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宅配便

昨年末、某スーパーマーケットのネット宅配を頼みました。12月26日です。大晦日やお正月に食べるものを少しまとめ買いしておこうと思ったのです。
配達指定時間の27日の夕方、配送のひとから電話がかかってきました。
「道路の渋滞がひどくて、指定の時間に届けることができそうにありません」
その日、私の住む地域は大雪でした。除雪が追いつかず、あっちこっちで車が立ち往生していました。そのうえ年の瀬で、配達しなければならない荷物の量も、ふだんよりずっと多かったはずです。
私が注文したものは、何が何でもすぐに必要というようなものではなかったので、指定時間は気にしないでいい、と言いました。
それからしばらくしてまた電話がかかってきました。
どうやら、渋滞はひどくなるばかりで、この分だと届けるのは真夜中になりそうだ、と。
それで私は、もし配達する方がかまわないのであれば、届けるのは明日でもいいです、と言いました。
相手の返事が「助かります」というものだったので、明日の配達希望時間を決めて、なにげなく、注文した品物はこういった場合どうなるのか、と聞いてみました。寒い時期なので、ひと晩くらい配送車の中に入れっぱなしでも大丈夫だろうと思ったのです。
ところが、届ける予定が一日変更になった場合、お店に戻って全部の品物を新しいものに入れ替えることになっている、というのです。
そのとき入れ替えになった古い方の品物は、いったいどうなるんだろう? まさか廃棄?
いや、私の注文品には生鮮食品はないし、ほとんど日持ちのするものばかりだし、たぶん廃棄はしないんじゃないかな、と思いながら、忙しそうな配送のひとにそれ以上は聞けず、翌日の配達を待ちました。
翌日も、夕方になって電話がかかってきました。
荒れ模様の天気が続いていて、今日も指定時間には行けそうもない、と。
私は、品物を入れ替えてほしくない一心で、真夜中でも待っているので、配送のひとさえよければ、いつでもいいから持って来てください、と頼みました。
結局その日は、夜の10時前に品物は届いたのですが、なんだかとてももやもやしてしまいました。
こんな年末に、宅配なんか頼まなきゃよかった。
自分の責任でもないのに、遅れたことを平謝りする配送員さんの姿を見て、もしかしたら、このひとは、どこかのお宅では頭ごなしに怒鳴られているかもしれない、と思いました。

ある運送会社の配送員が、配達する荷物を蹴飛ばしている映像がネットに挙がっていました。
その行為自体はよくないことだけれど、でも、忙しいさなかに、配達時間を指定されたあげくに、受け取るひとが不在だったりしたら、誰だって面白いはずはありません。
それが彼らの仕事だろ、と言ってしまうのは簡単です。
誰にとっても、買い物に行かずに、注文すれば自分の都合に合わせて運んでくれるネット宅配は、確かに便利で重宝なものだと思います。
何かの都合で一日配達が遅れれば、すっかり全部新しい品物に代えて送り届けてくれるのです。ほんとうに至れり尽くせりです。それだけの料金を払っているのだから当たり前、というひともいるでしょう。
でもねえ、私は、なんだか変だよなあ、と思うのです。
誰かが便利と感じる一方で、別の誰かが夜中まで駆け回ってそのひとの買い物を届けてる・・・、仕事でしょ、で片付けちゃっていいんだろうか?
自分にとっての便利が、どういう仕組みや、どんなひとの苦労で成り立っているか、私も含めて、みんなちょっと考えてみたほうがいいんじゃないか・・・。
といって、配達を請け負っている会社のひとたちにとっては、仕事が減っちゃうのも困るのでしょうし、あそこの運送会社は時間を守らないとか、配送員の態度が悪かった、などと言われては、厳しい競争に負けて仕事を失うことにもなりかねません。。
だから、これは、次からは宅配を頼むのはやめて、みんなでお店に行きましょう、なんていう単純な問題ではないのだと思います。
どうしたらいいのか、それはわかりませんけれど、誰かの便利は誰かの疲弊を生む、というようなことを、ちょっと考えてしまった年末でした。

by ten (2017.01.11)


ヤツは…(2)

ヤツはこの5月で5歳になる。
人間の年齢でいうと34歳くらいになるらしい。まあ、人間と比較することがおかしいのだろうが、ヤツはまだまだガキ! それも頭に「悪」がつくかもしれない。
いたずら大好き!といっても、ヤツにとっては「いたずら」という認識はないのだろう、きっと。

数日前、シンク下の扉が開いていて、わっ、やられた!と中を覗いたが、ヤツの姿は見えず、あららと思いつつ扉を閉めた。しばらくすると、ゴソゴソバリバリと妙な音がする。え〜っと思いながらシンク下の扉を開けたら、なんと、まん丸の目をしたヤツのキョトン顔が目の前に。すんなり出てきたところをみると、思う存分探検をすませ、満足しきっていたのかもしれない。

台所の出窓はシンクの前。そこもヤツのお気に入りの場所だ。
ヤツがそこに行くときは、シンクの右側だったり、左側だったり、そのときの気分でコースを使い分けている。左側はいつもまな板を置いたり、鍋を置いたりと右側より広いスペースのシンク寄りを使う。
だから、食事の準備はヤツがいつ飛び乗ってきてもいいように、シンク寄りにはものを置かないようにしている。なんども驚かされたり、ものをひっくり返されたりと大騒動したことをふまえて。
なのに、なのに・・・。
シンクから離れたいつもの位置にまな板と包丁、まな板の上にはきゅうり、さてと冷蔵庫の前に立った瞬間、すごい音がした。振り返ると床に包丁ときゅうりが転がり、音に驚いたヤツが逃げ去っていくところ。
2階にいたおじさんが「何事?」と下りてきたくらいだから、相当の音だったようだ。
脱猫、もとい脱兎のごとく逃げ出したヤツはというと、何事もなかったようなすまし顔で縁側から庭を眺めていた。一瞬、今の騒動を引き起こした犯人は別にいる?と思わせるくらいに。
やはりヤツにはスリルとサスペンスがついてくる。

ヤツがどこかに飛び乗ろうとして、目測を違えるのか、自分自身を過信しているのかはわからないがよく失敗をする。
ヤツは右側の腹部が左側より出っ張っている。そのせいでバランスがとりにくいのかもしれない。
いい加減、それを自覚すればいいものをと思う。
獣医さんによれば、右側の方が左側より脂肪が多くついている、こういう猫はときどきいるとのこと。

こんなヤツだけれど、とにかく甘え上手で、いたずらしたあとの目をまん丸くした頓狂な顔に毎度ごまかされる。そんな自分を反省したり、しなかったり・・・わっ、ヤツとそんなに変わらない?といったところで、本日はここまでにしとうございます、ではまた。

by 和茶のおばさん (2013.4.25)


ヤツは…

食事の支度をはじめると、台所の出窓にチンと座って、「レパートリーが少ないな」と言わんばかりにクリクリの目を一層クリクリにして、こちらのすることを監督していた阿茶。
そこへいくと、和茶は参加型。「参加型」と書いたからって、手伝っていると思われるかたはひとりもいないと思うけれど、念のため。
とにかく毎回大騒動させられる。

お湯を沸かそうと、水をはった鍋、ちょっと目を離すと顔を突っ込んで鍋から水を飲み始める。でも、これは安全!
危険なのは、ガスにかけた鍋に近づき、覗き込む。ふつふつとお湯が沸いていても、だ。
ヤツは熱さを感じないのか…。

うっかりすると、まな板の上に鎮座。包丁が乗っかってるのにうまく避けて。でも、これも危険だ。
おまけに和茶のお腹や足は濡れる。
ヤツは冷たさを感じないのか…。

食品の出し入れでは、冷蔵庫に飛び込んでやろうと、足元で隙を伺っている。とにかく食品の出し入れが慌しいといったらない。
でも、ヤツは省エネに協力してるつもりか…。

1才にならないころ、腸に何かが詰まっていると大手術。
ビニール大好き猫のこと、掻っ捌いたお腹からはビニールが出てくるものと信じていたら、なんとも出てきたのは「毛玉の塊」。
でも、ビニール好きは今も変らない。
先日は、うっかり落としたビニール製の付箋を食し、喉に引っかかったのか、胃液とともに吐き出した。
大事に至らず良かったといえば良かった。
が、ヤツには味覚というものがないのか…。

昨日なんかは、鼻っ柱に白い絵の具をつけていた・・・まだまだあるけれど、それはまた次の話ということで。
ただ、これからも和茶がスリルとサスペンスを味わわせてくれるのだけは間違いなさそうだ。

by 和茶のおばさん (2012.3.19)


4人組

地下鉄の中でのこと。
大学生くらいの男女の4人組が乗ってきました。
男の子と女の子二人ずつですが、2組のカップルというわけでもなさそうで、友達が4人集まった、という感じ。
はじめ4人とも立っていましたが、そのうち席が空いて、男の子二人が座りました。
空席はまだあったので、男の子が女の子に「座らない?」とすすめましたが、女の子たちは、「もうすぐ着くし」「立ってる方がいい」などと言って、そのまま。
終着駅で私もその4人も降りました。
駅のショッピングモールを歩いていたら、偶然その4人組とまた遭遇しました。
場所は、ランジェリーショップです。
4人で女性用下着を見ながら、「かわいいね」とか「安いね」とか言ってます。

なるほどね〜。
今時の若いひとには、電車内で男の子が座って女の子が立っていることも、男の子が女の子につきあって、女性の下着屋さんを覗くことも、あまり抵抗がないんだ。
一昔前だったら、男性が女性を差し置いてさっさと席に座ってしまう、なんてことはめったになかったでしょうし、ましてや男女で女性下着の品定め、なんて絶対に有り得なかったでしょう。
中高年の中には、下着売り場の彼らを見て仰天するひともいるかもしれません。
いや、若い人の中にだって、女の子を立たせて座っている男の子なんていや、というひとや、男性と下着を見に行くなんてとんでもない、という人も多いでしょう。
その反応はさまざまだと思います。

でも、その「さまざま」というのが、まさに時代の違いを感じさせるのです。
私が彼らと同じ年齢のころは、「さまざま」ではなかったと思います。
男性はやせ我慢しても、空いた席に女性を座らせ、自分は立っていました。
男性と一緒に下着売り場、なんて「絶対に」有り得なかった。
女物の下着どころか、普通の洋服だって、男性は彼女と一緒に見に行くなんてことはほとんどなかった、そんな時代でした。
それ以外の行動は考えられなかったのですから、別におかしいとも思いませんでした。

