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あかんかぁ 2022/11/18-19

伏見区と祇園
2022/11/18




 伏見稲荷はいい。なんだろうな、千本鳥居が不思議にいい。新池までで止めておいた方がいいというアドバイスに従って引き返したのもよかった。それほど登りがつらくなかったから、上までいけるんじゃないかとも思ったが、ここからはほぼ山登りになるらしい。

 祇園の花見小路から八坂神社に行く。さすが祇園さんと呼ばれているらしく、しっとりと落ち着く。それにしても京都の神舎はどれも大きい。





 
   
哲学の道と清水寺
2022/11/19




 朝の六時前、哲学の道を銀閣寺入口まで歩く。琵琶湖からの疎水が大変気持ちがいい。帰りには紅葉で有名な永観堂に寄った

 二年坂から三年坂を通って、いよいよ清水寺へ行く。やはり京都といったら清水寺だろうと少し気も競るが、なんのことはないやはり自分には伏見稲荷の方が性にあっているようだ。が、なにせでかい。






 
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あかんかぁ 2022/9/13-14

京都中央口
2022/9/13




 駅に降り立ち先ず始めに感じたことは、女性たちが皆スレンダーでお洒落なこと。次に人通りが多い割には静かなこと。あぁ日本の真ん中にやって来たんだという感慨にふける。


 午後2時頃には仕事の打ち合わせを終え、大政奉還を行った舞台だという二条城を見る。そのあとはせっかくなんだからと駅から遠めの金閣寺と渡月橋に連れて行ってもらった。



 
   
京都駅付近
2022/9/14




 駅にほど近い東寺と三十三間堂を見る。修学旅行で回った時とは似ても似つかぬ心境が気持ちいい。街全体が日本の歴史とまっすぐつながっているかのような、信じられない街だった。




 
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渡島の縄文 2022/7/30

南茅部
2022/7/30



Ihatovo TL125 100Km

 道道83号線に入るまではあれこれ道に迷い大変だったが、いざ通りに入ってしまうと高低差もほとんどなく快適そのものだった。2Kmもある新川汲(しんかっくみ)トンネルを抜けとると内浦湾はいつものように霧。


 茅部(かやべ)の空洞と書いてカックウと名づけられた土偶は大したものだ。ただ、芸術性からいうとシャコちゃんにはかなわない。どうしてこれが国宝でシャコちゃんが東京国立博物館にはあるものの重要文化財どまりなのだろうか。


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富士山入門 2022/5/14

富士河口湖町
2022/5/14



15Km

 無性に富士山が見たくなった。新宿から富士回遊号に乗って河口湖へ行く。駅前で電動自転車を借りてぶらぶらした。


 河口湖大橋を渡って大石公園に行く。残念ながら富士山はご機嫌斜めだったが、それでも時折見せる絶景にはあきれるばかりだった。


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赤れんが郷土館とダルマ 2019/4/12

秋田市
2019/4/12



1.2Km

 レンガ造りの旧秋田銀行本店は明治45年に完成したという。ルネサンス様式の内部も立派で、隅っこに置かれた赤いポストがとても印象的だった。3階にある版画家の勝平得之(かつひらとくし)記念館も見応えがある。紙漉の家業を手伝いながら絵と彫りと摺りをすべて独学でこなしたという人だから凄い。その絵は100年ほど前の秋田の庶民の暮らしを正確に表し、今となっては貴重な歴史資料でもある。なにより、作者の優しい人柄がうかがわれる絵なので、藤田嗣治にも通ずる感銘を覚えた。
 共通入場券というものを購入したので、歩いて5分ほどのところにある、ねぶり流し館と旧金子家住宅も見学した。やはり城下町は深い。



 帰り道、川反町を歩くと星辻神社のだるま祭りというものに遭遇した。たくさんの出店と、参拝客の長い列に驚くも、30分ほど並びなんとかダルマを買うことができた。それにしてもすごい人だ。そうかそうか、ここは外町と言って、古くから庶民の商売地だったからダルマなんだろうな、きっと。




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明治百年通り 2018/10/13

小坂町
2018/10/13



Ihatovo TL125 220km

 休屋のいつもの喫茶店でアップルパイをご馳走になる。発荷峠から小坂町に向かい、小坂鉱山事務所でまたまた昼食までご馳走になった。最近のF君はまったくスミにおけなくて、気が付くと二人分の支払いを済ませてしまっている。友達ってなんだか優しいからありがたい。
 定番の康楽館や天使館、旧小坂駅、小坂製鉄所なども紹介する。彼は初めて見る小坂町に興味津々だった。なっ、家族で一日のんびりと楽しめる町だろ。






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十和田湖から田沢湖へ 2018/8/12

田沢湖
2018/8/12



Ihatovo TL125 370km

 今回は田沢湖弾丸ツーリング。八甲田山を越えて緑の奥入瀬渓流を通り、まずは十和田湖へ。発荷峠から大湯環状列石を通って花輪の道の駅(かずのあんとらあ)で天ぷらそばを食べる。後は国道341号線で八幡平の西側をひたすら南下。途中の宝仙湖と秋扇湖(どちらもダム湖)は相変わらずのとびっきり色だった。
 田沢湖は北岸の御座石がお気に入りだ。やっぱりすごいなぁ、ここの水の色は何度見ても感動する。これこそ田沢湖ブルーだ。東北地方の湖を大きさ順で並べ.ると猪苗代湖、小川原湖、十和田湖、田沢湖、十三湖。これで今年は五湖ぜんぶ見れたことになる。いいなぁ、夏は湖巡りが楽しい。






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てっぺん欠けたか? 2018/7/14-16

吾妻小富士・秋元湖
2018/7/14



Ihatovo TL125 520km

 青森ICから福島西ICまでは425km。さらに磐梯吾妻スカイラインで浄土平までは30km。登りづらい階段に文句を言いながらやっとの思いで吾妻小富士の頂上に立つ。なるほど、富士山の噴火口にそっくり。次は磐梯吾妻レークラインで秋元湖だ。







塔のへつり・大内宿
2018/7/15



Ihatovo TL125 160km

 野口英世の生家を見てから猪苗代湖の東岸を通って塔のへつりへ。「へつり」は会津地方の方言で、川に迫った厳しい断崖のことをいうらしい。幾重にも重なった地層の中の柔らかい部分が浸食と風化によって人が歩けるほどにえぐられてしまった奇景。
 へつりから10kmほど北上した大内宿は会津西街道の宿場町。江戸時代の茅葺屋根の民家が30軒以上も並ぶ景色は壮観だ。名物のねぎをはしの代わりに食べる「ねぎそば」がおもしろい。F君もH君も唇がヒリヒリすると言って笑っていた。




 福島が梅雨明けした。気温は36℃。会津若松城(鶴ヶ城)を見物していたころは水が欲しくて、少しめまいを感じていた。これゃダメだ。さすがのH君も喜多方ラーメンはあきらめた。さあ、山に避難しようぜ。
 磐梯山ゴールドラインで標高800mの五色沼に着くとまるで別世界のように快適。そうか裏磐梯は避暑地だったのか。ところで、今日の宿は安心していいよ。本物の国民宿舎だから・・・








桧原湖・蔵王
2018/7/16



Ihatovo TL125 520km

 朝4時、ホトトギスが鳴いた。ただ、テッペンカケタカと鳴く鳥を二人は知らない。4時半、ウグイスがホーホケキョと鳴く。明治21年に大爆発した宝の山は北側が崩壊した。てっぺん欠けたか?、ほう法華経、なのである。

 桧原湖から急坂、急カーブが続く西吾妻スカイバレーを通って山形に出る。蔵王の御釜で今回のツーリングの見所は終了。さあ、村田ICからはまた退屈な高速道路だ。安全運転でのんびり行こうぜ。





