未亡人と下宿人、うれしはずかしドキドキ生活」とでも名付けたいところだが、別にエロティックな作品ではなく、むしろ抑制のきいた描写が叙情性を高めている作品である。 うら若き美貌の未亡人の家に、一人の男が下宿することになる。ふたりは次第に惹かれあうようになるのだが、どちらも最後まで自分の思いを伝えることなく、男が乗った列車が遠ざかっていくのを、女が遠くの丘から見つめるところで映画は終わる。ふたりは手を繋ぐことさえなく、それどころか、同じフレームの中に収まることさえほとんどない。そんなふたりの関係を、男女の機微を理解できない少女の目を通して描いた作品である。 おそらく、もっとも有名な韓国映画の一本だと思うが、わたしにはいささか退屈だった。
■ アン・チョルヨン『漁火』(39)
これも中国電影資料館にてフィルムが発見された作品だ。 監修に島津保次郎、編集に吉村公三郎といったぐあいに、松竹の技術スタッフが大きく関わっているのが注目される。しかし、これはこの時代の韓国映画においては、たぶんさして珍しいことではなかったのだろう。占領時代にデビューした韓国の監督の中には、日本で映画作りを学んだというものも少なくない。また、『迷夢』もそうだが、この頃の韓国映画には、プリントに日本語字幕が入っているものがほとんどだ。日本人にはありがたいが、植民地主義の痕跡がフィルムに刻まれていると思うと複雑な気持ちになる。(日本語字幕といっても、フィルムの劣化にともなってかなり読み取りにくくなっているので、あまり期待しない方がいい。)
貧しい漁師の娘が、海で死んだ父親が残していった借金を返すためにソウルに働きに出るが、悪い男にだまされて純潔を失ってしまう。娘は自殺まで考えるが、最後に、恋人に救われて故郷に帰って行くという物語である。話はありきたりだし、人物描写にも深みがない。『迷夢』同様、作品そのものにはそれほど魅力はないのだが、それでも興味深い点は多々ある。前半に描かれる漁村の叙情的描写、後半に描かれるソウルの街の様子などが、とくに興味を引く。このころのソウルは「京城」と呼ばれていて、字幕でもそのローマ字読みでキョンソンとなっていたはずだが、登場人物たちはふつうに「ソウル」と言っていたように思う。
下写真の DVD (yesasia.com) には、『迷夢』『漁火』のほかに、30年代に撮られた親日プロパガンダ映画『軍用列車』が収められている。
■キム・スヨン『浜辺の村』(65)
モノクロ・シネマスコープで撮られた文芸映画。 新婚早々に漁師の夫に先立たれた若妻が、亡き夫への思いと義母への義理に引き裂かれながら、流れ者のような男と再婚して村をあとにする。男と結婚した女は、あちこちを転々としながら、それなりに幸せなその日暮らしを送っていたが、ある日、夫が崖から転落し、またしても未亡人になってしまう。映画は、女が故郷の漁村に帰って行くところで終わっている。
『漁火』と基本的なストーリー・ラインが似通っていることがまず興味を引く。ヒロインは、故郷の漁村から遠く離れて、山小屋で生活しているときでさえ、知らず知らずのうちに水辺に引き寄せられてゆく。故郷はいつまでも変わらずに自分を受け入れてくれるというのが、この2作品に共通するイメージだ。 漁村の生活を描いた前半では、開放的な性の描写が目を引く。未亡人にしつこく迫っていた男が、深夜、女の寝室に忍び込み、隣で家族が寝ているのもかまわず、なかば強引に彼女をものにしてしまう場面も印象的だが、それ以上に、漁師の妻たちのガールズトークがかなりきわどくてびっくりする。この映画に登場する女たちは、ほとんどが海で夫を失った未亡人だ。成熟した体をもてあましている女たちが、男たちのいないところで交わす会話は驚くほどあけすけで、女同士の同性愛をほのめかすような描写さえある。
■ イ・マニ『森浦への道』Road to sampo (75)
行きずりの男2人女1人の3人が、雪深い田園風景の中を旅する韓国ロード・ムーヴィーの走りのような作品。やるせない雰囲気がどこか藤田敏八の70年代作品を思い出させる佳作だ。最後に三人は散り散りになり、その中の一人が乗ったバスが、彼が長い間離れていた故郷に近づいていくところで映画は終わるのだが、バスの乗客の会話から察するに、どうやら彼の故郷は昔の面影をすっかり失ってしまっているらしい。『漁火』や『浜辺の村』では、いつでも帰るべき場所として存在していた故郷は、もはや確固とした存在ではなくなっている。
