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Ihatovo TL125 中里の宮越家 2022/6/18
 結論を言ってしまえば中里の宮越家は行くまでは億劫だが、行ってしまえば必ず感動する。先ずパルナスという総合文化センターで1,500円のチケットを買わなければいけない。そして指定された時刻のシャトルバスに乗る。つまり直接行って見れるわけではない。しかも春と秋の二回(各1ヶ月)のみ。これがとても億劫なのだ。つまり、完全予約制だということ。
 まるで団体バスツアーの乗客気分でボランティアガイドの話に耳を傾ける。お姉さま方はその話にいちいち感心したり驚いて見せたりしている。最初はそのことがいちいち鼻につくが、しばらくすると慣れて、ガイドに夢中になってしまう。
  


104km



Ihatovo TL125 金山焼 2022/4/30
 二日連続の奥津軽。F君と金山焼に行く。運よく半額セールの開催中で小皿を二枚買った。金木のぽっぽ屋で腹ごしらえをして今泉から蟹田へ出た。



38km



Ihatovo TL125 ガハハハッ 2022/4/19
 いい弁こが飛び交う弘前城に比べたら芦野公園は心が和む。「おめだば目っこパチクリだはんで桜もいっぺ見えるべさぁ、おらだば目っこほせはんで半分しか見えねじゃ」「すったごとあるもんだがぁ」「ガハハハッ」「ガハハハッ」。



38km



Ihatovo TL125 北北東の岩木山 2021/9/19
 藤崎、板柳、鶴田の三町からそれぞれの岩木山を眺めてみると面白い。藤崎では岩木山を真東から見ることになるので山頂は三つに別れ、弘前からの眺めとさほど変わらない。板柳では東北東から見るので左の肩の部分がまだ残る。北北東の鶴田では肩が無くなり最も円錐形に近い山容になり、八重歯が見え始める。さらに鶴の舞橋まで進むと八重歯がもっと大きくなり、しかも赤倉沢が痛々しい。
 同じ津軽に住み、同じお岩木さんを見て育ったと言っても、方角がほんの少し違うだけでイメージはまったく違う。弘前の人は弘前から見るのが岩木山。だから鶴田の人は円錐形でない岩木山に違和感を持つ。まあいいさ、見比べてみるのが一番。



18km



Ihatovo TL125 田子(たっぴ)沼 2021/4/24
 岩木山と龍飛崎を直線で結んだら、ちょうど真ん中あたりに位置するのが田子沼。たっぴ沼と読める人は少ない。南部の田子(たっこ)の上を行く難読地名。それにしてもなぜ龍飛と同じ読みなのか。



175Km



朝の芦野公園 2021/4/22
 人が出る前にと思い午前八時に着くとちょうど列車がやって来た。桜はモコモコと満開。弘前に負けず劣らずの景色を満喫できた。



38Km



Ihatovo TL125 喜良市の十二本ヤス 2021/4/10
 屏風山・内真部線の金木の少し手前から北に入って東へ5Km。喜良市(きらいち)川林道の脇にある日本一だというヒバの巨木。案内板には樹齢800年、幹周り7m、高さ33mとある。一本の幹が途中から12本に別れているなんとも不思議な姿に思わず合掌した。



38Km


岩のりですか 2021/2/12
 岩木川は十三湖となり、日本海とつながる。湖水戸口突堤の先端付近で滑る足元をもろともせずに漁師が作業をしていた。岩のりですかと聞いてみると、微かにニコッとしてうなずく。美味いんだよなぁ、味噌汁に入れたりしたら。




130km



小泊漁港 2020/7/16
 マリンパークから自転車で港に行く。40年以上も前から通っているが、今や小泊漁港に郷愁を感じることはことはない。高さが21mもある巨大な漁礁の建設中だったり、更に防波堤を高くしようと今日も工事の音が響く。あの頃のしっとりと落ち着いた港の風景はもう戻らない。




