「みずほ点訳」ホームページ

点訳雑感


点訳あれこれ


 一般に「点字」というと、6つの点であらわされる仮名点字をさします。つまり、漢字に相当するものや、ひらがな・カタカナの別がないのです。
 とはいっても、点字で漢字をあらわす方法がないわけではありません。8点で構成される漢点字と、6点の複数マスで構成される六点漢字があるのですが、ふたつの方式が並存しているために普及が進まず、まだまだ使っている人は少ないようです。

 仮名点字で点訳をする場合、漢字の読みや言葉の区切れがきちんとわからないと正しい点訳は出来ません。これが点訳最大の難題のひとつです。
 点訳・校正をしていると、ときどき笑っちゃうようなケースに出会ったりもします。
 点訳者が間違っていることもあれば、原本そのものがすでにおかしなこともあり、笑ってしまったり、あきれたり、困ったり、怒ったりすることもあります。

 「みずほ点訳」でも、ときどき「あれれ・・・?」というような文章や言葉にお目にかかります。
 その一部をご紹介します。新着順です。



  「おとこ」「おんな」

表の中に、「男正社員」「女正社員」という項目がありました。
「非正社員」も出てくるので、これは「男性社員」「女性社員」の漢字変換ミスではありません。
本来なら「男性正社員」「女性正社員」と書くところでしょうが、表なので、スペースも限られていますから、なるべく字数を少なくしたいのでしょう、「性」を省略したわけです。
…と、これは、漢字を目で見たときに抱く印象です。

目で見ると「男性」と「男」はそれほど違わない、というか、「男」は「男性」よりちょっと短いだけの省略形であり、質的な差異はないような気がします。
でも、これを点字に、あるいは音声にしたとき、「だんせい」という音と「おとこ」という音は、かなり違う印象を生みます。
今、ニュースなどで犯罪者を指すとき、「おとこ」「おんな」を使います。
被害者は「だんせい」「じょせい」で、犯人とはあからさまに使い分けがされています。
「おとこ」「おんな」という言葉には、そんなイメージがしみついてしまっています。

もちろん、それ以外にも、「おとこ」という和語と「正社員」という漢語の組合せが、ちょっと違和感がある、ということもあります。
普段聞きなれない言い方でもありますね。

そんなこともあって、「おとこ正社員」「おんな正社員」は言いたくないなぁ、と思うのですが、原本どおり点訳することが重視されていると、こう打たざるを得ません。

でも、「原本どおり」の意味は何だろうか?とも思うわけです。
もしかして、「おとこ正社員」と打つよりは、「男性正社員」と打ったほうが原本に近い、ということはないでしょうか?

by えむ

  「マジか!?」

点訳したものを読んでいたら、「モクヒョー■タッセイワ■マジカ!?」という文がありました。
目標達成を非常に疑っているらしい。
それにしても、若者言葉の普及は著しい…。

ややあって、「ん?」と思いました。
もしかして、「間近!?」か?
「し」に濁点が付いたら「真面目」の「マジ」、「ち」に濁点が付いたら「もうすぐ」の「間近」。
初歩的な点訳間違いですが、どちらでも意味が通ってしまうって怖いです。

by えむ

  翻訳が・・・

翻訳された宗教関係の本の点訳データを校正しました。
もとの英語の文章がどのようなものなのか、わかりようもないのですが、訳文がどうにも読みづらい。
日本語としてこなれていないというか、言葉の使い方がプロの翻訳者のものとは思えません。
あとがきを見てみたら、案の定、その宗教の信者さんの有志で翻訳されたもののようです。

「祈りと惑い・・・」
前後関係から解釈すると、「祈り、かつ、戸惑い・・・」ということらしいのですが、「と」がひらがななので、つい「祈りと、惑い」と読んでしまいました。
どうしてここに限って「と」だけ漢字で書いてくれないんでしょう?

「教会というより拡大された家族の中で・・・」
点訳者は「キョーカイト■イウヨリ■カクダイ■サレタ■カゾク・・・」と解釈しました。
校正した私は「キョーカイト■イウ■ヨリ■カクダイ■サレタ■カゾク・・・」と解釈しました。
前後を読んでも意味がよくわかりません。
でも、「イウヨリ」と「イウ■ヨリ」では、まったく意味が異なります。
せめて、適切な位置に読点でもつけてくれていれば・・・。

「天における愛はすべての地的喜びにまさり・・・」
墨字で読めばなんの問題もなくわかる文章です。
でも、点字で「チテキ■ヨロコビニ・・・」と書かれていたら、まず頭に浮かぶのは「知的喜び」だろうと思います。
せめて「地上的」などと書いてくれていたら・・・。
この宗教では「地的」という語は普通に使われているのだろうか、とか、点字で「チテキ」と読んで「地的」を思い浮かべるひとがどれくらいいるだろうか、とか、よけいなことを考えてしまいました。

「ばらばらの肢体」
点字で「バラバラノ■シタイ」と書かれていたら、どうしても「ばらばらの死体」と思っちゃいますが、これも翻訳者を責めても仕方がないですね。
漢字を読めば「死体」じゃないことはわかるわけですから・・・。
でも、やっぱり「バラバラノ■シタイ」と点字で読んだひとがどんなものを思い浮かべるか・・・考えちゃいます。

「・・・の用い方としては驚かるべきです!」
わかりづらい言い回しです。
「驚かるべきです」って、「驚くべきものです」という意味ですか?
あるいは、「驚いて当然です」という意味でしょうか?
普通このような言い方をしますか?
せめて「驚かるべきことです」とでも書いていただけるいいのですが、ひょっとしてこういった言い方は珍しくもなく、理解できないのは、私の国語力がないためだろうか、と思わず自信を失くします。

