「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は阿茶である 




第41回〜第50回



阿茶
広辞苑を広げ、右前足でページを押さえている阿茶。
説明がおかしかったのか、舌まで出して大笑い。




第41回 (2001.10.27)

猫にも厄年があると思う。
人間とは時間の流れ方が違うので、厄年と言っても週単位であるのかもしれない。
そうだとすると、今週はまさに厄年であり、とんでもない目に続けて遭ってしまったのであった。
最初は、水曜日の晩のこと。
おじさんたちが寄せ鍋を食べた晩であった。
普段と同じように先に夕食を終えた吾輩が、おじさんの膝に上がってサービスしたり、おばさんの背後でちょろちょろしたりしているうち、ふと、ひょんな拍子に、白菜や牡蠣、豆腐なんかがグツグツ言っている鍋の縁に前足を触れさせてしまったのだ。
熱かった、なんてものではない!
驚いた、なんてものでもない!
前足に何があったか理解できないまま、おばさんに抱えられてその場を離れたのだが、真正面にいたおじさんの話では、吾輩の表情、特に目玉が異様に開かれ、鍋の縁を見据えた状態で石膏のように固まっていたらしいのである。
幸い、前足に異常はなく、元々から赤っぽい肉球も変化なかったものの、度が過ぎる体験をしたものであった。
そして、今日の夕方のこと。
おじさんたちが買物に出かけ、留守番をしていたのだが、ようやく帰ってきたと思いきや、おじさんが「くまのプーさん」という名前の大きなぬいぐるみを手にしていて、実にのんびりした笑顔で「新しい友だちだよーん」なんて言いながら、吾輩に向けて滑らせてきたのである。
そうでなくても、目にした途端から、背中をまるくして威嚇していた吾輩にしてみれば、吾輩よりも大きな野郎がするするっと勢いをつけて向かってくるのだから、たまったものではない。
驚き、怯え、おったまげ、大慌てで逃げ出してしまったのであった。
その逃げ出し様と言ったら、とてもお聞かせできるものではない。
すぐにおじさんが謝ってはくれたが、とんだ災厄だったことである。


第42回 (2001.10.30)

自然は時に、すばらしい贈り物を与えてくれるものである。
そもそもは、おばさんがお出かけした先に、季節がら、どんぐりがいっぱい落ちていて、その中から2個だけ拾い、持ち帰ったことから始まったのであった。
2個だけにした理由は、吾輩が、おもちゃにするものは自分で見つける傾向があり、おばさんたちから押し付けられても見向きもしないことが多く、どんぐりだって、どうせおもちゃにはしないであろう、と考えたからであった。
ところが、どっこい、どんぐりは違ったのである。
目の前に転がされるやいなや、吾輩が飛びついてしまったのだ。
ただのボールと違って転がり方がきわめて変則、大きさや重さも手ごろ、色合いまで気に入ったのである。
すばらしい贈り物になったのであった。
「こんなに喜ぶのなら、もっと拾ってきたらよかった」と、おばさんが一言。
ところが、ところが、である。
何日か遊び、1個をどこかになくしてしまい、残り1個になったところで、おじさんがうっかり、そのどんぐりを踏んで、ひとたまりもなくペシャンコにしてしまったのである。
謝られても元には戻らない。
「たくさん拾ってくるから・・・」と、今度はおじさんが一言。
翌々日、仕事で出かけた街の、公園沿いの歩道でどんぐりを見つけ、21個拾ってきたのであった。
今は再び、さらに目まぐるしく遊んでいる吾輩である。


第43回 (2001.11.1)

