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 吾輩は阿茶である 




第11回〜第20回



阿茶
猫のぬいぐるみのベンちゃんの背後にいる阿茶。
同じくらいの大きさだったのに、成長してすっかり体格差ができた。




第11回 (2001.8.2)

月が変わっても、季節は変わらなくて、まだまだ暑い日が続いている。
それどころか、夏のちょうど真ん中のように、今日は特別に猛暑だった。
お出かけまでしたので、帰宅してからは完全にのびていたのだが、さて、キャリーバッグでの2回目のお出かけ先は、というと、他でもない生セン(瑞穂生涯学習センター)であった。
吾輩を同行させていること、抱え込んでいた宿題がようやく終わって荷物が多かったこと、遅刻していたこと、などから、おばさんが奮発してタクシーを拾ったので、あっという間に、しかも快適に生センに到着した。
おばさんが事務の人の目をはばかっているので、さらに迅速な動きで図書室まで運ばれ、ついにお歴々の前に出ることになった。
Tenさまは、勿論「大恩人」で、お懐かしゅうございました。 大好きな膝の上で、また甘えさせてもらいましたが、吾輩、大きくなりましたか?
28号さま、Tenさんちの息子くんにも会いたかったなあ。
ちょろんぱさまとは、思いがけないことから時間が短くなってしまって、とっても残念でした。 でも、わずかでも顔見知りになれて、よかったです。
小川ままさまとは、まったくお会いできなかったのですから・・・。
そう言えば、おじさんもまだ小川ままさまと会ったことがないそうですね。
サザエさまにも、だっこしてもらって、「たま」になった気分でした。
事務の男性が図書室に入ってきて、いきなり「ペットはいけませんよ」と言われてしまったときは、言い方がやさしくて、問題にならないのがすぐにわかったものの、ドキッとしてしまったし、おばさんたちが弁当を買いに出た留守に、隠れたつもりはなかったけど普段からの習性で部屋の隅っこにいたら、戻ってきたおばさんたちがびっくりして吾輩を探すことになってしまったし、お騒がせな吾輩だったことである。


第12回 (2001.8.5)

生きるということは、食べるということでもある。
吾輩の食餌についても、短期間なりに歴史ができつつある。
ここに来た当初は、Tenさまが持ってきてくれた「猫缶」があり、Tenさん宅時代と変わらない食生活を過ごすことができた。
ところが、その子猫用「猫缶」が無くなりかけた頃、おばさんは近所の薬局から、おじさんは事務所の猫先輩さんから、それぞれ情報を得たらしくて、子猫用というわけではない別の「猫缶」と、かんしゃく玉のような粒状の通称「カリカリ」と、同時にふたつ経験することになった。
猫先輩さんからの情報には、「猫缶」が吾輩たち猫にとって最高級の食餌なので、食欲が減退したときのための切り札にとっておき、日頃から食べさせるのは止めたほうがいい、けれども「カリカリ」に 一気に移行するのは無理だろうから、「猫缶」と混ぜて使用し、徐々に「カリカリ」の割合を多くしていけば・・・というアドバイスもあったらしい。
そうして、混ぜてあったところが、吾輩が「猫缶」部分ばかり食べて結局「カリカリ」を残すので、おばさんとしては頭をかかえていたようだ。
ところが、ある日突然、「カリカリ」ばかり食べて「猫缶」を残すようになったので、おばさん、ますます頭をかかえながらも、結果的に移行ができて、「よし」としたのだった。
現在は「カリカリ」が吾輩の食餌である。
ここだけの話、吾輩が真相を明かすと、「猫缶」には、牛肉&ささみ味、ビーフ味、白身魚&まぐろ味の3種類があって、その日にはじめて混ぜられた白身魚&まぐろ味が、実に不味かったのである。
とても食べられたものではなかった。
他に食べるものがなければ、「カリカリ」だろうが「ポリポリ」だろうが、食べてしまうわけである。


第13回 (2001.8.7)