個人的には男性連れで下着を見に行こうとは思いませんし、できれば男性には女性より先に席に座ってほしくない、という気持ちは私の中にもあります。
私が保守的な人間であるというよりは、そのあたりが私やそれ以上の年代における「常識」というか、時代的な限界なのだろうと思います。
そういう社会・世間で育ってきたわけですから。
でも、その4人組を見ていて、そう悪い印象ではなかったことも確かです。

草食男子なんて言葉もあるくらい、若い男の子が軟弱になっているとか、女の子のいいなりになっているとか、いろいろ耳にする昨今。
確かに男性にいささか覇気がなくなった、なんでも積極的にばりばりやるのは女性が多い、という感じはします。
一方、最近の若い人には、男だから、女だから、というこだわりが、だんだん薄くなってきているように思います。
電車の席には座りたい人・座る必要のあるひとが座ればいい、男・女は関係ない、というのも一理ありそうです。
女の子につきあって女性下着を見ているうちに、おかしな方向へ行ってしまったりするのは困りますが、女の子が気にしないのなら、まあご自由に、といったところでしょうか。
「みっともない」「はしたない」と目クジラ立てるほどのことでもないのかもしれません。

いろいろ異論・反論はありそうですけど、私の見た感じでは、その4人組は、なんだかのびのびしていて、あっけらかんとしていて、ちょっとうらやましい気がしました。

by ten (2010.08.11)


オイタミ

歯医者さんに通っています。
「インフォームドコンセント」というのでしょうか、歯科医院でも最近は患部のようすや治療経過などを丁寧に説明してくれます。
それはいいのですが、ときどき先生や歯科衛生士のひとが、「オイタミはございませんか?」と言うのです。
「オイタミ」は「お痛み」です。
要するに「痛くなかったか?」と尋ねられているのですが、この「お痛み」、私にはなんだか違和感のある言葉なのです。

最近の病院でのお医者さんや職員さんや窓口での応対は、昔に比べて格段に丁寧になったと思います。
歯科医などは乱立気味で競争が激しいと聞きますので、「あそこの医者は態度が横柄だ」「言葉遣いが悪い」などという評判が立ったら、すぐに患者さんが来なくなってしまうのかもしれません。
諸事丁寧になるのは、患者の側からは歓迎すべきことです。
でも、う〜ん、「お痛み」ねえ・・・。

たとえば、これが「痒み」だったらどうでしょう?
「お痒み」って言います?
「傷跡のお痒みはありませんでしたか?」・・・あんまり聞きませんね。
「お痛み」と「お痒み」の違いはなんでしょう?
いや、もしかしたら、丁寧に丁寧にと思うあまり、「お痒み」と言っている病院があったりして・・。

「お痛み」が文法的に正しいかどうかを問うているわけではないのですが、この、なんでもかんでも丁寧に言いさえすればいいのだ、という傾向にはちょっと首を傾げます。
実は私、「患者様」という言い方にも居心地の悪さを感じているのです。
そこまで「様」をつけていただかなくても・・・
もちろんぞんざいに扱われたいとは言いませんが、お客様でも取引先のエライ人でもない、病気を治してもらおうと思って来院しただけの普通のひとなのですから、「患者さん」で充分じゃありませんか?

病院としては、患者が来なければ収入が得られないわけですから、商売をするひとが「お客様は神様です」というのと同じように「患者様は神様です」と言いたいのかもしれませんけど、やっぱりそれは違うと思います。
患者が求めているのは、「言葉の馬鹿丁寧さ」ではなく、きちんとした医療、信頼できるお医者さん・看護師さん、そして素人にもわかりやすい説明です。
「患者様、お痛みはございませんか?」なんて言ってるわりには、いざ患者への説明となったら、専門用語を羅列してよくわからない話しかできないのだったら、本末転倒というものです。
私には、「痛いところはありませんか?」と普通の言葉で率直に話しかけてくれるお医者さんのほうが、「お痛み」のお医者さんより信頼できそうな気がします。

とはいえ、中には自分に対して「患者様」と言わなかった、といって腹を立てる患者もいるかもしれませんし、それに対して病院が過剰反応気味になるのも仕方のない面もあるのでしょう。
昨今、どんな言いがかりをつけられるか、わかりませんから。
でも、私は「お痛み」は変だと思ってますし、「患者様」と呼んでくださらなくても、別に怒りませんけどね。

by ten (2010.03.03)


おとしもの?

先日、道を歩いていたとき、自転車とすれ違いました。
その瞬間、耳元で、「なんて卑怯な!」という言葉が聞こえました。
若い男の人の声でした。
「え???」と思って振り返ったときには、自転車はもうずいぶん向こうに走り去っていました。
その言葉の前後に何かあったのかもしれませんが、私の元に残されたのはその部分だけでした。

あれはなんだったんだろうか?
あれこれ考えても、私がその人に何か卑怯なマネをしたとは思えません。
私に言ったのではないとすると、携帯電話ででも話していたのでしょうか?
片手運転していたようにも見えなかったんですが…。
それとも、詩を暗誦していた、とか、芝居の台詞でも練習していたのでしょうか?
そういえば、ちょっと芝居がかった言い方ではありますね。
…きっと私とは関係ないんだ、とは思いつつ、なんだかドキドキしてしまいました。

世の中には、歩きながら、あるいは、自転車や車で走りながら、ゴミを捨てていく人がいます。
そのゴミは、道路にそのまま残り、人を不快にし、結局誰かの手を煩わせて処理されることになり、迷惑をかけます。
その点、「言葉」は瞬時に消えてしまいます。
だから、どんな「言葉」を吐きながら歩いたとしても、道路は汚れません。
でも…、そこに人がいて、間違ってその「言葉」を拾ってしまったら…。
そして厄介なことに、この拾い物は、「あ、間違えた」といってすぐ捨てるのが難しい。
一旦拾ってしまうと、振り払っても、投げ捨てても、なんだかどこまでもついてくるんです。
それが断片であればあるほど、状況が不可解であればあるほど、頭の中に入り込んでしまって、いつまでもついてくるんです。
「言葉」って、案外取扱いが難しいものですね。

「誰が卑怯だったんだろう?」「何の芝居だったんだろう?」…もう何週間も経つのに、いまだに背中の真ん中あたりに引っかかっています。

by えむ (2009.7.15)


運動会

秋です。
先日、近くの小学校の運動会がありました。
知り合いの子も何人か通っています。
見に来てね、と言われて、朝から出かけました。
いつの時代も、運動会は学校行事の華ですね。
家族はもちろん、地域の人、卒業生、他の学校に転勤になった先生、産休中の先生などが応援に来るので、子どもたちもかなり興奮状態にあります。
張り切っている子、緊張している子、やたらにハイになっている子…いろいろです。

その運動会に向けて、夏休み明け早々から、4年生の子たちはソーラン節の練習をしていました。
みんな法被を着て踊るのですが、既成のものではなく、大人の男物のワイシャツの襟や袖を切って、前後の身ごろに自分で波や魚の絵を描いたり「大漁」の文字をいれたりして、手作りするのです。
そういうところから作り上げていくのは、まさに「総合学習」というのでしょうか、子どもたちにとってとてもいい経験になるだろうと思います。

ただ、ひとつ問題が…。
学校からは、男物の白いワイシャツをこのように切って、油性ペンでこんなような絵や字を書いて、何日までに持たせてください、というお知らせが家庭に届いていました。
――なんだか、いとも簡単にそういうことを言うなぁ、という気がしました。
「男物の白いワイシャツ」が、どこの家庭にもある、と考えるのは間違いじゃありませんか?
私の知り合いの子も、お父さんはいません。
そうすると、「男物の白いワイシャツ」もありません。
別の子は、お父さんはいるけど、現場の仕事なので白いワイシャツなんて着ない、と言います。
たとえ白いワイシャツがあっても、それはお父さんが明日着ていかなくてはならないものかもしれません。
切り刻んでもいいようなワイシャツがある家庭なんて、そう多くはないんじゃないでしょうか。
持ってくるように、と先生に言われた子どもたちは、どうしても持っていかなくちゃ、と思います。
○○ちゃんは買ったんだって、という話も聞きました。
新品のワイシャツを買って、それを切ってしまう、――それは教育的な意味でも、問題がありそうな気がします。
そして多分、学校の本意でもないだろうと思います。
もしかすると、先生は、なければなくてもいいよ、と言ったのかもしれません。
用意できない子のために、なんらかの方策を考えてあったかもしれません。
でもそれは子どもたちに伝わっていませんでした。

ある状況では、有意義なリサイクルであり、創造的な作業であるはずのものが、別の状況では、とんでもない無駄、無意味、本末転倒になってしまう。
今、昔にまして、家庭の状況が多様になってきている中で、あれを持って来い、これを用意しろ、と簡単に言えないような気がするんですよね。
ワイシャツに関しては、無論、昔だって用意できない家庭は多かったと思いますが…。

因みに、図工や習字のときに新聞紙を持ってくるように、と言われます。
これは、かなり普通に言われます。
でも、新聞をとっていない家庭ではそれも難しい、ということに、私も実は最近まで気がつきませんでした。
このごろは、インターネットがあるから新聞はとらない、という家庭も増えてきました。
外国人家庭でも、視覚障害者の家庭でも、新聞はとっていないことがあります。
新聞紙を持って来いと言うな、というわけではありません。
必要なものは学校で用意すべきだ、という話でもありません。
そんなものはどこの家にも当然あるはずだ、という思い込みに立ってものを言うとちょっとまずいんじゃないかなぁ、と思うだけです。
新聞紙がない家庭というのもある、という認識に立てば、それを補う手が見えてくるでしょう。
それは、新たな教育の機会につなげられるかもしれません。

こういうことは、もちろん学校だけの話ではありません。
自分を基準にしてものを考えていると、ときどきすごく間違ってしまうんですね。
気をつけなければ、と思います。

子どもたちの頑張っている姿を眩しく眺めつつ、ちょっと考えさせられた運動会でした。

by えむ (2008.10.6)


カラスとハンガー

春です。
今までゴチャゴチャと集団でいたハトたちも、ペアでいることが多くなりました。
我が家のベランダでもハチの巣作りが始まりました。
カラスも巣作りの時期です。
最近よく言われているように、巣材として針金ハンガーを使うことは、相当広範に行われているようです。
この近所でも、外側をハンガーで作った巣をよく見かけますし、くわえて飛んで行く姿も見たことがあります。
木の枝が手に入りにくくなったのだろう、と言われ、そういうものかと思っていました。
洗濯物を取り込んだあとも外にハンガーをかけっ放しにしてあるお宅はあるので、そこから持っていくのは、形のいい、丈夫そうな枝を探して切り取っていくよりは、ずっと簡単だろうと思われます。
おお、カラスも無精になったものだ、と思っていました。

ところが、去年と今年、我が家のハンガーが計3本持っていかれるに及んで、ちょっと違うかな、と思うようになりました。
我が家では、洗濯物をかけたハンガーをベランダの物干し竿に洗濯バサミで固定します。
これはもちろん風に飛ばされないためです。
比較的大型の洗濯バサミで、物干し竿とハンガーとを一緒に挟みます。
ハンガーは洗濯物をかけた状態で物干し竿にかけ、取り込むときも一緒です。

去年のある日、私が部屋の中にいたとき、外でカチッ、カチッという音がしました。
あれ? なに? と思って、ベランダを覗いたら、ピンクのハンガーをくわえたカラスが手すりにとまっていました。
私と目が合って、カラスはすぐに飛んでいきましたが、外に出てみると、物干し竿に洗濯バサミだけが残っていて、洗濯物は下に落ちていました。
洗濯物は、襟ぐりの大きなシャツだったし、もう乾いていたので、確かに苦もなくはずせたろうと思います。
でも、洗濯バサミをはずすとは…。
ハシブトガラスの嘴が強くて器用なのは知っていましたが、枝を折り取るのとどっちが簡単だろう?

