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Ihatovo TL125 奥平部(おくたいらへ) 2022/10/14
 高野崎の少し手前に奥平部という集落があるが、なかなか「おくたいらへ」とは読めない。そもそも「へ」の意味がわからない。


片道59km



Ihatovo TL125 元総理が撃たれた 2022/7/8
 平館で煮干しラーメンを食べようとしたその時、店のラジオから衝撃のニュースが流れ、ざわついた。それをやっちゃあいけないよ。プーチンと一緒じゃないか。


片道59km



Ihatovo TL125 平館海峡を軍艦が行く 2022/5/29
 大間崎方面から突然軍艦が現れた。まさか血迷ったロシアの船かと思ったが、どうやら自衛隊の船らしい。そうかむつに海上自衛隊があるので、平館海峡を通るのは当たり前といえば当たり前か。そうだ鯛島を横切ってむつに向かうまで見てみよう。と、そうこうしているうちに1時間が過ぎた。
 高野崎からは北海道の駒ヶ岳がよく見えた。ホタテが7つも入ったホタテ塩ラーメンで腹ごしらえをして、ついでだから今日は大泊まで足を伸ばそう。


60Km



Ihatovo TL125 三厩湾 2021/9/2
 陸奥湾を見て平舘海峡に至り、津軽海峡から日本海に出る。途中、穏やかな三厩湾のたたずまいに心も和む。青天につられての外ヶ浜はいうことなし。


175Km



Ihatovo TL125 スカシユリ 2021/6/13
 今年も高野崎と鋳釜崎のスカシユリが咲き始めた。


170km



Ihatovo TL125 高野崎の赤い橋 2021/5/6
 少し風の強い日には二つの橋の名前の由来が良くわかる。手前が潮騒橋で、奥が渚橋。


片道59km


Ihatovo TL125 Nさんの観瀾山 2021/3/13
 春を迎えに蟹田の観瀾山に上る。案内板によると井伏鱒二と佐藤春夫の尽力があって観瀾山が整備されたという。佐藤春夫なら「田園の憂鬱」に一時期だいぶ傾倒したが、井伏鱒二については「ジョン万次郎漂流記」ぐらいしか知らない。太宰治が眺めた景色とそれほど変わっていないだろう街並みを眺めているとなんだか少しポカポカしてきた。
 帰りがけに蟹田のメイン通りを走っていると、和服に黒いマントを羽織ってヨレヨレと歩く爺さんを見た。まさか、幻だろうか。ますます身体がポカポカしてきた。


片道27km


梹榔を歩く 2021/1/24
 路面がガッチガチに凍った冬の梹榔を歩く。早く暖かくなればいいのだが。

80km



Ihatovo TL125 ばげねなれば 2020/12/6
 「この村サ一度(いづど)だて陽(し)コあだたごとあるがジャ・・・
朝(あさま)も昼(するま)もだンだ濃霧(かす)ばりかがて、
晩(ばげ)ネなれば沖(おぎ)で亡者(もんじゃ)泣いでセ」

 高野崎の三厩湾側に高木恭造の文学碑がある。こんな冬空の日には刻まれた言葉のひとつひとつが沁みる。袰月は北に開いた漁村なので、冬の松前の明るさが羨ましいという。今日はまさにそんな日だった。


片道57km



Ihatovo TL125 浪打漁港 2020/11/3
 夏泊半島の西の付け根に浪打という小さな漁村がある。本通りに面していないので、まるで隠れ里のような雰囲気があり、ときどき深呼吸をするためにやって来る。茂浦島や鴎(ごめ)島、裸島、湯ノ島、さらには岩木山までもが眺められる、とても空が広い集落だ。


片道20km



Ihatovo TL125 海峡を渡って白鳥がやって来た 2020/10/17
 高野崎で秋の海を眺めていると、空の高いところから懐かしい鳴き声が聞こえてきた。そうか、そうか、帰って来たか。大変だったろう。家族はみんな元気か。さぁ、もうすぐだぞ。着いたら春までゆっくりすればいいよ。


片道59km



Ihatovo TL125 龍飛のサキの先 2020/7/12
 龍飛のカムイに会うためには龍飛ア灯台の駐車場から長い長い階段を使って浜まで下りるか、西側のキャンプ場から平坦な海沿いの遊歩道を行くか、という二つの方法がある。
 駐車場からのコースは帰りの標高差100mの上りが相当に辛く健脚向きで、キャンプ場からのコースは800mほど歩くことになるが、奇岩を眺めながらの飽きることも辛いこともない楽しい道。
 実はカムイに最も近いのは龍飛漁港からの立ち入り禁止コース。ここは今にも崩れてきそうな安山岩の大絶壁の下を通る大バカ者向きで、わずか3分でカムイに会えるというものの、まったくお勧めできない危険極まりない道。


片道82km



Ihatovo TL125 高野崎のアジサイ 2020/7/12
雨が上がって、陽が出た。


片道59km



Ihatovo TL125 スカシユリ 2020/6/13
 高野崎と鋳釜崎でチラホラ咲き始めた。

180km



Ihatovo TL125 元宇鉄 2020/5/31
 こごがぁ?ウデツ、隣がカミウデツだね
あの船がぁ?鯛だべぇなぁ


170km



龍馬山義経寺 2020/3/16
 何年かぶりで義経寺(ぎけいじ)に上る。長い階段は少し辛いが、津軽海峡に面した三厩湾の眺めが素晴らしく、幸福の鐘なんてものもある。

82km



大泊 2020/2/11
 袰月漁港をぶらついた後、大泊の恵比寿神社の隣にある小さな船泊に寄る。ピリピリ冷えながら雲の切れ間を待っていたら、なんだか自分を思い出した。

60km



Ihatovo TL125 増川川のカモメたち 2019/11/23
 三厩港でボーっとしていたら、真っ青な西の空からカモメがどんどん、どんどん湧いて来た。30分経ってもまだまだ行進は続く。甲岩に寄り道することもなく、どうやら増川川の河口に向かっているらしい。

130km



Ihatovo TL125 今日もそっとのひん 2019/9/28
 F君に岩屋観音や松陰くぐりを紹介した。
「外ヶ浜は穏やかでいいねえ」
なぁ、だろ!


