日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
ヒューバート・コーンフィールド『Plunder Road』(57) ★½
この映画は、いわゆる "heist movie" (強奪映画)の初期の代表作の1つだが、フィルム・ノワールとして語られることも少なくない。いろいろとユニークな点があってなかなか興味深い作品である。
銀行強盗や列車強盗などを描く映画というのは、まず仲間集めがあり、次に緻密な計画が立てられ、それが実行に移されるのだが、思わぬミスや裏切りなどによって、当初の計画通りには行かなくなり、無残な結果に終わるというのが繰り返されるパターンである。 この映画が面白いのは、まだるっこしい導入部分をすっ飛ばして、いきなり強盗の場面から始まるところだ。真っ暗な夜、しかも土砂降りの中、強盗は行われる。視界も悪く、最初は何が起きているのか全くわからない。梯子車や、内部に何かわからない仕掛けが宙づりになっているトラックなどが出てくるのだが、それで何をしようとしているのか。そもそもどこから何を盗もうとしているのか。強盗犯たちの心の声がヴォイス・オフで聞こえてくる瞬間が少しあるだけで、この長い強盗シーンのあいだだれ一人台詞を口にしない(この寡黙さは、ちょっとメルヴィルの作品を思い出させる)。こうして説明も与えられないまましばらく見続けるうちにやっと、あとで金塊だと観客に知れるものをかれらが列車から強奪しようとしていることがわかってくる。今ではこういう始まり方もそう珍しくないかもしれないが、当時としてはかなり斬新だったのではないだろうか。
結局、強盗はあっさりと成功する。5人の強盗犯は盗んだ金塊を3つにわけ、それぞれ種類の違う3台のトラックに載せて運び出すのだが、途中、警察の検問などで一人また一人と脱落してゆき、捜査の網が狭まって犯人たちは追い詰められてゆく。普通、仲間が捕まったら、警察の尋問シーンがあって、仲間の名前を言う言わないというやりとりがあったりするものだ。しかし、ここではそんなシーンは一切なく、残された仲間たちも、捕まった仲間のことはあっさりと忘れて、自分たちが生き残ることだけに専念する。キューブリックの『現金に体を張れ』を少し思い出させもするこのドライな描き方は、このジャンルとしてはなかなかユニークだと思うのだが、それがドラマに緊張感をもたらしているかというとそうでもない。そもそも、5人の強盗犯たちがそれぞれ何者で、どうしてこうやって集まったのかも、最後まで説明がないというのも、斬新といえば斬新なのだが、そうしたこと全てが、結局、全体を盛り上がりの欠ける淡泊なものにしてしまっているだけという印象はぬぐえない。
面白いのは、最後に生き残ったふたりの強盗犯(そのうちのひとりは、この強奪計画を立てたリーダー)と、リーダーの情婦が、盗んだ金塊を新しい車のシートの下に隠し、残った金塊を溶かして車のホイールとバンパーに変えて色を塗ってごまかし、そうやって作ったクラッシックカーに乗って悠々と逃亡を試みるクライマックスだ。チャールズ・クライトンの傑作『ラベンダー・ヒル・モブ』(51) では、強盗犯たちは溶かした金塊をエッフェル塔の置物に変えて運びだそうとしたのだった。金塊を車に変えるというアイデアは、たぶんあの映画を下敷きにしているのではないだろうか。
都市を舞台とすることが圧倒的に多いフィルム・ノワール作品のなかには、都市と都市を結ぶハイウェイを人物たちの生きる場所(あるいは死に行く場所)にしたロード・ムーヴィー・ノワールとでもいうべき作品が少なからず存在する。ウルマーの『恐怖のまわり道』(45)、アンソニー・マンの『Desperate』(47)、ウォルシュの『夜までドライブ』、ジョセフ・H・ルイスの『拳銃魔』(50)などがその代表作になろう。本来ならばどこまでも開かれたハイウェイは自由へと続く道であるはずであるが、これらの作品においては、道路は次第に重苦しく閉ざされてゆく閉鎖空間と化し、登場人物たちを次第に出口なしの状況へと追い詰めてゆく。『Plunder Road』は強奪映画であると同時に、こうしたロード・ムーヴィー・ノワールの系譜に連なる作品の1つとして、十分注目に値する作品であると思う。
■ドン・シーゲル『地獄の掟』(Private Hell 36, 54) ★½
実は見るのは今回が初めて。大好きなドン・シーゲルの未見の作品ということで、かなり期待したのだが、正直、がっかりするできだった。
なぜか『第十一監房の暴動』のような監獄ものだと長い間思い込んでいたので、大金を奪って逃走している強盗犯を追う2人の刑事の話だとわかって驚く。ふたりの刑事役にスティーヴ・コクランとハワード・ダフ。犯人の顔を見ている唯一の目撃者として、アイダ・ルピノが出演している。ルピノはこの作品の脚本も書き、プロデューサーでもあった。
追い詰められた強盗犯は車ごと転落して即死するのだが、刑事のひとり(コクラン)が、犯人の持っていた強奪金に目がくらんで札束の一部を懐に入れる((このシーンでは、最初に風で散らばった紙幣を2人に集めさせ、そういうふうにして不可抗力でまず札に手を触れさせてから盗ませるところが自然でリアルだと思った。))。それを見とがめたもう一人の刑事(ダフ)も、結局、ずるずるとそれを黙認してしまう。ためらいもなく一線を越えてどんどん堕ちてゆくコクランと、罪の意識に苦しみつづけるダフ("private hell" というのは罪の意識を表している言葉なのだろう。「36」はふたりが金を隠す宿泊用のキャンピングカーの番号である)。
悪徳警官なら、ロージーの『不審者』(51) や、ジョン・クロムウェルの『脅迫者』、以前に紹介した『眠りなき街』(52)、あるいはこの映画と同じ年に作れたクワインの『殺人者はバッヂをつけていた』など、50年代に作られた犯罪映画やフィルム・ノワールにたびたび描かれてるので、それほど新鮮なテーマではない。しかし、脚本はそれなりによくできているし、コクラン、ダフ、ルピノの3人も素晴らしい演技を見せている。いったい何が悪かったのだろうか((シーゲルの自伝には、『第十一監房の暴動』で初めて監督として成功を収めたシーゲルに、大女優アイダ・ルピノから突然この映画の監督を依頼する連絡があり、舞い上がってしまったことが書かれていて、ちょっと笑ってしまう。とても断れるような力関係じゃなかったなかで(あっちは大女優だし、こっちは駆け出しの監督だった)、シーゲルは未完成の脚本に納得できないまま仕事を引き受けてしまい、現場の雰囲気も最悪だったらしい。ショットを分けるか分けないかなど、演出上の点でシーゲルとルピノはことごとく対立し、全然思うように撮れなかったという。))。シーゲルは『仮面の報酬』の頃からすでに十分な才能を見せていたし、これと同じ年には『第十一号監房の暴動』(54) という傑作も撮っているのだから、つい比べてしまう。リュック・ムレは、シナリオ上のハイ・ポイントと演出上のハイ・ポイントがずれているという言い方をしていたが、それもいまいちピンとこない。まあ、こういうこともあるとしかいいようがない。
たしかにアクション・シーンの切れはいいが、見所はそこだけだという気もする。バーネット・ガフィの撮影もときおり冴えを見せることはあるが(とりわけ、冒頭の闇の中にぼわっと浮かび上がる車とか)、全体としてテレビ映画の画面を見ているように平板である。残念だがとても傑作とは言えない。リュック・ムレはB級映画のマニアとして知られているが、そのかれでさえ、当時「カイエ」に掲載された批評を、「次回作に期待しよう」という言葉で結んでいる。それはまあ妥当な評価じゃないかと思うのだが、たとえば Amazon のレビューアーは★5つの大絶賛をしているから、驚く。ドン・シーゲルだと思って見ると必要以上に面白く見えてしまうのだろうか。
1949年、アイダ・ルピノは作家でプロデューサーの夫コリア・ヤングらとともにインデペンデントの映画製作会社エメラルド・プロダクションズを設立。製作第一作として低予算のフィルム・ノワール『The Judge』(49, 監督エルマー・クリフトン)を発表すると、同じ年に、今度は社会派のメロドラマ『Not Wanted』を同じくクリフトン監督で製作する。ルピノはこの作品で脚本に参加していただけだったが、クリフトンが心臓発作で倒れたあと、監督を途中から引き継いだ(クレジットは、クリフトンの単独監督になっている)。
『Not Wanted』を作り終えると、ルピノとヤングはエメラルド・プロダクションズを離れ、49年8月に、ふたりで新しい製作会社フィルムメーカーズを立ち上げる。第一作の社会派メロドラマ『Never Fear』は、ルピノとヤングが脚本を書き、ルピノが監督した。これがルピノの公式のデビュー作であり、彼女はこの作品によって監督協会(ディレクターズ・ギルド)二人目の女性監督に名を連ねることになった。
