日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
■6月30日
『アーバンカウボーイ』(80年、ジェームズ・ブリッジス)
『ホワイト・ハンター ブラック・ハート』の脚本家の監督作品。タイトルは「カウボーイ」だが、トラボルタはほとんど踊ってばかりいる。ヒューストンのイメージ。特に見るところなし。ただデボラ・ウィンがーがかわいいだけ。
『情婦』(57年、ビリー・ワイルダー)
アガサ・クリスティー原作の裁判劇ミステリー。心臓が弱いチャールズ・ロートンが口うるさい看護婦の目を盗んで葉巻をすったり、ブランデーを飲んだりするところなど、全体的にかなりコミカルで、無理にコメディーにしようとしているところがある。それほど成功しているとも思えないが、あまり好きになれないワイルダーのなかでは嫌いでない作品だ。それもこれも、やはりロートンの魅力故。
■6月28日
○タハール・ベン・ジャルーン『娘に語る民族差別』
■6月27日
○J・K・ローリング『ハリー・ポッターとアズガバンの囚人』
■6月27日
モニター、今のところ正常。
○阿部和重『ABC戦争』
■6月26日
『甘い汗』(64年、豊田四郎)
佐田啓二の珍しい悪役。人物造形が定型的。
○バルザック『グランド・ブルテーシュ奇譚』
バルザックは家を人間のように描写する。なんだかものすごい話ですね。『黒猫』に並ぶ生き埋めの物語。
■6月25日
修理に出していたモニターが返ってくる。相変わらず対応は早いが、前のことがあるのでちゃんと直っているかどうかは疑問。とりあえず、今のところ問題なし。
『冷飯とおさんとちゃん』(65年、田坂具隆)
山本周五郎原作。アカデミックな演出。錦之助のひとり三役によるオムニバス。出だしを見逃し、ぼーっと見ていたので、オムニバスと気づかず、奇々怪々な物語に理解に苦しむ。
『ちいさこべ』(62年、田坂具隆)
これも周五郎。
『チャーリーズ・エンジェル』(00年、マックジー)
なにもいうことなし。こんなものがヒットするのか・・・。謎。
『おかしな二人』(68年、ジーン・サックス)
レモン&マッソー。この二人のコンビは最近なにかで見たのだが思い出せない。ニール・サイモンの舞台の映画化。一言でいうと芝居映画。
『お染久松 そよ風日傘』(59年、沢島忠)
これも二人一役。やはり日本映画の二人一役は独自のものだ。ここでもダブル・キャストは物語上まったく機能していない。スター・システムに支えられた経済原理?
○山口雅也『生ける屍の死』
読み始めてみたが、読み通す自信がなくなってきた。死者が次々と蘇るという異常なシチュエーションのなかで展開するミステリー。この状況自体が推理小説というジャンルを内側から崩しているともいえる。ただ、やはり推理小説は退屈だ。
■6月21日
モニターを修理に出していて、今古いパソコンで作業をしている。レスポンスが遅いのでイライラ。更新などしてられるかという感じだが、あまり放っておくとホームページに来る人がますます少なくなりそうなので、なにか書いておこう。ところで、今日、不思議なことを発見。今は、修理に出したモニターとは別のモニターを使っているのだが、このモニターの画面が時々急にふるえることに気づいた。おいおい、こっちまで故障かよ──。と、最初は思ったのだが、よく観察していると、ある法則があることを発見したのだ。画面がふるえてしばらくしてから、決まって携帯が鳴り始めるのだ。つまり、携帯にメールが入ったときに、携帯が鳴るよりも先にモニターが電波に反応し、それで画面がふるえるらしい。やっぱり電磁波って怖いかも。
『ランダム・ハーツ』(99年、シドニー・ポラック)
勘違いしていたが、『心の旅路』(ランダム・ハーヴェスト)とはまったく関係なし。
Book-Off で、安岡章太郎の『花祭』とメルヴィルの『ビリー・バッド』(英語版)を共に100円で購入。Book-Off は100円コーナーに限る。
■6月21日
『おしどり駕篭』(58年、マキノ雅弘)