170km



平舘海峡から三厩湾へ 2019/9/26
 あのさぁ、いま高野崎。
「いいなぁ・・・」
ところで、どうした?
「土曜日の朝、行こうと思って」
いいよ、何時に着く?
「九時の予定」
オッケイ!わかった。


片道59km



Ihatovo TL125 くる秋 2019/8/18
 あの家もこの家も働き盛りが東京に帰り、外ヶ浜はまた静かになる。

82km×2



Ihatovo TL125 龍飛のアジサイ 2019/7/21
 未だに龍飛の気温は遠慮がち。アジサイを見てようやく7月を知る。

190km



スカシユリのキレイ 2019/6/14
 青い背景が好きなら高野崎。
光と影なら2Km先の鋳釜崎。



片道59km



Ihatovo TL125 平舘の憂鬱 2019/5/26
 午前10時半、平舘の海にナイフのような波を立てながら爆音が鳴り響く。おいおい、ここには天国に一番近いベンチがあるんだぞ。カモメだって驚いてるじゃないか。頼むから向こうに行ってやってくれ。
 そもそも、男だったら外海で勝負しろよ。ほらほら、パトカーがやって来たぞ。


170km



Ihatovo TL125 そっとのひん 2019/4/14
 ある本に「外ヶ浜の由来は続日本記(743年)の率土の浜です」と書かれていた。読み方は「そっとのひん」で、意味は「陸地が尽きるところ」。真偽を確かめるすべを知らないので、もう完全に信じ込んでいる。


82km×2



夏泊 2019/3/2
 待ちきれなくて、夏タイヤに交換した。


85km



ポロトゥキ 2019/1/27
 袰月(ほろづき)というところは東の高野崎側から行くにしても、西の鋳釜崎側から行くにしても、まるで外輪山を下って火口湖を目指すような感覚になる、ちょっと不思議な漁村。
 直径500mほどの湾は北側に口を開いているため、ここで海を眺めるということは津軽海峡とまじかに迫る北海道の渡島半島を愛でるということ。海峡を渡って来たアイヌの人たちはここをポロ(大きい)トゥキ(酒椀)と名付けた。



90km



Ihatovo TL125 川柱と鳴神 2018/11/4
 年内の仏ヶ浦はあきらめました。こうして高野崎から眺めていると、なんだか「早く来いよ」と言われているような気がします。
 天気がいいので今日もまた外ヶ浜。川柱(かわしら)と鳴神(なるかみ)の船小屋を眺めてのんびりしています。



82km×2



Ihatovo TL125 青い空 2018/9/17
 あまりにも急だったので、泣いている暇もなくみんな大慌てだったよ。ようやく忌も明けて、こうして平舘のベンチに座っていてもまだ信じることができない。父さんがいないと、生きてることがつまらなく思えてしまうよ。


170km



Ihatovo TL125 ガニ線の終着駅 2018/8/26
 三厩駅に寄ると「津軽線はおかげさまで全線開業60周年」の垂れ幕があった。JRではガニ線のことを蟹゛線と書くらしい。


82km×2


Ihatovo TL125 龍飛のアジサイ 2018/7/29
 龍飛の夏といったら青いアジサイ。しかも今日は青森より7度も低い気温のお陰で快適だ。



175km



Ihatovo TL125 外ヶ浜の遅い春 2018/5/20
 奥平部(おくたいらへ)の手前にあるだるま滝は勢い余って、らしくない流れを見せていた。だるまとはきっとこの時期の姿を言ったのだろう。後ろを見ない雪解け水はまっしぐらに海に戻る。春だ。
 それにしてもどうしてこんなうすら寒い日にまた外ヶ浜に来ているのだろう。わからない、自分でもなぜなのかは知らない。ひょっとして梹榔の遅咲きの桜が待っているからだろうか。わからない。わからないけれど外ヶ浜にも春が来た。



175km



おとなしくて静かな町 2018/3/10
 蓬田の玉松の浜に寄ると十羽ほどの白鳥がいた。間もなく北帰行か、しきりに海に潜って餌を探している。地元の婆さんに、ナニを採っているんですか?と聞くと、「アサリ」という。大漁ですか? 「いいや、今年は量が少ねくて、ぜんぜんだ」、とあきらめ顔。
 太宰治は小説「津軽」で蟹田のことを「おとなしくて静かな町」と言った。まったく同感。外ヶ浜の中心地だというのに、最近はますます人影が少ない。さて、蟹田駅前の食堂で焼きそばでも食べるか。



30km×2



西風の日は寝ていよう 2017/12/25
 今年もあとわずか。この時期になると夏場あれだけ穏やかだった陸奥湾でさえも牙をむく。小さな漁村では時々白い軽トラックが風にあおられながら走っていくだけで、人の姿を見ることはない。西風の日はきっとだんまりを決め込んでいる。



85km



Ihatovo TL125 津軽半島の光と影 2017/10/14
 この時期、外ヶ浜で暮らす人の一日は短い。正午を過ぎると背後に迫った山の陰にすっぽりと入ってしまう。だから、外ヶ浜の人は陽の光の有難さを誰よりも知っているに違いない。



