「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は阿茶である 




第161回〜第170回



阿茶
「猫って草食?」
春菊にむしゃぶりつく阿茶。
お行儀なんて構ってられない。



第161回 (2007.5.5)

吾輩はトラ猫である。
まあ今更言うまでもないのだが・・・。
このトラ猫たる所以の縞模様だが、出鱈目に縞が引かれているわけではない。
胴体は勿論、足や尻尾に至るまで、すべて整然と輪切りされたように引かれているのだ。
縦横で言えば、これを横縞と言うらしく、ウリ坊やリスなどの縞を縦縞と言うそうである。
ふと、縦縞になった吾輩を想像してみたのだが、奇妙な気持ちに駆られただけであった。
横縞である者として最高の美的長所は、まるくなって横たわったところを真上から目にしたとき、縞模様がそれは見事な放射線を描くことであろうか。
吾輩自身は横たわり眠りこけているのだから分からなかったのだが、最近そういうアングルでおばさんに写真を撮られ、その写真を見せられて、はじめて知った次第である。

「パラボラアンテナ」との関係は、その後も大して進展していない。
一度だけ、とっぷり日が暮れた後で、開いていた書斎の窓辺に立ち、外をしばらく眺めていられたことがあった。
おじさんに言わせると、外が暗くて、恐がる対象ですらよく見えなかったのでは、とのことだが、それは猫には通用しない。
どれだけ闇に紛れようとも見つけ出してしまうのが、猫の目なのである。
ただし、そうした夜景の中に、よそのお宅の明かりがチラチラすれば、そちらに気をとられて野郎の存在を忘れることはできるようである。
おばさんたちも、なるべく窓を開けておくようにして、どういう具合であれ、吾輩が窓辺に完全復活できるまで気長に待とう、と話し合ったようであった。
というわけで、どうしても1階にいて、縁側から小庭を眺めることの多くなった吾輩であるが、このところまた夏毛に替わる準備を始めたようで、おばさんが背中を掻いてくれると、猛烈な量の毛が抜けてたまる。
特におばさんの手が器用なのか熊手なのか、同じことをおじさんにしてもらっても、ここまで猛烈には毛が掻き寄せられない。
昨日のお昼前、おばさんのすぐ横で、助手のように控えたおじさんが、背中にたまって行く毛玉をごみ箱に捨てながら、驚いていた。

さて、今日は吾輩の誕生日。
お蔭さまで満6歳となった。
昨年も書いたと思うが、おばさんの要望により人間の年齢には換算しない。
とは言っても、着々と年齢を重ねていることは、動かしようもない事実。
抜け替わりを繰り返す横縞の毛から考えても明白であろう。
そしてさらに、おじさんに近づきつつあることの証拠がひとつ、最近になって突きつけられたのであった。
どうやらこの吾輩、眠っている間に「いびき」をかくようになったのだそうだ。
おじさんくらいになると、自分のいびきで目を覚ます、なんていう芸当もできるらしいが、吾輩には勿論できない。
なので、自分で聞いたわけではないのだが、実際に耳にしたおばさんによると、「くわあ、くわあ」と聞こえたそうである。
どんな夢見であっただろうか。


第162回 (2007.6.24)

おばさんたちに言わせると、吾輩のおしゃべりが前より増しているのだそうである。
ご飯をくれ、窓を開けてくれ、背中を掻いてくれ、遊んでくれ、トイレに行ってくるぞ、うんこだったぞ・・・。
自分ではそんなに思わないのだが、そうした意思表示で「にゃあにゃあ、にゃあにゃあ」と、よく鳴くようになったらしい。
そして、その意思が叶えられたならば、ぴたっと鳴き止むらしい。
自分のことながら、そう聞かされると、ずいぶん分かりやすい、はっきりした猫になってきたような気がする。
つい先日も、コマキさんが遊びにみえた。
久しぶりだったので、最初は些か照れくさかったのだが、すぐに傍まで寄って行った。
やあやあ、コマキさん!
ただし、このときの吾輩は、ちょっと前から暑くて寝つけない夜などあったりして睡眠が全然足りていなかったので、眠くて眠くて仕方のない状態にあった。
コマキさんの傍に行くなり、とろんと眠りかけてしまい、おばさんとふたりがかりで起こされる。
猫じゃらしで遊んでもらったり、コマキさんに抱っこされたところを写真に撮られたりしたが、とにもかくにも眠い。
ウーウー唸っているうちに、つい思いがけず、コマキさんの手首に噛みついてしまったのだった。
ところが、当のコマキさんがおっしゃるには、実に分かりやすいことに、吾輩の苛々しているのが尻尾に表れていたのだとか。
何れにしても、跡になるほど強く噛んでしまって、ほんと、ごめんなさい。
お気に入りの場所に寝そべり吾輩が気分よくしているときに、構って欲しいのか、おじさんが分別なく相手をしてくることがある。
この前も、横になっていた吾輩の前足をつかんだり、尻尾を引っ張ったり。
終いには、つかんだ前足の先、ちょうど白くなっている部分を、大きく口を開けて食べようとまでしたのだった。
冗談半分というのは理解できるのだが、実際に自分の足先がおじさんの口の中に隠れてしまうと、痛くも痒くもなくたって、食べられてしまったように感じられ、いい気はしない。
真剣におじさんを睨みつけてやった。
すぐに口からも、つかんでいた手からも放され、時間にすると1秒なかったのかもしれないが、こんなおじさんの行動は、さっぱり分からないことである。
ちなみに、吾輩の前足は無事だったものの、おじさんの口が無事で済まなかった。
中で何本かの毛が抜け、苦しそうに吐き出していたのだった。