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北海道博物館 2018/2/25-27

札幌
2018/2/25-27




 新札幌で下車してタクシーに乗った。

「観光ですか」
いいえ、ちょっとアイヌのことについて興味があって。



 驚いた。12万年前、本州からナウマンゾウが北海道までやって来た。数万年前にはサハリンからマンモスもやって来た。そうか、先住民は彼らだったか。
 さらに驚いた。シャコちゃんの妹のような土偶がいた。マンガのような空飛ぶ怪獣もいたし、中空土偶までいた。ポーズをとる土偶、お茶目な土偶。北海道の縄文も楽しかったに違いない。そうなるとアイヌは最後の先住民ということになる。






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サッポロひとり飯 2017/12/13-15

札幌
2017/12/13-15




 前日入りした目的は「さっぽろホワイトイルミネーション」をゆっくり見物したかったから。まずは定番のテレビ塔からの眺めを楽しむ。まぁ、なんて華やかな街だろう。大倉山のジャンプ台も透けるように見えていた。
 札幌の道は青森仕様の冬靴では歯が立たない。それでもあんまり綺麗なものだから片道2kmほどもある大通公園を往復したり、ズルズル滑りながら赤レンガ造りの道庁あたりまでも行ってみた。



 夕飯は大通公園とススキノの間にある狸小路と決めていた。全長1kmほどもある大きなアーケード街をぶらついて、そろそろ歩き疲れたころに見つけたのが海老味噌ラーメンの看板。だけど、あ〜ぁ、今回も高倉健さんみたいにラーメン屋に入ってビールを頼むってことができなかった。





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すすきのは眠らない 2017/11/22-23

札幌
2017/11/22-23




 春先から消息不明だった知人から8ヶ月振りに連絡が入った。22日の正午に新千歳に来てくれないかという。ムムム、なんだか怪しい。だけどちょっと面白そうでもある。そんないきさつで今夜はススキノのとあるバーの隅っこに座って、とびっきりの美人さん相手に蔦沼の写真などを見せてお国自慢をしている。まぁ、なんてことだろう、この街の解放感ときたらまるで底抜けだ。北海道は独立してもやっていけるだろうと思ってしまう。




 23日の午後2時には打ち合わせを終えて、ひとり大通公園あたりをぶらつく。じゃがバター屋さんはもうやっていない。そういえば去年はFくんと一緒に食べたし、その前の年もフーフー言いながら食べていた。自分にとっては札幌といえばトウモロコシよりじゃがバター。また来ようかな・・・



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じぇじぇじぇの小袖海岸 2017/06/17

久慈
2017/6/17



Ihatovo TL125 360km

 合言葉は「九時に久慈」。だから八戸のナビタ家に到着したのは朝の9時。おいしいアップルパイとコーヒーをご馳走になり一息つく。まったく彼は幸せを絵に描いたような生活を送っている。玄関に飾られた娘さん作の日本画に惹かれた。後世に残したい一枚だと思う。「並んで、並んでぇ」という奥様に写真を撮ってもらって、さあ出発。
 侍浜が見たかった。40年振りかも知れない。偶然見つけた横沼展望台に寄ると、そこはまさに三陸リアス式海岸。高いところに対しての恐怖心というものが欠如している彼はこれでもかと身を乗り出す。おぉっおぉぉ、無理無理、頼むからやめてくれ。




 久慈市内から小袖海岸までの海岸線には巨大な三角岩がゴロゴロと並び、その荒々しさに圧倒される。兜岩、つりがね洞、どれもこれもが立派。カモメが先導するように頭の上を飛ぶ。大丈夫だよ、今回は二度目だし、そもそも一本道なんだから。
 野田までの道はすごく狭く、暗く湿った感じは10年前と変わらない。あまちゃん目当てなら久慈側からのピストンにした方がいいだろう。





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元町めぐりと五稜郭の満開桜 2017/05/03-04

元町・十字街・松風町
2017/5/3



18km

 坂が多い街だから自転車での散歩には向いていないような気もしたが、ただ何となく函館。海辺で洒落た写真でも撮ってあげようと連れてきた自転車だが、なんだこの金森の混みようは。新幹線効果がまだ続いているのだろうか。人混みは疲れるので得意ではない。そそくさとベイエリアを抜けて基坂をエイコラ押し上げ、元町にたどり着く。




 旧函館公会堂、八幡坂、ハリスト正教会、チャチャ登り。坂の街でも一旦元町まで上がってしまうと怖くはない。あとは下らない限り平和なのだ。護国神社まで来てまだ下りたくないと思った。そうだ函館公園に行こう、じゃぁついでだ立待岬。そのついでが失敗だった。立待岬の上りをあまくみていた。やっとのことで岬に立つと啄木のことなんかもうどうでもよくなり、ひし伊に直行。おいしいコーヒーのお陰でようやくほっとできた。



 お気に入りの店で元気を取り戻した後は市電ウォッチングに作戦を変更する。十字街から松風町辺りにかけて、まるで追っかけのような気分で色とりどりの電車を見る。市電は幸せを運ぶ乗り物。函館は住んでみたいと思わせるいい街だ。






五稜郭
2017/5/4



8km

 8時の開店に15分遅れただけだというのに、五稜郭タワーの展望台チケット売り場はもう長蛇の列だった。みんな満開の桜を上から見てみようという魂胆らしい。五角形の城なんてここだけだもの、20分や30分ならなんてことはない、そんな顔をしている。




 黒船が来て箱館が開かれた。五稜郭は蝦夷地の防衛拠点として徳川幕府が造ったもの。アメリカの要求に屈した幕府に対して倒幕運動が起こり、大政奉還によって政府が発足する。面白くないのは旧幕府軍。戊辰戦争で榎本武揚や土方歳三という名前が登場し、箱館戦争へと続く。明治元年の話だというので、わずか150年前のことらしい。



 五稜郭の桜の見事さには言葉を失う。桜を見下ろしながら一周できるなんて今までにない経験だ。1,600本もの桜は大正時代になって植えられたらしい。晴天に満開の桜。北海道まで追いかけて来た甲斐があるというもの。さて、後は函館美術館で時間をつぶしてからフェリーふ頭に戻ることにしよう。





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ポンコツおやじの石狩・積丹二人旅 2016/09/17-19

洞爺湖・支笏湖・札幌・石狩
2016/9/17



Ihatovo TL125 300km

 今日はどんなことがあっても大通公園でじゃがバターを食べるぞぉ!
「オレは大沼公園とドーヤコと有珠山が見たい」
ドーヤコじゃなくて、洞爺湖(とうやこ)だろ。古い人だなぁ。
 幼馴染のFくんと洞爺湖、有珠山、昭和新山、支笏湖を巡って札幌に着いたのは午後3時。エヘヘ、ちょうどおやつの時間だ。さぁ、じゃがバター、じゃがバター。




 大雪山系から蛇行を繰り返し日本海に注ぐ石狩川はとにかく大きい。流域面積は全国二位、長さは268kmで三位だという。今回なぜ石狩に泊まることにしたのだろう。何もないことは知っていた。石狩挽歌なんて歌でとびっきり寂しいことも知っていた。だから、きっと石狩で黄昏てみたいという憧れがあったのかもしれない。








小樽・余市・積丹・八雲
2016/9/18



Ihatovo TL125 300km

 今日はどんなことがあってもカムイに会うぞぉ!
「ところで、今日はヤグモまで行くんだよね」
ヤグモじゃなくて、八雲(やくも)。なんで濁点付けるわけぇ。
 寂しい寂しい朝の石狩で宇宙人に飛んでもらった。完璧だ!お見事。まったく黄昏なんて無縁のオヤジである。しかも、六十肩だって言っていたくせに普通に上がっているじゃないか。さて、「喜びも悲しみも幾年月」の石狩灯台を見てから出発しよう。




