2008・11 新作「母の手紙」より
母が亡くなったのは、北陸では待ちわびた春を今迎えんとする四月十九日でした。
同人誌「あらうみ」の締め切りは四月二十日でしたが、やっと懸案の俳句がまとまり、ポストに投函したのが一日早い、奇しくもその日の朝でした。母が亡くなったあとも、主のいない家に同人誌は送られてきていました。四月十九日に投稿した俳句は三ケ月経った七月号に載っていました。それは母の人生最後の俳句でした。
盛夏真っ盛りの日。初盆に集まった家族に囲まれ「あらうみ七月号」の中で、母のにこやかな笑顔が、俳句と共に生々しくよみがえったのです。
蘖(ひこばえ)の萌ゆる命を眺めけり とし子(注:蘖は春の季語)
樹の根本より勢いよく伸びつつある若芽を眺めながら、ふと我が身に置き換え、自分の死後の家庭を守ってくれる家族のいる満足感を味わっています。
ポストまで紫荊咲く朝まだき
平成十四年
手紙の返事を書いた。紫荊の花が咲いていた。朝はまだ冷え込んで寒い。手紙を書いて心はすがすがしい。
新しきウオーキングシューズ青き踏む
平成十四年
新しい運動靴を履いた。気持がいい。心が弾む。元気で体操に出かけよう。
道すがら吾亦紅咲く非無の歌碑
吾亦紅(われもこう)
歌碑の周りに吾亦紅がいっぱい咲いていた。秋も更けてきたのだなあ。
正信念仏偈より[平成四年 十一月号]
大非無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)
草臥れて宿かる比や藤の花 芭蕉
くたびれて やどかるころや ふじのはな
一日歩き疲れ宿を求める日暮れ、薄紫の花が咲き零れていた 藤の花 春の季語 懐旧の情と旅愁と春愁
2007・8・11撮影 関越自動車道 赤城SS
早稲の香や 分け入る右は 有磯海 芭蕉
関越自動車道路のサービスステーションで見ました初めよく分からなかったのですが、芭蕉が当地に訪れて読んだそうな。
2006/8/12 関越自動車道路 有磯海SSで撮影
七つ滝見にゆく山路合歓の花
合歓の花;ねむのはな
植替へしより朝顔に執すをり
朝顔の花芽を伸ばしわき芽摘む
執す:しっす 一生懸命取り組んでいる様子
どんぐりを見つけました。まだ青い実で少年の頃でしょう。どんぐりは団栗と書きます。
2006・8・8撮影 千葉市磯辺交通公園
どんぐりは全て実が落ちた。緑陰もひんやりしてきた。やがて冬の到来を感じさせる。
◆平成二年 五月号
囀の枝移るとき昼の月
囀:さえずり
強東風の浪音に覚む磯泊り 覚む:さむ
強東風:つよごち 東から吹く春風 春の季語
落椿 美くしければ掃かずあり
◆平成三年 六月号
花菜漬け 帰国する娘を待つばかり
娘はシンガポールへ夫と共に赴任していたが、漸く帰国する。さて何を食べさせようか。今、季節の花菜漬けはおいしく出来たし、早く会いたいものだ。
◆平成二年 四月号
雪間より掘りし大根瑞瑞し
冱返りつつ蝕に入る夜半の月
冱返り:さえかえり 瑞瑞し:みずみずし
冱:こおる こごえるように冷たい
冴と同じ 冱寒(ごかん)いてつくような寒さ
茣蓙帽子 被て千代尼像 寒明くる
茣蓙(ござ)藺草(いぐさ)の茎で織ったむしろ
紅を解く梅の一樹に歩を止めし
◆平成三年 七月号
鞦韆の 離れし子らへ揺れ止まず
鞦韆:しゅうせん:ぶらんこ 春の季語
春愁の解きほぐされし娘の帰国
春愁:春の季語 春の季節の、なんとなく愁わしい気持ち。なんとなく気がかりだった娘がやっと帰国する。ほっとした気持ちが伝わる。
麗かや 娘と富士五湖を巡る旅
表富士 より裏富士へ春の旅
◆平成七年 六月号
薄氷を ピシリと踏みて登校す
強東風の 浪音高き磯泊り
一の瀧二の瀧峡の雪解かな
野火走り北アルプスのたたなはる
野火:春の季語 早春に野山の枯れ草を焼く火 たたなはる:かさなりあってつらなる(畳なはる)
◆平成十四年 二月号
晩学のなほ深め度き 去年今年
露消しや 那谷寺深く茶筅塚 雑草園
茶筅:ちゃせん 筅:ささら
葉牡丹の 寄せ植ゑ管理聞く講座
袴著や カメラに畏まってゐる 四季選
冷まじや鶴仙渓の水飛沫 水飛沫:みずしぶき
◆平成十五年 七月号
静けさに ゐて沈丁の香の中に
新しき ウォーキングシューズ青き踏む
句座の庭 眩し山茱萸花明り
冠木門 潜り囀る塚ほとり
句碑を訪ふ 土手の連翹花ざかり
連翹:れんぎょう
咲き初めて 空へ一途の花辛夷
花辛夷:はなこぶし
◆平成十五年 六月号
米寿なほ縫う楽しさの針祭る
黄水仙 どっと香の立つ花舗の朝
真弓坂 のぼる山茱萸の花明り
山茱萸:やましゅゆ
啓蟄や 心はすでに畑にあり
啓蟄:けいしつ
◆平成十年 七月号
薫風や合掌交す修行僧
花種を蒔く白山の輝く日
山路来て蘗に見るいのちかな
里人の百花葺き上げ花御堂
選評:里人がそれぞれ百花葺き上げた花御堂。素朴ではあるが心ある花御堂に小さなお釈迦様もさぞかし喜んでおられることだろう。百花葺き上げとは簡にして見事に心のこもった表現である。
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