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コメディ映画 ベスト50(DVDガイド)

 

やっとリストアップし終わりました。70年代以後の作品は、手抜きしてコメントを省略してあります。暇があったらコメントを追加していきますが、どれも本当に笑える作品ばかりです。

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コメディが最も偉大だった時代〜サイレント・コメディ

喜劇が最も創造性にあふれていたこの時代の作品は、なぜか日本では最も見ることが難しい。せいぜいキートンやチャップリンの作品がDVDになっているくらいである。しかし、ローレル&ハーディやハリー・ラングドンを知らないでいったいこの時代のなにを知っているというのか。

リュミエール兄弟『水を撒かれた水撒き人』 (1895)
Arroseur arrosé

たわいもない作品だが、これが映画史上最初のギャグであり、おそらくは最初のストーリー性を持った作品である。

 

デヴィッド・W・グリフィス『正直者』(10)
Faithful

グリフィスのコメディということであればこの作品や『The Curtain Pole』当たりが思い浮かぶが、DVD にはなっていないようだ。そこで『ニューヨークの帽子』がはいったDVDを挙げることにする。 グリフィスはコメディにおいても映画のパイオニアだった。

ニューヨークの帽子

マックス・ランデ 『七年の不運』(23)
Seven Years Bad Luck

戦前のフランスの偉大なコメディアン、マックス・ランデは、ダンディな紳士の格好をして斬新なギャグで客を笑わせ、チャップリンに多大な影響を与えた。戦後渡米し、『三銃士』をパロディにした『The Three Must-Get-Theres』、『Be My Wife』などの長編作品で成功を収める。『七年の不運』で使われる割れた鏡のギャグが、マルクス兄弟を初めとする数々のコメディアンに真似されていることは有名。下のDVDには『七年の不運』のほかに『Be My Wife』の抜粋などが収録されている。

■マック・セネットの「キーストン・コップ」

グリフィス映画の俳優であり、アシスタントであったマック・セネットが、借金をしていた相手に「グリフィスの映画より儲かる」と巧みに話を持ちかけて、逆に投資させて立ち上げたのが、キーストン撮影所だった。メイベル・ノーマンド、ロスコー・アーバックル、チャーリー・チェイス、アル・セイント・ジョンなどなどが集まり、そこはやがて「笑いの工場」と呼ばれるようになる。警官はつねに笑いの的にされ、金持ちの所有物はことごとく破壊される。無秩序が勝利し、不条理が笑う。子供じみた大人たちが、無意味な追いかけっこに明け暮れる。「スラップスティック・コメディ」の誕生だ。チャップリンやグロリア・スワンソンを発見したのもセネットだった。

チャールズ・チャップリン『偽牧師』(22)
The Pilgrim

だれもが知っていて、だれからも愛され、おまけに簡単に見ることができる。そんなわけで、すれっからしのシネフィルはチャップリンをまともに見ようとしない。「しかし、やはり、チャップリンは偉大な天才なのである」と金井美恵子も書いている。まずは「あの奇妙に失調しながら同時に『音楽』のように、『喜ばしき階調を持った』なめらかでリズミカルな驚異的な肉体の動き」でできているサイレント時代の作品の数々を無心に見てほしい。チャップリンを「ユーモアとペーソス」などというカビの生えた紋切り型に閉じこめて満足している人は、この『偽牧師』あたりからもう一度見直してみることをお薦めする。

 

エルンスト・ルビッチ『結婚哲学』(24)
The Marriage Circle

ドイツ時代の『山猫リュシカ』などの諸作品も忘れがたいが、残念ながらDVDにはなっていない。『結婚哲学』はルビッチがハリウッドに渡ってから撮ったセックス・コメディ。サイレント時代の代表作としてこれを挙げておく。ルビッチのコメディにはいつも、一歩間違えば悲劇に成りかねないそんな怖さがある。 この時期のルビッチでは、『ウィンダミア夫人の扇』『メリィ・ウィドウ』も忘れがたい。

