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十和田八甲田

これ納車祝いだから 2022/6/26
 わざわざ八戸から中古車を買った。どう考えても青森より10万円は安いし、店の親父さんがとても気持ちのいい人だったから。F君に連絡したらわざわざ来てくれた。館鼻の漁港ストアでそばを食べてとりとめのない話をする。


100km×2



根城の城 2021/4/7
 1334年、南朝方の南部師行(もろゆき)が糖部郡(八戸地区)を治めるためにここに城館を築いた。その際、統治を進める根本になる城館だからということで「根城」とした。
 帰ってから考えた。あの城は元々は「ねじろ」と言ったのではないか。それなら根城(ねじろ)の本来の意味とも見事に合致する。そして、それを地名にする際に「ねじろ」ではあまりにも悪党っぽいので「ねじょう」と呼ぶようになったのではないか。なんだかこう考えると、地名が先か城名が先かという問題は解決する。


100km



間木堤の白鳥 2020/1/13
 白鳥たちは早起き。朝8時を過ぎると家族単位で次々と餌場に出掛ける。父親の掛け声である一家がバタバタと水の上を駆け出すと、周りの家族は「おおっ、もう行ったか」と、はやし立てる。


175km



Ihatovo TL125 大須賀海岸 2019/9/7
 太平洋は風がなくても波が立つ。


220km



Ihatovo TL125 スヌーピーの滝とみろく亭 2019/7/14
 相変わらず田子は遠い。今日は十和田湖湖水まつりなので奥入瀬や休屋を回避して、西線から発荷峠を越える。そのせいもあり片道なんと140Km。いいじゃないか、にんにくラーメンのためだけであっても。


片道140km



えんぶりが終わると春 2019/2/17
 館鼻漁港でのんびりし過ぎたせいで一斉摺りに間に合わなかった。午後1時ごろ、三日町と十三日町を何往復かして、百貨店などの中で行われる角付けえんぶりを見る。
 えんぶりの舞は豊年満作を願って、田植えから稲刈りまでをあらわしている。青年たちの摺りの合間に行われる子供たちの恵比寿舞や大黒舞が可愛らしい。ところであれれ、えんぶりにはなぜ若い娘さんが登場しないのだろう。田植えと言ったら早乙女なんだが・・・


110km×2


Ihatovo TL125 ちょっと蕪島まで 2018/7/1
 入道雲、そして突然のスコール。まるで夏。というより7月だもの、本物の夏。火災があってから二年半。蕪島神社の再建が見えてきた。


210km


Ihatovo TL125 YS-11の五戸町 2018/5/5
 硬い焼きそばを食べた後に寄った五戸図書館で思わぬものを見つけた。国産初の旅客機YS-11を設計した博士が五戸出身だとは知らなかった。青森空港も最初はYS-11だったことを思い出す。
 町から10Kmほど離れたところにある桜沼公園に行く。青空に泳ぐこいのぼりが気持ちよさそう。地元の方は「何もない町だよ」と言うが、そんなことありませんよ。


200km



Ihatovo TL125 ヨマサリの青葉湖 2017/7/1
 五戸、剣吉、南郷を通ってたどり着いた青葉湖は大きかった。貯水量は目屋ダムに次いで県内では2番目に大きいダム湖だという。世増ダムと書いてヨマサリダム。読めない。
 旧増田小中学校を利用した「山の学校」に寄ってみると豊富な展示物に驚く。ダムに沈んだ村の模型を見るとつらいが・・・
 学校の横にある食堂でそば定食を食べた。満足、大満足の750円。店の方に「この地名はフナライと読むんですか?」と、もらったパンフレットを見ながら「不習」を指さして訪ねた。「ナラワズですよ」。ほっほぉ、読めない。その後、教えてもらった不習岳の山頂にある展望台に登り、太平洋を見ながらまたしても感動。やはり南部もワンダーランドだったか。


100km×2


Ihatovo TL125 ツカハラミュージアムでトヨタ2000GT 2017/5/5
 どっか行くか?
ツカハラミュージアム!
いいねぇ、じゃあ一緒に行くか。
 TOYOTA200GTに会うためだけ:に八戸まで走る。そんなツーリングも悪くはない。八戸グリーンハイテクランド内にあるにツカハラミュージアムの展示車両は見ごたえ十分。1号館は20世紀初頭、2号館は中期以降の車が並ぶ。2000GTは生産台数337台、1967年当時で238万円。存在感は今の車の比ではなく、正に日本のスーパーカーだ。おぉ、S800もいた。CELICA2000GTもいた。昔の車はほんとカッコ良かったなぁ。
追)新車のようなHONDAシルクロードにも驚いた。