■ ペ・チャンホ『ディープ・ブルー・ナイト』(85)
海を越えて出稼ぎにやってきてアメリカに不法滞在する韓国人の男が、手っ取り早くアメリカ国籍を手に入れるために、アメリカに住む韓国人女性と偽装結婚する。国籍さえ手に入れば、女と別れて、韓国に住む妊娠中の妻を呼ぶ予定だった。しかし、次第に歯車は狂ってゆく。
ペー・チャンホ版『砂丘』とでも呼ぶべきこの作品の中で、主役の韓国人男性も、彼が偽装結婚する女性も、ともに帰るべき故郷をすでに失っているだけでなく、彼らにはいま自分がいる場所さえ定かではない。冒頭と最後に現れる、『森浦への道』の寒々とした雪景色よりもさらに空虚なデス・ヴァレーの光景が、アメリカン・ドリームの残骸のように見えてくる。ペ・チャンホの傑作の一つ。
最近は、書店の映画コーナーにもほとんど立ち寄ったことがなかったので、たまにはチェックしておこうと思ってネットで調べてみた。以下、気になったものを何冊かあげておく。
■『鈴木清順エッセイ・コレクション』 (ちくま文庫)
■『伊丹万作エッセイ集』 (ちくま学芸文庫)
■ 遠山純生『ヌーヴェル・ヴァーグの時代』 、『ビクトル・エリセ』 (紀伊國屋映画叢書 2) [単行本(ソフトカバー)]
■黒沢清ほか『日本映画は生きている』、『映画史を読み直す (日本映画は生きている 第2巻)、『観る人、作る人、掛ける人 (日本映画は生きている 第3巻)』、『アニメは越境する (日本映画は生きている)』
■四方田犬彦『俺は死ぬまで映画を観るぞ』
■ ミシェル・テマン『Kitano par Kitano 北野武による「たけし」』
ミシェル・シマンの間違いではないかと思ったが、そうではなかった(さすがに、著者の名前まで誤訳する人はいまい)。原著はこちら。
■『ジェームズ・キャメロン 世界の終わりから未来を見つめる男』
最近、3Dについてときどき考えることがある。スクリーンの中から列車が飛び出してくると思って逃げ出したとかいうリュミエールの時代の観客たちは、今では笑い話になっていたはずなのだが、なんなのだろう、この原始的な錯覚信仰と最新テクノロジーの合体によって出現した3D新時代というやつは。
■『英国コメディ映画の黄金時代―『マダムと泥棒』を生んだイーリング撮影所』
ジャック・ランシエール『イメージの運命』
映画を見はじめたとき、デミルはすでに過去の巨匠だった。というか、わたしが生まれたときには彼はもうこの世にいなかった。テレビでときおり放映される彼の映画は、『十戒』や『サムソンとデリラ』といった聖書を題材にしたスペクタクル映画ばかりで、どうもその手の映画ばかり撮る人という印象があった。その後、『平原児』をはじめとする西部劇などを見て、デミルの印象も少しずつ変わっていったが、彼が撮ったサイレント映画など知らなかったし、見る機会もなかった。
今から20年ほど前に、雑誌「リテレール」別冊として出版された映画ガイド本『映画の魅惑』のなかで、中条省平は、自分が選んだ伝記映画ベスト50の中に、カール・T・ドライヤーからリヴェットにいたるジャンヌ・ダルク映画を7本も入れ、その中には、未見のマルコ・ド・ガスティーヌ監督作『ジャンヌ・ダルクの驚異の生涯』さえ交じっているというのに、デミルがサイレント時代に撮った『ヂャンヌ・ダーク』(JOAN THE WOMAN, 16) については、なぜだか一言も触れていない。デミルのサイレント時代などだれも知らなかったのだ。
この状況は今でもたいして変わっていない。近くにシネマテークがある人ならともかく、デミルのサイレント映画で簡単に見られるものといったら、『チート』と『男性と女性』ぐらいしかない。山田宏一が「サイレント映画について書かれたもっとも素晴らしい書物」とどこかで書いていた『The Parade's gone by...』の著者ケヴィン・ブラウンロー(『It's Happened Here』というユニークな占領映画を撮っている監督でもある)は、デミルの没落は1918年にはじまるとさえ言っている。だとするなら、サイレント時代の彼を知らないわれわれに、デミルのなにが分かるというのか。
