秋になったと言っても、やんちゃなのは変わりなく、階段や扉の陰に隠れていて、おじさんたちが通りがかるのを辛抱強く待っては、ワッと驚かして面白がっている吾輩である。
おじさんが事務所に出勤するため、洗面所で歯磨きをしていたときのこと。
歯を磨き終わって口をゆすぐたび、真ん下にいた吾輩の頭上にネクタイが近づいて来る。
思わず飛びついて、ぶら下がってしまった。
別の日には、おじさんがまだ歯磨き中なのに、洗面所の扉を閉めてやった。
どちらの際にもおじさんが、口を泡だらけにしたうえに、泡を食っていた。
猫砂トイレを掃除中のおじさんの、まるくなった背中に乗っかったこともある。
びっくりしたようだったが、そのままの姿勢を保ち、掃除を続けていた。
また、猫砂を補充しようとしたおじさんが奇声を上げたこともあった。
猫砂の入ったビニール袋を持ち上げた途端、ザーザー音を立てて猫砂がこぼれ落ちたのだ。
袋の角っこに齧られたような穴があいていたとか。
たしかにこの吾輩、身におぼえがある。
猫じゃらしは今や、おばさんたちを相手にして遊ぶもの、という認識なので、ひとりでは遊ばなくなっているし、おばさんしかいない平日のお昼は、吾輩を牽制する人間がいないので、やりたい放題。
そばの日からずっと、おばさんは駅の立ち食い状態でお昼を済ませている。
カーテンを伝って高い場所に行きたがるのも相変わらず。
阿ん茶んが7年間いて無傷だったカーテンが、吾輩が来て、たった2ヶ月でひどいものになってしまった。
この前は、そうやってカーテンレールの上でもそもそ動いているうち、そこに引っかけてあったハンガーに、タオルのように吾輩がかかってしまう図となった。
さすがの吾輩も自分ではにゃんともならず、見るに見かねたおばさんに助けられたのだった。
わちゃー。
水がへっちゃらな吾輩だけに、台所でも、ちゃんとやんちゃをしている。
鍋や笊の中に入ってみたり、シンクに腹這いになったりして、おばさんを困らせているのだ。
鍋や笊は再度洗い直すことになるし、シンクから出た後の足先はべちょべちょで、どこに行こうが迷惑をかけることになる。
そうしたべちょべちょ足のままダッシュしたときなどは、カーブで滑ってしまうのでおばさんの失笑を買うが、構ってなんか
いられない。
強引にバタバタしながら走っている。
台所ではまた、ある朝のこと。
ガス台とシンクの間の平らなところに、おじさんの弁当が冷ましがてら広げてあるのに気づき、もやしや人参を周囲に散らしつつ、鶏の唐揚げに顔を突っ込んだことがあった。
そこで、おばさんに見つかったので、何も食べてはいない。
・・・ということにして、おじさんはそのまま弁当を持ち、事務所に出かけて行った。
聞けば、阿ん茶んも同類の事件を起こしたそうな。
おばさんたちが妙に懐かしんでいた。
吾輩にちょろちょろされるとどうしても不都合な場合、おばさんたちにとっての最後の手段で、部屋の仕切りを閉められるのだが、にゃあにゃあ大騒ぎするか、仕切りの扉や障子に飛びつき、スパイダーマンのようによじ登ることにしている。
そうすると、おばさんたちが飛んでくることになって、結局、仕切りを開けさせることができるのだ。
特に、食堂と台所とを仕切っている扉は磨りガラスなので、大好きな台所に行きたい吾輩がスパイダーマンしていると、調理しているおばさんからは、まる見え。
上手に扉を揺さぶられて、落とされてしまう。
こんな吾輩が少しはおとなしくならないだろうか、ということで、おじさんが爪を切ろうと近寄ってきた。
現実的な問題としても、爪が短くなってしまえば、スパイダーマンがしにくくなる。
吾輩を抱えるようにしたおじさんと、そこから逃れようとする吾輩が、揉み合いを続けること数分。
結局、7本ほどの爪の先が切り落とされた。
まあ勿論、吾輩は、少しもおとなしくなんかなっていないし、スパイダーマンも至って健在である。
