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3年ぶりのねぶた 2022/8/2 | ||
ねぶたほど泣けてくる祭りはない。 |
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浅虫にティラノサウルスあらわる 2022/7/3 | ||
「え〜、次は女子、成体の部、決勝です」 成体がおもしろい この暑いのに、よくやるよ |
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西防波堤 2022/6/8 | ||
晴天に誘われて岸壁に行く。先ず、青森マリーナ付近から歩き始めて、駅前のそば屋で駆けつけの一杯。晴れの日はいい。いつもより足どりも軽く、西防波堤へ。八甲田山がきれいだ。 |
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ぷりんす びーなす 2022/6/3 | ||
久しぶりのクルーズ船。いいだろう、海のない弘前では絶対にお目にかかれない風景だ。 |
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合浦公園のひと家族 2021/12/7 | ||
父親は頑固として眠らない。あたりをきょろきょろして警戒を怠らずに家族を守る。時々あくびは出るのだが、それでもけして眠らない。 |
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宮田の二本の大イチョウ 2021/11/20 | ||
宮田には大きな銀杏の木が二本ある。手前の木はすでに落葉を初めていたが、奥の木はこれからが本番といったところ。わずか100mほどしか離れていなのに違うもんだ。 |
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野木和公園 2021/11/8 | ||
この時期として20度は暖かい。のんびりと野木和公園をめぐる。 |
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ほたる湖 2021/9/20 | ||
観光客とは無縁のほたる湖に行き、コンビニで買ったおにぎりをほおばる。自転車は気持ちがいい。誰に気兼ねすることもなく道端座りこみ、自分だけの時間を楽しむ。さて、駅前の足湯にでも入っていくか。 |
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埋没林広場 2021/5/18 | ||
広大な面積の割にはあまり知られていない埋没林広場。青森市スポーツ公園とわくわく広場に隣接していて、八甲田山の眺めが秀逸である。縄文人が見た景色と同じものを見たくなったらここがいい。 |
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野木和の一番華やかな日 2021/5/9 | ||
ちらほらと見物客もあり、八重もここぞとばかりに咲き誇る。 |
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葉っぱの赤い桜 2021/4/23 | ||
野木和公園にある葉っぱの赤い桜は山桜だろうか。 |
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苔の芽 2021/3/11 | ||
野木和公園の東屋に陣取った苔に芽が出た。春はもうすぐだ。 |
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堤川であみだくじ 2021/1/23 | ||
堤川は青森テレビ付近で駒込川と合流して、青森市のほぼ中央を通って陸奥湾に流れ出る。合流地点から河口までは7本の橋が架かり、甲田橋を出発して松園橋、堤橋、うとう橋、旭橋、青柳(あおやぎ)橋、石森橋とまるであみだくじの要領で歩いてみた。 ゆっくり歩いても30分ほどの行程なのに、普段目にすることがないものを見つけられる楽しい道。そういえば、松園橋付近で7羽の白鳥に会えた。 |
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宮田のイチョウと東岳 2020/11/13 | ||
新青森県総合運動公園の南隣に樹齢800年といわれる大銀杏がある。高さが18mもある立派なもので、ちょうど見頃だった。 東岳の登山道へ向かう道を更に800mほど進むときれいな溜池がある。地元の方にその名前を聞いてみても「ただの溜池」らしいが、ここから眺める東岳はいつ来ても素晴らしい。 |
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陸奥湾の秋空 2020/10/19 | ||
青いキャンバスに白い絵の具をまき散らしたような秋の空。やっぱり地球は青かった、なんてことを思い知る。 |
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聖徳公園 2020/6/14 | ||
青い海公園のタグボートが係留されている辺りが聖徳公園。明治天皇が東北・北海道を巡幸する際にご利用になったことにより、海の日の記念日の発祥の地と言われる。 |