(デミル版ジャンヌは、ジェラルディン・ファーラーというやけに肉感的な女優が演じていて、他の女優が演じたジャンヌものとはずいぶん雰囲気がちがう。ジェラルディン・ファーラーは、元もとオペラ歌手で、映画の世界にいたのはほんの数年にすぎない。知っている人は少ないだろう。しかし、ケヴィン・ブラウンローは、『The Parade's gone by...』のなかで、彼女のために一章をさいている。)
セシル・B・デミル『破戒』(The Godless Girl, 29)
デミルのサイレント時代最後の作品。これも聖書に関係あると言えばある話だが、スペクタクルな歴史物ではなく現代劇だ。
ハイスクールのなかで無神論を説くグループと敬虔なグループが対立している。無神論派のリーダーの娘(リナ・バスケット)と、有神論派のリーダーの青年(ジョージ・ダーイ)は、実はたがいに惹かれあっているのだが、そのことを口に出せずにいる。あるとき、無神論派の集会がおこなわれているビルの一室に、有神論派のグループがなだれ込み、乱闘になる。集会場のある上階へとつづく長いながい階段を、マキノ雅弘の『恋山彦』を思い出させる縦移動で捉えたクレーン撮影が印象的だ(『恋山彦』では階と階のあいだに黒みが入るので、そこでショットを繋いでいたと思うのだが、『破戒』のこのシーンでは、実際に高い階段のセットをつくって撮影しているはず)。
集会場の中で激しくやり合っていた2つのグループの若者たちは、押し合いへし合いしながら部屋の外に出てくる。そのとき、階段の手すりが壊れてひとりの少女が転落し、死んでしまう(この転落シーンの演出も素晴らしくダイナミックだ)。この事故が原因で、両グループのリーダーの娘と青年は、ともに刑務所(あるいは感化院?)に入れられてしまう。ここまでが冒頭の10分ぐらいの出来事で、映画の大部分はふたりが入れられる刑務所の中で展開することになる。
デミルのことだ、たぶん、神を信じていない娘が最後に信仰に目ざめるという話になるのだろう。むろん、その予想は的中するのだが、この映画は思っているほど単純な構図にはなっていない。サイレント時代から衣装監督、あるいは助監督としてデミルの映画に参加していたミッチェル・ライゼン(『破戒』のセットも彼が担当)は、のちにこう語っている。「デミルにはニュアンスがなかった。彼の映画ではすべてが大文字でこう書かれていた。欲望、復讐、エロティシズムと……」。しかし、『破戒』は、「悪しき無神論者」と「良きキリスト教信者」の二元論というわかりやすい図式にはなっていない。最初からこの2つは、「イントレランスとイントレランスの闘いである」と、ニュアンス豊かに表現されている。無神論派の娘と有神論派の青年が、偶然、刑務所の男子房と女子房をわける金網にそって歩く場面がある。娘の方が、「神を信じている者も、神を信じていない者も、結局、この地獄のようなところに落ちてしまった」という意味のセリフを言う場面が印象的だ。
大部分が監獄を舞台に展開するこの映画の中で、とくに目を引くのは看守のサディスティックな描き方だ。看守がことあるごとに囚人をいじめ抜くというのは監獄ものの常套だが、この映画ではその描写がなかなかえぐい。先ほどの金網越しに、娘が青年に手袋を渡すシーンがある。金網越しにふたりの手が触れあった瞬間をみはからって、看守が金網に高圧電流を流す。すると、金網をつかんだままビリビリと感電するふたりの手から白い煙が上がるのだ。やっと金網から手を離した娘が両手を見ると、手のひらに十字架の形をした火傷ができている……。あざとい演出ではあるが、こういう小さな名場面があちこちにあって、飽きさせない。
ケヴィン・ブラウンローにしたがうなら、『破戒』のころにはすでにデミルの没落ははじまっていたことになる。しかし、随所に斬新な演出も見られ、こちらのほうが晩年のスペクタクル巨編よりもずっと新しく見えるぐらいだ。なによりも見ていて面白い。
前回アップしてからずいぶん日にちがたってしまったが、実は一行も書いていなかった。最近は、韓国映画(といっても、いわゆる韓流映画ファンがほとんど見ない30〜70年代の作品)ばかりを見ている。数十本ほどまとめて見たが、まだ重要な作品で見落としているものも多い。もう少し見てから、気が向いたらここで報告しようと思う。
