映画の誘惑

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365日間映画日誌

日々の映画日誌、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。

2003年7月〜9月

9月25日

○ピーター・ブルックス『メロドラマ的想像力』


9月24日

『王になろうとした男』(75年、ジョン・ヒューストン)
ヒューストンの偉大な「失敗の物語」の一つ。回想形式による枠物語で語られる冒険譚。

『男の闘い』(69年、マーチン・リット)
マーチン・リットとしては立派すぎる出来。ショーン・コネリーと、とりわけリチャード・ハリスの演技が大きい。炭鉱内の不穏分子を調べているおとり捜査員が、次第にどちらの側に自分がいるのか曖昧になっていくわけだが、その裏切り者の役(映画の冒頭からすでに観客にそのことは知らされている)を、ハリスはなかなか見事に演じている。こういう場合、ふつうは主人公が二度裏切って、最後はヒーローになって死んでいくみたいなパターンが多いのだが、この映画ではもっと苦い結末が用意されている。

○J. K. Rowling: HARRY POTTER AND THE ORDER OF THE PHOENIX


9月22日

『サブリナ』(95年、シドニー・ポラック)
ワイラー作品のなんの新鮮みもないリメイク。ただし、撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ。温室の場面が素晴らしい。

『ファイブ・イージー・ピーセス』(70年、ボブ・ラフェルソン)
ニューシネマを代表する一本。主人公の家族がクラッシック音楽一家という設定は、この手の映画では珍しい。渋滞にいらだったニコルソンが、前のトラックに積んであったピアノを弾く場面。「島」に住む父親に会いに車で帰るときにヒッチハイクで乗せるレズビアンふうの二人の女。『イージー・ライダー』のジャック・ニコルソンが主演、同じく『イージー・ライダー』の脚本家バート・シュナイダーが製作総指揮のイージーつながり。

『沓掛時次郎』(61年、池広一夫)

『地平線から来た男』(71年、バート・ケネディ)
『夕陽に立つ保安官』の姉妹編というか、自己リメイク。

『ビューティフル』(00年、サリー・フィールド)

『殺人鬼に罠をかけろ』(57年、ジャン・ドラノワ)
ドラノワが撮ったメグレもの2本のうちの一本。ジャン・ドサイ演じる息子の、「母親のせいで大人になれなかった子供」の屈折ぶりがいい。


9月16日

『ダコタ高原』(45年、ジョゼフ・ケイン)

『ナタリーの朝』(69年、フレッド・コウ)

『打倒 ノック・ダウン』(60年、松尾昭典)

『5人のテーブル』(82年、ロバート・リーバーマン)
離婚した父親が疎遠な子供たちを連れて豪華客船でヨーロッパ旅行に出るあいだに、母親が不慮の事故死を遂げる。家族メロドラマだが、中年のジョン・ヴォイドがなかなかよく、意外と見れる。キャメラ、ヴィルモス・ジグモンド。

『ワーロック』(59年、エドワード・ドミトリク)
ヘンリー・フォンダが悪人を演じたウェスタンという印象があるが (たんなるわたしの思いこみか)、実はそれほどでもない。悪人とも善人ともいえない微妙な役を演じているだけだ。ヘンリー・フォンダのベストの一つかもしれない(伝説の黄金の拳銃というのを持っていて、それを最後の最後に、ウィードマクとの決闘で見せるのだが、結局、抜く速さだけ見せつけて地面に投げ捨てて去ってゆく)。西部劇アクションとしてはそれほど盛り上がるわけでもないが、人間関係の濃厚さが見所。クイーンとフォンダの腐れ縁の関係とか、元一味だったのが更生して保安官となって正義に燃えるウィードマクもなかなかよい。

『霧笛が俺を呼んでいる』(60年、山崎徳治郎)

『白昼の対決』(54年、レイ・ミランド)

『ケラーマン』(71年、ウール・グロスバート)
ニューシネマふう難解さ?


