犬は飼い主に似る、なんてことを言うけれど、それは猫だって同じ、ハチだって同じかもしれない。
メダカだって同じ・・・かどうか分からないが、吾輩もここで暮らすようになって、まる4年と3週と3日。
どこかしら、おばさんやおじさんに似てしまった気がして仕方がない。
そそっかしいところは、おばさん似である。
猫缶を食べ終わって、おもむろに縁側まで移動したのに、まだ猫缶のにおいが漂ってくる。
おかしい、おかしい、と思っていたら、ひげの先にちょっぴりと、くっつけていた、なんてことがあった。
気の小さいところは、おじさん似だ。
誰かが訪ねてくるたびに、尻尾を巻いて逃げる。
雷が鳴っても逃げる。
このふたつの性格の「合わせ技」とでも言うべきか、おじさんが帰ってきただけだったのに椅子の下、なんてこともあった。
医者嫌いも、おじさん似。歯痛になったおじさんに、おばさんと吾輩とで何度となく歯医者に行くように言って、それを嫌がり、行き渋ること1年半。
ひょんなことから、いざ通院し始めたら、たった3回で済んで、すっかり拍子抜けしたような始末。
それで実は、かく言う吾輩も、歯、それも犬歯、猫でも犬歯に、どうやら問題がまたまたあるようで・・・。
まず気がついたのは、おばさんだった。
吾輩の顔を真正面から見たときに、ちゃんと口を閉じているにもかかわらず、右側だけ1本、下向きの歯が覗いて見えたそうなのである。
まるで、マンガに登場してくるドラキュラ伯爵のようだったらしい。
そこでおじさんが、些か強引に吾輩の口をこじ開け、診察(?)したところ、覗いていたのは右上の犬歯。
さらに1本、左下の犬歯も妙に伸びていて、犬歯4本の長さがちぐはぐ、ちっとも揃っていなかったそうである。
しかも、左下に至っては、根本が黄ばみ、少し削れたようになっていたとか。
おじさん、思わず指で押したら、ぐらぐらまではしていなかったらしい。
昨年の抜歯騒動の影響であろうか・・・。
時期も時期、飄々先生からワクチン接種のはがきが届くことになったわけで、昨日の土曜日、加藤獣医院までお出かけをした。
到着までの大騒ぎについては、もうご存知のとおり。
おじさんの下手くそな説明でも、早速、診察台の上に。
噛み合わせが悪いと、歯が伸びてしまうことはあるそうだ。
吾輩の場合、すぐに何かということはなく、しばらく様子をみましょうか、となった。
ワクチン接種は、首のうしろに注射を1本、それでおしまい。
体重は5・45kg。先生が手で吾輩のお腹まわりを触り、「いいもの、食べてるんだろ」とおっしゃる。
その後にも、吾輩に何を食べさせているのかと質問をされ、「猫缶とカリカリ、それと人間の食べるものも・・・」答えるおじさんの語尾がはっきりしない。
いずれにしろ、次は来月、犬歯の様子を見せに来なくてはいけないのだそうだ。
吾輩もなんとか、通院3回で済むのであってほしいにゃあ。
日が暮れれば、気の早い秋の虫が鳴くようになった、とは言え、日中は猛烈な残暑で、夏が、まだまだ終わってやるものか、と息巻いているように思える。
それでもって、日当たりが云々なんて話は、耳にするだけでも汗疹ができてしまいそうで申し訳ないが、今回は、そこから話を始めなくてはならない。
縁側は、うちの中でやはり、いちばん日当たりがいいわけで、おばさんもここで過ごすことが多い。
勿論、エアコンを使用しながら、というわけではあるが・・・。
そして吾輩もその横で、おじゃましないよう畏まっているか、まるくなって気持ちよく眠りこけているか、適宜過ごしている。
物音と言えば、外の蝉の声ばかり。
ところがここに、空気を乱す者が現れた。
黒猫である。
前に見かけたケチ黒とは違い、全身まるっと真っ黒けの、まさに黒猫。
軽く挨拶をしてみた。
彼も返事をしたのかもしれないが、今ひとつ表情がよく分からない。
そうこうする間に視界から消えてしまった。
ところで、どこの猫であろうと、うちの敷地を訪れようものなら、吾輩が必ず気付いて確認に行く、気付かないときなどありえない、と思い込んでいたのだが、実はそうでもないことを、つい先日、知ったのだった。
そのときは珍しく、おじさんが縁側にいて本を読んでいた。
難しい顔をしているので、仕事上、法律関係の本かと思いきや、始めてから何の進歩もない囲碁に関する本であった。
このときの吾輩も、しばらくして体をまるくし、眠ってしまったのだが、おじさんが、ふと、外に目をやってびっくり!