さて、これといって書くこともないので、メモ帳を引っ張り出してきてネタを探す。見た映画のことをいちいち全部書いていられない。興味深かったにもかかわらず、ここで書かなかったものも多い。今日は、そんな作品のなかから、2本ほど紹介する。両方ともKKKを描いた映画だ。 「KKK+映画」でネットを検索すると、KKKを描いた映画についてのページがたくさん見つかる。しかし、そこで話題になっている映画の多くは、『ミシシッピー・バーニング』(88) や『評決のとき』(96) といったごく最近の作品ばかりだ。KKKの団員獲得に大きく貢献したと言われる『国民の創生』(15) はさすがに有名なので多くの人がふれているが、これ以後に撮られた作品のことはあまり知られていないようだ。ウィキペディアでも、『國民の創生』と『風と共に去りぬ』(39) をのぞくと、ごく最近の作品しか言及されていない。 (ついでだが、黒人が『國民の創生』をどのように見たかについては、たとえば、山田宏一が訳しているジェームズ・ボールドウィンの『悪魔が映画をつくった』を参照のこと。)
実際には、『國民の創生』以後も、少なからぬ作品でKKKは描かれてきた。『The Mating Call』(ジェームズ・クルーズ、28)、『Stars in My Crown』 (ジャック・ターナー、50)、『連邦警察』(マーヴィン・ルロイ、59) や『枢機卿』(62) などがそうした作品である。しかし、KKKは微妙なテーマである故に正面切って描くのは避けたのか、それとも、このテーマではたんに興行成績につながらないと考えたのか(南部の支持を得られない)、いずれにせよ、これらの作品に描かれるKKKは、どれも物語の脇役でしかない。 ここで紹介する2本、『黒の秘密』と『目撃者』は、KKKが物語の中心に据えられている非常にレアなケースといっていいだろう。
アーチー・メイヨ『黒の秘密』(Black Legion, 36)
ハンフリー・ボガート演ずる機械工が、ポーランド系アメリカ人にポストを奪われたのをきっかけに KKKを思わせる人種差別団体 "Black Legion" に入団し、やがて、非白人たちをリンチし、ついには殺人にまで手を染めるようになる。ボガートは自分の過ちに気づき、裁判で団体の犯罪を証言するが、結局仲間とともに死刑を宣告される。
ルーズヴェルト政権が左傾化していく一方で、右翼的鬱憤が社会にたまっていたと思われる。このころのKKKは、数こそ少なくなっていたが非常に過激だったという(20年代にはKKKのメンバーの数は約400万人だったが、30年代になると3万人にまで激減している)。製作はワーナー・ブラザーズ。30年代、『犯罪王リコ』や『民衆の敵』といったギャング映画で社会の暗部を描いて一世を風靡したワーナーだからこそ、こうした映画が作れたのかもしれない。作品としてはいささか図式的で、ボガートが "Black Legion" に入団する過程も、やがて改悛して罪を償おうとするところも、描き方がナイーブすぎて説得力に欠けるが、KKKを物語の中心に据えて描いたもっとも初期のアメリカ映画として記憶されるべき作品である。
スチュアート・ヘイスラー『目撃者』(Storm Warning,51)
ワーナーが『黒の秘密』の14年後に再びKKKを描いた作品。
南部に住む妹に会いに来た女(ジンジャー・ロジャース)が、深夜、バスで町に到着したとき、KKKの一団が黒人をリンチし、殺害するのを偶然目撃してしまう。なんとかその場を逃げ出し妹の家までたどりついて、いま見たことを妹に話そうとしているちょうどそのときに、妹の夫が帰ってくる。なんと、その男は、さっき目の前で黒人をリンチし、殺した一団のひとりだった……。
脚本を書いているのがリチャード・ブルックスで、タイトすぎて少し余裕がないような気もするが、非常に緊迫感のある物語に仕上がっている。ジンジャー・ロジャース演じるヒロインの人物像は英雄からはほど遠い。彼女は妹のために法廷での証言を拒み、何もせずに町を去ろうとする(この繊細な役は、ロジャースの演技力の限界を超えているような気がしないでもないが、なかなか頑張っている)。彼女を説得して証言させようとする検察官を、ロナルド・リーガンことレーガン元大統領が演じているのも注目だ。 KKKのリーダーが、歪んだ愛国心ですらない、たんなる金のために動いているというのは、テーマをぼやけさせているような気もするが、ある意味、『黒の秘密』同様、この作品もギャング映画の1ヴァリエーションであると考えたほうがいいのかもしれない。