 

バスター・キートン『セブン・チャンス』(25)
Seven Chances

キートンの作品から一本選ぶとなると、どれを選んでいいか迷ってしまうが、悪夢のリアリティと疾走感で際だっているこの作品を挙げておく。『キートンの警官騒動』といいこれといい、キートン的悪夢は増殖するらしい。短編では『バスター・キートン短編全集』 という DVD がお薦め。

 

フレッド・ニューメイヤー『ロイドの要心無用』(23)
Safty Last

ロイドの代表作となると、ビルの時計盤にぶら下がるギャグ(笑ってる場合か?)で有名なこの作品になる。『セブン・チャンス』のキートンが落下する岩を避けながら坂を転げ落ちるように駆け下りたのとは対照的に、ロイドはゆっくりとビルをよじ登ってみせる(合成なんかじゃなく、本物のビルを実際によじ登っているのがすごい)。健康的で、オプティミストで、複雑なところがない好青年。それがロイドの限界ともいえるが、アメリカ人の多くが自分を投影したのはチャップリンでもキートンでもなくロイドだったかもしれない。下は北米版。


クライド・ブルックマン『世紀の闘い』 (27)
The Battle of the Century

チャップリンとキートンの「1」の次は、「2」である。すなわちローレル&ハーディだ。この爆笑コンビがどうして日本ではあまり評価されないのかわけがわからない(日本で比較的簡単にみれるのは、およそ代表作とはほど遠いトーキー以後の『天国二人道中』ぐらいだ)。ゴダールの『ウィークエンド』にも残響を響かせている『極楽交通渋滞』、シューシュポスの神話を思い出させる『極楽ピアノ騒動』、破壊にいたる贈与の応酬『極楽珍商売』、マッケリーが監督した『リバティ』など、傑作は数多いが、ここではヘンリー・ミラーを驚嘆させた『世紀の闘い』を挙げておく。ほんの些細な出来事が破壊の連鎖を呼び起こし、カタストロフィーに達するローレル=ハーディのコメディの原型がここにある。

フランク・キャプラ『当りっ子ハリー』(26)
The Strong Man

ローレル&ハーディ以上に日本で知名度の低いのがハリー・ラングドンだ。ほんとに見る目のない奴ばかりで困る。わたしはこの夢見る道化師ハリーの復活を心から願ってやまない。下の写真のDVDにはフランク・キャプラがハリー・ラングドンを使って撮った傑作3本、『初陣ハリー』、『当りっ子ハリー』、『初恋ハリー』が収められている(『初陣ハリー』ではキャプラはノンクレジットで共同監督)。同じように斜面を落下していくときでも、ハリー・ラングドンは、アクロバティックに岩をよけてみせるキートンとは違って、周りで起きている世界の変化にまるで気づいていないかのようだ。世界がスローモーション化したかのような不思議な感覚。ラングドンの映画はキートンとはまた別の意味でときとしてこの上なくシュールである。

J・H・ヘナベリー『無理矢理ロッキー破り』(27)
Play Safe

イタリア出身のコミック・ダンサー、モンティ・バンクスによるアクション・コメディの傑作。モンティ・バンクスは日本ではほとんど知られていないが、キートン顔負けの列車を使ったハイテンションの壮絶なアクションは必見。 命知らずの喜劇役者はなにもキートンやロイドだけではないことがこれを見ればわかる。

ボリス・バルネット『帽子箱を持った少女』(27)
Divévouchka s karobkoi

ロシアの天才監督ボリス・バルネットが、女優アンナ・ステンを主演に撮った最高に可憐で、おしゃれで、ハッピーなサイレント・コメディ。冒頭に「この映画は宝くじを奨励するために作られたものです」と説明があるのだが、映画を見終わる頃にはそんなことはとっくに忘れてしまっている。アメリカのサイレント・コメディの影響著しい作品だが、この映画のあとヒロインを演じたアンナ・ステンは、ゴールドウィンに招かれてハリウッドに渡ることになる。

