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 あれこれ     10年01月加筆


まことに残念 獅子踊りの活動休止
昭和レトロ
NHK大河ドラマ
近年気になる言葉
NHK 大河ドラマ時代区分一覧
ふるさとはやっぱり田舎だった
神社の正しい参拝作法(?)はファシズム向き
民謡といわれているものは民謡でなく「民謡会節」
写真を撮らせていただいたお礼の気持ちで
靖国神社はだましのシステム
スウィング・ガールズ
活力の源は「見せたい・見られたい」という意識?
日本の踊りは農耕民族型で跳躍はしない?
祭りの定着 コスキン・エン・ハポンとアジア国際音楽祭
編集してみればやっぱり今年も「井戸びっき」
獅子舞は肉体労働系?
ハイウェイカード・ETC
少子化報道がやたら目立つような気が
選挙こそ最大の祭り?
長井市の小さな発表スペース「十字路」閉鎖
長井市で獅子舞シンポジウム
あれこれ8
あれこれ7

楽器を弾くボランティア募集
 山形県長井市で毎月一回、月最後の金曜日の午後7時から1時間、楽器を演奏したり伴奏したり、歌ったりしてくれるボランティアを募集します。楽器はキーボード・ギター・弦バス・アコーディオンが備えてありますが、それ以外の楽器は持参です。キーボードでメロディだけ弾く、ギターのコードを押さえてかき鳴らすだけで大丈夫です。報酬・交通費などありませんが入会金も会費もありません。楽器のできるもの好きなかた、  「メール」で連絡ください。


  この冬は大雪のようです  (10年1月)
 昨冬の雪は少なかったけど、この冬は大雪みたいです。これまで12月20日前後と、元日前後と1月13日前後の3波の寒波が来て、生活にも支障が出るほどの大雪になっています。特に12月の雪は湿った重たい雪がどっさりだったので、あちこちで小屋やパイプ車庫などが押しつぶされたり、果樹が枝折れしたり、町指定の桜の古木も数本枝折れしています。また、1月半ばまでで雪下ろしなどで30人くらいの人が死んだり怪我をしたりしているという報道もあります。
 今年の年始は親戚に喪中が多く、正月礼も行くところがなかったので、久しぶりに東京周辺に出てみました。日本海側の大雪とは裏腹に連日晴天・快晴で、「ああやっぱり 今もそうなんだ」と、天までもが不公平のように思えて、格差というか落差というかを実感してしまいました。でも、余計なことは知らないで、ふるさとこそ一番と思っていられたら、それが一番しあわせというものかも…。実際多くの人たちは、台風洪水大雪などの災害の報道を見ながら、「災害もないし ここらは一番いいどごだぁ」と思っていることでしょう。人間は下を見て安心する、下があると思うと安心できるDNAを持っているのでしょうか。
 でも見方を変えれば、白い雪は水です。大量の雪が春から夏秋までかかって少しづつ解けて、流れや地下水になって麓や村や町を潤す。雪こそは巨大な白いダムと言えるでしょう。たくさんの雪が降ることもすごいことですが、 どんなにいっぱい積もっても節が来れば必ず解けて消えてしまう、それを思うと自然の偉大さと人の小ささを感じてしまいます。


<まことに残念、 五十川獅子踊りの活動休止  (09年8月)
 長井市五十川地区の「五十川獅子踊り」が今年9月6日の村祭りでの奉納を最後として、活動を休止することとなったとの知らせが入った。今回の活動停止に期限はなく、何時までたっても復活の機運が高まってこなければ、廃絶の恐れすら否定はできない。まことに残念である。
 山形県内の3頭構成の獅子踊りは、県の南部にのみ13組。その中で花笠の早乙女が鞨鼓を打ち、幕踊り型で「輪くぐり」の演目を持つのは8組だが、毎年しっかりと上演しているのは五十川を含めて3組しかなく、ほかは不定期状態で地元でも次回は何時になるか不明の状態にあることが多い。 
 「五十川獅子踊り」は復活後40年近い歳月を、毎年休まず上演し続けて来た。毎年しっかりと上演しているだけに、笛や歌の囃し方も、獅子や太鼓打ちの演技も上手で安定していて、安心して観ていられる獅子踊りだった。私もこれまで各地で約700組を越える民俗芸能を見学、風流系の獅子・鹿踊りは百数十組を見学、写真やビデオに記録してきた。その中で一番多く見学したのは長井市の「五十川獅子踊り」であり、十回近く見学した。
 06年1月に「五十川を語る会」に招かれ、映像をたくさん観ていただきながら「東日本の民衆の獅子の文化」と題して、話をする機会をいただいた。この地方の獅子踊りは他の地方と共通の土壌を持ちながらも、長い歴史の中で他の地区では見られない独特の形態・芸態を持つ獅子踊りに発展しており、非常に貴重な文化であることを力説した。また伝承の問題に関しては、少子化や若い世代の労働環境の悪化などにより、どこの地区でも抱える共通の悩みである。特効薬はないが、人材がいないというなら、対象としている地域を近隣に広げる、鞨鼓の女装の花笠(早乙女)の役を女性に解放するというのも方法の一つですと話した。また、毎年の上演が困難ということなら、世間には4年に一度のうるう年のみとか、寅年申年の7年毎とか、村山市のようにほぼ十年毎、あるいはお浜降りなどは12年毎という例もありますと話したのだった、その後文化庁の後援もあり衣裳・用具なども新調でき、踊りの映像資料としてのビデオ・DVDの製作もできた。私も一年前に五十川獅子踊りを「You Tube」に3編をアップして、これで五十川獅子踊りも当分は大丈夫かなと思っていただけに残念です。

 8月9日山寺立石寺で「第5回全国獅子踊りフェスティバル」が行われ、東根市長瀞・村山市稲下・天童市高擶・長井市平山・米沢市綱木の山形県内5組の猪子踊り・獅子踊りが集まった。稲下はほぼ十年毎の世代交替で今回も見事に若い衆に世代交替していたし、綱木は相変わらず太鼓の拍子が揃わないながらも、ダム建設で地区が離散状態なのに毎年続けているというのは立派。高擶も十年くらい中断していたのに復活後はがんばっているようだ。でも長瀞は獅子が11頭揃わず、獅子はたった4頭で鉦打ちも少なかったし、平山も花笠の太鼓打ちが4人しか揃えられていなかった。


<昭和レトロ  (09年5月)
 レンタルDVDを借りて映画「三丁目の夕日」とその「続編」を見た。漫画でも映画でも好評だったらしく、レンタルも好調らしい。類似のものも流行っているらしいと聞く。
 リストラで職場がなくなることから、お別れ会に行った。会場は古い琺瑯製の看板やセピア色になった映画全盛時代のポスターがいっぱい張ってあり、戦後間もないころから経済成長期以前あたりの歌謡曲が流れる居酒屋だった。この手の店が全国的に増殖しているらしく、雰囲気プラス値段の安さもあって繁盛しているようだった。
 東京やその近辺に用事のついでに、歌声喫茶を2ヵ所行ってみた。新宿の常設のではなく、喫茶店を借り切ったり公共施設を借りての歌声喫茶だったが、会員制のところもそうでないところも満席だった。
 マスコミでも「昭和○○」という言葉をよく目耳にするようになったし、ネット上にも昭和グッズとやらが満載のようだし、ご当地検定ならぬ「昭和検定」なんていうのもあって流行っているらしい。
 「昭和レトロ」の対象となっている時代は、(人によって幅はあるものの)戦後の子だくさん世代の幼年時代あたりから青春時代あたりまで、あるいは戦後の混乱が落ち着きかけたあたりからTV・洗濯機などが普及しだしたあたりまで、あるいは「りんごの歌」あたりからフォークソング興隆期あたりまでか。
 こうした「昭和レトロ」の流行る背景には、戦後の子だくさん世代が大量退職時代を迎えたことがあるだろうし、「派遣村」に象徴されるような貧しい時代がまたやってきたということもあるのかも知れない。冷静に思い起こしてみれば、あの時代は封建的因習も多く、いじめも差別も貧富の差もひどかった。が、過ぎ去った過去を振り返って想えば、懐かしく美しいものらしい。あの時代、貧しかったががんばればよくなるという夢があった、ということだろうし、今また貧しい時代が来て夢が欲しいということなのだろう。
 でも、美化して懐かしさに浸ってもおれない現実が目の前にある。それに「昭和」と一言でいうが、「昭和」は60年以上あるのだ。戦前・戦中と戦後では同じにくくれないものがあるはずだし、戦後だって40年以上を一くくりにはできないだろう。それをゴチャ混ぜにして「昭和」で一くくりにするのは、クソとミソの区別もつかないのと同じようなものではないか。そろそろクソとミソの区別くらいしっかりつけて、もっとマシな時代区分を作りたいものである。