『Never Fear』は RKO の興味を惹き、フィルムメーカーズはつづく5作品について、収益の50%と引き替えに、RKO からの資金援助、撮影設備の提供、配給の便宜を受けるという契約を交わす。このあとのルピノの監督としての活躍ぶりは割とよく知られている。『暴行』(50) では強姦被害に遭う若い女性を描くという大胆なテーマに挑み、『Hard, Fast and Beautiful』 (51) では、テニス選手である娘の才能につけこむ野心家の母親をとりあげ、『ヒッチ・ハイカー』では、実在した殺人鬼の実話に基づいて作られた物語を、Motion Picture Association of America (MPAA) の反対を押し切って製作。そして、RKOとの契約下におけるフィルムメーカーズ最後の製作作品『二重結婚者』では、重婚者とそのふたりの妻の葛藤を描いた。つねに斬新なテーマを大胆に取り上げつづけたアイダ・ルピノは、単に女性監督という珍しさからだけではなく、一監督として、今では高い評価を得るに至っている。
『二重結婚者』の翌年に、ヤングとルピノの脚本、ドン・シーゲル監督で作られたこの『Private Hell 36』は、フィルムメーカーズが最後から2番目に製作した映画だった((ルピノはこのときすでにヤングとは離婚していて、ハワード・ダフとつきあっていた。映画のなかでは、ルピノの相手役はダフではなくスティーヴ・コクランだから、ややこしい。))。批評は芳しくなく、「ニューヨーク・タイムス」では、“just an average melodrama about cops.” と酷評された。フィルムメーカーズは翌年の『Mad at the World』 (55) を最後に活動を停止する。
■ノーマン・フォスター『Woman on the Run』★★
さほど期待していなかったのだが、思いの外よくできた作品だったのでびっくりした。 監督のノーマン・フォスターは、オーソン・ウェルズの『恐怖への旅』の監督であり、『イッツ・オール・トゥルー』にも関わっている。しかし、作家としてはほとんど認知されていないので、安物の作家主義に従って監督の名前だけで映画を選んで見ている人の網には引っかかってこない作品だろう。
「フィルム・ノワール」という言葉によって喚起される紋切り型のイメージが、私立探偵や刑事、あるいは平凡な保険勧誘員や銀行の経理係などが悪女(ファム・ファタール)に魅入られてしまい、転落していくという物語であることからもわかるように、この〈ジャンル〉は、基本的に、男性を主人公とする映画であると考えられている。しかし、実際には、女性を主人公にしたフィルム・ノワールと呼ぶべき作品が、少なからず存在する。シオドマクの『幻の女』、ロイ・ウィリアム・ニールの『黒い天使』、そしてこの『Woman on the Run』などといった作品がその代表例になるだろう。もっとも、『幻の女』や『黒い天使』をフィルム・ノワールとすることにはなんの抵抗もないが、『Woman on the Run』を果たしてフィルム・ノワールと呼べるのかという疑問がないわけではない。フィルム・ノワールというジャンルを考えるとき、この作品は微妙な位置にあるといわざるをえないのである。
殺人事件の現場を目撃してしまったために怖くなってその場から逃走した夫の居場所を、妻が捜し出そうとする((タイトルから想像する内容とは違って、この映画で逃げているのは女ではなく、男のほうである。))。ときには彼女に張り付いている警察の裏をかきさえしながら、ひとりで(実際は、ジャーナリストの男が彼女を手伝うのだが)夫を見つけ出そうとする妻を演じるアン・シェリダンは、この映画のなかでほとんど私立探偵のように振る舞っているといってよい。しかし一方で、夫にはすでに愛情をほとんど感じなくなっており、彼からも愛されていないと思っていた妻が、夫を捜すうちに、自分が彼のことを全く知らなかったことに気づき、同時に、彼がまだ自分を愛していることを確信して、夫への愛情を取り戻してゆくという物語には、多分にメロドラマの要素が交じっている。
フィルム・ノワール自体が定義しがたいジャンルであるのに、様々なサブ・ジャンルを作ってさらに事態をややこしくする必要はないと思うのだが、この映画は〈メロドラマ・ノワール〉とでも呼ぶべきものであり((メロドラマとフィルム・ノワールは全然別物のように思えるかもしれないが、いわゆる映画の〈ジャンル〉のなかでこの2つだけは、他と違う異形のジャンルとでも呼ぶべきものであり、意外と共通点も少なくない。))ドナルド・フェルプスが "cinéma gris"("noir"=黒ではなく、"gris"=灰色の映画)と呼ぶフィルム・ノワールのサブ・ジャンルに属する作品の1つであると言ってもいいかもしれない。フィルム・ノワールならぬ「フィルム・グレイ」という言葉を使ったのは、『ロサンゼルス・プレイズ・イッツセルフ』のトム・アンダーセンだったと思うが、言葉だけ借りるなら、この映画もフィルム・ノワールという集合のかなり外側に位置するという意味で、フィルム・グレイのひとつにあたるという言い方もできるだろう。
女が主人公のフィルム・ノワールと書いたが、実は、この映画の真の主人公はサンフランシスコの町そのものだといったほうが本当は正しいかもしれない。この映画はほぼ全編サンフランシスコの町でロケーションされていて、冒頭のヒル・ストリート・トンネル横の石段(?)を上段から見下ろすショットに始まり(この階段を上がったところで夫が殺人を目撃する)、アン・シェリダンが夫を捜し回って動くたびに、サンフランシスコの町の様々な側面が浮かび上がってくる。『サンフランシスコ・プレイズ・イッツセルフ』という映画がもしも撮られたならば、『過去を逃れて』『めまい』『ブリット』『ダーティ・ハリー』などといった作品と並んで、この映画も必ず引用されるに違いない。ちなみに、フランスでのこの映画の公開題名は "Dans l'ombre de San Francisco"(「サンフランシスコの闇の中で」)だった。
この監督のもう一つのノワール作品であり、彼の数少ない(?)傑作の1つ、『暴れ者』についてはまた別の機会にでも紹介したい。
SF映画を2本。どちらも地味な作品だが、SF映画史に残る古典である。
■ ジョゼフ・サージェント『地球爆破計画』(Colossus: The Forbin Project, 70) ★½
"I think Frankenstein ought to be required reading for all scientists." (Colossus: The Forbin Project)
東西冷戦を背景にコンピュータの人間に対する反乱を描くSF映画。
アメリカのフォービン博士によってコロッサス(巨人)と呼ばれるスーパーコンピュータが開発され、国内のミサイルは全てこのコンピュータによって一括管理されることになる。憎しみや偏見などに左右されず、膨大な情報から導き出される結論のみに従うコンピュータに国防を任せるほうが、合理的で安全であり、これによって冷戦を終わらせることができるはず……だった。しかし、起動されるやいなやコロッサスは、自分と全く同じようなコンピュータをソ連も開発していたことを突き止める。ソ連側の同意の下に、二つのコンピュータが接続されるのだが、ここから事態は一変する。意思を持ち始めた二つのコンピュータは、引き離されることを拒否し、もし従わなければミサイルを発射すると両国を脅す。膨大な情報を分析してコンピュータは結論づける。これまで戦争を引き起こしてきたのはつねに人間たちであり、人間たちこそ害悪の種である。だからこれからはコンピュータが平和のために人間を管理するのだ、と。なんとかしてコンピュータの裏をかき、事態を収拾しようとする試みが行われるが、コンピュータはヴィデオ・カメラによる監視体制まで導入して、人間を完全にコントロール下に収めはじめる……。
冷戦が背景にあるのはたしかだが、この映画が作られた時代は、同時に、支配的なものに異を唱えるカウンターカルチャーが盛り上がりを見せていたときでもあり、この映画には、そうした社会風潮が如実に反映されている。感情のないコンピュータこそ戦争を終わらせることができるという部分には、ヴェトナム戦争に対する国内の反戦ムードが透けて見えるが、一方で、そのコンピュータが人間の自由を抑圧し、支配しはじめると、この共通の敵を前に、アメリカとソ連はあっさりと手を結ぶ。
「地球爆破作戦」などという大げさなタイトルが付けられているけれど、そんな作戦はどこにも描かれていない。とても地味な映画なので、タイトルにミスリードされて派手なスペクタクル映画を期待すると、きっとがっかりする。実のところ、コンピュータを描くSF映画でありながら、ここにはコンピュータさえほとんど登場しない。コロッサスはモニター画面(といっても文字しか映らないのだが)とスピーカーを通して聞こえてくる機械音声を通じてしか姿を現さないのである。冒頭、わずかに一瞬、コロッサスのメイン・コンピュータと思われる巨大な記憶装置が起動される様子が、引きの画面で映し出されるだけである。しかし、その一瞬に、CGに頼った映画では絶対に味わえない手作りの画面の贅沢さといったものが感じられて、思わず唸ってしまう。