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中学校の桜 2020/4/19 | ||
体育館から音が聞こえない。通る人もまばら。それでも桜は咲いてくれた。 |
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正平津川に沿って細い谷を行く 2020/4/4 | ||
北中野の大銀杏から正平津(しょうへいづ)川に沿って細い谷を行くと、地名どおりの地形を発見できる。相沢は川の合流地点であり、細野は狭い谷なのである。目倉石を過ぎるといよいよ谷は頼りなく、棚田が現れると人が住める土地が終わる。 |
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閏日の青い海 2020/2/29 | ||
この冬は記録的な暖冬に終わり、街に雪は見当たらない。更に新型コロナウイルスの流行のせいで人の姿もまばら。 うるうと言っても昨日と今日はなんら変わりはしないはずなのに、こうして雪もなく人もいない世界に一人ポツンといると、なんだか別の星にでもいるかのような気がしてくる。 |
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ノナイのノ 2019/12/22 | ||
アイヌ語でナイやペッは川のこと。 だから、野内の「ない」は川。 それじゃ、野内の「の」は? どうやら、ヌプ(野原)が訛ったものらしい。 なので、野内はアイヌ語のヌプ・ナイ(野原の川)ということになる。 |
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野木和公園 2019/10/15 | ||
自分の脳みそと付き合いきれなくなったときには、よく野木和公園を歩く。すると、いきなり字が書けなくなるという不思議な夢のことなんかはどこかに吹き飛んでしまった。 |
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浜町緑地 2019/10/13 | ||
史上最大規模という台風19号が去った朝、青森市は雲一つない晴天になった。自転車でベイブリッジを越え、のんびりと浜町埠頭を目指す。埠頭の西側にできた桟橋は東岳を正面にして、なんと立派なこと。どれ、ついでに堤川緑地まで行ってみるか。 |
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15Kmも続く船小屋の道 2019/10/6 | ||
国道280号線の海側に船小屋が並ぶ細い道がある。油川から蓬田の先まで15Kmも続き、日本の原風景を探るにはいい道。ただ、漁師の生活道路なので、自動車は勿論、オートバイでもご迷惑をかけてしまいそう。そこで自転車が一番いいのだが、調子に乗って先に進み過ぎると帰りが大変になる。 |
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セレブリティミレニアム号 2019/9/30 | ||
総トン数9万、乗客2千人に対して乗員が1千人。ターミナル越しに並んだ窓を眺めるとまるでマンションのよう。 |
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駅のそばの海に行って空を見る 2019/9/29 | ||
埠頭公園の少し足長のベンチに座って、長い間空を眺めていた。次々と形を変える雲が連想ゲームのように楽しく、まるで八甲田の樹氷のような雲にくぎ付けになる。 |
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あさの陸奥湾 2019/9/28 | ||
5時30分、東岳の脇に新しい陽が昇った。 |
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青森港 2019/9/22 | ||
街のざわめきは海の中に溶け込んでしまうもの。だから、中央埠頭を過ぎて北防波堤まで来ると、もう風の音しか聞こえない。 |
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ゆく夏 2019/8/7 | ||
消えていく光に目がいくなんて、どうかしている。 |
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60万分の1 2019/8/4 | ||
狭い階段を上って半開きになったドアをゆっくり開けると、窓際に座ったマスターが一人ねぶたを見ていた。なんだか大切な時間に割り入ってしまったような気がして、少し恐縮してしまう。 その静かな喫茶店で軽い食事をとった後、また雑踏に紛れると、不思議なものだ、たまたま横に並んだ人が弘前の知り合いだった。声をかけることを少しためらっていたが、思い切って話しかけて良かった。弾けるような笑顔に元気をもらえたから。 |
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野木和のキレイ 2019/6/12 | ||
本物の綺麗はこんなにも身近にある、ということを忘れずにいたい。 |
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埠頭公園 2019/5/12 | ||