『貴種流離譚、いいまして、身分高く生まれた人が、生まれからくる気高い性格ゆえに、運命にもてあそばれ、ひどい目に遭う。こういう定型があるんです。日本人の好む物語の原型ですねん」(小林信彦『唐獅子源氏物語』)
これも貴種流離譚。
『小判鮫 お役者仁義』(66年、沢島忠)
『雪之丞変化』みたいな話だなと思って見ていると、なんのことはない『雪之丞変化』だった。
○モーパッサンの怪奇短編
■6月19日
『きさらぎ無双剣』(62年、佐々木康)
市川右太衛門、松方弘樹、高田浩吉、近衛十四郎、里見浩太朗、東千代之助主演の豪華時代劇。 スターの顔見せ出演に終わらず、しっかりと作ってあり、悪くない。
『ジャック・ドゥミの少年期』(91年、アニェス・ヴァルダ)
これも前に見ていたのだがすっかり忘れていてまた見てしまった。最近記憶力がおぼつかない。モノクロで撮られたドゥミの少年時代を中心に、テーマに応じてドゥミの作品の抜粋が挿入される(ドゥミの父親のやっている自動車の修理工場の場面に、『シェルブールの雨傘』の修理工場の場面が挿入されるといったぐあい)。9.5ミリの撮影機。疎開の繰り返し。ドゥミは最初アニメーション作家だった(?)。クリスチャン・ジャック。ドゥミがなぜミュージカルを撮るようになったのかは、この映画を見てもわからない。可もなく不可もなく。
○小林信彦『唐獅子源氏物語』『神野推理氏〈降りられんと急行〉の殺人』『およよ大統領 虚名戦争』
源氏物語のパスティッシュの部分が最高。
■6月18日
『いろは若衆 ふり袖ざくら』
加藤泰が脚本を書いているが、特にこれといって注目するところはなかった。例によって美空ひばりの男装もの。
『アメリカン・ビューティ』(99年、サム・メンデス)
チューリップ。トルコ、アフガニスタン、オランダの国花。17世紀初頭の異常な新品種作成ブームのさいには、球根一個と12エーカーの土地が交換されたこともあったという。死者の語り。ビデオマニア。ナチスの皿。退役軍人=抑圧されたホモセクシャル。ピンク・フロイド。興味深い映画ではあるが、やはり『ファイト・クラブ』と同じ問題。
○リチャード・アダムス『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』 再読。
○ピエール・グリパリ『ランゲンドルフの城』(どっちが幽霊?)、 『中毒者』(人生に中毒?)、『中国譚』(木の話)
ひねくれたユーモアがあって、なかなか面白い。『木曜日は遊びの日』『ピポ大王』も読んでみるべきかも。
○小林信彦『唐獅子料理革命』『唐獅子異人対策』
■6月16日
『ファイト・クラブ』(99年、デヴィッド・フィンチャー)
『セブン』や『ゲーム』 にくらべればこれはそれなりに興味深く見られるのだが、結局ダメはダメである。なぜダメなのかというと──、それを説明するのは難しいというか面倒くさい。そのうちメルマガのなかででも、『マトリックス』や『サイン』や『マルコヴィッチの穴』などといっしょに、90年代ごろから現れ始めたアメリカ映画の傾向について論じてみることにしよう。マーサ・スチュアート。ビルの崩壊。多重人格というよりも分裂病(統合失調症)?
モニターを修理に出したのでパソコンが使えなくなるあいだ、読書に励もうと思っていたのだが、あっという間に修理から帰ってきてしまったので思惑がはずれた。とはいえ、最初は3万円かかるといわれていた修理代が、もともと欠陥があったということでタダになったのはラッキーだった。
○福田和也『作家の値うちの使い方』
○スタンダール『ほれ薬』
○J・K・ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
なにゆえこの作品がこんなにも世界的な大ベストセラーになったのか謎。 読んでいて「発見」する喜びとでもいったものがまるでない。逆に、それが安心して読めるということなのかもしれないが、わたしにとってそれは読書ではない。それに、率直に言って、エンターテインメントとしてもそれほど質が高いとは思えないのだが・・・。あまり本を読まない人には、これがめっぽうおもしろく思えるのかもしれない。そもそも、ふだん本を読まない人が読むからベストセラーになるわけだし。──だれも本を読まなくなった時代のベストセラーか。
