「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は和茶である 




第51回〜第60回



和茶
「テレビの上で正座」
画面とは横向きに座り、ぐらつくことなく、カメラを見据えている和茶。
10cmの薄型テレビで、その倍は幅があるのに器用なことである。




第51回 (2010.7.22)

この季節、おじさんの好きなものと言えばビールだが、季節を問わず、吾輩の好きなものと言えばビニールということになろうか。
おばさんが買物してきた際、うっかりビニール袋などがその辺りに放ったままにしてあろうものなら、容赦なく嗅ぎつけた吾輩がすぐさま飛んで行き、齧りつくこととなる。
噛みちぎったことも何回となくあるので、「人間のほうが気をつけるように」というツジカワ犬猫病院の流暢先生のアドバイスに従って、まず、吾輩の手ならぬ前足の届くところにビニールのものを置いておかない、という鉄則が守られているようである。
特におばさんに至っては、炊事だ洗濯だ掃除だの合い間に一々片付けてなんていられないということで、何でもポケットに突っ込む癖がついたらしく、たまにポケットから突拍子のないものが出てきて、おばさん自身が驚いていたりする。
・・・といった次第で、吾輩の周囲から姿を消したビニールだったのに、先週、うちの中で、それも堂々とした、ビニール野郎にお目にかかることができた。
ビニール傘である。
なんでも、おじさんが仕事帰りに雨に降られてしまい、やむを得ずコンビニで買い求めたものだとか。
以来、他の傘にまじって玄関の傘立てに突っ込んであったり、勿論、傘である以上、雨の日に使用されたり・・・。
吾輩が気付いたときも、ちょっと前に雨に降られて使用され、畳まれないままに突っ立っていたのだ。
で、吾輩が万遍なく齧ってあげた。
その翌日だったか、翌々日だったか、おばさんが畳もうとしたところで異変に気付いたようだった。
片手で柄を持ち、もう片方の手でくるくるっと巻いた際に、ざらざらした手触りを感じ、おかしいことに気付いたらしい。
広げてみてびっくり。
吾輩の歯形によって、まるでプラネタリウムの天井のようになっていたのだとか。
それからじきに梅雨明けしたので、その後、まだ使用する機会がないようだが、果たして傘としての機能が保たれているのかどうか、吾輩にも興味深いところである。


第52回 (2010.8.7)

ちょっと前に吾輩宛の葉書が届いていたのに、暑中見舞いだろうにゃくらいに思ってちゃんと見なかったのだが、どうやらツジカワ犬猫病院からのワクチン接種の案内だったらしい。
おじさんに、ひさしぶりに爪を切られた後、すっぽり抱っこされ、どうしたのかにゃ?と思う間もなく運ばれた先は、キャリーバッグの片側だけ開いた口。
無理に押し込もうとするので余計に抵抗する気になってしまったものの、おばさんと交替して、丁重に「さ、どうぞ」みたいに扱われたら、結局は同じことを要求されているにもかかわらず、すんなり従う気持ちになってしまうから不思議だ。
こうして一年ぶりのお出かけとなった。
おじさんは道々、吾輩の抵抗によってついたばかりの両方の手の甲の傷を気にしてるようだったが、吾輩は、そこら中の蝉が全身全霊を込めて鳴こうが、パトカーが不穏なサイレンをけたたましく鳴らしてすぐ横を走り抜けて行こうが、至って物静かにしていられた。
ツジカワ犬猫病院に着くと、幸いにも先客がなく、すぐに流暢先生から名前を呼ばれて、診察台の上に。
そこで体重が測られる。
6・25kgで、ほとんど増減なし。
体温計を肛門に突っ込まれたり、聴診器を当てられたり、触診されたり。
目や耳も、流暢先生のグリッとした目玉にじっと覗かれた。
そして、「まったく問題なしですねえ」とのお墨付き。
肝腎のワクチン接種の注射をお尻にされて、はい、終わり。
待合室に戻ると、おじさんくらいの年格好のご夫婦があいだに犬を挟んで待っている。
吾輩が恐がらないようにと壁側に顔が来るようにキャリーバッグが置かれたけれども、中で向きを変えれば、待合室はまる見え。
入れ替わりに呼ばれたそいつは図体に似合わず恐がりなのか、ご主人が力任せにロープを引っ張っても言うことを聞かず、奥さんに抱きかかえられて、やっと診察室に入って行った。
どこも、おじさんには抵抗し、おばさんには従うものなのか。
それからじき、ご婦人ひとりに連れられたアフガンハウンドが現れたのである。
さすがに犬の王様と呼ばれるだけあって堂々としており、「連れられた」とは書いたが、ご婦人を案内しているように見える。
犬の苦手なおじさんだけが、近寄られて「うっ」と声を発したきり固まっていた。
考えてみると吾輩は、病院の中でも帰り道もずっと黙ったままで、「うっ」とすら声を発していない。
病院に対するマイナスイメージがなくなったのかも・・・。
そう言えば、帰宅してからも、すぐに開けてくれるキャリーバッグから今までだったら猛烈な勢いで逃げ出すところなのに、実にのんびりしたものだった。
おじさんのほうが驚いていた。
ま、これを、吾輩としては、成長と捉えておこうかにゃあ。