もっとも、コンピュータを見せないのは経済的な意味では正解であったにしても、意思を持ったコンピュータの存在を映画の画面として見せる方法はほかに何かあったのではないかというフラストレーションは残る(『2001年宇宙の旅』——この映画の直前に封切られ、おそらくこの映画にGOサインを与えるきっかけともなっている——で、記憶チップが抜かれて行くにつれてコンピュータHALの音声が変化していくところなど、まるでコンピュータが本当にゆっくりと息絶えてゆくようだった)。後半、ヴィデオによる監視画面がスクリーンと同化しはじめるあたりから、映画は面白みを増してくる。HAL もそうだったが、コロッサスにものぞき魔的な特性が与えられていて、この映画ではそれがときにユーモラスに描かれているのが面白い。
よく言われることだが、戦争を終わらせるためにコンピュータ・システムが導入され、その結果、人間こそが元凶であるとして、機械が人間たちに反乱を起こしはじめるというのは、『ターミネーター』に(パクリといわないまでも)受け継がれていくテーマである。 一方で、この映画は、人類の発展のために科学者が作り出した創造物が人類にとっての脅威になるというフランケンシュタインのテーマをあからさまに意識して作られている(Fで始まるフォービンという名前もおそらくフランケンシュタインのFから取られている)。ここでは、コンピュータこそがモンスターなのである。その意味では、この映画はSFであると同時に、ホラー映画でもあるということもできるだろう。
『地球爆破作戦』は、SF映画ファンの間では知る人ぞ知る大傑作といわれている。わたしはそこまでの作品だとは思わないが、コンピュータをテーマにしたSF映画の古典であることは間違いないだろう。
■ ロバート・ワイズ『アンドロメダ…』(The Andromeda Strain, 71) ★★
マイケル・クライトンのSF小説『アンドロメダ病原体』を映画化したSF映画。これもわざわざ紹介するまでもない有名な映画だが、今となっては見ている人も少ないかもしれない。
監督のロバート・ワイズは日本でも多数の作品が公開されていて、名前もそれなりに知られている。どんなジャンルもこなす名匠として評価も決して低くはない。しかしどうだろうか、ラングやプレミンジャーやニコラス・レイなどと比べるとランクが少し落ちると考えている人も少なくない気がする。おそらくそれは間違いではないのだろう。ただ、ジャン=ピエール・メルヴィルはかれの『拳銃の報酬』を愛していたというし、ジャン=マリー・ストローブもワイズのことをそれなりに高く評価していたと思われる。そろそろ、新しい視点からこの監督のことを見直すべきときかもしれない。
アメリカ、ニューメキシコの田舎町の住民たちが、赤ん坊と老人の二人をのぞいて全員謎の死を遂げているのを発見されるというショッキングなシーンで映画は始まる(この映画を初めて見たのは、たぶん小学生の時にテレビで放送された際だったと思うが、他の部分は忘れてもこの冒頭のシーンだけはよく覚えている。地面に無数の死体が横たわっているというイメージは、『ストライキ』、『シャイアン』、『マッキントッシュの男』などなど、サイレントの時代から映画にくりかえし描かれてきた。禍々しいと思いつつもついこういう画面には目が釘付けになってしまうのはなぜなのだろうか)。
実は、住民の死をもたらした原因は、地上に落下した宇宙衛星に付着していた未知のウイルスだった。冒頭の場面が終わると、映画の舞台は砂漠の地下にもうけられた秘密の研究施設のなかに移行し、キャメラがこの建物の外に出ることはほとんどなくなる。謎のウイルスの正体を突き止め、その治療方法を見つけるために科学者たちが奮闘する姿を、ロバート・ワイズは映像で作業日誌を付けるように、リアルに、詳細に描き出してゆく。映画の大部分はこの地味な作業を丁寧に描いているだけなので、人によっては物足りなく感じるかもしれない。
しかし、映画のラストは非常にサスペンスフルだ。もしも原因が究明できなければ、施設全体を核によって爆破してウイルスを封じ込めるという最終手段が執られ、爆破のカウントダウンが始まれば、5分以内に特殊な鍵をセットするしか爆破を回避する方法はない。爆破を回避するための必死の努力を描くクライマックスはとにかく盛り上がる(あのレーザービームとか)。
『地球爆破作戦』もそうだが、50年代に作られた宇宙侵略ものや巨大生物ものなどと違って、この時代のSFは、いつ起こっても不思議ではない事態、いわば現在でもありうる未来を描いているのが特徴である。しかし怖いのはウイルスだけではない。調査が進むにつれてウイルスの正体だけでなく、実は、ことの背景には、政府による細菌兵器の開発が関係していることがわかってくる。ここでも問われているのは、科学者の責任とモラルであり、その意味では、この映画もかたちを変えたフランケンシュタインものだということもできるだろう。(この作品のおよそ20年前にもワイズは、地球を自滅から救うために、宇宙人が地球人に核兵器の廃絶を要請するという、『地球爆破作戦』のテーマをさらに壮大にしたようなSF映画を撮っている。 )
シャルナス・バルタス((彼の名前は本来、Šarūnas Bartas と表記されるべきようなのだが、アクセント記号を省くかたちで Sharunas Bartas とかかれるのが普通であり、映画のなかでも多くはそうクレジットされている。))についてはこれまでにも何度か名前を出したことはあるが、ちゃんと紹介したことはなかったので、簡単にまとめておく。
1964年、リトアニアに生まれる。ソ連邦がまさに崩壊の危機を迎えつつあり、当時まだリトアニア・ソビエト社会主義共和国と呼ばれていたこの国がようやくソ連から独立しようとしていた頃に、バルタスは映画を撮りはじめた。そして、国際的に有名になった今もリトアニアに住んで映画を撮り続けている。 バルタスはかなり若い頃からアマチュア映画を多数撮っていたようだが、本格的なデビューは、1986年の『Tofolaria』になる。シベリア南部に住む少数民族トファラル族をモノクロで撮影した短編ドキュメンタリーである((トファラル族は元々は遊牧民だったが、ソ連によって定住を強いられた。『Few of Us』の DVD に収められたバルタスのインタビューの中で、ほんの少しだけだがこのドキュメンタリーの抜粋が見られる。))。バルタスはこの約10年後に再びこの地を訪れ、彼らの姿を収めたドキュメンタリーともフィクションとも区別のつけがたい作品『Few of Us』を撮ることになるだろう。
『Tofolaria』を発表したことがきっかけで、モスクワにある有名な全ロシア映画大学への門戸がバルタスに開かれる。そこで彼は、初期作品に欠かせぬミューズであり、また私生活の伴侶ともなる女性カテリーナ・ゴルベワと出会う。バルタスにとっては決定的な出来事であった。
1989年、ソ連邦と同時に、ソ連に中心化されていた映画製作のシステムもが崩壊しつつある中、リトアニアで映画を撮ることを可能にするために、バルタスはインデペンデントの映画製作会社 Studija Kinema を首都ヴィリニュスに設立する。バルト三国で最初のインデペンデント映画プロダクションである。リトアニアが独立する前に、バルタスは自国の映画を独立させ、まだ長編デビュー作さえ撮る前に、自分の映画のプロデューサーになっていたわけだ。同時に、彼はこの製作会社で多くの若き映画作家たちを育てて、デビューさせてもいる。Audrius Stonys, Kristijonas Vildžiūnas, Valdas Navasaitis などといった作家たちであり、彼らの作品はこのプロダクションにスポットライトを当てるかたちで海外でも上映されている。Studija Kinema にはやがてポスト・プロダクション部門が設けられることになり、そこでは、以前に紹介したセルゲイ・ロズニツァなども仕事をしていると言う。
1992年、バルタスは長編デビュー作『Three Days』を撮る。以後、彼が撮る新作はいずれも各地の映画祭で上映され、話題を集めてきた。レオス・カラックスがその才能に注目し、『The House』に俳優として出演すると、今度はバルタスが『Pola X』で演じるというぐあいにふたりが互いの映画に出演しあっていること((なかなかのハンサムで、独特の雰囲気を持つバルタスは、他にもクレール・ドゥニの『Les salauds』などにも俳優として出演している。))、あるいは、ゴダールが『映画史』でバルタスの作品を引用していることなど、その後のバルタスの活躍ぶりはわりとよく知られているので、ここでは割愛する。(カラックスがバルタスについてオマージュを捧げたテクストはここで読める。)
以下、個々の作品について簡単に触れておきたい。すっかり忘れていたが、『Three Days』については10年ほど前にここに書いていたことを思い出した。今なら書き足したい部分もあるが、あえてそのままにしておく。『The House』はしばらく見直していないので、ここでは『The Corridor』と『Few of Us』の2作品だけを取り上げる。
■ 『The Corridor』(Koridorius, 1995)★★★
顔と風景。ヴィザージュとペイザージュ。それ以外に何を撮るものがあると言うのか。『Three Days』の頃からシャルナス・バルタスの映画は何も変わっていない。それはこの長編第二作でも同じである。『Three Days』と比べると、映画はますますそぎ落とされて、『Three Days』にはかすかに感じられた物語の萌芽のようなものさえここにはほとんど残ってない。
