Movie Review 2011
◇Movie Index

完全なる報復('09アメリカ)-Jan 27.2011
[STORY]
フィラデルフィア。エンジニアのクライド(ジェラルド・バトラー)の家に強盗が押し入り、妻と子を殺されクライドも重症を追った。犯人の2人は逮捕されるが、担当検事のニック(ジェイミー・フォックス)は独断で主犯の男ダービーと司法取引を行い、共犯者エイムスを死刑にする代わりにダービーの罪を軽減してしまう。10年後、死刑執行でエイムスは安楽死させられるはずが、何かの手違いで苦しみながら死んでいった。さらに出所していたダービーがバラバラ死体となって発見される。ニックたちはクライドを逮捕するが、それは彼の復讐劇の始まりだった・・・。
監督F・ゲイリー・グレイ(『交渉人』
−◇−◇−◇−
アメリカの司法取引制度の矛盾点を取り上げたサスペンス。脚本は『ソルト』の脚本を手がけたカート・ウィマー。

よくアメリカのセレブが逮捕されたあと司法取引をして罪を軽減させてもらったっていうニュースを目にしていて、アメリカってこういうヘンなところあるよなぁと常々思っていた。日本でも反省したり全部ブチまけたりすると情状酌量の余地アリってことで罪が多少軽くなったりするけど、この映画のように殺人の実行犯が司法取引をして共犯者のほうが死刑になるようなことはないわけで、司法取引の不備な点を周知させる良い機会になる映画じゃない、と途中までは思っていた。

10年前の実行犯と弁護士、そして判事が標的になったところまでは、スピーディな展開で面白かった。なのにそこから先が杜撰。謎や大掛かりな仕掛けで観客を驚かせようすることに取り組みすぎて、肝心の復讐や司法取引の問題がどっかへ行ってしまった。あんまりリアルなことをやると共感するヤツや模倣するヤツが現れたり、本気で司法取引の危うさが浮き彫りになるといろいろマズイから抑えたのか?なんてことが一瞬頭をよぎったりして。直後に「いや、カート・ウィマーだからそこまで考えてないな」とすぐに撤回したけどね(笑)

映画として見るならそりゃあ派手なほうが面白い。でもそれはストーリーがしっかりしていることが前提だ。クライドが単なる大量殺人者になったらストーリーの根本が覆ってしまう。こんなこと言っちゃ悪いが、クライドもさっさと強引に司法取引を決めた張本人であるニックに狙いを定めりゃよかったのに(おい)ニックの周りにいる、彼の手伝いをしただけの人間がバタバタ死んじゃってニックが全くの無傷だなんて。しかも最後は「これからは家族も大事にしま〜す」と家族愛を持ち出されても。せめてニックが重症を負いつつ、この事件をきっかけに自分の仕事や司法について疑問を持つようなラストなら納得できたのに。仲間の死を踏み台にして自分の地位を確立、さらにクライドの仕掛けをあそこに移動させるニックが一番の悪者じゃねえか。ハッ実はそういう話だったのか?!

うーん、この手の映画にマジになるほうが間違ってるのかも。適度にツッコミを入れつつ楽しむテレビ東京の木曜劇場向け映画なのだろう。
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僕と妻の1778の物語('10日本)-Jan 23.2011ィィ★
[STORY]
SF作家の牧村朔太郎(草なぎ剛)の妻・節子(竹内結子)が大腸がんに冒され、余命1年と宣告される。担当医の松下(大杉漣)から「笑うことで免疫力が上がることもある」とアドバイスされた朔太郎は、節子に笑ってもらうために毎日1編ずつの短編小説を書くことを決意する。
監督・星護(『笑の大学』)
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原作は眉村卓の『妻に捧げた1778話』で、著者が大腸ガンの妻に毎日1編の小説を捧げていたという実話を元に作られた。
関西テレビ製作のドラマ『僕の生きる道』(2003年)『僕と彼女と彼女の生きる道』(2004年)『僕の歩く道』(2006年)の僕シリーズの映画化(といってもタイトルに“僕”がつくだけでストーリーは全て独立したもの)監督、音楽、プロデューサーなどが共通しているが、ドラマ3作の脚本を手がけた橋部敦子は本作の脚本を担当しておらず、半澤律子が手がけた。