第53回 (2010.9.4)

9月ったって猛烈な残暑は続き、暑さに弱い吾輩としては、少しでも凌ぐことができないかと、狭いうちの中であっちにこっちにと場所を変えて過ごしている。
その中でも御三家と言ったら、玄関、トイレ、お風呂場だろうか。
吾輩がとんと見当たらないときは、このうちのどこかで寝ているものと思ってもらっていい。
玄関はその筆頭格。
そもそも玄関には出入りさせてもらえなかった。
帰ってきたおじさんが扉を開けた途端に、吾輩が飛び出して行くようなことにならないよう、必ず中扉が閉めてあったのだ。
たまたま中扉が開いていた際、すかさず吾輩が三和土に寝転がったのを目にしたおばさんが、こんなに暑くてはそうした行動もやむなしと判断。
その後、意図的に中扉が開放され、自由に出入りできるようになった。
帰ってくるおじさんの問題は、ブザーが鳴らされると奥に逃げ込む吾輩の習癖を利用され解決しているらしい。
で、三和土には頭のてっぺんから尻尾の先まで、まさに全身全霊を横たえる。
時々ここにまる虫がでるので、その途端、寝るどころではなくなってしまうが、まる虫を相手に遊ぶのも楽しいから、吾輩としてはいいような悪いような・・・。
トイレは1階2階とふたつあるうち、なぜか2階に限っての話。
トイレと言えば、トイレットペーパーをめぐるおばさんたちとの攻防が思い出されるが、猛烈に暑くなってからは、さすがの吾輩もそんなことをする気にならず、トイレの扉は自分で開けられるのでさっさと進入して便器の裏側にまわり込み、タイルの上にごろんと横になる。
おばさんたちから見ると、便器から右には前足に顎を載せた吾輩のぐったりした顔が、便器から左には揃えて投げ出した後ろ足と尻尾が、箱物の手品のように部分的に見えている状態なのだとか。
そんなわけで、トイレの扉も公然と開放されるようになっている。
ここだと睡眠のじゃまをする者も現れなくて、目下のところ、いちばん快適な空間と言っていいかも・・・。
お風呂場もタイルなのでひんやりする上に、便器がない分だけ広く感じられて、転がるのに打ってつけ。
三和土と違い、水捌けのためにタイルが凸凹している、そこを利用して背中など擦りつけようものなら、余計な毛が抜けてブラッシングってことにもなる。
これでシャワーでも浴びることができたにゃら・・・。
どなたか、シャワーの出し方、教えてくれませんか?


第54回 (2010.9.25)