2Km



Ihatovo TL125 富士見湖パーク駐車場の有料化 2020/6/28
 「収益金は環境整備の一部として活用する」とあるが、本当に大丈夫なんだろうか。費用対効果を考えると逆ザヤになるのではないか?夏泊大島の駐車場のように訪れる人が少なくなり、結局無料に戻すなんてことになるのでは、と心配になる。
 津軽富士見湖を一周(約8Km)する。南岸はしっとりとした落ち着いた道なのでゆっくりと眺めを楽しめるのがいい。




105Km


津軽富士見湖 2020/1/19
 津軽富士見湖は薄く凍るから、白鳥たちは湖の真ん中に集まって遊ぶ。


41km×2



Ihatovo TL125 金多豆蔵 2019/11/2
 中里いちの有名人は金多(きんた)と豆蔵(まめじょ)。全編津軽弁の人形劇はもう100年も続くという。二人は津軽中里駅で毎月第一土曜日にだけ会えるスーパースターなのである。



180Km



Ihatovo TL125 みちのく松陰道 2019/7/21
 小泊の傾り石(かたがりいし)から片刈石林道を2Kmほど進むと吉田松陰が越えた算用子峠への入り口にたどり着く。標識には峠まで2.2Kmとあり、いきなり階段状の急登が続く。松陰のように北方防備の視察などという大義があるわけではないので、勾配を確認しただけで早々に退散する。



片道2km



Ihatovo TL125 平滝沼の日本海 2019/7/15
 亀ヶ岡から西に3Kmほど進むと平滝沼。なかなか大きく、数年前までは岩木山の眺めがいいことで知られていた。ところが、今はお化け風車が幅を利かせていて、せっかくの眺めが台無しになってしまった。
 沼からさらに西に1Kmほど進み、最後の100mはフカフカの砂に悪戦苦闘すると日本海に会える。



片道53km



Ihatovo TL125 出来島でボーっとする 2019/7/6
 目の前にはたった二本の横線があるだけ。陸と海の境のお知らせと、海と空の境界線。いいんじゃないかなぁ、単純な方が心にしみる。



115km



Ihatovo TL125 唐川城から山を越えて柴崎城へ 2019/6/23
 南部氏に攻められた安東氏は十三湖北岸の福島城から唐川城へ、さらに小泊の柴崎城まで逃げ込み、1443年にはついにエゾに渡った。
 唐川城跡から狭い山道を通って小泊に出てみた。逃避行の際、現在の国道339号線沿いでは目立ち過ぎるだろうから、ひょっとすると通ったかも知れないつらい道。



唐川城跡から18km



Ihatovo TL125 第二津軽大橋はどうなった? 2019/4/21
 五所川原から岩木川に沿って20Kmほど北上すると、建設中のひどく立派な橋に突き当たる。ところが、中里と車力を結ぶ重要な橋のはずなのに、いつまで待っても完成しない。橋そのものはもう何年も前から出来上がっているように感じていたが、なぜ通さないのか。
 この橋の完成を楽しみにかれこれ15年以上も通っているが一向にらちが明かない。この様子じゃ、おそらく今年もダメなんだろうな。



190km



カッチョ 2019/3/3
 厳しい西風にまたひと冬耐えたカッチョたちは、今日の陽ざしを心から楽しんでいた。



4km×2



Ihatovo TL125 鶴泊駅から津軽富士見湖へ 2018/11/3
 あの白い鳥はなんだと思う
「鶴田だし、鶴の舞橋だから、ツル」
いや、たぶんサギだと思う
「サギ?」
鶴と勘違いするからサギなんだ、たぶん
「ほぅ」
サギには後髪があるからわかる
「その髪にオレオレって書いたらオレオレサギ」
 最近のF君の頭はクルクル回る。



7km



Ihatovo TL125 青い十三湖 2018/8/11
 十三湖は最大水深がわずか3mなので、水の色はほとんどいつも茶色。こんなに青い十三湖は久しぶりに見た。北岸の秘密の場所に行くとスカシユリが一輪だけ咲いていて、今日は二度も驚かされた。



120km



Ihatovo TL125 十三の砂山公園 2018/5/27
 十三(じゅうさん)は昔、十三(とさ)と言った。だから十三の砂山公園は「とさ」の砂山公園という。十三湖の河口、正しくは岩木川の河口にある。釣り人が多い北側と違い、南側の十三の砂山公園にはほとんど人がいない。前潟越しの岩木山の眺めを楽しんだり、北の権現崎を拝んだり。まぁ、まるでのんびりしている。



