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Ihatovo TL125 種里城址 2022/10/16
 前田目からひたすら岩木山を目指すと小友に出る。小友からさらにネックレスロードに向かい、右折して急な山道を下ると中村川に出る。中村川に出たら2Km程遡ると県道190号線の入口。ようやく本日のスタート地点である。
 里山ののどかな道を10Kmほど楽しむと赤石林道に出て、山側に3Km程進むとようやく本日の目的地、種里城址に着く。
 いわずと知れた津軽藩発祥の地。F君もH君も興味津々で展示物を見ていた。さて、千畳敷にでも寄っていきますか。



78km



Ihatovo TL125 ジュっとはしなかった 2022/6/11
 夏を予感させるこの時期の西海岸はいい。須郷崎でほたて丼を食べた後、北上を開始した。
 ジュっという音が聞きたくて午後6時ごろから千畳敷で日没を待った。残念なことに肝心な時に雲に隠れてしまったが、まっいいや、また来ればいいのだから。



130km×2



Ihatovo TL125 風合瀬の弁天島 2021/9/5
 今日は風合瀬(かそせ)の弁天島。奇岩が多い深浦でも特に変わった岩が多く見れるのでお薦めです。



150km



Ihatovo TL125 ベンセ沼と日本海と遮光器土偶 2021/6/6
 ニッコウキスゲが見頃とあって車が長い列をつくっていた。みんなマスクをして、ボソボソと会話をしながら見事な景色を楽しむ。
 ベンセ沼から2Kmほど北上した平滝沼から日本海に出る。長い間、ただただボーっと海を見る。飽きることはない。



120km



鯵ヶ沢でオホーツク色 2021/2/13
 その昔には随分栄えたという港町も今は静かなもので、釣り人さえ4〜5人しか見当たらない。時々地元の爺さんが自転車でやって来てはボ〜と海を眺めているだけ。



片道 60km



Ihatovo TL125 ウェスパ椿山の展望温泉 2020/7/18
 目のやり場に困ってしまうほどのいい眺め。10月31日で閉めてしまうなんて、あまりにももったいない。



片道 105km



Ihatovo TL125 陸奥森田駅 2020/6/28
 津軽富士見湖からつがる地球村までは西に向かってわずか3.5Km。相変わらずなぜ地球村なのかはよくわからないが、家族連れがチラホラいるので、そういうことなのかとも思う。
 陸奥森田駅に降りてくると駅員さんが一生懸命に窓を拭いていた。とても綺麗好きな人なんだろう、10:50発の弘前行きを見送るとすぐにまた掃除を続けた。あんな生真面目な人間になりたいものだ。



105km



Ihatovo TL125 千畳敷で西を向く 2020/6/10
 海なので別に西だけを目指す必要はないのだけれど、それでももし、この海を西へ西へと進んだら一体どこに着くんだろう。ロシアのウラジオストック辺りだろうか。
 家に帰ってから地図を見て驚く。北朝鮮の真ん中辺りの金策市というところ。しかも距離にして900Kmほどしかない。ちなみに、西北西に進むとウラジオストックまではなんと700Kmしかない。どちらも極度に近い他国なのである。



180km



Ihatovo TL125 天狗峠の絶景 2019/6/9
 白神ラインなんてこ洒落た名前をつけるから場違いなレクサスLSまでが入ってくる。その昔は弘西林道といって、今でも40Km以上も砂利道が続く悪路なのだから、初心者はやめておいた方がいいに決まっている。天狗峠なんて、津軽峠から更に17Kmも先なのだからとんでもない。



250km



Ihatovo TL125 山田野の菜の花畑 2019/5/11
 テレビのニュースでしきりに「見頃ですよぉ」と誘うものだから、山田野の菜の花畑に行く。津軽富士見湖からやまなみロードに入り、西に5Kmほど走ると、おおぉ、岩木山が笑ってる。