180km



Ihatovo TL125 引ノ越山と立石 2017/9/24
 平内町内童子(うちどうじ)地区のシンボル的な引ノ越山(ひきのこしやま)。この山は元々は見事な円錐形だったという。それが1962年から18年間続いた採石のために山の姿が変わってしまった。どうやら線路の敷石に使われたらしい。人間はとんでもないことをしでかす生き物だ。標高267mもある山を半分削ってしまったのだから。
 平内町の不思議風景その2は東滝港と白砂港の中間にある立石。高さ30m、幅15mの奇岩で、南側には怪しげな洞窟がある。その昔、カレイをくわえた猫だか犬が洞窟に入って行方不明になった。そして、数日後に浪岡の王余魚沢(かれいざわ)で発見されたという。つまり、直線距離で40kmも離れている所と繋がっているという伝説。



90km



Ihatovo TL125 宇鉄のミサゴ島はウオタカか 2017/7/9
 むかし、むかし、ミサゴという鳥の名前を聞いたことがある。見たことはないが、魚を餌とするから魚鷹(うおたか)ともいうらしい。宇鉄漁港の先に浮かぶミサゴ島の名前の由来はきっとそうなんだろう。




82km×2



Ihatovo TL125 スカシユリが咲きました 2017/6/18
 今年は鋳釜崎より高野崎の方が数が多い。




180km



春を迎えに大島へ 2017/3/1
 夏泊半島は東側より西側の茂浦、浦田、稲生の港が好きだ。だからきっとここだろう思った。車で海岸線を走っていると、それが根拠もなく確信に変わった。不思議なものだ。
 毎年、春を迎えに大島の灯台に行く。陸奥湾の真ん中に浮かんでいるような気分になれるし、平舘の雪をかぶった丸屋形岳と袴腰岳がまるで富士山のてっぺんのように見えるからいい。


32km×2



サキみっつ 2017/2/27
高野崎  北海道が見たくて、高野崎、鋳釜崎、龍飛埼に行く。駒ヶ岳が見事だ。よし、明日行こう、と心に決めたとたん、仕事の電話が鳴った。


82km×2



陸奥湾の本気 2016/12/18
 夏泊半島を一周すると二つの海を見ることができる。東側を野辺地湾、西側を青森湾といい、この二つの海は丸っきり性格が違うのだ。穏やかな東側と気性の荒い西側と言ってもよさそうだ。
 冬になると性格の違いを更にはっきり感じるようになり、冷たい西風に乗った波は稲生や茂浦に打ち寄せる。今しがた通り過ぎて来た間木や東田沢の海に比べると狂暴極まりないのだ。白鳥たちが東側の浅所に集まって休む気持ちがよくわかる。
 それにしても今日の陸奥湾はちょっと本気出してたなぁ。


85km



Ihatovo TL125 大泊の恵比寿神社と三本カムイ 2016/12/4
 春夏秋冬、それこそ一年中なのだが、蟹田を過ぎるとぐぐっと気温が下がる。もし津軽半島を南部と北部に別けるとしたら、間違いなく蟹田と十三湖を結ぶやまなみラインが境だろう。日本海からの風が中山峠を通って陸奥湾に流れ込むために、まるでエアカーテンのように空気を別けるのかも知れない。
 冷たい風が流れる蟹田を無口に通り過ぎて、平舘と高野崎で遊ぶ。ほうほう、海峡に出ると風が強くなった。風が水面を走り回る。
 大泊は三厩湾の東側にある。恵比寿神社の脇を通って小屋が三棟だけ並ぶ小さな船泊に下りる。こんな誰も知らないような所へ時々訪ねて来る自分はなんだろう。それに三本カムイ(仮名)に冬でさえ会いたくなるのはなぜなんだろう。


60km×2



Ihatovo TL125 松陰くぐりは通れるかしら 2016/9/4
 吉田松陰は長州藩士であり、思想家であり、教育者であった。22歳の松陰は北方の警備状況を確認するために脱藩覚悟で東北を旅した。今から160年ほど前のことらしい。弘前から十三湖、小泊、七ツ滝、算用師峠、三厩、今別、袰月を経て平舘へ。平舘の砲台を見て安心したらしく、あとは漁船で青森まで移動した。
 一番の難所は算用師峠越え(みちのく松陰道)、次には松前街道の難所ともいわれる与茂内と大泊の間にある洞門。吉田松陰も通ったので今は松陰くぐりと呼ばれている。


60km×2



Ihatovo TL125 階段国道は何段でしょうか 2016/7/30
 国道280号線(松前街道)は三厩から海上国道となって函館市を目指して海の中を進む。昔々、村道であり県道であった三厩から先の龍飛に向かう狭い道が国道に昇格したのは昭和49年。その際に、どうやら役人が現地を調査せずに、地図だけを見て決定してしまったらしい。そのおかげで全国唯一の「階段国道」が誕生したのだ。280号線の海上国道も珍しいが、339号線は更にユニークなのだ。
 涼を求めてバイクにまたがり龍飛を目指す。気温が青森市内よりは5度ほども低いので快適だ。そうだ、階段国道がいったい何段あるのか数えてみよう。思いつきは単純だ。涼みに来ただけだから、別にやることがないだけの話しなのだ。
 龍飛漁港から上って356段。ミゴロ?そういえば紫陽花が見頃だ。上り切ると小さな案内板があった。全長388m、標高差70m、362段とある。あれれ?


82km×2



Ihatovo TL125 えっ、龍飛に行きたいって? 2016/6/19
 ナビタ君は不思議な人である。津軽人なのに津軽を知らないと言いだし、今回は十三湖と龍飛が見たいという。それは自分にとってはあまりにもショッキングなリクエストであり、しばらく呆然とした。 よし、それじゃ津軽半島ベーシックで行こう!
 高野崎のスカシユリが咲いた。もちろん鋳釜崎も見事。青函トンネル入り口公園ではアイスクリームを食べながら、のんびりと時間の無駄遣いを楽しみ、龍飛埼では二人に飛んでもらった。龍泊ラインでは互いのバイクをとっかえひっかえして乗り比べ、それでようやく十三湖。
 五所川原、黒石を通って城ヶ倉までナビタ君を送った。彼の感想は、津軽半島はいいねぇ、だった。
なぁっ、だろ!