<NHK大河ドラマ  (09年1月)
 今年2009年のNHKの大河ドラマは、上杉家の家臣「直江兼続」が、取り上げられるということで、山形県は一昨年から沸いているようです。一昨年夏ごろからNHKの地方ニュースであまり何度もいうし、07年中は「篤姫」のニュースよりずっと多かったから、08年に放送がはじまるのかと勘違いした人も多かったくらいです。また、大河ドラマで取り上げられれば観光客がどっと増えるということで(しっかりした内容がなければ一年だけの一過性のものでしょうが)、つながりなどロクにないこの町までが、歴史を掘り返してでっち上げとしかいいようのないようなことを無理矢理こじつけたり、あわよくばおこぼれにあずかりたいと狂奔する姿は滑稽にすら見えます。
 兼続が取り上げられると聞いたときは、それにしてもずいぶんマイナーな人物を取り上げたものだなぁと感じたのは私一人だけではないでしょう。ここ白鷹町は昔の上杉領内ですが、それでも景勝すら知らない人が多いのに兼続を知っている人はごく少数だったから、全国となればなおさらでしよう。 戦国時代はもう何度も取り上げたから、主役級の人物たちは描ききってしまったし、脇役たちもだいたい描いてしまった。だから脇役のさらに家来か、という感じですね。気のせいか戦国時代ばかり多いものだから、日本人て人殺しの時代が好きなのかなぁとも思ったりします。念のため大河ドラマの時代区分を調べてみたら、(
一覧表はここ)やはり戦国時代が一番多く21回でした。ついで幕末前後が12回、源平前後が5回、忠臣蔵が4回、後はバラバラで1回づつという結果です。
 ドラマになりやすい時代は激動の時代、というのは誰にでも納得の行くことだとは思いますが、一覧表を見ていると日本の歴史に興味をもっているものなら、もっとほかにも激動の時代があったはず、と思いませんか。たとえば太平記の時代や先の大戦前後などです。50回もの回を重ねようというのに、南北朝時代と大戦前後は各1回づつしかないというのは、かなり不自然な感じがします。この不自然さはどこから来るのか、それは天皇を出すのが怖いからということなら、この国に自由や民主主義はないということになってしまうでしょうね。防衛省の前の幕僚長は日本も北朝鮮と変わりないといっていたようですが、一般参賀のニュースを見ていたら、そんな気がしてきました。

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<近年気になる言葉  (08年7月))
 「どさ」「ゆさ」ほどではないにしても短く直接的に表現していた東北の田舎でも、近年は「○○させていただきます」の類が横行するようになったようですね。まず初めの自己紹介からして「△△をさせていただいている☆☆です」というし、「俺がやる」ですむことを「私がやらせていただくことになりました」などという。こうした表現に違和感を覚えるのは私だけだろうか。専門家は「敬語の一種、敬語には尊敬語・謙譲語・丁寧語などなどあって…」というだろうが、ここまで来ちゃった現象をまっすぐ言っちゃえば、誰しもが「敬語っていうのはゴマスリ語だなぁ」と認めざるを得ない気がしますね。「ゴマスリ語」という言葉で言われるのがイヤなら「媚びへつらい語」、もっと別の言葉を探せば「保身語」ですね。外国人が日本語を学ぶときに、「一番難しいのが敬語」という話をよく聞きます。日本人にさえ難しいといわれる敬語だから、ゴマスリの風習が薄い、ゴマスリ語のない国からくれば当然のことでしょうね。こうしたゴマスリ語からは自己主張も権利意識もまったく感じられず、感じられるのはひたすら相手に媚び、下手に出て自分が不利にならないようにしようという下心でしょうか。「面従腹背」「顔で笑って心で泣いて」「外交辞令」「本音と建前」などの言葉が頭をよぎります。こうした表現を伝統とし、日常的に細かいことにまで気を使いながら生きる姿に、悲しい日本人像が見え隠れしているようです。21世紀に入ってからは保守絶対多数から権利・自由・民主主義が後退、剥き出しの弱肉強食が強まる中でどう生きるかを問われたとき、力をあわせて変えようとするよりはゴマをする方を選ぶ伝統的習性が生み出した変な言葉なんでしょうかね。そして自分自身も知らず知らずにこうした表現を選んでいることに気付いた時、自己嫌悪を感じてしまうのです。


<ふるさとはやっぱり田舎だった  (08年2月)
 今どきアナログ接続のままなどというのは一部の少数派で、ネットにつないでいる人のほとんどは高速回線を利用しているものと思っていたら、意外にもそうでもないらしい。昨年暮れごろネットで「ブロードバンド普及率」というのを見たら山形県は半分にも届いていないようだ。だからなんだね。毎週来る大型電気店の広告チラシのパソコンの値段は2段になっていて、「当社指定ブロードバンド加入で3万円引き」と書いてあるのは…。ほとんどがブロードバンドになっていればこうした売り方は効果がなくなるもんね。
 パソコンの更新買いまでの期間は平均4年と聞いたことがあるが、私のは6年半を過ぎて調子がおかしくなることが多くなった。何度も起動ディスクを使ったりリカバリーしたりで持たせていたが、そろそろかなと思って「3万円引きで買いたい」と電気店で言ってみたら、「白鷹町は光が行ってないからダメなんです」という。「えーっ、そんなぁ、じゃぁどうすれば安く買えるのよ」といったら、「Yahooに入れば2万円引きます」という。「仕方がない、2万円でも安いほうがいいからそれに入る」といって電話番号を担当者に渡したら、「白鷹はYahooのサービス地域外なのでダメです」という。「えーっ、まさか町が肩入れしてもロクに加入者のいない白鷹のプロバイダが邪魔してるんじゃあるまいな、高収入の都市部の人は安く買えて、低収入のイナカッペは高く買えってかよ。考えて出なおして来るよ。さいなら」といってその日は帰っても、家に帰れば調子の悪いパソコン。考えたって仕方がないから、泣く泣く高いパソコンを買わされるイナカッペでした。これも格差社会かなぁ。何年かすれば田舎にも光が来るでしょうが、そのころの都会はまた一歩進んでいるでしょうから、差が縮まることはないんでしょうね。


<神社の正しい参拝作法(?)はファシズム向き(?)    
 神社の正しい参拝作法というのがあるのを知ったのは、テレビが来て間もない40年くらい前のNHKのクイズ番組からであった。二礼二拍手一礼が正解で、どこかの神職が明治初年に内務省が決めたということを述べて、手本を見せていた。へぇー、そうだったんだ。田舎のことだからかも知れないが、どこの神社に行ってもそんなことする人に出会ったことがなかったから、ちーとも知らなかったよ。その後もそんな作法に出会うことなく月日は流れたが、日本列島改造ブームがあって田舎にも工場ができ、工場労働者になった翌年から毎年その作法に出会うことになる。会社の一角に神棚があり、年始に神棚の前に整列し社長にあわせて従業員全員が二礼二拍手一礼するのであった。その後もそれ以外の巷で作法に出会うことはなかったが、30年くらい前から獅子舞の組織で笛を吹くようになり、神事での神職の作法やら、各種の団体が代表にあわせていっせいに同じ作法をするのを見て、こういうとこではこうするものと理解した。
 獅子連で笛を吹くより数年前から本格的に各地の民俗芸能を記録するようになり、巷の人たちが神社で参拝する姿を気をつけて観察するようになったが、正しい参拝方法(?)とされる二礼二拍手一礼の作法で拝む姿に出会うことは滅多にない。たまにそういう姿に会うと、「後に人がいるのになにもったいぶったことをしてるんだ」という印象さえ受ける。多くの人たちは鈴を鳴らし、2拍手して手を胸の前に持っていき合掌し頭を下げるという例が多い。多くの人たちはこうした場面では願い事をするのだろうが、合掌の時間は人によりまちまちで、時間の長い人は願い事が多いか願い事にねつい人なのかも知れない。それに対し、神社の正しい参拝作法(?)とされる二礼二拍手一礼は、個人や家族が願い事をするに向かないようで、それよりは大勢の人たちにいっせいに同じことをさせるに向いた参拝作法で、ファシズム向き(?)だといえそうである。二礼二拍手一礼を神社の正しい参拝作法と(お上が勝手に)定めて百数十年、いまだに巷にそれが浸透定着できないわけはその辺にありそうである。