私はドラマシリーズを全て見たけど『僕の生きる道』との共通点が一番多いと思った。出演者も主演の草なぎと、大杉漣・小日向文世・浅野和之(ここまでは4作全てに出演)そして『生きる道』で同僚教師を演じていた谷原章介が本作に出演。ドラマはがんの男を支える妻、映画はがんの妻を支える夫。ドラマは主人公が自殺しようと崖の上で両手を広げ、映画は節子が大きな木からパワーを得ようと両手を広げる。わざと対比させるようなシーンが目についた。そのほかにもこの監督独特の演出があり、ドラマでも突飛なシーンがけっこうあったので私は「ああまたか」で済ませてしまったが、この監督をよく知らない人が見たらかなり戸惑うかもしれない。1778日(5年弱)の物語だから2時間以上の時間をかけてじっくり描くのはいいと思うが、患者たちがゾロゾロ集まるシーンなんか入れるくらいなら、あと10分でも短くしたほうがよかったんじゃないだろうか。

不満はそこくらいで、あとはもうことあるごとに泣いていた。前に見てやっぱり感動した『100歳の少年と12通の手紙』にテイストが似ている。明るくて、時々何じゃこりゃ!(笑)だけど可愛いファンタジックなところや、できるだけ湿っぽくならないように描きながら要所要所で泣かせるところも似てる。違いといえば、あちらはフランス映画らしい不親切さがあり、こちらはサービス過剰な日本人らしさがよく出ているってところかな(笑)見比べてみると面白いと思う。

上で、がんの妻を夫が支えると書いたけど、実は妻のほうが1人残される夫を気遣い、夫のためにつらい治療を受け、夫が自分の死を乗り越えられるように5年かけて準備する話なんだよね。朔太郎が「これからせっちゃんのために毎日小説を書く!」と宣言した時の節子の愕然とした表情、そのあと洗い物をしようとしても手が止まってしまう節子を捉えたシーンが忘れられない。あのあと決意したんだろうな。夫が自分のことで後悔しないよう、とことん付き合おうと。『生きる道』でも主人公は最後まで自分の意思を貫き通して逝ったけど、どちらにしろ男のほうが身勝手なんだわ(笑)この監督の演出だとそれがより強調されるからちょっと暴走しているように見えるんだけど、不器用だけど真っ直ぐで、一生懸命な姿が胸を打つ。それはこのシリーズすべての主人公に共通しているが。なんか久々にこのシリーズを連続ドラマで見たくなったわ。
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ソーシャル・ネットワーク('10アメリカ)-Jan 16.2011
[STORY]
2003年。ハーバード大学2年生のマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、恋人に振られた腹いせにブログに彼女の悪口を書き連ね、さらに勢いづいて大学のコンピュータをハッキングして女子学生の写真を集めた人気投票サイトを作ってしまう。サイトはすぐに話題となるが大学に潰され、マークは保護観察処分となる。だが、彼の才能に目をつけた双子のキャメロンとタイラー(両役ともアーミー・ハマー)から、ハーバード専用コミュニティサイトを制作してほしいと依頼される。しかしマークは友人エドゥアルド・サベリン(アンドリュー・ガーフィールド)らとともにソーシャル・ネットワークを立ち上げてしまう。
監督デヴィッド・フィンチャー(『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
−◇−◇−◇−
原案はベン・メズリックが『facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男』を執筆する前の企画書で、製作総指揮はソーキンとケヴィン・スペイシーが携わっている。
ソーシャル・ネットワーキング・サービスサイト「facebook」の成り立ちと、現在facebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグが訴訟を起こされる事件を描いた作品。

実話を元に作られた作品といえば同じくフィンチャーが監督した『ゾディアック』がある。憶測も交えながら描かれた作品で、見終わった後モヤモヤ感が残ったものだが、本作でも同じような感覚を持った。日本では実話を元にした話でも名前を変えたり架空の企業名で映画化するが、アメリカでは実名でも平気なのかねえ(確かに架空の話より実在のほうが面白いんだけど)『ゾディアック』はまだ40年ほど前の話だけど、本作は10年もたってないし、ザッカーバーグも現役バリバリなのに大丈夫なのかと。本人への取材も断られているし、映画の中の彼がやったことや発言がどこまで真実か分からない。

