映画の誘惑

TOP映画日誌>2008年7月-9月

365日間映画日誌

日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。

2008年7月〜9月

2008年9月26日
フランスの新作DVD

ひさしぶりにフランスの Amazon をチェック。いろいろ出ているようだが、日本と同じで、勝手に DVD のタイトルを付けているものもあるので、フランス語タイトルを見てもピンと来ないものが多い。とりあえず、勘で気がついたものだけをピックアップしてみた。面倒くさいのでコメントは控えめにしてある。皆さんの方がご存知でしょう。

■ セシル・B・デミル

L'Odyssee du Docteur Wassell(軍医ワッセル大佐 <未> , The Story of Doctor Wassell), Le Signe de la Croix(『暴君ネロ』) 両作ともデ・ミルの傑作とされているが、日本ではあまり知られていない。

■ アベル・ガンス Austerlitz

■ アンソニー・マン Maldonne pour un espion(『殺しのダンディー』)

■ ロバート・シオドマク Double énigme(『暗い鏡』)

■ リチャード・フライシャー Richard Fleischer

■ サミュエル・フラー Ordre secret aux espions nazis(『戦火の傷跡』 <未> , Verboten)

フラーが撮った異色の戦争映画。個人的には、これがいちばんの目玉。

■ ラオール・ウォルシュ La rivière d'argent(『賭博の町』)

■ ロバート・クレイマー Cités de la plaine

■ ウィリアム・ウェルマン Ecrit dans le ciel『紅の翼』)

■ ウィリアム・ウェルマン Au delà du missouri(『ミズーリ横断』)

Convoi de femmes(『女群西部へ!』)

ウェルマンばっかりですいません。

Les commandos passent a l'attaque(『特攻決死隊』)

これもウェルマン作品。自作『G・I・ジョー』の焼き直し。

■ クリス・マルケル Le fond de l'air est rouge

ゴダールの『映画史』でもたしか引用されていた。

■ レオ・マッケリー Place aux jeunes(『明日は来らず』)

■ リティ・パーニュ Le Cinéma de Rithy Panh

■ ドン・シーゲル L'homme en fuite(Stranger on the Run)

■ ジャック・ターナー La vie facile(『妻ゆえに』

どちらかというと、ミッチェル・ライゼンの同名作品の方が見てみたい。シネ・フィル御用達といった感じのジャック・ターナーだが、いまわたしが見たいのはモーリス・トゥルヌールのほうだ。

Émile Cohl : L'inventeur du dessin animé (+ 2 DVD) (Relié)

2008年9月14日
夢の映画 映画の夢

夢にまで見ながら、いまだ見ることができない幻の映画ベスト5というのを、むかしリストにしてみたことがある。  

ルビィ(キング・ビダー監督)
The Naked Dawn(エドガー・G・ウルマー監督)
リリス(ロバート・ロッセン監督)
七人の無頼漢(バッド・ベティカー監督)
逮捕命令(アラン・ドワン監督)

こんなラインナップだった。その後、結局、この5本の映画はすべて見てしまった。すべて DVD のおかげである(『The Naked Dawn』だけは、むかし書いていたメルマガの読者のひとりが、わたしがこの映画を見たがっているのを知ってビデオを送ってくれたのだった。いい画質とはとてもいえなかったが、とにかく見ることはできた。これはいまだに DVD になっていない)。 5本とも傑作だったけれど、まだ見ぬその映画を秘かに夢想していたときの方が幸福だったという気がしないでもない。土地よりも土地の名に魅せられたプルーストのように、作品自体よりも、作品のタイトルのほうに、いつの間にか妄想をたくましくしている自分がいる。ルネ・アリオの『老婆らしからぬ老婆』はそんな映画の一本だろうか。

さて、これを見るまで死ねないと思っていた5本が見れてしまったので、もう死んでもいいかとも思ったが、もう少しがんばってみるためにひさしぶりにリストを更新してみた。「これを見るまでは死ねない映画」の現時点でのリストである。むかしならすらすらと出てきたタイトルが、しばらく考え込まないと出てこなかった。DVD でお手軽に映画が見られるようになった時代の皮肉というべきか、なにがなんでも見たいという欲望はやっぱり弱まっているようだ。 ムルナウの 4 Devils や山中貞雄の諸作品などの、いわゆる "lost film"、および DVD が存在する作品はのぞいてある。

グリード(4時間版)
メーヌ・オセアン
When Strangers Marry
Milstones
殺し屋ネルソン
ウィニフレッド・ワーグナーの告白
乙女の星
南瓜競争
フェルディドゥルケ
物質の演劇
The Tall Target
Filming Othelo
The Phenix City Story
Witchita
La casa del angel
ミス・メンド
契約殺人
森の彼方
悪の塔
今は死ぬときだ

このブログの読者ならみんな知っている作品ばかりだとは思うが、念のために、少しばかりコメントを加えておこう。 When Strangers Marry は、ギミックを使ったホラー映画で知られるウィリアム・キャッスルが初期に手がけたフィルム・ノワール。ウィリアム・キャッスルといえばちょっとうさんくさい監督だが、格調高い映画雑誌や評論のなかでもなにかと目にする作品なので気になっている。『ウィニフレッド・ワーグナーの告白』は、『ヒトラー』のジーバーベルクが、ナチスを擁護していたといわれるワグナーの息子をインタビューした実験的ドキュメンタリー。『物質の演劇』は、カイエの同人、ジャン=クロード・ビエットが70年代末に撮った作品。セルジュ・ダネーが長い評論を書いている。それを読んで以来、見たいと思っているのだが、いまだに見る機会がない。Jim McBride の David Holzman's Diary も最初はいれていたのだが、これはいちおう DVD になっていることが判明(PAL 版で、中古でしか手に入らない模様)。Criterion からむかしレザーディスクで出ていたようなので、そのうち DVD 版が出るのではないかと期待している。

Paul Fejos、エルマンノ・オルミ(の初期作品)、シャルナス・バルタス、アルタヴァスト・ペレシャンの諸作品などなど、見たい映画はまだまだあるが、これがとりあえずのリストだ。

最後に、映画とは関係ないが、フェルメールの「デルフト眺望」の実物をいつか見るのがわたしの夢である。

2008-09-07
バッド・ベティカーDVD-BOX

巨人が珍しく粘りを見せている。ついこの間まで10ゲーム以上の差をつけられていたはずなのに、気がつくと首位にわずか数ゲーム差。92年のモナコGPでの、トップのセナに迫るマンセルを彷彿とさせる驚異の追い上げである。

