日々の映画日記、というか備忘録です。暇な人だけ読んでください。
アメリカでは、ロシア革命直後のサイレント映画の時代から、多くの反共映画が作られてきた。それは、第二次大戦中の一時期をのぞいて、戦後の冷戦の時代までずっと続いてゆく。つぶさにリストアップしてゆけば、その数は大変なものになるだろう( このページで、そうした作品のある程度の一覧を見ることが出来る)。しかし、それらの反共プロパガンダ映画の大部分は、多くのプロパガンダ映画の例にもれず、今では顧みられることもない。当時でさえ、こうした映画の多くは、興行的には赤字だったと言われている。観客もそうバカではない。共産主義に対するヒステリカルな恐怖が、今では想像もつかないほど社会に漂っていた時代であったとはいえ、反共のメッセージを伝えるためだけに作られた映画に、作品としての魅力が乏しいことに、当時の観客もすぐに気づいたのだろう。作られた当時こそはある程度の需要があったはずのこれらの映画が、社会情勢が変わるにつれて急速に忘れられていったのも無理はないといえる。
わたし自身も、これらの反共映画は、せいぜい作品名を知っているぐらいで、ほとんど見たことがなかったし、あえて見ようという気にもならなかった。それに、そうした作品の多くはビデオにもなっておらず、見ようと思ってもなかなか見る機会がなかったという事情もある。 ところが、最近になってまとめて見はじめた Warner Archive Collection の DVD のなかに、そうした反共映画がたまたま何本か混じっていたのをきっかけに、少し意識して、ソ連の共産主義をテーマにしたハリウッド映画を見るようになった。たしかに、それらの作品のなかには取るに足りない作品もある。いや、そういうものが大部分かもしれない。しかし、思っていたよりは面白いじゃないか、というのが、何本か見てみての素直な感想だ。わたしが見たものが、名だたる監督の作品ばかりだったせいもあるだろう。以下に挙げる作品は、この手の映画のなかでは、例外的に良質の部類に入ると考えておいた方がいいのかもしれない。下を見ればきりがなさそうだ。
以下は、わたしが見た作品についての簡単な覚書である。メモ書き程度のものだが、なにかの役には立つだろう。
30年代から40年代にかけて、ハリウッドの共産主義ロシアに対する態度はめまぐるしく変化する。簡単に図式化するとこういうことだ。ハリウッドは、30年代には、反共映画をつくっていたが、41年に参戦すると同時に、親ソ的な映画をつくりはじめ、やがて戦争が終わると同時に、ふたたび反共映画を製作するようになる。その数は、50年代に入ってから急速に伸びてゆく(細かいデータが手元にないが、「反共を意図した映画の製作本数が、1948年の3本から1952年の13本へとかなりの上昇を見せている」と、オットー・フリードリックの『ハリウッド帝国の興亡』には書かれている)。冷戦の時代に撮られた反共映画も興味深いが、わたしが今興味を持っているのは、それ以前に撮られた、ロシア共産主義をあつかったハリウッド映画だ。なので、50年代以後の作品は、とりあえずここでは無視する。
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■アナトール・リトヴァク『戦慄のスパイ網』(Confessions of a Nazi Spy, 39, 未)
タイトルのとおり、ソ連ではなくナチの脅威をテーマにした作品で、ナチのスパイの一人の不用意な行動から、アメリカにおけるナチのスパイ網が次々と暴かれてゆく様が描かれる。ソ連によるフィンランド侵攻が批判的に言及され、ナチのシンパを集めるために、アジ演説で反共産主義が利用されるところもあったと思う。そのせいか、ロシアが同盟国となるとすぐさま市場から引っ込められたようだ。まだ参戦する前のアメリカで、これだけあからさまにナチの脅威が描かれる映画は珍しい。その意味では、出来はともかく、ウォルター・ウェンジャーによる『海外特派員』と双璧をなす作品である。
■キング・ヴィダー『Comrade X』(40)
