日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
神戸映画資料館「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見 第2回『駅馬車』」補足
"a fate worse than death" についての覚書――西部劇における先住民の表現についての一考察
先日の神戸映画資料館での『駅馬車』についての講座を終えたあとで、あのクライマックスの駅馬車とアパッチが激走するシーンで、ハットフィールドが最後に残った一発の銃弾でルーシー・マローリーを殺そうとする場面の意味を正確に理解してなかった人が少なからずいたのでびっくりした。神戸映画資料館に映画を見に来るような観客には、この場面の説明はわざわざ必要ないだろうと思って、講座の中ではあえて言及しなかったのだが、どうやら認識が甘かったようだ。日本とアメリカの文化的環境の違いに加えて、西部劇を日常的に見るという環境が失われているまでは、かつてはあえて説明する必要もなかった場面でも、今は回りくどい説明が必要になってしまっているのかもしれない。『駅馬車』の冒頭では、アパッチの脅威が「ジェロニモ」の一語で完結に示されているのだが、この「ジェロニモ」という言葉も、今の日本の若い観客にはどれほどのインパクトがあるのか、正直、全然わからない。講座のなかでふれた、『駅馬車』に最初つけられていた冒頭の字幕は、今こそ必要なのかもしれない。
『駅馬車』でハットフィールドがルーシーに拳銃を向ける場面は、"a fate worse than death"(「死よりも最悪な運命」) を描いた典型的な場面のひとつである。"a fate worse than death" とは、インディアン=先住民に襲われた白人女性は、レイプされて殺されるか(『駅馬車』のフェリー乗り場に打ち捨てられていた白人女性の死体)、インディアンと無理やり性的な関係を結ばされ、奴隷として働かされる(『捜索者』のデビー)ということを暗に示唆する言葉である。むろん、そういう出来事が実際に何度もあったのに違いないが、それでも、この言葉が、すべての先住民は野蛮であるというステレオタイプな発想に基づいていることは確かだろう。さらに、ここには、セクシャリティの問題が深く関わっている。白人女性が先住民と性的な関係を持つことに、白人は異常な恐怖を覚えるが、白人男性が先住民の女と性的関係を持つことに対しては、さほどの抵抗を覚えない。先住民を妻に持ついわゆる「スコウマン」はしばしば軽蔑の対象となる一方で、ふつうの白人にはない知識を持つものとして、一定の尊敬を集める存在でもある(『大いなる勇者』のロバート・レッドフォードや、『ワイルド・アパッチ』のバート・ランカスター)。
"a fate worse than death" という言葉は17世紀にはすでに存在していたらしい。西部劇映画以前に、西部劇小説のなかで、"a fate worse than death" は繰り返し描かれてきた。むろん、具体的に白人女性が陵辱される場面が描かれることはほとんどなかった。具体的に説明しなくても、"a fate worse than death" という一言で、読者には十分通じるようになっていたのである。これは西部劇映画でも同様だったといっていいだろう。
"a fate worse than death" を最初に描いた映画は、おそらくグリフィスの西部劇『エルダーブッシュの戦い』である。この映画のなかで、インディアンに周りを取り囲まれた一軒家のなかで、ただ一人の若い成人女性を演じるリリアン・ギッシュは、赤ん坊を失い、絶望的な状況の中で、画面奥の階段にヘナヘナと座り込む。するとそのとき、階上にたつ男性(顔は見えない)の手にしたピストルが、画面フレームの上方からギッシュの頭部に向けてゆっくりと近づいてくる。『駅馬車』同様、ラスト・ミニュト・レスキユーによって、ギリギリの瞬間、彼女は発砲を免れる。
同様のシチュエーションは、『駅馬車』と同じ年に公開されたセシル・B・デミルの『大平原』にも描かれている。この映画では、インディアンによって列車が転覆させられ、バーバラ・スタンウィックと、彼女を愛する2人の恋敵(ジョエル・マクリーとロバート・プレストン)の3人が、周りをインディアンに囲まれるかたちで車両に閉じ込められ、状況がいよいよ絶望的となったとき、マクリーがスタンウィックの後頭部に拳銃を突きつける。この場合も、最後の瞬間に救助隊が駆けつけ、スタンウィックは救われる。ちなみに、二人には聞こえない騎兵隊のホイッスルの音をスタンウィックだけが最初に聞き取り、"Did you hear it?" というところも、『駅馬車』に酷似している。
『エルダーブッシュの戦い』『駅馬車』『大平原』の3作とも、この場面に言葉による説明を一切加えていない。それは、こういう状況で女にピストルを向けることが何を意味するかを、観客は迷うことなく理解できたからだろう。
もう一つ興味深いのは、いずれの作品でも、女は自分にピストルが向けられていることに気づいていないところである。「死よりも最悪な運命」は、男性によって女性が支配される運命でもあるのだ。ただ、『大平原」の場合だけ異様なのは、グリフィスとフォードの映画では、女にピストルが向けられていることに周りのだれひとり気づいていないのに対して、デミルは、そこに第三者(プレストン)の視線を介在させている点だ。これは決定的な違いであるような気もするのだが、今はうまく説明できない。
『駅馬車』のジョン・フォード=ダドリー・ニコルズが、ダラスにつぶやかせた "there are worse things than Apaches." という言葉は、ひょっとするとこの "a fate worse than death" という表現を意識していたのかもしれない。いずれにせよ、ダラスのこのセリフは、西部劇が描くインディアン=文明のステレオタイプな関係に大きなひねりを加えるものであり、『駅馬車』のなかでは突き詰められることはなかったが、フォード後期の西部劇『馬上の二人』において痛々しいドラマとして描かれることになだろう。
わたしの認識では、"a fate worse than death" という言葉は、とりわけインディアンと白人女性との異種交配の恐怖を表す言葉であるが、白人女性と黒人男性とのあいだの似たような状況に対しても使われることがあるようだ(たとえば、グリフィスの『國民の創生』に描かれたような状況)。さらには、性的な意味は関係なく使われる場合もまれにあるようである。イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』のラストに描かれるヒロインの脊椎損傷の状態を "a fate worse than death" という言葉で表して抗議し、この映画の上映をボイコットしようとする団体がたしかあったと記憶している。
参考文献: "A Fate Worse than Death: Racism, Transgression, and Westerns." (J. P. Telotte)
6月24日に神戸映画資料館で行う予定の「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見 第2回 ジョン・フォードと西部劇の神話──『駅馬車』をめぐって」(タイトルはいつものように適当につけたもので、実際の内容はちょっと違うものになると思います)が、あと一週間と迫ってきたので、さすがに焦っている。なんとか間に合わせるつもりだ。
それまでのあいだ、様々な映画監督がジョン・フォードについて語った言葉を、順次アップしてゆく(ほぼ毎日このページに追加してゆく予定)。フラーとヴェンダースの言葉は雑誌「リュミエール」掲載のテキストからの引用だが、それ以外はすべて筆者による拙訳である。急いで訳したもので、中には英訳からの重訳も混じっている。不正確な部分もあるかもしれないが、とりあえず今は、これでご勘弁いただきたい。時間の余裕ができたときに、再チェックするつもりだ。
古い記事だが、「ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ、ジョン・フォードを語る」も参照していただきたい。
「ジョン・フォードはわたしの教師だった。わたしの作風は彼の作風とはまるで関係ないが、『駅馬車』はわたしの教科書だったんだ。40回繰り返して上映した……。映画はどういうふうに作るのかを、この作品から学ぼうとしたんだよ。『駅馬車』はまさに、古典として完璧な作品だった……。[『市民ケーン』を準備しているあいだ]一月以上に渡って、毎晩、RKOの制作スタッフを一人づつ呼んで、『駅馬車』を上映しながら、あれこれと質問しまくったんだ」
オーソン・ウェルズ
