日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
新作DVDと新刊本を、気づいたものだけ。
■ エルンスト・ルビッチ『陽気な中尉さん』、『ラヴ・パレード』
ジュネス企画です。
■ 中原昌也『映画の頭脳破壊』
紀州、樋口泰人、青山真治、平山夢明、松浦寿輝、金井美恵子、金井久美子らとの対談集のようです。
■ 蓮實重彦『映画崩壊前夜』
なんかすごいタイトルがついてますね。目次を見ただけですが、映画時評集みたいな内容です(もちろん、好きな映画のことしか書いてません)。
■ 四方田犬彦『ハイスクール1968』
前にどこかで紹介した本ですが、文庫になりました。結構鼻につく本ですよ。でもすごく面白いです。
パソコンの調子が最悪なので、更新が滞り気味です。
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「ルノワール・ルノワール展」にいく前にルノワールの映画をすこし見ておこうかと思って、『小間使いの日記』と『ゲームの規則』をひさしぶりに見直した。そのあとでドライヤーの『ミカエル』をたまたま見た。『ミカエル』はドライヤーがドイツのウーファで撮った作品だ。製作はあのエーリッヒ・ポマー。1年以上前に北米版の DVD を買っていたのだが、例によってそのまま見ずに放ってあったのを、なぜかいまがタイミングだと思ったというだけのことで、『ゲームの規則』の次に『ミカエル』を見たのは、まったくの偶然だった。それで驚いたのだが、『ゲームの規則』で館の女主人を演じていた女優ノラ・グレゴールが、『ミカエル』のなかで、二人の男の同性愛にも似た関係を引き裂くファム・ファタールの役で出ているのだ。
(勉強不足で知らなかったのだが、『ミカエル』にベンヤミン・クリステンセンが俳優としてでているのにも驚いた。彼が監督した『魔術』についてはここでもすでになんどかふれた。この映画でクリステンセンは、モデルの青年に同性愛的な感情をいだく初老の画家を重厚に演じている。クリステンセンもドライヤー同様、デンマークでは映画を撮れなくなり、当時ベルリンに住んで映画を撮っていたという。この作品のすぐあとで、彼はハリウッドに渡り、ロン・チャーニー主演の映画を撮ったりしている。)
『ゲームの規則』でノラ・グレゴールは、オーストリアからフランスに結婚してやってきた公爵夫人という設定になっていたが、実生活の彼女も、『ゲームの規則』が撮られる直前にたしかオーストリアの公爵と結婚し(二度目の結婚)、本物の公爵夫人になっている。『ゲームの規則』に書き込まれた伝記的要素のひとつである。 ノラ・グレゴールは、最初、ウィーンで舞台女優として活躍し、マックス・ラインハルトとも仕事をしていたらしい。やがて映画の仕事もするようになり、20年代に少なからぬサイレント映画に出演している。その代表作のひとつが『ミカエル』である。その後、ハリウッドに渡ってトーキー映画に何本か出演してもいるが、それほど成功はしなかったようだ。第二次大戦中、彼女はオーストリアからスイス経由でフランスに亡命する(ノラはユダヤ人だったといわれている)。フランスにも戦火が及ぶと、そこからチリへと逃れる。戦後間もない1949年に、彼女はチリでなくなっている。自殺だったそうだが、理由は定かでない。なぜ亡命先がチリだったかも不明だ。 ノラ・グレゴールが『ゲームの規則』に登場するのは、だからほとんど偶然といってもいい。ほんの通りすがりに立ち寄ったフランスで、彼女はこの不滅の傑作に名を残すことになったのである。
ただの覚書です。
Cahiers du Cinéma では、いま、"Bazin mois après mois" と題して、毎月アンドレ・バザンの短い文章をコメント付きで載せている。バザンの書いたものなどとっくにすべて本になっているかと思いきや、どこかの雑誌などに発表されたままほとんど忘れ去られているものも少なくないようだ。バザンは晩年、テレビに非常な関心を示していたらしく、このメディアについて100を超える文章を残していたという。そのうちのひとつが、このカイエでの連載で取り上げられていた。50年以上も前に書かれた記事だが、映画館での DVD によるデジタル上映を予言しているような部分など、いま読んでも刺激的な考察にみちている。 2008年3月号には、「いかにして映画を提示し、議論するか」というバザンの文章が掲載されている。その短い前書きとして、バザンの伝記を記していることで知られるダドリー・アンドリューが、アメリカでのバザンの受容のされ方について語っているのだが、これがなかなか興味深い。
アンドリューによると、アメリカでのバザンの受容には3つの時期を区別することができるという。 バザンの『映画とはなにか』がアメリカで翻訳されて発売されたのが1967年(これは、主要な論文だけを訳した抜粋版だった)。これに衝撃を受けたダドリー・アンドリューは、ほどなくしてアイオワ大学で映画理論について教鞭をとりはじめる。当時の学生たちは、バザンの映画批評がよって立っている哲学的コンテキストがよく理解できなかったようだ。1978年、アンドリューはオックスフォード大学出版からバザンについての批評的伝記 André Bazin を出版する(1983年にフランスでこの本が翻訳出版された際には、フランソワ・トリュフォーが序文を寄せている)。 このころアメリカで読むことができたバザンのテクストは、わずか30編ほどに過ぎなかったが、ダドリー・アンドリューの本の影響などもあって、バザンは比較的好意的に受け入れられていた。
やがて、アメリカにおいても、映画が研究に値する文化として認知されはじめると、映画は、映画を愛しているとは思えない大学の学者たちによって、カルチュラル・スタディーズに代表される文化研究の格好の題材として、利用されるようになる(アンドリューがこういう言い方をしているわけではない。わたしはそう思っているが)。このころになるとバザンの批評はなかば忘れ去られるようになり、この状況が90年代の初めまで続く。
この状況が変わるきっかけになったのが、ドゥルーズの『シネマ』の出版である。ドゥルーズの書物を通じてバザンは再発見される(だが、セルジュ・ダネーはいまだにアメリカではほとんど知られていない。イギリスではアメリカ以上に無名であると、アンドリューはいう)。 1995年ごろ、おそらくはロッセリーニの再評価と呼応するかたちで、コリン・マッケイブやローラ・マルヴィといった(とりわけイギリスの)映画理論家たちがバザンに立ち戻る動きを見せはじめる。昨今のデジタル撮影による映画が、映画におけるリアリズムとはなにかという根本的な問いをふたたび突きつけたということもあるだろう。 『映画とはなにか』は、ダドリー・アンドリューの長い序文を付したかたちで、カリフォルニア大学から3年前に再販された(ただしこれも短縮版で、翻訳も67年版のままらしい)、ラウトリッジ社からは、Bazin at Work という本も出版されている。
