歯医者へ行った。
ズキズキ痛むし顔も腫れてきた。
そこで自己流、顔の血流マッサージをやった。
翌朝、右半分が腫れあがり、顔がゆがんでる。
治療をしてもらい薬局へ。
「そんなに痛むんですか」と聞かれたのでマスクをはずすと、薬剤士さんは「分かりました。いつもの量と違うので」とあわてて言った。
私は、携帯で顔を写し、メールで友人たちに送った。
ある友人から「あなたはだあれ」と返事が来た。
翌日、左にも腫れが広がった。
目と目の間が広くなり、鼻の高さも無い。
頬は垂れ下がり触るとぷよぷよしている。
涙は無残に目頭の溝にたまってる。
頬は冷やしすぎて、赤くなって痒い。トホホ
夫は「おたふく風邪じゃないの?」と言う始末。
4日目、「腫れるだけ腫れたのでもう大丈夫。完全に戻るのは1週間くらい」と歯科医。
とんだ年末になってしまった。
今年は本当に思いがけない、いろんなことがあった。
これで御用納めとなれば幸いか。
娘は「明日出かけるの?そのままで?」と。
とにかく細かな字が見にくくなりました。
本を読んでいても、濁点なのか半濁点なのかわかりにくい、しかもルビときたら本を顔から離したり、くっつけたり、四苦八苦しなければ読めません、いいえ、見えません。
これはいよいよだなって。
気持ちは以前と全く変わらないけれど、こんなところで老化を思い知らされるなんて、ちょっと寂しくなりましたが、これが現実。
仕方なく「メガネ」を作りに出かけました。
ひと通りの検眼が終わり、仮のレンズを入れたメガネもどきをかけ、大きさで段階的に並んだ小さな字が印刷された紙を手渡されて、「これでどうですか、よく見えますか?」と。
むむっ、よく見える! 悔しいが、よく見える!と変に感動。
一瞬、間があったからでしょう、「どうですか?」と聞きなおされて、やっと「はい」と答えました。
「一般的な辞書の字がこの列ですが、どうですか?」に「見えます」と言葉にするのと同時に心の中で「ヤッタ〜!」と。
眼鏡屋さんに出かける前は、老化を認めざるを得ない現実と、寂しさと、変な緊張感で、気持ちまで老け込んでいましたが、小さな字がきれいに見えた瞬間、パッと気持ちまで明るく、若返りました。
それからはメガネさまさまです。
昨日、「若返りメガネ」のレンズの片方が、パソコンのキーボードの上に落っこちてしまいました。
片方だけのレンズではと、そのあたりに散乱している本や、辞書、ペン、そしてパソコンを片付けて、今度は空いたテーブルの上におもむろに新聞をひろげ、「さあ、メガネ、メガネ」とメガネをかけ、なんか変だぞって。
やっと気が付きました、今さっき、片方のレンズが落っこちたことを。
そして、もひとつ、あることに気づきました、それは老化が進んでいるのが「目」だけでなくて、「頭」の方もだと。
ガックリ。
なにやら、おじさんが料理に目覚めてしまった。
何冊か料理の本を購入してくるようになり、休みの日には僕がやろうかとか言ってくる。
結局、私がすることになるのではとか、後片付けのことを考えると、喜んでいいものかどうか。
そうこうするうち、みずほ点訳が活動場所としている瑞穂生涯学習センターの第2期講座に「男子厨房に入る」という男性の料理の講座を見つけ、応募方法にしたがって申込み、運良く(?)抽選にあたり、先日、第1回の講座を受講してきた。
メニューはロールビーフとホタテと大根のサラダ。
1度も包丁を持つこともなく、ちょっとだけフライパンを揺すってきただけのようでしたが、それでも先生のこと、同じグループになった方のこと、料理の手順など楽しそうに話す。
よしよし、まずまずのスタート。
みずほ点訳の仲間からの「復習したら」の声に応えて(?)、「復習」すると言う。
「ま、いいっか」と、この日曜に台所をおじさんに明渡した。