50km



不思議なへなし 2019/3/20
 夕陽が見える海辺の露天風呂で有名な不老不死温泉のすぐそばに名前は不明なのだが一本のローソク岩がある。目を凝らしてよく見てみるとてっぺんが異様だ。まるでピラミッドの先端を切り取って、横に無理矢理貼り付けたような恰好をしている。不思議なんだが、崩れ落ちそうなのに今日もくっついている。
 艫作と書いてなぜ「へなし」と読むのかはわからない。逆に「へなし」をなぜ艫作と書くのかも不明。そもそも「へなし」ってなに?さすが東北難読地名の第一位になっただけのことはある。地元の人に聞いてみると、「あやなぁ」と困ったような顔をするだけだった。



片道105km



関のゴッホはのんびりや 2018/11/17
 北金ヶ沢のことを地元の人は関(せぎ)という。日本一の大イチョウは二割、1.3Kmほど離れた折曽のイチョウは九割といったところでした。大イチョウがゴッホになるのはもう少し先のようです。


片道72km



三十三年ごとの御本尊さま 2018/7/28
 聖徳太子は実在したのかとか、坂上田村麻呂がこんな田舎町まで来たのか、なんてどうでもいい。深浦町円覚寺のご本尊は聖徳太子作で、807年に坂上田村麻呂が建立した、と地元の人間が皆信じているのだから、それでいい。
 本尊十一面観世音菩薩に圧倒され、同時に展示されていた船絵馬や髪の毛で刺繍された涅槃図に人間の強さを見た。次の三十三年後がない人間たちにとってはかなり強烈な体験だった。



片道100km



海しか見えない驫木駅 2018/3/18
 車が三つで轟(とどろき)。だけどここのとどろきは馬が三つ。漢和辞典を開いてみても「驫」は馬が群がり走るさま、音読みで「ヒュウ」としか書いていない。だれが「とどろき」と読むことにしたのだろうか。
 驫木港に寄ってみる。静かだ。カモメしかいない。それにしてもなぜ集落から1Kmも離れたところに駅舎をつくったのだろう。港の目の前にでも駅舎はつくれそうなのに・・・。世の中わからないことが多い。



片道87km



音平(おとびら)の崖 2017/9/5
 七里長浜港のはまなす公園でホテルグランメール側を眺めると、大きな崖が目につく。場所を替えて日本海拠点館から見てみるとさらに大きい。ワサオで有名なイカ焼き屋の脇から浜に降りて崖下まで行ってみた。
 地殻変動で隆起した海岸段丘だろうか。斜めに走った大きな地質の変化がまるで切り傷のように見える。地球のダイナミックな活動に直接触れることができる貴重な場所だ。



片道60km



Ihatovo TL125 須郷岬から旧道を通って 2017/7/15
 青森から西に60Km進むと日本海。75Km地点が千畳敷、深浦までは100Km。県境の須郷岬に着くと130Kmになる。今日の深浦町の最高気温は青森市より4度低い29度の予報。なので目的もなく、ただなんとなく日本海。
 須郷岬に直行して、のんびりと旧道巡りをしながら帰ることにする。大間越の静かさと松浦の古いトンネルがいい。椿山の裏道もお気に入り。夏の日本海はおおらかでいい。



130km×2



誰が呼んだかベンセ沼 2017/6/14
 去年のベンセ沼のニッコウキスゲは花芽が少なくてがっかりだったが、今年はそんなことはない。ただ、あらら、来るのが少し遅れたようだ。白く色が抜けてしまった花が目立つ。ごめん、ごめん、遅くなった。
 それでも木陰に咲いていた可愛いやつを見つけた。君はニコニコキスゲですか?と聞くと、「いえいえ、日光黄菅です」と言う。別名は禅庭花(ゼンテイカ)。今年も会えてよかった。



105km



春彼岸の中日です 2017/3/20
 「こんにちはー、綺麗なところですねー」
今日は天気もいいので最高だね。
「どちらからですか」
青森です。
「わたしは弘前から、福寿草が見たくて」
あぁ、もう咲いてましたよ。



100km×2



日本一の大イチョウはオスか? 2016/11/12
 去年とほぼ同じ日に訪ねて来たというのに、今年の大イチョウはまだまだ黄緑色。県内の紅葉が去年に比べると一週間ほど遅かったので、イチョウもそれにならってかペースが遅い。なので、たこ焼きを食べた後は手前にある折曽のイチョウに戻って黄色を楽しむ。
 先日、弘前公園で星の数ほどのイチョウの実(銀杏)を見た。ところが、ここは何年も見に来ているというのに実を見たことがない。あれ、どうしてだろう。と、いうことで爺さんと婆さんに聞いてみた。すると、なんと、イチョウの木にはオスとメスがあるという。弘前公園で見たのはメスのイチョウで、北金ヶ沢のイチョウはオスということらしい。へぇ〜、そうなんだ。世の中わからないことだらけ。だから楽しいということだ。