230km



Ihatovo TL125 スカシユリと海鮮丼 2016/6/12
 今日の外ヶ浜は灰色の雲が低くたちこめ、時折ポツポツと雨さえ落ちて来るあいにくの空模様。それでも弟に海鮮丼を食べさせてあげたく、龍飛までひとっ走りした。途中、鋳釜崎に寄るとスカシユリが咲き始めていた。自分の誕生花だというニッコウキスゲはもちろん毎年楽しみにしているが、海沿いの岩場に咲く可憐なスカシユリにも欠かさず会いに来ている。
 龍飛漁港の帯島にある津軽海峡亭の海鮮丼はお薦めだ。弟は「おぉ、すげえ」を連発して美味しそうに食べてくれた。個人的には函館や大間よりここがいい。さて、満腹になったことだし、竜泊ラインのジェットコースターを楽しんでから帰ることにしよう。


176km



Ihatovo TL125 外ヶ浜は"Let It Be"なのだ 2016/5/22
 なんとなく龍飛の神威に会いたくなっただけの話だから、まったく急ぐことはない。とは言うものの、平舘のカモメたちと少し長い時間遊び過ぎたようで、気がつくと太陽は高いところにいた。
 藤嶋のロウソク岩には国道沿いということもあってよく寄る。余市のローソク岩の天を突くような高さはないものの、ここのロウソク岩だってなかなか立派なものだ。小さいからと言ってバカにしないで、是非寄って触ってほしい奇岩である。
 龍飛のカムイに会うために、今日は龍飛漁港側から入った。廃道になりかけた遊歩道を3分ほど歩くと、本当の龍飛埼が姿を現す。こちら側からだと、まるで餌をねだる小鳥のようにも見えるから面白い。更に崩れかけた遊歩道とゴロゴロした岩を10分ほど歩き西側から眺めると、カムイは一変して見事な三角錐と化す。立派だ。見事だ。


176km



外ヶ浜を新幹線が走ってる 2016/3/26
 お化け屋敷に行って大皿をあるだけ全部持ってきてくれ、という上司の理不尽な命令を受けて夏泊の大島に一人で向かっていた時のことだった。車のラジオから青函トンネルの先進導抗貫通のカウントダウンが流れてきた。最後のハッパで海がなにやらポコっと膨らむような気がして、じぃーっと陸奥湾の真ん中を見つめていた。そもそも青函トンネルの真ん中というのは津軽海峡のことだし、爆発でポコっとしたらトンネルは水浸しなわけだからあり得ないこと。だけど、なにか新しいことが始まりそうな予感にワクワクしながら、カウントダウンに呼吸を合わせた。昭和58年1月のこと。どうやらあれから33年も経ってしまったらしい。
 個人的には北海道まで新幹線が通った!ということより、外ヶ浜を新幹線が走る!ということの方が嬉しい。陸奥湾と外ヶ浜の町並みをバックに走るはやぶさが見たかった。そこで、以前から目星を付けていた瀬戸子(せとし)の裏山に登った。標高70mほどなので山というよりは丘。まだ10cmほどの雪が残る伐採地をジグザグに登る。新幹線は高い塀に囲まれたレールを走るので、どうしても高い所から見下ろすことになる。頂上に着くとまるで予測した通りの眺めに驚く。午前11時台の上下3本をじっくり楽しむことができた。東岳があって、陸奥湾があって、外ヶ浜の家々があって、そこを新幹線が音もなく走って行く。まったく信じられないような眺めであって、33年間待った甲斐があるというもの。
 上り列車が青函トンネルから飛び出すときの音が聞きたくなった。今までの特急白鳥などは随分前からゴドゴト音がして、トンネルから顔を出すと同時にボンと低音を響かせながら空気を揺らす。新幹線はもっとすごいんだろうか、などと期待を膨らませて今別町の青函トンネル入口広場に向かった。鉄道ファンで大混雑かなと思ったが、がっかりするぐらい大丈夫。さすがにいつもよりは多目だったが、駐車場にすんなり入ることができた。さて、音。さすがはやぶさの空気抵抗の少なさに脱帽。ボンとしないのだ。すうーと来て、すうーと行ってしまう。すごい、すごい。それにしても今日はヘリコプターがうるさいなぁ。


130km



親子で渡島大島(おしまおおしま)に感激 2016/3/5
 龍飛崎に立つと津軽海峡を隔てて北海道がどぉーんと広がる。そして視線を少し西にやると松前町の小島が見える。直線距離で40kmほどだろうか、渡島小島(おしまこじま)は割と容易に見つけることができる。ところが小島の右側にあるはずの渡島大島は倍も遠いので、なかなかお目にはかかれない。ねらい目は冬の快晴日。冬は山に雪があるので輪郭を確認しやすいのだ。
 両親のために開業まで三週間に迫った奥津軽いまべつ駅に寄る。いいものを見せてもらったとしきりに喜んでいた。龍飛崎の駐車場ではいきなりの大島に三人揃って感動した。これほど綺麗に見えたことはないという。そうだろう、そうだろう、年に何度も通っているあなた達の息子でさえ、こんなのは初めてなんだから。