最初は鼻歌なんか唄っていたおじさんが、なにやらブツブツと言い始め、そして、ついに来た、「ちょっと、いい?」。
おばさんはついに助手となる。
仕方ない、とんでもないものを食べさせられるよりは…。
ひとつ手順をとばしていて慌てたりはしましたが、それでもお味は満点。
おいしかったです。
お料理の先生、ありがとう。
第1回の「復習」が終わったと、ほっとした途端、おじさんが言った、第2回の「予習」をしようかなと。
勘弁してください。
冷夏といわれて、農作物にも大変な影響が出ていますが、ここにきて突然の猛暑。
本当に暑い日が続いています。
ところでわが家の家出ネコ。
『吾輩』のコーナーで自ら不良ぶりを激白(?)しておりましたが、これがいまだに透きあらば外に出ようと、網戸をバリバリ。
しかも「出してー」と言っているのか、「アウゥー」「ワウゥー」とネコとも思えない鳴き声を発しています。
家出後のことまで本人が告白しておりませんので、この場を借りましてお話させてください。
おじさんにもおばさんにも全く相手にされていない様子に逆に心配になったのか、「ただいま」も言わず、縁側から帰って、とりあえずホッとしたのか、すぐさま自分用と決めてしまったお布団の上に直行。
こちらもホッとしてよく見ると、あの美しいピンク色の足の裏が真っ黒。
当然ですよね、縁の下を歩いてきたわけだから。
ほれ、拭かなくてはと、濡れタオルを持ってきて、後ろ足の一本をふこうとした途端、これが恐ろしく興奮しているのか、思いきり「フゥー!」。
それでも体を押さえつけて、四本全部を簡単に拭きおえましたが、何度「フゥー!」と威嚇されたことやら。
思わず「この野郎!」と怒鳴りたい気分。
やさしく「阿茶〜」と声をかけるおじさんにも「フゥー!」を連発。
やっぱり不良ネコ!?
ついでに。
ネコも暑さで食欲が落ちています。
だっこすると、ちょっと軽くなったようです。
それにひきかえ、おばさん、ビールはおいしいし、食欲も落ちない。
ヘルスメーターの数字は今まで見たことのない数字を示しています、こちらも「フゥー!」。
スコットランドの歴史に関する本を読みました。
読んでいくうちにどんどん混乱してきて、最終的には果たして「読んだ」と言えるかどうかわからなくなりました。
その最大の理由は私の理解力の無さにあるとしても、いいわけをさせてもらえるなら、もうひとつ、出てくる人物名の区別のしにくさ、というのも挙げたいと思います。
西欧の名前、ことに王様や貴族階級の名前というのは、代々父祖の名前を引き継ぐのが慣習なのだろうと思うのですが、とにかくひっきりなしに同じ名前の人物が登場します。
イギリスやフランスの王様などを見ると、ヘンリーとかチャールズとかエドワード、またはルイとかシャルルとかいった、限られた数の名前を使いまわしていて、それを1世とか2世とか、いわば番号をつけて区別しているんですよね。
日本では、たいてい主君や親の名前から一文字いただいたりして、その家系内ではなんとなく共通したものがあるにしても、親子兄弟で完全に同じ名前をつけるということはまずありません。
徳川家康の直系の男子たちは、何人かの例外を除いてみな「家」の字がついていますが、でもまったく同じ名前というのは私の知っている限りいないのではないかと思います。
こういう名前のつけ方の違い、というのは、もちろん、「一字をもらう」ということが、漢字でしかもたいてい二字以上を使って名前をつける習慣のある日本でなら可能だということ(中国では名前はたいてい一字ですから、こういうことはできないでしょう)があると思うのですが、それにしても、西欧諸国は、なぜこんな混乱を招きやすい名前の付け方をするようになったのでしょう?