72km×2



ぐるっと240°海だね 2016/8/6
 暑い、暑い、ずうっと海のそばにいたい。ということで探検隊は千畳敷で涼んでから、風合瀬(かそせ)の弁天島に向かった。道の駅ふかうらの隣にある風合瀬漁港を通って灯台のある島を目指す。鉄製の遊歩道が設置されているので簡単にたどり着くことができるのだが、ほとんど訪れる人はいない。青い海と奇岩を独り占めできる真夏の隠れスポットなのだ。
 チョコレートが融けたようなどろっとした岩、巨大な軽石のような岩、窓から青空が見える岩、異様に丸い岩、火星の地表のようなキズ、奇岩の連続に大喜び。



80km×2



Ihatovo TL125 沸壺の池と日本キャニオンの谷底 2016/7/23
 今日の目的は日本キャニオンに触ってみること。展望所から眺めていると、ますますその想いが強くなった。いつものように王池前の食堂に入って、ラーメンを食べながら店のおばさんに谷底への行き方を聞いてみた。するとおばさん、「日暮橋のガードレールが切れたところから入ればいい」と嬉しそうに話す。熊は大丈夫ですか?というと、「この辺では熊にやられた話は聞かない」という。よし、決行だ。
 先ずはおばさんお薦めの沸壺(わきつぼ)の池を見る。すると、本当に青池に匹敵するぐらいの青い池だった。青池を見飽きたらここがいい。さてさて、日暮橋まで戻って本日のメインイベント。幅1mほどの細い道だが、しっかり踏み跡があるので迷うことはなく、10分ほど歩くと平川市の白岩公園の岩壁を数倍スケールアップしたような異次元の空間に辿り着く。正直言って、これはこれはとあきれるしかない。ここは青森ですか、って感じなのだ。触れてみると白い凝灰岩はサラサラと、まるでチョークの粉のように崩れた。さわっちゃいけない。大事な大事な絶景だから眺めるだけにしてほしい。



115km×2



はい、これがベンセ沼です 2016/6/11
 ベンセ湿原はニッコウキスゲ、ノハナショウブの群落を中心に、カキツバタ、トキソウ、ミズチドリ、モンセンゴケ等多数の植物が自生し・・・と看板にあったはずなのによく読むこともしないで、遊歩道を右側から回り始めた。
 数日前の東奥日報に今年のベンセ沼のニッコウキスゲは花芽が少ない、という記事が載っていたが正にそのとおりで、いつもの年よりだいぶ花が少なかった。それでも大滝沼から眺める岩木山がやけにべっぴんさんだったので全て救われた。



130km



大間越関所跡の福寿草公園 2016/3/20
嬉しいことや、楽しいことがある。
寂しいことや、悲しいことがある。
心配なことや、どうにもならないこともある。
いいじゃないか、よくある話しなんだから、と思うことにした。
誰もがよくある話しの中で、よくある話しのように生きている。
いいじゃないか、ただそれだけのこと。
 オヤジが海の向こうを見て「北海道見えねぇなぁ」と言う。まっすぐ行ったら北朝鮮だよと言ってもなかなか納得してくれない。さて、墓参りも済んで、フキノトウもいっぱい採れたから、大間越(おおまごし)の福寿草公園にでも行ってみますか。



123km×2



千畳敷ラーメンと潮吹岩 2015/9/5
 岩木山の山麓で嶽きみを買ってから鰺ヶ沢に出て、今年何度目かの千畳敷に向かう。今年は運が悪いのか、元気な潮吹岩にお目にかかれず、少し意固地になって今日もまた千畳敷。
 気温23度、西風で風速は3m/s。条件としてはベストだったのかも知れない。