(こちらは、「カイエ・デュ・シネマ」から翻訳出版された André Bazin のフランス語版、のようだ)。
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話は変わるが、90年代以後に出現したポール・トーマス・アンダーソン、デイヴィッド・フィンチャー、クエンティン・タランティーノなどの才能ある映画作家たちの作品に顕著に見て取れる「歴史の不在」とでもいったものに、わたしはとりわけ関心をもっている。石油と宗教というふたつのテーマを絡めて描いたPTAの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』が、ブッシュ=チェイニーのネオコンに支配されたアメリカの陰画であるといった話はさんざん語られていると思う。その一方で、この作品の舞台設定が20世紀の初頭のアメリカである必然性は必ずしもなかったこともたしかである(ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』が、どこか架空の国のおとぎ話であってもいっこうに差し支えなかったのと同じように)。 はるばるインドまでロケしながら、インドの現実などまるで関心がないようにみえる『ダージリン急行』のウェス・アンダーソンについても似たようなことがいえるだろう(ここでも、『ロスト・イン・トランスレーション』のソフィア・コッポラが思い出される)。90年代にはいってバザンが再評価されはじめているというのが本当なら、それはこれら90年代以後の若手の映画作家たちの仕事とどのように関係させて考えればいいのか・・・。
シドニー・ポラックが死去。とりわけ愛した監督でもなかったが、ベルギー戦線を背景にした奇妙な戦争映画『大反撃』などがいまは記憶に残っている。
☆☆☆
神戸映画資料館に福田克彦の『草とり草紙』を見に行く。 ここは去年に自主上映活動をはじめたばかりの映画館だが、「日本統治時代の朝鮮映画」特集や「山根貞男連続講座」などの意欲的なプログラムを毎回組んで、サイレント映画やドキュメンタリー、あるいは『スパルタの海』といった、あまり見る機会のない作品を積極的に上映しつづけており、神戸のシネマテークのような存在になりつつある。 ここのプログラムは気になってはいたのだが、場所が遠すぎるし、見たことのある映画がほとんどだったので、いったのは今回が初めてだった。このあたりは震災で甚大な被害を受け、そのどさくさに紛れて住宅整備がなされた。とてもきれいなビルが建ち並んでいるが、活気があるようには見えない。この資料館がはいっているビルも、午後の8時にはほとんどのテナントのシャッターがおり、人気がなくなる。ストローブ=ユイレを定期的に上映していた神戸ファッション美術館があるあたりもそうだったが、こういう作り物めいた町は歩いても楽しくなく、どうも好きになれない。 それはさておき、驚いたのは、この資料館の支配人を古くからの知人がやっていたことだ。東京にいると思っていたら、いつの間にか関西に帰っていたらしい。映写室を見せてもらったりしながらいろいろ話を聞かせてもらったが、会費と入場料はしっかり取られた。そんなに甘くはない。
☆☆☆
さて、今回見に行ったのは小川紳介の弟子として知られるドキュメンタリー作家福田克彦の作品。『草とり草紙』は前々から見たかった作品だ。「三里塚シリーズ」は何度も見ているのでパスしていたが、これは見逃すと今度いつ見られるかわからないので、重い重い腰を上げて見に行ったのだった。 山形ドキュメンタリー映画祭で上映されるまでながいあいだお蔵入りになっていた『映画作りとむらへの道』も同時上映された。小川が福田を一本立ちさせるために撮らせた作品だったのだが、人に見せられるレベルにないとして封印されてしまった作品である。『三里塚 辺田部落』を撮っていた時期の小川プロを内側から描いたもので、撮影スタッフがラッシュを見ながら話し合う様子などが描かれる。たしかに、メイキングとしては舌足らずな印象を受ける作品だ。しかし、いろいろな意味で興味深い。 『映画作りとむらへの道』を見ていると小川紳介のカリスマ性がよく伝わってくる。小川が話しはじめると、つい聞き入ってしまうというか、こういう人がそばにいるとなかなかその磁場から抜け出せないだろうなと思う。福田克彦が、小川プロが去ったあとの三里塚にひとりで戻っていって『草とり草紙』を撮った気持ちもわかるというものだ。
『草とり草紙』は、三里塚闘争においてだれひとり知らぬもののない反対派農民のシンボル的存在だった女性、染谷カツを、そんな過去にはほとんどふれることなく、彼女が草をとり、種をまく農作業の所作に、これといって内容のない彼女のひとり語りを重ねて描いた映画である。 女性のひとり語りといえば、汚辱にまみれた自己の半世紀をふりかえる老婦人のモノローグをとおして、中国共産党の闇を描いたワン・ビンの『鳳鳴 中国の記憶』が記憶に新しい。この2作品にはたしかに似ているところがある。女性の独白で作品が成り立っているというところだけでなく、福田克彦が選んだ8ミリというメディアも、いまのワン・ビンにとってのデジタル・カメラに相当するものだったのだろう。しかし、作品から受ける印象はまったくちがっている。 染谷カツの話は、重要な歴史的証言とでもいったものとはほど遠く、ほとんど無駄話に近い。順を追って語られるフォン・ミンの整然とした話とはちがって、染谷カツの話は絶えず前後して、脈略がなく、時には同じ話が繰りかえされもするのだが、繰りかえされるたびに彼女の話は微妙に食い違いを見せてゆく。福田はそれをあえて整理することなく、聞いた順にそのままつなげていったように見える。
確かめる方法があるわけではないが、フォン・ミンの語る体験談には、まごう事なき真実のオーラのようなものが感じられる。これとは逆に、染谷カツの語りは、嘘ではもちろんないにしても、語れば語るほど「ものがたり」に近づいてゆく。 こうして最終的に浮かび上がってくるのは、個をとおしてあらわれる小宇宙とでもいったものだ。山形に移住してからの小川紳介も、こうした世界に近づいていったように見えるが、それでも『ニッポン国古屋敷村』や『1000年刻みの日時計』には、男性原理とでもいったものがつねにつきまとっていたように思う。「神話」とか「共同体」といった大仰な言葉がいつも見え隠れしていたというか。『草とり草紙』にはそういうところが全然ないのだ。
『草とり草紙』は小川紳介がいなければ撮れなかった作品であると同時に、小川伸介がいたら撮れなかった映画であるといっていいだろう。それがこの映画を希有な作品にしている。
