「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は阿茶である 




第51回〜第60回



阿茶
他ならぬTenさまが描いてくれたデッサンの阿茶。
無防備にも仰向け、お腹まる出しである。




第51回 (2001.12.29)

12月になったばかりだと思っていたら、あっという間にクリスマスを過ぎ、今年も残すところ、たった3日間となってしまった、なんて感じているのはおじさんの話。
吾輩は1日が長く感じられる年齢なので、どうしてどうして3日間もある、という感じ。
天皇誕生日の振替休日だった月曜日も、1日がものすごく長かったことだ。
そもそもは、テレビとビデオの場所を2階から1階に移動させよう、という朝食のときの話から始まった。
機械というだけで気力を喪失してしまうおじさんが、テレビやビデオの裏の端子から、チューリップのように赤、白、黄色に色分けされたコードをすべて引っこ抜き、テレビ、ビデオ、テレビ台、ビデオテープの順に運び下ろして行ったのだが、その間、何がどうなるのか、吾輩はどきどきしながら周囲を駆けめぐり、ついでに掃除ができるので、おばさんの手先で働いていた雑巾やモップにそばえて仕方がなかった。
特にテレビとテレビ台は重いので、おじさんとおばさんが二人がかりで運び、吾輩もちょろちょろして一緒に階段を降りたのだが、おじさんたちに余計な危険を感じさせただけで、役にはちっとも立たない。
それでも、部屋が新しく落ち着くまでの間、動きまくっていたことだった。
さらに、晩ご飯のときのこと。
おじさんがお好み焼きをしたのだが、お好み焼き粉を溶いたものを、だだっといきなり鉄板に載せ、火力を弱めないので、キャベツやイカを載せる前にホットケーキのようなものが出来てしまった。
物珍しい光景にきょろきょろしている吾輩に対して、「阿茶くん、熱いから近寄っちゃだめだよ!」などと注意するおじさんに、いちばん注意が必要だったような気がする。
御無沙汰していて、半月ぶりの『吾輩』になったけれども、この間に、コマキさんが再び吾輩に会いに来てくれた。
ところが、Tenさまやサザエさまがお見えになった際でも逃げ出してしまった吾輩が、なぜかコマキさんからは逃げ出さずにいたのである。
おばさんが不思議がって仕方がないが、前にも書いたことだけれど、コマキさんとおばさんとは、姉妹と言っても通用するくらい、面影が似ているのだ。
おばさんがひとり増えたって、どうってことはない。
ところで、ムーミンさまのお蔭で、また「阿茶ページ」の冒頭を飾る写真が新しくなっているのだが、今回はちょっと説明をしなくてはいけない。
写真とは言ったけれど、写真ではなくデッサン、しかも、他でもないTenさまが描いてくれたものなのである。
吾輩に対する愛情がよく出ていて猛烈にうれしい。
出来映えがすばらしいのは、言うまでもなくTen画伯の腕前によるが、モデルの男前も忘れてほしくない・・・なんて厚かましいことを書いたところで、今年の『吾輩』は終わり。
読者のみなさん、よいお年を!


第52回 (2002.1.5)