182km


見入山観音堂 2015/8/13
 西津軽郡は津軽でありながら他の津軽とは少し違った匂いがする。ゴツゴツした岩だらけの美しい海岸があったり、ここのように突然古い歴史を感じさせるものが出現したりもする。深浦町の追良瀬(おいらせ)地区にある見入山(みいりやま)観音堂は津軽三十三ヶ所観音霊場の最大の難所。なにせ鳥居をくぐると間もなく急な階段が始まり、上で猿たちがキーキーはやし立てるなかを、ヒーヒーいいながら頑張らなければいけないのだ。信仰深いお年寄りたちはこの急坂をものともしないで登るという話を聞いたことがあるが、そんなバカな!爺さん婆さんに登れるわけがない!と思ってしまうほどの上りなのだ。
 母方の祖母はカミサマだった。なぜ人間なのにカミサマなのかはよくわからないが、どうやらその昔ここで修業をして、そういうことになったらしい。それにしてもここは不思議な匂いのするところだ。


98km×2


Ihatovo TL125 大戸瀬岩のカモメ基地 2015/7/12
 NHKの日曜美術館を見終わったら、天気予報を確認して、どこでもいいから晴れている方面を目指して走り出す。これ、長い間続けている日曜日の過ごし方その一。
 それにしてもこの暑さはなんだ?ひょっとするといつの間にか夏か?どうにも暑過ぎて、Tシャツ一枚でバイクにまたがり日本海を目指す。千畳敷なら涼しいだろう。潮吹岩のシャワーを浴びよう。目的はたったそれだけ。
 ところが残念、千畳敷は南風に満たされ、潮吹岩は一時間たっても沈黙。岩海苔ラーメンを食べながら西風を待つが、一向に風向きは変わらず。しょうがないので大戸瀬岩のカモメたちと遊んだ。


73km×2


出来島の最終氷期埋没林 2015/3/27
 どうしても異空間のような不思議を体験してもらいたくて、出来島の埋没林に連れて来た。案内板が約2万5千年前から約2万8千年前に書き換えられていたのは少し驚いたが、埋没林は相変わらず健在で、その不思議な風景に「青森でないみたい」を連発していた。
 気温は15度と高いものの、なにせ風が強かった。運が悪いと砂に顔をたたかれ、目も開けられないほど。


55km×2


大岩のじいさんへ 2015/3/21
 母方の祖父母を知らない。とくに祖父については、小舟に乗って大岩付近で波にさらわれたということを母から聞かされているだけ。だから母は大岩を憎んだ。何年も何年も大岩に近づかなかったという。
 仏教では、向こうの岸を彼岸(ひがん)といい、こちらの世界を批岸(しがん)というらしい。ひょっとすると今日、じいさんは岸に立っているかも知れない。だから今年もまた一人で大岩に上った。


100km×2


Ihatovo TL125 日本キャニオン 2014/10/26
 北金ケ沢の「日本一のイチョウ」を目当てに出掛けたものの、まだまだ緑色が少し薄くなったかなという程度で、豪華絢爛には程遠い。この町の秋の訪れはもう少し先のようだ。天気もいいし、気温もこの時期としては21度と有難いほど暖かい。せっかくだから十二湖の日本キャニオンを眺めることにする。
 八景ノ池の駐車場から0.5Kmの階段状の遊歩道を頑張って歩いた人だけが真っ白い大岸壁に会える。この苦労が突然報われるという感激は来るたびに味わえるが、やはりどうも名前が少し大袈裟過ぎて気恥ずかしくなってしまう。近頃だと例えば白神キャニオンとか、千年続く名前だったら白神大白壁とか・・・
 王池前の食堂でラーメンを食べながら青池あたりの紅葉情報を仕入れると、最盛期は少し過ぎてしまったようだという。まあ、それでもここに来たら青池は外せない。ところで、観光客の感想は直接的で容赦無しだから楽しい。「きれい」という人がいるかとおもえば、「どこが青いの」とか、「葉っぱだらけで見えない」とかさまざま。青池は春の午前中、それもほんの少しだけ風がある日がいいんですよ、と口出ししたくなったが止めた。