前回アップしてからずいぶん日にちがたってしまったが、実は一行も書いていなかった。最近は、韓国映画(といっても、いわゆる韓流映画ファンがほとんど見ない30〜70年代の作品)ばかりを見ている。数十本ほどまとめて見たが、まだ重要な作品で見落としているものも多い。もう少し見てから、気が向いたらここで報告しようと思う。
さて、これといって書くこともないので、メモ帳を引っ張り出してきてネタを探す。見た映画のことをいちいち全部書いていられない。興味深かったにもかかわらず、ここで書かなかったものも多い。今日は、そんな作品のなかから、2本ほど紹介する。両方ともKKKを描いた映画だ。
「KKK+映画」でネットを検索すると、KKKを描いた映画についてのページがたくさん見つかる。しかし、そこで話題になっている映画の多くは、『ミシシッピー・バーニング』(88) や『評決のとき』(96) といったごく最近の作品ばかりだ。KKKの団員獲得に大きく貢献したと言われる『国民の創生』(15) はさすがに有名なので多くの人がふれているが、これ以後に撮られた作品のことはあまり知られていないようだ。ウィキペディアでも、『國民の創生』と『風と共に去りぬ』(39) をのぞくと、ごく最近の作品しか言及されていない。 (ついでだが、黒人が『國民の創生』をどのように見たかについては、たとえば、山田宏一が訳しているジェームズ・ボールドウィンの『悪魔が映画をつくった』を参照のこと。)
実際には、『國民の創生』以後も、少なからぬ作品でKKKは描かれてきた。『The Mating Call』(ジェームズ・クルーズ、28)、『Stars in My Crown』 (ジャック・ターナー、50)、『連邦警察』(マーヴィン・ルロイ、59) や『枢機卿』(62) などがそうした作品である。しかし、KKKは微妙なテーマである故に正面切って描くのは避けたのか、それとも、このテーマではたんに興行成績につながらないと考えたのか(南部の支持を得られない)、いずれにせよ、これらの作品に描かれるKKKは、どれも物語の脇役でしかない。 ここで紹介する2本、『黒の秘密』と『目撃者』は、KKKが物語の中心に据えられている非常にレアなケースといっていいだろう。
アーチー・メイヨ『黒の秘密』(Black Legion, 36)
ハンフリー・ボガート演ずる機械工が、ポーランド系アメリカ人にポストを奪われたのをきっかけに KKKを思わせる人種差別団体 "Black Legion" に入団し、やがて、非白人たちをリンチし、ついには殺人にまで手を染めるようになる。ボガートは自分の過ちに気づき、裁判で団体の犯罪を証言するが、結局仲間とともに死刑を宣告される。
ルーズヴェルト政権が左傾化していく一方で、右翼的鬱憤が社会にたまっていたと思われる。このころのKKKは、数こそ少なくなっていたが非常に過激だったという(20年代にはKKKのメンバーの数は約400万人だったが、30年代になると3万人にまで激減している)。製作はワーナー・ブラザーズ。30年代、『犯罪王リコ』や『民衆の敵』といったギャング映画で社会の暗部を描いて一世を風靡したワーナーだからこそ、こうした映画が作れたのかもしれない。作品としてはいささか図式的で、ボガートが "Black Legion" に入団する過程も、やがて改悛して罪を償おうとするところも、描き方がナイーブすぎて説得力に欠けるが、KKKを物語の中心に据えて描いたもっとも初期のアメリカ映画として記憶されるべき作品である。
スチュアート・ヘイスラー『目撃者』(Storm Warning,51)
ワーナーが『黒の秘密』の14年後に再びKKKを描いた作品。 南部に住む妹に会いに来た女(ジンジャー・ロジャース)が、深夜、バスで町に到着したとき、KKKの一団が黒人をリンチし、殺害するのを偶然目撃してしまう。なんとかその場を逃げ出し妹の家までたどりついて、いま見たことを妹に話そうとしているちょうどそのときに、妹の夫が帰ってくる。なんと、その男は、さっき目の前で黒人をリンチし、殺した一団のひとりだった……。