特に印象に残っているのは映画の冒頭、マークが恋人エリカ(ルーニー・マーラ)が会話をするところ。びっくりした。だって会話が全然かみ合ってないというか、悪いけどアスペルガー症候群など発達障害を疑ってしまった。そういう障害を抱えながら成功した人物として描いているのかと思ったくらい。本物のザッカーバーグも社員たちとこの映画を見たらしいが、自分がこのように描写されてどう思ったんだろう(ほぼ正しいならあれですが)それがモヤモヤした原因の1つ。

途中はスピーディな展開と(特に会話の早さが凄い)マークが何故訴えられることになったのか早く知りたくなり引き込まれていった。彼は根っからの開発者で天才だが、集中すると他が見えなくなる。さらに人間的には未熟であり人の気持ちを察することもできない。彼のパーソナリティが原因によるところが大きかったと。さて、これにどう決着をつけるのか。双子のウィンクルボス兄弟のほうはともかく、親友だったサベリンとは決裂するのか?和解するとしたらどんな会話をするのか?やっぱり的外れなことを言って相手を怒らせるのかなぁなんて想像しつつ、いよいよこれからが本番!と前のめりになったところで映画終わっちゃった(笑)しかもたった数行のテロップで決着を説明。映画館じゃなければ「えーーーっ!?」って声を出してたかも。この後のほうが大事だろうがーーー!これが一番モヤモヤしたことだ。ひょっとして、決着部分は取材しても明らかにならず、結果だけしか書けなかったのか?と邪推してみたり。評価の高い映画だし、アカデミー賞候補でもあるけど、私にはちょっと・・・だったわ。

ところで創設メンバーの1人モスコビッツがどっかで見たような顔だなぁ、でもどこだっけなぁと思ってたら『ジュラシック・パーク』で子役だったジョセフ・マゼロだった。そういえば顔はそんなに変わってないね。
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愛する人('09アメリカ=スペイン)-Jan 15.2011イイ★
[STORY]
カレン(アネット・ベニング)は14歳で妊娠してしまい、生まれた赤ん坊はすぐに養子に出されてしまう。37年後、母親を介護しながらカレンは37歳になった実の娘のことが忘れられずにいた。一方、カレンが生んだエリザベス(ナオミ・ワッツ)は弁護士となり成功していたが、ボスのポール(サミュエル・L・ジャクソン)や隣に住む妻がいる男を誘惑しては愉しんでいた。だがある時、妊娠していることが分かり、エリザベスは産むことを決意する。
監督&脚本ロドリゴ・ガルシア(『美しい人』
−◇−◇−◇−
製作総指揮は『美しい人』に引き続き、『バベル』を監督したアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。
エリザベスが妊娠して大きなおなかを見せるシーンは、ナオミ・ワッツが実際に妊娠している時に撮影したものだそうだ。

今までロドリゴ・ガルシアが監督した女性映画は、小説で言うところの短編集や連作短編って感じの作品ばかりだったが(彼の父親があのノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスだからか、オムニバスと言うよりも短編集って感じなのよ映画が。1本でも見た人なら私の気持ちが分かると思うわ(笑))本作でついに長編を撮った。とはいえ、カレン、エリザベス、そしてケリー・ワシントン演じるルーシーの3人のそれぞれを描き、最後に1つに繋がっていくというストーリー。カレンとエリザベスは親子なので繋がるのは分かったけど、ルーシーはどうして?と思いつつ見ていた。最後に繋がったわ(笑)彼女はカレンとエリザベスを繋ぐ重要な役だったわ。

やっぱり彼の映画は好きだ。同じようなパターンの映画ばっかりと言えばそうなんだけど、私はどんどん撮るべきと思ってる。作品を重ねるごとに 洗練されてきてるし。今回は手持ちカメラを使っての即興的な演技を見せるのではなく、1シーン1シーンじっくりと撮られていて、光の使い方なども丁寧で美しい。 特に青空の下でのシーンは印象的で、こだわりが感じられた。

