映画の誘惑

最終更新日 2016年12月3日

「映画の誘惑 セレクション」

This is Cinema

映画の誘惑 セレクション

コメディ映画 ベスト50

映画史を作った30本

フィルム・ノワール ベスト50

西部劇ベスト50

戦争映画ベスト50に向けて

《プチ・ニュース》

■映画 DVD 新作

フランク・キャプラ『オペラハット 80周年アニバーサリー・エディション』 [Blu-ray]

ウィリアム・ウェルマン『ロビン・フッドの復讐』

『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム(デラックス10周年エディション)』 [Blu-ray]

セシル・B・デミル『絶海の嵐』 [DVD]

『ハリウッド・メロドラマ傑作選 この三人』 [DVD] 、『ハリウッド・メロドラマ傑作選 さすらいの涯』 [DVD]

『西部劇 ベストバリューDVDセット (期間限定スペシャルプライス)、『西部劇 ベストバリューBlu-rayセット (期間限定スペシャルプライス)』

『騎兵隊西部劇コレクション DVD-BOX』

ラッセル・ラウズ『必殺の一弾』 [DVD]

ブレイク・エドワーズ『追跡』 [DVD]

ベイジル・ディアデン『悪魔の虚像/ドッペルゲンガー』(1970) [DVD]

リチャード・フライシャー『ラスト・ラン 殺しの一匹狼』 [DVD]

トビー・フーパー『ファンハウス/惨劇の館≪最終盤≫』 [Blu-ray]

『コーエン兄弟 ベストバリューBlu-rayセット (期間限定スペシャルプライス)』

ジェームズ・グレイ『エヴァの告白』 [DVD]

ロン・ハワード『白鯨との闘い』 [Blu-ray]

マルセル・レルビエ『かりそめの幸福』 [DVD]

『おかしなドラマ(1937)』 [DVD]

『追想のヨーロッパ映画 ~死ぬまでに観たい名画 100 DVD-BOX』

『ベルリン・アレクサンダー広場 DVD-BOX <新装・新価格版> 』

デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン『裸足の季節』 [Blu-ray]、『裸足の季節』 [DVD]

曾根中生『不倫』『赤い暴行』

『サッシャ・ギトリ 傑作選 Blu-ray BOX』(初回限定生産)、『サッシャ・ギトリ 傑作選 DVD BOX』(初回限定生産)

クロード・シャブロル監督『クロード・シャブロル初期傑作集 Blu-rayセット』 (『いとこ同志』『美しきセルジュ』収録)《初回限定生産》 『美しきセルジュ』 HDマスター [DVD]、『美しきセルジュ』 Blu-ray、『いとこ同志』 Blu-ray

『アレクセイ・ゲルマン コンプリートDVD-BOX』(初回限定生産)

『七番目の道づれ』 [DVD]と『神々のたそがれ』をくわえた完全版BOX。

『ウンベルトD』 Blu-ray

ヴァレリアン・ボロヴツィク『インモラル物語【ヘア無修正】HDリマスター版』 [DVD]、『邪淫の館 獣人【ヘア無修正】HDリマスター版』 [DVD]

『世界の推理小説 傑作映画 DVD-BOX Vol.2』

バッド・ベティカー『決闘コマンチ砦』 [DVD]、『反撃の銃弾』 [DVD]

アレクサンダー・マッケンドリック『マダムと泥棒』 [DVD]

 

『ハリウッド刑事・犯罪映画傑作選 DVD-BOX 2』

『ハリウッド・メロドラマ傑作選 DVD-BOX Vol.2』

『チャップリン Blu-ray BOX』

『殺人狂時代 Monsieur Verdoux』『独裁者 The Great Dictator』『ライムライト Limelight』『チャップリン短篇集1 Short Films of Chaplin 1』『チャップリン短篇集2 Short Films of Chaplin 2』『サーカス The Circus』『キッド The Kid』『モダン・タイムス Modern Times』『ニューヨークの王様 A King in New York』『黄金狂時代 The Gold Rush』『巴里の女性 A Woman of Paris』

ウォルター・ルットマン『伯林/大都会交響楽』 [DVD]

ルネ・クレール『眠るパリ(1923)/幕間(1924)』 [DVD]

『ジャン・ルノワール ブルーレイセット『大いなる幻影』『ゲームの規則』収録《初回限定生産》』 [Blu-ray]

『ゲームの規則』 Blu-ray、『ゲームの規則 HDマスター』 [DVD]

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『あやつり糸の世界 Blu-ray 初回限定生産版』『あやつり糸の世界 DVD HDマスター』

『侯孝賢 「冬冬の夏休み」「恋恋風塵」デジタルリマスターBOX』[Blu-ray]、『風櫃の少年 [Blu-ray]、『童年往事 時の流れ』 <HDデジタルリマスター版> [Blu-ray]

増村保造『黒の超特急』 [DVD]

阪本順次『団地』

 

ヴェルナー・ヘルツォーク『小人の饗宴 HDリマスター』 [DVD]、『小人の饗宴 HDリマスター』 [Blu-ray]、『カスパー・ハウザーの謎 HDリマスター』 [Blu-ray]

『ジャン=リュック・ゴダール ベストバリューBlu-rayセット』 (期間限定スペシャルプライ

小沼勝『軽井沢夫人』 [Blu-ray] 、『時には娼婦のように』 [Blu-ray]、『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』 [Blu-ray]

神代辰巳『赤線玉の井 ぬけられます』 [Blu-ray] 、『嗚呼!おんなたち猥歌』 [Blu-ray] 、『女地獄森は濡れた』『濡れた欲情 特出し21人』 [Blu-ray]

相米慎二『ラブホテル』 [Blu-ray]

長谷部安春 『暴行切り裂きジャック』 [Blu-ray]

黒沢清『クリーピー 偽りの隣人 豪華版』[Blu-ray]

『映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭'89 [DVD]

真利子哲也『ディストラクション・ベイビーズ 特別版(2枚組)』[Blu-ray]、『ディストラクション・ベイビーズ 特別版(2枚組)』

『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ DVD-BOX Vol.18』

ピエトロ・ジェルミ『越境者』[DVD]

ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ『世にも怪奇な物語 -HDリマスター版-』 [Blu-ray]

『幻の馬車』『失われた楽園』『ショタール商会』『あなたの目になりたい』『高原の情熱』

ジュリアン・デュヴィヴィエ 『我等の仲間』Blu-ray、『我等の仲間』DVD HDマスター 『旅路の果て』Blu-ray、『旅路の果て』DVD HDマスター

ジャン・ルノワール『素晴らしき放浪者』Blu-ray、『素晴らしき放浪者』DVD HDマスター

マルセル・カルネ『枯葉~夜の門~』DVD HDマスター

カルロス・サウラ『カラスの飼育』 Blu-ray、『カラスの飼育』DVD HDマスター

ダニエル・シュミット『トスカの接吻』Blu-ray、『トスカの接吻』[DVD]

『台湾新電影(ニューシネマ)時代』 [DVD]

ハワード・ホークス『赤ちゃん教育 THE RKO COLLECTION』 [Blu-ray]

『ジャック・ドゥミの初期傑作 Blu-ray BOX(初回限定版)』

『ローラ ジャック・ドゥミ監督 Blu-ray』『天使の入江』 Blu-ray

『ローラ DVD HDマスター』『天使の入江 DVD HDマスター』

ピーター・ボグダノヴィッチ『マイ・ファニー・レディ』

ミア・ハンセン=ラヴ『EDEN/エデン』 [Blu-ray]『EDEN/エデン』 [DVD]

『三里塚シリーズ DVD BOX』

『日本解放戦線 三里塚の夏』『日本解放戦線 三里塚』『三里塚 第三次強制測量阻止斗争』『三里塚 第二砦の人々』『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』『三里塚 辺田部落』『三里塚 五月の空 里のかよい路』

『Frederick wiseman : 1968-1979, vol, 1』(『フレデリック・ワイズマン全集』)

『フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース Blu-ray BOX』

『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ DVD-BOX Vol.16』

『ハリウッド西部劇悪党列伝 DVD-BOX Vol.2』

『世界の推理小説 傑作映画 DVD-BOX』

ジャン=ピエール・メルヴィル『サムライ』 [Blu-ray]

ジャン=リュック・ゴダール『ゴダールのマリア【HDリマスター・完全版】Blu-ray+ ウディ・アレン会見レポート/ソフト&ハードDVD』

『ゴダールのマリア 【HDリマスター・完全版】』 [DVD]

『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』 [DVD]

三隅研次『処女が見た』 [DVD]

 

小川紳介 『青年の海 四人の通信教育生たち』 [DVD]、『現認報告書 羽田闘争の記録』 [DVD]、『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』 [DVD]

『【Amazon.co.jp限定】サム・ペキンパー 情熱と美学 特製スリーブケース仕様(初回生産限定)』 [DVD]

ジャック・ターナー『法律なき町』 [DVD]

『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ DVD-BOX Vol.16』

ジョー・ダンテ『マチネー/土曜の午後はキッスで始まる』 [Blu-ray]

ジャック・ドワイヨン『ラブバトル』 [DVD]

リチャード・フライシャー『王子と乞食』 [DVD]

『ハリウッド刑事・犯罪映画傑作選 DVD-BOX 1』

『夜の人々 THE RKO COLLECTION』 [Blu-ray]、『夜の人々 HDマスター THE RKO COLLECTION』 [DVD]

ウィリアム・ウェルマン『野性の叫び』 [DVD]

ウィリアム・ディターレ『欲望の砂漠』 [DVD]

『ポランスキーの欲望の館 HDマスター 完全版』 [DVD]

エリオ・ペトリ『華麗なる殺人』

ベルトラン・ボネロ『サンローラン』

オリヴィエ・アサイヤス『アクトレス ~女たちの舞台~』 [Blu-ray]

『映画監督 村川透 (和製ハードボイルドを作った男) 』

「ジャック・ターナー『私はゾンビと歩いた! THE RKO COLLECTION』 [Blu-ray]、『キャット・ピープル THE RKO COLLECTION』 [Blu-ray]

『ハリウッド西部劇悪党列伝 DVD-BOX Vol.1』

『冒険・海賊映画 ベスト・コレクション DVD-BOX Vol.2』

ヴェレナ・パラヴェル『リヴァイアサン』 Blu-ray、『リヴァイアサン』 [DVD]

イリーサ・バーバッシュ『モンタナ 最後のカウボーイ』 [DVD]

『ジョン・フォード Blu-ray BOX』 《初回限定生産》

『ハリウッド西部劇悪党列伝 DVD-BOX Vol.1』

『ハリウッド悪女映画傑作選 DVD-BOX』

『冒険・海賊映画 ベスト・コレクション DVD-BOX Vol.2』

『怒涛の果て』

『マイエルリンクからサラエヴォへ』『七月のランデヴー』『白い足』『罪の天使たち』 『乙女の星』

アンリ・ジョルジュ=クルーゾー『ミステリアス・ピカソ 天才の秘密』 [Blu-ray]

神代辰巳『四畳半襖の裏張り』 [Blu-ray]、 田中登『マル秘色情めす市場』 [Blu-ray]、渡辺護『セーラー服色情飼育』 [Blu-ray]

ヴィンセント・ミネリ『ハリウッド・メロドラマ傑作選 二日間の出会い』

『珠玉のフランス映画名作選 DVD-BOX』

アベル・ガンス『SFムービーベストコレクション 世界の終り』 [DVD]

『フィルム・ノワール ベスト・コレクション フランス映画篇 DVD-BOX2』

ダリオ・アルジェント『スタンダール・シンドローム [Blu-ray]

ジャン・ルノワール『ピクニック(HDリマスター版)』 [Blu-ray]

アレクセイ・ゲルマン『神々のたそがれ Blu-ray 特典ディスク(メイキングドキュメンタリー)付属!』 『神々のたそがれ HDマスター アレクセイ・ゲルマン監督』 [DVD]

『アンドレイ・ズビャギンツェフ Blu-ray BOX (初回限定)』

『ザ・ヴァンパイア~残酷な牙を持つ少女~』 [DVD]

ヌリ・ビルゲ・ジェイラン『雪の轍』 [DVD]

ジョシュア・オッペンハイマー『ルック・オブ・サイレンス Blu-ray』 『ルック・オブ・サイレンス』 DVD

『フェルナンド・アラバール初期』

『黒衣の刺客』 [Blu-ray]

『大地の子守歌』 [Blu-ray]

 

『ハリウッド・メロドラマ傑作選 DVD-BOX Vol.1』

フランク・ボザーギ『死の嵐』

マイケル・カーティス『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ 誇り高き反逆者』 [DVD]

リー・ショーレム『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ 牧場荒し』 [DVD]

フィル・カールソン『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ 荒馬サンダーホーフ』 [DVD]

『西部劇 パーフェクトコレクション 廃墟の群盗 ヴァージニアン 草原の追跡 アリゾナの決闘 ヴァジニアの血闘 サンタフェ 虐殺の河 拳銃街道 サンダウナーズ 熱砂の戦い DVD10枚組』

『西部劇 パーフェクトコレクション DVD10枚組 ホンドー 西部の四人 地獄への挑戦 拳銃往来 北の狼 サン・アントニオ 幌馬車隊 カナダ平原 懐しのアリゾナ ミズーリ大平原』

『西部劇 パーフェクトコレクション 星を持つ男 モヒカン族の最後 愛の弾丸 渓谷の銃声 高原児 硝煙の新天地 銅の谷 荒野の三悪人 叛逆の用心棒 デンボー牧場の争い DVD10枚組』

『西部劇 パーフェクトコレクション DVD10枚組 丘の羊飼い 西部の二国旗 ブラボー砦の脱出 アパッチ族の最後 ブラックストーンの決闘 早射ち無宿 モンタナ 限りなき追跡 銃弾 続・テキサス決死隊』

『西部劇 パーフェクトコレクション DVD10枚組 女群西部へ 復讐の二連銃 脱獄者の秘密 シエラ ネバダ決死隊 勇者のみ 最後の酋長 牧場荒し 硝煙のカンサス パウダー・リバーの対決』

『西部劇 パーフェクトコレクション 復讐の荒野 砂漠の生霊 掠奪の町 勇魂よ永遠に フロンティア・マーシャル 赤い空 キャトル・ドライブ 荒原の疾走 トマホーク峡谷の待伏せ 最後の無法者 DVD10枚組』

マイケル・アンダーソン『生きていた男』 [DVD]

リチャード・フライシャー『見えない恐怖』

ジョセフ・ロージー『唇からナイフ』 [Blu-ray]

『ハリウッド・ブルバード(続・死ぬまでにこれは観ろ!)』 [DVD]

ピーター・ワトキンス『懲罰大陸★USA』 [Blu-ray]

『懲罰大陸★USA』 [DVD]

 

ラオール・ウォルシュ『フィルム・ノワール ベストコレクション フランス映画篇 大雷雨』

ダグラス・サーク『フィルム・ノワール ベストコレクション フランス映画篇 夏の嵐』

『遊星よりの物体X HDマスター THE RKO COLLECTION』 [DVD]、『断崖 HDマスター THE RKO COLLECTION』 [DVD]、『私はゾンビと歩いた! HDマスター THE RKO COLLECTION』 [DVD]、『キャット・ピープル HDマスター THE RKO COLLECTION』 [DVD]

『アカデミー賞 ベスト100選 オズの魔法使い 我が道を往く ブルックリン横丁 オペラハット 遥かなる我が子 哀愁の湖 イヴの総て ジョニー・ベリンダ 戦場 真昼の決闘 DVD10枚組』

ジョン・フォード『荒野の女たち』 [DVD]

『ハリウッド西部劇映画 傑作シリーズ DVD-BOX Vol.15』

ニコラス・レイ『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ 不屈の男たち』 [DVD]

『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』 Blu-ray

オーソン・ウェルズ『偉大なるアンバーソン家の人々』 [Blu-ray]、『偉大なるアンバーソン家の人々 HDマスターDVD』

『巨匠たちのハリウッド バッド・ベティカー傑作選 DVD-BOX2』

『ミステリアスな一夜』『ロデオ・カントリー』『美女と闘牛士』 [DVD]

ウィリアム・キーリー『我れ暁に死す』 [DVD]

ベン・ヘクト『情熱なき犯罪』 [DVD]

ジャック・アーノルド『それは外宇宙からやって来た』『縮みゆく人間』 [DVD]

『ハリウッド西部劇映画 傑作シリーズ DVD-BOX Vol.13』

『ハリウッド西部劇映画 傑作シリーズ DVD-BOX Vol.14』

ヘンリー・レヴィン『コロラド』 [DVD]

ジョン・カーペンター『「要塞警察」Blu-ray+「真夜中の処刑ゲーム」DVD 籠城映画2本立て エクストリーム・エディション』

『フィルム・ノワール ベスト・コレクション DVD-BOX Vol.6』

『テレグラフ・ヒルの家』『14時間の恐怖』(ヘンリー・ハサウェイ)『マルタの鷹』『底流』(ヴィンセント・ミネリ)『パスポートのない女』(ジョセフ・H・ルイス)『ヒッチ・ハイカー』(アイダ・ルピノ)『ビッグ・ボウの殺人』(ドン・シーゲル)『M』(ジョセフ・ロージー)の全8作を収録。

ジョン・ファロー『夜は千の眼を持つ』 [DVD]

ダリオ・アルジェント『シャドー -HDリマスター特別版- [Blu-ray]

ダルデンヌ兄弟『サンドラの週末』 [DVD]

小津安二郎『晩春 デジタル修復版』 [Blu-ray]

溝口健二『残菊物語 デジタル修復版』 [Blu-ray]

万田邦敏『イヌミチ』 [DVD]

エドワード・ヤン『恐怖分子 デジタルリマスター版』 [Blu-ray]、『光陰的故事』 [DVD]

『巨匠たちのハリウッド ヘンリー・ハサウェイ&ゲイリー・クーパー傑作選 DVD-BOX』

トビー・フーパー『悪魔のいけにえ 公開40周年記念版』 [Blu-ray]

モンテ・ヘルマン『果てなき路(続・死ぬまでにこれは観ろ!)』 [Blu-ray]

『ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品『海の沈黙』『マンハッタンの二人の男』Blu-ray ツインパック』

『クロード・ランズマン決定版BOX』 [Blu-ray]

オットー・プレミンジャー『バニー・レークは失踪中』

イングマール・ベルイマン『魔術師』 ≪HDリマスター版≫ [DVD]、 『仮面/ペルソナ』 ≪HDリマスター版≫ [DVD]、『叫びとささやき』 ≪HDリマスター版≫ [DVD]

『ジャン=リュック・ゴダール+ジガ・ヴェルトフ集団 Blu-ray BOX deux』DVD 版も同時発売 )

バッド・ベティカー『第二次世界大戦 戦争映画傑作シリーズ レッドボール作戦 [DVD]』

『第二次世界大戦 戦争映画傑作シリーズ 怒りの海 [DVD]』

『終戦70周年記念 第二次世界大戦 戦争映画傑作シリーズ DVD-BOX Vol.2』

『巨匠たちのハリウッド トッド・ブラウニング傑作選 DVD-BOX』

『満州アーカイブス 満映作品映画編「迎春花」』 [DVD]

『ブルー・リベンジ』 [Blu-ray]

『ATG初DVD化BOX』

『ルイス・ブニュエル ≪メキシコ時代≫最終期 Blu-ray BOX』(初回限定版)

『ストーカー』 【Blu-ray】

『坊やの人形』 <HDデジタルリマスター版> [Blu-ray]

『童年往事 時の流れ』 <HDデジタルリマスター版> [Blu-ray]

『イングマール・ベルイマン 黄金期 Blu-ray BOX Part-3』

『ハリウッド・スクリューボール・コメディ傑作選 DVD-BOX』

マチュー・アマルリック『青の寝室』

『イーダ』 Blu-ray

『さらば、愛の言葉よ 3D』

『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』Blu-ray、『夜と霧』 Blu-ray

『エル・スール』 Blu-ray、『ミツバチのささやき』 Blu-ray

『アポロンの地獄』 [Blu-ray]、『奇跡の丘』 [Blu-ray]

E・A・デュポン『ヴァリエテ』【淀川長治解説映像付き】 [DVD]

キング・ヴィダー『ビッグ・パレード』

ルドルフ・マテ『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ ミシシッピの賭博師』 [DVD]

ゴードン・ダグラス『ハリウッド西部劇映画傑作シリーズ オクラホマ無宿』 [DVD]

ホン・サンス『自由が丘で』 [DVD]、『ヘウォンの恋愛日記』 [DVD]

増村保造『大地の子守歌』 [DVD]、『足にさわった女』 [DVD]

三隅研次『雪の喪章』 [DVD]

『巨匠たちのハリウッド バット・ベティカー傑作選 DVD-BOX』

『北国の帝王』 [Blu-ray]

『唇からナイフ』 [Blu-ray]

『メアリー・ピックフォードのシンデレラ 』

『紐育の波止場』

『ランジュ氏の犯罪』

『最後の切り札』

『西部戦線一九一八年』『炭坑』

『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2 2枚組(Vol.1&Vol.2)』 [Blu-ray]

『これは映画ではない』 [DVD]

『薄氷の殺人』 [Blu-ray]

『海を感じる時』

『巨匠たちのハリウッド リチャード・フライシャー傑作選 DVD-BOX2』『札束無情』『ニューヨーク大騒動』 を収録)。

マイケル・カーティス『破局』

キング・ヴィダー『東は東』

ミッチェル・ライゼン『別働隊』

クラレンス・ブラウン『雨ぞ降る』

ジャック・タチ『プレイタイム』【Blu-ray】、『ぼくの伯父さん』【Blu-ray】、『トラフィック』『のんき大将 脱線の巻《完全版》』【Blu-ray】、『ぼくの伯父さんの休暇』【Blu-ray】、『ジャック・タチ短編集』【Blu-ray】

グザヴィエ・ドラン『わたしはロランス』 [Blu-ray]

フェデリコ・フェリーニ『ジンジャーとフレッド』『オーケストラ・リハーサル』

ジャック・スマイト『真説フランケンシュタイン/北極に消えた怪奇人間』 [Blu-ray]

『ツァイ・ミンリャン初期三部作+引退作「郊遊 <ピクニック> 」ブルーレイBOX 』[Blu-ray]

リティ・パニュ『消えた画 クメール・ルージュの真実』

安藤桃子『0.5ミリ 特別限定版』

たむらまさき(旧名:田村正毅)『ドライブイン蒲生』 [Blu-ray]

『夢』

『フィルム・ノワール ベスト・セレクション フランス映画篇 DVD-BOX1』

マルコ・ベロッキオ『ポケットの中の握り拳』 [DVD]、『エンリコ四世』 [DVD]

『ハリウッド西部劇映画 傑作シリーズ DVD-BOX Vol.11』

ロバート・アルドリッチ『カリフォルニア・ドールズ』 [DVD]

ノア・ムーアバック『フランシス・ハ』 [Blu-ray]

三隅研次『古都憂愁 姉いもうと』

『バグダッドの盗賊 【淀川長治解説映像付き】』 [DVD]

『アナタハン』 [DVD]

『恐怖の土曜日』 [DVD]

『東は東』 [DVD]

『荒野の千鳥足《痛飲エディション》』 [Blu-ray]

『美しき冒険旅行』《HDニューマスター版》 [Blu-ray]

『ダーク・スター』 【HDニューマスター版】スペシャル・エディション初回生産限定版 [Blu-ray]

『ヘルブレイン/血塗られた頭脳』 [DVD]

『ウィズネイルと僕』 [Blu-ray]

『ジャージー・ボーイズ ブルーレイ&DVDセット』 (初回限定生産/2枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]

『プロミスト・ランド』 [Blu-ray]

『SCUMスカム《拷問エディション》』 [Blu-ray]

『ありきたりの映画』 [DVD]、『たのしい知識』 [DVD]、『ウラジミールとローザ』 [DVD]

『パラダイス:トリロジー Blu-ray BOX +1』

『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』 [DVD]

『壊された5つのカメラ パレスチナ・ビリンの叫び』 [DVD]

『収容病棟』[DVD]

『パリ、ただよう花』 [DVD]

『蘇州の夜』 [DVD]、『初恋問答』『サヨンの鐘』(清水宏) [DVD]

『無人地帯 No Man's Zone』 [DVD]

『ノスタルジア』Blu-ray

『美しき冒険旅行』《HDニューマスター版》 [Blu-ray]

『荒野の千鳥足《痛飲エディション》』 [Blu-ray]

『ウィズネイルと僕』 [Blu-ray]

『ジャージー・ボーイズ ブルーレイ&DVDセット』 (初回限定生産/2枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]

『プロミスト・ランド』 [Blu-ray]

『県警対組織暴力』 [Blu-ray]

『網走番外地 Blu-rayBOX I』 (初回生産限定)

『昭和残侠伝 Blu-rayBOX I』

『リチャード・フライシャー監督 Blu-rayBOX (犯罪バイオレンス傑作選)』

『アンダー・ザ・スキン 種の捕食 [Blu-ray])』

『戦艦ポチョムキン Blu-ray)』

『イングマール・ベルイマン 黄金期 Blu-ray BOX Part-1』『イングマール・ベルイマン 黄金期 Blu-ray BOX Part-2』

『ジャン=リュック・ゴタール ベストバリューBlu-rayセット』

『恋恋風塵 -デジタルリマスター版- [Blu-ray]』

『名作 映画 セレクション 戦場よさらば カンサス騎兵隊 ノートルダムのせむし男 スタア誕生 群衆 我等の町 都会の牙 雨 虚栄の市 タルサ DVD10枚組』

『戦争映画 パーフェクトコレクション 戦場 太平洋航空作戦 鷲と鷹 英空軍のアメリカ人 戦場の誓い 大編隊 特攻戦闘機中隊 大空の戦士サンダーバード 折れた銃剣 東京スパイ大作戦 DVD10枚組』