今年、また巣作りの季節だなぁ、と思いましたが、洗濯物が、3つほどボタンのあるポロシャツが2枚だったので、そのまま干しました。
私も面倒なので、ボタンまではとめませんでした。
外出から帰ってみると、そのシャツは見事に下に落ち、ハンガーは消えていました。
そのシャツを落とすには、シャツをかなり頑張って片方に寄せて肩を外さなければなりません。
ふーん、頑張ったんだなぁ、と感心するばかりです。(他に、タートルネックのものもあったのですが、それはさすがに残っていました)

そこまでの努力をしてハンガーを集めるのはなぜだろう?
木の枝が、非常に豊富とまでは言いませんが、そんなに貴重というほどの環境ではありません。
ハンガーのほうが構造材として、木の枝より優れている?…かもしれません。
あるいは、流行?
木の枝の巣なんて、そんな古臭ーい…って?
もしかして、ハンガーの巣で育ったカラスなのかもしれませんね。
「巣」というものはこういうものだ、という思い込み、ハンガーがなくちゃ巣が作れない、そういうカラスが増えてきているのかもしれません。

コンビニや自動販売機がなくちゃ生活できない、ケータイやパソコンなしには仕事もできない、それと同じなのかなぁ。
どこの世界も似たようなものなのかもしれませんね。

by えむ (2008.5.3)


「おはよう」

「おはようございます」という挨拶は、日本人にとってはかなり自明なのですが、たとえば韓国人にとっては、ちょっと難しいらしいのです。
韓国では一日中「アンニョンハセヨ」でいいそうです。
これまでそんなことは考えたこともなかった、という人にとって、今何時だから、というような新しい要素を考慮に入れて挨拶の言葉を選ばなければならないのは、確かに大変です。
「何時から何時までが『おはようございます』ですか?」と聞かれますが、もちろんそんなにはっきりしたものではありません。
こちらは気楽に、「だいたいでいいんですよ」などと言っても、当人にとっては深刻です。
自分が「おはようございます」と言ったのに、相手に「こんにちは」と言われてしまった、「うわぁ、間違えたんだ!」と思ってしまう、と言います。
日本人でもそういうことはよくありますよ、と言うんですが、あまり慰めにはならないかもしれませんね。
そんなにいい加減なのなら、なんでわざわざ言い分けるんだ、と恨まれそうです。

でもまあ、そういう問題はあるにせよ、一応、「おはようございます」は朝の挨拶です、と説明しています。
ところが先日、中国人に、「日本人は朝でなくても『おはよう』と言いますね」と言われました。
「えっ? そうですか? ――ああ、それは、特殊な業界用語でしょう。夕方から仕事が始まる職場では、出勤してきたときにそう言うこともあります」と言ったのですが、その人が言ったのはちょっと別のことでした。
日本人が、午後なのに、昼寝から目覚めた子どもに「おはよう」と言った、というのです。

――なーるほど、確かにそうですね!
お母さんが赤ちゃんに、保育士さんが園児たちに……多分誰でも、起きてきた子どもに(もしかすると大人にも)そう言いますね。
出勤――朝、というのと同じように、目覚め――朝――「おはよう」、という連想から来ているのでしょうが、かなり普通に使っているのに、これまで全然意識していませんでした。
そこを繋げて考えることが、中国人にとっては「すごく面白い」んだそうです。
そんなことを面白がられることが、日本人には面白いんですが…。

そうかぁ、日本語の「おはよう」は、朝の挨拶であるとともに、起きたときの挨拶でもあるんですね。
ひょっとして、起きたときの挨拶だったのが、朝、人に会ったときの挨拶に拡大された、という可能性もあるでしょうか?
「おはようございます」――「早いですね」というのは、もともと何に対して言われていたのでしょうね?

知らないこと、気がつかないことは、ほんと、たくさんあります。

by えむ (2007.6.24)


失礼しちゃう!

ドラッグストアで買い物をすませて外に。
万引き防止センサーを通り過ぎようとしたらチッチッチッというような音がして、出入り口付近にいた人たちがこちらを見ます。
店内からは店長さんらしき男性が近づいてきます。
私じゃないよな・・・ちゃんと会計したし・・・でも、お店から出てきたのは私だけだし・・・と思った瞬間、「ちょっとすみません」と大きな声で呼び止められ、買い物したものを見せてほしいと言われました。
駐車場からお店に入ろうとした人や、出入り口付近にいた人たちの間を、「気分悪ーい!」と思いつつ、その男性についてレジまで戻りました。
袋の中身とレシートを確かめながら、ぼそぼそと「これですね。チェックをはずし忘れました」と可愛いマニキュアの壜を摘み上げました。
そして、さっきよりも小さなぼそぼそ声で「チェックをはずしますね」。
「ほーらね、失礼しちゃう!」と大声で言いたかったけれど、店長さんらしき男性の声がだんだん小さくなるのにつられて、こちらも「すみません、お願いします」と、とっても小さな声で応えていました。
万引き防止のチェックとやらをはずされたマニキュアをもらい、じっとこちらを伺っている人たちの目を気にしながら外に出ましたが、腹が立ってきたのは、無罪放免になってから。
呼び止める時は大きな声で、お店のミスがわかってからはやたらに小さなぼそぼそ声で、おまけに謝りもしないで・・・。
万引き防止センサーも所詮は機械。でも、その前の作業は人がすること。
もう少し、お客様に対する態度を考え直してくださいな。
うちに帰って、この話をしたら、「ご近所の人、いなかった?」。
意味がわからず、しばらくぼけっとしていたら、ご近所のスズメさんたちが見ていたなら、絶対に「万引きした」と いう噂が明日には町内じゅうに広まっているよって。
確かに、もしそんなことになったら、失礼しちゃう!

追伸:万引きは犯罪ですよ。お遊びではありません。

by おりーぶ (2006.7.4)


電車内にて

朝電車に乗っていたら、袴姿の女の子が乗ってきました。
時節柄どこかの大学を卒業するお嬢さんなのでしょう、濃紺の袴と桜色の着物がなかなかお似合いです。
シミひとつない肌に美容師さんがやってくれたらしい薄化粧も奥ゆかしい。
卒業式が終わったら着替えるつもりらしく、足元には洋服が入っているらしい大きな袋。
慣れない袴でよっこいしょ、と私の目の前の席に腰掛けると、まずはケータイのメールチェック。
それから、もうひとつ持っていた大きな布バッグから、化粧ポーチと大きな手鏡を取り出し、彼女は実に念入りな化粧直しを始めました。

想像するに、美容師さんがやってくれた化粧が彼女のお気に召さなかったようです。
今時の若い娘さんがよくやっているように、目の周りを狸のように黒々と染め、まつげをくりんと反り返らせ、そこに滴るような濃いマスカラをつけて、とどめは着物の色とはあまりに不釣合いな真っ赤な口紅。
15分後には、さっきまでそこにいた桜色の着物のよく似合うかわいらしい娘さんは消滅していました。
本人は満足そうでしたが、どう見ても着物姿に(それも今から卒業式に出席しようという姿に)似合う化粧ではありません。
化粧なんかしなくても充分きれいな子なので、美容師さんはできるだけ控えめなお化粧にしてくれたのだろうと思うのに、今私の目の前にいるのは、夜の世界で働くプロの女性用の化粧を施した、15分前よりも数段老けて見える女の子でした。

今は高校生、いやもしかしたら中学生や小学生でさえ、ふつうにお化粧をする時代ですから、大学を卒業しようという女の子が化粧をしてもなんの不思議もありません。
女子高生の化粧品代が母親のそれより高額なんてことは今やあたりまえです。
私は子供が男の子のせいでよけいそう感じるのかもしれませんが、今時の若い女の子の化粧した顔って、みんな同じに見えませんか?
なにしろ目の周りは真っ黒で、まつげはやたら広がってそっくり返っているし、ヘアスタイルもなんだか似たような感じばかりです。
高校生の女の子はぎりぎりまで短くしたスカートに、似たような化粧、似たような髪、似たような持ち物、似たようなしゃべり口調。
誰が誰やらわかりません。

男の子の世界ではみんなと同じにしなきゃという意識はまだ薄いようです。
流行に敏感な子も、ブランド好きな子もそれなりにいますが、無頓着で身なり・外見にかまわない子でも居場所がなくなる、ということはないように思います。
ダサい格好をしていても、本人がそれでよければ周囲の男の子も別に気にしません。
それに比べ、女の子の世界では、流行に遅れたり周囲と同じように出来ないことへの恐怖心が蔓延しているように感じられます。
自分らしさとか個性とかいった言葉はうわべだけで使われているにすぎません。
女の子たちの多くは、同年代の中で浮かないように、同じような顔をした仲間の中から弾かれないように、ものすごく気を遣って生きているように見受けられます。

電車で化粧をしていた女の子も、いつもと違う顔を友達に見られたくなかったのかもしれません。
どんなに着物と合わなくても、普段と違う顔を周囲にさらすくらいなら、こてこてにお化粧を直してしまったほうがマシ、という気持ちだったのか、そもそも彼女には自分の着ているものに合わせた化粧という発想はなくて、いつなんどきでも目の周りは真っ黒けにするのが彼女にとっての常識だったのかもしれません。
どう見てもちぐはぐ以外の何ものでもない姿かたちに、あっという間に彼女は変身してしまいました。

一心不乱で鏡に向かっていたあなた、あなたは化粧をする前のほうがずっときれいだったし、今から大学を卒業して社会人になろうとしている人間が、電車の中でわき目もふらずに化粧している姿は、どう見ても美しいものではありませんでしたよ。

by ten (2006.3.15)