見るからにとてつもなく、息をのむほど美しい、滑稽で荘厳な作品、『怒りのキューバ』は、いつもの判断基準をことごとく狂わせてしまうので、いかなる評価もあてはまらない。1964年に撮られた、錯乱し、叙情的で、叙事詩的な、共産主義のプロパガンダ作品。製作に少なくとも3年を要し、上映時間は 141 分。大げさでグロテスクすぎて、「傑作」という言葉は似あわないが、傑作と呼ぶ人がいてもわたしは気にしないだろう。「必見」という言葉のほうがもっと的に近いだろうが、この作品がだれにとっても必見というわけではないことはたしかである。16ヶ月前にはじめて見て以来、この映画はわたしの頭から離れないが、それでも、この作品を見て腹を立て、あるいは退屈する人がいないとはいえない。見る価値がある? 欠点を補う部分がある? 価値がない? この映画はそういったカテゴリーのいずれにも当てはまると同時に、どれにも当てはまらない。簡単に言うなら、この世界はこういう異形の作品を許してくれないのだ。
1995年12月8日の「シカゴ・リーダー」に発表された記事の冒頭で、ジョナサン・ローゼンバウムは『怒りのキューバ』をこのように評している。
『怒りのキューバ』は、スターリン死後の50年代後半に「雪解け」派の詩人として若い世代の代弁者となったエヴゲニー・エフトゥシェンコが、革命直後のキューバを訪れて書き上げた叙事詩『わたしはキューバ』を映画化したものであり、映画の原題 YA KUBA も同じく「私はキューバ」を意味する。1964年に撮られたこのソ連とキューバの合作は、非共産圏のみならず、ソ連でもキューバでも不興を買い、長らくまともに上映されることがなかった(キューバでは、この映画は、「私はキューバではない」などと揶揄されたという)。 1992年、テルライド映画祭で字幕なしのプリントが、監督のミハイル・カラトーゾフへのオマージュとして上映されたことで、この作品はようやく世界的に認知されるきっかけをつかむことになる。フランシス・フォード・コッポラとマーティン・スコセッシが、この映画を見て絶賛し、二人の尽力によって、『怒りのキューバ』はついにアメリカで配給されるにいたる。ローゼンバウムの記事もこのころ書かれたものだ。
手元の資料によると、日本で公開されたのは 1968年とある。これは世界的に見て非常に早い時期の公開だったといえると思うのだが、当時この作品がどのように受容されたのかまではわからない。いずれにせよ、その後長い間まったく忘れられていたことだけはたしかである。数年前に、DVD が発売されているが、それもすでに中古以外は入手困難な状態になっている。「この世界はこういう異形の作品を許してくれないのだ」という文句も、あながち大げさとはいえないようだ。
]海へといたる大河にそって深いジャングルを映しだす美しい空撮によって映画ははじまる。広角レンズを使ってローアングルから捉えられた波打ち際の幻想的な風景に、突如、「私はキューバ」と自らを名乗る女性の声のナレーションがかぶさる。「かつてこの土地を訪れたクリストファー・コロンブスは、日記にこう書き記した。『ここは人の目にふれたもっとも美しい土地である』。ありがとう、セニョール・コロンブス。あなたにはじめて会ったとき、わたしは笑い、そして歌っていた。棕櫚の葉を揺らしてあなたの舟を出迎えた。その舟は幸福をもたらしてくれるものと思った。──わたしはキューバ。舟はわたしの砂糖を奪った。そして涙を流すわたしを残して去っていった。砂糖というのは不思議なものね、セニョール・コロンブス。なかには涙が詰まっているというのに、甘い味がする」。キューバの声がそう語るあいだ、現地の人間がこぐ小舟の上から、キャメラが両岸の貧しい光景を映しだしてゆく(このあたりでわたしはエイゼンシュタインの『メキシコ万歳』を思い浮かべたのだが、これはごく普通の反応だったらしい。あとで読んだローゼンバウムの文章のなかでも、アウトサイダーの視点から撮られたラテン・アメリカのドキュメントとして、『メキシコ万歳』とオーソン・ウェルズの『イッツ・オール・トゥルー』が挙げられていた)。
ついで場面は一転して、都会の真ん中にあるビルの屋上で、ブルジョアたちが歌って踊ってのらんちき騒ぎにふけっている。踊り浮かれる人々をとらえていたキャメラは、さっきまではるか下に見えていたプールのある下のフロアまで、手すりを越えてするすると舞い降り、人のあいだを縫うように進んで、プールサイドの水着美人をとらえたかと思うと、あろう事か、プールのなかにまではいっていって、泳ぐ人たちを水中からとらえてみせる。キャメラの動きがあまりにも大胆でなめらかすぎて、この場面が最初からここまでとぎれることなくワンカットで撮られていることに気づかない人もいるかもしれない。 ローゼンバウムは、この映画で多用されているローアングル、広角レンズ、アクロバティックなトラッキング撮影などの手法に、オーソン・ウェルズの、とりわけ『黒い罠』との類縁性を見て取っている。キャメラを担当したのは、『鶴は飛んでゆく』(57)『送られなかった手紙』(60) でもミハイル・カラトーゾフと組んでいるセルゲイ・ウルセフスキー(ちなみに、『送られなかった手紙』は、タルコフスキーと『地獄の黙示録』のコッポラに影響を与えたともいわれる作品で、これもやはり党から「形式主義的」とのレッテルを貼られて批判された)。この映画の自由奔放なキャメラワークが、「個人的すぎる」あるいは「退廃的すぎる」という理由で共産党の幹部たちに嫌われたことは容易に推測できる。しかし、東西のイデオロギー闘争には興味のないわれわれにとって、このマニエリスムこそがこの映画の最大の魅力であることは間違いない。
作品の全体は、4つのエピソードによって構成されている。その詳細については語らないが、一言でいうなら、革命直前のキューバの現実が4つの視点から描かれていると要約することができるだろう。このころのキューバは、事実上アメリカの植民地支配下にあって、その支配の構造をバティスタによる軍事独裁政権がささえていた。最初のふたつのエピソードでは、この現実のなかで苦しむ民衆の姿が描かれるのだが、そこにこめられた反アメリカのメッセージはだれの目にも明らかだろう。『戦艦ポチョムキン』を思い起こさせる3つ目のエピソードでは、この圧政のなかで自由を希求する民衆のエネルギーがついに爆発し、そして結局は潰えてゆくのだが、それはペシミズムというよりは、エネルギーの余波を残すかたちで4つ目のエピソードへと受け継がれてゆく。
キューバといえば、30年代初頭のキューバを舞台に、マチャード大統領による独裁政権を打倒せんとする反政府レジスタンスの活動を描いたジョン・ヒューストンの忘れられた傑作『ストレンジャーズ6』(They were strangers) が思い出される(それにしてもこの DVD タイトルはひどい。『ゴングなき戦い』(Fat City) といいこれといい、ヒューストンの未公開作の邦題はひどすぎる)。そのマチャードを倒して大統領に居座ったのがバティスタだったのだ。そして、バティスタを倒して現れたカストロ政権が実際にはどのようなものだったのかはだれもが知るところだ。それを描いた映画も枚挙にいとまがない(『ノーボディ・リスンド』『夜になる前に』など)。そう考えると、この国は何度同じことを繰りかえしているのだと思えてくるが、むろんそれでこの映画の価値がおとしめられるわけでは決してないだろう。