 いくら積丹半島に急いでいるからといっても、小樽や余市を素通りするわけにはいかない。小樽の境町でFくんの買い物が終わるのをボーっと待ったり、余市のニッカウヰスキー工場では「マッサン、竹鶴」と騒ぐ彼をなだめたり。お〜い、遅くなってしまうぞ。



 カムイに会うには神威岬の駐車場から遊歩道を20分ほど歩く必要がある。交差も大変なほどの狭い道なのだが、誰もが文句も言わずに黙々と歩く。みんなカムイに会いたいのだ。完璧なシャコタンブルーにはほど遠かったが、前回の小雨模様に比べたら大違いだ。さらに運よく年に一度の神威岬灯台の開放日だったために、灯台に登ることもできた。満足、満足。でも、またいつか来ますよ。それまで待っていてください。







大沼公園・函館山
2016/9/19



Ihatovo TL125 90km

 ここの湾は内浦湾と噴火湾という二つの呼び名があるけれど、地元ではどっちで呼んでいるんですか?と八雲の民宿のおばさんに聞いてみた。すると、内浦湾だという。円形の湾だから誰かが勝手に噴火湾と呼び始めたのかも知れない。
 朝日を見ようと外に出てみると、三日目でようやく羊蹄山が姿を現した。洞爺湖でもニセコでも顔を出してくれなかったので、今回は諦めていた。やっぱり、早起きは三文の徳というのは本当らしい。




 「函館山に上りたい」というFくんのリクエストに答えるために大沼公園の散歩は諦めた。それにしても駒ヶ岳はいつ見ても綺麗な山だ。次は真冬に来ようかなと思う。
 9時に函館山ロープウェー乗り場に着く。オイオイ、始発は10時だってよ。12時のフェリーに間に合うのか?







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米代川のヘアピン 2016/07/09

能代市二ツ井
2016/7/9



115km×2

 秋田、岩手、青森の三県の境界付近で生まれた米代(よねしろ)川は出羽山地と白神山地の境目を通って日本海を目指す。その昔は鉱物や秋田杉を能代港まで運ぶ重要な川の道だったらしい。地図をながめていると二ツ井の辺りで大きく蛇行していることに気がついた。ちょうど道の駅ふたついと、きみまち阪公園があるところだ。川は前方に障害物があると大きく蛇行して、それでも初心貫徹、海を目指す。いったい何が原因で、まるでヘアピンコーナーのようになってしまったのだろう。あとどれぐらい経ったら三日月湖になるのだろうか。そもそも三日月湖になりうる原因で蛇行したのだろうか。興味は尽きない。




 明治天皇がその美しさに感動してつけた名前がきみまち阪。第三広場手前の一本松から眺める米代川はまさに絶景だった。見事なヘアピンである。肝心な蛇行の原因はというと、目の前に鎮座する七座山(ななくらやま)だった。標高200m程の山が七峰連なっている。これではさすがの一級河川も歯が立たないわけだ。それでも山は崩れていくのが宿命なので、あと5億年ぐらい経ったら見事な三日月湖が見れるのかも知れない。



 明治天皇記念碑があるところから「みゆきばし」に行くと、また絶景。ヘアピンが視界に入り切らないほどに広がっているのだ。きみ恋カフェで聞いたところによると、桜と紅葉時期はすばらしいとのこと。きみまち阪公園、気に入ってしまった。





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神田川と両国橋と中滝の滝めぐり 2015/09/16

鹿角市
2015/9/16



82km×2

 十和田湖を眺める展望台といえば発荷峠が最も有名なはず。展望台からの眺めは間違いなく美しく、十和田湖の代名詞と言ってもいいような素晴らしい景色が広がる。ところがこの発荷峠、はっきりさせておかなければいけないことがひとつある。それは発荷峠は秋田県のものだということ。青森県に住む人は十和田湖は自分たちのものだと思っているきらいがある。十和田湖が自分たちのものなら、発荷峠だって当然自分たちのもの、と信じて疑わない。そんな勘違をいしている人は案外多いのだ。
 青森市から八甲田山を越えてきた国道103号線は休屋を過ぎたところで秋田県に突入する。正確には休屋の神田川が秋田県との県境となる。神田川には両国橋が架かる。神田と両国?あれれ?できすぎでは・・・
 国土地理院の1/25000を見ると上流に神田という集落があるので、神田の川で神田川。これはなにも不思議ではない話で文句のつけようがない。問題は両国橋の方。どうしても東京のイメージがあって「りょうごく」と読んでしまうが、もし「りょうこく」と読むとすれば面白いことになる。秋田と青森の「りょうこく」の橋。すると、神田と両国にはまったく関連性がないことになり、誰かが勝手にシャレでつけたんじゃないかという憶測がなりたたなくなってしまう。どうだろう、この「りょうこく」という与太話し。案外いい線いっているかも知れない。




 さて、今日の本題。その発荷峠を越えて鹿角市に向けて5kmほど外輪山を下ると中滝地区。もちろん秋田県である。ここにはたくさんの滝が点在し、奥入瀬渓流の雲井の滝や銚子大滝では満足しきれないという者にとっては驚きの世界なのである。先ずは止滝を見よう。エビを最後に食べるのと同じように、最初に大好物を食べてしまっては残った小物は立つ瀬がなくなるのである。いわゆる、止滝はこれから始まる驚きの入口と考えれば良い。
 次は銚子の滝がいい。十分大きいのでその迫力に圧倒されてもらいましょう。ついでに菅江真澄の行動範囲の広さにも驚かされる。



 次は湯の又の滝がいい。なんといっても開放感があっていいし、吹き降ろしの風も気持ちがいい。滝という字はなぜサンズイに竜なのか。君は竜は昇るものと見るか、降るものと見るか・・・。
 最後は幽玄という言葉が似合う錦見の滝。木漏れ日も射さないような薄暗い林の中で、複雑な岩の配置をものともせずに、物理の法則にだけ忠実に従って伝う水。人間では到底作り出せない自然の美がある。やはり大好物は最後にとっておくのが正解のようだ。









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大湯ストーンサークルの謎 2015/05/09

鹿角市
2015/5/9



100km×2

 中学のとき、担任からとんでもない宿題が出された。1年365日、毎日同じ地点から見た日の出と日の入りの位置を図にして提出しなさい、というもの。担任は話しを続けた。「ちなみに私の長い教員生活を振り返ってみても、今までこの宿題を誰一人として完成させた生徒はいない。」と、やけに自分が考え出した無責任この上ない宿題を誇らしげに持ち上げたのだった。




 秋田県鹿角市の大湯には国内最大級の環状列石(ストーンサークル)がある。環状列石そのものは学者が言うように墓だったのだろう。日時計状組石もその名の通り日時計だったのだろう。なにせ4000年も前の話なわけで、学者でさえ憶測の域を出ない。
 それより興味をそそることが、なぜ円なのかということ。なかには四角いものもあるが、概ね円形であることが面白い。宇宙は円でできている。人間も宇宙の一部なのだから、古代人とて円を知っていて当然か。



 中学時代のあの無責任な宿題は担任に負けたくない思いで一週間ほど続けた。もし、あのとき1年間続けていたのなら、人間が円を好む理由をもっと早い時期につかめていたのかも知れない。