スコットランド最大の英雄は、ロバート.ブルースといって、13世紀に、いっときとはいえイギリスからの完全な独立を勝ち取った人物なのですが、彼は、スコットランドのロバートという名の王としては初代なので、ロバート1世です。しかし、彼の父親もおじいさんも曾おじいさんも、息子も孫もみなロバート.ブルースですし、親戚筋などにも山ほどロバート.ブルースという人物がいて、それらの多くは王様にはならなかったので、1世、2世・・・という区別もできません。
もちろん、歴史上の事績とか重要度などが違いますから、みんながみんなごちゃ混ぜになってしまうということはないと思いますが、それにしてもこんなに同じ名前の人物が登場する歴史を覚えなくてはならない西欧の子どもたちは、けっこうたいへんなのではないか、なんて考えてしまいます。
1世、2世という分け方も、人物の印象が記号のようになってしまって、あまり人物像を想像する手がかりにはならないような気がします。
日本の場合なら、とくに大きな事績を残さなかった人物であっても、固有の名前を持っていることで、なんとなくそういうひとが存在した、くらいの印象を持つことができます。
徳川家宣なんて、生類憐みの令を廃止したほかは、ほとんど何もしないで3年で死んでしまった将軍ですけれど、それでも「家宣」という名前があるおかげで、一応まあそういう人物がいたんだな、という気分にはなります。
でも、フランスのルイという名の王様のように、18世くらいも続いてしまうと、よほど大きなことを成し遂げたとか、16世みたいに革命で処刑されたとかいうように、際立った特徴でもないと、なかなか人間の体温が感じられないような気がしてしまいます。
むろんそれは、日本人が、何代にもわたって同じ名を踏襲するという習慣に慣れていないせいであって、フランスのひとびとにとっては、ルイ5世であろうと、ルイ12世であろうと、ちゃんと区別もつくし、なんといっても自分の国の歴史ですから、それなりの存在感もあるのかもしれません。
でも、ときどきあだ名のついた王様が出てきたりすると、やっぱりただ数字がついているだけではつまらない、もしくは区別するのがたいへんだ、という気分は西欧の人々の中にもあるのではないか、という気もします。
太った王様に「肥満王」とか、たいへん敬虔だった王様には「聖王」とか、そういえば「獅子心王」なんてひともいましたっけ。
そうやって、その他のあまり特徴のない王様とごっちゃにならないようにしているのかもしれません。
スコットランドとイギリスの間では幾世紀もの間抗争が続き、その合間にときどき和平も結ばれるので、イギリスのお姫様がスコットランドへお嫁に行ったり、その逆もあったりして、スコットランド王家とイギリス王家は非常に濃い血で繋がった関係になります。
その結果、イギリス・スコットランド双方に王位継承権をもつ国王が現れて、それもまた抗争のタネになるわけですが、結局イギリス本国に王位を継ぐべき人物が絶えてしまったときに、スコットランドのジェイムズ6世がイギリスの国王もかねることになります。
この王様は、イギリスではジェイムズ1世です。
イギリスにおいてはこの王様から、ジェイムズ1世、2世・・・と続いていくわけですが、でも当然のことながら、それより前に、スコットランドにはすでにジェイムズ1世〜5世という王様が存在しているわけです。
これだけでもそうとうややこしい気がするのですが、そこにさらにジェイムズという名の、王様にならなかった人物も山のようにいる、という、そういう歴史というのは、なかなか覚えるのがたいへんそうに思うのですが、慣れてしまえばどうということもないのでしょうか?