「アメリカ映画がかつて長いあいだそうだったもの、リヴェットいうところの〈探索弾頭 tete chercheuse〉の役割を今や担っているのは、ヨーロッパ映画である。ベティカーが撮った数本の近作以来、アメリカ映画(ニューヨーク派も含めて。ただし『沈黙のこだま』は除く)は、空回りし(フラー)、足踏みし、パロディ化し、剽窃し、ニコラス・レイのように(かれは、デュースブルクで、アトラス・フィルム向けにくだらない仕事を引き受けたばかりだという)、裏切り、自己を否定しさえしている。(たとえばチャップリン、ラング、ルノワール、ロッセリーニらが、人から嘲笑われることなどまるで恐れずに新作を発表し続けているのにくらべれば、ヒッチコック、ホークス、ウォルシュでさえ、少しばかり足踏みしているように思える。)例外が二人いる。ジェリー・ルイスはおそらくその一人であり、もうひとりはジョン・フォードだ。フォードは、アメリカ映画をその頂点にまで高め(『馬上の二人』『捜索者』『騎兵隊』)、そしてその失墜を加速させたあとで(『リバティ・バランスを射った男』『シャイアン』)、アメリカ映画を崇高なものにしたばかりだ。無論、『荒野の女たち』のことである」
ジャン=マリー・ストローブ
「私は、ジョン・フォードの映画の友情を、入念さを、正確さを、手堅さを、真摯さを、静謐さを、人間性を、惜しむ。私は、決して作り物ではない表情を、決して単なる背景ではない風景を、決して押し付けられたものでも、滑稽なものでもない感情を、たとえそれが喜劇的なものであっても、決して自らを嘲笑しない物語を、絶えず完全な変貌を遂げる俳優を、惜しむ。私は、騒々しいジョン・ウェインを、ぎこちないヘンリー・フォンダを、誠実なコンスタンス・タワーズを、内気なヴェラ・マイルズを、謙虚なジョン・クォーレンを、アイルランド人のヴィクター・マクラグレンを、母性的なジェーン・ダーウェルを、不平屋のラッセル・シンプソンを、子供っぽいハリー・ケリー・ジュニアを、惜しむ」
ヴィム・ヴェンダース
「その神話的ともいえる西部劇に加えて、ジョン・フォードの社会的影響力を持つ作品は、私を最も震撼させるものだ。ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』は30年代の大恐慌を描いた、愛国的で、絶望的な小説であり――そしてもちろん、映画化されるために書かれたわけではない。だがフォード、心の腐った馬鹿な連中によって、右がかった男らしさ(マッチョ)を誇示する監督と決めつけられたこの男は、映画館に足を運ぶアメリカ人たちの様々な感情を視覚的につかみ取り、それらの感情を極めて大きな衝撃力で揺すぶった。それゆえ、アメリカの国全体が、スクリーンに次々に映される、失業による社会構造の崩壊、干からびた大地、放浪する農民たち、土地を追われた家族、自国にありながら難民化したアメリカ人、などといったイメージに反応を示したのだ。彼のカメラは,ユーモアと、温かい心と、いきいきとした動きをもって、合衆国において決して起こりえなかった、だが実際に起ってしまったことを示してみせた。この映画は一人のアメリカ人が、法の「向こう側」のために働くおまわりに対して抱く、不信、恐怖の最初のきざしを明らかにした、初めての映画だった」
サミュエル・フラー
「ジョン・フォードは〈完璧な監督〉Compleat Director だった(『人類の戦士』『男の敵』『駅馬車』『怒りの葡萄』『果てなき船路』『わが谷は緑なりき』『静かなる男』)。どんな映画でも撮れる最強の監督だった。ジョン・フォードにとってメガフォンは、ミケランジェロにとっての鑿のようなものだった。つまりは、彼の命であり、情熱であり、十字架だった。フォードをピンで留めて分析することはできない。彼はただ単にフォードだった。つまりはただ単に偉大だった。ジョンは、半分は暴君で、半分は革命児。半分は聖人で、半分は悪魔。半分は我慢できるが、半分は我慢のならない男。半分は天才で、半分はアイルランド人だった。だが、いつだって、全身映画監督だった」
フランク・キャプラ
「私がジョン・フォードでもっとも好きなところは、純粋状態の芸術家であるということだ。芸術家であることに気づかず、無骨で、不毛で回りくどい文化を介さず、知性偏重主義に汚染されていない、芸術家であるところだ。彼の力強さと、人に警戒心を解かせるようなシンプルさが好きだ。フォードのことを考えると、掘っ立て小屋や、馬や、火薬のにおいがしてきて、静かで、人を不安にさせる平坦地が、ヒーローたちの終わることのない旅路が、眼に浮かぶ。だが、私が何よりも思うのは、映画を愛し、映画のために生きた一人の男のことだ。彼は映画を、万人に語られるおとぎ話に、いやなによりも、彼自身によって生きられるおとぎ話に、ごく自然に楽しく人を楽しませ、情熱を持って生きられる住みかに、変えた。こうしたことすべてにおいて、私は彼を尊敬し、賞賛し、愛する」
フェデリコ・フェリーニ
「ジョン・フォードの映画は視覚的な喜びだった――明快であることと見かけの単純さにおいて、雄弁な彼の撮影技法。暖炉の炎越しに部屋を撮ったショットだの、シャンデリアを揺らしながら進んでゆくカメラだの、これといった目的もなしに果てしなく繰り返されるズームイン・ズームアウトだのといったものは、フォードの映画には存在しない。彼の脚本には、始まりと、真ん中と、終りがあるだけだ。それは世界中どこででも理解される。そしてそれは、彼が愛した土地、モニュメント・ヴァレーを讃える金字塔(モニュメント)であるのだ」
アルフレッド・ヒッチコック
「才能というのは稀なものだ。技術的な巧みさは誰もが持っているものではない。撮影現場での統率力は、どこにでも見つかるものではない。だがそれにもまして稀なのは、高潔さだ。ジョン・フォードは王様だった。かれは、この上なく幸運なことに彼とともに仕事をすることができたものたちすべてに、ナイトの爵位を授けてくれたのだ。彼を失ってしまったことは、取り返しのつかない損失だ」
ジャン・ルノワール
「若いとき、私は、ベートーヴェンを賞賛したのとほぼ同じ理由で、ジョン・フォードを賞賛した。その力強さと飾りのなさ(simplicity) を。その暖かさと、詩情と、視野の広さを。その英雄的な態度と、限りない信念と楽観主義を。この二人は、突然荒れ狂い、しばしば感情的になりすぎるところも、共通している。フォードは、私に映画への愛を吹き込み、そのイロハを教えてくれた5、6人の監督たち(その多くはアメリカ人だ)の一人だった。だれよりも彼のおかげで、私は、一本の映画が命を持ち、呼吸し、健全な一人の人間のように振る舞うことを、そして、このような命を吹き込む芸術は、我々を取り巻き支える空気のように、しばしば目には見えないものであり、また、それでこそ命をよりいっそう吹き込めるのだということを、理解した。これほど長きに渡って実り多い仕事をしてきた芸術家が亡くなったことを惜しみはしないが、ジョン・フォードを可能にした一つの時代が終わり、息をする空気そのものが汚染されてしまっている新しい時代が来てしまったことを、心から惜しむ」
サタジット・レイ
「たいていの監督は、前景で起きている出来事を美しく飾るために風景を利用するだけだ。わたしがジョン・フォードの幾つかの作品を好きな理由の一つはそこにある。フォードはモニュメント・ヴァレーを一度として単なる背景として使わなかった。彼はむしろそれを、登場人物の心を表すために使ったのだった。西部劇は、実のところ、我々が正義というものを基本的にどう考えているかを描いている。フォードの映画に描かれるモニュメント・ヴァレーを見るとき、不思議なことに、信じたくなるのだ。アメリカにも正義があると」
ヴェルナー・ヘルツォーク
「古典的作家のなかで最も現代的な映画作家。彼が西部劇を発明したのであり、そしておそらくは映画そのものを生み出したのだ」
「ジョン・フォードは世界で最も有名な監督の一人であったが、その振る舞いや言葉、彼にまつわるすべてから、本人はそんな名声を求めてもいなければ、受け入れてもいないという印象を受けた。ぶっきらぼうで、人には見せないでいるが、実は心優しい人物だといつも言われていたこの男は、ジョン・ウェインが演じた主人公よりも、ヴィクター・マクラグレンが演じたキャラクターたちのほうに、間違いなく近かった。
ジョン・フォードは「芸術」という言葉を決して使わない芸術家であり、「詩」という言葉を決して使わない詩人だった。
ジョン・フォードの映画で好きなのは、彼がいつも登場人物を優先させたことだ。長いあいだ、私は彼の女性の描き方を批判していた。あまりにも19世紀的な女性観に思えたのだった。やがて、ジョン・フォードの映画を通して、私は理解した。モーリン・オハラのような素晴らしい女優は、1941年から1957年にかけてのアメリカ映画における最高の女性の何人かを演じることができたのだということを。
ジョン・フォードは、ハワード・ホークスとともに、「透明な演出」賞を受賞することもできただろう。この二人の物語作家(ストーリーテラー)のカメラワークは、観客には見えないのだ。動いている人物を追いかけるとき以外は、カメラはほとんど動かないし、固定ショットの多くは、常に正確な距離を置いて撮られる。こうして、ギー・ド・モーパッサンやツルゲーネフなどと比較しうる、しなやかで流れるような文体が生み出されたのだ。
堂々たる余裕で、ジョン・フォードは観客を笑わせ、泣かすすべを知っていた。かれが唯一知らなかったのは、観客をどうやったら退屈させることができるかだった!