ポーラスターに積めるのは原付まで。 |
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桜三分咲き 2019/4/22 | ||
合浦公園の三分咲きを75-300mmレンズで撮ってみた。柔らかい輪郭は春の有難さを増幅してくれるから楽しい。 |
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ジュウガツザクラ 2019/4/9 | ||
半年ぶりの合浦公園。十月桜が咲いていた。 |
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ニコニコ通り 2019/3/23 | ||
朝からなごり雪が降り続ける日は手持ち無沙汰でよろしくない。冬装備をして街に行き、昭和を探すことにする。青森市内も随分都会っぽくなってしまったが、ニコニコ通りといろは通りには今もあの頃のままの空気があるから。 歩き疲れて麦藁帽子の二階にあるグルッペに寄る。太宰治と外ヶ浜という本を見ていたらなんとなく眠くなった。個人的にはここも昭和の香りがする貴重な喫茶店。やめるなんて言い出さなければいいのだが。 |
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初雪の縄文集落 2018/11/25 | ||
三内丸山遺跡と縄文時遊館は平成31年4月6日から三内丸山遺跡センターとして生まれ変わり、有料になります。 |
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鴨の水掻き 2018/10/22 | ||
久しぶりに合浦公園に寄ると、いつの間にか秋の装い。カモたちが楽しそうに遊んでいる。気持ち良さそうにスイスイと進んでいるように見えても、水の中では一生懸命に足を動かしている。やっぱり見た目ほど楽じゃないんだ、なんだって。 |
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なぬかび 2018/8/7 | ||
芯から冷えるほどの寒い夜。花火が終わるとコオロギが鳴き出した。 |
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ねぶた 2018/8/3 | ||
右足の土踏まずが痛くてしようがない。途中何度も何度も休憩しながらようやく県庁前にたどり着いたが、ズキズキする足では長い間立ってもいられない。 下手な跳ね方を見ていたらだんだんイライラしてきた。そうじゃないだろう、って跳んでみたくなる。だけどこの足じゃなぁ・・・ に組を見たら早めに帰えることにしよう。 |
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ガッポも満開 2018/4/23 | ||
海のそばの公園だから肌寒さはしようがない。 |
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ジュウガツザクラ満開 2018/4/13 | ||
十日ほど前に咲き始めた合浦公園のジュウガツザクラが満開に。 |
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青い海公園 2018/3/11 | ||
前略、確定申告書を書き終えたので、ぶらぶらと街まで歩いて来ました。だいぶ春らしくなったとはいえ、青い海公園などはまだまだ雪の中です。ザラメ状の雪はスボスボと歩き辛いのですが、人っ子ひとりいない公園にいたら、自分がまだ自分でいることを感じることができてほっとしています。 |
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当店のお正月のサービスです 2018/1/1 | ||
穏やかな天気に誘われて青い海公園に行くと、外ヶ浜に虹がかかっていた。気温は5℃、風も弱く寒さは感じない。寝過ぎのせいで頭がボーっとしているためか、新しい年の実感がない。 歩き疲れて入った喫茶店でサービスのおしるこをご馳走になる。昭和30年から40年代の青森市の写真集をペラペラめくりながら、あの頃は良かったなぁ、なんて思ったりしている。 |
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野木和公園のもみじ 2017/10/20 | ||
紅葉はまだ里には降りて来ていない。桜の葉っぱはだいぶ落ちていたけれど、モミジはまだまだこれからといったところ。白鳥が鳴きながら南に飛んで行った。間もなく冬が来る。 |
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可愛いクレープ屋さん発見 2017/10/5 | ||
今年の秋は駆け足でやって来た。岩木山も八甲田山にも初冠雪の便りがあり、朝晩はストーブのお世話になっている。それでも仕事上のアイデアが上手い具合に浮かんでこない時などは、ぷらっと海沿いを散歩して深呼吸などしてみる。 新町通のパサージュ広場で可愛いクレープ屋さんを見つけた。試しにと一つ食べてみると柔らかくて暖かくてすごく美味しい。「お客さん、クリームが顔にいっぱいついていますョ。」と言われ、テッシュペーパーまでいただいた。なかなか女子高生のようには上手く食べれないや。またどこかで見かけたら再挑戦しよう!と密かに思う。 |