それにしても、後世個人主義が発達する西欧において、一人一人の名前を区別することにあまり熱心でなかったのに対して、現代まで「家」意識を引きずっている日本で、子どもに親と同じ名をつけるという発想が出なかったのは、なにやら不思議なことではあります。
踏襲すべきものが「家」の名であるのなら、日本ではむしろ個々人の名前にあまりこだわらなくてもよかったように思いますし、逆に、「個人」を大切にするのであれば、西欧の名前はもっといろいろ種類があってもよさそうに思うのですが・・・。
先祖が子どもに親と同じ名をつける習慣を持たないでくれたおかげで、私たちは「家康13世」や「信長2世」などが登場する歴史を苦労して覚えなくて済んだわけで、これは助かりました。
日本では、時代によって流行る名前、好かれる名前がいろいろ変わって、名前を聞けばどういう年代のひとか、ある程度推測ができてしまうことさえあるほどですが(ちなみに私の年代の女性は「子」のつく名前が圧倒的に多い)、西欧でそういうことをあまり聞かないのは、やはり昔からずっと同じ名前を繰り返し受け継いできていて、名前に流行り廃りなどありえないからなのかもしれません。
それは、先にも書きましたように、漢字による名前はヴァリエーションがつけやすかった、ということもあるでしょうが、こういった、名前のつけかたに対する考え方の違い、というのは、根本的にどういったところから発生するものなのか、なかなか興味深い疑問ではあります。
私は自転車で急いでいた。朝からの雨もそのときはやんでいた。
前方を見るとギョ!誰か倒れてるウー。自転車のスピードをゆるめ、顔を覗き込む。
なんと腕枕をして少し微笑んだような顔して寝てる?顔色も悪くない。
傍らには前カゴに空き缶の入った袋がのった自転車が塀に沿って置いてある。
朝早くからお仕事をしてお疲れ?空き缶の量が少ないけれど途中で気分が悪くなった?
「おじさん、こんな所で寝てたら風邪ひくよ」なんて声をかけたら「じゃあどこで寝るんだ」と言われそう。
でも、倒れているとしたら警察に言わなきゃ。死んではいないよねえ。頭の中でいろいろ想像。
国道沿いの道路で人通りもあるし店もある。そう思ってだまって通り過ぎた。
それにしても、あの幸せそうな微笑はなんだったのか。どこであろうと寝たいときに寝る。
人それぞれの幸せ感があるんだと、妙な納得をした。
夕刊にも朝刊にも記事として載っていない。
夕方、ドラッグストアに。
こまごまと欲しいものをカゴに入れレジに。
ふと振り返ると、乾電池をひとつ手にした小学3、4年生くらいの男の子が立っていました。
思わず、「ひとつなら、お先にどうぞ」というと、ボクは私の横をすりぬけ、レジの店員さんに乾電池を渡しました。
ところが、店員さんがバーコードをピピッとしようとしたところで、レシートの紙を交換しなければならない状況。
「しばらくお待ち下さい」、そしてセットが終わり「どうもお待たせしました」と、とても丁寧。
こんどはボク。
レジの台の上に財布をひっくり返し、ジャラジャラと出された小銭を数え始めました。
うーん、算数のお勉強になるかな。
何度か数えて、支払う分を押すようにして店員さんの方にすべらせ、残りは財布に。
乾電池をレジ袋に入れてもらい、レシートをもらうと、そそくさと外に。
この間、なぁーんにも言わない。
とにかく「だんまりボクちゃん」。
一言「ありがとう」と言えば、ボクも店員さんも私も気持ちいいに違いないのに。
それとも照れくさいお年頃?
私も支払いをすませ、ポイントカードにスタンプを押してもらい、「どうもありがと」と言いつつ外へでると、さっきのボクが、街路樹に縛り付けていたリードをはずしながら、お供?の犬にむかって、「もうちょっと待ってて…」「あぁ、はずれない」と話しかけています。
ワンちゃんとはおしゃべりしているのに、ちょっとショック。
まあ、ここのところ通り魔事件とか、なにかと物騒なことが多いから、親御さんから言われている「知らない人とは話しちゃいけない、気をつけなさい」という教えを忠実に守っている「いい子」?なのかもしれない。
ううん、そんなことはない、「ありがとう」とか「ごめんなさい」という言葉が素直に言えないのは、やっぱり変だよ。
もしかしたら、あのボクには友達、ひとりもいないかもしれない、かわいそうなボク。
と、ボクにとっては余計なお世話なことをブツブツ言いながら、ちょっと、さびしい気持ちで自転車にまたがりました。
今日地震防災のお話をきいてきました。
阪神大震災が起きた後は我が家でも大きなポリバケツに3個水を汲み置きし、1ヶ月に1度は水をかえ持ち出し用リュックの中も点検していたのに最近は忘れて何ヶ月もしていないことに気がつきました。
日がたつと人間はあんなに恐かった災害さえもわすれかけてしまうのですね。
東海地震もいつ起きても不思議ではないとか。
1番危険なところは静岡と浜松。
これを聞いて心配になってしまいました。
我が家の長女は浜松に住んでいるのです。
次の日曜日に持って行こうと思い早速防災用品の入った銀色のリュックを買いに行ってきました。
実は今回のお話は町内会長さんから人集めで半強制的に行くことになったのですが聞いて良かったと思いました。
テレビなどの報道でわかってはいたのですがどうしてもよそ事のようにのんびりしていました。
おかげさまであらためて身の回りの防災対策をすることができました。
2005年の万博の年が危険とか。
そして冬の朝に地震が多いそうです。
皆さんももう一度身の回りの点検をされては?