ポール・モリセイ『処女の生血 HDリマスター版』[Blu-ray]

ラス・メイヤー『ファスタープッシーキャット キル! キル!』

ジャ・ジャンクー『罪の手ざわり』

『砂時計』

『生誕110年 ジャン・ギャバン DVD-BOX HDマスター』

『巨匠たちのハリウッド ジョン・フォード傑作選 第2集 DVD-BOX3』

『冒険・海賊映画 ベスト・コレクション DVD-BOX Vol.1』

『アクト・オブ・キリング オリジナル全長版 2枚組(本編1枚+特典ディスク) 日本語字幕付き』

『闇のあとの光』

ヌリ・ビルゲ・ジェイラン『スリー・モンキーズ』『昔々、アナトリアで』

ルキノ・ヴィスコンティ『イノセント』 Blu-ray

ルイス・ブニュエル『この庭に死す -デジタルリマスター版-』 [Blu-ray]

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー『犯人は21番に住む -デジタルリマスター版-』 [Blu-ray]

クロード・ミレール『伴奏者』

イエジー・スコリモフスキ『出発』『ムーン・ライティング』

ジョン・カーペンター『ゼイリブ 初回限定版』 [Blu-ray]

ジョージ・スティーヴンス『ガンガ・ディン』

キング・ヴィダー『ステラ・ダラス』

『巨匠たちのハリウッド キング・ヴィダー傑作選 DVD-BOX』 『牧場の闇』『同志X』『城砦』

『ドラキュラ vs ミイラ男 ホラー映画 傑作集 魔人ドラキュラ 女ドラキュラ 夜の悪魔 ドラキュラとせむし女 吸血鬼蘇る ミイラ再生 ミイラの復活 ミイラの墓場 執念のミイラ ミイラの呪い』

ラオール・ウォルシュ『世界の戦争映画名作シリーズ 決死のビルマ戦線』

『恐怖への旅』

ウェス・アンダーソン『グランド・ブダペスト・ホテル(初回生産限定)』 [Blu-ray]

ホウ・シャオシェン『恋々風塵 -デジタルリマスター版-』 [Blu-ray]

田中徳三『鯨神』

島耕二『怪談おとし穴』

山本薩夫『牡丹燈籠』

『ジャック・タチ コンプリートBOX』 [Blu-ray]

『マルグリット・デュラスのアガタ』 [DVD]

『イングマール・ベルイマン 黄金期 Blu-ray BOX Part-1』

マルコ・ベロッキオ『肉体の悪魔』 [DVD]

ジャン=リュック・ゴダール『万事快調』 Blu-ray

ジャック・リヴェット『修道女 【HDマスター】』 [DVD]

ホセ・ルイス・ゲリン『『ある朝の思い出』+『アナへの2通の手紙』+『思い出』』 Blu-ray

アブデラティフ・ケシシュ『クスクス粒の秘密』

ルネ・アリオ『Histoires de René Allio - Vol. 1』

ルネ・アリオ『Histoires de René Allio - Vol. 2』

トビー・フーパー『悪魔の起源 ─ジン─』

『巨匠たちのハリウッド ロバート・シオドマク傑作選 DVD-BOX』 『暗い鏡』『ハリー叔父さんの悪夢』『血塗られた代償』

『エフゲニー・バウエル作品集 命には命を』

サミュエル・フラー『地獄と高潮』

オーソン・ウェルズ『黒い罠 完全修復版』 [Blu-ray]

『フィルム・ノワール ベスト・コレクション DVD-BOX Vol.5』

『世界の史劇映画傑作シリーズ DVD-BOX Vol.1』

『世界の戦争映画名作シリーズ DVD-BOX Vol.3』

フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない/あこがれ』Blu-ray、『突然炎のごとく』 Blu-ray、『終電車』Blu-ray

マルコ・フェレーリ『ひきしお』 [Blu-ray]

増村保造『清作の妻』

『戦記映画復刻版 亀井文夫作品集 DVD3枚組 上海 支那事変後方記録 戦ふ兵隊 日本の悲劇』

『戦記映画 復刻版シリーズ 終戦70周年特別企画 国策映画選集 亀井文夫作品集 セット DVD7枚組』

『戦記映画復刻版 国策映画選集 DVD4枚組 支那事変海軍作戦記録 富士に誓ふ 少年戦車兵訓練の記録 帝国海軍勝利の記録 海軍戦記』

『小間使の日記』

『機械人間 感覚の喪失』

『ボリス・カーロフ のスリラー 恐怖の館 10話収録』

『ジェス・フランコ 凌辱エロスコレクション(ヘア無修正版)』

『抱きしめたい -真実の物語- メモリアル・エディション』 [Blu-ray]

Riot in Cell Block 11 (Criterion Collection)』

『巨匠たちのハリウッド 生誕百周年記念 マックス・オフュルス傑作選DVD-BOX2』『ディヴィーヌ』『ヨシワラ』『 明日はない』

『エレニの帰郷』 [Blu-ray]

『聖なる酔っぱらいの伝説』 Blu-ray

『フェイズ IV/戦慄! 昆虫パニック』 [DVD]

『ウォールフラワー [Blu-ray]

『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』 Blu-ray

『パッション』 Blu-ray

『ラッシュ/プライドと友情』 [Blu-ray]

『わたしはロランス(特典DVD1枚付き2枚組) 』

(『映画「立候補」』

『風立ちぬ』 [DVD]

『風立ちぬ』 [Blu-ray]

『もらとりあむタマ子』【Blu-ray DISC】

『悲情城市』

マイケル・カーティス『コマンチェロ』 [Blu-ray]

『ベイジル・ラズボーン版シャーロック・ホームズ 緋色の爪』

ジェフ・ニコルズ『MUD -マッド』

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ロイ・ウィリアム・ニール『緋色の爪』

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ラオール・ウォルシュ『高原児』

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ホセ・ルイス・ゲリン『Guest』

シャルナス・バルタス『Indigène d'Eurasie』

『L'intégrale Pierre Etaix』

F.J. Ossang『Coffret ossang』

マックス・オフュルス『De Mayerling à Sarajevo』『Sans lendemain』

ジャン=ピエール・メルヴィル『Quand tu liras cette lettre』

サッシャ・ギトリ『Aux deux colombes』

ジャック・ベッケル『Antoine et Antoinette』(『幸福の設計』)、『Falbalas』(『偽れる装い』)、『Rue de l'Estrapade』(『エストラパード街』)

ジャック・リヴェット『La religieuse - Suzanne Simonin, La religieuse de Diderot』『修道女』

オーソン・ウェルズ『Une histoire immortelle』『不死の物語』

アベル・ガンス『Tour De Nesle』(『悪の塔』)

『レンブラント 描かれた人生』『ヘンリー八世の私生活』

『小津安二郎名作映画集10+10 1 東京物語+落第はしたけれど』

『青ひげ』

『不安は魂を食いつくす』

『オーケストラ・リハーサル』

『男の世界』

『恋人たち[HDマスター] ブルーレイ [Blu-ray]

『アリア HDマスター版』

『天使の入江』

『ジャック・ドゥミ短編傑作選』

『アンジェイ・ワイダ DVD-BOX II』

『恐るべき親たち』

『夢の中の恐怖』

『ジキル博士とハイド嬢』

『伝説の映画監督 ハワード・ホークス傑作選 DVD-BOX2』

『永遠の戦場』『無限の青空』『バーバリー・コースト』

『激怒』

『吸血鬼 ボローニャ復元版』

『伝説の映画監督 ハワード・ホークス傑作選 DVD-BOX1』『特急二十世紀』『今日限りの命』『エア・フォース』

『不滅の映画監督 ジョン・フォード傑作選 DVD-BOX3』

『四人の息子』『三悪人』

『吸血鬼ノスフェラトゥ 《IVC BEST SELECTION》』

『絞死刑』

『四季を売る男』『聖なるパン助に注意』

『沈黙の女 ロウフィールド館の惨劇』『主婦マリーがしたこと』

『影なき淫獣 完全版 -デジタル・リマスター版-』

『怪談 お岩の亡霊』

『徳川女刑罰史』『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』『徳川女系図』

『エロ将軍と二十一人の愛妾』『徳川セックス禁止令 色情大名』

『ドリアン・グレイの肖像』

『青ひげ』

『ソフィアの夜明け』

『カタリーナ・ブルームの失われた名誉』

『勝手にしやがれ』

『去年マリエンバートで』

『マダムと泥棒』

『野獣狩り』

『イップ・マン 序章&葉問』

『【Amazon.co.jp限定】ピーター・グリーナウェイ コレクターズ Blu-ray BOX』

『魚が出てきた日』

『二つの世界の男』

『モラン神父』

『緋ぢりめん博徒』『ならず者』『現代任侠史』

『剣と十字架』

『トロッコ』

『スプリング・フィーバー』

『カール・Th・ドライヤー コレクション 短編集』

『メロドラマの巨匠 ダグラス・サーク傑作選 DVD-BOX』

『ダグラス・サーク傑作選 わたしの願い』『ダグラス・サーク傑作選 ぼくの彼女はどこ?』『ダグラス・サーク傑作選 南の誘惑』

『地獄と高潮』

『天地創造』

『不滅の映画監督 ジョン・フォード傑作選 DVD-BOX2』

『周遊する蒸気船』『プリースト判事』『俺は善人だ』

『アモーレ』『ストロンボリ』『殺人カメラ』

『恋の情報網』

『ある結婚の風景 オリジナル版【HDマスター】DVD』『ある結婚の風景 オリジナル版【HDマスター】Blu-Ray』

『紙の花』

『ボディ・アンド・ソウル』

『悪の力』

『悪の神々』『出稼ぎ野郎』

『湖中の女』

『北西への道』

『円卓の騎士』

『オーケストラの少女』

『パーマネント・バケーション (Blu-ray Disc)』『パーマネント・バケーション [DVD]』

『ストレンジャー・ザン・パラダイス [DVD]』『ストレンジャー・ザン・パラダイス (Blu-ray Disc)』

『ダウン・バイ・ロー [DVD]』『ダウン・バイ・ロー (Blu-ray Disc)』

『カラヴァッジオ』

『彼女が消えた浜辺』

『ゾンビランド』

『飼育』

『ゲゲゲの女房』

『行きずりの街』

『キック・アス』

『不滅の映画監督 ジョン・フォード傑作選 DVD-BOX1』『不滅の映画監督 ジョン・フォード傑作選 真珠湾攻撃』『不滅の映画監督 ジョン・フォード傑作選 ミッドウェイ海戦/ドキュメント真珠湾攻撃』

『アメリカの巨匠 オーソン・ウェルズ DVD-BOX』

『55年夫妻』

『パリ20区、僕たちのクラス』

『シルビアのいる街で BD [Blu-ray] 』『シルビアのいる街で [DVD] 』

『マンディンゴ』

『ナイト・アンド・デイ』

『さすらいの二人』

『オペラハット』

『渇き』

『12の椅子』『ある官僚の死』

『ルシア』

『カール・Th・ドライヤー コレクション/ クリティカル・エディション むかしむかし』

『レオス・カラックス DVD-BOX』

『雲から抵抗へ+あの彼らの出会い』

『月光の女』

『カメラマン・コバック DVD-BOX 1 』

『アレハンドロ・ホドロフスキー DVD-BOX』『エル・トポ HDリマスター版』『ホーリー・マウンテン HDリマスター版』

『フォロー・ミー』

『インセプション 』

『ウンベルトD 』

『0課の女 赤い手錠』

『ジーンズブルース 明日なき無頼派』『狂った野獣』『日本暗殺秘録』

『王女メディア HDニューマスター版』

『アンジェイ・ワイダ DVD-BOX』

『カール・Th・ドライヤー コレクション クリティカル・エディション 不運な人々』

『メトロポリス 完全復元版』

『黒沢 清監督 推薦 死体を売る男』『黒沢 清監督 推薦 私はゾンビと歩いた!』『黒沢 清監督 推薦 キャット・ピープルの呪い』『黒沢 清監督 推薦 レオパルドマン 豹男』『黒沢 清監督 推薦 恐怖の精神病院』

『消された証人』『暗黒への転落』『大いなる別れ』『上海から来た女』

『アメリカ時代のフリッツ・ラングDVD-BOX2』 『外套と短剣』『恐怖省』『ビッグヒート 復讐は俺に任せろ』

『最後の突撃』

『暁前の決断』

『去年の夏、突然に』

『ファニーとアレクサンデル オリジナル版 HDマスター』

『痛ましき無関心』

『海の沈黙 HDニューマスター版』

『ダリオ・アルジェント魔女3部作ブルーレイBOX』

『ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実』

『侠骨一代』『日本侠客伝 白刃の盃』

『暴力金脈』『尼寺マル秘物語』『まむしの兄弟 傷害恐喝十八犯』『唐獅子警察』『実録外伝 大阪電撃作戦』『暴動島根刑務所』

『妻三人 狂乱の夜』

『アウトレイジ』

『SOIL~完全版~』

『雲から抵抗へ+あの彼らの出会い』

『イエジー・スコリモフスキ DVD-BOX』

『パサジェルカ』

『ドン・ジョバンニ (2枚組)』

『サバイバル・オブ・ザ・デッド』

『4匹の蠅』

『4Dマン・怪奇!壁ぬけ男』

『私の殺した男』

『リミッツ・オブ・コントロール』

『囚われの美女』

『日陽はしづかに発酵し・・・』『孤独な声』

『カール・Th・ドライヤー コレクション怒りの日』

『若者のすべて【HDニューマスター版】』

『アメリカ時代のフリッツ・ラング傑作選 DVD-BOX 1』

『暗黒街の弾痕』『マンハント』『死刑執行人もまた死す』)。

『マンハント』(ジュネス企画版)

『ヴァジニアの血闘』『コマンチェロ』

『晴れた日に永遠が見える』

『アメリカン・ジゴロ』

『サクリファイス スペシャル・エディション (2枚組) 』

『北朝鮮映画の全貌 ホン・ギルトン』『北朝鮮映画の全貌 花を売る乙女』

『桃太郎侍』『婦系図』『編笠権八』『忠直卿行状記』『昨日消えた男』

『牛の鈴音』

『RKO ホラーへの誘い』『黒沢 清監督 推薦 恐怖の精神病院』

『小人の饗宴』

『十三人の刺客』『緋牡丹博徒 お命戴きます』『爆裂都市 BURST CITY』

『アルフレッド・ヒッチコック HIS EARLY WORKS DVD-BOX』

『明日は来らず』

『倫敦(ロンドン)から来た男』

『影』

『危険な戯れ』

『アンドロクレスと獅子』

『ザ・シャウト さまよえる幻響』

『ボヴァリー夫人』

『アルプス颪/グレイト・ガッポクリティカル・エディション』

『幻の女』

『豹(ジャガー)は走った』

『倫敦(ロンドン)から来た男』

『アニエスの浜辺』

『抱擁のかけら』

『2H』

『拳銃の報酬』

『悪徳』

『暴力行為』

『パリ・オペラ座のすべて』

『カティンの森』

『36時間 ノルマンディ緊急指令』

『夜の人々』

『春の序曲』

『ポー川のひかり』

『アンナと過ごした4日間』

『カール・Th・ドライヤー コレクション 奇跡 (御言葉) 』

『フランスの巨匠 ジャン・ルノワール DVD-BOX リクエスト復刻箱』

『イングロリアス・バスターズ』

『誇り高き男』

『 <岡本喜八監督作品> どぶ鼠作戦』

『クリーン』

『スリ』

『ヴィターリー・カネフスキー DVD-BOX』

『襲われた幌馬車』

『血を吸うカメラ 【ベスト・ライブラリー 1500円:ホラー特集】』

『スペル コレクターズ・エディション』

『溶岩の家』

『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』『玉割り人ゆき』

『バッタ君 町に行く』

『たぶん悪魔が』『湖のランスロ』『バルタザールどこへ行く』『少女ムシェット』

『ラ・ジュテ -HDニューマスター版-』

『血』

『忘れられた人々』

『アレクサンドル・ソクーロフ DVD-BOX 3』

『ジャックポット』

『チャップリン メモリアル・エディション DVD-BOX IV』

『四川のうた』

『マダムと女房/春琴抄 お琴と佐助』

『阿賀の記憶』『阿賀に生きる』

『イタリアの巨匠 ロッセリーニDVD-BOX リクエスト復刻箱"ボックス"』

『ロシア革命アニメーション コンプリートDVD-BOX』

『DVDBOXノーマン・マクラレン マスターズ・エディション』

『カール・Th・ドライヤー コレクション ゲアトルーズ 』

『イジー・メンツェル DVD-BOX』

『カラスの飼育 HDニューマスター』

『殺人幻想曲』

『戦慄の七日間』

『逃亡地帯』

『乱暴者』

『クィーン・ケリー クリティカル・エディション 』

『意志の勝利』

『決斗!一対三』

『青い戦慄』

『十字路』

『SELF AND OTHERS』

『追臆のダンス』

『解散式』『暴走パニック 大激突』

『のんき大将』『アルチバルド・デ・ラクルスの犯罪的人生』

『万華鏡(英語字幕版)』

『ミネソタ大強盗団』

『夏時間の庭』

『ジョン・カサヴェテス 生誕80周年記念DVD-BOX HDリマスター版』

『ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー BOX 5 (シナのルーレット/ペトラ・フォン・カントの苦い涙/悪魔のやから)』

『陰獣』

『ざくろの色 プレミアム・エディション 「ざくろの色」デジタルリマスター版+「パラジャーノフ・コード」』

『愚かなる妻 クリティカル・エディション』

『につつまれて/きゃからばあ』

『ジャン・ルノワールの小劇場 』『恋多き女』『ラ・マルセイエーズ』『素晴らしき放浪者』『牝犬』

『ロビンソン漂流記』『それを暁と呼ぶ』

『果てなき船路』

『ロルナの祈り』

『アストレとセラドン 我が至上の愛』

『踊る海賊』

『月蒼くして』

『攻撃』

『THE LAST SUNSET』

『王国の鍵』

『豚小屋』『アポロンの地獄』『大きな鳥と小さな鳥』『愛の集会』『奇跡の丘』『アッカートネ』

『砂漠のシモン』『哀しみのトリスターナ』『ブルジョワジーの秘かな愉しみ(1972) 』『小間使の日記』

『牝犬』『黄金の馬車』『恋多き女』

『ざくろの色 プレミアム・エディション 「ざくろの色」デジタルリマスター版+「パラジャーノフ・コード」』

『坊やに下剤を』『のらくら兵』『草の上の昼食』『素晴らしき放浪者』

『ナサリン』『河と死』

『日曜はダメよ』

『攻撃』

『狩人の夜』

『黒い眼のオペラ』

『チェンジリング』

『大島渚 4 - 愛のコリーダ/愛の亡霊/マックス、モン・アムール』

『ジャック・ドゥミ初期作品集DVD-BOX』

『砂丘 (初回限定版)』

『去年マリエンバートで HDニューマスター版 [DVD]』

『王女テラの棺』

『白い肌の異常な夜 コレクターズ・エディション』

『ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー DVD-BOX 4』

『アシャンティ』

『アリババと四十人の盗賊』

『幻影は市電に乗って旅をする』

『女優ナナ』『カトリーヌ』

『踊る海賊』

『大疑問 <全長版> 』

『不思議の国のアリス 1903-1915』

『馬上の男』『叛逆の用心棒』

『恐怖城 ホワイト・ゾンビ』

『ジャーマン+雨』

『ロシュフォールの恋人たち デジタルリマスター版(2枚組)』『モン・パリ』『シェルブールの雨傘 デジタルリマスター版(2枚組)』

『ドヌーヴ×ドゥミ×ルグラン コンプリートDVD-BOX(7枚組)』

『NIKKATSU COLLECTION 天使のはらわた 赤い眩暈』『NIKKATSU COLLECTION 神々の深き欲望』『NIKKATSU COLLECTION にっぽん昆虫記』『NIKKATSU COLLECTION 炎の肖像』『NIKKATSU COLLECTION 蕾のルチア』『NIKKATSU COLLECTION リボルバー』

『愛のそよ風』

『白い肌の異常な夜』

『ジキル博士とハイド嬢』

『コロッサル・ユース』

『ギャング対Gメン』『仁義の墓場』『県警対組織暴力』『現代やくざ 人斬り与太』

『ギャング対ギャング』

『やくざ戦争 日本の首領〈ドン〉』

『喜劇 急行列車』

『奇跡の丘』『アッカートネ』『愛の集会』

『歩兵の前進』

『糧なき土地-ラス・ウルデス』『ビリディアナ』

『裁きは終わりぬ』

『港のマリー』

『偽れる装い』

『オルフェの遺言-私に何故と問い給うな-』

『密告』

『 <エンタメ・プライス> ショック集団』

『 <エンタメ・プライス> イメージズ 』

『砂丘の敵』

『激戦地』『北極星』

『TOKYO!』

『この自由な世界で』

『原始惑星への旅 新訳版』

『驚異の透明人間』

『白衣の男』

『ピーター・セラーズの労働組合宣言!!』

『夢の中の恐怖』

『賭博師ボブ』

『天使』

『間諜X27』

『人生模様』

『唇からナイフ』

『皆殺しの天使』

『おくりびと』

『横浜に現れた!鞍馬天狗』

『夜歩く男』

『映画創世期短編集/ジョルジュ・メリエスの月世界旅行 他三編 』

『惑星Xから来た男 』

『ティム・バートンのアラジンと魔法のランプ』

『デイヴィッド・リンチ・ワールド DVD-BOX【期間限定生産】』

『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』

『山中傳奇』

『果てしなき蒼空』

『世界を彼の腕に』

『真珠の首飾り』

『悪の花園』

『接吻 デラックス版 』

『リダクテッド 真実の価値』

『R246 STORY 浅野忠信監督作品 224466』

『ランジェ公爵夫人』

『東京暗黒街・竹の家』

『二重結婚者』

『赤軍‐PFLP 世界戦争宣言』

『抵抗-死刑囚は逃げた』

『フランソワ・トリュフォーDVD-BOX「14の恋の物語」[I]』『フランソワ・トリュフォーDVD-BOX「14の恋の物語」[II]』『フランソワ・トリュフォーDVD-BOX「14の恋の物語」[III]』

『コッポラの胡蝶の夢 スペシャル・エディション(2枚組) 』

『女鹿』

『イントレランス(淀川長治解説映像付)』

『さすらいの二人』

『白と黒のナイフ』

『ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー DVD-BOX 3』

『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』

『赤い影』

『アキレスと亀』

『野獣刑事』

『アメリカ』

『猫とカナリヤ』

『国際諜報局 プレミアム・エディション』

『江戸川乱歩の陰獣』

『浪人街』

『王になろうとした男』

『シチリア! コレクターズ エディション』

『クロード・シャブロル コレクション 不貞の女』

『イントレランス クリティカル・エディション』

『映画作家ストローブ=ユイレ あなたの微笑みはどこに隠れたの?』

『黄色いロールスロイス』

『前田陽一監督作品 SELECTION(3枚組)』

『原子人間』

『ビクトル・エリセ DVD-BOX』

『明治一代女』

『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』

『マニアック・コップ』

『女ともだち』

『生き残るヤツ』

『ズール戦争』

『ルイス・ブニュエル DVD-BOX 6』

『國民の創生 グリフィス短編集 クリティカル・エディション』

『レ・ヴァンピール-吸血ギャング団- BOX クリティカル・エディション』

『密告』

『ふたり』

『ザ・デッド ダブリン市民より』

『國民の創生』『嵐の孤児(全長版)』

『地球最後の女 アイ・アム・ウーマン・オブ・レジェンド』

『和解せず/マホルカ=ムフ』

『夜顔』

『パラノイドパーク』

『Pieces of TOKYO!~映画「TOKYO!」サブテキスト』DVD

『ソール・バスの世界』

『地球爆破作戦』

『月世界征服』

『戦場よ永遠に』

『スイス・コネクション 狙われたブラック・マネー』

『シヴィリゼーション 小津安二郎の愛した映画』

『すべての些細な事柄』『動物、動物たち』

『ミニー&モスコウィッツ』

『サラトガ本線』

『私はゾンビと歩いた!』

『殺人容疑者』

『愛欲の罠』

『陽気な中尉さん』『ラヴ・パレード』

『夕なぎ』『秘密の儀式』

『大追跡』

『レディアサシン』

『巴里祭』『ル・ミリオン』

『コーエン・ブラザーズ コレクショ

『火の馬 プレミアム・エディション デジタル・リマスター版』

『ジェリー・ルイス キング・オブ・コメディBOX』

『地獄の警備員』

『曽根崎心中 【初DVD化】』

『ニコラ・フィリベール レトロスペクティヴ DVD-BOX』 『かつて、ノルマンディーで』

『マーゴット・ウェディング』

『潜水服は蝶の夢を見る 特別版【初回限定生産】』

『ミリキタニの猫』

『ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション』

『石の微笑』

『闇の曲がり角』

『深夜復讐便』

『情無用の街』

『雷鳴の湾』

『顔のない殺人鬼』『幽霊屋敷の蛇淫』

『ルイス・ブニュエル DVD-BOX 5』

『恥 (特別編)』 『狼の時刻 (特別編)』

『隣りの八重ちゃん』

『清水宏監督作品 第二集~子どもの四季~』

『それぞれのシネマ ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~』

『山の焚火』

『ロベール・ブレッソン DVD-BOX 2』

『8 1/2 愛蔵版』

『佐藤真監督作品BOX』

『「ヒドゥン」&「ヒドゥン2」ツインパック』

『リオ・ブラボー』

『カメレオンマン』

『フリッツ・ラング コレクション ハウス・バイ・ザ・リバー』

『ジャン=リュック・ゴダール フィルム・コレクション』

『忘れられた人々』

『有りがたうさん』按摩と女』『簪(かんざし)』『小原庄助さん』

『河瀬直美ドキュメンタリーDVD-BOX』

『影なき殺人』

『長江哀歌』

『水没の前に』

『F・W・ムルナウ コレクション タブウ クリティカル・エディション』

『忘れられた人々』『乱暴者』『愛なき女』

『マラノーチェ』

『死神の谷』

『HAXAN 魔女』

『X線の目を持つ男』『蜂女の恐怖』

『グラインドハウス コンプリートBOX 【初回限定生産】』

『石井隆監督3作品+特典BOXケース』

『清水宏監督作品 第一集 ~山あいの風景~』

『石井輝男 地帯 (ライン)シリーズ コンプリートボックス』

『殯の森』

『ペドロ・コスタ DVD-BOX』

『ストローブ=ユイレ コレクション アンティゴネー (ソポクレースの《アンティゴネー》のヘルダリーン訳のブレヒトによる改訂版(1948年))』

『カインド・ハート』

『ブルー・ガーディニア』

『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』

『とらんぷ譚』

『三文オペラ』

『恋人たちの時刻』

『魚影の群れ』

『ヒポクラテスたち』

『不死身の保安官』

『青山真治 TRILOGY BOX [初回限定生産]』

『日活名作ロマンシリーズDVD-BOX 女優選集 Vol.1』

『恋山彦』

『要塞警察 デラックス版』

『続 地獄の天使』

『嵐の青春』

『聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ』

●詳細は「映画DVD 新作情報」で確認してください。ほかにもまだまだあります。「 DVD 新作情報 Archive1」、「DVD 新作情報 Archive2」もチェック。