脚本を書いているのがリチャード・ブルックスで、タイトすぎて少し余裕がないような気もするが、非常に緊迫感のある物語に仕上がっている。ジンジャー・ロジャース演じるヒロインの人物像は英雄からはほど遠い。彼女は妹のために法廷での証言を拒み、何もせずに町を去ろうとする(この繊細な役は、ロジャースの演技力の限界を超えているような気がしないでもないが、なかなか頑張っている)。彼女を説得して証言させようとする検察官を、ロナルド・リーガンことレーガン元大統領が演じているのも注目だ。 KKKのリーダーが、歪んだ愛国心ですらない、たんなる金のために動いているというのは、テーマをぼやけさせているような気もするが、ある意味、『黒の秘密』同様、この作品もギャング映画の1ヴァリエーションであると考えたほうがいいのかもしれない。
選挙の季節、ということで、どさくさにまぎれて、ロバート・アルトマンの未公開作品を2本紹介しておく。
「現役の政治家を撮ったドキュメンタリーでこれほど衝撃的な作品はないだろう。ニクソンが部屋のなかでひたすら一人でしゃべりまくるのだが、部屋にはモニターがあって彼自身それを見つつ、キャメラやマイクの位置を自由に動かしながら話しつづける。政治家の自己意識にひたすら迫った作品である。アルトマンはこれから三年後、大統領選をテーマにした架空のドキュメンタリー『タナー・88』を撮っている。」
ある人が「ドキュメンタリー・ベスト50」の一本にロバート・アルトマンの映画『秘密の名誉』を選んで、上のように書いていたので、実際に見るまではドキュメンタリーだとすっかり信じていた。
大統領執務室で、酒を飲んで悪態をはき、のたうち回ったあげく、こめかみにピストルを押し当てて、「マザー、マザー」と叫ぶこの男が本物のニクソンだったとしたら、たしかに衝撃のドキュメンタリーだったろう(まあ、その前にニュースになっているだろうが)。
いまこの作品を見る人はすぐにおわかりになるだろうが、『秘密の名誉』にたった一人登場するこの人物は、ニクソン本人ではなく、アルトマンの精神的弟子といっていいポール・トーマス・アンダーソンの作品でいまや日本でもおなじみの俳優、フィリップ・ベイカー・ホールである。この映画は、ドナルド・フリードとアーノルド・M・ストーンによる一人芝居を、芝居でもニクソンを演じていたフィリップ・ベイカー・ホール主演でアルトマンが映画化した作品なのである。大統領執務室に見えていたのも、実はミシガン大学の構内である。 (当時はアメリカでも一部の人にしか知られていなかったとはいえ、別に特殊メイクをしているわけでもなく、ほとんど似せようと努力しているようにも見えないベイカー・ホールの顔をニクソンと見間違えるなんてことがあるのだろうか。謎である。)
映画の冒頭、ニクソンは執務室に入ってくると、机の上のテープレコーダーに向かって、言葉を吹き込み始める(ベケットの『クラップ最後のテープ』を思い出させる設定だが、ニクソンがテープの操作になれていないというのが、皮肉が利いていていい)。ウォーターゲート事件で大統領を辞任し、後任のフォードにより恩赦をうけて訴追を免れた直後という設定で、彼の語る言葉は勢い恨み辛みのこもったねちっこいものとなっていく。執務室の壁には、歴代の大統領やキッシンジャーの肖像画が飾られていて、ニクソンは彼らの一人ひとりについて、賞賛、憎悪、嫉妬の入り交じった感情を、激しく、また哀れっぽく、言葉にして吐き出す。壁の物言わぬ肖像画のまなざしが、モンタージュされたモジューヒンの顔のように、ときに嘲笑し、ときに哀れんでいるように見えてくるのが不思議だ。
ニクソンの独白はほとんど「意識の流れ」といいたくなるほど複雑であり、絶えず脱線していく。どこに向かっていくか分からないこのモノローグの内容を要約するのは難しいし、それほどアメリカの政治に精通しているわけでもないわたしには、理解しがたい部分も多い。この映画はたしかにフィクションだが、ニクソンの独白をかたちづくる細部の多くは事実に基づいていると思われる。詳しい人が見れば、面白みもますだろう。しかし、分からなかったとしても、別に問題ではないし、それらの細部の真偽を確かめることに、それほど意味があるとは思えない。彼のセリフのなかには、実在するさまざまな人物の名前や政治団体名が出てくる。だが、あまり細かいことに惑わされる必要はない。要するに、この映画のニクソンは、自分の身に起こったすべてのことを、自分以外の他人のせいにしたいだけなのだ(自分は犯罪は犯していない。だから恩赦をうける必要もない。だが、フォードの恩赦のおかげで、自分は犯罪者になってしまった……等々)。そして、その根底には、自己嫌悪が隠されていると思うのだが、ニクソンはそれだけは認めようとしないようだ。要するに、彼はたぶんアメリカの大統領史上もっとも複雑な人物なのだ。そして、あえていうなら、もっとも魅力的な人物なのである(むろん、そこには嫌悪が伴うのだが)。
