「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は阿茶である 




第111回〜第120回



阿茶
「頭隠して尻隠さず」
文机の下に寝そべっている阿茶。
カバーの布で隠れているつもりが、下半身はまる出し。




第111回 (2003.8.24)

「冬の陣」あれば「夏の陣」あり、なのである。
この夏は、例年にくらべて冷夏などと言われている。
ここに来てようやく夏らしい日ざしの晴天続きで、猛暑を記録するようにはなったが、たしかにそれまでは雨ばかり。
お米や野菜の出来が心配され、そうでなくても家計の苦しいおばさんにとって、この先、頭を抱える毎日になるのは必至だろうと思われる。
ところが、そんな冷夏であっても、猫というものは暑さにからきし弱くて、吾輩も無論例外ではなく、ちょっとでも過ごしやすい場所を探して、そこを伸びきって占有し、セミの鳴き声をBGMにうつらうつらする、といった次第なのである。
金曜日も暑かった。
セミですら疲れ果ててしまうのじゃないか、というくらい暑かった。
吾輩も一日ぐったりと過ごしていたのだが、おばさんたちが晩ご飯をはじめた時分のこと。
普段だと、吾輩もその頃合いを見計らって食卓まで行き、同じように晩ご飯にありつくのだけれど、どういうぐあいか、その日に限って、別の気まぐれから食卓と反対方向に移動し、小庭に面した縁側に寄ったのであった。
すると、網戸の外側にわけの分からない虫が1匹、とまっているではないか。
猫の習性で、吾輩もついつい相手をするうちに、網戸が横に少しずれてしまったのだ。
こうなると、いっそのこと、開けて外に出てみようか、という気持ちになる。
開けた後は、お行儀よく閉めなくても、勿論、構わないし、庭石伝いに進んで行けばいい。
ほんと、いいのかな。
晩ご飯を終えたおばさんたちが次の行動に移ったところで、まず、おじさんが異変に気付いたようだった。
妙に間延びした絶叫で、「網戸が開いてる」と。
やはり網戸は閉めておくのだったかにゃ、などと反省しながらも、すぐにおばさんが駆けつけ、小庭に下りてきたので、吾輩、思わず縁の下にもぐり込んでしまった。
はじめての縁の下。
真っ暗闇とはいえ、猫であるから視野には問題がない。
テレビ時代劇で見た忍者にでもなったような気分だ。
と、急に小庭のほうから「御用だ、御用だ」と言わんばかりの光線。
懐中電灯というものに照らされたのである。
まぶしさのあまり、奥へ奥へと逃げてしまい、おばさんたちを慌てさせたが、奥というのが行き止まり。
打ってある板と板の間隔が狭くて、スリムな吾輩といえども通り抜けられない。
結局、小庭まで戻ることになった。
おばさんたちも考えを変えていたらしく、吾輩を刺激しないように、というので懐中電灯を消し、そっと静かに、遠巻きにしながら、吾輩が縁の下から出てくるのを待っていたようである。
最後は、微動だにしないおばさんの目の前で、縁側のにおいを散々確認し、つんと上がり込んだところ、その背後で網戸が思いっきり閉められたのだった。
この騒動、時間にしてどれくらいだったのかは分からないけれど、声の通りのいいおばさんから呼び続けられたことによって、吾輩の名前がご近所中に知れ渡ったことは、断じて間違いないであろう。
もうひとつ。
おばさんたちには肝が冷え、とんだ暑気払いになったようである。
ところで今日、また網戸を開け、今いちど外に、なんて思って試したのだが、これがびくとも動かない。
そう言えば、昨日の午後、ふたりがかりで網戸を張り替えていて、どうもその際、小細工をしたらしい。
ふと見上げたところに、『用心云々』なる名前の網戸ストッパーが取り付けられていた。
あちゃ。


第112回 (2003.10.4)