ルネ・クレール『イタリア麦の帽子』(28)
Un chapeau de paille d'Italie

帽子つながりでこの作品を挙げておく。 結婚式当日、馬が食べてしまった帽子と同じ帽子を、花嫁や参列者そっちのけで探して駆け回る花婿の奇想天外な騒動を描いた、ルネ・クレールのサイレント喜劇の傑作。『幕間』のアヴァンギャルドな映像センスそのままに、乾いた笑いが次々に生み出される。

 

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戦前のトーキー:スクリュー・ボール・コメディの時代

ジェイムズ・エイジーはチャップリンやキートンを始めとする才能あるコメディアンたちが活躍した無声映画時代を「コメディがもっとも偉大だった時代」と呼んだ。たしかに、トーキーになってからは、彼らのようにたぐいまれなる身体によって笑いを引き出せるコメディアンはスクリーンから消えてしまった。しかし、戦前のトーキーにはとんでもなくクレージーで、アナーキーで、アモラルな(金井美恵子流にいうなら「淫風吹きまくる」)コメディが少なくない。ここで紹介する作品の多くは「スクリューボール・コメディ」と呼ばれるジャンルに属する。正確な定義は研究者にまかせるとして、「スクリューボール・コメディ」とは簡単にいうなら、突拍子もない行動をする男女(screwball とは「奇人・変人」の意)を描いたセックス・コメディのことである。そこでは、「結婚しそこなうことが婚約者の定義だといった倒錯的なコード」(蓮實重彦)が作品を支配している。だれもかれもが唐突に、説明のつかない行動をとってしまうクレージーな世界だ。だが、この魅惑的なコメディの寿命はそう長くなかった。シリアスな題材が支配的となる第二次大戦後になると、「スクリューボール・コメディ」は急速にスクリーンから消えてしまうのだ。

 

ジャン・ルノワール『素晴らしき放浪者』
Boudu sauvé des eaux

ミシェル・シモン演じる浮浪者の闖入によって混乱をきたすブルジョワ家庭を描いた最高にアナーキーな作品。原題は「水から救われたブーデュ」。水の作家ルノワールにふさわしく、水ではじまり水で終わる官能的な水の映画でもある。おぼれかけていたのを助けてくれ、住まいまで提供してくれた物わかりのいい古書店主の女房のみならず愛人まで寝取ってしまうミッシェル・シモンのでたらめぶりは、思わせぶりなパゾリーニの『テオレマ』など軽く凌駕してしまう。初のトーキー作品でトイレの水が流れる音をスクリーンに響かせて物議をかもした『坊やに下剤を』も必見。

 素晴らしき放浪者

レオ・マッケリー『我輩はカモである』(33)
Duck Soup

キートン、ローレル&ハーディの「1」と「2」の次は「3」である。それがマルクス兄弟だ。パラマウント時代最後のこの作品をマルクス兄弟の最高傑作と考える人は多い(わたしもそうである)。この映画については吉村和明の素晴らしい紹介文があるのでそのまま使わせてもらう。

「「戦争だ!」の宣告と同時に、グルーチョ・マルクス以下、スクリーンに勢ぞろいした政府要人、軍人らはなだれをうって歌い、踊りはじめる。わけもわからず右往左往しているうちに、どこにもない国で、ありえない戦争がはじまっていた。爆撃にくずれおちる室内で唐突に歌いだす、春川ますみそっくりのおばさん。マルクス兄弟最高のコメディは、同時に戦争の不条理のみごとな視覚化でもある。」

あるいは『オペラは踊る』。マルクス兄弟の作品は音楽映画でもある。ほかにも、『マルクス捕物帖』『マルクスの二挺拳銃 特別版/マルクス兄弟デパート騒動 特別版 』『マルクス一番乗り 特別版』『マルクス兄弟珍サーカス 特別版』 など。

