「みずほ点訳」ホームページ

 吾輩は和茶である 




第41回〜第50回



和茶
「お箸も、うまい!うまい!」
右前足で持った菜箸に齧りついている和茶。
台所での恍惚、その二。




第41回 (2009.9.12)

冷夏だった夏が、それだからか早々に終わった感じで、今はもう秋めいている。
吾輩はと言えば、子猫だった昨夏とは違った過ごし方をしていた。
冷蔵庫というものの能力に気付いてしまい、おばさんが扉を開けるたびに、その足許に急行。
こぼれてくる冷気を楽しんだ。
さらには飛び上がろうと構えたが、さすがにそれは阻止される。
その冷蔵庫から取り出されたミネラルウォーターを、おばさんが自分のコップに注ぎ、冷蔵庫に戻している隙を見て、吾輩が先にコップからご相伴にあずかる。
最初は舐めている途中でおばさんに振り向かれて見つかり、次は突っ込んだ前足の水っ気を払っているところを見つかった。
さて、最近の話をしようかにゃ。
おばさんが木工用ボンドを使用中に、すかさず近寄った吾輩。
ボンドの口から刺激的なにおいがするので鼻先を持っていったところが、これが見事にくっつき、舐めとろうとしてもペチャペチャ粘って大変だったのである。
気付いたおばさんが雑巾で顔をよく拭いてくれて事無きを得た。
また、台所の出窓で外を眺めていると、東隣の朝潮さんちのブロック塀の上を、痩せた茶トラ猫が悠然と歩いて行くではないか。
吾輩のことは完全に無視!吾輩、もう目が点であった。
さらには、座敷のほうでも猫の気配。
姿は見えぬが、間違いなく感じる。
と、思っていたら、縁の下から別の茶トラがのそのそ出てきた。
尻尾の先だけペンライトを点したように白い猫だ。
にゃあにゃあ鳴いてやったが、それほど効き目がなく、うちの周囲をいつまでも、うろついているようだった。
猫も涼しくなって、活動再開なのかも?
これからはまた食欲の秋。
ところが吾輩、ダイエットなのだとか。
おばさんたちがそう話しているのを小耳にし、ぞっとしている今日このごろである。


第42回 (2009.9.27)

一週間ほど前からか、うちにキジトラの猫の母子が居着くようになった。
勿論、誰の許可も無しにである。
最初に気づいたのは吾輩であり、その夜、庭に現れた彼女たちに対して、縁側から「にゃあにゃあ」鳴いてやった。
普通の「にゃあ」ではなく、変な声での「にゃあ」である。
あんまり鳴き続けたので、おばさんが心配してやって来てしまった。
「和茶くん、どうしたの?」 吾輩の目線をたどって庭に顔を向けたおばさんだったが、おばさんの目には猫を見つけることができず、石ころみたいな黒い影に、あんなところに何だったっけ?と思っただけで、確認もしなかったようだ。
これが実は子猫だったのである。
次の日の朝、おばさんは新聞を取りに出て、ポストの横の雑草の陰にいる母子を見つける。
子猫はすぐに逃げ出し、母猫は威嚇してくる。
それから毎朝、同じパターンが続けられているそうだ。
そしてある日おじさんも、帰宅した際に庭のこちらに母猫、あちらに子猫がいるのを目撃したそうである。
当然のことながら、彼女たちは外を自由に行き来していて、東隣の朝潮さんちのブロック塀の上も平気で歩いている。
子猫はひょこひょこ逃げるように・・・。
母猫はおばさんのかけた「おいおい」という声に立ち止まり、じっとこちらを見た後すたすたと・・・。
そして、うちの中から眺めるしかない吾輩は、台所に行ったり、縁側にまわったりしながら、まるで落ち着かず、そわそわした毎日を送っている。
彼女たちが縁の下に入ろうものなら、うちの中で唯一、縁の下を覗くことのできる場所、洗濯機の横の壁の低い位置に設けられた、風通しのための窓の前に行き、阿呆みたいに眺め続けることになるのである。
向こうも、警戒しながら吾輩を見ているような・・・。
母猫といっても、吾輩の半分くらいしかない。
吾輩のような複雑な模様ではなく、きれいなキジトラ。
目が吊っていて、愛嬌のある顔ではない。
子猫を抱えて毎日が必死なのかもしれないが・・・。
その子猫は尻尾の先の見事な縞模様が印象的。
蜜蜂のお尻のようである。
「マーヤ」とでも名前をつけてやろうか。
今後どうなるのか分からないが、当分はこの母子に悩まされそうな吾輩である。


