Movie Review 2006
◇Movie Index

犬神家の一族('06日本)-Dec 16.2006
[STORY]
長野の犬神財閥の創始者・犬神佐兵衛が亡くなり、遺言状が公開されることになった。法律事務所からの依頼で探偵の金田一耕助(石坂浩二)も公開に立ち会うが、その遺言状は奇妙なものだった。それは佐兵衛の恩人の孫娘・野々宮珠世(松嶋菜々子)が、佐兵衛の腹違いの3人の娘、松子(富司純子)、竹子(松坂慶子)、梅子(萬田久子)の息子、佐清、佐武、佐智のいずれかと結婚すれば、全財産を珠世に譲るというものだった。
監督&脚本・市川崑 (『犬神家の一族』)
−◇−◇−◇−
原作は横溝正史の同名小説。1976年に公開された作品のセルフリメイク。金田一の石坂、等々力の加藤武、大山の大滝秀治は30年前と同じ役で出演。前回竹子を演じた三条美紀と梅子を演じた草笛光子は別の役で出演している。

金田一耕助の映画やドラマ、特に『犬神家』は内容を知るために見るわけじゃなく、ストーリーを全部分かっていても見てしまう。『忠臣蔵』みたいなもん。菊人形に生首とか湖に足ニョッキリなどは様式美と言っていいでしょう(笑)だから旧作のほうが良いと言われても製作されたら見ないわけにはいかない。石坂は確かに老けたけど、金田一といえばやっぱりこの人。猟奇的な事件とは対照的に、屈託のない性格でするりと事件の渦中に入り込み話を聞く姿が自然で好きなのだ。他の人はもうちょっとこう、探偵だからと構えたような感じがするので。もうリメイクはこれだけでいいから、監督や役者さんがお元気なうちに新作であと4本ほど作ってくれないかなー。10年前の豊川悦司金田一の『八つ墓村』も石坂でできたよね。もったいなかった〜。

脚本は旧作とほぼ同じだが、多少分かりやすくなっている部分もあり、カットして分かりにくくなっている部分もあった。一連の事件の犯人が犬神家内部の者の犯行と思われていたところに、復員服の男という外部の者が容疑者として浮上するのだが、なぜ容疑者となったのかの説明が省かれてしまったので、旧作を見ていない人には急にどうして?と思っただろう。ここは撮影したのにカットになってしまったシーンかも?
もう1つ気になったのは珠世が佐清に懐中時計を直してほしいと渡すシーンだ。旧作では受け取った佐清が蓋を開けてから珠世に返していた。だから後の珠世の「裏蓋に指紋がついています」のセリフは正しい。しかし本作では蓋を開けずに手に取っただけですぐに返してしまう。それなのにセリフはそのままなのだ。どちらも簡単なミスだが、内部にドップリ嵌ってると案外気づかないのかしらね。試写の段階でもいいから誰か気付けよ〜。

役者については旧作のほうがいい人が多いし、松子も高峰三枝子が素晴らしかったが、松子と佐清の母子セットで見ると、私は本作のほうがグッときた。富司純子と尾上菊之助という実の母子が演じているという目で見てしまっているせいか、2人が泣きながら話すシーンでこちらも思わずもらい泣きしそうに。尾上はアレの時のしわがれた声も上手く不気味な表情の作り方も良かった。でも珠世と並ぶと姉と弟にしか見えない(苦笑)何しろデカイし老けてるんだもん。そもそも珠世に松嶋というのが最大のミスキャストだった。このおかげで他のミスキャストが気にならなくなるほど。やはり島田陽子(旧名)は美しかったな・・・。
home