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がんばれ秋田 2015/01/28

秋田市
2015/1/28



190km×2

 大昔、たしか昭和50年代の初めの頃、青森駅から秋田駅まで自転車で走ったことがある。記憶はもう断片的でカスミのようになったが、あの頃と比べると秋田駅前も大きく変わってしまった。新幹線開業に合わせて大急ぎで駅前を再開発したのだろう、まるで都会だ。やけに大きな建物が目立ち、アーケード街だってとても立派だ。だけどね、なんだか薄ら寂しいのはなぜだろう。
 1年半程前に、藤田嗣治の「秋田の行事」が新秋田県立美術館に移設されたというので会いに行く。今まで何度か見に来た。一日中見ていても飽きないほどの、とにかく巨大な絵だ。千秋公園内の平野政吉美術館から僅か200mを移動するための費用が9千万円。あんなに威風堂々とした美術館を捨てて、こんな味気のない今どきの美術館の、しかも横幅20mの絵にとっては狭すぎる展示室に押し込められて。あぁ、なんてことだ、居心地悪そうじゃないか。絵が泣いてるよ。それに平野政吉美術館の二階にあった世界の巨匠たちの絵はどこへ行った。あの中にお気に入りが二枚もあったんだぞ。



 時代は変わるものだから、ある程度は我慢しなければいけないが、それにしても
先人が残した生きた証をこれほどまでにあっさりと捨ててしまっていいものか。わざわざ新幹線に乗ってやって来る観光客達に都会の真似をした町を見せたって誰も喜びはしない。秋田に来る人は秋田らしさを求めて来るんだし、青森らしさに触れたくて青森に行く。町づくりの責任者は勘違いしないでほしいと思う。数十年後には人口は半減するんでしょ、そのときこの箱ものはどうするんですか?







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男鹿やきそば 2014/09/14

入道崎・五里合
2014/9/14



Ihatovo TL125 400km

 昔々、男鹿島があったとさ。能代の米代川が運んだ砂が長〜い砂州になって男鹿島まで届いたとさ。一方、秋田の雄物川も負けじと北に砂州を伸ばして男鹿島まで届いたとさ。それで陸続きになった男鹿半島の真ん中に大っきな八郎潟ができたとさ。
  八竜ICで秋田自動車道を降りて、三種(みたね)町から国道101号線に入る。実はこの道、以前からかなり気に入っている。砂州の上に作った古い浜街道なので狭く曲がりくねった道で、いわゆる走りやすくはないのだが、それがなんともいえない味。別名「男鹿街道」はやはりいい。



 入道崎で水島を眺めた後にしょっつる焼きそばを食べる。色は塩焼きそば風で、味はう〜うん、なんとも微妙だ。



 帰路、五里合(いりあい)の海水浴場に寄る。目の前を遮るものが一切なく、砂州であることを実感できるスケールの大きい浜だ。日本海を独り占めにするにはここが一番。
 さて急ぐことはない、101号線で青森まで帰ろうか。







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オロロンで宗谷岬 2012/07/15-16

増毛・サロベツ・稚内
2012/07/15



Ihatovo TL125 640km (余市−稚内410km)

 住んでる街が嫌いになったわけではなく、ましてや日常からの逃避などという青臭い屁理屈なんかであろう筈もなく、ただ単純にまだ見ぬ街への憧れ。今回は北海道海岸線ぐるっと一周の二回目。余市でガソリンを補給して、一路日本のてっぺんを目指す。小樽、銭箱、石狩を通って、いよいよ日本海オロロンラインの北上を開始した。
 雄冬はわずか四半世紀前までは陸の孤島と呼ばれていた。暑寒別岳がズドンと日本海に落ち込むため断崖絶壁が続き、船でしか行くことができない集落だったという。展望台に上り、高倉健さんを思った。
 「駅・STATION」を見てからというもの、長いあいだ増毛という町に憧れることになった。映画で見た冬の寂し過ぎるたたずまいと、はかない夏の潔さがどうしても頭から離れない。個人的には江差にも似た憧れであって、終着駅がある町という感傷だけではない得体の知れない憧れである。
駅前には風待食堂があり、富田屋旅館もあった。明治、大正、昭和初期の建物が多く、道北で一番古い歴史をもつという町は今も静かに時を刻んでいた。



 留萌を過ぎると天売島や焼尻島より先に100kmも離れた利尻島が見えてきた。苫前羽幌遠別とまるで気持ちがいい。天塩を過ぎるといよいよサロベツ原野。道はどこまでも一直線に続き、地平線の一点に消える。遥々来た者だけが味わえるこれぞ北海道といった爽快感がたまらない。ここを走るバイク乗りはみんな旅人の顔をしていた。



 長い長い直線が終わると半日間ずうっと付き合ったきた利尻富士とも少しずつ離れ始めた。日本最北端の無人駅という抜海(ばっかい)駅に寄る。別に鉄道ファンではないが、原野にポツンと建つ駅舎にはなんか物語を感じてしまう。



 ノシャップ岬で夕陽を見た。氷雪の門も見た。北防波堤ドームも見た。稚内は日本のてっぺんに位置し、人口は3万7千人。ところがなんだろう、想像していたよりはずうっと大きい街であって、寂しさなんて微塵も感じなかった。










宗谷岬・クッチャロ湖
2012/07/16



Ihatovo TL125 730km (稚内−浜頓別90km)

 民宿を7時に出て、いよいよ日本最北端の地を目指す。心なしか少々興奮しているようだ。スロットルを握る右手の力を意識的に抜いて大きく息をする。空の色が変わった。海の色も変わり、海の匂いまで変わった。7時49分、ついに宗谷岬に立つ。残念ながらサハリンを見ることはできなかったが、始めて見るオホーツク海に言葉を失った。空の青も、海の青も氷のように透き通っているんだ。



 ここからは甘い匂いがするオホーツク海に沿って南下。浜猿払からエサヌカ線に入った。牧草地を貫いて直線道路が地平線まで続くライダー憧れの道だ。写真を撮っていると、バイクに乗った旅人達が次から次へと地平線に消えていく。



 ベニヤ原生花園に寄る。なにか北海道は青だけではなく緑色も違っているように思えた。見るものすべてが綺麗なのだ。さて、いよいよ浜頓別。今回はここで海とはお別れ。クッチャロ湖に寄って抜けるような空を眺めながら少し長い休憩を楽しんだ。
 さて、音威子府(おといねっぷ)で駅そばでも食べていこうかな・・・








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なんて綺麗な町だ 2010/08/28

気仙沼
2010/08/28



660km

 朝8時、気仙沼着く。底抜けに明るい。出向準備岸壁に車を停め、積んできた自転車を降ろして港散歩を始める。海の道を通って魚市場に向かうと朝の空気が気持ちいい。それにしてもやたら大っきい港だ。魚市場の2階には国内最大級という全長354mもの見学デッキがあって、市場の活気を直接肌で感じることができる。メカジキやカツオ、マグロなどが所狭しと寝っ転がっていて、その間をフォークリフトがまるでロボットのようにテキパキと動きまわっていた。生命維持に欠かせない産業に身を置く男たちのなんと逞しいことか。それに引き換え三次産業でヘラヘラしている自分は一体なんだろう。
 10時55分発のフェリーで大島に向かう。リアス式海岸の真っただ中をゆっくりとしたスピードで進む30分間の船旅はなんだかとても気持ちがいい。上陸すると亀山リフトの乗り場はすぐ目の前。絶景展望を求めて亀山の頂上に立つ。ところが、ムムム、残念、霧で何も見えなかった。



 気仙沼に戻って再び自転車で移動する。海の市、海の道、港ふれあい公園、魚町屋号通りを通って浮御堂(うきみどう)に向かう。先客は地元の仲良し三人組。海を渡ってくる爽やかな風に吹かれながら釣りの話に華が咲いているようだ。この港はいいや、の〜んびりできるから。日本酒の男山本店でじいさんに土産を買った。