・・・なんて話は本当はどうでもいいのだ。

興奮を隠すために関係のない話からはじめてみたが、だめだ、やはり隠しきれない。とうとうこの日がやってきてしまった。バッド・ベティカーの DVD-BOX がついに出てしまったのだ。

数年前『七人の無頼漢』の DVD がアメリカから出たときには、あちこちで大騒ぎしたものだが、ベティカーの最高傑作ともいわれるこの作品は、いまだに日本では未発売だ。 アメリカでも、『七人の無頼漢』につづく DVD はあらわれなかった。アメリカどころか、どこの国でもベティカーはまったくといっていいほど忘れ去られているように見えた。いや、フランスなどで、ベティカーの西部劇がいくつか DVD 化されていないわけではない(Le traitre du texas (Horizon West), L'expedition du fort king (Seminor))。しかし、ランドルフ・スコットが主演し、ハリー・ジョー・ブラウンが製作したいわゆる「ラナウン・サイクル」の作品だけは、なぜかいつまでたっても日の目を見なかった。

本気で出さないつもりか、こいつら。そう思い始めたところだった。

まさか、BOX で出してくるとは。

Tall T
Decision at Sundown
Buchanan Rides Alone
Ride Lonesome
Comanche Station

ものすごいラインナップだ。最初に見たときは気絶しそうになった。平静を装ったが、膝ががくがくと震えた(まわりにだれもいなかったから、隠す必要はなかったのだが)。

Ride Lonesome はパリのシネマテークで見ている。しかし字幕なしだった。Comanche Station は、テレビの吹き替え版で見ただけだ(短い作品だったので、ノーカットに近かったとは思うが)。いずれも、完璧な状態とはいえない。残りの3作については、見る機会さえなかった。 その機会がついにやってきたかと思うと、感動してしまう。しかし、同時に、少し残念でもある。どんなに傑作であっても、それを見てしまったということそのものが、ある種の喪失感をもたらすのだ(真の傑作とは、見ることが不可能な映画のことなのだ、とゴダールもいっているではないか)。 発売日はもう少し先だが、わたしはもう予約した。いまなら45ドルほどで手にはいる。

Budd Boetticher Box Set (Tall T, Decision at Sundown, Buchanan Rides Alone, Ride Lonesome, Comanche Station)

2008-09-05
恐怖の愉しみ

夏も終わりですが、最近見たホラー映画のことなどを(あんまり話題がないんです)。

☆ ☆ ☆

アントニオ・マルゲリーティ『幽霊屋敷の蛇淫』 (DANZA MACABRA, 64)

「邪淫」という言葉がすんなり漢字変換できたので驚いたが、よく見たら「邪淫」ではなく「蛇淫」だった(同じ意味だと思うけど)。

マルゲリーティの映画は、たいしたことないなと思いながら、なんだかんだといって結局見ている。けれど、最高傑作といわれるこの作品だけは見ていなかった。結論からいうと、やっぱりそんなにたいしたことなかった、というのがわたしの感想だ。

肝試しに、古い洋館でひとりで一夜を過ごす主人公の前に、亡霊たちがつぎつぎと現れる・・・ いわゆるゴシック・ホラーものの典型といっていいような物語だ。狂言回しに導かれて、主人公が過去の幻影を目の当たりにするという設定はなかなか面白い。ただ、このゴシック趣味はわたしにはどうも古めかしくて、最後までのれなかった。「同時期に活躍したバーバやフィッシャーの仕事がいかに革命的であったかが、彼らの作品と本作を比較してみるとよくわかる」、と黒沢清も書いている。 幽霊屋敷ではないが、同じ洋館ものであるロジャー・コーマンの『アッシャー家の惨劇』で、森を通りぬけた男の目の前に、古びた洋館があらわれる冒頭のショットを見ただけで、コーマンの勝ちだと思ってしまう。マルゲリーティは、イタリアのロジャー・コーマンなどと評されることもあるが、映画的センスではコーマンのほうが断然上である。(ついでだが、『アッシャー家の惨劇』の脚本は、『アイ・アム・レジェンド』のリチャード・マチスン。)

 

☆ ☆ ☆

マリオ・バーヴァ『クレイジー・キラー/悪魔の焼却炉』(HATCHET FOR THE HONEYMOON, 69, 未)

マリオ・バーヴァも、たいしたことないといいつつ、代表作はほとんど見てしまっている。これは見逃していた一本。殺人鬼が、ウェディング・ドレスを着た花嫁を殺すたびに、子供のころ母親を殺した犯人の顔をだんだんと思い出してゆくというストーリーはなかなか奇抜だが、勘のいい人なら真犯人はすぐに見当がつくはず。 シリアル・キラーものとしてはじまった映画は、殺人鬼が惨殺した口うるさい妻が幽霊となって帰ってくるあたりから、幽霊譚へとかわってゆく。妻の幽霊は、他の人には見えるのに、当の殺人鬼だけには見えないというあたりの演出が面白い。前半と後半のシフト・チェンジはユニークだが、焦点がぼやけた感は否めない。バーヴァのなかではマイナーな部類にはいる作品といっていいだろう。

 

☆ ☆ ☆

ジョン・ハンコック『呪われたジェシカ』(LET'S SCARE JESSICA TO DEATH, 71, 未)

なかった。療養のために湖畔の一軒家で暮らすことになったヒロインが、かつて湖で溺れ死んだ娘の亡霊=吸血鬼にとりつかれる。ヒロインが精神病院から出てきたばかりという設定で、すべてが幻覚かもしれないという曖昧な演出がサスペンスを生んでいるが、いまとなってはこの手の映画は見飽きたという気がしないでもない。たとえば、オットー・プレミンジャーの『バニー・レークは行方不明』(65) は、似たような設定で、こちらはサスペンス映画に仕立て上げた佳作だった。

 

☆ ☆ ☆

ハーク・ハーヴェイ『恐怖の足跡 ディレクターズ・カット版』(CARNIVAL OF SOULS, 62)

B級ホラーの大傑作として名高い作品なので、いまさらという気もするが、今回紹介するのは CRITERION COLLECTION から出ているディレクターズ・カット版。