 ついでにもう一つ。前にも書いたように私の母は明治生まれで、尋常科補習科しか出てなく教養も乏しいし、この地域から滅多に出ることもなければ、何かの役目で人前に出ることもないから二礼二拍手一礼も知らない、ひたすら田畑で働く田舎ものだった。だが時の流れで身内に東京やその近辺に住むものが出てくると、呼ばれて何度か東京見物する機会があった。その東京見物である神社にお参りした時に、神職らしき人に「ここは神社だから手を合わせて拝むところではない」と咎められてという。母はこれが気に入らなかった。母は田舎者で無教養なことを自覚してはいたが、何も悪いことはしてこなかった、お天道様や閻魔様の前に出ても何もやましいことはない働き者だという自負もあった。その場で口答えこそしなかったが「パンパンとやった後に手を合わせてなにが悪い、どんな風に拝もうが俺の自由だべ」と思ったという。東京見物の話になると母は何度かこの話をして、「あんな神社に二度と行きたくない、お賽銭あげて損した。」といっていた。

 おまけにもう一つ。戦前から良く知られた歌に「九段の母」(1934年発売で39年ごろから大ヒット)というのがある。東北の(と思える)田舎ものらしき老婆が上野駅から九段まで杖を頼りにとぼとぼと歩いてきて、戦死した息子が祀られているという靖国神社おまいりする内容の歌である。この歌3番の歌詞は「両手あわせてひざまづき おがむはずみのお念仏 はっと気づいてうろたえました せがれゆるせよ 田舎もの」とあるが、これを聞いて「そんなのウソだべぇ」と思うのは私だけだろうか。明治以前までは神社の奥深く祀られていたのは仏像が多かったことを知っていても知らなくても、ありがたいと感じるものに手を合わせることに違和感がないのが田舎の民衆だから、こんな歌詞は知りすぎた人のつくりごとだぁと感じてしまうのです。明治になってお上(とそれに迎合するもの)が勝手に神社から仏像を追い出すことはできたが、人々のありがたいものに手を合わせる心を変えられなかったし、家々でも戦死者の遺影は仏壇に祀っていて、神棚に祀っている例は見たことがないなぁ。でも、この歌の洗脳力の凄さには脱帽です。戦を鼓舞する男の歌ではなく、か弱い老婆を歌った母もの歌謡だから効果抜群です。それに西の方の話ではなく、賊軍の負い目を感じている東北の民の話にして、息子を戦死させたことで負い目から解放され、息子の死を誇りにまでしてしまうという話なら、まさに戦犯的歌謡とさえいえる「九段の母」です。これまでも田舎では演芸会に時など聞くことがありましたが、近年は人気の若い歌手たちも歌っていて復活の兆しです。

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<民謡といわれているものは民謡でなく「民謡会節」
 日曜日の昼のニュース天気予報の後、そのままにしておくとNHKのど自慢が流れる。今は出場者がジャンルを問わずに20組であるが、だいぶ前は25組で、5組は民謡という「民謡枠」があった。いつのころそうなったかわからないが、普通の人が民謡で出ることはほとんどなくなっていたし、民謡会で鍛えた人たちばかりだからみな上手であったが、民謡でパフォーマンスするというようことは一切なくて、正調とか民謡会風という感じであった。20組になった今民謡で出るのはせいぜい1組程度のようだが、民謡会風であることに変わりはないし、あまり盛んとはいえない民謡界の現状を垣間見させている。
 民謡会にもプロと呼ばれる人たちがいてマスコミその他でで活躍しているようだが、プロであるなら素人の真似のできない声と歌いっぷりが求められるし、それができるからプロなのだろうが、そのことで民謡の原点から離れてしまうし、大衆が民謡から離れていく焦燥を抱えている。
 そうした民謡に疑問を感じたのは学校を出て働き出した頃だったろうか。民謡って民衆の歌だよね、民衆の歌が普通の人には歌えないほど技巧的なのもおかしいし、あんなに上手なのは民謡ではないのではないか。正調○○節なんていうが、民謡に正調だ変調だなんていうのも変で、民謡が民衆の歌なら楽譜や家元制度などにしばららないで変化していくものものではないのか。そして考え抜いた結果の結論は、民謡といっている歌は民謡でなく、「民謡会節」と考えた方が良いということである。
 各地の民俗芸能を見て聞いて歩くようになって30年近く、これまで何百と見て聞いて録音録画してきたが、民謡会節に出会うことは滅多にない。神楽・獅子舞・田楽・田植え踊り・風流系しし踊り・念仏踊りなどなどにもたくさんの歌が歌われているが、普通の人たちが美声とはお世辞にもいえない声で普通に歌っていて気持ちがいい。民謡ってこういうのをいうんだなぁと感じている。


<写真を撮らせていただいたお礼の気持ちで
 07年7月、久しぶりに祭りと民俗芸能を撮りに長野県上田市まで出かけました。この節は梅雨の季節ですし、岳の幟は雨乞いの祭りですから雨の祭りになることは珍しくないようですが、いつもなら祭りの途中で雨が止む例が多かったのに、今年は祭りが全部終わるまで雨が強く弱く降り続いて、祭りをやるほうも見るほうも撮るほうもたいへんな祭りになりました。ささら踊りの子供を出す家族は、子供が風邪をひかないかと心配してましたし、子供たちも降る雨や濡れた着物を気にしながらの踊りなので、のびのびと振りを大きくしていい踊りにとはいかないのが残念でしたが、たいへんな雨の中でも最後までやりきったという達成感を味わったものと思います。前回は最後まで見られなかったので、今回は最後の別所神社での踊りに期待したのでしたが、その時間も強い雨降りで踊りは前庭ではなく神楽殿での踊りになりました。
 神社までついていって気になったことが一つあります。神社まで行った写真撮りは多いのに、お賽銭をあげてお参りする人がほとんどいないのです。このことはほかの祭りに行っても同じようなものです。私はお賽銭をあげてお参りするのが礼儀なのではないかと思い、それを実行しています。とくに願い事があるわけではないので願い事はしませんが、地域の人たちの気持ちを受けてそこにお堂や社があることに敬意を表して、そして写真を撮らせていただいたお礼の気持ちでお参りします。お賽銭は普通は100円で、いっぱい撮ったりいいのが撮れたと感じたときは300円というところです。貧乏人だからたいした金額は出せませんが、気持ちを表すことは大事なことだと思っていますし、地域の人たちもそれを見ています。
 カメラバックにはいつも祝儀袋を入れています。大きな祭り、見物人や写真撮りが多い祭りは気にすることもないかも知れませんが、よそ者が私一人しかいない時や、地域の祭りの参加者の一人として見られるときは300円のお賽銭では間にあわないときもあるのです。そういう時はやはり祝儀袋が適切で、状況に応じて千円から3千円入れることがあります。そうすることで地域の人たちと対等に近い立場になっていろいろ聞くこともできるし、地域の人たちも身内意識をもって協力してくれるのです。
 私のカメラはいつも安物でかなわないからブツブツいうわけではありませんし、高くていいカメラでいい写真を撮ってコンテストやカメラ雑誌・新聞などに投稿し、祭りの知名度を上げるという貢献もできないから、もっと地域の人たちに近づきたいと考えるのです。