■6月12日
『秋のミルク』(88年、ヨゼフ・フィルスマイヤー)
ナチ時代のドイツの農村の物語。もっとも、ナチはここでは単なる背景にすぎない。なにもかも中途半端で退屈。
ノラ・ジョーンズを聞く。どこかなつかしいような歌声。悪くないが、特に際だったところもないように思う。
モニターをいよいよ修理に出すことに。同じ機種で同じ苦情があるらしく、もともと欠陥があったようなのだが、修理代は3万円近く取られるらしい。文句を言ってもたぶんダメだろう。
■6月11日
『人肌孔雀』(58年、森一生)
男装の麗人(山本富士子)の復讐。陳腐な物語(逆パターンの『雪之丞変化』もあり)だが、 美術が優秀だとこうも見栄えが違うのかと驚く。
○綾辻行人『時計館の殺人』
確信犯的アナクロニズム。おもしろいけれどもどこか食い足りない。それにしてもミステリーは疲れる。純文学の方が楽しい(?)。
■6月10日
『黒の天使 Vol.2』(98年、石井隆)
ここでの降りしきる雨は、石井隆の映画に反復して現れるテーマというよりも、ずばりマンネリといってしまった方がいい。たまにはヤクザと女がらみ以外の話を撮ってみてはいかがなものか。
『ピーターパン』(24年、ハーバート・ブレノン)
ネヴァー・ランドと聞くとマイケル・ジャクソンを思い出してしまうのが怖い。まあ退屈な作品だが、この時代としては特撮が良くできている。と思ったら、撮影はジェイムズ・ウォン・ホウだった(テレビではジェイムズ・ホウとなっていたが)。ホウの
最初期の仕事。 この時期は、ハーバート・ブレノンと何度も組んで仕事をしていたようだ。これだから映画は侮れない。
■6月9日
『トパーズ』(92年、村上龍)
原作の複数の主人公をひとりの女にまとめて書き直したシナリオ。草間彌生、島田雅彦ら、コネで出ている俳優が豪華。悪くない場面もいくつか。
『花嫁の父』(50年、ヴィンセント・ミネリ)
花嫁の父が娘の結婚相手に反対というのは、最近の『アバウト・シュミット』など、よくある話だが、おもしろいのは、ここでは花嫁の父と娘の恋人との確執は早い段階に決着がつき、あとはえんえん結婚式にかかる金の問題や、結婚式の段取りの問題に終始していること。結婚式の前夜にスペンサー・トレイシーが見る悪夢。
松井に復調の兆し。
パソコンのモニターの調子悪し。プリンターも買い換えなければいけないし、これ以上よけいな出費はさけたい。
○スタンダール『ヴァニナ・ヴァニニ』
裏切りの物語。
■6月8日
『宮本武蔵 決闘般若坂』(43年、伊藤大輔)
内田吐夢の『真剣勝負』とかなり重なる物語。あちらは武蔵外伝といった感じで、又八もお通も出てこなかったが、こちらはいかにもシリーズの一話といった作りになっている。風車で敵の侵入に気づくところは同じ。風車が止まったことで、相手が死んだことを暗示するという描写もあり。(『真剣勝負』の脚本には、伊藤大輔が関わっていることをあとで発見。)
『シェンナドー河』(65年、アンドリュー・V・マクラグレン)
南北戦争を、奴隷制とは無縁の南部の一家を通じて描く。意外と良い。後半少し展開が雑になっているのがもったいない。
『Laundry<ランドリー>』(森淳一)
ナレーションの使い方がだらしない。
○村上龍『トパーズ』
■6月5日
『宮本武蔵 金剛院の決闘』(43年、伊藤大輔)
武蔵が城の屋根裏部屋に閉じこめられるところから、柳生石舟斉に会いそびれ、その折りに二刀流を会得するまで。吉川英治原作なので、大筋は稲垣浩、内田吐夢のものと変わらない。二刀流をものにするために両手で絵を描いたりして訓練するところや、城太郎との師弟のくだりがやや念入りに描かれている。
『宮本武蔵』(44年、溝口健二)
上と同じく戦時中の作品。「撃ちてし止まん」で始まる。菊池寛原作で、稲垣や内田のものとはだいぶ趣が違う。河原崎長十郎が武蔵。 話は、一乗寺の決闘から佐々木小次郎との対決まで。これが約一時間で描かれるから、内容は薄い。途中で田中絹代の姉弟が仇討ちのために武蔵に特訓をうけるところが異色。