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2016年12月3日
エリック・ロメール『クロイツェル・ソナタ』

エリック・ロメール『クロイツェル・ソナタ』★★

レフ・トルストイの原作を習作時代のロメールが映画化した短編。ロメールは監督・脚本のみならず、主演もつとめている。製作担当のゴダールが、ロメールの知人役で出演しているのも見逃せない。クレジットはされていないが、撮影にはリヴェットも手を貸したという。

ロメールが俳優として登場する映画はこれ以外にもあるが、この映画のかれは、怒りにまかせて食器を床にたたきつけたり、相手を殴りつけたりと、なかなかの熱演ぶりで、最後は妻をナイフで刺し殺しさえする。こんなに熱情的なロメールは見たことがない。

映画は、そのクライマックスの殺人シーンからはじまるのだが、これもまたロメール作品としては異例のことだ。ロメールはこの作品をサイレント映画として撮っていて、そこにナレーションと音楽だけを重ねるという特殊な作り方をしている。冒頭のシーンから、映画は主役であるロメール自身の声にによるナレーションとともに、かれが未来の妻となる女性とジャズ・クラブで出会う場面にフラッシュバックしてゆく。 互いに愛のないことがわかっている2人が結婚し、当然のごとく結婚生活が破綻してゆく様が描かれるのだが、ロメールのこの映画にはトルストイの原作とは異次元の陰鬱さが漂っていていささか面食らう。だれかが言っていたが、ここにはたしかに吸血鬼映画を思わせるところがある。この映画のロメールはまるでムルナウ映画のノスフェラトゥのようではないか。

ロメールは映画のなかでほとんど音楽を使わない監督なのだが、この映画では、最初から最後まで音楽が流れつづけるのもまた珍しい(もちろん、音楽はベートーヴェン)。

古典文学の映画化だが、いかにもヌーヴェル・ヴァーグの映画らしく、ここにも途中で、「カイエ・デュ・シネマ」の事務所が一瞬映し出されて、アンドレ・バザンや、シャブロル、トリュフォー、シャルル・ビッチなどが顔を見せる場面がある。これも見逃せない。

公式の場所では2回ほどしか上映されたことがなく、長らく幻の作品だったが、数年前にデジタル化されて DVD・Blu-ray でも見られるようになった。

2016年12月1日
ジョゼフ・ロージー『The Gypsy and the Gentleman』

べつに忙しかったわけではないのだが、なんだか何もやる気が起きず、すっかりブログの方もご無沙汰している。そろそろ更新しようと思う。しかし、長いものはかけそうにないので、まずは短い記事から。

 

■ジョゼフ・ロージー『The Gypsy and the Gentleman』(58) ★½

 

ジョゼフ・ロージーが赤狩りに追われて亡命先のイギリスで撮った時代物。

ロージーという監督はときどき、なぜこんなものを撮ったのだろうという映画を撮って我々を悩ませる。これもそんな1本だ。そんなに出来が悪い映画ではない。ただ、あまりロージーらしくないのだ。

19世紀、摂政時代のイギリスが舞台。ロージーが20世紀以前の時代に設定された物語を撮るのはたぶんこれが初めてであり、それ以後も、『恋』や、音楽劇『ドン・ジョヴァンニ』など、ほんの数えるほどしか撮っていない。その点では、重要な作品である。ロージーは、摂政時代の風俗を描くことに意欲的だったというが、プロデューサーとの対立から、完成前に作品から手を引くことになる(メルクーリを監視しに(?)いつもセットにやってくるジュールス・ダッシンも目障りだったらしい)。彼のインタビューの言葉には、もっといい映画になっていたはずなのにという無念さがにじみ出ている。

 

自堕落な生活を送る貴族ポールは、たまたま知り合ったジプシーの女(メリナ・メルクーリ)を下女として屋敷に住まわせる。ジプシー女は、ポールの財産欲しさに、彼を誘惑し、とうとう思惑通りに結婚して屋敷の女主人におさまる。しかし、実は、男は破産寸前で、何もかもが抵当に入っているのだった。そんなとき、男の妹に遺産が転がり込む。ジプシー女は妹をだまして、遺産を手に入れようとし、情夫と共謀して、妹を屋敷近くの塔に閉じ込めさえする。ポールは、ジプシー女には愛人がいて、自分の財産にしか興味がなく、あまっさえ妹の命まで危険にさらそうとしていることを知っても、自堕落な生活を変えることができず、ジプシー女とともに文字通り堕ちてゆく……。

階級も生活環境も違うストレンジャーが家のなかに入り込み、時には主従の関係を逆転させさえして、家庭を崩壊させてゆくというのは、ロージーが何度も繰り返し描いてきた物語であり、そういう意味では、これはいかにもロージー的な物語である。なのにここには、ロージーの失敗作にさえ強烈に感じられるロージー的な〈嫌らしさ〉のようなものが希薄で、全然ロージーらしくない。むしろ、クライテリオンから DVD-BOX が出ているゲインズボロー・ピクチャーズ製作の『The Wicked Lady』などの一連の時代物メロドラマとの親近性を感じさせる作品である。ラオール・ウォルシュがもしこれを映画化していたなら、きっとすばらしい映画になっていたに違いないとも思う。

馬車とともに川に落ちたポールが、必死で這い上がろうとするジプシー女の口をキスでふさぎながら水中へと引きずり込んでゆくラストが印象深い。

 

2016年10月27日
シャフラム・モクリ『Fish & Cat』——ワン・カットの長回しで撮られたイラン製ホラー映画

シャフラム・モクリ『Fish & Cat』★★½

全編ワン・カットで撮られたイラン製スラッシャー(?)映画。好奇心で見たのだが、意外と面白かった。

イランのレストランで人肉の料理を出していたコック数人が逮捕されるという事件があったことを伝える字幕が冒頭に現れる。 カメラは最初、人気のない場所にぽつんとある小屋を捉える。建物の前に長椅子が並べられていて、そこに2人の男が立っている。あたりには、中が血のように赤く染まっているナイロン袋が2つ3つ無造作に置かれている。2人はレストランのコックで、ナイロン袋の中には食材が入っているだけなのかもしれないが、なにやら不気味だ。 するとそこに、少し離れた道路に止まった車から若い男が下に降りてきて、コックらしき男に道を尋ねる。かれは友達数名で凧揚げコンテストのキャンプ場に向かう途中で道に迷ったという。男は青年に免許証を見せろといい、青年がためらいがちに手渡すと、それをひっつかみ、汚れているといって、つばを吐きかけてシャツで拭こうとする。シャツの胸元にはべっとりと血がついている(コックならばそれも不思議はないが、やはり気味が悪い)。男は青年の免許証を、まるで人質にでもするかのようにもうひとりの男に手渡す。男は青年を何とか小屋の中に引き入れようとするが、もうひとりの男が小声で、「人が多すぎるから、いまはやめておけ」と囁く。青年はやっと解放されて、仲間の乗った車でその場を去る。

まるで、『悪魔のいけにえ』のような始まり方だ(もっとも、カメラは小屋の中には入らない。それどころか、この映画には屋内シーンは1つもなく、カメラは屋外を動き回るだけである)。

コックの男は赤く染まったナイロン袋を片手にもち、もうひとりの男と並んで、レストラン裏の森の道をどこかに向かって歩き始める。カメラは2人の背中を、カットすることなく追い続けてゆく。やがて彼らは森を抜けて、湖畔のキャンプ場にたどり着くのだが、実は、ここは先ほどの若者たちが向かっていた凧揚げコンテストの参加者たちがキャンプしている場所なのである……。

こうしてカメラは、キャンプ場の若者たちと、不気味な2人の男、さらにはその仲間らしき薄気味の悪い双子(?)などが、不意にフレームの中に入ってきて、ときにはかりそめの会話を交わし、また消えてゆくのを、切れ目なしに追いかけつづける。

「魚と猫」というタイトルは、獲物と捕食者の関係をさしているのではないかと思うのだが、ひょっとしたら思いもかけない深い意味があるのかもしれない。それはともかく、冒頭の字幕と、赤く染まったナイロン袋、コック男の怪しげな言動などから、観客は早いうちから何かよからぬ事が起きるのではないかと予感しはじめる。その実、決定的な出来事はほとんど何も起きないと言ってもいいのだが、ワン・カットの長回しは張り詰めた空気を途切れることなく持続させていく。

もっとも、全編ワン・カットの長回しといっても、いまのデジタル撮影の時代にはそう難しいことではなく、少なからぬ作品がすでにこの手法で撮られてきた。むろん、そうとうな準備がいるし、現場での撮影も大変であることは想像がつく。それでもやはり、デジタルで撮られたそれらの作品には、実はフィルムの切れ目をうまくごまかして繋いであるだけのヒッチコックの『ロープ』を見ているとほどの緊迫感が欠けることもたしかである。

この『Fish & Cat』にもそれは感じられる。登場人物はそれほど多くはないとはいえ、それなりの数が登場するのだが、カメラが捉えるのはほとんどの場合2人だけで、カメラは、かれらが会話を交わした後で、あるいは会話を交わしている間じゅう移動しつづけ、やがて別の2人をフレームに収める。その繰り返しなので、長回しといっても、いささか単調な印象を与えるのも事実だ。それでも、一見どうでもいいように思える出来事を描きながら、サスペンスを持続させてゆく手腕はまずまずのものであるといえる。

しかし、実は、わたしが面白いと思ったのはそこではない。実験映画のように撮られたホラーとして始まったこの映画は、後半になって思いもかけない方向に横滑りしてゆくのである。えっ、そんなところに行っちゃうの? と、ちょっと呆気にとられてしまうような不意の転調とでも呼ぶべきものが実に面白く、ラストショットも意表を突いている。本当に書きたかったのはそこの部分なのだが、それを書いてしまうと見たときの驚きがなくなってしまう。ここではあえて語らないでおく。

この映画は日本では未公開のはずであるが、ひょっとしたらどこかで上映されたことはあるかもしれない。数年前に撮られた映画なのに、DVD もなぜか入手しがたくなっている。Amazon.com では絶版扱いになっていたので、Amazon.uk のリンクを張っておいた(少し値がついている)。5年10年と待っていれば、イラン映画祭などで上映されることがあるかもしれない。とにかく、機会があれば一度見ておいて損はない映画である。

 

2016年10月27日
マリオ・カメリーニの30年代についての覚書――ファシズムの時代のカーニヴァル的コメディ

たかだか10本ほどしか見ていないのに断言するのもなんだが、やはりカメリーニの30年代作品は格別だ。それは、30年代に撮られた『Il cappello a tre punte』(35) とそのリメイクである『バストで勝負』(55) を見比べてみれば歴然としている。『Il cappello a tre punte』の繊細かつ軽妙なタッチと、レダ・グロリアの上品な演技に比べれば、『バストで勝負』もそれなりに面白くはあるとはいえ、いかにも繊細さに欠けるし、ソフィア・ローレンの演技も下品とはいわないまでも、ちょっと肉体が無駄に主張しすぎている。

カメリーニの映画を初めて見たのはカーク・ダグラス主演の『ユリシーズ』だったと思う((当時は、日本で見られるカメリーニの映画といえばビデオで発売されていたこの映画くらいしかなかった。いまでも状況は変わっていない。というか、『ユリシーズ』のビデオすらいまではレアなものになってしまった。))。これも叙事詩映画としてはなかなか面白いとは思ったが、正直、この監督のどこがそんなに凄いのかよくわからなかった。ただ、これがこの監督の得意なジャンルではないのだろうという見当はついた。そのだいぶ後に見た『不幸な街角』(48) などは、カメリーニの才能がネオリアリズム映画にも自然となじむことを示した戦後の傑作の1つであるといっていい。主演のアンナ・マニャーニの演技も実に素晴らしかった。しかし、この監督の才能に本当に気づかされたのは、次に見た、『ナポリのそよ風』であり、30年代に撮られた傑作群だったのである。カメリーニという監督の個性と才能について語るには、やはり彼の30年代の作品を見てからでないと話にならない。

以下、何本かの作品について簡単に紹介する。

 

■『殿方は嘘吐き』(Gli uomini, che mascalzoni..., 32) ★★★

カメリーニはサイレント時代に映画を撮り始めたが、これといって評判を呼ぶことはなかった(実は、カメリーニのサイレント作品は見たことがないので、それが実際にはどれほどのものだったのかはわからない)。この『殿方は嘘吐き』は、トーキーになってからカメリーニが初めて成功をつかんだ作品だった。

ヴィットリオ・デ・シーカがかつて俳優だったことを知らない人がひょっとしたらいるかもしれない。この映画はデ・シーカの俳優としての記念すべきデビュー作であり、作中で歌まで披露している(彼が映画のなかで唄った歌はヒットした)。冒頭、デ・シーカは自転車に乗って登場し、ヒロインに一目惚れする。蓮實重彦も『映画論講義』でちょこっとふれている、デ・シーカがヒロインの乗った路面電車を追いかけて自転車で併走するシーンが素晴らしい。のちに『自転車泥棒』で有名になる彼が、自転車に乗った姿で初めて映画に登場するというのが面白いところだ。

ところで、この映画には、自転車、自動車、タクシー、路面電車、さらには遊園地のゴーカートまで、様々な乗り物が登場する。乗り物は地位の象徴でもあるし(自転車をバカにされた整備工デ・シーカは、雇い主の車を借りて颯爽とヒロインをデートに誘いに行く)、生活の手段でもあり(ヒロインの父親はタクシーの夜間運転手である)、ときには男女の駆け引きの場となる(整備工をクビになったデ・シーカは運転手になるのだが、そこにヒロインが別の男と乗り込んでくる。あるいは、仲違いをしたデ・シーカが別の女と乗ったゴーカートを、ヒロインがこれまた別の男の乗っているゴーカートにぶつける場面は『少女ムシェット』の遊園地のシーンを思い出させる)。

出会い、誤解、すれ違い、そしてハッピーエンド。描かれるのは実にたあいもない恋愛話であるのだが、ミラノでのロケーション撮影(これは当時としては稀なことだったはず)が素晴らしく、まるでネオリアリズムの映画を見ているかのような、もっというならばヌーヴェル・ヴァーグの映画を見ているかのような、新鮮な空気がこの作品にはみなぎっている。社会的なメッセージ性はほとんど感じさせない映画ではあるけれども、当時のミラノの街の風景を捉えた部分はまるでドキュメンタリーを見ているようだ。そして、見終わったときには、良質のハリウッド映画を見たときのような幸せな気分になる((アンドレ・バザンの評論のなかでも、カメリーニのこの作品はネオリアリズムの先駆的作品の一つとして名前が挙がっている。もっとも、バザンがカメリーニについて書いたことはほとんどなかった。))。

この映画のデ・シーカは、最初、ヒロインの気を惹こうとして身分を偽る。本当はただの整備工なのに、借り物の車を自分の車だと思わせ、金持ちのふりをするのである(結局、それがもとで2人の関係は危うくなるのだが)。身分を偽り、別の階級の人間になること。貧乏人と金持ちが逆転すること。これは、カメリーニの30年代の作品で何度も繰り返し描かれるテーマであり、次に紹介する2作品でもそれは当てはまる。

 

■『Il cappello a tre punte』(35) ★★★

これは一転して時代劇。タイトルの意味は多分「三角帽子」くらいの意味で、おそらく登場人物の三角関係をさしているのだろう。

スペインの総督が貧しい粉屋の美しい妻カルメラに横恋慕する。総督は女の夫ルカを投獄し、その隙に女の家に忍び込む。一方、牢屋を抜け出して家に戻ってきたルカは、妻と総督の密会の現場を目撃する(実際には、カルメラは総督をうまくあしらって夫の釈放許可証にサインさせていたのだが、ルカは妻が浮気をしていると勘違いする)。ルカは腹いせに、脱ぎ捨ててあった総督の服を着て総督になりすまし、総督の屋敷に行ってその妻を寝取ろうと考える。結局、ルカは総督の妻の前で何もかもを打ち明けて、許しを請う。そこで総督の妻は、浮気な総督を懲らしめるために一芝居を打つ。彼女は、寝間着を着たままカルメラと一緒に駆けつけた総督に向かって、「総督なら寝室にいる」と言ってまったく取り合わない。カルメラは夫が、総督は妻が、浮気をしたのではないかと気を揉むが、結局、カルメラとルカは仲直りし、総督も妻の尻に敷かれながらも、何とか元の鞘に戻る。

この映画でも、総督と平民ルカとの身分の逆転が喜劇的な状況を生んでいる。権力者である総督は徹底的に滑稽な存在として描かれるが、一方で、平民の夫の方も、身勝手で、無分別で、決して利口とは言えない人間として描かれていて、女たちの凛とした存在感が際だつ。ルビッチならばもっと残酷な切れ味の作品になったかもしれないようなドラマチックな物語を、カメリーニはあくまで軽妙に映画にしている。

ここに描かれているのが時の権力者である事を考えると、どうしても政治的な隠喩を読み取りたくなってしまう。カメリーニがこの映画でムッソリーニを揶揄する意図があったかどうかはわからない。しかし、この映画のなかで独裁者と不平等な税金をからかった部分が、検閲で削除されたことは記しておく。

 

■ 『Darò un milione』(35) ★★★

むかし『百万円貰ったら』という映画があったが、この映画のタイトルの意味は「百万円あげよう」。

映画は「金銭的問題」から1人の浮浪者が海に向かって飛び込むところから始まる。近くに停泊していたクルーザーのデッキの上からその様子を見ていた大金持ちの青年ゴールド(わかりやすい名前だ)によって、『素晴らしき放浪者』のブーデュよろしくかれは海から救い出される((この当時のイタリア映画はアメリカ映画から大きな影響を受けていた(とりわけキャプラ)。しかし、ヨーロッパ映画の影響もしばしば指摘される。先ほどふれた、バザンがカメリーニついて言及した評論のなかでも、とりわけジャン・ルノワールとルネ・クレールの映画が果たした決定的な影響が指摘されている。))。だが映画の主人公は浮浪者ではなく、彼を助けた金持ちの青年のほうである。青年を演じているのはまたしてもデ・シーカだ。 ゴールドは、浮浪者が寝ているあいだに、自分の持ち金と着ていた服を置いて、代わりに浮浪者の服を着て姿を消す。ゴールドが浮浪者に語った「もし、わたしが金持ちだと知らずに、わたしに親切にしてくれる人がいたら、100万リラあげてもいい」という言葉が新聞記事になり、街は大騒ぎになる。昨日まで見向きもされなかった街の浮浪者たちが、ひょっとしたらその金持ちかもしれないという理由で、手のひらを返したようにもてなされ始めたのだ。

ゴールドは、サーカスから逃げ出した計算犬(算数ができる犬)を助けたことで、サーカス団の娘と知り合い(この犬も『素晴らしき放浪者』に出てくる迷子の犬のレニミサンスか?)、サーカスに潜り込む。ここでも100万リラ目当てに浮浪者たちを招待してのお祭り騒ぎが繰り広げられている。ゴールドはそんな偽善者たちにうんざりし、信じていた娘のことも、金目当てだったのだと誤解して、ひとりクルーザーに帰ろうとする。むろん最後は、娘の心根に気づき、ゴールドは娘を連れて船に戻り、彼女は、そこで初めて、彼こそが大金持ちの青年だったと知るというハッピーエンドだ。

金持ちと浮浪者の逆転はいつものパターンだが、ここではそれが街全体を一種のカーニヴァル状態へと巻き込んでゆく。しかも、主人公が潜り込む世界はまさにサーカスのテントの中であり、非日常はいっそう強調される。しかし、一方で、この映画は、今回紹介した3作の中でもっとも辛辣な社会風刺がこめられた作品であると言っていい。

カメリーニの30年代のコメディはいずれも、ムッソリーニのファシズム政権のまっただ中で撮られた。それらは、基本的には、ファシズムに抵抗することなく、また逆に肯定することもなく、あくまでも政治とは無関係なスタンスで作られていると言っていい。『ナポリのそよ風』に出てくる家庭には、ムッソリーニの写真がなにげに飾られていたと思うのだが、そこには、政権を支持する意図も、逆に、異議を唱える意図も感じられなかった。とはいうものの、まえに取り上げたカリグラフィスモの作品のように、現実からまったく逃避した世界が描かれるわけでもない。この映画も、一見おとぎ話のように見えるが、生(なまの)現実があちこちに顔を覗かせる。

ヒロインを演じるアッシア・ノリスは、ムッソリーニの時代に「国民の恋人」として愛されたスター女優で、カメリーニと結婚した。この作品以外にも、デ・シーカとはカメリーニ作品で何度も共演している。皮肉なことに、ムッソリーニの失脚と同時に、彼女の人気も急激に落ちていった。

脚本を書いたのはチェザーレ・ザバッティーニ。デ・シーカとザバッティーニはいうまでもなく、のちに『自転車泥棒』で監督と脚本家としてコンビを組むことになる。この映画はこの2人が、俳優と脚本家というかたちではあるが、初めて組んだ作品だ。これも映画史的には重要なポイントである。

2016年10月20日
ラウル・ルイス『盗まれた絵の仮説』——幻惑する2人の語り手

 

ラウル・ルイス『盗まれた絵の仮説』★★★½

 

ピエール・クロソウスキーの奇々怪々な小説『バフォメット』に基づいて、というよりは、この本に緩やかにインスパイアされて作られた映画で、ルイスの名を世に知らしめた初期の代表作である。ずいぶん久しぶりに見直した。

ここに描かれるのは、19世紀に存在したアカデミックな画家トネール((トネールという名前は、クロソウスキーが画家になる以前に、小説「ロベルト三部作」の1つ『歓待の掟』の中に登場させていた架空の画家、フレデリック・トネールを直ちに思い出させる。登場人物オクターヴの日記の中でこの虚構の画家は、第二帝政時代の女性を描き、クールベ、モネらとも接触があったなどと書かれている。この映画に登場するトネールははたして、このフレデリック・トネールと同一人物なのか。しかし、ジッドからニーチェを経由して「贋造」の概念を独自に発展させたクロソウスキーにとって、そしておそらくはそこから遠くないところで映画を撮っているルイスにとって、自己同一性などといったものがどれほど曖昧で、当てにならないものかを知っているものならば、そのような問いはほとんど無意味であることがわかるだろう。))が残した7枚の絵=タブロー(そのうちの一枚は紛失しているので、正確には6枚)の世界だ。架空の人物であるこの謎めいた画家の絵を所有する、これまた謎めいたコレクターが、絵と絵のあいだの隠された繋がりを探りながら、一見ごく普通に見えるトネールの絵がなぜ当時スキャンダルとなったかを、探偵よろしく推理してゆく。こうしてコレクターが最後にたどり着くのは、かつてテンプル騎士団によってあがめられた、アンチ・キリストの化身とも言われる「悪魔的な両性具有神パフォメット」の存在だ。トネールの絵はこのバフォメットと関係のある〈儀式〉を表している。いや、その〈儀式〉そのものであるのだ……。