 ぶらぶらしているうちに時刻は午後の2時。気仙沼のシンボル安波山(あんばさん)239mに登る。15分ほどの登山で、NHKの天気予報でよく見慣れた風景が目の前に広がった。すごいすごい、なんて綺麗な町なんだ。また来よう!
 細い細い県道26号線を通って唐桑半島の巨釜・半造に向かう。巨釜の駐車場に車を停めて少し歩くと目当ての折石がドーンと姿を現した。おぉ、まさに陸中海岸のカムイ。高さ16m、幅3mの大理石の石柱。すごい!また来よう。

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複雑な海岸線に沿って 2009/09/20-22

平泉・仙台
2009/09/20



Ihatovo TL125 380km

 家を朝8時に出て、今回はいきなり高速道路に乗る。夕方の6時までに仙台駅東口に着けばいいので慌てることはない。走り始めはバイクのご機嫌を伺うためにのんびりと流し、しばらくしてから時速100キロほどで巡航する。天気も上々だし、朝の風が気持ちいい。途中、花輪SAと紫波SAではそれぞれ30分ほどものんびりと休む。休憩時間が長いのが自分のスタイル。今日もいい調子だ。
 平泉の中尊寺に着いたのはちょうど昼どき。月見坂を上る前に、まずはずんだ餅とザルそばのセットで腹ごしらえをする。弁慶堂や本堂を見て、いざ金色堂へ。それにしても藤原清衡は「争いのない仏国土」を造ることを目指したというが、この金箔は庶民に多くの負担を掛けたのではないだろうか。遠い過去のことながら少し心配になる。




 毛越寺は今回が始めて。お香の匂いが優しくて気持ちがいい。浄土庭園はまさにお見事。特に砂州と入江を表したという洲浜あたりはまるで京都のどこかにいるような感覚だ。都からこんなにも遠い陸奥の国にこれほどの庭園を造ったとなると、藤原家はやはり本気だったようだ。



 連休のせいなのか仙台のビジネスホテルはどこも「満室ですよォ」。20軒ぐらい電話しただろうか、半ば諦めかけていたころに、ようやく予約できたのは多賀城の民宿。まるで仏様のように感じた。宿にバイクと荷物を置き、仙石線で仙台に向う。約束の6時には3分ほど遅刻してしまったが、幼なじみはニコニコしながら迎えてくれた。 

松島・牡鹿半島・女川
2009/09/21



Ihatovo TL125 310km

前略 幼なじみ様
 夕べはいっぱいご馳走になり、懐かしい話しに華も咲き、とても楽しいひと時でした。君の生活も順調のようだし、なによりです。
 今朝は早朝の塩竃神社に参拝して、その規模の大きさに驚きました。まるで日光東照宮を見ているようだ。




 松島へ向う通りは朝の8時半だというのに大渋滞でしたよ。バイクはヒョイヒョイと車をかわして行けるからいいものの、家族サービスのお父さん達は朝から半分あきらめ顔です。松島はいつ来ても混んでるんだね。
 松島の展望には四大観というのがあるらしく、今回はそのうちのひとつ、宮戸島の大高森に登りました。15分ほどのきついきつい登りの後にはすごい感動が待っていた。よく観光パンフレットにあるやつです。登りの苦労が吹っ飛んでしまうくらいの絶景でした。
 石巻の工業地帯を走り、漁港で一休み。釣り人と話したんですが、なんだかデカイ町です。そこから少し走ると万石浦。ここ綺麗なところだね。津軽島というのがあって、とりあえず記念撮影をしました。三陸には意外と津軽なんとかという地名があって、不思議な感じです。



 牡鹿半島のコバルトラインではちょっと走りを楽しみました。だけど道のうねりがひどいから注意しないと。御番所公園から眺める金華山はとっても綺麗でした。昨夜もらったチョコレートが効きましたよ。
 鮎川港に下りて、県道2号線と41号線で女川に出ましたが、リアス式海岸を満喫できるなかなかイイ感じの通りでした。山の上を走るよりやっぱり海沿いの方が気持ちがいいや。



 女川はイイ感じの町です。なんとなく落ち着いていて、いつかまた来てみようなんて思っています。国道398号線のリアスブルーライン(女川街道)もなかなか良かった。複雑な海岸線に沿ってくねくねと走っていると突然小さな港町が見えたりして、とってもリアスです。
 チョコレートといっしょにもらった塩キャラメルを右のポケットに五六個入れておき、止まるたびに食べていました。これもなかなか効きましたよ、脳みそが元気になるような気がして。



 雄勝を過ぎると北上川の河口がドーンと目の前に現れました。でかいでかい。リアス式海岸を見続けて来たので、なんだか大きな湾を見ているような感じでした。そうそう、次の町の志津川でラーメンを食べました。たしか、さくら家とかいうラーメン屋さんでしたが、お勧め。とっても旨かった。
 ところでこの辺りから時間が気になりだしまして。いつもの癖で一箇所での滞在時間が長過ぎるものだから、気がついたらもう午後の3時半。今日の宿は気仙沼の先の、陸前高田の先の、大船渡の先の吉浜ってところで、あと90kmも先なんです。日が暮れるまでには2時間しかありません。そこで泣く泣く唐桑半島や黒崎仙峡、碁石海岸などといった三陸海岸の名だたる景勝地をすべてパスして、渋滞でごったがえす国道45号線を激走するハメになってしまいました。また来よう、次は気仙沼から始めればいいや、なんて考えながら頑張って走りました。
 



釜石・大槌・宮古
2009/09/22



Ihatovo TL125 410km

前略 幼なじみ様

 吉浜の民宿はとっても良かったですよ。料理は勿論、建物も綺麗だったし、なによりおかみさんが言うように「なにもないところ」というのが気に入りました。朝、宿泊客に見送られながら二日目の三陸海岸に向けトコトコと走り出しました。今日は昨日のような失敗はしないよう、時間を決めて行動しようと思います。
 まずは釜石大観音。ちょっと商売っ気があり過ぎるような気がしましたが、見晴らしはなかなか良かったですよ。




 次は「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島があるという大槌。漁港の外れまで行ったら、ありましたよ、まさにそのまんま。ハカセやドン・ガバチョやトラヒゲなどが走り回っていた島です。地元の方は「ゆっくり見ていってください」と自慢げでした。長い桟橋があって、念願の上陸も果たしましたよ。赤い灯台の横に座って海を眺めていたら、なんだか子供の頃を思い出してしまいました。
 時間の関係もあって、後ろ髪を引かれる思いで吉里吉里を素通りし、山田湾へ。大きく穏やかな湾で、カキの養殖いかだとオランダ島がとても印象的でした。



 さて、いよいよ宮古。2年前、北部陸中海岸を南下して宮古まで来たときに上りたかった月山に向った。津軽石から県道41号線に入って海沿いの細い道を進む。標識があるので迷うことはなかったけれど、なんと頂上まであと4kmという地点からは林道でした。トレールバイクなら楽しい4kmだけど、ロードじゃちょっと辛い。バイクを傾け過ぎないように、タイヤのグリップを探りながら慎重に走る。
 苦労した甲斐があって、455mの山頂から眺める景色は最高でした。二日間の三陸三昧を締めくくるにはもってこいです。まぁ、なんて贅沢なんでしょう、って感じ。浄土ヶ浜も丸見えでしたよ。



 名残惜しいけど、海とはここでお別れ。慎重に林道を下って宮古に出て、国道106号線に入る。盛岡からはまた東北自動車道で楽して帰って来ました。
 まぁ、それにしてもリアス式海岸はいくら時間があっても足りないくらい見所いっぱいで、いいところですね。お陰さまで今回は楽しいツーリングが出来ました。奥様にもよろしくお伝えください。それではまたいつか会える日まで・・・
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みんなカムイに会いに来た 2009/08/14-16