140km



芦野公園 2018/4/30
 新聞の満開情報に誘われてやって来たが、園内はどう見ても五分散り。それでも臨時駐車場になっている金木小学校にある遅咲きの桜にほっとする。後で咲くものは美しい。



38km×2



Ihatovo TL125 竜泊ライン 2018/4/22
 毎年竜泊ラインの冬季閉鎖の解除はわくわくしながら待つ。今年は雪解けが早かったらしく、4/25の予定が五日も早まった。さて、ご挨拶に行ってくるか。



180km


第七回 奥津軽凧揚げ大会 2018/2/4
 半紙って、半分だはんで半紙っていうんだね。
半紙2枚でいぢ枚。
このタゴははぢ枚。
半紙で16枚ってこどや。
 おいおい、そのあだりヘゲだはんで、きぃつけろぉ。




30km×2



五穀豊穣の高山稲荷 2017/9/16
 京都伏見稲荷の千本鳥居は1万本以上あるという。それに対してここは202本。だからといって、少ないなぁ、なんて侮ってはいけない。みちのくの奥の奥でこんな景色を見れるなんて不思議だし、なにより神聖な気分にさせられるのが有難い。稲刈り前のせいだろうか、今日はやけに参拝客が多かった。
 五穀豊穣の神といえばお稲荷さん。たくさんのお稲荷さんの中には玉のようなものをくわえているものもある。あれは団子なんかじゃなくて、稲の霊らしい。お稲荷さん、台風に負けることなく実りの秋を迎えられますよう、どうかお守りください。



180km



Ihatovo TL125 晴れたら竜泊ライン 2017/9/10
 いろんなことがイヤになったり、仕事で疲れてしまったなら北津軽に出掛けよう。でっかいよぉ、日本海も。特に快晴の日なんかは最高。


190km



Ihatovo TL125 桜のトンネルをメロスが走る 2017/4/30
 芦野公園の桜は青森や弘前に比べると少し遅い。小奇麗な服を着てちょっとお洒落をした農家の爺さんや婆さんが楽しそうに笑う。田植え前の一休みだ。ここは北津軽に住む人の心の故郷に違いない。
 芦野公園駅の賑やかさは、太宰橋を渡って溜池の東側まで来るとすっかり消えてなくなり、静かな水辺の小道が続く。正面側の賑やかな笑い声は根拠もなく安心感を与えてくれるが、それに疲れたらこんな音のない道もいい。



180km



竜泊ラインのこと 2016/8/27
 竜泊ラインは国道339号線(弘前−三厩)のうち、小泊から龍飛崎までの19kmの区間のことで、あまりに険しい海岸線のため、かつては人が歩けるような道すらなかったそうです。昭和47年に工事が始まり、通行可能になったのは昭和59年(1984年)。開通当初は一車線の未舗装道でした。
 全線二車線の舗装道路になったのは平成18年(2006年)。今では、まるでジェットコースターのようなダイナミックなコースに憧れて多くのライダー達がやって来るようになりました。
 数年前、眺瞰台付近のヘアピンコーナーで仲間が宙に舞いました。死んだら元も子もないよ。



190km



はい、これが霧の竜泊ラインです 2016/5/28
 ようやく奥津軽です。蟹田からやまなみラインを通って今泉に出て、津軽大橋の脇から北上して十三湖の南岸を紹介しました。まるで北海道のような大きな風景にだいぶ驚いたようです。そして随分前からリクエストがあった和歌山のしじみラーメンで昼食にしました。
 磯松と脇元でカッチョと徐福伝説の話をしました。まるで○○観光のバスガイドになったような気分です。小泊のタケさんの像にも寄り、今度は太宰治ガイドが始まりました。悪い癖で話が止まりません。
 ようやく竜泊ラインに入るが、まだまだ見どころが続きます。ポントマリの大きな砂浜、不思議な青岩、爽やかな七ツ滝。初めて見る人にとってはどれも驚きの連続のようです。