ジョン・フォードは神を信じていたので、最後にこう言おう――ジョン・フォードに神の祝福を」
フランソワ・トリュフォー
アラン・ドワン『フロンティア・マーシャル』(Frontier Marshal, 39) ★★
保安官ワイアット・アープのトゥームストーンでの活躍を描いた西部劇。『荒野の決闘』と同じスチュアート・N・レイクの小説を原作としているため、登場人物やエピソードはフォード作品と重なる部分が多い。ちなみに、レイクはアンソニー・マンの『ウィンチェスター銃’73』の原作者でもある。
酒場で暴れているならず者をアープが外に引きずり出して町の人たちに一目置かれるエピソードとか、『荒野の決闘』のチワワ(リンダ・ダーネル)にあたるジェリー役のビニー・バーンズが賭博師とグルになってイカサマをしているところをアープ(ランドルフ・スコット)がみつけ、彼女を水桶に放り投げるところとか(その直後に、ドク・ホリディが登場し、アープと一触即発の状態になるところも同じ)。
『荒野の決闘』ではアープ兄弟とクラントン一家の対立が物語の中心になっていたが、ドワンの映画ではアープに兄弟はいないし、クラントン一家も登場しない。ドクが、流れ弾にあたって大怪我をした子供を手術して命を救った直後に(このエピソードも『荒野の決闘』に出てくる)、ならず者に殺され、アープがたった一人でOK牧場に向かうところが映画のクライマックスになっている。ところが、酒場から一分も歩かないところに牧場があるという空間の描き方が何だか異様だった。
『荒野の決闘』と素材が同じだけにどうしても並べてみると見劣りしてしまうし(ドク役のシーザー・ロメロは意外と悪くないが、リンダ・ダーネル、キャシー・ダウンズと比べると二人の女優はいささか影が薄い)、『バファロウ平原』『逮捕命令』『対決の一瞬』など、50年代にドワン自身が撮った西部劇の傑作の数々と比べても、随分マイナーな印象を受ける。しかし、フォードの演出の独自性を見極めるために、この映画はなかなか助けになる(フォードの見せない演出)。
ウェズリー・ラグレス『シマロン』(Cimarron, 31) ★½
1889年のオクラホマの土地獲得競争(オクラホマ・グレート・ラン)から大恐慌の時代に至るまでの40年近い時の流れを年代記的に描いたこのスペクタクル大作を、単純に西部劇に分類していいものかどうかわからないが、少なくとも前半部分には、西部劇的な要素がいろいろと詰まっている(教会のなかでの悪漢との対決や、大通りでのガン・ファイトなど)。
リチャード・ディックス演じるヤンシーは、妻を連れてオクラホマに移住し、新聞社を立ち上げる。西部劇においてジャーナリズムが果たしてきた役割を考えると興味深い展開である。しかしこの映画では、新聞はたんに主人公の職業である以上の役割は果たしていない。
ヤンシー夫婦の旅に勝手に同行する黒人少年の描き方は、黒人のステレオタイプそのもの(キーキー声でしゃべり、知性のかけらも感じられない)。しかし一方で、主人公ヤンシーの考え方や行動が、意外なほどポリティカリー・コレクトなことに驚かされる。彼は、教会にユダヤ人を受け入れ、町の品行方正な人たちから軽蔑されている女(『駅馬車』のダラスや『三悪人』のミリーのような孤児)を裁判で擁護し、息子がインディアンの娘と結婚するのを歓迎する(彼の妻は、最初、それがまったく理解できない)。
すぐに水溜りの出来るでこぼこ道はゆっくりと整備されてゆき、やがて市電が通り、最後には、両側にビルが立ち並んで車がひっきりなしに往来するようになる。同じ位置から撮られた町の風景が40年の時間の流れのなかで変貌してゆく様子には、なにがしかの魅力がないわけではない。 しかし、この長きにわたる時間を描いた年代記映画で、その中心となる人物たちがあまり魅力的でないというのは、ちょっと致命的だ。とりわけ、後半でヤンシーに取って代わって物語の中心となる彼の妻を演じるこの映画のアイリーン・ダンはまったくと言っていいほど魅力を欠いている。
とにもかくにも、サイレントからトーキーへの移行期に最もダメージを受けたジャンルである西部劇が、トーキーにおいても成功作を作ることが出来ることを示したという意味で、無視できない作品ではある。
マイケル・カーティズ『無法者の群』(Dodge City, 39) ★★
ワーナーでウォルシュと肩を並べていた冒険映画のヴェテラン、マイケル・カーティズは、エロール・フリンとコンビを組んで数々の冒険映画・海賊映画を作っている。これは、その分野ですでに成功していた二人が初めて撮った西部劇であり、フリンにとっては最初の西部劇だった。二人が組んだウェスタンは、『カンサス騎兵隊』、『ヴァジニアの血闘』(40) と続く。この二人の西部劇のなかでは、南北戦争を描いた『ヴァジニアの血闘』(ある意味、『無法者の群』の続編)のほうが、ランドルフ・スコット、ハンフリー・ボガートの共演も含めてより興味深い作品だったと思うが、作品としていちばんまとまっていたのはこの『無法者の群』だったかもしれない。
オーストラリア、タスマニア生まれのエロール・フリンを西部劇のヒーローとして認めるのは多少抵抗があるものの、フリンがいない後年のカーティズの西部劇がいささか精彩を欠くのも確かである。
『駅馬車』からわずか1ヶ月遅れで公開された映画だが、華麗なテクニカラー((DVD では色ズレを起こしているが、これはテクニカラーにはありがちなこと。とは言え、なんとかならなかったかと思うが。))、製作費やスター性において、〈無名の〉ジョン・ウェインが主役の『駅馬車』と比べて、当時は格上の作品として扱われていたはず。酒場をめちゃくちゃにぶち壊す派手な乱闘シーンだけでも、『駅馬車』の制作費の5分の1近くがかかっていると思われる。
名前は変えてあるが、エロール・フリン演じる主人公は、あきらかにワイアット・アープに基づいて作られたキャラクターである。ワイアット・アープの名前が使われていないのは、別の会社がワイアット・アープの映画をすでに進めていて、当時唯一の伝記本の権利を手に入れていたので、裁判になることを恐れたためだと思われる。
ヴァージニア・シティ、ウィチタ、トゥームストン、西部劇に登場する神話的な響きを持った都市の名前のなかでも、ダッジ・シティはとりわけ名高いものの一つと言っていいだろう。新たにできた町に「ダッジ・シティ」という名前がつけられるところから始まるこの映画の主人公は、ある意味、この町そのものであると言ってもいい。西部劇においては、都市は、繁栄するのも凋落する(ゴーストタウン)のもスピーディだ。祝福されて生まれたダッジ・シティは、あっという間に腐敗し、悪党ブライアン・ドンレヴィ(またしても)によって支配されてしまう。無論、彼を倒すのが町の保安官になったエロール・フリンの役割だ。
冒頭、列車が駅馬車と並走して打ち勝つ場面は、駅馬車(ホース)から列車(アイアン・ホース)への交通手段を端的に物語る場面として記憶に残る。『大平原』と同じく、この映画でも列車は進歩の象徴として描かれている。 『地獄への道』と同じく、ここでも新聞社が重要な役割を果たしている。
西部劇の新聞社の社長はたいていならず者によって殺される運命にあるが、それはこの映画でも例外ではない。そして、その後を受け継ぐのが、主人公の恋人でもある社長の美しい娘というのもよくあるパターンだが、ここでは、娘の代わりに、新聞社で雇われていた美人記者(オリヴィア・デ・ハヴィランド)がその役を引き受けている。
セシル・B・デミル『大平原』(Union Pacific, 39) ★★
大陸を横断する鉄道ユニオン・パシフィックとセントラル・パシフィックの建設を背景に、金儲けのためにそれを妨害する一味(一味のボスを演じるブライアン・ドンレヴィは、この年、4本の西部劇で同様の悪役を演じている)と、彼らから鉄道を守る役目を政府から与えられた男(ジョエル・マクリー)との攻防が描かれ、そこに、鉄道機関士の娘(バーバラ・スタンウィック)、ドンレヴィ一味の下で働いているロバート・プレストン、彼とは戦友だったが今は敵同士のマクリーの3人の三角関係がからむ。