松前・江差・せたな
2009/08/14



Ihatovo TL125 260km (260km)

 ナッチャンWorldから飛び出して、3年ぶりの北海道を走りだした。天気は上々、気分爽快、不安材料は見当たらない。今回は日本海側をひたすら北上して余市まで行こうと思う。まずは国道228号線を津軽海峡に沿って西に向かう。車の後をトコトコと走っていると、海峡からの潮風がやけに気持ちいい。いくつもの船揚場や漁港の眺めを楽しみながらのんびりと走る。
 海峡の向こうに陸地が見える。あれが津軽半島か、するとあの辺りが龍飛崎だろうか。おうおう、権現崎まで丸見えだ。北海道最南端の白神岬に立つとなんだか不思議な感覚を覚える。ホームグラウンドのように走り回っている津軽半島がまるで異郷の地に見えたから。しかも、えぇ〜っ、ここは下北半島の大間崎より南じゃないか。
 白神岬という名前も不思議この上ない。青森県の白神山地もシラカミ。海峡を挟んで同じ地名があるとなると、これはもうアイヌ語を疑うしかない。
 日本最北の城下町、松前町に着いたのはちょうど昼頃。城下町を再現したという「城下通り」が少し華やか過ぎて、なんだか拍子抜けする。もう少し落ち着いた町だろうと思っていたから。




 さて次の町の江差町は松前から70kmほども先にある。途中これといった見所もなく、ただひたすら走る。ところが、この「なにもない」というのもなかなかいい。海を見ながらマイペースで走れるのでとても気持ちがいい。北海道の大さを実感する。
 上ノ国を過ぎ、江差が見えてくるととてもワクワクした。高校時代から漠然とした憧れを抱いていた町だから。その江差がどんどん近づいてくる。大げさに言うと、夢にまで見た江差が目の前に迫る。なんだろう、胸がドキドキしてきた。
 かもめ島がある。港がある。港から緩やかな坂を上ると町がある。北前船とニシン漁。今が静か過ぎるから、遠い過去のざわめきが聞こえる。信じられないことだけど、得体の知れない憧れは本物だった。



 道南の日本海側は断崖絶壁と奇岩のオンパレードだ。タヌキ岩にマンモス岩。その中でもせたな町の親子熊岩は特にみごと。親に甘える小熊の仕草が見事に表現されている。これにはどんな芸術作品だってかなわない。
 更にせたな町のシンボル、三本杉岩にもびっくり仰天。高さ30mの大岩がニョキニョキと三本も並んでいた。いったい誰のいたずらだろうか。



積丹半島・余市・小樽
2009/08/15



Ihatovo TL125 240km (240km)

 「よくないですねぇ」。民宿で朝食をとりながらテレビの天気予報を見ていると、斜め向かいに座った札幌の旦那さんが気の毒そうに言った。「そうですねぇ、コースを変えようかと思っています」。「ザンネンねぇ」、セルフサービスのお茶を入れてくれた奥様が更に気の毒そうな顔をした。
 寿都(すっつ)までは狩場山が直接日本海に落ち込んだような厳しい地形が続いた。低く重い雲の中、時々小雨のシャワーを浴びながら走っていて思った。なにも快晴の積丹だけが積丹じゃない。本当はこんな厳しい土地なんだろうから、すべてを受け入れよう、と。
 岩内の道の駅で積丹の天気が今日明日ともに曇りだということを再確認すると、ようやく心が決まった。国道5号線を使って余市に逃げ込むこともできたが、あえて曇り空の積丹を楽しもう。もう迷うことはない。裏ニセコが笑っていた。
 泊村の鰊御殿に寄る。春先3ヶ月、親方と漁夫たちがニシン漁のために共同生活をした番屋だ。親方の部屋は畳敷き、漁夫たちは板の間。大昔から雇う人と雇われる人の間には大きな違いがある。受付に、「なんでヤン衆と言うんですかね」と訪ねると、首を傾げた。




 神恵内(かもえない)村に入るとますます険しい断崖絶壁となり、無数のトンネルが続いた。雷電国道と呼ばれているらしい。トンネルを抜けるたびに、どんどん神威岬が近づいてくる感覚が実に楽しい。この頃になると小雨も止んで、時々薄日も射しだした。そしてあるトンネルを抜け積丹町に入ると、突然岬があらわれた。
 曇り空だというのに神威岬の駐車場は車でいっぱい。誰もがカムイに会いに来たのだ。遊歩道を15分ほど、一列になって進む。早く先端に立ちたい、早くカムイを見たいとは思ってもアリの行列状態じゃ従うしかない。
 随分前から憧れていた風景が目の前にある。残念ながら本当の積丹ブルーとはいかなかったが、それでも十分ほかの海との色の違いを感じた。しかも目の前には神がいる。本当に来てよかった。



 積丹岬の島武意(しまむい)海岸や美国の美しい海岸を通って、余市に着いたのは夕方の4時頃。予定より少し早めに着いたので、ニッカウヰスキー工場を見学してから宿に入った。早めに夕食を済ませ、普段着でブラブラと余市駅まで歩く。今回のたくらみは、電車で小樽に遊びに行くことだったから。



 余市発18:26の一両電車、わずか25分の列車の旅だが、オートバイの緊張から開放されたばかりの体をやさしく揺らしてくれた。小樽運河に向かい、観光客に変身する。ただねぇ、一人じゃちょっと寂しいねぇ、だってみんなファミリーやカップルだもの・・・





ニセコ・羊蹄山・白老
2009/08/16



Ihatovo TL125 440km (0km)

 最終日は内陸部を通って函館まで帰ることにする。国道5号線で倶知安(くっちゃん)まで行き、そこからニセコアンヌプリをぐるっと一回りして、ニセコ駅に下りた。ところがどうも夏のニセコの見方がよくわからない。



 道道66号線で真狩(まっかり)村に向うと羊蹄山がとても綺麗だ。もっともっと羊蹄山と付き合っていたかったから、ぐるっと京極町に向う。それにしてもでっかい山だ。標高は1,898mしかないのにデッカイ。不思議だ。



 国道276号線を支笏湖の直前で右折し、国道453号線から白老(しらおい)に向う道道86号線に入る。北海道の道はどれも気持ちいいが、この86号線は特にいい。
 ポロトコタンでじっくり一時間以上アイヌの生活に触れる。北海道は勿論、東北地方まで大きな影響を与えた先住民族なので、簡単に通り過ぎるわけにはいかない。特に北日本ではアイヌ語説の地名が多いので興味が尽きない。



 登別から倶多楽(くったら)湖に向った。直径3kmのほぼ円形。観光客が少ないのがいい。リフレッシュ効果抜群だ。でも、店の少年に教えてもらった倶多楽湖名物、くったらバーガーを食ったら・・・。
 登別温泉を通るがあまりの観光客の多さに圧倒され、あえなくパス。そのままオロフレ峠を目指す。この峠、相当いい。まるで空の上を走っているような気持ち良さがある。ただ、旧道からの展望台は評判どおりの霧でなにも見えなかった。地元の方が言っていたが、噴火湾側はいつも霧らしい。



 霧のオロフレ峠をわずか数百メートルほど西に走ると、洞爺側はほぼ快晴だった。この極端さはなんだろう、あまりにも違い過ぎておもしろい。快晴の中、どんどんどんどん下って行ったらいつの間にか洞爺湖に着いた。やっぱりいいねぇ、何度見ても綺麗な湖だ。あのでっかい羊蹄山が正面に座っていて、また来いよと話しかけてきた。
 さぁ〜て、三日間の北海道もこれでおしまい。あとは長万部からの耐久レースを走りきればいいだけだ。次回は余市からまた海岸線を北上しよう。何度かに別けて走ったら、どんなに大きい北海道だっていつかは一周できるさ。ありがとう、また来るよ。