春先からだったか、おばさんに「白黒」と呼ばれる猫が、うちの庭に現れるようになった。
その名のとおり、白黒のブチ猫。
彼女はずいぶんと社交的で、はじめて会ったときからごく当たり前のようにして吾輩に話しかけてくる。
吾輩もだんだん慣れて、窓越しに「にゃあにゃあ、にゃあにゃあ」、おばさんたちが近所迷惑を心配するほど話ができるようになった。
「彼女」と言い切ったのには理由があって、その後お腹が大きくなったのである。
だからか、しばらく現れない時期があった。
再び現れたときには、お腹に手術の痕のような傷が刻まれており、ごく最近になって首輪をするようにもなった。
子猫を見かけないことと考え合わせると、放任主義だった飼主に何か重大な変化があったのかもしれない。
さて、その彼女がまた現れるようになって以来、庭に面した網戸の網が外されるという事件が続けざまに起きた。
破られるのではなく、庭に向かって左下の隅を枠からめくるように外されているのだ。
犯人は誰か?
外れてできた穴は、最初小さなものだったが、おじさんがぐずぐずして修復しないうちに大きくなって行く。
な、なんと、外れてぶらぶらしている網の先を、白黒が口でくわえて引っ張っているではないか。
それでようやくおじさんが網戸を修復する気になった。
そして修復したばかりの翌日、同じところがまた外される。
しかも、物音で異変に気付いたおばさんが見に来たときには、ちょうど白黒が網戸にできた穴から外に逃げ出して行くところ。
そう、うちの中にまで侵入してきていたのだ。
もはや白黒が「黒」で間違いないと決めつけられた。
で、昨晩のこと。
おじさんが改めて修復した網戸に今まででいちばん大きな穴が開き、吾輩、初めて脱走したのである。
今度はおじさんが網戸の異変に気付く。
吾輩が脱走したということは、うちの中を確かめるまでもなく直感したのだとか。
すぐにおばさんを大声で呼び立てる。
そうしておいて、玄関から外に出るなり、縁の下を覗いて「和茶ー、和茶ー」と呼びかけてきた。
呼ばれてそのとおりにするのも猫らしからぬか、と思いながらも、妙なところで従順な吾輩。
縁の下とは反対方向にいたので、あちらを向いてるおじさんに吾輩から寄って行くことにする。
おじさんにしてみると、二度びっくりだったらしい。
必死になって呼んでいて、ふと気がついたら背後から吾輩がすたすた歩み寄ってきていたのだから。
すぐにしっかり抱き上げられ、うちの中に戻された。
大騒動にならなくて、おばさんたちは心底ホッとしたそうだ。
まあ、かく言う吾輩も、何が何だか分からぬうちの出来事って感じはする。
網戸に穴があったので外に出て、名前を呼ばれたからすぐに戻った・・・。
それでも味をしめた吾輩が、また外出できないかと鳴くのだが、穴が開いたままの網戸は、ぴったり閉められたサッシの向こう側。
もう出られませんにゃあ。


第55回 (2010.10.7)

脱走事件の後、どうしても玄関やサッシの手前に行き、また出たいけどにゃあと訴えて鳴く吾輩になどお構いなく、網戸が強化された。
白黒が引っ張ったくらいで抜けて穴が大きくなるようでは、網を押さえているゴムが駄目なのじゃないか、と睨んだおばさんがホームセンターに出かけて新しいのを調達し、おじさんが取り替えたのだ。
やはり今まで頑張っていたゴムはすっかり劣化していたらしい。
新しいゴムでガンガンに押さえることができたことにより、おばさんたちには、ちょっとやそっとでは、特に白黒には、もう抜かれないぞ、という自負と、今度は網そのものが破られはしないか、という心配をしているようだ。
何れにしろ吾輩は、また出たいけどにゃあ。
・・・で、その願いがかなって第二の事件は起きた。
玄関の中扉が開放され、自由に出入りできるようになったことは前にも書いたが、最近は朝、おじさんが出かける際に、その三和土まで出て見送るようにしている。
おじさんが靴を履き始めたと察知するや、奥の部屋でいたずらをしてようが、2階でトイレに入っていようが、だだだだっと轟音を立てて駆けつけ、玄関に飛び出すのだ。
そして、おばさんに抱っこされると言うか捕まえられて、いっしょに「行ってらっしゃーーい!」と送り出すようになった次第。
それが、問題の日の朝は駆けつけなかった。
それもそのはず、既に脱走していたのだから・・・。
「和茶が来ると大変だけど、来ないのも寂しいなあ」なんて言いながら、呑気におじさんが出かけた後、おばさんが、上がり框の下にある、何のためのものかよく分からない扉が開いているのに気付く。
この前のおじさん同様、すぐに吾輩の脱走を直感したのだとか。
この扉が開いていたことは過去にもあったがこれほど大胆に開いていたのは初めてのこと。
その直後、縁の下から猫のものと思われる奇声が聞こえ、おばさんも縁の下を覗いたそうだ。
そして、そこに吾輩だけでなく、白黒もいたのだった。
吾輩にしてみれば、上がり框の下の扉をいつも以上に開けたら通ることができ、そのまま進んだら縁の下に出た、そこに白黒が来た、という話。
おばさんが必死になって吾輩を呼んでくれるが、なんとなく白黒に塞がれてる感じがして動けないし、白黒も動かないし、おばさんも目を離したら最後だと思っていたのか動くに動けないようだった。
で、この膠着状態を打開したのは、結局のところ、おばさんだった。
白黒めがけて小石を投げ始めたのである。
これにはさすがの白黒も逃げ出した。
こうなれば吾輩も動きがとれて、すぐ縁の下を出る。
あっという間におばさんに取り押さえられた。
その際、おばさんは必死のあまり、よろけて濡れ縁に右肘をしたたか打ったが、それでも吾輩をしかと離さなかったことは言うまでもない。
この騒動、時間にしたら30分ほどだったかにゃ。
第二の事件後、上がり框の手前には、重くてとても吾輩では動かすことのできないダンボール箱がふたつ、玄関という見てくれを無視して置かれ、おばさんの右肘は痛みが引かず、そして、吾輩が如何ように鳴こうとも放っておかれるようになってしまった。
・・・また出たいけどにゃあ。