ロシアを舞台にした『ニノチカ』(39) の焼き直しとでもいうべき作品。スターリンの共産主義ロシアで、「同志X」という偽名を使って、反共的な記事をアメリカに送っていた新聞記者(クラーク・ゲーブル)が、ホテルのボーイに正体を見破られ、そのことを黙っているから、娘(ヘディ・ラマール)をアメリカに連れ出してくれと頼まれる。しかし、この娘が、筋金入りの共産主義者だった──というコメディ。ヘディ・ラマールの演技は完全にガルボをまねたものになっている。キング・ヴィダーとしては全然得意な題材ではなかったと思うし、ベン・ヘクトの脚本も手抜きではないかという気もするが、ウラジミール・ソコロフのコミカルな演技はそれなりに印象に残るし、ミニチュアを使った撮影にしてはよくできている、戦車を使った最後のアクションもなかなか見物ではある。
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■ ジャック・ターナー『炎のロシア戦線』(Days of Glory, 43, 未)
第二次大戦中のロシアで、ドイツと戦うロシアのゲリラ兵士をグレゴリー・ペックが演じた戦争映画。たまたまそこに居合わせたバレリーナが、やがて革命戦士となって、ペックとともに祖国に身を捧げて死んでゆくところで映画は終わっている。『ニノチカ』からわずか数年で、ハリウッドはこういう映画を撮るようになっていた。意外にも、ペックのデビュー作である。
■ マイケル・カーティス『Mission to Moscow』(43)
これは有名な作品なので、あまり説明はいらないかもしれない。『Confessions of a Nazi Spy』などでも描かれているように、参戦する前のアメリカでは、ナチの脅威を軽く見たり、対岸の火事のように思っている国民も多かった。同時に、ソ連が同盟国として信頼しうるかどうかについても、多くの人が疑念を抱いていた。元大使ジョセフ・デイヴィスの自伝的著書にもとづいて撮られたこの映画で、ウォルター・ヒューストン演じるデイヴィスは、ルーズヴェルトの命をうけて、ナチス・ドイツとスターリンのロシアに、実情を探りに行く。ロシアの軍事工場の活気に満ちた様子や、盛大な軍事パレードを映し出した場面は、ロシア製のプロパガンダ映画かと見まがうほどだ。この映画は、その後、下院非米活動委員会で取り上げられ、製作者のジャック・ワーナーは弁解に四苦八苦することになる。体の一部しか画面に見えないルーズヴェルトとは対照的に、スターリンが全面に登場しているのも注意を引く(もちろん、本人ではなく、役者が演じているのだが)。
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■ ウィリアム・A・ウェルマン『鉄のカーテン』(The Iron Curtain, 48)
ウェルマンの政治信条はよくわからないのだが、この映画や『中共脱出』のような、反共映画に分類される作品を撮っていることは事実である。この映画の舞台となっているのは、アメリカではなくカナダだ。共産主義ロシアから飛行機に乗ってカナダにやってきた夫婦が、カナダでスパイ活動をおこなううちに、自分の信条に疑念を抱くようになり、亡命を試みる。ありがちな展開ではあるが、ウェルマンが監督しているので、非常に上品で、バランスのとれた作品になっている。アメリカではなくカナダが舞台というのも、この映画に他の反共映画にはないニュアンスを付け加えているといっていい。反共映画の最高傑作のひとつという人がいるのもうなずける。ただ、コミュニスト夫婦を演じているのが、ダナ・アンドリュースとジーン・ティアニーのフィルム・ノワール・コンビだというのは、最後まで現実味がなかった。 実際にカナダでスパイ活動をおこなっていたロシアのコミュニストの体験に基づいて撮られた映画である。
■ロバート・スティーヴンソン『十三号桟橋』(The Woman on Pier 13, 49)