新年あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしく。
さて、吾輩の年頭は、と言うと、留守番に明け暮れて過ぎて行った。
元日はおばさんの、2日はおじさんの親きょうだいが集まるのに、そろって出かけて行くので、元日は朝から晩まで、2日もお昼から、ひとりで留守番をしたのである。
さすがに退屈になり、床の間に飾ってあった正月花の千両や若松をかじったり、鏡餅のお飾りをひっくり返したりして、なかなか正月らしい遊びができたことであった。
その2日の晩、おじさんたちが帰宅したすぐ後から、雪が降り始めて、気付いたときには、すべてが真っ白。
街路灯に照らし出されたところを見ると、風があるのか横なぐりに、さらに雪が降り続いているのだ。
吾輩には雪が生まれてはじめてになるから、というので、おじさんに抱えられて、縁側に面した部屋まで行き、眺めることとなった。
縁側に出て眺めた満月には、とんと興味がわかなかったけれども、寒いので縁側には出ず、ガラス越しに目にする雪景色には、猛烈に興味がわいて、ひたすら見入ってしまったのだった。
うーん、風情がありますにゃあ。風流ですにゃあ。
ところが、風情だの風流だのと言っている場合ではなかったのである。
20年来、働いてきていたエアコンが、もはやこれまでと壊れたのだ。
急きょ、持ち出された電気ストーブの前に全員が集合してしまって、まるで救助を待つパーティーのような光景になったのである。
壊れたと言うと、年末の大掃除の際、おばさんがポットを壊す、なんてことがあった。
細かいところの水垢まで取り除こうと、爪楊枝を使って丹念に掃除し、あと少しというところで取り落としてしまったのである。
見た目が大丈夫で、安心したおばさんだったのだが、内部のガラスは散々に割れてしまい、とても使い物にならなかった。
慌てて、おばさんが新しいポットを買いに出かけたのは言うまでもないし、その一部始終を吾輩が目撃していたのも言うまでもない。
年頭の話に戻ると、吾輩が久しぶりに鰹節を口にすることができた。
と言うのも、おじさんたちのお雑煮に鰹節がふりかけられ、すかさずにおいを嗅ぎ分けた吾輩が、鼻をぴくぴくさせてアピールしたのである。
正月だからお年玉だよ、と言って、仕方なさそうに分けてくれ、ほんと、何ヶ月ぶりかにありつくことができた、というわけなのである。
今日もエアコンを見に出かけたのか、吾輩は留守番をさせられたが、お年玉があるのならば正月もいいものだなあ、というのが感想である。


第53回 (2002.1.12)

おじさんの話だと、以前は1月15日と決まっていた「成人の日」が、2000年から変更されて、今年は1日早い14日に行われるそうである。
そして、さらに2日早く、きょう1月12日が、吾輩にとって成人の日(?)になったのであった。
ふとんの横に置かれる吾輩の夜食用のお皿が、昨夜にかぎってちっとも用意されない。
そう言えば、昨日の夕ご飯は、いつもの2倍くらい食べたので、お腹がそんなには減っていないけれど・・・と思いもしたが、朝になって、朝ご飯もないのである。
どうしちゃったのかな?
おかしなことには、おじさんたちまで朝ご飯を食べずにいて、お昼が近付くと突然、着替え始めたかと思ったら、吾輩をキャリーバッグにさっさと押し込んで、お出かけしたのであった。
行き先は案の定、4ヶ月ぶりの『加藤獣医院』だった。
およそ見当がついたので、玄関を出たときから、医院に到着した後も、鳴き続けたが、先生が取り出してきた青い袋にすっぽり入れられ、口のところをご丁寧にひもで括られてしまうと、どこにも逃げ場がない。
先月の「濡れねずみ」に続き、「袋のねずみ」の気持ちも理解できて、鳴くのをやめにした。
・・・ひょっとしたら、青い袋の内側に何か仕掛けがあったのかもしれない。
鳴くのをやめたのではなく、ぼーっとしてしまって鳴けなくなったのだと思う。
気がついたら、キャリーバッグの中に戻っていて、なぜか下半身の様子がちょっと違うのだ。
網目になった入り口から見ると、もう夕方なのか、外がぼんやり薄暗い。
しばらくして、おばさんの声が聞こえ、おじさんと一緒に吾輩を迎えに来ていた。
おばさんの質問に対し、先生が、「とっても、おりこうさんにしていましたよ」と答えていたのだが、吾輩には何のことだか、さっぱり分からない。
ただし、家猫としては通過しなければならない儀式が行われ、無事に終わったようだ、ということは分かった。
そんなことよりも、先生がおばさんに指示していた「明日の朝まで、何も食べさせないようにね」という言葉のほうが、おそろしく気になることだ。
わざわざ言わなくてもご存知だと思うけれど、お腹がぺこぺこなのである。
この上、明日の朝まで何も食べてはいけない、なんてことになるのならば、前もって教えておいてほしかったにゃ。
昨日の夕ご飯を、いつもの2倍どころか、5倍は食べたのだったのに・・・。