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

あるいは裏切りという名の犬('04フランス)-Dec 16.2006オススメ★
[STORY]
パリ警視庁のBRI―探索出動班の警視レオ・ヴリンクス(ダニエル・オートゥイユ)と、BRB―強盗鎮圧班の警視ドニ・クラン(ジェラール・ドパルデュー)は、かつて親友だったがカミーユ(ヴァレリア・ゴリノ)という女性を奪い合い、彼女がレオと結婚した後はライバル関係にあった。そんなある時、マンシーニ長官(アンドレ・デュソリエ)の昇進が決まり、2人が次期長官候補となる。
監督&脚本オリヴィエ・マルシャル(『ギャングスター』)
−◇−◇−◇−
監督は元警官で、1980年に俳優として映画初出演。監督作としては本作で3作目となる。本作では元娼婦マヌーの情夫役で出演もしている。共同で脚本を担当したドミニク・ロワゾーも元警官で、実際にパリ警視庁で起きた事件や、汚職の罪を着せられ投獄された経験を元に本作を書いたという。
フランス映画祭2006では『パリ警視庁/オルフェーヴル河岸36』というタイトルで上映された(映画祭では見逃した!)

オートゥイユ、ドパルデュー、デュソリエ、と好きな役者が揃った作品ということで楽しみにしていたが、正直言って内容はほとんど期待しなかった。だってフランス映画でハード・ボイルドやサスペンスって生ぬるいシーンがあったり、ヘンテコなエピソードが入っていたりして納得できるものがあまりないから。でも本作には、いい意味で裏切られた。ここまで完成度が高いとは!無駄なシーンは一切なく(テンポを重視したのかちょっと説明不足に感じる部分もあるが、最後まで見ると理解できるからいいかと)さまざまな事件が複雑に絡み合い、伏線が後に効いてくるという素晴らしい脚本だった。

刑事と強盗犯との銃撃戦も経験が活かされているのか迫力があって見ごたえがあったし、ライバル2人の対決もゾクゾクさせられた。過去に同じ女を取り合ったという設定はありがちで陳腐な感じもしたが、そういう過去があったからこそ2人には常に緊張感が走っており、本当はいつでも戦えるが上の立場として心を静めようと努力しているさまが伺える。この2人に対し、マンシーニは毒にも薬にもならないキャラクターで、レオの良き理解者ではあるが全く力になれないというところがおかしみと悲哀を感じさせる。彼はおそらく一度も命を投げ出すような仕事はしていないのだろう。調整役を買われて出世してきたのではないか。ドニが彼に吐き捨てた言葉がすべてを物語っていて、セリフ1つ取っても上手いなぁと感心してしまった。

ここまでいい作品だとリメイクしたくなる気持ちも分かる。けれどこれがフランス映画だから新鮮だったわけで、ハリウッドではそう珍しくもないから、デ・ニーロやジョージ・クルーニーが出演したとしても凡庸な作品になりそうだ。『NARC ナーク』を監督したジョー・カーナハンなら同じような雰囲気を出せそうだが、さてどうなるか。

レオの娘ローラ役の子がオートゥイユにとてもよく似ていて、よく探してきたなぁと思っていたら実のお嬢さんだったのね(笑)しかもお父さんが主演した『メルシィ!人生』が映画初出演だったようで。チョイ役だったからもちろん覚えてないけど。声はすごく可愛らしい子だなーと思ったが、ぶっちゃけ顔は・・・お父さんに似すぎで・・・(以下略)2人とも鳥顔なんだよね。お父さんが鳩なら娘は鷹という感じでした。
home

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

硫黄島からの手紙('06日本)-Dec 9.2006
[STORY]
1944年6月、日本軍の拠点である硫黄島に栗林忠道中将(渡辺謙)が新しい指揮官として降り立つ。アメリカにいた経験を持つ栗林は、アメリカとの戦いが厳しくなると予想しいきなり作戦を変更する。それに一部の将校たちが反発するが、ロサンゼルスオリンピック馬術競技の金メダリスト“バロン西”こと西竹一中佐(伊原剛志)は賛同する。また、上官から体罰されていたところを栗林に救われた西郷(二宮和也)も慕うようになる。そして1945年2月19日、ついにアメリカ軍が上陸を開始する――。
監督クリント・イーストウッド(『父親たちの星条旗』
−◇−◇−◇−
太平洋戦争末期のアメリカ軍と日本軍の硫黄島の戦いを、日米双方から描いた2部作のアメリカから見た作品。アメリカから見た作品は『父親たちの星条旗』
『星条旗』のほうは原作があったが、本作は栗林忠道がアメリカ留学中と戦地から子供たちへ送った手紙を纏めた本『「玉砕総指揮官」の絵手紙』や、当時の資料、取材を元に脚本が書かれた。