(『Secret Honor』は『名誉ある撤退〜ニクソンの夜〜』というタイトルでピア・フィルム・フェスティバルで上映されたことがあるとのこと。)
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予定以上に長くなってしまったので、『タナー・88』については、簡単にふれるだけにしよう。こちらは 88 年の米大統領選と同時進行で、架空の大統領候補者ジャック・タナーの選挙キャンペーンを描いたテレビドラマである。これもフィクションではあるが、きわめてドキュメンタリーに近い手法で撮られており、『秘密の名誉』よりもこちらの方がよほどドキュメンタリーの名にふさわしい。ジャック・タナーというのはマイケル・マーフィーの演じる架空の人物であり、彼の選挙運動もフィクションにすぎないのだが、アルトマンは撮影スタッフを実際の選挙戦がおこなわれている現場に送り込み、本物の政治家たちを登場させて、フィクションと現実の境界を曖昧にさせていく。そのために脚本は臨機応変に次々と書き換えられていったというが、撮影と同時進行で編集もおこなわれ、その日撮られたエピソードが、その日のうちにテレビで放映されたというから、さらに驚く。
『秘密の名誉』同様、この作品も、いまのわれわれには分かりにくいアメリカの(しかも20年以上前の)政治の世界を描いている。詳しくないものには、だれが役者でだれが本物の政治家なのか、そもそも区別がつかない。へたをすると、ドキュメンタリー的な細部には気づかずに、ふつうのドラマとしてみてしまう可能性もある。このドラマが当時のアメリカで放映されたときのインパクトは、いまとなってはただ想像するしかない。
この作品の16年後、アルトマンは、タナーの娘がドキュメンタリー映画作家になったという設定で、『Tanner on Tanner』という続編を撮ることになるのだが、残念ながら、こちらの作品はまだ見ていない。
わたしが RKO Pathé のロゴをはじめて目にしたのは、ジョージ・キューカーの『栄光のハリウッド』(31) という作品のなかだった。RKO のオープニング・ロゴといえば、Radio Pictures になってからの、電波塔から電波がピピピと出るあれしか知らなかったから、映画の冒頭で、"AN RKO PATHE PICTURE" という文字のバックに、回転する大きな地球儀の上にのった雄鶏(パテのトレードマーク)がコケコッコー(いや、フランス式にココリコと書くべきか)と鳴くのを目にしたときは、衝撃を受けたものだ。(ちなみに、鶏は回転していないので、地球儀と鶏の映像を合成したもののようだが、ひょっとしたら下半身の安定した鶏をつかったのかもしれない)。
長年映画を見てきて、なんでも知っているつもりになっていたが、こんなことも知らなかったのかと、そのときは思った。しかし、実際のところ、かなりの映画ファンでも、一生このロゴを目にしない人も少なくないに違いない。RKO Pathé でつくられた作品はほんの一握りしかないからだ。
RKO というのは、その前身をたどればサイレント時代のミューチュアル・フィルムあたりにまでさかのぼることができるかもしれないが、基本的には、トーキー以後に誕生した映画製作会社である。この会社が設立に至る経緯はとても複雑なので詳しくは書かない。簡単にいうなら、Photophone という独自のサウンドシステムを開発していた RCA (Radio Corporation of America ) が、28年、すでにトーキー映画にはいっていた ワーナー や FOX に対抗できる映画スタジオをつくるために、FBO (JFK の父親ジョセフ・P・ケネディが有していた映画スタジオ)と、劇場チェーン KAO (Keith-Albee-Orpheum) を合併吸収した結果として誕生したのが、RKO (Radio-Keith-Orpheum) Pictures であった。
