Movie Review 2006
◇Movie Index

THE 有頂天ホテル('06日本)-Jan 26.2006
[STORY]
新年まであと数時間となったホテル・アバンティ。ただでさえ忙しい年末なのに、汚職疑惑のある国会議員の武藤田(佐藤浩市)がホテルに宿泊しているため、マスコミ対応もしなければならず副支配人の新堂(役所広司)をはじめ従業員たちは大忙しだった。そんな中、新堂の別れた妻・由美(原田美枝子)がホテルの客としてやってくる。ホテルで働いていることを隠したい新堂はとっさに嘘をつくが・・・。
監督と脚本・三谷幸喜(『みんなのいえ』)
−◇−◇−◇−
1933年に公開された映画『グランド・ホテル』は、ホテルの中で起こるさまざまな人間ドラマを描いた作品で、このスタイルはのちに“グランド・ホテル形式”と呼ぶようになった。本作もこの“グランド・ホテル形式”の映画で、登場するホテル・アバンティにはこの映画の出演者にちなんだ(グレタ・)ガルボ・スイートや(ジョン・)バリモア・スイートという名前の部屋が登場する。ちなみにアバンティとはイタリア語で「どうぞ、お入り下さい」という意味。

三谷作品は昔の作品のほうが好きで、映画は『12人の優しい日本人』(←これは“三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ”名で脚本担当)ドラマでは『王様のレストラン』と『警部補 古畑任三郎』(のパート2まで)が一番好きだ。最近のは独特の言い回しに慣れてしまったし展開も読めるので、あまり楽しめていない。『ラヂオの時間』と『みんなのいえ』も映画館まで行って見たい作品ではなかった(後で見たけどね)
でも今回は豪華キャストだし(伊東四朗好き)ホテルやレストランが舞台の映画が好きなので見てみました。

が、しかし!初っ端の“謹賀信念”でいきなりつまづく。こういうわざとらしさが三谷作品で実は一番嫌いだったりする。でもこのネタがなければ筆耕係は出てこないし、私が唯一笑ってしまったサンタの首カックンも見られないわけだが。
ほかにもいくつかクドイと思うところはあったものの、全体的にはよくこの人数のキャストにそれぞれ見せ場を作り動かしたなぁと感心。でも感動するまでには至らなかった。たとえば『王様のレストラン』の第5話「奇跡の夜」・・・とまではいかないまでも、凄いことじゃなく下らないことでもいいから、バラバラに行動していた人物たちが意図せず最後に何か奇跡を起こすという展開だったらもっと満足感を得られたと思う。そこまで言ったら贅沢ですかねえ。

見ながら感じたのは、この豪華キャストの柱というか軸は役所広司・・・ではなくアシスタントマネージャーを演じた戸田恵子だということ。いろんな人が出てきてゴチャゴチャやりだしても、彼女が横から出てきて「じゃあわたし○○しておきますね」などと言うだけでゴチャゴチャがパッと収まり、ストーリーが軌道修正される。いや、実は彼女こそ大晦日の騒動を操っていた人物かもしれない。彼女のノートにはすべての人物の行動が記録されているに違いない。アヒルも総支配人もすべて彼女によって動かされていたんだよ!!(な、なんだってー!)←『MMR』風で
ま、冗談はさておき、三谷氏が彼女を相当信頼しており、収拾がつかなくなったら彼女のセリフで仕切ってしまおう、というのがよく分かる作品でした。
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ホテル・ルワンダ('04南アフリカ=イギリス=イタリア)-Jan 21.2006イイ★
[STORY]
1994年ルワンダ。フツ族とツチ族の間で続いた内戦が終わり、和平協定が結ばれることになっていた。しかし協定締結の前夜、フツ族の大統領がツチ族に殺され、フツ族によりツチ族の大虐殺が始まった。ベルギー系の高級ホテル「ミル・コリン」の支配人ポール・ルセサバギナ(ドン・チードル)はフツ族だったが、妻のタチアナ(ソフィー・オコネドー)はツチ族だった。彼は家族を守るため、ホテルに家族や隣人たちを匿う。
監督&脚本テリー・ジョージ(『Some Mother's Son』脚本では『父の祈りを』などを手掛けている)
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ポール・ルセサバギナは実在の人物で、1994年のルワンダ大虐殺(100日間で100万人近くの人々が殺された)で1268人の命を救った。その実話を元にした映画で、第77回アカデミー賞の脚本賞、主演男優賞(チードル)、助演女優賞(オコネドー)にノミネートされた。日本では公開が危ぶまれていたが署名活動などもあり、無事公開が決まったということで、私は署名しなかったんだけど見れて良かった。