「真実な交わりを生み出すのは・・・あるがままに自分をさらけださせる誠実さです」
誰に「あるがままの誠実さ」を「さらけださせ」たいのでしょう?
自分が誠実であると言いたいのなら、「自分をさらけだせる誠実さ」ではないかと思うのですが・・・。
「さ」一文字のために、「自分をさらけだす」のがいったい誰なのか、わからなくなってしまっています。

「悪魔は、私たちの確信を揺さぶるために、架空なのに抵抗できなくする誘惑を怖がらせます」
意味のつかみづらい言い回しです。
ええと、悪魔が、誘惑を、怖がらせるんですか?
「誘惑で」なら、まだわかるのですが・・・。

「ワグナー」・・・人名です。
同一人物なのですが、なぜかほんの数行後には「ワーグナー」と書かれています。
また、「デピュテーション」という言葉(「宣教報告」というような意味のようですが)、これもほんの数行後には「デピュテイション」と書いてあるのです。
視線を数センチ動かすだけで気づくはずなのですが・・・。
翻訳から校正・出版までの間に、どなたも気がつかれなかったのでしょうか?

著者・訳者のちょっと変わった書き方や表現、あるいは出版社の不十分な校正などのためにたいへん点訳しづらいものが多々あります。
ごく普通の文章でも、点字にするとわかりづらくなるものが多いのですが、書いたひとの日本語表現のまずさによって、いっそう理解しづらいものになってしまうこともしばしばあります。
もう少し上手な日本語書いてよ、なんて思うことも。
もっとも、点訳する側から見てそう思うだけで、墨字で読んでいるぶんにはほぼ理解できることも多いので、著者・訳者にしてみればいわれのない難癖をつけられているようなものかもしれません。
でも、もう少し読みやすい日本語訳のほうが、信者さんも助かると思うのですけれど。

by Ten

  「よくわかりません」

前記の「おとーさん」と同じような悩みなのですが…。
たとえば、そこにいた人に「郵便局はどこですか?」と尋ねたら、相手が「すみません、よくわかりません」と答えたとします。
まあそれは普通にあることで、郵便局の場所を知らない人がいても不自然でもなんでもありませんね。

ところが、原本には、実は「スミマセン、ヨクワカリマセン」とカタカナで書いてあるのです。
原本の表記を見た人は、ここで、ああ外国人なのか、と思うでしょう。
墨字では、片言の日本語を表すのに、よくカタカナが使われます。
滑らかでない発音を表すのに、カタカナの硬いイメージがよく合うんですね。

片言の日本語を話す外国人だとすると、「よくわからない」のは、郵便局の場所ではなく、質問の意味、日本語だった可能性もあります。
外国人だと書かれていなくとも、それは読者の頭の中にイメージとして残り、それを前提として物語が進行していったりします。

でも、1種類の仮名しかない点字では、これは伝えられません。
たとえ外国人だと書いてあったとしても、とても流暢な日本語で答えてくれたような印象が残ります。
ほんとは違うのに…、ほんとはカタカナなのに…、ほんとは片言なのに…、どうにも心残りです。

by えむ

  「おとーさん」

「もー、キンチョーするなあ」「どーせ読んでるんでしょ? おとーさん」…。

これは、父親が盗み見た娘の日記、という設定の文章です。
(音声で読んでいらっしゃるかたのために言い添えますと、「もー」は「も」のあとに「う」ではなく長音符、「キンチョー」はカタカナで、しかも最後は長音符、「どーせ」や「おとーさん」も長音符が使ってあります)
墨字でこう書くと、学校の国語の時間には、先生に叱られたりバツになったりしますね。
でも、若い女の子たちは、日記や友だちへの手紙ではよくこんなふうに書くので、こう書くことで、わざわざ言わなくても、書き手が若い女の子だということが読者にわかるのです。
「甘え」と「軽さ」がないまぜになったような雰囲気が伝わってきます。

ところが点字では、これは普通の書き方ですよね。
平仮名とカタカナの区別はありませんし、漢字もなく、墨字で「う」で書き表す長音は長音符を使うことに決まっていますから、「もう、緊張するなあ」「どうせ読んでるんでしょ? おとうさん」は、まさに冒頭のように書くことになります。
…ということは、せっかく女子高生っぽく書いたのに、点訳してしまうと実に普通になってしまって、作者の苦労が水の泡。
この表記を見て、女子高生かなんかが書いたんだろう、と想像するのは難しいわけです。
もちろん、言葉づかいや内容からの推測はできますが、表記の特徴を伝えることはできません。

それじゃあ、面白くもなんともない。
だって、この話、若い子が書いたと読者に思わせておいて、実は…、というオチのある話なんです。

…伝えられないことって、いろいろあるんですね。

by えむ

  ユーキ

仮名点字では、同音異字語の区別はいつも難しいのですが、文中であれば、前後の文脈から推して何とかわかっていただけるのではないかと思うことが多いものです。
いちいち註がついているとうるさくて読めない、とよく言われるので、どうしても誤解されそうなところ、それが正しく伝わらないと問題が生じるところ以外は、あまりつけません。
ところが、脈絡なくポンと出てくる言葉、たとえば短いタイトルなどは、うーん、わかるかなぁ、どうかなぁ、とよく悩みます。

井上靖の短篇に、仮名で書くと『ユーキ』というのがあります。
このタイトルを読んで、どういう話を想像しますか?
「ユーキ」を頭の中で漢字変換すると、まずは勇ましい気持ちの「勇気」が思い浮かぶでしょう。
有機化学の「有機」とか、紬で有名な茨城県の「結城」もありますし、あるいは人名(姓名どちらもありますね)かもしれません。
読者は、勇ましい物語だと信じて読み始めるでしょうか。
でなければ、何だかわからないよなぁ、と思って、でも少し読んでいけばわかるにちがいない、と思って読み始めるかもしれません。
もしかすると、何だかわからないから読まない、という人もいるかもしれませんね。