1939年は、いろいろ議論はあるがハリウッドで最初に撮られた長編映画とされるデミルの西部劇『スコウ・マン』(14) の25周年を記念する年にあたっていた。また、この年は、1869年の大陸横断鉄道の完成70週年でもあった。メジャーの映画会社が揃って大作西部劇の製作に乗り出したこの年、デミルがこの西部劇を撮ったのは、ある意味、当然であったといえる。
『地獄への道』に描かれる鉄道とは対象的に、アメリカの未来を象徴するものとして描かれる鉄道。物語の大筋がフォードの『アイアン・ホース』と酷似していることに驚かされるが、『大平原』の原作は、実は、『駅馬車』の原作と同じ、アーネスト・ヘイコックスである。ヘイコックスはおそらく『アイアン・ホース』に大いに触発されて原作を書いたのであろう。
インディアンの描き方は、『駅馬車』と似ているようでいて、細かく見ていくとフォードとは全然違う。この映画では、インディアンは愚かな存在として徹底的に戯画化されていて、そこには何の敬意も感じられない。「死よりも残酷な運命」のシーンも、『駅馬車』のなかの該当シーンが持つ意味と比べると、ニュアンスはかなり違っている。
鉄道工夫たちに支払われるはずの金が入った給料袋を強奪したプレストンをスタンウィックがかばおうとするくだりも、なんだかデミルの人間性が現れているようで、見ていてちょっと気分が悪い。
しかし、倫理的な問題を別にすれば、インディアンの列車襲撃や、派手な列車転覆シーンなど見せ場満載の大スペクタクル西部劇であり、39年の西部劇ルネサンスを代表する一本であることは間違いない。
ちなみに、『スター・ウォーズ』の冒頭の下から上に上がっていくクレジットは、この映画のオープニング・クレジットを真似したものだと言われている。
アルトゥール・ロビソン『戦く影』(Schatten - Eine nächtliche Halluzination, 23) ★★★
「『今宵かぎりは』のダニエル・シュミットがこの映画のリメイクを撮ってくれないものかと思う。シュミットなら必ずやこの作品をより豊かなものにし、再発見させてくれるだろう。それは、ヘルツォークが『ノスフェラトゥ』のリメイクで失敗した試みでもある」(フレディ・ビュアシュ)
アルトゥール・ロビソン『戦く影』は、ドイツ表現主義映画の傑作の一本とされる映画でありながら、日本のみならず、海外でも言及されることが比較的少なく、なかば忘れ去られていると言ってもいい。むろん、当然知っているという映画研究者はたくさんいるだろう。しかし一般の映画ファンのほとんどはアカデミックな映画研究など無縁の世界で生きている。だから、身近で上映される機会もなく、手頃なメディアで取り上げることもなければ、こうした重要な作品であってもすぐに忘れ去られていってしまう。
実を言うと、わたしもつい最近になってこの映画を初めて知ったと言ってもいいくらいなのである。『戦く影』はロッテ・アイスナーの『悪魔のスクリーン』でも大きく取り上げられており、その存在はぼんやりと認識してはいたのだが、やはり見ていない作品はつい頭の片隅に押しやられてしまうものらしい。そんなわけで、以前少しふれた岡田温司の『映画は絵画のように』のなかで使われているスチル写真を見てようやくこの映画に興味を持ったという次第である(映画の写真というのは、映画と出会う上でとても重要だ。写真の選択一つで、その映画と一生出会いそこねることだってあるのである)。
ドイツ表現主義映画において、強烈なコントラストを与えられたスクリーン上の光と影の戯れが、単なるホラーめいた効果以上の形而上学的な意味をときとして与えられてきたことはよく知られている。スクリーン上をうごめく影は、人間のうちにひそむ不安であり恐怖であり悪であった。そして、そのような重々しい意味をもたされた影をいかに巧みに演出して見せるかに、表現主義の映画作家たちの手腕が試されていたと言ってもいいだろう。
「影」という意味の原題を持つこの映画は、そんな表現主義的な〈影〉のテーマを、最大限にまで突き詰めた究極の影映画である。監督のアルトゥール・ロビソンは、アメリカ生まれのドイツ系ユダヤ人で、ドイツに育ち、ドイツで映画監督になった。『プラーグの大学生』(これも分身をめぐる作品)のリメイクなど数本の映画を監督しているが、一般にはこの『戦く影』一本だけが彼の撮った重要な作品だとされている。
この映画には中間字幕は一切使われていない。冒頭、登場人物とそれを演じる役者の名前を示す字幕が現れる以外は、この映画にはセリフも説明も一切出てこないのである((無字幕映画というとムルナウの『最後の人』が有名であるが、『戦く影』は、実は、『最後の人』の一年前に撮られている。))(もっとも、この映画に登場する人物たちにはいずれも名前はなく、「伯爵」「妻」「若者」といった普通名詞がただ付されているに過ぎない)。物語そのものは単純であるとはいえ、現実離れした奇想天外な話を、ロビソンは、入念に練られた演出と俳優の演技をとおして、映像だけで巧みに語ってゆく。それは、こんな物語だ。
嫉妬深い伯爵とその妻の住む館に、ある夜、4人の招待客がやってくる。4人は、伯爵がそばにいるにもかかわらず、伯爵夫人への欲望を隠そうともしない。夫人は夫人で、招待客との駆け引きを大いに楽しんでいるらしい。夫人は4人の招待客のなかでもとりわけ色男の若者に惹かれているようで、二人のあいだには今にも一線を越えそうな空気が漂っている。伯爵はそういったことにすべて気づいていて、嫉妬で気が狂わんばかりの状態だ。そんなとき、予期せぬ訪問客が現れる。彼は影絵を使って芝居を見せる影絵使いであり、伯爵は、気まぐれなのか何かの意図があってか、この影絵使いを招き入れる。館の中で何がおきているのかを一目で見て取った影絵使いは、用意していた出し物に代えて、別の影絵を伯爵夫妻と4人の招待客に見せはじめる。それは彼ら自身が主人公である影絵芝居であり、その影絵芝居の中では、これから彼らがたどるべき恐るべき運命が物語られているのだった……。
通りから見上げる階上の窓のカーテンに映る伯爵と夫人の影から始まった映画は、影のテーマを次々と変奏させてゆく。影はまず、「語る」と同時に「騙る」ものとして現れる。ガラスのドアのカーテン越しに、招待客の一人が妻の体をまさぐっているのを見た伯爵は嫉妬に身もだえするのだが、室内に切り替わったカメラは、それが実は、ドアのカーテンに写った夫人の影を、招待客がたわむれに手でなぞっていただけに過ぎないことを示す。やがて登場する影絵使いは、ろうそくの灯りを使って影を巧みに操り、意図的に、伯爵に影を現実と信じ込ませようとさえするだろう(実際には影が重なって見えただけなのに、伯爵は、妻と色男の若者がテーブルの下で手をつないでいるのだと思い込む)。影は見せかけであると同時に、彼らの隠された欲望を示してもいるというわけだ。
映画が面白くなるのはここからだ、『最後の晩餐』のごとくテーブルに一列に並んで座った伯爵夫妻と4人の招待客に、影絵使いは、最初、中国の伝承を扱ったらしい影絵を見せていたのだが、彼はその出し物を不意に中断し、テーブルに近づいてゆくと、催眠状態にかかったようになっている客たちの足元に伸びていた長い影を、光を使って巧みに操り始める。影はどんどん短くなってゆき、ついには消えてしまう。それと同時に、客たちの反対側に、かれらとそっくりの分身が登場し、元の体のほうは突如消滅してしまう。まるで影たちが本体から抜け出て独自に生きはじめたかのようである。しかし自分たちが影だとも知らない彼らは、危険な恋の駆け引きのゲームを続けてゆく。