第163回 (2007.7.6)

梅雨入りしてから2週間ほど経つけれど、あまり降っていなかった雨が、7月に入ってから毎日のように降り続き、とっても梅雨らしくなってきた。
テニスのウィンブルドン選手権も雨に祟られているようで、おばさんが楽しみにテレビのチャンネルを合わせても、映像は、シートで被われたコートがひたすら雨の上がるのを待っているだけ、というのを吾輩もちょくちょく目にした。
そう言えば、ロシアのシャラポワ選手がコートに登場すると、吾輩は落ち着かない。
ヒャーだか、ヒェーだか、フォーだか、彼女が奇声を発するたびに、気になって画面を見てしまうのだ。
それが吾輩の食事中だったりしようものなら、大変である。
すぐ目の前のご飯は気になるし、ヒャーで画面も気になるし、静かになったなと俯いたころにまた、フォーなのである。
残念ながら彼女は今朝、4回戦で敗退した。
テニスとは違うけれど、吾輩も最近、新しい運動を取り入れさせられている。
というのは、おばさんが、ベンちゃんの首に長いひもを付け、そのひもの先っぽを手に握って歩き出すのである。
おばさんから少し遅れてベンちゃんも動き始めることとなり、それはちょうど、飼い主のほうが積極的な犬の散歩をしているようなぐあいなのだ。
そうなれば、吾輩は勿論、じっとしてはいられない。
ベンちゃんの前になったり後になったりしながら、ついてまわってしまう。
当人たちは至って真面目にやっているのだが、些かおかしな光景であるかもしれない。
おばさんもコースやスピードを変えながら、狭いうちの中をぐるぐるして、これを15分も続けようか。
はっきり言って、その前に吾輩は飽きてしまっている。
吾輩がとっくに別行動しているとも知らずに、おばさんとベンちゃんだけが歩いている、なんてこともよくあるのである。


第164回 (2007.8.12)

ワクチン接種の案内のはがきが届き、久しぶりに加藤獣医院に出かけることとなった。
「久しぶり」って感じは存分にしたけれど、実際に最後に出かけたのが何月何日だったのか記憶しているわけはない。
この『吾輩』を遡って調べたところ、昨年10月21日が最後、なので、およそ「10ヶ月ぶり」という計算になった。
そんなに間隔があいたなら、まあ仕方ないかにゃあ、と気持ちを緩ませたのか、おじさんに捕まえられても、キャリーバッグに詰められても、いつものようにはじたばたしないまま、あっという間に目の前に、飄々先生の笑顔がある。
たまに吾輩がくしゃみをすることがあって、それを気にしたおじさんの報告により、体温計を肛門に突っ込まれて測られた体温は38度5分。
猫としては平熱だった。
食欲があるのであれば、何も心配することはない、という飄々先生のお言葉。
むしろ、診察台の体重計が示した数字のほうが問題だった。
新記録の6・60kg。
「お腹が出てきてるじゃないか」と、吾輩にとっても、おじさんにとっても、断じて聞きたくない一言。
「これ以上にしたら駄目だよ」と、以前に言われた注意をその「これ以上」になっても言われ、ふたり(?)して反省した上で、おじさんが、「追いかけて運動させるようにします」なんて発案したのだが、さあて三日続くかどうか。
歯ぐきが赤くなったりしていないか、口の中も診察されて、知らないうちに歯が1本、抜けてなくなっていることが分かった。
外に吐き出されたとしても気がつくものではないし、お腹に入ったとすれば溶けてしまうのだとか。
まあ、この件も、体重ほどには問題にしなくていいようだった。
最後に、肝腎のワクチン接種をされ、首のうしろに注射されたらしいのだが、飄々先生の手際がいいのか、すぐに済む。
帰宅後、おじさんから報告を受けたおばさんも、体重のところで驚いていた。
今後は、ベンちゃん運動の時間もしくは回数が増えるかもしれない。