交通事故でひとりだけ生き残った女性が、つぎつぎと奇妙な体験をする・・・。見ていない人もいるかもしれないので、内容はこれくらいにしておこう。低予算のチープさがすべてプラスに転じたような、いかにもB級な作りのホラーで、わたしも大好きな作品である。そうではあるが、劇場版とディレクターズ・カット版の2枚組にして、ロケ地訪問などの特典映像をやたらとつけて出すというのは、少しやりすぎではと思わなくもない。 日本でもいくつかのヴァージョンが出ているが、この CRITERION 版を見たら、この映画こんなにきれいな画面だったのかと驚くはず(日本版 DVD で上映時間が 83 分となっているのは、ディレクターズ・カット版の可能性がある。しかし、Amazon のサイトに書いてある上映時間は、特典映像などまですべてふくめた時間が書いている場合もある。それに、劇場版ともディレクターズ・カット版ともちがう謎のバージョンも出回っているようだ。あまり信用しないほうがいいかもしれない)。

2008-08-27
W・C・フィールズについての覚書

MacBook を修理に出した翌日、むこうに届いたとの Apple の修理センターからのメールがはいる。その翌日、修理が終わったので発送したというメールがはいり、次の日にはもう、宅配で MacBook は我が家に返ってきていた。なかなかの素早さだ。 起動中にがーっという異音がして、電源が断続的に落ちるという症状で、サポート・センターと電話で話したところでは、どうやらハードディスクの交換になりそうだということだったのに、結局、ファンの交換をしただけだった。数日使ってみたが、いまのところ問題はないようだ。しかし、ファンの交換だけで4万強とは高すぎる。どれだけパーツを換えてもパッケージとしてその値段になるというのは最初からわかっていたのだが、ハードディスクの交換と、そのほかいくつか修理してもらってその値段ならまあいいかと考えて納得していただけだ。こういう結果になるんだったら、交換したパーツごとに金額を加算していくかたちにしてもらった方が安くついたろう。なんか腹が立つが、まあしかたがない。

☆☆☆

W. C. Fields: SIX SHORT FILMS

W・C・フィールズが、わたしの今年最大の発見である。 こんなにも有名なコメディアンのことをいまさら発見だなどというのもおかしな話だが、知らなかったのだからしかたがない。日本でW・C・フィールズは、ローレル&ハーディほどにも有名でないのだ。ローレル&ハーディについてはあちこちでいろいろ書いてきたつもりだが、状況はほとんど変わっていない。フィルムで見る機会はほとんどないし、DVD でさえ、いちばんつまらない部類といってもいい『天国二人道中』がわずかにでているくらいである。

ローレル&ハーディが好きな人は少なからずいるが、だまっている。話しても通じないからだ、と森卓也は書いているが、 W・C・フィールズとなると少なからぬファンがいるのかどうかも疑問だ。グリフィスの『曲馬団のサリー』、ルビッチらが監督した『百萬圓貰ったら』、キューカーの『孤児ダビド物語』(フィールズはディケンズの愛読者だった)などで散発的に目にすることはあっても、まとめて目にする機会はほとんどないといっていいだろう。

実はわたしも、Criterion Collection にはいっているこの DVD W. C. Fields: SIX SHORT FILMS を見るまでは、W・C・フィールズがどういうコメディアンなのか、まるでわかっていなかった。それだけに、このなかに収められている6つの短編は新鮮な発見だった。ローレル&ハーディの場合は、ゴダールの『気狂いピエロ』のなかでカリーナ=ベルモンドがたしかガソリンスタンドで見せるローレル&ハーディ式ギャグや、トリュフォーの『家庭』で、ジャン=ピエール・レオがベッドのなかでふざけてクロード・ジャドの右の乳房と左の乳房をローレル&ハーディにたとえる場面などが導きの糸となったが、わたしをW・C・フィールズに導いてくれるものがいままでなかったのが残念だ。

フィールズはサイレント時代から映画に出ているが、頭角を現すのはトーキーになってからだといわれている。The Pool Sharks をのぞくと、Criterion の DVD に収められているのは、すべてトーキーである。

☆☆☆

The Pool Sharks (15)はフィールズのデビュー作であり、ストップ・モーションで撮られたアニメーションが使われていることでも知られる。若きフィールズは、いかにもヴォードヴィル出身らしい軽快な演技を見せている。

この DVD を見ていて最初に驚いたのは、The Golf Specialist(30) でフィールズが子供の貯金箱をいきなりかっぱらおうとするところだ。ゴルフのショットがうまくいかないフィールズは、逆ギレしてクラブを水に投げ込み、さらには、それを注意した友人まで水に投げ込む。こんなに性格の悪いコメディアンがいただろうか。あとになって、フィールズが子供と犬が大嫌いなことで有名だったのを知った(実生活でもそうだったといわれているが、これは映画が作り出した伝説のひとつだったようだ)。 虚勢をはって大物ぶってはいるが、いざとなったらたいしたことはできない男。人間嫌いの皮肉屋。数本見ただけの印象だが、アメリカのコメディ映画の歴史において、フィールズが作り出したユニークなキャラクターはそのようなものであった。

The Dentist(32) :フィールズが歯医者に扮したこの作品で驚くのは、フィールズが女性患者の歯を抜く場面でしめされるあからさまな性的ポーズだ。あまりにも風刺の効いたセリフの一部は削除された。

The Fatal Glass of Beer(33) :ドゥルーズが「小さな傑作」といって『シネマ』のなかで唯一フィールズに言及している作品。これはたぶん、フィールズ作品の試金石となるような作品だろう。吹雪の山小屋を舞台に、過剰に演劇的なしぐさと台詞回しで演じられるオフ・ビートなコメディ。フィールズが山小屋の扉を開けるたびに、"And it ain't a fit night out... for man nor beast!"というセリフを正確に繰りかえし、そのたびにどこかからとんできた雪の玉を顔面にあびるおかしさ。しかし、この映画はあまりにも時代に先んじていたため、まったく理解されなかった。

The Pharmacist (33)
The Barber Shop (33)
この二作でフィールズが演じた "a sleazy-souled barber or store owner"(マニー・ファーバー)は、アメリカ喜劇が生み出した典型的な人物像として永遠に記憶に残るはずだ。

このコレクションに収められた6作がすべてフィールズの代表作というわけではないし、長編を見なければ、フィールズの喜劇の全体像は見えてこないだろう。しかし、サイレント時代にはじまるフィールズの喜劇のさまざまな側面を、この DVD では見ることができる。W・C・フィールズという未知のコメディアンを知るには最適の一枚といえるだろう。