9月15日

『狼よさらば』(74年、マイケル・ウィナー)
ブロンソン追悼で深夜吹き替え版を上映。ブロンソンお得意の復讐もの。復讐者というよりは、ただ街の犯罪者を自分で始末していく殺人鬼。しかもマスコミから英雄扱いされ、最後は、警察に逃がしてもらって別の町へ。ひどい話ですな。

『英雄の条件』(00年、ウィリアム・フリードキン)
英雄は結局英雄だったという能天気な話。イエメンがテロ国家だということを印象づけて終わる。非常に不愉快な映画だ。

『マザー、サン』(97年、アレクサンドル・ソクーロフ)
相変わらずすごいイメージだが、ソクーロフとしてはもっとも退屈な一本。

○バルザック『ことづけ』


9月10日

○河野多恵子『後日の話』


9月7日

『マーヴェリック』(94年、リチャード・ドナー)
ギャンブラーと女スリの物語。意外と楽しめる。強いのか弱いのかわからないメル・ギブソンがなかなかいい。年を取ったジェームズ・ガーナーが、往年のバート・ケネディ作品で主演していたころを思わせるとぼけたガンマン役で出ている。二転三転をねらいすぎて、脚本に少し無理がある気がするが、ま、よくあることだ。

『復讐 消えない傷跡』(黒沢清)
蛇行するドライブ、無為のヤクザ。ゴミ置き場。金属探知器の出てくるアジトは、『蜘蛛の瞳』と同じ場所。「復讐したいんじゃなく、復讐しなければならないんだ。」黒沢清の映画に出てくるヤクザはいつも子供みたいだ。


8月30日

『浪花の恋の物語』(59年、内田吐夢)
近松の『冥土の飛脚』の映画化。近松本人がでてきて、事の一部始終を傍観者として見ており、それを浄瑠璃に仕上げてゆくサブストーリーを盛り込んでいるところが、異色。

『熱砂の舞』(26年、ジョージ・フィッツモーリス)

『榕樹〈ガジュマル〉の丘へ』(97年、フー・ピンリウ)
嫁夫婦とうまくいっていない偏屈な老女が、お手伝いの娘と次第にうち解けてゆく。

『朱雀門』(57年、森一生)
幕末。公武合体の流れのなかで引き裂かれた和宮と有栖川宮と、和宮の妹のような存在であり同じく有栖川宮に思いを寄せる夕秀との三角関係。倒幕軍の指揮を執る雷蔵の衣装がモダン。

『玻璃〈ガラス〉の城』 (98年、マイケル・チャ
交通事故で母親を失った娘と、父親を失った青年が、それぞれの片親同士が愛人関係にあったことを知り、過去を探っていくうちに、自分たちも恋に落ちてゆく。

『玄海遊侠伝・破れかぶれ』(70年、マキノ雅弘)

『黙示録の四騎士』(21年、レックス・イングラム)

『ダグラスの海賊』(26年、アルバート・パーカー)
初の(?)テクニカラー・プロセスによる総天然色映画。

『恋戦 OKINAWA Rendez-vous』(2000年、G・チャン)

『ラブソング』(96年、ピーター・チャン)

『シックス・センス・オブ・レディ』(91年、パルト・ゴーシュ)
未来を幻視する能力を持った女性が、妹の死の謎を追ううちに、自分も危険に巻き込まれてゆく。

『イバニエスの激流』

『ロイ・ビーン』(72年、ジョン・ヒューストン)
無法者とガラガラヘビ以外はいなかったころの西部に、法と正義(?)をうち立てた男ロイ・ビーンの生涯を描く。酒場が一瞬のうちに裁判所に変わるというのは、ジョン・フォードの映画でもおなじみの光景だが、ここでの裁判はさらに荒唐無稽だ。ほとんど裁判らしきものもなく、あらゆる悪党は縛り首か銃殺。ロイ・ビーンはいつも分厚い法律書を手にしているが、ほとんど読むこともなく、こざかしい弁護士が法律書を逆手にロイ・ビーンに挑むと、問題のページを破りとって、その法律は無効だと宣言する。

西部劇というよりも、どこかメルヘンのような雰囲気がある映画だ。なにせ、ロイ・ビーンが恋人と熊と三人で(?)ピクニックに出かける場面さえあるのだから(この熊はビールを何本もがぶ飲みして、酔っぱらったりもする)。ホークスの『男性が好きなスポーツ』に並ぶ熊映画の傑作でもあるかもしれない。

死人たちが天国から語っているようなナレーション。壁じゅうに貼られたポスターによって偏在していたリリー・ラングドリー(エヴァ・ガードナー)が、ビーンの死後、最後の最後に登場するというシナリオもしゃれている。鉄道。

○ヴィクトル・ユゴー『私の見聞録』


8月30日

面倒くさいのでタイトルだけ。

『映写技師は見ていた』(91年、アメリカ)
スターリンの時代のクレムリンで映写技師を務めた男の実話。興味深い話だが、出来は標準的。

『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(56年、F・F・シアーズ)
レイ・ハリーハウゼンの特撮。