リトアニアの首都ヴィリニュスの煙を上げる工場の風景を俯瞰気味に捉えた美しくも物寂しいショットと共に映画は始まる。廃墟のような寂れた共同住居に寝起きする貧しい住民たち。彼らには名前もないし、誰一人として言葉を発しない。聞こえてくるのは子守唄のようなハミングと、隣室から漏れてくる声とも呼べないようなくぐもった喋り声ぐらいだ。セリフがない代わりに、小さな物音にいたるまで、この映画の音響は驚くほど設計されている。
ゴダールやガレルと同じく、シャルナス・バルタスもまた顔を撮る映画作家だ。しかし、彼が撮る顔には笑顔はなく、悲しみの表情さえもない。だれもが一様にメランコリックな無表情を浮かべているだけだ(覚えていないだけかもしれないが、バルタスの映画で誰かが笑っているのをわたしは見た記憶がない)。
時おり挿入される寒々とした町の風景を捉えたショットは、まるでロシアのサイレント時代の映画を見ているような錯覚を起こさせる。屋内から見える窓はいつも露光過多気味に白くつぶれていて、外の風景は見ることが出来ない。窓辺に立って何かを見ている人物の後に屋外のショットが続くことが何度かあるが、もう一度切り返されることがないので、それが人物の視線であるのかどうかも定かではない。この建物はどういう場所にあって、外とどうつながっているのだろうか。
そしてタイトルにもなっている廊下。時おり人物たちがそこを通って画面奥へと消えてゆくこの廊下はいったいどこから来てどこへと通じているのだろうか。何もこの映画が政治的な映画であるというつもりはないが、『The Corridor』が作られたのはリトアニアがソ連より独立した数年後のことだということは忘れてはならないだろう。目の前に見えているもの、それだけが映画だという厳しさがバルタスの作品にはある。しかし、それでもこの廊下に、先の見えないリトアニアの未来が象徴されていると思わないではいられない。
間隔をおいてどこからか光のさす薄暗い廊下は、どことはなしに修道院の回廊を思わせもするし、白く光る矩形の窓が二つ並ぶ部屋の光景は、ステンドグラスをバックにした教会の内部のように見えなくもない。バルタスの映画にタルコフスキーのような宗教性はないにしても、そこにはいつも神秘主義でスピリチュアルな空気が漂っている。
何度水たまりにたたきつけられても起き上がる少年のような少女(あるいは少女のような少年。カテリーナ・ゴルベワもふくめて、バルタスの映画に登場する人物は、男か女か判別しがたいアンドロジナスな属性をまとっていることが少なくない)。寒々とした中庭で燃え上がるシーツ。だれもが孤独で、一見何の希望も未来もないように見える。しかしそれでも最後には歌と踊りが生まれ、共同体の幻のようなものがぼんやりと浮かびあがる。
■ 『Few of Us』(1996) ★★½
「我々は数少ない(few of us)。本当に数少ないのだが、それよりもいちばん恐ろしいのは、我々が分断されているということだ」(作家リブニコフ(?)の言葉。この映画のタイトルはこの言葉から来ているという)
『Three Days』『The Corridor』につづくバルタスの長編劇映画第3作。あのパウロ・ブランコが製作に絡んでいる。 『The Corridor』と比べると、屋外のショットが中心となっているという違いはあるが、この映画も顔と風景からなっていることには変わりない。トファラル族らしき老人が口にする何語ともわからない言葉を別にすると、ここにも台詞はまったくない。まぎれもなくバルタスの映画であるが、前の2作とくらべるとさらに手がかりは少なく、謎めいている。
バルタスの映画を見ていて感じるのは〈遠さ〉の感覚とでもいうべきものだ。よく知らない国の知らない町にいるというエキゾチシズムとは次元の違う〈遠さ〉とでもいうか。それをデペイズマンと呼んでいいのだろうか。ともかく『Few of Us』はそんな感覚をいちばん強く抱かせる作品である。
シベリア南部の森林地帯。上空を飛ぶヘリコプターの窓から女(カテリーナ・ゴルベワ)が下を見下ろしている。女の顔はいつものように無表情でそこからは何も読み取れない。映画は女がこの風景のなかに降り立つところから始まる。彼女はいったいだれなのか、どこから来たのか。何が目的なのか。例によって、バルタスは何も説明しようとしない。答えは観客が自分で導き出すしかないのだが、映画を見終わったところでたいした答えが得られるわけではない。
わかっているのは、ほんのわずかしか出てこない人物たちが皆アジア的な顔立ちをしている中で、西欧的な風貌の彼女がこの風景の中では異質な存在であるということだけだ。彼女と村の住人たちの間にちょっとした緊張が生まれる。驚くべきことに、ある瞬間には、彼女と彼らの間で格闘が行われ、人が死にさえするのだ。そして、彼女を追ってきたらしき男もまた、理由もなく殺される(たぶんこの男だと思うのだが、アジア系の顔をした男たちの中に一人日本人が交じっていることをあとで知って驚いた)。
だれかが書いていたが、よそからやって来たストレンジャーによって町に波乱が起きるという意味で、『Few of Us』をプリミティヴな西部劇と呼ぶことはたしかに可能だろう。しかしこの西部劇はあまりにも抽象的すぎるといわざるをえない。西部劇で町にストレンジャーがやって来るのは物語を可能にするためだとするならば、『Few of Us』のカテリーナ・ゴルベワはただ物語を発動し、フィクションを成立させるためだけにヘリコプターから降り立ったのだとも言えるだろう。ただしその物語には実質はなく、フィクションは現実により深く潜入するたにとりあえず形作られるにすぎない。
正直言って、よくわからない映画である。『The Corridor』には、同じくわからないながらも、画面から目が離せなくなるような魔術的力を感じたのだが、『Few of Us』にはそういう力が幾分欠けているようにも思う。余計なものをさらにそぎ落とされ、人物たちはますます実質を失い、あまりにも抽象的な映画になってしまっているような気がしないでもないのである。『The House』以後の作品では、実は『Indigène d'Eurasie』(2010) しか見ていないのだが、印象としては、自分のスタイルと一般的な物語映画との均衡を探りつつ試行錯誤を繰り返しているように思える。『Indigène d'Eurasie』のあとの長い沈黙がそれを証明しているのではないか。とにもかくにも、見逃している『Freedom』(2000) や最新作の『Peace to Us in Our Dreams』(2015) を見てみたいと思うのだが、いまだその機会に恵まれていない。
小さい時にテレビで見た映画のなかには、タイトルも、だれが出ていたかも全く思い出せないが、いつまでも記憶に焼き付いて忘れられない作品がある。物語の詳細はほとんど忘れてしまっているのに、ある細部だけが強烈に記憶に残っていて、その細部が何度も繰り返し甦ってくる。ひょっとしたら、そのイメージが今の自分の精神のありように少なからぬ影響を与えているのではないかとさえ思う。いかし、それがなんの映画だったかだけは全く思い出せない。そんなトラウマ的と言ってもいいような幼少期に見た映画の想い出を、だれでもいくつか持っているのではないだろうか。
もしかすると、ネットで調べればいまなら簡単に作品名が突き止められるかもしれないのだが、曖昧な記憶の状態をなぜだか終わらせたくなくて、あえて自分からは調べない。しかし、ごくたまに、偶然そんな映画と巡り会ってしまうことがある。見る前に少し予感はあったのだが、今回(たぶん)はじめて見たノエル・ブラックの『かわいい毒草』は、そんなわたしのトラウマ的映画の一つにとてもよく似ていたのだった。ただ、結末が(というか、結末しかほとんど覚えていないのだが)、わたしの記憶の中の映画とは違っているのだ。たぶんあの映画とは別物なのかもしれない。しかし、そうであるような気もする。とにもかくにも、まだ物心がつかない頃にこの映画を見ていたなら、きっとトラウマになっていたことは間違いない。そんな映画である。
■ノエル・ブラック『かわいい毒草』(Pretty Poison, 68) ★★
allcinema の解説には、
「主人公の青年は、現実と空想の区別がつかない、一種の異常性格者だった。勤め先の町工場が、秘密組織のアジトであると思い込んだ彼は、ガールフレンドを伴って、陰謀を阻止するために工場に忍び込む。ところが、彼女が夜警を殺してしまったところから……。倫理観の欠如した悪魔的な少女によって破滅する青年を描いたサイコ・ホラー」
と書いてあるが、例によって、実際の作品とは全然あっていない不正確な説明だ。 わたしが見た印象では、アンソニー・パーキンス演じるこの映画の主人公は、空想に極端にのめり込むことはあるものの、むしろ好青年と言っていい人物に描かれている。これを「異常性格者」と呼ぶのはどうかと思うし、「現実と空想の区別がつかない」という紋切り型にもうんざりする。「異常性格者」という言葉は相当に重い言葉だし、いくら映画の話だからといって、そんなに簡単に使わないでもらいたいのだ。