主人公たちが助かるというのは分かってたけど、大虐殺シーンを見るのはツライなぁと思ってて、でもそれはほとんどなかった (遠くのほうで鉈を振るってるのが見える程度)なかったので気持ちは楽だったけど逆に緊張感が薄れてしまったし、 (映画だけど)大虐殺をこの目でしっかりと焼きつけておきたいという気持ちもあったんだよね。あってもなくてもイヤだなんて、わがままですな(笑)

ルワンダ大虐殺に至る歴史については公式サイトなどで読んではみたけど、その前に、こんなことが94年に起きていたことすら、この映画のことを知るまで(前年のアカデミー賞の時まで)全く知らなかった。94年といえば自分は社会人になったばかりで自分のことで精一杯だったころ。今でもあまり変わってないけど、前よりニュースなどは多く目を通すようにはなったかな。それでもアフリカといえば飢餓と内戦が当たり前で、どう考えたらいいのかすら分からない。さらに正直に言ってしまうと、映画の中でジャーナリストのダグリッシュ(ホアキン・フェニックス)が「世界の人々はあの(虐殺の)映像を見て──“怖いね”と言うだけでディナーを続ける」とポールに言うシーンがあるんだけど、まさに自分はそういう人間だ。この映画を見たからってこれからアフリカのために何か活動しようなんて考えないしね。映画を見た理由だってアカデミー賞ノミネートしたし評判もいいし、というミーハーなものだ。

というわけでルワンダについての感想は書きません、というか書けません。これだけで分かった気になって書くのはイヤなんで。でもポールが家族を守る話の感想は大いに書きたい。
最初はツチ族の家族や親戚を救うためだったけど、避難してきた人たちも拒否せずにどんどん受け入れていく。正義感丸出しじゃなくて、半ば成り行きでそうなってしまった。でもそう決めたからには最後まで責任を持ってやろうとする、そこが良かった。彼はもともとフツとツチの見分けはしても差別はしない人だったんだろう。民兵が手を出しにくいベルギー資本のホテルという盾があったとしても、彼は立派に、そしてちょっと悪い言葉になるが金品を渡したりして要領よく切り抜けていくのだ。しかしそんな常に頭を働かせ、動き回る彼でも、国連軍や外国人が退去すると知って絶望のあまり立ちつくしてしまう。降りしきる雨の中、さらに次々と逃げてきた人が増えていく。ちょうどそこに子供たちの歌声がかぶるのよ。それがすごく澄んだ声で、思わず涙がぼろぼろこぼれてしまった。タチアナたちが隠れてるシーンや、部下がポールを裏切るところなど、いまいちな演出もあったけど、このシーンは文句なく素晴らしかった。見てホントによかったなーと思った。私のように軽い興味からでもいいと思うので、多くの人に見てもらいたい。
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プライドと偏見('05アメリカ)-Jan 18.2006
[STORY]
18世紀末のイギリスの田舎町。ベネット家には5人の娘がいたが、女性には相続権がないため、父親が死んだら娘たちは路頭に迷ってしまう。母親は何とか娘たちを資産家と結婚させようと躍起になっていた。そんな時、資産家のビングリーが引っ越してきて、彼はたちまち長女のジェーン(ロザムンド・パイク)に好意を持つようになる。一方、ピングリーの親友ダーシー(マシュー・マクファディン)は気位が高く、次女のエリザベス(キーラ・ナイトレイ)は強く反感を抱くようになる。
監督ジョー・ライト(短編やTV映画を監督)
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原作はジェーン・オースティンの『高慢と偏見』で、過去に『分別と多感』(邦題『いつか晴れた日に』)や『エマ』が映画化されている。
また、『ブリジット・ジョーンズの日記』の元になった作品でもある(TVドラマ版『高慢と偏見』でコリン・ファースがMr.ダーシーを演じていて、役柄もマーク・ダーシーとそっくり。他にも類似点が多い)

