大リーグ挑戦もごく普通のこと
日本の野球とアメリカ大リーグとの差が、小さくなってきたと言われる。当たり前のことで、何でも追いつけないものはない。体力でも鍛え方によって充分向上するし、プロ野球ともなれば、抜き出た人たちが目指すので、その基本的な体力は並みの人以上である事は確かである。
体力など完全に劣っているものを、少しづつ改善するだけで、差は縮まってくるものだが、文化として捉えると、本場と亜流の違いは出てくる。野球はアメリカの文化そのものであり、アメリカ人気質は野球の発展と共に熟成してきた面もある。体力や技術が追いついてきても、観客も含めた野球文化はそう簡単には同等にはならない。日本には、日本の野球文化というものがあり、相容れないものであっても、独特な文化として日本野球を確立すればよい。高校野球を目指す若者がいること。リトルリーグや草野球熱は今も昔も同じ様に盛んである。
日本の優秀なプレーヤーが、大リーグに挑戦するのは別に特別な事ではない。総合的には学ぶべき点はまだまだ多く、挑戦といっても良い。しかしかつてのような、スクールボーイ的な小僧っ子意識は捨てたほうがよい。
個人個人において大リーグともなれば、さすが優れたプレーヤーも多いが、かなりなレベルで、日本人プレーヤーも伍していけないものではなくなった。マラソンで日本選手が、世界的から目標とされる選手として活躍するように、例え後進のスポーツであっても、いつまでも、絶対的な差がありつづけるものではない。いまや考えも環境もグローバルであり、マラソンやサッカーやその他のスポーツにおいても、日本国内だけのことを考える人は少ない。野球は、その点未だ成熟したスポーツではなかった。今後どんどん大リーグに挑戦する選手が増えて、普通のスポーツとおなじようになるだろう。そして大リーグ挑戦もごく当たり前のこととして考えるようになるだろう。
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