カレンもエリザベスもルーシーも、みんな性格が良いとはいえない女性たちだ。意地悪だったりヒステリックだったり、人のダンナを寝取っちゃったり、周りが見えず1人突っ走っちゃったり、それぞれ欠点がある。私も最初は3人とも全く好感が持てなかった(特にカレンとエリザベスにはね)そんな彼女たちを静かに、欠点も失敗も後悔する姿も何もかも見せつつも、見守るように追っていく。いいところも悪いところもすべてひっくるめてカレンという女性ですよ、って教えてくれてるみたいだった。前作までは突き放したようなところもあったけど、本作では優しさに溢れていたな。その丁寧さと比べると、彼女たちに関わる男性たちはあまり存在感がなくて残念だった。振り回されるか従順かどっちかっていう。次回作ではもう少し男性も描いてほしいな。

ルーシーの母親が、パニックになっている娘に一言ガツン!と言うセリフがすごく良くて思わず泣いてしまった。これは全世界の新米ママが勇気付けられる言葉なんじゃないかな。こんなセリフを書けるロドリゴ・ガルシアって一体何者なんだ?!(笑)
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しあわせの雨傘('10フランス)-Jan 9.2011
[STORY]
1970年代のフランス。スザンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)はポエム作りが趣味の優雅な生活を送る主婦。雨傘工場経営者の夫ロベール(ファブリス・ルキーニ)からは、妻は経営のことなど心配せず、家事もしなくていいし、美しく着飾っていればよいと言われている。そんなある時、工場でストライキが始まり、対応していたロベールが倒れてしまう。そこでスザンヌが工場を運営することになり・・・。
監督&脚本フランソワ・オゾン(『エンジェル』
−◇−◇−◇−
ドヌーヴ主演の1964年のフランス映画『シェルブールの雨傘』へのオマージュのような宣伝だったけど、あんまり感じられなかったな。原題は傘じゃなくて壷(『Potiche』)だし(笑)夫は妻を飾り壷のように扱っていたが、その壷は空ではなく中身があった――というお話。

専業主婦だった主人公が夫の代わりに会社経営を始めたら大成功!夫を捨ててかつての恋人ババン(ジェラール・ドパルデュー)と一緒になってハッピーエンド!という単純に面白い話だと思ったらそこはフランソワ・オゾン。スザンヌは貞淑な妻などではなくむしろビッチでしたよ〜(笑)さすがフランス人。ただ、今のポエムが趣味のスザンヌと昔の彼女が繋がらなくて(いつ枯れたんですか?)これがシリアスな映画なら何だそりゃ!な設定だ。コメディだから話を面白くするためのネタだと思って納得したけど。ただ、面白かったのはここまで。その後の展開はあまり面白くなかった。

ロベールが復帰したことでスザンヌの立場がなくなったため、一発逆転を狙ってある行動を起こし、最後は一応大団円で幕を閉じる。望んだものはすべて手に入れたスザンヌは満足そうだが、見てるこっちはあんまりスカッとしなかったな。夫や娘との関係も結局ナァナァだし、何てヌルい結末だと。まぁこのいい加減さがフランス映画の持ち味だからしょうがない。

というわけでストーリーや登場人物の機微は深く追わず、軽く登場人物たちのファッションや挿入歌を楽しんだほうがいい。カーラーを頭に巻いて真っ赤なダサジャージで闊歩する姿でもゴージャスさを失わないドヌーヴはやっぱり大女優。一時期よりちょっと痩せたのかな。顔が締まって美しさが戻ってきたみたい。秘書を演じたカリン・ヴィアールも地味な格好なのに色っぽくて素敵だった。同じように話はつまらんけど魅力的な女優たちが多く出演した『8人の女たち』が好きな人には本作もいいだろう。あ、女優じゃないけどジェレミー・レニエも赤いニットが似合っててキュートでした(オゾンの中では女優扱いかも(笑))

挿入歌は1970年代フレンチポップスがたっぷり。Sylvie VartanにJohnny Hallyday(おぉ元夫婦だ)、Boney Mの“Sunny”やCatherine Ferry“123”Il Etait Une Foisの“Viens faire un tour sous la pluie”なんてこの映画のために書き下ろした曲みたい。『焼け石に水』で使われたTony Holidayの“Tanze Samba mit mir”もそうだったけど、曲選びが上手い。クエンティン・タランティーノの曲選びセンスと通じるものがあるな。
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