おばさんが言い出して、吾輩の体重が測定されることになった。
まず体重計におじさんだけが乗る、次におじさんが吾輩を抱えて乗る、その差し引きで2・5kgと計算された。
なにぶん0・5kg単位でしか測れず、しばらくの間じっとしていないと測れない体重計なのである。
その直後、おじさんの真似をして吾輩がひとりで体重計に乗り、ポンと降りたら、ちゃんと数字が示された。
しばらくの間じっとしていたことになるわけで、そのことにおばさんたちが驚いていた。
数字はやはり2・5kg。
約2ヶ月前に測ったときよりも1・0kg増えた。
そうして大きくなったからか、単におじさんの気まぐれからか、ひさしぶりに窓を開けてもらえた。
すぐさま窓辺に駆けつけた吾輩の耳には、ピアノを練習する音が聴こえてくる。
と、目の前の電線にスズメが並んで止まっているのが見えた。
吾輩が数えたところでは、おそらく15羽くらいか。
きちんと数えられるのを阻止するように、スズメが、電線から離れては違う場所に止まる、というのを交替で繰り返しているので、確かな数字は分からない。
ところで、吾輩はもう、ガラス窓と網戸との隙間に入ろうとはしなかった。
これが1・0s分の成長かもしれない。
以前、体が大きくなったことで、キジトラのはずの横腹の縞がサバだとバレた吾輩であるが、今度は、尻尾の手抜きがバレてしまった。
吾輩が正座している分には、きちんとしたキジトラ模様を、誰も疑わない。
ところが、そうした尻尾を裏返すと、キジトラ模様が表だけだと分かる。
裏は、薄茶色のような肌色のような色合いの無地なのだ。
また、おばさんの意識に「たぬき」が浮上しているに違いない。
まあ、手抜き模様の尻尾ながら、その長さについては、長いのが特長だった阿ん茶んよりもさらに長いと、おばさんもおじさんも認めている。
吾輩がみなさまに自慢できる、数々の(?)チャームポイントのひとつ、ということにしておこう。
おじさんの歯磨き中に、またまたおじゃましてしまった吾輩である。
おじさんは正面の鏡に向かって歯を磨いており、その隙に吾輩が洗面台に飛び上がり、中にすっぽり収まったので、口をゆすごうとしたおじさんが、ゆすぐにゆすげない。
泡だらけの口でおばさんに助けを求めても、ちゃんとした言葉にならない。
呻いているうちに口から泡がこぼれ落ち始め、そこでやっとおばさんが登場し、吾輩を洗面台から抱き上げる。
ようやく口をゆすぐことのできたおじさんから事件の経緯を聞かされ、吾輩に付いた泡をタオルで拭き取ってくれて、一件落着となった。
ちょっと前からは、また、どういうわけか、おじさんの足首から先が気になって仕方ない。
おじさんの周囲をちょろちょろしていて、突然、その足首に抱きつき、爪を立てたり、噛んだりして攻撃してしまう。
勿論、おじさんは痛がって反撃に出てくるのだが、そこは吾輩も考えていて、食器を運んだり洗ったりして手の塞がっているときに仕掛けるのだ。
さすがに両足同時には攻撃できないが、吾輩から逃げようとしたおじさんが左足を上げれば右足を、右足を上げれば左足を攻撃するので、おじさんはタコ踊りのようになってしまう。
おばさんは傍で笑っているばかり。
そんなおばさんを大いに困らせることを、つい先日、仕出かしてしまった。
夕食を終えて食器を洗っていたおばさんの、水を使う音に引き寄せられるように、吾輩がまたまた台所を覗く。
当然おとなしくなんかしていないので、おばさんは少しでも早く洗い終えようと必死になっていた。
洗い終えた食器は、次々に笊の中に伏せて積み重ねられる。
吾輩、その笊に前足をかけて乗ろうとし、そこで一瞬、時間が止まった。
「ガチャン、ガチャン、ガッチャーン!!!」
笊が引っくり返り、中の食器が飛び出るや、猛烈な音を立てて床にぶつかり、お皿が何枚も割れて、台所中に飛び散った。
吾輩は一目散に逃げ出したので、後のことはよく分からないが、おばさんが片付けをし、その後ろでおじさんがおろおろしていたようだ。
