「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は阿茶である 




第131回〜第140回



阿茶
「かっとびさま製ススワタリを囲んで」
ローボードの上に正座する阿茶。
隣には、ぬいぐるみの犬と手作りのススワタリ。



第131回 (2004.11.20)

加藤獣医院に出かけた。
例の抜歯騒動から約5ヶ月。
ああいった騒動にならないために、定期的に飄々先生に診ていただく、ということでの2回目。
1回目はお盆前、毎年恒例のワクチン接種のついでに、だったので、診察だけのために出かけるのは、はじめてのこと。
お決まりの大騒ぎをした挙句、キャリーバッグに押し込まれ、出かけた次第であった。
勿論、出かけることについて承諾をした吾輩ではない。キャリーバッグに押し込まれてしまった、と分かった瞬間から、信号を渡って加藤獣医院に到着し、無理に引きずり出されて診察台にのせられるまでの間、「にゃあ」というところで壊れたレコード盤のように、延々と鳴き続けてやった。
さて、肝腎の口の中は、と言うと、歯ぐきの赤くなっているところが1ヶ所あり、気にはされながらも、「まあ、こんなものでしょ」と飄々先生。
以前にも、抜くには惜しい歯が1本ある、という話だったので、たぶん、そこのことではあるまいか。
治療も注射もなく、はい、おしまい。
診察台までの大騒ぎが何だったのか、というくらいに、あっけなく済んでしまった。
ところが、おじさんが、吾輩の体重を問題にし始めたのである。
ここまで手に提げてきたキャリーバッグが重くてかなわなかったらしい。
先生が診察台のスイッチを入れ、再度そこにのせられた。
最初はどうも、とんでもない数字を示したようだ。
先生がおじさんに「押さえてないか?」と一言。
吾輩が暴れたり逃げ出したりしないように押さえていた、おじさんによる加重がかかっていたようである。
慌てておじさんが手を離し、飄々先生がうまく、吾輩の首の後ろ、猫をつまみ上げる際につかむ部分を揉むようにしながら、測定しなおした。
5・25kgとのこと。
5ヶ月前が4・5kgだったことから考えると、たしかに重くなっている!
サンマ、スズキ、イサキ、ウナギ・・・身に覚えはある。
先生がおじさんに「これ以上にしないように」とまた一言。
これは問題だぞ。
おねだりをやめられるか、おねだりされて甘い顔をやめられるか、お互いに考え込んでしまう帰り道であった。


第132回 (2004.12.30)

猫砂にもさまざまなタイプがあることを、この1ヶ月ちょっとで知った吾輩である。
事の始まりは、おばさんによってもたらされた。
吾輩が用を済ませ、足についた猫砂をよく払ってから、次の行動に移るのにもかかわらず、足の指のあいだにしつこく残ってでもいるのか、廊下や階段は勿論のこと、玄関と言わず、台所と言わず、テレビの上から机の下、ひょっとしたら仏壇の奥までも、吾輩が歩きまわることのできるあらゆる場所に、猫砂が散らばり落ちていたのである。
別に今に始まったことではないのだが、おじさんのふとんの中から、ある程度まとまって見つかったのを機に、おばさんが意を決した次第だった。
・・・猫砂を替えよう。
一粒の猫砂の大きさが、これまでのタイプよりも大きくなれば、指のあいだに挟まって云々なんてこともないだろう、と考えたのか、最初は大粒タイプがまぜられた。
しかも、この大粒が紙製らしく、砂ぼこりが立たなくて済むうえに可燃ゴミで捨てられる、というおまけつき。
吾輩にしてみれば、ずっと同じ猫砂だっただけに、はじめて目にしたときは一瞬のけぞったが、我慢していたおしっこが・・・。
とても構ってなんぞ、いられなかった。
そしてまた、おばさんが意図したとおり、指のあいだになんぞ、挟みようもなかった。
萬々歳と言いたいところだったが、そこが紙製の悲しさか、軽過ぎたのである。
用を済ませた後の作業が、特に激しかったわけでもないのに、猫砂トイレの出入り口から廊下に向かって掻き出されたものの量が激しさを増し、たしかに他の場所に散らばりはしなかったものの、廊下が悲鳴をあげたのだった。
そこで、おばさんが、また別のタイプの猫砂を買ってきた。
今度は木製。
勿論、砂ぼこりは立たない、可燃ゴミで結構、そして紙製のようには軽くない。
ただし、当たり前のことながら、木のにおいが強い。
思わず鼻をつまみそうになったが、やはり、どうのこうの言っていられない緊迫した状況になってから訪ねるところが味噌。
それに、し終わってみると、却って木のにおいが好都合なのである。
ところが、これも萬々歳ではなかった。
おしっこを固めて、処理しやすくする力が弱く、大抵のおしっこが容器の底に広がっていたらしい。
トイレの掃除大臣であるおじさんからクレームがついてしまった。
結局、元の猫砂に戻るようであるが、それはまた新年を迎えてからの話。
ああ、今年も残りが、今日を数えても2日しかないけれど、大掃除の捗っているお宅、捗っていないお宅、全然やらないお宅。
みなさま、よいお年を!