150km



外ヶ浜のカモメが言うことにゃ 2016/2/5
 国道280号線を北上して青森市の北はずれまで来ると、何やら前方に青空らしきものが見えてきた。9時半に蟹田に着き、スーパーでカフェラテや炭酸ジュース、それに小エビと小魚を乾燥させたおやつなどを買った。やけに腹が減る。
 昼ちょうどに龍飛崎に着く。一年前とは違い、まるで鞭で打たれるような狂暴な風だ。冬の日本海を渡ってきたナマの風に何度も飛ばされそうになる。下の駐車場にいても風は容赦なく吹き付け、車は函館本線の電車のように揺れ続けた。


150km



Ihatovo TL125 塩越と三途の川に架かる橋 2015/10/10
 外ヶ浜を一望にするには、蟹田町と外ヶ浜町(旧平舘村)の境にある塩越の旧道がいい。40年以上前、蟹田を過ぎるとそれより北は砂利道だった。父親に買ってもらった自転車で、まだ見ぬ未知の世界へ憧れて松前街道を北上した。あの日もこの塩越の峠を越えたのだろう。根拠はないにしても勇気だけは余るほど持っていたはずだから、きっと楽しかったろう。ここから同じような景色を眺め、果てない夢を膨らませたのだろう。
 今、40年前と同じ場所に立つ。当時と違うのは砂利道が舗装されたぐらいで、外ヶ浜の見た目はほとんど変わっていない。
 突然、北海道が見たくなったので高野崎まで行く。風が強く、気温も低いためにほとんど人影はない。崎には赤い橋が二本あって、手前が潮騒橋、奥が渚橋。どちらもなにやら軽い名前だが、今日はまるで三途の川に架かる橋のようだった。自分は善人ではないので、きっとあの橋を渡ることは許されまい。軽罪の者でもないので浅瀬も渡れまい。重罪の者が渡るという速い深みがいいところなのだが、今日はちょっと辛い。これじゃ善人用の橋を渡れと言われても無理がある。海峡の機嫌が悪過ぎるようだ。もう間もなく冬がやって来るのだろう。


55km×2



Ihatovo TL125 奥平部(おくたいらへ)と高野崎 2015/9/21
 国道280号線を北上すると、高野崎の手前に今別町の奥平部という地区があり、ここも知らない限りほとんど読めない地名だ。オクタイラヘ、およそ日本語にはない響きだ。「ヘ」が気になる。アイヌ語は無声音と有声音を区別しないというルールに従って「へ」を「ペ」とすると、川という意味になる。意味不明な地名には純粋なアイヌ語に無理矢理漢字を当てたものと、日本語とアイヌ語を合成したものとがある。ひょっとすると奥平部(おくたいらへ)は日本語の「奥の平らな」という意味と、アイヌ語の「ペ(川)」の合成語だろうか。それで、奥の平らな川ということになる。おもしろい。
 奥平部でしばらく遊んだ後、高野崎の袰月側の浜に下りて景色を楽しむ。ここは砂浜がなく、すべて玉砂利なので歩きづらいが、なかなかの奇岩があり、あらためて感動した。さて、脇元でとろろラーメン(とろろ昆布)でも食べようかな。



178km


Ihatovo TL125 鋳釜崎の透百合 2015/6/20
 スカシユリ目当てなら高野崎もいいが、今別側に2kmほど離れた鋳釜崎の方がなおいい。海辺の岩場にポツリポツリと咲き、その鮮やかなオレンジ色は見事だ。日本名は透百合。花弁どうしが重なることがなく、隙間があることが名前の由来らしい。
 長い間、誰にも媚びることがないスカしたユリだと勝手に思っていた。個人的にはそう解釈した方がしっくりくるので、隙間の話は忘れることにしよう。

 


鋳釜崎まで 59km


Ihatovo TL125 夏泊で釜臥山に見惚れ 2015/4/19
 今日は春先には珍しく空気が澄んでいて、津軽半島や下北半島、さらには北海道までもがくっきり。その中でも特に目についたのがむつの釜臥山だった。
 春一番、せっかく夏泊に来たというのに、多くの家族連れのように磯遊びをするわけでもなく、咲き始めた椿を愛でるわけでもなく、ただただ対岸の釜臥山に見惚れた。人は海の向こうの土地に憧れる生き物なのかも知れない。
 少し風が強い。しっかり着てきたつもりでも、まだ昼寝なんかとんでもなく、そのうちなんだか一人でいるのがつまらなくなってしまったので、一目散で町に帰った。早くポカポカになってくれればいいのだが・・・

 


32km×2


外ヶ浜晴れのち晴れ 2015/3/26
 本当は龍飛の階段国道まで行きたかった。ところがいつもの悪い癖で、あまりにもペースが遅いものだから、予定を変えざるを得なくなる。鋳釜崎(いかまさき)で休憩後は、今別から小国峠を通って蟹田に戻った。

130km


外ヶ浜になごり雪が降る 2015/3/14
 昨夜は昔の仕事仲間と楽しく話し、楽しく飲んだ。あれからもう随分時間が経つというのに、未だに誘っていただけるありがたさ。人の心はありがたい。



40km×2


津軽海峡晴れのち晴れ 2015/2/4
 自分の中には遠いむかし海峡を渡ってきた人の深い想いが残っているのかも知れない。それが時としてひょっこり頭をもたげるものだから、ひと冬に何度もここに立つ。こうして海峡越しに冬の北海道の山々を眺めていると、すうっと落ち着いてきて、さて もう少し頑張ってみようか、なんて思ったりする。