実はこの話、本能寺の変前後の明智光秀の物語です。
勇気を奮い起こして信長を討つ、という話だと思うこともできます。
でも、少し読み進んでもあまり勇ましくなくて、確信を持つことはできないと思います。
「ユーキ」という言葉はなかなか出てきません。
半分読んでも、8割読んでも、まだです。
この言葉が登場するのは、最後の最後です。
追っ手に追われて疲れ果て、疑心暗鬼になった光秀が、以前、結果的にだまし討ちにした一族の幻を見て、「ユーキ!」と叫びます。
ここまで来て、ああ、「ユーキ」って、幽霊の幽にオニと書く「幽鬼」だったんだ!とわかっていただける可能性は、あることはあります。
でもこの言葉、日常的に使う言葉ではありませんから、思い当たらない可能性も大です。
そうなると、最後まで読んでもタイトルの意味がわからないかもしれないのです。

最初にタイトルに註をつけて説明するのが親切でしょうか?
でもそれでは、あまりに無粋でしょうか?
点訳者は最初に漢字を見てしまうので、仮名だけで読むとどのくらいどうなのかが想像しにくく、考えれば考えるほど答から遠ざかっていく気がします。
さんざん迷ったあげく、内容は伝わるのだから、たとえタイトルの意味がわかりにくくても、決定的な問題にはなるまい、と、何もつけずに不親切に徹しましたが、間違った選択だったかもしれません。

by えむ

  外国語の表記

外国語のミュージシャン名や曲名が頻繁に出てくるものを点訳する機会がありました。
全体的な概説と、ミュージシャンや曲の一覧表、ミュージシャンについての解説などで構成されているのですが、それぞれ書き手が異なっているせいか、微妙に表記が違うのです。
Martinさんは、マーチンだったりマーティンだったり、Williamsさんはウイリアムスだったりウィリアムスだったり、あるいはウィリアムズだったりウイリアムズだったり、Peanutsがピーナツだったりピーナッツだったり・・・。
分冊点訳だったので、もうひとりの点訳者と話し合い、それぞれの書き手の意向通りにする、ということにしました。
同じ人物でも、ウイリアムスと書いてあれば点訳でもそう書き、ウィリアムスであればやはりその通りにする、ということです。
しかし、墨字で見る分にはそう大きな差はないのですが、点字にすると、ウイリアムとウィリアムの違いはかなり大きい。
ウイリアムスは、点字でも「う(1・4の点)」で始まりますが、ウィリアムスは2・6の点からです。
表記を統一してしまったほうが読みやすいに違いありません。
とはいえ、ウイリアムス、ウィリアムス、ウイリアムズ、ウィリアムズ、といった表記のうち、どれが正しいかなんてことは決められません。
もともとWilliamsという外国語を耳で聞いて、無理矢理日本語の発音をあてているだけなので、ウイリアムスと聞こえる人もウィリアムスと聞こえるひともいて当然なのです。
それでも、書き手がひとりなのに表記に混乱があるときは、どこかで妥協して表記を統一しても許されるかなあ、とも思います。
でも、書き手が違うということは、それぞれに多かれ少なかれこだわりがあるのだろうと思うと、そう簡単には統一できない気がします。
こういったことは出版するところで表記を統一してくれるのが一番いいんですけど、きっと出版社も、書き手の意向やこだわりを無視することができないのだろうな、と思ったりします。
もっとも、墨字で読んでいる限りはさして気にならない程度の違いですから、出版する側もたいして気にかけていないのかもしれません。
こんなことで悩んでいるのは、点訳者ばかりです。

by Ten

  ルビ

小学生向きくらいの本を点訳しました。
少し難しい漢字にはルビが振ってあります。
このルビがときどきおかしいんです。
「もの悲しい」が「ものかなしい」になっていたり、「上り坂」が「のぼりさか」になっていたり。
絶対に間違いとはいえないけれど、普通は「ものがなしい」とか「のぼりざか」って言わないかな、と思いつつ、とりあえずルビどおりに点訳しました。
点訳したのは文庫版です。
校正を担当してくれたひとが、比べてみるね、といって、図書館から単行本を借りてきてくれました。
もちろん、単行本が先に出版され、その後文庫化されたのです。
比べてみてびっくり。
単行本ではちゃんと「ものがなしい」「のぼりざか」になっているのです。
単行本のときの間違いを、文庫化するさいに修正するというのはわかります。
でも、単行本から文庫化するときに、わざわざあまり一般的でない言い方に変える、というのは解せません。
どう考えても、わざわざ変える理由が見当たりません。
文庫化の際、著者はもんくを言わなかったのでしょうか?
出版社の校正係か誰かが、自動的に漢字にルビを振るソフトかなにかでルビをつけ、見直しもせずに出版したのでしょうか?
それとも、この出版社の偉いひとが、「ものかなしい」や「のぼりさか」が正しいと思っている人だったのでしょうか?
真相はわかりませんが、あとで出版されたものが、先に出版されたものより悪くなる(というほどではありませんが)なんて、不思議なことです。

by Ten

  『あっ野麦峠』

これはきっと間違っているんだろうな、と思われる文があります。
そのままでは意味が通じないばかりか、読むこともできないことさえあります。
目で読む読者に対しては、どんなにヘンだろうと発音できなかろうと放っておくことができますが、点訳するにはものすごく困ります。
でも、不謹慎な言い方かもしれませんが、何がどう間違ってそうなったのか推理するのは、なかなか面白いことです。

