「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は阿茶である 




第31回〜第40回



阿茶
籐椅子の手擦りに乗っかってる阿茶。
自慢の長い尻尾は、手擦りのカーブに沿って後ろに。




第31回 (2001.9.19)

猫の毛は犬のよりも柔らかくて手触りが気持ちいい。
それだけの理由ではないと思うが、おじさんから迷惑なほど触りまくられている。
ところが、猫の側から言っても、触られるのが猛烈に気持ちいい場所がある。
猫によっても場所が違うと思うけれど、吾輩の場合は、それが背中のようだ。
おじさんに背中を、肩からお尻に向けて撫でられると、吾輩は、知らず知らずのうちにゴロゴロゴロゴロ言いながら、気持ちよくなり、あまりの気持ちよさに、却って逃げ出したくなってしまうのである。
人間で言えば、くすぐられている状態なのかもしれない。
不愉快では勿論ないので、だあーっと逃げるわけではないが、3歩ほど歩いて逃れ、そこに寝そべるのだ。
するとまた、おじさんの手が伸びてきて、背中を撫でられ、ゴロゴロ言いながら3歩ほど歩いて寝そべり、そこにまた、おじさんの手が伸びてきて、背中を撫でられ・・・きりがないのである。
おばさんの観察では、反対にお尻から肩に向けて撫でたほうがいいらしいのだが、どちらにしても、とっても気持ちいいには変わりがない。
気持ちいいと言えば、昨日のこと。
おじさんが事務所の猫先輩さんから「またたびスプレー」なる妙なものを、もらってきた。
早速、おばさんが木製の爪磨きに、シュッ、シュッ、シュッと3回ほど吹きかけ、吾輩が少し反応したのを見て、例のUFOを運んできたのだった。
すると、あら不思議、まか不思議、自分でも不思議、サボテンのてっぺんに齧りついてしまったのである。
これは一体、どうしたことか?
カナダの研究グループが知ったら、拍手喝采するような事態になってしまった。
またたびスプレー、おそるべし!
その後も弾丸のように廊下を走りまわったが、結局、爪磨きはきちんとできなくて、依然として「宿題」を残したままになっている。


第32回 (2001.9.20)

今週の土曜日、おばさんたちが、あんずさまのぶどう園に集合し、ぶどう狩りをすることに決まった。
吾輩も、なんと!ついて行くことになっている。
お留守番ではないのだ!!
これは吾輩の生涯において画期的な出来事になると思っている。
そこで、ひとつ、問題が生じた。
せっかく、ぶどう園まで出かけて、車もしくはキャリーバッグの中というのではつまらないから、吾輩もぶどうの下に出してくれるらしいのだけれど、そうなると、首輪などで繋がれていなければならないのだ。
吾輩が以前、お遊びで首にリボンを巻かれた際、それだけで暴れてしまったことを思い出したおばさんが、もっと緩やかなように、体にたすき掛けするハーネスとリードというものを買ってきたのだが、やはり吾輩は、ハーネスをされただけで嫌なのだ!
無理に抜こうとした前足が絡み取られてしまい、うまく走れないし、階段も昇れなくてずっこけてしまった。
猛烈にパニクるのである。
おばさんは、なんとか土曜日まで、と言っても、もう明後日なのだけど、それまでに練習を重ねて、犬ではあるけど上野の西郷さんちのごとく、させようと考えているみたいだが、どうなりますことやら・・・。
いずれにしろ、吾輩にとっても特別な日、お天気にしたいものである。


第33回 (2001.9.23)