ここに描かれる4つのエピソードは、いま見るとそれほど斬新でもないし、しばしば図式的な構図におさまっている。最初のエピソードに登場する金にものをいわせて娼婦を買うアメリカ人などは、ローゼンバウムも正しく指摘しているように、ハリウッド製の反共映画に登場する紋切り型のソ連のコミュニストとさしてかわりがない(ちなみに、このアメリカ人を演じているのはフランス人のジャン・ブイーズで、この後、『戦争は終わった』『Out 1』、最近では『ニキータ』など数々の作品に出演しているベテランである)。たしかにこれは、簡単に言うなら、共産主義のプロパガンダ映画である。しかも、ここで描かれる革命の夢は、悪夢であったことがすでにわかっている。 しかし、この映画にはそんな悪夢の予感はない。現実の悪夢から抜け出そうとするエネルギーを描いたのがこの映画なのだ。作者たちの意図がどうあれ、この映画は現実のドキュメントというよりも、ひとつの夢を描いているように見える。現実の悪夢と、そこから抜け出んとする革命の夢。そのアマルガムであるような夢の持つ迫力が、美学的過剰とでもいえる表現のマニエリスムとあいまって、プロパガンダ映画にありがちなもろもろの欠点を忘れさせてくれる。
わたしはたぶんローゼンバウムほどにはこの映画を評価していない。しかし、この映画の冒頭の十数分間は必見だとだけいっておく。
(写真はビデオ・パッケージ)
フランチェスコ・ベルトリーニとアドルフォ・パドヴァンが監督した『地獄篇』(L'inferno, 1911) という映画の米版DVDを見た。 日本では未公開の作品なので、知っている人は少ないだろう。『カビリア』以前に撮られたイタリア映画の大作である。ダンテの『地獄篇』を映像化したもので、大がかりなオープンセットを組み、当時としてはかなり斬新であったろうと思われる特殊効果を駆使して、ダンテの世界をなかなかがんばって映像化している。クローズアップはまだ発明されておらず、ロングショットだけで撮られた映像がつづく。男性の全裸姿を最初に見せた映画ともいわれるが、本当かどうかは知らない。
この DVD でびっくりしたのは、伴奏音楽に女性ヴォーカルの声がはいった曲を使っていたことだ。最初はエンヤの曲かと思ったのだが、あとで調べてみたらタンジェリン・ドリームだった。この曲がひどい。いや、タンジェリン・ドリームは嫌いではないグループだし、曲それ自体も悪くはないのだが、映像とまったくあっていない。ただただ耳障りだった。発売者がそのままでは売れないと考えたのだろうが、そもそもヴォーカルのはいっている曲をサイレント映画に使う神経がわからない。
『地獄篇』の DVD とほぼ同時に見たのでつい比較したくなるのが、ムルナウ財団によってデジタル修復をほどこされたフリッツ・ラングの『メトロポリス』の DVD だ。この DVD には、ゴットフリート・フッペルツが『メトロポリス』のために作曲し、1927年のベルリンでのプレミア上映のさいに演奏されたまさにその曲が付されている。当時の伴奏音楽を再現することに必ずしも意味があるわけではないが、作品全体がきわめて音楽的に構成され、音楽を前提に作られているといってもいい『メトロポリス』の場合、これはきわめて重要なことだ。そのオリジナル・スコアが残っていたことも幸運だった。
ヴィルヘルム・フリードリヒ・ムルナウ財団は、ラングの『ニーベルンゲン』や『ドクトル・マブゼ』、スタンバーグの『嘆きの天使』など、ウーファ、ウニヴェルスム、トビスといった映画会社によって製作された黄金時代のドイツ映画を保存と修復する活動を通じて、ドイツの映画文化を広く世に知らしめることにつとめていることで知られる。 世界各地に散らばっていたプリントを集めて、きめ細かなデジタル修復をほどこし、可能なかぎりオリジナルに近い状態にもどされた作品は、そのまま DVD化されてつぎつぎと発売されている。Criterion にくらべれば扱っている作品の幅は狭いが、パッケージとしてのクオリティの高さでは引けをとらない。ムルナウ財団がからんでいたら、その DVDはとりあえず信用していいだろう。アメリカの DVD会社 KINO も、ドイツの古典映画に関してはムルナウ財団と提携しているそうである。
この『メトロポリス』の DVD でもデジタル修復の威力が遺憾なく発揮されている。ゴミやほこり、フィルムの雨などがほとんどないクリアな映像は、きれいすぎてときにやり過ぎと思えることがないわけではない。しかし、こういうきれいなプリントを一度見てしまうと、なかなか後戻りはできないだろう。
しかし、最初に断っておかねばならない。とりあえずの決定版といっていいこのF.W.ムルナウ財団版の『メトロポリス』でさえ、真の『メトロポリス』からほど遠いコピーの一つに過ぎないのだ。修復作業に実際に関わったマーティン・ケルバーがいうように、「そのオリジナルは1927年の4月に失われてしまった」のである。
『メトロポリス』の題で配給会社やアーカイヴによって提供され、ビデオとして販売され、時にはテレビで放映される作品は、ある時はより多く短縮され、ある時はより少なく短縮されたオリジナルとは異なる様々な別ヴァージョンにほかならない。マーティン・ケルバー「増幅する『メトロポリス』に関するノート」
『メトロポリス』にいったいなにが起きたのか。『メトロポリス』にはいったいいくつのヴァージョンが存在し、それらはいかなる経緯で存在するに至ったのか。上記のケルバーのテクストは、これらのことについて詳細に語っているが、何せ事態が込み入りすぎていて、読んでいてもよくわからない。簡単に言うならこういうことだ。
1927年1月10日にベルリンのウーファ・パラスト・アム・ツォーでおこなわれたプレミア上映のわずか数ヶ月後に、『メトロポリス』の上映は打ち切られる。その理由は明らかでないが、2時間半を超える上映時間がネックの一つだったことは間違いないだろう。その後、アメリカでは大幅にカットされた短縮版が公開されることになるのだが、実は、ベルリンで公開される前の1926年の12月に、『メトロポリス』のフィルムはアメリカに持ち込まれ、配給を任されていたパラマウントの首脳陣のために試写がおこなわれていた。どうやら、そこで早くも短縮版を作る決定が出ていたらしい。長すぎる、わかりにくいという理由で、重要な場面がいくつもカットされ、つじつまを合わすためにインタータイトルの一部が書き換えられたために、話がまったく変わってしまった部分もある。 こうして無惨に改ざんされたプリントがドイツに逆輸入され、このプリントを元に新たに作られたヴァージョンがドイツ当局の検閲を経て、再びドイツで公開され、さらには海外へと輸出されることになったのである。その過程で、サブ・ヴァージョンとでもいうべきさらに劣化したヴァージョンが無数に産み落とされてゆく。2001年に復元版があらわれる以前にわれわれが見ていた『メトロポリス』は、こうしたオリジナルとは大きくかけ離れたものに過ぎない。 むかしは、映画ビジネスの世界にはこういうやくざな連中が跋扈していたのだ(まあ、いまでもたいした違いはないが)。