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<靖国神社はだましのシステム
 仏教が渡来する以前の日本にも、祖霊神や自然神などに対する素朴な信仰があったようで、行事や祭りの中にそうした古い信仰が今も受け継がれているのを見かけることも多いですね。でも仏教以前からの古い信仰は神社だから「神道」と単純に考えるのは、文字通り単純すぎて危険です。素朴な民衆の信仰と重なる部分も取り込んであるので混同しがちですが、明治以後の神社や神道は国家神道というもので、基本的なところは違うものと考えるべきでしょうね。古くからの民衆の信仰は自然神(山や水・気象・地や岩や草木など)や、一族や村人の祖霊に寄せる信仰であるのに対し、国家神道は天皇こそがこの国の支配者だからありがたく思えという信仰で、その系統の神社は「ここは天皇の支配する土地であるぞよ」と示す役割を持って存在しているのです。だから朝鮮・台湾や満州を分捕ればそのための神社を作るわけです。国家神道は明治以降から敗戦まで国教的存在だった歴史を持っていて、100年近い間に全国隅々まで強力に広められて強力な体制ができました。今もその歴史を引きずっているので、神社を村の鎮守と考えたり、行政組織が神社の運営管理にあたったりしていますが、戦後の国家神道は特定の一宗教ですから、今ではおかしなことのはずなんですね。田舎の神社の多くは寺のように宗教者が常駐することもないので、村人が直接的に寄付や清掃奉仕したり、行政組織を通した神社の活動を通じて、神社を自分たちのものと思っている面がありますが、それは一面でしかありません。神社にはもうひとつの面があり、それは神社庁に統括される国家神道の宗教施設(○○真理教のサティアンみたいなもの)としての一面で、これは詳しいものでないとわからないでしまう面かも知れません。
 国家神道の宗教施設には、戦前まで社格というものがありました。神社を大きく官幣社・国幣社に分け、国弊社も大きなところから大社・中社、下っ端なところは村社・郷社と国の隅々まで体制を敷きました。上の方ほどいやらしい宗教施設になっていますが、下の方は神社庁の施設を感じないで自分たちの神社意識がある分、国家神道のささえになっている分には変わりない面があります。中でも特異なサティアンが靖国神社で、戦前までは陸軍省海軍省直属で、戊辰戦争以後の皇軍兵士の死者を(遺族の同意もなく勝手に)軍神として祀っているが、こうした死者の祀り方はそれまでのこの国の歴史にはないものです。富国強兵のために民衆を洗脳し、皇軍兵士として大量動員するための精神的支柱となる施設、皇軍兵士が死んだとき英霊(こういうのがダマシ語です 死んだものにエイレイもヘッタクレイもないのよ)という美名で特別に慰霊して、国家による殺人を名誉の死にすりかえる施設といえるでしょうね。これが過去の死者だけが対象だけなら、まだ影響力も少ないかも知れません。が、近年の動きはこれからもこのだましのシステムを機能させたいという人たちがいるようで、為政者の参拝や言動にもそれが見え見えの時代になりました。
 近隣諸国からいろいろいわれますが、アメリカにしたって真珠湾その他で戦った敵兵を英雄視する歴史観を喜ばしく思うはずはないのですが、日本がアメリカのポチあるうちはいわないで、アジアの国にいわしておく方が得策ということでしょう。海外とのかかわりで靖国問題を考えるとどうこうではなく、この国の国民にとって「だましのシステム」であることに気づかないと根本的解決はないでしょうね。昔から××をだますには神様を利用するのがが一番なんですよ。(少し利口そうなやつや金持ちをだますにはワッペンという手もあるようです)一族の死は一族で祀るというふうに自立した意識をもっていればいいのですが、特別扱いされたいという下心があると、引っかかって絡め取られるものなんです。気をつけましょうね。


スウィング・ガールズ
 近年ご当地ロケの映画が多いようで、ロケの行われたご当地ではその映画ロケのニュースがたびたび出たり、映画館の無いところでも上映会が行われたりして盛り上がっているようですね。山形県でも近年何本かのロケがあり、何度もニュースになりましたが、全国的にあたるものもあれば、ご当地のあたりで終わって他所ではあまり聞かないものもあっていろいろのようですね。
 昨年封切りの「スウィング・ガールズ」は山形県南部の置賜が舞台になりましたが、他所でも結構あたっているようです。 やや漫画的な部分もあって「そんなことない ない」などとつぶやきながら見た部分もありますが、結構おもしろくうまくできているようですね。あまりできの良くないと思われている連中でも、自分の波長に合ったものに出会えば、旺盛な生命力でがんばって輝くことができるんだということでしょうか。「すべての人間は二つに分けられる、努力する人間とあきらめる人間だ」などの台詞も、うまく使っているなど思いました。「すべての人間は二つに分けられる、スウィングする人間としない人間だ」を聞いたときは、「俺もそのことを実感することが多かったのよ」と思いました。
 ある年の長井地区勤労者互助会の新年会のとき、ディナーショウの宣伝に歌手が飛び入りしたことがありました。「聖者の行進」を歌いだしましたが、「ほらほら手拍子が合わない」といってやめてしまいました。ジャズ好きでもない普通の労働者の集まりなので、リズムに乗って「裏打ち」のできる人が少なかったのです。いろんなコンサートを聞きに行ったり、自分でも少しは人前で演奏したり歌ったりしてきたこともあって、こういう場面をたくさん見てきました。なにせ宴会に若い人が混じっていてさえ、「星影のワルツ」を民謡の手拍子で歌う土地柄です。(3拍子を2拍子で歌う これってすごいことかも) 貧しい米沢藩の中で質素倹約と勤勉さだけを求められてきて、保守色の濃い土地柄となった結果が影響するのかなぁと思ったものです。高石ともや氏などのコンサートでは、逆にきれいに「裏打ち」ができて、そうした音楽が好みの人の集まりだと違うなぁと思ったものですが、そうした場面は少なかったですね。
  「スウィング・ガールズ」は最後に見事な演奏をしますが、(俳優って「あて振り」がうまいもんですね 「カルテット」のときもそう思いました)映画のようにはいかないのが現実です。映画を見るのは簡単でも、映画のように楽器をこなすのは至難の業ですね。ブラス系もいい音を出すことが難しいようだし、この地方でなじみの薄いリズムをやるとなればなおさらです。映画があたったからといって、学校の吹奏楽部に入部者が増えたとも聞かないし、ブラス系の楽器が売れ出したとも聞かないなぁ…。(やっぱり楽器は甘くないのよ!)でもスウィングできる人間の方が幸せかなぁという気がするし、置賜の若い人たちが映画のようにああした音楽も楽しめたらいいですね。

                                            
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<活力の源は「見せたい・見られたい」という意識?
 神楽・田楽・風流などの芸能は民俗芸能と呼ばれて民俗宗教的信仰とのかかわりが強く、信仰世界や願いを具現する方策のひとつの表れとして、芸能という形をとったものと考えられている。したがってそうした芸能をはじめる・続ける活力の源は信仰心が大きいということは想像に難くない。だが、それだけだろうか。あちこちの祭りや芸能をよーく見て歩くと、表向きはそうであっても以外や以外というか当然といえば当然というか、ごく普通の別の側面が見えてくる。祭りや芸能には厚い化粧や目立つ衣裳・派手な振るまいや立ち回り、甲高い囃子や酒を食らっての大声が目立つ場合が多いが、そうしたことをさせる活力の源は信仰心とは対極の、「いい格好をして見せたい・いいところを見られたい・目立ちたい・ほめられたい・認められたい」という、極めて俗っぽい欲求であることが見えてくる。
 この「見せたい・見られたい・ほめられたい」という意識は意外と根強く、壁塗りやブランド物でおしゃれをするのも、無理をしてもいい車に乗りたいのも、子供がワッペンを大人が勲章を欲しいのも、結局はかっこいいところを見せたい、かっこよく見られたいという意識のなせる業といえる。他の動物植物を見ればわかるように、人間も何のために生きるかといわれれば「おのれの遺伝子を残すため」にということになるのだが、そのためには異性からよく見られたいわけで、根源的な欲望とすらいえるかも知れない。その意識が過剰だとえげつなく下品に感じられるが、ほどほどであれば活力の源となるということだろう。
 貧しい上杉の領内で質素倹約を美徳をと仕込まれてきたこの地域は、人々は引っ込み思案で恥ずかしがり屋が多く、祭りや芸能も地味で派手なものは少なかった。が、近頃は「見せたい・見られたい」という意識がまる見えの芸能らしきものの流行がやってきたようで、「よさこいソーラン」など何度か見せられる機会があった。まだビデオ撮りやカメラ撮りはしていないが、やっている当人たちは「見せたい・見られたい」という意識を満足させているようである。伝統あるとされている芸能も元をたどれば当時の流行がやってきて、流行が過ぎ去っても吹き溜まりのような形で残って続けていたら、伝統の芸能になっていたというのも少なくない。今回の流行がいつまで続いて伝統とまでなれるのかどうかは今のところわからないが、今のところ撮る気にならないのは「見せたい・見られたい」という意識がまる見えだからではなく、音が機械から出ているうちはどうかなという気がするからで、自前の囃子でやるようになれば撮る気になるかもしれない。