キャストはほぼ文句なし。ナイトレイが現代的で、もう少し古風な雰囲気が欲しかったところだけど、渡辺えり子にしか見えなかったTVドラマ版より(失礼だが)若くて華があっていい。それとMr.ウィッカム役のルパート・フレンドはオーランド・ブルームを情けなくしたようなルックスな上に出番もそれほどないので、女たらしで借金しまくりな男と言われてもピンとこなかった。

彼に限らず作品全体的に言えることなんだけど、長い話だから仕方ないとはいえ展開が駆け足で、登場人物たちの機微が伝わりにくかった。特に本作のような格式ばった挨拶や会話をした時代では、心と裏腹な言葉を言わなければならない場面があり、そんな時の人物の表情や視線を見てニヤリとするのが醍醐味なわけよ(笑)

だからエリザベスとダーシー、ジェーンとピングリー、それぞれが意識しはじめ、惹かれ合っていくところはもっと印象づけてほしかった。ジェーンがピングリーを愛してないように見えたといわれるシーンがあるけど、2人のシーンがあまりないので分かりにくい(上のウィッカムと同じ)ピングリーがジェーンのドレスを掴むところや、ダーシーがエリザベスの手を取るシーンはインパクトあったけど、全然物足りなかったです!(笑)
それに特に重要なエリザベスとダーシーのダンスシーンは演出がダメだった。オールロケにこだわったせいかもしれないけど、一方向からしかダンスを映してなくて見難いなぁと思っていたら、他の人物たちを消して2人だけが踊る別撮りのシーンを挿入しちゃって、ますますダメ。後から考えてもこのシーンだけ妙に浮いている。全編通じて少女漫画的な表現満載なら納得できるんだけどね。

まぁでも時間の都合上やむなくカットしたシーンがあって、そのシーンを含めた完全版DVDがあったら絶対また見ますよ。てゆーか出して!(笑)
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プルーフ・オブ・マイ・ライフ('05アメリカ)-Jan 15.2006
[STORY]
天才数学者だったが、晩年は精神を病んでいた父ロバート(アンソニー・ホプキンス)が死んで、葬儀が明日だというのにキャサリン(グウィネス・パルトロウ)は何もできずにいた。そんな時、父の教え子であった学生のハル(ジェイク・ギレンホール)が、父が残した研究を調べに家にやってきていた。キャサリンを励まし優しく接するハルと恋に落ちたキャサリンは、彼を信頼し父の書斎の鍵を渡す。すると引き出しからは画期的な数式のノートが見つかる。
監督ジョン・マッデン(『恋に落ちたシェイクスピア』
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劇作家デヴィッド・オーバーンの戯曲『Proof』を映画化にあたって自ら脚本化した作品だが、2002年マッデンは本作の舞台演出を手掛け、パルトロウがキャサリン役を演じている。
ちなみに2000年にメグ・ライアンが主演した映画のタイトルが『プルーフ・オブ・ライフ』(原題も同じ)で紛らわしい。配給会社は似てるのを分かってて付けたんだろうか。

立ってセリフを言い合うシーンが多くて舞台らしさ全開なんだけど、平板にならないようロバートが生きていた時のシーンを織り交ぜ映画らしく工夫していた。また、数式を解いたのはロバートだったのか、それともキャサリンだったのか、観客が謎に引き込まれていくように演出したのは上手いと思った。
ただパルトロウの演技は好きだし、彼女はキャサリンと同じく撮影前に父親を亡くしていてそれが演技ににじみ出ていたと思うけど、キャサリンが姉やハルと言い合うシーンがやはり多すぎてクドかった。姉との会話は、姉妹の関係がよく表れていて面白かったが、ハルのほうはヘンに優しすぎて、彼女を受け止めるばかりで彼自身の魅力がなくつまらなく感じた。しかしあれだけ暴言を吐かれても激怒しないハルってかなり忍耐力のある男だな(笑)