カラスの勝手

最近、カラスが多くなりました。そしてとても元気そうです。
ある日、ものすごい鳴き声、何事?と思って外へ出たら、我が家の屋根の上のアンテナでカラスが集会を開いていました。
まあ、どこで集会を開こうがカラスの勝手ではありますが、もすこしお静かに願いたいものです。

さて、このあたりの生ごみは戸別に収集されます。
市指定の透明の袋に入れたごみを、決められた時間までに各家の前に出すわけですが、決められた時間にごみ収集車が来るわけではないので、その間は道路わきにごみが鎮座しているということです。
当然、ごみが鎮座しているあいだはカラスの餌場となるわけで、カァ〜カァ〜と賑やかなこと。
こういう状況にしておいて、カラスに来るなというのは無理な話で、カラスがいつ、どこで、何を食べようがカラスの勝手です。

先日もお向かいのお宅、お隣のお宅のごみをカラスが食い散らかして、とんでもないことになっていました。
これで何度目か?
カラスに文句を言いつつ、お掃除をしている2軒の奥さんから、どうしてお宅のごみ袋はだいじょうぶなの?と、 訊ねられ、そういえば、過去に2度ほどネコに食い散らかされたことはあったけれど、未だカラスの標的にはならず無事でいることに気がつきました。
そして、うちの食生活は貧しいからと、おかしな返答をしたところから、さてカラスは何が好物か、という話になり、本日のごみ袋の内容物・・・カラスが食い散らしたものは・・・。
お向かいさんは、フライドチキンの骨を引っ張り出されて、お隣さんは食べ残した肉を引きずり出されていたということから、結論は、「肉」。
うちはというと、ほとんど魚か野菜か豆腐・・・。それも巨大な胃袋を持つ夫が食べ尽くしてくれるので、生ごみは、野菜くず、果物の皮と種、魚の骨くらい。
何を食べようが食べまいが、それはカラスの勝手ですが、カラスの好物は「肉」に違いないと、おばさん3人は勝手に決めました。

お隣さんはごみ袋に殺虫剤をかけている、お向かいさんは新聞紙に漂白剤を染ませたものをごみの中に入れている、うちは流しのごみは新聞紙で包んで捨てている・・・再びおばさん3人は話し合いました。
カラスは匂いには鈍感で、目に見えたもの、しかも好物を選んであさっているということ?でも、ちょっと待てよ、以前テレビで、カラスの研究をしている方が、唐辛子成分入りのごみ袋にはカラスが寄ってこなかったという話をしていたので、匂いに鈍感というのはちょっと・・・と、お向かいさん。こちらは勝手な結論も出せず、殺虫剤も漂白剤も効果がないなら、とりあえずは、ごみを新聞紙で包むなり、隠すなりする作戦に決定。
この作戦が功を奏したのかどうかはわかりませんが、今のところ、ごみを荒らされることはありません。
でも、どこかでごみを食い散らしているカラスはいるはずで、そうそう「カラスの勝手」とも言ってはいられません。

カラスが生ごみを食べてくれれば「ごみの減量」になる?なんて冗談を言っていたおばさん3人。
こんなだから、利口なカラスにごみを食い散らかされて、頭の上で「アホー」と鳴かれるんでしょうね。反省。

by オリーブ (2005.11.18)


翻訳

映画が好きでよく見ます。
外国語がまったくわかりませんから、洋画は字幕を読みます。
つい最近まで子供向けでもないかぎり劇場公開される洋画に吹き替えがつくことはあまりなくて、洋画は字幕スーパーで見るのが普通でした。
このごろは、大作・話題作や人気俳優が出ているなど、集客が見込めそうな映画には吹き替え版も作られることが多くなりました。
子供やお年寄りなどには、俳優が台詞をしゃべっているわずかな時間に、画面と文字を同時に見るのはたいへんです。
吹き替えは、そういう意味では、客層の拡大に貢献している、と言えるようです。
しかし、吹き替え版と字幕版の両方が公開されることには、もう少し違う理由もあるようです。
最近の若いひとが漢字が読めない、言葉の意味がわからない、文章を読み取る能力がない、というのです。

先日洋画を見ていて「松明」という文字にルビがついていたのには驚きました。
また、「樫の木」の「樫」にもルビがついていました。
一昔前まではどんな漢字であれ、字幕にルビがつくことなどめったにありませんでした。
字幕が読める、ということは、普通の漢字なら読める年齢になっているはずだからです。
「松明(たいまつ)」や「樫(かし)」は今では読めないのが普通の漢字になってしまったのでしょうか?
そんなことを思っていた矢先、新聞に字幕製作者のエッセイが載りました。
「・・・台詞のニュアンスにぴったりの言葉だと思って『両刃(もろは)の剣』と書いたら配給会社の人に、この言葉の意味がわからない観客も最近はいるので別の表現にと言われ、耳を疑った」と書いてありました。
松明も樫も両刃の剣も、すでに死語?

少し前『ロード・オブ・ザ・リング』という映画の字幕をめぐって一騒動ありました。
この映画の原作は、イギリスの作家J.R.R.トールキンの『指輪物語』というファンタジーです。
これを翻訳したのが瀬田貞二さんという児童文学者で、訳されたのは30年ほど前ということですが、瀬田訳の『指輪物語』には今でも熱狂的な愛読者がたくさんいるそうです。
そういうひとたちにとっては、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の字幕がどのような訳になっているかはたいへんな関心事だったわけですが、残念ながら結果は(少なくとも『指輪』の愛読者にとっては)惨憺たるものでした。
映画の字幕が瀬田訳をまったく無視し、トールキンの世界をぶち壊しにするものだ、と主張する原作ファンから、字幕製作者を降板させろという要求が映画の配給会社に寄せられ、降板こそしなかったものの全面的に字幕の見直しをせざるを得なくなったそうです。

私は原作をきちんと読んでいないし、なにより映画と小説は別物だと思っていますから、明らかな誤訳でないなら訳し方が少々異なっていても別にかまわないのではないか、という気がします。
そして瀬田貞二さんが訳されたときと、映画が公開されたときとでは数十年の開きがあり、瀬田訳で使われている訳語をそのまま映画で使うと、原作を読んでいないひとには少しわかりづらいのではないかという判断が、字幕製作サイドにあったようにも思うのです。

『指輪物語』の中の重要な登場人物のひとりにストライダー(Strider)という通称を持つ人物がいます。
Striderは直訳すれば「早く歩くひと」「大またで行くひと」といったニュアンスでしょうか。
瀬田訳では、これを「馳夫(はせお)」と訳しています。
原語の意味から「馳せる」という語を思い起こし、そこから「馳夫」という訳語を考えたのはたいしたものだと思います。
しかし、良い訳ではありますが、原作を読んでいないひとにはなかなかピンとこない語でもあります。
今時の若いひとにとっては耳慣れない語感のようにも思います。
そういった点を考慮したのかどうか、Striderは映画の字幕では「韋駄天」となっていました。
これが瀬田訳ファンの逆鱗に触れました。
「韋駄天」では意味が違う、せっかくの瀬田訳がぶち壊しになる、せっかく「馳夫」という訳があるのに...等々。

字幕製作側にどういう思惑があったにせよ、「韋駄天」だって今の若い人たちにどれほど理解できるか、なんとも言えないところです。
字幕を読む人は、年齢もいろいろなら興味.関心の赴くところもそれぞれてんでんバラバラですから、万人が納得する字幕などそもそも無理なわけで、原作の愛読者の意向ばかりを重視するわけにもいかないでしょう。
さんざんクレームが寄せられた結果がどうなったのか忘れてしまいましたが、イギリスのファンタジーに「韋駄天」が適切かどうか意見が分かれるところでしょうし、といって今の若い人たちが「馳夫」をはたして読めるかどうか、これもまたわかりません。 一番良い訳なんて結局誰にもわからないのです。

さて、それはそれとして、瀬田貞二さんの翻訳を読んでいて感じたことがあります。
それは、一昔前の翻訳者は非常に丁寧に訳語を考えていた、ということです。
もちろん、今でもどの翻訳者も丁寧な訳を心がけているには違いないのですが、昔の翻訳物というのは、固有名詞であっても元の語の発音をそのままカタカナにしていただけではなかったと思うのです。
ことに児童文学では、意味のある語である限り、翻訳者がそのひとつひとつをきちんと訳していて、カタカナにして済ませたということはあまりなかったように思います。
『指輪物語』の中で、主人公フロドが正体を隠すために偽名を名乗るのですが、宿の主人に向かって、「私の名は山の下です」と言っています。
映画の吹き替え版では、「僕はアンダーヒルだ」と言っていますから、「山の下」(Underhill)でいいのですが、ここまで日本語にしなくても、という気もするくらい、丁寧に日本語に直しています。
「丸面(まるも)家」「身善(みよし)家」「角吹(つのふき)家」なんて、もとはいったいどんな英語なんでしょう?

『指輪物語』を翻訳した瀬田貞二さんは、もうひとつ『ナルニア国物語』というファンタジーの名作を訳しています。
こちらはトールキンの同僚だったC.S.ルイスが書いたものです。
この物語はナルニアという別世界が舞台なので、不思議な生き物がたくさん登場します。
瀬田貞二さんは、それらの異界の生物に「泥足にがえもん」とか「石足どんごろう」とか、子供が喜びそうな訳語をこしらえています。
「泥足にがえもん」はPuddleglum、泥水の中のむっつりしたヤツ、という感じでしょうか?「にがえもん」というのはそのへんの雰囲気をよく表しています。
「石足どんごろう」はStonefoot、「石足」以外の何者でもありませんが、そこに「どんごろう」をつけたのは名訳だと思います。その姿が目に浮かぶような訳です。
でも、今ならそのまま「ストーンフット」とカタカナ表記にしてしまう訳者が多いかもしれません。
瀬田訳が出た40年ほど前はともかく、今ならこの程度の言葉は誰でもカタカナ表記で意味がわかるからです。
しかし、そのぶん面白みも減るように思います。

『ナルニア国物語』の中に「松露とり」と呼ばれるアナグマが登場します。
「松露とり」は原語ではTrufflehunter。
Truffleはもちろんフランス料理の珍味トリュフのことです。
このアナグマはトリュフ採りの名人なのかもしれません(そのへんのことは原作にはあまり詳しく書かれていません)
今でこそトリュフという語も一般的になりましたが、この本が出版された当時にはそれほど知られた言葉ではなかったと思います。 トリュフと書いてしまうと、その当時の読者にはなんのことかわからなかったでしょう。
松露はいわゆるトリュフと完全に同じものではないそうですが(トリュフの和名は西洋松露)、それでも日本語の語彙の中からちゃんと訳語を与えています。
これも新しい翻訳ができたとしたら、たんに「トリュフハンター」と表記されてしまうのでしょうか?
個人的には「松露とり」という語感がたいへん好きなのですが・・・・

