日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
DotDash メルマガ第6号では、ウジェーヌ・グリーンの『Le monde vivant』という映画を紹介しました。ジョアン・ペドロ・ロドリゲスが「カイエ」のゼロ年代ベストテンに選んでいる作品です。
アメリカからフランスに移住したウジェーヌ・グリーンは、最初、バロック演劇の上演活動をおこなっていましたが、90年代から映画を撮り始めます。フローベール『感情教育』から自由に発想を得たデビュー作『Toutes les nuits』は、ルイ・デリュック賞新人賞を受賞し、ゴダールも大いに注目しました。 『Le monde vivant』(「生きている世界」)は、グリーンが『Toutes les nuits』につづいて撮った監督2作目です。ブレッソンを思わせるミニマルなタッチで、現代と中世が無媒介的に繋がっているような世界を描いた不思議な作品です。
一部を引用:
「ろうそくの灯りだけで撮られた静かで崇高な場面があるかと思うと、そのような雰囲気に不協和音を与えかねない時代錯誤な要素が入りこむ。グリーンは意図的に笑いの要素を入れていると思うのだが、それは決して、距離をおいたところから対象をあざ笑うような皮肉なものではない。むしろ、非日常を日常の世界へとほんの少しだけ近づける効果があるといってもいいかもしれない。一歩間違えば、モンティ・パイソンふうのギャグをちりばめたパロディになりかねないところを、グリーンは崇高さと滑稽さの微妙なバランスを計りながら、摩訶不思議な世界を作り上げてゆく。
耳慣れないフランス語やギャグすれすれのアナクロニズムをとおして現れてくるのは、日常生活では眼にすることができない別の現実とでもいうべきものである。しかしそれは、フランス語や、現代を指し示す事物などを通して、われわれが日常よく知っている世界ともやはり繋がっている。
「われわれは、日々ますます、すべてのものが互いにバラバラになっている世界に生きている。わたしが〈生きている世界 le monde vivant〉と呼ぶものは、これらのバラバラになったものを結びつけてくれるもう一つの現実の知覚のことだ。映画を通して、わたしは観客に、この結びつきを、世界は一つながりであること(ユニティ)を、意識させようとしているのだ」
otDash メルマガ第6号では、現在アルゼンチンを代表する女性監督ルクレシア・マルテルの『頭のない女』という映画について書いた。ルクレシア・マルテルについては以前にも軽く紹介したことがあるが、本格的に論じたのは今回が初めてだ。
ある交通事故をきっかけにひとりのブルジョア女性がしだいに心神を喪失していく姿を、パトリシア・ハイスミスの『変身の恐怖』を思い出させるようなミステリアスなタッチで描いた映画だが、その一方で、マルテルは、巧みなフレーミングやフォーカスの使用を通じて、階級の問題や軍事政権時代の闇をシンボリックに浮かび上がらせてゆく。なかなか一筋縄ではいかない映画である。 最後の部分だけ引用しておく。
「この映画はタイトルが予想させるようなホラー映画ではないといった。たしかに、ジャンルとしてはホラーとはほど遠い。しかし、この作品は、見ようによってはある種のホラー映画であるということもできる。実際、ここには亡霊じみた存在がうようよしているのだ。一つだけ挙げよう。冒頭の事故の場面で、車がなにかにぶつかった直後に、ベロニカのいる運転席側の窓ガラスにそれまで気づかなかった手のひらの跡が浮かび上がるのだ。直前の場面で、彼女の親族の子供たちがふざけて車の窓ガラスをたたくところがあるので、その手のひらの跡が残ったのだと合理的には説明がつく。しかし、映画を見ている観客が、この手のひらの跡に、「あったかもしれない事故」の犠牲者である少年の手のひらを重ねて見ないでいることは不可能だろう。
気をつけて見ていれば、この映画にはそんな亡霊めいた存在があちこちに映りこんでいることがわかる。そして、それらの亡霊たちとは、あったかもしれない事故の犠牲者であり、歴史の闇に消え去った「行方不明者」たちであり、そして今も「見えない」存在である貧困層の者たちであり……、つまりは、われわれが責任を放棄して、見ることを自ら拒んでいるすべての者たちなのだ。」