ついでに書いておくが、Criterion のコレクションにはいっている『トラフィック』の特典映像のなかで、ジャック・タチは、尊敬するコメディアンとして、チャップリン、キートン、ローレル&ハーディにならべてW・C・フィールズの名前を挙げている(意外だったのは、タチがウディ・アレンも評価していたことだ。もっとも、タチがほめているのは、アレンの映画のセリフが素晴らしいという点である。そういえば、松浦寿輝も、ウディ・アレンは脚本家に徹して、監督はほかに任せたほうがずっといいのではないかとどこかで書いていた)。

2008-08-20
トッド・ブラウニング『知られぬ人』

だましだまし使ってきたがそろそろ限界がきたので、明日 MacBook を修理に出すことに。すぐに返ってくると思うけれど、駆け込みでなにか書いておくことにした。

☆☆☆

シネコンで映画館の数がふえたといっても、見られない映画は全然見られないね。カンヌで上映されたスコリモフスキーの久方ぶりの新作が公開される日は来るんだろうか。日本では久方ぶりどころか、ほとんどまったく公開されていないから、その可能性は低そうだ。

☆☆☆

トッド・ブラウニング『知られぬ人』(27)

トッド・ブラウニングが『フリークス』以前に撮ったサイレント映画の傑作。サーカスの世界を舞台にしていること、フリークスが重要な登場人物として登場することなどの点で、『フリークス』の姉妹編とでもいうべき作品だ。

以下、ネタバレしまくってます。おまえのいうことなんか信じない、そんな映画見ないよ、という人だけ読んでください。

サーカスの座長の娘ナノンは、美人で気だてのよい娘だが、ひとつだけ悩みがあった。おそらく少女時代のトラウマのせいなのか、理由は説明されていないが、男性の手に異常なほどの嫌悪感を覚え、だれにもふれさせようとしないのである。彼女に愛を告白したサーカス一の怪力男マラバールに、彼女も恋心を寄せているのだが、その彼にさえ彼女は手を触れさせない。彼女が心を許すのは、「腕なし」と呼ばれる両腕のないサーカスの団員アロンゾだけだ。彼女はアロンゾにたいして友情以上のものはもっていないのだが、アロンゾのほうでは、自分だけに心を許してくれるナノンにどんどん恋心を募らせてゆく。

なにやらメロドラマティックな展開になりそうだと思うのは大間違いで、そこはトッド・ブラウニング、ありきたりの話にはならない。アロンゾは、実は、腕なしなどではなく、服を脱いでギブスを外すとちゃんと両腕があるのだ(もっとも、その片腕の親指は2つあり、奇形であることは変わらないのだが)。かれは殺人罪で警察に追われており、腕がないように見せかけてサーカス団に身を隠していたのである。 アロンゾはナノンのことで座長と言い争って、カッとなって殺してしまう。しかも、ナノンはその反抗の瞬間のアロンゾの後ろ姿と、2つある親指を見ていた。腕があることがばれれば、指紋からこれまでの犯行が明らかとなる。なによりも、ナノンに拒絶されてしまう。なんとアロンゾは、かつて因縁があったらしい外科医を脅して(このあたりの過去についてはほとんどふれられていない)、本当に両腕を切断してもらうのである(すごい話でしょ)。

ところが、な、な、なんと、アロンゾが留守にしている間に、ナノンは男性にさわられる恐怖を克服し、マラバールと結婚の約束を交わしていたのだ・・・。

名前こそ出てこないが、トリュフォーの『隣の女』のなかでもふれられている有名な映画である。皆さんご覧になっているとは思うが、念のために紹介しておいた。動機が不純で、純粋さには欠けるが、愛する女のために両腕を切り落とすというのは、狂気の愛の物語として強烈な印象を残す。ナノン役を演じるのは、これがあの『大砂塵』のヒロインとは信じがたいほど、可憐で愛らしいジョーン・クロフォード。数年後の『雨』では、すでに晩年の面影があるので、このあたりが彼女のかわいらしさの見納めかもしれない。そして、「腕なし」アロンゾを演じるのが、あのロン・チェイニーである。顔のメーク自体はおとなしめだが、人物設定が相変わらずものすごい。

ついでだが、ジェームズ・キャグニーがロン・チェイニーの生涯を演じた『千の顔を持つ男』という映画がある。地味だが、手堅い伝記映画になっているので、ロン・チェイニーに興味がある人は、これも見ておくといい。


(わたしが見たのはこの DVD ではないが、Warner から出ているものなので、まあ間違いはないだろう。)

2008-08-16
Land of Promise - The British Documentary Movement 1930-1950 ほか

とくに書くこともないので、最近見た DVD をいくつか紹介する。

■ リチャード・コンプトン Macon County Line (74)

ヒッチハイクした娘を乗せてアメリカ南部の田舎町をドライブしていたふたりの青年が、途中で車が故障して、一軒家の近くで野宿する。その家は、かれらを怪しんで尋問してきた警察官の家だった。さらに悪いことに、かれらの来る直前に、その警察官の妻は、二人組の強盗によって、レイプされて惨殺されていた。帰宅して妻の死体を発見した警察官は、青年たちの仕業だと勘違いし、問答無用でライフルをぶっ放しながら彼らを追い詰めてゆく・・・。

主要な登場人物が最後に死んでしまうというのは、70年代のアメリカ映画ではごく普通のことだったが、いま見ると新鮮に思える。無軌道な若者たちが主人公というのも、この時代のいわゆるアメリカン・ニューシネマの特色である。しかし、実際にあった事件をもとにしているせいか、アメリカン・ニューシネマによく見られた「抑圧的な社会と自由を希求する若者たち」といったたぐいのテーマ性は見当たらない。あまり野心を感じさせないところが、逆に好感が持てる。たいした映画ではないが、ラストの警官と若者の撃ち合いのところはなかなかの迫力だ。意外な結末は、これが作り話なら、あざとすぎると思うところだろう。これが実話だというから驚く。日本では未公開だが、この作品にインスパイアされて翌年撮られた一種の続編 Return to Macon County のほうだけは、『グッバイ・ドリーム』という題でビデオになっている。

