「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は阿茶である 




第91回〜第100回



阿茶
猫用おもちゃのトンネルに両前足をついて立ち、振り返っている阿茶。
まさに「見返り美猫」だ。




第91回 (2002.11.17)

冬と言えば、鍋物である。
鍋物と言えば、春菊である。
その春菊が、なぜか吾輩にとっては大好物なのである。
ただし、食べるというわけではない。
おばさんが台所で調理を始めたときのこと。
同じ青物でも、ほうれん草にしろ、小松菜にしろ、ねぎにしろ、とんと知らん顔の吾輩であったにもかかわらず、こと春菊となったら、俄然、関心を示してしまったのだった。
「嗜好」に説明を付けるなんてことはできなくて、春菊がいい、としか言えないけれど、とにかくやたら構うことになる。
見るに見かねたおばさんが、切れ端を放ってくれでもすれば、一応口にしてみてペッと吐き出した後は、いい遊び相手になるのだ。
植物系の遊び相手というと、どんぐり以来かもしれない。
遊び相手と言えば、おばさんが、廃品回収の日の朝、木三田さんと会うことがあって、こんな話を聞いてきた。
木三田さんの奥さんが体調を崩され入院してしまったので、木三田さんのひとり暮らしになってしまい、ミーの面倒がとてものこと見れなくなって、岡山県にある木三田さんのご実家にしばらく預けることになってしまった、というのである。
吾輩ともようやく、すっかり顔なじみになった感じで、毎日のようにやって来ては、気ままに寝転がったり、ちょろちょろしたりしていたミーだけれど、そう言われてみると、ここ数日、見かけなくなっていたような気もする。
言われてからというのも何であるが、顔を出してくれないとなると、些かさみしい気持ちがするものだ。
木三田さんの奥さんが早く快復されるといいにゃあ。
風邪を引いたおじさんは、と言えば、おばさんに移すことによって、まんまと治ったようである。
今は、おばさんのほうが体の具合がよくないのだが、おじさんと違って怪獣のような鼻音を立てないので、吾輩は安心して暮らすことができている。


第92回 (2002.12.5)

寒くなってくると、どうしても朝ふとんから出られなくなるのは、猫の吾輩も同じである。
夜のあいだ自由気ままに過ごしているくせに、明け方になると決まっておじさんの枕元で「にゃあにゃあ」言って起こし、そのふとんの中に入れてもらうか、それでちっともおじさんが目をさまさない場合は、おばさんの枕元に移動、こちらには「にゃあ」とも言わず、いきなり顎を軽く引っかいて実力行使で起こし、おばさんにおじさんを起こしてもらってから、おじさんのふとんに入れてもらっている。
後のほうの方法は、おばさんに迷惑をかけるし、七面倒で気に入らないのだが、肝腎のおじさんが、「明け方何時何分の怪」をしていた夏場と違って、なかなか起きないので、不本意ながらも実施せざるを 得なくなる次第だ。
おばさんにすれば、自分のふとんに入ってくれるものだと期待しては、おじさんのただの起こし役にさせられるだけなので、倍増してがっかりしていたようだが、最近はすっかり心得て、起こすのも手際がいい。
何れにしろ、そうやっておじさんのふとんにもぐり込んだ後の吾輩は、なぜか熟睡することになってしまう。
それで気がつくと、時計の針が午前11時を過ぎていて、なんだ、もうお昼じゃないか、なんてことが、結構ちょくちょくあるのだ。
おじさんは、とうの昔にふとんから出て事務所に出かけてしまっているし、勿論、おばさんもとっくに 起きていて、吾輩が眠りこけているからこそ片付けられるという仕事を、せっせと片付けている。
そんなおばさんのいる部屋まで出て行くと、やっとお目ざめですね、おぼっちゃま!などと、からかうような顔をして、おばさんが迎えてくれるので、吾輩も吾輩で特別にビブラートを効かせた甘えた鳴き声をかけながら擦り寄ることになる。
これで寝坊は、いっぺんに帳消し。
いつだったか、お昼をまわったときがあって、さすがにこのときは、おばさんに心配をかけた。
吾輩が起きなくて、吾輩に何かが起きたのじゃないだろうか。
おばさんが心配のあまり、ふとんの中を覗きにきた。
そっと覗いたつもりだったらしいが、そのわずかな物音で、ようやく吾輩の目がさめた。
吾輩は、おばさんの心配をよそに、ウーーーンと唸って、思いっきり伸びをしたものである。