ひと夏の経験から、早いもので1ヶ月半が経過しようとしている。
この間、吾輩は猛烈に忙しかった。
なんだか『吾輩』を御無沙汰してしまった、その言い訳をしているような気がしてならないのだが、とにかく忙しくて忙しくて、とてもパソコンに向かってなどいられなかったのである。
読者の中には、 犬と違って気ままに暮らしているだけの猫のくせして、何がそれほどまでに忙しかったのか?なんてお思いの人もいるだろうけれど、これが実は、おしゃべりするのに途方もなく忙しかったのである。
自分でも非常にうるさく感じたほどであった。
どのようにうるさいか、と言うと、まず、目ざまし時計の復活、ということが挙げられる。
3時半だの4時だの、とんでもない時間から、黙っていられなくなっては、おじさんたちの枕許に近寄り、うるさく鳴き続けてあげたのである。
昨夏も「何時何分の怪」と名付けられながら、目ざまし時計のかわりをしたものだったが、これが先々月の騒動をきっかけに復活した、というわけだ。
本物の目ざまし時計よりも優秀な点は、目ざまし音を止めるスイッチがついていなくて、寝坊させないところであろうか。
そして日中。
吾輩が眠ってさえいなければ、おしゃべりのオンパレード。
何をそんなにしゃべり続けることがあるのか、と思われるかもしれないが、今までどちらかと言うと寡黙で、呼ばれても返事ひとつしない猫であった分、この小さな胸にしまってあったことも多いのだ。
変われば変わるものである。
そうやって吾輩がおしゃべりし続けているところに、たとえば、おばさんが「阿茶〜」と呼ぶと、これはどうしたって、返事をしているような状況ができてしまう。
吾輩としては返事など全然していないのだが、勘違いしてしまうのに無理はないとも思っている。
おじさんに至っては、勘違いしたまま狂喜し、不必要に何回も「阿茶〜、阿茶〜」と呼ぶので、今度は吾輩がうるさくて敵わない、という話になる。
ただし、たった1日だけ、とても静かな日があった。
庭と言っても小さいが、草木の伸びるのには、そんな大小が関係なくて、庭師さんに入ってもらったのである。
その日は、おじさんが朝からそわそわしていて、それで察した吾輩も落ち着かなかったのだが、実際にトラックが到着すると、完璧に身を隠した。
吾輩の超魔術である。
勿論、じっとしていて、おしゃべりなんかしていられるわけがない。
やがて、庭師さんが裏にまわったかと思う間もなく、けたたましいエンジン音とともに、駐車場までの間に植わっていたシュロの木が2本とも、切り倒されてしまったのだった。
大きくなり過ぎた、というのが切り倒された理由らしいが、このあたりの鳥にとって憩いの場だったことを考えると、残念でならない。
吾輩もこれで鳥たちとお話ができなくなった次第で、ますます、おばさんたち相手におしゃべりすることになるのではなかろうか、と考えている。


第113回 (2003.11.9)