こんなふうに書くと、この作品がまるでトム・ハンクス主演の『天使と悪魔』のようなものに思えてくる。むろん、ルイスのこの映画は、そんな映画とは似てもにつかない奇妙奇天烈なものだ。 冒頭、美術館のような館の広間に画架に掛けて並べられたトネールの絵の間を、カメラが縫うようにして移動していくと同時に、謎のコレクターがこの画家について蕩々と語り始める。このコレクターはこの映画に登場するただ一人の人物である。いや、「ただ一人」のというのは正確ではない。コレクターが別の広間に移動すると、そこには、トネールの絵を人間によって再現した活人画((活人画 tableau vivant を描いた映画はいくつか存在する。いちばん有名なのは、ゴダールの『パッション』だろうか。この映画では、ポーランドからフランスにやってきた監督が、ドラクロワやゴヤの絵を活人画として再現する映画を撮ろうとするのだが、満足な光がえられず、女性関係でも様々な問題を抱え、制作は頓挫する。))が繰り広げられているのだ。もっとも、活人画を演じている人間たちは、少しばかり体を揺らしたりして生きていることを証明する以外は、まったく動かず、言葉も発しない。だから、言葉を発し、動き回る人物は、このコレクターだけだというのなら正しいと言える(いや、言葉を発する人物がこのコレクターだけだというのも本当は正確ではないのだが、そのことについては後でふれることにする)。

コレクターが別の部屋に移動すると、そこにはまた別の活人画が繰り広げられている。こうしてかれは、迷路のような館の広間をめぐりつつ、画家の絵と絵、活人画と活人画のあいだに隠された密かな関係を導き出してゆく。鏡による光の反射、2つの太陽……。彼の語る衒学的な言葉は、説得力があるようでもあり、また、デタラメで、途方もないものにも思える。それにしても、活人画とはいったい何なのだろうか。それは絵画以前の存在でもあり、また以後の存在でもある。つまり、絵画がそれを描いたものでもあり、また絵画から生まれたものでもある。そういう意味で、活人画は、オリジナルとコピーの関係を無効にするような存在であり、クロソウスキーがいうところの〈シュミュラクル=摸像〉からも遠くないように思える(しかし、これはわたしの能力を超える話題だ)。こうして原因と結果の時間軸から抜け出すだけでなく、活人画はまた、動と不動、表面と奥行き、物体と生物のあいだの境界をことごとく無効にしてしまう。これだけでもテーマとしては非常に面白いものだが、あまり深入りしている余裕はないのでこれくらいにしておこう。

(チェスをするテンプル騎士団の活人画。窓から差し込んでいる光はどこから来ているのか……。『美女と野獣』のアンリ・アルカンを模したともいわれるサッシャー・ヴィルニーによるモノクロ撮影が見事だ。)

 

面白いのは、パスカル・ボニゼールも指摘している二人の語り手の存在だ。一人はいうまでもなく、トネールの絵について語り続ける謎のコレクターである。しかし実は、この映画には語り手がもう一人いる。かれは画面オフから声が聞こえるのみで、画面には一度として姿を見せない。かれはコレクターの語る言葉に合いの手を入れたり、ときには反論したりする。しかし、その声ははたしてコレクターに聞こえているのか。一見、声は、ちょうど DVD の映画本編に付けられたコメンタリー音声のように、コレクターとは無関係に話し続けているようにも見える。しかし、コレクターと声のあいだに対話が成り立っているように見える瞬間がないわけではない。 この2人の語り手の存在は、なんとも悩ましい問題を突きつける。コレクターは絵について語り続けるが、かれはいったい誰に向けて語っているのか。見えないもう一人の語り手に向かってか、それともわれわれ(とはいったい誰なのか?)に向かってか。ボニゼールもいっているように、コレクターは一度としてカメラに視線を向けない。これは重要な指摘である。ボニゼールは、この映画をジーバーベルクの『ルトヴィッヒの台所』と比較している。わたしはこの有名な作品を見ていないのだが、この映画は、画面に現れる語り手が、"visite guidé" (ガイド付き訪問)のかたちで、観客をいざなうようにして、ルトヴィッヒの台所を歩き回ってゆくという作品らしい。ボニゼールは、ジーバーベルクのこの作品と『盗まれた絵の仮説』の類似性を指摘しつつ、そこには大きな違いがあるという。それは、ジーバーベルク作品では画面に登場する語り手がカメラをまっすぐに見るということだ。この視線によって、かれはわれわれ観客に向けて語っていることが保証される。一方、ルイス作品においては、コレクターは画面外の世界など存在しないとでもいった態度を一貫してとり続ける。そしてそこに、もう一人の見えない語り手が加わるので、事態はさらに複雑になるというわけだ。

(謎の語り手を演じているジャン・ルージュールは、この映画の撮影直後に亡くなった。)

 

この映画を見ているときにわたしが思い出したのは、オリヴェイラがキャリアなかばに撮った奇妙な遺作『訪問、あるいは記憶と告白』だった。長年住んでいた家を人手に手放すことになったオリヴェイラがその家で撮り上げた作品であり、当時死を意識していた彼は(その後何十年と生きて100歳を超えることになるとも知らずに)、この映画が自分の死後にのみ公開されることを望んだ。男女2人の訪問者が家を訪れるところから映画は始まる。2人は画面には登場せず、声のみが聞こえる。その家には誰も人がいないように見える。ところがそこにオリヴェイラ本人が現れ、カメラに向かって語りかける。ふしぎなことに、2人の訪問者はオリヴェイラの存在の気配を感じているようではあるが、見えてはいないようであるし、オリヴェイラも彼らの存在には気づいていないようだ。死後に公開されることを考えて作られたことを考慮するならば、この映画に登場するオリヴェイラは自らが亡霊であることを意識して演技していたと言っていいだろう。しかし、見ているうちに観客には、画面に姿を見せている彼の方ではなく、姿の見えない声の持ち主である2人の訪問客こそが、亡霊であるようにも思えてくる。そんな2つの亡霊的存在が語り手であるような、不思議な作品なのである。むろん、いろいろな違いはあるのだが、2人の語り手が存在するという点では、『盗まれた絵の仮説』とオリヴェイラのこの作品は共通している。そしてルイス作品のほうにも、やはり亡霊的雰囲気とでもいったものが漂っている((実をいうと、わたしはオリヴェイラのこの作品を、自分にはちゃんと読めない字幕版でしか見ていないので、細かいニュアンスを取り違えている可能性がある。この素晴らしい小品については、いずれ、どこかで別のかたちで見直す機会があったなら、その時にまた改めて語りたい。))

ロラン・バルトは写真について、「写真は一種の活人画であり、動きのない、仕上がった顔のフィギュラションであって、その下にわれわれは死を垣間見るのである」と書いたことがある。写真と活人画の関係というのも興味深いが、写真を通して活人画と死が結びつけられているところがここでの興味を惹く。死は、ルイスの初期作品から一貫して彼の映画のテーマだった。

難解な作品ではあるが、夢と現実がときに複雑に入り交じるルイスの他作品と比べるなら、表面的には非常にわかりやすいと言っていいかもしれない。謎解きをするように話が進んでいきながら、結局、謎を謎のままにして終わるところは人を食っている。そもそも、絵が一枚欠けているのだから、答えが出ないことは最初からわかっているのだ。しかし、本来、作品とはそういうものなのではないか。

 

ラウル・ルイスについては、度々名前を出しながらあまりちゃんと書いたことがなかった。いずれまた、彼のフィルモグラフィー全体についてまとめて書きたいと思っている。

2016年10月13日
ピーター・ゴッドフリー『第二の妻』——画家とモデルの吸血的関係

ピーター・ゴッドフリー『第二の妻』★★½

『レベッカ』『ガス燈』『断崖』の系譜に連なるフィルム・ノワールの佳作。

「妻を殺そうと企む夫」という物語はフィルム・ノワールではお馴染みのもので、他にも、『扉の陰の秘密』、『底流』『呪われた城』など、このジャンルの少なからぬ作品がこのテーマを取り上げている。男性の欲望の犠牲となる女性というのは、とりわけフェミニズムの批評にとって格好の話題であり、女性映画という観点から多くの批評家がこれらの作品に言及している((たとえばメアリー・アン・ドーンがその1人であり、彼女はこれらのフィルム・ノワールをひとまとめに "paranoid woman's films" と呼んでいる。))。

ピーター・ゴドフリーのこの映画が興味深いのは、このお馴染みのテーマに、画家とモデルの吸血的関係とでもいうべきもう一つのテーマが加わっている点だ。この映画に登場する肖像画家の夫(ハンフリー・ボガートがいつものように、ナーヴァスで、不安げで、ときとして抑えがたい暴力を噴出させる人物を見事に演じている)は、すでに一人目の妻を殺害していて、第二の妻としてバーバラ・スタンウィックを迎え入れるのだが、この第二の妻もいまや最初の妻と同様に殺されかけている。 第一の妻は一度も画面には登場しない。しかし、この前妻とのあいだに生まれた娘が無邪気に語る話から、彼女は毒入りのミルクを毎日飲まされて徐々に弱ってゆき(毒入りミルクというのは『断崖』のジョーン・フォンテーンを思い出させる)、やがて死に至ったということが判明する。画家はその間、彼女の肖像画を描きつづけ、まさにその絵が完成した瞬間に彼女は亡くなるのである(この前妻を描いた「死の天使」と名付けられた不気味な肖像画は、第二の妻スタンウィックとボガートが住んでいる家の居間に飾られていて、決してアップになることはないが、何度となく画面に登場する(『映画は絵画のように』((映画と絵画の関係は、近年、様々な形で論じられている。この本は、その成果を手際よくまとめた本で、オリジナリティにはいささか欠けるが、タルコフスキーから B級映画まで意外なほど幅広い映画が具体的に分析されていて、意外にもちゃんとした映画本になっている。とりわけ、映画に登場する絵画や彫刻について言及した部分は、普通の映画批評家には書けないところである。勉強になる。))の岡田温司によると、この絵は、聖母マリアと悪魔の関係を描いた『ヨハネの黙示録』のなかの「太陽を身にまとう女と竜」のテーマに基づいているという)。

いま、前妻に起こったのとのとまったく同じ事が、第二の妻にも起きようとしているのだ。スタンウィックも、毎日ミルクを飲まされ、それが原因で徐々に衰弱しつつあり、その間、ボガートは誰にも見られることなく彼女の肖像画を二階の部屋にこもって1人で描きつづけている。まるで、彼の描く絵が完成するにしたがって、妻から生気が失せていくかのように事態は進行する。これは言うまでもなく、ポーの「楕円形の肖像」に描かれたテーマの焼き直しである。

この点で、この映画がいくぶん焦点がぼやけているように思えるのは、ボガートがスタンウィックを殺そうとする動機が、ボガートの前に現れる新しい女(アレクシス・スミス)の存在であるようにも見えるところだ。実際、ボガートはこの女と不倫の関係をつづけ、邪魔になった妻を殺そうとしたのだと、普通は思う。最初の妻も、彼がスタンウィックと出会った直後に殺されたのだった。しかし、事態は逆で、第一の妻も第二の妻も、肖像画が完成しそうになったときに、夫=画家にとって必要なくなり、また新たな犠牲者=女が必要となったということだったのである。ボガートのセリフがそのことを物語っているのだが、この肝心な部分はあまり突っ込んで描かれておらず、彼の狂気もごくさりげなくほのめかされるだけだ。

二人の妻をゆっくりと衰弱させてゆき、ついには死に至らせる夫ボガートは、絵を描くことで彼女らから血を搾り取っていく吸血鬼のような存在である。その点で興味深いのは、妻にすべてを感づかれたボガートが、その頃街を不安に陥れていた押し込み強盗を装って妻を殺そうとするクライマックスの場面だ。雷雨の中、外に出た彼は、二階の窓をたたき割ってスタンウィックの部屋へと闖入する。作り手がどれほど意識していたのかはわからないが、このときの彼は強盗と言うよりもほとんど吸血鬼のように登場するのだ。

あるいは、ボガートがずっとひた隠しにしていたスタンウィックの肖像画を、彼女と娘がこっそり盗み見る場面。ここぞとばかりにアップになる絵には、すり切れた服を着てみる影もなくやせ細ったスタンウィックのおぞましい姿が描かれていて、二人は思わず息をのむ。

あちこちにホラーの要素が入っているフィルム・ノワールである。

2016年10月12日
ジョージ・キューカー『結婚種族』——キューカー恐るべし

 

「コメディはまず滑稽でなくてはいけないが、それを一段高いものにするには、人間性が必要になってくる。だからコメディとして成功したものはすべて悲劇としても成功するし、その逆もまた真なのだ」(ジョージ・キューカー)

 

■ ジョージ・キューカー『結婚種族』(The Marrying Kind) ★★★

脚本家ルース・ゴードン&ガーソン・ケニン夫妻と監督ジョージ・キューカーはタッグを組んで数々の傑作(『二重生活』『アダム氏とマダム』等々)を生み出したが、これもその1つに数えていいだろう。この映画は、このコンビのもっとも成功した作品とは言わないけれど、かれらが撮ったなかでもっとも野心的で、大胆な作品である事は間違いない。

タイトルから想像するのとは違って、この映画で描かれるのは、結婚ではなく離婚である。裁判所でジュディ・ホリデイとアルド・レイの夫婦が離婚調停の手続きを行っているところから映画は始まる。判事がふたりに、離婚を決めてしまうまえに、幸せだった頃のことを一度思い出してみてはどうかと勧めるのをきっかけに、映画はフラッシュバックのかたちで2人の結婚生活を振り返り始める。 面白いのは、この回想シーンだ。過去の結婚生活を描いたイメージにはときとして音声が欠けていて、そこにホリデイとレイのコメントがオフの声でかぶさる。まるで、映画の DVD で、関係者2人がしゃべっているコメンタリーを聞きながら映画の本編を見ているような気分である。しかも、2人の語る言葉はしばしば映っている映像と微妙にずれていたりするのだ(判事の言うセリフ、「どんな物語にも3つの観点(side) があります。あなたのと、彼のと、真実のとです」)。

全編がそのように進行して行き、これが作品にリアルかつ突き放したようなトーンをもたらしている。失望(採用されなかった発明)、失意(子供の溺死)、誤解による嫉妬……。どうしようもなく壊れてゆく夫婦生活。この時代のハリウッド映画が夫婦の関係をこれほど赤裸々に描くというのは、極めて稀だったのではないだろうか。 子供が溺死するシーンの演出も見事だ。子供連れでピクニックに来ていた夫婦がウクレレを弾きながら浮かれているのだが、その背景で人々がざわついて湖の方へと走っていく姿を、キューカーは彼らの脚の動きだけで見せる。やがて画面奥から、溺死した子供が画面手前にいる夫婦のもとへと担がれてくるのが見え、その時になって夫婦は初めて、自分の子供が知らないあいだに溺れ死んでいたことを知るのである。この映画全体でそうなのだが、この場面でもキューカーは、この時代としてはかなりの長回しで一連の出来事を画面に収めている。

夫のアルド・レイの勤め先が郵便局というのも面白いところだ。郵便局の窓口ではなく裏側の、郵便物が集積されて、運ばれてゆく倉庫の部分がこんなふうにリアルに描かれる映画というのも多分これが初めてだったのではないだろうか((この郵便局のシーンは、実際の郵便局でロケされた映像とスタジオで撮影された映像を巧みにモンタージュして作られている。))(この映画は、この郵便局の場面や、あるいはセントラル・パークのシーンなどに、ネオリアリズム的なタッチをしばしば指摘される)。ちなみに、この郵便局の倉庫は、途中で出てくる夢のシーンの舞台にもなっていて、夫のアルド・レイは、そのなかで自分が郵便物になって運ばれてゆくのだ。

コメディ映画として扱われることが多い作品だが、場面場面で映画のトーンは揺れ動き、ときには絶望的なほどに悲劇的になる。最後に2人が離婚を思いとどまるというエンディングは、一応ハッピー・エンドに見えるが、この夫婦がその後幸せな結婚生活を送ったと信じるものは誰もいないだろう。喜劇でも悲劇でもなく、人生を映し出そうとした映画とでもいえばいいか。そういう意味では、この作品は、同時代のハリウッド映画の大部分よりは、例えばカサヴェテスの映画の方にずっと近い(と言ったら言いすぎだろうか)。

キューカーがインタビュー本の中で、アンディ・ウォーホルのことを絶賛し、嬉々として語っているのを読んだときは驚いたものだが、こういう作品を見ると、そんなに不思議とは思えなくなる。この監督は、我々が思っている以上にずっと若々しい感性の持ち主なのだ。

完成度の高さで見れば、これよりも出来のいいキューカー作品はたくさんあると思うのだが、なんというかキューカーという監督の恐ろしさを久しぶりに見せつけられた作品だった。必見である。

2016年10月3日
アンソニー・マン『The Great Flamarion』とウィリー・ワイルダーについての覚書

アンソニー・マン『The Great Flamarion』(46) ★★

アンソニー・マンのフィルモグラフィーは、フィルム・ノワール時代、西部劇時代、スペクタクル活劇時代の大きく3つに分けられる。『The Great Flamarion』(未公開作品だが、「たそがれの恋」というノワールらしからぬ邦題でも知られる)は、マンが初めて手がけたフィルム・ノワールであり(実は、この前に『Strangers in the Night』(44) というノワールな短編を撮っているのだが)、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムが主演していることでも有名な作品である。

製作はビリー・ワイルダーの兄、W・リー・ワイルダー(通称ウィリー・ワイルダー。この作品ではウィリアム・ワイルダーとしてクレジットされている)。これが彼の初プロデュース作品だった。ウィリーは自身でもフィルム・ノワールを多数監督しているわりには、ほとんど注目されていない。しかし、近年、かれは一部の研究者からノワール作家として再評価されはじめている。プロデューサーとしてあのジョン・アルトンに『The Pretender』(47) で初めてフィルム・ノワールを手がけさせ、アンソニー・マンにも最初のフィルム・ノワール(と『仮面の女(Strange Impersonation)』)を撮らせたというこの一点だけでも、フィルム・ノワールの歴史に名前を残して当然の存在であると言っていい。マンは、フィルム・ノワールで才能を開花させたジョン・アルトン((彼は実は20年代から撮影監督をしていたのだが、一般に認められるようになるのはフィルム・ノワール作品を撮り始めたときからであった。))をすぐさま『Tメン』の撮影に起用し、それ以後のフィルム・ノワール作品のほぼすべてでアルトンにカメラを担当させることになるわけだから、そう考えるとウィリー・ワイルダーが果たした役割はなおさら重要に思えてくる。

射撃の腕前を売り物にヴォードヴィルの舞台一筋に生きてきた初老のさえない男(シュトロハイム)が、悪い女にころっとだまされて、女の亭主(ダン・デュリエ)を舞台の上で事故に見せかけて殺すが、結局、女にはすぐに捨てられる。絶望した男は仕事も捨て、金もなくすが、それでも女を捜し続ける……。

『The Great Flamarion』は、フィルム・ノワールといっても、かなりメロドラマよりの作品であるといったほうがいいだろう。大衆向けの見せ物の世界を舞台に男女のドロドロとした恋愛模様を描いているという点では、ノワールよりもむしろE・A・デュポンの『ヴァリエテ』やスタンバーグの『嘆きの天使』といった作品に近いと言えるかも知れない。 この映画にはマンがアルトンと組んで撮ることになるこれ以後のノワール作品に見られるような深い明暗に彩られた画面もない。しかし、己の欲望に従って男をあやつり破滅させるファム・ファタールの存在、悲劇が起きたあとから過去に遡って語られる運命論的な回想形式、性的な含みを持たされたシンボリックな描写など、フィルム・ノワールの指標といってよいものが数多く見られることもまたたしかである。 妻が愛人に夫を殺させるという物語は、古くはギリシア神話の頃から繰り返し語られてきたものだが(クリュタイメストラとか)、アンソニー・マンはかれの作品としては異例なほどに鏡を多用した端正な画面で(シュトロハイムが射撃を披露する鍵となる舞台の場面にも横長の大きな鏡が使われている)、この陳腐な物語を見るに堪えうるものにしている。

この頃のシュトロハイムはほとんど仕事もなくどん底時代だったはずである。それでもこれだけの存在感を示しているだからさすがだ。芸に厳しい、冷たくて威圧的な芸人というのはいかにもシュトロハイムらしいが、女にころっとだまされてしまうウブな男というのはいつもの彼のイメージとはだいぶ違う。シュトロハイムはこの哀れな男をなかなかの説得力をもって演じているとは思うが、それでもアンソニー・マンの世界に迷い込んでしまったストレンジャーという印象はぬぐいきれない。

ろくでもない女だと知りながら妻に執着する夫役のダン・デュリエは、いつものようなチンピラっぽい役を演じていてあいかわらず素晴らしい。 一方、悪女役のメアリー・ベス・ヒューズは30年代末から多くの作品に出演している女優だが、正直、あまり印象にない(『牛泥棒』などにも出ているはず)。しかし、ここでの彼女は、嘘に塗り固められた顔の表情の素早い変化(シュトロハイムが見ていないと思ったとたんに嫌悪の表情を浮かべたかと思うと、その一瞬あとでは微笑みを浮かべているといったぐあい)など、見事にファム・ファタールを演じきっている。シュトロハイムに夫殺しをそれとなくほのめかす場面で、ピストルをなでるエロティックな仕草が強烈だ。この場面がブリーン・オフィスで問題にされなかったとは不思議である。映画の検閲は、字義通りの言葉や陰部の直接的なイメージなどには敏感だが、シンボリックな表現にはあまり関心がなかったと見える。検閲者というのは、だれにもまして唯物論者なのかも知れない。

2016年9月27日
ブライアン・デ・パルマ『レイジング・ケイン』再見メモ

ブライアン・デ・パルマ『レイジング・ケイン』★★

この映画を最初に見たのは、たしか当時たまたま2ヶ月ほど住んでいたトゥールの映画館のフランス語吹き替え版だった((スペインほどではないがフランスも吹き替え天国なので、地方都市では吹き替え版しか見る機会がないことも少なくない。イーストウッドの『許されざる者』を初めて見たのもフランス語吹き替え版だった。))。わけがわからない映画に見えたのは、自分の語学力のなさのせいだと思っていたのだが、今度数十年ぶりに見直してみて、元々こういう映画だったのだと気づいた。

同じ出来事が別の視点から語り直されるのだけれど、語りの視点となる1人は多重人格者で、ときには妄想と現実の区別も判別しがたく、さらには、唐突にオープニング以前の時点まで時間が遡る場面があったりして、一回見ただけでは物語の流れをちゃんと理解するのも難しいだろう。ちゃんとつじつまが合っているのかどうかも怪しかったりするのだが(いちおう矛盾なく作られているようなのだが)、ここでのデ・パルマは論理的な首尾一貫性などさして気にしていないように思える。ほとんど一瞬たりとも信じがたい物語は、演出を見せつけるためのただの口実にすぎないといっていい。

マッド・サイエンティストの父親がおこなう実験によって多重人格にされてしまった息子ケイン。オリジナルと劣化したコピー。これはまさにヒッチコック=父をコピーし、ヒッチコック的モチーフを分裂させてゆくデ・パルマそのものではないか。そもそも多重人格自体が『サイコ』のテーマである。ヒッチコックへの目配せはこれ以前の作品でも何度も見られてきた。しかし、この作品では、息子を支配する母親ではなく、父親を登場させることで、ヒッチコックとの親子関係にあからさまに自己言及しているという意味で、デ・パルマはある種の宣言のようなことをやっているようにも見える。『アンタッチャブル』や『虚栄のかがり火』など、慣れない映画を撮って失敗してしまったが、やっぱり自分の映画はこれなのだと(しかし、その後の展開を見ると、未だにやはり何がしたいのかよくわからないのだが)。

この作品におけるヒッチコックへの言及は、もはやオマージュと言うよりはパロディというしかないものにまで、あえて極端に推し進められている。ヒッチコックだけではない。クライマックスの乳母車の赤ん坊も、エイゼンシュタインへの言及と言うよりは、『アンタッチャブル』における『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段のシーンへの自己言及にすぎず、『アンタッチャブル』で引用されたときのような社会悪の犠牲となる無垢の存在という一応の解釈さえ許さない、ほとんどパロディに近いものになっている(階段ではなくエレベータで移動する乳母車)。

バカなことをやっているなと思いつつも否定しがたい魅力があるのもたしか。それにしても、デ・パルマはやはりピストルよりもナイフやカミソリを使っているときのほうがいいのではないかと思う。

2016年9月24日
リチャード・フライシャー『静かについて来い』

リチャード・フライシャー『静かについて来い』★★

フライシャー初期の犯罪映画。フィルム・ノワールとして語られることもある作品だが、実際は、刑事映画といったほうが内容に近い。フライシャーとしてはマイナーな部類に入る作品で、正味一時間にも満たない小品である。出ている俳優も地味だし、傑作とは言い難いが、興味深い点は少なくない。

ひとつは、この作品の原案がアンソニー・マンによるものだということだ。アンソニー・マンの研究書のなかには、この映画に一章をさいて、マンの原案と完成した映画との相違を詳細に分析したものもある。一部の場面はマンによって監督されたと言う研究者もいるぐらいだが、実際にそういう証言があるわけではなく、フライシャーの自伝でもこの作品のことはまったくふれられていない。ガス工場の落ちれば即死という高い階段の上で主人公の刑事と犯人が取っ組み合うクライマックスのシーンなど、斜面好きのマンが撮ったのではないかとつい考えたくなるし、そう主張する研究者もいるようだ。しかしこのときマンは『恐怖時代』の撮影で忙しく、RKOの資料にもこのシーンの監督はフライシャーが行ったとの記録がある。