第56回 (2010.12.31)

あっという間に秋が去り、冬も駆け足したまま休もうとしない。
今年ももうすぐ終わりとなってしまった。
さて、すっかり御無沙汰していた吾輩のその後である。
上がり框の下が縁の下に通じていたことは、うちの全員にとって驚きだったが、ダンボール作戦の後、その扉に釘を打つことで、おばさんたちにとっては解決済となったようだ。
もう脱走はしていない。
おじさんの帰宅に際するブザー作戦は、じきに通用しなくなった。
ブザーを鳴らしたのがおじさんか否か、吾輩が区別できるようになって、おじさんだと逃げなくなったからだ。
それで結局、ブザーが本来の役目を果たし、呼ばれたおばさんが出てきて吾輩を捕まえてから扉が開けられ、おばさんと一緒に「お帰りなさーい!」を言うようになっている。
白黒は相変わらずのこのこ現れている。
台所の出窓の庇に乗っかった白黒が、コウモリのように顔を逆さにして上から覗き込み挑発してくるので、出窓にいる吾輩が気分を害したことも・・・。
この前も庭にとことこやってきたので、サッシを挟んで向き合っていた。
ちょうどそこにおばさんが来たのだが、おばさんに言わせると、白黒がいっぱいまで近寄ってるのに対し、吾輩は遠巻きにしてる感じがあり、しかも、おばさんが現れた途端、急にヤツに近寄ったのだそうだ。
これじゃまるで「おばさんの威を借る猫」ということになってしまうではないか。
吾輩、白黒ごときに臆しておらぬつもりだが、現にそう見える行動をとったらしい。
吾輩も相変わらずいたずらしていて、床の間の掛け軸と月見障子をびりびりにしたり、寝相悪く眠っているおじさんの突き出した足を引っ掻いて起こしたり、廊下にうんこを飛ばしたり。
まあ、これも元気なればこそ、ということで・・・。
うんこと言えば、吾輩のトイレを掃除していたおじさんが慌てた事件があった。
うんこに赤いものが付着していて血便だと思ったのだ。
すぐおばさんに報告され、話を聞いたおばさんも「ツジカワさんに行かなきゃ」と即断。
ところが、実際におばさんがそのうんこを目にして、首をひねり始めた。
「この赤って、血じゃあないんじゃないの」と。
注意して様子を見ていたおばさんは、真っ赤なリボンの一部分だと結論を出す。
激しく齧られた赤いリボンを見つけたらしい。
そして、おばさん、おじさんが口を揃えて「和茶あ!」って。
今年最後に、とんだ話でごめんなさい。
さあ、今晩は、ゲゲゲのおねえさんの紅組を応援しようかにゃあ。
来る2011年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。


第57回 (2011.01.07)