小庭をのそのそと吾輩が歩いてくるではないか。
ははあ、これが噂のコピーくんだな、確かにそっくりなんだ、なんて思ったそうだが、そのおじさんをもっと驚かせたのは、コピーくんの出現をまったく察知することなく、眠り続けたままだった吾輩の、あまりにも平安な有り様だったらしい。
最近になって、おじさんが気付いたことを、もうひとつ。
どうやら吾輩、左利きであるらしい。
おじさんに捕まえられて抵抗する際、必ず
先に左前足が繰り出されるそうなのだ。
そう言えば、この『吾輩』第61回から第70回にかけて載せてもらっている写真も、左前足でパンチ!って感じだった。
左利きというのは、まず間違いないようである。
奇しくも、前回と同じ場所から話を始めることになってしまった。
縁側である。
ただし、時間はまったく違って、日当たり云々どころか、太陽がまだ地球の裏側を照らしているであろう真夜中のこと。
縁側には文机がひとつ置かれてあり、続きの
和室には、実は、寝苦しくてたまらない夏のあいだに限って、エアコンの性能上の問題から、おばさんたちが吾輩をはさんで寝ているのだが、そんな深夜に突然、おばさんが騒ぎ始めたのである。
文机の上に何かいるーーー!
その声で起こされてしまったおじさん、つまりは、頭の半分以上が寝ぼけているおじさんに、懸命になって状況の説明をするおばさんだったが、そのおばさんとても、起こりつつある状況をきちんと把握できているわけでは、勿論ない。
弱く差し込んできている外の光によって、文机に何かが乗っかっていることを認め、その黒い影から目が離せないだけのことなのだ。
おばさんに急き立てられ、おそるおそる影に向かったおじさん。
相手がまだ動かないのをいいことに、徐々に徐々に近寄って行った。
そして第一声・・・何だ、これ?
それから間を置いて・・・つぼみ?・・・きのこ?・・・と自信のない声が続いた。
ちょうど大きさやその細長さが、大人の手の中指くらい。
ただし、片方の端だけがまるく膨らんでいて、おじさんの目には、花のつぼみにも、笠のまるいきのこにも映ったようである。
おじさんの頭は、まだ回転できるだけ目ざめてはいなかったかもしれないが、ちっとも正体をつかめないまま、おばさんから「電気つけたら」と言われるまで、ただ眺めているだけ、首をひねっているだけ。
慌てて電気をつけ、全体に黒に灰色がかったものであると分かったが、依然として、頭の中にまでは電気がつかない。
業を煮やしたおばさん、自分でも近づくことにしたようだ。そうして実際に目の前にしてみて、おじさんのことが理解できたらしい。
結局、おばさんもよく分からないのだ。
しばらくして、おじさんが「突拍子もないけれど・・・」と言い出した。
猫のうんこ説。
そう言われたおばさんがぐっと鼻を近づけ、その猫説が即、採用された次第。
猫ったって吾輩の他にいないではないか、おいおい。
それにしても不思議なのは、どうして文机の上になどあったのか、という点。
文机の上でそれをしたとは思えないし、まして、わざわざ持ち上げたとも思えない。
おばさんの考えだと、ちぎれずに文机までぶら下げてきてしまい、上でたまたま体から離れたのではないか、とのこと。
しかしながら、そうだとすると、猫砂トイレから文机までの間、ずいぶん歩きづらかっただろうと思う。
また、結構時間が経過して変色したようだったが、少なくとも、つぼみ、きのこには見えなかったとか。
きのこはともかく、黒に灰色なんていうつぼみは、まず、ないのでは・・・。
それと、文机の上というのは、うっかり踏んでしまうことがない分、よかったのではなかろうか。
どうして真夜中なのにおばさんが状況を知り得たのか、という点は、なんでも吾輩が文机に爪を立てていたらしく、その音で目がさめたそうである。
その場から逃げて行く吾輩を、ちらっとだけ目撃したのだとか。