思ったとおり、昨日は、吾輩の生涯における画期的な一日となった。
問題だったハーネスが問題にならないほどの出来事の連続であった。
まず、おじさんの運転する車に乗せられた。
運転のじゃまにならないように荷物で仕切られたので、吾輩の空間はサザエさまとおばさんが座っている後部座席と、UFOやゲージなどが積み込まれた荷台だったのだが、ほとんどの時間、サザエさまのお膝か足許にいて過ごし、おばさんのほうや荷台には滅多に移動しなかった。
おばさんの足許に猫砂トイレがあったことも理由のひとつだけれど、最も重要な理由は、サザエさまのそばが、とにかく気持ちいいのだ。
車に乗せられるというのは、Tenさん宅からの転居のとき以来のこと。
またどこか知らない他所にもらわれて行くのかと、不安な気持ちが募り、普段おとなしい吾輩が、にゃあにゃあ、ぎゃあぎゃあ、鳴き続けたのを、安心させてくれたのもサザエさまで、おばさんは妬いたけれど、お膝で居眠りまでしてしまった。
そういう居眠りの妨げになるのが、道路の継ぎ目でするゴトンという音と、トンネルだった。
トンネルは、夜のようになって、夜行性の吾輩を刺激し、オレンジの照明もチカチカする。
そのくせ、出たときが無茶苦茶まぶしい。
長い長い恵那山トンネルを出た後、「阿智」というPAがあり、何か吾輩と無関係ではない気がして、寄ってみてもらってもよかったのだが、素通り。
しばらくして、吾輩が、にゃあとも、ぎゃあとも違った意味不明語を発し、心配したおじさんたちが、慌てて駒ヶ岳SAに寄り、休憩を入れた。
意味不明語は、「わん」が聞き分けられるおじさんには「あわうわわ」、聞き分けられないおばさんには「にゃられろれろ」、と聞こえたようだが、発した吾輩本人は、何を言ったのか、忘れた。
あんずさまのぶどう園に到着するなり、ムーミンさま親子やYuちゃん、Yaちゃんにかこまれた。
Tenさま、28号さまとは勿論、感動の再会を果たし(Tenさんちの息子くんがいなくて、がっかりだった。会いたいにゃー)、かっとびさま、Yaちゃんとも7月にお会いしているが、他の方たちとは初対面。
みなさん、吾輩のことを可愛く思ってくれたようだったので、猫を被った成果があった・・・なんて言っているが、島崎藤村じゃないけど長野県は山の中、とても寒かったのである。
ハーネスをされたことでパニクる前に、体が震えてしまって仕方がなかった。
せっかく、吾輩にYuちゃん、Yaちゃんがお土産をくれて、嬉しくてたまらなかったのに、食欲もなく、食べるところを見せられなかったのが、今にして残念である。
バーベキューで盛り上がっている間も、ぶどうを狩り始めてからも、ずっと誰かに、何枚ものタオルにくるまれたまま、だっこされて過ごした。
「大恩人」Tenさまの膝の上は、依然として健在だった。
28号さまから「2倍半くらい、大きくなっている」と言われたが、自分ではわからない。
おばさんたちも毎日見ているので、なかなか気付かなくて、まさに28号さまのように間隔をおいて見てくれた人が、わかることである。
猫が嫌いなはずのぱっぱさまが、近寄ってみえたのには、驚いた。
言葉までかけられ、これも、隅っこにUFOが置いてあったことと関係あり、なのかな・・・。
あんずさまから、ぶどうをいっぱいもらって、おじさんたちが帰途につき、ここでサザエさまの魔法の手が出てくるのだ。
吾輩も車に馴れたのか、行きのようには鳴かなかったし、顔つきも違ったそうだが、それにしても、サザエさまの膝の上で横抱きにされ、吾輩の首の位置で、サザエさまが添えた手をひねるとすぐに、吾輩の目が閉じ、眠らされてしまうのは、どういう術なのであろう?
おばさんが横で、さかんに不思議がっていた。
寒かったけど、お天気はよかったし、土の地面を踏むこともできたし、普段より動いていないわりには疲れたけど、最高の一日だった。
お蔭で『吾輩』も、なんだか2回分くらい書いてしまったことである。


第34回 (2001.9.26)

ぶどう狩りの際にちょっとバレた話だけれど、現在の吾輩は、すっかり「カリカリ」を食べなくなって、おばさんたちを困らせているのである。
鰹節がもらえるようになった頃は、「カリカリ」主体の食生活に変わりはなかった。
夕食時に限って鰹節をもらい、大喜びで食べたものである。
ところが、はじめて鰹節がもらえたときの感激は、何回ももらっているうちに薄らいでしまった。
おばさんたちの側から言っても、自分たちが焼き魚の日だけ与えることにしよう、という鰹節協定が、吾輩の甘えた鳴き声により早々から崩れ、なし崩しになり、ちょっと鳴けば鰹節を取り出すようになり、それが定期的になり、毎回ということになった。
そうなれば、何も敢えて「カリカリ」を食べる必要などないわけで、鰹節と「カリカリ」を混ぜて出されても、上手に鰹節だけ食べたら終わり、という状況になるのである。
さらに最近は、鰹節でもふわふわなところだけを食べ、下にこぼれ落ちたような粉状になったところは口にしない。
結局、吾輩が食べ終わった後のお皿には、鰹節の粉にまみれた「カリカリ」が、砂地の生き物のようになって残ることとなる。
夜中など、他に食べるものがなく、どうしてもひもじくなれば「カリカリ」を食べるが、そんなことは滅多になくて、おばさんたちの思惑には程遠い。
どうにかして元に戻さなくては、と考えているみたいだが、今のところ名案は浮かんでいないようだ。
少なくとも、吾輩の甘え声にメロメロしているうちは、元に戻らなくて済むだろうと、吾輩は思っている。


第35回 (2001.9.27)