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あきれるほど美しい港 2009/05/02-04

田沢湖
2009/05/02



Ihatovo TL125 220km

 土曜日の午後3時、五月の好天に誘われた。今日中に少し距離を稼いでおこうか。カメラと地図を大急ぎでバッグに詰め込み、予定より半日も早い出発となった。日が沈むまでは3時間、田沢湖あたりまでは走れるだろう。更に1時間ほど先の大曲には健康ランドがあるので、まあなんとかなるだろう。



銀山温泉・山寺・月山
2009/05/03



Ihatovo TL125 340km

 熟睡できない健康ランドに見切りをつけて、早々に出発。国道13号線で横手、十文字、湯沢と秋田県を満喫する。小野小町の出身地を過ぎ雄勝峠を越えると、ついに山形県だ。県境を越えると13号線は高速道路並に快適になる。遠い昔、羽州街道と呼ばれた旅人の道だもの、なにもそんなに急がなくてもと思う。尾花沢から第一の目的地である銀山温泉へと向った。とても狭い範囲に文化財級の建物が軒を連ねる姿は、あきれるほどの大正ロマン。こんな景色は見たことがない。いつか相手が見つかったら新婚旅行はここで決まりだ、と密かに思う。



 松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ立石寺(山寺)は「しずかさ」なんて何処へやらの大渋滞だった。おかげで奥の院まで上る根性も時間もなくなり、とりあえず力こんにゃくを食べただけでとっとと退散した。山形駅に着いたのはちょうど昼食どき。駅前で天ぷらだけが旨い天ザルを食べる。蕎麦があまりにも硬くて完食に苦労したので、ウエートレスに「山形の蕎麦というのはどこもこんな感じですか」と控え目に尋ねると、「いえいえ、みんなそれぞれですよぉ」という。あぁ〜、運悪くその「それぞれ」に当たってしまったようだ。
 さて、気を取りなおして本日のメインイベント、月山花笠ライン(国道112号線)へ。寒河江を過ぎた辺りからは胃にもたれた蕎麦のこともすっかり忘れるほどに快走する。まるで高速道路みたいな爽快な山岳ルートだ。ここはジェットコースターですか?



酒田・鳥海山・象潟
2009/05/04



Ihatovo TL125 390km

 由良を出て10kmほど北上すると湯野浜温泉。ここ、なんだか不思議。まるでモナコグランプリを走っているようだった。海沿いに大きなホテルがニョキニョキと並んでいるからそう感じたのだろう。モナコなんて見たこともないんだけど。
 そのまま112号線を北上し、「五月雨をあつめて早し最上川」に架かる出羽大橋を渡りきると豪商の町、酒田。最近では映画「おくりびと」で有名になっているらしいが、どうもその辺には興味がなく、酒田港で休憩した後、山居倉庫へ向う。さすが米どころ庄内地方の米穀倉庫、一棟だけでも十分立派なのに、それがなんと十二棟も並んでいたのには驚いた。



 鳥海ブルーラインを山形側から上る。上に行くほどどんどん雪の量が増え、それに比例して気温が下がっていく。この山に触れたくてこんなに遠くまでやってきたのだ。大平展望台からは庄内平野を一望でき、県境を越えた鉾立展望台からの景色は更にあきれるほど美しい。あいにく鳥海山は雲に隠れていたが、それでも東北で二番目に高いんだぞという風格と自信をかもし出していた。そうだ、でかいヤツはそう簡単に姿を現しちゃいけない。もう一度来い、というのなら何度でも来てやろうじゃないか。
 今回の旅で最も楽しみにしていたのは象潟(きさかた)港から眺める鳥海山。それはまぎれもなく日本一の港景色だった。感動を越えて、驚きのようなものがあった。まるで絵の中に入り込んでしまったような感覚なのである。家族にひま人だとか、風来坊などと言われたって全然気にしない。だって、ほんとスゴイいんだよ。


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綺麗なんだけど・・・ 2008/08/15

男鹿半島
2008/08/15



Ihatovo TL125 450km

 今年も随分コキ使っている、ホンダイーハトーブ。オイル交換をし、チェーンの張りも調整した。バイクはちょっとしたメンテナンスで別物のように快適に走ってくれる。ハンドルを少し手前に引いたのも効果が大きく、あれれ、全然疲れない。ということで、最初の休憩地は青森市から140kmほど離れた、秋田県五城目街道の上小阿仁だった。
 五城目街道を快走し、国道7号線に合流した後は昭和町まで南下した。そこから男鹿へ向うと国道101号線の標識に驚く。101号は青森の西海岸を通って能代までと思っていたが、まさか男鹿半島まで続いていたとは。
 脇本で右折して寒風山に向う。寒風山レストハウスがある大きな駐車場にバイクを止めて、左手のピークに上る。ところが、あらら、どうも本物の寒風山は右手の山らしい。そういえば、明らかにあちらの方が立派だもの。同じ場所に到着したばかりのライダーと二人で苦笑いする。本物は更に見晴らしが良く、パラグライダーが気持ち良さそうに泳いでいた。




 天気が心配だったので今日は直前まで出発を決めかねていた。ぐだぐだしていたせいで青森を出発したのは、いつもより遅めの9時半。まっいいか、行けるところまで行ってみよう。なにも考えずにただ走るだけのツーリングもいいかも・・・だから一泊なのか、日帰りなのかも決めていない。それにしても日帰りにしては随分遠くまで来てしまったなぁ、でもせっかくだし、とりあえず一周するか。男鹿が気に入ったら民宿に飛び込めばいいや。
 男鹿半島の西海岸は綺麗なんだけど怖かった。別になまはげがいるからではなく、断崖絶壁を縫うように走る道が怖い。特に男鹿市から北上する場合は左側数メートル先が奈落の底なのだ。しかも、ガードレールが白い鉄板ならまだしも、ワイヤー式ときた。いわゆるシースルー、これが怖い。国土交通省の演出なのか、それとも秋田県の仕業なのか、とっても怖い。落っこちたい症候群の人は北上を諦めて、南下した方がよさそうだ。 
 男鹿水族館で大水槽とポニョ人気に驚き、入道崎でお土産を買え終えたら夕方の5時だった。怖いし、帰ろうかな。青森まで200kmだから4時間と計算できる。すると夜の9時には着けるだろう。たまにナイトランでもするか。


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リアス式と教わったが 2007/08/11-12

北部陸中海岸
2007/08/11



Ihatovo TL125 250km

 学校では陸中海岸のことをリアス式と教わったが、どうも正しくないらしい。陸中海岸の北部は隆起してできた海岸で、南部は沈降してできた海岸。リアス式とは沈降海岸を言うのだそうで、南部陸中海岸のこと。となると、北部の黒崎や北山崎、鵜の巣断崖などを見て「リアス式海岸ってすごいねぇ」などとため息ついていると恥ずかしいのである。隆起したのだとわかるとこの断崖絶壁の意味が良くわかる。とにかくすごい!思わず「隆起海岸ってすごいなぁ」と言いたくなってしまった。



宮古
2007/08/12



Ihatovo TL125 240km

 民宿などに泊まるとなぜか目覚めが早い。浄土ヶ浜に近い宿だったので、日の出を拝みにブラブラ出かけた。浄土とはこういう景色なのだろうか。確かに不思議な形をした岩がニョキニョキと立っているが、言葉から感じるほどの安らぎはなかった。ひょっとすると水の臭いが原因かも知れない。澄みきっていてとても綺麗なのだが、なぜか臭いのだ。百歩譲って、栄養が豊富な海はこんな臭いがするものなんだろうと自分を納得させようとしたが、どうも解せない。
 宮古市内を一望できるという月山に登りたかったが時間が気になったのでパスして、青森まで一気乗りした。