第43回 (2009.11.22)

光陰矢のごとく、ふた月も過ぎれば、周囲の状況だって変わろうというもの。
茶トラの猫たちもマーヤ母子も居なくなってしまい、今は落ち着いて暮らすことができている。
そして、この間には、いろいろなことがあった。
数週間前のこと。
帰宅したおじさんが、使用した傘を乾かすつもりか、玄関に広げた状態で置いていたのである。
これが吾輩の興味をそそった。
すぐにその傘のまわりをめぐるうち、どういう具合だったのか吾輩と傘が絡まって、慌てた吾輩がどたばた逃げ出した結果、傘は見事に壊れてしまったのだった。
これも何日も前のこと。
箪笥の扉が少しだけ開いていたことから中に入り込む。
そこは、上からおじさんのカッターシャツがぶら下がり、下は畳まれたタオルが積まれた場所。
勿論、吾輩はタオルの上に居心地よく落ち着いた。
しばらくしておばさんに見つかってしまったが、何枚ものカッターシャツの裾の間から顔だけ覗かせた吾輩が猛烈にお茶目に見えたそうである。
おばさんがサラダにアボカドを使った翌日からは、お気に入りのおもちゃがひとつ増えた。
アボカドの種だ。
大きさといい、重さといい、硬さといい、丸さといい、実に手頃。
転がしたり、噛みついたり、くわえて運んだりして遊んでいる。
また、おばさんが教育テレビ「きょうの料理」という番組にチャンネルを合わせたときのこと。
画面いっぱいに調理中のフライパンが映し出され、料理する先生の動かす菜箸が、焼き上げられつつある鶏のもも肉を、右に左に忙しなく転がしているところだった。
吾輩はと言えば、食事中のおばさんたちのじゃまをしないよう食卓から少し離して置かれた吾輩用の長椅子に、すでに散々じゃまをし終えて優雅に寝そべっていたのだが、テレビ画面が目に飛び込んでくるや、じっとなどしていられなくなってしまった。
即座にテレビのすぐ前に移動。
おばさんが「和茶くん、テレビが見えない!」と声を上げるのを完全に無視してそこに陣取り、画面の中の菜箸をつかまえようと前足を繰り出し続けたのである。
が、どうにも上手くつかまえられない。
立体感がない。
思わずテレビの上に乗っかって裏側を調べたり、画面を上からなぞったりするうち、画面が切り替わり全然違う場面に。
そこで、テレビごと倒れるのを心配したおばさんに抱え降ろされたのだった。
気温が下がってきて、おばさんのふとんにもぐり込むようになった吾輩でもある。
その一方、おじさんの寝入りばなを狙って襲撃するのが病みつきにもなっている。
足を突いたり、ふとんの上からおじさんに乗っかったり。
それで眠りを邪魔されるおじさんは半分寝ぼけながら憤慨しているが迫力がない。
そんなおじさんが風邪を引かないよう祈りつつも、遊びが優先の吾輩。
襲撃をやめることは当分なさそうだ。
新型インフルエンザというので騒がしい昨今。
なんでも海外では猫にも感染したのだとか。
吾輩も勿論だが、みなさまもどうぞお気をつけて。


第44回 (2009.12.30)

今年も、あと何時間か、すぐに計算できるくらいになった。
吾輩にとっては切腹までした忘れられない年のはずが、そういうことがあったなんて忘れたような毎日を送っている。
毎度の話だが、おばさんたちが食事を始めると食卓に上りたくて仕方がない。
そういう気持ちが以前より激しくて、隙あらばという感じ。
それを阻もうとするおじさんとの攻防でも、降りるような顔をしてみたり、逆からまわってみたり、しつこさを発揮したり、テクニックを駆使している。
むしろ、おじさんのほうが毎度同じで能がない。
最後にはキリキリするばかりだ。
その点、おばさんは根気がいい。
吾輩に向かって綿棒を繰り返し繰り返し投げるので、相手をするうちに吾輩も両手、つまり左右の前足を使って受け取る技術が身についてしまった。
きちんとキャッチする確率が今のところ五割くらいなので、この精度がもっと高くなったらテレビに出ようかという話もあるとかないとか。