■ ジュールス・ダッシン『真昼の暴動』

『裸の町』のマーク・ヘリンジャーがその前年に同じダッシンと組んで撮った監獄サスペンス。『真昼の暴動』『裸の町』『深夜復讐便』『街の野獣』の4作は、47年から50年にかけてダッシンが立て続けに撮ったフィルム・ノワールとしてひとまとめに語られることが多いのだが、日本では『裸の町』と『街の野獣』だけが有名で、残りの2作はあまり注目されているとはいえない。だから(というか、わたしが見逃していただけなのだが)、『真昼の暴動』が日本で DVD 化されていることも、最近まで知らなかった。(ちなみに、「カイエ・デュ・シネマ」に載った今年5月のダッシンの死を伝える記事では、「『深夜復讐便』と『街の野獣』がかれの初期の代表作である」と書かれている。何度もいっているが、日本でポピュラーな作品と外国での評価は微妙にずれているものだ。)

一言でいうなら、『抵抗』や『穴』と同じ脱獄ものになると思うのだが、脱獄の過程よりも、サディスティックな看守長と囚人たちとのしだいに緊張感をましてゆく対立関係のほうに映画の焦点はある。どちらかというとひ弱な印象のあるヒューム・クローニンが、脱ぐと意外にも筋肉隆々でひいてしまう。ともあれ、ナチス将校を思わせる残忍な看守長の役は、見事にはまっていた。 わたしが見た Criterion の DVD には、フィルム・ノワールの研究者として有名な James Ursini と Alain Silver のふたりが音声解説をつけている。この作品をフィルム・ノワールと呼ぶのには多少の抵抗はあるが、夜を基調とした重苦しい雰囲気はフィルム・ノワールのそれに近いといえる。ときおり挿入される囚人ひとりひとりの過去を説明するフラッシュ・バックもことごとく夜の場面であり、また閉塞感をふかめるフラッシュ・バックの使い方自体が、フィルム・ノワール的である。

今回、マーク・ヘリンジャーが『真昼の暴動』が公開された年に亡くなっていることをはじめて知った。40代半ばという若さだ。翌年公開された『裸の町』がダッシンと組んだ2本目であり、ヘリンジャーの最後のプロデュース作品ということになる。ダッシン自身は『真昼の暴動』のさいのヘリンジャーの干渉に満足していなかったようだが、作品の完成度は非常に高い。日本で評価が低いのが不思議である。

Land of Promise - The British Documentary Movement 1930-1950

「1932年から46年までのあいだ、映画史は2つの例外を除けばそのままハリウッドの歴史である。その例外とは、ひとつは、時に“詩的レアリスム“の標題のもとに一括されるフランスの映画監督たちであり、もうひとつは、イギリスのジョン・グリアスンと彼のグループによるイギリス・ドキュメンタリー運動の発生である」、とジェイムズ・モナコは書いている。 BFI から発売された4枚組 DVD Land of Promise - The British Documentary Movement 1930-1950 には、そのイギリス・ドキュメンタリーのエッセンスが詰まっている。

イギリス・ドキュメンタリーとは、大恐慌後の不況をへて第二次大戦にいたる激動の時代のイギリスを背景に、映画を通じて社会を映しだすと同時に、社会を変革する道具として映画を組織しようとした運動、とひとまずはいうことができるだろう。 この DVD には、20分程度の短編が50本あまり収められているのだが、それをひとまとめに見てみてまず感じるのは、個人の顔が全然見えてこないということだ。工業化による技術の発展を誇らしげに示す一方で、職人の匠の技を賛美する Industrial Britain, 国家の未来を担う子供たちの教育事情を描いたバジル・ライトの Children at School, 戦時下にあって家庭の主婦たちの日々の仕事もまた国を支えていることを讃える They Also Serve, などなど、さまざまな角度からイギリスの社会が描かれるわけだが、そこに登場する人々は、社会の一員以上の地位を決して与えられていない。Housing Problems のような作品を見ていると、似たような主題を取り上げたフレデリック・ワイズマンの映画が思い出されるのだが、彼の映画では、そこに登場する個人の職業や役割がまったく説明されないにもかかわらず、その名もない人物が忘れがたい印象を残すことがしばしばある。そのように忘れがたい顔が、この DVD に収められた作品にはほとんどないのだ。

短い時間で有効にメッセージを伝えるという点では、いずれもすぐれた作品であるが、それ以上でも以下でもない作品がほとんどだというのもたしかである。社会を啓蒙する道具として自らを定義づけていたイギリス・ドキュメンタリーは、戦雲がたれ込めはじめると、しだいに国策映画的な趣を強くしてゆく。はたして、このようなドキュメンタリーがレニ・リーフェンシュタールのそれと本質的にどれほどの違いがあるのかという疑問も浮かぶ。 個人的には、ここに収められた作品のなかではひときわ詩的なハンフリー・ジェニングスの諸作品が印象に残った。

2008-08-05
ユセフ・シャヒーン亡くなる

ユセフ・シャヒーンが亡くなった。脳出血で倒れたあと数週間昏睡状態だったらしい。 実をいうと、わたしはまだシャヒーンの映画を見て本当にすごいと思ったことがない。もっとも、わたしが見たのは、日本で公開された『放蕩息子の帰還』(76)、『アレキサンドリアWHY?』(79)、『炎のアンダルシア』(97) と、英語字幕で見た『アデュー・ボナパルト』(85) ぐらいだ。この作家のことはほとんど知らないといっていいほどである。とくに、オマー・シャリフのデビュー作をふくめた50年代の作品などは、日本ではまず見る機会がない。せめて DVD で代表作が見れるようになることを期待する(晩年の作品なら海外でいくつかDVDになっている。まだ一本も見たことがない人は、いちばん有名な『アレキサンドリアWHY?』あたりから見てみるといいだろう)。

☆ ☆ ☆

和泉元彌がCDを出すんだとか。むかしはこの人、吉田喜重の映画に出てたんですよ。なんでこうなっちゃったんだろ。

☆ ☆ ☆

最近読んでる漫画:

・『オメガトライブキングダム』

『オメガトライブ』から一気に読んだので少々疲れた。特殊な能力をもつ新人類の登場という設定自体は、最近の「HEROES」や「4400」シリーズ、『X-MEN』などと共通しているが、アメリカ人がやると、異能の能力者がヒーローとなるか、あるいは社会から虐げられて悪に走るといった、結局は同じような話になるところを、こういう物語を作りあげてしまうところが日本の漫画の偉大さだろうか。 一言でまとめると、日本にクーデターを起こす話です。こういう右翼的とも形容できる物語のほうが、いまは面白いんですね、なぜだか。