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青森市森林博物館 2017/8/19 | ||
森林博物館は旧青森営林局を博物館として整備したもの。特に日本で初めての森林鉄道である津軽森林鉄道の説明には驚かされる。青森−蟹田−今泉−金木−喜良市が本線で、それから伸びる支線は30本ほどもあったという。約100年前には全線運転されていた、まさに幻の鉄道。 さて、今回の目的は「懐かしの木造校舎水彩画展」。県内の小中学校の校舎がほのぼのとしたタッチで描かれてい.る。なぜだろう、どの絵も見事に懐かしい。 |
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青森花火大会 2017/8/7 | ||
ねぶたのような花火。花笠のような、クリムトのような、宇宙のような花火。今年もお蔭さまで素晴らしいものを見ることができた。誰に感謝すればいいのだろう。 |
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ねぶた祭り 2017/8/3 | ||
今じゃ青森もすっかり都会のようになってしまって、そこで暮らす人間もなんだか違う人種のように思えてきた。だから今日も少し嫌になる。 人っ子一人いない青い海公園に行くと、イタリアの大きな客船が煌々と明かりを灯していた。へそ曲がりなんだろうか、タグボートの方が好きだし、月にぶら下がった土星のことの方が気になる。 |
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浅虫温泉花火大会 2017/8/1 | ||
善知鳥崎付近の小高い丘に上って打ち上げを待つ。大きな犬が「ここはオレさまの縄張りだぞ」と言いたげな顔をして何度も何度も目の前を通り過ぎる。そんなヤクザな犬の威嚇や、ヤブ蚊の襲来に耐えながら待つこと1時間半。 浅虫の花火大会は青森ねぶた祭りの前夜祭の一部という位置付け。おかげで帰りの電車は1時間待ちの大混雑だった。どう考えても、素直に車で乗り込んで、有料観覧席でゆっくり眺めた方が利口だと思う。 |
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桜の木になるからサクランボ? 2017/6/20 | ||
野木和公園に行くと必ずと言っていいほどに何か新しいものを発見する。今日のハテナ?は桜の実。桜の木になるからサクランボというのだろうか。 ・・・だろうな、きっと。 世の中のことを知らな過ぎる自分が情けなくなる。 |
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油川ふるさと海岸海水浴場 2017/5/28 | ||
うすうす感づいてはいたけれど、絶景は頭の上にあった。 油川の海水浴場は陸奥湾の空を全部見渡せるからいい。 |
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北畠の殿も見た岩木山 2017/4/28 | ||
浪岡城址の案内所から入ると行岳公園という石柱がある。どうやら古い時代、浪岡は行岳と呼ばれていたらしい。京都出身の北畠氏がここに城を築いたのは550年ほど前のこと。北畠の殿はやけに京都と交流したらしい。ひょっとすると大浦為信さえ現れなかったら、ここが津軽の中心になっていたのかもしれない。 東西1,200m、南北600mの広い敷地内に幅20m、深さ5mの堀をめぐらした平城。ここの桜は背が高く、青空がよく似合う。殿が見たであろう岩木山も見事だった。 |
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雪のストーンサークルと小牧野館 2017/4/1 | ||
雪に埋もれたストーンサークルは中央の立石だけがひょっこりと頭を出しているだろう。そう思い小牧野遺跡に向かった。オートバイを林道に停め、まだ50cmほど残る雪原をウサギの足跡に沿って200mほど歩く。当然のごとくサークルはまだ雪の下だった。雪原の真ん中にブルーシートに包まれた立石が二つ。そうか、そうか、貴重な遺跡を保護するためか。観察施設のオープンが5月1日だというから、そのころにはまた来てみよう。 遺跡から林道を1.5kmほど戻ったところに、旧野沢小学校を改修した小牧野遺跡保護センター(小牧野館)がある。ここは展示物が豊富で見ごたえ十分。またしても土偶にくぎ付けになった。 |
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柳川の青い海公園 2017/3/19 | ||
初日の出を眺めながら感じた予感が本当になった。今年は生活が大きく変わるかもしれないという不安。残念だけどしようがない。世の中家族ほど大切なものはないのだから。 青森駅西口付近にある青い海公園の柳川地区は静かだ。毎年春先、オートバイの試運転はここと決めている。あぁ春だなぁ、なんて思いながら青い空と青い海に感謝する。 |
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初冬の野木和を自分を連れて歩く 2016/11/18 | ||