影たちにも影はある。本人が現れるよりも先に現れ、実物以上に巨大な姿になって壁に映し出される影が不安を掻き立て、悲劇的な結末を予感させる。夫人は色男の若者とついに一線を越えてしまい、伯爵は二人が愛撫しあう部屋の前で、嫉妬にもだえる。ここからの展開はいささか現実離れしているのだが(というか、これは現実ではないのだが)とうとう我慢の限界を超えた伯爵は、あろうことか夫人をロープで縛り上げてテーブルに寝かせると、4人の招待客に剣を持たせ、彼らに無理やり夫人を殺させる。すると今度は伯爵のほうが、激怒した招待客らによって、窓から外の通りに突き落とされてしまうのだ。
しかし彼らは影に過ぎず、すべては影絵使いが見せる夢に過ぎない。彼らはいわば登場人物たちの潜在意識が実体化したものなのだ。悪夢のような影芝居が終わると、彼らは元の体へと戻って目覚める。部屋にはいつの間にか朝日がさしている。自分の欲望に従ってあのまま突き進んでいたらどんな恐ろしい事態になっていたかを悟った招待客たちは館を去ってゆく。そして残された伯爵と夫人が、憑き物が落ちたように穏やかな表情になって愛を語らうという嘘のようなシーンで映画は終わっている。
この映画全体を、影絵芝居による一種の心理セラピーを描いたものとみなすこともできるだろう。潜在意識をあからさまに見せつけられることで、彼らは自分たちのどうしようもない妄念から解放されるのである。
フリッツ・ラプスがいつもながらの強烈な存在感で召使の一人を演じている。もしもシュミットがこの映画をリメイクしていたならば、この人物がシュミット作品らしい〈傍観者〉の役割を演じることになっていたのだろうか。いや、もうひとりの、年がいった方の召使のほうがシュミット的な〈傍観者〉にはふさわしいか。
ところで、映画の最後に、影絵使いは広場にいた豚の背中に乗ってどこへともなく姿を消す。豚は悪魔と関連付けて語られることも多い動物だ(この時そばにいた町人が慌てて胸の前で十字を切る)。そういえば、かれが着ている上着の背中には妙な形に突き出た部分があり、それが悪魔の尻尾に見えなくもない。結果的に、全てを丸く収めて去っていったが、かれが時折浮かべる表情や、振る舞いには、たしかに悪魔的な部分が見え隠れしている。このラストは彼が悪魔であることを示唆しているのだろうか。
影の話ばかりしたが、この映画では鏡を使った巧みな演出も注目される。夫人の寝室(そこで逢引が行われる)へと向かう廊下の曲がり角に大きな鏡が2つあり、夫人の寝室の扉の開閉と、その中で起きていることは、しばしばその鏡に映った影像を通してのみ示されるのだ。その鏡を通して妻の逢引を目撃した伯爵は、鏡に映る自分の姿に耐えられず、鏡を叩き割る。しかしそれはいたずらに鏡像を増幅させるにすぎない。
鏡と影。この2つは言うまでもなく、スクリーンに映し出される映画イメージのメタファーでもある。この映画は、いわば映画を見るという体験自体を描いた映画でもあるという解釈もできる。実際、登場人物たちの影が実体の方に帰ってくる場面で、映画のなかのスクリーンに映し出されていたものは映画だった。
たとえばカール・テオドア・ドライヤーの『吸血鬼』に描かれる、独り歩きしたあとで体に戻ってくる影や、納屋の鋤や鎌などが壁に投げかける不気味な影、あるいは影たちのめくるめく舞踏会などといった、あの驚くべき瞬間の数々に比べるならば、『戦く影』の影のイメージはどれも凡庸なものに思われてきもしよう。それはたしかであるのだが、この映画が映画史上における実にユニークな作品であることに変わりはない。何はともあれ必見の映画である。
"His people come to life simply and believably; more believably than most of the people in the Chabrol and Truffaut cinema... the film has a thematic and formal beauty that is remarkable." - Jonas Mekas "
[…] the most exciting new filmmaker in recent years. Echoes of Silence, his first film, is a stunning piece of work." - Susan Sontag
(ともに、『沈黙のこだま』についてのコメント)
ピーター・エマニュエル・ゴールドマン『灰の車輪』(Wheel of Ashes, 64) ★★★
「アメリカ映画がかつて長いあいだそうだったもの、リヴェットいうところの〈探索弾頭 tete chercheuse〉の役割を今や担っているのは、ヨーロッパ映画である。ベティカーが撮った数本の近作以来、アメリカ映画(ニューヨーク派も含めて。ただし『沈黙のこだま』は除く)は、空回りし(フラー)、足踏みし、パロディ化し、剽窃し、ニコラス・レイのように(かれは、デュースブルクで、アトラス・フィルム向けにくだらない仕事を引き受けたばかりだという)、裏切り、自己を否定しさえしている。(たとえばチャップリン、ラング、ルノワール、ロッセリーニらが、人から嘲笑われることなどまるで恐れずに新作を発表し続けているのにくらべれば、ヒッチコック、ホークス、ウォルシュでさえ、少しばかり足踏みしているように思える。)例外が二人いる。ジェリー・ルイスはおそらくその一人であり、もうひとりはジョン・フォードだ。フォードは、アメリカ映画をその頂点にまで高め(『馬上の二人』『捜索者』『騎兵隊』)、そしてその失墜を加速させたあとで(『リバティ・バランスを射った男』『シャイアン』)、アメリカ映画を崇高なものにしたばかりだ。無論、『荒野の女たち』のことである。」
これは、1966年にジャン=マリー・ストローブがアメリカ映画の状況について書いた一文である。このなかで、60年代なかばのアメリカ映画における例外的な注目作の一つとしてストローブが挙げている『沈黙のこだま』という作品の作者として脚注に小さく書かれていた名前を見たのが、ピーター・エマニュエル・ゴールドマンという映画作家の存在を知った最初だった。
ゴールドマンのデビュー作『沈黙のこだま』(64) は、サイレント映像に音楽だけをつけたような映画で、これといった物語もなく、短いエピソード(といってもほとんど何も起きないのだが)が並べられてゆくだけの、一見素人が撮ったようにも見える作品だったが、ニューヨークのの空気と孤独感だけは見事に捉えられていた。
この最初の映画の撮影をはじめた1962年頃、ゴールドマンは写真にも魅せられていて、友人たちの生活や、自分が生まれた街であるグリニッジ・ヴィレッジを中心とするニューヨークの街の風景などをカメラに収めはじめる。この頃彼は、敬愛する写真家ロバート・フランクに会いに行ったりもしている。(かれがこの時期に撮った写真はやがて忘れ去られてしまうが、今、ゴールドマンは映画作家としてだけではなく、写真家としても新たに注目されはじめている)。
正確な時期は分からないが、この頃、ゴールドマンはヨーロッパに渡り、いっときソルボンヌに在籍したあとで、またニューヨークに戻ってきている。その間、船乗り、ウェイター、トラックの荷物積みや、ヌード映画の撮影までしながらなんとか生き延びる一方で、ウォーホルの映画を発見したりもしている。
65年、『沈黙のこだま』がニューヨーク、ついでペサロ映画祭で上映され、そこでこの映画を見たジャン=クロード・ビエットが「カイエ・デュ・シネマ」に熱狂的な記事を書き、ゴールドマンの名前は映画通のあいだで知れ渡ることになる。ゴダールもこの映画を見て気に入り、ゴールドマンがパリで生活するための奨学金を得られるように尽力したとも聞く。
こうして66年にスエーデン人の恋人とともにパリに渡ったゴールドマンは、最初のあいだ、アニェス・ヴァルダとジャック・ドゥミ夫婦の家に泊めてもらっていたという。やがて出会った俳優ピエール・クレマンティとともにかれは長編第2作『灰の車輪』にとりかかる。