82km×2


大島で束の間の勘違い 2015/1/25
 青森市に住む者にとって真冬の夏泊半島は天国のようなところ。茂浦(もうら)を過ぎて稲生(いなお)まで行くと雪は極端に少なくなって、大島ではまったくその姿がなくなる。市内からわずか30Kmほどしか離れていないというのに、この違いはなんだろう。
 1月だというのに自転車に乗れるし、オートバイで遊ぶことだってできるまさに別天地だ。ただね、この時期にツーリング姿で国道4号線を走ると、「おろぉ、バガでね」 (あら、まあ、やだ、頭おかしいんじゃないの、という意味)と言われるのが目に見えているので我慢しなければいけない。
 大島の標高は60mそこそこ。辛いのは最初の階段だけで、稜線に出てしまうと後はのんびりとしたハイキング気分で灯台まで行ける。この時期の東側の景色が好きだ。冬の低い太陽のせいで、青い海をバックにした木に自分が立っている稜線の影が映る。すると葉っぱをすべて落としてしまった冬枯れの木が下は暗く、上が明るいというなんとも幻想的な姿に変身してくれる。


32km×2


浅所海岸の白鳥 2015/1/3
 新しい年が明けた。それにしてもこの冬は雪が多く、12月上旬からずっと降り続いている。今日も津軽地方は吹雪の予報。あ〜ぁ、やだやだ。それでも、西より東の空が微かに明るかったので、正月の暇つぶしに平内の白鳥に会いに行く。
 いたいた、シベリアからようこそ。3,000Kmもの距離を飛んで来たんだってね。偉いねぇ。それにしても君たちは大きいなぁ。
 おとなしそうに見える白鳥だが、時々羽を大きく広げてバタバタと喧嘩が始まる。餌の取り合いなのか、恋人の取り合いなのかは知らないが、おいおい仲良くしろよ、意地悪はよくない。


28km×2


Ihatovo TL125 大平山元遺跡 2014/11/9
 蟹田から蟹田川に沿って西に9Kmほど行くと大平(おおだい)地区。ちょうど今別へ分岐する信号機がある辺り。ここはなんと世界四大文明(紀元前5,000年頃)より遙か昔の約16,500年前の土器片が見つかったところ。なになに、すると世界最古の文明ということ?
 大山ふるさと資料館でいろいろ詳しく教えてもらった。縄文草創期の遺跡で、旧石器時代の特徴を持つ石器が多く出土しているらしい。土偶好きとしては石器ばかりで少しがっかりだが、宇鉄遺跡の土偶が数体展示されていて、その不思議な造形に見入ってしまう。
 それにしても隣の敷地に作ったストーンサークルアートは失敗のような気がする。大平山元遺跡とは全く無関係です、と言われればそれまでだが、環状列石は縄文後期の話で、年代的にはここの遺跡とは1万年も違うはず。「日本最古の土器」という由緒正しき肩書とはあまりにもかけ離れたただのアートだそうで、それはないでしょう。本気で世界遺産登録を目指すなら考え直した方がいいかも知れない。



100km


Ihatovo TL125 龍飛埼のカムイ 2014/8/31
 こじんまりとした駐車場があり、お土産屋が二軒あって、灯台の傍から北海道が見えるところ。それが龍飛埼なんだとしてしまったらもったいない。本当の龍飛埼は駐車場の西側にある「竜飛崎遊歩道」を歩いて海まで標高差90m下りた先にある。
 ここも奇岩の宝庫だ。積丹半島の神威(カムイ)が本家本元なのだが、尖がり岩を見つけるとどこだって、なんだってカムイだと思ってしまう。
 ところで、タッピ。「竜飛」だったり、「龍飛」だったりする。正解は「今は龍飛」ということになる。もともと「龍飛」だったものを1949〜1999年までの50年間は村の依頼で「竜飛」としていたらしい。なので、龍飛埼にある「竜飛崎遊歩道」は別に不思議ではない。



100km×2


Ihatovo TL125 砂ケ森と龍飛埼のアジサイ 2014/8/9
 松前街道を北上すると高野崎へ上る坂の直前、「赤根沢の赤岩」という看板がある地区が今別町砂ケ森。青森市からだと56kmほどの道のりで、弁天様がある静かな港だ。
 海沿いが好きな者として、砂ケ森という地名についてはいつも違和感を感じている。別に先祖代々受け継がれてきた地元の大切な地名に文句をつけようとしているわけではないが、こののんびりとした静かな漁村に、「砂ケ森」という字が似合わないような気がしてならない。
 この辺りでは錦石が採れるそうで、特にここの朱赤石は珍しいものらしい。だから、「赤岩」で良かったんじゃないかとか、「赤根」だったら音が優しいのでもっと風情があったんじゃないかとか、おせっかいなんだが、あれこれ気を揉んでしまう。


82km×2


夜越山に登る 2013/11/1
 頂上からの小湊港の眺めが気に入ってしまったので二週連続の夜越山。特に東滝や間木あたりの風情が好きだ。ただ、運動不足が心配な人は案内板にある「頂上まで20分」は信じない方がいい。あれはどう考えても若いバリバリ人のタイムであって、私などはハアハアゼイゼイ言いながら30分ほどもかかってしまう。勿論二度目だからといって負けてもらえるはずもなく、今回も辛かった。でもね、すべては自分のせいなので、案内板を恨んでもしようがないか。
 山を下りてから知人に教えてもらった浜子の海岸に寄ってみる。秋だからか、薄ら寂しさを感じたが、ここから眺める東滝漁港もまた良し。
 


80km


Ihatovo TL125 大島の小学一年生 2012/9/15
 「朝ごはん食べてこなかったの?」
「うん、腹減ってしまった」
「うう〜ん」
「ボク何年生?」
「一年生・・・あれイワシかなあ、見でくる」
「すみません、お客さんが来ると張り切ってしまって」
「とんでもない、楽しいですよ」
 外に出た小学一年生が「海は広いな大きいなぁ」と歌った。そしてラーメンを食べ終えたころにまたやってきて、「イワシ死んだった」と悲しい顔で教えてくれた

 


85km


Ihatovo TL125 平舘の海岸 2012/9/2
 平和だ。だからここに居て海を眺めていることがいつの間にか生活の一部になった。個人的には天国に一番近いベンチと呼んだっていい。

