ラウール・ルイス
Raoul Ruiz
(1941- )
チリの謎の映画作家。 まず名前が読めない。ルイズなのかルイツなのかそれともルイスなのか。一般には、ルイスということになっているが本当にそれでよいのか自信はない。フィルモグラフィーに挙がっている作品数も100本を超えるそうだが、だれもその正確な数を把握できていないという噂も聞く。グリフィスやジョン・フォードの時代ならともかく、41年生まれの作家でこれだけの作品数というのはまれだろう。
ルイスは60年代チリ映画の指導者で、アジェンデ政権(70-73 チリ大統領。自由選挙による世界初のマルクス主義者の大統領)の映画顧問だったが、社会主義政権の崩壊とともに亡命を余儀なくされる。この亡命者という境遇は、これ以後の彼のどの作品にも色濃く反映されている気がするのだが、数えるほどしか彼の作品を見ていないのであまり大きなことは言えない。ヴェンダースのような作家なら、「ロード・ムーヴィー」とか「アメリカ映画」とか「ロック」といった言葉でイメージをまとめ上げることは簡単だが、ルイスの場合はそんなふうにうまくいきそうにない。そこで苦し紛れにルイスにまつわる様々なデータをランダムにならべてみる。こうしたやり方のほうがひょっとするとルイスにはふさわしいのかもしれない。
おそらくこれがルイスを語るさいに最も頻繁に用いられる形容詞であり、また最も有効な形容詞であろう。「不規則」、「非対称」、「過剰な装飾」。バロックの様々な定義はルイスの映画にぴったり当てはまる気がする。
ジム・ジャームッシュはルイスの『ゴールデン・ボート』に出演している。
この言葉もまたルイスにいつもついてまわる言葉のひとつであるが、本人はシュルレアリズムの形而上学には全然影響されなかったと言っている。ルイスがシュルレアリズムにひかれているとすればそれは、シュルレアリズムに見られるイメージの紋切り型、ステレオタイプである。
一見無関係そうな二人だが、ルイスはモレッティの『赤いシュート』に出演しており、モレッティはルイスの『嘘をつく眼』に出る予定だった。
ルイスは大学で法学部に属しながら、余った時間で神学を学んだ。
彼によれば、神を認識する方法は3種類あるという。ひとつは実証的なあるいは客観的な認識(神の実在を証明する) 。もうひとつは否定的なあるいは現実的な認識(神はその不在によって知ることができる)。そして第3の道は、日常生活から上昇してゆくことで神を知るという方法。
ルイスは映画にも3つの作り方があり、それがほぼこの3つの認識方法と重なっているという。神に向かって上昇してゆく方法に対応するのは、自然の奇跡を待ってひたすら事物や感情を見つめ記録する映画(ロッセリーニ、ドワイヨン)。実証的な方法に対応するのは、なにかを証明するためにすべてが物語の形で有効に配列されるアメリカ映画。最後に、否定的方法に対応するのは、人工的なものによって、本当らしくないものを通じて、別の場所に真実を創造しようとする映画。そしておそらくこれがルイスの映画である。
ルイスの『領土』とヴェンダースの『ことの次第』は映画史上でもまれに見る奇妙な関係にある(もっとも『領土』は見ていないので内容についての比較は出来ないが)。ポルトガルで『領土』を撮影中のルイスが資金面でトラブルを抱え、フィルムが尽きかけていることを聞いたヴェンダースが、ベルリンの自宅の冷蔵庫にあったフィルム缶を持ってポルトガルへ向かい、そこでルイスの撮影隊と出会ったことから、『ことの次第』という作品は生まれ落ちた。『ことの次第』は、『領土』のスタッフのほぼ全員、そして4人の俳優をそのまま流用し、同じポルトガルで撮られた。資金難に苦しむ撮影隊を描いた物語の内容も、まるで『領土』の撮影そのものをテーマにしたかのようだ。
Coffret Raoul Ruiz 2 DVD : Les Trois couronnes du matelot / L'Hyeothese du tableau vole / La Vocation suspendue (『水夫の3クラウン』『盗まれた絵の仮説』『宙に浮いた召命.』)
ラウール・ルイスの研究書としては Christine Buci "Raoul Ruiz" などがあります(この本はたしかフランス語で書かれていたと思います。念のため)。
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