そういうわけで逃げたまま、今回ほとんど登場しなかった吾輩であった。
ずっと逃げたまま、というわけでは勿論なかったのだが、すっかり御無沙汰してしまった吾輩である。
元気なことはもう、おばさんたちが閉口するほど。
ちょっと前にも、まさに「閉口」するできごとがあった。
追いかけっこの挙句、おじさんに捕まってしまった吾輩が、どうにか逃れようと、大きな声で「にゃーにゃー、にゃーにゃー」鳴き続けたところ、それをうるさがったおじさん。
「しー、静かにー」なんて言いながら、人間相手にするように、自分の口の前にピンと立てた人さし指を持って行ったのである。
そんな仕草が、猫に通用するわけがない。
何の効き目もなく、むしろ、ちっとも逃れることのできない吾輩に、ますます大きな声で「にゃーにゃー」鳴かれてしまっていた。
そこで血迷ったのか、おじさんが思わずとった行動は、人さし指をそのまま、吾輩の口の前に持ってきたことであった。
相手が静かにならないからと言って、相手の口の前に人さし指を立てるなんて、人間のあいだでも成立しない仕草なのに・・・。
ところが、この吾輩、静かになってしまったのである。
別に、おじさんの言うことを聞こうとか、静かにするほうがいいとか、思ったわけではないし、声が出せなくなるほど物理的に、おじさんの指で押さえ込まれたわけでもない。
なぜか不思議にも、黙ってしまったのだ。
口を閉ざす、まさに「閉口」であった。
ところがここから、ほんとの「閉口」が始まった。
静かになった吾輩におじさんが満足して、立てていた人さし指を引っ込める。
その途端、魔法が解けるようにして吾輩がまた、にゃーにゃー、にゃーにゃーと鳴く。
慌てておじさんが指を立て直す。
勿論、吾輩の口の前でのこと。
黙る吾輩、引っ込められる指、途端のにゃーにゃー、指を立てるおじさん、この繰り返しだ。
そんな電気のスイッチのような法則性を面白がったおじさんが、その後、吾輩を捕まえる度に、やたら、この繰り返しをしたがって、鳴いたり黙ったりする吾輩も吾輩だし、いい歳をしながらこの程度のことで喜んでいるおじさんもおじさんだが、すっかり、おもちゃになってしまっているのだ。
おばさんは笑って見物していればいいが、当の吾輩は閉口してしまう。
加藤獣医院にも御無沙汰していて、ほんとは先月行く予定だったのだが、昨日がそうだったように雨に降られたり、おじさんの帰りが遅かったり、吾輩がよく眠っていたり、結局、今月も行っていないまま。
さすがに、近いうちに出かけなくてはいけない、という空気になっているようである。
おじさんによる吾輩の「閉口」は、その後も続き、黙らされる時間を長くされたり、矢継ぎ早だったりしたのだが、ふと、おじさんが、これって、犬に「待て」と命ずる行為とどこも違わないのじゃないか、と思い至ったようで、その途端、興味をなくしてしまったらしく、全然やらなくなってしまった。
頭の固いおじさんにすれば、犬のような猫というのは、気に入らないのであろう。
今日ようやく、加藤獣医院におじゃまできた。
ほんと、御無沙汰したものである。
天気はいいし、おじさんの心構えもできているし、そこに、いつもだったらまだふとんの中にいる吾輩が、目をさましてのこのこ顔を出したのである。
なんだかよそ行きのおじさんが、なんだか吾輩を抱っこしてくるので、なんだか怪しいぞ、と思う間にキャリーバッグに入れられてしまっていた。
おじさんらしくない早業。
小庭にほうきをかけていたおばさんですら、びっくりしながら見送っている。
事態が呑み込めた途端から、毎度の特大の鳴き声を、吾輩が上げ続けるので、それを恥ずかしがるおじさんは、逃げるように駆け出してしまう。
加藤獣医院が嫌で鳴けば鳴くほど、おじさんの足が速まり、早くそこに到着してしまう仕組みだ。
あっという間に飄々先生の顔が覗いた。