195km


Ihatovo TL125 にんにくラーメン2時間待ち 2016/7/24
 青森市から十和田湖を通って100km、延々と国道4号線を走ると110km、東北自動車道を十和田ICで降りて秋田街道で140km。田子はなかなか遠いのである。弟と二人、今回は気分を変えて高速道路でガーリックセンターを目指した。去年から何度も行列の多さに諦めていたので、今日こそは一点集中、どんなことがあっても食べるぞ。
 予定通りオープンの11時ちょうどに到着したが、もう人だかりの山。名前を記入する用紙は既に二枚目に突入している。いつもならあっさり諦めるのだが、今日は違った。なにせ、このためだけに走って来たのだから簡単に諦めるわけにはいかないのだ。
 最近ガーリックステーキが人気らしい。早目に来ている人たちは100%それ目当て。1時間待っても、1時間半待ってもお呼びがかからない。タッコーラで気を紛らそうとしてもなかなか辛い。あんな食べるのに時間がかかりそうなご当地グルメなんてキライだ。


265km


Ihatovo TL125 んだスケ 2016/5/15
 葦毛崎でナビタ君と合流し、鮫角灯台に上った。強風で灯台が揺れているような気がする。怖い怖い、それに寒い。種差海岸を散歩しようと思っていたけれど、ヤマセに負けて浜に下りたのは大須賀(おおすか)海岸だけ。君は原住民だからと付け加えて、大須賀や中須賀、北須賀のスカって何かと聞いてみる。当然あっさりと「知らない」。んだスカって言わないかと言うと、「いやいや、んだスケだよ」と大爆笑した。
 早めに海岸沿いの冷たい風から逃れたかったので、種差食堂で磯ラーメンを食べた後は階上岳(739m)に向かう。やけに観光地化されてしまった頂上で、そうだ、喫茶店に行こう!ということになった。
 階上岳から小一時間走り、十和田市の北里大学そばのなんだか雰囲気のいい喫茶店に到着。二気筒は楽しいとか、ジーエスなんたらのニーゴーがいいとか、そんなバイクの話で不良オヤジ二人はようやく温まることができたのだった。


270km


Ihatovo TL125 キリストの墓と城山公園の御衣黄 2016/5/3
 新郷村のキリスト伝説はあまり好きではない。昭和10年頃に突然ふって湧いたあまりにも突拍子もない話であって、五所川原市飯詰の和田さんが繰り広げた東日流外三郡誌のようなお茶目なところもなければ、三厩の義経伝説のようなロマンも感じない。ちなみにキリスト伝説の元になった竹内文書は偽書の刻印を押されている。困ったものだ。
 新郷村から何個か丘を越えて三戸の城山公園に行く。もう既に葉桜だろうと思っていたものの、なんと八重桜はまだまだ見頃。特に淡緑色をした御衣黄(ぎょいこう)が見事だった。
 カラフルな十色アイスを食べた後は本日のメインである田子ガーリックセンターに向かう。ところがあぜん、20人ほどが行列を作っていた。そんなわけで今回もにんにくラーメンにはありつけず。午後1時だというのにまだまだ大混雑なのだ。しようがない、新年の挨拶を兼ねて休屋でカレーライスを食べることにするか。


240km


階上町道仏廿一の小舟渡が読めない 2016/3/13
 青森県で一番早く日の出を迎えるのは、階上灯台である。太平洋の水平線が一本引かれただけの爽快な場所だ。灯台から100mほど南に歩くとそこはもう岩手県との県境。海にゴロゴロ転がる石のひとつに県境を表す「堺」の文字がある。昔、漁業権で争っていたのかもしれない。
 津軽に住んでいると南部の地名はなかなか読みづらく感じる。この辺りは階上町の道仏地区の廿一という。読めない。そもそも階上(はしかみ)が読みづらい。次の道仏(どうぶつ)も読みづらい。廿一(にじゅういち)にいたっては今まで読もうともしなかった。岩手県との県境が二十一川なので、廿一と書いて「にじゅういち」と読むのだろう。だけど、漢数字で表したかったら「弐拾壱」ではないかと思う。帰ってから調べてみると、どうやら廿(にじゅう)という字は中国の漢数字らしい。
 そういえば、ここは小舟渡海岸というが、今まで「こふなと」と読んでいた。ところがそれも間違い。小舟渡(こみなと)というらしい。読めない。


250km
 小舟渡漁港、道仏漁港、大蛇(おおじゃ)漁港、榊漁港、追越(おっこし)漁港、金浜漁港と小さな港が続き、ようやく大久喜(おおくき)漁港にたどり着く。ここは以前からお気に入りの港だ。厳島神社の周りに数え切れないほどのウミネコがいて、まるで蕪島のように騒がしいのだ。この厳島神社の鳥居が全国版のニュースになった。東日本大震災の津波によって鳥居がアメリカのオレゴン州にまで流れ着いたという。そして震災から4年9ヶ月ぶりに戻ってきたのだ。今日のウミネコたちがやけに元気だったのはそのせいなのかも知れない。
 時計を見ると昼を過ぎていた。階上灯台から大久喜漁港までのわずか7kmに3時間もかけてしまったようだ。これでは800kmを超える青森県の海岸線の旅の先が思いやられるが、これからものんびりゆっくり行こうと思っている。さてと、鮫角灯台近くの小舟港(こふなと)食堂で磯ラーメンでも食べてから帰るとするか。