アメリカにおける「作家主義」の原点でありバイブルでもある『The American Cinema』において、「デイヴィッド・ミラーがどうして賞賛されるようになったのかは、アングラ批評の解けない謎の一つである」とアンドリュー・サリスに評言されている映画監督デイヴィッド・ミラーが、偉大な映画作家からほど遠い存在であることはたしかだ。それでも、『突然の恐怖』(と、『脱獄』)は忘れがたい映画である。
実は、若きフランソワ・トリュフォーが「カイエ・デュ・シネマ」に初めて書いた本格的な批評は、この『突然の恐怖』をめぐるものだった。「この映画には、物語の進行に不必要なショットはただの一つもない。われわれを魅了し、これは映画の演出における傑作であると思わせないようなショットも、ただの一つもない」、とトリュフォーは書いている。(フランス語の原文が見あたらなかったので、英語からの重訳。"filmmaking" は "mise en scene" の英訳だろうと解釈した。) この頃のかれが、多少作品をダシにしてまでも、自分の考える映画原理、つまりは、「何が映画であり、何が映画でないか」を打ち出そうと躍起になっていたということを差し引いたとしても(実際、ここでもオーランシュ=ボストがやり玉に挙がってるのだが)、これはかなりの絶賛ぶりだ。
男優レスター(ジャック・パランス)は、売れっ子戯曲作家マイラ(ジョーン・クローフォード)に、彼女の新作戯曲から役を降ろされ、恨みに思っていたが、彼女と同じ列車に偶然乗り合わせたことですっかり意気投合し、ついにはふたりは結婚することになる。しかしそこにレスターの昔の恋人アイリーン(グロリア・グレアム)が現れ、レスターは彼女にそそのかされて妻のマイラを殺そうと考えるようになる。
夫が愛人と共謀して妻の殺害を企てるというのはよくある話だが、この映画は、夫の殺意を知って、最初おびえるだけだったクローフォードが、彼らに先回りして夫を殺してしまおうと考えるという展開になっていくところが面白い。クローフォードが "damsel in distress" を演じた映画は少なからずあると思うが、やはり、おびえているだけの役は彼女にはあまり似合わない。もっとも、この映画が怖くなっていくのは、彼女がその殺人計画を実行に移す段になってからなのだが……。
劇作家であるマイラ(クローフォード)は、いつも脚本を書くときに利用しているテープレコーダーに偶然録音されていた会話によって、夫の殺意に気づく。今度は自分が夫を殺そうと考えるようになったときも、その殺人計画をまるで戯曲のように紙に書き出してゆく、というあたりの設定の利用の仕方も面白い。
実をいうと、さっきのトリュフォーの引用には、「二つの短いシーンをのぞいて」という但し書きがついている。一つは夢のシーン、もうひとつは、マイラ=クローフォードが殺人計画を立てるところで、その(成功した)光景がフラッシュ・フォワードで画面に現れるシーンだ。このふたつがトリュフォーには気に入らなかったらしい。しかし、こういうフラッシュ・フォワードの使い方は今どきだれもやらないから、わたしにはかえって新鮮だった。ここでわざわざ成功した光景を見せているから、いざ実行するときにはたぶんうまく行かないんだろうというサスペンスも高まる。その意味では、無駄なシーンではないと思うが、こういうあざといテクニックが「不純」なものに見えるのもよくわかる(そういえば、トリュフォーは『舞台恐怖症』の偽の回想シーンにもだめ出しを出していた)。
映画の中で、ジャック・パランス演じるレスターは、役者としての才能も、女優との相性もバッチリだったのに、顔がロマンチックじゃないということでマイラの戯曲からおろされてしまう。この映画のジャック・パランス自体が、最初はいかにもミスキャストに思えるから、これはなんとも皮肉である(なにしろ、観客は、ジョーン・クローフォードとジャック・パランスという、二人の怪物のラブシーンなどという気持ちの悪いものを見させられてしまうのだから)。しかし、逃げまどうクローフォードとそれを追い詰める野獣のようなジャック・パランスという、クライマックスの夜のサンフランシスコの場面を見れば、やはりこの役はジャック・パランスでなければならなかったのだと思う。