第93回 (2002.12.31)

寝坊も、お昼に起きるうちは、まだいいのかもしれない。
先々週の土曜日のこと。おじさんのふとんにもぐり込み、体をくっつけるように、まるくなって眠り 始めるまでのところは、いつもと同様だった。
ところが、その後が違った。
おばさんが覗きに来ようが、おじさんが覗きに来ようが、そのたびに少しだけうつらうつらと目がさめるものの、また眠りに戻ってしまう。
最終的には、おばさんが起こしにきてくれて、ようやくしっかり目がさめ、ふとんから出たのだ。
時計は、午後6時を過ぎている。
あたりは、ふとんに入る前の夜明けと同じく、すっかり暗くなっていた。
これではもう寝坊とは言いがたい気がする。
その後は、これほどの不始末もなく、ちゃんとした毎日が送れている。
もっとも、先週の火曜日からは、寝ようと思っても、とても寝てはいられなかった。
おばさんが、いよいよ大掃除を始めたのである。
それで、その火曜日、いきなり事件が起きた。
サッシを拭くおばさんの横、サッシとサッシの間にちょっとした隙間ができていて、そこから吾輩がひょっこりと屋外に飛び出したのである。
おばさんは気がつかない。
縁の下というところを覗いてみた。
おばさんは、まだ気がつかない。
縁の下に踏み出してみた。
ここでおばさんが気がつき、大慌てで思いっきり尻尾を引っぱられて戻された挙句、こっぴどく叱られることになってしまった。
こんなことだったら、起きるんじゃなかったにゃあ。
で、その大掃除に際して。
おばさんが作業をしながら、そばで見ているだけの吾輩に向かって、何回も何回も同じことを言うのである。
「猫の手も借りたい、なんて言うもんね。阿茶くんも手を貸してくれないかなあ」
吾輩も貸したいのはやまやまだったのだが、あいにく前足しかなくて・・・。

さて、今年も、あと数時間で終わり。
半年間しかなかった昨年より回数の減った『吾輩』ではありましたが、ご愛読のほど、どうもありがとうございました。
来年もぜひ、よろしくお願いいたしますにゃ。
それでは、よいお年を!


第94回 (2003.1.5)

新年あけましておめでとうございます。
・・・という挨拶は、これで2回目。
正月の過ごし方も、昨年経験しているだけに、ちょっとは心得たものである。
もう、千両や若松をかじったり、鏡餅のお飾りをひっくり返したりはしなくて、とても厳かに過ごした。
特に食べ物に関しては、厳粛かつ多彩であった。
まず、今年もまた、おじさんたちのお雑煮の鰹節が登場するやいなや、吾輩も食卓まで謹んで登場して行き、その分け前を口にすることができた。
そのままだと、食べようとする吾輩が歓喜のあまりに吹き飛ばしてしまうことになるので、おばさんが気をきかせ、適当な湿り気を加えてから目の前まで持ってきてくれたので、喉にとっても通りがよく、出されただけ全部、きれいに平らげることとなった。
とは言っても、所詮は、おやつ程度のこと。
おばさんが、「普段の猫缶も、これくらいパクパク食べてくれると・・・」なんてこぼしていたけれど、全然分量が違うのである。
鰹節も、食べ残すくらいに与えられてみたいものである。
次に吾輩が口にしたのは、おせち料理の中から「牛肉の八幡巻き」なる一品であった。
おばさんがおせち料理の詰まった箱のふたを開けたので、またまたすかさず吾輩も身を乗り出し、鼻を近づけて、あれこれとにおいを嗅いだのだ。
そうして選び出したのが、この「八幡巻き」だった。
そんな吾輩の様子を微妙におばさんが察知して、箱から取り出し、別にしてくれた。
これも大した分量ではなかったけれど、実においしくて、残さずきれいに食べ終えた。
これを見て、おばさんがわざわざ冷蔵庫から出してきてくれたのが「牛肉のしぐれ煮」だ。
やはり少量ではあったが、おばさんの読みどおり、これまた吾輩の口によく合って、きれいにペロリ!
猛烈においしかったことである。
おせち料理と言えば、もうひとつ。
おじさんから、どういうわけか「昆布巻き」を差し出されたときのこと。
表面の昆布をちょっとだけ舐めてはみたものの、これは結局、食べる気にならなかった。
ほんと、おじさんはハズレが多い。
昨年の正月と同様、夜が深まってきてから雪が降り始め、また街路灯に照らし出された、横なぐりの雪粒を目にすることとなっている。
道路にも積もり始めた。
さて、こちらも昨年と変わらないおじさん、おばさん、吾輩でありますが、本年もどうぞよろしく。
みなさん、風邪を引かないように、にゃ!