『破れ太鼓』(49年、木下恵介
強権的な父親(阪妻)に支配された一家を描く。 退屈。

『地球へ二千マイル』(57年、ネイサン・ジュラン)
タイトルからはわからないが、モンスター映画です。これもハリーハウゼン。

『ポップ・ギア』(64年、フレドリック・ゴード)
アニマルズとかいろいろ。歌っているところをつなげただけ。

『ハード・デイズ・ナイト』(2000年、リチャード・レスター)
『ジョン・レノン 僕の戦争』 (67年、リチャード・レスター)
MTVふうに撮られた戦争。戦場にクリケット場を。最後はやっぱり橋。

『ザ・モンキーズ HEAD! 恋の合い言葉』(68年、ボブ・ラフェルソン)

『ガリバーの大冒険』(60年、ジャック・シャー)
ハリーハウゼン。

『魔像』(52年、大曽根辰夫)
林不忘原作の映画化。阪妻主演。大友柳太朗ほかでもリメイクされている名作。

『パイナップル・ツアーズ』(92年、中江祐司/富間早志)

『SF巨大生物の島』(61年、サイ・エンドフィールド)
ふつうの鶏を特撮で大きく見せてます。

『真夏の夜のジャズ』(59年、バート・スターン)

『ストーミー・ナイト』(99年、ラム・ゴパル・バルマ)
まともに伏線も張ってないひどい脚本。

『二人の武蔵』(60年、渡辺邦男)
同じ武蔵の名前を持つふたり(長谷川一夫と市川雷蔵)に定番の物語を振り分けて、なかなか巧みに描いていた映画。

『オリバー!』(68年、キャロル・リード)

『宮本武蔵』(73年、加藤泰)

『名誉と栄光のためでなく』(66年、マーク・ロブスン)
アルジェリア独立運動を映画化した珍しいアメリカ映画。でも実は、撮影されたのはスペイン。

『スリー・キングス』(99年、デヴィッド・O・ラッセル)
最初はふざけた調子で始まるが、だんだんとまじめな戦争物 になってゆく。よくあるヴェトナムものをイラクに置きかえた感じ。

『宮本武蔵』(54〜56年、稲垣浩)

『スターマン』(84年、ジョン・カーペンター)
宇宙に鳴り響く「サティスファクション」。

『2010年』(84年、ピーター・ハイアムズ)
ソ連の宇宙船にアメリカ人3名が乗り込んで、ディスカバリーの探索にでているあいだに、地球では第3次世界大戦が起きてしまい、宇宙でも米ソの対立が顕在化。モノリスからの最後のメッセージは、「平和を目指せ」という、なんとも能天気な物語。

『インドの槍』(99年、E・ワニス)
新任の警官が、警察さえも敵に回して、街の権力者にたったひとりで挑む。

『シシリアン』(87年、マイケル・チミノ)
テレンス・スタンプの存在によってだいぶ救われている。

『ダンテズ・ピーク』(97年、ロジャー・ドナルドソン)

『ミスター・ルーキー』(2002年、井坂聡)
脚本がひどすぎ。

『ラン・ローラ・ラン』(トム・ディクヴァ)
同じ話を3度描き直す。『偶然』『スライディング・ドア』 とちがうところは、主人公が、自分が同じ話を繰り返していることにうっすら気づいていること。

『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』(97年、トーマス・ヤーン)
死を宣告された性格がまるで正反対のふたりによるロード・ムーヴィー。

○香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』


8月17日

○Patricia Highsmith: The animal-lover's book of beastly murder
 思ったよりも面白くない。トリュフ豚が主人公の小説を書いたのは、後にも先にもパトリシア・ハイスミスだけ?


8月14日

○武田泰淳『目眩のする散歩』

○『世界文学のフロンティア2 愛のかたち』

○ジロドゥ『ベラックのアポロン』

○J. K. Rowling: Harry Potter and the Goblet of fire


8月2日

○坪内祐三『靖国』
 イデオロギー論争から離れたところから、靖国神社を新鮮な視線でとらえなおした本で、なかなか面白い。とはいえ、靖国問題を非歴史化してしまうという側面があることは否めない。

○バルザック『大佐の女』
 関係ない話をさんざんしたあとで、ラスト3ページほどで一挙に物語の核心をスピーディに語ってみせる巧さ。

○魯迅『吶喊』


7月28日

『ターゲット』(85年、アーサー・ペン)
テキサス→パリ→ベルリン。真犯人はバレバレ。

『大いなる男たち』(69年、アンドリュー・V・マクラグレン)
南北戦争後日談。ジョン・ウェイン(北部人)、ロック・ハドソン(南部人)の一行がそれぞれメキシコを目指す。Too academic.