ホプキンスについては凄さを改めて思い知らされた。今までもレクター博士役など凄みのある演技は見てきたけど、助演くらいだとたまに手抜いてる?と感じる時もあったり。でも今回は違う。一見するとロバートのどこが狂っているのか分からない、ただエキセントリックな人だったんじゃないの?と思わせておいて、数式に熱中している時の異様な目の輝きにハッとさせられ、一転ふと我に返って打ちひしがれた表情を見せる。あちら側とこちら側を行ったり来たりしているんだと分かり、キャサリンじゃなくてもやるせなくなった。その演技が過剰ではなく、少し抑え目にできるのがホプキンスのさらに凄いところ。やりすぎると逆に冷めた目で見ちゃうからね。ロバート役にホプキンスをキャスティングしたというのも見事だった。
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天空の草原のナンサ('05ドイツ)-Jan 8.2006イイ★
[STORY]
モンゴルの草原に遊牧民の一家が暮らしている。父親と母親、学校へ通う6歳の少女ナンサ(ナンサル・バットチュルーン)と妹と弟の5人家族だ。ある日、ナンサは家の手伝いをしている途中で一匹の犬を見つける。ナンサはその犬をツォーホルと名付けて家に連れて帰るが、父親はオオカミの仲間で羊が襲われてしまうかもしれないので返してくるように言われる。諦めきれないナンサは父親が留守の間にこっそりツォーホルを飼うことにする。
監督&脚本ビャンバスレン・ダバー(『らくだの涙』)
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宮崎駿アニメのタイトルみたいだけど(原題は『The cave of the Yellow Dog』) モンゴルの遊牧民を描いた実写映画で、実在の一家族が主人公なのでドキュメンタリーだと勘違いしてたんだけど、ちゃんと物語になっていました。でも物語とは思えないような、ドキュメンタリーみたいな映画だった。犬は明らかに製作者によって動かされているのが分かったし、おもちゃの犬やプラスチック製品の使い方はあざといように思えたけど、それ以外は製作者たちが家族に合わせて撮っているように見えた。特に子供たちが無邪気に遊んでいるところは、カメラがいても意識しないようになるまで、じっくりコミュニケーションを取ってきたんだろうなぁ。

モンゴルでは子供を甘やかせて育てるとガラスの子供になってしまうといわれているそうだ。だから小さいうちから大人の手伝いをさせる。子供をとても愛してるけど(モンゴルの人たちが欧米の人たちと同じように、親が子供たちのほっぺにキスするって知らなかった)過保護にはならない。6歳でも大きな馬に乗せて1人で羊の放牧をさせる。ただ、子供が迷子になっても撮影隊が一緒だからねー・・・なんてヤラしいことが頭をよぎってしまい、そんな自分がイヤになった(苦笑)

牛のフンを燃料にしたり作ったチーズを吊るして保存したりと、こういう生活をする人たちの知恵や頭の良さを見るのが大好きでいつも感心してしまうんだけど、大人が子供にモノを教える時のシーンが一番印象に残った。ナンサが犬を飼うことを反対されて駄々をこねた時、母親はナンサに手のひらのへこんだ部分を噛んでみろと言う。へこんでいるから噛むことはできない。ナンサは一生懸命噛もうとするけどやっぱり出来ない。それを見て母親は、世の中には思い通りにならないこともある、と静かに教える。頭ごなしにダメ!って言うんじゃなくて、思い通りにならないとはどういうことかを実際に教えてみるのだ。そしてナンサがお母さんになった時、自分の子供に同じように教えるのだろう。

遊牧民の生活をする人が年々減ってきているそうで、生温い生活をしている自分が言うのも何なんだけど、続けていって欲しいなぁと思う。
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