<日本の踊りは農耕民族型で跳躍はしない?
 04年2月12日の朝日新聞「天声人語」はバレエについてであった。 「バレエというのは規則の多い舞踊だ。宮廷でのあいさつの仕方が起源ともいわれるから作法にうるさいのか。歩く、走る、跳ぶ、回る。どの動作にも決まりがある。せりふはなく、音楽にあわせて体だけで表現する。」(中略) 「高く、高く、を目指すバレエが遊牧民族型なら、重心低く、地表から離れない日本の舞踊は農耕民族型といわれることがある。日本人はバレエに不向きというという説もあった。今国内外で活躍する日本人ダンサーたちを見ると、とても通用しない説だ。」(後略)
 日本人はバレエに向いていないという説は明確に否定したが、地表から離れない日本の舞踊は農耕民族型という説までは否定はしなかったようだ。私も、跳んだり跳ねたりして両足が宙に浮くことがないのが日本の舞踊、という説を昔から聞いているし、今でもたまに聞く。「日本=フジヤマ・ゲイシャ」という人よりはましかもしれないが、「日本=畳・着物・お花・お茶・お琴に能・歌舞伎」というくらいの人の印象かな。つい100年ちょっと前までは畳もない家が多かったし、お花・お茶・お琴に能・歌舞伎などは、今だって多くの人には普段縁がない。
 たいていの物事には、時代的要素と地域的要素の視点が必要なことはよく理解されていると思うが、同じ時代の同じ地域でも、民衆と支配層では、やること・考えること・暮らしぶりはずいぶんちがうという、階層的・階級的なものの見方も大切なわけです。そういう視点から芸能を見ると、着ている着物だって違うし、民衆は腹がへっているから面倒くさいことは考えず、喜怒哀楽を直接的に表現することが多くて、早い曲・シンコペーションの多い曲が好きだし、農耕民族という日本の民俗芸能だってとんだり跳ねたりは当たり前のことなのです。支配層は教養が高くて「おにこやかに、お手をお振り」になって、いかにも仁や徳があるように振る舞うことになるので、越天楽のように間延びしたもったいぶった曲がお好みになる傾向が強いわけです。
 昔から日本の辺境で貧しい民衆の多い東北という地域に住んでいると、神楽も獅子舞も念仏系や田楽系の芸能も、とんだり跳ねたりしているのがよく見えます。

                                            
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祭りの定着
 03年10月、しばらくぶりに福島県川俣町の「コスキン・エン・ハポン」というフォルクローレの祭りを見せていただいた。民族音楽はみんな好きなので毎年行きたいのだが、時期が収穫の農繁期と重なることが多いし、民俗芸能見学とも重なったりしてなかなか行けなくて、今回で3回目になる。前の2回は2日間の日程の中から夜の数時間だけしか見られなかったが、今回は日程も3日間になっていた中の一日、朝から晩までたっぷり楽しませてもらった。出演団体は150組近くもあり、結構地元の出演も多いのがいいし、素人の家庭的雰囲気の音楽から、専門家がピシッと会場を引き締めてくれるのまで、幅広く楽しめるのがいい。「ケーナの聞こえる町川俣」のキャッチフレーズの通り、すっかりこの町にフォルクローレが根づいて楽しまれていることを感じました。
 実はそんなに遠くまで出かけなくても、地元白鷹町にも民族音楽の祭典がある。アジア諸国から花嫁達が来ていることから始まったという、その名も「アジア国際音楽祭イン白鷹」という音楽祭で、92年からもう9回を数えるという。“音楽は世界の共通言語”を合い言葉に、モンゴル、中国をはじめアジア各国のミュージシャン達が共演して、今や広く全国に知られ、新しい町の行事となった「アジア国際音楽祭」だとか。でも、補助金も少なからず出てるらしいのに、昨年は開催されなかった。ボランティアスタッフもたくさんいる話だし、主催もスタッフもがんばっているのだろうが、開催困難で隔年開催にするのだとか。スーパー何とかの小室 某の食い物になっているのだとかいう話も聞こえてくるが、ネットでみる限り、少しは県外町外の白鷹応援団もできたようだ。貧乏暇なしの私はボランティアスタッフをしたこともなければ、高い入場料を払って見たこともないのでくわしい事情はわからない。
 だが、92年から9回もやったというのに、この町にアジア音楽の愛好会ができたとか、アジア音楽をやる人が増えたとか、この町の団体が(イベント用の「なんとか太鼓」以外)ステージに立って活躍しているという話も聞こえてこないねぇ。始まって間もない頃「俺が担当者だったらアジア獅子舞大会でもやるのになぁ。そうすりゃこの町の人たちの出番もあるのにねぇ」なんていったことがあるが、自分のことで精一杯で、口出し手出しするほど暇も金もないので、お任せするしかないですね。でも個人的には日本の民俗芸能だけではなく、アジアや世界の民族芸能にも関心はあるし好きだから、レコード・CD・ビデオ・DVDも最小限ながら集めて楽しんでいるし、海外出版の楽譜も持っていて、時々は弾いて楽しんでいます。そのうち、また公園ライブでもやれるくらいになりたいですね。


<編集してみればやっぱり今年も「井戸びっき」
 今年は久しぶりに自分の所の獅子舞にビデオを持参した。もちろんビデオカメラを手にして十数年にもなるのだから初めてではないが、毎年撮るまでもないので3回目になる。祭は二日に渡るが、一日目は夕方から夜中にかけてで、照明や道路の事情もあっていいのが撮れそうがないので、いつも撮ったことはない。二日目は朝10時半ころ出て地区内をまわって夜7時ころ神社に入るが、そのうちから60分近くを撮った。
 当地区の獅子舞は七五三獅子舞と呼ばれ、重く大きい獅子を上下に振っての大変な肉体労働系の踊りなので、一回振れば若い衆といえども皆息切れがする。それで一回毎に交代するのだが、時間にすれば一回の踊りはせいぜい2分弱程度である。獅子舞の前半は静的に、後半は動的にと効果的に見せる振り付けになっているから、そのたった2分でもうまく振れば、結構見られる獅子舞になるはずなんだがねぇ。まず足踏みが軽いのが多く、ドンと強く大地を踏む足踏みが出来ていない。腕の方もグイッと押し引きして、獅子の表情にメリハリをつけることが出来ていない。前半のドンドンデンから後半のダダンコへの移行はまずまずとして、ダダンコからドンドンデンに戻るときの振りや表情のつけ方がまずいのが多い。ドンドンデンが続くときの交代がまずいなど、ほかにも挙げればいろいろある。
 何年か前にビデオ編集したときも、うまい人が3人続けて踊った場面があればそれでいいと思ったが、それがなくて不満な結果のままに妥協した。今回もいい場面を選んで撮ったはずだったが、いざ編集作業で何度も何度も見るとほんとにいい場面が少ない。同じ衣装で獅子幕の中なので誰が踊っているのかわからないが、「だーれだ、このへたくそは」という場面が多くて、うまい踊りが3人と続かない。
 何事にも、どこの地域でもいえることだが、自分のこととなると思い込みが先行してしまい、他よりも良い、優れていると思い込みたいようで、やっている当人たちも地元の人たちも「おらどこの獅子舞が一番だ」と思い込んでいるから幸せなのだろう。
 でも、たまには冷静に、客観的に自分を見つめなおしてみることも必要だろうし、そうしたことにビデオはたいへん有効だ。自分の思い込みと現実のあまりの落差にガックリ来なければたいしたものだと思う。
 なんだかんだいいながらも、何とか今年の獅子舞をCD-R一枚に収めました。もし、このCD-Rを見たいという方がいらっしゃいましたら、送料込み500円でお分けしますので 
「メール」で連絡ください。
 (すみからすみまでわかっている獅子舞であるし、編集となると監督の目で見てしまうので、「おらどこの獅子舞」をだいぶけなしてしまいました。でも、あちこちの獅子舞を見て歩くと似たりよったりで、「おらどこの獅子舞」が特に下手というわけではない。それどころか「おらどこの獅子舞」の方がまだマシだと思うことだって多い。これはひいき目で見ているからではない、論より証拠CD-Rを見ればすぐわかることである。)