吾輩の食餌のためのお皿は、1階にも2階にも置かれているのだけれど、飲料水のためのガラス製のお皿は、2階の洗面所にしか置かれていない。
それで、おばさんが1階の台所にいて、夕食の仕度をしていた際に、隣の食堂からピチャピチャと、まるで吾輩が水を飲んでいるような物音がしたとき、実に不可解な気持ちに陥ったそうなのである。
一体ぜんたい何なのだろうか?
おばさんが首をひねりながら、移動して見たものは、とんでもない光景であった。
吾輩がお茶を飲んでいたのである。
食卓の上に、おばさんが飲みかけたまま放置していた湯飲みがあり、そこに顔を首まで突っ込んで、ひたすらピチャピチャ飲み続けていたのだ。
おばさんはあっ気にとられながらも、なんとか然るべき言葉を見つけ、吾輩に発したものの、時すでに遅く、湯飲みの中身はずいぶんと減っていたのであった。
帰宅したおじさんが、おばさんから事の顛末を聞き、「お茶のほうがいい季節になった、ということかな」と言っていたが、別に吾輩は、体を丸めるようにして湯飲みを持って、熱い番茶をフーフー冷ましながら飲んでいたわけではなく、お茶はすっかり冷めていたのである。
ところで、お茶の味についてだが、苦いところが、なかなか「おつ」であった。


第36回 (2001.10.1)

10月になった。衣替えである。
おじさんも、カッターシャツを長袖にし、スーツの上着を着込んで出かけて行ったが、そうでなくても汗っかきなのだから、この時期にそんな格好をすれば、汗だくにならないわけはないのに、衣替えは10月1日と決めているようなところがあって、融通がきかない。
おかしなところで几帳面なのである。
その点、猫は合理的にできている。
夏毛から冬毛への衣替えを、日にちになど左右されず、気候をみて徐々に行うのである。
もっとも、吾輩には、生まれてはじめての衣替えであるが・・・。
さて、今日はまた、十五夜でもある。
銀メダルのような満月に、最初に気付いたのは、おばさんだった。
すぐおじさんにも知らされ、そのおじさんに抱えられて、吾輩も縁側に出た。
「お月さんだよ」と教えられたのだが、おじさんの指先よりも、スリッパやじょうろ、植木鉢といった物のほうが気になって、下ばかり向いてしまい、おじさんに頭をつかまれて、ようやく満月を見上げることができた。
あまり興味はわかなかった。
同じようにまんまるくて光るものであれば、猫缶のふたのほうが興味あり、という感じである。


第37回 (2001.10.9)

吾輩の食餌事情は、新たな展開を見せたのであった。
鰹節の時代が強制的に終わりにされ、再び猫缶時代に入ったのである。
栄養の偏りをどうしても心配したおばさんが、心を桃太郎にして(鬼よりも強い)鰹節をやめるようにし、歴史がくり返されれば、また「カリカリ」に移行する日がくるのでは、という考えから、最初の猫缶まで戻したのだ。
ところが、吾輩が成長している分だけ、同じ猫缶には戻れなかったのが現実だった。
吾輩が、ペースト状の猫缶だと飽き足らなくて、少しでも固形の猫缶のほうを好むようになったのである。
今、いちばん気に入っているのは、「まぐろ懐石」なる贅沢な名前の銘柄、しかも、何種類か販売されているうちの、かに入り!というものである。
これだと、普段の倍は食べる。
あっという間にペロリだ。
同じようによく食べるおじさんに言わせると、「食欲の秋だからかなあ」ということになるみたいだが、ここぞとばかりに「カリカリ」が出されても、やはり食べずに残してしまうので、そうとも言えず、猫缶時代なのである。
そう言えば、先日、おばさんの親友のひとり、小牧市に住んでいるコマキさんが、わざわざ吾輩に会いに来てくれた。
初対面なのだけれど、おばさんと姉妹に間違われるくらい面影が似た人で、初対面という感じがまったくしなかったのだが、彼女が、吾輩へのお土産に鰹節パックを持ってきてくれたのだった。
鰹節時代の終焉をご存知なかったのだ。
話が逸れるが、コマキさんから、目が大きく、耳もピンとして、とってもハンサムくんねえ、などと賛辞をいただいた。
彼女は大の猫好きらしく、猫じゃらしで思いっきり遊んでくれて、吾輩も猛烈に嬉しくなり、思わず カプッと手に噛みついて、3回ほど悲鳴を上げさせてしまった。
話を戻すと、「食欲の秋」と言えないのは、おじさんについても、そうだ。
「食欲の年中無休」だからである。
それと、非常に気になっていること、お土産だった鰹節パックの行方である。


第38回 (2001.10.10)