さて、大掃除はお済みですかにゃ。
うちも、ちょっと前から始めているようだ。
神棚を下げて磨いていたおじさんの目の前で、その神棚の上に乗っかったら大声で叱られたのだが、おじさんが「これで神仏完全制覇だなあ」と言うと、「仏壇の上を歩いたのは阿茶だったよ」とおばさんから訂正されていた。
吾輩がまだ仏壇の上に乗っていないのは、うちの七不思議らしい。
障子を掃除していたおばさん。
下部が磨りガラスになっていて、そこを雑巾で拭き、反対側にまわったところで、吾輩が登場したのである。
その磨りガラスを通して見える動く雑巾に合わせて、吾輩も前足を動かす。
拭かれたばかりのガラス面が足跡だらけとなってしまって、おばさんが呆れていた。
吾輩が久しぶりにカーテンレールの上に乗ったので、レールが壊れないか心配されるわ、バケツに前足を突っ込んで水を撥ね飛ばすので、バケツの周囲が水浸しになるわ、掃除機が働き始めるや逃げ出すわ・・・。
大掃除も吾輩なりに、しっかり手伝った・・・つもり。
何はともあれ、今年もお世話になりました。
みなさま、よいお年を。


第45回 (2010.1.6)

新年あけましておめでとうございます。
・・・という挨拶が、2回目となった吾輩である。
今年はトラ年。
一応吾輩もキジトラなので、年男ということにしておきましょうかにゃ。
さて、昨年同様、おばさんたちのおせちのお裾分けをしてもらって、お正月を過ごした。
なかでも田作りが登場するや、落ち着かなくなってしまった吾輩。
おねだりし倒して、もらうのに成功し、満足するまで離れなかったので、結局、おばさんもおじさんも口にしていないのではあるまいか。
元日から3日間、吾輩ひとりですべての田作りを平らげてしまったように思う。
田作りだけで十分に、お正月を満喫したと思っている。
それで危機感を持ったのか、4日以降のために猫用の「小魚」の用意がされたようで、よく似てはいるけれども、些か違うものがお皿に載せられる。
気がついてはいたものの、これも吾輩の口に合ったので、問題にはしない。
3日の夜のおばさんたちは、お好み焼きを食べていた。
焼いているところに吾輩が飛び乗るのを懸念するあまり、とんと御無沙汰のメニューだったらしい。
それが、お正月気分もあってか、作戦付きで久しぶりに実行されたのだ。
この作戦なるもの、おばさんが準備する間に、おじさんが吾輩を散々追いかけまわして疲れさせ、食事の始まるころにはおとなしく眠っていてもらう、というものだったようである。
今日に限っておじさんがやけにしつこいなあ、なんて思いながら逃げ続けていて、終いには逃げるのが面倒で横たわったままでいたり、のろのろ歩きをしたりした。
これで作戦が首尾よくいったものと思ったらしい。
お好み焼きが始まった。
俄然、食卓の上が気になり始めてしまう吾輩。
普段とあまり変わらない様子に、おじさんの責任が問われ、しかしながら実際には問うだけの時間もなく、吾輩と大騒動したのだった。
年が変わったところで、何も変わらないわが家である。
今年もどうぞよろしくお付き合い願いますにゃあ。


第46回 (2010.2.22)

