マンモスに学ぼう
グローバルな今日の社会で大切なことは、   思ったことをはっきり健康的に発言することです。       日頃感じていることを大いに語ろう。
スポーツ
 Proposition
Consideration
        My Opinion

Theme

▼WBC世界一に思う

スポーツと暴動

▼大リーグ挑戦もごく普通のこと

オシム監督  サッカーへの期待 

惜しむな努力 

まだまだ強くなる

2010  ワールドカップ1次予選突破

     ベスト16で満足はできない。

     本田よ天狗になるな

バンクーバーオリンピック

結果に悲観することなかれ

所詮スポーツの祭典だ。

国威発揚などとは古臭い。普段の力を発揮すればよい。 

ワールドカップは頑張らねばならない。これはスポーツの祭典などと言ってはいられない。

2009・6・17 

 オーストラリアに負けた。

サッカーは、心臓に悪い。勝っても負けても後を引く。そんなにこだわらなくていいじゃないか。たかがサッカーだ。ワールドカップベスト4なんていうからややこしい。ひそかに選手にそう言って励めばよかったのに。いらないことを各国から言われて、無残であり、みじめになるだけだ。所詮何をやってもそうは評価されるものではないのだ。

 2008・2

 岡田監督は日本人でも稀なる戦略家だ

 日本のサッカーが世界に通用するものとなるにはこの人しかいない。

 日本人に欠けているドライな厳しさがある。

しかし冷酷無比なものではない。あくまでもドライなところがよい。

 2006・ドイツ・ワールドカップ 残念

 今回は負けたけど、まだまだ前進する喜びがある。可能性があるほど楽しみも多い。

戦略を練って出直そう。そのうち日本民族の底力を見せてやろう。

◆WBC世界一に思う

不思議な大会でサッカーのワールドカップのようなものである。そのゲームに勝っただけでいろいろ分析するに値しない。

まして、日本の野球が世界一だとか、などの意味はない。

韓国が日本の優勝にけちをつけてもどうにもならない。最後に残ったのは日本であり、韓国は途中で負けた。

メディアまで一色の韓国の姿はおぞましいだから韓国は嫌われる。

ゲームをゲームとして楽しむ事が大切でありそれぞれ、その国を応援するのは楽しいが、やたら勝敗にこだわることもないだろう。

世界と言うフィールドで高度な野球がそこで展開されればそれで良いのだ。

スポーツと暴動

 結果が気に入らないからといって暴動を起す輩がいるのは情けない。冷静に考える事が出来ないのだから、冷静になれといっても詮が無い。人は急に大人になるわけではないから生まれてから成長する過程で、しっかりしつけやわきまえを教えなければならない。スポーツでも、ゲームでもどんな大舞台でも所詮それだけのものでしかない。そう言うといかにも気が入っていないようにとられがちだがそうではない。贔屓には命がけで見守っている。誰でも命がけでやると言っても、決して命はかけてはいない。当たり前な話である。済んだとき我にかえってその刹那の興奮状態を懐かしむのである。それがスポーツであり、ゲームである。

 暴動を起して気が済むのだろうか。不思議でならない。その人の心情を知りたい。仕事でも何でも自分が力を入れているものにそれだけのエネルギーが注がれいぇいないのではないだろうか。それが無いから暴動を起すほど興奮してしまうのか。暴動を起すことが楽しみな人は又見方が違ってくる。テロや反社会的行為としてこれは粛正しなければならない。スポーツ観戦の後だとしても許されない。社会は甘くない事を示さなければならない。スポーツでもゲームでも勝ち負けを争うものは必ず勝者と敗者がいる。喜ぶものと悔しがる人がいる。どちらかしかないのだから、一定のルールの下に行なわれれば納得のいかないことがあっても甘んじるのが社会である。スポーツを見て以上に興奮するのではなく、自分が自ら行なっている事にもっと情熱をもって接すべきであろう。

大リーグ挑戦もごく普通のこと

 日本の野球とアメリカ大リーグとの差が、小さくなってきたと言われる。当たり前のことで、何でも追いつけないものはない。体力でも鍛え方によって充分向上するし、プロ野球ともなれば、抜き出た人たちが目指すので、その基本的な体力は並みの人以上である事は確かである。