○中条省平『クリント・イーストウッド アメリカ映画史を再生する男』
特に際だったところはないが、よくまとまっているし、よく調べてある。
■6月4日
『オープン・ユア・アイズ』(97年、アレハンドロ・アメナーバル)
トム・クルーズのお気に入り。全然たいしたことないです。最後まで見ればあほらしい話だし、途中でネタばれしてるし。 出来の良くないフィリップ・K・ディックといった感じ。ペネロペ・クルスのかわいさだけが際だっていた。
『彼女を見ればわかること』(99年、ロドリゴ・ガルシア)
五つのエピソードで複数の女性を描く。登場人物がエピソードをまたいで現れたりするが、ほとんど仕掛けはなく、基本的にはオムニバス映画。
それぞれ奇妙な出会い(医者と占い師、刑事と死体、銀行支店長とホームレス・・・)を通して、女たちの孤独が描かれる。アルトマンの『ショート・カッツ』みたいに、見ているうちになにかが浮かび上がってくるという奥行きというか広がりは全然ない。可もなく不可もなくといった感じ。さりげなく暗示するだけで終わっているところが「文学的」で、評論家受けしたのかもしれない。それもそのはず、ロドリゴ・ガルシアはあのガルシア・マルケスの息子
なのだ。 それほど大した才能とは思えないが、もう一本ぐらい見ておこうかという気にはなった。それにしてもあのフィルターの使い方は目にあまる。
■6月3日
『ブラック・レイン』=『マンハッタン無宿』説あり。
『宮本武蔵』(40年、稲垣浩)
片岡千恵蔵の武蔵。又八役の原健作が若い。 内田吐夢版の方があらゆる点で勝っている。
『黒の天使1』(98年、石井隆)
筋書きは陳腐。照明は悪い。甘ったるいスローモーションの多用。石井隆としてはもっとも弛緩した一本。
○福田和也の『作家の値うち』
平野啓一郎が40点台というのには賛成だが、村上春樹のこの評価の高さは解せない。中上健次も昔こんな風に点を付けてたことがあったが、こういうのはなんだか楽しいね。映画版をやってみればおもしろいかも。
■6月2日
『トゥルー・クライム』(99年、クリント・イーストウッド)
死刑囚の心境を全然理解しない偽善的な神父(マイケル・マッキーン)は、『ペイルライダー』でイーストウッド自身が演じた牧師を少しだけ思い出させる(『ダーティ・ハリー』の教会とか。イーストウッドにおけるキリスト教のイメージ)。アイスクリーム・パーラーの中国娘(マイノリティ)。自分の娘と共演した動物園の場面は結構自虐的。イーストウッドは同僚の妻と平気で寝る男を演じていて、相変わらず「善悪の彼岸」にいる。
■6月1日
『ザ・グリード』(98年、スティーヴン・ソマーズ)
馬鹿がモンスターに食われていく映画。あまりにもありきたりなので、最後の15分ぐらいになるまで、前にテレビで見たことを忘れていた。3度目を見ないために一応メモしておく。
『黄昏に瞳やさしく』(90年、フランチェスカ・アルキブージ)
『家族の肖像』を思い出させる話だと思ってみていると、さりげなくそのポスターが貼ってあったりする。まずまずだが、サンドリーヌ・ボネールはイタリア人には見えない。
『レジェンド/光と闇の伝説』(85年、リドリー・スコット)
一角獣ファンタジー。最悪。
『ア・フュー・グッド・メン』(92年、ロブ・ライナー)
良質な裁判劇。トムは相変わらずがんばってます。プライオリティーの順位が、「部隊、海兵隊、神、国」というのはおもしろかった。
■5月31日
七藝にアラノヴィッチ特集を見に通った。
『今夜はプレミア』『天と地の間の人々』『アンナ・アフマートワ』『アイランズ/島々』
『今夜はプレミア』
アラノヴィッチのデビュー作。チェーホフ『三人姉妹』の初日を控えた舞台稽古のドキュメント。明日が初日だというのにまだ人物の解釈で議論したりしているのが、見ていておかしくなる。ワイズマンの映画にちょっと近い感じ。
ナレーションはほとんどなし。
『天と地の間の人々』
モンタージュは結構めちゃくちゃですね。だって、ナレーションやっている人、実は墜落したパイロットらしいんですけど・・・。これってどういうことですか。幽霊?