時間の経過が何事にも変化をもたらすようである。
吾輩のおしゃべりも、さすがに最近になって、少し落ち着いてきたような気がする。
屋外を眺めていても、そんなには飛び出して行きたい気持ちにならない。
ひとつには、おばさんが努めて遊び相手になってくれるので、屋内ながらも、十分に走りまわって気が済んでいることが、理由として挙げられよう。
もうひとつには、ここ数日はそうでもないが、秋が深まってきて、いかにも屋外が寒そうなのだ。
たまに訪れる猫たち、たとえばぶたパンダなどを観察すると、寒いのを我慢しているようにも、吾輩を羨ましがっているようにも、見えるのである。
それやこれやを理由に、落ち着いてきているのではないか、と分析している。
さて、屋外を眺めていると言えば、昨日のお昼過ぎのこと。
台所の出窓から眺めていた風景に、突然、真っ赤な服装をしたご婦人が割り込んできた。
お隣に住んでみえる奥さんだったのである。
そして、気にして眺めていると、奥さんのほうも吾輩を意識していて、庭木を利用して出たり入ったり、「いないいないばあ」のような動きをしているのだ。
吾輩もつい引き込まれて、出窓の網戸に爪をかけて伸び上がり、普段よりもソプラノで「にゃあにゃあ」鳴いてしまって、食卓いっぱいに印刷物や辞書を広げて点訳校正中だったおばさんが、わざわざ覗きにくるほどのことになったのであった。
ところで、最近、この台所に異変が生じるようになった。
おじさんが気まぐれに何回か、料理を作りに立ったのである。
おばさんたちの活動の場である生センで、この秋、男性を対象にした料理講座が開催されていて、そこに参加中のおじさんが、おぼえてきた料理を復習しようとするわけなのである。
これが実にハタ迷惑というやつで、台所が散らかるのは勿論、おばさんがこき使われる、ご飯の時間を過ぎてもなかなかご飯にならない、吾輩も妙に興奮してしまうのである。
好奇心から近寄ると、大騒ぎしているおじさんが、吾輩に「危ないから、あっちに行ってなさい」なんて言うが、どう見ても危なっかしいのは、おじさんのほうではあるまいか。
台所と言えば、もうひとつ。
おばさんが、買ってきたばかりの「出しの素」を箱ごと、そこら辺りに置いていたのだった。
さて、片付けようと持ち上げたところが、まるで底抜けの状態になっていて、移動させた分だけ「出しの素」で線が引けてしまったそうなのである。
あらためて箱を見ると、底にいくつも穴が開けられていたと言うではないか。
その穴の開けられ方が猫の爪あとに酷似していることや、中身が鰹節からできていることから、どうも吾輩に容疑がかかっているらしいのだが、さてさて、真相やいかに・・・。


第114回 (2003.12.31)

またまた『吾輩』を御無沙汰してしまっているうちに、早くも今日は大晦日。
なんだか、あっという間に時間が過ぎて行く感じがする。
そして今日は特にその感が強い。
夜明け前だったか、おじさんのふとんにおじゃまし、そこでどうやら眠ったらしくて、目がさめてみたら、夕方の5時40分。
これでは時間があっという間に過ぎるのも無理はない。
毎日毎日、ここまで寝坊をしているわけではないのだが、寒くなり、ふとんにもぐり込むようになって からは、うっかりすると、起きる時間が遅くなってしまうことである。
こんな時間からだと、まとまって何かする、というほどの時間がなくて、実は今日も、これから「紅白」を見ることになっているのだ。
女子十二楽坊を楽しみにしているわけである。
ほんとは、大掃除の際の、ちょっとした話があるのだけれど、それはまた新年に、ということで、テレビの前に戻ることにしようと思う。
それじゃ、みなさま、よいお年を!
あー、時間がない、時間がない。


第115回 (2004.1.4)

新年あけましておめでとうございます。
・・・という挨拶も、これで3回目。
もう慣れたもので、正月だからというほどのことはない。
お雑煮にふりかけられる鰹節をお年玉にもらい、吾輩宛に届いた年賀状に目を通し、あとは立て続けに留守番をしていた、といった感じだった。
今年は天気もよく、お出かけするのにもってこいだったようだが、留守番には天気など関係がない。
むしろ、曇りや雨の日のほうが、よく眠れるのである。
何れにしろ、大晦日のように朝寝坊ならぬ夕寝坊をするうちに、「三が日」が過ぎ去った次第であった。