ちなにみ、この作品は、クローフォードにとって最初のRKO出演作だった。この直前、ワーナーで撮った最後の作品『This Woman Is Dangerous』に彼女は大変不満だったらしく、これまで出演した中でどの映画が一番嫌いだと訊かれた彼女が、『This Woman Is Dangerous』だと答えた話は有名。
KINO から出ている DVD (下写真)はあまり画質がよくない。真っ暗な夜の場面が多いだけに、非常に見づらいのが残念だ。
DotDash メールマガジン第4号の連載では、フォルーグ・ファッロフザードの『あの家は黒い』(62)という映画について書きました。
フォルーグ・ファッロフザードはイランの高名な女性詩人で、キアロスタミの『風の吹くまま』のタイトルは彼女の詩の一節から取られたものです。 『あの家は黒い』は、彼女が生涯でただ一度だけ監督したわずか22分の作品で、イランのハンセン病療養所を描いた、ある意味、目を背けたくなるようなドキュメンタリーですが、それと同時に、様々なイメージと声と音とが創り出す詩的宇宙とでも言うべき世界が見るものを魅了する作品になっています。
イランの現代映画の始まりを告げる重要な作品として、マフマルバフらのイランの映画作家たちのみならず、ジョナサン・ローゼンバウムやクリス・マルケルといった海外の映画人からも高く評価されている作品です。
リカルド・フレーダ(または、リッカルド・フレーダ)は、一言でいうなら、イタリア大衆映画の巨匠ということができるだろう。
42年に映画監督としてデビューしたかれは、ネオ・リアリズムが脚光を浴びる当時のイタリア映画の潮流に逆らうようにして、ソード&サンダルと呼ばれる、聖書や神話を題材にした剣戟映画を撮りつづけた。 1956年、フレーダは『吸血鬼』(I vampiri)なる作品を発表する。
映画の舞台となるのはパリ(もっとも、低予算で撮られたこの映画にパリでロケする金などあろうはずもなく、一目でそれとわかるノートルダム寺院の書き割りを背景に、映画は全編イタリアで撮られた)。若い娘が襲われて、全身から血を抜き取られるという謎の連続殺人事件が街を騒がせている。捜査が進むうちに、不気味な館に住む美貌の公爵夫人が容疑者として浮かび上がってくる。見た目は若く美しかったが、実は、彼女はもう何十年もこの世を生きてきた老婆で、殺した若い娘たちの生き血を使ってその美貌を保っていたのだった……。
ドラキュラというより、「血の伯爵夫人」とよばれたバートリ・エルジェーベトをモデルにしたような物語は、むしろ、この数年後に撮られるジョルジュ・フランジュの『顔のない眼』にずっと類似しているように思える。低予算で撮られたとは思えない変身シーンの見事さは今でも目を見張る出来だ(すでに、同じことをルーベン・マムーリアンが『ジキル博士とハイド氏』でやっているとはいえ)。
当時のイタリアでは、この種のホラー映画はまったく撮られていなかった。ここからイタリアン・モダンホラーは始まったと、今では考えられている重要な作品であるが、公開当時、この映画は興行的に惨敗に終わったのだった。このように不吉で、陰鬱なホラー映画は、観客たちにとってまったく未知のジャンルで、受け入れがたいものだったというのが理由だろうか。
テレンス・フィッシャーによる『フランケンシュタインの逆襲』が公開されて、イギリスのハマープロ製作のホラー映画が、30年代のユニヴァーサル・ホラー以来のホラー映画ブームを引き起こすのが、この一年後の1957年。ロジャー・コーマンによるエドガー・アラン・ポーものの第一作『アッシャー家の惨劇』が撮られ、一世を風靡していくのが1960年。フレーダの『吸血鬼』は、ほんの少しだけ時代を早まって登場してしまったのだった。『吸血鬼』の撮影をつとめ、途中で現場を投げ出したフレーダに代わって映画を最終的に完成させた撮影監督マリオ・バーヴァが、『血ぬられた墓標』によって、イタリアン・モダンホラーの押しも押されぬ旗手となっていくというのも皮肉な話だ。
フレーダはこの後も、ソード&サンダル映画を撮りつづける一方で、斬新なホラー映画を発表してゆく。代表作を2本だけ紹介しておこう。62年に撮られた『ヒチコック博士の恐怖の秘密』( L'orribile segreto del Dr. Hichcock)と、その続編(実は直接つながりはない)『死霊』(Lo spettro, 63)である。