Ihatovo TL125 八戸漁港館鼻岸壁 2015/9/12
 種差海岸の天然芝で昼寝でもしようと出掛けた八戸。その前に朝市で有名な館鼻岸壁に寄って、一時間前に入っていたメールに返事を送り、いつものように漁港ストアでしょっぱ過ぎるそばを食べる。毎回思うことだが、この漁港はやたら居心地がいい。そうだ、今日もここでのんびりしよう。確固たる目的があっての種差海岸だったわけではないので、臨機応変、変幻自在、優柔不断、意志薄弱を発揮する。
 世の中に存在するものでカッコイイなぁと思うものが二つある。ひとつは強風をもろともしないで優雅に飛び続けるカモメ。もうひとつはでっかいライトをこれでもかとぶら下げているイカ釣り船。ここにはあふれるほどの漁船が集まる。たまらない。
 館鼻岸壁をぶらついた後は、これまたいつものように新井田川の河口に移動して風景を愛でる。東日本大震災直後はあまりの残酷さに正視できなかったが、今はもう大丈夫。昔のように落ち着いた景色に戻ってくれた。海で暮らす人たちが人に優しいのは、生死をかけた苦労が多いから。漁港に居心地の良さを感じるのは、そういう人たちの大きな優しさに包まれるからなんだと思う。


210km


八戸三社大祭お還り 2014/8/4
 六日町の通りにようやく座れる場所を見つけて、本八戸駅でもらった三社大祭のパンフレットを見る。江戸時代に始まったおがみ神社の豊作祈願に、明治時代になって新羅神社と神明宮の神輿行列が加わって三社となった、とある。なるほど、なるほど。
 初めて見る祭りはやはりワクワクする。地元の婆さんの間に挟まって見ていたら、三社大祭の一つの楽しみ方を覚えた。神輿が時々左右と上に大きく開くことがある。そのタイミングに合わせて、嬉しそうに「開いた、開いた」とか、本当にがっかりした様子で「あ〜あ、閉まったぁ」などと言うのである。なるほど、なるほど、これはなんだか楽しい。


90km×2


種差、白浜、大須賀海岸 2014/5/4
 母の「種差海岸をまだ見たことがない」という一言に驚いた。あらら、あんなに綺麗なところを見せていなかったなんて、親不孝だったね。
 雪の回廊も奥入瀬渓流も十和田湖も見せたかった。だからぐるっと遠回りして、ついでに田子のにんにくラーメンを食べさせたかったから、さらに遠回り。
 ようやくたどり着いた天然芝に母は感激した。「夕日も綺麗だろうな」って。日本海ばかり見て育った母は夕日は海に沈むものだと決め込んでいるらしい。あのさぁ、ここは太平洋でしかも東向きだからあの水平線に夕日は沈まないと思うよ。代わりに朝日は昇る・・・たぶん。

290km


Ihatovo TL125 名久井岳と目時とやませ 2012/8/19
 前略、幼なじみ様。午後三時頃、休屋の喫茶店に寄ったら、「八戸のお友達が来て、カレーライスを食べていきましたよ。」という。びっくりしましたよ、つい今しがた、どうしているかなぁ、走っているかなって考えていたものだから。
 太平洋を見ようと朝早く家を出ました。別にコースを決めていたわけでもないので、まったくの行きあたりばったりです。名久井岳の法光寺に寄って家族の安全を願い、ついでにバイクで行ける所まで上ってみようと五合目から長谷林道(舗装)に入りました。残念ながら途中で通行止めでしたが、それでも南部町が綺麗に見えたのでとりあえず満足です。五合目の東屋まで戻って、まっすぐどんどん下って行ったら県境の目時に着きました。小さい集落での迷子ごっこはなかなか楽しかったですよ。
 金田一温泉から395号線に入って太平洋を目指すことにしました。軽米を過ぎてからは岩手県道20号線で種市に向かいました。あらっ、やませでしょうか。海が近づくにつれ、涼しさを通りこして寒さを感じるくらいの気持ちよさでした。まったく不謹慎な話ですが、やませで涼もうとやって来たのです。地元の方にはほんとうに申し訳けないとは思いますが、階上、大蛇、大久喜、種差、白浜、大須賀、葦毛崎までは完璧に涼めました。蕪島辺りから残暑の気配を感じ始め、八戸市内に入ったら掟破りの35度!
 とっいうわけで、五戸から新郷を通って十和田湖に緊急避難したわけです。


