Movie Review 2006
◇Movie Index

ぼくを葬る('05フランス)-Apr 22.2006
[STORY]
31歳のロマン(メルヴィル・プポー)はフォトグラファーとして充実した日々を送っていたが、あるとき不治の病になる。治る見込みが少ない治療は拒み、両親と姉には病気のことは告げず、恋人とも別れる。しかし祖母ローラ(ジャンヌ・モロー)にだけは病気のことを打ち明ける。
死ぬまでに何ができるかを悩んでいたロマンは、カフェで出会った女性ジャニィ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)と彼女の夫からあることを頼まれる。
監督フランソワ・オゾン(『スイミング・プール』
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『まぼろし』に続く“死についての3部作”の第2作。1作目では愛する者の死を、そして本作では自分自身の死について描いている。

余命を宣告された主人公が、残りの人生をどう生きるか――?という映画はたくさんあって、どれもみな分かっていても泣いてしまうんだけど、この映画はちっとも泣けなかった。泣きを誘うような演出を一切していないのだ。例えば、ロマンは病気になってから仕事以外でも写真を撮るシーンがあるんだけど、撮るシーンだけで写真がどんな風に写っていたかを観客には見せない。泣かせようとする映画ならば、感傷的な音楽をバックに彼が撮った写真を見せる演出をしただろう。本作ではそれをせず、彼の目に映ったものは彼だけのもので観客と共有するものではない、と距離を置いている。

距離を置いているのは主人公のロマン自身もそうだった。『死ぬまでにしたい10のこと』という映画があったが、あれもやはり家族には一切病気のことは告げず、自分のやりたいことをやっていく作品だった。設定は似てるんだけど『死ぬまでに〜』のアンは夫も子供もいてなおかつ不倫までして、彼女をかけがえのない存在だと感じている人たちがたくさんいた。だから死ぬことを黙っているのが腹立たしかった。
でもロマンの場合は家族から自立していたし、恋人とも別れたし、子作りはしたけど子の両親はきちんといるし財産も残した。途中で悩み苦しみはするけれど、きちんと自分の人生に決着をつけていく。いらないものはすべて捨て、最後は剃髪してまるで悟りをひらいたお坊さんのようだった。だから彼の場合は黙っていても納得できた。やるならここまで徹底しろってことですかね。
(そんな中、彼の子を宿した女性が子供に病気が遺伝するのではないかと心配するシーンをきっちり入れているところがまたいい。この映画の中で私はそこが一番印象に残っている)

『まぼろし』では愛する者を海で失う。本作でロマンは死に場所に海を選ぶ。穏やかな時は寄せ打つ波を見ているだけで癒されるが、嵐や津波が来ればすべてを飲み込んでしまうほど怖ろしい。海はさまざまな表情を見せる。他の作品でも海が頻繁に出てくる。『海をみる』では美しい海が逆に観客の不安を掻き立て、『ふたりの5つの分かれ路』では恋の始まりを祝福するかのように海の水面に太陽が降り注ぐ。登場人物や状況と海とをぴったり嵌め込むのが上手い。特に『まぼろし』での海と砂浜の使い方は絶妙だった。それと比べてしまうと本作はちょっと安易だったかな。3部作の最後はどんな“死”を描くのか、そしてどういう状況で海が出てくるのか、どんな作品になるのか今から期待している。

余談だけど、ロマンの恋人サシャを演じたクリスチャン・センゲワルトは、金髪で唇がぽってりしててちょっとリュディヴィーヌ・サニエに似ていた(特に『8人の女たち』のボーイッシュな時の彼女に)男でも女でもああいう顔が好みなんだろうか監督は。
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キスキス, バンバン('05アメリカ)-Apr 9.2006
[STORY]
コソ泥のハリー(ロバート・ダウニーJr.)は、ひょんなことから警察から逃れるために隠れた建物で行われていたハリウッド映画のスクリーンテストに合格。探偵役の候補となり、ゲイの私立探偵ペリー(ヴァル・キルマー)から演技のノウハウを学ぶために弟子入りする。そんな時、ハリーの幼なじみで初恋相手だったハーモニー(ミシェル・モナハン)と出会い再び彼女に恋をするが、彼女の妹が自殺しハリーに協力を求めてくる。
監督シェーン・ブラック(『リーサル・ウェポン』等の脚本家で初監督作)
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タイトルの『キスキス, バンバン』とはKiss(キス)つまりロマンスと、Bang(発砲音)つまりアクション、この2つが映画の魅力の基本であり、1966年のイタリア映画ドゥチオ・テッサリ監督の作品からきている。このタイトルは2000年のイギリス映画(『キス★キス★バン★バン』)などにも使われている。

ドラッグで何度となく逮捕されて呆れつつも嫌いになれない(むしろ好きな)ダウニーJr.の久々主演映画ということで見てみました。
ハリーがなぜハリウッドにいるのか?をハリー自身のモノローグで淡々と回想していく。この距離の置き方がなかなか面白かったし、ダウニーJr.は相変わらず上手い。だけど同級生というハーモニーのほうがどう見ても年下なんですけどー(ミシェル・モナハンは1976年生まれでダウニーJr.は1965年生まれだから10歳以上違うぞ)無茶でもこのキャスト以外ありえなかったのかな。見てるうちにだんだん違和感なくなってはきたけれど。