ハワード・ヒューズが RKO で製作した反共映画の一つ。"I Married a Communist" という扇情的なタイトルでも知られる映画だ。ここに挙げた作品のなかでは、いちばんできの悪いものかもしれないが、反共映画の一つの典型ではある。「隣人のふりをして近づいてきて、よからぬ信条を吹き込み、アメリカ市民をたぶらかすコミュニストに気をつけろ。」この映画に込められたメッセージを一言でいうとそうなる。50年代になると、反共映画はSFのかたちを借りて、コミュニストを悪しき宇宙人として描くことが少なくなかった。しかし、40年代の反共映画では、コミュニストはギャングとして描かれることが多かったようだ。 家庭のよき夫でありながら、過去の一時期にコミュニストの党員だったという「過ち」を家族に隠している男(ロバート・ライアン)に、コミュニストが近づいてきて、そのことをネタに、むりやり党の活動を手伝わせる。コミュニストたちは、むき出しのエレベータで行き来する薄暗い倉庫のような場所をアジトにしていて、そのボスは部下にあくどい仕事をやらせ、人を殺すことも何とも思っていない。英語がよくわからない人が、ストーリーを知らずにこの映画を字幕なしで見たら、ふつうにフィルム・ノワールと思ってしまうかもしれない。何しろこの映画には「アカ」のファム・ファタールまで出てくるのだ。
■ゴードン・ダグラス『FBI暗黒街に潜入せよ』(I Was a Communist for the FBI, 51, 未)
この映画でもコミュニストがまるでギャングのように描かれているのは同じだ。もっとも、見かけはギャング映画とは全然似ていない。この映画の主人公は、長年、家族にも身分を隠して、共産党の潜入捜査をしているFBIのエージェント。表向きは共産党員ということになっている彼は、息子たちにも軽蔑され、世間からも白い目で見られている。その彼が、最後に、自分がFBIのエージェントだと名乗り、コミュニストたちの陰謀を暴き立てて、名誉を回復し、家族とも和解する場所が、下院非米活動委員会の公聴会だというのが、この映画の一つの見所だ。50年代のゴードン・ダグラスが監督しているので、実にタイトな仕上がりになっている。 反米映画として撮られた作品のはずだが、いま見ると、異分子を許さない不寛容なアメリカ社会を告発した映画に見えなくもない。
おりしも『アキレスと亀』の公開中ということもあって、Web 版「Liberation」の映画欄は、いま北野武一色だ。
さて、最近出た映画の本の中で、気になったものを紹介しておく。本屋に行っても映画コーナーにはあまりいかないし、ネットでもしばらく調べていなかった。ここにあげた本は、ついさっき存在を知ったものばかりだ。もちろんまだ読んでいないので、内容までは紹介できない。
■『シネマ21 青山真治映画論+α集成2001-2010 (単行本)』
ここ最近の青山真治の作品をわたしは必ずしも評価していないのだが、映画について書いた文章はあいかわらず鋭い。この本は、『われ映画を発見せり』におさめられた文章もふくめた、集大成的なものになっているようだ。小難しいことが嫌いな人は読まないでください(わたしに文句を言われても困るので)。
■万田邦敏『再履修とっても恥ずかしゼミナール (単行本(ソフトカバー))』
万田さんの話だから、間違いなく面白いはず、です。というか、もっと映画撮ってほしい。
■アレクサンダー・マッケンドリック『マッケンドリックが教える映画の本当の作り方 (単行本)』
こんな本を出して売れるんだろうかと、人ごとながら心配になりますが……。
■『ジャ・ジャンクー「映画」「時代」「中国」を語る (単行本)』
去年に出た本です。
■『SWITCH vol.28 No.2(スイッチ2010年2月号)特集:闘う、大島渚 (大型本)』
シルヴァーノ・アゴスティ 『Le jardin des delices』(「快楽の園」)の仏版 DVD が去年発売されていたことに、最近気づいた。
この作品は、昨年、京都駅ビルシネマでおこなわれた「アゴスティとモリコーネ」と題された上映会で見ている。しかし、これもいわゆる「デジタル上映」だったのにはがっかりした。 そのときの上映では、上映前に主催者からの簡単な挨拶と作品紹介があったのだが、驚いたのは、上映に使ったフィルムについての説明がなんにもなかったことだ。