昨日は久しぶりに自分の気配を感じた。囁く声が聞こえたわけでもなく、ましてや姿が見えたわけでもない。それでも確かに自分が傍にいた。すると、とても穏やかな気分になり、春の陽を浴びたかのように心がポカポカと温かくなった。 税理士先生から来年の手帳を取りに来なさいと連絡が入る。そうですか、もうそんな時期ですか。野木和の秋も紅葉とともに空騒ぎして過ぎて行った。こうして初冬の水辺を付き合いのいい自分と一緒に歩いていると、さて、今日は何を見つけることができるだろう、なんて思ったりする。 |
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運動公園の黄色い葉っぱたち 2016/11/2 | ||
サブフォルダのフォルダ名をすべて変更する必要がある場合、そのフォルダの数が多ければ多いほど手作業で行うということが現実的でなくなる。とある会社の若いシステム担当者は6千個もあるサブフォルダの名前を変更するハメになってしまい途方に暮れていた。 いつもの癖、「VBAでつくってやろうか」 「エクセルでそんなこともできるんですか?」 「できるよ、たぶんだけど」 若者の困り顔にはめっぽう弱いのだ。 運動公園で紅葉を楽しみながら、プログラムのアイデアが固まるのを待つ。とぎれとぎれの日差しにイチョウやポプラたちがザワつき、何かを語りあっていた。さて、そろそろ始めようかな。 |
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ほらほら鬼が通るぞ 2016/8/6 | ||
小さい子にとってはネブタは怖いものなのかも知れない。きっと彼らの目には、睨みを効かせた武者たちが天を覆いつくしているように映っていることだろう。まるでどこか遠い国へ鬼に連れて行かれてしまうような恐怖も感じていることだろう。 おにぎりと唐揚げを食べて、かき氷も買ってもらう。鈴だって買ってもらう。だからネブタ祭りは嬉しい。ところが嬉しいんだけど、すぐ脇を巨大な鬼が通り過ぎる。だから子供にとってはネブタは楽しくて、嬉しくて、怖い祭りなのだ。 子供時代にある程度の恐怖を体験している子は他人に対して優しい大人になれる。その点、自分はダメだ。人に対してまったく優しくないのだ。子供の頃、もっとしっかりと恐がってさえいれば・・・ |
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ラスト六魂祭 2016/6/26 | ||
青森ねぶた祭り、秋田竿燈まつり、仙台七夕まつり、山形花笠まつりまでしか知らない。恥ずかしながらどうしても岩手県と福島県の祭りが思い浮かばない。岩手はチャグチャグ馬コだろうか、福島だと会津若松や猪苗代湖あたりでなにか大きな祭りをやっているんだろうか、それぐらいの認識しかなかった。同じ東北人としては情けない。 母を連れて大混雑する消防署前から柳町通りを目指したが、フコク生命辺りで前に進むことができなくなった。こりゃダメだ。往路をあきらめ復路を見ることにし、新町で家族の想い出が詰まった焼肉店に入り、ゆっくりと夕飯を食べた。 残念、残念。どうやら気合を入れて踊るのは往路だけらしい。復路を見ようとした多くの観客はガッカリしたことだろう。おかげで岩手のさんさ踊りも福島のわらじまつりもほとんど見ることができなかった。 |
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月曜の朝は合浦公園で 2016/5/9 | ||
寒くもなく暑くもない、いい季節になりました。気の短い染井吉野はもうとっくに散ってしまったけれど、遅咲きの桜はまだまだ見頃で、まるで青空に浮かぶ入道雲のようでした。一年中同じ公園に通っていると季節の移り変わりがよくわかります。こうして砂浜のベンチに座って、穏やかな海と空を見ていると生きていることの幸せさえも感じます。 今日の飯代だけを稼げればいいやという生活を初めてから早いもので二十年。特に足りないものはないし、別に今さらこれといって欲しいものも浮かばない。ただこの海沿いの都市公園の空間と、そこに流れる時間が有難く思えるだけです。 |
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野木和湖にも春が来た 2016/4/6 | ||
ほんの二週間前までは数千羽もいたカモたちは、十羽ほどを残して白鳥と一緒にどこかへ行ってしまった。、あの念仏のように聞こえるカモの大合唱が懐かしく感じ、少し喪失感を味わいながら遊歩道を歩いていると新顔の鳥の声が聞こえてきた。フクロウだろうか、やけに低温の鳴き声が公園全体に響き渡る。おや、今度はキツツキだろうか、軽いリズムで春を告げる。鳥の種類など一切わからないのが残念だ。 黄色い花が咲いていた。花や木の名前も一切わからない。それでも花が咲けば嬉しいし、春の風に揺れた木がザワつけばなんだかワクワクもする。むかし油川町の野際沼、今は青森市の野木和湖。ここの散歩は一年中楽しめるので飽きることがない。 |
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青森魚菜センターでのっけ丼 2015/12/31 | ||