第133回 (2005.1.11)

新年あけましておめでとうございます。
・・・という挨拶も、もう4回目になるのだが、新年とは言っても、はや11日。
お年玉の鰹節をもらい、吾輩宛に届いた年賀状に目を通し、大学駅伝を往路も復路も見続け、仕事始めのおじさんを送り出したところで正月気分が抜けると、それからがまた、あっという間の1週間だった、というわけである。
どうしてこんなに時間がはやく過ぎるのか、訝しい気持ちもあるが、それはさておき、今年は年頭に当たり、抱負を語ってみたいと思う。
実は、おじさんの体重・・・。
固く口止めされているので、数字は言えないが、はじめて吾輩がここに来た、最初の1週間で10kg減量したそうなのだ。
なにしろ、猫に限らず動物と暮らしたことのない人間で、気遣いしたうえに、実際、吾輩相手に運動量が増えたことによるものと思われる。
ところがその後、さすがに慣れて気遣いなどしなくなり、さらには運動量そのものがすっかり減ってしまった。
吾輩がちょっかいをかければ走らないでもないが、走ることより吾輩を捕まえ、ぎゅっと抱っこしていたいようで、これでは体重が元に戻ってしまっても無理はない。
そして、吾輩も・・・。
加藤獣医院の飄々先生からアドバイスされたとおり、今以上には体重を増やさないよう、注意しなくてはいけない。
どうしてもおねだりをやめられないのであれば、運動することでカロリーの消費を高めるしかないのではあるまいか。
・・・というわけで、結論である。
吾輩があらためて、おじさんを鍛え直す!
他人の走る中継を見ている場合ではない!
自分たちが走って走って走り続けなくてはならない!! でありましょうか。
本年もどうぞよろしく。


第134回 (2005.2.27)

おばさんが睡眠中のこと。
なんでも夢を見ていたらしい。
刷毛が針金でできたブラシで、頬のあたりをポンポンと景気よく突っつかれ、ぼんやり「痛いなあ」と感じていたそうな。
それで目がさめてみると、枕許に吾輩がちょこんと座り、前足を伸ばしていた、というのである。
たしかに吾輩が、眠っているおばさんの 顔にちょっかいを出したことは認めよう。
けれども、眠りの中、夢の中にまで手出しをしたおぼえはない。
おばさんが事細かにおじさんに話して聞かせて、吾輩の耳にも入った次第であるが、おばさんも変なことを言ってくれるにゃあ、なんて思いながら、これが針金ブラシか、とつくづく前足を眺めたものであった。
睡眠をじゃまするできごとと言えば、これまたおばさんに、とても大きな悲鳴を上げさせてしまう事件があった。
真夜中も真夜中、森のフクロウですら鼻からちょうちんを出しているような時間のこと。
吾輩が部屋の壁伝いにぶらりぶらり歩いていて、ふと、ふとんから突き出された足首を見つけ、思わず齧りついたところが、それがおばさんの足首だったというわけ。
街が寝静まっているだけに、余計に悲鳴が大きく聞こえ、眠りこけていたおじさんまで目をさましてしまう始末。
肉体的にも然ることながら、精神的な損傷が大きかったか、いつまでも痛がっているおばさん。
その手前、ほとんど寝ぼけたままで吾輩を叱ろうとするおじさん。
勿論、当の吾輩は、とっくに逃げ去っていたのであった。
逃げ去ったと言えば、先日の話。
猫が水気を苦手とすることは言うまでもないが、猫はまた気まぐれなこと、この上ないのであって、吾輩もどういうぐあいか急にその日、お風呂場を覗きに行きたくなったのである。
ずいぶん昔、水の張ってある湯船に落っこちたことのある吾輩だが、このときは水が抜かれて空っぽ。
どんなドジを踏もうとも、濡れねずみになる心配はなかった。
チビたわしやスポンジで思いきり遊び、いたずらしたい放題の挙句、とっとと逃げ去って何食わぬ顔をしていたが、この一件、どうしてバレることになってしまったか?
答えは簡単だったようだ。
湯船の底にいくつも、くっきりと、吾輩の足跡が残っていたらしい。
時間も逃げ去るように過ぎている。
この『吾輩』も間があき、猫の日すら素通りしてしまったが、定期的な診察で出かける加藤獣医院にも間があき、ほんとは今月中だったところが、来月にずれ込むこととなった。
吾輩は大歓迎・・・もとい、その節はまた、ご報告したいと思っている。