 


40km×2


六條間 2012/1/4
 そうだ、海に行こう。そうだ、六條間(ろくじょうま)に行ってみよう。三厩の義経寺から1.5km、算用師(さんようし)の隣の地区だ。三厩には独特な響きの地名が多く、算用師も六條間も味がある。ここも北から海峡を渡って来た人たちが住みついた場所なんだろうか。
 正月四日、とても静かだ。今日は海峡の音さえ聞こえない。いいんだろうか、こんなにも静かで。

 


150km


Ihatovo TL125 いまぺつ 2011/11/13
 個人的には今別は「いまべつ」ではなく「いまぺつ」である。「別」はアイヌ語のペツ(川)に違いない。今別川の河口に座ってカモメを見ていてそう思った。
 ほんの十日前までとは生活が変わってしまった。世の中に流されてみるのも悪くないかと思ったのが運のつき。人のためならと柄にもなことを考えたのがいけなかったのかも知れない。どんどん、どんどん話が進んで籠の鳥だよ、まったく。
 あ〜あ、この冬は熊になろうと思っていたのに。
ねえ、おかしいだろう、いまぺつのカモメさんよ。


125km


Ihatovo TL125 袰月海岸 大泊 2011/7/2
 懲りもせず、というか正確には飽きもせず、また袰月海岸。大泊恵比須神社の隣の小さな船泊まりがよくて。
 下まで下りて岩伝いに進むと、巨大なカムイだと思っていた4本の大岩が本当の姿を現した。海はミドリ、海の中は森。
 大泊の隣の与茂内地区には松陰くぐりという変わった岩がある。かつては松前街道の難所のひとつだったらしい。吉田松陰が通ったことから名づけられたとか。


170km


Ihatovo TL125 神秘のさい沼 2011/6/18
 青森市から北へ35キロ、平舘は今も昔。平らな海があって、でっかい空があって、目の前には下北半島がべったりと寝そべっている。
 玉川に沿ってどんどん高度を上げて行くとさい沼への分岐が現れた。左折して沼へ向かう。さい沼は龍神様が住む神秘の沼だという。東日流外三郡誌の和田さんがこの沼を知っていたら・・・わざわざ田沢湖まで行かずにこの沼のほとりに立って、「ほれ、これがここのご神体ですよ」と言っていたのかも知れない・・・などと考えていたらモリアオガエルの大合唱が始まった。
 分岐まで戻って、今別の道の駅に抜ける林道を走ってみることにした。道は適度に荒れていて実に楽しい。津軽半島最高峰の丸屋形岳と第二峰の袴腰岳の眺めも満喫した。さい沼往復を含めた全長は約20km。絶対に車で越えようとしてはいけない楽し林道だった。


130km


真冬の外ヶ浜 2011/1/12
 今朝の最低気温は-9度。そんな寒い日にわざわざ竜飛に向かうなんて・・・。だけどね、突然冬の梹榔が見たくなってしまったのだからしようがない。
 昨年12月4日、念願の新幹線が開通した。ねぶたの家ワ・ラッセもA-FACTORYもいいだろう。弘前城も黒石温泉郷も、津軽鉄道だって、浅虫温泉だっていい。でもね、北国の冬を実感したかったらやっぱり外ヶ浜。ろくに交通機関もないし、営業中の飲食店だって少ない。だけどね、ここには日本の原風景があるんだ。


80km×2


Ihatovo TL125 やっぱり外ヶ浜 2010/9/12
 「今日は何処へ行くの」と聞かれて、タッピと答えると、決まって「好きだねぇ」と言われる。考えてみると、年に何度も出かけるものだから、津軽半島をぐるっと一周することはある意味生活の一部になってしまったと言えそうだ。どうしてこれほどまでに外ヶ浜がいいのか。
 今日の目的はなにもない。のんびりと海のある景色に触れることができたらそれでいい。そうだ、旧道だけ走って行こう。
 


185km


勝手に外ヶ浜船小屋街道 2009/11/23
 龍飛崎の4kmほど手前から船小屋が並ぶ、まるで日本の原風景のような漁村が続く。北の外れの行き止まりという不安や寂しさがつくり出す幻想なのか、その最果て感といったらこれ以上はないように思える。
 ところが、旧道に入ってジュースの自動販売機がひとつあるだけのメイン通りを歩いてみると、さっきまで感じていた寂しさなんて微塵も感じない。それどころか、まったく逆に人間の底力を見せつけられるような思いがするから不思議だ。無責任な感傷なんて大きなお世話、人は生きるために生きているんだ。
 きへんに兵という字と、きへんに郎という字を並べなれて、どうだ読んでみろと言われても、普通はとてもじゃないが読めない。梹榔と書いて「ひょうろう」。


往復140km


Ihatovo TL125 風の夏泊半島 2009/10/3
 どうにもまた海が見たくなって、まったく困ったものだ。イライラや「怒」の続きっぱなしじゃ、体も脳みそも腐ってしまう。深みにはまってしまわぬよう、必死になって一線を引こうとするが、なかなか思うようにいかない。
 午後1時を過ぎてから、お気に入りの原付二種を車庫の奥から引っ張り出して、久しぶりの夏泊に向かう。そこそこ風があって、そこそこ波が高い。大島を見物に来た人たちは「寒い寒い」と言って早々に退散した。
 カモメはいいなあ、そんななかでも悠然と飛行を楽しんでいた。いいなぁ、飛んでみたいなぁ・・・


85km


Ihatovo TL125 平舘灯台 2009/8/30
 日本中が政権交代選挙とやらで大騒ぎしているけれど、個人的には急に秋らしくなってきたことの方が気になる。今日は雲が多いわりに、山の見晴らしがやけにいい。
 道の駅たいらだてから海に出ると公園があって、その中のあるベンチがお気に入り。いつものように寝っ転がって一時間ほどボケーと海を見る。
 帰りになってもまだ見晴らしが良かったので蟹田の観瀾山に寄る。下北半島が一塊に見えたなんて初めてだ。どうやら外ヶ浜にも秋がやってきたようだ。