先日は、とある広報誌の、福祉施設を見学に行った人の感想文の最後に、「さわやかな飲音を胸に順路についた」というのがありました。
きっと「帰路についた」の間違いだろう、と思いましたが、その前の「飲音」が読めません。
しばし睨みつけているうちに、ようやく見えてきたような気がしました。
もしかすると、これは「余韻」ではないのか…?
この原稿を書いたのは、多分年配の方でしょう。
恐らく、手書きの原稿です。(手書きなら「帰路」が「順路」に見えてしまうことはありそうですね)
そしてさらに、旧字で書かれていたのではないでしょうか。
「余」の旧字は「餘」、「食べる」という字の偏が付きます。
編集者(あるいは印刷屋さん)は若い人で、そんな旧字をご存じなかったんですね。
少し崩して書いてあると、旁の「余」と「欠」は似ていなくもありません。
編集者が知っている一番近い字が「飲む」という字だったわけです。
一方、「韻」のほうは、「音」の部分は読み取れたのでしょう。
旁は、やはり崩してあって、まるで失敗して、クチャクチャッと消したような感じに見えたのかもしれませんね。
……と、これはあくまでも勝手な想像でしかありません。

そういえば、ずっと以前、『あっ野麦峠』という印刷にびっくりしたことがあります。
これはもちろん、かの有名な『ああ野麦峠』だったのですが、原稿には「あ」の次に「踊り字(ゝ)」が書いてあったんですね。
若い印刷屋さんが「踊り字(ゝ)」を知らなかったのでしょう。
そういわれてみれば、「踊り字(ゝ)」と小さい「っ」は、形がよく似ています。

それにしても、ほんの1字の違いで、「哀史」がパロディみたいになってしまって、野麦峠もビックリですね。

by えむ

  ほんとにこれでいいの?

臣下に実権を握られて悔しい思いをしている皇帝の描写です。
「彼は唇を無神経にふるわせた」
ほんとに「無神経に」でしょうか? 私は「神経質に」だと思うのですが・・・。
悔しい思いをしながら「無神経」でいられてしかも唇をふるわせる、なんてなんだかヘン。
でもはっきり「無神経」と書いてある以上、勝手に変えるわけにもいきません。

「母親の激情をながめすかすことのみが・・・・」
お母さんはものすごく怒っているので、息子はなんとかなだめたい、と思っているという内容なのですが、出てきた言葉は「ながめすかす」。
「眺めすかす」という言葉があるのかどうかわかりませんが、言葉どおりに解釈すれば、「宥める」のではなく、知らん顔して眺めてやり過ごそう、というニュアンスです。
「なだめる」と「ながめる」は仮名で書くと一字しか違いませんが、漢字にすれば「宥める」「眺める」なのではっきりちがいます。なのにこんなときに限って漢字を使ってくれないのです。
この息子さんは怒りまくるお母さんの意に沿うべく、それまで努力してきたのに、いざとなったら「眺め」てしまうんでしょうか?

宇宙空間で戦艦を擁して戦争をしているところです。敵味方とも大艦隊を編成しています。
「惑星の大気が艦隊を支えぬ以上・・・・」
「艦隊三箇所の脱出口から・・・」
この二つの「艦隊」はもしかしたら「艦体」なのでは?と疑っています。
とくに後者は、編成された艦隊の中の三箇所の脱出口って、なんだか変で・・・。
でも点訳してしまえば同じだし、これもまた絶対とも言えないので、疑惑を感じつつも「ま、いいか」ということになってしまいます。
たぶんパソコンでの変換間違いなんでしょうけれど。

「すでに飽和した彼の処理能力が破産することは明瞭であった」
ほんとに「破産」?
「破綻」じゃないの?
「彼」は、いろいろな権力を抱え込みすぎてにっちもさっちもいかなくなっているんです。
でも別にお金に困っているわけじゃありません。
「破産」ってこんな場合にも使いますか?
少なくとも私は、金銭的にどうにもならなくなった場合にしか「破産」って使わないんですけど。

それがたんなる校正の見落としや誤植なのか、作家があえてそういう表現をしたいのか、どうもよくわからない言葉を、ことに最近よく見かけます。
こんな日本語、ないよなあ、と思っても、こちらもあらゆる日本語表現に通じているわけではありませんから、なかなか断定はできません。
パソコンの変換間違いに、言葉そのものの変化、作家のお好みの表現など、なんだか変だなあ、と思いつつどこかで妥協するしかなくて、ちょっと消化不良気味の点訳になってしまうことも多いのです。

by Ten

  Miss? Mrs.?

デフォーの『ヴィール嬢の幽霊』というかなり古い作品を紹介した文章に、原題が書いてありました。
それがなんと "A True Relation of the Apparition of one Mrs.Veal" なのです!
これは、どう考えても間違いでしょう?
「嬢」なんだから Miss でなければ。
それでもまあ一応確かめようと、調べてみると・・・
なんとなんと、原題は確かに Mrs.Veal なのです。
邦訳はいくつか出ていて、『ヴィール夫人の亡霊』(岡本綺堂訳)とか『ミセス・ヴィールの幽霊』とか『ヴィールの幽霊』とか・・・。
ええーっ? そんなぁ!
確かに誤植の多い本ではありますが、こんな、本のタイトルなんかを、しかも何回も出てくるのに、こんなふうに間違えるとも思えません。
ってことは、『ヴィール嬢の幽霊』という邦題も存在する、ということなのでしょう。
わぁ、調べもせずに Miss にしなくてよかった!
それにしても、どうして? こういうややこしい邦題をつけたのは?