第135回 (2005.3.17)

猫は、静かな環境を好むものである。
大きな声を出されるだけで閉口してしまう。
まして、その声が自分の名前を呼ぶものだったりすると、とても落ち着いてなどいられない。
そのうえ、声に切迫感が込められでもすれば、もう我慢ができず、いっしょになって大騒ぎをしてしまう。
先日の夜のこと。
おじさんたちの夕食も済み、おばさんが、後片付けをし終えて普段どおり、裏口からゴミ出しに外に出た。
目の前は、朝潮さんちのブロック塀。
と、その塀の上をすたすた、吾輩が歩いてくるではないか。
おばさん、思わず「阿茶!」と声を漏らし、それで余計に吾輩が警戒して、朝潮さんちの敷地内に向きを変えてしまったそうだ。
そうなると、それからは、おばさんの必死な連呼。
寝静まった夜の街に、至ってよく通るおばさんの大声が、むなしく響き渡った。
その声は、とっくに酔いつぶれて眠りこけていたはずのおじさんの耳にまで届き、以前のことがあるので、酔いつぶれていようが、眠りこけていようが、おじさんも必死。
飛び起きるなり、どすんどすん転がるように駆けつけてきたのである。
それでまた吾輩までが驚いて、廊下を走り回ってしまった。
そこで、さすがにおばさんも気がついた。中を走り回っているのが阿茶ならば、ブロック塀にいたのは誰なのだ?
大きく尖った耳、くりくりの目、茶トラの模様、長い長い尻尾、全体のバランス・・・吾輩と間違えたのが無理はないくらいに、そっくりなヤツだったらしいが、そう言えば、最初の「阿茶!」という声でチラッとこちらを向いた際、吾輩であれば特徴的な、真っ白なはずの顎から胸にかけてが、茶トラ一色(?)で少し妙に思った気もした、とのこと。
おばさんがそそっかしいのは昔からだけれど、それで今回は猛烈に肝を冷やしたようである。
かく言う吾輩も、実は最近そそっかしいことを仕出かしてしまったばかり。
読者がまだ食事前であるならば、ちょっと読み飛ばしてやってください。
その日は、おじさんたちの夕食にカレイが焼かれた。
勿論、黙っている吾輩ではない。
おばさんに擦り寄って、身をほぐしてもらい、うまい、うまい、と無我夢中で食べたのである。
おじさんからも供給されていたらしいが、それでも追いつかないくらい。
それで、おばさんに「そんなに慌てたら、気持ち悪くなっちゃうよ」なんて注意をされて、注意をする間もなく、ほんとに、げぽ、げぽ、こみ上げてきてしまったのだ。
体をよじる吾輩、手のひらを差し出すおばさん。
吐き出された汚物、見事に受け取ったおばさん。
すべてが瞬間のできごとだった。
第二波は、おばさんが手を洗いに立った後に訪れ、おじさんが受け取ろうとしたが、まるで間に合わず。
汚物は、原形を何も留めない、白くてとろりとしたもの。
事務所の猫先輩の話だと、猫の消化能力は強烈なのだそうで、まさしく吾輩が身をもって実証したことになった。
それにしても、なんとも美味なるカレイだったのににゃあ、慌てなければにゃあ、勿体ないことをしてしまったにゃあ、と今更ながら反省している吾輩である。