(理解に苦しむのは、スタンダードもまともに上映できない映画館が平気でつぎつぎと建てられていることだ。むかし、小津安二郎の大規模なレトロスペクティブがおこなわれ、小津のサイレント時代の作品などがはじめてまとまったかたちで公開されたとき、京都では朝日シネマという映画館で小津の作品が上映された。ところが、驚くべきことに、この映画館ではスタンダードの作品が正常なかたちで上映できないのだ。その結果、小津の作品は無惨にも上下を切られてヴィスタ・サイズに近いかたちで上映された。一応抗議はしたが、映画館の構造上、スタンダードで上映するのは無理だという。ばかばかしい、映画館に映画をあわせてどうするのだ。話が逆だろ? そんなの、正方形の額縁しかないので『モナリザ』の上下を切りましたというのと同じぐらい、ナンセンスで無礼なことだというのがなぜわからないのか。)
話がそれた。『メトロポリス』に話を戻そう。 ムルナウ財団による復元がおこなわれる前に、電子音楽で知られるジョルジオ・モロダーによって84年に作られたヴァージョンにもふれておく。彩色をほどこし、ロック音楽の伴奏をつけ、インタータイトルの多くを削除して、鳴り物入りで公開されたこのヴァージョンは多くの問題を含んでおり、様々な批判にさらされた。しかし、残念ながら、このモロダー版のファンが多いこともたしかである。モロダーの姿勢には、ちょうどこの時代にあらわれたMTVの、ご機嫌な音楽さえ流れていれば、バックグラウンドでどんな映像が流れていようとかまわないという発想と同じものがあるように思える。モロダー版が好きだという人がいても別にかまいはしない。しかし、モナリザにひげをつけたデュシャンの絵がダ・ヴィンチの『モナリザ』とは別物であるように、モロダー版の『メトロポリス』はラングの『メトロポリス』とは別物である。
とはいえ、『メトロポリス』に新しい光をあて、広く世に知らしめたという点では、モロダーの仕事にも一定の評価は与えるべきだろう。事実、モロダーの姿勢とは対極にあるものとして語られることも多いムルナウ財団の『メトロポリス』修復における中心的人物だったエンノ・パタラスも、モロダーの仕事にたいする賛辞の言葉を残しているのだ。サイレント映画『メトロポリス』にとって、音楽はなくてもよいたんなる付属物ではなく、決定的に重要な存在であることは繰りかえし語られてきた。1927年にゴットフリート・フッペルツによる伴奏音楽付きで最初に公開されたときに『メトロポリス』を見た観客は、84年の観客がロック音楽を伴奏につけた『メトロポリス』と同じようなインパクトを受けていたのかもしれない。そう考えるなら、モロダーの仕事にも意味はあったのだ。モロダー版の『メトロポリス』はオリジナルのフィルムとはかけ離れていたかもしれないが、それが現象としてもたらした効果はある程度再現することに成功していたかもしれないのである。
『メトロポリス』からカットされたシーンの大部分はいまだ発見されていない。しかし、幸いなことに、シナリオや、オリジナル伴奏音楽のスコア、検閲に通されたときの書類などが残されている。これら様々な資料をとおして、ムルナウ財団は、できうるかぎりオリジナルに近いかたちで『メトロポリス』を復元しようと試みた。フィルムが失われてしまった部分は、残された資料などを参考にしてインタータイトルで補い、字幕の字体もドイツで最初に上映されたものと同じかたちを使うなどして、可能な限り忠実にオリジナルが再現されている。
特典映像がまた素晴らしい。DVDの特典についている Gallery というのは、作品のポスターの写真を数枚ならべてお茶を濁しただけというおざなりのものが多いのだが、この DVD のギャラリーには、ここでしか見られないような貴重な写真ばかりが、これでもかというぐあいにならべられていて圧倒される。「メトロポリス事件」と題されたドキュメントも、ドイツ映画史のなかに『メトロポリス』を位置づけて解説した手堅い内容で、作品の歴史的コンテキストを理解するのに役立つ(当時のセットの写真を見ていて、むかしベルリンを旅したときにウーファの回顧展をやっていたので思わずはいってしまったことを思い出した。ウーファの様々な資料を展示した展覧会で、たしか『メトロポリス』のバベル・タワーの模型もあったはずだ。あれはレプリカだったのだろうか)。 『メトロポリス』なんて何度も見てるよという人にこそ見てほしい DVD である。
(以上は、わたしが見た英語版の DVD を参照しながら書いた。紀伊国屋から出ているのはその日本語移植版だと思うので、内容は同じはずだが、ひょっとしたら細かい違いがあるかもしれない。)
「言い伝えによれば、傷痕は消えるそうだ」と、だしぬけにマットがいった。「犠牲者が死ぬと傷痕は消えてしまうんだよ」 「それは知ってますよ」と、ベンがいった。ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』でも、クリストファー・リー主演のハンマー・プロの映画でもそうなっていたことを、彼は思い出した。スティーヴン・キング『呪われた町』(集英社文庫)
恥ずかしながら、「ハンマー・プロ」というのをわたしは聞いたことがないが、「ハマー・プロ」の映画なら知っている。つい最近も、まとめて何本か見たところだ。
Hammer Films については改めて説明する必要もないだろうが、トンカチのハンマーを売っている会社と間違える人もいるかもしれないので、簡単に説明しておく(ちなみに、トンカチのハンマーも綴りは同じ)。
ハマー・フィルム・プロは、事業家ウィリアム・ハインズによって1934年にイギリスで設立された。会社名は最初、ハマー・プロダクションとなっていた。「ハマー」の名称は、役者でもあったウィリアムの舞台名からとられたという。最初に製作された映画は1935年の歴史コメディ「The Public Life of Henry the Ninth」だった。この映画が製作されていたころにウィリアムは、スペインからの移民エンリケ・カレラスと出会い、ふたりでハマー・フィルムの基礎を築くことになる(マイケル・カレラスはエンリケの孫にあたる)。しかし、数年して会社は倒産。その後、ウィリアムとエンリケの息子たちによって会社は徐々に建て直されてゆき、1949年、会社名も Hammer Film Productions に改められた。