by えむ

  覚醒剤

いろいろな小説の書評を集めた本の目次です。
ある記事の副題に、「非現前性へのいざないからの覚醒剤」とありました。
「非現前性へのいざない」・・・難しい言葉ですね。
「覚醒剤」?・・・まあ、わからないこともないけれど、ちょっと違和感が・・・。
念のために、本文を確認すると、「非現前性へのいざないからの覚醒」でした。
記事は複数の筆者が分担して書いています。
目次を作ったのは、多分、出版社の人でしょう。
PCで「覚醒」という漢字を出そうとすると「覚醒剤」と入れて「剤」を消すのが一番手っ取り早いのでしょうね。
あっ、急いでいたもんで、消すの忘れちゃった!
そんな作業風景を彷彿とさせるような「覚醒剤」でした。

その本には、きっと間違い、多分間違い、という語句がいくつもありました。
「厳密なカトリック教徒の家に生れた」・・・うーん、「厳密なカトリック」って・・・「厳格な」じゃなくて?
「恐る気力もない臆病者」・・・えーと、それは「怒る」じゃないの?
アリスの話に出てくる「三目兎」・・・そんな兎出てきたっけ?・・・あ、「三月兎」なら出てきた!
「役所の祭口の女事務員」・・・「祭口」ってなんだろう? 「窓口」ならよく知ってるんだけど。

こういう疑惑満載の本というのは、それはそれで面白いんですが、点訳するときにはやはり困ります。
漢字を見れば、ああ、手書きの原稿が崩して書いてあったので間違えたんだな、などと推測できるようなところでも、仮名で書いたのでは推測の手がかりが全然ありません。
漢字を抜きにして考えると、「みつめ」と「3がつ」はあまり似ていませんからね。
といって、絶対間違い、と言い切る根拠もなくて、ひとりでジタバタしてしまいます。

by えむ

  ハントウアカネズミ

墨字原本の間違いをどうするかは、いつも悩みの種です。
原則として、はっきりした間違いは直してしまうことが多いのですが、かなりヘンだと思っても、間違いと言い切れないことは多々あります。
この間も、「ハントウアカネズミ。中国東北部、朝鮮、ロシア西部に分布。」という記述に、釈然としない思いでした。
ハントウアカネズミが何を考えているかわかりませんが、私から見ると、ずいぶん不自然な棲息域です。
「ロシア東部」と言ってくれれば、心安らかにいられるのになあ。
でも、「西部」を否定する材料が見つからず、結局そのままにしてしまいました。
そのときは、読者が小学生だったので、できれば正確な情報を伝えたい、という気がしたんですが。
小さいときに最初に入ってしまった情報というのは、あとから訂正が難しいものですからね。
いまだにのどに小骨がひっかかっているようで、気になって仕方のないハントウアカネズミです。

by えむ

  本塁打

野球はもとがアメリカのスポーツですから、カタカナの言葉が多用されています。
ところが、新聞記事や「選手名鑑」などは、スペースが非常に限られているので、カタカナでは場所をとり過ぎます。
そこで、戦時中でもないのに、「ホームラン」は「本塁打」、「コントロール」は「制球力」と漢字で書くことによって、字数を減らしています。
「投手」「捕手」「野手」などは、口に出して言う機会も多く、聞き慣れていますが、たとえば中継放送などで、「あっ、遊撃手が失策!」なんて言うことはあまりないですね。
でも墨字では、「ショート」は4文字、「遊撃手」は3文字。
「エラー」は3文字、「失策」は2文字。
1字でも少ない方が、たくさんの内容が書けます。
記者さんの苦労が読み取れますね。

ところが、これを点字にすると、「ショート」は4マスなのに「ユーゲキシュ」は7マス、「エラー」は3マスなのに「シッサク」は4マス、「ホームラン」は5マスなのに「ホンルイダ」は6マス、「コントロール」は6マスなのに「セイキューリョク」は8マスで、逆転してしまうのです。

墨字には墨字の事情があります。
点字にしてしまうと、何の意味もなくなることなのですが、点訳というのは、原本の墨字を点字に変えることなので、墨字の表現を勝手に変えてしまうわけにはいきません。
その結果、わかりにくくて、マス数だけが無駄に多い点訳物が出来上がるのですが、これって仕方ないことなんでしょうかねえ?

by えむ

  外国の地名

ポヒョイエスプラナディ、ヘムスロイズストゥーガン、トルガルメンニンゲン、クングストラッドゴーダン・・・・
これらはみな北欧諸国の地名です。
たまたまスカンジナビア諸国に関する点訳物の校正を担当する機会がありました。
原語の音をカタカナにしたものを点字で表すと、長いものだと12〜13マス以上にもなってしまいます。
どこか切ってもいいところがわかればいいのですが、併記されている言語のスペルもみな一続きで、切れそうな箇所などさっぱりわかりません。
英語の地名で、サウスカロライナなんて一続きで書いてあっても、「サウス」で切ってよかろう、というのは常識的にわかりますけれど、まったく知らない、馴染みのない国の言語の切れ続きなんて予想もつきません。
墨字で見ていても一度もつっかえずに読むのは難しいような、こういった地名を点字で読んだら、最後の文字に行き着くころには最初の文字を忘れているんじゃないか、なんて心配してしまいます。
ちなみに、最後の地名の「ゴーダン」というのは、どうやら「ガーデン(庭)」のことであるらしい、ということが判明したのですが、その前の語がどういう意味・文法的要素なのかわからないので、結局原本表記通り一続きに書く、ということになりました。

by Ten

  幸兵衛さん

「こうべえ」なのか、「さちべえ」なのか調べようと思って、インターネットで検索しました。
すると、「幸兵衛」自体のルビは見つけられなかったのですが、ホームページのアドレスの中に「kobei」という表記が見つかりました。
「ええっ!?こうべい?」
幸を「こう」と読むことはわかったものの、今度は「兵衛」が「べい」かもしれない可能性が出てきてしまいました。
しかし、どう考えても「兵衛」は「へえ」で、「へい」ではありません。
後日やはり「こうべえ」であることが判明したのですが、同時にアドレスの表記をあてにしてはいけないことがよくわかりました。
インターネットのアドレスが、点訳のために便宜をはかってくれるわけはありませんよね。

by Ten

  あら探しかな?