『灰の車輪』は、基本的には、『沈黙のこだま』の延長線上にある作品であるが、実質サイレント映画であった『沈黙のこだま』とくらべると、ずっとトーキー映画らしい作品になっている。ピエール・クレマンティ演じる若者の生活を、その欲望と孤独と内面の探求を、親密な日記のようなタッチで描いてゆくところは、『沈黙のこだま』同様、実存主義的映画とでも呼びたくなるものだ。しかし、この映画は、前作にはなかった神秘主義的な傾向を色濃く作品ににじませている。だが、今にして思えば、その傾向は『沈黙のこだま』の時からすでに見え隠れしていたのかもしれない。
クレマンティ演じる若者は東洋的な神秘思想にのめり込んでゆき、やがて、欲望にまみれたこの混沌とした現世から解き放たれるために、恋人を捨ててひとりアパルトマンに閉じこもって瞑想にふけりはじめる。冒頭の「カルマの法」について書かれた字幕から始まって、クレマンティが読みふける東洋思想の書物、通りすがりの女性の胸にかかった大きな十字架のペンダント、教会の十字架、チベットやインドの宗教画、あるいはヒエロニムス・ボスやデューラーの絵画などなど、この映画には東洋的かつ西洋的な宗教的イメージがあふれている。 クレマンティの声によって語られる神秘主義的な想念は、正直言って、あまり頭には入ってこない(英語字幕だとなおさらだ)。しかし、前作のニューヨーク同様、この映画では、ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちでさえできなかったような生々しさでサンジェルマン・デ・プレをとらえた映像が実に素晴らしい。知らずに見たならば、これを撮った監督がアメリカ人だとはだれも思わないだろう。なお、この作品には、ジュリエット・ベルトもチョイ役で出演している。
わずかこの2作で多くの映画人や批評家から映画作家としての将来を期待されていたゴールドマンだったが、72年、ベルリン・オリンピックにおけるパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手団の殺害事件(スピルバーグの『ミュンヘン』にも描かれた)に衝撃を受け、ユダヤ人としての自分の存在に突然目覚めると、以後、シオニズムへと急速に傾いてゆく。『灰の車輪』でクレマンティの恋人を演じているカティンカ・ボーは、当時ゴールドマンと結婚していて、二人の間には娘もいたのだが、ユダヤ教徒でない彼女が改宗を拒んだために、ゴールドマンはついには離婚を決意する。
80年代に入ったときには、かれは AFSI(Americans for a Safe Israel)という団体を立ち上げ、その会長となっていた。その一方で、82年の第5次中東戦争におけるNBCニュースの不誠実な報道姿勢を描いたドキュメンタリー『NBC in Lebanon: A Study of Media Misrepresentation』を監督したりもしている。ゴールドマンはまた、イスラエルの首相や合衆国の上院議員などが監修している『The Media’s War Against Israel』という本を共同編集し、それがきっかけでホワイトハウスに招待されてレーガン大統領と中東情勢について議論したこともあるという。
イスラエルのために四苦八苦するこの人物が、60年代に2本の前衛映画を撮った映画作家ピーター・エマニュエル・ゴールドマンと同一人物であるとは、にわかには信じがたい。しかし、これは事実であり、今のゴールドマンを知る人たちには、数十年前に彼が映画を撮っていたことのほうが嘘としか思えないらしい。
ゴールドマンは、75年に『Last Metro to Bleecker Street』という自伝的な小説を発表したりしてもいる。
1939年生まれだからすでに80近い年齢になるはずで、映画からはすっかり遠のいてしまったようだが、現在も精力的に活動を続けているらしい。写真家、映画作家、小説家、シオニスト……。様々な顔を持つこの人物にはまだまだ謎が多い。しかし、それ以前に、日本では彼の名前はまだほとんど知られてさえいないというのが実情だ。少し前まではほとんど見ることもかなわなかった彼の作品だが、幸いなことに、今は DVD で見ることができる。もっとも、これもいつ絶版になるかわからない。気になった人は、早めに手に入れておいたほうがいいだろう。
チャールズ・ブラービン『街の野獣』 (The Beast of the City, 32) ★★½
正直、あまり期待していなかったのだが、予想もしていなかった展開と、何よりもラストの銃撃戦の凄まじい暴力性に圧倒された。
厳密に言うならば、この戦前に撮られた警察映画はフィルム・ノワールには分類されないだろう。しかし、この作品は、当時としてはユニークなその題材によって、しばしばフィルム・ノワールの先駆的作品として取り上げられる。
厳格なほどに正義を貫こうとして警察内部からも疎ましがられる警部(ウォルター・ヒューストン)と、弱さからどんどん堕落していくその弟の警察官。この兄弟の確執が、ギャングと警察の戦いと同時に語られてゆく。腐敗警官はフィルム・ノワールで繰り返し描かれることになる主題であり、その意味で、この映画がこのジャンルの先駆的作品とされることもうなずける。弟を堕落させるギャングの情婦役をプラチナ・ブロンド、ジーン・ハローが演じていて、そんなに見せ場もない脇役だが、なかなかの存在感を見せている。
しかし、この映画の見所は、なんといっても、ラストの壮絶な銃撃戦の場面だろう。悪徳弁護士の活躍によって、裁判でギャングのボスに負けるという象徴的なシーンがあったあとで、警部(ヒューストン)は、法に従っていてはギャングを一掃できないことを痛感し、最後の手段に訴える。それは、討ち死に覚悟でギャングと一戦を交えるという、信じがたいものだった。
向かい合ったギャングたちと警官隊が唐突に撃ち合いを始め、互いに身を守ろうともしないまま、死体の山が築かれていくこのすさまじい暴力場面は、まさにプレ・コード時代のハリウッド映画を象徴する場面の一つと言ってもいいだろう。
警察官が法を逸脱したかたちで悪を制裁するというこの後半の展開から、この映画は「ダーティ・ハリー」シリーズの先駆けとも言われる。 この映画の企画は、MGMのルイス・B・メイヤーと当時のフーバー大統領との会談に端を発するとも言われていて、映画の冒頭にはフーバーの言葉が引用されている。しかし、完成した作品を見たメイヤーは、内容がMGMにふさわしくないとして、映画の興行を大幅に縮小した。
あのウィリアム・ランドルフ・ハーストが内容を批判する手紙をプロデューサのルイス・B・メイヤーに送ったらしいが、結局、そのまま上映されることになったという話も聞く。
原作のW・R・バーネットはアメリカ映画には馴染み深い存在であり、『犯罪王リコ』『俺は善人だ』『ハイ・シエラ』『アスファルト・ジャングル』などなど、彼の小説が原作の映画は挙げればきりがない。
アンリ・ドコワン『家の中の見知らぬもの』★★
『十字路の夜』、『パニック』、そしてこのドコワンの『家の中の見知らぬもの』と『La vérité sur Bébé Donge』……。 そのうち、「ジョルジュ・シムノンとフランス映画」という本が書かれねばならないだろう。このベルギー生まれの作家は、今やだれからもフランス人だと思われるほどフランス人の心性に入り込んでいるといっていい。
アンリ・ドコワンがドイツ占領下のフランスで撮った映画『家の中の見知らぬもの』は、ジョルジュ・シムノンが戦前(40年)に発表した同名小説を映画化したものである(日本での DVD のタイトルは単数形になっているが、原題を直訳すると「家の中の見知らぬものたち」になる。この単数形と複数形の違いは作品の解釈にも大きく関わってくる重要な部分だ)。
このミステリー小説は、シムノンの数ある小説の中でもとりわけ陰鬱なものの一つと言われ、当時、この小説を読んだアンドレ・ジッドは、「驚愕した。長い間、私にはこれほど激しい興奮をよびさまされた本がなかった」と絶賛したという。この原作小説を映画のために脚色したのは、まだ監督デビューする前のアンリ=ジョルジュ・クルーゾーだった。その点でもこの映画は興味深い。