往復90km


Ihatovo TL125 夏泊半島東回り 2008/5/3
 さて、天気もいいし、今日は前回の続きだ。小湊港、間木港の次は東滝港。おっと、その前に先日知人から教えてもらった、夏泊ホタテラインにある「白鳥ドリームパーキング」に行ってみよう。小高い駐車場からは陸奥湾の野辺地側が一望できる。地元の人が自信を持って紹介してくれただけのことはあり、そこからの眺めはまさにホタテの聖地を一望することができた。
 旧道に戻り間もなくすると東滝港。後方に控える安井崎灯台が印象的な港だ。全国的にみても四角い灯台は珍しいのでは?
 東滝港を出て海岸沿いの広い道を5kmほど北上すると、鼻繰崎の手前が白砂(しらす)港。孫と釣りを楽しむおばあちゃんが幸せそうだった。きっと大漁だったのかも知れない。
 次の東田沢港はすごく大きい。4羽のカモメが出迎えてくれたので、お礼にかわいい写真を撮ってあげた。


95km


Ihatovo TL125 平内小湊港 2008/4/6
 平内町には津軽でもなければ南部でもない風が吹く。東津軽郡という住所からすると津軽なんだろうけど、津軽の匂いとはほど遠く、野内に関所があったことを考えると南部なんだろうけど、それらしさなど微塵もない。つまり、津軽でも南部でもなく、平内は平内なのだ。
 夏泊半島は陸奥湾を青森湾と野辺地湾に別ける。西側の青森湾側から半島に入ると、急勾配のくねくねした道が続くものの、茂浦や稲生などのんびりとした漁港に心が安らぐ。大島で遊んだ後は、野辺地湾に沿って小湊に向かうが、そのころにはたいがい正午を過ぎているので陽があたる場所が少なく、なんとなく薄ら寒い。しかも平坦な道が続くので、少しスピードを上げて帰りを急ぐことが多く、東側の港ではゆっくりしたことがない。ということで、今回は小湊から入ってみることにしよう。
 港巡りは多くの場合バイパスを通らず旧道を走ることになる。県道9号線は浅所海岸の手前で大きく左にカーブして広く立派な道路になるが、逆らって旧道を直進する。雷電橋を渡ると旅立ちに遅れをとった白鳥たちが数十羽、まだ人間と遊んでいた。そこから300mほど進むとホタテの聖地、小湊港である。漁が解禁になったばかりなので、船からホタテを陸に揚げるための機械がガラガラと忙しく回っていた。陸揚が終わった船は慌てるようにまた海に向かう。そんなに慌てなくても、と思うが、商売なのだから仕方がない。岸壁の端に立って海の中を覗きこむと、ホタテの貝殻が一面に敷き詰められていた。春の穏やかな光を浴びて水中でキラキラと輝く貝殻の破片が一瞬500円玉に見えてしまったあさましさがおもしろい。
 小湊港はいくつにも分かれていて、次の間木地区は300mほどしか離れていない。しかも間木は三つの港が連なっていて、まるでホタテのメッカというイメージである。浅所からまだ1.5kmも走っていないのに、すでに4回もエンジンを止めたことになる。ヘルメットをとると、なにやら聞き覚えのある高笑いに驚いた。趣味で釣り船を持っているという話をしてくれたことがある知人だ。船体の補修作業をしているらしい。まさかこんなところで会えるとは、その知人もまさか私がバイクに乗って現れるとは思ってもいないわけで、二人とも相当驚く。船の上で捕れたてのホタテをご馳走になりながら海の話をいっぱい聞かせてもらい、とても楽しい時間を過ごした。海が好きな人は大らかでいい。
 1時間ほどのんびりした後、バイクに戻り出発の準備をしていると青森の仲間からメールが入った。今どこにいる?いっしょに遊ぼうぜ!という。仲間からの誘いほど嬉しいものはなく、間木から先はこの次にしよう。


往復60km


Ihatovo TL125 増泊林道は滝の林道 2007/8/14
 三厩小泊をむすぶ全長23km(ダート18km)の増泊林道。三厩駅のそばから林道に入り数キロ進むと滝が次々出現した。孫作小滝とか獅子ケ沢小滝とか・・・。それにしても看板が大きい。町の意気込みを感じるが、過ぎるのはいただけない。
 小泊から竜泊ラインで龍飛崎に上り、国道339号線で三厩に戻ると、林道あり、ワインディングあり、漁村ありの極上一周コースができあがる。
 三厩に戻ると義経と弁慶がバスから降りるところだった。間もなく義経まつりが始まるのだろう。


150km


Ihatovo TL125 義経寺とスカシユリ 2007/6/24
 今日も松前街道。陸奥湾沿いを軽く流して、今回は高野崎から寄り道を開始。スカシユリが険しい岩壁にしがみついていた。2kmほど西側の鋳釜崎では更に可憐な奴を見つけた。
 三厩の義経寺に寄る。寺の方に「信じるか信じないかは本人次第」と言われたが、お茶をご馳走になった身としては信じるしかないでしょう。


170km


Ihatovo TL125 青森なのに松前街道 2006/9/9
 国道280号線は北海道まで続いている海上国道なので、青森県だというのに松前街道という。今は立派なバイパスができてしまっているので、昭和にタイムスリップするために分岐点ごとに海側の旧道に入った。その旧道は蟹田を過ぎると極端に狭くなり、ところによっては屋根が道の半ばまでせり出している場所もある。古き良き時代だったのだ。


170km


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