ある民謡について。
「哀調を帯び、どこか物悲しい旋律・・・」
「哀調を帯びる」と「どこか物悲しい」には、どれくらいの違いがあるのでしょうね?
国語辞典によると、「哀調」は、「物悲しい調子」と出ていました。
ふつうに読めば、さほど気にもとめず、読み過ごしてしまうような記述ですが、点訳者は、同じものを何回も読むので、ついついこういったところにひっかかってしまいます。
こんなところであら探しをされるのでは、原本の書き手もお気の毒なことです。
繰り返して強調したいほど、物悲しかったのかな?

by Ten

  川岸

「高原川(たかはらがわ)」というのが、川の名前です。
その川岸のことを言いたいのです。
で、「高原川岸」。
意味は、漢字を見れば一目瞭然ですよね。
でも、点訳するとなると・・・・、
「タカハラガワギシ」?「タカハラ■カワギシ」?「タカハラガワ■キシ」?
書いた方がどう読まれるのか、知りたいところです。

by Ten

  長細い

「長細い」は、なんて読みます?
ちっとも知らなかったんですが、実は、名古屋では「ナガボソイ」なんだそうです。
名古屋出身ではない私は、ものごころついて以来「ナガホソイ」と読んでいたんですが、校正の段階で、濁るのではないかという意見が出て慌てました。
辞書を見ると、大辞林は「ナガホソイ」で載せています。
三省堂国語辞典は「ナガホソイ」を主に、「ナガボソイ」を従にしています。
だからまあ、「ナガホソイ」でいいかとは思うのですが、読者が名古屋の人だと、これは間違ってる! と思うでしょうね。
こんな普通の言葉、誰も辞書なんて引いてみないし・・・。
この手の違いは、きっとたくさんあるんでしょう。
大きく違う言葉なら、方言ということで、面白おかしく取り上げられることもあったりして、却ってはっきりわかるのだけれど、濁るかどうかなんて、よほど気をつけて聴いていないとわかりませんものね。
何年も名古屋で暮らしても、気がつきませんでした。
日本全国一律の言葉になってしまうのは、世界中が英語を使うようになるのと同じくらいイヤですけど、でもこんなふうに、ちょっと困ることもありますねえ。

by えむ

  部屋数

ホテルの客室数について。
「和室29室、和洋室3室、全29室」
計算、合ってませんよね?

by Ten

  営業時間

ある寒い地方のお店の営業時間案内。
「9時から16時(冬期は8時30分から17時)」
ほかのお店が冬期は営業時間を短くしたり、休みにしたりする中で、このお店だけ冬の営業時間が長いのです。
商売熱心、と感心していたら、後日、この冬期の時間はまったくの間違いであることが判明。
こういったことは、点訳者の責任の範疇ではないようにも思うのですが、といって、これを読んだ人が、お店に行ったら閉店していた、ということになっても困ります。
どこまで確認すればいいんでしょう?

by Ten

  お祭り

岐阜県白鳥町のお祭りについての記述。 「花奪い祭りの異名がある」
「花奪い」は「はなうばい」と何の疑いもなく読んだところ、あとで「はなばい」と読むことがわかりました。
他の言葉には比較的多くルビがついていたのに、この言葉にはありません。
ひょっとして、書いた人も「はなうばい」だと思い込んでいたのではないか?と疑ってしまいました。
こういう言葉こそ、確かなルビをつけて欲しいのに、なんて思ったりします。

by Ten

  地名

難しい漢字はもちろん、簡単な漢字を使っていても、地名や固有名詞は、思いがけない読み方をするものが多いので、要注意です。
「岐阜県清見村大原」、たいていの人は「ぎふけん きよみむら おおはら」と思いますよね?
ところが、「大原」は「おっぱら」と読むと知ってびっくり。
「高山市有楽町」の「有楽町」は「ゆうらくちょう」か「うらくちょう」か?と思って調べたら、「うらまち」なのでした。
思い込みで、調べもせずに点訳してしまったら、たいへんです。

by Ten

  どうでもいいこと

点訳をしていると、妙なところでひっかかります。
普段の生活では、全然問題にならないこと、はっきり言ってどうでもよいことで躓いてしまいます。
先日も、「潅漑用水路」というのが、潅漑/用水路なのか、潅漑用/水路なのか、さんざん悩んでしまいました。
どう思います?
その答えが出ないと点訳は完成しません。
でも、実にどうでもいいことなんです。
だから、誰も真剣に悩んでくれません。

by えむ

  電子レンジ使用のてびき

蒸しものを温めるとき、「器の下にキャベツやハクサイをしいて加熱すると、下が水っぽくならず、キャベツ・ハクサイも食べられます。」
間違いじゃありませんよね。
でも、どこにキャベツを敷くか、ちょっと考えてしまったのは私だけ?

煮物を温めるとき、「容器に入れてラップかふたをし、煮汁をかけて加熱します。」
これは、やりたくないですね。
多分、誰もやってみないから、いいんでしょうけど・・・。

わかりやすい文を書くのはなかなか難しい。
こういうものについては、点訳者は、日本語の先行きを、あるいは、電子レンジの中を憂えながら、原本どおり点訳するだけですが。

by えむ

  参考書なのに・・・?