「松露とり」で思い出しましたが、ワイルダーの『大草原の小さな家』の初期の頃の訳本には、「寄せ布細工」という言葉が登場します。
字面から想像がつくとおり、これはパッチワークのことです。
今でこそ誰でも知っているパッチワークですが、この本がはじめて翻訳されたころにはそんな言葉は誰も知らなかったのでしょう。 翻訳者の苦労が偲ばれる訳語です。

最近公開された映画『Shall We Dance?』。
今ではこの程度の英語を翻訳する必要はない、ということで(かどうか知りませんが)、邦題も原題と同じです。
内容はまったく違いますが、同じタイトルの映画が1937年に作られています。
もう70年も前の映画ですから、そのまま『Shall We Dance?』あるいは『シャル・ウイ・ダンス』という邦題にしてしまっては理解できないひとが多くいたのだと思います。
なので、邦題は『踊らん哉』。
なかなか時代を感じさせるタイトルでしょう?
でも今の若い人の中に「踊らん哉(おどらんかな)」と正しく読める人がどれほどいるでしょうか?
今はもう「Shall We Dance?」を「踊らん哉」と訳すことがそもそも無理なのです。

翻訳は時代とともに変わっていくものだと思います。
「踊らん哉」も「寄せ布細工」も、とても良い訳だと思いますが、もうこういう言葉は原語をカタカナにするだけで事足りてしまう時代になりました。
英語の表記をカタカナに置き換えただけでたいていの人に意味が通じてしまう語が多くなって、翻訳者が、訳語を考える必要がない、と判断する場合も多いと思います。
しかし、英語をよく知っている翻訳者の判断が、英語に疎い読者の理解力に沿っているかどうか、疑わしい場合もあります。
先日ある翻訳書の帯に「オーセンティックなハードボイルド」と書かれてあって、「正統派のハードボイルド」と書けば誰にでもわかるのに、と思いました。
いくらカタカナ語が氾濫する現代日本といえど、「オーセンティック」の意味がわからないひとのほうが、わかるひとよりも多いのではないかと思うのですが、そうでもないのかな? わからないのは私だけ?
しかし、意味がわかればカタカナ表記でいい、というのも乱暴な話で、やはり日本語として適切な訳で本や映画の字幕を読みたいと思うのです。

もっとも何をもって「適切」というか、ということになると、それもまた難しい問題です。
瀬田貞二さんの訳は名訳といわれていますが、もちろんそう思わないひとも相当数いるに違いありません。
「泥足にがえもん」も「石足どんごろう」も、今読むと古臭い感じがするのは確かです。
しかし、それでも、なんとか原文の雰囲気を損なわずしかも日本語として読みやすく、と考えて翻訳されたであろうことは伝わってきます。
大切なのはまさにそういったことであろうと思います。

映画の字幕のルビにしても安易なカタカナ語にしても、日本人が次第に日本語をきちんと理解できなくなっていることから出てきた現象なのかもしれません。
字幕を読むことが出来る年代であれば当然読めるはずの漢字が読めないから「両刃の剣」という言葉が使えなくなり、きちんとした訳語よりなんとなく雰囲気でわかったような気分になるカタカナ語のほうがかっこいいと思う人が多いから「オーセンティック」も翻訳されないのでしょう。
なんだか日本語の将来を憂えてしまいます。

『ロード・オブ・ザ・リング』のヒットがきっかけになって、『ナルニア国物語』も映画化されたようです。
映画は楽しみですが、さて字幕がどんな訳になることやら・・・
瀬田貞二さんの名訳が台無しだ、と、また原作のファンが騒ぐことになるかもしれません。
私はそれほど熱狂的なファンというわけではありませんが、愚かなロバのトマドイ(Puzzle)や、ずるがしこいサルのヨコシマ(Shift)が、たんなる「パズル」や「シフト」になって登場しないでくれればいいな、と思っています。

by ten (2005.6.21)


同居人 その後

話は半年ほど遡りますが、去年9月の末、台風の余波で風が強かった朝、ベランダのコアシナガバチの巣に、ちょっとした異変が起きていました。
ときどきハチが跳びはねるんです。
よく見ると、小さな茶色いアリが数匹、ハチの巣を走り回っています。
ハチは、アリを見つけると、というか、アリに出くわしてしまうと、非常にまずいものに出会ってしまった、というふうな反応をします。
一応、追い払おうとするような素振りを見せますが、向かっていくとか攻撃をしかけるというほどの迫力はありません。
そして、触覚がアリに触れるか触れないかの瞬間、パッと飛びすさるんです。
まるで、「きゃあっ、さわっちゃった!!」とでもいう感じ。
ゴキブリ嫌いの人が、台所で大きなゴキブリに出会ってしまった、というような・・・。
でも、それで大騒ぎになるか、というと、そうではないんですね。
他のハチは、我関せず、というふうで、すぐそばにいるのに、アリの存在にも気づかないようです。
気づかないふりをしているだけでしょうか?
たくさんのハチがいるのに、外敵侵入の情報は、仲間に伝えられることなく、だから、警報が出されるわけでもなく、防衛隊が組織されたりすることももちろんなく、巣全体としてはほぼ平穏なんです。
アリの方は、ハチとの接触など意に介さず、元気に走り回っていました。
どうやら、風のために、近くの鉢植えの葉がハチの巣に接触して、アリのルートができてしまったんですね。
けれども、この時期、この巣にはもう幼虫はいなかったようです。
アリは、何もいいものを見つけられなかったとみえて、しばらくしたら撤収してしまいました。

10月、11月と気温が下がっていくにつれ、ハチの動きは鈍くなり、個体数も減っていきました。
といっても、死骸はほとんど発見できません。
どういう処理がされているのか、不思議です。
残ったハチたちは、風が直接当りにくい巣の下側にへばりついているか、幼虫が巣立ってしまったあとの空室に、頭から突っ込んでいるか、どちらかです。
もう飛び立つことはないので、飲まず食わずなのでしょうか。

12月初旬、とうとう片方の巣は空になりました。
もうひとつの巣には、10匹前後がいましたが、クリスマスの朝、その巣は根元が剥がれて、アルミサッシから落ちていたのです。
尤も、巣はとても軽いので、下までは落ちず、途中の植物に引っかかっていました。
どうやら、ハチは、頭から巣に突き刺さったままのようです。
お尻の先、羽の先、後脚が、巣穴から覗いていました。
この時点で、6〜7匹だったでしょうか。

年が明け、暖冬と言われたわりには、寒い日が続きました。
冷たい風が吹き抜け、引っかかった巣も、少しずつ位置を変え、ハチがまだ刺さっているのかどうか、見えなくなってしまいました。

2月には、巣は下まで落ちました。
そして2月末、巣は、私の手の届く位置に吹き出されてきたので、そうっと拾い上げてみましたが、誰も刺さっていませんでした。

今年は、去年に較べて、春の訪れが遅いようでした。
4月に入ってようやく桜もチラホラ咲き始めたのですが、4月3日は、平年よりずいぶん暖かく、風もほとんどない、穏やかな日でした。
朝10時頃、陽のあたるベランダのガラス戸に、3匹のハチを発見!
どこか、多分このベランダのどこかで冬を越したんですね。
うちのベランダは、もともとちっとも手入れをしないので、草木は伸び放題、そのうえこの冬は、私がちょっと脚を傷めていたために、年末の掃除も一切せず、枯れ葉も、枯れ枝も、風で飛んできたゴミも、みんなそのままの状態で放ってあったので、身を隠すところは結構あったかもしれません。
午後見たときにはもういませんでしたが、ここまで元気でいたのなら、きっともう大丈夫でしょう。

そのうち、また新しい巣ができるのでしょうか。
先に空になった方の巣は、まだ元の位置についていますが、それはどうなるのかなあ? 再利用するには劣化しているんだろうなあ? 隣に新しいのを作るんだろうか? 10年後には、10軒の巣が並んでしまうんだろうか? などと、余計な心配をしています。

夏だけの同居人だとばかり思っていたのですが、実は、1年中同居しているらしいコアシナガバチです。

by えむ (2005.4.9)


おいしいですよ!?

我が家はお魚大好き。
自転車で10分ほどの市場の魚屋さんにお世話になっています。
この魚屋さんのご自宅は我が家の斜め前。
煮魚に向く魚をすすめられ、「煮魚は苦手〜」というと、「鍋と調味料を持って、5時にうちへおいで」とおっしゃってくださるので、ずうずうしくも鍋と調味料を抱えて、臨時のお料理教室へ出かけるわけです。
生のうなぎも焼くところから、たれの作り方まで、魚屋さんのご自宅の台所で教えていただきました。
小さい鯵(新鮮なもの)は酢に15〜20分ほどつけておくと、手で皮が簡単にむけるので、大根おろしと一緒にポン酢か醤油で、サラダにのっけてドレッシングで食べてもおいしいよ。
今、旬のメカブの硬いところはきんぴらにするとおいしいよ、とか・・・。

そして、この前教えていただいたのが「カジキのチーズ焼き」。
これが我が家のマイブームになっています。
作り方はとっても簡単。
カジキは醤油とみりんをあわせたものに漬け込んでおきます。
漬け込む時間はお好みで。
あとはアルミホイルの真中に、ほんの少しバター(マーガリンでも)をおいて、その上に4〜5センチに切ったネギをたっぷり、ネギの上にカジキをのせ、最後にとろけるチーズをのせて、きっちりとアルミホイルをとじます。
これを水を少しはったフライパンに入れ、ふたをして20分くらいでしょうか。
水はアルミホイルの中に入らないように少し。
フライパンの空焚きをしないための水なので、時々、ふたをとって水があるかどうか確認します。

醤油にみりん、ネギにチーズ・・・ちょっと不安でしたが、これがこれが我が家には大うけ。
特にネギがおいしくておいしくて、作るたびにネギの量が増えています。
興味を持たれた方は是非お試しあれ。きっとおいしいですよ!?