ちょっとした騒動が、続けざまに起きた。
最初は、奥の部屋の西側の窓に取り付けられた網戸が、びりびりに破られていたことだ。
さも他人事のように書いているが、張本人はほかならぬ、この吾輩である。
西側の窓というのは、早くから、開けておかれる習慣になった窓で、夏からずっと吾輩が網戸に爪を立て、飛びついたり、引っ掻いたり、よじ登ったりしてきたところだ。
それがとうとう先日、思いきって破れたわけなのである。
網戸は四角いけれど、まるくなっていたならば、ちょうど、やり終わった後の金魚すくい道具のようになっていた、という説明がいちばんいいかもしれない。
そんな状態に気がついたとき、おばさんは猛然と怒り、吾輩を厳しく叱ったのだが、帰宅したおじさんに話が伝わっても、おじさんの反応はまるで違っていた。
奇しくもその日、事務所で、税理士さんちの猫のまぬけな話を耳にしていたのだ。
その猫が建物の4階で日向ぼっこをしていたところ、網戸が外れて網戸ごと落下し、骨折したらしいのである。
それだけに、おじさんが話を聞いて真っ先に思ったことは、よくぞ落下あるいは逃亡しなかったものだ、という感想で、胸をなでおろしただけだったのである。
激怒したおばさんにすれば、なんとも拍子抜けする反応だったことである。
数日後、今度は、おじさんたちがどこを探しても、吾輩の姿がない!
まさか、とは思いながらも、ひょっとしてまた別の網戸をびりびりに破り、今度こそ落下あるいは逃亡したのではないか、と大慌てしたところが、吾輩はカーテンレールの上に器用に乗っかり、すまして外の光景を眺めていたのであった。
おじさんたちが安堵したには間違いないが、このときも、おばさんに猛然と激怒されたことは、言うまでもない。


第39回 (2001.10.16)

秋が深まってきたからか、最近の吾輩は、どうも妙なのである。
まず、とことこ歩くにしても、テレビを見ているおじさんや、台所で料理をしているおばさんの背後にわざわざ回り、やたらに体をすり寄せながら歩いてしまうのだ。
背中が痒いだけなのじゃないか、と考えていたおじさんも、気温の下降にしたがって頻度が増して行くことから、別の考えに変わってきているようである。
おじさんたちが(もちろん、別々に)お風呂に入るときも、脱衣所まで行き、待機してしまうのである。
中にいるのがおじさんだと、間の扉が開いて、「阿茶くん、一緒に入る?」と聞かれるけれど、それは遠慮をしている。
猫は水気が苦手なのだ。
それでも一回だけ、湯船のへりまで進み、お湯につかっているおじさんを気にしながら、片方ずつ前足を突っ込んでみたことがあった。
いい湯加減だったものの、やっぱりどうも濡れるのが駄目で、すぐに前足を引っ込め、ぶるぶるっと水気を払ってしまった。
そんな吾輩の仕草が、おじさんには可愛くてたまらなかったらしい。
そして、ふとんである。
ぶどう狩りの際、あんずさまが「そのうち、ふとんにもぐり込んでくるようになるよ」と予言されたとおりになっているのだ。
そして、驚くべきは、その行き先がなぜか、おじさんのふとんなのである。
夏からずっと、夜中はおばさんのまくらで眠ることにしていたのに、ふとんにもぐり込むとなったら、おじさんのほうのふとんに行ってしまい、おじさんの体にくっついて、しかも、体の上下が逆で、おじさんにお尻を向けるような格好で、眠ってしまうのだ。
最近の吾輩は、限りなく妙なのである。


第40回 (2001.10.20)

前回のお風呂の話に関連して、今回は吾輩がどうしているのか、それを語ることにしよう。
前回も書いたことだが、猫は水気が苦手である。
中には、ざぶんと湯船につかり、頭に手ぬぐい、口に鼻唄、なんて猫もいるのかもしれないが、普通はそうではない。
猫お得意の「舐めまくり」でもって、体を洗うのだ。
体がやわらかくできているので、おじさんなどには真似のできない体勢から、ほとんどのところに舌が届く。
届いた舌で丹念に舐めて磨き上げ、見事にきれいにするのである。
食後にすることが多いのが、前足を利用した洗顔で、これは、形態模写で猫をやります、というと誰でもやる「あれ」なのだが、そのまま時間をかけて体まで洗うことも多い。
吾輩がもっとチビだったうちは、その体勢のバランスを取り損なって、よく後ろに転がってしまったものだったが、今は上手に舐めている。
その賜物か、生まれつきなのか、吾輩からほとんど体臭がしない。
体を清潔にすると言えば、ぶどう狩りの際にも、おばさんが話をしたが、犬猫用に、水を使わないお手入れセットというものがあって、これまで何回か、間隔をおいて使用されている。
下ろし金のようなシートに、清潔スプレーというのを吹きつけ、それで吾輩の体をブラッシングする のである。
吾輩にしてみれば、使用されているときは、くすぐったくて、逃げ出したくなってしまい、使用後しばらくは、スプレーのにおいが鼻についてたまらないことになる。
清潔でいる、ということにも代償を払わなくてはいけないようである。



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