第165回 (2007.11.10)

御無沙汰しているうちに、ちょうど季節ひとつ分だけの時間が経ってしまった。
年をとるに従って時間がはやく過ぎるように感じる、ということは猫にしたって同じなのだが、この3ヶ月、特にあっという間だった気がする。
ほんと、何をしていたのであろうかにゃあ。
まあ思うに、取り立てて話をするほどのこともなく、平和に、のんびりと、猫らしい生活をしていたものであろう。
そんな吾輩であるが、どうにか思い起こしてみれば、ひとつだけ、乳首事件というのがあった。
おばさんと遊んでいたときのこと。
仰向けに抱えられてしまった吾輩の、茶トラであることを自分でも忘れそうになるくらい真っ白なお腹を、そっとさすってくれていたおばさんが、なぜか突然、吾輩の乳首を思いっきりつねったのである。
無警戒だっただけ余計に驚きと痛みを感じ、猛烈な悲鳴を上げ、勿論すぐさま逃げ出した。
後になって謝りにきたおばさんの話では、蚤か何かがとまっていると思ったのだそうだ。
吾輩のご先祖さまの中にどうやら黒猫がいるらしくて、口のまわりに黒い色素が出たり、たまに黒い毛が生えているのを見つけたりするのだけれど、それと同様、いくつかある乳首のうちの、ひとつだけが黒いのである。
非常に迷惑な、とんだ思い違いであった。

こうして秋も深まり、寒さをぐっと感じるようになってきた、この前の日曜日の朝。
自らの意思ではじめて、おじさんの膝の上に飛び乗った吾輩であった。
それまでは何回も、おじさんの手によって膝の上まで運ばれては、じっとしていられずに、すぐに逃げ出していたのだったが、自分から飛び乗ったとなれば、さすがにそうそう逃げ出すというわけにも行かない。
周囲をひと通り、鼻でくんくんしてから、おじさんの右膝に頭を乗せて落ち着き、ひと眠りすることになるのである。
そんなことがあったものだから、この一週間は妙に、おじさんが期待した顔ばかりを向けてくるのだった。
椅子に腰掛けていても、吾輩が近付こうものなら、すかさず椅子の上にあぐらをかき、右膝の上をぽんぽんと軽く叩きながら、ここに来るかな、なんて聞いてくる。
吾輩が応ずれば大喜びし、引き返そうとすると歯噛みして機嫌を損ねている。
人間のわりには単純な反応だが、おじさんの健康を考え、できるだけ応じてあげるようにしている猫の吾輩なのである。


第166回 (2008.1.1)

大晦日までの日にちの経過というのは、あっという間、いや、あっという間すらないくらい早く過ぎるものである。
そして、それは今回もまったく同じであった。
ところが、毎年と同じでないことがひとつ起こり、そのために些か違った光景が見受けられたのである。
12月半ば、おばさんの左の手首が腱鞘炎と診断され、大掃除を存分にできなくなってしまったのだ。
本来ならば、こうした際にこそ、おじさんや吾輩が戦力にならなくてはいけないところであるが、残念ながらそれがとんと期待できない。
おばさんが左手を庇いながら、時には左手を使用してしまい顔をしかめながら、能力以上のことをしようとする。
おじさんが時間ばかりかけながら、おばさんに手厳しく叱られながら、能力以下のことしかしない。
吾輩が毎年とは違う空気を感じ取りながら、おばさんとおじさんの間でおろおろしながら、何もしない。
おばさんにしてみたら、やり残したことがいっぱいあったと思うのだが、結局、そうやって年が暮れた。

さあ、新年あけましておめでとうございます、なのである。
本年も、相変わらずの猫ひとり、人間ふたりではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。


第167回 (2008.1.29)