第136回 (2005.3.31)

おばさんとしてはもう一度、吾輩のコピーくんに会いたいらしいのだが、どこに行ったものか見かけないそうである。
そんなに吾輩に似ているならと、おじさんも関心を示しているものの、とんと現れない。
大騒ぎした夜のおばさんの連呼が脅威で、ずっと遠くに行ってしまったのかもしれない。
さて、コピーくんにしてみれば「君こそコピーくんだろ」となる、この吾輩。
定期的な診察とは言え、ついに加藤獣医院に出かけることになってしまった。
実は先週の土曜日、吾輩がまだふとんの中にいたときに、おばさんの声で「・・・起きてきてすぐの、半分寝ぼけてるうちなら、キャリーバッグに押し込むことができるから、今日は連れてってよ」と聞こえてきた。
どうやらおばさんたちは、吾輩が眠っているものと思って、無防備に話をしているのである。
どっこい吾輩は、とっくに目をさましていたけれど、猛烈に寒くて、ふとんから出ないでいただけ。
全部聞こえてしまい、こりゃ大変! このままで診察時間をやり過ごさないと・・・。
すると、おじさんが「こんな寒い日に連れてったら、風邪を引かんかな」と一言。
おばさんが同調したところで、ふとんから起き出してやった。
このところ季節外れの寒さで、前日の金曜日などは、3月も下旬というのに雪が降った。
コピーくんやぶたパンダのことが、些か心配になったものだ。
結局、今週も木曜日になって、それほど寒くないからと連れて行かれたのである。
おじさんが帰ってくるなり、ひょいひょいとキャリーバッグに押し込められ、吾輩が気がついて「ぎゃあお、ぎゃあお」と大声を上げても、何とも致し方ない。
あっという間に加藤獣医院に到着してしまった。
口の中は至極順調とのこと。
むしろ、これはおばさんが気づき、言い付かったおじさんが飄々先生に申告したのだが、背中にフケが目につくほど出ているそうなのである。
ちょうど診察台の上の吾輩にも、おじさんが説明しやすいくらいにフケが出ていたらしく、すぐに飄々先生の結論が下された。
部屋が乾燥し過ぎているのじゃないか。
まあ、加湿器を利用するなどして様子を見ましょう、ということになったのだが、医者は嫌いでも薬は好きなおじさんがねだって、塗り薬が処方されることになった。
でもって、今回の診察は終わり。
帰宅した後、おばさんの手から吾輩の背中に、先生の注意どおり薬が塗られた。
ちょっとの量を薄くのばすように塗り込んでください・・・そして、先生の懸念どおり吾輩が舐めてしまうのである。
勿論、舐めても何ら害のない薬だそうだが、効果がなくなってしまう。
うーむ、まあ、やはり様子を見ましょう、かな?


第137回 (2005.4.10)