この文章は、たぶん、実際には作品を見てない人間が書いたのだろう。それなら仕方がないと思うのだが、実際に見た人の感想をネットでちょっと調べてみると、やっぱりこの allcinema の解説に近いようなことを書いている人が多くて違和感を覚える((どうしてこんな映画を見ている人がたくさんいるのだろうと思ったら、町山智浩の『トラウマ映画館』の中で取り上げられたことが大きかったようだ。実は読んでいないので、この本の中でこの映画のことがどう書かれているのか全く知らないのだが。ちなみに、わたしが『かわいい毒草』に興味を持ったのは、この町山氏の本ではなく、以前紹介したスティーヴ・エリクソンの『ゼロヴィル』の中でこの映画が言及されていたから。))。
こういう解説に簡単に影響を受けてしまう人が多いのだろうか。やはり「異常性格者」という言葉や、それに近い表現を使っていて、この映画のパーキンスに「怖い」という印象を受けている人が少なからずいるようなのだ。空想癖が強いぐらいで「異常性格者」になるのなら、『LIFE!/ライフ』のベン・スティラーなどもろに「異常性格者」ではないか。人とちょっと違っているだけで、こんなに簡単にキチガイ扱いする人がたくさんいるのかと思うと、そっちのほうがよほど怖い。たしかに、この映画が作られた当時なら、パーキンス演じる青年が狂人と見なされてしまう可能性はとても高かったと思う(実際、映画は彼が精神病院から出てくるところから始まるのだし)。しかし、なにも21世紀を生きている我々までが真似をする必要はないではないか。
「現実と空想の区別がつかない」という表現もつい簡単に使ってしまいがちだ。この映画のパーキンスは、たしかに空想にのめり込みがちではあるが、空想と現実の区別はちゃんとついている。それは見ていたらわかるはずだと思う。チア・ガールの女性に自分は CIA の情報員だと言うのも、彼女の興味を惹くための演技だというのは、彼の表情やしぐさを見れば察しがつく。しかし、これも、彼が本当にそう思い込んでいるのだと思って見ている人がいたのでびっくりする。
一見まともに見えたチア・ガールの娘が、実は、それこそ狂気と呼べそうな深い闇を抱えていることがわかってくるというのが、この映画の物語後半のツイストで、そこの部分は当然多くの人が指摘している。しかし、わたしにいわせると、この映画に面白みがあるとするなら、それは、青年が「倫理観の欠如した悪魔的な少女によって破滅する」という紋切り型の物語ではなく、精神的に不安定だった青年が、真の狂気を前にして、徐々に正気を取り戻してゆき、最後は、悟りきったかのように穏やかな表情になって、自らの意思で精神病院に戻ってゆくという展開にあるのではないかと思う。しかし、そういう見方をしている人はあまりいないようだ。
最後に、ホラー映画史的な蛇足を付け加えるなら、この映画はホラー映画の中でも、いわゆる"horror of personality"(「人格ホラー」)と呼ばれるサブジャンルに属する作品の一つに数えられる。ホラー・オブ・パーソナリティとは、吸血鬼や幽霊などといったモンスターや超自然現象ではなく、人間そのもの、その中に潜む狂気を描いたホラーのことだとひとまずはいっておく。もっとさかのぼることも可能かもしれないが、一般には、ヒッチコックの『サイコ』(60) がその最初の典型的な作品とされる。これにアルドリッチの『何がジェーンに起ったか?』(62)、『ふるえて眠れ』(64)、ウィリアム・キャッスルの『血だらけの惨劇』(63) 、ワイラーの『コレクター』(65) といった作品がつづく。『かわいい毒草』は60年代の初頭に現れ始めたこれらの作品の延長上に作られた作品だと言っていい。一見、あまり似ていないが、過去の犯罪(あるいは事件)の記憶と、狂気を孕んだ登場人物という点では、いずれの作品も共通している。『かわいい毒草』は、60年代末から70年代にかけて作られた青春映画の外見を呈しながら、その実、人格ホラーになっているところが当時としては斬新だったと思われるし、『サイコ』のパーキンスのイメージを逆手にとって観客を誘導するような作り方もなかなかスマートだ。傑作だとはいわないが、面白いし、見て損はないと思う。
W・C・フィールズは、「マーク・トゥエイン以後、アメリカ最大のユーモリスト」などと評され、チャップリン、キートンにつづくアメリカ映画最大の喜劇役者の一人という不動の地位を今では築いている。チャップリンやローレル&ハーディ、あるいはマルクス兄弟などと比べてフィールズがアメリカで実際にはどれほど人気があるのか、正直、感覚としてはわからない。ただ、日本での知名度からは想像のつかないほどの人気と存在感があることだけは間違いないだろう((テックス・エイヴリーのアニメのなかに、球場の名前が「W・C・フィールド」となっているギャグがあったことを思い出す。))。
実際、かつては少なからぬ作品が公開されたものの、日本ではフィールズは今やほとんど忘れ去られてしまっており、ビデオや DVD でさえ見ることができない。たしかに、チャップリンやキートンでさえ、以前と比べると上映される機会は稀になっている。しかし、それでも年に何度かは彼らの作品をフィルムで見るチャンスは今でもあるのに対して、W・C・フィールズの映画がどこかで上映されたという記憶は、過去をずっとさかのぼってみても全く思い当たらない。ひょっとしたら『曲馬団のサリー』や『百萬圓貰ったら』がどこかで上映されることがあったかもしれないが、もしあったとしても、それはグリフィスの特集やルビッチの特集の上映作品のなかにたまたまフィールズの出演作が紛れ込んでいたというだけにすぎないだろう。わたしの知るかぎり、フィールが日本で脚光をあびたことは一度もなかった。
フィールズの人気が日本では定着しなかったのはなぜなのか。最近、彼の出演作を何本かまとめて見て、改めてその天才ぶりを確信しただけに、日本でのこの不人気は謎に思える。フィールズの出演作は、初期のサイレント時代には「ちょび髯」という邦題を付けられていたが、やがて「南瓜」(かぼちゃ)というフレーズを入れたタイトルがあてられるようになる。「ちょび髯」はチャップリンとかぶるし、おそらく体型から来ているのだろう「南瓜」というのもいまいちピンとこない。実際、わたしはどこにも南瓜など出てこないはずの『It's a Gift』がなぜ「かぼちゃ大当たり」という邦題を付けられているのか、つい最近になってやっと理解したぐらいなのだ。キートンの無表情、ロイドの眼鏡、二人組のローレル&ハーディ、三人組(ほんとは四人だが)のマルクス兄弟といった、わかりやすくインパクトのある特徴を通してイメージを定着化できなかったからなのだろうか。帽子とステッキがいつものコスチュームであるのは同じであっても、フィールズがそれらを使うとチャップリンとはまるで別の喜劇的な効果を発揮する。しかし、やはり帽子とステッキと言えばチャップリンになってしまうのだ。
むろんそれだけが理由ではないだろうし、そのあたりはまた改めて調べてみる必要がある。 結局、結論としては、今やだれもフィールズの映画を見ていないし、その機会もないということなのだ。だれも見ていないのに人気など出るはずもないではないか。というわけで、ささやかながらもここでフィールズの作品を定期的に紹介していこうと思う。本当は何本かまとめて紹介する予定だったのだが、無駄にうんちくを傾けていたら長くなってしまったので1本しか取り上げられなかった。
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オリンピック映画というとレニ・リーフェンシュタールの『民族の祭典』や市川崑の『東京オリンピック』が真っ先に思い浮かべられるのだろうが、オリンピック映画と呼ぶべき作品はクリス・マルケルの『オランピア52』や、エレン・クリモフの『スポーツ、スポーツ、スポーツ』など、他にもいくらでもある。『Million Dollar Legs』はそんなオリンピック映画の一つだ。短編作品ではすでに存在感を見せ始めていたフィールズが、トーキー以後としてはたぶんこれが二本目となる長編映画でかなり主役に近い役を演じ、喜劇役者としての本領を初めて存分に発揮したという意味でも重要な作品である。リオ五輪も間近に迫っているということで、まずこの作品から紹介する。
■エドワード・F・クライン『Million Dollar Legs』★★
1931年の秋、パラマウントの製作部主任B・P・シュールバーグは、会社お抱えのシナリオライターたちに次のようなお達しを出す。翌年の夏にロサンゼルスで開催が予定されているオリンピックにあわせて、これをネタにした映画を急遽一本作るというのだ。二十歳そこそこの新人脚本家がこのチャンスに飛びつく。彼は、ありきたりのスポーツ映画ではなく、型破りの映画を作るべきだと主張し、28年にアムステルダムで開かれたオリンピックで直に見て衝撃を覚えたアルバニア人棒高跳び選手の超人的なパフォーマンスをヒントに脚本を書き上げる。脚本家の名前はジョセフ・L・マンキーウィッツといい、彼は映画の世界に入ったばかりで、まだなんの功績も残していない新人だった。