115km×2


Ihatovo TL125 勝手に追良瀬埼 2014/8/23
 円覚寺の目の前にある食堂でラーメンを食べていた時の話し・・・
「バイクで来たの?」
はい。今日は追良瀬(おいらせ)の浜に行ってみようと思って。ところで、河口にあるあの大っきい岩はなんて言うんですか?
「あれねぇ、あれはあそごにあって当たり前のサキだから、名前はないよ」
 国土地理院や海上保安庁によると、「埼」は海に突き出した突端部、それが石であれば「碕」。「崎」は平野に突き出した山の突端部。「岬」は海や湖に突き出した突端部、ということになっているらしい。
 すると追良瀬のサキは「埼」か「碕」がいい。たしかに国土地理院の1/25000を見ても、標高48.3mとあるだけでやはり名前はない。よし、勝手に名前を付けてしまおう。ここは「追良瀬埼」だ。もっとも、もう少しひねって「屏風碕」なんてのもいい。奥入瀬渓流に屏風岩ってのがあるから。


98km×2


Ihatovo TL125 誰と合うのか行合崎 2014/8/13
 海岸草原は開発によって全国的にも減ってきているという。青森県内では太平洋側の種差海岸と寒立馬が遊ぶ尻屋崎、それにここ行合(ゆきあい)崎ぐらいしか知らない。
 夏の行合崎は底抜けに明るい。空と海と草原。それに気持ちのいい風。さらに草原の先の岩場では日本海の白波が砕け散る。
 行合崎とはいい名だ。いったい誰と会うというのか・・・


95km×2


推古天皇は夕陽を拝む人だったか 2014/5/28
 日本という国名が使われ始めたころのはなし。今から1400年ほど前の、聖徳太子の時代のこと。隋の皇帝は東の小国から届いた、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつが無きや」という国書を見て大そう怒ったそうな。おそらく、「倭(わ)のくせに生意気だ」とかなんとか言って。
 人は元来太陽を拝む生き物であり、日の出に向かうと自然に手を合わせたりする。なので、大陸の怒りもわからなくはない。ところが、こうして夕陽を眺めていると、どうだろう。お日様が与えてくれた一日に対して感謝の念が湧いてきて、更に水平線の遙か向こうにある大陸の雄大さまでもが見えてきた。
 大国との対等外交を狙ったといわれるエピソードだが、本当に強気一辺倒で戦略的な国書だったのだろうか。ひょっとして、推古天皇は日の出と同じように夕陽にも手を合わせる人だったのではないだろうか。大陸に畏敬の念をもってしたためた心からの言葉だったのではないだろうか。もしそうだったら、なんとなく嬉しいんだが。


10km


Ihatovo TL125 潮吹岩とかぶと岩と岩木山 2012/10/8
 窓を開けると雲ひとつない夜明け前のしんとした日本海。相棒を起こさないようにそおっと部屋を抜けだし、かぶと岩に向かった。東を向いたそのいかつい顔は予想通り日の出とともに真っ赤に染まった。今日もいい天気だわ。
 潮吹岩のすぐそばにどかっと座って日本海の波に呼吸を合わせて何回も何回もシャッターを押す。するとだんだんタイミングがつかめてきて、この日は正確に10秒間隔で爆発した。朝日を浴びた少しピンク色した大爆発に感激していると、空がいつの間にか青くなった。
 赤石からミニ白神を通って岩木山に上る。雲ひとつない底抜けの空に二人であきれる。白神山地を見下ろしていた相棒が「まるで地図を見ているようだ」と更にあきれた。


150km


Ihatovo TL125 白神ラインと十二湖と深浦の夕陽 2012/10/7
 八戸の相棒は約束の10時きっかりに十和田湖の滝ノ沢峠に姿を現した。缶コーヒーを飲みながら本日のコースを相談するが、話題は先日の携帯電話紛失事件のことばかり。さて、そうそうのんびりもしていられない。近頃は日没が早いので、そろそろ出発しますか。
 暗門の滝から42kmにもおよぶ未舗装路を走って、結果的に山を三つ越えたら日本海。十二湖に寄ると、「青池」と書いた看板と一緒に記念撮影したいという相棒はピースしながらニカっとした。
 のんびりし過ぎたせいで日没までに千畳敷に着けそうにもない。民宿に予定より遅れることを電話して、深浦で沈むお天道様を拝む。まぁ、なんて素敵な夕陽日和なんでしょう。