俳句の世界に「猫の恋」という季語があるそうである。
晩冬から早春にかけて、発情して狂おしく鳴き喚く猫の声に由来するらしく、春の季語なのだとか。
さて、春には早いのだが、今年になって、それもちょうど元日の夜からだったであろうか、うちの周囲は、この「猫の恋」もどきの鳴き声に悩まされながら、毎日を暮らすこととなってしまった。
すぐ近所に、新年を機に、引っ越してきた猫がいるようなのだが、吾輩の貪っている睡眠をじゃまするように、突然、にゃあにゃあ、ぎゃあぎゃあ、喚き散らし始めるのだ。
おばさんが目撃したところでは、吾輩と同じ茶トラ、それも頭のてっぺんから 尻尾の先まですべてが茶トラの一色(?)という猫で、吾輩の倍はありそうな 見事な巨漢らしい。
おじさんが目撃したときも、お隣のブロック塀の上に どっかりと跨っていて、それなりに睨みを効かせたつもりのおじさんに対し、負けずに睨み返してくるほどの、堂々とした雄猫・・・というのも、ブロック塀を向こう側に降りて行く際に、立派なタマタマが見えたのだそうだが、こいつが問題の猛烈に迷惑な喚き声をあげているようなのである。
ある晩など、別の猫の鳴き声も聞こえてきて、その猫と縄張り争いでもしたのか、声が特に激しくなったと思いきや、物凄い音がしたっきり、妙に静かになってしまった。
それで、この茶トラが争いを制したものか、すっかり住み着いているようなのである。
夜に限らず、朝だろうが昼だろうが、鳴き声がするのだ。
おばさんたち人間にとってすら、苛々とさせられるような鳴き声らしいが、同じ猫である吾輩となれば勿論のこと、とても放ってなどおけない声なのであり、鳴かれるたびに落ち着かなくなって、うちの中を走り回らざるを得ない事態となってしまうのである。
おばさんが名付けた、この「流れ者2008」が、この近所をいつまで縄張りにするつもりか知らないが、まだまだ当分は吾輩、十分な安眠ができそうもない今日このごろである。


第168回 (2008.2.10)

雪国の猫や人間に言わせると笑っちゃうような話だろうけれど、昨日は日中、この冬はじめて本格的に雪が降り続いて、名古屋で13cmの積雪を記録することとなった。
吾輩も、おばさんに抱っこされながら縁側に臨み、小庭から道路、向こう側の景色にまで容赦なく降り積もって行く雪を、寒さを忘れて眺め続けた。
生まれてはじめて目にする、というわけでは勿論ないのだが、雪そのものがめずらしくて、際限のないちらちらした動きを目で追い続けたのであった。
さて、流れ者2008は、その後も住み着いているようで、騒がしく鳴き声をあげ通している。
それにいちいち反応してしまう吾輩も吾輩だと、自分ながらに思うのだが、猫である以上、どうにもこうにも仕方がない。
つい先日も、ヤツが玄関の扉のすぐ外に置かれてある植木鉢におしっこをかけて行ったことから、ひと騒ぎがあった。
扉の外側ではあっても、その臭いが吾輩の鼻にまで届いてしまい、内側の網戸にスパイダーマンのような体勢でくっ付いて、鼻を利かせたのである。
そうした吾輩の奇行を目にしたおばさんが外に出てみて、事態がはっきりとした。
その鉢に植えられたジャスミンにこそ被害がなかったものの、鉢の横っ腹には垂れ流されたおしっこの跡がしっかりあって、流れ者2008の仕業に違いないことを確信したのだそうである。
ところが、すぐに、この確信が揺らぐような展開となった。
相変わらず迷惑な鳴き声をあげられて腹に据えかねたおばさんが、叱るつもりで外に飛び出したところ、同じような大きな図体の、ただし、真っ黒な猫がいたのだそうだ。
ここからは、おばさんの情報におじさんの邪推を掛け算したような話になるが、この2匹の間でもって、うちの周囲の縄張り争いが繰り広げられていて、植木鉢やら、不燃ごみのバケツやら、ブロック塀やらに、目印となるおしっこを引っかけ合っているのではなかろうか。
黒猫のほうも、昨年までは、ついぞ見かけなかった顔であり、元々この近所を牛耳っていたぶたパンダあたりがどこかに行ってしまったのを幸い、流れ込んできているのではなかろうか。
黒猫も、おばさんによって「流れ者2008ブラック」と名付けられた。
流れ者2008にしろ、ブラックにしろ、さすがに今回の雪には敵わないようで、ぴたっと昨日から声を聞かない。
あれほど迷惑していたとは言え、やはり妙に心配になってしまっている吾輩であった。