1955年、ヴァル・ゲストの『原子人間』にはじまる「クエーターマス」(「クォーターマス」と表記されることが多いが、実は正しくない)シリーズが大ヒット。この頃から、ハマー・フィルムはホラー映画を中心につぎつぎとヒット作を量産しはじめる。『フランケンシュタインの逆襲』(57)にはじまるフランケンシュタイン・シリーズ、『吸血鬼ドラキュラ』(58)にはじまるドラキュラ・シリーズなどなどであるが、この時期以後のハマー・フィルムについてはよく知られているので、省略する。もっとも、スティーヴン・キングの訳者でさえ「ハンマー・プロ」などと書くぐらいだから、一般の人は「ハマー」と聞けば、M・C・ハマーを思い浮かべるのかもしれない。しかし、映画ファンならたいていは知っているはず。もっと詳しく知りたい人は、公式ホームページを参照のこと。
■ ブライアン・クレメンス『キャプテン・クロノス/吸血鬼ハンター』
最近では、ジョン・カーペンターの『ヴァンパイア』など、吸血鬼狩りを主題にした作品は少なくないが、これはその走りだろうか。もっとも、戦うのは主役のキャプテン・クロノスだけで、あとはかれの補助役についているだけだ。とくにチームプレーが発揮されるわけではない。 この作品が面白いのは、ヴァンパイヤものにチャンバラの要素を取り入れていることだ。しかも、その剣を使ったアクションがまるで西部劇のように演出されている。酒場のシーンがあるのだが、そこはウェスタンでよく見かける酒場のシーンを完全に意識していて面白い。3人組の悪党が酒場でわが物顔に振る舞っているところに、クロノスがやってくる。クロノスと3人組は至近距離で向かい合う(剣を使ったアクションなので、この辺の間合いはさすがに西部劇とはちがう)。もめ事が始まったとたん、バーテンダーが物陰に隠れるところも、西部劇のお約束だ。クロノスが剣を抜いた瞬間に、3人とも首を切られている。座頭市顔負けの早業に、3人は自分が死んだことにも気づかず、最初は立ったままで、それからゆっくりと倒れてゆく(正直言うと、ここが作品のピークだった)。
■テレンス・フィッシャー『血に飢えた島』
おどろおどろしいタイトルになっているが、ちゃちな怪獣パニック映画である。生体実験で生まれた怪物がつぎつぎと住民を襲うという話だ。ところが、肝心のそのモンスターがどう見ても首の長い亀にしか見えない。小さいし、動きものろいくせに、これがライフルで撃っても、ダイナマイトで爆破しても死ななくて、おまけにすぐに分裂して数が増えてゆく。かるくうざい存在だ。こいつらと戦うのがピーター・カッシング演ずる教授。50年代のハリウッド製モンスター映画と比較しても相当レベルは低い作品だが、怪物に襲われたピーター・カッシングの片腕を仲間が切り落とす瞬間は目が覚めた。
■ジョン・ギリング『蛇女の脅怖』
墓場から死者たちがつぎつぎとよみがえってくるというアイデアを最初に思いついた点で記憶に値する『吸血ゾンビ』のジョン・ギリングによるホラー映画。蛇女はフランケンシュタインやドラキュラにくらべて人気はイマイチだが、妙にプロポーションがいいボディに顔だけは蛇という造形にはそそるものがある。 テレンス・フィッシャー『バスカヴィル家の犬』 ピーター・カッシングとクリストファー・リーが共演したホラーふう探偵活劇。原作はもちろんコナン・ドイル。ピーター・カッシングのシャーロック・ホームズはいささか年がいきすぎているようなきもするが、感じは出ていた。赤い乗馬服のサディスティックな若者たち、怪しげな館、底なし沼が待ち受けている湿地帯。おどろおどろしい雰囲気は抜群。
■ テレンス・フィッシャー『悪魔の花嫁』
クリストファー・リーが黒魔術集団の教祖を演じたオカルト作品。ハマー・フィルムの代表的作品の一つとされながら、日本では DVD が出るまでビデオ化もTV放映もされていなかったので、意外と見ている人は少ないのではないか。魔法陣を使った悪魔との対決シーンなど、テレンス・フィッシャーらしいアクション・シーンが随所にちりばめられている。人を惑わすようなラストの編集が面白い。
■ロイ・ウォード・ベイカー『火星人地球大襲撃』
「クエーターマス」シリーズ第3作。これはわたしのお気に入りのハマー作品の一つ。地下鉄の工事中に、500万年前の火星人の宇宙船が見つかる。火星人はすでに死んでいたが、その怨念が人間に乗り移って悪意を目覚めさせる・・・って、これジョン・カーペンターの『ゴースト・オブ・マーズ』じゃないの? ホラーとSFを融合させた非常にユニークな作品。音響効果がすごいので、できれば劇場で見たかった。
カンヌ映画祭のコンペ出品作の一部が発表された模様。フランスからはアルノー・デプレシャンとフィリップ・ガレルの新作が出品される。アメリカからの出品作は少ないようだが、イーストウッドがアンジェリーナ・ジョリー主演で撮った誘拐サスペンス「The Changeling」がはいっているようなので、期待したい(というか、早くみたい。サスペンスはひさしぶりじゃないの?)。しかし、もっとも話題になっているのはやはり、スピルバーグの「インディ・ジョーンズ」シリーズの新作のようだ(ただし、オープニングはウディ・アレンの新作との噂もある)。
■『それぞれのシネマ ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~』
フランスでこの映画の DVD が発売になったことはすでに書いたが、これはその日本版。33人の映画監督が撮りあげたたった3分の作品を集めたオムニバス映画である。「映画館」を唯一の共通テーマに、各作家たちのアプローチはそれこそ多種多様である。あくまで世界の一瞬を断片として映しだそうとするものもいれば、アモス・ギタイのように3分間のなかに過去の集積としての現在を閉じこめて描こうとするものもいる。ここに描かれている映画館の表情も、そこで上映される映画も実に様々だ。日本の歌謡曲を中国語で吹き替えた曲が流れるなか、人気のない廃墟のようなスクリーンで『少女ムシェット』が上映されるホウ・シャオシェンの映画館。ゴダールの『軽蔑』を見ながら涙する女をワンカットで屋外までおいかけていくイリニャトゥの作品は、『女と男のいる舗道』でアンナ・カリーナが『裁かるるジャンヌ』を見て涙するシーンを意識したものだろうし、アトム・エゴヤンの作品に描かれる映画館では、『女と男のいる舗道』のまさにそのシーンが上映されている。思い出の映画を一つひとつユーモラスにふりかえってゆくナンニ・モレッティの短編のように、私的映画史を描いた作品がある一方で、リュミエールの『工場の出口』を上映する映画館を描いて、映画そのものへのオマージュを捧げるアキ・カウリスマキの作品もある。『キッズ・リターン』を上映する映画館の映写技師を自らが演じている北野武の作品には、かれの近作に顕著な自己言及の迷宮が露呈しているし、同じく、映写室から自作を見つめるエリア・スレイマンの作品にはパレスチナのおかれている状況が風刺されているのだろう。映画に魅せられている観客の表情をとおして、映画館で映画を見る喜びを素朴に描いた作品があるかと思えば、チリの映画作家ラウール・ルイスは、映画への謎めいた考察を披露して、いつものようにわれわれを煙に巻く。 3分はあっけなく思える一方で、とても長くも感じられる。