さすがにマズイと思った吾輩、すぐには戻れなかったが、犯人は現場に戻る、と言われる。
きれいに片付いた頃合いを見計らって、何食わぬ顔をして戻り、懲りることなくシンクに入り込んだのだった。
上昇志向という言葉がある。
吾輩の好きな言葉であるが、立派な猫になろうとか、もっといい暮らしがしたいとか、という意味では使っていない。
言葉のまんま、上のほうが気になって、やたらによじ登りたがる性質のことである。
カーテンにぶら下がった挙句、上に上に伝って窓の桟まで行ったり、仕切られたガラス扉にスパイダーマンしたり、なんていうのは、まさにそれ。
最近では、障子や襖にまでよじ登るようになって、破いたり、穴をあけたり。
おばさんたちを苛々させている。
壁際にいても上ばかり気にしていたら、壁にちびっちょの蜘蛛がいた。
わっ、わっ。
これはお互いに驚いたかもしれない。
吾輩は垂直飛びをして捕まえようとする。
蜘蛛はちょこちょこ動いて微妙な距離をとる。
捕まえるのに失敗した吾輩は、跳躍力を増して、より高く垂直飛びする。
蜘蛛はさらに上に動いて難を逃れる。
こうしたやりとりを、おじさんにしっかり目撃されてしまった。
大おばあさんの部屋と呼ばれる場所があり、そこは今までずっと閉め切られていたのだが、部屋の存在を確信し、そこの襖にスパイダーマンしてしまう吾輩に、これ以上は対応できないと考えたものか、最近になって開放され、早速、吾輩は入り浸っている。
それで今朝のこと。箪笥の上を歩いていた吾輩がうっかりと、裏側の、猫の分しかない隙間に落っこちてしまったのだった。
物音を聞きつけたおばさんがすぐ来てくれたものの、箪笥を動かさないことには救助ができない。
事務所に出かける直前のおじさんまで巻き込んで大騒動し、どうにか吾輩、隙間から生還することができた。
おばさんに促されて、おじさんに「ありがとう」をしたときの顔は、吾輩にはめずらしく反省顔だったそうな。
上昇志向もいいけれど、下にも気を向けないと思わぬ事態を招く、というお話。
猫としては、何ともはや、お粗末でした。
昨夜のテレビ番組で、スナドリネコという猫が特集され、放送されていた。
なんでも、水が得意、泳ぎが得意とかで、水中の魚をとって暮らしている野生の猫だそうだ。
番組の取材班は、スリランカで撮影に成功していて、入り江からすぐの水溜まりで、潮の満ち干をうまく利用して漁をするところが、ばっちり記録されていた。
さて、かく言う吾輩。
どうやら、このスナドリネコの血筋なのではあるまいか。
おばさんたちといっしょに放送を見ていて、つくづくそう思った次第である。
まずは、外見。
目と目のあいだが些か開いている、この顔つきから、キジトラのはずの縞模様が体の後方に行くほど切れ、点々になってしまっている体つきまで、その色合いとともに、とても他人とは思えなかった。
そして、最大の特徴である「水が得意」という事実。
読者のみなさまは、すでにご存知だと思うけれど、猫の概念を覆すように、吾輩、水が大好きなのである。
最近、特筆すべきはお風呂である。
おじさんが入浴しているところにおじゃまして、湯船につかっているおじさんになど構わず、半分になったフタの上に乗り、前足を伸ばしてお湯をかき回すのだ。
寒くなったこともあって、お湯の温かさが実に気持ちいいのだが、この仕草が、番組の中の、スナドリネコがざぶざぶと魚を前足でつかみとるのによく似ている、とおじさんの言。
まあ、まるまるスナドリネコではないにしても、2分の1か、4分の1か、8分の1か、16分の1か・・・という具合に血が流れていることは間違いないような気がする。
番組の最後に、上手に泳いで入り江を渡って行くスナドリネコが映されていたが、吾輩もそのうち、うちのお風呂で泳ぐかもしれない。