☆ ☆ ☆

オリンピックにあわせてアントニオーニの『中国』がDVD化、などということは夢でもなければ起こらないか。もう一回見たいんだけどなぁ

☆ ☆ ☆

『魔王』には期待していたのだけれど、韓国版のほうが断然面白いね。韓国版では謎のまま進んでいく部分を、一話目からばらしてしまう脚本の意図がわからない。なんの証拠も残さない用意周到な犯人が、自室の壁に復讐の相手の写真をぺたぺた貼り付けているところも、サイコパスものの定石をまねただけで、人物にあっていない気がする。もっとディテールに気を遣ってほしい。これに限らず、最近の日本のテレビドラマの脚本はレベルが低すぎる。「CHANGE」みたいなひどい脚本でも受けてしまうのは、いまの日本の首相のおかげか。

☆ ☆ ☆

エルモア・レナードの『身元不明者89号』を読み終える。だましあい、殺しあう懲りない面々をレナード・タッチで描いた犯罪小説。やっぱりレナードは面白いね。読みはじめたらやめられなくなった。悪党がキレる瞬間のスピード感がすごい。令状送達人が主人公の小説というのはこれがはじめて。和訳をときおり参照しつつ原書で読んだのだが、田口俊樹の訳は、めだった誤訳もなさそうで勉強になる。

2008-07-27
ロバート・パリッシュ『決死圏SOS宇宙船』

スピルバーグの「インディ・ジョーンズ」新作はいまさらという気がしてはなから行く気がしなかったのだが、「ユリイカ」のスピルバーグ特集号に掲載された蓮實重彦・黒沢清の対談を(冒頭のところだけだが)読むにつけても、やっぱりそうかと思ってますます見にいく気がなくなる。ふたりとも、まあ面白かったけれども、『宇宙戦争』『ミュンヘン』のあとでなぜこれなのかという大きな疑問符が残ったという点では意見が一致していた。 ならば『ハプニング』はどうだろう。シャマランには3作目あたりからほとんど興味をなくしていたのだが、今度の作品はなにやら気にはなる。しかし、期待させて失望させることにかけては、この監督はなかなかのものだ。覚悟して見にいったほうがいいかもしれない。レオス・カラックスの9年ぶりの新作となる『Tokyo!』もそろそろだが、短編だし、コメディだし、あまり成功はしていないかもしれない(というか、カラックスはいままで成功作を撮った試しがあったのか)。となるとやっぱり、黒沢清の『トウキョウソナタ』か。9月末に公開。この夏はこれで決まりだな。

あ、そうそう、『グーグーだって猫である』が映画になりました(興味ないと思いますが、念のため)。

☆ ☆ ☆

ロバート・パリッシュ『決死圏SOS宇宙船』(Doppelgänger,68, 未)

子供のころ見て忘れがたい印象を残しているSF映画。ロバート・パリッシュは、アラン・ドワンやジョン・フォードなどの大監督のもとで編集の仕事などを長年つとめた後に監督になったベテランで、自伝『わがハリウッド年代記』でも知られる。むろん、子供のころは監督の名前などスルーしていたので、これがあのロバート・パリッシュの作品だと知ったのはずいぶん後のことだ。それどころか映画のタイトルさえ長い間知らないでいた。

日本ではテレビ放映のみで一般公開されたことはなく、いまのところDVD化もされていないようだ(ビデオなら中古で手に入る)。アメリカでも長い間DVDが手に入らない状態がつづいていたが、今年になってやっと再販され、簡単に入手できるようになった(カルト的な作品なので、Amazon のサイトにはかなりたくさんのコメントが寄せられている)。

わざわざDVDを買ってみる人もそんなにいないと思うので、以下、多少ネタバレ気味にストーリーを紹介する。

「決死圏SOS宇宙船」というスペース・アドヴェンチャーを予感させる邦題は、映画の内容をほとんど伝えていない。たしかに宇宙船の不時着など、スペクタクル・シーンも少なくないのだが、この映画の魅力は、不条理といってもいいような不気味なストーリー展開にある。(わたしはふだん、Jamming というソフトを使って、30ぐらいの辞書を串刺し検索して調べ物をするのだが、「決死圏」という言葉は、調べても載っていなかった。『ミクロの決死圏』で作られた造語だったのだろうか。)

地球と同じ軌道上の、太陽をはさんで正反対の位置に、もう一つの惑星が発見されるところから、物語ははじまる。未知の惑星の情報をめぐって共産圏のスパイが暗躍するところなど、出だしの部分はまるでスパイ映画だ(スパイが義眼に隠したカメラを取り出すシーンが忘れがたい)。スパイはあっさりと殺されてしまうのだが、『殺しのダンディ』を思わせる、どこか寂しげで、どんよりとした雰囲気は、作品の最後までつづく。このあたりはいかにもイギリス映画である(そういえば、『殺しのダンディ』もイギリス映画だった。アンソニー・マンの遺作がイギリス映画だというのも、なんだか寂しいが)。

さて、ストーリーの続き。イギリスの科学者ケーンとアメリカの宇宙飛行士グレンが、調査のため未知の惑星へと向けて出発する。宇宙船は無事惑星にたどり着くが、着陸寸前にバランスを崩し大破。物語が妙な展開を見せ始めるのはここからだ。 なんとか命をとりとめたふたりの前に、宇宙服のようなものを着た何ものかが空から現れる。宇宙生物に捕まってしまったのか。しかし、意識を失ったグレンが気がつくと、そこは見慣れた地球だった。もうひとりのパイロット、ケーンは意識不明の状態だという。なぜ地球に引き返してきたのかと、宇宙局の尋問を受けるグレン。しかし、彼には地球に引き返した覚えはない。地球から惑星に到着するまでの片道の記憶しかないのだ。おかしなことはほかにもあった。地球と惑星を往復するには6週間かかるはずなのに、宇宙船は予定の半分の3週間で地球に帰ってきたことになっている。やがてグレンは奇妙な事実に気づく。たしかにここはなにもかもが地球にそっくりだ。だがたったひとつだけちがう点がある。ここではすべてが左右逆になっているのだ。まるで鏡の中に映った世界のように・・・