今日はすぐ続けて、ヨークシャーテリヤを抱えた男性がワクチン接種に現れたので、それで待たされなかった分だけ、おじさんの足が生きたとも言える。
さて、診察台の上だ。
問題の「猫でも犬歯」である。
先生の診察だと、歯ぐきがちょっとだけ後退しているものの問題にするほどではなく、むしろ、赤みが引いて順調とのこと。
聴診器をお腹や首筋に当てられたが、まったく心配なし。
体重も5・45kg、前回と変動なし。
すこぶる良好であった。
次回については、先生が「2月ごろでいいよ」と言われたのに対し、おじさんが「また、きちんと来られないかもしれませんが・・・」と。
それでも飄々先生「いいよ、いいよ」、吾輩も同調して、いいよ、いいよ、もう来なくていいよ、なんて鳴いてやった。
帰りは大抵、静かにしている吾輩なのに、今日は、行きほどの大声でなかっただけで、うちに着くまで鳴き続けた。
いいよ、いいよ、いいよ、いいよ・・・。
おじさん、理解できただろうか。
今年もまた、気がつけば大晦日。
あっという間で、何もしないうちにこの日を迎えてしまった、と言って後悔することもできるし、何事もなくこの日を迎えることができた、と言って感謝することだってできる。
吾輩は猫であるからか、大抵、後者の考え方をしている。
ただし、後悔することがないわけではない。
昨日もひとつ、やらかしたばかりだ。
吾輩が寝ているあいだにと、おばさんが廊下にワックスをかけたのだが、これは乾くまでの30分間、誰も歩いてはいけないのが「きまり」。
大掃除を手伝っていたおじさんでさえも、時計をよくチェックさせられ、ふたりして念入りに確認をしていたらしい。
まさにそのとき、そうとは知らない吾輩が目ざめて、階段を下りたところから顔を覗かせたことになるのだそうだ。
おばさんは、口があんぐり。
おじさんが慌てて、吾輩に廊下を歩かれないよう、仏間をまわって追っかけにやってきた。
吾輩としては階段を戻らざるを得なくなったが、時すでに遅し。
吾輩の足跡が6つほど、くっきりと残されることになった。
おじさんに言わせると、すべての足跡がきちんとした形状、つまりは、手のひらと指4本がそろった状態でつけられていて、歩行については何も心配ないとのことだったが、ワックスをかけたおばさんにしてみれば、そんな悠長なことは言っていられない。
その後にやり直す羽目になってしまったのである。
ほんと、おばさんには悪いことをしてしまったと後悔していることだ。
何はともあれ、明日は元日、新年である。
みなさまも、よいお年をお迎えくださいにゃ。
新年あけましておめでとうございます。
・・・という挨拶も、もう5回目。
同じように流れているはずの時間にかかわらず、人間の考え出した日付というものの区切りにより、年末から年始にかけて何かと大騒動することにも、すっかり慣れた吾輩である。
おばさんにワックスがけこそ、やり直しをさせてしまったものの、この暮れは脱走騒ぎも起こさず、至極平穏に過ごしている。
むしろ、正月だからというような高揚感が欲しいくらいなのだ。
・・・で、この元日、おばさんから特別なお年玉をもらうことになった。
例年だと、鰹節を思う存分もらうところであるが、今年はそれが「ふぐ」だったのである。
さすがに思う存分というわけには行かなかったが、おじさんたちの晩ご飯が、ふぐを探すのが競技のような「ふぐちり」。
晩ご飯が始まるや、いつものように近寄った吾輩に、はじめのうちは春菊が与えられた。
前に話したことがあると思うけれど、これはたしかに吾輩の大好物。
ただし、食べ物としてではなく、おもちゃとしてである。
そうしているところに、正月気分からか、おばさんが口でふーふー、よく冷ましてくれたふぐの身を、ポンと置いてくれたのだった。
初めて見るものだけに些か警戒した吾輩ではあったが、口にしてみてびっくり!
今まで食べたことのある、どんな魚とも違った、歯ごたえ、舌ざわり、美味!