のっけ丼は以前から気になってはいたが、一人で行くのはヘンなので、なかなか挑戦できずにいた。そこで、正月休み中の息子を誘い、まるで観光客気分で初挑戦することにした。 先ずは青森魚菜センター内の案内所で1,080円券(100円券×10枚)を買う。次にオレンジ色の旗がある店でご飯を買う。後は各店を巡って好の具材を買ってのせてもらうという手順。そして、マイのっけ丼が完成したら、数ヶ所ある休憩場であれこれ言いながら食べる。 ご飯が入った丼を持って市場内をウロウロする楽しみ。互いの丼を見せ合いながら食べる楽しみ。システムはなかなかいい。ただ、残念なことに100円単位の割には具が少な過ぎるように感じた。帰る途中、息子と話した。「利益のっけ丼」じゃないかって。 |
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貴船神社と浄瑠璃姫の物語 2015/11/22 | ||
貴船神社というと、京都の貴船神社と貴船川を思い出すが、野内の貴船神社も立派に海上安全を願い、その脇を貴船川が流れ、鷲尾橋まで架かる。興味をそそるのは坂上田村麻呂が創建したという説よりも、源義経が蝦夷地に渡る際にここで海上安全を祈願し創建したという説の方。その説を信じると、義経の後を追ってきた浄瑠璃姫がここで病に倒れたという伝説までつながることになる。 昔の人はなんとも情にあふれた物語を作り出すものか。それが代々語り継がれて、いつしか伝説となってしまう。そもそも田村麻呂がすでに伝説だろうし、義経が三厩から北海道に渡ったというのも伝説。すると、浄瑠璃姫の話はただのオマケとなってしまうのだが・・・ |
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北防波堤で空がおもしろい 2015/10/14 | ||
雲にも美人さんとそうでないものとがある。不思議な形をして、輪郭がはっきりしている雲がいい。グラデーションがかかっていたら、なおよろしい。 風さむい北防波堤で空を眺めていると、津軽半島の上に美人さんを見つけた。突然途切れたあの隙間は風の通り道だろうか。下の雲を白くぼかし、遙か奥の天空にはアルプス八千メートル級の双耳峰が純白の雪をたたえる。秋の空は忙しいから、だから最近は空がおもしろい。 |
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2015ねぶた祭り 2015/8/3 | ||
ちょうど一年前に「もうねぶたなんて見に来たくない」なんて思っていたくせに、なんとまた見ている。べつに姪っ子が太鼓を叩くからという理由だけで来たのではなく、やっぱり見たいのだ。 大型ねぶたを九台見たなかでは平将門、張飛、義経の三台が良かった。特に平将門の中央に配置された大きなハチが印象的で、まわりの観光客達からも感嘆の声が上がった。ねぶたそのものは芸術になったように思う。 |
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御鈴滝と石神様 2015/7/4 | ||
入内部落を過ぎると舗装が途切れて林道になり、その砂利道を5kmほど進むと御鈴滝が現れる。高さが15mもあるというその大きさには今回も圧倒された。滝壺まで下りていくと、二人の白装束の女性が滝に打たれていた。近くにはピリカ・カムイ・モシリの標柱がある。アイヌ語で美しい神の国、という意味。市街地からそれほど遠くない場所だというのに、ここには深山の趣がある。 道を更に進むと間もなく石神神社にたどり着く。とても急な階段を上り切ると、いよいよ石神様に会えるのだが、ここは毎回緊張してしまう。威風堂々、まるでにらみつけられるような威圧感のかたまりなのだ。 目を病んでいる人を三人知っていて、その内三番目の人について知ったのは昨夜のこと。眼病に効くという石神様、三人とも早く治りますように、どうかよろしくお願いします。 |
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土偶を作る人になりたい 2015/6/28 | ||
青森県立郷土館で不特定多数に公開するための写真を撮影をする場合には「資料掲載許可申請書」というものに住所と氏名を記入する必要がある。申請書と引き換えに「撮影許可」なる首からぶら下げるプレートが渡されるので、後は誰に遠慮することもない。 考古、自然、歴史、民族、りんご、先人など多くの展示室があって資料はとても豊富だ。個人的には考古展示室が好きで、今日も縄文時代の土偶に会いたくてやってきたのだ。レプリカではあるが八戸の合掌土偶や亀ヶ岡の遮光器土偶、三内丸山の大型板状土偶などを一度に見ることができるのでありがたい。 外の冷たい雨も忘れて遠い過去に思いをはせる。できることなら縄文人になって、土偶を作る人になりたいものだ。 |
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小牧野遺跡のストーンサークル 2015/6/6 | ||
最近まで青森市内に環状列石(ストーンサークル)があることを知る人は少なかったように思う。今年になってようやくトイレなどが整備されたり、旧野沢小学校が立派な展示館としてオープしたりと、にわかに活気づいている。古い小牧野ファンとしてはやけに嬉しい。 ここの石の並べ方は他と比べて少し独特だ。「石垣の積み方に類似する煩雑な並べ方」と評されるように、はっきり言って雑だ。秋田県の大湯ストーンサークルを見たことのある人にとっては、少し違和感があるはず。この一種独特な並べ方を学者たちは小牧野式と呼んでいるらしいが、どうだろう、この雑さはいっそのこと津軽式と言った方がしっくりくるのではないだろうか。これぞ愛すべき津軽人の精神、という気がしてならない。 |