280km


Ihatovo TL125 風合瀬の弁天島 2011/6/26
 風が合う瀬と書いてカソセ。五能線の難読駅のひとつになっている。道の駅ふかうらから歩いて数分のところにある弁天島は奇岩だらけだ。灯台付近のなんとも風通しのよさそうな大岩や、変に哲学的な配置をしたまん丸い大石、じっと眺めていると何かに見えてきそうなのにそれ以上イメージが膨らなくなる大穴など飽きることがない。まるで奇岩美術館のよう。その中でも特にスゴイのは、溶岩が溶けだす途中で急に冷えてしまったような岩と、どうしてもなにか得体の知れない凶暴な獣に見えてしまう岩。やはり先人たちも神を感じたのだろう、岩の上部には小さな祠があった。


80km×2


Ihatovo TL125 西浜街道の関所と県境 2010/9/26
 端っことか、てっぺんとか、行き止まりなどというものにそそられる。いったいどんな景色なんだろう、そこにはどんな生活があるんだろう。
 今から400年前、津軽は弘前藩で、秋田は佐竹藩だったそうな。当時は西浜街道が参勤道であったために大間越に関所を作った。参勤道が羽州街道に変更され碇ヶ関の関所が騒がしくなるまでは重要な場所だったに違いない。
 国道101号線、大間越トンネルの直前左側に「福寿草公園へ」の看板がある。舗装された一車線の道をどんどん上っていくと、岬のてっぺんに出た。そこが津軽藩三大関所の一つ、大間越関所だ。復元された柵と東屋があるだけのうすら寂しい場所だったが、それもそのはず、関所にはいろいろな物語があったはずだもの。
 おもしろいのは、現在の秋田県との県境はここから7kmほども南にある須郷岬であるということ。青森県は領土を広げ、秋田県は領土を失ったわけだが、それがいったいどんないきさつで、またはどんな事情でそうなったのか。ひょっとして現代人が得意とする画一的な方法で単純に高い山の稜線を県境にしたのかも知れない。そこで暮らす人間のことなんて一切お構いなしだ。


130km×2


Ihatovo TL125 鰺ヶ沢と千畳敷と宇宙人 2010/5/23
 道は町を変える。その昔、鰺ヶ沢は津軽の海の玄関として大いに栄えたというが、山側に立派なバイパスができてからは、町には取り残されてしまったような寂しさが漂う。意識して旧道に入らない限り鰺ヶ沢に触れられないというのはなんともいただけない。
 鰺ヶ沢港を散歩すると予想以上に立派な岩木山に驚かされた。昔、西日本の商人たちもきっとそのりっぱな姿に驚いたに違いない。浜町、釣町、漁師町、淀町など古い街並みをのんびりと歩いた。
 せっかくなので、昼飯後は15kmほど先にある千畳敷まで足を伸ばした。で、びっくりしたねぇ〜。まさかここでまた宇宙人達に会えるとは・・・


150km


Ihatovo TL125 白神ラインの黄葉 2009/10/25
 アクアグリーンビレッジの山菜そばで腹ごしらえをして、一年ぶりの弘西林道を走り始めたのが昼少し前。霜のせいなのか、路面がしっとりと濡れていて、ほこりが立たないのがありがたい。
 三つの峠とも黄葉まっさかりといった感じで、まるで黄色い絵具の中を走っているようだった。綺麗な場所を見つけては躊躇なくエンジンを止めて休憩するという、いつものペースで白神を楽しむ。
 岩崎の5kmほど手前で右折して、深浦町の開拓地だったという長慶平に向かう。狭くてクネクネした上りが続いたが、初めて走る道はなぜか楽しい。


235km


Ihatovo TL125 出来島の埋没林 2009/7/12
 日本海に面した出来島海岸に1kmにわたって約2万5千年前の埋没林があります。樹種はエゾマツ・アカエゾマツ等の針葉樹で、幅約30cmの泥炭層に1〜2m間隔で数千本と世界でも最大規模のものです・・・(案内板より)
 2万5千年前がどれほど前のことなのかは想像もできないが、どうやら縄文より前のことで、旧石器時代、クロマニョン人の頃の話らしい。
 無性に2万5千年前に触ってみたくなった。手を触れ、目をつむった。すると日本海の波たちがザワザワと騒ぎ始めた。