210km



Ihatovo TL125 金木は太宰のまち 2016/4/16
 冬季閉鎖されていた屏風山内真部線が4月1日に、青森五所川原線が15日に解除された。これで東津軽と北津軽を結ぶ二本の山道が通行可能になったわけで、さっそくバイクに乗ってこの時期恒例になった芦野公園散歩に出掛けた。
 梅が咲いていた。試しにスッパい顔をしてみると、なかなか実感がわいてよろしい。桜は去年より少し遅いようだ。四頭の熊に挨拶してから太宰治の銅像を見る。相変わらず神経質そうな顔で、どうしようもないことをまだ思い悩んでいた。
 ご多聞に漏れず20代前半には太宰病にかかった。個人的には「人間失格」の冒頭の食事風景もいいが、「富嶽百景」はもっといい。



83km



Ihatovo TL125 長〜い雨の前に飯詰ダム散歩 2015/10/27
 なんの経済活動もしようとしないバッグを机の左脇に手荒に置いて、先ずは暖かいものに着替える。上着の内ポケットに免許証を入れ、首からぶら下げたコンパクトカメラは胸ポケットに入れる。オートバイの鍵とヘルメット、グローブ、ブーツを持って階段をドドドッと降りる。玄関で軽く身だしなみを整えてから外に出る。この時期は毎回これが最後かな、としみじみしながらゆっくりと走り出す。
 秋の雨はつまらない。せっかく綺麗に秋化粧した葉っぱたちを容赦なく落としてしまうから。明日からずうっと雨らしい。芦野公園で海藻ラーメンを食べた後は飯詰ダムを散歩した。不動橋付近はなかなか綺麗なのだが、どうも既に雲行きが怪しくなってきたようだ。



83km



高山稲荷の千は202だった 2015/8/9
 高山稲荷神社は五穀豊穣、海上安全、商売繁盛の神様として天照大神を祀っている。そして何といっても有名なのが千本鳥居。初めて見る人はその数に度肝を抜かれ、何度か見る人は人々の願いを感じる。
 千本鳥居に辿り着くためには、まず長く急な階段が試練として立ちはだかる。さて、何段あるでしょう?数えた人は少ないように思えるのだが、いるんですねぇ世の中には。「ズックで来て良かった」と言いながら指折り数えたら95段。その勢いで千本鳥居も数え始めたから、余程数えることが好きなんだなと感心させられる。いち、に、さん・・・、結局202本あったらしい。
 「なんで202本なのに千本なのかなぁ?」という質問に、昔は沢山ということを表すのに百とか千という言葉を使っていたからだろうと答えたものの、実際のところは「千本まで頑張るぞお!」なのかも知れない。


126km


いま権現崎です 2015/3/8
 下前漁港の防波堤は相変わらず要塞のように高く、日本海の荒波もなんのそのとそびえ立つ。漁港を過ぎ、さらに数百メートル進んだところにある駐車場に車を停める。権現崎まで1,200mとある。このコースのハードさは5年前に経験済みなので、焦らずゆっくり歩き始めるが、遊歩道の荒れ具合は前回の比ではなく、ほぼ廃道に近い。ガレ場の終点辺りにある左への分岐を見逃したせいで道のない急斜面を稜線まで直登するはめになってしまった。途中でくじけそうになりながらもなんとか歩き続け、膝がガクガクし始めた頃、ようやく尾崎神社に着く。目的地は裏にある展望台だ。

72km×2


Ihatovo TL125 青岩 2014/8/27
 道の駅ポントマリから竜泊ラインの南ゲート間はとても気持ちのいい海沿いの道なので、いつも鼻歌交じりで空と海と風を楽しむ。それがあまりにも気持ちがいいものだから、途中で止まることがなんだか勿体なく思えてしまって、青岩はいつも素通りだった。ところが、驚いたねぇ、青岩はすごい。
 舗装されていない小さな駐車場から海岸へ続く小道があって、浜に出ると青岩まで歩いて行ける。そばまで行ったら、まず右上を見上げてみよう。ホントですか?ぐらの顔の形をした岩に驚かされる。びっくりするが、悪意は感じない。
 ここは海がキレイ。そして岩の青さが驚き。千畳敷の青さとまた違った青で、少し緑がかっているようだ。更に岩の形がまるで三角なのがスゴイ。ピラミッドパワーを分けてもらえそうなのだ。裏に回ると今度は小さいながらも綺麗に湾曲した砂浜まである。まるで秘密基地でも見つけたような嬉しさがあって、プライベートビーチを宣言したくなる。いいなぁ、いいなぁ、久しぶりにいい場所見つけたなぁ。