立春を過ぎはしても雪が降るなど、まだまだ寒い日が続くにゃあ、なんて思っていたら、あっという間に「猫の日」を迎えてしまった。
今年も、あと313日しかない。
寒くなって以来、吾輩がよく行くようになった場所のひとつに、テレビの上がある。
阿ん茶んもよくそこに乗って眠ったそうだが、当時のテレビに比べ現在のは薄い。
吾輩はかなり曲芸的な乗り方をして、必死に眠ろうとしているのだとか。
間違ってテレビごと倒れ何かあってはいけないからというので、大抵は眠り始めたところで、おばさんに抱え上げられ、毛布かタオルの上に運ばれることになる。
その行為により時には吾輩の眠気が吹き飛んでしまうことがあるので、おじさんの考えでは、実際にテレビごと倒れるまではそっとしておいたほうが、となるらしい。
むしろ、おじさんにすると、テレビの上の吾輩が必ず尻尾を画面側に垂らすのが気に入らないのだとか。
垂らすのなら裏側にしなさいよ、といつも言われている。
そうしておばさんたちの食事中にテレビの上にいるのでなければ、相変わらず食卓の上で騒動を起こしている吾輩。
つい先日は、おばさんたちの食べていた鮪の漬け丼のご相伴に与ってしまった。
おじさんも最近は諦めの境地なのか、あまり怒らなくなってしまった気がする。
なんでもおじさんが怒ると、そのおじさんをおばさんが怒るので、おじさんとしてみたら割りが合わない気持ちらしい。
となれば、食卓の上の吾輩はさらに好き勝手している。
ヨーグルトも食べた、バターロールも食べた、イカと炊いた大根も・・・。
おひたしの入っていた小鉢に顔を突っ込んだことは、鼻の頭にゴマをくっつけていてバレた。
で、吾輩が最近、特に興味を持ってしまうのが紅茶だ。
おばさんが紅茶、おじさんがコーヒーを飲んでいれば、まず間違いなくおじさんの前は素通りして紅茶のカップに近づき、そこにも顔を突っ込むこととなるのだ。
おばさんに注意されるまでもなく、湯気が立ってて熱さを感じはするが、興味の前にそんなことはお構いない。
優雅な香りにすっかりリラックスする吾輩。
勿論、カップに顔が突っ込めるくらいだから、言うまでもなく食卓の上での話である。
さて、年明けから今日まで、猫用「小魚」に毎日ありつき続けている吾輩であるが、この前、おばさんたちが出かけて留守番となった際は、猛烈にひもじい思いをした。
ご飯の用意が全然足りなかったのだ。
うちの中を隈なく探して、食べられるものはおろか、食べられなくても口にできるものすら何も残されていないと分かったとき、最早これまでと、カリカリの袋に齧りつくしかなかった。
袋に歯形こそ付くものの、肝腎のカリカリが取り出せるほどには穴が開かない。
結局、徒労に終わったが、帰ってきたおばさんたちに対するアピールには十分になった。
今後は気をつけるよう、おばさんの鼻をよく舐めておいた。
食べ物ではないが、おばさんが、トールペイントの先生から、犬のぬいぐるみをもらってきた。
吾輩の遊び相手になるのでは、と考えたおばさんの思惑どおり、気に入って遊んでいたのだが、吾輩があまりにも犬氏の髭に執着して、くわえて引っ張ったものだから、抜けてまた吾輩のお腹の中に入ったらよくない、などとおばさんは考えたらしい。
その立派な髭をばっさり、ハサミで切ってしまったのだ。
途端に見向きもしなくなった吾輩の態度に、おばさんは些か後悔しているようだが、同じ髭族として抗議する気持ち、果たして伝わっているかにゃ?


第47回 (2010.4.26)

先日のこと。
おじさんが折りたたみの傘を下駄箱にしまおうと玄関の三和土に降りた際、吾輩もくっついて降りたところ、予期せず背後の引き戸を閉められてしまったのである。
わちゃあ、これだと玄関に閉じ込められたことになっちゃうぞ、おじさんの悪い冗談かにゃあ。
最初はそう高をくくっていたが、冗談にしては時間が長い。
引き戸に前足をかけてみても、びくとも動かない。
あちこちの扉を自分で開けて行き来のできる吾輩であるが、ここだけは建て付けが特にひどくて、さすがの吾輩でも動かせないのだ。
こりゃ、どうしたものかにゃあ。
にゃあにゃあ叫んでみたが、どうも聞こえないらしい。
引き戸に体当たりして、がたんがたんと音を立てていたら、ようやく不審に思ったおばさんが現れ、助け出してくれた。
なんでもおじさんは最初から吾輩の存在に気付いていなかったのだとか。
とんだ間抜け野郎だ、と自分の自由が確保されてから、その足首に噛みついてやった。
吾輩を無視と言えば、何日前だったか、茶トラのデブ猫がやってきたときのこと。
濡れ縁に平然と上がり込み、サッシのすぐこちら側にいる吾輩を完全に無視し、こともあろうに吾輩にお尻まで向けて毛繕いを始めたのである。
おばさんが奥の部屋から物音を立てて現れても微動だにせず、おばさんまでも完全に無視。
むしろ、その物音で吾輩のほうがうっかり驚いて逃げ出してしまった始末。
些か情けない図であった。
無視の話で、もうひとつ。
おばさんが吾輩のためにと、妙なおやつを買ってきた。
長さ2センチくらいのロープ状のもので、両端が絡げてある。
コラーゲンでできているらしく、勿論、摂取すれば毛並みがよくなるなど体にいいのだが、ガシガシ噛み続けることで歯間ブラシの役目を果たし、それによっても健康が維持されるというものなのだそうだ。
外袋には「自分では歯を磨けない愛猫のために」なんてプリントがされている。
で、これを与えられている吾輩。
おばさんからよく言い聞かされたところで碌に噛むことはなく、製造者の意図などまるで無視し、口にして数秒で飲み下してしまうのだ。
それだけ気に入っているということであり、おねだりまでするのだが、1日に1、2個と決められているらしく、それ以上はくれない。
元来のしつこさで粘ってはみるが・・・。
こんな勝手気ままな状況に、ただただ呆れるしかない最近のおばさんである。