無我夢中になってしまった・・・と言いたいところだが、なにせ分量が分量なので、あっけなく終わり。
それでも、おじさんたちよりは多く食べたのかもしれない。
「阿茶くんは白身が好きだから」というおばさんの判断は、大正解であった。
茶トラ、トラふぐを食べたの巻、といったところであろうか。
さて、本年もどうぞよろしくお願いします。
「猫の日」を迎えた。思うのだが、年々、正月から「猫の日」までが早く過ぎている気がする。
今年も結局、こうして吾輩が文章にする時間もないほど、あっという間に過ぎてしまった・・・と言うよりも、ただ単に、この『吾輩』を書く間隔があいてきていると言うべきであろうか。
さて、勿論、年明けから今日まで、何事もなく過ごして来られたわけではない。
つい先週も、こんなことがあった。
気象庁が予報したとおりに、午後になって雨が降り出した日のこと。
その雨が知らないうちに上がっていた、夜も日付の変わるころの話である。
またまたまた(これでは回数が足りないかな)、吾輩の「脱走騒動」で、うちじゅうが大騒ぎをすることになってしまったのだ。
発端はおばさんのゴミ出し。
片付けたゴミを捨てようとしたおばさんが、裏口から外に出て行ったのだが、きちんと閉められたはずの扉が、少し隙間を作ったのである。
そうなると、ちょっと前足をかけただけでも扉は横に移動し、吾輩、ひょっこり外に出ることができてしまう。
屈み込んで作業しているおばさんの背中を尻目に、建物に沿って反対側にまわり、縁の下にもぐり込むことができた。
解放感が半分、不安感が半分で思わず、小さな声で「にゃあ、にゃあ」と2回、鳴き声をもらしてしまった。
おばさんが、この鳴き声を聞き逃さなかったのである。
どうも屋外から聞こえたようだということと、扉がちょうど猫の肩幅分だけ開いていたことから、慌ててうちに向かい吾輩の名前を連呼。
何の反応もないことで「脱走」を確信したのだ。
懐中電灯を取り出すや、朝潮さんちのブロック塀の上から、さっきまで相手にしていたポリバケツの下まで、隈なく照らして行き、そうして縁の下にいる吾輩が見つけられた次第だった。
いったん引き返したおばさんが、相変わらずとっとと寝ていたおじさんを叩き起こし、あらためてふたり揃って現れる。
縁の下は隙間だらけの横板で仕切られているのだが、その隙間が吾輩の通り抜けられるだけは開いていないので、結局は吾輩、袋のねずみなのである。
そうこうしているうちに、意を決したおばさんが縁の下を匍匐前進してやってきた。
まわり込んでまで逃げようかどうしようか、迷っているうちに捕まえられてしまった。
迷いのない者には、かなわないものである。
ただ、おばさんも体勢を変えられるだけ空間がないので、吾輩を捕まえた格好のまま、匍匐後退せざるを得ない。
縁の下を出たところでおじさんに渡され、しっかり抱きかかえられて、うちの中に戻ったのだった。
これにて一件落着。
・・・とは言っても、舞台が雨上がりの縁の下だっただけに、吾輩にすっかり湿気たような異臭がこびりついて、これは数日の間、臭かった。
騒動の直後にしても、なにしろ汚れていたので、すぐにはおじさんが放してくれず、雑巾を手にしたおばさんに、きれいに拭かれるまで、抱きかかえられ続けた。
その際、吾輩が、自分の声とは思えないほどの絶叫を発してしまい、これが特におじさんに衝撃的だったようだ。
吾輩に嫌われた、と凹んでいるようなのである。
おばさんはおばさんで、吾輩を捕まえた際に、おじさんから「捕まえたのなら、死んでも放したら駄目だよ」などと、手すら汚さなかった人物に教示だけされて、後でえらく立腹していた。
まだまだ落着とは行かないようであるにゃあ。
今年は「猫の日」までが早く過ぎたにゃあ、なんて思っていたら、それからがもっと早く過ぎて、あっという間に5月5日、5回目の誕生日を迎えてしまった。
人間に換算すれば、当然、何歳かになるのだが、おばさんが嫌がるので換算はしない。
なんでも、そうして換算した結果が、あるとき、おばさんたちを抜いてしまうことになって、それがおばさんには辛いのだそうだ。
ちなみに、おじさんは平気であるらしい。
体重だって抜いていいよ、なんて言っている。
早く過ぎた、すなわち、この『吾輩』の間隔があいた、ということは、その間の出来事がそれなりにあった、ということにもなるわけで、ここで、そのいくつかをご披露しよう。
まず、「猫ひろし」である。
ある日突然、おばさんが吾輩の目の前で「にゃあ」と鳴いた。
それも、パーに広げた両手のひらを顔の横で動かしながら、である。