第95回 (2003.1.10)

コマキさんが、約9ヶ月ぶりで吾輩に会いに来てくれた。
相変わらず吾輩との相性が抜群で、おばさんそっちのけで、しっかり遊んでもらえた。
特に今回は、カメラ機能を搭載した最新型の携帯電話を手にしてみえて、せっせと吾輩を写してくれる。
最新型だけに、シャッター音が「パチパチ」「カシャカシャ」ではない。
「♪ポロポロリン」などというのだ。
これには吾輩も驚いて、いちいち反応してしまい、そのたびに耳がずいぶんと動いていたらしい。
そして、写真は勿論のこと、動画も3秒間だけ撮影ができて、その3秒間に、吾輩の「にゃー」だの「むがー」だのという声、コマキさんやおばさんの「阿茶くんー」と呼びかける声も録音され、今度はおばさんが驚きまくったのであった。
そう言えば、吾輩がものの弾みからコマキさんに猫パンチを繰り出してしまい、コマキさんが驚く、なんてこともあったりした。
ほんと、ごめんなさい。
その後、コマキさんから、そうして撮影された写真がメールにクリップして送信されてきたのだが、吾輩がきちんと前足を揃えてカメラに向かっている、なんという図で、われながら妙にお行儀がよかったことである。
会いに来るとか来ないとかと言えば、木三田さんちのミーは、その後も岡山県で暮らしているのか、全然やってこない。
吾輩もそうであったが、猫にとっての一年目は成長がはやいので、こうして会えないでいるうちにずいぶん大きくなったのじゃないかと思う。
ひょっとして、戻ってきているにもかかわらず、その成長というか変貌というかしてしまったミーを、吾輩が見分けることができないだけなのかもしれない、なんて考えてもみたのだ。
実は、ミーと同じくキジトラの猫がちょこちょこ現れた時期があった。
しかし、どこか雰囲気が違うし、向こうも吾輩を遠巻きにしているだけで、ミーのようには近づいて 来ない。
吾輩としては、別の猫だと睨んでいるのである。
また、あきらかに別の猫、全身まるっとねずみ色の、毛の性質がもこもことした、とても図体の大きな猫がやって来たりもした。
ただし、ヤツは、その図体とは裏腹に気弱なのか、吾輩がサッシまで近寄っただけで、大慌てで逃げて行ってしまった。
世間には、ほんと、いろいろな猫がいるものである。


第96回 (2003.1.21)

ちょっと前の、それはそれは冷え込みの厳しかった夜のことである。
おばさんがゴミを出そうとして裏口の扉を開け、不燃ゴミだの、資源ゴミだのと分別したとおり、それぞれのポリバケツに片付け作業をしていたときのこと。
そんなおばさんの後ろを通り抜けて、吾輩がひょいと外に出たのである。
ところが、そうとは知らないおばさん、作業が終わるとすぐ中に戻って、扉を閉めたのだった。
・・・これって何だか、閉め出されたのと同じことではにゃかろうか?
実際、考えてみるまでもなく同じことなのであり、施錠されてしまっては吾輩といえども扉が開けられない。
寒風と冷気に身震いしながら、野良猫くんたちの気持ちを痛いほど味わい続けるしかない事態になったわけだった。
中からは、しばらくすると、おばさんの吾輩を呼ぶ声が聞こえてくる。
吾輩も必死になって返事をするが、うまく伝わらない。
寒くて声帯が縮んでしまったものか、変てこな鳴き声しか出てこないのだ。
おばさんの呼び声が探している口調に変わってきたが、まさか吾輩が外にいるなどと考えもつかないのか、広くもない建物のあちらで呼んだり、こちらで呼んだり。
普段から吾輩が、思いもよらないところに上手に隠れたり、見つかるまで返事をしなかったり、そんな芸風はこういうときに災いする。
後悔しても始まらない。
体がだんだん痺れてきた。
もう駄目かもしれない。
何分たったのだろうか。
ようやく外に意識を向けたおばさんが、吾輩の変てこな鳴き声に気付いてくれた。
裏口の扉を開ける音がする。
吾輩が最後の力を振りしぼって駆け寄ると、おばさんに猛烈に抱き上げられた。
おばさんが何度も「ごめんねー、ごめんねー」と言ってくれるのだけれど、そもそも原因を作ったのは吾輩であり、誰も責められない。
責めると言えば、おばさんがおじさんを容赦なく責めていた。
それもそのはず、今回ここまでにおじさんが出てこなかったのも、この騒動のあいだ、おじさんはすでに酔っぱらい、ひとりだけぬくぬくとふとんに寝ていて、おばさんが「阿茶がいないよ! いっしょに探してよ!」と頼んでも、寝ぼけたような返事をしていただけだったそうな。