国家試験に向けての参考書に、学校教育法の条文が引用されていました。
法律というのは、意味を正確に規定しなければならないので、どうしても文が複雑になります。
さらっと読んだだけではよくわかりませんでした。
ひとつの条文の中に括弧で括られた、これこれを含む、とか、なになには含まない、とかいう部分が何箇所もあります。
それを抜かして読めば意味がわかるかな、と思って読み直してみたら・・・、なんかヘン。
どうも勘定が合わない。
括弧の開き、閉じ、開き、閉じ、・・・とやっていくと、どうしても閉じがひとつ余るのです。
しかも、どこが足りないのか、あるいは多すぎるのか、推量できないのです。
もとの条文にあたれば、もちろんすぐわかることで、これは修正しました。
ちょっとした誤植ではあるのですが、こういう参考書で勉強する受験生って気の毒。
それとも、却って力がつくのかな?

by えむ

  おかしな日本語

次の文章を読んでみてください。なんだか変でしょ?
1冊の本の中で見つけた「おかしな日本語」のほんの一部です。
こんな本を出版してしまう出版社があるなんて・・・。

「比企能員(ひき よしかず)は北条政子の父・北条時政を滅ぼそうとするが、逆に時政に殺害され、当時6歳だった一幡を含めて100余名を謀殺し、比企一族を一気に攻め滅ぼしたのだった」
・・・比企一族を攻め滅ぼしたのは、いったい誰なんでしょう?

「休耕庵とは、仏乗禅師が修行や詩を作った場所で・・・」
修行って、どうやって作るのか、悩みました。

「白旗神社参拝なども参拝してみたい。」
どんな方が校正されたことやら・・・。

「日本にはじめてハム作りが伝わった制法を守りつづける」
「日本にはじめてハム作りが伝わった当時の制法・・」とでも言いたかったのでしょうか?

「鎌倉宮には、悲しい親王の人生に参拝者は心打たれる」
何回読んでも意味がわかりませんでした。

繁盛しているラーメン屋さんについての記述。
「毎日人数分しか作らないので、品切れになることも。」
何の人数分? こういうときって、「決った人数分」とか「一定の人数分」とかって言いません?

by Ten

  ナオコさん

よく知られている推理小説のシリーズ。
主人公の警部の奥さんの名前が「直子(ナオコ)さん」というのですが、同じ小説中に「尚子さん」という女性が登場しました。
普通この名前は「ナオコ」か「ショウコ」と読みますよね。
すでに登場している警部の奥さんと同じ発音の名前なのであれば、何か伏線があるのかもしれません。
だったら「ナオコ」と読んで、警部の奥さんとは違う人物であることを断らなくてはなりませんし、もし何も伏線がないのならむしろ「ショウコさん」と読んでしまったほうがわかりやすくなります。
あれこれ考えながら点訳していくと・・・・結局「尚子さん」のほうは、一度名前が登場したきり、二度と出てきませんでした。
推理小説に同じ読み方をする名前の二人の人物が出てきたら、たいてい、何かある、と思いますよね。
作者は漢字が違うからかまわないと思ったのかもしれませんが、点訳する人間は悩むんです!

by Ten

  年齢詐称だ・・・

小説の主人公。年齢は、書類によると28歳です。
4ヶ月前には25歳でした。
さらに2年前にも25歳でした。
でも、主人公に年齢を詐称する必要って、どう見てもないんですよね。
翻訳小説なので、誰が間違えたのか分からないのです。
印刷やさんが間違えたのか、翻訳者が間違えたのか、作者が間違えたのか・・・。
この場合、点訳者が間違えたわけではないことは、点訳者には分かっているけれど、読む人にはやっぱり分からない。
読者から見れば、一番間違えそうなのは点訳者なんだろうな・・・。

by えむ

  架空の世界を描いた物語で

全部で3巻の物語。第1巻では、北の方にあったはずの国が、2巻目では、南方の国になっている!
いくら架空の世界だからって、国が移動しちゃうわけがないだろうに、と思って、同じ本の別の版で 確認してみると・・・、南の国に統一されていました。
こういった間違いを、点訳者が訂正してしまっていいものか、原本どおりが原則なのだから、あくまでもその通りにするべきか、迷うところですが、一度間違いに気づいてしまうと、知らん顔をするのもなんだか落ち着きません。
このケースでは、物語全体に関わってくる事柄だったので、思い切って、「南の国」に直してしまいました。
こういった場合、「みずほ点訳」では、巻末に、点訳者の判断で訂正した旨、書き添えておきます。

by Ten

  この?

同じような例で「子の」というのがあります。 例えば、先に徳川家康のことが出てきたとして、そのあとに「子の秀忠が・・・」なんていうとき、 文脈によっては、連体詞の「この」でもちっともおかしくない場合も多いのです。
必要があれば「子供の」と書き換えることも考えますが、とくに誤解は生じないと判断して、そのままにすることが多いと思います。
でも、やはり、ジレンマが残りますね。

by Ten

  でわ?