猫缶時代が続く中、おばさんが試しに別メーカーの「カリカリ」を買って帰ってきた。
こちらは「シュリケンカリカリ」とでも言おうか、手裏剣のとおりの形状、平ったくて十字になっているのである。
そして、忍術でも使われているのか、不思議なことに、この「カリカリ」だと残さずペロリと平らげることになってしまう。
はじめのうち、お皿に出された「シュリケンカリカリ」が、気付くと、きれいになくなっているので、おじさんたちには、吾輩が食べたと信じられず、どこか目に付かない場所にでも持ち去っているのじゃないか、と考えていたみたいだが、そう考えてしまうのも無理はないほど、事態の意外な展開であった。
ついでに書けば、ただの「カリカリ」は、依然として見向きもされずにいるのである。
当分の間は、まぐろ懐石かに入りに代表される「猫缶」と救世主「シュリケンカリカリ」の南北朝時代が続きそうな気配である。
ところで、今朝の話。
おじさんたちの食事中に、隣の台所をうろちょろしていたら、猛烈においしそうなものが目に入った。
おじさんのお昼の弁当のご飯にふりかけられた「シャケシシャモ」。
・・・悪いかな、とは思ったものの、とても見過ごして通ることなんかできずに、口にしてしまったのだった。
しばらくして、気付いたおばさんが大声を上げ、すぐさま、おじさんに報告。
冷ますために置いておいたご飯の、敷き詰めたはずの「シャケシシャモ」が見事に食べ散らされてしまい、シャケ色だった表面が、お米の白ばかり目立った薄まだらになっている、おかずは大丈夫だったみたいだけれど、さやえんどうがひとつ、放り出してあった、などなど。
報告するおばさんも、聞いたおじさんも、笑ってしまっていて、どちらからも怒られずに済んだが、むしろ、怒りたいのは吾輩のほうである。
おじさんばっか、おいしいものを弁当に持っていくにゃよー!!


第44回 (2001.11.5)

♪猫フンジャッタ、猫フンジャッタ、猫フンジャッ、フンジャッ、フンジャッタ・・・
こんな歌が有名なくらいだから、いつかは踏んじゃってしまわれることがあるのじゃないか、と思っていたら、昨日のお昼過ぎ、おじさんにしっかりと尻尾を踏まれてしまったのだった。
おじさんにしてみれば、電話帳の後ろに仕舞い込んでいた昔の本を夢中で探していて、見つけたので運び出そうと、1歩後退したところに吾輩の尻尾があった、ということになるらしいのだが、吾輩から言えば、猫がすり寄っていたことくらい、気付いておれよバカバカマヌケ、ということになるのだ!
それにしても、おじさんプラス昔の本の重量が、吾輩のたった1本の尻尾にすべてかかってくるのだから、これは想像を絶するものがある。
思わず、自分でも鳴いたことのないような声を出してしまった。
ぎあおーー。
もう1回と言われても、どう鳴いていいか分からないくらいだ。
どうも吾輩には、まだ厄年が続いているようである。
昨日はまた、気がつくと歯が抜けていた、なんてこともあった。
もっとも、最初に気がついたのはおばさんで、血にまみれたギザギザのものが落ちているのを拾って、分かったのであった。
おじさんと協議し、吾輩の歯に違いないぞ、ということになったのだが、吾輩を捕まえ、四苦八苦で口を開けさせて確認しても、抜けたところが今ひとつ分からない。
それでも、吾輩が食欲を無くしているのを見て、歯が抜けているために食べにくいからじゃないか、あれはやっぱり阿茶の歯だ、という結論に達したみたいだった。
たしかに猫は、生まれて半年ほどで歯の生えかわる時期がくるらしいので、そろそろ歯が抜けても、ちっともおかしくはない。
むしろ、5月5日生まれの吾輩にすれば、ちょうど半年、実にきちょうめんな成長なのである。
成長と言えば、変声期でもあるのか、昨日の悲鳴ほどではないものの、最近、どうも妙な声で鳴いてしまうことがある。おばさんの観察だと、遊んでほしいときに、おわーーと鳴くようなのだ。
その声は、自分ながら、猫でなくなり、怪鳥にでもなったような気がしてしまうほどである。


第45回 (2001.11.15)