『ヒチコック博士の恐怖の秘密』は、『吸血鬼』以上にテーマ的に斬新で、踏み込んだ映画だったといっていいかもしれない。何しろここに描かれるのは、ずばり死体愛好なのだから。舞台は19世紀末ロンドン(といっても、これもまたイタリアで撮影されているのだが)。再婚した妻の血を使って、自宅の一室に人知れず隠してある亡き妻の遺体を、まるで生きているかのような状態で保存して(それとも本当に生きているのか?)、己の死体愛好的欲望を満たしている麻酔専門医を描いた、なんとも倒錯的作品である。かなり曖昧に描かれているとはいえ、こういうおぞましいテーマの作品が当時の検閲を通ったというのが実に不思議だ。2番目の妻を演じているのは、イタリアン・モダンホラーの女王バーバラ・スティール。
『死霊』は、ときに『ヒチコック博士の恐怖の秘密』の続編として紹介されることもあるが、実際は、ヒチコック博士という同じ名前の人物が登場することと、ここでもヒロインを演じているのがバーバラ・スティールであることをのぞくと、共通点は特にない。 博士の妻が、愛人と共謀して博士を殺すが、その前に博士の亡霊が現れるという、ホラーというよりは陰謀劇めいたミステリーで、勘のいいものなら、結末も何となく想像がつくだろう。正直、目新しいところは何もない。3本のなかでは、インパクトに一番かける作品ではあるが、フレーダの恐怖映画の造形とテクニックは、ある意味、この作品で頂点に達するといえる。
ちなみに、フレーダは、『吸血鬼』以後、ホラー映画を撮るときは、ロバート・ハンプトンという偽名を使うようになった。『吸血鬼』が当たらなかったので、ハマー・プロのヒットにあやかってイギリス風の名前を使うようになったということらしい。
リカルド・フレーダのフィルモグラフィーにおいて、ホラーが占める割合はそれほど多くはない。しかし、未見だが、『ベアトリーチェ・チェンチ』のような作品にもかれのホラーセンスは垣間見えるという。ダリオ・アルジェントは、自分が影響を受けたのは、マリオ・バーヴァ以上に、リカルド・フレーダだったと語っている。それほどイタリアのモダン・ホラーに影響を与えた映画作家でありながら、バーヴァやアルジェントとくらべると、リカルド・フレーダの日本での知名度はあまりにも低い。たしかに、フレーダの作家としての評価にはいまだに微妙なところもあるのだが、日本では、彼の業績に見合っただけの地位が与えられていないことはたしかだ。せめて、DVD で作品が見られるようになることを期待したい。
DotDash メールマガジン第3号には、ラシド・ナグマノフの『僕の無事を祈ってくれ』について書きました。カザフ・ニューウェーヴのリーダー的存在であったナグマノフが、ペレストロイカ直後の1988年のカザフスタン共和国で、韓国系ロックシンガー、ヴィクトル・ツォイを主演に撮りあげた異色のアクション映画です。ポストモダン的とでもいうべき引用の遊戯と、ロマンティシズムが渾然一体となった風変わりな映画で、忘れがたい印象を残します。
下の仏 PAL 版はフランス語と英語(あとオランダ語の)字幕つき。
DotDash メールマガジン第2号が発行されました。今回は、ジム・マクブライドの長編デビュー作『デイヴィッド・ホルツマンの日記』(David Holzman's Diary, 1967)という映画のことを紹介しました。当時流行していたシネマ・ヴェリテをパロディにし、モキュメンタリー映画の元祖といわれたりもする作品ですが、それだけではない魅力も持っている作品です。『悪魔のいけにえ2』の脚本を書くことになるL・M・キット・カーソンが主演しているというのも、興味深い。60年代末のいろんなムーヴメントの交差点になっている作品とでもいえそうな、そん映画です。
メルマガ目次は ここで読めます。
エリセの『ラ・モルト・ルージュ(La Morte Rouge)』、いつのまにか DVD 出てたんだな。スペイン版みたいだけど、仏語・英語字幕もついてる。 「ラ・モルト・ルージュ」という奇妙なタイトルにつては、以前、ここに書いた。
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