第97回 (2003.2.4)

前回書いた騒動の夜からこっち、どうも吾輩の気持ちが変わってしまったようで、それはそれでまた、おばさんに迷惑をかけていることである。
というのは、冷凍ものの猫になる直前まで行ったことをもう忘れて、外の空気を吸うことができた記憶ばかりが残り、外出したくてたまらなくなってしまったのである。
それで、裏口まで行っては「にゃあにゃあ、にゃあにゃあ」鳴き続けてしまう。
自分ながら実にどうも、うるさい。
日中いないおじさんはともかく、おばさんなどは吾輩の騒音の最大の被害者になっている。
そして、外に出ようとしないように今更ながら「しつけ」をする気持ちがおばさんにあるのか、吾輩の鳴き声に負けないような大声で注意し、指導し、叱咤し、激昂する。
吾輩とふたりして、うるさい始末だ。
今や、お隣さんが、いちばん迷惑しているのかもしれない。
ところが、吾輩の気持ちの変化は、実はもっと違った状態だったようである。
外に閉め出されてしまったショックから、子猫に逆戻りし、おばさんたちに構ってもらいたくて仕方がない、という状態だったらしいのだ。
自分ではちっとも分からなかったのだが、おばさんがおじさんに説明しているのを小耳にして、なるほど、と吾輩も合点がいった。
たしかに裏口で鳴くことが多いけれども、おばさんたちに相手をしてもらえさえすれば、気持ちが満足するのである。
外出したくてたまらない、というわけでは決してなかった。
特に、このところのおばさんは、点訳物やその原本、辞書などを机いっぱいに並べて格闘していて、ちっとも吾輩を構ってくれない。
吾輩から、わざわざ催促しなくてはならない。
おばさんが腰掛けているすぐ横まで行って立ち上がり、前足で膝の上をちょんと突っついておいて、逃げるのである。
さらに、逃げた先から呼んでやる。
ここまですると、辞書を前にあたまを抱えているおばさんも、さすがに中断して吾輩の相手をしてくれるのだった。
そんな吾輩の構い方としては、「人間チェイス」がいちばんである。
吾輩が逃げる、おばさんもしくはおじさんが追っかけてくる。
吾輩のスピードに、普通ではまず追いつけっこないおじさんたちだが、たまに連携し、挟み撃ちにしてくることがあって、こんなときは挟まれながらも猛烈にうれしく、思わず尻尾をピンピンに立てながら、見事に包囲網をかいくぐったり、捕まってやったりするのだ。
もう最高!なのである。


第98回 (2003.2.22)

「猫の日」も、今年で2回目。
2月22日が「猫の日」なんて、にゃあにゃあと鳴くところから来ているらしいのだが、それじゃあ、28日のほうがいいのではないかしら、と考えるのは、吾輩だけであろうか。
猫の額ほどのうちの庭に、このところ現れるようになって、図体の大きさと、ぶちの決定的な配置により、おばさんから「ぶたパンダ」という名前をもらっている猫にも、サッシ越しにちょっと聞いてみたのだが、返事をしないまま、縁の下に隠れてしまった。
ぶたパンダは、そういう素っ気ないヤツなのである。
こちらも大して気にしていない。
縁の下が大好きとみえて、何かあるとすぐに、もぐり込んで行く。
ところが、木三田さんちのミーと同じで、首に鈴をつけているものだから、チャリチャリ音だけは聞こえてきてしまう。
ミーは依然として帰ってこないし、一時期よくやって来ていた全身ねずみ色のもこもこ猫も、とんと現れない。
今は、やって来るというと、ぶたパンダばかりなのである。