物事すべて、「アタリ」があれば「ハズレ」もある。
最近の吾輩は、どちらにも縁があって、両極端な気持ちをつくづく味わったことであった。
まず、「アタリ」のほうの話。
おばさんが懲りることなく、またまた吾輩のためにおもちゃを買って帰ってきたのだ。
どんぐりのように拾った場合はともかく、買ったものは大抵が駄目で、今回もどうせほこりをかぶって おしまいじゃないか、と思いきや、このおもちゃが猛烈によろしい!
吾輩は存分に遊ぶことができるし、おじさんは遊び相手として楽ちんできるので喜んでいるし、おばさんは買ったおもちゃでの初ヒットに気を良くしているし、満場一致の大喜びといったところなのである。
ちょうど釣り竿のようになっていて、釣り糸の先に「うさぎ」と呼びたい感じの真っ白なふわふわの毛のかたまりと、鈴が付いている。
遊び相手のおじさんは、部屋の隅っこに座っているだけ。
そこから竿を振り動かすと、吾輩が「うさぎ」を追いかけて、こっちに走り、そっちに飛びつき、あっちに転げまわり、どっちにぶつかるか分からない、というくらい運動することになるのである。
吾輩はその激しさのあまり、肩(?)で息をするようになり、おじさんは楽ちんができる分、いつまでも相手をしてくれるので、吾輩の運動量が余計に増える。
鈴が付いているのも重要で、「うさぎ」を片付けようとしただけのおじさんが、チャリチャリ言わせて しまったがために、吾輩を遊ぶ気にさせ、仕方なく再び遊び相手をする、なんてこともよくあるのだ。
猫じゃらしが、すっかり御無沙汰している。
一方、「ハズレ」のほうの話。
おじさんが、事務所の猫先輩さんから吾輩にプレゼントをもらってきた。
「ねずみ」という名前そのままの、作り物のねずみである。白と黒の2匹。
白は飾り気がないが、黒には募金するともらえるような、赤や緑、黄色といった羽根が付いている。
この羽根が、まずかった。
吾輩がちょっと相手をしただけで、すぐに抜けてしまったのだ。
それを飲み込んでしまうことを警戒したおばさんたちが、黒ねずみを遠ざけたのだが、そうされなくても、吾輩には興味の持てるおもちゃではなかった。
猫先輩さんには悪いが、白ねずみもほったらかし。
「ねずみ」と「うさぎ」は大違いであった。


第46回 (2001.11.16)

昨日の続きで「ハズレ」の話をもうひとつ。
と言っても、吾輩にとってハズレだったのではなくて、おばさんたちにとってハズレだった話だ。
夏から宿題となっていた爪磨きは、相変わらず場所が一定しない。
カーペットだったり、茣蓙だったり、まくらだったり・・・磨く気になったところで目の前にした、敷かれてあるもの、置かれてあるものでもって、ガリガリやっているのである。
強いて、一定している事項を探せば、カーペットにしろ、まくらにしろ、端っこにしがみつくようにして磨くことくらいだろうか。
そして問題は、床の間の壁でも、壁だけ見ればやはり端っこ、床柱のすぐ横をガリガリやってしまうことである。
ざらざらした砂壁だけに、吾輩の爪であっけなく削れ、周囲に砂がぼろぼろと散乱する。
壁のほうは、部分的に中が剥き出しになってしまった。
そういう状態に頭をかかえたおじさんが、事務所の近くのスーパーで「しつけスプレー」なるものを見つけ、買って帰ってきた。
犬猫の嫌いな臭いをスプレーすることによって、近寄らせないようにし、くりかえし使用して正しいしつけができる、というもの。
これが見事に「ハズレ」だった。
たしかに吾輩は近寄らなくなったのだが、臭いが強烈で、おばさんたちも気分が悪くなり、とても近寄ることができない。
吾輩などは、変な興奮状態に陥ってしまったほどであった。
さらには、スプレーすると、その圧力だけで砂壁がぼろぼろと剥がれてしまうのだ。
築60年以上のあばら家だけに、壁にも問題があるのだが、これでは何のためにスプレーするのか分からない。
話を振り出しまで戻すのに、効果的なスプレーであった。


第47回 (2001.11.23)