小さな地方都市の、雨の降りしきる暗い夜の情景から映画は始まる。ミニチュアで作られた精巧な街のセットをカメラがゆっくりとなめるように映し出してゆく。そこに重々しいナレーション(クレジットされていないが、実はピエール・フレネーの声)によって、散文詩のような説明が加えられる。
「街には雨が降っている。雨だれの音をひびかせる屋根に、水浸しになった庭に。街には雨が降っている。降りしきる雨に木々の影がぼんやりと霞む。街には雨が降っている。土砂降りの中、小さな町は震え、店の鎧戸を下ろす。街には雨が降っている。洪水のごとき雨のなか、嵐に打たれる船のように大聖堂が姿を見せる……。」
モノクロ映画に描かれる街のミニチュアセットに対するわたしのフェチシズムがたぶん大きく作用しているのだろうが、この冒頭のシークエンスが、この映画における最高の瞬間だったように思う。名も知れぬ語り手の声は、このあと何度も映画のなかに現れ、次第に耳障りなものになってゆくだろう。
やがて、場面は、この映画の主人公であるルールサ氏(レイミュ)が娘ニコルと暮らす屋敷のなかへと移ってゆく。ルールサは、かつては名うての弁護士だったが、妻が家を出ていって以来、長年のあいだ、酒に溺れ、生ける屍のようになって、無気力に生きつづけている。一人娘との関係は冷え切っていて、今やまともに言葉がかわされることもない。そんな二人が、いつものように、冷ややかな夕食を終えた直後に、階上で銃声が鳴り響く。行ってみると、屋根裏部屋のベッドに見知らぬ男が死体となって横たわっていた。警察の捜査が進むに連れ、事件の背景には、無為をもてあましてゲーム感覚で盗みを始め、やがてそれをエスカレートさせていくブルジョア家庭の子供達の存在があったことがわかってくる。そのなかでやがて有力な容疑者として浮かび上がったのは、ルールサ氏の娘ニコルの恋人マニュだった。ルールサ氏は容疑者の青年の弁護を引き受けるのだが、裁判のあいだじゅう彼は、ほとんど沈黙したままで、まるで弁護をする様子がない。彼は本当に青年を救おうとしているのだろうか……。
原作を脚色したクルーゾーは、主人公の孤独に焦点を合わせていた小説から、ブルジョア社会によって生み出される犯罪という社会問題へと焦点をずらしている。小説のタイトルである「家の中の見知らぬものたち」のなかには、おそらく主人公のルールサ氏自身も含まれていたはずだ。長いあいだ無為と孤独のなかで自分を見失っていた彼は、不意に自分を「家の中の見知らぬもの」として見出す。このタイトルにはおそらくそんな意味も込められていたのだろうが、ドコワン=クルーゾーはそこにはあまり深入りしていない。レイミュが見事にシニカルに演じるルールサ氏は、どちらかと言うとコミカルなトーンを与えられている(だからこそ、裁判の終盤での彼の有名な口頭弁論は、その激しさによって心を打つのだが)。
よくできたミステリー映画である。しかし同時に、どこといって際立ったところがない映画でもある。そんなこの作品を極めて興味深いものにしているのは、やはりなんといっても、この映画がドイツ占領下のフランスで作られた事実にあるといっていい。 『家の中の見知らぬもの』を製作したコンティナンタル・フィルム(英語読みするとコンティネンタル・フィルム)は、ゲッベルスの指揮のもと、ドイツ占領下のフランスで設立されたドイツ資本による映画製作会社で、1941年から1944年の間に、30本近い映画がここで作られた。クルーゾーの『密告』は、その中で最も有名な作品である。(コンティナンタルについては、いずれ近いうちにもっと詳しく書くつもりだ。)
戦後になって、フランスが占領下から開放されたとき、『密告』は内容が対独協力的だとのそしりを受け、フランス映画史上最も激しい論争の渦に巻き込まれてゆくことになる。結果、クルーゾーは長年フランスで映画が撮れなくなり、『密告』は47年になるまで上映禁止になる。 一方、『家の中の見知らぬもの』も、『密告』ほどの物議をかもしはしなかったものの、一部のものたちから反ユダヤ主義を指摘され、戦後しばらくのあいだやはり上映禁止になる。しかし、『家の中の見知らぬもの』が反ユダヤ的だというのは、少し的はずれだったように思える。シムノンの原作自体には、おそらく反ユダヤ主義を指摘されても仕方がない部分があったのかもしれない(事実かどうかは不明だが、シムノンは、戦後になって、第二次大戦中にドイツと通じていたとの告発を受け、フランスから逃げるようにして米国に渡ることになる)。しかしクルーゾーとドコワンは、少なくとも、原作のなかの反ユダヤ的な偏向と受け取られかねない部分を強調するようなことはしていないし、むしろその痕跡を薄めようとしていたように思える。
この映画が反ユダヤ主義的であるとの指摘は、実は、映画に出て来るある名前をめぐってなされることになるのだが(ミステリーの核心に関わる部分なので、あえて曖昧に書いている)、戦後、その名前は、新たに吹き替えられて、別の名前に変えられることになる。ただ、主役のレイミュがその前に亡くなってしまったので、彼のセリフの中だけはその名前がそのまま残されることになってしまった。
単なるミステリー映画として以上に、消すことができなかった声というかたちで、ナチ占領下の記憶が刻みつけられている映画として、『家の中の見知らぬもの』は実に興味深い作品である。
オーソン・ウェルズの『市民ケーン』でケーンが自分のために建て、最後に、そのなかで孤独に死んでゆく城の名前「ザナドゥ」が、イギリスの詩人サミュエル・テイラー・コウルリッジによって書かれた叙事詩「クブラ・カーン」Kubla Khan のなかに登場する土地の名前に由来することはよく知られている。 1797年のある夏の日、コウルリッジはその詩を夢で見る。あるいは、夢のなかでその詩を受け取ったといったほうが正しいかもしれない。目が覚めると、彼はその300行からなる詩を書きとめようとしたが、途中で不意の来客があったために、最初の数十行しか記すことができず、残りはすべて忘れ去られてしまったという。つまりは、詩の全容は謎のままに残ってしまったわけである。
「クブラ・カーン」とは、13世紀のモンゴル帝国第5代皇帝の名前である。われわれ日本人には「フビライ・ハン」あるいは「フビライ汗」などといった呼び名のほうがおそらく馴染みがあるだろう。「ザナドゥ」(あるいは「キサナドゥ」((懐かしのグループサウンズ、ザ・ジャガーズに「キサナドゥの伝説」という曲があるが、この「キサナドゥ」がザナドゥのことである。ちなみに、この曲は、もともとはイヴ・ディー・グループが発表した楽曲だった。ザ・ジャガーズの曲はそのカヴァー。)))とは、このフビライ・ハンが夏の離宮を建てた土地の名前なのである。
興味深いのは、フビライ・ハンもまた、王宮を夢のなかで見、その夢に従って王宮を建設したと伝えられていることだ。しかも、その事実は、コウルリッジがこの詩を書いた頃にはまだヨーロッパでは知られていなかった。なんとも不思議な話である。ボルヘスがこの奇妙な符合に注目したのも不思議ではない。
「最初の夢想者は宮殿の幻を授けられ、それを建てた。最初の夢を知らない2番目の夢想者は宮殿の詩を授けられた。計画が失敗に終わらないとすれば、今から数世紀のちに「クブラ・カーン」を読んで、ある夜大理石像か音楽を夢見るものが現れるだろう。この男は他の二人が夢に見たことを何も知らないであろう。ことによると、夢の連鎖は尽きないのかもしれない。それとも、最後に夢を見るものが全ての鍵を握っているのかもしれない」(ボルヘス『続・審問』所収の「コウルリッジの夢」より
((余談だが、同書に収められている「コウルリッジの花」という文章のなかで語られる花こそは、ゴダールの『映画史』のラストで言及されるあの「花」のことである。)))。