これで2作品とも見たわけだが、私は『星条旗』のほうが良かった。『硫黄島』は、回想シーンはあるがメインは島内で日本兵たちが玉砕するまでを描いたものなので、やや単調に映った。それとやっぱり日本人キャストで日本語で、となると見方が厳しくなるというか色々と気になってしまうのかも。アメリカ人が見ると『星条旗』も違和感あるかもしれないが。

一番の違和感は西郷役に二宮和也というキャスティング。学徒兵にしか見えないのに妻子持ちの元パン屋ってありえん。彼の妻役が裕木奈江って彼女のほうが10歳くらい年上じゃないの。日本で赤紙を受け取る回想シーンでは、彼が渋い着物を着て主人らしく振舞う姿に一瞬コントかと思って笑いそうになるのを堪え、監督ごめんなさい!と心の中で謝ったことは内緒だ(って書いてるじゃん)物語が進むにつれ次第に違和感は消えていき、ラストで西郷の役割を理解したが、ならば尚のこと西郷は若い兵士として栗林を葬る役目を担ったほうが良かったのではと思った。

またタイトルに『手紙』と付けておきながら、兵士の手紙も家族からの手紙もあまり読まれなかったのが物足りなかった。届いた手紙、届かなかった手紙、いろんな想いがあっただろうに。感傷的な作品にしたくなかったのかもしれないが、後のシーンでアメリカ兵の母の手紙を読むシーンがあるのだから、その前に日本の母からの手紙を読むシーンがないと共通する想いが伝わってこないのでは。
さらに『星条旗』のような余韻を残す素晴らしいラストシーンがなく、あっさり終わってしまったことも物足りなく感じた。本作のラストも期待してたんだけどな。

とはいえ、本土を守るために硫黄島で戦った先人たちに改めて感謝したくなる映画だった。栗林やバロン西の人柄に胸を打たれ、彼らのような高潔な人達があの島で散ってしまったのかと思うとやりきれなくなるが、彼らに敬意を払って描いてくれた映画で本当に良かった。

そして『星条旗』ではアメリカ兵たちを驚愕させた、日本兵の自決に至るまでの状況を克明に描いている作品でもあった。アメリカ人にとって自決というのは不可解なものだっただろう。上官から強要されたり、他の兵士が自決したから自分もやらざるを得なくなった――というケースはクレイジーに映ったかもしれない(そこが日本人らしいのだが)けれど死ぬ間際は彼らも家族を想って死んでいったということや、栗林やバロン西の選択については理解したのではないだろうか。・・・それにしても集団自決シーンは今思い返しても一番つらいシーンだったな。自分があの状況にいたらどうしただろう?と考えずにはいられなかった。

正直言って、イーストウッドの映画だから『星条旗』と『硫黄島』を見たわけで、日本人監督による日本映画だったら見たかどうかというと、ちょっと微妙だ。でもミーハーな理由でも、どんなきっかけでもいいと思っている。この2本の作品と“大本営”を描いた『太陽』が同じ時期に上映中というのも偶然とはいえ、日本人が過去を知るのにいい機会を与えてくれたと思う。
home