180km


ヤッテマレ立佞武多 2014/8/7
 市内の混雑がどのくらいのものなのかがまったく想像できなかったので、津軽飯詰駅に車を止めて、津軽鉄道五所川原に向かった。列車に乗り込むと係員がニヤッとした顔でストーブ車両を勧めた。そっ、それは勘弁してください。風鈴が鳴る車両に10分ほど揺られると、どこか懐かしい、昭和そのもののような津軽五所川原駅に着いた。
 ラッセラーでもなく、ヤーヤドーでもなく、ヤッテマレ、ヤッテマレ。これが、なかなかいい。あっさり、さっぱりした気質の北津軽人にぴったりのような気がする。まぁ、それにしても立佞武多というやつはあきれるほど大きい。これこそ本物のじょっぱり。嫌いじゃないなぁ。


34km×2


Ihatovo TL125 津軽富士見湖 2014/4/29
 津軽藩の開拓事業によって生まれたという鶴田町は津軽のヘソを自称する。それもそのはず、岩木山を眺めるには別格の地であり、特に津軽富士見湖からのお山は見事。
 鶴の舞橋を渡って湖の西側をくるっと一回りして満開の桜を満喫した。いや〜、キレイ、キレイ。


41km×2


Ihatovo TL125 脇元の靄山に登って十三を眺める 2013/9/29
 過ぎるほどの想像力の持ち主がいて、彼に言わせると脇元や磯松あたりの風景というのは雪と風と三味線という津軽哀愁三点セットが頭に浮かぶらしい。その想像がカッチョの隙間が奏でるヒューヒューとした音までにおよぶと、肩をすくめてブルっと身を震わす。
 脇元の靄山(もややま)に登った。通常正面参道を直登するらしいが、わずか標高152mの山を更に楽できないものかと裏(東側)に林道を見つけ、標高70m付近から中山コースと呼ばれる道を歩いた。頂上からの展望は予想どおり、目の前の日本海に圧倒される。裏から登るとその現れ方が唐突なので感動もひとしおだ。北を向くと権現崎と下前、南には十三が広がり、その奥には我らの岩木山が構える。いい山だよ、徐福さんも登ったのだろうか。


180km


Ihatovo TL125 外ヶ浜から七里長浜へ 2013/4/7
 冬の眠りから目覚めたばかりの屏風山内真部線(県道2号線)を通って金木に向かう。路面に雪は見当たらず快適だ。
 津軽鉄道の金木駅に寄って、微かに冷えた体を缶コーヒーで温めた。走れメロス号に乗り込んだのは、慣れない化粧で目のまわりを黒くしてしまった高校生とおぼしき女の子ひとり。五所川原にでも行くのだろうか。
 芦野公園で岩のりととろろ昆布が入った海藻ラーメンを食べていると、なんだか急に日本海が見たくなった。のんびりと津軽平野を横断して、高山稲荷のわきから日本海に出る。春だなぁ、少しポカポカしてきたし、昼寝でもしていこうか。


55km×2


Ihatovo TL125 市浦の山王坊日吉(ひえ)神社 2012/10/14
 山王坊遺跡は十三湊安東氏の盛衰と一致する14世紀中頃から15世紀中頃に繁栄を極めた神仏習合を如実に示す貴重な宗教遺跡である」・・・案内板より
 一歩足を踏み入れると日常の混沌とした邪念がすうっと消えていくような、それでいて不思議の世界に入り込んでしまったことに対する後悔のような、ちょっとヘンな感覚に包まれた。
 