これで、オーソン・ウェルズが『市民ケーン』を夢で見、夢のとおりに映画を作ったというオチがつけば完璧であったのだが、むろん、話はそこまでうまくできていない。「クブラ・カーン」の冒頭の詩句("In Xanadu did Kubla Khan/A stately pleasure-dome decree")は、映画のなかのニュース映画「ニューズ・オン・ザ・マーチ」のなかでも引用されており、ウェルズのことだから、この詩の内容にもおそらく通じていたのであろう。実際、コウルリッジの詩には『市民ケーン』の内容と奇妙に符合する部分が少なからずあるのである。そもそも、主人公の "Kane" という名前自体が、詩のタイトルにもなっている名前 "Khan" と極めて類似しており、ひょっとしたらケーンという名前のもとになっていたのかもしれない(このことはたしかトリュフォーも指摘していたはずだ)。
しかし、この際そんなことはどうでもいい。「不死の物語」"the immortal story" の観点から見た時、この逸話は『市民ケーン』そのものよりもウェルズの作品全体と深く関わってくるように思える。フビライの建てた宮殿は廃墟となり、それを主題にしたコウルリッジの詩は未完の断章としてのみ残された。廃墟、未完の断章……。これはまるでウェルズの映画を指し示す形容詞のようではないか。『イッツ・オール・トゥルー』、『ドン・キホーテ』、『ヴェニスの商人』、『ザ・ディープ』、『風の向こう側』……。ウェルズのフィルモグラフィーは、まるで未完の断章を集めた廃墟のようである。
ここにもう一つ、『市民ケーン』と関係を持っているかもしれない文学的テクストが存在する。チャールズ・ディケンズの『エドウィン・ドルードの謎』という小説のことである。もっとも、こちらは、コウルリッジの詩とちがって、『市民ケーン』とは極めて緩やかな、いや、荒唐無稽と言っていいほどの、関係しか持っていない。
文豪ディケンズの絶筆となったこの小説は、簡単に言うと三角関係をめぐって起きるある失踪事件を扱った本格的推理小説であり、そして、この物語のヒロインとでもいうべき人物の名前がなんとローザ・バッド(しばしばローズ・バッドとも呼ばれる)というのである。それだけではない。ジャスパーという何を考えているのかよくわからない不気味な人物になかば強要されるようにして、彼女がピアノに合わせて歌を歌う場面が出てくるのだが、ここも、『市民ケーン』のスーザンの歌の練習場面に奇妙に類似している。
しかし、そうした細々とした類似点以上に興味深いのは、この小説もまた、謎を残して未完のままに終わった作品であるということである。ディケンズは、推理小説としてこの小説を書き始めながら、結末の謎解きをする前に亡くなってしまった。エドウィン・ドルードの失踪の謎は、永遠に謎のままに残される。ちょうど、『市民ケーン』のラストで、焼却炉に投げ込まれて燃え上がる橇の表面に「ローズバッド」の文字が一瞬浮かび上がり、たちどころに消えていくことに登場人物たちが誰一人気づかないように、読者はこの小説の真相をもう知ることはできない。
ウェルズはこの小説のことを知っていたであろうし、おそらく読んでもいただろう。とはいえ、この小説が『市民ケーン』に何らかの影響を与えたと考えるのは少々無理がある。ただ、この小説と『市民ケーン』とのいわば荒唐無稽な関係は、「ローズバッド」をめぐって今まで様々に言われてきたもっともらしい説明(いわく、それはウィリアム・ランドルフ・ハーストの愛人であったマリオン・デイヴィスの陰部の愛称であるとか、脚本を書いたハーマン・J・マンキーウィッツが少年時代に盗まれた自転車のことであるとか…)よりは、よほど面白いし、想像力をかきたてる。
「ケーンの秘密とは、彼には秘密がないことだ」と、ウェルズはあるインタビューのなかで語っていた。『市民ケーン』は視覚的イメージとしては驚異的だが、人間が描かれていない。映画に描かれる主人公ケーンの人物像は薄っぺらい、という批判はしばしばされてきた。しかし、それは正しくない。『市民ケーン』は、主人公を空っぽに描いた映画ではなく、空っぽの主人公を描いた映画なのである。そして、ボルヘスがいうように、この映画そのものが「中心のない迷宮」であるとするならば、この映画はそれ故にブラックホールのように様々な外部のテクストを引き寄せ続けてきたのかもしれない。ディケンズの「ローザ・バッド」の物語は、『市民ケーン』の「ローズバッド」がこの映画の中心ではありえないことを逆に証拠立てているのだということもできる。
そんな無数のテクストの中には、ジョージ・デュ・モーリア((『レベッカ』のダフネ・デュ・モーリアの祖父に当たる人物。ちなみに、『レベッカ』と『市民ケーン』もしばしば類似を指摘される。とりわけ、最後に燃え上がるあの "R" の文字。これもまた因縁である))の小説1『トリルビー』から、はては中世の『薔薇物語』((『薔薇物語』がそうだとうのは町山智浩による説。その根拠はよくわからない。))までが含まれる。『市民ケーン』が不滅である限り、これらのテクストの数はまだまだ増え続けるに違いない。それこそ「不滅の物語」として。
サム・ウッド『恋愛手帖』
"snowglobe" と呼ばれる雪の降るガラス玉は19世紀にはすでにヨーロッパで知られていた。それがアメリカに伝わったのは20世紀の初頭だったという。
『市民ケーン』の前年に撮られたこの映画には、死ぬ直前にケーンが手にしていたものとよく似た雪景色の入ったガラス玉が出てくるだけでなく、ジンジャー・ロジャース演じる主人公の父親が死ぬ瞬間、そのガラス玉が床に落ちる。
この映画の撮影監督はグレック・トーランドだった。
ハンス・ユルゲン・ジーパーベルク『ヒットラー:ドイツ映画』
ジーバーベルクの『ヒットラー:ドイツ映画』には無数の映画的記憶が散りばめられている。
7時間にも及ぶ映画の終結部で、それまで何度も登場していた頭にフィルムを巻き付けた少女(映画的記憶の象徴)が、ヒットラー犬のぬいぐるみを片手に、ルドゥー作のブザンソン眼球劇場の内部を覗き込むと、そこには雪の降るガラス玉が見える。ガラス玉のなかの雪景色に浮かび上がるのは、映画創成期にエジソンが作った〈黒いマリア〉と呼ばれる映画スタジオの姿だ。『市民ケーン』のガラス玉のイメージが手繰り寄せる無垢な少年時代が、映画の幼年期とオーヴァーラップする。少女は、楽園の樹木から滴り落ちてきた巨大な水滴のなかへと胎内回帰してゆく。そのとき彼女がそのなかで見せるポーズこそは、サイレント時代の女優メアリー・ピックフォードを有名にした祈りの仕草なのである。
レオス・カラックス『ボーイ・ミーツ・ガール』
割れたガラスのモティーフが繰り返されるこの映画の終盤近くで唐突に現れるこの完璧なガラス玉のイメージは一体何を意味するのか。
ヘンリー・C・ポッター『ヘルザポッピン』(41)
"It's a picture about a picture Hellzapoppin."
映画のなかの登場人物が映写技師に向かって、フィルムを巻き戻せとどなる場面から始まるスラップスティック調の不条理コメディの〈傑作〉。フランスのテレビで初めて見たときは、この時代に〈映画内映画〉をテーマにしたこんな映画があったのかと驚いたものだ。
何よりもびっくりしたのはこのシーンだった。冒頭近くで、映画の(中の映画の)主役二人が雪の中を歩いていると、魚と一緒に「ローズバッド」と書かれた橇がかけてある。男はすかさず、「この橇はたしか燃やされたはずだが」とつぶやく。
このユニヴァーサル社製作のコメディが公開されたのは『市民ケーン』と同じ1941年なのだが、ローズバッドと橇はこのときすでにギャグにされていたわけである。 最近見直してみたら、正直、古さしか感じなかった。しかし、これがコメディ映画史上で重要な作品であることは今でも変わりない。
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