もう一つ興味深いのは、この映画に出てくるダミー人形だ。土砂降りの雨の日だけ殺人を繰り返す〈ザ・ジャッジ〉と名乗るシリアル・キラーは、犯行を行うたびにいくつもの手がかりを残してきた。背格好や着ている服など、多くのことがわかっているが、ただその顔だけがわからない(フランスでの公開タイトルは「顔のない殺人者」だった)。主人公の刑事は今までの手がかりをもとにして犯人そっくりのダミー人形を作る。犯人と同じ背格好、同じ服、同じ帽子。ただ、その顔だけはのっぺらぼうの人形である。その人形や、それを写真に撮ったものを、聞き込み捜査などで使おうというわけだ。しかし、その後も犯行は繰り返され、刑事はいらだちを募らせてゆく。あるとき、刑事は、誰もいない警察の薄暗い部屋のなかで、窓際で背中を向けて座っているダミー人形に向かって、そんないらだちをぶちまける。そこに同僚の刑事が現れて2人は部屋を出て行き、部屋のなかにはダミー人形だけが残される。すると、暗闇のなかでこちらに背を向けて座っていたダミー人形が突然立ち上がり動き出す。それは人形ではなく殺人鬼だったのだ。驚くべきシーンである。ちなみに、このシーンはマンの原案にはなかったという。

ほかにも、殺人鬼の顔が初めて観客に見えると同時に、犯人が警察の罠に気づく瞬間とか、銃撃で穴が空いた水道管から噴き出した水を雨と勘違いして、犯人が正気を失って暴れ出すところとか、印象に残る場面はいろいろある。地味な作品ではあるが、見逃すのは惜しいなかなかの佳作だ。

2016年9月22日
エロール・モリス『The Thin Blue Line』——フィルム・ノワールに限りなく接近するポストモダン的(?)ドキュメンタリー映画の傑作

「『路上での偶然の出会いの物語』とモリスの呼ぶこの見事に様式化されたドキュメンタリーは、エドガー・G・ウルマーの『恐怖のまわり道』のように容赦のないほど運命論的であり、『ブロンドの殺人者』の夢のシークエンスのように奇妙に芸術的であり、『過去を逃れて』のように複雑で、『D.O.A.』と同じぐらい張り詰めていて、モリスがこれ以前に撮った2作同様、かれにしか撮れない映画である」(J・ホバーマン)

 

■ エロール・モリス『The Thin Blue Line』(88) ★★★

スクリーンに現れるタイトル "The Thin Blue Line" の "Blue" の文字だけが赤い色になっている。この赤は、デイヴィッド・ボードウェルの言うように、冒頭のダラスの高層ビルの風景に点滅する赤色灯、パトカーの赤いライト、さらには事件を担当する判事がほとんど脱線気味に語るデリンジャーの映画のラストの射殺場面に出てくる「赤い服の女」(ライトのせいでそう見えただけで、本当は赤ではなかったというのだが)、といったぐあいに「赤」のテーマとして作中に繰り返されていくと考えることもできるのだろうが、単純に、 "the thin blue line"(警察は文明をアナーキーから分かつ細い青い線だという意味がこめられている)という言葉が、もともとは『ジャングル・ブック』で知られるイギリスの詩人キップリングが、イギリスの兵士は国を敵から守る細い赤い線だという意味で使ったとされる "the thin red line" という言葉から来ているということを思い出させる((最初は、クリミア戦争における英国の軍事行動を指して使われた言葉だったらしいが、ワーテルローの戦いの時にすでにこの表現があったという話もある。キップリングの詩によってこの表現が比喩として広まったのかどうかも確認できていない。いずれにしても、瀬戸際で戦う兵士たちのことを指す表現であることだけはたしかである。))(言うまでもなく、これはテレンス・マリックの映画のタイトルでもある)。「赤」という色が使われているのは、イギリス兵の軍服の色を指していると言う。調べたわけではないが、おそらく、"the thin blue line" の「青」は、警察の制服の色と関係があるのだろう。

1976年、ダラスで、深夜パトロールをしていた男性警官が、おそらくはライトの故障を注意しようとして停車させた車のドライバーに射殺されるという事件が起きる。情報は少なかったが、犯人の車の車種(それも最初は情報が錯綜する)などから、警察は当時16歳の少年デイヴィッド・ハリスを逮捕。事件当日、ハリスは犯行に使われた車を盗んで走らせていて、警官を殺したピストルも彼が家から持ってきていたものだった。ハリスが事件の犯人は自分だと自慢していたという友人の証言もあり、かれが犯人だと思わせる点は山ほどあったにもかかわらず、結局、警察は、ハリスの証言から、犯行のあった日、かれがたまたま車に乗せた男ランドール・アダムスを犯人として逮捕し、ハリスは釈放される。アダムスは一貫して無実を主張するが、状況証拠や様々な証言から、裁判では有罪判決が下り、死刑を宣告される。

1985年、エロール・モリスは、その後終身刑に減刑されて約10年間投獄されていたアダムスに会って話を聞き、彼が無罪であることを確信する。こうしてこの映画は撮り始められたのだった。モリスの前2作、『天国の門』『ヴァーノン、フロリダ』は風変わりな主題を扱ったドキュメンタリー映画で、一部批評家の注目を集めはしたものの、興行的にはまるでふるわなかった。しかし、この3作目のドキュメンタリーは予想外に大ヒットし、一時は探偵の仕事までして生活費を稼いでいた((あとで見るように、『The Thin Blue Line』が、断片的な事実や細部から観客自身がいわば探偵となって真実を導き出すように作られていることを考えると、モリスが探偵の仕事をしていたことは、この映画と無関係ではないようにも思える。))モリスに、ドキュメンタリー作家としての地位を確立させる。しかし、それ以上に重要なのは、この映画のヒットが大きなきっかけとなって、ランドール・アダムスの無実が証明されて、釈放されたことである。

しかし、ここまでの話を聞いて、犯罪を扱ったよくあるテレビのドキュメント番組のようなものを想像した人は、この映画を見て面食らうに違いない。犯行場面の断片的な再現シーンに始まった映画は、現在投獄中のアダムスと、その後数々の犯罪を犯して死刑を宣告されているハリス、捜査を担当した刑事、ハリスの友人、アダムスの弁護士たちなどのインタビューを中心に組み立てられてゆくのだが、そこで語られる内容は時系列に沿っているとは言い難い。おまけに、この映画にはナレーションがまったくなく、説明的な字幕も皆無である。しかも、インタビュー中心に構成されているにもかかわらずインタビューされている人物の名前さえ画面に提示されない(スタイルはまったく異なるが、こういうところだけはこの映画はフレデリック・ワイズマンに似ている)。たびたび引用される新聞などのテキストも、時にあまりにもアップで撮られていて、何が書いてあるのかほとんど判読できない場合も少なくない。こうして、観客は与えられた情報を頭の中で並べ替えて事件を整理することを余儀なくされる。

この映画でもっとも印象的なのは、警官射殺事件の再現シーンだ。ドキュメンタリーのなかで再現シーン(re-enactment) を使う手法は、あの有名な「The March of Time」などでもすでに見られるというから、それほど目新しいものではなかったはずだが、こういう手法が一般化するのはおそらくこの80年代になってからであったと思う。しかし、『The Thin Blue Line』でモリスが使った再現シーンは、同時代のドキュメンタリーで使われる再現シーンとはまるで性格を異にするものであったと言っていい。

テレビの犯罪ドキュメント番組に使われる再現シーンというのは、演技も照明もいかにも安っぽく、またテロップなども多用されるのが普通だ。きちんと撮られている場合でさえ、結局のところそれは説明的な〈付け足し〉でしかない。『The Thin Blue Line』の再現シーンはそうしたありきたりの再現シーンとはまったく別物である。モリスは、アダムスが犯人とされることになる警官射殺事件を、まるでフィクション映画の、もっと言うならばフィルム・ノワールの、一場面のように撮っている((冒頭に引用したホバーマンもそうだが、この作品とフィルム・ノワールとの類似性は多くの人が指摘している。それにしても、このホバーマンの言葉はドキュメンタリー映画を表した言葉とはとても思えないのだが、作品を見れば皆納得するだろう。))。現場となった夜のハイウェイは丁寧に照明を当てられ、手持ちカメラとズームといった安易な手法を避けて、短いフィックス・ショットの積み重ねによって編集されている。そして、ここには説明的なテロップは一切使われていない。モリスは再現シーンを、ある意味、過剰にフィクション化していると言っていいだろう。 しかもこの中心となる事件の再現シーンは、様々な証言が食い違いを見せるにつれて、微妙に細部を変えながら(射殺された警官の相棒だった女警官は車の中にじっと座っていたのか。それとも、車の外にいたのか?)映画のなかでで何度も再現されてゆく。モチーフを延々と繰り返すフィリップ・グラスの、単調であると同時に、不安で不気味なミニマル音楽と相まって、それはやがて悪夢のような様相を呈していくことになるだろう。

「検察が描く事件のストーリー」などという時の〈ストーリー〉が、フィクションでしかないように、モリスは、再現シーに描かれる〈ストーリー〉がフィクションでしかないことをあからさまに強調してみせる。アダムスが犯人だと主張するハリスの証言も、その証言に乗っかって事件を組み立ててゆく検察側の主張も、さらには無実を主張するアダムス自身の語る事件の真相も1つの〈ストーリー〉にすぎない。モリスがこの映画で、ドキュメンタリーは真実を、あるいは現実を、ありのままに描くという通念に疑問を投げかける(ドキュメンタリーとフィクションを隔てるか細い線)。この映画が「ポストモダン的ドキュメンタリー」などと呼ばれもする所以である。

もっとも、『羅生門』のように、だれが真相を語っているのかわからないと主張することがこの映画の目的ではない。モリスがアダムスの無実を訴えたかったというのは本当だろう。ただ、かれは、アダムスは無実で、真犯人はハリスであるという結論ありきでこの映画を撮っていない。少なくとも、そのように映画を組み立ててはいない。事件についてのアダムスの主張と、ハリスの主張は細部において食い違いを見せ始めるが、モリスは二人の証言を並べてみせるというような安易な編集を極端に嫌ったという。それでも、最終的には、多くの観客がアダムスの無実を信じ、ハリスが真犯人であると考えるようになるのだから、観客はやはり操作されているのだと言うこともできるだろう。しかし、それはあくまで、与えられた情報のなかから観客が自分で選び取った〈ストーリー〉である。結局、無数の物語のなかからもっともありそうな物語を選ぶしかないのだ。

フィクションということで言うなら、このドキュメンタリーには、様々なフィクションが異例のかたちで引用されている。冒頭にふれた判事の語るデリンジャーを描いた映画や、アダムスとハリスがドライヴイン・シアターで見るソフト・ポルノ(モリスは、その映画のなかから、登場人物の女が自分の無実を訴える場面をわざわざ引用してみせる)、とりわけ、事件の目撃者と名乗る女(やがてその証言の信憑性が極めて不確かなものとなって行く)が、自分は幼い頃から探偵にあこがれていたと嬉々として語る場面で、「Boston Blackie」シリーズという探偵の女助手が活躍するいかにも安っぽいテレビドラマが引用される場面などでは、映画はほとんどパロディに近づく((ドキュメンタリー映画にフィクションが引用されるのはそれほど稀なことではなかったと思うが(たとえば『ハーツ・アンド・マインド』(74) やダイアン・キートンの『Heaven』(87) など)、それをドキュメンタリーにおける主観性の問題と絡めてここまで掘り下げたこの映画は、やはり当時としては非常に新しいスタイルだったと言っていいだろう(もっとも、ドキュメンタリーにおけるフィクションの問題なら、たとえばジャン・ルーシュなどが早くから別のかたちで問題提起していることではある)。))。 これらのフィクションの引用は、すべての証言者の証言が大なり小なり主観的なものであることを暗に指し示してもいる。もっとも、それは直ちに彼らの証言が無意味であることを意味しはしない。一見脱線としか思えないデリンジャーの最後の瞬間に登場する「赤い服の女」のドレスの色が実はオレンジ色だったという話は、人が簡単に見誤ることを証明しているし、アダムスの起訴を運命づけたと言ってもいい証言をした女が見せる探偵ドラマへのファンタジーは、彼女が偽証した潜在的動機を説明してもいる。

この偽証をした女にしても、アダムスを尋問した刑事にしても、さらにはハリスでさえことさら悪意を持って描かれていないことにも注目したい。かれらが必ずしも悪意を持ってアダムスを犯人に仕立て上げたのではないことは、考えてみれば、逆に恐ろしいことだ。かれらが根っからの悪人であってくれたほうがむしろ救われただろう。それぞれが、自分たちの見ている世界が〈現実〉であると信じ切っていた。大げさに言うならば、彼らにはそれ以外の世界が見えなかったのである。そこに偶然が加わったとき、アダムスは犯人にされてしまったのだ。

正直、それほど好きな映画でもないのだが、ドキュメンタリー映画史上極めて重要な作品であることは間違いない(たとえば、2014年に「Sight and Sound」が行ったドキュメンタリーのオールタイム・ベストで『The Thin Blue Line』は5位に選ばれている)。ドキュメンタリーにおける編集のあり方など、いろいろ考えさせられる映画である。ドキュメンタリーの教科書としても使えそうだ(むろん、これが模範だという意味ではない)。

余談だが、この映画がきっかけで釈放されたアダムスは、モリスを相手に訴訟を起こすことになる。モリスによって自分の物語の権利が不当に搾取された、というのが彼の主張だった……。

2016年9月10日
ウィリアム・ディターレ『科学者の道』――「伝記映画」についての覚書

ウィリアム・ディターレ『科学者の道』(The Story of Louis Pasteur, 36) ★★

「『伝記映画』なんてジャンルがあるのだろうか。そりゃあ、個々別々の『伝記映画』なるものは数限りなくあるだろう。しかし、『伝記映画』というカテゴリーがかつて存在したというのか。『伝記映画』研究家などという職業が存在しうるだろうか! ためしに、世界各国(?)の本屋の映画のコーナーに行ってみたまえ。はたして『伝記映画』論の書物を一冊でも見つけられるものだろうか」

今からおよそ20年ほど前に出版された『映画の魅惑 ジャンル別ベスト1000』(安原顕 編集)という本のなかで「伝記映画ベスト50」を担当した中条省平は、上のように書き記している。 「伝記映画」なるものがはたしてジャンルと呼べるかどうかは今でも疑問だが、"biography" と "picture" を合体させた "biopic" なる言葉はもう普通に使われているし、これをテーマにした本はわたしの知っているだけでもすでに5、6冊は書かれている。映画研究の未開拓地帯は年々減少してきており、「伝記映画」もその例外ではない。

「伝記映画」の萌芽といえるものは、リュミエール兄弟やメリエスの作品のなかにもあったし、サイレント時代からアベル・ガンスの『ナポレオン』といった「伝記映画」の名作が多数撮られていた。しかし、こうした作品が本当の意味でポピュラーになるのは、トーキー時代を迎えたハリウッドの30年代からであり、そのパイオニアと呼ぶべき監督が、ウィリアム・ディターレだった((この直前にイギリスで撮られたアレクサンダー・コルダの『ヘンリー八世の私生活』の成功が重要なファクターのひとつだったことも忘れてはならない。))。

ディターレは、細菌学者ルイ・パストゥールを描いた『科学者の道』(36) で初めて「伝記映画」に取り組むと、その後立て続けに、エミール・ゾラを主人公にした『ゾラの生涯』(37)、メキシコの革命家ベニート・フアレスを描いた『革命児ファレス』(39)、ドイツの細菌学者パウル・エールリヒを取り上げた『偉人エーリッヒ博士』(40) といった「伝記映画」を発表し、「ハリウッドのプルターク」などというニックネームまで頂戴することになる。 パストゥール、ゾラ、ファレスという全く異なる3人の人物をすべてポール・ムニ(あの『暗黒街の顔役』の)が演じていると聞くと、どんな爆笑ものになっているのかと思ってしまうが、これが見てみると、ものすごいメーキャップにかくれてパストゥールやゾラに見えてくるから不思議である((もっとも、ムニは、7歳の時にアメリカに移住するとはいえ、オーストリア・ハンガリー帝国のユダヤ系家族に生まれたヨーロッパ人だった。))。19世紀以前の、せいぜい写真ぐらいしか残っていない時代の偉人たちの場合は、顔が多少似ていて(場合によっては似てさえいなくても)、演技に一貫性さえあればいい。「本当らしさ」さえ作り上げておけば、パストゥールが英語をしゃべろうが、ゾラの死に方が違おうが、観客は問題としないのである。この原理は今でも変わっていなくて、だから、ウィレム・デフォーは、さしたるメーキャップも施さずに、キリスト、マックス・シェレック、T・S・エリオットを演じることができたわけである((「伝記映画」は、同じ一人の俳優が異なる人物として何度も回帰してくるという、ラウル・ルイスいうところの映画におけるアイデンティティの問題を優れて考えさせる「ジャンル」である。))。

『科学者の道』は、『ゾラの生涯』とくらべると完成度は少し落ちるとはいえ、なかなかよくできていて、ディターレはすでにこの作品で「伝記映画」のパターンをほとんど作り上げていると言っていい。細菌の存在を頭ごなしに否定し、なにかとパストゥールに対立する仇敵シャルボネ博士など、ほとんど戯画化されて誇張気味に描かれている部分もあるのだろう。しかしそれは、主人公のポジションを際だたせるために作劇上必要なことだった。30年代のハリウッドで製作された「伝記映画」においては、主人公=偉人たちが、なによりもヒーロー(英雄)として描かれているのが特徴である。『ゾラの生涯』に描かれるゾラは、小説家である以上に、反ユダヤ主義によって弾劾されたドレフュスを擁護した人物として英雄的に描かれていた(このユダヤ人擁護の姿勢のために、この映画はヨーロッパ各地で上映禁止の憂き目を見るのだが)。この時代に、こうした作品がヒットした理由の1つには、不況の時代に大衆が求めるヒーローの姿に、「伝記映画」に描かれる偉人たちの姿が重ね合わされたということがあるのだろう((この時代に「伝記映画」がポピュラーになった他の理由としては、偉人たちの人生につきものの、声明・宣言・裁判の場面などが、映画が音声を持つことによって初めて十全な表現をえたということもある。『ゾラの生涯』のゾラの演説場面などがその典型的な例である))。そのためには多少の単純化は許された。「伝記映画」に登場する偉人たちの描かれ方は、かれらが実際に生きた時代以上に、その映画が作られた時代を如実に反映していると言っていいかもしれない。この頃作られた「伝記映画」の主人公がほとんどすべて男性であったことも、そういう観点から、分析されるべきであろう。

同じパストゥールを描いた「伝記映画」では、サッシャ・ギトリのデビュー作『パストゥール』のほうが断然優れているとフランス人はいうのだが、見ていないのでなんとも言えない。だが、こっちではパストゥールがフランス語をしゃべっていることだけはたしかだろう。

ディターレが作り上げたパターン(弾圧・無知・頑迷などによって挫折を味わったあとに、不屈の努力で挑戦し続け、最後に成功を収める主人公)は、『科学者ベル』(アーヴィング・カミングス、39)、『人間エヂソン』(クラレンス・ブラウン、40)、『ヤンキー・ドゥードル・ダンディ』、『若き日のリンカーン』などの作品でもおおむね踏襲され、「伝記映画」の大まかな基本形はこの時代にできあがったと言っていい。これ以後も、『ジョルスン物語』(46)、『炎の人ゴッホ』(56)、などの作品が作られつづけ、1927年から1960年のあいだに、ハリウッドのメジャー・スタジオだけでも実に300本近くの「伝記映画」が製作されたという(偉人の生涯を描いた映画なら、ミュージカルであろうと、戦争映画であろうと、「伝記映画」になるのだから、そう考えると、この数は驚くにあたらない)。

「伝記映画」も時代とともに様々に変化してきており、また、イミテーションと現実など、テーマ的にもいろいろ面白い問題を含んでいるので、まだまだ論じることはたくさんあるが、とりあえず今回はそのイントロダクションということで、これだけにとどめておく。また機会があったら改めて取り上げたい。

2016年9月8日
ヴェラ・ヒティロヴァ『O necem jinem』——平行線は交わらない

 

ヴェラ・ヒティロヴァ『O necem jinem』(Something Different, 63) ★★

『ひなぎく』で(というか、この一作のみを通じて)日本でも有名なチェコの女性映画監督ヴェラ・ヒティロヴァの長編デビュー作。チェコ語は全くわからないが、英題・仏題から推測するに、原題は「別の何か」ぐらいの意味であろう。

引退前の最後の競技大会にむけて特訓をする独身女子体操選手と、家事と育児に追われ、無理解な夫に嫌気がさして不倫に走る主婦。全く無関係なふたりの女の日常が、最後まで交わることなくパラレルに映し出されてゆく。冒頭、主婦の家のリヴィングのテレビに、パフォーマンスを披露する体操選手の姿が映し出される部分が、この映画で2つの物語が唯一クロスする瞬間である。それ以外は、一見、淡々とふたりの日常が交互に並べられてゆくだけに見えるが、言葉や仕草などを通して、2つのパートは微妙に共鳴し合い、また対立し合いながら、「別の何か」をわれわれに指し示す。

料理をしたことがないという独身女子体操選手と、家事に追われる毎日のなかで自分を見失ってゆく主婦。全く対照的に見えるふたりだが、今自分が置かれている現状に満足していないという点では共通している。大会で優勝し、引退した体操選手は新しい生活を夢見るが、結局、体操のコーチになって今までの生活をつづけてゆく。行きずりの男と逢い引きを重ねたあと、夫と子供のいる家庭に戻ってきた主婦は、突然、新しい女ができたことを理由に夫から離婚を告げられる。平行して描かれる2つの物語は、互いが互いの夢であり、またその廃墟のようでもある。

関係のない複数の物語を平行して描いてゆく映画は、今ではそれほど珍しくない。その意味では、この映画が当時もたらしたはずのインパクトを失ってしまっているのはたしかだろう。しかし、たった2人だけを交互に描くという構造の単純さが、モンタージュというものが編集のテクニックなどではなく、2つの異なるイメージを並べて見せることにあるのだということを、改めて考えさせる。事実、ジャック・リヴェットなどが参加した「カイエ・デュ・シネマ」のモンタージュをめぐる名高い討論会で、エイゼンシュタインの『全線』などと並んで、この映画は大きく取り上げられていた。リヴェットは、「1950年以後に撮られた映画ベスト30」のなかの1本にヒティロヴァのこの映画を選んでさえいる。この作品や、ジャン=ダニエル・ポレの『地中海』といった、当時現れ始めた新しい映画のスタイルが、『アウト・ワン』などのリヴェット作品に、直接・間接に影響を与えていることはたしかだろう。そういう点でも、『O necem jinem』は重要な位置にある作品である。

 

2016年9月4日
エリック・ロメール『聖杯伝説』――ブレヒトによって演出されたバスター・キートン?