190km


Ihatovo TL125 十三湖南岸探索 2012/9/22
 気違いじみた残暑がようやく去った。数日前までと比べると最高気温が10度も低いものだから少し暖かいものを着て家を出る。
 十三湖の南岸は不思議だ。岩木川に沿って未舗装路を走ると、その荒涼とした風景がなんだか北海道のようでもあり、人の姿はなく、水鳥だけが遊んでいた。
 今泉から中の島までの間を2時間もかけてのんびり走った。さて、昼ご飯にしようか。しじみラーメンはあまり好みではないので、先ずしじみ汁で体を温めてから、そのあとで普通のラーメンを食べることにしよう。
 「ようやく涼しくなりましたねえ」
「うん、ようやくだねぇ」
「これから竜飛ですか、天気いいからいいねえ」
「うん、今日はいつもと逆回りだから、これからタッピ」



190km


Ihatovo TL125 中里の不動の滝 2012/6/2
 津軽鉄道の終点、中里駅に寄る。ガヤガヤとやけに人が多い。そうか今日は金多豆蔵の人形芝居があるのか。地元のおばちゃん達が強烈な津軽弁で弾けていた。
 袴腰岳を目指すように中里川に沿って6kmほど走ると大きな駐車場があり、不動の滝はそこから20分ほど遊歩道を歩く。勾配が緩やかなので、のんびりした気分で里山を楽しむことができた。ただ、谷側に柵がないので要注意。
 鎌倉時代に修行の地だったという不動の滝は7mという落差の割にはなかなか立派だ。昔の人はここで何を思い、何に救いを求めたのだろう。


122km


Ihatovo TL125 五所川原の旧家巡り 2010/9/18
 五所川原のことなんてなにひとつわからない。そこで駅の観光案内所で尋ねてみた。
 すみません、五所川原の見所を教えてくれませんか。「この道をまっすぐ行くと立佞武多の館がありますよ」
 その他になにかありますか。「もしお時間がありましたら津軽鉄道に乗って斜陽館に行ってみてはどうでしょう、金木も五所川原市ですから」
 いや、この辺の見所を知りたいんですが。「そうですねぇ、陶芸に興味がおありでしたら金山焼というところがありますよ」
 ・・・。「お車でいらしたんですか?青森に行く途中になりますが、楠美家住宅というものがありますが・・・」
 どうやら駅周辺で思いつくのは立佞武多の館だけらしい。それにしても皮パンツに黒いジャケット、それに黒いブーツを履いてたら普通はバイクだよ。ひっとしたらヘルメットを抱えていても「お車ですか?」と聞いてくれそうなので、なんだかとっても楽しくなった。
 古い建物に得体の知れない美しさと、奈落の底のような安らぎを感じる。それは昔の職人たちの技と、そこで暮らした人々の魂によるもの。旧平山家住宅と楠美家住宅を訪ねた。ひとつひとつをゆっくりとゆっくりと見て歩くと、先人たちの存在を肌で感じる。まったく同じ障子戸が横一列に並んだ部屋を写そうとしたとき、ある一つの障子戸の周りにだけ無数の真円フレアが出現した。レンズを覗き込んでも汚れはないし、光の加減だって他の障子と変わらない。太陽など極端に明るいものを撮ろうとするときに現れるフレアとは明らかに形が違った。怖くはない。


35km×2


恐怖の権現崎 2010/3/14
 50代半ばはちょっと辛い。体は確実に衰え始めているというのに、脳ミソはそれを認めようとしない。その心と体のアンバランスがなんとも辛い。最近、元気ハツラツだった20代や30代の名残に苦しめられている。
 落石のために通行止めになっている下前からのコースを上る。稜線に出るまでの400mは鬼のような階段が続き、勘弁してくれよの連続だった。30分歩いたのか、それとも1時間だったのかははっきりしないが、とにかく尾崎神社に着いたときは本当にほっとした。
 裏の展望所に上ると日本海がドッカーンと目の前に広がる。北には松前、西には小島、南には岩木山と十三湖。おいおい、なんだこりゃ、とんでもないところだなぁ。
 風がビュービューと音を立てて海から上ってくる。いくら大きく足を開いてふんばってみても神風に勝てるはずもない。そうかい、そうかい、これが大陸からやって来た風かい。いつか千の風になったらこんな危なっかしい端っこに立っている自分を海から眺めて見たいものだ。