魚はたいてい薄板で包んで新聞でくるくるっ。
ほうれん草も新聞紙でくるくるっ。
市場での買い物は、スーパーと違ってパックごみが出ないこと。
こちらもうれしい!です。

by おりーぶ (2005.3.14)


手芸屋にて

クリスマスに飾るリースを作ろうと思い立ち、近所の手芸屋さんに行きました。
リボンが何本か必要だったので、レジの横で店員さんに切ってもらっていたときのことです。
高校の制服を着た男の子が、妹らしい中学生くらいの女の子をしきりに怒鳴りつけている声が耳に入ってきました。
どうやら女の子は明日学校の家庭科の時間に必要な布を買っていかなければならないらしいのですが、どういう事情でか、むっつり押し黙ったままでその場に突っ立っています。
お兄ちゃんは、店員さんにちゃんと教えてもらって必要なものを買え、と怒りながらも促すのですが、女の子は不貞腐れたように何も言いません。
私の後ろに並んでレジの順番を待っていた女性が店員さんに、「あの女の子が何か買いたいみたいだから、そっちを先に聞いてあげて」と言いました。
あいにくそのとき店員さんはひとりだけ。仕方がないので私も後ろのひとに同意し、女の子の買い物がすむまでしばらく待つことにしました。
女の子は学校で渡されたらしい紙を持っていて、無言で店員さんに見せました。そこに明日持ってくる布の大きさと、ほかに授業で必要なものが書いてあったので、店員さんが私と後ろの人に「すみませんね」と言って、コットン生地のコーナーに女の子を連れて行きました。

さて、その場にはもうひとり中年の女性がいて、私はてっきりその女の子とは無関係なお客さんだとばかり思っていました。
お兄ちゃんや女の子と店員さんとのやりとりの間もずっと黙っているし、女の子に順番を譲った私と後ろの人にもそっぽを向いていたからです。
ところが、お兄ちゃんがその女性を「お母さん」と呼びました。
そのひとは、兄妹の母親だったわけです。
しかし、女の子が店員さんと生地を選んでいるあいだもまったく知らん顔。そちらを見ようともしません。
生地が決まって裁断してもらい、お金を払うときになって、そのお母さんは、私と後ろのひとのそのまた後ろから、無言でお札を握った手を出しました。そしておつりを受け取ると、やはり無言で、子供たちのほうを振り向きもせずさっさと出て行ってしまいました。
女の子はひどく不貞腐れたようすで生地の入った袋を持って母親のあとに続き、お兄ちゃんも二人とお店を出て行きました。
店員さんが私と後ろのひとに「すみませんねえ」と言ったので、思わず「謝るのはあなたじゃなくて、あのお母さんだと思うけど」と言ってしまいました。

あのお母さんは、生意気盛りの娘と喧嘩したのかもしれません。
中学生くらいの子供は、ときに腹に据えかねるようなことを親や周囲の大人に向かって言います。
うちにもようやく最近反抗期を脱したらしい息子がいるので、この年代の子供の生意気さはよく知っています。
あるいは、日頃から母娘の間はあまりしっくりいっていないのかもしれません。
女の子は、母親はもちろん周囲の誰ともまともに口を聞こうとしなかったので、どうも大人全体に対する敵意があったようにも思います。
しかし、それは私やその後ろの人、そしてお店の人には何の関係もないことです。
娘の態度はどうあれ、またそれまでの経緯はどうあれ、母親の態度は大人のものとは思えません。
高校生の息子がいる、ということは、それ相応の年齢の、つまり社会常識も礼儀もわきまえていて当然の年代のはずです。
どうしてあのお母さんは、私たちや店員さんに「すみません」と一言いえなかったのでしょうか?
いや、その前に、どんなに娘に対して腹が立っていようと、明日の家庭科で使う布を娘といっしょに見てやったり、店員さんに尋ねるように促すのは、母親の役目のはずです。
その役目を店員さんと息子に肩代わりさせていることに、この母親は気づいていたでしょうか?
思春期の生意気盛りの年頃といっても、家庭科の生地を選ぶなんて、娘としてはもっとも母親を頼りにしたい、また母親と女同士のおしゃべりができる機会でもあります。
でも、そのお母さんは、せっかくのそういう機会をあっさり捨ててしまっているように見えました。
女の子のようすは、お兄ちゃんとのやりとりを聞いていても、非常に荒んだ、何かとても暗い感じでした。
ここのご家庭にどんな事情や背景があるのかわからない以上、憶測で言うわけにはいきませんが、しかし、女の子の目つきの暗さや投げやりな態度は、その場だけのものではないように私には思えました。
もしかしたら、母親の何かが女の子を荒ませているのかもしれません。
怒りながらも妹と母親の双方に声をかけ続けていたお兄ちゃんだけが、ひどくまっとうな存在のように私の目には映りました。
もちろん、そういったことは私の想像でしかないわけですが、しかし、手芸屋さんにいた何分かの間、あのお母さんが終始無言であったことは事実です。
何があったにせよ、あそこで娘と生地選びをしようとする母親であったなら、女の子からあれほど荒んだ印象を受けることはなかっただろう、と、そんなふうに思いました。

by ten (2004.12.15)


夏の同居人

記録的に暑かった夏も、さすがに終わりです。
ホッとするとともに、一抹の寂しさもあります。
秋は、別れの季節?

集合住宅の2階にある、我が家の狭いベランダに、この夏ハチが巣を作りました。
コアシナガバチという小型のハチです。
その特徴のある巣の形から、多分、間違いないと思います。
去年に続いて2度目です。
はじめは、お母さんバチが1匹で作り始めます。
いまや、1軒の巣に50匹くらいのハチたちがいるでしょうか。
それが2軒あります。

実は、去年、作り始めの頃、そこを通らずには鉢植えに水がやれないこと、あまり増えると近所に嫌がられるかもしれないこと、家人の反対なども予想して、さんざん悩んだ末に、お母さんバチが留守の間に、こっそり撤去してしまったんです。
部屋はまだ2つくらいでしたし、もしかすると、まだ産卵していないかもしれない、今なら他で作り直せる、ここが危険だと思えばもっといい場所を探すだろう、と勝手に判断したのでした。
帰ってきたお母さんは、あるはずのところに巣がないことに、ものすごく動揺したようでした。
何度も何度もそのへんを飛び回って探しました。
(私の友人に言わせると、「ぼけた!」と思ったに違いない、というんですけどね)
それは、非常に心の痛む光景でした。
「ごめんよぅ」と思いながら見ていたんですが、いまさら元に戻すこともできず、そうこうするうち、諦めたのか、姿が見えなくなりました。
初夏の頃でしたし、きっとまだ若いんだからやり直せるよ、と身勝手なことを考えて、一件落着のつもりでいました。

ところが、3〜4日してひょっと見ると、前と寸分違わぬ位置に、同じような巣があります!
一瞬、ギョッとしました。(ぼけたのは、私?)
ハチはせっせと働いています。
私を警戒するふうでもありません。
このハチがあのハチかどうか、残念ながら私には見分けられないのですが、でも、同じハチだと考えるのが妥当でしょう。
ハチが、どういう条件で営巣場所を選んでいるのかよくわかりませんが、よほど気に入ってくれたのか、他に適当な場所がなかったのか・・・。
あちこち探す余裕がないほど、事態が切迫していた、つまり産気付いていたのかもしれません。(そんなことがあるのかな?)

こうなったら、もう手出しはできません。
窮鳥懐に入る、というか、なんとなく仁侠の世界です。
こんな狭いベランダで安全に共存できるかどうか、多少の不安もありましたが、少なくとも彼女は、私がそばを通っても、気にするふうではありませんでした。
そこで私も、いかにも気にしていないような顔、気がついてもいない振りをして、通行権だけは確保しておきました。

お母さんバチは、ほんとうに忙しいんです。
まず、巣を作らなければなりません。
既成の壁など(このときはアルミの窓枠)からほぼ直角に1cmほどの細い棒状の突起を作り、その先にラッパ型の部屋を作ります。 材料は、木の枝などの表面から噛りとった繊維と、多分、唾液を混ぜたものなのでしょう。
根元の棒状の部分には、自分で分泌する茶色の特殊薬剤を塗ります。
アリなどの侵入を防ぐ物質だそうです。(これは、本で見た知識です)
これを塗らないと、大事な卵や幼虫が、たちまちアリたちの餌食になってしまうそうです。
ところが、この薬の有効期間は30分くらいしかない、と本には書いてありました。
つまり、30分に1回は塗り直さないといけない、ということです。
それを忘れると、巣はアリだらけになり、取り返しがつかないらしいのです。
1部屋に1個の卵を産みつけたら、その部屋を広げていくとともに、次々に部屋数を増やしていきます。
陽射しが強いと、部屋の温度が上がりすぎて、卵がダメになってしまうのでしょう。
お母さんは水を運んできて、巣の外壁に小さな水滴を付け、そこで扇風機になります。
脚でしっかりつかまりながら(でないと飛んでいってしまうのでね)、羽を高速運動させます。
気化熱が奪われて、部屋の温度が少し下がるらしいのです。
・・・そんなこと誰が考えたんだろう?

卵が孵化すると、子どもに餌を運んでこなければなりません。
コアシナガバチは、一応肉食のハチです。
少なくとも、主食は昆虫のようで、目立つのはきれいな緑色の青虫です。
青虫の肉を細かく噛みとって直径3〜4mmのボール状にして運んできます。
子どもには、お母さんが口移しにやっているようですが、一旦消化したものを食べさせているのかどうか、細かいことまではわかりません。
でも、かなり大きくなった子どもは、そのボールに直接食いつきます。
親と子の間で、緑色のボールがビヨーンと伸びたりしています。
大きくなった子は、部屋の入り口まで、あるいはもっと外まで身を乗り出すことができるので、それが見えるのです。

とにかく、お母さんバチは、それら全ての仕事を独りでやります。
子どもは、ある日、自分で口から糸を出しながら、何度も何度も頭を回し、部屋の入り口にドーム状の白い、あるいは少し黄緑がかった蓋を作って、閉じこもります。
中で蛹になるのでしょう。
あんなに世話をしていたお母さんは、このときは全然手伝いません。
何日経って羽化するのか、勘定していないのですが、2〜3日よりは長いと思います。
勘定するチャンスは、ほぼ最初の子のときだけです。
部屋が増え、羽化した子が増えると、もうどこがどこだか、誰が誰だか、私にはわからなくなってしまいます。
ちゃんと研究する人は、部屋やハチに印を付けたり、毎日写真を撮ったりして、個体を識別し、記録するんだろうな、と思いますが、私はただの同居人なので、ボヤッと見ているだけです。

蛹が羽化してドームを破って出てくるところは見たことがないのですが、ごく薄いモナカの皮のようなドームは、真ん中が破れ、ヒラヒラしています。
少し小振りで、色も黄色みがかったハチが、なんとなく所在なげに巣にとまっているのが、きっと羽化したばかりの若バチなのでしょう。
お母さんが次々に卵を産んだので、その順番で次々に若バチが羽化します。
大人になると、早速労働に加わります。
働き手が増えると、お母さんは少しは楽になるのでしょうか?
それとも、せっせと卵を産むようになって、全体の仕事量がどんどん増えるので、忙しさは変わらないのでしょうか?
巣の増築、水運び、扇風機、狩り、子どもたちへの給餌・・・きっともっといろんな仕事があるのでしょうが、本人たちが説明してくれないので、よくわかりません。
役割分担が決まっているのか、命令系統とか設計図のようなものがあるのか、何しろ個体が識別できないので、何とも言えないのです。