第54回 (2002.1.15)

日曜日から、おじさんがゴホゴホ、咳をするようになった。
少し前からしていたのかもしれないが、吾輩が気付いたのは、日曜日からのこと。
明日も休みだというのが、こういう場合につくづく、ありがたいのだなあ、などと言いながら、ほんと、月曜日はほとんど、ふとんに横になって過ごしていた。
咳はおばさんにまで移り、ふたりしてゴホゴホ、ゴホゴホ言っていたのだが、幸い吾輩にまでは移ることなく、孤軍奮闘、元気に走りまわっている。
風邪の原因は、と言って特定することもできないが、先週の木曜日に新しいエアコンが届くまでの間、遭難パーティーを続けていたのも、そのひとつと考えられる気がする。
そう言えば、その木曜日は、騒然とした日であった。
電器店さんが現われるやいなや、吾輩は何を間違ったものか、その電器店さんに向かって突撃してしまったのである。
ぶつかって来られた電器店さんも、さぞかし驚いただろうと思うけれど、ぶつかって行った吾輩も、驚愕し、恐怖し、再び猛烈な走り方で逃げて、おばさんの鏡台の裏側に回り込んだのだった。
隠れるには、ここがいちばんの場所であり、結局、電器店さんがエアコンの取り付け工事を終えて帰って行き、その後、おばさんが吾輩を探し当てるまで、じっと隠れていたことだった。
ついでに書くと、その木曜日以降、おじさんが紺色のジャンパーを着ただけで、つい逃げ腰になってしまっているのは、同じようなジャンパーを電器店さんが着ていたからである。
風邪の話に戻ると、ずいぶん前に『加藤獣医院』の先生がおばさんに、人間は人間、猫は猫、それぞれ寄生するものが違うので、病気だって人間から猫に、猫から人間に移ることなんてありませんよ、と説明しているのを耳にしたことがある。
この件は、それから議論が分かれている。
吾輩が、おじさんのお昼の弁当の「シャケシシャモ」を口にした際の話。
そのまま構わずに弁当を食べたおじさんが、事務所の猫先輩さんから、病気が移ることがあるよ、と忠告されたらしいのだ。
移るのだとすると、ムツゴロウ先生はどうなっちゃっているのかな、とも思うけれど、まあ、今回は少なくとも、ふたりがゴホゴホ咳き込み、おじさんなどは横になってばかりい過ぎて持病の腰痛まで引き起こし、大変がっているのを尻目に、吾輩ひとり、元気に暴れまわっているような次第である。


第55回 (2002.1.18)

手術後の経過を診せるために、再び『加藤獣医院』までお出かけすることになった。
おじさんの風邪を移されたおばさんが、症状もひどくてダウンしているので、先に引いて先に治ったおじさんひとりで、吾輩を連れて行かなければならない。
キャリーバッグを重く感じるのじゃないかという腰痛よりも、先生となんとかコミュニケーションがとれるかどうか、そちらを心配していたようだが、吾輩に関する説明をしっかり聞かされて、心配した状況になる暇もないほどだったみたいである。
経過は順調、とてもきれいに快復(?)しています、ただし、食餌ですが、「子猫用」から「成年用」に切り替えたほうがいいですよ、茶トラの猫はどういうものか、他の猫にくらべて尿道が細くできているのです、その分、石などが詰まりやすく、詰まってしまうと手術が大変であり、あっという間に命を落とすことも考えられます、「子猫用」は骨格形成を考えてカルシウムなどをより多く含んでいるので、それが却ってよくないわけです、「成年用」に切り替え、さらに食餌療法として、石などを溶かし出す成分の入った「カリカリ」を食べることを薦めます、太りはじめる猫も多いので、気をつけてください、などなど。
おじさんは早速、その「カリカリ」を買っていたのだが、吾輩は注射を1本打たれただけで、帰宅することになった。
今度のカリカリは、「錠剤カリカリ」とでも言おうか。
成分だけでなく、形状や大きさまでクスリのような感じだ。
最初に、これだけを食べなさい、というように出されて口にしなかったので、次に、猫缶や「シュリケンカリカリ」と混ぜて出されてきた。
さてさて、どうしたものか、と思っているところである。