たしかに、チラシには、作品の原題や製作年度の横に小さく「DV」と書かれていたと思う(書いていないチラシもあった)。しかし、「DV」といわれても、よくわからないし、わたしよりも映画を知らない人(自分でいうのもなんだが、たくさんいると思う)は、もっとわからないだろう。これが、ここ数年の映画なら、「DV」と書いてあれば、デジタル・ヴィデオで撮影された映画なのだろうと推測がつくが、『快楽の園』が撮られたのは67年だ。この時代に、ヴィットリオ・ストラーロがデジタル・ヴィデオで撮影していたはずはない。じゃ、どういうことなの? そのへんの説明が、あって当然でしょ。これがなんにもないんですね。この映画にはタルコフスキーが協力してるとか、ベルイマンやベルトルッチがこの映画を褒めたとか、そういう話ばかりで、どうしてこういう不完全なかたちでしか上映できなかったかについては、一言もいわない。それで、挙げ句の果てに、テレビや DVD ではなく、たまには映画館で映画を見るという体験をしてください、とかいうんですよ。びっくりしましたね。こういうことがあるから、だんだん映画館から足が遠のいてくんでしょ。
この映画を配給している人がやっているらしいホームページには、このイタリアの未知の作家についてのうんちくが語られているのだが、上映フィルムについてはなんの説明もない。ただ、「*すべてデジタル・プロジェクターによる上映となります」と書いてあるだけ。 たしかに、読んでいて、このシルヴァーノ・アゴスティという作家をぜひ紹介したいという情熱は伝わってくる。作家と直にコンタクトを取って、公開までこぎつけた努力も、そのフットワークも、最近ではなかなか希有なものだと思う。しかし、同時に、映画の物質的側面をあまりおろそかにしてもらっては困るとも思うんですよ。
ネットに転がっている動画や YouTube で映画を見て満足している人なら、別に見れたらいいじゃん、と思うのかもしれない。しかし、そういう人は、しょせん、どこかで映画をバカにしている。でなければ、こんな形で映画を見せられて、しかも普通の映画と同じように料金を取られて、腹が立たないわけがない。極端な話、ダ・ヴィンチの『モナリザ』をルーブルに見に行ったら、飾ってあったのはぺらぺらの『モナリザ』の複製だった、というのと同じでしょ。
角が立たないように、「極端な話」といったけど、事実そういうことなんですよ。映画だからそういう野蛮が許されてるんです。映画だから、そういう野蛮にみんな鈍感なんです。最近では、スタンダードの作品をまともに掛けられない映画館がふえていて、平気で画面の上下を切って上映したりしてる。これも京都だけど、いまはなき朝日シネマという劇場で小津の回顧上映がおこなわれたとき、小津映画が上下切られてビスタに近いサイズで上映されてたんだけど、それに怒ってたのは、わたしの友人数人ぐらいのものだった。ルノワールの絵の上下ちょん切ったら、ふつう逮捕されますよ。だけど、映画だとそれが許される。ロメールは、スタンダードが上映できなくなって、憤死したに違いないんだ。 DVD の時代になっても、白黒映画に色を塗ったカラー・ヴァージョンていうのが、まだ作られている。こりない奴らだ。『ゲルニカ』に勝手に色を塗ったら、ふつう極刑ですよ。でも、映画なら許される。許しているヤツがいるから、許される。
そういえば、これも去年だったっけ、京都のみなみ会館で見たソクーロフの『痛ましき無関心』も、わたしの勘違いでなければ、「デジタル上映」だったはずなのだが、ネットで調べてもそれらしい情報が見あたらない。みんなそんなこと気にしていないのか。それとも、ほとんどの人が気づいていないのだろうか(考えるだけで怖い)。ここで上映されたときのことなのかよくわからないが、この映画を見て、「画面が、今の霧にかすんだような画面ではなく、割とクリアな感じで、初期の作品なんだろうなー、と思いました」、と、ブログに感想を書いている人もいた。「クリア」なんじゃなくて、画面の鮮明度が低かっただけだと思うんだけど……。あれじゃ、霧も雨もよく見えない。ともかく、あとで DVD で見たほうが、断然クリアな映像だった。映画館より DVD で見るほうが満足に見られるとは、これいかに?