さて、クイズである。
くまのプーさん、シャワー、掃除機、サザエさま・・・
共通していることは、何?
こんな書き出しをしてしまったが、答えは、吾輩が逃げてしまう相手だ、ということである。
くまのプーさんについては、彼との初対面における一部始終を前に書いたので、あらためて特に書くことはない。
その後もどうも苦手にしているが、おそらく、吾輩が野郎よりも大きくなった暁にようやく自分から近寄る気になれるのではないか、と思っている。
シャワーについては、猫が一般に水気を苦手としている以上、至極当たり前の話だ。
ただし、お風呂には、寒くなってきてからというもの、毎日のようにおじゃまをしている。
おじさんが入っているときに限らず、おばさんが入っているときにまで、おじゃまする。
湯船には入らないが、半分ほどに巻き上げられた湯船のフタの上に、上がり込むのだ。
残りの半分、フタがない部分から、お湯につかっているおじさんの顔が出ていて、♪森のくまさんなんかを気持ちよさそうに鼻唄している。
下手な唄でも耳に入れば、フタを通して体が温まってきているし、つい吾輩まで気持ちがよくなって居眠りを始めてしまうのだが、そこで、おじさんが髪を洗おうとしてシャワーを始めると、もう駄目なのである。
風呂場を一目散に飛び出すことになってしまうのだ。
掃除機も、大げさな騒音が嫌いで逃げ出してしまう。
おばさんが、まず2階から掃除機をかけ始めれば、すぐに吾輩は1階に避難するし、2階が終わっておばさんが降りてきたなら、入れ替わってすたこらさっさ、吾輩が2階に行くことになる。
最近はおばさんもわかっているので、いきなりはスイッチを入れない。
吾輩が避難できた頃合いを見計らって掃除機をかけてくれるようになった。
サザエさまから逃げ出してしまうのは、複雑な感情の機微というものか。
電話がいろいろなところから掛かってくる中、お相手がサザエさまだとにゃあにゃあ鳴いてしまう吾輩なのである。
ほんと、不思議なほどに。
それにもかかわらず、最近、サザエさまがおいでくださった際、なぜか逃げ腰で、どうにも恥かしくてしようがなかったのである。
勿論のこと、怖いのでも、苦手でも、嫌いでもないので、是非また来てほしいにゃ。
そう言えば、サザエさまのお嬢さまから、吾輩にプレゼントがあった。
猫のロボットで、名前は「ミー」だ。
おばさんがどこかを触るたびに、目をチカチカさせながら、「あなたは世界でいちばん素敵よ!」と言ってくれるので、すっかりその気になっているのである。
そう、吾輩は世界でいちばん素敵なのだにゃー。


第48回 (2001.12.3)

寒くなり、体をまるくしていることが多くて、なかなか『吾輩』を書けずにいる間に、師走になってしまった。
ほんと、早いものである。
おばさんも、年末が大変だからというので大掃除を分け、ぼつぼつ始めたようだ。
皮切りに昨日の日曜日は、「師」ならぬ吾輩の走りまわっている廊下と階段から掃除をしていた。
まず、吾輩がブレーキをかけるたびに付けたと思われる引っかき傷を目立たなくするために、そこに、同系色という理由から、濃い目のコーヒーが擦り込まれた。
思わず舐めてしまった吾輩にとって、生まれてはじめてのコーヒーだったが、苦いところがまんざらでもない。
ちょっとだけ、おばさんを驚かせた。
次におばさんは、前夜のお風呂の水をバケツに汲んできて雑巾がけ、さらにワックスがけ。
ワックスの後、30分ほど通行禁止にしなければならないので、吾輩の様子をうかがい、机に向かって何かしているだけのおじさんにも注意をしておいて、できるところから順にワックスをかけて行った。
そんなわけで、ほったらかしにされた吾輩が、ここで大失敗を仕出かしてしまったのだった。
お風呂の湯船のフタの上で、いつものように遊んでいるうち、いつもと違って半分開いていたフタから、見事に落っこちてしまったのである。
水気が苦手であるべき猫の吾輩が、こともあろうに水中に存在しているのだ。
途方もない事態であった。
大慌てして、なんとか飛び出したが、全身ずぶ濡れ。
おばさんのそばまで行って、気がついたおばさんを、今度はしっかり驚かせてしまった。
即座におじさんが呼ばれ、タオルでまるごと拭かれたが、おじさんが吾輩を「スポンジみたい」と形容したように、拭いても拭いても水気が取れない。
「ドライヤーで乾かそうか」というおじさんの提案は、「掃除機と同じように逃げ出しちゃうよ」というおばさんに却下され、結局、タオルを替えて、ひたすら拭かれ続けた。
ワックスがけされつつあった廊下も階段も、そこに種でも蒔いてあって、じょうろで水をやったように、びしょびしょ。
湯船の内側には、吾輩の慌てぶりを物語るような、生々しい爪跡が残されていたらしい。
猫がねずみの気持ちを理解する、というのも、おかしな話だが、とりあえず、濡れねずみの気持ちだけは猛烈に理解できた、昨日の吾輩であった。


第49回 (2001.12.6)