SFというよりも、幻想映画、あるいは装われた恐怖映画とでもいったほうがいいかもしれない(考えてみれば、わたしが本当に好きなSF映画というのは、いつもこういうタイプだったような気がする。『ボディ・スナッチャー/盗まれた街』とか、『宇宙船の襲来』とか)。たったひとつのアイデアだけで作られたような単純なストーリー・ラインは、いまの観客にはシンプルすぎるように感じられるかもしれない(上映時間もわずか1時間20分程度)。しかし、分身、鏡世界、といったテーマはいまでも興味深いし、演出も手堅く効果的だ。なによりも、全編に漂う暗さがいい。鏡を用いた幕切れのシーンも素晴らしいが、あのラストはいまの観客にはなかなか受け入れられないだろう。

この映画のプロデューサーは、 「サンダーバード」シリーズなどで知られるジェリー・アンダーソン。そっちの方面のファンには、この映画のミニチュア・セットは涙ものらしいが、そのへんのオタク的興奮はわたしにはわからない。とはいえ、特撮はいま見ても非常によくできている。『2001年宇宙の旅』と比較する声が多いが、わたしとしては、円谷プロとくらべても遜色はない出来だといっておく。

2008-07-18
イーリング・コメディに関する短い覚書

" The summer was hot that year, and with the breaking of the warm weather came the prospect of a full-time job for Richard Grey. His friend at the BBC put him in touch with the head of films at Ealing, the place where his film career had begun, and after an interview he was told that a staff job would be his from the first week in September. "

Christopher Priest The Glamour

『プレステージ』でSFファン以外にも多少は知られるようになったクリストファー・プリーストの小説『魔法』の結末近くの一節である。 "Ealing" とあるのは、ロンドン西部のイーリングにある映画撮影所のことだ。もっとも、ここでふれられているイーリング・スタジオは80年代初頭のそれであり、かつて「イーリング・コメディ」と呼ばれる喜劇が数多く撮られたころの面影は、このころにはほとんど残っていなかったと思われる。

イーリング・コメディの全盛期は40年代から50年代の前半頃までであり、日本で正式公開された唯一のイーリング・コメディ『マダムと泥棒』(55) などは、実をいうと、イーリング・コメディが最後に残した白鳥の唄とでもいうべき作品だったのである。 60年代以降は、イーリング・スタジオは、テレビの撮影所としてかろうじて生き延びていたらしい。プリーストの小説に登場するイーリングの映画撮影所は、すでにそのような存在となっていたときのものだ。撮影所自体がなくなったわけではないが、恒常的に映画を製作し公開するシステムとしてはすでに機能していなかったのである。この小説の主人公(とはいったいだれなのかが問題なのだが、それはともかく)がイーリングの撮影所で働くのも、BBCが製作する番組のカメラマンとしてである。

ところが、2000年になって状況に変化が起きる。オーナーが変わったことにより、スタジオが一新され、映画はもちろん、音楽、ゲームなどをふくめたデジタル・コンテンツの制作拠点としての再開発がはじまったのである。もっとも、映画方面では、アニメなどが制作の中心になっているようであり、かつてのイーリング・コメディのような映画史に残るユニークな作品群がまたこのスタジオからあらわれることは、いまのところ期待できないように思える。

(引用箇所を見てもわかるように、『魔法』の原書は中学生レベルでも読めそうな平易な英語で書かれている。とはいえ「イギリス・ポスト・モダン・ノベルのひとつの頂点」ともいわれる作品だ。なめてかかると大変なことになる。幻想小説とか、ときにはSFとまでいわれる小説なのに、100ページ以上読んでもただの恋愛小説にしか見えないところが、いかにもプリーストらしい。なんの変哲もない話だなんて思っていると、途中から話が予期せぬ方向に流れてゆき、メビウスの輪のようにねじれた物語に翻弄され、結末までたどり着いてもしばらく意味がわからず、あわてて最初から読み返すハメになるので、ご注意を。なんの知識もなしに読むのがいちばんいいが、このブログの読者は小説などそんなに読まないと思うので、少しネタばらしをしてしまおう。『魔法』は、透明人間のテーマについての非常にユニークなヴァリエーションでもあるのだ。まあ、そうとも言い切れないのが、この小説のおもしろさなのだが、読まない人にはなんのことかわかるまい。)

☆ ☆ ☆

作品覚書。

アレクサンダー・マッケンドリック『マダムと泥棒』(55)

もっとも有名なイーリング・コメディ。5人のギャングが楽団員に化けて下宿を借り、現金輸送車を襲う計画を立てるが、下宿の管理人である上品な老婦人によって計画は狂わされてゆく。殺人を午後の紅茶よりもささいな出来事として描くブラックなユーモアは、イーリング・コメディの特色のひとつである。最近、ずいぶんひさしぶりに見直したのだが、不思議なことにわたしはこの作品を白黒映画として記憶していた。ついこの間見たばかりなのに、やっぱりもうモノクロのイメージしか残っていない。華やかさとはかけ離れたテクニカラーの使い方が独特だ。

 

アレクサンダー・マッケンドリック『白いスーツの男』(The Man in the White Suit, 51, 未)

イーリング・コメディの常連アレック・ギネスが、マッド・サイエンティストふうの人物を演じるユニークな作品。洋服工場で働く変わり者の化学者が、絶対に汚れない繊維を発明するが、スーツが汚れなければだれも新しいスーツを買わなくなり、工場の労働者も解雇されてしまうというわけで、経営者も労働者もまきこむ大混乱に。

 

チャールズ・クライトン『ラベンダー・ヒル・モブ』(51, 未)

しがない銀行員が盗んだ金塊をエッフェル塔のレプリカに加工してパリに運び出すが、手違いから事態は思わぬ方向に動いてゆく。パリのエッフェル塔を駆け下りる人物をとらえた縦移動が有名で、まだ見ぬそのシーンを長らく夢にまで見たぐらいだったが、DVD でようやく見ることができたその場面は思い描いていたイメージとはずいぶんちがっていた。ユニークな強奪計画と、それがしだいにほころんでいく様を描いている点で、『マダムと泥棒』に通じる。ちなみに、主演はアレック・ギネス。

 

ロバート・ハーマー『カインド・ハート』(49, 未)

イーリング・コメディの最高傑作という呼び声も高い作品。これにもアレック・ギネスが出演している(しかも、一人八役!)。貴族の系譜から閉め出されてしまった主人公が復讐のために一族の抹殺をはかる。殺人を淡々と描くタッチは、『マダムと泥棒』というよりも、チャップリンの『殺人狂時代』を思い出させる。