そんなハリーが探偵の役作りのためにゲイの探偵に仕事を教えてもらうことになるのだが、本物の犯罪に巻き込まれてしまう。事件についてはよく考えればおかしいと思うような展開もあるんだけど、観客を驚かせたりハラハラさせたりしなきゃいけないことを思えば許せる範囲内だ。しかしハリーがエライ酷い目に遭うところだけはダメだったな。死体をぞんざいに扱うほうはそれなりに笑えたけど、ハリーが痛がるところは思わず目を背けてしまった。犬が飲んじゃった時には「ああっ!」と声まで出そうになり、映画と分かっていてもああいうのはイヤだ。まだ撃たれたほうがマシだ〜。

それとせっかくゲイの探偵という、いくらでも面白くできそうなキャラクターを登場させているのに、それを活かしきれてなかった。男同士キスシーンはお約束としても、それ以外でゲイらしさは出ず、探偵としての能力も疑問だ(元々推理力を駆使するというよりタフさが勝負の探偵という感じだったが)ハリーとのコンビも息が合う前に映画が終わってしまったし、ハリーとハーモニーの恋もうまくいったのかあれではよく分からないし、事件を解決できただけでよかったと思うしかないのかな。ハリウッド映画の型にはめないような道をたどっていった結果がかえって中途半端な作品になってしまったようだ。
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プロデューサーズ('05アメリカ)-Apr 9.2006
[STORY]
1959年NY、ブロードウェイ。駄作ばかりをプロデュースしているマックス(ネイサン・レイン)のところに会計士のレオ(マシュー・ブロデリック)が帳簿を調べにやってくる。レオは大赤字の帳簿を調べるうちに“舞台が失敗するとプロデューサーが儲かる”ということに気がつく。それを聞いたマックスはレオを巻き込み、わざと初日で打ち切られるような最低のミュージカルの製作に取り掛かる。
監督スーザン・ストローマン(『センターステージ』の振り付けなどを担当)
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1968年にメル・ブルックスが監督した同名映画が2001年にブロードウェイでミュージカルとなり、2005年にミュージカル映画として誕生した珍しい作品。ブルックスは本作で製作・脚本・作詞・作曲を担当。そして監督としてストローマンを指名した。舞台のオリジナルキャストだったレイン、ブロデリックの主演2人と、ゲイリー・ビーチとロジャー・バートが本作にも同じ役で出演している。

私はオリジナルの映画も舞台も見たことなくて、劇場予告とあらすじくらいしか知らずに見たんだけど、かなりお下品てビックリした。予告ではゴージャスなステージシーンばかりだったので『シカゴ』みたいな感じだと思ってたんだけど、全然違って、正直言って最初はドン引きしました(苦笑)それにマックスとレオのやりとりがしつこくてウンザリしたし面白くないし、このままこの調子じゃツライなー失敗したかなーと。だけどマックスのスポンサーである老婆たちが歩行補助器を使って踊るシーンでヒドイと思いながらも口元は緩み、屋上で大の男3人が膝を叩きながら歌うシーンがアホ可愛くてニンマリ。その後、ゲイの演出家たちが出てくるシーンでまた一旦引き気味になったけど、劇中劇の『春の日のヒトラー』で手を叩きたくなるくらいの大爆笑。最低最悪なものを作ったつもりが大ヒット!というのは予想通りとはいえ、中途半端でなく完璧に最低最悪なら逆に素晴らしいものになるのだなぁと、妙なところで感心してしまった。やるなら徹底的にということか。

ダンスは凄くないし、歌も映画が終わった後に耳に残るようなものはなかったが、キャストの芸達者ぶりを楽しむ作品として大いに楽しめた。オリジナルキャストは歌や演技が身体に染み付いてるというのが見ててよく分かった。サーマンは高音部があまり出なくて歌は他の人に比べていまいちだったけど、ダンスはかなり特訓したんだろうな。ターンするところが美しかったし、すごい衣装も堂々と着て下着を見せたりとサービスしまくり。自分女のくせにパンチラに目が釘付け(笑)ただ個人的に一番良かったのは鳩のアドルフでした。
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恋は足手まとい('05フランス)-Mar 19.2006
[STORY]
19世紀末のパリ。歌姫リュセット(エマニュエル・べアール)は社交界の人気者だが、なぜか一文無しのエドワール(シャルル・ベルリング)に夢中。しかしエドワールは、こっそり持参金目当てで伯爵令嬢ヴィヴィアヌ(サラ・フォレスティエ)との結婚を決めていた。そのことをリュセットに告げぬまま別れようとするが、何と令嬢との婚約式で歌う役にリュセットが選ばれていた!何とか誤魔化そうとするエドワールだったが・・・。
監督ミシェル・ドヴィル(『真夜中の恋愛論』)
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フランス映画祭2006出品作品。原作はジョルジュ・フェドーの同名戯曲(1894年初演)で、製作と脚本を監督の妻ロザリンド・ドヴィルが担当している。