お母さんバチは私のことを気にしませんでしたが、若い子は少し気にすることがあります。
私が近づくと、頭をあげて、羽を三角に立てぎみにして、威嚇姿勢というのか、緊急発進の準備ができた戦闘機のような、緊張姿勢をとることもあるのです。
でも、それ以上のことになるわけではなく、私が通り過ぎれば、すぐに警戒は解かれ、羽はペッタリ背中にくっついてしまいます。
何回か(もしかすると1回かもしれません)そういう経験をすると、あれは危険ではない、と学習するらしくて、毎回みんなが緊張するわけではないようです。
部屋数が増え、子どもが増え、若バチも増え、巣は日増しに大きくなり、賑やかになっていきました。

ところが、ある日、私が外出から帰ってみると、巣のあたりが妙にシンとしています。
ハチが2匹しかいないのです。
近くで他の2匹の屍を見つけました。
よく見ると、蛹のドームはすべて穴があいています。
残っていた2匹は、何をするわけでもなく、じーっとしています。
呆然自失、という感じです。
次の日も状態は変わらず、その翌日くらいに、その2匹も姿が見えなくなりました。

ほんとうのところはわかりませんが、もしかすると、スズメバチかなにかに襲われたのかもしれませんね。
何年も前に、別のところに住んでいたとき、アシナガバチの巣がスズメバチの襲撃を受ける現場を目撃したことがあります。
スズメバチはたった1匹でしたが、たくさんいるアシナガバチは全く抵抗できませんでした。
スズメバチは、アシナガバチの2倍以上の大きさがあります。
体が竦んでしまう、というのでしょうか、はたから見ていると、みんなでかかっていけば充分撃退できるだろうと思うのですが、そういう動きはありませんでした。
スズメバチは、巣をバリバリ壊して、次から次へと幼虫を引きずり出して食べてしまいました。
成虫も手もなくやられ、生き残った者も、じきに巣を放棄して立ち去りました。

ふーん、そういうふうにできているんだ・・・と、そのとき溜め息まじりに思いました。
「団結」とか「自衛」とか「抵抗」とかいうプログラムは組み込まれていないのかもしれません。

そういうことがここでも起こったのかどうかはわかりませんが、とにかく、昨シーズンのハチとの付き合いは、それで終わりました。
8月の半ばのことだったと思います。

さて、今年です。
今年のお母さんは誰なんだろう?
去年の生き残りの2匹のことが頭をよぎりましたが、でも、そんなことがあるだろうか?
もしあの2匹だとすれば、むしろこの場所は避けるんじゃないだろうか?
どういう形で生命が冬を越し、どういう記憶が引き継がれているのか、聞いてみたいものです。

今年の巣は、1軒は去年とほぼ同じ場所、但し、窓枠ではなく、窓ガラスから生えています。
もう1軒はそこから1mほど離れたアルミサッシ。
両方とも、普段開け閉めしないところを選んでいるので、それなりの事前調査はしているのでしょう。
野生のものは、そのへんはちゃんと考えている、と思いたいところですが、友人の家では、朝ベランダの柵に干した布団の間に、午後にはスズメが巣を作りかけていた、と言っていましたから、自然もいろいろです。

そう、ハチもいろいろなんですよね。
うちのベランダは――と私は思っていますが、ハチくんたちは、自分たちのベランダだと思っているかも――、南東向きなので、午前中しか陽が当たりません。
しかも、巣はサッシのところ、つまりベランダの柵からは1mほど奥へ入った、床から1mくらいの高さにあるので、直接陽が当たるのは、夏の間は10時頃までです。
それでも、この夏の暑さは猛烈で、陽が当たっている時間帯といったら、私なら、5分も立っていればひっくり返りそうでした。 その時間、ハチたちは一番忙しく働きます。
こういうときは出入りが激しいので、私がベランダにいると、よくぶつかります。
彼らの飛行ルートはだいたい決まっているのですが、1種類ではないし、私が勝手に動くので、お互いによけるのは難しいのです。 ボン、とぶつかったときには、一応、ゴメン、と謝っておきますが、たいして気にしている様子はありません。
向こうが謝っているかどうかはわかりません。
同様に、こちらの謝罪も通じてはいないでしょうが、悪意がないことは、なんとなく伝わるかもしれません。
顔の近くにぶつかったり、そのあたりに急接近されると、ブン、という羽音が、いささか攻撃的に聞こえたりしますが、それはこちらの勝手な思い込みで、彼らはいつだってブンブン飛んでいるんです。
音を立てずに飛ぶことは、構造的にできないんだろうと思います。
脚の方を通るときには、私の耳に聞こえないだけです。
耳の傍でブンといったときに、思わず手で払いのけたりするのはまずい対応です。
それでは彼らも気分を害するでしょう。
攻撃されたと思うかもしれません。
一度失った信用を回復するのは、とても難しいことです。

今年のハチたちは、概して神経質ではありません。
人間を警戒する雰囲気がほとんどありません。
巣に近寄ってジロジロ見ていても、全然気にしていないようです。
人間なんて大きすぎてよく見えない、という感じです。

天気のいい日の朝は、とにかく水を集めます。
バケツや水筒を使ったりはできないので、口に含む、というか、多分、お腹一杯飲み込んで、巣に帰って吐き出すのです。
1匹で1回に運べる量はほんの1滴ですが、みんなでやるというのはすごいもので、直径3cmくらいの水溜りを作ってしまうこともあります。
各部屋は、下、あるいは横向きに作られているのですが、その基部、というのか、上部、屋根に当たる部分が、丁度お皿のように、ゆるく窪んでいます。(これがコアシナガバチの巣の特徴です)
そこに水を貯めるのです。
巣は、パルプのようなものでできている、つまりは紙のようなものなのですが、どうやら防水加工がしてあるらしく、水を貯めても平気です。
その水溜りから、巣のあちこちに小さな水滴を配り歩く係がいて、扇風機係もいるわけです。
我が家では、エアコンの室外機から出る水をバケツに受けて、鉢植えにやっているのですが、その室外機のホースからポタポタ滴る水を使うことを覚えたハチがいます。
バケツに溜った水は、大量すぎて使いにくいのでしょう。
バケツは足場も悪く、下手をすると、水に落ちる危険もあります。
そこへいくと、ホースからの水は、1滴ずつだし、ホースは細かい蛇腹状で足場もよく、たとえ稼働していないときでも、その凸凹にいつも少量の水が残っています。
先端は乾いても、少し奥に入っていけば、ちゃんとありますし、奥から急に大量の水が攻めてくることもありません。
なにより、エアコン稼働中に出てくる水は、バケツの溜り水より冷たいだろうと思います。
葉についた朝露など、自然の水分もあるわけですが、エアコンの最大の利点は、近い、ということです。
近いほうの巣からは、50cmの距離なんです。
必要量を集めるには何往復もしなければならないのですから、この近さは重要です。
とはいえ、みんながこの水を利用しているわけでもないようで、そのへんの情報伝達がどうなっているのか、よくわかりません。

朝のうちから30度を越えたような暑い日、給水係は何度も巣とホースを往復していましたが、そのうち、ホースを離れなくなってしまいました。
サボタージュ?・・・ではないのかもしれません。
一定数のハチは、いつも巣で休んでいますから。
交代制なのでしょう。
でも、休憩時間を水場で過ごすなんて、いいことを思いついたもんです。

大工さんの方もなかなか大変そうです。
子どもは待ったなしで大きくなるので、子どもがはみ出さないように、どんどん部屋を深くしないとなりません。
ある日、ひょいと巣を見たら、ハチの巣にしてはやけに白い部分があります。
漂泊したような白さです。
なーるほど、ベランダには、引っ越しのときの段ボール箱が、空の鉢やシャベルなどを入れて置いてあるのですが、それが白地に青い文字の印刷された箱なんです。
よく見ると、箱の表面には薄くはぎ取った跡があります。
なんと手近なところで調達したことか。
近い巣からは20cmですからね。
そして、巣をさらによく見ると、一部分鮮やかに青い部屋も・・・!
とてもハチの巣とは思えない色使い。
でも、印刷インクは体に悪くないだろうか?
食べるものではないとは言え、ちょっと心配です。

子どもが成長するに従って、部屋の壁を先へ先へと継ぎ足していくのですが、作業が遅れていて、子どもが入り口に頭を出していることもあります。
作業はその状態で行われるので、子どもの頭は何度でも踏み付けられます。
子どもは踏まれることには慣れているようで、嫌がるわけでもありません。
ところが、作業が下手な、というか、作業の目的を全然考えていないハチもいて、既存の壁の先端に継ぎ足していくはずの新しい壁を、子どもの頭に継ぎ足していたりするんです。
もちろん、子どもが動けば、壁は壊れるんですけどね。
先に行くに従って、だんだん直径が大きくなるべきところを、先細りにしてしまう大工さんもいます。
子どもがむにゅーっと身を乗り出してくると、これもバリバリと壊れてしまいます。
そういうバカなことをやるのは、たいてい、まだ羽化したての若いハチです。

このところ、台風の影響などもあって、風の強い日が何日かありました。
巣のすぐ隣にシンピジウムの鉢があり、その葉が1枚、風で巣に当たります。
巣が壊れるほどのダメージは与えないようなのですが、バタバタして煩そうでした。
どうするかなあ、と思っていましたら、なんと、巣材と同じものを使って、巣に固定してしまいました。
なるほど・・・。

台風のせいで明日は風が強くなるでしょう、という予報が出た日には、巣の根元の棒を丹念に補強しています。
さすがだなあ、と尊敬してしまいます。

人間は、さまざまな感知能力や調節機能を、文明という形で自分の外側に構築することによって、自分自身に備わっていたそれらを捨て去ってしまったように見えます。
ひとりひとりの人間をとってみれば、かなり無能な生き物になっているように思います。
ひとりじゃ家も作れない、食べ物も探せない、台風が来るのもわからない・・・。

それにしても、あの若い大工さんはだんだんに熟練していくのだろうか、それとも、適性を欠くと言われて他の仕事に回されたりして、全体のバランスは保たれていくのだろうか、などと、つい余計なことを考えています。

今、巣は去年の3〜4倍くらいの規模になっています。
まだせっせと増築中ですが、そのうちにはシーズン終了のときがやってくるはずです。
もう秋風がふいているのに、そんなに増築が必要なんだろうか?
お母さんは、まだまだ産卵する予定なんだろうか?
それとも、横の連絡は全然なしに、最後の日まで建設は続けられるんだろうか?
個体の死、というのは、どこにでもある普通のことですが、こういう共同体の終わり方、というのはどうなるのかなあ、などと思いながら、この1点でだけ、行く夏を惜しんでいる昨今です。

by えむ (2004.9.12)


ゴーヤ

毎日暑いですね、残暑お見舞い申し上げます。
そして、アテネオリンピックでも熱くなっています。日本選手、ガンバレ!