 

ジョン・ボールティング『I'm all right Jack』(59, 未)

これもイーリング作品だと思うのだが、ちゃんと調べていない。なにをやらせてもだめだめな主人公が、とあるミサイル工場で働くことになる。主人公の引き起こす騒動をとおして、経営者側と労働組合双方の腐敗をおもしろおかしく描いた作品。これは、イギリス社会の特質といったほうがいいかもしれないが、イーリング・コメディでは、上流階級と労働者階級が対比して描かれることが多いようだ。『白いスーツの男』もそうだったが、これも工場を舞台にした作品。労働組合のリーダー役でピーター・セラーズが出演している。

<参考文献>

2008-07-07
ヴィスタも帝国が支配する

TSUTAYA でテレンス・フィッシャーの『吸血鬼ドラキュラ』の DVD を借りて見ていたときの話。 『吸血鬼ドラキュラ』はクリストファー・リーとピーター・カッシングが共演したハマー版ドラキュラの記念すべき第一作だ。実は、小さいころ見て以来、見直すのはほとんど初めてだった。画面がヴィスタサイズになっているので、おやと思う。ドラキュラ・シリーズは全部シネスコじゃなかったのか。最初は、シネスコの左右を切ってヴィスタサイズにしてあるのかと思ったが、人物の頭が不自然に切れている画面が多いので、どうやらそうではないらしい。IMDb で調べてみると、『吸血鬼ドラキュラ』のスクリーン・サイズは、1:1.66 となっている。たしかにヴィスタ・サイズだが、これはいわゆるヨーロピアン・ヴィスタというやつだ(ドラキュラ・シリーズは次の『吸血鬼ドラキュラの花嫁』までがヴィスタで、それ以後はシネスコのようである。要確認)。ヨーロピアン・ヴィスタは、アメリカ映画などでおなじみのアメリカン・ヴィスタ(1:1.85)よりも若干横幅が狭いのが特徴だ。この DVD では、ヨーロピアン・ヴィスタをアメリカン・ヴィスタのサイズに合わせるために上下を切ってあるというのが正解らしい。

実は、これは最近の映画館ではごくふつうにおきていることで、映画館の構造上ヨーロピアン・ヴィスタの映画が上映できないので、画面の上下を切って無理矢理アメリカン・ヴィスタにあわせて上映するということが当たり前のようにおこなわれているのだ。映画通ならだれでも知っている事実であるが、一般の人は「スタンダード」や「ヴィスタ」という言葉さえ聞いたことがないというのが現実である。ここで一度指摘しておくのも無駄ではないだろう。

(ちなみに、ヨーロピアン・ヴィスタといっても、すべてのヨーロッパ諸国でこのサイズのヴィスタが使われているわけではない。イタリアではアメリカン・ヴィスタがふつうのようだ。おそらくここでもアメリカの支配はじょじょに拡大しつつあるのだろう。)

スタンダード映画についても同様のことがおきている。最近の話をすると、某映画祭のさいに関西のシネコンで上映されたロメールの『アストレとセラドンの恋』は、もともとスタンダード・サイズで撮られている作品なのだが、アメリカン・ヴィスタ・サイズの画面の左右に黒みをいれて上映するというめずらしいかたちが取られていた。ヨーロッパでもスタンダードを上映できる映画館が少なくなっていることを考えてロメールがとった苦肉の策らしい(サイズの問題はそれで理解できるとして、あの終始ピンぼけ気味の画面はいったい何だったのだろう)。 わたしは見ていないが、東京のイメージ・フォーラムでおこなわれたペドロ・コスタの『コロッサル・ユース』でも同様の問題が起きていたようだ(ここを参照)。

まともな上映ができる映画館がどんどんなくなってきているいま、DVD で見たほうがオリジナルに近いかたちで見ることができる場合も少なくないというのは皮肉な話である。しかし、『吸血鬼ドラキュラ』のようなケースもめずらしくはないから、DVD でも安心はできない。わたしはただまともなかたちで映画を見たいだけなのだが、それも簡単にはさせてもらえないようだ。いったい、これはだれの責任なのか。 一般の観客は、なにがおきているのか知らないし、知っていてもことの重大性をわかっていない。人よりも映画について知っているはずの映画評論家でさえ、こういう問題については無知で、無力だ。もうなくなってしまったが、蓮實重彦・山田宏一編集の雑誌「季刊 リュミエール」は、こういう広い意味での〈技術〉の問題を積極的に取りあげていたことで、いまでも評価できる。残念ながらそれでなにかが変わったわけではないが、まずは知ることからしかはじまらない。

上に戻る

映画日誌トップへ

Copyright(C) 2001-2018
Masaaki INOUE. All rights reserved.

映画DVD新作情報

映画新刊本

映画本ベスト・オブ・ベスト

映画の本(哲学篇・小説篇)

猫の文学

masaakiinoueをフォローしましょう

2017年10月〜12月

2017年7月〜9月

2017年4月〜6月

2017年1月〜3月

2016年10月〜12月

2016年7月〜9月

2016年4月〜6月

2016年1月〜3月

2015年7月〜12月

2015年1月〜6月

2014年7月〜12月

2014年4月〜6月

2014年1月〜3月

2013年10月〜12月

2013年7月〜9月

2013年4月〜6月

2013年1月〜3月

2012年10月〜12月

2012年7月~9月

2012年4月~6月

2012年1月~3月

2011年7月~9月

2011年4月~6月

2011年1月~3月

2010年10月〜12月

2010年7月〜9月

2010年4月〜6月

2010年1月〜3月

2009年10月〜12月

2009年7月〜9月

2009年4月〜6月

2009年1月〜3月

2008年10月〜12月

2008年7月〜9月

2008年4月〜6月

2008年01〜03 月

2007年10月〜12月

2007年7月〜9月

2007年4月〜6月

2007年1月~3月

2006年10月〜12月

2006年7月〜9月

2006年4月〜6月

2006年1月〜3月

2005年10月〜12月

2005年7月〜9月

2005年4月〜6月

2005年1月〜3月

2004年10月〜12月

2004年7月〜9月

2004年4月〜6月

2004年1月〜3月

2003年10月〜12月

2003年7月〜9月

2003年4月〜6月

2003年1月〜3月

2002年10月〜12月

2002年7月〜9月

2002年4月〜6月

2002年1月〜3月

2001年7月〜12月