吾輩の背中にいったいぜんたい何本の毛が生えているのかは分からないが、塗り薬を毛に塗っても仕方がないので、おばさんが毛を掻き分け掻き分け、出来るかぎり地肌に擦り込もうと、猛烈に苦心している。
ところが、その苦心を知っていながら、塗り終わるやいなや舐め取ってしまうのが吾輩であり、舐めずに我慢しようとも試みたのだが、どうしても駄目だった。
この話を聞いたサザエさまから「背中を舐めることができるの?」と妙な感心の仕方をされたけれど、吾輩も猫の端くれ。
体が人一倍(?)柔らかくできていて、背中と言わず、足の裏と言わず、○○○○と言わず、どこだって舐めるぐらいのことはできるのである。
ただし、顔ばかりは、さすがに無理で、せいぜい食後に口のまわりを拭き取るように舐めるだけ。
おじさんなどから顔をいじられると、気持ちよさのあまり目を閉じてしまうのは、こうした事情にもよるのかもしれない。
話を塗り薬に戻そう。
そもそも、おばさんが薬を塗ろうとして、チューブを手に近づいてきただけで、舌なめずりしてしまう。
塗られた薬がまた、いい味を出していて、まるで吾輩のおやつのようになっている(よい子は真似しにゃいでね)が、それでも薬としての効果があるのか、見るからにフケが出なくなってきた。
話は変わるが、猫じゃらしの存在は、決して忘れたわけではない。
少なくとも吾輩は、本棚の前や籐椅子の下などに無造作に転がっている猫じゃらしを見つけては、押しやったり引きずったりして、たまに遊んでいた。
ところが、どうやらおじさんは完全に忘れていたらしく、この前の日曜日、おばさんから突如として持ち出され、手渡されてはじめて、久しぶりに思い出したようなのだ。
部屋の中央に正座までしたおじさんが、吾輩を強く意識しながら、ぐるぐると猫じゃらしを動かす。
その途端、吾輩の目の色が変わった・・・と自分でも感じた。
地を這うような体勢をとって、お尻を左右に揺らし始めた・・・とは見物していたおばさんの話。
最初は猫じゃらしの動きに律儀についてくるのに、そのうち近道したり、逆行したり、チビだった昔とちっとも変わらない・・・とは相手をしたおじさんの話。
結局、思う存分じゃれたうえに、月曜日以降が大変だった。
1日に少なくとも3回は、おばさんに「猫じゃらしで遊ぼ!」と催促したのである。
そして今日、日曜日。
再びおじさんを相手にして遊ぶこととなった。
この1週間のあいだに、おばさんが猫じゃらしに長いリボンをつけた「特製猫じゃらし」にしておいてくれたので、動きがさらに激しい。
遊びが最高潮に達したとき、なぜか吾輩が「跳び込み前転」を披露してしまった。
おじさんの体の左側にあった猫じゃらしを目がけて走り込んだまではよかったが、どういうタイミングだったか宙を跳んだ後、前足で着地、頭もきちんと着けて、なめらかに前に回転する、いわばお手本のような跳び込み前転を決めたのである。
今日も見物だったおばさんにバカウケする新しい大技となり、そのおばさんから「また見せて」ってせがまれるが、春の珍事は二度とはできないのである。


第138回 (2005.5.5)

猫じゃらしは、その後も続けていて、すっかり定着した感がある。
おばさんを相手にするのも勿論いいのだが、おばさんとおじさんとで動かし方が違うので、おじさんにも相手をしてもらいたい。
ところが平日の場合、事務所から帰ってきてからだと大抵、野球中継を肴に、ごひいきが優勢なら気持ちよく、劣勢でも自棄を起こして、ビールで酔っぱらい、茶トラならぬ大トラになってしまうのである。
これでは吾輩の相手など務まりようもなく、むしろ、訳の分からないことを言いつけられないように距離をとり、大トラの寝てしまうのを待つだけ。
結局、日中と同様、おばさん相手に猫じゃらしをするしかない。
それでどうしても、朝、出勤する前のおじさんに、となってしまう。
時計とにらめっこしながらいるのを承知で、新聞を読んだり、髭を剃ったり、着替えをしたりしているおじさんの足許にすり寄り、まさに「猫なで声」をかけるのである。
1イニング限定という感じで、相手をしてくれる。
勿論、猫じゃらしを使わず、お互いの走力だけをたよりとする遊び、つまりは追いかけっこになることも多い。
ここ何日か、ゴールデンウイークとかなんとかで、おじさんが事務所に出かけない。
あんまり退屈そうにしているのを見るに見かね、吾輩が誘ってやると、喜んで追いかけてきた。
吾輩もついつい、尻尾をまっすぐ立てながら、捕まえられないよう先を走る。
ここで気をつけなくてはいけないのが、手加減ということ。
誰でも同じだと思うけれど、追いつけると思って追いかけるわけで、実力だからって差をつけ過ぎると、追いかける気持ちが萎えてしまう。
そういう心理を熟知した吾輩だけに、おじさんのスピードの上がらないうちは吾輩もゆっくりのんびり、スピードが増すにしたがって脱猫(兎?)のごとく逃げ切ることとなるのである。
ところが、数日前のこと。
不本意にも捕まえられてしまうことがあった。
それもタイミングが最悪で、2階を逃げまわった後、階段を駆け下りかけた、まさにそのとき、吾輩の右の後ろ足におじさんの左手が追いついてしまったのである。
驚いたなんてものではない。
追いつかれたショックと、逃げることへの執念から、必死に振りほどこうとしたが、おじさんも必死。
いや、むしろ、おじさんのほうこそ必死だったかもしれない。
偶然にも捕まえてしまったはいいが、どうしていいか分からない。
振りほどくのに暴れることしか頭にない吾輩だけに、なまじっか手を離そうものなら、その反動で、飛び落ちて行ってしまうのではあるまいか。
この状況では猫といえども大怪我をしてしまう、あるいは大怪我では済まないかもしれない。
さあ、困った、困った。
吾輩も思いっきり喚き声を上げたが、おじさんも大声でおばさんを呼ばわる。
階段の下に現れたおばさんが、慌てて駆け上がってきて、吾輩を抱きとめたところで、ようやくおじさんが手を離した。
これにて一件落着。
おじさんが、おばさんから叱られたのは言うまでもない。
落ちて怪我をする心配よりも、吾輩の後ろ足が抜けてしまわないか心配だった、とのこと。
奇跡を起こしたおじさんの「黄金の左」も、すっかり悄気てしまったようだった。
昨日は昼日中、汗ばむような好天の下、おばさんが庭木切りに精を出した。
終わりごろになって、おじさんも手伝っていたようだが、吾輩は最初から小庭に面した縁側にちょこなんと正座し、奮闘するおばさんの動きを見守っていた。
どこのご家族だろうか、前の道路を通り過ぎざま、吾輩と目の合った奥さんが「ニャンがいる!」と一言。
お嬢ちゃんがわざわざ数歩戻ってきてくれて、さらに奥さんが「幸せそうな猫ちゃん・・・」とおっしゃってくれた。
お嬢ちゃんもすっかり「ニャン!ニャン!」と呼びかけてくれる。
名前が違うんだけど、と思いながらも、いい気持ちのしないわけがない。
特別な笑顔で応えておいた。
こんな毎日を暮らしながら、お蔭さまでこのニャン、今日で満4歳を迎えている。