さて、話は年末の大掃除の際に戻るのだが、またもや吾輩の屋外騒動があったのだった。
それも、こともあろうに2回も・・・。
1回目は26日の午後。
おばさんがひとり、大掃除に奮闘していたときのこと。
網戸が外され、カーテンが外されて、普段とずいぶん違った、透明感のある窓の風景だにゃあ、なんて思いながら、隙間のできていた窓に前足をかけたところが、するするっと難なく横に動いたのである。
それじゃ、ちょっと・・・と足を運んだ先は、窓が北側の2階だっただけに1階のひさし部分で、そのまま屋根伝いに、隣接する物置の上まで出かけることとなった。
ところが、そこから先になぜか進めない。
隣のブロック塀に飛び移るもよし、西側の駐車場にポンと降りてしまうもよし、だったのにもかかわらず、それができない。
吾輩は、猫としては些か珍しい高所恐怖症であるのかもしれない。
そのころ、おばさんが、ようやく事態に気づいて、大騒ぎを始めた。
どうにか吾輩を連れ戻そうと、問題の窓から乗り出してきたり、階下にまわって物置の前から見上げ、ここに降りなさい、というぐあいに手を広げたり。
最終的には、吾輩がひさし部分に戻ったところで、窓から乗り出し、ちぎれるくらいに手を伸ばしたおばさんによって、辛うじて背中の皮をつまみ取られ、部屋の中に戻されたのだった。
おばさんとしては、よほど安心したのだろう。
そこで吾輩を離し、一息ついていたのだ。
先にとっとと1階まで降りた吾輩は、物置に出るところの扉が開いたままなのを見て、また外に出ることができてしまった。
この「おまけ」は、さすがにすぐに見つかったが、おばさん受難の半日となったことであった。
それがまだ記憶に新しい30日の午後、2回目の騒動となったのである。
この日はおじさんも大掃除に加わっていて、騒動のときは、おばさんが2階奥の部屋の片付け、おじさんが玄関の拭き掃除をしていた。
そして、吾輩はただ何気なく、サッシのわずかな隙間に前足をかけただけの話なのである。
これがまた「するするっ」であった。
今度は同じ2階でも南側だったので、外の様子が違う。
ベランダから1階のひさし部分に降りると、屋根伝いに移動する先もなくて、その場で「にゃあにゃあ」と鳴くばかり。
この鳴き声が、おじさんの耳に届いたらしく、驚き顔のおじさんが真下まできて、この前のおばさん同様、手を広げてくれたのだが、あいにく吾輩は高所恐怖症(?)というわけだ。
とても飛び降りることができない。
その後、おじさんがベランダまで上がって来るや、すぐに吾輩のほうから部屋に駆け戻った。
実は、おじさんというのが明らかに高所恐怖症で、そういう人間と危険なマネはできないわけである。

ま、こんなおじさん、おばさん、吾輩で、相も変わりませんが、本年もどうぞ よろしくお願いします。


第116回 (2004.2.4)

暦の上では春ですが・・・というのが挨拶になっているような今日、立春。
まだまだ寒さのあまり、前足の先がかじかんで、まるくなってしまっている(?)吾輩である。
さて、そんな吾輩だけに、おじさんのふとんに一度もぐり込んだとなれば、ちょっとやそっとでは出て行かない。
昼になろうが、夜になろうが、中で過ごしていられるのである。
そもそも、もぐり込むのは大抵が夜明け。
つまり、極端な場合だと、おじさんが起き出すころに、入れ替わるようにしてもぐり込み、おじさんが事務所から帰ってくるころになって、ようやく吾輩がもぞもぞと起き出す、なんてことになるのだ。
ある意味では、夜行性たる猫としての本分を全うした生活をしているとも言えよう。
ところが、である。
たまに気まぐれから、おばさんのふとんにもぐり込むときがあるのだが、こちらではまず長居をしないのだ。
同じように夜が明けるとともにおじゃまをしておきながら、朝の9時か10時には出てしまうのである。
自分でも説明がつかないが、おばさんに言わせると、ホモなんじゃないの、ということになる。
神に誓って、そんなことはない!
ところで先週だったか、そのお気に入りのおじさんのふとんの中で、胃の中のものを吐き出してしまう、という事件を起こしてしまった。
普段どおりの食餌を済ませ、普段どおりの要領でふとんにもぐり込み、普段どおりにおじさんが起き出して行った後のこと。
突然、何かがこみ上げてくる感覚に襲われた、と思う間すらなく、ウニュウニュと嘔吐してしまっていたのだった。
こりゃ、すぐにおばさんに知らせなくちゃ、と考えながらも、吐くだけ吐いてすっきりしたからか、またひと眠りしてしまい、結局、お昼前後に起き出した。
それからしばらくして、吾輩が起き出したのを幸い、ふとんを日に干そうとしたおばさんが、乾いてハンバーグのようになった吾輩の「もの」に気づき、仰天したという次第だった。
あ、そうそう、その事件の翌日から、おばさんのふとんに鞍替えしたのだった。
そういう点、はっきりしたものである。