新年あけましておめでとうございます。
・・・という挨拶も、もう3回目。
お正月が何たるか吾輩にも分かってきていて、田作りが登場するや、すぐに尋常ではなくなってしまった。
部屋のこちらに吾輩、あちらに田作りだったにもかかわらず、たまらなく美味しそうな匂いが漂ってきて鼻が思いきり反応し、おばさんたちに言わせると、小鼻がくんくんくんくん拍手をしているような状況だったとか。
実際、拍手喝采したくなる気分だった。
日頃お目にかからない食べ物だけに余計欲しくて仕方がなくなるのだろうか。
ただし、昨年のようには食べさせてもらえずに、猫用の「小魚」がすぐ前に山と積まれるばかり。
相変わらず小魚の頭を残しているので、吾輩が去った後には、頭の山ができた次第だった。
昆布巻きが登場してきたときにも、猛烈に興味がわき、においを嗅ぐだけではおさまらなくて、さりげなく表面を舐めてみる。
勿論、すぐさま取り上げられはしたけれど、味付けの濃さは十分に分かった。
シャケが巻いてあったことが、興味のわいた原因だったと思う。
おとといはまた、吾輩だけに特別、マグロの赤身が提供された。
お正月っていいもんだにゃあ、とご機嫌だったところが、刺身に強い筋があり、これが喉に引っかかってしまって、ゲボしたのだった。
嗚呼、勿体にゃい。
それで昨日は、おばさんが赤身に包丁を入れ、細かくなった状態にしてもらって、大満足!
食べ物の話ばかりしてしまって恐縮ですが、本年もどうぞよろしくお付き合い願いますにゃ。


第58回 (2011.01.20)

今日は大寒である。
寒いところよりも暖かいところを選ぶには違いないものの、猫の中にあっては寒さをそれほど苦手にしていない吾輩。
窓を開けてもらって冷たい空気が流れ込むことなどお構いなく外を眺めていたり、冷え冷えとしたトイレに相も変わらず入って行ってトイレットペーパーをおもちゃにしたりしている。
トイレットペーパーについては前にも書いたが、おばさんの作戦で、うちのトイレにはトイレットペーパーがセットされていない。
セットされているのは、紙を使いきった後の芯だけ。
トイレットペーパーはと言うと、その下に予備のためにぶら下げられた布の中に安置された状態なのだ。
おばさんたちは、必要が生じた際、その都度取り出し、自分で要るだけ巻き取って使用しているのだとか。
ところが、そうしたところで吾輩には通用しない。
からから回るだけの芯などには目もくれず、その下のトイレットペーパーを必死に相手にしているのである。
同じところばかりが破れ、抉れて、無残な状態になってしまった。
抉れると言えば、建具の桟やうちの柱も相当に抉れている。
廊下を一目散に走り回ると、なぜかその直後、そのとき手近な建具の桟もしくは柱など垂直になったもので爪磨きをしないと落ち着かないのだ。
垂直になってさえいればいいので、おじさんの足で爪磨きをしかけ、すぐさま「痛たた!」とその足を引っ込められた、なんてこともあった。
この前の日曜日、月曜日と、こちらでは珍しく、積もるほど雪が降った。
これだけ降り積もるのは珍しいし、二日降り続けるのも珍しいのじゃないかと、おばさんたちが話していた。
見渡す限り、白一色の世界。
庭の石も木も、塀も、道路も、向かいの車庫も庇も屋根も・・・。
その月曜日の朝、うちの中でまで同じ光景を目にしたのは、おじさんだった。
2階のトイレの中。
散り散りになったトイレットペーパーの白いくずが、敷いてあるマットが見えないくらいに降り積もって(?)いた次第。
降らせた雪雲が誰か、勿論、お分かりですね。


第59回 (2011.02.26)