120km


Ihatovo TL125 白神ラインでマグリットの空へ 2008/10/13
 青森市から75km、アクアグリーンビレッジは一回目の休憩と、これから始まる林道走行のためのスイッチ切り替え基地としては都合のいい場所にある。相変わらず軽い登山服に身を包んだ中高年の方が多い。おそらく暗門の滝トレッキングに出かけるのだろう。
 「この先42km砂利道」という注意書きを横目に白神ライン(弘西林道)に入る。車が多い。無茶な走りをしている方は少ないようだが、どうも林道初心者も入り込んでいるようだ。触らぬ神に崇りなし、近寄らない方が利口である。8kmほど走ると津軽峠。マザーツリーと呼ばれる樹齢400年のブナの巨木に挨拶する。
 乱岩の森を越えて赤石川に下り、天狗峠を越えて追良瀬(おいらせ)川に下り、一ツ森峠を越えて笹内川に下る。27年ほど前に二度走ったことがあるが、当時に比べると道は格段に走りやすくなっていた。見通しの悪いコーナーにはミラーが設置され、危険な崖はガードレールが守ってくれる。反面、車が多くなってしまったので、別な意味での注意が必要になってしまったのが残念だが・・・
 それでも津軽平野から山を越えて日本海に出たという感動は昔のまんま。マグリットの空が見たくてわざわざ山を越えて来たんだ。



240km


Ihatovo TL125 西津軽郡で夕陽を拝む 2008/9/14
 拝啓、相棒さま。秋田県の八森を出発して、ようやく深浦まで北上してきました。県境の須郷岬では白神山地が断崖となって日本海に落ち込む絶景に見とれ、日本キャニオンでは白い岩肌に呆れたり、岩崎の象岩の造形美に神技を感じたり、西海岸はまるで飽きません。
 復路はすべて旧道を走っているので、道が細い細い。横磯からは気がついたら遊歩道を走っちゃって、ついには階段なんか現れたものだから冷や汗ものでした。往路、1時間弱で走った深浦八森間を4時間もかけて戻って来たことを考えていただくと、いかにぶらぶらしているかがわかってもらえるかと思います。
 深浦は夕陽を売っている町です。このままの調子でいくと、今日は綺麗な夕陽が拝めそうなので、千畳敷辺りで待ってみようかなと思っています。


330km


風待ち港 2007/10/21
 曇り時々晴れ、風速だいぶ。久しぶりにパワー全開の日本海を見た。「いつも観光チックなオレンジ色だと思ったら大間違いだぞ!」と怒っていた。
 深浦駅前の大岩の傍で1時間以上も粘っていただろうか。海は飽きない、特に波はきりがない。風に飛ばされないように足を踏ん張り、カメラのレンズは数分おきに拭き続け、ハタから見ればまったく奇人変人。
 その昔、深浦港は北前船の風待ち港だったという。鯵ヶ沢港などと並んで上方文化の入り口として栄えた港だ。


100km×2


Ihatovo TL125 くろくまの滝 2007/8/25
 自分がオフロード乗りだということをとても幸せなことだと感じている。ミニ白神種里城跡くろくまの滝、赤石林道、弘西林道と走って、その思いが更に強くなる。
 くろくまの滝は駐車場から10分ほど歩くだけで拝めるのでかなりお薦め。しかも涼しいことこの上ない。ただ、熊の湯からの6kmは簡易舗装なのでロードバイクでは少しつらいかも。
 くろくまの滝から奥はオフロードバイクの世界。しかしまぁ、世界遺産になったおかげで津軽峠には立派なトイレや駐車場ができて、3ナンバーのクラウンロイヤルサルーンやアリストが停まったりしている。観光客(自分もその一人だが)の増殖力は恐ろしく、弘西林道は危険な観光林道になってしまった。特に、林道走行に慣れていない車はコーナーの真ん中を走ってくるので注意しないととんでもないことになる。アクアグリーンビレッジで会った能代のKLXさんも同じことを嘆いていた。


170km


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