第117回 (2004.2.22)

今年もまた「猫の日」を迎えた。
2月なんて、猫の苦手な寒い時期に、よりによって・・・と思いはするものの、「ねずみの日」だの「ぞうの日」だのと聞いた記憶がないことから考えれば、相手にしてもらっているだけ、まだ幸せかもしれない。
しかも、今年は妙に暖かく、うぐいすの初鳴きまで耳にしたくらいだ。
吾輩も、猫の日にふさわしく、のんびりとした一日を過ごした。
さて、まだまだ2月本来の寒さに体を縮めていた、ちょっと前の話。
起きている間の吾輩は、と言えば、テレビの上で過ごすことが多かった。
というのは、ここが、ちょうどエアコンを真正面にしていて、暖められた空気が真っ先に降りてくる、とても快適な場所なのである。
エアコンのスイッチさえ入っていれば、この場所を選び、スフィンクスになっている、という次第だった。
おばさんがあるとき、点訳の校正に使用する、ちっぽけな付箋を1枚、ほんの気まぐれから、テレビの上の吾輩の横にペッと貼り付けたことがあった。
おばさんに大して意図がなかったとしても、これが俄然、吾輩のおもちゃになったのである。
付箋が、降りてくる空気にそよいで、へらへら踊るのだ。
こういった踊りを目の前にしながら、黙って見ているだけの吾輩ではない。
前足で何回か空振りした後、思わず噛みつきに行った。
ところが、である。
付箋といえども、決して侮ることなかれ。
へらへら踊りが曲者で、ちっとも噛みつくことができない。
吾輩がむきになればなるほど、上手に身をかわされてしまう。
吾輩の様子に気づいたおばさんが、付箋の数を増やし、まるでカラフルな睫毛が生えたようになったテレビの上で、転がり落ちそうなくらい体をくねらせて付箋と格闘している吾輩の図、といった有り様になった。
実際、転がり落ちたこともあったが、背面の壁側方向だったのが幸いし、床にまでは落下せず済み、怪我をすることもなかった。
妙に暖かな気候となった途端、エアコンのスイッチが入れられなくなり、吾輩もテレビの上に行くことがなくなってしまった。
ただ、その後には、相手をされなくなった付箋が、テレビに貼り付いたままだったり、下に剥がれ落ちたりしているだけである。


第118回 (2004.3.16)