南北朝時代が続いている吾輩の食餌事情であるが、おじさんたちは、寒くなるにつれて、鍋物とかグラタンとか、ほかほか温まることのできるメニューが多くなっているらしくて、今夜も茶わんむしというものであった。
食卓には焼き魚も並べられたので、勿論、吾輩とすれば断然そちらからやってくる匂いのほうに気をそそられたのだが、鰹節時代に「カリカリ」を食べなくなり、てこずらされた経験を積んだおばさんが、すぐに、吾輩の気を逸らそうとして、茶わんむしにスプーンを突っ込み、すくったものを差し出してきたのである。
それは、主役になるべき食材のない、出し汁と卵が固まっただけの部分であった。
おばさんとしては、吾輩の焼き魚に対する野心を崩せばいいので、まさか、ほんとに吾輩が茶わんむしを食べてしまうとは思っていなかったようである。
鼻先でくんくんした後、口にしたのを見て大いに驚きながらも、おじさんの「阿茶に食べさせていいのかな?」という疑問に対し、「猫缶の成分にも卵って書かれてあるから、いいんじゃない」なんて答えていたのである。
とにかく、好物にするほどではないが、ふわふわしていて消化にいい感じ。
続けて差し出された二口目も、熱いのでびっくりしたが、どうにか食べることができた。
すっかり猫舌であるのを忘れていた。
そう言えば一口目は、鼻先でくんくんする間に、ちょっと冷めていたのかもしれない。
忘れていたと言うと、とんでもない「忘れ」をしていて、自分に腹の立つことが昨日あったのだった。
水曜日なので、おばさんが「みずほ点訳」に行き、また留守番をしていたら、おばさんの帰宅に続いて、Tenさま、サザエさまがみえたのである。
ところが、大恩人のTenさまを一瞬忘れて、逃げてしまったのだった。
あーあ、にゃんてこと!
サザエさまはサザエさまで、ちょうど頭のぼさぼさ部分だけが椅子から出ていた「赤」の猫じゃらしを吾輩の尻尾と間違え、ご持参されたスーパーボールを手に得意に「阿茶くん、阿茶くん!」と呼びかけてみえるので、吾輩でないとわかった後、Tenさまから「阿茶があんなに赤いわけないでしょ」と たしなめられてみえて、なにか、磁極がおかしくなっていたのだと思う。
最後には、Tenさまにだっこをしてもらったが、恩知らずなことをしてしまったと猛烈に反省。
Tenさま、サザエさま、またおいでくださいにゃ。


第50回 (2001.12.12)

「掲示板」に、ちょうどお返事することになったような今回である。
吾輩も、知らないうちに冬毛に衣替えしたようで、からだ全体がもこもこしてきている。
そう言えば、吾輩をちょっとだっこしただけのおじさんが、服の胸から腹にかけて毛だらけになってしまい、びっくりしていたことがあった。
そんなにも抜け毛をするほど、猫なりにしっかりと冬仕度を調えるものとみえる。
また、吾輩は、Tenさまに拾われて以来、野外生活でなくなって、今の住まいがどんなにあばら家であり、スプレーをしただけで剥がれ落ちてしまうとは言っても、一応、「壁」という名前で呼ばれているものに囲まれた中で暮らしているのだから、外猫よりは寒さを凌げる環境にいるはずである。
にもかかわらず、何であろうか、この猛烈な寒さは!
ってことで、最近の吾輩が気に入っている場所は、と言うと、2階の縁側、電気座布団、テレビの上・・・これが「御三家」なのである。
2階の縁側は、お日さまの恵みに浴して日向ぼっこのできる、うちでは唯一の場所だが、時間限定、天候に左右されるのは言うまでもない。
電気座布団は、1ヶ月くらい前におばさんが買ってくれたものだ。
当初はなぜか近寄りがたい感じだったが、おばさんが、吾輩のにおいの付いた毛布でくるんでくれてからは安心でき、夕方以降や曇りの日など、ここでじっとしていることが多くなってきている。
テレビの上が暖かいというのは、通りがかりに気が付いた。
画面に近い手前のほうは幅が狭くてゆったりできないし、奥のほうは傾斜していてすべり落ちそうになってしまう。
それでも均衡を保って上手に乗っかると、テレビの発熱が意外とあるのだ。
さらに、そこはまた年代物のエアコンが死力を振り絞って暖気を送ってくる位置に、ちょうど相当しているので、頭上からも暖められ、どちらも微熱ながら相乗効果が得られるのである。
ただし、問題点がひとつ。
おじさんが帰宅したときのこと。
テレビ上にいた吾輩に、口では、のんきに「阿茶くん、ただいまー」なんて言いながら、手では、いきなりピシッと叩いてきたのだった。
ところが、当のおじさんも痛がっているので何事かと思ったら、静電気というものの仕業だったらしい。
吾輩も元気にいたずらする毎日だが、他にもいたずら好きなヤツがいるものである。



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