第48回 (2010.5.11)

トイレットペーパーに関しては相変わらずの状況が続いている。
週に3、4個は吾輩の餌食となって、トイレの中に見るも無残な白い柳が出現するのだ。
おばさんたちも決して無策という訳ではなく、それなりに対策を考えているようだが・・・。
トイレの扉が開かないようにキャットタワーを置いてみたらどうか、というおじさんの案は、おばさんから却下された。
行きたい場所に行けないと分かったときの吾輩の手である「泣き落とし」に、おばさんが耐えられないことと、吾輩のストレスを考慮してのことだそうだ。
で、おばさんの案はと言うと、トイレに入ってはみたもののトイレットペーパーがセットされていない作戦、であるらしい。
いつ行ってもセットされてなければ、そのうち忘れるのではないか、という目論見。
そうすることで、おばさんたちは不便しないのか、という点が問題となるが、なんでも別に適当な箱を用意し、トイレットペーパーをそこに収納するのだとか。
今のところ、その肝腎の箱がまだ用意できていないらしくて、作戦が実行に移されていないが、果たして・・・。 相変わらずと言えば、小魚は依然として吾輩の大好物であり、卓の上でもあまり怒られなくなったので、そこにどっかり腰を下ろし(?)おばさんから分けてもらっている。
慣れというのは恐ろしいもので、それが当たり前になってくると、贅沢を言うようになる。
以前はちゃんと食べていた小魚の頭を吐き出すようになったのだ。
頭を全然食べない訳ではない。
胴体(?)といっしょだと食べる。
胴体だけというのも食べる。
尾ひれだけでも食べる。
ただ「頭だけ」という場合に限って口にする気がなくなり、ペッと吐き出してしまうのだ。
苦いのか、硬いのか、顔面が怖いのか、自分でもよく分からない。
おばさんはすっかり承知していて「頭だけ」を差し出さないようになり、袋の中が「頭だけ」ばかりになってきたと言って嘆き、おばさんから経緯を聞いたおじさんは、吾輩の吐き出す様子を面白がってわざと「頭だけ」ばかりを食べさせようとしてくる。
吾輩の吐き出し方も上手くなってきて、おじさんの食事中のお皿に狙いどおり吐き飛ばしてやった。

さて、かく言う吾輩、今日で満2歳となった。
おばさんたちに言わせると、まだそんな年齢だったの?と驚くくらい、もっともっと長い時間いっしょに暮らしている感覚なのだとか。
いろいろあったしにゃ・・・。
それに吾輩、老けて見えるのかも(?)。


第49回 (2010.7.7)

先週の話になるが、ちっぽけな庭にもかかわらず、庭師さんが消毒液の散布に来た日があった。
庭師さんがいたのは、おばさんとのおしゃべりも含めて、精々30分くらいだったが、その間の吾輩たるや落ち着かないこと落ち着かないこと。
何をされるという訳じゃないのは分かっているのに、どうしても、逃げなければ、逃げよう、という気持ちになってしまう。
実際、追いかけられもしないので、独りで走りまわっているだけなのだが、それでもやめることができない。
特に今回は、ローボードと壁のあいだに見つけた隙間にうっかり頭から突っ込んで、前に進むことも後ろに戻ることもできなくなってしまい、パニクッているところをおばさんに助けられる、なんて失敗もしたので、独り相撲以下の有り様だった。
おばさんがいなかったら、と考えてみたとき、今でも些かぞっとする。
さらに言うと、庭師さんが帰った後、吾輩がすぐに出て行かなかったことから、おばさんにもうひとつ迷惑をかけてしまった。
どこを捜してもいない、呼んでも現れない吾輩に、庭師さんが作業のために開けっ放していたところから屋外に逃げてしまったかも、と思い込んだおばさん。
縁の下やご近所まで捜してまわり、今度はおばさんがパニクッてしまうほど。
吾輩、普段は入り込んだことのない狭い隙間に隠れていて、おばさんの様子を窺っていたのだった。
失敗した話のついでに、失敗と言えば失敗、失敗じゃないと言えば失敗じゃない話をしようか。
汚い話で恐縮だが、ゲボをするのは猫にとってごく日常茶飯事のこと。
吐くことがお腹の掃除になり、たまった毛玉が吐き出されていいのだとか。
ところが、この吾輩、悪い癖があって、吐き気を催した際、2回、3回と今にも吐くばかりに奇声を上げはするものの、おかしな我慢をして反対に飲み込み、結局何ひとつ吐かずに済ませてしまうのである。
おじさんはその辺が汚れなくていい、なんて言っているようだが、おばさんは本気で心配してくれる。
それが先日、見事に吐いたのだ。
それも続けざまに3回も。
おじさんは部屋の汚れを心配し、おばさんは・・・やっぱり心配してくれる。
吐いたら吐いたで、あれほど吐かない吾輩が、って。
ちなみに、吐いたものに特にビニールやら何やらが交ざっていた、なんてことはなかったようだった。
ゲボしてすっきりした後は、食事の話でも・・・。
かつて食卓に上がっては叱られていた吾輩だったが、今やその食卓に吾輩の指定席ともいうべき場所までがある。
おばさんの考えだと、どれほど叱っても効き目がなく、食卓のどこそこ構わずにちょろちょろされるくらいならば、場所を決め、そこだけにじっとしていてもらったほうが邪魔にならない、と計算してのことらしい。
そして、そこでお行儀よくじっと待っている吾輩に、おばさんが例の小魚をくれて、頭を残すのは相変わらずだが、満足したならば、さっさと食卓から降りる。
まさに、おばさんの作戦どおりと言えようか。
おじさんが感心することがもうひとつ。
どれだけ遊んでいようが、おばさんたちの食事開始に遅れたことのない吾輩なのである。