設定が『巴里の恋愛協奏曲』に似てると思った。モテモテの女主人公と地味な妹、秘密を隠すためのドタバタ、と。そういえばあちらも1925年に上演されたアンドレ・バルドの戯曲が元だった。年代は違うけど同じ流れを汲んでいるんだろうな。

中盤まではリュセットの家の中でのシーンばかりだし、あまり広くない部屋の中を登場人物たちが行ったり来たりするので窮屈な感じがして、だんだん苛々してきてしまった。家を出た時には思わず深呼吸してしまったほど(笑)けれど今度はだだっ広い庭園でのドタバタで、ここでは広い空間をうまく使えてないような感じもしたり。エドワールが婚約を誤魔化すために焦る様子は身から出た錆なので面白かったけど、お下品ネタは私はあまり笑えなかった(フランス人は好きそう)戯曲が元だと思えばこんなもんか、という感じだけど映画として見るともう少し工夫がほしいところ。結末はひょっとしたら映画オリジナルかもしれないけど(何だかはっきりしない終わり方なので)それは『巴里の〜』みたいに分かりやすくはっきりしているほうが良かったな。
イリグア(スタニスラス・メラール)の部下役のクレマン・シボニーのメガネが可愛かったので、それだけが収穫だ(それだけかよ)

ベアールの音痴っぷりは『8人の女たち』でよく分かっていたので、歌姫役って?!と驚き、ひょっとして吹替にするのかなーと思ってたんだけど、歌うシーンがほとんどなかった。正解だ!(笑)まぁ歌はともかくとして、変わった衣装でもピッタリ着こなし宝飾品を身につけてる姿はやっぱり華があって楽しめた。

ところで、リュセットに赤いバラとカルティエを贈ったのは結局誰だったんだっけ?イリグアだったのかな。でも彼は野の花束に豪華なアクセサリーを巻きつけてプレゼントしてたし、バラとカルティエのほうは否定してなかったっけ?私の勘違いか、見逃しちゃったかな・・・。
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モンテーニュ通りのカフェ('05フランス)-Mar 18.2006
[STORY]
田舎からパリにやってきたジェシカ(セシル・ドゥ・フランス)は、クラシックコンサートと芝居とオークションが同時に行われて大忙しになるカフェで臨時に雇われる。カフェにはテレビドラマで人気だが映画に出演したい女優のカトリーヌ(ヴァレリー・ルメルシエ)や、もっと自由に演奏がしたいピアニストのジャン=フランソワ、人生を美術品収集にかけてきたグランベール(クロード・ブラッスール)など、悩みを抱えた人々が訪れる。そしてそれぞれの本番の日がやってくる・・・。
監督&脚本ダニエル・トンプソン(『シェフと素顔と、おいしい時間』
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フランス映画祭2006出品作品(その時のタイトルは『オーケストラ・シート』)脚本にはダニエルの息子クリストファー・トンプソンも参加し、グランベールの息子役で出演もしている。また、映画監督のシドニー・ポラックもカトリーヌの舞台の演出家役として出演している。一般公開は未定。

運試しのためにパリにやってきたジェシカが、人生の転機が訪れ惑う人々と出会っていくフレンチコメディ。ボーイッシュで爽やかさ人懐っこさで、さまざまな人たちと親しくなっていくジェシカ。日本人がやったら野暮ったいファッションも、彼女が着ると似合っていてとても可愛らしい。が、もう少し明確な意思や希望を持ってパリにやってきてくれたら良かったのにな。何の計画性もないのでフラフラと街をうろつき、閉まっている場所にも平気で入り込んで寝泊りしてしまうところはさすがに呆れてしまった。そこがまたフランス映画らしいといえばらしいんだけど(笑)

ただ悩める人々のアクが強いから、自由人なジェシカとのバランスを考えるとこれくらいでないと、と思ったのかも。特にテレビ女優から脱皮したいカトリーヌは激しい性格でビックリするけど、同時に大騒ぎしている時が一番見てて面白かった。大物プロデューサーに気付いて欲しくて慌てる様子や、舞台の本番での恥も外聞もかなぐり捨てたような演技など、さすがコメディの女王と言われるだけある。自分が監督している時よりものびのびしててやりたい放題に見えました(笑)

カトリーヌ以外の人々もそれぞれ悩みを解決するし、ジェシカにも幸せが訪れるのでホンワカした気分にはなれるんだけど、ホント見てよかった!というような、満足感はそれほど得られなかったな。同じ日にイベントが行われるというシチュエーションのわりにダイナミックさが足りず、コンパクトに纏められてしまったせいもあるのかもしれない。最後にこれらのイベントが1つになるような出来事があるんだと期待をしてしまったからなぁ。

今まで監督した彼女の作品はみな一般公開されているけど、これはちょっと難しいような気がする(と書いたけど、結局女性が好きそうな邦題をつけて公開されました)
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