ところで、今年の夏はゴーヤを育てることになりました。
某電力会社の「緑のカーテンキャンペーン」。
つる性の植物を利用して緑のカーテンを作る。
この緑のカーテンは赤外線を反射し、葉の気孔から水分を蒸発して日差を和らげ、室温の上昇もおさえてくれるので、真夏のエアコン使用電力量を20〜30%省エネできる効果があるとのこと。
この電力会社がキャンペーン用に配布している朝顔とゴーヤの種をいただき、5月末、プランターに種をまきました。
そして、つるが伸びた時のために2階からネットをたらし、「大きくなぁーれ、大きくなぁーれ!」と水やり。
朝顔はつるも順調に伸び、蕾もつけましたが、ゴーヤは黄色い小さな花を咲かせるだけで一向に実がなりません。
それでも7月28日に2センチほどの実を見つけ、うれしくって、飛びあがったら、もうひとつ、1センチにも満たない赤ちゃんゴーヤを見つけました。
今度はこのチビッコたちと睨めっこ。
そうこうするうちにいくつか実を結び、最終的に7個。
プランターで作っているからか、肥料不足なのか、スーパーで見かけるような大きさにはなりませんでしたが、しっかりゴーヤの顔をしています。
トゲトゲが膨らんできたころ収穫(?)、チビッチョでもしっかりゴーヤ。
ゴーヤチャンプルーやサラダにしてあの苦味を味わいました。
初なりのゴーヤくんは記念にぶらさげたまま、すると先日、色が黄色くなってきて、次の日には実全体が黄色に、その次の日にはきれいなオレンジに、そして、その次の日には、パカッと割れて、中から真っ赤な種がポトッと落ちてきました。
うーん、生命の神秘!? す・ば・ら・し・い!
先日伯母がゴーヤのみそ漬がおいしいと言っていました。
一度作ってみよう。
うちのゴーヤは食べてしまったけれど、スーパーで「私をおいしく食べて」というゴーヤの声が聞こえてくるし・・・。
もひとつ我が家はシークワーサーにはまっています。
こちらもオススメ!
まだ続きそうな暑さも、ゴーヤとシークワーサーでなんとか乗りきれそうです。
ただオリンピックの日本選手が気になって寝不足なのはどうしようもありません。

by おりーぶ (2004.8.20)


草取り

北側の庭の草取り。
一面、どくだみ。
薮蚊対策の蚊取り線香の煙と香りに包まれて、こんなになる前に掃除しておけば・・・。
毎年同じことを思いながら汗をふきふき、どくだみを抜く、独特の匂い。
地下茎だからどんどん増える。
どくだみは漢方薬の「十薬」。
この匂いがいいのかな?
そういえば、去年、庭師さんに頼んで棕櫚を2本切ったんだった、切り株どこかなと、どくだみを掻き分けると、新しい切り口を見せて切り株がふたつ。
ちょっとさびしくなったけれど、切り株の根元近くに芽が出ていた。
生命力強し。

ふと見ると、切り株の横で三角の顔をこちら向けて、大きな鎌をもたげたカマキリ。
その鎌がもっと大きくて切れ味がよかったら手伝ってほしいくらいと、そっと手を出すと、いっそう鎌を振り上げて威嚇してくる。
しばらくにらめっこ、私の勝ち。
お隣の塀をうまく登っていく、運動神経抜群と感心した途端おっこってきた。
あらら・・・。

もみじの葉っぱの裏にはオコゼがいっぱいついている。
これが魚のオコゼなら薄作りか唐揚げ。
でも、毛虫じゃあ、ね。

あじさいはピンクの花をつけている。ここの土は酸性?アルカリ性?
どっちだったか忘れた・・・。

椿、咲いたところ見たことがない・・・。

千両、赤は元気がないけど、黄色は元気そう・・・。

以前は白い萩があったけど無くなっちゃった・・・。

Tシャツが汗で濡れてきた。
もうこのあたりで勘弁を。
45リットルのゴミ袋三つ。
ご苦労様。

by おりーぶ (2004.6.28)


CC(クローンキャット)

今日、おじさんが広げた新聞の上に飛び乗って、ひっくり返った。
『クローン猫 販売開始』?
『1匹540万円で米ベンチャー』?
なんのこっちゃ!
えっ、『あなたのお好みの猫をつくります』?
『費用は1匹約5万ドル(約540万円)』?
『既に8匹分が予約済み』?
神への冒涜!
猫への冒涜!
「お好みの猫」ってなんだ!
遺伝子の関係でいろいろなニャンコが誕生する、これが自然なのだ!
だから吾輩のような高貴な素晴らしい毛並みのニャンコも何万分の1の確率で誕生するわけで…、それを人間の勝手でいじくりまわされるのは非常に腹が立つ。
吾輩、大人になるにつれて、鼻に黒いポチポチが出てきた。
これも吾輩の遺伝子の関係。
でも、なにやらこのあたりが斑になること自体、珍しいことらしい。
心配するおじさんをよそに吾輩はそれを誇りに思っていたくらいだ。
で、言うわけではないが、吾輩は吾輩であって、吾輩のコピーなどいらぬ。
もしも吾輩がいなくなった時におじさん、おばさんがどうしたいのか、1度聞いてみたいものだが…。
それにしても、何が「あなたのお好みの猫を…」だ!
人間は何を考えているんだ!
すでにクローン牛も、クローン羊もいるらしい。
何やら、遺伝子組替食品とやらもあるらしい。
「遺伝子組替食品」を自分たちで作っておいて、「遺伝子組替食品ではありません」という 表示をつけて食品を売る人間がわからない!狂ってるー!

by 阿茶 (2004.4.17)


携帯ソファ

先日、お店で雑貨を見ていたところ、小物の置かれたコーナーで「携帯ソファ」なるものが目に留まりました。
せいぜい手のひらくらいの大きさの小さなソファが袋に入っています。
いくら「携帯」といってもこれではとても座ることができないだろうに、としばし眺めているうち、ようやく意味がわかりました。
これは携帯電話用のソファ、つまり携帯電話を置くとき、衝撃がないようにここに置きましょう、というアイディアグッズだったわけです。
少し前まで「携帯」という言葉は「携帯枕」とか「携帯灰皿」とかいうように、外へ持って歩くために簡易式になっていて便利なもの、という意味で使われていました。
旅先で仮眠をとるための持ち歩きのできる枕、外でタバコの灰を撒き散らさないための蓋のついた小さな灰皿、という意味で、あくまでも主役は「枕」であり「灰皿」であったわけです。
その考え方でいけば「携帯ソファ」も、携帯できる、もしかしたら折りたたみ式などになっているソファということになるはずなのですが、いまや「携帯」という言葉は「携帯電話」そのものを表す語になってしまったようです。
「携帯ソファ」という名前を考えた人も、「携帯ソファ」という言葉から、持ち運びできる簡易ソファを思い浮かべる人間がいるとは考えもしなかったのでしょう。
しかし、私のように少し(かなり?)年をとった人間にとっては、「携帯」という言葉はやはり依然として本来の意味、新明解国語辞典による「からだのどこかにつけて(手に下げて)持って歩くこと」に他なりません。
いまの若い人たちは「携帯ソファ」という言葉を見て、なんの疑いもなく「ケータイ電話用ソファ」だとわかるのでしょうか?
言葉はこのようにして本来の意味から離れて一人歩きして、新しい意味が定着していくものなのだろうと思います。
しかし、「携帯」が「ケータイ電話」を意味することになってしまったら、「携帯枕」や「携帯灰皿」の立場はいったいどうなってしまうのだろうかとか、携帯電話用の枕(いったいどんなシロモノなんでしょ?)であるとか、ケータイと灰皿の合体した品物であるとか、そういう想像をする人がいても不思議ではなさそうだなとか、どうでもいいようなことですが、ちょっと考えてしまった「携帯ソファ」との邂逅でありました。

by ten (2004.2.29)


<休み>

「今日は休みです」というときの<休み>の意味って、とても簡単なことだと思っていました。
でも、そうでもないみたいです。

レストランに行ったら、「あれ、今日は<休み>です」
アメリカ人が、「わかった、closed」と理解しました。

コンビニエンスストアに行ったら、閉まっていました。
「Oh,<休み>!」
「いや、<休み>じゃない。ここは潰れたみたい。それは<休み>とは違います」

「鈴木さんは風邪をひいて今日は<休み>です」
「...?! Is he closed?」
アメリカ人がびっくりしました。
「それもね、日本語では<休み>なの」

「正月<休み>は何をしましたか?」
アメリカ人がちょっと混乱しました。
「closed...absent...holiday...vacation...」

「夜中に熱が出て、病院に行きました。<休み>!」と、アメリカ人が言いました。
「ちがーう! それは<休み>じゃない。ただ<やってない>だけ」
「?!」

「昼に役所の窓口に行きました。・・・<休み>じゃない」
「いや、それは<休み>。<昼休み>」
アメリカ人が大いに混乱しました。
でも、日本人も充分混乱しました。

日本語の<休み>の概念って何だろう?

日本語と他の国の言葉が1対1で対応しないことは山ほどあります。
言語によって、文化によって、世界の切り取り方が違うのは当然です。
それはかまわないんだけど、昼休みが<休み>で、夜中が<休み>じゃないのは、なぜだろう?
どんな理由があるんだろう?
日本人、なに考えてるんだろう?

<休み>がそんなに難解な、深遠なことだったとは、全然知りませんでした。

by えむ (2004.2.3)


女性にはわからない話

皆さんのご家庭の男性陣はトイレで座って"おしっこ"します?
最近はほとんどが洋式トイレですよね。
我が家は娘むこも息子も座ってするのです。
・・・でパパは?っていうと立ってするのです。
ですから息子が嫌がるのです。
パパの"○"の音と便器に"○"がたれるのを。
世代の差でしょうか?
おじさんは音なんて平気で立ってして若者は音がしないように座って。
確かに私いやなんです。
半分戸をあけて音を立ててしてる姿。
あ〜おじさんっていやだなって。
「戸を閉めて静かにしてよ」って言いたい!
今の若い男性はマナーを心得ているってこと?
それとも座ってするのは我が家の娘むこと息子だけ?

by ママさん (2004.1.17)


2002年上半期分 2002年下半期分 2003年分






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