第169回 (2008.2.22)

大雪の日を境に、流れ者2008も、ブラックも、ぴたっと来なくなってしまった。
あるいは、ひょっとして来ているのかもしれないが、鳴かなくなってしまった。
そういうわけで吾輩も、また平穏な日々を取り戻している。
先日のこと。
おばさんが黙々とパソコンに向かって何やら作業をしている隣で、吾輩も黙して、じゃましないように気を配りながら、よく動くおばさんの手許などを眺めて過ごしていた。
これはまあ、ごくごく日常の光景ではあって、自分でも気がつかないうちに、そのまままるくなって眠っていたり、突然、目がさめ、椅子をぴょこんと降りるや、そこに用意されたカリカリを数粒だけ口にし、すぐにまた椅子にぴょこんと戻って、続きのように眠ったりするのだが、どういうわけかその日は、椅子の下よりも机の上のほうが気になってしまったのである。
そこには、おばさんのマグカップが置かれてあった。
紅茶党のおばさんなのだが、そのときは珈琲を飲んでいたらしく、すでに飲み終えてカップだけになっており、それが吾輩、その日に限って気になって気になって仕方がない。
机に前足を乗せ、カップに顔を寄せて、縁っこをちょっとだけ舐めてみた。
苦味があるものの、うん、いけるいける。
思わずカップの内側まで、顔を突っ込むようにして舐め続けているところで、おばさんに気付かれた。
あちゃー。
こうして味を占めてしまった吾輩は、その後、珈琲党のおじさんの机の上でも、放置されていた飲み残しを舐めることができていたりする。
あまり体には良くないのかにゃあ。
適量を超えなければいいのかにゃあ。
その適量って、どんだけー。
ささやかな悩みをひとつ増やして迎えた、今年の「猫の日」であった。


第170回 (2008.3.23)

名古屋は国際女子マラソンの日に春になったようで、それからというもの、ぽかぽかした日が続いている。
昨日は桜の開花が宣言されたそうだ。
そしてこの吾輩も遅れないように、冬から春に生活を切り替えているところである。
まずは毎年の、それも春と秋と年2回のことだけれど、頭のてっぺんから尻尾の先までの毛という毛を、季節に合ったものにしなければならない。
目立って抜けるようになってきた吾輩の毛が、おばさんたちの衣服にまつわりついたり、宙に舞ったりしている。
おばさんの話だと、後頭部から首筋にかけて特によく抜けるのだとか。
そこを掻こうとするおばさんから、ついつい逃れようと吾輩が後ずさりをするのだが、前に進むのと違い、どうももぞもぞとした動きで、猫の啓蟄といったところであろうか。
おじさんのふとんに潜り込むことも、おじさんが残念がろうがどうしようが、ぱったりしなくなった。
ただし、そのふとんの上にちょこんと乗っかり、心地よく眠り込んだりはする。
おばさんとしては、ふとんがちっとも片付けられない。
さらに夜、寝る時間になっても吾輩がそのふとんの上で眠っていようものなら、おじさんの寝る場所がなくなってしまうのである。
吾輩を起こしてどかそうとは考えないで、ふとんとふとんの間隔を少し広げて敷き、その隙間に結局は、とても入りきらないおじさんでなく、おばさんが横になって、縮こまって寝ることになるようである。
おじさんが洗面台に向かって何やらしているのを、わざわざ覗きに行ったのも、春に関係しているかもしれない。
寒くなくなったことで、おじさんも洗顔や髭を剃るのに時間をかけるようになり、吾輩も何だか覗きに行く気になったのだ。
おじさんは歯を磨いているところで、泡でぶくぶくにした口でもって、吾輩に声をかけてきた。
何と言っているのか分からなかったが、今まで覗きに来たことがない吾輩が近寄ったことに驚いていたのは確かで、すぐその後、むせていた。
窓が開けられること、その窓辺に吾輩がいることも多くなった。
春の空気を存分に味わおうとしたあまり、網戸に顔を押しつけ過ぎて、網戸が変形する珍事も起きたのだったが、幸い大事には至っていない。
まあ、そんな吾輩の差し当たっての楽しみと言えば、東隣の朝潮さんちの桜だろうか。
開花宣言とはとんと無縁のマイペースな桜で、待たされる分、楽しみも長持ちといったところなのである。




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