『侠客春雨傘』(60年、渡辺邦男)
長谷川一夫の一人二役。長谷川一夫(侠客)を、長谷川一夫(団十郎)が芝居にしていくところが面白い。侠客はもともとは「かぶき者」と呼ばれていた。

『夜霧よ今夜も有難う』(67年、江崎実生)
『カサブランカ』のイタダキといわれているが、浅丘ルリ子が結婚直前に交通事故に遭うのは、『めぐり逢い』を思い出させる。

『スフィア』(98年、バリー・レヴィンソン)
『漂流教室』のパクリっぽいところあり。

○谷崎潤一郎訳『源氏物語』第一巻

○バルザック『ファチーノ・カーネ』


7月22日

『五人の賞金稼ぎ』(69年、工藤栄一)
マカロニ・ウェスタン化した『七人の侍』といった趣の作品。工藤栄一作品としては、それほどのものでもない。マシンガンが出てくるのがユニーク。

『クロムウェル』(70年、ケン・ヒューズ)
リチャード・ハリスがクロムウェルを、アレク・ギネスがチャールズ一世を演じた史劇。掘り出し物。チャールズ一世と議会との対立に始まり、それが内乱にまで発展し、王が逮捕され、斬首刑に処せられるまでを描く。 民主主義の理想に燃え、正義を貫く不屈の闘志を持つが故に、ときとして周囲に軋轢を生みながらも、リーダーシップを発揮して国を導いてゆくクロムウェルの姿を、リチャード・ハリスが微笑ひとつみせずに渋く演じている。独裁者を倒すために戦ったかれが、結局は権力の椅子につかざるをえなくなるという皮肉。一方、権力に固執し、歴史のターニング・ポイントを認識することができずに、自滅していく王を演じるアレク・ギネスの堂々たる演技もなかなかだ。

『横線地帯』(60年、石井輝男)
裏切られた殺し屋が、人質の女を連れて逃げ延びながら、黒幕を捜し出して片をつける。そこに、女の恋人の新聞記者が絡むという物語を、強引だがなかなか器用に語ってみせている。セットで作られた神戸の街のエキゾチスム。助けを求めるメッセージを書いた札束が次々と人手に渡ってゆくところなど、なかなか荒唐無稽だ。天知茂は、いつものようにニヒルを絵に描いたような役を、見事に演じている。

『ビッグ・ウェンズデー』(78年、ジョン・ミリアス)
撮影ブルース・サーティーズ。波乗りの場面は見事。サーフボードにキャメラをくくりつけたんでしょうか。ベトナム戦争を背景にした青春映画としては、もうひとつ煮え切らない。時間の欠落の前後の処理が今ひとつだからか。ゲイリー・ビジーが若い。

『客途秋恨』(90年、アン・ホイ)
完成度は高いんだけれど、なにが足りないんでしょうか。

○バルザック『アディユ』
 狂気の原因となった場面をそっくりそのまま再現するという狂気。


7月16日

『白昼の無頼漢』(61年、深作欣二)
「くろんぼ」「あいのこ」「朝鮮人」、差別用語を惜しみなく使ったアクション映画。深作のかなり初期作品。

『アニー・ホール』(77年、ウディ・アレン)
久しぶりに見直したが、クリストファー・ウォーケンとかジェフ・ゴールドブラムがちょい役ででているのに驚く。映画館で物陰からでてくるマーシャル・マクルーハンは本人らしい。トルーマン・カポーティがでているという話もあり。


7月15日

『永遠と一日』(98年、テオ・アンゲロプロス)
「アレクサンドレ」という子供の呼び声で始まり、同じ「アレクサンドレ」という母の呼び声でおわる。病に冒された詩人の人生最後の旅=過去への旅。アルバニア難民。ブルーノ・ガンツと少年が乗るバスに伴走する黄色い雨合羽のサイクリストたちがなぜか目に焼き付く。これが映画というものだ。故郷に帰っても言葉がわからず、他人から言葉を買う19世紀の詩人。「よそ者」。アンゲロプロスの映画の主人公は、ひとりの例外もなく「よそ者」である。すでに人手に渡り、朽ち果ててしまった海辺の家。