さて、昨年の「猫の日」には、猫として気持ちがいい話をふたつ、披露した吾輩であった。
今年は、猫としてあるまじき話をふたつ、してみたいと思う。
ひとつ目。
点訳物と格闘中のおばさんが、手っとり早く吾輩の相手をする手段として、猫じゃらしを持ち出してきた。
これだと、椅子に腰掛けたまま、片手を動かすだけで済み、もう一方の手で辞書などめくることができていい、というわけだ。
そんな、いいかげんな態度の猫じゃらしであっても、しっかりとそばえて遊んでいた吾輩だったが、とんだ大間違いをやらかしてしまった。
めずらしくちゃんと向き合い、気持ちを入れて遊び相手をしてくれていたおばさんに、突然、飛びかかってしまったのである。
それほど長くない髪がふわふわ、体がひょろりとしたおばさんを、猫じゃらしと間違えるという椿事。
最も驚いたのはおばさんで、向き合ううちに吾輩の耳がスーッと後ろに倒れ、何ともおかしな人相(?)になったなあ、なんて思っているところを襲撃されて、ひとたまりもなく引っくり返った、ということだったらしい。
猛烈に反省している。
ふたつ目。
吾輩は吾輩で、晩の食餌を済ませるのだが、しばらくして、おじさんが事務所から帰宅し、さあ、おじさんたちも晩ご飯にしようか、という段になるとどうしても、また食欲が出てきてしまうのである。
食餌で満足し、おじさんの隣の椅子の上で横になって、のんびりしたり、体を舐めていたりする吾輩が、おじさんもおばさんも席について「さあ」となった途端、わざわざ椅子から下り、おねだりしてしまうわけだ。
しかも、子猫に逆戻りしている吾輩は、おばさんの手のひらからしか食べない。
おばさんは、吾輩のために床に座り直し、トランプカリカリを少しずつ手のひらに載せ、ひとしきり相手をさせられる羽目になる。
こうして吾輩としては、いっしょに晩ご飯ができた、ということで心底から満足するのである。
自分ながらに奇妙な猫だと思うとともに、ぶたパンダ並みの図体にならないよう、運動にも心がけている。


第99回 (2003.3.17)

猫の目は暗いところもよく見える、とは言うものの、視力そのものは意外によくなくって、むしろ耳と鼻のほうが大切なのである。
何かを感知するのにも、まず耳と鼻を動かすことで情報を得ているようなところがあるのだ。
おじさんの観察では、吾輩がぐっすり眠り込んでいるときですら、ちょっとした物音にも反応してしまう耳には、お休みがないみたいだな、ということになる。
眠りがさらに深くなって、頭の角度が変わり、片耳を頭でつぶしているような体勢のときでも、もう片方の耳が絶え間なく働いている、てわけだ。
また、耳の動きで感情を表わすこともしていて、前回の『吾輩』、と言っても今に1ヶ月になるのでお忘れかと思うけれど、そこに書いた「おばさん襲撃事件」で吾輩の耳が後ろに倒れた、なんていうのは、ちょうどいい例だと思う。
とにかく、構造的にも、平べったくなったり、反対向きになったり、耳の動きは激しい。
それに対して、鼻の動きは小刻みにちまちましている。
初対面のものがあるときなど、ひくひく、ひくひく、においを嗅ぐことから始め、それで大抵は相手の 正体に見当がついてしまうのである。
部屋のどこかに、からっぽの紙袋が転がっていようものなら、必ず顔を突っ込んでにおいを嗅ぎに行く。
それで、何が入れてあった紙袋か、見事に正解してしまう、というわけだ。
さて、その鼻で、とんでもない目に遭ってしまった。
花粉症によるものなのか、この時期のおばさんは、何回も鼻をかんで、鼻の下を真っ赤っかにしているのだが、その鼻の下に何やら塗りつけた、これがなんとも強烈なにおいを発するものであった。
この刺激によって、おばさんの鼻をスースーさせ、調子をよくするということが分からないでもないが、吾輩までもスースー、スースーしてしまって、これは、たまらない。
すぐれた嗅覚が、ときには仇になるのだ。
たちまち、その場から逃げ出した。
逃げると言えば、「人間チェイス」に際しても、吾輩にとってレーダーとなるのが耳や鼻である。
おばさんもしくはおじさんが、抜き足、差し足、忍び足で近づいてきても、すぐに物音をキャッチ。
もっとも、そこはそれ、築60年以上のあばら家。
足をどのように忍ばせたところで、音が立たないわけがない。
所詮、無駄な努力なのだが、そうでなくても、吾輩のレーダーは性能がいい。
忍ばせているつもりのおばさんの裏をかき、吾輩のほうから先回りし、背後に近寄っておいて黙って見ていると、しばらくして、ようやく吾輩に気付いたおばさん、ものすごく驚きまくるのである。
その様子を目にして楽しむ吾輩も、人ならぬ猫が悪い。
その埋め合わせというと何だけれど、善行をひとつ積んでみたのであった。
ちょっと前の晩のこと。
おじさんが、仕事を持ち帰っていたにもかかわらず、ビールの飲み過ぎによって、何もせずに寝てしまったのである。
おばさんには、「明日の朝、2時間早く起きて、ちゃんと片付けるから・・・」などと調子いいことを言っていたのだが、目ざまし時計からして合わせていない始末。
おばさんが呆れてしまい、そのままだったので、案の定、翌朝のおじさんは、起きなくてはいけない時刻になっても、気持ちよさそうに白河夜船。
そこで吾輩が仕方なく、おじさんを起こしてあげたのだった。
仕事が無事に片付いたおじさんから、猛烈に感謝されたのは言うまでもないが、ここでも実は、吾輩の鼻が活躍しているのである。
にゃあにゃあ鳴いても起きなかったおじさんに対して、吾輩は、冷たく湿った鼻の先を、おじさんの小鼻あたりにくっつけて驚かせ、それで目をさまさせたのであるから。