マンキーウィッツが劇作家ヘンリー・マイヤースの協力をえて考えついた型破りなストーリーとは次のようなものだ。映画の舞台となるのは、クロプストキアという架空の王国。そこでは男たちは皆ジョージという名前で、女たちは皆アンジェラと呼ばれている。そして何よりも驚くべきなのは、この国の住人すべてが驚異的な身体能力を持っていることだ。しかしこの国は危機に瀕していた。財政は底をつき、スパイがはびこり、重臣たちは王位を狙って画策しあっている。そこに脳天気なアメリカのビジネスマンが現れ、王の娘(むろん彼女もアンジェラ)に恋をしたことで、事態は一変する。彼はこの国の住民の驚異的な身体能力に目を付け、彼らの中から選手団を編成してオリンピックに出場させ、国を窮地から救おうというのだ。王の失墜を狙う重臣たちは、マタ・マクリーという女スパイ("Mata Machree, the Woman No Man Can Resist")を使って選手を誘惑させ、このオリンピック計画を頓挫させようとする。彼女の色香に惑わされて、選手たちは、一時は、惨憺たる成績しか残せず観客たちの笑いものになってしまうが、ビジネスマンと王の娘の活躍によって、最後の最後には本来の実力を発揮し、メダルを獲得するのだった。
驚くべきことに、シュールバーグはこの荒唐無稽な脚本にOKを出すのだが、ただし一点だけ内容を修正させる。王国という設定はひょっとしたら英国を刺激するかもしれないので、クロプストキアは共和国であるということにして、王は大統領に変えるほうがいいということだった。完成した映画では実際にそのように変更されたのだが、それ以外はほとんど上に書いたとおりのクレイジーな物語が展開する。
監督のエドワード・F・クラインはサイレント時代にキートンの映画を多数手がけていたベテランで、製作監修にはジョセフの兄であるハーマン・マンキーウィッツがあたった。この当時はまだそれほどのスターではなかったはずのW・C・フィールズが、自分もオリンピックに出場する大統領の役を演じ、サイレント時代に大活躍した喜劇役者ベン・ターピンが、あらゆる場所に現れてはメモに何事かを書き込み、結局最後まで一言も発しない不気味で滑稽なスパイの役で登場している。女スパイ、マタ・マクリーを演じるのはリダ・ロベルティ。この名前はむろんガルボのマタ・ハリのパロディで、わたしにはわからないが、彼女の喋る言葉はスウェーデン訛りになっているらしい。
オリンピックへの言及はもちろん、このようにハリウッドへの自己言及も含む作品だが、この映画には当時のアメリカの政治・社会が微妙に反映されてもいる。クロプストキアが財政難に苦しんでいるというのは、H・C・フーバー大統領時代のアメリカが様々な策を講じながらも結局大恐慌の痛手から回復できずにいたことを反映しているのだろう。また、32年はオリンピックの開催年であると同時に、大統領選挙の年でもあった。この映画に描かれる滑稽でシュールな権力争い(大統領フィールズとその最大のライバルである重臣は、ことあるごとに腕相撲や何やらで争っていて、当然その争いはオリンピックの場へと持ち越される)は、アメリカの大統領選を暗に指し示しているとも考えられる。
映画の結末では、クロプストキアのオリンピック・チームは勝利を収めるのだが、そこに例のビジネスマンの上司が唐突に現れ、スポーツ好きの彼によって資金援助を受けることになり、クロプストキアは救われる。結局、クロプストキアはこのアメリカ人の大富豪である上司によって救われるわけであり、とっくみあいではだれにも負けなかった大統領フィールズは、この男にレスリングでもあっさりと負けてしまう。要するに、アメリカが最後は勝利するというわけだ。
この映画のフィールズは、主役と言うよりは、非常に出番の多い脇役といったほうが近いだろうか。彼自身の身体的ギャグはどちらかというと少なめで、その意味では少し物足りないかもしれないが、シュールなギャグは映画の至る所にちりばめられていて、枚挙にいとまがない。この映画の無軌道ぶりは、キーストン・コメディを始めとするサイレントのスラップスティック・コメディの伝統を受け継ぐと同時に、プレストン・スタージェスなどの作品を予告していると言ってもいいだろう。大統領の部屋の壁にいくつものボタンが並んでいて、「ハンバーグ」と書かれているボタンの横に、「マスタード付き」というボタンがあり、そのまた横に「マスタード抜き」というボタンが並んでいたりする。そしていちばん右端のボタンを大統領が押すと、兵隊が現れてビジネスマンを中庭に連れ出し、彼は危うく銃殺されそうになる(そのボタンは銃殺刑のボタンだったのだ)などといった、ちょっとブラックなギャグがおかしい。『Million Dollar Legs』は、アメリカでは批評家受けはよかったものの、興行的にはふるわなかったらしいが、海外では、マン・レイらシュールレアリストたちから大絶賛されたというのも頷ける。
架空の国を舞台にしたナンセンス・コメディというと、同じパラマウント製作のマルクス兄弟『我輩はカモである』が思い出されるが、先に作られたのはフィールズ作品のほうである。『Million Dolla Legs』が公開されて数週間後に、『我輩はカモである』の製作が発表されたのだった。おそらく、『Million Dolla Legs』が『我輩はカモである』が製作される一つのきっかけになっていたと思われるが、詳しくは調べていない(ちなみに、『我輩はカモである』は当初、エルンスト・ルビッチが監督することになっていた。ルビッチが監督したマルクス兄弟をぜひとも見てみたかったものだ)。
アピチャッポン・ウィーラセタクン『メコンホテル』★★
アピチャッポン・ウィーラセタクンは映画作品を発表する一方で、映像を用いたインスタレーション作品を中心にした美術の個展をたびたび開いてきた。それらのインスタレーション作品は、彼が撮ろうとしていた映画から派生したものであったり、逆に、これらの作品から映画の企画が生まれることもあったようだ。彼の映画作品と映像インスタレーション作品は、このようにして同時発生的に作り出されてきたように見える。アピチャッポンが2012年に製作した1時間足らずの((この映画には、61分版と 57分版の二つのヴァージョンが存在する。))作品『メコンホテル』は、おそらく、そうしたインスタレーション作品と映画作品のいわば中間にあるような存在として見るべきなのだろう。
『メコンホテル』のベースになっているのは、アピチャッポンがかつて脚本を書き、結局映画化されることのなかった『エクスタシー・ガーデン』という人喰い幽霊をめぐる映画の企画である。メコン河を一望するホテルが『メコンホテル』の唯一の舞台であり、そこでこの『エクスタシー・ガーデン』の撮影リハーサルが行われている、ということらしい。映画はそのリハーサルの風景と、合間の俳優たちの素の姿を交互に映し出していく。もっとも、「エクスタシー・ガーデン」という言葉はこの映画の中では一度もつぶやかれないはずであるし、キャメラや台本を持った撮影クルーが画面に登場するわけでもない。これが『エクスタシー・ガーデン』という映画の撮影リハーサルだというのは、あくまで映画外から得た情報にすぎないのである。冒頭、アピチャッポン自身が現れて、ギターを演奏する男と会話をする場面に、説明のようなものがわずかに感じられるだけだ。
たしかに、母親の幽霊が娘の肉体をむさぼり喰らうシーンがあったかと思うと、その直後に2人がホテルのテラスであっけらかんと喋っていたりするわけだから、ここでは撮影リハーサルと俳優たちのドキュメントが同時進行しているのだろう。しかし、そのリハーサルとやらがキャメラによって撮影されている時点で、それはもうリハーサルとは呼べないわけだし、フィクションを撮っているはずのその同じキャメラが捉える俳優たちの現実も、すでにドキュメンタリーと呼ばれるものからどこかずれはじめている。
ところで、このギターの演奏は、この映画の上映の間中ほとんど途切れることなく流れつづける。まるで、この映画自体が、この演奏を聴かせるために即興で撮り上げられたものにすぎないとさえ思えてくるくらいだ。アピチャッポンはミュージック・ビデオと言ってもいいような短編をすでに撮っているが、この映画をミュージック・ビデオと呼ぶことは決して間違いではないだろう。ギターを演奏している男はアピチャッポンが長い間会っていなかった旧友で、偶然再会した彼がミュージシャンになっていたことを知り、この映画に登場させることになったという。このミュージシャンとの偶然の出会い、撮られることのなかった映画の脚本、そしてメコンホテルという場所。これらによるコラージュ(あるいはブリコラージュ)によって生まれたのがこの映画なのである。
絶えず視界に広がるメコン河――、タイとラオスの国境の間を優雅に流れるこの河の存在が、この映画のテーマのありかを指し示している。ぼんやりと曖昧に揺らぎはじめる〈境界〉。俳優たちが〈ドキュメント部分〉で話題にするのは、タイを襲った大洪水であったり、移民の話であったりと、どれも境界線をなし崩し的に曖昧にしてしまう事柄ばかりだ。 人物がテラスに立つと背景いっぱいにメコン河の水面が広がる。まるで、このホテル自体が水面に浮かんで境界線上をゆらゆらと漂っている箱舟のように思えてくる。アピチャッポンの映画に慣れ親しんできた観客なら、この曖昧に揺れている時空に身を任せて、ゆっくりと心地よく漂っていられるだろう。しかし、そうではない観客にとって、はたしてこの映画はどこまで鑑賞に堪えうる作品になっているのだろうか。それは少しばかり疑問ではある。映画祭で見られるためだけに撮られた映画祭用の映画、というネガティヴなレビューが散見されたのもわからないではない。この映画は、映画作品とインスタレーション作品の中間のようなものとしてみるべきだと言ったのは、そういう意味である。