事務所の猫先輩さんちの猫に歯石がたまったとかで、獣医さんのところに連れて行かれたそうである。
話を聞いたおじさんが、おばさんにぺらぺら報告していて、吾輩も耳にした。
詳しい話によると、普段の食餌がカリカリ専門であって、歯石のたまりやすい猫缶などは、いっさい口にしていないにもかかわらず、いつの間にか歯石がたまり、歯肉も腫れていた、とのこと。
原因がはっきりしなくて、おそらく体質的なこともあるのであろうが、食餌から判断するだけだと、吾輩のほうが余程よろしくない生活をしているようなのだ。
猫缶は食べ放題、カリカリも食べ放題。
食べ終えた後に歯磨きをする、なんてことは勿論しない。
あくびでもするかのように大口を開けて、舌なめずりするだけである。
それで、ふと、吾輩も気になって、おばさんの鏡台に飛び乗り、自分の口の中を覗いてみた。
歯石や歯肉の心配は、しなくてよさそうだった。
ただし、前々から気にはしていた、鼻先や口のまわりにできてくる黒い点々、そばかすと言うのか、ほくろと言うのか、色素沈着と言うのか、これがまた増えたように思えてならない。
これも体質的なことがあるらしくて、そんなには深刻に考えなくてもいいようなのだが、このまま増え続けて行くとしたら・・・
101匹わんちゃんか黒猫になってしまう気がして、ちょっとだけ心配している。
食べ放題で思い出したけれど、先週だったか、先々週だったか、おばさんのお昼が済んだ直後のこと。
その日の吾輩は、すでにふとんから起き出して、エアコンの暖気がそよいでくる指定席でのんびりしていたのだが、おばさんが席を立った隙に、食卓の上に移動をした。
食卓には、おばさんの茶わんや味噌汁のおわんが並べられ、吾輩、おわんにまっしぐら。
顔まで突っ込んで、きれいに舐めまくってしまったのだ。
台所から戻って、その光景を目にしたおばさんが「あちゃ〜」だった。
自分でも、行儀がよくなかったと思いながら、これは、出しに含まれる鰹節に釣られたのではあるまいか、と考えている。
それにしても、おいしかったにゃあ。
鰹節と言えば、最近、1回だけ、ちゃんとしたのにありつけたことがあった。
おばさんたちがお好み焼きを食べた晩のことだ。
花鰹というのか、ひらひらとしたのが、お好み焼きの上に載せられて、熱で踊り始めた途端に、吾輩も踊り始めた、というわけである。
見るに見かねたおばさんが「これだけだよ」と分けてくれ、すぐにむしゃぶりついたのだが、あっけなく食べ終えてしまった後、もぞもぞしていたら、今度はおじさんが分けてくれた。
同じ「ひとつかみ」でも、手の大きさが違う分、余計に食べられる。
そして、もう言うまでもないのだが、ほんと、おいしかったにゃあにゃあ。


第119回 (2004.4.25)

猫缶が同じものに定着して、どれくらい経つのであろうか?
吾輩がチビだったころは、自分の好みを模索していたのか、単にわがままだっただけか、まさしく猫ならではの「気まぐれ」だったか、よく猫缶を変更させたものだった。
毎日食べてきた猫缶なのに、突然、口に合わない気がして、頑として食べなくなるのだ。
すると、おばさんが仕方なさそうに別タイプの猫缶にしてくれる。
その新しい猫缶を、最初は特に物珍しさもあって、吾輩が飛びつくようにして食べる。
「これは行ける」とばかりに、おじさんがまとめて仕入れてきた直後の2缶目から、さっぱり見向きも しなかった、なんてこともあった。
間隔があいたところで、以前のタイプに戻されたのを吾輩が見抜けず、新しい猫缶だと思い込んで、喜び勇んで食べてしまったこともあった。
それが、そう、ここ1年ほどになるであろうか。
猫のあいだでも有名な、ある大手メーカーが何種類も販売している猫缶のうち、「まぐろとあじ」および「まぐろとかつおとささみ」の2種類に限定して、食べ続けている次第なのである。
どちらかに片寄らないよう、おばさんが配慮して出してくれるのも確かだが、かつての吾輩であれば、片方もしくは両方ともを、とっくの昔に拒絶していたと思われる。
どうして定着したのか、自分でも不思議だ。
おやつにしているカリカリについても、トランプカリカリになって以来、他にもタイプがある、という事実を忘れてしまったかのように、このカリカリばかり。
こうした点こそが、吾輩の内面的な成長の現れなのかもしれない。
ところで、この『吾輩』をお読みくださっているみなさまには、バレバレの話なのだが、定着したと言いながらも、この間に浮気をしなかったわけではない。前回に登場した鰹節など、大好物であり、たまに(?)ありついている。
そして今回は、シシャモを口にすることができた。おじさんのお昼の弁当にふりかけられていた「シャケシシャモ」とは違う。
つまり、卵だけではなくて魚肉もろとも、北洋を泳いでいたときのままの、まるまる全身シシャモだ。
においを嗅ぎつけた時点から、にゃあご、にゃあご、食べさせてくれるまで大騒ぎしてしまったものだった。
さらに、おばさんたちの食卓にカジキが上った日のこと。
このときは大騒ぎすることなく、とっとと食卓におじゃまができた。
晩ご飯を順に運んでいたおばさん、おじさんが、ちょうどふたりとも台所に行っていた一瞬のこと。
吾輩とカジキの関係に思い当たったふたりが、慌てて戻ってきたときには、すでに目的を果たした吾輩、食卓から悠々と下り、口のまわりを舐め始めたところだったのだ。
ただし、カジキは無傷。
吾輩の目的は、小鉢のオクラにかけられていた鰹節。
よくよくの大好物、という次第だった。