 体力など完全に劣っているものを、少しづつ改善するだけで、差は縮まってくるものだが、文化として捉えると、本場と亜流の違いは出てくる。野球はアメリカの文化そのものであり、アメリカ人気質は野球の発展と共に熟成してきた面もある。体力や技術が追いついてきても、観客も含めた野球文化はそう簡単には同等にはならない。日本には、日本の野球文化というものがあり、相容れないものであっても、独特な文化として日本野球を確立すればよい。高校野球を目指す若者がいること。リトルリーグや草野球熱は今も昔も同じ様に盛んである。

 日本の優秀なプレーヤーが、大リーグに挑戦するのは別に特別な事ではない。総合的には学ぶべき点はまだまだ多く、挑戦といっても良い。しかしかつてのような、スクールボーイ的な小僧っ子意識は捨てたほうがよい。

 個人個人において大リーグともなれば、さすが優れたプレーヤーも多いが、かなりなレベルで、日本人プレーヤーも伍していけないものではなくなった。マラソンで日本選手が、世界的から目標とされる選手として活躍するように、例え後進のスポーツであっても、いつまでも、絶対的な差がありつづけるものではない。いまや考えも環境もグローバルであり、マラソンやサッカーやその他のスポーツにおいても、日本国内だけのことを考える人は少ない。野球は、その点未だ成熟したスポーツではなかった。今後どんどん大リーグに挑戦する選手が増えて、普通のスポーツとおなじようになるだろう。そして大リーグ挑戦もごく当たり前のこととして考えるようになるだろう。

日本のサッカーへの期待

 日本サッカーはまだまだ強くなるはずだ。岡田監督しっかりしろ。 

 

 

ワールドカップ 韓国VS米国を観て

 遺恨試合と言われる。当事国以外の観戦者には単なるBクラスのゲームなのだが、特に韓国にとって見れば、冬季オリンピックのスケートの審判の裁定に不服を晴らすものだったのかもしれない。

 韓国民は単細胞国民なのか冷静さが無い。スポーツは勝ち負けがあり、審判員がしっかり判定を下すと言うルールで行なわれる。世論や、正議論ではない。その時の審判の判断で決まるのである。誤審であっても決定されたら従うのがスポーツである。裁判なら上告して再審査を要求できるが、裁判をやっているのではない。

 韓国民がもっとスポーツに冷静さと淡白さをみにつけなければならない。ゴールを決め同点にしたときの選手のスケートのまねをしたパフォーマンスにテレビでゲームを見ている韓国以外の観戦者は繭を背けたに違いない。

 しかし米国に勝つといった執念はあのパフォーマンスで消えてしまい、その後数度あったチャンスをことごとく失敗してしまっている。純粋な戦いをくだらない遺恨を晴らすパフォーマンスで、ゲームに勝つという目的を壊してしまった事に気がついているだろうか。こんな国家や国民では到底世界から尊敬されそうも無い。やっていることはサッカーでありスケートである。過剰に民族意識を前面に出す時代ではない。その前に純粋にスポーツを愉しむスポーツ精神とスポーツを通じた友情が大切なのである。

ページTOPへ
日本のサッカー人口は増え、強い土壌が熟成されつつある。能力のある選手は競って外国のチームに入り技術を磨いている。

  外国に行くだけで、グローバルな感覚を身に付け人間的一回り大きくなり、よき指導者となるだろう。これが底辺の広さをもたらし、ますます国際的に強豪といわれる日本サッカーに育っていく。これらは釜本などが駄目にしてきたものを取り返して来た。

フランスに負けない日本に。これが最終的な目標だ。初期の目標は達成しつつある。

 次のシナリオをどうするかだ。新しい人材で長期的なビジョンで優秀なリーダーを決めること。目先のことばかりにこだわらない。日本サッカー界全体をレベルアップするような目のいい人を選ばねばならない。外国人でもいい。球技後進国の日本はまだまだ学習しなければならない。それこそ金と知恵を山ほど使って徹底的にトップグループに入れるようにすべきである。