ガイ・マディンについては、以前、『Brand Upon the Brain!』という映画を紹介したさいに、軽くふれてある。その作品は、わたしにはお遊びのすぎる作品に思え、たいして感銘は受けなかった。しかしわたしは、たかだか長編を一本見たぐらいで、その監督の力量をはかれるほどの眼力の持ち主ではない。なので、この監督については保留ということにしておいた。
しばらくして、『My Dad Is 100 years Old』という短編を見た。イザベラ・ロッセリーニが、瀕死のロベルト・ロッセリーニを前にして父親のことを語るという内容で、調べてはいないが、タイトルからしてたぶん、ロッセリーニ生誕百年かなにかのさいに企画された映画ではないかと思われる。"My Dad" とはだから、表面的には、ロッセリーニのことを指しているのだが、100歳を超えた映画そのものを暗に意味してもいるのかもしれない。セルズニックやヒッチコックなど様々なキャラクターが登場し、そのすべてをイザベラ・ロッセリーニが一人で演じるという、相変わらずキッチュなスタイルで撮られた作品だ(シナリオは、イザベラ・ロッセリーニが書いている)。ゴダールの『映画史』の影響も感じられ、なかなか興味深かった。『Brand Upon the Brain!』のような、曲がりなりにもストーリーらしきものがある作品よりも、こういうエッセイ風の作品の方がこの監督には向いているのではないかと思った。
次に見たのが、この『My Winnipeg』だ。 無知なわたしは、最初このタイトルを見たとき、"Winnipeg" というのは豚の一種かなにかだろうか、などと見当外れなことを考えていた。むろん、それは大間違いで、ウィニペグとはカナダの一都市の名前なのである(知らない人がいるかもわからないので、あえて説明させてもらった)。『My Winnipeg』は、ガイ・マディンが、故郷ウィニペグを描いたドキュメンタリーだ。そんな都市が存在することさえ知らなかったが、この映画を見て、ウィニペグはわたしにとっても忘れがたいものになった。
しかし、ドキュメンタリーととりあえず言っては見たものの、はたしてこれをドキュメンタリーと呼べるのだろうか。この映画を見ただれしもがそう思うに違いない。 ナレーションの声が「母」と呼ぶ女性が、監督かだれかに指示されたセリフを、カメラに向かって繰り返している場面から映画ははじまる。ついで、走る夜行列車のなかで、必死に眠気と戦っている監督ガイ・マディンの分身らしき男が、映し出される。冒頭から終始流れつづけるナレーションは、彼の声である(あるいは、声だけはガイ・マディンのものかもわからないが、確認していない)。彼はいま、愛すべき、そして憎むべき故郷から、列車で逃れようとしている。いま眠ってしまっては、また故郷の夢に絡め取られてしまう。だから、必死で眠りをこらえているのだ。やがて、夢のように連なるイメージとともに、ウィニペグの街が描き出されてゆく。この夜行列車のイメージは、映画全編を通じて何度もくり返し挿入されることになるだろう。すべては、まどろむ男の脳裏に映し出される記憶とも、夢とも区別のつけがたいイメージのようにも思える。
走る列車の窓の外には、雪景色が広がっているのだが、その風景はときにわざとらしく合成されて、窓枠にはめ込まれる。「ウィニペグの町の夢遊病者の数は、他の町の10倍だ」などと語るナレーションに合わせて、夜の街を夢遊病者たちがさまよう光景が映し出される、などといった人を食ったイメージさえある。このあたりまで見れば、よほどのお人好しでないかぎり、ナレーションが語ることを、あるいは映像に映し出されるものを、すべて素直に受け止める人はいなくなっているだろう。