3分あれば、そこに一つの世界を作りあげるには十分だとおもいつつ、かつてゴダールがそうしたように、短編映画ははたして映画なのだろうかとラディカルに問いかけてみる。答えは出ないが、すべてはここからはじまったのだ。リュミエールから、いやリュミエールの闇のなかから。
川口浩の探検隊みたいなおバカな映画になっている可能性も高いが、『クローバーフィールド』は気になるので見にいってしまいそう。 チャールトン・ヘストンの死亡は国際的に大きく報じられているが、リチャード・ウィドマークが死んだことはあんまり話題にならなかった(ネットでは情報が流れているけど、日本のテレビのニュースでは、わたしの知るかぎり報道されていない)。『街の野獣』のチンピラみたいな、がつがつ生きてる卑屈な男を演じているときは右に出るものがない俳優だった(実は、ウィドマークの数日後に、ジュールス・ダッシンも亡くなってるんです。引きずられたんですかね)。最近見たなかでは、マンキーウィッツの『復讐鬼』で、逆恨みからシドニー・ポワチエをつけねらう黒人差別主義者の役もよかった。晩年は、将校や警部の役など、人の上に立つ人物を演じることが多かったが、そういうときも様になっていたね。
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今回は、最近の気になる北米版 DVD の紹介です。
■ アラン・レネの80年代作品がまとめて出ています。
『人生はロマン』 (La Vie Est Un Roman)
『死ぬほど愛して』 (L'Amour A Mort)
『お家に帰りたい』 (Je Veux Rentrer A La Maison)
■ アピチャッポン・ウィーラセタクン Syndromes and a Century
上映の時にはいろいろもめたけど、これは当然完全版でしょ?
■セルゲイ・パラジャーノフ The Films of Sergei Paradjanov (Shadows of Forgotten Ancestors/The Color of Pomegranates/The Legend of Suram Fortress/Ashik Kerib)
■ ジャン=リュック・ゴダール Le Gai Savoir
むかしアメリカで出ていたビデオを見たことがあるけど、すさまじい画質だったので最初の5分で見るのをやめてしまった。これはちゃんとしてるんでしょうね。
小説は出自の卑しい芸術だといわれるが、映画にくらべればまだましだ。映画の卑しい出自を確かめるためにも、くだらないホラーなどもたまには見ておく必要がある。
■セルジオ・マルティーノ『影なき淫獣』
『デス・プルーフ』のタランティーノが影響を受けたといわれているジャッロ映画。連続殺人鬼につけねらわれた女子大生の恐怖を描く。傑作という人もいるが、それほどたいした映画ではない。とくに前半は、ただバカみたいに人が殺されてゆく一方で、ミスリーディングを誘う思わせぶりな描写によって、観客の探偵趣味を刺激するという平板な演出で、『モデル連続殺人!』などのどちらかというとつまらないときのマリオ・バーヴァ作品から独自の美学を取り去ったらこうなるといった仕上がりになっていて、退屈。しかし、後半、田舎の別荘に行った女子大生たちが殺人鬼に全員殺されてしまうあたりからが、ちょっと面白い。 女子大生のなかで一人だけが生き残って家のなかに隠れていると知らずに、犯人は自分が殺した死体をのこぎりで刻みはじめる(残念ながら、残酷描写はわりと控えめです)。ここは女子大生の視点から一貫して描かれていて、『アラビアン・ナイト』の一挿話や日本の昔話などにときおり描かれる恐怖体験を思い出させる、プリミティヴな恐怖を作り出している。最近では、『ホステル』のラストの部分が、こういう悪夢にも似た体験を巧みに描くことに成功していた。
■ チャン・チェ『新・片腕必殺剣』
これもタランティーノがらみ。『キル・ビル』の「青葉屋」の場面はこの映画からインスピレートされたものだといわれている。二刀流の武術の達人が、己を過信したために片腕を失い、以後二度と剣をもつまいと誓うが、親友の敵を討つために、一度自分を負かした凄腕の武人ともう一度相まみえる。主人公が我慢に我慢をかさねて最後の最後に爆発するという古典的な構成の作品だが、ワイヤーにもキャメラのトリックにも頼らない潔いバトルシーンは、武侠映画の一つの完成系を示している。 英語タイトルは The New One-Armed Swordsman。ちなみに、"swordsman" は、「ソーズマン」と読むのが普通(「w」の音は発音しない)。「スウォーズマン」などという邦題がまかり通っているが、間違いです。
■ ダン・カーティス『家』
前々から見たかった映画。かなり面白い。「呪われた家」ものとしては、評価の高いロバート・ワイズの『たたり』(と、その惨憺たるリメイク)よりも、こっちのほうが断然わたしは好きだ。いわゆる超常現象が起きるのは最後の20分程度で、それまでは、画面に映っているのを見る限り、これといって異常なことはなにも起きないし、館じたいもとくに不気味に描かれているわけではない。ただ、その館には、入ってはいけない部屋が一つだけあり、その部屋を中心に館全体が、そこに引っ越してきた家族をゆっくりと狂わせてゆく。この「ゆっくりと」というのがいい。テンポは遅いが丁寧に描かれているので、緊張は少しもとぎれない。むしろ、テンションはしだいに高まっていき、ラストの階段をゆっくりと上っていくアクションとともにクライマックスに達する。ジェットコースターのような映画に慣れてしまった、いまどきのほしがり屋さんの観客にはあまり受けないかもしれないが、わたしはかなり気に入った。なによりも、失礼を承知で「ホラー顔」と呼びたいカレン・ブラックがよい。
Amazon.com に注文していた商品が到着予定日を1週間ほど過ぎても届かないので、そろそろメールで確認しておいたほうがいいかと真剣に考えはじめたころになってやっと届く。ほっとしたが、梱包の仕方がちょっと気になる。いつもは段ボールのなかの商品がナイロンのパックで包装されていたと思うのだが、今回はむき出しのままはいっていた。なかの商品が動いたせいか、ペーパーバックの表紙の端が少し折れているものがあった。最近は、アルバイトに梱包を任せているのだろうか。もう少し注意してもらいたい。・・・などということをここで書いてもしようがないので、Amazon.com にメールで一度注意しておくか。 今回は、ロバート・ワイズの Odds Against Tomorrow, イエジー・スコリモフスキーの Moonlighting, D.W. Griffith Year of Discovery と洋書を何冊か注文。Odds Against Tomorrow, Moonlighting は8ドル程度なので、超お買い得。ちなみに、いま Amazon.com では Film Noir の DVD 40%・オフ実施中です。