第50回 (2010.7.15)

吾輩がおばさんに猛烈に迷惑をかけることを「事件」というのだとすれば、まさに昨日の夜、「煮豚事件」を起こしてしまった吾輩である。
そもそもは、おばさんが晩ご飯に予定して、鍋でグツグツ豚を煮たことに始まる。
頃合いを見て火を止め、冷まし始めてどのくらい経ったところだったろうか。
突然、慌てておばさんが近所のパン屋さんまで、予約してあったパンをもらいに出かけて行く。
そうなれば、どうしたって吾輩の出番。
おばさんの調理中から気になって気になって仕方がなかったのだから。
煮豚の豚が、というよりも、豚を絡げている凧糸が。
すぐにちょっかいを出す、豚がうまく身をかわす、吾輩がむきになる、豚もむきになる。
そうこうするうち、鍋がガス台から落ち、派手な音を立てて床に引っくり返ってしまった。
煮汁がどぼどぼと床を汚す。
おばさんが帰ってきた。
こういう展開など予想だにしていなくて、電気も点けずに台所まで行き、まず靴下が事態を把握したようだった。
びっくりしたおばさん、電気を点けてさらに驚いていた。
鍋は見るからに変形しており、煮汁はすべてこぼれ出て、肝腎の豚が見当たらない。
吾輩がどうかしてしまったのでは、と疑われたが、結局、シンクに置かれたステンレス製の洗い桶の中で見つかった。
まな板が斜めに突っ込んであったので、その途中に引っかかり、まるで浮いているように見えたのだとか。
さあ、それからというもの、おばさんは後片付けに大騒動していた。
特に煮汁はぎとぎとしていて、拭い取るのが大変そうだった。
台所での出来事と言えば、もうひとつ。
昨夏、冷蔵庫というものの能力に気付いて以来、隙あらば飛び上がって中に入り込んでやろう、と考えていた吾輩だったが、この程ついにそれが実現した。
買物から帰ってきたおばさんが、冷蔵庫に玉子をしまっていたときのこと。
作業するのに扉は開けっ放し、で、おばさんの両手は一個ずつ持った玉子により塞がっている。
今までにも限りなくあった状況のはずなのに、そのときはじめて絶好機だと気がついた吾輩。
目論見どおりに冷蔵庫の中に入り込んで、まず目の前のものに鼻を近づける・・・。
ところが、話はここまで。
おばさんが叫んだ声に珍しく機敏に反応したおじさんがすっ飛んできてしまい、納豆と油揚げの間をほんの一歩進んだだけで、何も抵抗できず抱え上げられ、吾輩の冷蔵庫における冒険に終止符が打たれたのだ。
それでも、たとえ数秒のこととは言え、冷蔵庫の中に吾輩の足跡を残せたのは、今までに何回も試み、その度に阻止されてきた身としては、大きな進歩だったように思う。
この一歩は、人類が月面に残した一歩に匹敵するのではあるまいか。




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