 

ジョン・フォード『周遊する蒸気船』(35)
Steamboat 'Round the Bend

無実の甥を救うべく花嫁とともに奔走するウィル・ロジャースの活躍をスラップスティックに描いたジョン・フォードの痛快コメディ。船の上から対岸の人間を投げ縄でかっさらう荒唐無稽なアクション、燃料不足のためにみずからを燃やしながら疾走する蒸気船。『キートンの蒸気船』とならぶ蒸気船映画の傑作である。

サッシャ・ギトリ『とらんぷ譚』(36)
Roman d'un tricheur

盗みをはたらいたせいで食べることを禁じられたため、主人公の少年ただひとりを残して家族全員が毒キノコにあたって死んでしまうというとんでもないファースト・シーンにはじまる荒唐無稽な詐欺師のメモワール。サッシャ・ギトリも満足に見られないとは、日本はまだまだ貧しい。しかし、フランスでもギトリの地位は微妙である。むかしフランスでギトリの墓を見たことがあるが、多くの墓がある場所とははずれた通路のようなところにぽつんとその墓はおかれてあった。これがギトリの場所なのだと思った。この作品はテレビでは放映されたが、残念ながらフランス本国でもDVDにはなっていない。代わりに、代表作のひとつである 『Ils étaient neuf célibataires』(39)を挙げておく。

マリオ・カメリーニ 『ナポリのそよ風』(37)
Il signor Max

実をいうと、ルビッチやキューカーとも比べられるこの高名なイタリアの映画作家の作品をわたしは一本も見たことがない。いつか見てみたいという願望を込めて代表作の一本を挙げておく。「白い電話」と呼ばれる都会のブルジョワを描いた軽妙な喜劇がこの時期イタリアで数多く作られた。カメリーニは「白い電話」を代表する一人でありながら、その作品はこのジャンルに収まりきらない豊かさを見せているという。

レオ・マッケリー『新婚道中記』(37)
The Awful Truth

マッケリーの最高傑作に数えられる作品であり、最も有名なスクリューボール・コメディのひとつ。互いにひかれあっていながら子供じみたいがみ合いを繰り返すケイリー・グラントとアイリーン・ダンのカップルを、マッケリーはこの上なくソフィスケートされた笑いとともに描いてゆく。シナリオなしで、撮影直前に俳優にセリフを書いたメモを渡すという即興演出がヴィヴィッドな笑いを生んでいる。それにしても、『赤ちゃん教育』といいこれといい、どうしてスクリューボール・コメディではこんなにも動物が活躍するのだろうか。

グレゴリー・ラ・カーヴァ『ステージ・ドア』(37)
Stage Door

ジンジャー・ロジャースと キャサリン・ヘップバーンが火花を散らすバック・ステージもの。キューカーの『Women』を思い出させる女だらけの世界を、軽やかなセリフの応酬で鮮やかに描ききったラ・カーヴァの傑作。結構有名な作品なのだが、今ではすっかり忘れられているのが残念。

ハワード・ホークス『赤ちゃん教育』(38)
Bring up Baby

ホークスのコメディをどれか一本だけ選ぶというのも至難の業だ。『ヒズ・ガール・フライデー』など、いくつもの傑作がすぐに思い浮かぶが、一本挙げるとなるとやはりこれになるだろうか。キャサリン・ヘップバーンが魅惑的なストーカーを演じるこの映画は当時の観客には新しすぎて理解されなかった。ホークスのコメディではすべての役割が逆転する。女は男を演じ、男は女を演じる(『僕は戦争花嫁』)。子供は大人を演じ(『紳士は金髪がお好き』)、大人は子供になる(『モンキー・ビジネス』)。この映画ではキャサリン・ヘップバーン演じる攻撃的な女が内気で恥ずかしがり屋な男を追いかけ回し、ついに網で捕獲する(ホークスは、ケイリー・グラントにネグリジェを着せさえしている)。巨大な恐竜の骨がゆっくりと崩壊する場面の甘美さ! 