第56回 (2002.1.27)

『加藤獣医院』にはその後、ほとんど一日おきに出かけなくてはならなくなって、ちょっと大変だった。
きれいに快復していたにもかかわらず、バイ菌が入ってしまい、化膿したらしくて長引いてしまったのである。
それも、ようやく終わり。
体調が戻りつつあるおばさんと出かけた際に、先生から「もう大丈夫だからね、来なくていいよ」と言ってもらえたのだ。
吾輩は心底、ホッとした。
来なくていい・・・。
ところが、その吾輩の横で、先生に質問をしているおばさんの言葉が聞こえてしまったのだった。
「ワクチンなんかで、次はいつごろ、おじゃますればいいですか?」
ホッとしたのも束の間、気持ちがしぼんで行ったけれど、先生の答えが、お知らせの葉書を発送しますから、ということだったので、そんなにすぐというわけではないだろう、と思うことにして、ホッとし直してみた。
それなりに元気が出た。
元気と言えば、吾輩の元気な証拠がおじさんの顔にできる、という話。
以前にも、おじさんのまるい顔のまんなか、まるい鼻に噛みつく経緯を書いたことがあったが、同じ状況になって、同じ対応しかしないのはおじさんのほうであり、吾輩は、噛みつくばかりではなく、前足もちゃんと使用するようになったのである。
はじめて前足を出したときは、ごく自然にそうなったような気がする。
それまで噛みつくことしかしなかった吾輩だけに、吾輩の顔ばかりに注意を払っているおじさんに対して、ふいに両方の前足で、左右から挟み撃ちするように引っ掻き、まんまとやっつけたのである。
それ以来、吾輩の前足攻撃と、おじさんの顔の傷の数が多くなり、鼻にしかできなかった傷はいろいろな場所にできるようになった。
昨年暮れには、鼻のてっぺんに縦に見事な直線が入り、その顔で、仕事納めに行き、忘年会に出席し、年始の挨拶にまわり、初詣に出かけ、仕事始めもして、事務所の猫先輩さんから「傷、まだあるんだね」なんて言われてきたらしいのである。
そして、つい最近も、右頬を吾輩の前足が掠めたために、横に並んだ3本の傷がつき、猫のひげのようになった。
吾輩としては、どうせなら左頬も、と思わないこともない。


第57回 (2002.2.2)