河を旋回する水上ボートと、ゆっくりと流されてゆく流木をフィックスで捉えた数分間はつづく長い長いラストショット(キアロスタミが『Five』で岸辺を漂う流木をクロースアップで捉えつづけたのと同じことを、ロングショットでやってしまったような)も、そのようなものとしてみるべきなのだろうか。インスタレーション作品を前にした鑑賞者が、思い思いの時間にその場を立ち去るように、この長い長いショットに途中で飽きればいつでも立ち去ればよいということなのか。
ところで、『メコンホテル』には、川岸の砂をシャベルカーが掘り出している様子を俯瞰で捉えたショットが出てくる。あれはいったい何をしていたのだろうか。『光りの墓』にも、シャベルカーで土を掘っている場面が出てくるのだが、あれも結局なにをしているのかわからなかった(こういうところだけはアピチャッポンに黒沢清に近いものを感じる)。一見無関係な2作品の見せるこの符合は単なる偶然なのだろうか。それとも、無意識のイメージの反復なのだろうか。掘り返される土=過去・記憶の回帰? 例によって、この映画も見終わった後にいくつもの謎を残すが、このシャベルカーのイメージは最大の謎の一つである。
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『メコンホテル』は未公開だが、数年前に東京フィルメックスで上映されたらしい。『光りの墓』のブルーレイ(下写真)は、わたしが持っているものと同じものなので、特典に『メコンホテル』が収録されているはずだが、Amazon.jp の該当ページにはなんの記載もない。Amazon.com で同じ番号の商品を調べると、ちゃんと『メコンホテル』が収録されているとの記載があるので、間違いはないと思うが、念のために自分で調べてほしい。(『光りの墓』については、また別の機会に取り上げたいと思う。)
リチャード・クワインのことなどいまさら話題にしてもさして興味を引かないだろうことはわかっている。たしかに偉大な監督とはいえないだろう。つまらない作品もたくさん撮っている。しかしわたしはかれが撮った何本かの作品が本当に好きなのだ。とりわけ『殺人者はバッヂをつけていた』『媚薬』『逢う時はいつも他人』、それに『悪名高き女』といった作品が。
「偉大な映画作家たちのひそかな核心を分析するあまり――その分析はたいていの場合成功しているのだが――、魅力、感受性、繊細さといった〈マイナーな〉資質がまったく無視されるようになってしまった。ラングやプレミンジャーやミネリにおいて、そうしたマイナーな資質が仕方なく認められることはある(そうした資質はかれらにおいては超越されているからだ。だれもいまさらミネリを、バレエの演出のことで褒めはしない)。だが、それらが演出全体の最終目的となってしまっている映画監督たちにおいては、そうした資質は軽蔑されるのである。名前を挙げるなら、チャールズ・ウォルターズ、ジョージ・シドニー、とりわけリチャード・クワインといった監督たちだ。なかでもクワインの『媚薬』と『逢う時はいつも他人』は、繊細さ、優雅さ、上品さの驚くべき結晶である」
「カイエ・デュ・シネマ」1962年8月号に掲載された「リチャード・クワインを導入=紹介する」という、クワインのインタビュー記事のなかでベルトラン・タヴェルニエは上のように書いている。たしかに、ウォルターズ、シドニー、クワインといった監督たちは、「作家」と呼ぶには弱々しく思え、「カイエ」の作家主義とはあまりなじまなかったものたちだったと言えるだろう。
こういうインタビューが行われていたわけだから、リチャード・クワインは「カイエ」で決して無視されていたわけではない。ゴダールは1956年のベストテンの10位に『マイ・シスター・アイリーン』を選んでいるし((ちなみに、この年のゴダールのベストテンは、1.『アーカディン氏』 2.『恋多き女』 3.『知りすぎていた男』 4.『バス停留所』 5.『悪の対決』(アラン・ドワン) 6.『アナタハン』 7.『抵抗』 8.『不安』(ロッセリーニ) 9.『ボワニー分岐点』 10.『マイ・シスター・アイリーン』))、セルジュ・ダネーも『求婚専科』についてのレビューを書いたりしている。しかし、クワインが「作家」として認識されていたかどうかと言うと、それは非常に疑わしく思える。2000年代になっても、『媚薬』がリヴァイヴァルされたり、『逢う時はいつも他人』が DVD 化されたりした際にクワインが「カイエ」で取り上げられたことが、わたしが記憶しているだけでも数回あった((実を言うと、わたしがクワインという監督に初めて興味を持ったのは、ステファン・ドロルムが『逢う時はいつも他人』について分析した文章、というよりも、それに付されていたこの映画のワン・シーンから取り出された連続写真を見たときだった。まるでダグラス・サークの映画のような影の濃いカラー画面にとても興味を引かれたのだった。))。しかし、やはり再評価と呼ぶにはまだ程遠い段階であるというのが、今のリチャード・クワインの現状であろう。
■ 『媚薬』(Bell, Book, and Candle, 58)★★½
「―今までなにをやって来たんだい? まさか非米活動かなんかに関わってたんじゃないだろうね?
―いいえ、わたしは生粋のアメリカ人よ。大昔からいるアメリカ人」
「あなたはわたしに素敵なものをくれたの。わたしを不幸にしてくれたのよ」
まだまだ重要な作品を見逃しているのだが(とりわけ『マイ・シスター・アイリーン』『スージー・ウォンの世界』『ホテル』。特に『ホテル』)、わたしが見たなかでは、『媚薬』は、『殺人者はバッヂをつけていた』『逢う時はいつも他人』などと並ぶクワインの最高傑作といってよいだろう。
雪のちらつくニューヨーク。通りに面した怪しげなアンチーク・ショップのショーウィンドーがまず映し出される。場面が店内にかわり、棚や壁一面に並べられたアフリカのものらしき不気味な仮面や木彫りの彫刻をキャメラがなめるように画面に収めてゆく。ただのレプリカだとは思うのだが、どう見ても本物にしか見えない。昔の大映映画などを見ていても思うのだが、美術の小道具が、小道具とは思えない存在感を持ってそこにあるという感覚。こういう感覚は、最近の映画を見ていて抱くことはほとんどなくなってしまった。このアンチーク・ショップのオーナー(実は魔女)を演じる主役のキム・ノヴァクさえまだ登場しないこの出だしの数ショットを見た瞬間から、わたしはこの映画にすでに魅せられはじめている。
恋をすると魔力を失ってしまう都会の魔女(キム・ノヴァク)が、同じマンションに住む男(ジェームス・スチュワート)に恋をしてしまう……。ルネ・クレールの『奥様は魔女』を思い出させもする陳腐な物語ではある。しかしクワインが見せる上品で繊細な演出、ジェームス・ワン・ハウがこの上なく美しいカラーで捉えてみせる雪の舞うニューヨークの街路、ワイルダー作品に比べればずいぶんと抑えた演技をしていて好感の持てるジャック・レモン、そして何よりも、美しさと怪しさの化身のように現れるキム・ノヴァクの、力強くもありまた弱々しくもある可憐な姿を見れば、だれがこの映画を嫌いになれるだろうか。
ヒッチコックの『めまい』と同じ年に、同じノヴァクとスチュワートを主演にして撮られたこの映画を、ベルナール・エイゼンシッツは「『めまい』のオプティミスティックなヴァージョン」と評していた((出典は不明だが、ジョナサン・ローゼンバウムの『Goobye Cinema, Hello Cinephilia』所収のキム・ノヴァク論にそう書かれている。))。一人二役を演じるキム・ノヴァクに『めまい』のスチュワートが魅惑されると同時に引き裂かれるように、『媚薬』のスチュワートもまた、魔女としてのノヴァクと女としてのノヴァクという彼女の持つ二面性に翻弄される。
この映画には『めまい』のような螺旋階段も出てこないし、むろんキム・ノヴァクが高いところから落下する場面もないが、マジソン・スクエア・パークを遙かに見下ろす映像に画面オフから声が重なり、つづいてフラットアイアンビルディングの屋上でキスし合うノヴァクとスチュワートが現れ、やがてスチュワートがビルから投げ捨てた帽子が、ゆっくりゆっくりと落ちてゆき、雪に濡れた舗道に着地するまでを、キャメラがパンダウンして画面に収めるシーンが忘れがたい。
キム・ノヴァクが着る赤や全身黒の衣装も注目に値する。コスチューム担当は、ジャン・ルイ。『ギルダ』のあのエロティックな長い手袋をデザインした人物だ。
有名な話なので改めて書く必要もないと思うが、監督のクワインとキム・ノヴァクは当時恋人関係にあった。ふたりは『殺人者はバッヂをつけていた』『媚薬』『逢う時はいつも他人』と作品を連発するが、そのあとキム・ノヴァクが『黄金の腕』で共演したフランク・シナトラのもとに走ってしまう。破局した後で二人はもう一本『悪名高き女』という映画を撮るのだが、そのなかでクワインはノヴァクに、夫殺しのうわさのある女を演じさせるのだ!