○武田泰淳『富士』


7月14日

『復讐の荒野』The Furies(50年、アンソニー・マン)
これはめちゃくちゃいい。『追跡』の姉妹編といった趣の作品で、あれの父娘版といったところ。どろどろとした人間関係がたまらない。ここでの「復讐」とは、なによりも娘の父親に対する復讐なのだ。ウォルター・ヒューストンが土地の権力者=強力な父を魅力的に演じ、その娘をバーバラ・スタンウィックがいつものように圧倒的な存在感で演じている。傑作だ。

>○高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』
 最大の教訓は、小説を書くためにはバカにならなければいけないということ。


7月12日

○バルザック『ざくろ屋敷』 聖家族の肖像。


7月11日

『トゥルーマン・ショー』(98年、ピーター・ウィアー)
このネタはずいぶん前からあったと思う(アニメ『ワンピース』にも、絵に描いた空は出てきたような・・・)。だれが最初かなどという以前に、子供じみた想像力の産物なのだが、それで堂々と一本映画を撮ってしまうところがハリウッドのすごさか。嵐の海を通り抜けて、トゥルーマンが絵に描かれた空にたどり着き、その出口の扉を開けて出ていくところで映画はおわるのだが、その出口の先にあるのもまたハリウッドのセットであるという皮肉は、ここでは問題とされていないようだ。それでも、外部もまた内部であるという不気味な閉塞感が、おそらく作者の意図を越えて、作品全体に漂っていることには、たんにこの作品だけでない昨今のアメリカ映画全体の問題として、注目して良い。

○『ちくま文学の森 恐ろしい話』


7月8日

『座頭市地獄旅』(65年、三隅研次)
いつもながらの三隅研次のシャープな演出に、伊藤大輔の脚本の人間ドラマ。成田三樹夫と勝新太郎のあいだで、将棋盤を使わずに口で交わされる将棋の戦いが、ドラマのクライマックスである二人の果たし合いと無理なく重ね合わされる。志穂美悦子と林千鶴って似てない?

最近たまたま岡本綺堂の「利根の渡」という短編を読んだが、ここにもすごい座頭がでてくる。敵の目をつぶすことに執念を燃やして、渡し場に何年もたってその敵が現れるのを待ち続けるうちに、結局病に倒れて死んでしまうのだが、この座頭がすごい針の使い手なのだ。

『鱒』La Truite(82年、ジョゼフ・ロージー)


7月8日

『バラバ』(62年、リチャード・フライシャー)
遠藤周作の『沈黙』を少し思い出させる話。闇→光。光→闇。猛獣のような戦士をジャック・パランスが動物的に演じている。シルヴィア・マンガーノってこんな顔してたっけ?


7月7日

○フラナリー・オコナー『オコナー短編集』


7月5日

『チザム』(70年、アンドリュー・マクラグレン)
不良少年ビリー・ザ・キッドが改心しかけるが、結局私憤に駆られて・・・。リチャード・ニクソンお気に入りの映画だとか。


7月4日

○川上弘美『溺レる』


7月3日

『エル・ドラド』(66年、ハワード・ホークス)
酔っぱらい保安官、身体麻痺のガンマン、口うるさい老人、ろくに銃が扱えない青年。最後は、ウェインもミッチャムも松葉杖。不具者だらけの西部劇だ。Let's
play the music! (教会での銃撃戦の場面で、ジョン・ウェインがいう台詞。)部屋にウェインしかいないと思っていたシャーリン・ホルトが、ミッチャムを見て大笑いする場面がいい。汚辱にまみれた者の再生(『コンドル』のパイロット(リチャード・バーセルメス))。

『コンドル』(39年、ハワード・ホークス)
ジーン・アーサーが初めてピアノを弾く場面。ホークス映画のセッションの場面は、並の音楽映画よりも断然ファンキーだ。

○阿部和重『ヴェロニカ・ハートの幻影』

○大塚英志『物語の体操』



7月2日

『砂絵呪縛』(60年、井沢雅彦)
東映は東映だけれども、いつもの千葉・銚子の波しぶきから始まらない、珍しい第二東映作品。近衛十四郎が例によって世をすねた浪人を演じている。

○阿部和重『公爵夫人の午後のパーティ』
 タイトルはプルーストの小説を思わせるが、実はひたすら「アクション」。

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