まくらが変わると眠れない、という話を耳にすることがあるが、吾輩もそれほどではないものの、同じまくらで眠ることが多い。
そのまくらは、そもそもおばさんのものだったのだが、吾輩がある夜、正しく使用して以来、すっかり吾輩専用のようになってしまった。
「正しく使用する」というのは、まくらのすぐ手前まで肩の位置を持って行き、頭をまくらの中ほどにきちんと乗せ、いわゆる「まくらをかって」寝ることを言っている。
昨夏も、この同じまくらがお気に入りで、よく使用したけれども、まくらに吾輩のすべて、尻尾の先まで乗せて眠っていたので、あまり「正しい」感じはしなかった。
今にして考えれば、そうなったのには、夏ふとんと言っても気候的にふとんなど、とても使用する気になれなかったことと、吾輩自身がもっとチビだったので、まるごと乗っかるのが可能だったことが、事情としてあったと思われる。
それはともかく、吾輩がそうして眠っている様子を目にし、いたく可愛く感じたおばさんが、その後は まくらを優先的に譲ってくれ、吾輩も甘えることにして、ほとんど毎晩そこで寝るようになった。
そうなると、問題はフルーツバスケット状態。
ふたつしかないまくらに対し、頭がひとつ多いのだ。
昨夏は、おばさんがタオルで「まくらもどき」を用意したけれども、今回はおじさんのまくらを取り上げて、おじさんがはじき出された。
どうせ寝相が悪いから、まくらなんて無くたっていい、などと言っていたおじさんの頑張り(?)も、たった数日。
大げさに首が痛いと言い出して、結局、新しいのを買ってもらい、現在は3個まくらを並べ、吾輩をまんなかにして、それぞれ頭を乗せて寝ているのである。
「まくらもどき」がない代わりの「親子もどき」である。
もっとも、夜中のあいだ、吾輩はごそごそ、ごそごそ動いて仕方がない。
誰も相手をしてくれないので、猫じゃらしや「うさぎ」を口にくわえ、階段をひとりで何往復もしたり、サザエさまからもらったスーパーボールを転がしたりしているのだ。
そして、おばさん、おじさんのふとんにも義理堅くもぐり込んでいる。
ふたりが喧嘩をしないよう、時間、回数、程度が同じになるように気をつけて、こまめに移動しているのである。
ところが、今週火曜日から木曜日までの3日間は、自分でも、わけが分からないけれど、何かおかしかった。
おじさんのふとんにばかり、もぐり込んでしまうのだ。
第一、この3日間はなぜか、玄関を上がってすぐの場所にちゃんと正座し、帰宅するおじさんを出迎え、「にゃあ」と挨拶までして驚かせていたのである。
月が変わり、奇行もなくなったが、3日間だけは案の定、おばさんがすねてしまっていた。


第58回 (2002.2.14)

猫砂トイレを掃除するザッ、ザッという音を耳にすると、なぜか尿意を催すようになって、掃除中におじゃましてしまうことが、ここのところ何回もある。
特に今朝は、おじさんが掃除を始めたすぐ後だったので、トイレを済ませようとする吾輩に対し、いつもなら「あと少しだけど・・・」などと言って掃除を中止してくれるのに、構わず続行されてしまい、 さすがに目の前でするのは、些か恥かしかった。
それと、よくあるのが、掃除したばかりのところで吾輩が使用して猫砂を飛ばすので、おじさんたちにため息をつかせる、というものだ。
それで、おばさんなどは、ひと回り大きな猫砂トイレを買ってこようか、と言い出している。
トイレ容器がふたつになることは、汚れを徹底的に落とすのに都合がいいらしくて、おじさんも賛成していた。
ただし、容器を大きくしたからと言って猫砂が飛び出さないか、という点には、吾輩は疑問がある。
猫砂トイレのまんなかで用を足すのなら、大きくすればするほど効果が得られると思うけれど、普段、縁っこに寄って用を足しているのであるから、同じことなのじゃないか、むしろ、厳密に言えば、ひと回り分だけ飛(?)害地域が拡大してしまうような気がする。
トイレと言うと、ちょっと前のこと。
おじさんたちのトイレに入ってみたことがあった。
洋式というらしくて、ふたが立ててあったので、便座(このカバーに、ベンくんと同じ猫がデザインされている)の端に、まんなかの穴に落ち込まないよう気をつけながら、乗っかったのだ。
最初はじっとしていたが、馴染んでくるとじっとしてはいられない。
あたりをウロウロするうちに、吾輩がどこかを触ってしまったのか、突然、まんなかの穴から水が噴き上げ、便座からマットから水浸し。
勿論、水気の苦手な吾輩も、苦手とかどうとか関係なく、びしょびしょになってしまった。
そういう大変な目に遭っている間に、再びどこかを触ったらしく、水は止まったものの、しばらくしておばさんに見つかり、雑巾がけをさせてしまったのだった。
吾輩の水難と言うと、なぜか寒くなってからばかり。
幸い風邪を引かずには済んでいるが、おばさんにはほんと、ご迷惑をかけていることである。