340km


館鼻と合掌土偶とホッケ 2010/3/20
 八戸市博物館で、国宝となって里帰りした合掌土偶の常設展示が始まった。縄文時代後期後半(約3,500年前)のものというが、その素晴らしい造形に驚かされる。個人的には亀ヶ岡の遮光器土偶の宇宙人然とした姿の方が好きなのだが、国宝ともなるとどう逆立ちしたってかなわない。
 遮光器土偶のしゃこちゃんには左足がない。この合掌土偶も発掘時には左足がなく、後に2.5m離れた場所から出土したという。どちらも左足。これはただの偶然だろうか・・・
 なんて考えながら館鼻あたりをぶらついた。川があって、船がいて、鉄橋まである八戸では一番好きな場所だから。案の定、あまりにも居心地がいいものだからついつい長居をしてしまって、気が付いたら夕暮れ時。
さて、ホッケでも買って帰えるか・・・


110km×2


Ihatovo TL125 みろくの滝 2009/8/29
 青森県・秋田県・岩手県は四角岳を県境としてそれぞれ隣接している。その四角岳の麓にスヌーピーによく似た大きな滝があるという。田子町長坂、秋田街道沿いに大きな看板があったので、迷うことはなかった。
 駐車場から綺麗に整備された遊歩道を三分ほど歩くと、突然大きな滝が現れた。一枚岩を伝ってそうめんのようにサラサラと流れるやさしい滝だ。噂どおりスヌーピーによく似ていたが、その昔悲しい物語があったようだ。


220km


Ihatovo TL125 種差海岸とニッコウキスゲと昼寝 2009/6/28
 青森県東南端、階上町の階上灯台から海沿いをのんびりと北上。まるで陸中海岸のなごりのような岩礁が続く。小さな漁港が次から次へと現れるものだから、寄り道した回数は数知れない。
 大久喜漁港では蕪島と同じくらいのカモメの数に驚き、種差海岸では広大な天然芝に驚く。ちょうどニッコウキスゲが今が盛りと咲き乱れていた。芝生にごろんと横になって昼寝をすると、日ごろの疲れが空にゆらゆらと昇っていった。
 さて、ホッケでも買って帰えるか・・・



250km


八戸えんぶり 2008/2/17
 豊作を願うということはなんと神聖なものか。今でこそ重要無形民俗文化財という冠を与えられて、観光客に惜しげもなく披露されているが、本来はもっと重い儀式であったはず。農作物の出来具合が生死を分けていた時代、きっと神様と共存していた時代、豊作祈願は全身全霊によるものだったろう。
 初めて見たえんぶりはあまりにも強烈に心に響いた。あの踊り、あの囃子、先人の心に触れたような貴重な体験だった。


210km


Ihatovo TL125 南部地方のナンブってなに? 2006/9/23
 以前から八戸周辺をなぜ南部地方と呼ぶのかという疑問があった。この歳になるまで歴史などというものには全く興味がなく、南部と言うからにはどこか基準点があって、その南側ということなのだろうか?たしか、東北町に日本中央の碑というものがあったから、そこから見れば確かに南に位置するぞ!ぐらいでしかなかったのだ。そこで、その答えを見つけようと文化財が多いという三戸町を訪ねてみた。
 青森市から十和田北線を使って十和田湖まで走り、宇樽部から左折して国道454号線に入る。まてよ、戸来(へらい)まで行ったらキリストの墓を見れるぞ、ということでチョッと寄り道。青森県は全くミステリアスなところだ。日本の中央だったり、石神や恐山があったり、ピラミッドやキリストの墓、さらにジンギスカンになったという義経を祀る寺まである。ゴルゴダで処刑されたのは弟のイスキリ様で、キリスト様はここで106歳まで幸せに暮らしたそう。
 三戸の町はどこにいても名久井岳が覆いかぶさるように見える。城山公園内の歴史民族資料館を目指して歩いて行くと、左側に石の中から石が生まれるという子持石があり、その説明文の中にいきなり今回のテーマの答えが見つかってしまった。「山梨県南部町は南部藩祖南部三郎光行公の故郷であります。・・・」と、いうことは、この辺を治めた人が山梨県の南部町の南部さんだったわけだ。三戸城の中には更に詳しい説明があった。1189年、源頼朝の平泉藤原氏征伐の際の戦功によってこの地方を領地として与えられたらしい。南部地方は南部さんの地方だったわけですが、考えてみれば津軽だって、津軽さんの地方なんだ。
 三戸の町は城下町らしく、あちこちに古い建物がある。いつかもっとじっくり探検したいものだ。名久井岳も「登れるもんなら登ってみろよ」と威張っていたし・・・


250km


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