 

ジョージ・キューカー『フィラデルフィア物語』(40)
The Philadelphia Story

キューカーの傑作コメディも数多いが、その最高傑作の一本がこれ。 結婚式を翌日に控えた女性がすったもんだのすえ離婚した前夫と結婚式を迎えることになる。ふつうはありえない話だが、スクリューボール・コメディにおいてはこんなのは常識である。女と男がキャサリン・ヘップバーンとケイリー・グラントであってみればなおさらだ。泥酔したジミー・スチュアートがヘップバーンを両手に抱えて「虹の彼方に」を歌いながら画面の奥から登場する場面が忘れがたい。 キューカーとヘップバーンが組んだ作品にはこのほかに、『男装』『素晴らしき休日』『アダム氏とマダム』『パットとマイク』など数々の傑作がある。

プレストン・スタージェス『結婚五年目』(42)
The Palm Beach Story

あわただしく始まって奇想天外な結末で終わることが多いスタージェスのコメディのなかでもこれはとりわけハチャメチャな作品。走る列車のなかで銃をぶっ放しはじめる「うずらクラブ」の面々にはクローデット・コルベールでなくとも唖然とするするに違いない。DVDで見られる作品のなかでは、バーバラ・スタンウィックが二役を演じる『レディ・イヴ』、笑って泣ける『サリヴァンの旅』、一夜の妊娠騒動を描く『モーガンズ・クリークの奇跡』も必見。異色のブラック・コメディの傑作『殺人幻想曲』は北米版DVDで見ることができる。最近、 『七月のクリスマス』 も日本で DVD 化された。

アメリカでは、4000円ほどでプレストン・スタージェスの7枚 DVD(Preston Sturges - The Filmmaker Collection : Sullivan's Travels/The Lady Eve/The Palm Beach Story/Hail the Conquering Hero/The Great McGinty/Christmas in July/The Great Moment) (1940) を手にいれることができる。

エルンスト・ルビッチ『生きるべきか死ぬべきか』(42)
To Be or Not To Be

ルビッチもどれを選ぶかで迷うが、一本選ぶとなるとやはりこれになるだろう。第二次大戦中にユダヤ人エルンスト・ルビッチが撮った反ナチ・コメディの大傑作だ。ポーランドのユダヤ人の悲劇をちゃかすこの作品の過激な笑いは当時まったく理解されなかった。芝居と現実の境界を絶えずはぐらかすルビッチの演出は演劇についての深い省察を示してもいる。舞台の役者が "To be or not to be" のセリフをいうたびに ロバート・スタックが席を立つおかしさ。 抱腹絶倒間違いなしの傑作中の傑作。この時代のルビッチとしては、『極楽特急』『生活の設計』『ニノチカ』『街角 桃色の店』『天国は待ってくれる』 など、すべて必見。

ミッチェル・ライゼン『淑女と拳骨』(43)
No Time for Love

クローデット・コルベールとフレッド・マクマレイ主演のけんか友達ラヴ・コメディ。実は、見ていない。 見れば案外たいしたことないかもしれないのだが、気になってしかたがない作品である。

クロード・オータン=ララ『乙女の星』(45)
Sylvie et le phantom

実をいうと、これも見ていない。この作品はジャック・タチが幽霊の役で登場していることで知られる。『肉体の悪魔』などのつまらない文芸映画で有名になってしまったためにオータン=ララの最良の部分が忘れ去られてしまったという気がしてならない。フェルナンデル主演のスリラー・コメディ『赤い宿屋』(『雪の夜の旅人』)も話を聞けばきくほど面白そうなので、見たくてたまらなくなってくる。

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戦後のコメディ

 