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デイヴィッド・フィンチャーの『ゾディアック』をまだ見ていなかったので、今頃になって DVD で見る。フィンチャーとしては、ある意味、いちばん正統的な作品といえるかもしれない。これまでの作品みたいにトリッキーな部分はほとんど見られないが、細部に対するオブセッションはいつにもまして強い。謎の殺人鬼の正体を調査していくにつれてある映画の存在が浮かび上がってくる。それがアーネスト・シェードザックとアーヴィング・ピシェルの共同監督作品『猟奇島』だという話は、すでにあちこちで話題になっているようなので、ここではしない(ドラキュラやフランケンシュタインや透明人間など、30年代に量産された怪奇趣味の映画のなかにおいて、『猟奇島』がもっともオリジナルな作品の一つであることは、『ゾディアック』を待つまでもなく、映画ファンのあいだではよく知られていた。必見の傑作とだけいっておく)。
『猟奇島』はその後何度かリメイクされ(ロバート・ワイズ『恐怖の島』(45)、ロイ・ボールディング『太陽に向かって走れ』(56))、似たような主題の映画を数多く生み出してきた。ジョン・ブアマンの『脱出』などもそのなかに数えていいだろう。しかし、ここで取り上げたいのは、『猟奇島』の系譜に連なる作品でありながら、一部のファンをのぞいてあまり知られることのなかったコーネル・ワイルド『裸のジャングル』という映画のことだ。
コーネル・ワイルドは最初俳優として活躍し、のちに監督業に転身した。俳優としては、剣劇やロマンスなど幅広い作品に数多く出演しているが、どちらかというと地味な役が多く、ジョゼフ・H・ルイスの『暴力団』など一部の作品をのぞいて、どれもあまり印象に残っていない。監督としても、それほど成功したとはいえなかったが、『裸のジャングル』の妥協のない映画作りとサディスムは批評家にも強烈な印象を与え、その後も、戦場の恐怖をかつてないリアリズムで描いた『ビーチレッド戦記』(67) や、最初のエコロジー映画とも評される『最後の脱出』(70) など、野心的な作品を撮りつづけた。近年、その評価はますます高まりつつある。
『裸のジャングル』は、アフリカでサファリの案内役の仕事をしているハンター(コーネル・ワイルド)が、現地の野蛮な部族に命をねらわれて必死で逃げ回る姿をひたすら描いただけの映画だ。強欲な象牙商人がガイドのいうことを聞かずに勝手な行動をして原住民を怒らせてしまうという、「ターザン」以来おなじみの展開で映画ははじまる。上映開始後、ものの20分もしないうちに、主人公以外の白人と、かれらのお供をしていた黒人たちは、捕らえられて殺されてしまう。主人公だけは殺されずに解放されるのだが、それは生かすためではなく、彼に敬意を表して少しのあいだだけ猶予を与えただけに過ぎない。結局は殺されるのだ。しかし、ハンターは最初に襲いかかってきた敵を殺して剣を奪い、次の相手も倒して今度は弓矢を手にいれる。生き残りをかけた長いながい狩りがはじまった。ただし狩られるのは自分だ・・・
ストーリーはほとんどないに等しい。主人公以外は全部現地人なので、主人公がときおりつぶやく独り言を除けば、セリフの大部分が解読不能の現地語で語られるというのも、この映画の野心的な点の一つだ(なので、英語が苦手な人でも問題なく見られます)。 追ってくるのが未開の部族たちという設定は、この映画をずいぶんわかりやすくしているといえる。『猟奇島』も、狩人が逆に狩られるという構図自体は『裸のジャングル』と変わらない。しかし、追う側も追われる側も同じ文明人であることが、人間の不条理さを際だたせ、作品に哲学的な深みを与えていた。しかし、野蛮人なら人間狩りをしても別に不思議ではない。『裸のジャングル』には『猟奇島』のように考えさせる側面は少ないが、その分、アクションに純化した作品になっている。 主人公のまるでローマの軍人のような剣さばきや弓矢の扱いは、見ていて違和感があったが、そういう訓練を受けたことがあるのだろうと考えてひとりで納得した。この映画では、人物の背景はまったくといっていいほど説明されず、たしか名前さえも最後まで出てこないはずである。あとは想像するしかない、そういう作り方になっている。
日本ではまだソフト化されたことはないと思うので、いまとなっては見ている人は少ないだろう。海外では以前から DVD になっているが、今年になって Criterion から決定版とでもいうべき版が出た。『猟奇島』ほどの傑作ではないが、映画ファンなら押さえておきたい一本だ。
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余談。
捕まえた獲物をすぐには殺さずに、生かすつもりもないのにいったん逃がしてやるというのは、基本的に品性下劣な人間が支配権を握ったときにやることだ。映画のなかで何度こういう光景を見てきただろうか。ナチ占領下でのフランスのレジスタンスを描いたジャン=ピエール・メルヴィルの『影の軍隊』で、ナチの捕虜となったレジスタンスのメンバー、リノ・ヴァンチュラが銃殺されそうになる場面では、ナチは捕虜をすぐに殺さず、走って逃げ切れば自由だといって、徒な希望を与えてから銃殺してゆく。リノ・ヴァンチュラは最初、走るのを拒否するのだが、結局、ほかの捕虜たちにつづいて走りはじめる。どうせ殺されるのはわかっていても、こういうときは走ってしまうのだ(もうだめだと思われた瞬間に、天井からするするすると縄が降りてきて、ヴァンチュラが危うく命を救われる瞬間は、この映画でもっとも印象的な場面の一つである)。
ピーター・ワトキンスの Punishment Park では、反体制活動を理由に軍によって拘束された十数名の若者たちが、「パニッシュメント・パーク」と呼ばれる荒野での懲罰を受ける。かれらは何マイルも先にあるアメリカの国旗に向かって、なにもない荒野を水も食べ物ももたずに延々歩きつづける。捕まえられずに国旗までたどり着けば解放されるという言葉を信じて、かれらは歩きつづけるが、あるものは途中で精根尽き果て、あるものは拘束され、あるものは反抗して射殺される。ワトキンスお得意の疑似ドキュメンタリーで、軍人たちも演技しているだけなのだが、演じているうちにむき出しになってくるサディスムさえもがキャメラにとらえられ、異様な緊張感がみなぎる。嘘だとわかっていても見ているうちについ熱くなってしまう傑作だ。
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