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コンブ半島 2006/08/06

亀田半島
2006/08/06



Ihatovo TL125 160km

 夕べは随分食べたなぁ、しかも普段は避けてとおる魚介類ばっかり。カレイの煮付けと海老・帆立の鉄板焼きを見たときは「食べれそう」とホッとしたが、テーブルに着くやいなや刺身のオンパレード。どう考えても二人前はあるイカ刺しにウニ、ホタテ、甘エビ、ホッキ貝、白身魚などなど。死んだつもりでウニは食べてやったので、クラゲの和え物と函館名物イカの塩辛は勘弁してよ。民宿だから料理で勝負に出てくることは予測はしていたが、完敗だ。久しぶりのビールと海風の天然クーラーのおかげで夜の九時には意識をなくした。
 朝七時ごろ宇宙旅行から無事帰還して意識が戻ると相変わらずザザァーと波音が聞こえる。一晩中ザザァーっとしていたのだろうから、波も大変だ。浜辺に下りて石川啄木を気取ろうと砂を握ってみたが、「さらさらと指のあいだより落ちる」ことはなく、ぼとっと落ちてべしゃっとつぶれた。波打ち際の濡れた砂では啄木にはなれないことに気づく。
 湯の川温泉を過ぎると間もなく街の喧騒はなくなり、磯の香りがしてくる。天気予報では気温30℃で晴れだぞ!となっていたが、目の前の岬は低い雲に覆われて少し肌寒い。デジタルオーディオプレーヤーから流れてくるアバのダンシングクイーンが、「さぁ、旅の始まりよ」と弾んでいる。いつから海岸沿いの景色がこんなに好きになったのかなぁ?ひょっとして山にいるような気違い蜂が少ないからかなぁ?などと取り留めもないことを考えながら走っていると、早くも一つ目の漁港が見えてきた。



 今回巡った亀田半島は昆布の産地で、しかも今は漁の最盛期。男たちが小船で帰ってくるのを女や子供たちが浜で待ち構えている。遠すぎてその作業の様子を光学3倍ズームではとらえきれなかったので、ケンコー社の7倍単眼鏡を飛び出したレンズ枠にはめて撮影。単眼鏡の接眼部分がゴム製なので、カメラのレンズ枠径が24mmのものであれば使える。3×7で21倍になるわけだから、少しの心の乱れが手ぶれにつながる。シャッターを押すたびに「盗撮」という言葉と「密漁」という言葉が浮かんできて苦労した。
 「日浦トンネルを出てすぐの細い道を右折すると綺麗な灯台があるよ」と民宿のおかみさんに教えられていたので寄ってみる。話してくれたときには、しうらトンネルと聞こえたので、青森にも市浦ってありますよなどとバカな受け答えをしていた。トンネルを出る直前にひょっとして日浦?と考えて、あわてて右折したら大正解。柱状節理でできていてる小さい岬だがなんとも勇ましく、一瞬マッターホルンかと思ってしまった。




 日浦の町はずれにあるサンタロトンネルの直前を右折して旧道(道道41号線)に入ると一車線ののどかな道になる。ほとんど通る車もなく、人力で掘ったというトンネル群を満喫できる。今は防災上の問題かバッチリ補強されていて若干興ざめする感はあるが、昔は随分重宝した道なのだろう。なにせ、恵山方面から昆布を背負って函館に向かうにはこの道しかなかったのだろうから。道はサンタロナカセという不思議な名前の岬を通ってまた国道278号線と合流する。
 次の岬を越えると突然目の前が開け、滑らかに湾曲した函館市海浜公園が見え、恵山もどうだまいったかと言っている。道の駅「なとわ」があったが、やたらとでかいバイクがぞろぞろいたのでパス。そう言えば青森には「わどな」ってのがあったような気がするぞ。どこでも考えることは同じだ。278号線はそこから大きく左折して内浦湾に向かうが、恵山へは右折して道道635号線を進むことになる。




 道道635号線は恵山岬沿いの道だが、残念ながら内浦湾側とはつながらず、途切れた道だ。とりあえず行ってみたが、やはり冷たい感じで味もそっけもなく終わっていた。少し戻って恵山に登ることになる。勾配はびっくり仰天の14%、愛車は3速全開でヒーヒーいっている。後ろからビックバイクが来ないことを祈って全開また全開。こんなときは原付二種が少し悲しくなってしまう。ようやく上りきったら、恵山はシューシューと音をたてて笑っていた。
 亀田半島を縦断して内浦湾に出るとそこは椴法華。トドホッケの語源にはいくつかの説があるらしいが、「唐に渡った法華」と唱えている日本語説の学者さんは是非ここを尋ねた方がいい。どう考えてもアイヌ語説の「岬の陰」と言う意味のトトポケの方がぴったりだ。
 椴法華の外れにある銚子トンネルと滝の沢トンネルはライダーに絶対おすすめスポット。なにせ気温30℃でも中は天然クーラーを通り越して天然エアコン。ブルっとするくらいの空気の中を2kmほども疾走するって気持ちいい〜!




 明るい滝の沢トンネルを出るとそこは木直漁港。漁船が帰ってきた直後なのか、カモメたちが忙しく飛び回るのをながめながら冷えた身体を温めた。
 その木直のバス停でまた変わった地名を発見。ポン木直とか、ヒムカとかって何?帰ってから調べてわかったことだが、ポンとはアイヌ語で小さいという意味らしい。一方、ヒムカというアイヌ語はなく、どうも日本語の日向らしい。日向というと九州のヒュウガを思い出すが、訓読みするとヒムカになる。日に向かうということから、ヒムカ=東という意味になる。なんだか楽しくなってしまう。

 午前中に津軽海峡側で時間を使いすぎたので、かつては献上昆布を納めていたという茅部はパスして鹿部に急いだ。と、いうよりこの間は道も広くフラットなので絶好のハイスピードコースで、止まるのが面倒になってしまうくらいハイだっだ。125ccでハイになれるんだから安上がりな男ではある。
 今回のツーリングで楽しみにしていたものの一つが鹿部港から眺める駒ケ岳。しかし、雲に隠れて見ることができなかったのはとても残念。




 鹿部から海と別れて大沼公園に向かう。突然イーハトーブの吹けが悪くなりトラブル発生かと思ったが、道を良く見ると微かに上っている。自動車や自動二輪では感じることすらないだろうと思われる勾配なのに敏感な奴だぜ。ふとTZR250Rの強烈パワーが頭に浮かんだ。
 大沼で軽くスパゲッティを食べて再スタートすると道端にカメラをもった人がいっぱい。すぐさま汽車だなと感じてバイクを止めて待つこと数分、シュッシュポッポとやって来た。でもなんでうしろ前に走ってるんだろう?
 大沼から函館までは国道5号線が函館新道という制限速度70km/hの自動車道に変身する。入り口直前で125ccはダメよ!という看板に気がついてやむなくエスケープ。セローのときは走ったのに・・・イーハトーブだって頑張ったら70km/hは出るのに・・・と一抹の寂しさを感じながら一般道をトコトコ走り始めた。ところが、これがなんとも気持ちがいい!なにせ他に人っこ一人いないわけだから、まったくの貸切状態なのだ。強がってこの逆境を楽しんだという感はあるが、北海道を独り占めにしたようでついつい鼻歌がでた。




 昨日は海上国道である国道279号線を野辺地から函館まで走りきり、今日はコンブ半島といっても過言でない亀田半島で漁港三昧。一人では金森倉庫に行く気にもなれず、北海道第一歩の地という記念碑の陰でボーと二日間のことを思った。
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