第100回 (2003.3.30)

桜前線がちょうど今、吾輩の頭上を通過して行く、そんな気がしてしまうほどの、うららかな春の午後である。
東隣のお宅の庭には、古木ながら桜が1本あり、毛虫が出るという理由から、幹や枝をずいぶん切られて小ぢんまりしてしまったものの、今年も花を咲かせた。
吾輩も、2階の縁側から目の保養ができることだ。
さて、春といえば、球春到来。
おばさんたち「みずほ点訳」のみなさんが、この1ヶ月半、まじめに(?)作業を続け、なんとかプロ野球の開幕に間に合わせて『選手名鑑』を完成させることができたのであるから、吾輩からも一言、「ほんと、お疲れさまでしたにゃあ」と言いたいのだが、問題はおじさんである。
開幕をたのしみにしていた気持ちは、猫の吾輩にだって分かるのだが、テレビ中継のあいだ、ごひいきの球団が劣勢だと言っては怒り、同点だと言っては喜び、逆転したと言っては叫び、大暴投を誘ったと言っては喚くのは、やめてほしい。
すぐ横の椅子の上でうつらうつらしている吾輩の眠気が、どこかに飛んで行ってしまうのである。
特に興奮して、手を叩いたり、体を揺らしたりされると、そのつど猛烈にびっくりさせられて、とても眠ってなんかいられなくなる。
その点、昨夜の試合は、吾輩にとってはありがたかった。
おじさんのごひいき側の投手が満塁ホームランを浴び、そこでさっさとチャンネルが変えられたからである。
この春になって、今更ながら妙な話ではあるが、爪磨きができるようになった。
どうしてできるようになったのか、自分でも分からないのだけれど、いろいろなタイプの爪磨きが、あちらにひとつ、こちらにひとつ、と置き去りにされているうち、ダンボールでできた最軽量タイプを相手にして、だった。
ちゃんと正しい位置に乗っかり、バリバリ、バリバリ、前足を交互に動かせるようになったわけである。
猫なのに何であるが、ちょうど水泳の「犬かき」の要領である。
ただし、そうして爪を磨く時間は、まだそれほど長くなくて、そう、7メートルくらい泳いだところで やめてしまう、といった感じなのだが、それでも現場を目撃したおじさんから、「猫みたいだなあ」なんて、変な感想をつぶやかれる。
最初から猫なのだが・・・。
何れにしろ、ダンボール製だけに、あっという間にボロボロになって、まるで、かなり前から利用されていたような面影なのには、吾輩もびっくりである。
夜になっても、ちょっと前までのようには寒くない。
昔の大平首相のような「あーうー、あーうー」という無遠慮な鳴き声が、嫌でも聞こえてくる季節である。
そのたびに駆け出して、屋外の様子を気にしなくてはならない。
吾輩にしてみると、野球中継で興奮するおじさん以上に、迷惑な存在であることだ。
屋外といえば、ぶたパンダが相変わらず現れ、それも、東隣のお宅とのあいだにあるブロック塀の上をすたすた、すまして歩いてくるのである。
鈴の音ですぐに気が付いてしまう吾輩が、台所の窓から覗いてやると、向こうも吾輩に気付いて立ち止まり、しばらく無言の猫と猫。
しかしながら、この「にらめっこ」は吾輩がいつも負けだ。
ヤツの顔のほうが、おもしろいのである。



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