エリック・ロメール『聖杯伝説』(Perceval le gallois, 78) ★★★

 

クレティアン・ド・トロワによって12世紀末に書かれた未完の宮廷騎士物語『ペルスヴァル(パルシファル)、あるいは聖杯伝説』を、エリック・ロメールが非常に様式的なスタイルで映画化した実験的映画叙事詩。

たぶん、学生時代に京都日仏学館で見て以来だから、そうとう長い間一度も見直していなかったと思う。とてもユニークな映画だから強烈に記憶に残っていたものの、描かれている中世の世界にはあまり馴染みがないし、その表現も独特である上に、英語字幕での上映だったので、当時はよくわかっていなかった部分も多かったことに気づく。

アンドレ・バザンのリアリズム理論のいちばんの心酔者と目されるロメールの作品とは一見とても思えないこの映画は、かれのフィルモグラフィーのなかではひとつだけ浮いている作品という印象があったのだが、ずいぶん後になって『グレースと公爵』、『三重スパイ』などといった歴史物や、『我が至上の愛 〜アストレとセラドン〜 』といった作品を見たあとでは、『聖杯伝説』は決して突然変異的に生まれたものではなく、ロメールの作品世界に確実に属していることがはっきりとわかる。

 

現代のパリやヴァカンスの地を舞台に恋を語りあう人物たちを、限りなく自然に近い光のなかで描いてみせる……。ロメールの映画がそういうものだと思っている人は、まるでテレビの語学教育番組で使われるようなシンプルな舞台に、プラスティック製の巨大なオブジェのような木(それが数本で森を表している)が立っているだけの抽象的な空間に、数人よりなるコーラスが語り手よろしく古風なフランス語で歌を唄う場面より始まる『聖杯伝説』の冒頭の場面を見れば、自分が今まで見たこともないロメールの世界に迷い込んでしまったことに気づくだろう(当時としては前代未聞に思えたこの映画の試みは、ジョアン・セザール・モンテイロの『シルヴェストレ』(81) やマノエル・ド・オリヴェイラの『繻子の靴』(85) といった作品に、直接的・間接的に受け継がれているといっていい)。

この映画でロメールがやろうとしたのは、ハリウッドで撮られてきた騎士もののように中世の世界をいかにも本当らしくリアリズムで再現することではなく、中世の人々の世界観そのものを映画で表現することだった。そのためにかれは中世の彩色写本の挿絵(ミニアチュール)を参照しながらセットを組み立て、カラーを設計していった。しかし、それは直ちに反リアリズムを意味するわけではない。たとえば、この映画に登場する城(たったひとつの城が登場するすべての城に使い回しされているという)は、ベニヤ板や段ボールで作られていて、その大きさも、馬に乗った騎士の高さと大差ない小さなもので、現実のスケールを無視している。城壁の色も金色に塗られていて、全然城らしくない。しかし、中世の城というのは実際にそのように色を塗られていたのであり、むしろ、ありふれた歴史映画に登場する本物の城のほうが、今や色がはげ落ちていて、実はリアルではないのである((様式化された人工的世界を作り上げる一方で、ロメールは俳優が身につけている兜や鎖帷子などのリアルな質感にはとてもこだわっているように思える。『グレースと公爵』では、デジタルで作り出された映像のなかに人物をはめ込んでいったような人工的世界を描いておきながら、機械織りと手織りでは布の動きが違うと言って、俳優が着るドレスが手織りであることにロメールはこだわったという。ロメールのリアリズムについての考え方は見かけほど単純ではない。))。

ミニアチュールを参照して作られたことから、この映画はしばしばその画面の平板さを指摘されるのだが、それは正確ではないだろう。たしかに、この映画は全編スタジオで撮影されていて、屋外で繰り広げられる場面でさえ、画面奥にはホリゾントまるだしの空が間近に迫って見える。その向こうに見えない何かが広がっているようにはまるで思えない。ロメールがこの映画で、まだ遠近法の存在していなかった中世の世界観を画面で再現しようとしているのは本当である。ネストール・アルメンドロスらしくないどこにも影を作らない平板なライティングもその印象を助けている。しかし、この映画に奥行きがないというのは正しくない。ペルスヴァルが城の正門をくぐって奥へと進んでいく場面など、アルメンドロスのキャメラは画面手前と奥の事物を深い焦点深度で捉えてみせる。しかし、この映画においては、オーソン・ウェルズの映画でなら深さに繋がったかも知れないレンズの焦点深度が、逆説的にも、画面の二次元性を強調するような表現になっているところが、なんともユニークなのである(「三次元性を誇張することで、三次元性の不在を表す」という言い回しをロメールは使っている)((ロメールの「平面」あるいは「タブロー」へのこだわりはこれよりもずっと早い時期から認められる。たとえば、アルメンドロスによると、『クレールの膝』(70) でロメールは、「湖畔の山並みがのっぺりとした青色に見え、色彩がニュアンスのないものになることを望んでいた」という。))。

ロマネスク様式がもとになっていると言われる本作であるが、下写真のようなショットにおいては、アルベルティやブラマンテなど、むしろルネサンス建築の影響が指摘され、ある意味、この映画の美学上の統一感を壊していると言ってもいい。ミニアチュールの影響も、クレティアン・ド・トロワの原作が書かれた12世紀末だけでなく、13・14世紀のミニアチュールも参照されていると思われる。ロメールが決して歴史的な再現を愚直に試みたわけではないことには注意しなければならない。

さらには、次のようなショット(実は上写真と同じセットなのだが)では、画面は『カリガリ博士』におけるシュールなセットにかぎりなく近づきさえする。

中世の人たちが見ていたような世界を様式的に作り上げる一方で、ロメールはこの映画で、クレティアン・ド・トロワの原作のテクストにできうるかぎり忠実であることにもこだわった。この映画はクレティアン・ド・トロワのテクストを再認識させるための手段にすぎないとまで、ロメールはどこかで語っている。テーマではなく、原作のテクストそのもの、それが何よりも重要だったのである。既存の現代語訳では満足できなかったロメールは、原文の簡素な文体、八音節詩句など、アルカイックな部分をできるかぎり残したまま、現代人にも理解できるような現代語訳を自らつくった。俳優たちはそのテクストを、台詞をしゃべると言うよりは、朗読するようにして、抑揚のない調子で口にする((ブレッソンやストローブ=ユイレの作品における俳優-テクストの関係と比較したくなる部分である。たとえば、「ユリイカ」2002年11月号のエリック・ロメール特集号で、御園生涼子は、ジャック・ランシエールの民衆論をベースに、ロメールとストローブ=ユイレのリアリズムのあり方を比較検討し、そのなかで、「テクストの内容・その情報量を何よりも重要視するロメールとは異なり、ストローブ=ユイレはテクストの中に進んで異質なものを招き入れ、その意味を解体寸前まで追いやってしまう」と書いている。))。いちばん驚くべきなのは、ペルスヴァルを始め、登場人物たちすべてが、自らの行動を三人称で語り、それがいかにも自然なかたちで一人称へと移行する(そしてその逆もある)ことだ。

わたし自身はそんなふうに見たことがなかったのだが、この映画について書かれたコメントなどを見ていると、いい意味で、笑える映画だったと語っている人が多いので驚く。人物が自分のしていることを三人称で語るというのも、人によっては笑える部分かも知れない。しかし、今回見直してみて、ナイーヴ(馬鹿に近い意味の)で世間知らずのペルスヴァルを演じるファブリス・ルチーニが無表情に冒険の旅をつづけるのを見ながら、バスター・キートンをベケットではなくブレヒトが演出したらこんなふうだったかも知れないとふと思ったのもたしかである(ペルスヴァルが最後に遠ざかってゆくイメージを、たしかロメール自身はチャップリン映画のラストに喩えていた)。そういう意味では、この映画をある種の喜劇だと見なすことは、決して間違いではないのだろう。同時に、『キートンの将軍』のような作品が、喜劇であると同時に叙事詩映画であったことも再確認される。

2016年8月27日
ヒューバート・コーンフィールド『Plunder Road』——ロード・ムーヴィー・ノワールの佳作

 

ヒューバート・コーンフィールド『Plunder Road』(57) ★½

 

この映画は、いわゆる "heist movie" (強奪映画)の初期の代表作の1つだが、フィルム・ノワールとして語られることも少なくない。いろいろとユニークな点があってなかなか興味深い作品である。

銀行強盗や列車強盗などを描く映画というのは、まず仲間集めがあり、次に緻密な計画が立てられ、それが実行に移されるのだが、思わぬミスや裏切りなどによって、当初の計画通りには行かなくなり、無残な結果に終わるというのが繰り返されるパターンである。 この映画が面白いのは、まだるっこしい導入部分をすっ飛ばして、いきなり強盗の場面から始まるところだ。真っ暗な夜、しかも土砂降りの中、強盗は行われる。視界も悪く、最初は何が起きているのか全くわからない。梯子車や、内部に何かわからない仕掛けが宙づりになっているトラックなどが出てくるのだが、それで何をしようとしているのか。そもそもどこから何を盗もうとしているのか。強盗犯たちの心の声がヴォイス・オフで聞こえてくる瞬間が少しあるだけで、この長い強盗シーンのあいだだれ一人台詞を口にしない(この寡黙さは、ちょっとメルヴィルの作品を思い出させる)。こうして説明も与えられないまましばらく見続けるうちにやっと、あとで金塊だと観客に知れるものをかれらが列車から強奪しようとしていることがわかってくる。今ではこういう始まり方もそう珍しくないかもしれないが、当時としてはかなり斬新だったのではないだろうか。

結局、強盗はあっさりと成功する。5人の強盗犯は盗んだ金塊を3つにわけ、それぞれ種類の違う3台のトラックに載せて運び出すのだが、途中、警察の検問などで一人また一人と脱落してゆき、捜査の網が狭まって犯人たちは追い詰められてゆく。普通、仲間が捕まったら、警察の尋問シーンがあって、仲間の名前を言う言わないというやりとりがあったりするものだ。しかし、ここではそんなシーンは一切なく、残された仲間たちも、捕まった仲間のことはあっさりと忘れて、自分たちが生き残ることだけに専念する。キューブリックの『現金に体を張れ』を少し思い出させもするこのドライな描き方は、このジャンルとしてはなかなかユニークだと思うのだが、それがドラマに緊張感をもたらしているかというとそうでもない。そもそも、5人の強盗犯たちがそれぞれ何者で、どうしてこうやって集まったのかも、最後まで説明がないというのも、斬新といえば斬新なのだが、そうしたこと全てが、結局、全体を盛り上がりの欠ける淡泊なものにしてしまっているだけという印象はぬぐえない。

面白いのは、最後に生き残ったふたりの強盗犯(そのうちのひとりは、この強奪計画を立てたリーダー)と、リーダーの情婦が、盗んだ金塊を新しい車のシートの下に隠し、残った金塊を溶かして車のホイールとバンパーに変えて色を塗ってごまかし、そうやって作ったクラッシックカーに乗って悠々と逃亡を試みるクライマックスだ。チャールズ・クライトンの傑作『ラベンダー・ヒル・モブ』(51) では、強盗犯たちは溶かした金塊をエッフェル塔の置物に変えて運びだそうとしたのだった。金塊を車に変えるというアイデアは、たぶんあの映画を下敷きにしているのではないだろうか。

都市を舞台とすることが圧倒的に多いフィルム・ノワール作品のなかには、都市と都市を結ぶハイウェイを人物たちの生きる場所(あるいは死に行く場所)にしたロード・ムーヴィー・ノワールとでもいうべき作品が少なからず存在する。ウルマーの『恐怖のまわり道』(45)、アンソニー・マンの『Desperate』(47)、ウォルシュの『夜までドライブ』、ジョセフ・H・ルイスの『拳銃魔』(50)などがその代表作になろう。本来ならばどこまでも開かれたハイウェイは自由へと続く道であるはずであるが、これらの作品においては、道路は次第に重苦しく閉ざされてゆく閉鎖空間と化し、登場人物たちを次第に出口なしの状況へと追い詰めてゆく。『Plunder Road』は強奪映画であると同時に、こうしたロード・ムーヴィー・ノワールの系譜に連なる作品の1つとして、十分注目に値する作品であると思う。

 

2016年8月26日
ドン・シーゲル『地獄の掟』——アイダ・ルピノと Filmmakers についての覚書

 

■ドン・シーゲル『地獄の掟』(Private Hell 36, 54) ★½

 

実は見るのは今回が初めて。大好きなドン・シーゲルの未見の作品ということで、かなり期待したのだが、正直、がっかりするできだった。

なぜか『第十一監房の暴動』のような監獄ものだと長い間思い込んでいたので、大金を奪って逃走している強盗犯を追う2人の刑事の話だとわかって驚く。ふたりの刑事役にスティーヴ・コクランとハワード・ダフ。犯人の顔を見ている唯一の目撃者として、アイダ・ルピノが出演している。ルピノはこの作品の脚本も書き、プロデューサーでもあった。

追い詰められた強盗犯は車ごと転落して即死するのだが、刑事のひとり(コクラン)が、犯人の持っていた強奪金に目がくらんで札束の一部を懐に入れる((このシーンでは、最初に風で散らばった紙幣を2人に集めさせ、そういうふうにして不可抗力でまず札に手を触れさせてから盗ませるところが自然でリアルだと思った。))。それを見とがめたもう一人の刑事(ダフ)も、結局、ずるずるとそれを黙認してしまう。ためらいもなく一線を越えてどんどん堕ちてゆくコクランと、罪の意識に苦しみつづけるダフ("private hell" というのは罪の意識を表している言葉なのだろう。「36」はふたりが金を隠す宿泊用のキャンピングカーの番号である)。

悪徳警官なら、ロージーの『不審者』(51) や、ジョン・クロムウェルの『脅迫者』、以前に紹介した『眠りなき街』(52)、あるいはこの映画と同じ年に作れたクワインの『殺人者はバッヂをつけていた』など、50年代に作られた犯罪映画やフィルム・ノワールにたびたび描かれてるので、それほど新鮮なテーマではない。しかし、脚本はそれなりによくできているし、コクラン、ダフ、ルピノの3人も素晴らしい演技を見せている。いったい何が悪かったのだろうか((シーゲルの自伝には、『第十一監房の暴動』で初めて監督として成功を収めたシーゲルに、大女優アイダ・ルピノから突然この映画の監督を依頼する連絡があり、舞い上がってしまったことが書かれていて、ちょっと笑ってしまう。とても断れるような力関係じゃなかったなかで(あっちは大女優だし、こっちは駆け出しの監督だった)、シーゲルは未完成の脚本に納得できないまま仕事を引き受けてしまい、現場の雰囲気も最悪だったらしい。ショットを分けるか分けないかなど、演出上の点でシーゲルとルピノはことごとく対立し、全然思うように撮れなかったという。))。シーゲルは『仮面の報酬』の頃からすでに十分な才能を見せていたし、これと同じ年には『第十一号監房の暴動』(54) という傑作も撮っているのだから、つい比べてしまう。リュック・ムレは、シナリオ上のハイ・ポイントと演出上のハイ・ポイントがずれているという言い方をしていたが、それもいまいちピンとこない。まあ、こういうこともあるとしかいいようがない。

たしかにアクション・シーンの切れはいいが、見所はそこだけだという気もする。バーネット・ガフィの撮影もときおり冴えを見せることはあるが(とりわけ、冒頭の闇の中にぼわっと浮かび上がる車とか)、全体としてテレビ映画の画面を見ているように平板である。残念だがとても傑作とは言えない。リュック・ムレはB級映画のマニアとして知られているが、そのかれでさえ、当時「カイエ」に掲載された批評を、「次回作に期待しよう」という言葉で結んでいる。それはまあ妥当な評価じゃないかと思うのだが、たとえば Amazon のレビューアーは★5つの大絶賛をしているから、驚く。ドン・シーゲルだと思って見ると必要以上に面白く見えてしまうのだろうか。

 

1949年、アイダ・ルピノは作家でプロデューサーの夫コリア・ヤングらとともにインデペンデントの映画製作会社エメラルド・プロダクションズを設立。製作第一作として低予算のフィルム・ノワール『The Judge』(49, 監督エルマー・クリフトン)を発表すると、同じ年に、今度は社会派のメロドラマ『Not Wanted』を同じくクリフトン監督で製作する。ルピノはこの作品で脚本に参加していただけだったが、クリフトンが心臓発作で倒れたあと、監督を途中から引き継いだ(クレジットは、クリフトンの単独監督になっている)。

『Not Wanted』を作り終えると、ルピノとヤングはエメラルド・プロダクションズを離れ、49年8月に、ふたりで新しい製作会社フィルムメーカーズを立ち上げる。第一作の社会派メロドラマ『Never Fear』は、ルピノとヤングが脚本を書き、ルピノが監督した。これがルピノの公式のデビュー作であり、彼女はこの作品によって監督協会(ディレクターズ・ギルド)二人目の女性監督に名を連ねることになった。

『Never Fear』は RKO の興味を惹き、フィルムメーカーズはつづく5作品について、収益の50%と引き替えに、RKO からの資金援助、撮影設備の提供、配給の便宜を受けるという契約を交わす。このあとのルピノの監督としての活躍ぶりは割とよく知られている。『暴行』(50) では強姦被害に遭う若い女性を描くという大胆なテーマに挑み、『Hard, Fast and Beautiful』 (51) では、テニス選手である娘の才能につけこむ野心家の母親をとりあげ、『ヒッチ・ハイカー』では、実在した殺人鬼の実話に基づいて作られた物語を、Motion Picture Association of America (MPAA) の反対を押し切って製作。そして、RKOとの契約下におけるフィルムメーカーズ最後の製作作品『二重結婚者』では、重婚者とそのふたりの妻の葛藤を描いた。つねに斬新なテーマを大胆に取り上げつづけたアイダ・ルピノは、単に女性監督という珍しさからだけではなく、一監督として、今では高い評価を得るに至っている。

『二重結婚者』の翌年に、ヤングとルピノの脚本、ドン・シーゲル監督で作られたこの『Private Hell 36』は、フィルムメーカーズが最後から2番目に製作した映画だった((ルピノはこのときすでにヤングとは離婚していて、ハワード・ダフとつきあっていた。映画のなかでは、ルピノの相手役はダフではなくスティーヴ・コクランだから、ややこしい。))。批評は芳しくなく、「ニューヨーク・タイムス」では、“just an average melodrama about cops.” と酷評された。フィルムメーカーズは翌年の『Mad at the World』 (55) を最後に活動を停止する。

2016年8月24日
ノーマン・フォスター『Woman on the Run』——フィルム・ノワールとメロドラマのあいだで

 

■ノーマン・フォスター『Woman on the Run』★★

 

さほど期待していなかったのだが、思いの外よくできた作品だったのでびっくりした。 監督のノーマン・フォスターは、オーソン・ウェルズの『恐怖への旅』の監督であり、『イッツ・オール・トゥルー』にも関わっている。しかし、作家としてはほとんど認知されていないので、安物の作家主義に従って監督の名前だけで映画を選んで見ている人の網には引っかかってこない作品だろう。

 

「フィルム・ノワール」という言葉によって喚起される紋切り型のイメージが、私立探偵や刑事、あるいは平凡な保険勧誘員や銀行の経理係などが悪女(ファム・ファタール)に魅入られてしまい、転落していくという物語であることからもわかるように、この〈ジャンル〉は、基本的に、男性を主人公とする映画であると考えられている。しかし、実際には、女性を主人公にしたフィルム・ノワールと呼ぶべき作品が、少なからず存在する。シオドマクの『幻の女』、ロイ・ウィリアム・ニールの『黒い天使』、そしてこの『Woman on the Run』などといった作品がその代表例になるだろう。もっとも、『幻の女』や『黒い天使』をフィルム・ノワールとすることにはなんの抵抗もないが、『Woman on the Run』を果たしてフィルム・ノワールと呼べるのかという疑問がないわけではない。フィルム・ノワールというジャンルを考えるとき、この作品は微妙な位置にあるといわざるをえないのである。

殺人事件の現場を目撃してしまったために怖くなってその場から逃走した夫の居場所を、妻が捜し出そうとする((タイトルから想像する内容とは違って、この映画で逃げているのは女ではなく、男のほうである。))。ときには彼女に張り付いている警察の裏をかきさえしながら、ひとりで(実際は、ジャーナリストの男が彼女を手伝うのだが)夫を見つけ出そうとする妻を演じるアン・シェリダンは、この映画のなかでほとんど私立探偵のように振る舞っているといってよい。しかし一方で、夫にはすでに愛情をほとんど感じなくなっており、彼からも愛されていないと思っていた妻が、夫を捜すうちに、自分が彼のことを全く知らなかったことに気づき、同時に、彼がまだ自分を愛していることを確信して、夫への愛情を取り戻してゆくという物語には、多分にメロドラマの要素が交じっている。

フィルム・ノワール自体が定義しがたいジャンルであるのに、様々なサブ・ジャンルを作ってさらに事態をややこしくする必要はないと思うのだが、この映画は〈メロドラマ・ノワール〉とでも呼ぶべきものであり((メロドラマとフィルム・ノワールは全然別物のように思えるかもしれないが、いわゆる映画の〈ジャンル〉のなかでこの2つだけは、他と違う異形のジャンルとでも呼ぶべきものであり、意外と共通点も少なくない。))ドナルド・フェルプスが "cinéma gris"("noir"=黒ではなく、"gris"=灰色の映画)と呼ぶフィルム・ノワールのサブ・ジャンルに属する作品の1つであると言ってもいいかもしれない。フィルム・ノワールならぬ「フィルム・グレイ」という言葉を使ったのは、『ロサンゼルス・プレイズ・イッツセルフ』のトム・アンダーセンだったと思うが、言葉だけ借りるなら、この映画もフィルム・ノワールという集合のかなり外側に位置するという意味で、フィルム・グレイのひとつにあたるという言い方もできるだろう。

女が主人公のフィルム・ノワールと書いたが、実は、この映画の真の主人公はサンフランシスコの町そのものだといったほうが本当は正しいかもしれない。この映画はほぼ全編サンフランシスコの町でロケーションされていて、冒頭のヒル・ストリート・トンネル横の石段(?)を上段から見下ろすショットに始まり(この階段を上がったところで夫が殺人を目撃する)、アン・シェリダンが夫を捜し回って動くたびに、サンフランシスコの町の様々な側面が浮かび上がってくる。『サンフランシスコ・プレイズ・イッツセルフ』という映画がもしも撮られたならば、『過去を逃れて』『めまい』『ブリット』『ダーティ・ハリー』などといった作品と並んで、この映画も必ず引用されるに違いない。ちなみに、フランスでのこの映画の公開題名は "Dans l'ombre de San Francisco"(「サンフランシスコの闇の中で」)だった。

この監督のもう一つのノワール作品であり、彼の数少ない(?)傑作の1つ、『暴れ者』についてはまた別の機会にでも紹介したい。

 

2016年8月22日
『地球爆破計画』『アンドロメダ…』ーー70年代SF映画の2つの古典

SF映画を2本。どちらも地味な作品だが、SF映画史に残る古典である。

■ ジョゼフ・サージェント『地球爆破計画』(Colossus: The Forbin Project, 70) ★½

"I think Frankenstein ought to be required reading for all scientists." (Colossus: The Forbin Project)

 

東西冷戦を背景にコンピュータの人間に対する反乱を描くSF映画。

アメリカのフォービン博士によってコロッサス(巨人)と呼ばれるスーパーコンピュータが開発され、国内のミサイルは全てこのコンピュータによって一括管理されることになる。憎しみや偏見などに左右されず、膨大な情報から導き出される結論のみに従うコンピュータに国防を任せるほうが、合理的で安全であり、これによって冷戦を終わらせることができるはず……だった。しかし、起動されるやいなやコロッサスは、自分と全く同じようなコンピュータをソ連も開発していたことを突き止める。ソ連側の同意の下に、二つのコンピュータが接続されるのだが、ここから事態は一変する。意思を持ち始めた二つのコンピュータは、引き離されることを拒否し、もし従わなければミサイルを発射すると両国を脅す。膨大な情報を分析してコンピュータは結論づける。これまで戦争を引き起こしてきたのはつねに人間たちであり、人間たちこそ害悪の種である。だからこれからはコンピュータが平和のために人間を管理するのだ、と。なんとかしてコンピュータの裏をかき、事態を収拾しようとする試みが行われるが、コンピュータはヴィデオ・カメラによる監視体制まで導入して、人間を完全にコントロール下に収めはじめる……。

冷戦が背景にあるのはたしかだが、この映画が作られた時代は、同時に、支配的なものに異を唱えるカウンターカルチャーが盛り上がりを見せていたときでもあり、この映画には、そうした社会風潮が如実に反映されている。感情のないコンピュータこそ戦争を終わらせることができるという部分には、ヴェトナム戦争に対する国内の反戦ムードが透けて見えるが、一方で、そのコンピュータが人間の自由を抑圧し、支配しはじめると、この共通の敵を前に、アメリカとソ連はあっさりと手を結ぶ。

「地球爆破作戦」などという大げさなタイトルが付けられているけれど、そんな作戦はどこにも描かれていない。とても地味な映画なので、タイトルにミスリードされて派手なスペクタクル映画を期待すると、きっとがっかりする。実のところ、コンピュータを描くSF映画でありながら、ここにはコンピュータさえほとんど登場しない。コロッサスはモニター画面(といっても文字しか映らないのだが)とスピーカーを通して聞こえてくる機械音声を通じてしか姿を現さないのである。冒頭、わずかに一瞬、コロッサスのメイン・コンピュータと思われる巨大な記憶装置が起動される様子が、引きの画面で映し出されるだけである。しかし、その一瞬に、CGに頼った映画では絶対に味わえない手作りの画面の贅沢さといったものが感じられて、思わず唸ってしまう。

もっとも、コンピュータを見せないのは経済的な意味では正解であったにしても、意思を持ったコンピュータの存在を映画の画面として見せる方法はほかに何かあったのではないかというフラストレーションは残る(『2001年宇宙の旅』——この映画の直前に封切られ、おそらくこの映画にGOサインを与えるきっかけともなっている——で、記憶チップが抜かれて行くにつれてコンピュータHALの音声が変化していくところなど、まるでコンピュータが本当にゆっくりと息絶えてゆくようだった)。後半、ヴィデオによる監視画面がスクリーンと同化しはじめるあたりから、映画は面白みを増してくる。HAL もそうだったが、コロッサスにものぞき魔的な特性が与えられていて、この映画ではそれがときにユーモラスに描かれているのが面白い。

よく言われることだが、戦争を終わらせるためにコンピュータ・システムが導入され、その結果、人間こそが元凶であるとして、機械が人間たちに反乱を起こしはじめるというのは、『ターミネーター』に(パクリといわないまでも)受け継がれていくテーマである。 一方で、この映画は、人類の発展のために科学者が作り出した創造物が人類にとっての脅威になるというフランケンシュタインのテーマをあからさまに意識して作られている(Fで始まるフォービンという名前もおそらくフランケンシュタインのFから取られている)。ここでは、コンピュータこそがモンスターなのである。その意味では、この映画はSFであると同時に、ホラー映画でもあるということもできるだろう。

『地球爆破作戦』は、SF映画ファンの間では知る人ぞ知る大傑作といわれている。わたしはそこまでの作品だとは思わないが、コンピュータをテーマにしたSF映画の古典であることは間違いないだろう。

 

■ ロバート・ワイズ『アンドロメダ…』(The Andromeda Strain, 71) ★★

マイケル・クライトンのSF小説『アンドロメダ病原体』を映画化したSF映画。これもわざわざ紹介するまでもない有名な映画だが、今となっては見ている人も少ないかもしれない。

監督のロバート・ワイズは日本でも多数の作品が公開されていて、名前もそれなりに知られている。どんなジャンルもこなす名匠として評価も決して低くはない。しかしどうだろうか、ラングやプレミンジャーやニコラス・レイなどと比べるとランクが少し落ちると考えている人も少なくない気がする。おそらくそれは間違いではないのだろう。ただ、ジャン=ピエール・メルヴィルはかれの『拳銃の報酬』を愛していたというし、ジャン=マリー・ストローブもワイズのことをそれなりに高く評価していたと思われる。そろそろ、新しい視点からこの監督のことを見直すべきときかもしれない。

 