通称「カリカリ」の話の続きになるけれども、その量は増えてきている。
おばさんに袋ごと管理してもらっているのだが、その袋に印刷された説明からすると、猫の体重に比例して食べさせる量が多くなるらしくて、そのことでも、ちょっとした騒動があった。
吾輩の体重は、果たしてどれだけあるのか?
計測するたびにおじさんが一喜一憂している体重計は、0・5kg単位でデジタル表示されるタイプなのだが、吾輩を乗っけてみても、まるで反応がなく、吾輩が部屋を駆けまわる途中で、気まぐれに体重計をポンと踏んだときだけ、デジタル数字が反応する、という有様。
それも体重として認められるような、ちゃんとした数字は表示されなかった。
それで、おばさんたちは、吾輩の体重を「0・5kg以下」とみなして、袋の印刷に従い、「カリカリ」は25gが適量ということになったのだった。
ところが、どうも25gでは足りない様子の吾輩に、少しずつ増量されることになったのだが、同時に、体重も測定し直されることとなった。
今度は方法を変え、まず、おばさんだけが体重計に乗る、次いで、おばさんが吾輩を抱えて体重計に乗る、そして、それぞれ表示された数字を引き算し、吾輩の体重が決定されることになったのである。
実際の結果は「1・5kg」となったらしいのだが、なにせ0・5kg単位でしか測ることができない体重計なのだ。実に怪しいものである・・・が、一応は数字を尊重し、現在は60gの「カリカリ」をちょうだいしている。
これだと、足りないどころか、残すこともあって、怪しい数字ながらも、尊重して正解だったと、おばさんたちは考えているみたいである。


第14回 (2001.8.8)

自分のことを賢いなんて言うと、猛烈に鼻持ちならなくなるのだけれど、少なくとも吾輩は、おじさんが考えている以上には賢いのじゃないか、と思うところがある。
今朝は何かとおかしな朝であった。
まず、吾輩に珍しく寝坊してしまった。
おじさんですら、吾輩と生活するようになってからは、寝坊できなくなったと言うのに、夜行性である吾輩自身が、普段と同じような時間に起きることができなかったのである。
不覚に感じていると、今度は、食欲がどうも出ない。
1階にも2階にも食餌のお皿が置かれてあり、1階は食べ残してしまうと蟻が出るので中身が片付けられているものなのだが、どちらのお皿にも「カリカリ」を満たしてもらったにもかかわらず、ちっとも口にする気が起きなかった。
おばさんが見るに見かねて、手のひらに「カリカリ」を載せ、吾輩の口許まで持ち上げてくれたときだけ、ぺろっと食べたら、おばさんに「阿茶、甘えているねえ」と言われてしまったが、たしかに甘えていて、妙におばさんにくっついて行ってしまうのである。
おばさんが朝食を始めたときも、同じ椅子に上がり込み、すり寄って眠りかけてしまった。
おじさんが、「水曜日というのがわかっていて、また留守番させられるのを心配しているんじゃないのかな」と言っていたが、まさにその通り。
先週こそ留守番でなかったけれども、水曜日のたびに留守番してきたのをよく記憶していて、心細くなったのである。
われながら、なんて賢い!
曜日のわかる猫、というので、テレビにも出演できるかもしれない。


第15回 (2001.8.10)

予期せぬことは、吾輩のようにまだ3ヶ月しか生きていない者にとっても起きるものとみえる。
その意味で、公平に(?)起きるものなのかもしれない。
『加藤獣医院』への2回目のお出かけが、今月11日から21日までの間この医院のお盆休みなので、休み明けに予定されていたところが、急きょ休み前の今日、出かけることになってしまったのだった。
というのは、吾輩も、眠っている間のことなので、よく知らないのだけれど、天下の副将軍さまと同じ名前の穴から、寄生虫が出てきている現場を偶然おばさんが見つけ、おじさんが事務所から帰るのを待って、大慌てでキャリーバッグによる移動をしたのである。
医院では、他の犬猫に会うことがなかった代わりに、先生の奥さんらしき女性を見かけることができた。
先生は、おばさんから事情説明を受けるやいなや、すぐに理解をされて、「親からもらったノミによる腸内寄生虫だ」と判断された。
どうやら、以前いた寄生虫とは別種のものが出てきたようで、3回目の次回、注射という方法で治すことになる。
飲み薬で治す方法もあるのだが、服用中、下痢をしてしまうので、始末が悪いのだそうだ。
で、今回は何もされずに済んだのか、というと、さにあらず。
予防接種の注射と、耳疥癬を治すための「ぐりぐり綿棒」を、再び施された。
先生が「きれいな茶トラだよねえ」と言うので、それでもう、おばさんたちはでれでれしていたのだが、「おもしろい猫だ」発言の真意はどうなったのか、吾輩はそちらのほうを気にしていることである。


第16回 (2001.8.12)