ナレーター=ガイ・マディン(の分身)は、故郷の記憶から解放されるために、その記憶を事細かに再現しようと試みる。彼の兄弟姉妹役の俳優たちが集められ、家具の位置など細かいディテールまでそっくりそのまま、少年時代の家族団らんの光景がカメラの前で再現されてゆく。「母」以外はすべて俳優たちが演じている、とナレーションは語る。そこで再現されるのは、「母」が欠かさず見ていたというカナダの人気テレビ番組を、家族そろって居間で見ているときの光景だ。そんな時間をガイ・マディンはたしかに経験しているのかもしれないが、そのテレビ番組の内容というのが、窓から飛び降り自殺しようとする息子を、母親が説得して止めるという話で、それが毎回繰り返されるのだという。そんな嘘みたいなドラマがあるわけないし、さらには、このエピソード自体が作り話ではないかとさえ思えてくる。 この直後に、母と娘の対立を再現したシーンがつづくのだが、そこで「母」が言うセリフが、映画の冒頭で彼女がリハーサルをしていたセリフなのだ。いつものように、なんの情報ももたずに見始め、冒頭のクレジットも見落としていたので、このあたりまで見たところで不安になってきた。兄弟姉妹たちが、再現ドラマのために集められた俳優なのは映画のなかで説明されるのだが、この「母」は、ガイ・マディンの本当の母親が自分自身を演じているのだろうか、それとも、まったく赤の他人なのだろうか。ナレーターは、彼女はむかし女優をしていたことがあり、さっきの家族団らんの場面で出てきたテレビ・ドラマで母親の役を演じていたのも彼女だと語る。しかし、そんな情報は自体をますます混乱させるだけだ。
(あとになって、「母」と呼ばれる女性を演じていたのが、アン・サヴェッジだと知って驚いた。アン・サヴェッジといっても、たぶんわかる人はほとんどいまい。40,50年代にハリウッドのB級映画を中心に活躍し、50年代の半ばには映画界から事実上引退してしまっている女優だ。いまではほとんど忘れ去られているといってもいい。だが、エドガー・G・ウルマーの『恐怖の回り道』でヴェラを演じていたのが彼女だといえば、わかる人も多いだろう。ラストで、電話コードにからまって絞め殺されるあの女だ。彼女が起用された理由は定かでないが、ジグザグを描くような作品の進行や、交通事故のエピソードなど、『恐怖の回り道』を思い出させる部分は少なくない。そういえば、あの映画の主人公も、逃げようとして悪夢に絡め取られていくのだった。)
こんなふうに、極私的な記憶がたぐり寄せられる一方で、ガイ・マディンが生まれるはるか以前のウィニペグの町の記憶が、掘り起こされてゆく。ここでも、ニュース・リールなどからの「本物」の映像に混じって、スクリーン・プロセスなのか、たんなる合成なのかよくわからないが、前景と後景がわざとらしくずれたイメージを使った嘘くさい再現映像がくり広げられる。実際におこなわれた催しなのか、それともこれも、この映画のために作り上げたデタラメなのかわからないが、"IF DAY" と呼ばれる町のお祭りでは、もしもウィニペグがナチによって占領されていたとしたらどうなっていたかという架空の歴史が、ナチの軍服をきた(素人?)俳優たちによって演じられさえする(ケヴィン・ブラウンローの『It's Happened Here』を思い出させるエピソードだ)。最初に書いたように、ウィニペグが実在する町かどうかも定かでなかったという、こちらの個人的な事情も手伝って、この映画でガイ・マディンが描く郷土史は、どこまでもフィクションに近づいてゆくように思えた。
フェイク・ドキュメンタリーと呼ばれる映画がある。ドキュメンタリーの手法を使ってもっともらしく作り上げてあるが、実は真っ赤な嘘というものだ。だまされる観客を見て笑うというたんに遊び感覚で作られたものもあれば、オーソン・ウェルズの『フェイク』のように、虚構と真実の意味を問い直すような作品もある。たんに臨場感を高めるためだけに一人称カメラを使った『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『クローバー・フィールド』のような作品も、ときに、フェイク・ドキュメンタリーと呼ばれることがある。しかし、『My Winnipeg』はそれらの作品と似ているようで、全然違う。それは手法の違いというよりも、この映画のテーマが「故郷」という特殊な存在だからかもしれない。
虚構性をことさら強調したようなイメージが使われる一方で、ガイ・マディンの「故郷」を捉えるまなざしには、『Brand Upon the Brain!』や『My Dad Is 100 years Old』にはなかった透明感と、抑えがたい思いとでもいったものが感じられる。16ミリ・フィルムを使っているのか、それともそのように見えるようにわざと鮮明感のない画面にしているのか、町の風景を捉えたショットや、記憶を再現したショットを見ていて、メカスの日記映画の映像を思い出すことも少なくなかった。むろん、それらは、いまそこにある瞬間をカメラに定着させたメカスの場合とはまったく違い、いくえにも加工されたものかもしれない。しかし、素直に作られていないだけに、逆に、そこからにじみ出てくるノスタルジーは強烈で、思わず泣けてきたぐらいだ。不覚にも感動して、駄文を連ねてしまったわけである。