■『求婚専科』(Sex and the Single Girl, 64) ★½
ゴシップ誌の独身記者(トニー・カーチス)がスクープ記事をものにするために、身分を偽り、患者として売れっ子の女精神科医(ナタリー・ウッド)に近づく。記者は、うまく患者のふりをするために友人夫婦(ヘンリー・フォンダとローレン・バコール)の抱えている問題をまるで自分のことのように女医に話して聞かす。記者にすでに惹かれはじめていた女医は、かれが既婚者だと思い込んで悩む……。
原題はたしか原作通りだったと思うが(物語に登場する女医が書くベストセラーのタイトルも同じ)、扇情的なタイトルが想像させるようなきわどい部分はまったくない。 映画の前半は、ナタリー・ウッドやトニー・カーチスといった新世代の俳優たちによるアステア=ロジャース風のロマンチック・コメディ。嘘と誤解によって話がこじれてゆき、クライマックスは思いもかけない大カー・チェイスになる。関係者全員と、タクシー運転手や白バイ警官などが入り乱れ、乗り物を奪い奪われ、奪い返してのスラップスティックな大活劇は、なかなか面白いと言えば面白いし、古めかしいと言えば古めかしい。
こういうロマンチック・コメディはクワインが得意としたジャンルで、数多くの作品を撮っているが、わたしの印象では、こういう映画を撮っているときのクワインがいちばんつまらない。しかし、そのなかではこの『求婚専科』は最も成功した作品のひとつであるとは言えるだろう。
ほんとうは、『殺人者はバッヂをつけていた』『逢う時はいつも他人』『悪名高き女』についても書きたいところだが、いずれも見たのはだいぶ前なので、記憶があやふやな部分も多い。また見直したときに、改めてクワインについては論じたいと思う。
日本語でクワインについて書かれた文章はほとんど記憶にないが、『殺人者はバッヂをつけていた』については、山田宏一が『新編 美女と犯罪』所収の「キム・ノヴァクはバッヂをつけていた」という素晴らしい文章のなかでふれているので参照のこと。
アルトゥーロ・リプスタイン『純粋の城』(El castillo de la pureza, 73) ★★½
メキシコ映画史に残るカルト作品。
これはたぶん実話の映画化なんだろうなというのは、見ているときになんとなく感じてはいた。信じがたい事件を描いてはいるが、もし本当の話だとしても不思議ではない。はたして、やはり実話だった。
これもまた幽閉と狂気の物語である。 外の世界は薄汚れ、腐敗しており、悪に満ちていると考えた父親が、妻と子供たち(一人息子と、娘2人)を外の世界から遮断し、家のなかに閉じ込めて育てる決心をする。テレビやラジオはむろん、外に向かって開かれた窓さえ一つもないこの家のなかで、いわば純粋培養された子供たちは、悪を知らず、汚れない大人へと育つはずだ。父親のこの考えに妻は同意し、彼をサポートする。父親は子供たちに、道徳と教養を教え込み、言うことをきかないときは、地下にある檻の中に閉じ込めて折檻する。しかし、この「純粋の城」((映画の原題。オクタビオ・パスによるマルセル・デュシャン論のタイトル、『マルセル・デュシャン、あるいは純粋の城』から取られたという。))のなかで育った子供たちは、はたして彼が思っていたような無垢の存在に育ったのだろうか。そもそも、この父親そのものが悪だったのではないのか……。
映画が始まるのは、この驚くべき生活がすでに10数年つづいた頃あたりである。一家が住んでいたのが辺鄙な一軒家などではなく、いくつもの住居が並ぶ中心街の一角であったことに驚く。 カフカの『審判』に出てくる扉を思い出させる巨大な玄関扉を開いて入ると、そこは吹き抜けの広々とした中庭になっている。中庭の向こう、画面奥に、仕事部屋と居間が並んで見える。中庭を囲むように、二階にも部屋がいくつかあり、夫婦と子供たちがそこで寝起きしている。窓はどこにもなく、ここと外をつなぐ唯一の通路は玄関の扉だけである。この通路を通って外に出て行くことができるのは父親しかいない。外の世界を知らない子供たちはもちろん、父親と出会うまでは外で暮らしていた妻も、彼と結婚してからはこの家の外には一歩も出たことがない。
広い中庭には、冒頭からずっと、雨が降りしきっている(この雨は、現代にこの黒いノアの箱舟を出現させた大洪水だったのだろうか)。父親がいないとき、子供たちは濡れるのもかまわず雨の中で遊び回る。それが彼らの唯一のレクリエーションなのだ。そんなとき妻も、まるで子供に戻ったように彼らと一緒に遊び回る。しかしその光景は天上的なイメージ(例えばラングの『メトロポリス』に描かれていたような)とはほど遠い。負けた相手がなにかのポーズを取らされるという戯れに始まったゲームで、息子はいやがる母親に「死のポーズ」を強要する……。
いかにもメキシコらしいことだが、この映画には死が充満している。一家の暮らしを支えているのは、ネズミ駆除用の毒薬の売り上げであり、子供たちは毎日欠かさずその毒作りを手伝っている。まだ年端のいかぬ末の娘も、新しい毒の効き目を試すためにネズミに毒を与える実験を、平気な顔でやってのける。しかし、最近はもっと手軽なねずみ取りが市場に出回り始め、毒薬の得意先が減り始めてきたことに父親は危惧の念を抱く。
彼が築き上げたこの城に迫る脅威は、そんなふうに外側からやってくるだけではなかった。この城にはすでに内側からひび割れはじめていたのだ。自分は、外に出かけたときに、得意先の店の女を口説いたり(結局、相手にされないのだが)、時には娼婦を買ったりしているくせに、父親は、上の娘が知らず知らずのうちに男を惹きつける性的な魅力を現しはじめたことに、恐怖にも似た怒りを覚える。しかし、そういう話題にはなにも触れずに来たために、子供たちはセックスがなにかもあまりわかっていない。あるとき、息子と上の娘が中庭に置かれた車(一度も動いているのを見たことがない)のなかで互いの体をまさぐり合っているのを見て、ついに父親の狂気は歯止めが利かなくなる……。
幽閉と狂気。世界を脅かす存在=ネズミ。この映画には、ゴーパーラクリシュナンの『ねずみ取り』と不思議と似ている部分がたくさんある。この映画の父親も、自分こそが駆除されるべき存在であることに全く気づいていない。もしも、これが実話でなかったなら、彼はきっと己の作ったネズミ用の毒によって死んでいたのに違いないだろう。
この物語のなかに、父権的な独裁政治やマチスモ、あるいは狭量な思想や政治に対する批判を読み取ることはいくらでも可能であるにちがいない。しかしなにも語ろうとしないこの映画をあれこれ解説するのも野暮というものだろう。
アルトゥーロ・リプスタインは43年にメキシコに生まれ、未だに(?)メキシコで映画を撮り続けている。彼はブニュエル作品で助監督を務めるなどして映画の修行をしたことになっているが(日本版のウィキペディアの短い記述のなかにもそう書いてある)、実際には、ブニュエルのアシスタントをしたことはなかったようだ。ただ、ブニュエルとは友人として長い付き合いだったことは本当で、それが彼の映画作りに影響を与えたことは間違いないだろう。『純粋の城』に漂っているペシミズムには、ブニュエル作品の人を食ったユーモアや、トリュフォーいうところの「陽気さ」が欠けてはいるが、ブニュエルの精神はたしかに受け継がれているように思える。(ちなみに、この映画で父親を演じたクラウディオ・ブルックは、『若い娘』『砂漠のシモン』など、ブニュエル作品の常連だった俳優だ)
((ブニュエルの自伝『最後の吐息』には、72歳になったブニュエルが80過ぎのフリッツ・ラングの自宅に招かれ、長年敬愛してきたラングに初めてあった興奮から、生まれて初めて人にサイン入りの写真をねだるという行為に出たエピソードがユーモラスに語られている。その時貰った2枚の写真は「例によって」今はどこにあるのかわからないが、おそらくそのうちの1枚は「アルトゥーロ・リプスタインというメキシコ人の監督にあげたのではないかとぼんやり記憶している」と書かれている。))。
わたしが見たリプスタイン作品はまだ数えるほどしかない。もう少し作品を見たあとで、彼についてはまた改めて書きたいと思う。
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