ある土曜日、春休みで暇そうな息子を連れ出して、家族でドライブへ。
風の強い快晴の日で、浜名湖の手前あたりから富士山がくっきり。
冬の乾燥した冷たい空気と、雲のない空という条件がそろわなければ、なかなかこんなにきれいな富士山を見ることはできません。
高速を東へ行くと、富士山がどんどん大きくなって迫ってきます。
頂上から、かなり下の方まで真っ白な雪。
きれいきれい、を連発しながら、ふと海を見ると、これまたエメラルド・グリーンの駿河湾。
わーい、絶景かな絶景かな、と車の中で騒ぎながら、富士の裾野周辺で半日遊び、夕方帰路へ。
ところが、高速は工事の影響とかで9キロ渋滞。
しかたなく、国道のバイパスを通って帰ることにしましたが、みなさん考えることは同じで、高速をあきらめた車でこちらも渋滞。
のろのろと進むうち、どんどん暗くなってきました。
そのうえ、バイパスとはいえ、普通の国道だというのに、料金所が3箇所。
1回数百円でも、まとまればバカにならない。
しかも! このバイパスは夜通るとたいへん暗い。
掛川を過ぎたあたりの両サイドには、街並みがほとんどなく、道路上にもろくな明かりがないので、場所によってはちょっと薄気味が悪いほどです。
渋滞で、お金を取られて、真っ暗で、とぶつぶつ言いながらふと窓から空を見ると・・・
なんと、びっくり。
満天の星空。
その夜は、明かりがなくて、晴れていて、風が強いので空気がクリア、という星を見るのに最適な条件だったのです。
運転していた主人が道路の休憩エリアに車を止め、3人で外へ出てみました。
なんとなんと、オリオン座は、三ツ星の下のオリオン大星雲まで見えるし、シリウスは燦然と輝いているし、振り向けば、目の前にくっきりと北斗七星の柄杓のかたちが・・・。
かすかですが、昴さえ位置がわかるほどでした。
ひゃー、すごい!
こんな星空を見るのは何年ぶり?
なにしろ、自宅のまわりはマンションだらけ。
そのまえに住んでいたところも大都会の住宅街です。
1等星さえまともに見えないところに長年住んでいましすから、そんな夜の空があたりまえで、空にこんなにいっぱい星があることも忘れかけていました。
寒風吹きすさぶ夜の国道脇で、空を指差しながら飛んだりはねたりしていた我ら一家は、横を通り過ぎて行く車からは、かなり異様に見えたことでしょうが、このさい、真っ暗有料道路も、渋滞も許す!
富士山と海と星を絶好の条件で見ることができただけで、充分お釣りのくる一日でした。
このところ、なんだかズルズル・・・という感じで、外国人の日本語学習につきあう機会が増えているのですが、その中で、私にとって新たな発見がいろいろあります。
来日間もないアメリカ人が、今日は色の名前を覚える、と言うので、彼が「black」と言えば「クロ」、「red」と言えば「アカ」と言っていたのです。
こちらの発音を、彼はノートに書き留めます。
仮名はまだ知らないので、アルファベットで書くのですが、それは日本のローマ字表記ではありません。
たとえば、「ビ」という音を書くのに、「bi」ではなく、「bee」と書きます。
「bi」と書いてあると、「ビ」と「べ」の間くらいの音になってしまうらしいのです。
「〜デス」というとき、「desu」と書くと、「デスゥ」になってしまうと言って、「des」と書きます。
確かに、語尾の「u」はほとんど発音されませんね。
そして、「blue」を「アオ」と言ったとき、彼は「アオ? うーん、アオー?」と言ったまま、固まってしまいました。
かなりの煩悶の末、彼が書いたのは、「owl」でした!