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縄文時遊館さんまるミュージアム 2015/3/23 | ||
風が強かったり、雨や雪の日は縄文時遊館のさんまるミュージアムがいい。大型板状土偶や縄文ポシェット(今回は展示なし)の他、多くの土器などをゆっくり見学することができる。しかも撮影可能なのがうれしい。 縄文服を見つけたら、是非着てみるのがいい。係りの方が親切に写真を撮ってくれるので、いい記念になるはず。見学に疲れたらホールにあるテーブルに腰かけて休めるし、縄文グッズを売るショップや、レストランまでもある。ここは観光客のためだけのものと考えずに、市民がもっともっと自由に利用していい施設だと思う。 |
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鷹森山で遭難ごっこ 2014/12/31 | ||
一年の締めくくりの日、男どもにはこれといった仕事はない。 「暇だし、遭難ごっこに行くか」 「おっ、いいねぇ、どこ?」 「タカモリやま」 岩渡のバス停付近に車を停め、スノーシューを履いて、鶴ケ坂に向かう林道をゆっくり歩き始める。昨夜からの新雪で一面まったく無垢な白。気持ちがいい。テレビ塔が良く見える場所でお湯を沸かし、カップラーメンを食べる。息子は「男に生まれて幸せだなぁ」、なんて思ってくれただろうか。 雪庇の怖さを実演して見せたり、行倒れの再現写真を撮ったり、林の中で道に迷って途方にくれる男を演じさせたりと、なかなか楽しかった。ただ、息子は友達に「オレ、なんで大晦日にこんなことをしているんだろう」ぐらいのメールを写真付きで送っていたそうだ。楽しい。 |
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常田健美術館 2014/11/22 | ||
浪岡の常田健さんの絵をようやく拝見することができた。農民の目で捉えた農民の喜怒哀楽を優しく、それでいてすごく力強いタッチで描いている。土蔵のアトリエで見せてもらった「田の草取り」という絵が特にすごいなぁと思う。「この絵は最後まで筆を入れなおしていたんですよ」と聞いて、ますます感激してしまった。隣町にこんなすごい方がいたなんて・・・ 常田健美術館は常時開館されているわけではないので、ぷらっと寄っただけではなかなかお目にかかれない。事前に開館日をホームページで確認してから出掛けないと。 |
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ねぶた祭り 2014/8/2 | ||
昭和40年の頃、親に連れられて見たねぶたは大人たちの夏のバカ騒ぎに思えた。鬼は恐ろしくおっかなく、体は太鼓の風圧で飛ばされそうだった。 昭和50年の頃、故郷のねぶたを誇りに思った。辛くて長い冬を耐えて生きる北国人の底力に、涙さえ流れた。 時代が変わり、人も変わった。ひょっとすると自分が一番変わってしまったのかも知れないが、今のねぶたにはあの頃のような迫力も、ましてや郷愁など微塵もない。薄暗がりに座っていた六十代後半とおぼしきほろ酔い爺さんが突然跳ね始めた。ホッ、ホッと囃子に合わせて、少し斜めになって跳ぶ。そう、そう、それだよね爺さん。ねぶたってバカ騒ぎなんだけど寂しさがあったよね。もう夏が終わってしまうという寂しさ。残念ながら今のねぶたには郷愁を感じない。もうねぶたを見に行くことをやめようかな。 |
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ねぶた祭り前夜祭 2014/8/1 | ||
青森市民は本当にねぶたが大好きなんだ。動くわけでもなく、太鼓や囃子があるわけでもない。それなのにラッセランドは見物客で大混雑。まるで明日から始まる本番さながらの人出に驚く。もちろん、気の早い観光客も混じってはいるだろうが、それにしてもみんな好きなんだね。 |
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後潟から奥内へ 2014/4/13 | ||
「い〜いバイク乗ってらなぁ」 写真撮ろうと思って、す、すみません。 「いよ、いよ」 あれ、爺さん何やってるんですか? 「これがぁ、こうやってきれいにするんだね」 春にやるんだ? 「うん、貝こ死ねばこら、簡単に取れるべ」 おぉ〜っ。 浜の爺さんと話すのは楽しい。いろんなことを教えてくれるし、なにより気さくでいい。 |
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冬の三内丸山遺跡 2013/1/13 | ||
日本列島に人間が住み始めたのは今から3万年前。陸続きだった大陸から石器を片手に獲物を追いかけて来たという。それに比べれば土器や土偶を作り、さらにはポシェットまで作っていた三内丸山の縄文人たちは現代人とそれほど変わらない精神生活を送っていたのかも知れない。 それにしても今から5000年も前の話、青森のこの雪をどのように克服していたのだろう。当時の気候が現在の仙台ほどだったとはいっても、きっととてつもなく寒かったろうし、なにより食べ物のことが心配だ。 ムラの中央に大型の竪穴住居がある。みんなでそこに集まり、なにか作業をしながら春を待っていたのだろう。「ご先祖さま、ご苦労様です。受け継いだ命はきっと無駄にはしません」。なんて思ってしまうのだった。 |