ノーマン・Z・マクロード『虹を掴む男』(47)
The Secret Life of Walter Mitty

傑出した才能の持ち主ではないが、ノーマン・Z・マクロードは戦前から戦後に欠けて良質なコメディを撮りつづけた。。コメディアンとの相性によって作品の出来不出来が決まるといっていいマクロード映画のなかで、ダニー・ケイの魅力をみごとに引き出したこの作品は彼の代表作となった。

チャールズ・チャップリン『殺人狂時代』(47)
Monsieur Verdoux

ジャック・タチ『ぼくの伯父さんの休暇』(52)
Les vacances de M. Hulot

ユロ氏を主演にした記念すべき第一作。

「『ぼくの伯父さんの休暇』の重要性は、どんなに評価しても過大にすぎるということはないだろう。それは、マルクス兄弟とW・C・フィールズ以来、世界の映画のなかで最も重要な喜劇作品であるばかりでなく、トーキー映画の歴史のなかでの一大事件というにふさわしいものである。」(アンドレ・バザン)

『プレイタイム』などの他にめずらしい短編作品を収録したBOX『ジャック・タチの世界』も発売されている。

フランク・タシュリン『画家とモデル』(55)
Artists and Models

当時のヌーヴェル・ヴァーグの監督たちに過大評価された嫌いはあるが、フランク・タシュリンの名前はやはり挙げておきたい。この作品は、アニメ出身のタシュリンがボブ・ホープなどの演出をへてはじめてジェリー・ルイスと出会った記念すべき作品。戦後になってハリウッドのコメディは勢いを失うが、タシュリンの映画のなかにはスクリューボール・コメディの狂騒がかろうじて生き延びている。もっとも、彼のコメディは弟子であるジェリー・ルイスによって易々と乗り越えられてしまった。日本でDVDになっているタシュリン作品としては、『女はそれを我慢できない』『腰抜け二挺拳銃の息子』『ジェリー・ルイスの底抜けシンデレラ野郎』などがある。

アレクサンダー・マッケンドリック『マダムと泥棒』(55)
The Ladykillers

イギリス映画なんてつまんないと思っている人は、イーリング・コメディを見てからにしてほしい。コーエン兄弟のリメイクでも知られるこの作品は、弦楽五重奏団になりすましたギャングが老婦人の財宝をねらおうとしてことごとく失敗する様を描いたブラック・コメディの傑作。実にイギリス的作品といいたいが、マッケンドリックは実はアメリカ生まれのアメリカ人。この後でハリウッドに渡って『成功の甘き香り』というフィルム・ノワールの傑作を撮る。

ロバート・ハーマー『カインド・ハート』

イーリング・コメディの最高傑作との呼び声も高い作品。やっとDVD化され、日本でも見ることができるようになった。『マダムと泥棒』同様に、殺人を淡々と描いたブラック・コメディで、主役でもないアレック・ギネスが一人八役を演じている。ジャン・テュラールの映画ガイドで、『市民ケーン』や『戦艦ポチョムキン』とならぶ四つ星がつけられているのを見ても、評価の高さがわかるだろう。

チャールズ・クライトン『ラベンダー・ヒル・モブ』

しがない銀行員が盗んだ金塊をエッフェル塔のレプリカに加工してパリに運び出すが、手違いから事態は思わぬ方向に動いてゆく。パリのエッフェル塔を駆け下りる人物をとらえた縦移動が有名で、まだ見ぬそのシーンを長らく夢にまで見たぐらいだったが、DVD でようやく見ることができたその場面は思い描いていたイメージとはずいぶんちがっていた。ユニークな強奪計画と、それがしだいにほころんでいく様を描いている点で、『マダムと泥棒』に通じる。ちなみに、主演はアレック・ギネス。 冒頭にオードリー・ヘプバーンが出演している。