「ふくろう?!」 今度はこっちが固まってしまいます。
彼が考えついた一番似ている音がそれだったのです。
「アオ」って書けないんだ!・・・もしかして、英語って結構不便なモノなんじゃないか、という気がしてきました。
その点、仮名は便利です。1字1音ですから・・・と日本人は言ってしまいそうですが、点字をかじったことがあれば、それは間違った思い込みだということがよくわかりますね。
助詞の「は」「へ」や「言う」、長音の表記が発音と違います。
それだけでなく、さっきの「〜です」にしても、発音どおりではありません。
韓国が誇る表音文字ハングルにしても、発音とそのまま対応しているわけではなく、母音の後にくるとどうとか、いろいろ例外があるようです。
韓国の学校では、正式な表記を問う問題と別に、発音どおりに書け、という問題もあるそうです。
どこの国でも、発音は時代とともに変わるけれど、字や綴りはそこまで器用に変えられないからでしょう。
でも、韓国人は日本語を上手にハングルで書き留めていますし、中国人はピンインでメモしています。
実は、ピンインに思い当たる前は、中国人はそういうときどうするのだろう? 漢字では小回りがきかないしなあ、と心配していたのです。
言語を専門に勉強している人なら、発音記号を使いこなせるのでしょうが、普通の人がとっさに書き留めるためには、普段使い慣れた自分たちの字でないと不便です。
表音文字って、やはり必要ですね。
英語やフランス語の場合は、発音と綴りの間にかなり距離があったりするので、表音文字と言いながら、表音目的に使うのは結構難しいのかもしれません。
日本のローマ字表記は日本独自の表記である、ということはわかっているはずなのですが、自国語表記にアルファベットを使っている人たちにとっては、字が同じであることで、却って切り替えが難しいのでしょう。
日本の駅や道路などでもローマ字表記が普及して、英語を使う人にはローマ字表記があればいいだろう、と思ってしまうのですが、確かに、ないよりはずっといいにしても、どうやら別の混乱も起こしそうです。
アメリカ人が普段あまり書かない英語の綴りを知らない、ということも、新しい発見でした。
日本人でも、漢字がわからない、ということは珍しくありません。
でも、喋るのに使っている言葉を、平仮名でどう書くかわからない、という状況はあまりありません。
それが、英語では、普通にあるのですね。
もちろん、アメリカ人の資質の問題ではありません。
立派に大学を出た人でも、有能なビジネスマンでも、言えるけれど書けない、という言葉はあるようです。
それは多分、英語の綴りが発音どおりでなく、あまり規則的でもないからですね。
たとえば、「r」の音が入るのは知っているけれど、綴りが「r」なのか「rr」なのかは、音から推測することは難しい、ということらしいです。
・・・英語ってものすごく不便なんじゃないか、という気が、ずいぶんしてきました。
でも、韓国人は「日本語って、難しい! だって、日本人でも読めない字がたくさんある!」と驚いています。
「大学を出た人でも、貰った名刺が読めないことがある!」と言うのです。
そして、どうやらそれはよくあることで、恥ずかしいことではないらしい。
ということは、日本語はそのくらい難しいらしい、というわけです。
日本で使っている字で書いて、日本人が読めないなんて、そんな不便、そんな非効率、そんな理不尽は考えられない、そういうのは国語として不適当なのではないか?!