「カイエ・デュ・シネマ」のフェリーニ特集にガイ・マディンが寄せた文章によると、『My Winnipeg』はガイ・マディンなりの『青春群像』なのだという。フェリーニのとくに初期の作品はすべて好きだと語っているのを見ると、『My Dad Is 100 years Old』でロッセリーニを描いているのも、それほど意外ではないのかもしれない、と最後に付け加えておく。
シネ・ヌーヴォの「アジア映画の巨匠たち」で、リノ・ブロッカ『マニラ・光る爪』、マイク・デ・レオン『カカバカバ・カ・バ』、リリ・リザ『エリアナ、エリアナ』の3本をつづけて見る(キム・ギオンの『下女』は見ているのでパス)。一日3本なんてずいぶん久しぶりだ。というか、今年、映画館で映画を見るのは、実はこれがはじめてだった。年々、映画館から足が遠のいていく。
■リノ・ブロッカ『マニラ・光る爪』(75)
リノ・ブロッカについては、少し前に書いた。『マニラ・光る爪』を見たのは大昔なので、そろそろ見直したいと思っていたところだった。テレビ放送を録画したビデオがあることはあるのだが、3倍速で録画したもので、今さらそんな質の悪い状態で見る気がしない。いいタイミングで、フィルムで上映してくれた。
久しぶりに見たが、『マニラ』はやはり名作だった。貧しさを売り物にした括弧付きの「第三世界の映画」に限りなく近い映画ではある。スターなし、予算なしの映画で、ストーリー展開も地味だったりするのだが、出口なしの状況がじわじわと主人公だけでなく、観客をもエモーショナルに追い詰めてゆく。ブロッカの映画は、前半では想像がつかないほど後半が盛り上がるのだ。 主人公が働く工事現場では、雇い主が公然と給料をピンハネし、主人公が探し続ける行方不明の恋人は、悪い女にだまされ、売春婦として働かされている。すべてを支配しているのは、搾取する者とされる者との、絶望的にどうしようもない関係だ。工事現場をクビになった主人公は、ゲイボーイに誘われて、男に体を売りさえする。しかしそれも一時しのぎでしかない。 ゲイたちがたむろしている公園の背景に、「NEC」や「SANYO」と書かれた嘘のように巨大なネオンサインが浮かび上がる。恋人を死なせた華僑を殺しに売春宿に乗り込んでゆく主人公が直前に横切る通りを、「打倒、帝国主義」と書かれた真っ赤なプラカードを掲げたデモ隊が練り歩いてゆく。華僑を殺したあと、文字通り袋小路に追い詰められた主人公が、声にならない叫び声を上げるところで、映画は終わっている。
■マイク・デ・レオン『カカバカバ・カ・バ』(80)
若くして交通事故で不慮の死を遂げたリノ・ブロッカの後継者と目される監督、マイク・デ・レオンによるミュージカル調のコメディ。麻薬によるフィリピン支配を企む日本人のやくざが、麻薬をカセット・テープに偽装して、フィリピン人の旅行者の上着のポケットに忍ばせて国内に持ち込むことにまでは成功したものの、テープの回収にことごとく失敗し、そこに中国系マフィアまでが加わり、大騒動になってゆく。この手のバカっぽいノリの映画は苦手なので、前半少しうとうとしてしまったが、会場はうけていた。しかし、お馬鹿な見かけとは裏腹に、社会批判の過激さは『マニラ・光る爪』以上だといえるかもしれない。『マニラ』のわずか5年後に撮られた映画だが、『マニラ』で背景に描かれていたジャパン・マネーや華僑の存在は、この映画では、深刻さとは一見無縁に思える狂騒的な笑いとともに、まったく別の角度から風刺されている。この映画の笑いの背後に見え隠れしているのは、リノ・ブロッカの映画が描いたようなやり方では、フィリピン社会の現実はすでに捉えきれないものになっているという鋭い現状認識だ。
■リリ・リザ『エリアナ、エリアナ』
家出をして都会で暮らす娘のもとに、母親が彼女を故郷に連れ戻しに来る。娘のほうは、どこかに消えてしまったルームメイトのことが気になって、母親と向き合うことが出来ない。母娘の再会を一日の出来事として描いた作品で、手持ちキャメラを使ったドキュメンタリー・タッチの演出が、都会の孤独を鮮やかに浮き上がらせるインドネシア映画の佳作だ。