72km×2


ストーブ列車 2009/12/26
 たしかにここには得体の知れない大きななにかがいる。脈々と受け継がれてきた命の重苦しさなのか。地元で耐える男たちと、都会に奉仕する男たちとの魂のぶつかり合いなのか。
 三味線の生演奏を聴いていたら三曲目で涙が流れた。やはりここは斜陽であって晩年で、人間失格であって津軽なのだ。


津軽五所川原−金木 13km


Ihatovo TL125 勝手にアイヌ語説/袰内(ほろない) 2009/7/5
 龍飛崎に立つと誰もが津軽海峡越しに北海道を眺めて、それぞれの思いにふける。別に天の邪鬼ではないが、そんななか以前から南方の岩がゴツゴツした海岸線が気になっていた。
 観光客が記念写真に余念がない階段国道のちょうど反対側に細くて急な下り坂があり、慎重に下って行くと小泊地区の袰内(ほろない)に着く。建物は数軒しかない。ホロナイという響きはいかにもアイヌ語然としている。ホロはアイヌ語で「大きい」、ナイは「沢」。すると「大きい沢」ということになる。
 道は更に細くなり、袰内川に沿って少し進むとゲートに閉ざされた。そうか、この袰内川の沢を「大きい沢」と言ったのか。


200km


Ihatovo TL125 安東水軍はどうなった 2009/4/5
 近頃の世の中、あまりよろしくない。百年に一度の大不況とやらで、どこへ行っても暗い話しばかりだし、今日なんかは頭の上をミサイルが飛んで行く始末。ちょうどお目当ての岩のりラーメンを食べようとしたときだった。店の人といっしょにテレビに釘付けになる。なにやってんのかな、偉い人達は・・・
 小泊漁港の西はずれにある神明宮の大きな鳥居をくぐり柴崎城址を目指す。南部氏に攻められ、市浦の福島城と唐川城を捨てた安東水軍が背水の陣をしいた場所だという。鳥居から15分ほど歩くと神明宮に到着した。その境内が柴崎城の中心部だという。岩門(がんもん)という看板が気になり小道を少し歩くと、おおっ、これは立派な岩だ。まんなかにどデカイ穴が開き、昔猿が渡っていたという橋も見える。右手の大澗(おおま)展望台に上ると、風待ちに使ったという大澗港を一望することができた。風の強い日にはあの弁天島の陰に隠れていたのだろう。
 謎の多い小泊港付近で二時間ほど遊び帰路に着く。カッチョのある脇元・磯松を通過しながら、ふと「安東氏の祖は男鹿半島の安倍氏ではないか」という話しを思い出す。そういえば男鹿半島の浜間口あたりだったか、確かにここと同じようなカッチョを見かけて驚いた記憶がある。やはり安東氏は男鹿半島から来たのかも知れない。いやいや、待てよ、だとしたら小泊にも「なまはげ」?
 ・・・まっいいか、明日からはまた大不況と闘うことになるので現実に戻ることにしよう。それに民宿柴崎のラーメンは時々食べに来たいので、謎解きは次回に残しておこう。


160km


カモメとカッチョ 2009/1/11
 津軽の北の外れに向う時は、やはり半島のど真ん中を走るのがいい。マイナス5℃の日に地吹で有名な金木を通るのは少し危険を伴うが、北津軽に浸るにはもってこい。金木からはツルツルテカテカの国道339号線に別れを告げて車力に向かった。急な思いつきで明神沼、後潟、前潟を通って十三に出てみたくなったから。ところが怖い怖い、西風に吹き飛ばされそうだ。大木が浜風に吹かれて一斉に東に傾いている様子が恐怖を増幅する。ようやく、ほんとようやく冬道の怖さから解放されたのは中の島に着いた時だった。
 中の島から更に3kmほど北上すると、国道339号線(小泊道)に再び合流した。今回の探検はここから始まる。少しわくわくしながら走りだすとすぐに目的地の一つである磯松への分岐。ブレーキが少し遅れたので、後続車がないことを冷静に確認してからバックして旧道に入った。するとどうだろう、いきなり怒涛のごとく怒っている海が目の前に広がった。あきれるほど冬の日本海そのものだ。これほど凶暴な海だもの、カッチョ(防風雪柵)がないと家が飛ぶ。木と木の間はわざと空けているらしい。風の通り道を作らないと先にカッチョが飛ぶ。
 西風との壮絶な戦いは磯松から更に1kmほど北上した脇元地区が極め。人が住まなくなった家はいとも簡単に風の餌食になる。大昔の人たちはこの悪魔に木造の家とカッチョだけで挑んだわけだから、当時の苦労が伺える。それでも鰊が獲れていたころは耐えられたろう、一家の主はカッチョを上手に補修したろう、家族を生かすために。
 小泊には秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬を求めた徐福伝説がある。正直言って、この西風では不老不死どころではなかったろう。徐福さんも腰にぐっと力を入れて風にまっこう勝負したのだろうか。