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<獅子舞は肉体労働系?    
 昨年5月、ネットのある掲示板に「長井黒獅子祭り」についての書き込みがにぎやかだった。「伝統の黒獅子祭りなんていっているが、あんなのはドキャン連中が酒飲んで暴れまわっているだけじゃないか」というのにはじまって、それに同調する書き込みが相次いだ。前の組と後の組が「早く行け」「いやまだだ」とつまらんことで喧嘩なんかしている、××みたいとか、南部の○○の獅子は危険だから近づかないようにとか、引っ越していった土建業者がまた仕切りたがってやってくるとか、やっている連中は「いいから飲め」程度の連中だという獅子連内部からの書き込みもあった。
 民俗芸能にかかわっているものとして、これらを否定するつもりはない。また、そういうことが中身の全部とも思わない。民俗芸能にはいろんな要素があり、観光案内や研究誌などではあまり表に出ない部分であるが、ネットの掲示板という匿名性の情報欄だからこうした本音の部分が出てきたのだと思うし、ネットによって(匿名なら)誰でも気軽に自分の意見をいえる時代になったという感じもする。そしてその上で、なぜ当地方が東北でも一番の獅子舞密集地になったかを考えると、当地方の獅子舞が肉体労働をする人たちにもできる獅子舞、肉体労働をする人たちが思いきり体と力をぶつけられる獅子舞だからなのであると思う。つまり肉体労働をする人たちに向いた獅子舞だから数も多いんで、ネットの掲示板でいうようなことがあるのも当然といえば当然なのである。
 スポーツでいえば、フィギアスケートのように氷の上に立ってすべるだけでも難しいのに、その上に音楽にのっての芸術性まで求められるものもあるし、綱引きのように単純なものもある。お祭り=お御輿という地域も多いが、あれこそ芸も能もいらない単純な肉体労働そのものだから数も多いのである。それでもそれなりに神の威を借りて明るいうちから酒は飲めるし、自分をカッコいいと思い込み、少々でかい顔をして偉くなったような気分も味わえるというものだ。お御輿よりはましかも知れないが、当地方の獅子舞も芸能としては単純で、それほど進化しておらず、肉体労働系で難しいものではないから、どこの地域でもできて数も多いのである。それどころか、全国の数ある民俗芸能の中で獅子舞が一番多いのは、意外にも「獅子舞は肉体労働系?」だからとさえいえるのである。もちろん獅子舞にも物語的要素や曲芸的要素をもつ難しいものなどもあるが、難しければ当然数は少ない。舞楽とか雅楽などとかいう肉体労働から遠いもったいぶった芸能をあるが、肉体労働者の多い田舎のあっちでもこっちでも流行ったりはしない。
 今年も4月末からの練習や5月の連休の二日間本番に行ってヘトヘトになったり、ほかの地域の獅子舞も見てきたが、思いきり太鼓をたたいているのを見ても、、重い獅子を振り上げて飛び跳ねるのを見ても、獅子とケイゴがとっ組みあうのを見ても、酒を飲んでの大声を聞いても、やっぱり「獅子舞は肉体労働系?」とあらためて思うのである。


<ハイウェイカード・ETC  (05年9月)
 9月15日までで高速道路のハイウェイカードの発売が中止され、来春からはカードが使えなくなるという。偽造の問題もあるのだろうが、それよりもETC車載機を買わせて、ETCを利用させたいようだ。
 ハイカを始めて使ったのは89年だったと思う。それまではもちろん現金払いだったが、その後もしばらくはすべての料金所で対応しているわけでもなかったこともあり、現金だったりハイカだったりした。しばらくするとハイカ対応の料金所も増え、ささやかな節約にもなるしで、うっかりした時をのぞけばすべてハイカで払うようになった。サービスでハイカ用のファイルをもらったので、使い終わったハイカを捨てずにファイルして、収集を楽しんだ。(電話カードのように図柄が多くないし、利用回数も多くはないし、高いから買いだめもできないしで、違う図柄を集めるのはたいへんだった) そのうち、より割引率の高い3万円:5万円のカードもできたが、貧しいから一大決心をして3万円を1枚買っただけ。できるだけ高速に上がらないような走り方をしてきたが、つれあいの実家が遠いこともあり、その家族や親戚の病気見舞い・葬式も多かったので、これまで100万円分近いカードが集まった。
 近年ETCが出てからのカードは、図柄が全国どこに行っても無味な一種だけになり、集める魅力のないものとなった。道路公団改革の喧騒はなんだったのか、それも遠い過去となって忘れ去られ、勝ち組でETC車載機を買えるものは安い料金で、貧しいものは高い料金で走ることになるようです。


<少子化報道がやたら目立つような気が   (05年8月)
 今年の6月は極端に雨が少なかった。報道では東北南部も6月15日に梅雨入りしたはずだったが、27日にまとまった雨が降るまでいくらも降らなかった。西日本の一部では取水制限したり、田植えもできない状態のところも多いとか。6月末になって梅雨入りした新潟や北陸では、逆に大雨被害が出ているとか。毎年こうした報道に接するたびに思うことは、人間が多すぎるんじゃないのということである。
 近頃は少子化を不安がる報道がやたら多いように感じるのは私だけだろうか。労働力が不足する・経済が停滞する・年金の将来が…などど、ややヒステリックにさえ感じられる。人間を金儲けの対象や、経済の対象とばかり考えすぎてはいませんか。人間が多すぎない方が交通渋滞もない・過密ダイヤやラッシュもない・資源の心配や食料の心配や温暖化の心配も少ないし、もっと住宅に向いたところに広々と住めば災害の恐れだって少ないし、周囲を森にして住めばヒートアイランドも無く省エネを超えたいい環境になるのに…と考えるのは「そんぴん」(いなかっぺの言葉でへそまがりの意)のたわ言かなぁ。  
                                            
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<選挙こそ最大の祭り?
 今年は4年に一度の一斉地方選挙の年で、このあたりでも県議会議員選挙と町議会議員選挙があった。祭りで自分のところの御輿を担ぐのと、選挙で自分のところの候補者を担ぐのは同じ心理のようだ。そして自分のところのが一番いいと思い込むのものも祭りと選挙は一緒だ。熱の上がっているのも大分いるから、決起集会なんていうのも冷静に観察してみれば結構面白いという話だ。だが、関心がない、かかわりたくないと思っている人もいるわけで、そういう人にも地元に候補者がいれば「選挙カーがうるさい」だけでは済まされないのが田舎だ。決起集会なんてぇのも、このごろTVでとうに見飽きた寒い国の官製動員集会と似たようなものだ。そういえばその少し前に区長選挙があったが、投票用紙が各家に一枚づつ配られ、区の理事会が選んだ候補者に○×を書いて、町内長の下の組長が集めに来るというやり方で、結果は驚異的数字で信任されるという図式もなんか寒い国のやり方と似ているね。
 あちこちの職場では「今日は会社が(実は社長が)応援している候補者の集会に行くように」ということで、納期に迫られ忙しいのに残業なしだ、なんてことになっていなければ幸せというものだ。会社から後援会入会用紙を渡されて、親類縁者知人をまわって歩くようであれば最悪(組織型選挙の実態)で気の毒だ。選挙区が違う職場なら少しは気が楽だが、「不満な人はいつでも辞めてくれ、代わりはいくらでもいる」と朝礼で何度もいわれている昨今なら、おおかたは無難な行動になるものだ。地元でも職場でも「俺は俺」といえる人はいくらいるのかなぁ。でもそれほど心配することはない。人間たいていのことには慣れるものだ。会社が選んでくれれば自分で選ぶ面倒もないし、そのうちそうやって入れた候補者が当選すれば「勝ったぁ」とうれしくなってくるものらしい。
 近年まで投票日前日あたりには集落の入り口に張り番が立つ地域があった。道の両側に車を止めて速度を落としてやっと通れる状態にして通行するのが誰か見張るところもあった。そういうアホたちの写真を撮ってまわって、何台もの車で追いかけられたことがある。つける薬はないが「発表するときは両目を黒マジックで塗って誰だかわからないようにしてやる」といってやった。田舎の投票率の高さは、閉鎖社会度の高さでなければいいがね。
 少し前の4回前の地方選挙の後、5月1日に初の町議会が開かれ議長選挙が行われた。役場前広場でメーデーの準備をしていると、議会を終えた新議員たちが出てきて、何人かの顔見知りが「今日は何事やっし」という。「夕方からメーデーなので準備だ」というと「今日はメーデーなのか」といって、あゆ茶屋(宴会場)の迎えのマイクロバスに乗っていった。この町では、5月1日がメーデーでこの町でもメーデーをやっていることを知らない人たちが議員をしているんだねぇ。それから何日かして、議長選挙をめぐって金が動いたとして何人もの逮捕議員が出て、何人もの議員が辞職してこの町が有名になった。
 あれから十なん年かして、今年今回は地元県議の県議選をめぐっての不正が明らかになり、逮捕者が出た。町議選で再選された公明党町議も逮捕されて辞職し、同票でくじ引き落選したものが繰り上げ当選となるなど、いろいろありの田舎の選挙だった。今回は当選した自民党県議も逮捕されたが、町議の大半もその逮捕県議の幹部運動員で、そのことには知らん顔して町議選をやった人たちである。報道によれば、町議会選挙後の議会で選ばれた議長は、逮捕県議の選挙対策本部幹事長、副議長は本部長代行だということである。昨年はアメニティコンクールとやらでこの町が最優秀に輝いたというが、それは一部で一面。今回はこの町の別の一面が見えたようです。(
事件を伝える地元紙)