ジョージ・マーシャル『掠奪の町』(58)
Texas

本当は『縄張り』を挙げたかったのだが、どこからもソフト化されてはいないようだ。コメディ西部劇とでもいうべきジャンルで異彩を放つジョージ・マーシャルの佳作。

ジャン=リュック・ゴダール『女は女である』(61)
Une femme est une femme

ゴダールがミュージカル・コメディにオマージュを捧げた愉快な作品。妊娠の主題は『ゴダールのマリア』へと通じる。『女は女である HDリマスター版』も出ている。


ジェリー・ルイス『底抜けいいカモ』(64)
The Patsy

ドゥルーズはジェリー・ルイスの映画を、スタンリー・ドーネンやヴィンセント・ミネリらのミュージカル映画を受け継ぐものとしてとらえ、ジャック・タチとともにコメディの第4時代を代表する作家として高く評価している。

『底抜けもててもてて』に出てくるあの名高い、全体が断面から見られた女たちの家のように、舞台装置はそれ自体で価値を持ち、純粋な描写が対象に取って代わる。他方で、行動は、ダンサーとなった主人公と大食らい女による大いなるバレエに席を譲る。ジェリー・ルイスのバーレスクがミュージカルにその起源をもっているというのは、この意味においてだ。かれの歩きぶりさえもが、同じ数だけの失敗したダンスであり、引き延ばされ、やり直され、ありとあらゆるやり方で変化をつけられた「零度」であるように思え、そして最後に完璧なダンスが生まれるのだ(『底抜けいいカモ』)。」ほかに『底抜けてんやわんや』『底抜け大学教授』など。

スタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』(64)
Dr. Strangelove or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb

スタンリー・ドーネン『悪いことしましョ』(67)
Bedazzled

未見の作品だが、有名なので挙げておく。ミュージカル作家ドーネンのフィルモグラフィーのなかでは異色のコメディである。悪魔に魂を売ってしまった青年(ダドリー・ムーア)を風刺たっぷりに描いた作品らしい。

ミロス・フォアマン『ブロンドの恋』(65)

『アマデウス』というつまらないアメリカ映画ですっかり有名になってしまったミロス・フォアマンが、チェコ時代に『ブロンドの恋』というとびきりの傑作を撮っていたことはあまり知られていない。フォアマンはチェコのヌーヴェル・ヴァーグだった。あるいは『火事だよ!カワイコちゃん』 (67)。

ジャン=ピエール・モッキー『ソロ』(69)
Solo

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70年代以後のコメディ

 

ロバート・アルトマン『マッシュ』 (70)
M.A.S.H

『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(72)
Le charme discret de la bourgeoigie

ブルジョワジーの秘かな愉しみ

ウディ・アレン『カメレオンマン』 (83)
Zelig

『ジョン・カサヴェテスのビッグ・トラブル』 (86)
Big Trouble

ジョナサン・デミ『サムシング・ワイルド』 (86)
Something Wild

ジャン=リュック・ゴダール『右側に気をつけろ』 (87)
Soigne ta droite

チャールズ・クライトン『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(88)
A Fish Called Wanda

アンヌ・フォンテーヌ『おとぼけオーギュスタン』(95)
Augustin

おとぼけオーギュスタン

ティム・バートン『マーズ・アタック!』 (96)
Mars Attack!

マーズ・アタック!

ジェイ・ローチ『オースティン・パワーズ』 (97)

スパイク・ジョーンズ『マルコヴィッチの穴』 (99)
Being John Malkovich

キム・ジウン『反則王』 (2000)
The Foul King

反則王

『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』 (2001)
The Royal Tenenbaums

リチャード・リンクレイター『スクール・オブ・ロック』 (2003)
School of Rock

その他のコメディ DVD

ジョージ・キューカー『アダム氏とマダム』  

レンタル・ビデオ屋ではとても見つけにくくなっているので、DVD化はうれしい。トレイシー&ヘップバーン(もちろんキャサリンのほう)の黄金コンビによる必見の傑作コメディ。キューカーが『マイ・フェア・レディ』の14年前に撮ったピグマリオン物語、『ボーン・イエスタデイ』も DVD になっている。

『ルービッチュの小間使 クルーニー・ブラウン』

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