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冬の野木和湖 2010/1/24 | ||
念願かなってようやく手に入れたスノーシュー。深い雪でもどんどん進む。上りだって下りだってへっちゃらなその走破性に感動する。長靴では絶対に入れないような世界を自由に歩き回れるのだから、まるで野兎にでもなったような気分だ。 でも、雪原を自由に歩けるということは強い自制心も必要だ。好奇心が先に立ってどんどんどんどん奥に入ったら怖いことになる。なにせ相手は冬将軍と雪。なめたら里山でさええらい目に合うはずだから。 そこで、初めてのスノーシュートレッキングは野木和湖の遊歩道を選んだ。いくつかの橋を渡り、何もかもが白く化粧した音のない世界を楽しむ。兎の足跡を見つけては嬉しくなり、あじさいの天然ドライフラワーを見つけては見惚れてしまう。まぁなんて無邪気なんでしょう。 |
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内真部(うちまんぺ) 2009/10/11 | ||
普通に考えると絶対読めない地名が青森市の内真部。幼馴染に話してみたところ、やはり「ないしんぶ」と読んでいたらしい。こう読むのが小学校時代に無理やり漢字を覚えさせられた我々としては普通なのだが、実はutimanpeという。随分昔から気になっていた地名だが、あれこれ探してみてもコレだ!という答えにたどり着けない。そこで、直接地元の方に聞いてみることにした。 青森から松前街道を10kmほど北上した地区なので、原付バイクでトコトコ走ってもあっという間に着く。海沿いを散歩していた地元の爺さんに聞いてみた。すると、バカなことを聞くんじゃねぇ、オレが生まれるずっと前からここはウチマンペなんだ、みたいなことを言われた。そりゃそうだ、まったくだ。 その爺さんはとてもやさしくて、オレは知らないが町会長なら知ってるかもよと言って、わざわざそのお宅まで連れて行ってくれた。そのうえ、訪問のいきさつまで説明してくれたものだから話は早い。町会長さんからは、大昔には内末部とか内魔部と書いた時代もあったようだなど、興味深いことを教えてもらうが、肝心の意味はわからずじまい。町会長の家を出て、バイクを止めた海沿いまで爺さんと一緒に歩いた。もう帰るのかと言う。「いや、もうちょっとブラブラします」と答えると、爺さんはニヤニヤっと笑ってタバコをふかした。 アイヌ語だとは思うが的確な情報がない。ある本によると、シノ・マン・ペッ(ずっと・山奥へ行っている・川)や、リコ・マ・ペッ(高い所に・登っていく・川)という地名があるという。すると「マンペ」が長い川というぐらいの意味合いになる。確かに内真部川は中山山脈の核心部にまで達する細長い川なので、「マンペ」は間違いないだろう。あとは「ウチ」がわかれば・・・ |
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里山トレッキング 2008/1/12 | ||
青森市の南西、下細越バス停付近から山に入る。山とはいっても途中の栄山が標高144mなので、森といった方が正しいのかも知れない。ただ、いくら里山といってもナメてはいけない。夜7時のNHKニュースで「標高144mの栄山に向かったおバカさんが未だ帰ってません」などと紹介されたらカッコ悪いのである。だから、野菜サンドだけど非常食は持ったし、缶コーヒーだって3本も持った。前進できなくなったら、とっとと引き返す勇気も持った。 二股までは丘を3つ越える。夏場にオートバイで何度も走っているコースなので、分岐点は多いものの迷子になる心配はない。20cmほど積もった雪の林道をゆっくりゆっくり進む。なんか楽しい、すごく楽しい。上りになると途端に足が重くなるが、焦らず急がず、景色を楽しみながら進む。結局二股までの5kmを1時間半で歩いてしまったようで、上出来である。ようやくたどり着いた二股はいつものように静寂の中にあった。本音をいうとこの景色が見たくて歩いてきたわけで、もう十分目的は達成されたようなもの。でも、どうしてこうも音がないんだろう。 二股から岩渡までは除雪された一本道。3kmを40分ほどで歩いたので、夏場とそれほど変わらないペースだった。バス停がある岩渡もやはり音がない。計画ではここで体力と相談して、バスで帰るという選択肢も準備していたが、どうやらまだまだ元気。それに、バス停はあるが時刻が書かれていないのでどうしようもない。そこで小休止のあと、当初の計画どおり鶴ヶ坂まで歩くことにした。 岩渡から鶴ヶ坂までは峠らしきものを一つ越えなければならない。運良く上りの区間はきれいに除雪されていたので楽だったが、下りはズボズボと雪の中を進む。鶴ヶ坂が近くなると東北自動車道を走る車の音が聞こえた。人間の気配を感じるってこんなにもホッとするものか。なにせ細越からの12kmを4時間かけて歩いてきたが、人に会っていないのである。 青森から雪山を越えて羽州街道の鶴ヶ坂まで歩いてしまった。昔の人もこんな感じで歩いていたのだろうか。なんだかとっても満足して、下りの電車を待った。 |
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