民俗学をテーマにした推理小説。
「出羽湯殿山に伝わるミイラをご存知ですか」という文章の「出羽」の部分は、点字にしてしまうと、 「それなら」「それでは」の意味の接続詞「では」と区別がつきません。
点訳のルールで、接続詞の「では」は「デワ」と表記するので、「出羽→デワ」と同じになってしまうからです。
前後関係からみても、接続詞と思って読んで、ちっともおかしくないのです。
仮名点訳ではこういったことがよくあります。
内容を理解するのに支障をきたすようであれば、点訳者挿入符を使って説明を入れますが、そうでなければ、スムーズに読めることを優先し、説明はしない場合が多いのですが、でも、本当はきちんと伝えたいなあ、と思っています。

by Ten

  「ね、へんでしょ!」

点訳をはじめてから、辞書は手放せなくなりました。学生時代も、こんなに使った? というくらいです。で、大発見!?というかなんというか。
三省堂 新明解国語辞典 第5版、「衛」の項の用例に、『――通信』『――放送』とあるんです。
ね、へんでしょ!
しかも『――通信』には、通信用の人工衛を云々、『――放送』には静止軌道上の放送衛・通信衛が云々という説明があるんです。
ね、へんでしょ!

by びー

  「七分袖」「質屋」

・・・名古屋の人は、これを「ひちぶそで」「ひちや」と読むのです。
点訳した人は、疑いもなく「ヒチ」と打ちました。
でも、名古屋の人しか読まない点訳物ならいいのですが、一応は不特定多数の人が読むことを前提にしていますので、やはり「7ブソデ」「シチヤ」にすることに。
でも、全編名古屋方言の本を点訳するときは、もちろん「ヒチ」でいきましょう。

by Ten

  翻訳物の推理小説

登場人物に「ナン」という名の女性が登場します。
カタカナで読んでいるとあまり気になりませんが、点訳すると「なんがなんだっていうの?」とか 「なんは『なんですって!』といった」となってしまいます。
読めばわかる、とは思うものの、ちょっと困る・・・。

by Ten

  少年向けSF

「木の間越しに」というのをどう読むか?
点訳した人は、「きのあいだごしに」、校正者の一人は「このまごしに」。
点訳したひとと、もうひとりの校正者は、「この作家はそんな文学的な表現は使わないよー」。
で、「きのあいだごしに」に決まりました。

by かっとび

  専門家って・・・ Part.2

鎌倉の歴史についての本。
「・・・頼朝の死後、頼朝を幽閉し・・・」
死んじゃった人を幽閉されても・・・。
これは、頼朝の息子の頼家の間違いと判断し、訂正することにしました。

by Ten

  専門家って・・・

歴史の専門家を自称している筆者の、あきらかな間違い、というのは困る、というか、少々あきれます。
名古屋の歴史に関する本。
「・・・享保13年(1728)三代将軍家光の上洛の際に・・・」
1728年には、家光はとっくに死んいでます(8代吉宗の時代です)。
こういった記述で困るのは、間違っているのが、年号なのか、人物名なのか、わかりようがないことです。
著者の間違いとしてそのままにしましたが、心残りなので、巻末に「間違っていると思います」って、書き添えてしまいました。

by Ten

  できない工作

子ども向けの工作で、本には図入りの説明がなされていました。
点訳書では言葉だけで説明しなければならないので(このときには点図は使いませんでした)、どうやって説明したらわかりやすいかな?とかんがえていると、おや???ということに気がつきました。
本に書いてある通りにやろうとすると、できないじゃないかっっ!!
いったいどうすればいいの?

by ムーミン

  読んではいけない言葉 Part.2

池上彰著『日本語の「大疑問」』の中に「埼玉の『吉見百穴』を何と読む」という見出しがあります。
何と読む?と言われても・・・。
この見出しのもとに、ヒャッケツなのかヒャクアナなのかの議論が展開されるわけですから、この段階で読んでしまうわけにはいかないでしょう。
これは伏せ字で表記し、点訳者注で漢字の説明を加える、という形で逃げましたが、本当はどうするのがいいのでしょうね?
漢字かなまじり文である日本語をかなだけで表そうとすると、どうしても無理が生じることがあります。
漢字という表意文字に、しかも複数の読みを与えて使い分けたり、そのことで遊んだりしている日本語ってすごいなぁ、と感心しつつ、ちょっぴりうらめしく思ったりします。

by えむ

  読んではいけない言葉

たとえば、内田康夫著『白鳥殺人事件』。
このタイトルは本当は読んではいけないのです。
本の表紙では、「殺人事件」の部分にだけルビがふってあります。ということは「白鳥」は読みを特定してほしくないということでしょう。
実は、殺害された人物の残したダイイングメッセージが「白鳥の」という血文字だったのですが、これをなんと読むのかがわかると、謎の半分は解明されてしまう、という事情がありまして・・・。
とはいえ、本のタイトルを読まない(かな書きしない)わけにはいきませんよね。
結局、この血文字を見て、最初に警察や第一発見者が考えた「ハクチョウ」を使わせていただくことにしました。

by えむ

  お話、お放し

お母さんが子供に聞かせてあげようと探してきたお話を、猫がくわえてひっぱります。
お母さんは、大事なお話を取られてはなるまいと「こら、お話、お放し!!」という、お話。
なにも説明せず、この愉快な一文を読んでいただくのがいちばんいいのですが、ここに野暮な説明を加えないとならないのが、点訳の泣き所です。
でも、この文章は何度も読み返し、さんざん考えた末、なんとかわかっていただけるのではないか、と判断し、注釈無しにしました。

by Ten

  後ろに続くのは・・・?

ある観光ガイドの本。
昔から多くの人が訪れる保養地だったところについての記述。
「後続や、華族が多く訪れるようになった・・・・」
後続って、誰が後ろについてくるのかなあ? と考えることしばし。
そのあとの「華族」という字を見て、はたと気がつきました。
これって「皇族」の間違い?
ワープロが使われるようになってから、このての間違いには、よくお目にかかります。
単純な変換間違いですが、それにしても天下に名だたる大手出版社G社の本がこんないい加減な校正で出版されているとは・・・。ほんとにプロの編集者?

by Ten







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