童謡に、猫はコタツでまるくなる、と歌われているそうだが、コタツが出されたかどうかといったこの季節には、おばさんたちの膝の上なり、ふとんの中なりにおじゃまして、まるくなるといいようである。
阿ん茶んがそうしていたらしい。
で、吾輩も、時々ではあるが真似をするようになった。
実は吾輩、猫にしては些か変わり者らしい。
「寝る子」から「ねこ」になった、と言われるほど猫はよく寝るはずなのに、ちっとも寝ないのである。
どうしても阿ん茶んを引き合いに出してしまうが、おばさんたちの話だと、寝てばかりいて、夜行性であるべき夜間でさえちょこちょこ寝て、熟睡しようものなら、ちょっとやそっとの物音では起きなかったそうだ。
ところが、この吾輩は真逆。
ほとんど寝なくて、夜行性であるべき夜間も寝なくて、熟睡なんてとんでもない。
寝たように見えても、本をめくる程度の物音で起きてしまうのである。
さらに言うと、散々遊んだ末にようやく寝たと思ったら、そんなに時間が経っていないのに、微かな物音で起きるなり、エンジン全開になる。
驚異的な馬力というか回復力というか、計り知れない体力を持っているのだ。
こうした吾輩でも全然寝ないわけではないし、こうした吾輩だからこそ、いざ寝るとなると、まるでスイッチが切れたかのように、切れたその場で、突然、すこんと寝てしまう。
走り回っている廊下の途中であろうが、乗ると叱られる食卓の上であろうが、場所はお構いなし。
先日などは、おばさんたちが見ている目の前、まさにその食卓の上で、床からポンと飛び上がった体勢のまま、大の字に伏せて寝てしまった。
あまりにも突然のことで、おばさんたちが叱る間すらなかったのだ。
最初の話に戻るけれど、そうして膝の上やふとんの中でまるくなったときにも、生来の落ち着きのなさからか、じっとはしていない。
自分の尻尾がおもちゃに見えてしまって捕まえようとし、前足を伸ばせば伸ばすほど尻尾が逃げてしまう。
同じ場所でくるくる、くるくる、回り続ける吾輩であった。
おばさんたちがキャットタワーなるものを買い込んできた。
これは、室内飼いの猫に、よりたくさん遊んでもらおうと考案された、猫雑貨としては定番のもの。
勿論、いろいろなタイプがあり、おばさんたちが買ってきたのは、棚板が3枚、支柱が3本のものだった。
支柱は爪磨きができるようにもなっていて、早速、真ん中の棚板に乗せられた吾輩がバリバリ引っ掻いたら、おばさんたちがにんまりしていた。
ただし、キャットタワーそのものに馴染むまでには些か時間を必要とした。
棚板に乗せられても、すぐに飛び降りて、そのへんを走り回り、依然として障子や襖にスパイダーマンしてしまうのだ。
そうは、おばさんたちの思惑どおり遊ぶわけにいかない。
そこで、おばさんが一計を案じた。
すでに先が壊れ、もじゃもじゃの代わりに紐が括り付けられた猫じゃらしを、棚板からぶら下がるようにセットしたのだ。
功を奏して、ちょくちょく遊びに寄っている。
遊ぶと言えば、やはり最近になっておばさんが買い込んできたもので、うちでタコじゃらしと名付けられたおもちゃがあり、これで吾輩、思いきり遊んでいる。
猫じゃらし同様、おばさんたちが棒を振ることで、吾輩がじゃれるものだが、棒の先にもじゃもじゃではなく、ゴムひもが取り付けてあり、その先にタコに似た人形がぶら下がっているのだ。
何でできているのか芯が硬くて、そこそこ重みがあるので、振り回されると、ゴムひもが面白いように伸び、タコが顔に当たろうものなら結構痛いのだが、喜んで飛びついてしまっている。
猫じゃらしは、と言うと、前にも書いたとおり、最初のはとっくに壊れてしまい、その後、5本ほど買い足されたものの、どれもこれもすぐに駄目になる。
吾輩の遊び方が過激な所為だが、実は、1本だけは経緯が違った。
吾輩の相手をしていたおじさんが、吾輩以上に過熱して振り回した挙句、折ってしまったのだ。
さて、おばさんたち、次は何を買い込んでくるのかな?