うーん、そう言われてみれば、そうかも・・・。
でもこれには、深いわけ、複雑な事情があるんだけどな・・・。
ウマ年もあと2週間ちょっとという時に、なんだか「歯」の調子がおかしくなりました。
でも、10月に虫歯の治療を終えたばかり。
ただ、歯医者さんから「歯磨きする時に力を入れすぎですね。表面のエナメル質が削れています。知覚過敏になっていますので気をつけてください」というありがたい?お言葉をいただいていたので、きっとそのせいかと、最初は我慢。
でも左半分、物を噛むだけでも痛くなり、予約もなく、そのかかりつけの歯医者さんに。
案の定、知覚過敏と診断。
痛み止めをいただき帰宅。
次の日は痛み止めでなんとかなっていましたが、翌々日、左側のほっぺが腫れてきました。
私のまんまる顔は、左側だけ四角になってきて、痛みはひどくなる一方。
またまた、歯医者さんに。
顔が丸四角?になっているくらいだから、状況は説明するまでもないと思っていましたが、「どうしました?」の一言に、あちゃー。
結局、前の痛み止めにくわえて、化膿止めのお薬を出してくださいましたが、ほっとしたのもつかの間、腫れはひどくなる一方。
もう、どうしようもなくなり、違う歯医者さんに。
つまり、1日に歯医者さん2軒をはしごすることになりました。
2軒目の歯医者さんで、今までの状況を説明し、あーんぐりと大口を開けました。
超小型双眼鏡のようなものを眼鏡にくっつけた先生が、じっと口の中を覗き込み、そして、左の歯を一本ずつカンカンと叩いていきました。
「左下の6才臼歯ですね。細いひびが入っているから」とぼそっ。
そして、勢いよくガァーガァーと歯が削られ、「麻酔!」の一言に看護士さんがぶっとい注射を用意し、心の準備をする間もなくブスッ!
そしてまた、ガァーガァー。
確かに、この勢いだと恐怖心は感じずにすみますが…。
神経抜いて、仮の詰め物をして、前の歯医者さんからいただいた痛み止めの薬を確認して、これで様子をみましょうということになり、帰宅しました。
ありがたいことに、翌日には痛みも腫れも少しずつひいていきましたが、それでも不安を抱えたまま、年末を過ごし、気がついたら、痛みも腫れることもなく、新しい年を迎え、お正月、おせちもお雑煮もバクバク食べることができましたが、2軒目の歯医者さん通いはまだ続いています。
そして昨日、この歯医者さんに「噛んでください」と言われ、口を閉じた瞬間、ビヨーンとゴムをはじいたような音。
それは、先生がはめてみえた医療用のゴム手袋の先まで噛んでしまい、慌てて先生が手を引っ込めた時の音。
先生共々、大笑い。
それにしても、こうやって大笑いできるのも、この先生のお蔭と、あらためて感謝。
あれれ、こういうのも「セカンドオピニオン」と言っていいのかな、いいんですよね。
新しい年を迎えてもう1年の12分の1が終わろうとしています。
この1ヶ月は早かったですね。
皆さんはいかがですか?
昨年の暮れ娘の大切なお友達が亡くなりました。
彼女の思い出話をしながら親子でいっぱい泣きました。
そして今年の年賀状では私のお友達から悪性の病気に侵されているとのこと。
どうして神様はこんなにひどい仕打ちをとつくづく思いました。
身近に起きた悲しい出来事の中で年老いた親をもつ私はまだまだ元気でいなくてはと・・・。
最近私たちの点訳ボランティアに60代の新人さんが二人入ってこられました。
お二人ともお仕事を定年で終えられた後点訳に興味をもたれて入ってこられたのですが、前向きの姿勢に頭が下がる思いです。
視覚障害者の方たちにお役に立てるのはもちろんですがご自分のためにも良い刺激になってますますお元気になられることでしょう。
確かに先に入ってこられた男性は一度もお休みもなく参加で初めいらした時よりずーっとイキイキしいてらした気がします。
人間目的があると自然元気が出ますよね。
私もあちこちからだの調子はいまいちですがいろんなお友達に刺激を受けながら前向きに日々をすごしたいと思う今日この頃でした。