第120回 (2004.5.5)

吾輩の誕生日も、今日が3回目。
お蔭さまで、満3歳になったというわけである。
人間に換算すると、26歳くらいらしい。
さすがに、伸び盛りという年齢ではなくなったし、いたずら盛りという年齢でも・・・これは、どうなのか分からない。
とにかく、身長、座高、尻尾の長さなどは変わっていないようだ。
むしろ、これからは、体重が増えないように気をつけなければならない。
毎度申し上げることだが、うちの体重計は、0・5kg単位でしか測れない。
それでも一応は数字を表示してくれるので、ちょっと測ってみた。4・5kg。
これって、少し減量したのかな?
そう言えば、おばさんが最近、吾輩を抱きかかえて「軽くなったんじゃない?」と聞いてくるのだけれど、自分ではよく分からなくて、にゃんとも返事ができずにいた。
どうやら肯定しておけばいいようである。
減量とまんざら無関係でもないと思うが、このところの抜け毛がすごい!
満3歳になったくらいだから、これまでに夏毛、冬毛といった衣替えを経験していないわけはないが、今回特にすごいようなのである。
ちょっと腰を下ろし、考え事をして尻尾を左右に振っていようものなら、その辺りを掃除したようになって、尻尾の先に、すぐさまプチ尻尾ができてしまう。
これが、吾輩から抜けた毛を主にした、毛ぼこりだった、というのだから尋常の抜け様ではないのである。
まあ、ほんとのところ、減量との関係は微妙だと思うけれど、健康を損ねているわけではないし、おじさんと違って増量もしていないし、理想的な体重を維持していて心配ご無用、といった感じである。
ところで、玄関の下駄箱の上には今、セイロンベンケイ草という、なんとも物々しい名前をした植物の葉っぱが2枚、水耕栽培されて、水を張ったお皿に浮かべられている。
こうなると、放っておけないのが吾輩である。
猫としては水っ気を嫌っているにもかかわらず、水中に勇猛果敢に前足を突っ込んででも、葉っぱを引っぱり出したくなってしまう、というわけだ。
ただの葉っぱだった段階で数回、お皿から解放してあげた。
まして、新芽がいくつか顔を出し、そいつを利用すれば前足を突っ込まなくても済むようになってからは、毎日のように自由にしてやっている。
ちなみに、お皿の並びに、新入りの「白猫」が鎮座している。
男の子なのか、頭に折り紙のかぶとを被り、右手に鯉のぼりを持っている。
その彼がちょくちょく転がっているのと、大親友ベンくんがあっちに行ったり、こっちに行ったり、たまにトイレのすぐ前で、まるで順番待ちしているかのように扉を向いていたりするのには、吾輩が大いに関係しているかもしれない。
いたずらについては、まだまだ盛んなのである。




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