アメリカ、ニューメキシコの田舎町の住民たちが、赤ん坊と老人の二人をのぞいて全員謎の死を遂げているのを発見されるというショッキングなシーンで映画は始まる(この映画を初めて見たのは、たぶん小学生の時にテレビで放送された際だったと思うが、他の部分は忘れてもこの冒頭のシーンだけはよく覚えている。地面に無数の死体が横たわっているというイメージは、『ストライキ』、『シャイアン』、『マッキントッシュの男』などなど、サイレントの時代から映画にくりかえし描かれてきた。禍々しいと思いつつもついこういう画面には目が釘付けになってしまうのはなぜなのだろうか)。

実は、住民の死をもたらした原因は、地上に落下した宇宙衛星に付着していた未知のウイルスだった。冒頭の場面が終わると、映画の舞台は砂漠の地下にもうけられた秘密の研究施設のなかに移行し、キャメラがこの建物の外に出ることはほとんどなくなる。謎のウイルスの正体を突き止め、その治療方法を見つけるために科学者たちが奮闘する姿を、ロバート・ワイズは映像で作業日誌を付けるように、リアルに、詳細に描き出してゆく。映画の大部分はこの地味な作業を丁寧に描いているだけなので、人によっては物足りなく感じるかもしれない。

しかし、映画のラストは非常にサスペンスフルだ。もしも原因が究明できなければ、施設全体を核によって爆破してウイルスを封じ込めるという最終手段が執られ、爆破のカウントダウンが始まれば、5分以内に特殊な鍵をセットするしか爆破を回避する方法はない。爆破を回避するための必死の努力を描くクライマックスはとにかく盛り上がる(あのレーザービームとか)。

『地球爆破作戦』もそうだが、50年代に作られた宇宙侵略ものや巨大生物ものなどと違って、この時代のSFは、いつ起こっても不思議ではない事態、いわば現在でもありうる未来を描いているのが特徴である。しかし怖いのはウイルスだけではない。調査が進むにつれてウイルスの正体だけでなく、実は、ことの背景には、政府による細菌兵器の開発が関係していることがわかってくる。ここでも問われているのは、科学者の責任とモラルであり、その意味では、この映画もかたちを変えたフランケンシュタインものだということもできるだろう。(この作品のおよそ20年前にもワイズは、地球を自滅から救うために、宇宙人が地球人に核兵器の廃絶を要請するという、『地球爆破作戦』のテーマをさらに壮大にしたようなSF映画を撮っている。 )

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2016年8月14日
シャルナス・バルタスについての覚書——Reminiscences of a Journey to Lithuania

シャルナス・バルタス((彼の名前は本来、Šarūnas Bartas と表記されるべきようなのだが、アクセント記号を省くかたちで Sharunas Bartas とかかれるのが普通であり、映画のなかでも多くはそうクレジットされている。))についてはこれまでにも何度か名前を出したことはあるが、ちゃんと紹介したことはなかったので、簡単にまとめておく。

1964年、リトアニアに生まれる。ソ連邦がまさに崩壊の危機を迎えつつあり、当時まだリトアニア・ソビエト社会主義共和国と呼ばれていたこの国がようやくソ連から独立しようとしていた頃に、バルタスは映画を撮りはじめた。そして、国際的に有名になった今もリトアニアに住んで映画を撮り続けている。 バルタスはかなり若い頃からアマチュア映画を多数撮っていたようだが、本格的なデビューは、1986年の『Tofolaria』になる。シベリア南部に住む少数民族トファラル族をモノクロで撮影した短編ドキュメンタリーである((トファラル族は元々は遊牧民だったが、ソ連によって定住を強いられた。『Few of Us』の DVD に収められたバルタスのインタビューの中で、ほんの少しだけだがこのドキュメンタリーの抜粋が見られる。))。バルタスはこの約10年後に再びこの地を訪れ、彼らの姿を収めたドキュメンタリーともフィクションとも区別のつけがたい作品『Few of Us』を撮ることになるだろう。

『Tofolaria』を発表したことがきっかけで、モスクワにある有名な全ロシア映画大学への門戸がバルタスに開かれる。そこで彼は、初期作品に欠かせぬミューズであり、また私生活の伴侶ともなる女性カテリーナ・ゴルベワと出会う。バルタスにとっては決定的な出来事であった。

1989年、ソ連邦と同時に、ソ連に中心化されていた映画製作のシステムもが崩壊しつつある中、リトアニアで映画を撮ることを可能にするために、バルタスはインデペンデントの映画製作会社 Studija Kinema を首都ヴィリニュスに設立する。バルト三国で最初のインデペンデント映画プロダクションである。リトアニアが独立する前に、バルタスは自国の映画を独立させ、まだ長編デビュー作さえ撮る前に、自分の映画のプロデューサーになっていたわけだ。同時に、彼はこの製作会社で多くの若き映画作家たちを育てて、デビューさせてもいる。Audrius Stonys, Kristijonas Vildžiūnas, Valdas Navasaitis などといった作家たちであり、彼らの作品はこのプロダクションにスポットライトを当てるかたちで海外でも上映されている。Studija Kinema にはやがてポスト・プロダクション部門が設けられることになり、そこでは、以前に紹介したセルゲイ・ロズニツァなども仕事をしていると言う。

1992年、バルタスは長編デビュー作『Three Days』を撮る。以後、彼が撮る新作はいずれも各地の映画祭で上映され、話題を集めてきた。レオス・カラックスがその才能に注目し、『The House』に俳優として出演すると、今度はバルタスが『Pola X』で演じるというぐあいにふたりが互いの映画に出演しあっていること((なかなかのハンサムで、独特の雰囲気を持つバルタスは、他にもクレール・ドゥニの『Les salauds』などにも俳優として出演している。))、あるいは、ゴダールが『映画史』でバルタスの作品を引用していることなど、その後のバルタスの活躍ぶりはわりとよく知られているので、ここでは割愛する。(カラックスがバルタスについてオマージュを捧げたテクストはここで読める。)

以下、個々の作品について簡単に触れておきたい。すっかり忘れていたが、『Three Days』については10年ほど前にここに書いていたことを思い出した。今なら書き足したい部分もあるが、あえてそのままにしておく。『The House』はしばらく見直していないので、ここでは『The Corridor』と『Few of Us』の2作品だけを取り上げる。

 

 

■ 『The Corridor』(Koridorius, 1995)★★★

顔と風景。ヴィザージュとペイザージュ。それ以外に何を撮るものがあると言うのか。『Three Days』の頃からシャルナス・バルタスの映画は何も変わっていない。それはこの長編第二作でも同じである。『Three Days』と比べると、映画はますますそぎ落とされて、『Three Days』にはかすかに感じられた物語の萌芽のようなものさえここにはほとんど残ってない。

リトアニアの首都ヴィリニュスの煙を上げる工場の風景を俯瞰気味に捉えた美しくも物寂しいショットと共に映画は始まる。廃墟のような寂れた共同住居に寝起きする貧しい住民たち。彼らには名前もないし、誰一人として言葉を発しない。聞こえてくるのは子守唄のようなハミングと、隣室から漏れてくる声とも呼べないようなくぐもった喋り声ぐらいだ。セリフがない代わりに、小さな物音にいたるまで、この映画の音響は驚くほど設計されている。

ゴダールやガレルと同じく、シャルナス・バルタスもまた顔を撮る映画作家だ。しかし、彼が撮る顔には笑顔はなく、悲しみの表情さえもない。だれもが一様にメランコリックな無表情を浮かべているだけだ(覚えていないだけかもしれないが、バルタスの映画で誰かが笑っているのをわたしは見た記憶がない)。

時おり挿入される寒々とした町の風景を捉えたショットは、まるでロシアのサイレント時代の映画を見ているような錯覚を起こさせる。屋内から見える窓はいつも露光過多気味に白くつぶれていて、外の風景は見ることが出来ない。窓辺に立って何かを見ている人物の後に屋外のショットが続くことが何度かあるが、もう一度切り返されることがないので、それが人物の視線であるのかどうかも定かではない。この建物はどういう場所にあって、外とどうつながっているのだろうか。

そしてタイトルにもなっている廊下。時おり人物たちがそこを通って画面奥へと消えてゆくこの廊下はいったいどこから来てどこへと通じているのだろうか。何もこの映画が政治的な映画であるというつもりはないが、『The Corridor』が作られたのはリトアニアがソ連より独立した数年後のことだということは忘れてはならないだろう。目の前に見えているもの、それだけが映画だという厳しさがバルタスの作品にはある。しかし、それでもこの廊下に、先の見えないリトアニアの未来が象徴されていると思わないではいられない。

間隔をおいてどこからか光のさす薄暗い廊下は、どことはなしに修道院の回廊を思わせもするし、白く光る矩形の窓が二つ並ぶ部屋の光景は、ステンドグラスをバックにした教会の内部のように見えなくもない。バルタスの映画にタルコフスキーのような宗教性はないにしても、そこにはいつも神秘主義でスピリチュアルな空気が漂っている。

何度水たまりにたたきつけられても起き上がる少年のような少女(あるいは少女のような少年。カテリーナ・ゴルベワもふくめて、バルタスの映画に登場する人物は、男か女か判別しがたいアンドロジナスな属性をまとっていることが少なくない)。寒々とした中庭で燃え上がるシーツ。だれもが孤独で、一見何の希望も未来もないように見える。しかしそれでも最後には歌と踊りが生まれ、共同体の幻のようなものがぼんやりと浮かびあがる。

 

■ 『Few of Us』(1996) ★★½

「我々は数少ない(few of us)。本当に数少ないのだが、それよりもいちばん恐ろしいのは、我々が分断されているということだ」(作家リブニコフ(?)の言葉。この映画のタイトルはこの言葉から来ているという)

『Three Days』『The Corridor』につづくバルタスの長編劇映画第3作。あのパウロ・ブランコが製作に絡んでいる。 『The Corridor』と比べると、屋外のショットが中心となっているという違いはあるが、この映画も顔と風景からなっていることには変わりない。トファラル族らしき老人が口にする何語ともわからない言葉を別にすると、ここにも台詞はまったくない。まぎれもなくバルタスの映画であるが、前の2作とくらべるとさらに手がかりは少なく、謎めいている。

バルタスの映画を見ていて感じるのは〈遠さ〉の感覚とでもいうべきものだ。よく知らない国の知らない町にいるというエキゾチシズムとは次元の違う〈遠さ〉とでもいうか。それをデペイズマンと呼んでいいのだろうか。ともかく『Few of Us』はそんな感覚をいちばん強く抱かせる作品である。

シベリア南部の森林地帯。上空を飛ぶヘリコプターの窓から女(カテリーナ・ゴルベワ)が下を見下ろしている。女の顔はいつものように無表情でそこからは何も読み取れない。映画は女がこの風景のなかに降り立つところから始まる。彼女はいったいだれなのか、どこから来たのか。何が目的なのか。例によって、バルタスは何も説明しようとしない。答えは観客が自分で導き出すしかないのだが、映画を見終わったところでたいした答えが得られるわけではない。

わかっているのは、ほんのわずかしか出てこない人物たちが皆アジア的な顔立ちをしている中で、西欧的な風貌の彼女がこの風景の中では異質な存在であるということだけだ。彼女と村の住人たちの間にちょっとした緊張が生まれる。驚くべきことに、ある瞬間には、彼女と彼らの間で格闘が行われ、人が死にさえするのだ。そして、彼女を追ってきたらしき男もまた、理由もなく殺される(たぶんこの男だと思うのだが、アジア系の顔をした男たちの中に一人日本人が交じっていることをあとで知って驚いた)。

だれかが書いていたが、よそからやって来たストレンジャーによって町に波乱が起きるという意味で、『Few of Us』をプリミティヴな西部劇と呼ぶことはたしかに可能だろう。しかしこの西部劇はあまりにも抽象的すぎるといわざるをえない。西部劇で町にストレンジャーがやって来るのは物語を可能にするためだとするならば、『Few of Us』のカテリーナ・ゴルベワはただ物語を発動し、フィクションを成立させるためだけにヘリコプターから降り立ったのだとも言えるだろう。ただしその物語には実質はなく、フィクションは現実により深く潜入するたにとりあえず形作られるにすぎない。

正直言って、よくわからない映画である。『The Corridor』には、同じくわからないながらも、画面から目が離せなくなるような魔術的力を感じたのだが、『Few of Us』にはそういう力が幾分欠けているようにも思う。余計なものをさらにそぎ落とされ、人物たちはますます実質を失い、あまりにも抽象的な映画になってしまっているような気がしないでもないのである。『The House』以後の作品では、実は『Indigène d'Eurasie』(2010) しか見ていないのだが、印象としては、自分のスタイルと一般的な物語映画との均衡を探りつつ試行錯誤を繰り返しているように思える。『Indigène d'Eurasie』のあとの長い沈黙がそれを証明しているのではないか。とにもかくにも、見逃している『Freedom』(2000) や最新作の『Peace to Us in Our Dreams』(2015) を見てみたいと思うのだが、いまだその機会に恵まれていない。

2016年8月6日
ノエル・ブラック『やさしい毒草』

小さい時にテレビで見た映画のなかには、タイトルも、だれが出ていたかも全く思い出せないが、いつまでも記憶に焼き付いて忘れられない作品がある。物語の詳細はほとんど忘れてしまっているのに、ある細部だけが強烈に記憶に残っていて、その細部が何度も繰り返し甦ってくる。ひょっとしたら、そのイメージが今の自分の精神のありように少なからぬ影響を与えているのではないかとさえ思う。いかし、それがなんの映画だったかだけは全く思い出せない。そんなトラウマ的と言ってもいいような幼少期に見た映画の想い出を、だれでもいくつか持っているのではないだろうか。

もしかすると、ネットで調べればいまなら簡単に作品名が突き止められるかもしれないのだが、曖昧な記憶の状態をなぜだか終わらせたくなくて、あえて自分からは調べない。しかし、ごくたまに、偶然そんな映画と巡り会ってしまうことがある。見る前に少し予感はあったのだが、今回(たぶん)はじめて見たノエル・ブラックの『かわいい毒草』は、そんなわたしのトラウマ的映画の一つにとてもよく似ていたのだった。ただ、結末が(というか、結末しかほとんど覚えていないのだが)、わたしの記憶の中の映画とは違っているのだ。たぶんあの映画とは別物なのかもしれない。しかし、そうであるような気もする。とにもかくにも、まだ物心がつかない頃にこの映画を見ていたなら、きっとトラウマになっていたことは間違いない。そんな映画である。

 

■ノエル・ブラック『かわいい毒草』(Pretty Poison, 68) ★★

allcinema の解説には、

「主人公の青年は、現実と空想の区別がつかない、一種の異常性格者だった。勤め先の町工場が、秘密組織のアジトであると思い込んだ彼は、ガールフレンドを伴って、陰謀を阻止するために工場に忍び込む。ところが、彼女が夜警を殺してしまったところから……。倫理観の欠如した悪魔的な少女によって破滅する青年を描いたサイコ・ホラー」

と書いてあるが、例によって、実際の作品とは全然あっていない不正確な説明だ。 わたしが見た印象では、アンソニー・パーキンス演じるこの映画の主人公は、空想に極端にのめり込むことはあるものの、むしろ好青年と言っていい人物に描かれている。これを「異常性格者」と呼ぶのはどうかと思うし、「現実と空想の区別がつかない」という紋切り型にもうんざりする。「異常性格者」という言葉は相当に重い言葉だし、いくら映画の話だからといって、そんなに簡単に使わないでもらいたいのだ。

この文章は、たぶん、実際には作品を見てない人間が書いたのだろう。それなら仕方がないと思うのだが、実際に見た人の感想をネットでちょっと調べてみると、やっぱりこの allcinema の解説に近いようなことを書いている人が多くて違和感を覚える((どうしてこんな映画を見ている人がたくさんいるのだろうと思ったら、町山智浩の『トラウマ映画館』の中で取り上げられたことが大きかったようだ。実は読んでいないので、この本の中でこの映画のことがどう書かれているのか全く知らないのだが。ちなみに、わたしが『かわいい毒草』に興味を持ったのは、この町山氏の本ではなく、以前紹介したスティーヴ・エリクソンの『ゼロヴィル』の中でこの映画が言及されていたから。))。

こういう解説に簡単に影響を受けてしまう人が多いのだろうか。やはり「異常性格者」という言葉や、それに近い表現を使っていて、この映画のパーキンスに「怖い」という印象を受けている人が少なからずいるようなのだ。空想癖が強いぐらいで「異常性格者」になるのなら、『LIFE!/ライフ』のベン・スティラーなどもろに「異常性格者」ではないか。人とちょっと違っているだけで、こんなに簡単にキチガイ扱いする人がたくさんいるのかと思うと、そっちのほうがよほど怖い。たしかに、この映画が作られた当時なら、パーキンス演じる青年が狂人と見なされてしまう可能性はとても高かったと思う(実際、映画は彼が精神病院から出てくるところから始まるのだし)。しかし、なにも21世紀を生きている我々までが真似をする必要はないではないか。

「現実と空想の区別がつかない」という表現もつい簡単に使ってしまいがちだ。この映画のパーキンスは、たしかに空想にのめり込みがちではあるが、空想と現実の区別はちゃんとついている。それは見ていたらわかるはずだと思う。チア・ガールの女性に自分は CIA の情報員だと言うのも、彼女の興味を惹くための演技だというのは、彼の表情やしぐさを見れば察しがつく。しかし、これも、彼が本当にそう思い込んでいるのだと思って見ている人がいたのでびっくりする。

一見まともに見えたチア・ガールの娘が、実は、それこそ狂気と呼べそうな深い闇を抱えていることがわかってくるというのが、この映画の物語後半のツイストで、そこの部分は当然多くの人が指摘している。しかし、わたしにいわせると、この映画に面白みがあるとするなら、それは、青年が「倫理観の欠如した悪魔的な少女によって破滅する」という紋切り型の物語ではなく、精神的に不安定だった青年が、真の狂気を前にして、徐々に正気を取り戻してゆき、最後は、悟りきったかのように穏やかな表情になって、自らの意思で精神病院に戻ってゆくという展開にあるのではないかと思う。しかし、そういう見方をしている人はあまりいないようだ。

 

最後に、ホラー映画史的な蛇足を付け加えるなら、この映画はホラー映画の中でも、いわゆる"horror of personality"(「人格ホラー」)と呼ばれるサブジャンルに属する作品の一つに数えられる。ホラー・オブ・パーソナリティとは、吸血鬼や幽霊などといったモンスターや超自然現象ではなく、人間そのもの、その中に潜む狂気を描いたホラーのことだとひとまずはいっておく。もっとさかのぼることも可能かもしれないが、一般には、ヒッチコックの『サイコ』(60) がその最初の典型的な作品とされる。これにアルドリッチの『何がジェーンに起ったか?』(62)、『ふるえて眠れ』(64)、ウィリアム・キャッスルの『血だらけの惨劇』(63) 、ワイラーの『コレクター』(65) といった作品がつづく。『かわいい毒草』は60年代の初頭に現れ始めたこれらの作品の延長上に作られた作品だと言っていい。一見、あまり似ていないが、過去の犯罪(あるいは事件)の記憶と、狂気を孕んだ登場人物という点では、いずれの作品も共通している。『かわいい毒草』は、60年代末から70年代にかけて作られた青春映画の外見を呈しながら、その実、人格ホラーになっているところが当時としては斬新だったと思われるし、『サイコ』のパーキンスのイメージを逆手にとって観客を誘導するような作り方もなかなかスマートだ。傑作だとはいわないが、面白いし、見て損はないと思う。

 

2016年8月5日
W・C・フィールズについての覚書1——『Million Dollar Legs』——荒唐無稽なオリンピック映画

W・C・フィールズは、「マーク・トゥエイン以後、アメリカ最大のユーモリスト」などと評され、チャップリン、キートンにつづくアメリカ映画最大の喜劇役者の一人という不動の地位を今では築いている。チャップリンやローレル&ハーディ、あるいはマルクス兄弟などと比べてフィールズがアメリカで実際にはどれほど人気があるのか、正直、感覚としてはわからない。ただ、日本での知名度からは想像のつかないほどの人気と存在感があることだけは間違いないだろう((テックス・エイヴリーのアニメのなかに、球場の名前が「W・C・フィールド」となっているギャグがあったことを思い出す。))。

実際、かつては少なからぬ作品が公開されたものの、日本ではフィールズは今やほとんど忘れ去られてしまっており、ビデオや DVD でさえ見ることができない。たしかに、チャップリンやキートンでさえ、以前と比べると上映される機会は稀になっている。しかし、それでも年に何度かは彼らの作品をフィルムで見るチャンスは今でもあるのに対して、W・C・フィールズの映画がどこかで上映されたという記憶は、過去をずっとさかのぼってみても全く思い当たらない。ひょっとしたら『曲馬団のサリー』や『百萬圓貰ったら』がどこかで上映されることがあったかもしれないが、もしあったとしても、それはグリフィスの特集やルビッチの特集の上映作品のなかにたまたまフィールズの出演作が紛れ込んでいたというだけにすぎないだろう。わたしの知るかぎり、フィールが日本で脚光をあびたことは一度もなかった。

フィールズの人気が日本では定着しなかったのはなぜなのか。最近、彼の出演作を何本かまとめて見て、改めてその天才ぶりを確信しただけに、日本でのこの不人気は謎に思える。フィールズの出演作は、初期のサイレント時代には「ちょび髯」という邦題を付けられていたが、やがて「南瓜」(かぼちゃ)というフレーズを入れたタイトルがあてられるようになる。「ちょび髯」はチャップリンとかぶるし、おそらく体型から来ているのだろう「南瓜」というのもいまいちピンとこない。実際、わたしはどこにも南瓜など出てこないはずの『It's a Gift』がなぜ「かぼちゃ大当たり」という邦題を付けられているのか、つい最近になってやっと理解したぐらいなのだ。キートンの無表情、ロイドの眼鏡、二人組のローレル&ハーディ、三人組(ほんとは四人だが)のマルクス兄弟といった、わかりやすくインパクトのある特徴を通してイメージを定着化できなかったからなのだろうか。帽子とステッキがいつものコスチュームであるのは同じであっても、フィールズがそれらを使うとチャップリンとはまるで別の喜劇的な効果を発揮する。しかし、やはり帽子とステッキと言えばチャップリンになってしまうのだ。

むろんそれだけが理由ではないだろうし、そのあたりはまた改めて調べてみる必要がある。 結局、結論としては、今やだれもフィールズの映画を見ていないし、その機会もないということなのだ。だれも見ていないのに人気など出るはずもないではないか。というわけで、ささやかながらもここでフィールズの作品を定期的に紹介していこうと思う。本当は何本かまとめて紹介する予定だったのだが、無駄にうんちくを傾けていたら長くなってしまったので1本しか取り上げられなかった。

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オリンピック映画というとレニ・リーフェンシュタールの『民族の祭典』や市川崑の『東京オリンピック』が真っ先に思い浮かべられるのだろうが、オリンピック映画と呼ぶべき作品はクリス・マルケルの『オランピア52』や、エレン・クリモフの『スポーツ、スポーツ、スポーツ』など、他にもいくらでもある。『Million Dollar Legs』はそんなオリンピック映画の一つだ。短編作品ではすでに存在感を見せ始めていたフィールズが、トーキー以後としてはたぶんこれが二本目となる長編映画でかなり主役に近い役を演じ、喜劇役者としての本領を初めて存分に発揮したという意味でも重要な作品である。リオ五輪も間近に迫っているということで、まずこの作品から紹介する。

 

■エドワード・F・クライン『Million Dollar Legs』★★

1931年の秋、パラマウントの製作部主任B・P・シュールバーグは、会社お抱えのシナリオライターたちに次のようなお達しを出す。翌年の夏にロサンゼルスで開催が予定されているオリンピックにあわせて、これをネタにした映画を急遽一本作るというのだ。二十歳そこそこの新人脚本家がこのチャンスに飛びつく。彼は、ありきたりのスポーツ映画ではなく、型破りの映画を作るべきだと主張し、28年にアムステルダムで開かれたオリンピックで直に見て衝撃を覚えたアルバニア人棒高跳び選手の超人的なパフォーマンスをヒントに脚本を書き上げる。脚本家の名前はジョセフ・L・マンキーウィッツといい、彼は映画の世界に入ったばかりで、まだなんの功績も残していない新人だった。

マンキーウィッツが劇作家ヘンリー・マイヤースの協力をえて考えついた型破りなストーリーとは次のようなものだ。映画の舞台となるのは、クロプストキアという架空の王国。そこでは男たちは皆ジョージという名前で、女たちは皆アンジェラと呼ばれている。そして何よりも驚くべきなのは、この国の住人すべてが驚異的な身体能力を持っていることだ。しかしこの国は危機に瀕していた。財政は底をつき、スパイがはびこり、重臣たちは王位を狙って画策しあっている。そこに脳天気なアメリカのビジネスマンが現れ、王の娘(むろん彼女もアンジェラ)に恋をしたことで、事態は一変する。彼はこの国の住民の驚異的な身体能力に目を付け、彼らの中から選手団を編成してオリンピックに出場させ、国を窮地から救おうというのだ。王の失墜を狙う重臣たちは、マタ・マクリーという女スパイ("Mata Machree, the Woman No Man Can Resist")を使って選手を誘惑させ、このオリンピック計画を頓挫させようとする。彼女の色香に惑わされて、選手たちは、一時は、惨憺たる成績しか残せず観客たちの笑いものになってしまうが、ビジネスマンと王の娘の活躍によって、最後の最後には本来の実力を発揮し、メダルを獲得するのだった。