体温の高いおじさんにだっこされるのは、吾輩がまだ経験のない秋とか冬とか言われる寒い季節ならばともかく、こんなに暑苦しい夏のうちは勘弁してもらいたくて、さっさと逃げ出すことになってしまう。
だっこするうちに吾輩が気持ちよく眠ってしまう、という図を理想とするおじさんにとっては、それが面白くないらしくて、逃げ出さないよう余計に腕に力が入ることになり、さらに逃げ出したくなってしまう。
おばさんが、ふわっと抱いていてくれて気持ちよくなるのとは、対照的だ。
まるで、イソップの『北風と太陽』を思い出すようなことになるのである。
今朝も、おじさんがだっこを強要してくるので、閉口していたのだが、だっこから逃げ出そうとしていると、ふと、おじさんが、「わん、と言ったら腕を離そうかな」と言うので、そんなことで済むのか、 簡単な条件だなあ、と思って、「わん!」と鳴いてあげたのだった。
まあ、どうしても、少し「にゃ」が混じった発音にはなってしまったものの、おじさんも、考えがあったうえで提案したわけではなかったようで、却って驚き、すぐに離して、おばさんに「今の、わん、だったよねえ」と興奮気味。
しばらく、「わん」だの「もー」だの「ぶー」だのと次々にリクエストされた。
「もー」が「おー」、「ぶー」が「うー」だったけれども、おじさんは大興奮!
おばさんは、どう応じていいのか、といった様子だった。
すっかり忘れかけていた公約、失敗したときに「あちゃー」と言って額をポンと手のひらでたたく仕草をさせる、というのを、おじさんが思い出して、歴史的第一歩だった、公約を果たす日が必ずやって来る、なんて気でいるみたいだが、吾輩は、それはどうか、と思っている。
夏が過ぎ、だっこされても暑苦しくない季節になってしまえばわからない、ということである。


第17回 (2001.8.15)

総理大臣が参拝するとか、しないとかで、注目されていた8月15日。
結局、参拝そのものは日にちを早めて行われたが、何がどうなろうと今日が、日本にとって終戦記念日に変わりはない。
吾輩にとってもここに来てちょうど1ヶ月目となる記念の日である。
今回は、この1ヶ月の感想を、おじさん、おばさんにも取材したので、記録しておくことにしよう。

宇宙のどこかに僕とそっくりな宇宙人がいて、阿茶がきた翌日くらいにピョコンと入れ替わったとしか、まったく説明がつかない。
そうでなければ「猫嫌い」が「猫嫌われ」になど、なれるわけがないのだ。
「嫌い」と「嫌われ」は大違いで、すぐ阿茶にくっつこうとして嫌われるほど可愛くてしようがなくなってしまった、ということなのだから。
しかしながら、そうすると以前の僕は、どこに行ってしまったのかな?

名前が「ちくわ」に決まらなかったことは、とっても残念!
ときどき「ちくわっ!」って呼ぶのは、おばさん、本当は「ちくわ」にしたかったから。
夜中によく起こされるのと、歩いていて足首を噛んでこられるのには、正直、まいった、まいった。
でも、やっぱり、阿茶は元気なほうがいい!
お留守番の阿茶を心配して、慌てて買物を済ませることになるので、「酉オ」の一員として恥かしくない(?)、他人には言えない失敗をたくさんしている! あちゃー。
きょとんとして目をまんまるくしている阿茶の顔、いたずらして叱られたときの阿茶の顔が大好き。
眠くなったときの、とろんとした顔も。
なんだ、全部じゃないか!
ところで、もう一度、猫砂トイレの中で、おしっこしながら、ウトウト、ゴツン、してほしい。

過ぎた時間は早く感じるものだけれど、吾輩も、早いものだなあ、とつくづく感慨に耽っていることだ。
『加藤獣医院』の待合室に貼ってある「犬猫年齢早見表」によれば、子猫の1ヶ月は人間の2歳分とあった。
吾輩、現在5歳。大事に成長していかなくっちゃ、ね!


第18回 (2001.8.19)