その過程において、アメリカで映画事業を展開していたパテの映画製作部門も RKO に合併されたのである。ここからがまたごちゃごちゃするのだが、その後、アメリカン・パテは、ジョセフ・P・ケネディが所有することになり、ケネディはパテを、カルバー・シティ・スタジオにうつし、映画製作をはじめる。しかし、ケネディは 31 年、パテをカルバー・スタジオともども RKO に売却して、この事業から手を引く。こうして、生まれたのが RKO Pathé である。
IMDb で調べると、RKO Pathé でつくられた作品は、31 年から 57 年まで、百数十本ほど存在する。しかし、それらのかなりの部分が 10 分程度の短編であり、また、RKO Pathé は、32 年にはすでに、短編とドキュメンタリーのみに製作を絞る方針を打ち出していた。だから、RKO Pathé のロゴではじまる『栄光のハリウッド』のような長編劇映画がつくられていたのは、31 年から 32 年にかけての、たかだか1年あまりのことにすぎない。意識して探して見なければ、偶然、RKO Pathé のロゴを目にすることはほとんどないといっていいだろう。(ちなみに、リチャード・フライシャーのデビュー作の短編も、IMDb ではたんに RKO となっているが、正確には、RKO Pathé 作品である。彼の自伝『Tell Me When to Cry』には2ページ目から Pathé の文字が登場する。いってみれば、フライシャーはパテ・ベイビーだったのだ。)
日本映画でいうと、かつてほんの一時期だけ、第二東映というのが存在した。東映の一部なのだが、オープニングが東映とはちがっていて、たまにそれを目にすると、なにか得したような気になったものだ。
第一次大戦まで、パテは世界の映画市場を支配していたといっていい。しかし、RKO が誕生する 20 年代末には、どうしようもない経営危機に陥っていた。創設者のシャルル・パテは、29 年には、すべてを売却して、リビエラに引退している。シャルルからパテを買収して、フランスでの事業を引き継いだのは、ユダヤ人の映画プロデューサー、ベルナール・ナタンだった。反ユダヤ主義の攻撃にもめげずに、ナタンは会社を建て直すのだが、第二次大戦においてナチがフランスを占領した際につかまり、アウシュヴィッツ送りになってしまう。だが、それはまた別の話だ。
一方、30 年代 40 年代に、『キングコング』やアステア&ロジャースのミュージカルで黄金時代を築いた RKO も、第二次大戦後になると、急速に経営が悪化し、48 年にハワード・ヒューズの手に渡ると同時に、彼のワンマン経営によって完全に息の根を止められてしまう。このころ、過去の RKO 作品の多くが売却されて、人手に渡っている。のちに、それらの作品は、テッド・ターナーの所有するところとなる。現在、ワーナーから続々と発売されている DVD シリーズ、"Warner Archive Collection" に、実は、RKO 作品が多数まじっているのは、そういう次第からだ。
しかし、残念なことに、ワーナーから出ているこれらの RKO 作品の DVD は、どうやら日本では発売できないらしいのだ。詳しくはわからないが、あの IVC が日本での RKO 作品のソフト販売権を所有していることが、その原因らしい(パブリックドメインになっている作品の、正式ではないプリントからつくられる廉価版 DVD などは、このかぎりでない)。どこからでもちゃんとしたものが出るならそれでいいのだが、IVC はワーナーが所有している『市民ケーン』などの、RKO 作品のクオリティーの高い DVD を日本で出す気はさらさらないようだ。だから、あの素晴らしい2枚組のワーナー版『市民ケーン』は、IVC が潔くすべての権利を放棄して、さっさと消滅してくれないかぎり、日本では発売することができないというわけだ。なんてことだ。
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