猫ひろしという名前の、勿論、人間の得意ポーズらしいのだが、吾輩、猛烈にびっくりしてしまって、目まんまる、口あんぐり、10秒は固まっていたそうだ。
その後も、してやったりのおばさんから、たまに「猫ひろし」をされては、微妙に驚いている吾輩である。
次が、「ピグモン」である。
そうした突飛なおばさんとは対照的に、おじさんは毎回、同じことしかしてこない。
おじさんを相手に遊んでいると、結局いつでも捕まえられてしまう。
そして、あぐらをかいた上に吾輩を仰向けに寝かせ、逃げられないように両手で囲うことしかできないのである。
それで、さすがに
同じパタンに飽きた吾輩が、なまじ抵抗するのではなく、目をとろんと半眼に、前足を胸の前で内に曲げたまま、じっと動かずにいてやったのである。
最初は「阿茶くん、ピグモンみたいだな」なんて喜んでいた、ウルトラマン世代のおじさんだったが、いつまでたっても動かない吾輩に動揺し始め、遭難者に対するように名前を呼びかけてくる。
そばにいたおばさんにまで、おろおろと声をかけたところで、ようやくむっくり動いてやった。
おじさんは心底、安堵していたようだった。
そして、「遠山金四郎」である。
これは、おばさんを相手に遊んでいた際のこと。
何を思ったものか、吾輩、急に横たわるなり、突き出されていたおばさんの右腕を標的にしたのである。
爪を立てた前足で抱きかかえておいて、後ろ足で何回も蹴りを入れたのだ。
痛がったおばさんが右腕を引っ込めたときには、すでにしっかりと「遠山桜」が彫り込まれてしまっていた。
おばさんの災難はまだ続いている。
夜中に必ず、吾輩に起こされるのだ。
最近の吾輩が、おばさんの掛けふとんの上で眠るのを好んでいるからである。
おばさんにしてみれば、睡眠を中断し、場所を譲り、ふとんの端っこで、吾輩のじゃまをしないように気をつけながら眠り直すことになる。
おばさんは日中、
体ガチガチ、頭ボケボケで暮らしているそうである。
これからも、いっそのこと早く過ぎて、ふとんのいらない季節になるのを、いちばん待ち望んでいるのは、ひょっとして、おばさんかもしれない。
今週になって分かったことで、吾輩も、おばさんも、おじさんさえも、現在、頭を抱えて悩んでいることがある。
三者三様というわけではなくて、悩みのタネはただひとつ。猫缶に関してである。
吾輩の食餌と言えば、猫缶、カリカリ、それにおばさんたちからいただくおすそ分けで成り立っている。
おすそ分けは勿論、その都度、物が変わる。
鰹節、シシャモ、スズキ、カレイ、イサキ、サンマ・・・。
ウナギのときもあれば、ふぐのときもあった。甘栗だったり、レタスだったり、餃子の皮のときだってあった。
そして所詮は、おすそ分け。
よく食べたところで、量など、たかが知れていよう。
カリカリも吾輩の気持ちのなかでは「おやつ」なので、大層なことはない。
問題は猫缶である。
もうどれくらい続いているのであろうか、某大手メーカーが、種類も豊富に、対象年齢まで特定して、主力商品として発売している銘柄のうちの、ちょっと高級タイプなる「あっさり五目」という猫缶で、ずっと定着してきたのである。
ところが、この度、多様に種類があるなかで、お気に入りの「五目」に限って、発売中止の憂き目を見てしまったらしい。
売れ行きがよくないのだそうだ。
同銘柄のノーマルなタイプだと、しっかり売れて、売り場でますます幅を利かせているとのこと。
つまり、誠に遺憾ながら、吾輩の好む猫缶は世間で好まれない、世間が好む猫缶は吾輩が好まない、という次第なのである。
吾輩が生来、何でも食べてしまうことのできるハイエナ猫であったなら、そもそも問題にはならなかったであろう。
自分で言うのも何だが、吾輩が、
味にうるさく、こだわりがあり、気に入らなければ頑として口にしない、そう、ライオン猫であるところに問題があるのだ。
「五目」に定着するまでにも、ごみ箱行きとなってしまった猫缶は数知れない。
そして結局、この一週間も、吾輩の口にあった猫缶を見つけようと、おばさんたちが試行錯誤した結果、ごみ箱に食べさせているみたいなのだ。
おばさんたちは頭を抱えているし、吾輩も頭と空きっ腹を抱える今日このごろ、というわけである。
そして、つい先ほど、とっておいたらしい最後の「五目」がお皿に出された。
吾輩、無我夢中で食べまくり、あっという間に平らげたのだった。
某大手メーカーに物申す!
「五目」発売中止を中止せよ!
営利主義、反対!
どうか、どうか、お願いしますにゃあ!!