28号さまに買ってもらった猫じゃらしも、ずいぶん変身したことである。
要するに、ぼさぼさ部分の毛がかなり抜け落ちて、お先に、という感じに秋模様を呈しているのだ。
ぼさぼさ部分の毛の色が「赤」のと「黄」のと2本あるうち、特に「黄」はひどく抜け、食べた後のとうもろこしのようになっている。
そりゃ思うに、猫じゃらしとは猛烈に遊んできたものね。
おばさんが考案してくれて、さまざまなものが遊び相手になってきた。
使い古された歯ブラシ、ただの紙くずボール、アクリルたわしのカメさん、ぬいぐるみのベンくん、手品のように結ばれたハンカチ、などなど。
歯ブラシは、おじさんたちの真似をしてゴシゴシこすると気持ちがいい。
ただの紙くずボールは、硬式のテニスボールや、変な動きをする工夫がされた変則ボールと同様、転がされると飛びついてしまうのだけれども、吾輩に最も適した大きさ、重さだったのが、紙くずボールだったようで、自分自身で蹴飛ばして、ボールの動きのとまることがない。
アクリルたわしのカメさんには、荷造りひもが付いていて振り回され、カメとは思えないスピードで動くので、激しい運動になることだ。
ベンくんというのは、同じ猫のデザインの便座カバーが掛けられているところから付いた名前のぬいぐるみで、吾輩と写真にも収まっている。
お気に入りで、耳を齧ったり、尻尾を引っぱったり。
写真に撮られた際も仲良しポーズをしているけれども、実は齧りついているのである。
ハンカチは、ごく最近のこと。
ただ結んであるだけの、何でもないものが床に置かれると、どうしても吾輩には獲物に見えてしまって、口にくわえ、のし歩くことになる。他ではこうならず、ハンカチの場合だけ。
獲物を部屋の隅まで引きずって行き、歩き方も急に変わって、まるでライオンのとおりになるそうである。 でも、結局は猫じゃらしに戻ることになり、長いつきあいというわけだ。
おばさんとする食卓の「IIIの字」脚での遊びも、おじさんを宇宙人に入れ替えさせたのも、猫じゃらしだったのである。


第19回 (2001.8.22)

中日新聞朝刊に掲載される「くらしの作文」が、昨日、今日と続けて猫の話題で、真横で相変わらず、飛びついたり、齧ったりしている吾輩に、おじさんが読んで聞かせてくれた。

昨日は88歳のおじいちゃんの作文で、猫好きの奥さんに先立たれ、猫も奥さんを追うようにいなくなったところに、捨て猫と思われる子猫が転がり込んで、ひとりぽっちではなくなった、というお話。
痩せて汚かった、なんていうのは吾輩同様、捨て猫の宿命であり、優しい人に拾われたのも吾輩同様、幸運に恵まれていることである。
「ひざに来るようになった」のも、そう言えば、Tenさまのひざにちょこんと、よく乗っていたものだったにゃあ。

今日は70歳のおばさん。
ご主人の車に乗っていて、道路を横断する猫の親子と遭遇し、立ち往生した子猫を親猫が守りぬく光景に、昨今の世情と考え合わせて、ほのぼのとさせられた、というお話。
吾輩との体験をもとに、絶滅動物に対する人間の仕打ちを激怒するレポートを書き上げたTenさんちの息子くんのことを、思い出させる作文だった。
どちらの「くらしの作文」も、まなざしが、とってもあたたかい。

作文に出てきた猫たち、特に今日のほうの親子は野良猫なのだけれど台風は大丈夫だったのだろうか?
吾輩は台風というものが初めて。
大型で強いだとか、目玉がどうとか、上陸するだとか、どんな顔をした化け物かと思っていたのだが、おばさんが、早い時間のうちから雨戸をがたがた閉めてしまったので、顔を見ることができずに、しかしながら無事に、過ぎたのであった。
いつかは顔を見てやろう、と思っている。


第20回 (2001.8.23)

『加藤獣医院』にお出かけした。
これで3回目になるが、なぜか今回がいちばん、キャリーバッグによる移動中「にゃあにゃあ」鳴いてしまった。
ほとんど鳴き続けたと言ってもいいくらいである。
その割に、いざ医院に到着してからは、おとなしくしていたので、世話はなかったと思う。
先生にご挨拶した後、いつもの診察台に載せられたのだが、はじめてそこが体重計にもなっていることを知って、吾輩のきちんとした体重が分かった。1・85kg、思っていたより数字が大きい。
おじさんたちにとっても意外だったようで、「カリカリをもうちょっと食べさせないとなあ」と 言っていたくらいに体重があったということである。
予定どおり、腸内寄生虫を退治するための注射と、耳疥癬を治すためのすっかりおなじみとなった「ぐりぐり綿棒」をされ、耳に投薬されたときだけまた暴れてしまった。
気持ち悪くなるのだから、仕方がない。
注入された薬が飛び出るのじゃないか、と思って頭をぐるぐる振るのを帰り道でもしていたら、キャリーバッグを持つおじさんの腕にまで振動が伝わったとみえて、何回も声をかけられた。
「頭ぐるぐる」で思い出したけれども、おばさんがぐるぐると目を回した、なんてことが最近あったのだった。
追っかけっこをしていて、同じ椅子のまわりばかり何周も逃げまわっていたら、こちらには何でもなかったのに、おばさんには目を回して倒れるほどのことだったようで、ひっくり返ってしまったのだ。
手加減というのも、大事なことである。



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