気がついたら「猫の日」が過ぎてしまっていたが、春になりかけているからか、またぞろ猫を見かけることが多くなってきている昨今である。
先日は、白黒がうちの玄関前でのんびりとしていた。
ちょうどそこにおじさんが帰ってきたのだが、人懐っこい性格らしくて、逃げるどころか、おじさんに甘えでもするように、その場で仰向けになってころころ転がり、とびきり可愛く「みゃあみゃあ」鳴いたのだ。
子猫のような声だったが、吾輩は騙されない。
小柄は小柄だが、もう十分に大人の猫なのである。
しかしながら、おじさんは簡単に騙され、「どしたの?」「行くとこないのか?」などと優しく声をかけている。
放っておこうものなら、うちの中にまで招きかねない様子だった。
別の日には、顔だけ黒い白猫がやってきていた。
そのときもやっぱりそこにおじさんが帰ってきたのだが、白黒と違ってちゃんと逃げたものの、おじさんがうちの中に入ってしまうなり、すぐにまた現れ、しかも縁側で一部始終を目撃していた吾輩に近づいてきたのだ。
真正面から見ると狸のような顔をしていて、愛らしく見えないこともない。
しばらくは話し相手になってやった。
たまたま近所の人の話を聞いてきたおばさんが言うのには、白黒のほうは、親子なのかきょうだいなのか、そっくりなのがもう1匹いて、よく一緒にいるし、2匹とも人間が近寄っても全然平気でいるのだとか。
吾輩にはとてもじゃないが真似できないにゃあ、と思いながら聞いていた。
ところで、おばさんが、やっとトイレットペーパー用の入れ物を買い込んできた。
布製の四角い箱で、同じく布製の、載せるだけのフタがついている。
早速、1巻入れてトイレの隅に置かれた。
その日、帰ってきたおじさんに報告しながら「こんなのなんだけど」とトイレに向かったおばさん。
おじさんが後を追う間もなく「わ、やられてる」と悲鳴を上げることに・・・。
時間にしてどれだけ持っただろうか。
そう言えば、吾輩が以前相手にしたトイレットペーパーが1巻、廊下に転がっている。
どうせびりびりにされたものなら吾輩のおもちゃに、と考えてのことだろうけど、そうは猫だって問屋が卸さない。
いたずらしてる、悪いことをしてる、から面白いのであって、さあ、どうぞ、では・・・。
トイレにはその後、プラスチック製で引き出し式のケースが用意されて、そう、本日をもって3日目になろうか。
あまりにも呆気なかった布製に比べれば、よく頑張っているけど、ま、そのうちにまた、おもちゃにしてやろうと、タイミングをみているところである。


第60回 (2011.05.11)

流れるように時間が過ぎ行き、はや5月ではあるまいか。
うっかりしてこの『吾輩』を書かずにいるうちに、季節がすっかり変わってしまったが、吾輩は相変わらずの毎日を過ごしている。
おばさんたちの食卓にまだ鍋物が出ていたころには、料理をし始めて土鍋に水を張ったおばさんがちょっと目を離した隙にその水を飲んでいたり、土鍋に入れられた昆布をおもちゃにしていたり・・・。
おばさんが食事の用意を始めるたびに、台所におじゃまをするので、じゃまされたくないおばさんが、カリカリだったり、カマボコだったり、吾輩の口にできるものをくれる。
それで一応は食事を済ませたはずの吾輩にもかかわらず、おばさんたちの食事が始まると必ず食卓に上がり込み、ご相伴にあずかることになるので、「さっき食べたでしょ!」と叱られるが、勿論、お構いない。
そうして得られる食べ物がマグロの赤身だったりすると、完全に自制心がなくなる。
細かくして与えようとしているおばさんの作業がまどろっこしく思えて、ついつい自分の右前足で手出し(?)してしまうほどなのである。
場合によっては、差し出されているおばさんの手ではなく、直接小皿に向かい、細かくされる前の赤身をさらったり、それを注意されたり、取り返されたり・・・。
また、ガツガツと慌てるあまり、赤身の筋が引っかかるのか、ゲボしてしまったり。
ゲボすると余計に、スジをとことん取り除いたり、さらに細かくしたりしないとくれなくなってしまい、吾輩、待ちきれなくて騒いでしまう、という悪循環。
大騒動なしに食事が済んだためしがない。
おばさんと違ってお尻の重いおじさんを遊び相手に誘うときも、大騒動する。
先に食事を終えた吾輩が腹ごなしに走りたくなって誘うので、おじさんは大抵まだ食事の真っ最中。
おじさんのすぐそばに近寄り、ジーッと目で目を見つめてやると、「こっちはまだご飯なんだからさあ」と渋っていながらも、結局のところ、「仕方ないなあ」となり、おばさんも「1回だけ走ったって」と援護してくれて、吾輩とおじさんの追いかけっこが始まる次第。
走ると言えば、おばさんが足首を怪我して、何針か縫った。
しかも、それでも治らなくて、縫い直しになったそうな。
吾輩を追いかけて走った所為かもしれぬが、おばさんの老化の所為ということにしておこうか。
まあ、そんなこんなで、吾輩、本日で満3歳である。




吾輩は和茶であるTop 第1回〜第10回 第11回〜第20回 第21回〜第30回 第31回〜第40回 第41回〜第50回 第61回〜第70回 第71回〜第80回 第81回〜第90回








HOME プロフィール 点訳データリスト 点訳所感 点訳雑感 だれかおしえて 掲示板 「みずほ流」点訳入門教室 談話室 図書閲覧室 阿茶 和茶 リンクリスト