キャットタワー然り、タコじゃらし然り、今や吾輩は何でも来い!といった感じで、楽しみにしている。
何年か前からだそうだが、おばさんが趣味でトールペイントを続けていて、うちの中には椅子や小箱など、いくつも傑作(?)が見られる。
ただし、吾輩が来てからというもの、他ならぬこの吾輩が原因で、なかなか作業が進まないと、おばさんは結構、深刻に悩んでいるようだ。
そもそもは、太いのやら細いのやら、何本もの筆が突っ立っていた入れ物を吾輩がまるごと倒してしまい、倒れた筆を転がしたり、筆の先に噛みついたりして遊んだのが、事の始まり。
おばさんは仕方なしに、吾輩用にと、いちばん古ぼけた感じの細筆1本を与えてくれた。
また、おばさんが筆を洗おうものなら、そのジャバジャバという音に、吾輩のスナドリネコの血が騒ぎ始めて、ちょっかいを出さずにはいられなくなる。
絵の具にしたって、横にすれば転がるようにできているので、吾輩が相手にしないわけがない。
そんなこんなで、おばさんはトールペイントを始めても、吾輩の姿を目にするなり、とっとと片付ける他なくなってしまうのだ。
先日も、おばさんがトールペイントを始めたものの、嗅ぎつけた吾輩がすぐおじゃまに参上。
おばさんは大慌てで片付け始めた。
絵の具を洗い落としてからでないと片付けられないパレットは、とりあえずと、吾輩の行動範囲を超える場所、食器棚の中ほどの凹んだ部分に、ポンと置かれた。
そしてどうも、そのまま置き忘れられた。
しばらくして、おばさんが騒ぎ始めた。
台所の床に点々と、絵の具による猫の足跡が付けられていたのだ。
おばさんの見込みは違って、食器棚の凹んだ部分も吾輩の行動範囲内であり、絵の具の乾く前にちゃんと、不肖吾輩がパレットの上を歩いたのである。
おばさんが吾輩を探しながらやって来た。
吾輩はおじさんの膝の上。
話を聞いたおじさんが、吾輩の足の裏を確かめる。
右の前足の裏にベッタリと赤、白、黄色の絵の具が付着していた。
「チューリップだな、まるで」と暢気なおじさんの言。
おばさんが雑巾で拭いてくれたものの、アクリル絵の具とかで、なかなか落ちなかった。
トールペイントにはいろいろな画法があるらしいが、新しく、猫の肉球点描法「キャットール」とでも名付けようか。
今年が、あと何時間かで終わる。
吾輩にすれば、生まれ年であり、感慨深い。
おばさんたちが動物愛護センターにはじめて来て、吾輩がきょうだいや他の猫たちと暮らしていたケージの前に立ったとき、なぜか吾輩だけが、おじさんに向かって無性に鳴いてしまった。
自分でもよく分からないけれど、前世で何かおじさんと関わりがあったのかもしれない。
何れにしろ、吾輩のこの鳴き声が、吾輩とおばさんたちの運命を変えたことは間違いないと思う。
そうした鳴き声すら立てる間のないようなことが、数日前にあった。
その日の前の晩から、すべてのカリカリが片付けられ、妙だな、とは思っていたのだが、朝になったのに、おばさんたちまでが食事をしない。
ご相伴にあずかることもできない。
と、突然、キャリーバッグに押し込まれてしまった。
おじさんが向かった先は、前に一度行ったことのあるツジカワ犬猫病院だった。
先客が何匹もいたが、真っ黒な大きいヤツからギョロ目の小さいヤツまで犬ばかり。
猫は吾輩だけだった。
それで、ずいぶん待たされている間も、鳴くことを忘れていて、心配したおじさんがキャリーバッグを覗いたくらいだった。
やっと呼ばれて診察室に入ると、目の前には流暢先生。
診察台が体重計になっているので、すぐに3・90kgと計測される。
ちょうどいいくらいの体重だとか。
流暢先生が吾輩の体調を聞き、おじさんが問題ないと答えている。
たしかに吾輩は元気そのもの、問題なんてあるはずがない。
じゃあ、なんで病院になど連れて来られたのかな?
ここで、おじさんだけが帰らされ、吾輩の記憶も飛ぶ。
気がついたときには、冬至が過ぎて日が少しずつ長くなっているのを感じるくらいの時刻になっていた。
再び病院にやって来たおじさんに、流暢先生が、「血液検査の結果も問題なく、手術も問題なく済みましたよ」なんて、報告をしている。
どうやら吾輩、手術をされたらしい。
そう言われてみれば、タマタマのあたりが・・・。
というわけで、吾輩、新しくなって(?)新年を迎えることとなった。
「変」な年とされた今年。
来年はチェンジして、よい年になるといいにゃあ。
みなさまも、よいお年を!