『アンナ・アフマートワ』
ナレーションがすべて英語のヴォイス・オーヴァーになっているのがうっとうしい。ちゃんとしたヴァージョンで見たい。
『アイランズ/島々』
これも最後、墓石が倒れているショットがあって、古い島民の写真のモンタージュになって、なんだか幽霊っぽい終わり方(?)。ナレーションなし。
○山田風太郎『戦中派不戦日記』
B-29 が「ポー助」や「プーちゃん」と呼ばれていたことは、この本を読まないとわからない。
■5月19日
『アデュー、ぼくたちの入り江』(98年、マヌエル・プラダル)
パラダイスシネマで公開されたときに見逃して以来ずっと気になっていたマヌエル・プラダルの『アデュー、ぼくたちの入り江』を、やっとテレビで見ることができた。この映画は、公開されたときになにかピンとくるものがあって、知り合いを誘って見に行こうと思ったのだが、相手の反応が悪かったので結局行くのをやめてしまったのだった(こんなふうにして、あと一押しがなかったために見るのをやめてしまうことが、けっこうあるものだ)。やっぱり自分の勘だけを信じて見に行っとけばよかった。自分でいうのもなんだが、わたしの勘はめったにはずれることがないのだ。
『アデュー、ぼくたちの入り江』はマヌエル・プラダルの記念すべき長編デビュー作である。舞台となるのは、フランスでもっとも美しいといわれるコートダジュールにある天使の入り江。「天使」とはこの入り江の守り神である鮫の呼び名で、伝説によれば、この入り江で天使と鮫が愛しあい、「天使」と呼ばれる鮫が生まれたという。そして鮫たちの生け贄として子供たちが捧げられた──。
沖に二つ並んでいるまるで鮫のひれのように見える岩を背景に、観光船のツアーガイドがそんなふうに伝説を語る声が聞こえる。海からあがってきた金髪の少年が、ピストルで撃たれ、青い海を真っ赤に染めて沈んでゆく。赤いシャツを着た別の少年(おそらくピストルを撃ったのはかれだ)が足早に去ってゆくイメージ。同じ少年が今度は黒いシャツを着て、私有地を囲む鉄柵をなにかでたたきながら歩いている。少年はおもむろに柵を乗り越え、屋敷に勝手に入り込む。少年が忍び込んだ部屋のテレビにはカーレースの情景が映し出されている(おそらくモナコ・グランプリだろう)。少年は飾り棚からペンダントを盗む。若い女性が、英語の歌を口ずさみながら、車を運転しているイメージ。おそらく彼女はこの屋敷の持ち主なのであろう。おそらく・・・。
こういう映画になれていない人は、最初の5分ほどを見ただけで、なにがなんだかわからなくなって、見る気をなくしてしまうかもしれない。脈絡のないイメージの連続。いったいなにがいいたいのか──。新人監督の編集のまずさを指摘することもできるだろう。それはたしかにそうなのだが、そんな欠点さえも魅力に感じさせてしまうみずみずしさが、この映画にはあふれているのだ。
なによりも、主役を演じる少年と少女がいい。入り江の少女マリー役を演じるヴァヒナ・ジョカンテは、14歳とはとても思えぬ色気を漂わせていて、背伸びして米兵たちを挑発しつづける少女をどこまでも自然に演じている。ジプシーの少年オルソを演じるフレデリック・マルグラは、どこかドニ・ラヴァンを思い出させる動物的な顔をしていて、演技力はともかく、強い印象を残す。
この映画は、このふたりの出会いと死を、刹那的に描いたプラダル版『恐るべき子供たち』だといえば、だいたいの雰囲気はわかってもらえるだろうか。
たしかに欠点はいろいろあるかもしれない。特に後半はかなり弛緩した印象を与える。前半では距離をおいた視線だけのやりとりを緊張感ある映像で描いていたのが、ふたりが「出会う」ところあたりから話がゆるみ始めるのだ。まるでエデンの園のアダムとイヴのように、ふたりが島で戯れあう姿を描いた部分は、物語に緩急をつけ、悲劇的な結末を準備するための、物語の「緩」の部分ではあるのだが、肝心の「急」の部分が今ひとつ説得力に欠けるので、その役割を果たしていないように思えるのだ。
ま、見てない人にこんな細かい話をしても仕方あるまい。ともかく、この監督は今が買いであるとだけいっておこう。残念ながら、日本ではほとんど話題にならなかった。少なくとも、わたしのまわりにいる鬼のようなシネ・フィルたち──戦争だろうが、テロだろうが、新型肺炎だろうが、会えば映画の話しかしない──鬼のようなシネ・フィルたちのあいだで話題になったことはない。
なぜかアメリカでは一部の観客に受け、ハーヴェイ・カイテルなどは、この映画をいたく気に入って、ついには、プラダルの4年ぶりの新作に、主演までしてしまっている。またしても地中海が舞台となるその新作『Ginostra』には、カイテルのほかに、ハリー・ディーン・スタントンや、アーシア・アルジェントなど、なかなか豪華な顔ぶれが並ぶ。マフィアを描く映画とのことで、前作よりも製作費はずいぶんかかっているようだが、やはりやりたいことをやっているらしい。いつ見られるかわからないが、この第二作にも期待してみたい。
この映画はビデオにもなっていないようなので、見る機会はあまりないと思うが、そういう機会があったときはお見逃しなく。
■4月26日
『暗殺者の家』(34年、アルフレッド・ヒッチコック)
昔の歯医者は、でっかい歯の作り物を看板として店先に出していたようだ。この映画では、娘をさらわれた父親が、殺された友人(フランス人のスパイ)の残した手がかりを頼りに最初に赴く歯医者の看板が、歯をむき出しにしたでっかい口の模型になっている。ウォルシュの『いちごブロンド』の歯医者の看板も、たしか、やはりでっかい歯だった。
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