170km


Ihatovo TL125 天下分け目の 2008/7/13
 最近は天王山という言葉をあまり耳にしなくなったような気がする。今のように世知辛い世の中では毎日が勝負であって、あらためて誰も天王山を宣言しなくなったのか。天王と天皇の違いはあるが、七里長浜のそばに天皇山という山があることを知り、どうにも一度訪ねてみたくなった。
 鯵ヶ沢町の直前で十三湖へと北上するメロンロードに入る。1.5kmほど進むと小さな標識があり左折。そこから農道を1kmほど進むと稲荷大明神の赤い鳥居が立つ。
 天皇山は木造地区で一番高い山だという。なのに標高はたったの56.7m。赤い鳥居をくぐって登ることほんの数分。息が荒くなる暇もなく頂上に着いてしまった。これは山というよりは丘。高い木に覆われた頂上からはまったく展望がきかず、信仰の山だということを確認しただけで、後はすごすごと退散するしかなかった。
 今回のツーリングのもうひとつの目的は出来島の浜に寄ってみること。35年前に自転車で訪ねたことがあって、そのときの漁師の爺さんがまだ浜に座っているんじゃないかと。爺さんはあの時、「海が枯れてきた」と肩を落としていた。あの頃から地球の異変は始まっていたのかも知れない。


140km


津軽平野の夕陽 2008/5/12
 水星は太陽に近いので、なかなかお目にかかれない。太陽から最も遠い状態でも28度しか離れないため、夕陽の後を追いかけるようにそそくさと沈んでしまう。太陽が沈んだ後、薄暗くなるまでには少し時間がかかるので、万が一見えたとしても、その頃には既に水平線から20度以内のとても低い位置にあるはず。
 天気がよく、夕陽も綺麗、しかも14日が東方最大離角だというので、あわてて油川から五所川原市の飯詰に抜けて馬ノ神山を目指す。中腹の牧場付近まで上り、岩木山や津軽平野が一望できる地点に車を止めた。
 すると、カメラを構えた先客が一人。その方は夕陽を撮りに来たらしい。水星を見に来たと言うと、「この前見ましたよ」と言う。ええっ!ところが、よくよく話を聞くと、水星と彗星を勘違いしたらしい。そりゃそうだ、ガリレオも生涯見ることができなかったという水星だもの・・・今日だってきっと無理なんだろう。


70km


Ihatovo TL125 津軽鉄道の駅舎 2007/10/6
 五所川原中里を結ぶ津軽鉄道は津軽半島のど真ん中を走る、全長20.7kmの私鉄。ちょうど稲刈りの時期なので、いい風景に出会えそうな気がして、12あるという駅舎探検に出かけた。
 稲刈り後のワラ焼きで青白く霞んだ津軽の田園をオレンジ色の車両がトコトコ走る。なんかいい、とってものどか。鉄道ファンの気持ちがわかるような気がした。郷愁というか、哀愁というか、日本人の古里というか・・・
 ただ、この鉄道の駅は殆どが田んぼの中にあるので探すのが大変。道路に標識もなく、ときどき線路さえも見失う。わからなくなると手当たりしだい踏み切りに立って駅を探す。それがいかにも探検って気分でなかなか楽しい。



往復 110km


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