第59回 (2002.2.17)

ソルトレーク五輪は、吾輩もたまに見ている。
そもそもテレビというものを、微妙な暖房器具(?)としか考えていなくて、おばさんたちのようには、あまり画面を見ていなかったのだが、さすがにオリンピックともなると、ちょっと話が違ってくる。
残念ながら猫は1匹も参加していないようだけれど、人間の運動能力の限界に挑戦する姿は、猫の吾輩から見ても、美しいものがある。
・・・なんて言ってしまったが、要するに、画面の中の動きが目まぐるしくて、気がつくと、ついつい眺めてしまっているのだ。
スピードスケートも見たし、ショートトラックも見たし、フィギュアはシングルもペアも見た。
猛烈に面白い!
おじさんのように日本選手しか応援しない、ということはないので、だれが勝とうが負けようが関心がないが、おばさんが気付いたことには、吾輩が目にする種目は、不思議とスケート競技に限られているようなのである。
スキー競技にもモーグルやジャンプなどさまざまあって、時間をかけて放送されているのに、全然見ない。
なぜ見ないのかは自分でもよく分からないが、今日も結局、カナダ対スウェーデンのアイスホッケーを観戦しただけであった。
まだオリンピック種目にはなっていないけれども、このところの吾輩が夢中なのが、廊下を競技場にした「キャットボール」である。
紛らわしいが、キャッチボールではない。
名前のとおり球技であり、ビニールひもをまるめて作ってくれた「おばさん特製ボール」しか使用してはならない。
これを、たとえば、おじさんが手前の部屋から廊下に投げるとする。
足許にいた吾輩は、ボールを追いかけて奥の部屋まで走る。
ボールは12個ほどあり、2個目をおじさんが投げる。
しかしながら吾輩は、すでに奥の部屋にいるので今度は走らない。
ただ、ボールの転がる先を確認するだけだ。
次々におじさんが投げ、吾輩のあたまを越すボールがあると、やっと追いかける気になる。
全部投げ終えたら、おじさんがボールを拾いながら奥の部屋まで来る。
向きが変わるだけで、同じことの繰り返し。
1個目のときだけダッシュをする。
2個目からは走らない。
受け取ることもなければ、犬のようにくわえて戻ることもしない。
くれぐれも、キャッチボールではなく、キャットボールなのである。


第60回 (2002.2.20)

立春とは名ばかりで、まだまだ寒い日が続いているが、それでも春は近付いてきているようである。
と言うのも、吾輩の毛が、抜けて抜けて仕方がないからだ。
衣替えは昨秋もしているので、そんなにもう驚かないけれど、今回あらためて気付いたことが、いろいろとある。
吾輩は茶トラである。
そして、うっかりと白ペンキのトレイに落っこちてしまったみたいに、顎から首、胸からお腹、さらに足先は真っ白なのだ。
つまり、簡単に言うと、こげ茶、うす茶、白の3色の毛を生やしていることになるわけである。
それがどうやら単に色の違いというだけでなく、性質も違うようなのだ。
尻尾で見ると分かりやすい。
ここは、こげ茶とうす茶で縞々を作っているのだが、硬さが違うのか、こげ茶の毛だけが立っていることがある。
ちょうど「つくしのはかま」のようになるのだ。
どうもこげ茶の毛のほうが硬いようである。
衣替えでよく抜けるのが、白の毛である。
おばさんに体をちょっと撫でてもらっただけで、雪がちらちらするみたいに白が抜けて飛び散るのだ。
これではハゲてしまわないか、と心配になるものの、元々が白はこげ茶、うす茶にくらべて密生している感じがあり、ちょうどいいのかもしれない。
ほんと、よく出来ている。
毛の話で、もうひとつ。
吾輩は、おへそのまわりの毛だけ、ちょっとロン毛なのである。
人目に触れないところで、そういうことになっているとは、なんともおしゃれで、奥ゆかしい(?)ものである。



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