驚くべきことに、シュールバーグはこの荒唐無稽な脚本にOKを出すのだが、ただし一点だけ内容を修正させる。王国という設定はひょっとしたら英国を刺激するかもしれないので、クロプストキアは共和国であるということにして、王は大統領に変えるほうがいいということだった。完成した映画では実際にそのように変更されたのだが、それ以外はほとんど上に書いたとおりのクレイジーな物語が展開する。

監督のエドワード・F・クラインはサイレント時代にキートンの映画を多数手がけていたベテランで、製作監修にはジョセフの兄であるハーマン・マンキーウィッツがあたった。この当時はまだそれほどのスターではなかったはずのW・C・フィールズが、自分もオリンピックに出場する大統領の役を演じ、サイレント時代に大活躍した喜劇役者ベン・ターピンが、あらゆる場所に現れてはメモに何事かを書き込み、結局最後まで一言も発しない不気味で滑稽なスパイの役で登場している。女スパイ、マタ・マクリーを演じるのはリダ・ロベルティ。この名前はむろんガルボのマタ・ハリのパロディで、わたしにはわからないが、彼女の喋る言葉はスウェーデン訛りになっているらしい。

オリンピックへの言及はもちろん、このようにハリウッドへの自己言及も含む作品だが、この映画には当時のアメリカの政治・社会が微妙に反映されてもいる。クロプストキアが財政難に苦しんでいるというのは、H・C・フーバー大統領時代のアメリカが様々な策を講じながらも結局大恐慌の痛手から回復できずにいたことを反映しているのだろう。また、32年はオリンピックの開催年であると同時に、大統領選挙の年でもあった。この映画に描かれる滑稽でシュールな権力争い(大統領フィールズとその最大のライバルである重臣は、ことあるごとに腕相撲や何やらで争っていて、当然その争いはオリンピックの場へと持ち越される)は、アメリカの大統領選を暗に指し示しているとも考えられる。

映画の結末では、クロプストキアのオリンピック・チームは勝利を収めるのだが、そこに例のビジネスマンの上司が唐突に現れ、スポーツ好きの彼によって資金援助を受けることになり、クロプストキアは救われる。結局、クロプストキアはこのアメリカ人の大富豪である上司によって救われるわけであり、とっくみあいではだれにも負けなかった大統領フィールズは、この男にレスリングでもあっさりと負けてしまう。要するに、アメリカが最後は勝利するというわけだ。

この映画のフィールズは、主役と言うよりは、非常に出番の多い脇役といったほうが近いだろうか。彼自身の身体的ギャグはどちらかというと少なめで、その意味では少し物足りないかもしれないが、シュールなギャグは映画の至る所にちりばめられていて、枚挙にいとまがない。この映画の無軌道ぶりは、キーストン・コメディを始めとするサイレントのスラップスティック・コメディの伝統を受け継ぐと同時に、プレストン・スタージェスなどの作品を予告していると言ってもいいだろう。大統領の部屋の壁にいくつものボタンが並んでいて、「ハンバーグ」と書かれているボタンの横に、「マスタード付き」というボタンがあり、そのまた横に「マスタード抜き」というボタンが並んでいたりする。そしていちばん右端のボタンを大統領が押すと、兵隊が現れてビジネスマンを中庭に連れ出し、彼は危うく銃殺されそうになる(そのボタンは銃殺刑のボタンだったのだ)などといった、ちょっとブラックなギャグがおかしい。『Million Dollar Legs』は、アメリカでは批評家受けはよかったものの、興行的にはふるわなかったらしいが、海外では、マン・レイらシュールレアリストたちから大絶賛されたというのも頷ける。

架空の国を舞台にしたナンセンス・コメディというと、同じパラマウント製作のマルクス兄弟『我輩はカモである』が思い出されるが、先に作られたのはフィールズ作品のほうである。『Million Dolla Legs』が公開されて数週間後に、『我輩はカモである』の製作が発表されたのだった。おそらく、『Million Dolla Legs』が『我輩はカモである』が製作される一つのきっかけになっていたと思われるが、詳しくは調べていない(ちなみに、『我輩はカモである』は当初、エルンスト・ルビッチが監督することになっていた。ルビッチが監督したマルクス兄弟をぜひとも見てみたかったものだ)。

2016年7月28日
アピチャッポン・ウィーラセタクン『メコンホテル』

 

アピチャッポン・ウィーラセタクン『メコンホテル』★★

アピチャッポン・ウィーラセタクンは映画作品を発表する一方で、映像を用いたインスタレーション作品を中心にした美術の個展をたびたび開いてきた。それらのインスタレーション作品は、彼が撮ろうとしていた映画から派生したものであったり、逆に、これらの作品から映画の企画が生まれることもあったようだ。彼の映画作品と映像インスタレーション作品は、このようにして同時発生的に作り出されてきたように見える。アピチャッポンが2012年に製作した1時間足らずの((この映画には、61分版と 57分版の二つのヴァージョンが存在する。))作品『メコンホテル』は、おそらく、そうしたインスタレーション作品と映画作品のいわば中間にあるような存在として見るべきなのだろう。

『メコンホテル』のベースになっているのは、アピチャッポンがかつて脚本を書き、結局映画化されることのなかった『エクスタシー・ガーデン』という人喰い幽霊をめぐる映画の企画である。メコン河を一望するホテルが『メコンホテル』の唯一の舞台であり、そこでこの『エクスタシー・ガーデン』の撮影リハーサルが行われている、ということらしい。映画はそのリハーサルの風景と、合間の俳優たちの素の姿を交互に映し出していく。もっとも、「エクスタシー・ガーデン」という言葉はこの映画の中では一度もつぶやかれないはずであるし、キャメラや台本を持った撮影クルーが画面に登場するわけでもない。これが『エクスタシー・ガーデン』という映画の撮影リハーサルだというのは、あくまで映画外から得た情報にすぎないのである。冒頭、アピチャッポン自身が現れて、ギターを演奏する男と会話をする場面に、説明のようなものがわずかに感じられるだけだ。

たしかに、母親の幽霊が娘の肉体をむさぼり喰らうシーンがあったかと思うと、その直後に2人がホテルのテラスであっけらかんと喋っていたりするわけだから、ここでは撮影リハーサルと俳優たちのドキュメントが同時進行しているのだろう。しかし、そのリハーサルとやらがキャメラによって撮影されている時点で、それはもうリハーサルとは呼べないわけだし、フィクションを撮っているはずのその同じキャメラが捉える俳優たちの現実も、すでにドキュメンタリーと呼ばれるものからどこかずれはじめている。

ところで、このギターの演奏は、この映画の上映の間中ほとんど途切れることなく流れつづける。まるで、この映画自体が、この演奏を聴かせるために即興で撮り上げられたものにすぎないとさえ思えてくるくらいだ。アピチャッポンはミュージック・ビデオと言ってもいいような短編をすでに撮っているが、この映画をミュージック・ビデオと呼ぶことは決して間違いではないだろう。ギターを演奏している男はアピチャッポンが長い間会っていなかった旧友で、偶然再会した彼がミュージシャンになっていたことを知り、この映画に登場させることになったという。このミュージシャンとの偶然の出会い、撮られることのなかった映画の脚本、そしてメコンホテルという場所。これらによるコラージュ(あるいはブリコラージュ)によって生まれたのがこの映画なのである。

絶えず視界に広がるメコン河――、タイとラオスの国境の間を優雅に流れるこの河の存在が、この映画のテーマのありかを指し示している。ぼんやりと曖昧に揺らぎはじめる〈境界〉。俳優たちが〈ドキュメント部分〉で話題にするのは、タイを襲った大洪水であったり、移民の話であったりと、どれも境界線をなし崩し的に曖昧にしてしまう事柄ばかりだ。 人物がテラスに立つと背景いっぱいにメコン河の水面が広がる。まるで、このホテル自体が水面に浮かんで境界線上をゆらゆらと漂っている箱舟のように思えてくる。アピチャッポンの映画に慣れ親しんできた観客なら、この曖昧に揺れている時空に身を任せて、ゆっくりと心地よく漂っていられるだろう。しかし、そうではない観客にとって、はたしてこの映画はどこまで鑑賞に堪えうる作品になっているのだろうか。それは少しばかり疑問ではある。映画祭で見られるためだけに撮られた映画祭用の映画、というネガティヴなレビューが散見されたのもわからないではない。この映画は、映画作品とインスタレーション作品の中間のようなものとしてみるべきだと言ったのは、そういう意味である。

河を旋回する水上ボートと、ゆっくりと流されてゆく流木をフィックスで捉えた数分間はつづく長い長いラストショット(キアロスタミが『Five』で岸辺を漂う流木をクロースアップで捉えつづけたのと同じことを、ロングショットでやってしまったような)も、そのようなものとしてみるべきなのだろうか。インスタレーション作品を前にした鑑賞者が、思い思いの時間にその場を立ち去るように、この長い長いショットに途中で飽きればいつでも立ち去ればよいということなのか。

ところで、『メコンホテル』には、川岸の砂をシャベルカーが掘り出している様子を俯瞰で捉えたショットが出てくる。あれはいったい何をしていたのだろうか。『光りの墓』にも、シャベルカーで土を掘っている場面が出てくるのだが、あれも結局なにをしているのかわからなかった(こういうところだけはアピチャッポンに黒沢清に近いものを感じる)。一見無関係な2作品の見せるこの符合は単なる偶然なのだろうか。それとも、無意識のイメージの反復なのだろうか。掘り返される土=過去・記憶の回帰? 例によって、この映画も見終わった後にいくつもの謎を残すが、このシャベルカーのイメージは最大の謎の一つである。

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『メコンホテル』は未公開だが、数年前に東京フィルメックスで上映されたらしい。『光りの墓』のブルーレイ(下写真)は、わたしが持っているものと同じものなので、特典に『メコンホテル』が収録されているはずだが、Amazon.jp の該当ページにはなんの記載もない。Amazon.com で同じ番号の商品を調べると、ちゃんと『メコンホテル』が収録されているとの記載があるので、間違いはないと思うが、念のために自分で調べてほしい。(『光りの墓』については、また別の機会に取り上げたいと思う。)

 

2016年7月10日
リチャード・クワイン『媚薬』『求婚専科』

リチャード・クワインのことなどいまさら話題にしてもさして興味を引かないだろうことはわかっている。たしかに偉大な監督とはいえないだろう。つまらない作品もたくさん撮っている。しかしわたしはかれが撮った何本かの作品が本当に好きなのだ。とりわけ『殺人者はバッヂをつけていた』『媚薬』『逢う時はいつも他人』、それに『悪名高き女』といった作品が。

「偉大な映画作家たちのひそかな核心を分析するあまり――その分析はたいていの場合成功しているのだが――、魅力、感受性、繊細さといった〈マイナーな〉資質がまったく無視されるようになってしまった。ラングやプレミンジャーやミネリにおいて、そうしたマイナーな資質が仕方なく認められることはある(そうした資質はかれらにおいては超越されているからだ。だれもいまさらミネリを、バレエの演出のことで褒めはしない)。だが、それらが演出全体の最終目的となってしまっている映画監督たちにおいては、そうした資質は軽蔑されるのである。名前を挙げるなら、チャールズ・ウォルターズ、ジョージ・シドニー、とりわけリチャード・クワインといった監督たちだ。なかでもクワインの『媚薬』と『逢う時はいつも他人』は、繊細さ、優雅さ、上品さの驚くべき結晶である」

「カイエ・デュ・シネマ」1962年8月号に掲載された「リチャード・クワインを導入=紹介する」という、クワインのインタビュー記事のなかでベルトラン・タヴェルニエは上のように書いている。たしかに、ウォルターズ、シドニー、クワインといった監督たちは、「作家」と呼ぶには弱々しく思え、「カイエ」の作家主義とはあまりなじまなかったものたちだったと言えるだろう。

こういうインタビューが行われていたわけだから、リチャード・クワインは「カイエ」で決して無視されていたわけではない。ゴダールは1956年のベストテンの10位に『マイ・シスター・アイリーン』を選んでいるし((ちなみに、この年のゴダールのベストテンは、1.『アーカディン氏』 2.『恋多き女』 3.『知りすぎていた男』 4.『バス停留所』 5.『悪の対決』(アラン・ドワン) 6.『アナタハン』 7.『抵抗』 8.『不安』(ロッセリーニ) 9.『ボワニー分岐点』 10.『マイ・シスター・アイリーン』))、セルジュ・ダネーも『求婚専科』についてのレビューを書いたりしている。しかし、クワインが「作家」として認識されていたかどうかと言うと、それは非常に疑わしく思える。2000年代になっても、『媚薬』がリヴァイヴァルされたり、『逢う時はいつも他人』が DVD 化されたりした際にクワインが「カイエ」で取り上げられたことが、わたしが記憶しているだけでも数回あった((実を言うと、わたしがクワインという監督に初めて興味を持ったのは、ステファン・ドロルムが『逢う時はいつも他人』について分析した文章、というよりも、それに付されていたこの映画のワン・シーンから取り出された連続写真を見たときだった。まるでダグラス・サークの映画のような影の濃いカラー画面にとても興味を引かれたのだった。))。しかし、やはり再評価と呼ぶにはまだ程遠い段階であるというのが、今のリチャード・クワインの現状であろう。

 

■ 『媚薬』(Bell, Book, and Candle, 58)★★½

「―今までなにをやって来たんだい? まさか非米活動かなんかに関わってたんじゃないだろうね?
―いいえ、わたしは生粋のアメリカ人よ。大昔からいるアメリカ人」

「あなたはわたしに素敵なものをくれたの。わたしを不幸にしてくれたのよ」

 

まだまだ重要な作品を見逃しているのだが(とりわけ『マイ・シスター・アイリーン』『スージー・ウォンの世界』『ホテル』。特に『ホテル』)、わたしが見たなかでは、『媚薬』は、『殺人者はバッヂをつけていた』『逢う時はいつも他人』などと並ぶクワインの最高傑作といってよいだろう。

雪のちらつくニューヨーク。通りに面した怪しげなアンチーク・ショップのショーウィンドーがまず映し出される。場面が店内にかわり、棚や壁一面に並べられたアフリカのものらしき不気味な仮面や木彫りの彫刻をキャメラがなめるように画面に収めてゆく。ただのレプリカだとは思うのだが、どう見ても本物にしか見えない。昔の大映映画などを見ていても思うのだが、美術の小道具が、小道具とは思えない存在感を持ってそこにあるという感覚。こういう感覚は、最近の映画を見ていて抱くことはほとんどなくなってしまった。このアンチーク・ショップのオーナー(実は魔女)を演じる主役のキム・ノヴァクさえまだ登場しないこの出だしの数ショットを見た瞬間から、わたしはこの映画にすでに魅せられはじめている。

恋をすると魔力を失ってしまう都会の魔女(キム・ノヴァク)が、同じマンションに住む男(ジェームス・スチュワート)に恋をしてしまう……。ルネ・クレールの『奥様は魔女』を思い出させもする陳腐な物語ではある。しかしクワインが見せる上品で繊細な演出、ジェームス・ワン・ハウがこの上なく美しいカラーで捉えてみせる雪の舞うニューヨークの街路、ワイルダー作品に比べればずいぶんと抑えた演技をしていて好感の持てるジャック・レモン、そして何よりも、美しさと怪しさの化身のように現れるキム・ノヴァクの、力強くもありまた弱々しくもある可憐な姿を見れば、だれがこの映画を嫌いになれるだろうか。

ヒッチコックの『めまい』と同じ年に、同じノヴァクとスチュワートを主演にして撮られたこの映画を、ベルナール・エイゼンシッツは「『めまい』のオプティミスティックなヴァージョン」と評していた((出典は不明だが、ジョナサン・ローゼンバウムの『Goobye Cinema, Hello Cinephilia』所収のキム・ノヴァク論にそう書かれている。))。一人二役を演じるキム・ノヴァクに『めまい』のスチュワートが魅惑されると同時に引き裂かれるように、『媚薬』のスチュワートもまた、魔女としてのノヴァクと女としてのノヴァクという彼女の持つ二面性に翻弄される。

この映画には『めまい』のような螺旋階段も出てこないし、むろんキム・ノヴァクが高いところから落下する場面もないが、マジソン・スクエア・パークを遙かに見下ろす映像に画面オフから声が重なり、つづいてフラットアイアンビルディングの屋上でキスし合うノヴァクとスチュワートが現れ、やがてスチュワートがビルから投げ捨てた帽子が、ゆっくりゆっくりと落ちてゆき、雪に濡れた舗道に着地するまでを、キャメラがパンダウンして画面に収めるシーンが忘れがたい。

キム・ノヴァクが着る赤や全身黒の衣装も注目に値する。コスチューム担当は、ジャン・ルイ。『ギルダ』のあのエロティックな長い手袋をデザインした人物だ。

有名な話なので改めて書く必要もないと思うが、監督のクワインとキム・ノヴァクは当時恋人関係にあった。ふたりは『殺人者はバッヂをつけていた』『媚薬』『逢う時はいつも他人』と作品を連発するが、そのあとキム・ノヴァクが『黄金の腕』で共演したフランク・シナトラのもとに走ってしまう。破局した後で二人はもう一本『悪名高き女』という映画を撮るのだが、そのなかでクワインはノヴァクに、夫殺しのうわさのある女を演じさせるのだ!

 

■『求婚専科』(Sex and the Single Girl, 64) ★½

ゴシップ誌の独身記者(トニー・カーチス)がスクープ記事をものにするために、身分を偽り、患者として売れっ子の女精神科医(ナタリー・ウッド)に近づく。記者は、うまく患者のふりをするために友人夫婦(ヘンリー・フォンダとローレン・バコール)の抱えている問題をまるで自分のことのように女医に話して聞かす。記者にすでに惹かれはじめていた女医は、かれが既婚者だと思い込んで悩む……。

原題はたしか原作通りだったと思うが(物語に登場する女医が書くベストセラーのタイトルも同じ)、扇情的なタイトルが想像させるようなきわどい部分はまったくない。 映画の前半は、ナタリー・ウッドやトニー・カーチスといった新世代の俳優たちによるアステア=ロジャース風のロマンチック・コメディ。嘘と誤解によって話がこじれてゆき、クライマックスは思いもかけない大カー・チェイスになる。関係者全員と、タクシー運転手や白バイ警官などが入り乱れ、乗り物を奪い奪われ、奪い返してのスラップスティックな大活劇は、なかなか面白いと言えば面白いし、古めかしいと言えば古めかしい。

こういうロマンチック・コメディはクワインが得意としたジャンルで、数多くの作品を撮っているが、わたしの印象では、こういう映画を撮っているときのクワインがいちばんつまらない。しかし、そのなかではこの『求婚専科』は最も成功した作品のひとつであるとは言えるだろう。

 

ほんとうは、『殺人者はバッヂをつけていた』『逢う時はいつも他人』『悪名高き女』についても書きたいところだが、いずれも見たのはだいぶ前なので、記憶があやふやな部分も多い。また見直したときに、改めてクワインについては論じたいと思う。

日本語でクワインについて書かれた文章はほとんど記憶にないが、『殺人者はバッヂをつけていた』については、山田宏一が『新編 美女と犯罪』所収の「キム・ノヴァクはバッヂをつけていた」という素晴らしい文章のなかでふれているので参照のこと。

2016年7月7日
アルトゥーロ・リプスタイン『純粋の城』

アルトゥーロ・リプスタイン『純粋の城』(El castillo de la pureza, 73) ★★½

メキシコ映画史に残るカルト作品。

これはたぶん実話の映画化なんだろうなというのは、見ているときになんとなく感じてはいた。信じがたい事件を描いてはいるが、もし本当の話だとしても不思議ではない。はたして、やはり実話だった。

これもまた幽閉と狂気の物語である。 外の世界は薄汚れ、腐敗しており、悪に満ちていると考えた父親が、妻と子供たち(一人息子と、娘2人)を外の世界から遮断し、家のなかに閉じ込めて育てる決心をする。テレビやラジオはむろん、外に向かって開かれた窓さえ一つもないこの家のなかで、いわば純粋培養された子供たちは、悪を知らず、汚れない大人へと育つはずだ。父親のこの考えに妻は同意し、彼をサポートする。父親は子供たちに、道徳と教養を教え込み、言うことをきかないときは、地下にある檻の中に閉じ込めて折檻する。しかし、この「純粋の城」((映画の原題。オクタビオ・パスによるマルセル・デュシャン論のタイトル、『マルセル・デュシャン、あるいは純粋の城』から取られたという。))のなかで育った子供たちは、はたして彼が思っていたような無垢の存在に育ったのだろうか。そもそも、この父親そのものが悪だったのではないのか……。

映画が始まるのは、この驚くべき生活がすでに10数年つづいた頃あたりである。一家が住んでいたのが辺鄙な一軒家などではなく、いくつもの住居が並ぶ中心街の一角であったことに驚く。 カフカの『審判』に出てくる扉を思い出させる巨大な玄関扉を開いて入ると、そこは吹き抜けの広々とした中庭になっている。中庭の向こう、画面奥に、仕事部屋と居間が並んで見える。中庭を囲むように、二階にも部屋がいくつかあり、夫婦と子供たちがそこで寝起きしている。窓はどこにもなく、ここと外をつなぐ唯一の通路は玄関の扉だけである。この通路を通って外に出て行くことができるのは父親しかいない。外の世界を知らない子供たちはもちろん、父親と出会うまでは外で暮らしていた妻も、彼と結婚してからはこの家の外には一歩も出たことがない。

広い中庭には、冒頭からずっと、雨が降りしきっている(この雨は、現代にこの黒いノアの箱舟を出現させた大洪水だったのだろうか)。父親がいないとき、子供たちは濡れるのもかまわず雨の中で遊び回る。それが彼らの唯一のレクリエーションなのだ。そんなとき妻も、まるで子供に戻ったように彼らと一緒に遊び回る。しかしその光景は天上的なイメージ(例えばラングの『メトロポリス』に描かれていたような)とはほど遠い。負けた相手がなにかのポーズを取らされるという戯れに始まったゲームで、息子はいやがる母親に「死のポーズ」を強要する……。

いかにもメキシコらしいことだが、この映画には死が充満している。一家の暮らしを支えているのは、ネズミ駆除用の毒薬の売り上げであり、子供たちは毎日欠かさずその毒作りを手伝っている。まだ年端のいかぬ末の娘も、新しい毒の効き目を試すためにネズミに毒を与える実験を、平気な顔でやってのける。しかし、最近はもっと手軽なねずみ取りが市場に出回り始め、毒薬の得意先が減り始めてきたことに父親は危惧の念を抱く。

彼が築き上げたこの城に迫る脅威は、そんなふうに外側からやってくるだけではなかった。この城にはすでに内側からひび割れはじめていたのだ。自分は、外に出かけたときに、得意先の店の女を口説いたり(結局、相手にされないのだが)、時には娼婦を買ったりしているくせに、父親は、上の娘が知らず知らずのうちに男を惹きつける性的な魅力を現しはじめたことに、恐怖にも似た怒りを覚える。しかし、そういう話題にはなにも触れずに来たために、子供たちはセックスがなにかもあまりわかっていない。あるとき、息子と上の娘が中庭に置かれた車(一度も動いているのを見たことがない)のなかで互いの体をまさぐり合っているのを見て、ついに父親の狂気は歯止めが利かなくなる……。

幽閉と狂気。世界を脅かす存在=ネズミ。この映画には、ゴーパーラクリシュナンの『ねずみ取り』と不思議と似ている部分がたくさんある。この映画の父親も、自分こそが駆除されるべき存在であることに全く気づいていない。もしも、これが実話でなかったなら、彼はきっと己の作ったネズミ用の毒によって死んでいたのに違いないだろう。

この物語のなかに、父権的な独裁政治やマチスモ、あるいは狭量な思想や政治に対する批判を読み取ることはいくらでも可能であるにちがいない。しかしなにも語ろうとしないこの映画をあれこれ解説するのも野暮というものだろう。

アルトゥーロ・リプスタインは43年にメキシコに生まれ、未だに(?)メキシコで映画を撮り続けている。彼はブニュエル作品で助監督を務めるなどして映画の修行をしたことになっているが(日本版のウィキペディアの短い記述のなかにもそう書いてある)、実際には、ブニュエルのアシスタントをしたことはなかったようだ。ただ、ブニュエルとは友人として長い付き合いだったことは本当で、それが彼の映画作りに影響を与えたことは間違いないだろう。『純粋の城』に漂っているペシミズムには、ブニュエル作品の人を食ったユーモアや、トリュフォーいうところの「陽気さ」が欠けてはいるが、ブニュエルの精神はたしかに受け継がれているように思える。(ちなみに、この映画で父親を演じたクラウディオ・ブルックは、『若い娘』『砂漠のシモン』など、ブニュエル作品の常連だった俳優だ)

((ブニュエルの自伝『最後の吐息』には、72歳になったブニュエルが80過ぎのフリッツ・ラングの自宅に招かれ、長年敬愛してきたラングに初めてあった興奮から、生まれて初めて人にサイン入りの写真をねだるという行為に出たエピソードがユーモラスに語られている。その時貰った2枚の写真は「例によって」今はどこにあるのかわからないが、おそらくそのうちの1枚は「アルトゥーロ・リプスタインというメキシコ人の監督にあげたのではないかとぼんやり記憶している」と書かれている。))。

わたしが見たリプスタイン作品はまだ数えるほどしかない。もう少し作品を見たあとで、彼についてはまた改めて書きたいと思う。

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