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

パプリカ('06日本)-Dec 1.2006スキ★
[STORY]
精神医療研究所に勤めるサイコ・セラピストの千葉敦子(声:林原めぐみ)は、サイコセラピー機器を使ってクライアントの夢の中に入って治療を行う極秘のセラピーを行っていた。彼女は夢の中では“パプリカ”という少女になって、心の秘密を探り出していくのだった。そんなある日、敦子の同僚で天才科学者の時田浩作(声:古谷徹)が開発した画期的サイコセラピー機器“DCミニ”が盗まれる事件が発生する。それは悪用されれば他人の人格をも破壊する危険があった。そして、その不安は的中、所内に次々と犠牲者が出始める・・・。 監督・今敏(『東京ゴッドファーザーズ』)
−◇−◇−◇−
原作は筒井康隆の同名小説。2003年に今と筒井が対談をした際に『千年女優』を見た筒井が、こういうことができるなら『パプリカ』も映画化してほしいとお願いしたという。2人はバーのマスターとウェイター役で声の出演をしている。
第63回ヴェネチア国際映画祭に出品された。

今さんの作品は劇場で見るのは『PERFECT BLUE』以来だけれど『千年女優』も『東京ゴッドファーザーズ』もDVDで見ている。本作は原作が筒井先生ということもあって、久しぶりに劇場へ足を運んだ。
オープニングクレジットが『東京ゴッドファーザーズ』の時と少し似ているけど、本作のほうがより凝っていて曲もピッタリで素晴らしい出来。もうここだけで満足。音楽は『千年』と同じ平沢進だけど、主題歌も含めてこっちのほうが浮遊感があって心地よかったので早速サントラを購入した。

あの長い原作をずいぶんコンパクトにしてあって、それが物足りないと感じるところもあったけど、全体的には上手く纏めてて分かりやすい作品になっていた。DCミニとは?夢治療とは?という説明を小説ではとにかく文章で説明するしかないが、映画では短い映像でもすんなり理解できる。まず冒頭で現在担当している事件に悩む刑事・粉川の夢が登場する。彼の悩みは事件のことだけでなく学生時代の思い出も関係していることが夢の中で分かっていく。その夢にパプリカが入り粉川の心を開かせようと呼びかける。これが夢治療だ。この夢の映像も最初は突飛で驚いたが、この後に出てくる狂ってしまった人間の夢と比べたら、粉川の夢がはるかにまともに見える。その夢もやはり粉川と同じように過去の思い出の場所などが出てくるのだが、不気味でどんどん心の奥に沈み、このまま目を覚ますことができないんじゃないかと思うような夢なのだ。でも映像として見る分には狂った人間の夢のほうが面白い。この夢の映像が素晴らしすぎてクライマックスが物足りなくなってしまったのが残念だった。さらに凄まじい映像を期待していたので。また、粉川が担当していた事件についてももう少し触れてほしかった。事件の場面を繰り返し見せられたのに、その詳細が分からないまま最後にただ一言事件は解決した、と言って終わり。これでは拍子抜けだ。

さらにもう1点気になったのは、『イノセンス』にすごく似てる箇所が多いということだった。日本人形やパレードのシーンも似ていたし、声の出演者も一部被っている上に見た目までそっくり。『イノセンス』のトグサと本作の小山内はどちらも山寺宏一なのだが、顔がかなり似ている。キムと乾もそっくり(声が竹中直人と江守徹と、どちらも声優ではなくテレビでおなじみの人というところも一緒)大塚明夫もどっちにも出てるし・・・どうせなら千葉敦子の声も田中敦子のほうが良かったかも(笑)林原めぐみはパプリカの声は合っているけど、千葉敦子の時は甘く感じたので。

それでも私はこの映画は好きだ。みんなに見てほしいオススメ映画というわけではないが、ただボーッと見るだけでいい、身を委ねていたい映画だった。でも90分は短すぎるなぁ。もっと見ていたかった。
home