普通の人は気にならないのだろうが、デジタル映像特有の画面の汚さが、わたしには見ていて気になった。最近は、フィルムでの上映だと思ってわざわざ遠くまで見にいったら、DVD上映だったり、DVD をもとにフィルムに焼いたものでの上映だったりといったこと(「デジタル上映」というよくわからない新語が使われたりする)が、とくに断りもなく平気でおこなわれている。観客も大してそのあたりの質の違いは気にしていなかったりするようなので、フィルム特有の質感がわからない人もどんどん増えつつあるのだろう。この映画も、チラシにはなんの情報もないので、見ながら、これはもともとフィルムで撮ったものを、いわゆる「デジタル上映」したものなのか、それとも最初からデジタル撮影したものなのか、などと考えながら見てしまった。DVD をもっている作品でも、フィルムで見られると思って映画館まで足を運ぶこともあるのだから、情報誌にそこまで詳しい情報を載せるのは無理としても、せめてチラシにはそのへんを明示しておいてほしい。
たぶんそうなのだろうと思ってはいたが、あとで確認したら、やはりこの映画は全編デジタル撮影したものだった。最初からわかって見ていたら、映像の荒さもとくに気にならなかっただろう。
気がついたらもう1月もなかば。そろそろなにか書き始めるとしよう。
『Wの悲劇』の菅野美穂はよかった・・・ などという話はいまはどうでもよい。
リチャード・フライシャーの『絞殺魔』の DVD が日本で発売されるようだ。わたしは米版を持っているので、とくに嬉しいニュースでもないのだが、見ていない人も多いだろう。見ているけれど、シネスコ版ではまだという人もいるかもしれない。わたしが最初に見たのも、分割場面が意味をなさないテレビのトリミング版だった。
ついでに『10番街の殺人』を出してもよかったんじゃないか。個人的には、『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』と、あと『センチュリアン』が、そろそろ見直したいのだが……。
『センチュリアン』で思い出したが、デイヴィッド・マメットが撮った『殺人課』(91) という映画を最近見た。地味な映画なので、日本で公開されていたことにも気づいていなかった。これも Criterion から DVD が出ているのを見てはじめて、その存在を知った映画のひとつだ。
ボルチモアの殺人課のユダヤ人の刑事が主役の映画で、それこそ『センチュリアン』やウィリアム・ワイラーの『探偵物語』(ちなみに、これ誤訳です)みたいな「警察もの」なのかなと思って見始めると、一見なんでもない強盗殺人事件の背後に、反ユダヤ組織の影が見え隠れしていることに主人公が気づくあたりから、話が思わぬ方向に進んでいく。被害者の家族に接触するうちに、自分が今まで否定してきたユダヤ人としてのアイデンティティに目覚めた主人公は、やがて刑事としての一線を越えてしまう。結局、自分のアイデンティティを見失った主人公がひとり取り残されるラストは、むなしくて、余韻があっていい。傑作とはいわないが、見逃すには惜しい作品だ。
ユダヤ人を描いたアメリカ映画は少なくないが、狭いコミュニティ向けに撮られたウルマーのイディッシュ映画など一部の例外を除くと、反ユダヤ主義の犠牲者という単純な構図に収まってしまっている作品が大部分だ。その点、この作品におけるテーマの掘り下げ方は興味深い。
もっとも、自分の出自を否定してきたユダヤ人が、民族の血に目覚めるという話なら、すでに『ジャズ・シンガー』のなかで描かれている。見ていない人のなかには、アル・ジョルソンが黒人に扮したスチールだけで判断して、この映画が黒人を描いた映画だと思い込んでいる人もいるだろう。初のトーキー長編劇映画として知られるこの作品は、実は、ユダヤ人の生活に意外と踏み込んだ映画なのだ。この映画の字幕のなかには、アモス・ギタイの映画のタイトルにもなった「ヨム・キプール」という言葉も出てくる。
ところで、フライシャーはこの『ジャズ・シンガー』を、約50年後にニール・ダイアモンド主演でリメイクしているのだ。
と、話がフライシャーに戻ったところで、終わりにしよう。
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