第139回 (2005.6.21)

ちょうどプロ野球が交流戦をしているあいだ、御無沙汰したような吾輩である。
だからと言って別に、おじさんたちのごひいき球団が、やれ札幌だ、やれ福岡だ、やれ仙台だと遠征するのに伴って、応援に出かけていたわけでは勿論なく、当然のことながらずっと、うちにいた。
もっと正確に言うならば、週末のある日の小1時間を除いては・・・。
その日は天気もよく、おばさんが小庭にしゃがんで、草むしりをしていた。
吾輩はまた縁側に正座し、おばさんを見守っていたのである。
そうして時間が 流れた。
おばさんが尿意を催したらしいのだが、切りのつくところまで作業を終えてしまいたい。
とうとう我慢ができなくなったときには、玄関から中に大慌てで駆け込んで、トイレを目がけてまっしぐら、ということだったようである。
閉めたつもりの扉は、あまりの勢いに反動がつき、わずかな隙間を作ってしまった。
おじさんは2階だ。
それじゃ、吾輩が閉めてあげるしかないにゃあ。
おばさんが小庭に戻り、続きを始めると、どうも聞き覚えのある猫の鳴き声がすぐ耳許から聞こえてくる。
ハッとしたおばさん、2階に声かけながら、うちの中を探したが、やはり吾輩の姿が見当たらない。
結局、見つかった場所は縁の下、嬉々として歩き回っているところだった。
ああ、これで何回目だことか。
おばさんとおじさんの二人がかりで懸命に猫じゃらしを振って、なんとか吾輩が近寄ってくるように目論んでいたようだが、その手に乗るわけには行かない。
思う存分、自由を謳歌し、野良を満喫するのだ。
簡単に捕まったりするものか。
・・・こうして今、久しぶりに『吾輩』を書いていることからも、もうお分かりかと思うけれど、結局は、簡単に捕まってしまった。
おばさんが草むしりついでに、そこらに生えていたぺんぺん草をむしり、猫じゃらしに替えて振り出した途端、ついつい興味を持って近寄ってしまい、気がついたときには、おばさんの腕にしっかと抱きかかえられていたのである。
そう言えば、おばさんたちの食卓に、サラダとしてレタスが上ったときのこと。
おばさん、おじさんがまだ台所にいるのを幸い、吾輩も食卓に上って、そのレタスを齧ってみたことがあった。
なんとも青臭い味。よくまあ、こんなものを、ウサギやロバはありがたがって食べているものだ、なんて思いながら、それが妙にやめられない。
1枚齧り、2枚齧り、そこにおじさんが現れて大騒ぎ。
すぐにおばさんも飛んできて、仕方なさそうに別の皿に分け、きちんともらったのだが、まあ、吾輩のそうした「草食傾向」が今回、非常に役に立ってしまった、と言えようか。