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<長井市の小さな発表スペース「十字路」閉鎖   (03年03月)
 1月末ころの新聞で、22年間続いた長井市の小さな発表スペース、「ギャラリー十字路」が閉鎖されるのを知った。写真の展示があるときなどできるだけのぞいてみる心がけでいたが、長時間労働の職場では時間も体力も思うようにならず、ここ何年かはたまにのぞいてみる程度だった。そして、のぞいたついでにいつも以後の予定表を見るのが楽しみだった。私が借りていたころは、申し込みに行っても一年以上先でないと空きがない状態だったのに、近年は結構迫っているのに空いている週があり、気になっていた。空いてしまった週を企画展で無理して埋めているのも気づいていたが、だからといって私ごとき「貧しいただの人」にはどうすることもできないことだった。なにせ、会費だって遅れがちな状態だったから…。
 「十字路」の会員は展示をする会員(普通会員・会費12.000円)と、支援・応援する会員(賛助会員・会費10.000円)からなっている。普通会員は展示のとき会場借用料が半分になるシステムなので、毎年展示をする人は得といえるが、隔年またはそれ以上間隔の空く人は会員外の方が得といえる。普通会員は約100人いるが、毎年借りる人はそんなに多くはない。私が普通会員となったのは86年度か87年度からで、2000年度まで普通会員でいて、01年度から賛助会員になった。毎年展示に借りるはずもないから会員外の方が得だったろうし、最後に写真展で借りたのはのは96年3月(借用申し込みは93年春)だったから、もっと早く賛助会員になったほうが楽だったが、それをしなかったのは応援の気持ち半分、「いいふりこき」半分というところか。それに運営費用は会費と会場使用料と売上手数料が主になるのですが、民俗写真など売れないから、売上手数料でも貢献できないし、借りるにも遠慮がちに借りていましたね。
 借りたときは民俗写真展というタイトルで、「風流の獅子写真展」「百足獅子舞写真展」「性を祀る写真展」「田の祭りと芸能写真展」「境の神々写真展」などをさせてもらった。ほかに「コンパクトカメラ激写展」「長井線写真展」「歳末チャリティ展」などにも協力した。できれば「念仏芸能写真展」「祈りの風景写真展」と個展を続けたい構想で写真をとっていたのだが、93年にリストラにあい頓挫した。「このごろ写真展やらないね」といわれるたびに、「食うこと以外のことをするにはいい職場に恵まれないとね」というのが口癖になった。
 総会は毎年3月に開かれるが、一度も参加したことがない。会費の5000円が痛いからで、それくらいあればフィルムかビデオテープにまわしたいと考えてしまうのです、そんなわけで、この地域の文化の灯だった十字路の灯が消えるのは残念に思いますが、「貧しいただの人」に支える力はないのが実情です。

                                            
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<長井市で獅子舞シンポジウム(02年11月)
 あれこれ8を書いてしばらくして、交渉が不調で長井市以外の獅子舞が「黒獅子祭り」に参加できなくなったことを知ったが、この欄には書き込まないでしまった。というよりはこの欄をしばらくお休みにして、そのままほったらかしにしてしまった。そして今後もこのままほったらかしておいたら、このページは閉めるしかなくなる、そうした切迫感から、しぶしぶながらまた書いている。
 9月28日土曜日、長井市の生涯学習プラザを会場に国民文化祭のプレイベント「獅子舞シンポジウム」が開かれた。内容は「講演」と「獅子舞と地域のかかわり」がテーマのシンポジウム、それに朝日町・白鷹町・長井市の獅子舞3組の実演であった。 「全国の獅子舞」と題する講演の講師は私。映像を見せながら話をしてほしいという依頼を受けてはいたが、準備会のようなところでの話だと思っていた。本番1週間前にレジメがいるなと思い持っていったら、本番だということがわかった。演題も決まっていたので、私の持っていったレジメの演題「 多様で多彩な獅子舞の世界」は副演題になった。最初パソコンとプロジェクターがうまくつながらないトラブルがあったが間もなくつながって、JPGもMPGもふんだんにお見せすることができた。ビデオやフォトビジョンを使ったときよりは、パソコンの方が自在なので、使い勝手がずっと良かった。ただ時間の制約があるので大急ぎで飛ばし飛ばしとなり、じっくりと見せるわけにはいかないのが残念だった。
 シンポジウムのパネラーは各獅子連の頭や保存会長はじめ、コーディネーターも私も現役で獅子舞にかかわっている人ばかり7人だったので、具体的でわかりやすい内容になったと思う。ただこちらも時間の制約でいい足りない部分があったが、仕方がない。
 実演は、長井市で初めて長井市以外の獅子舞が見られたはじめての催しとなった。はじめに
朝日町杉山の獅子舞、大きな獅子頭を突き出しては引くをくり返して 前後に振る獅子舞で、笛太鼓と振りや足の動きがぴったりと合う。獅子幕を大きく張るために、獅子幕の中に「山」と呼ぶ枠を2本入れるのは置賜地域では見られい型である。「山」を入れる型は朝日町系、笛太鼓は西置賜系、獅子の舞い振りはその土地風ということになる。次いで 白鷹町荒砥の七五三獅子舞、こちらは獅子頭を 上下に振る獅子舞で、笛太鼓の前半の終わりに、獅子頭(獅子連の組織の長)が弓張り提灯をさっと上げて合図をすると、舞手は獅子頭(獅子の頭)を高く上げて大きく歯打ちをする。現地で見ると、舞手と次の舞手以外は獅子幕の中に入らず、幕を垂れ下げた状態でまわりで獅子幕の縁を持っていることが多いが、今回はみな幕の中に入った。獅子の体を作るということの大事さを他所で見せることになって気がついてくれたなら、今回出てきた甲斐があったということだと思う。最後に地元、 長井市久野本の獅子舞。長井市の獅子舞は近年「黒獅子」と呼ばれるが、「蛇頭」(じゃがっしゃ)とか「じゃが」という言いかたが古くからあるように、蛇体をかたどったとされている。したがって動きは右に左にと 横に振るのが基本になる。そして大きな歯打ちの音(パコ・パコではなくバッシ-ン・バッシ-ンという感じ)と、相撲取り姿のケイゴと獅子が渾身の力をふりしぼっての「ケイゴかがり」が見せ場になっている。どの組も人前でやるからにはいいどこ見せたい気持ちでの大熱演で、その結果当然時間も大幅延長となった

あれこれ  その7   (02年4月)
 03年の国民文化祭が山形県で開かれることになっていて、長井市では川柳と民俗芸能の二つを選んだ。民俗芸能のジャンルは獅子舞だという。長井市には一人立ち風流系の獅子が4組と、二人たち系から発展した「むかで獅子」が42組あるが、文化祭で選んだのは「むかで獅子」の方だという。それで昨年の秋頃から長井市以外の獅子をどこから呼んだらいいかという相談をうけていて、自作のビデオやCD・フロッピーなど見てもらっている。
 長井市ではむかで獅子を市内中心部に集めて、「長井黒獅子まつり」というイベントをやっていて、昨年は第13回にもなりすっかり定着したといえそうで、毎年5月の最終土曜日には長井市のあちこちから十数組の獅子舞が集まってくる。だが、いくら長井市が獅子舞が盛んで40組を超える獅子舞があるといっても、大きく見れば一つの系統しかなく、どれもこれも似たようなものばかりなのが泣きどころといえる。そのことにはじめから気づいていたので、いろんな人たちに「全く別系の獅子を招けばより面白くなるし、長井の獅子の特徴がより見えてくる」といってきた。また「長井の人々 おしっさま特集号」にも「別系の獅子舞を招いて、むかで獅子舞の幅の広さを見てもらうことが大事なのではないだろうか。これは毎年一組が望ましいが、無理なら隔年とか四年ごととかでも、ぜひ実現してほしいものだ。」と書かせてもらった。
 今年は国民文化祭のプレイベントというのに後押しされて、ようやく長井市以外の獅子舞が見られそうである。全く別系のということで県外の獅子舞を推したのだったが、金がないということで近隣の獅子になりそうである。候補は西置賜郡小国町白子沢と西村山郡朝日町杉山の2組。白子沢は長井と同系で、その西南の果てにあたる。杉山は近くならと推したが、西置賜と全く別系というわけではない。囃子や振りは白鷹系で幕の中に枠を入れるのは朝日町系というところ。特に囃子は長井と白鷹リズムはだいぶ違っているが、旋律は同系である。とにかく今回のことをを別系の獅子舞にも関心が向く第一歩ととらえたい。