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

トゥモロー・ワールド('06アメリカ=イギリス)-Nov 26.2006
[STORY]
2027年イギリス。人類にはすでに18年間も子供が誕生しておらず、世界最年少だった少年も殺されてしまい人々は絶望している。希望のなくなった世界ではテロが横行し、イギリス政府は国境を封鎖し不法入国者を取り締まり治安を維持していた。
ある時、エネルギー省に勤めるセオ(クライヴ・オーウェン)は反政府組織“FISH”に誘拐される。何とそのリーダーは元妻のジュリアン(ジュリアン・ムーア)だった。彼女は不法入国者の少女を“ヒューマン・プロジェクト”という組織に引き渡すため、セオに“通行証”を手に入れて欲しいと懇願する。最初は拒否したセオだったが、結局ジュリアンに協力することに――。
監督アルフォンソ・キュアロン (『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
−◇−◇−◇−
原作はP・D・ジェイムズの『人類の子供たち(The Children of Men)』 映画の原題も『Children of Men』なんだけど、邦題が『トゥモロー・ワールド』なのがなぁ。映画の中でトゥモロー号という船が出てくるからだろうけど『デイ・アフター・トゥモロー』のパクリ映画?みたいな扱いされたら嫌だなと(同じようなことを『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』の時にも似たようなこと書いたけどね)
第63回ヴェネチア国際映画祭でオゼッラ賞(技術貢献賞)を受賞した。

常にカメラがセオのすぐそばにいて、一緒に行動をともにしていく。『宇宙戦争』に似たところがかなりあると思った。あの映画も宇宙人ことなど分からないままに逃げ続け、状況を過多に説明しない映画だった。見て判断しろ、という。これって映像に自信がないと出来ないことだよね。本作の場合は2027年という近未来だけど、未来らしいものをほとんど出さず(テレビやPCくらい)現代とあまり変わらない。その中で混乱する世界を逃げるセオとともに見せていく。臨場感があって一気にこの世界の中に入っていけた。

けれど私が気がついたところで2箇所、セオが見ることができないシーン(セオが逃げた後のジャスパーの部屋と、トゥモロー号の甲板の上)があったのが逆に目立ち、違和感があった。どちらも削ったって問題ないシーンだと思ったんだけど、どうして入れたんだろう。確かに入っていたほうが分かりやすくて親切だけど、他のシーンでは見せてないんだから上の箇所も同じだと思うんだけどね。やるなら徹底的に潔さがほしかった。といっても、このままでもじゅうぶん潔い作品なんだけど。(ネタバレ)セオが死んでしまったところで映画が終わってしまうんだから。(ここまで)

混乱する世界は過去の戦争や現在起きている紛争などを連想させるもので、チラッと映る日本の映像は地下鉄サリン事件みたいだった。やっぱり日本でテロといえばこれなわけね・・・。不法入国者の収容所は(過去に映画で見た)ホロコーストとよく似ていて、バスで運ばれる途中の検問のシーンはゾッとする。不法入国者たちが並ばされて服を脱がされて折檻されて・・・をバスの窓から次々に見せていく。ものすごく怖ろしくて嫌なシーンだったけど、見せ方としては面白いなぁと感心してしまった。

原題が聖書からの引用なせいか、ストーリーも聖書を下敷きにしているように感じた。キリスト教圏は聖書に出てくる人物や聖人の名前にちなんだ名を付けることが多いので、こじつけと言われればそれまでだけど、馬の嘶きとともに子供が誕生し、“神の賜物”(Theodore)という意味の名を持つ男がそれに立ち会う――なんて象徴的なシーンじゃない。その子の名(Dylan)はケルト神話で“海”という意味があり、母と子が海に出て行くシーンもある。宗教的な背景に詳しい人ならもっとメッセージを読み取ることができただろう。でも難しいことを考えたり深読みせずとも、見ただけでズンと胸にくる映画だと思う。赤ちゃんの顔を見ただけで思わず顔がほころんでしまうのと同じで、理屈じゃないんだ。

ところで、エンドクレジットの最後に“Shanti Shanti Shanti”と出るんだけど、これに例によってあの字幕担当者が余計な訳をつけていた。“Shanti”とはサンスクリット語で平和という意味だ。直訳か、何もつけなくて良かったのに。相変わらず元の作品を台無しにしてくれる。
home