第140回 (2005.7.17)

蝉がうるさく鳴き始めた。
もう梅雨明けするのかもしれない。
梅雨のあいだ、屋外は雨がしとしと、うちの中もじとじと、じめじめしていて大変だったが、これも来たるべき夏に向けた準備だと思えば辛抱ができる。
準備と言えば、吾輩の体毛。
今は夏毛に落ち着いたけれど、ちょっと前までものすごかった。
おじさんに構ってもらい、背中を掻いてもらおうものなら、そのおじさんの手に猫がもう一匹できあがるくらい、抜けた毛がたまった。
吾輩が階段や廊下をとことこ歩いただけでも、あっち、こっち、飛び散って、背景が黒ずんでいるだけ余計に、うす茶や白の吾輩の毛が目立ってしまう。
おばさんも、飛び散る前に処理してしまおうと、専用ブラシを持ち出してきたのだが、ブラシが悲鳴を上げるほど抜けた後でさえも、まだまだ面白いように毛が抜ける。
今度はおばさんが悲鳴を上げた。
こういう時期は、猫缶も大変である。
パカンとふたを開けられ、お皿に移されて、吾輩にすぐさま食べられればよし。
食べ残されでもすると、あっという間に傷み始め、辺りに臭気を漂わせることになってしまうからである。
そうなればますます吾輩に食べてもらえるわけがない。
あっさり、ごみ箱行きとなってしまう運命なのだった。
そんな猫缶がかわいそうにも思い、食べ残しを口にしようと考えたこともあるが、やっぱり実際に食べはしない。
おばさんが新しく猫缶を出してくれるのを待っていたほうがいい。
新しい猫缶は、すぐに吾輩に食べてもらえるのだが、そこで食べ残されれば、同じ運命をたどる。
さすがに勿体ないと思ったのか、おばさんたちが相談をしたみたいで、猫缶が出し控えられ、カリカリがたくさん用意されるようになった。
これだと吾輩も良心が痛まずに済むというもので、大歓迎している。
大変だった話を、もうひとつ。
この前の火曜日のことだったか、そのお昼過ぎ。
地が灰色、ケチったように少しだけ黒の混ざった、尻尾のやたらと短い猫が、のそのそと小庭に入り込んできたのである。
数日前にも現れ、小庭のちょうど真ん中辺りでお尻を落とし、排泄しようとしたことがあって、そのときは見つけたおばさんに追われ、未遂のまま朝潮さんちの敷地に逃げて行ったのだが、同じ猫が懲りることなく再び現れ、今度は吾輩に見つけられたというわけだ。
ただし、この吾輩、基本的には、おばさんのように追いかけることができない。
それで思わず網戸に飛びつき、爪を引っかけたまま暴れることとなって、網を大きく破ってしまったのである。
肝腎のケチ黒は、そんな吾輩を尻目に、することだけして悠然と立ち去って行き、あとには、吾輩と、網戸にできた大穴だけが残された。
ちょっとその気になれば外出も可能だったけれど、まあ、先月のこともあり、それはやめておいた。
しばらくして、うちの中をやけに蚊が飛び回っていることから、おばさんが問題の大穴に気づき、吾輩に対して、怒った顔を作りながら、拳骨にした手の親指だけを突き出し、「め!」と叱ってきたのだが、そこで吾輩、その親指の腹を舐めてしまったのである。
一瞬、きょとんとしたおばさん。
その夜、仕事から帰ってきたおじさんに、「まさしく阿茶に舐められたー」と訴えていた。
さて、この話。
いちばん大変だったのは、破られた網戸だろうか、叱られた吾輩だろうか、はたまた舐められたおばさんだろうか。




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