あれこれ  その7   (02年1月末)
 TVなどマスコミの報道を見ていると、大晦日はNHKの紅白歌合戦を見て元日は神社仏閣へ初詣、というのが平均的日本人の年末年始の過ごし方のようだ。そうした日本人から少しはずれて、紅白はちょっとだけ見たり見なかったり、いつものように早く寝て、初詣には出かけたことがないという過ご方をして久しい。これでも若い頃は元日深夜に明治神宮や靖国神社など行ったこともあったが、話のタネに経験をしたというだけで、あんなことを毎年やろうとは思わない。母親は90を過ぎた田舎ものだが「どこにもありがたい神様などない」という。そして「なんといってもありがたいのはお天道さまだ」という言葉には田畑を耕すものの実感がこもっている。だからというわけか、たんなる横着からか、元日は初詣に行かないで、朝は早くに風呂に入り、太陽が出れば手を合わせるだけという正月の過ごし方です。でも××神社や○○大師がン百万人なんていったって、初詣のはしごも多いだろうし、正確な数など疑問だし、いろいろ聞いてみると初詣行かない人の方が以外に多いのかも知れないですね。
 ネットを利用するようになって2年半、一気に都会と田舎の差が縮まったような錯覚を覚えました。ネット喫茶でややマニアックなCDなどの情報をとってネットショッピングし、予想通りのいいのが来たりするとそんな気がしたものです。でも、昨年(01年)夏にパソコンを買って自宅の普通電話につないで使ってみると、都会との差は依然大きいですね。田舎には光ファイバーもCATVもないし、金がなければISDNもできないとなると、速度は遅いし料金は気になるしでは、ネットという膨大なゴミの山から必要な情報を短時間で取るのは至難の技です。それにネットショッピングではCDのようなものでさえ店頭で手にとって見て買うようにはいかないことも感じるようになりました。 昨年も何度か東京を通ったけど、通過したというだけで、高速から下りて街で用を足すということがなくて残念でしたが、今年の正月5日には久しぶりに東京で、民俗音楽CDの買い物をしました。


                                            
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あれこれ  その6   (01年12月末)
 TVのローカルニュースでは、初冬の風物詩として「松の勧進」が取り上げられる。これは、羽黒山の山伏が大晦日の行事「松例祭」の費用を集めるため、法螺貝を吹き鳴らし寄進を乞いながら庄内地方の家々をまわることをいう。遠く離れた庄内地方のことなので、置賜地域には関係のないことと思っている人が多いが、そうでもないらしく、この地域も羽黒修験のカスミに入っているらしい。この地方の人たちが羽黒山に詣でるとき、昔から決まって「○○坊」を利用していたようで、毎年冬にはその坊のものが家々のために特別に祈祷したという「お札」を持って、お金集めに来ていた。近年、事情はよくわからないがその方も来なくなり、地域の代表者が代理でお札を持って歩いている。お山参りのできる年齢になって40年以上になるが、貧しいので一度も坊に泊まったこともなく、安物のオンボロ車で羽黒山にも3回行ったが、皆日帰りでこれからもつながりはないだろう。はるばる来られていたときは、遠いところご苦労様という気持ちで、お金を出していたが、近くの代表者ではありがた味も薄らぐし、不景気風の痛み感の方がきついので、気の毒ではあるが辞退している。
 このあたりでは12月9日の晩、「耳あけ」という各戸ごとの行事をやっている。神棚に大黒様のお札をかかげ、「又大根」とお頭つきの魚を供え、一升マスに炒り豆とおカネを入れてお盆で蓋をし、上下に振ってジャラジャラと音を出しながら、「お大黒様お大黒様、耳をあけておりますからいいこと聞かせておごやえ」と大きな声で唱える。この行事が近くなるとあっちとこっちからお札売りが来る。一つは町内会の回覧板。これは地区の神社に頼まれている南陽市の神職から来るらしい。行政機構からこんなのが来るのも変なのだが、これはいらなければ注文書に記入しないだけのことで、断るのは簡単だ。面倒なのはもう一つの方。これは近くの代表者が、伊勢神宮から来たという各種のお札を持ってまわってくる。回覧板のよりは高いが、近くの人だけに断りにくい。断れば「何か(不幸など)あったか」と聞いてくるからなおさらだ。だが富士山なら5回でも6回でも行きたいと思っているが、伊勢神宮は一度だけで結構なので、「いらない」とだけいってお帰り願う。この家に来た道具や機械や電気製品など、とてもよく働いてくれるが、お札にも何年も働いてもらって行事は無事に終わる。次にはヤハハイロなど正月行事が来るが、これはどこのお寺も社も来ないまったくの民俗行事で、気遣いもいらずとてもいいですね。

あれこれ  その5    (01年11月末)
 今回は「田の祭り」のページをSONYのPictureGearというのを使って作ってみた。なるほど写真を並べるだけだったら簡単のようだった。だがサムネイルはいいとして、リンク先の画像が小さいので大きくなるよう取り替えた。解説をいれたり部品を入れたりは、もう少しいじってからということにして、とりあえすはアルバムだけ。その前11月18日に、今はやりのはがきソフトということで見に行ったらいっぱいあって迷った。結局「○王○○○2」というのが安いし、ホームページも楽にできると書いてあったので買ってみた。はがきの方はちょっと触っただけなのでわからないが、ホームページ作成は解説書の雛形のようにはできるが、自由自在にはできない。相性が悪かったようで、安物買いの銭失い。はがきの方で元が取れるかな、心配です。
 前回11月の更新ではページを10ページにして、欲張って写真もいっぱい使ったら、契約の5MBを超えたらしく画像の出ないページがあって戻すのに苦労した。契約を10MBにしたほうが簡単だったと後で思ったが、欲張らないことにした。いつもは一週間もかけてのんびりと更新作業していたが、今回は11月末から12月初めのテレビがつまらなくて、天気予報以外見る気がしなかったので短期間で終わった。
 一年の締めくくりの撮影が木幡の幡祭りだった頃がある。それが終わるとこれで今年も終わりだなと感じていた。今でも思い出したように数年ごとに行く。写真帖の祭りは今年のではなく、もう時効成立の少し古い写真です。雪国は雪におおわれると祭りは少なくなる。とくに山形は獅子踊りも念仏踊りも春までないし、田植え踊りさえ本来の意味が薄れてきているのでめったにない。小正月にちょっと撮ったら冬眠するかな。




「p-hyara7」の紹介。
 「p-hyara」は、「ピーヒャラ」と読んでもらえればいいです。「ピーヒャラピーヒャラ」とくれば、若い人たちは「チビまる子」を思い浮かべるかも知れませんが、それもいいでしょう。私も「チビまる子」ちゃんは大好きです。似たような発想でしょうが、「p-hyara7」のピーヒャラは、お祭りの横笛を連想してもらえればありがたいです。ここは獅子舞・田植え踊りなどの民俗芸能のホームページのつもりですし、「p-hyara7」もこの地区のお祭りには、法螺ではなく、獅子舞の横笛を長いこと吹いていますから…。「p-hyara7」の「7」にたいした意味はなく、「ウルトラマンセブン」を真似たわけではない。強いていえばこの地区の七五三獅子舞では七本調子の笛を使っているからということで、七本調子の横笛吹きという意味です。
 パソコンは99年6月からいじり始めましたが、これはインターネット喫茶など他人のもの。十年位前に買った「サンワード」なるワープロが丈夫で働いてくれるので、そろそろパソコンと思いながら買えなかった。丈夫でよく働いてくれるのはありがたいが、こわれるまで待てなくなって、ようやく自分のパソコンをやっとこの間(01年7月末)買った。そして電話につないだのが8月27日で、8月30日ホームページ申し込み、9月2日に「p-hyara通信」をサーバーに送る。9月15日全面更新して6ページに、9月30日に8ページに増ページという経過になっている。9/2の写真はTR55とフジックスの8ミリビデオから取った。が、静止画で見るとあまりよくないので、9/15から以後はスキャナを買って、35ミリフィルムから取っている。

カメラ
 
小学校の修学旅行の写真が一番古い写真で、小さい頃の写真は一枚もない。生れながらの貧乏人だから、写真館で写真を撮ってもらうような生活ではなかった。絵が下手だったせいか、社会人になりたての頃からずっと一眼レフカメラにあこがれていた。でもなかなか買えなくて、ようやく買えたのは79年夏で「M社XG-S」だった。それでこの年から民俗芸能や民俗信仰を歩くようになった。本当はずっと前から関心があったが、小心者にはカメラがないと(それも一眼レフでないと)格好がつかないでいたのだった。一眼レフには魔力がある。とても人前になど出られないような小心者でも、一眼レフを下げていれば一番前にでも出るようになる。自戒すべし。 「XG-S]は長いこと働いてくれたが、交換部品がもうないという故障で今はもうなく、99年3月から「A社AZ-50]という一眼レフになった。どちらの一眼レフもその時の一番安いものだったが、カメラに不満はない。今になってみればデジタルカメラも欲しいけど、何時買えるか見通しは全くない。「AZ-50」が壊れたら…になるかも知れない。
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