マンモスに学ぼう

グローバルな今日の社会で大切なことは、   思ったことをはっきり健康的に発言することです。       日頃感じていることを大いに語ろう。

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俳句
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今月の名句

2010年6月号NHK俳句佳作

石鹸玉吹きつづけをり無心なり

 石鹸玉(しゃぼんだま)    正毅

  

朝な朝な

  手掛けし茄子生き生きと

         平成5年作 敏子     

毎日心をこめて世話をしてきた茄子が生き生きと育った。自然は素晴らしい。畑は私を元気にしてくれる。

 凌霄花こぼし黒猫塀をゆく    

       敏子  平成2年

なんとなくユーモラスな句だ。不気味な猫を追うでもなく、のっそり塀の上を行く様をじっと見ている。夏の日差しがまぶしい。

その中に貴婦人といふ花菖蒲

            敏子

夏の日友と花菖蒲を見に行った。友から貴婦人というの教えられた。なるほど品良く咲いていること。白い花が見事だった

蒼い空

  昨日を遠く野分して

台風が去って、ウソのように晴れ渡った空は透き通っている。

 葉鶏頭 媼がひとり豆を打つ

   朝顔句会第一席作品

葉鶏頭 はげいとう 媼おうな おばあさん

夾竹桃明るき空に

        さんざめく   正機

明るい昼、夾竹桃の花が夜空の星の如くちりばむように咲いている。のびのびしている様子は元気を与えてくれる見事な風景だ。

山茶花と椿の違い

椿はその形のままにどさっと散るが、山茶花は桜のように少しずつ花びらを散らすのが特徴だ。勇壮な椿と可憐な山茶花はどちらもすばらしい。山茶花の散る様子には華やかさが残る。椿の落ちたさまは「落椿」といういうごとく、もう一度地面から命を育んだように生きているようだ。

これからのそれぞれのその姿は見ものだ。

山茶花や

 今年もわれを

     楽します

         正機

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2008・11 新作「母の手紙」より

 母が亡くなったのは、北陸では待ちわびた春を今迎えんとする四月十九日でした。

 同人誌「あらうみ」の締め切りは四月二十日でしたが、やっと懸案の俳句がまとまり、ポストに投函したのが一日早い、奇しくもその日の朝でした。母が亡くなったあとも、主のいない家に同人誌は送られてきていました。四月十九日に投稿した俳句は三ケ月経った七月号に載っていました。それは母の人生最後の俳句でした。

 盛夏真っ盛りの日。初盆に集まった家族に囲まれ「あらうみ七月号」の中で、母のにこやかな笑顔が、俳句と共に生々しくよみがえったのです。

(ひこばえ)の萌ゆる命を眺めけり とし子(注:蘖は春の季語)

 樹の根本より勢いよく伸びつつある若芽を眺めながら、ふと我が身に置き換え、自分の死後の家庭を守ってくれる家族のいる満足感を味わっています。

ポストまで紫荊咲く朝まだき 

               平成十四年

手紙の返事を書いた。紫荊の花が咲いていた。朝はまだ冷え込んで寒い。手紙を書いて心はすがすがしい。

新しきウオーキングシューズ青き踏む

               平成十四年

新しい運動靴を履いた。気持がいい。心が弾む。元気で体操に出かけよう。

道すがら吾亦紅咲く非無の歌碑

       吾亦紅(われもこう)

歌碑の周りに吾亦紅がいっぱい咲いていた。秋も更けてきたのだなあ。

正信念仏偈より[平成四年 十一月号]

非無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)

 草臥れて宿かる比や藤の花  芭蕉

 くたびれて やどかるころや ふじのはな

一日歩き疲れ宿を求める日暮れ、薄紫の花が咲き零れていた 藤の花 春の季語  懐旧の情と旅愁と春愁        

2007・8・11撮影  関越自動車道 赤城SS

早稲の香や 分け入る右は 有磯海  芭蕉

関越自動車道路のサービスステーションで見ました初めよく分からなかったのですが、芭蕉が当地に訪れて読んだそうな。

2006/8/12 関越自動車道路  有磯海SSで撮影

七つ滝見にゆく山路合歓の花

        合歓の花;ねむのはな

植替へしより朝顔に執すをり

朝顔の花芽を伸ばしわき芽摘む

  執す:しっす 一生懸命取り組んでいる様子  


どんぐりを見つけました。まだ青い実で少年の頃でしょう。どんぐりは団栗と書きます。

      2006・8・8撮影 千葉市磯辺交通公園

どんぐりは全て実が落ちた。緑陰もひんやりしてきた。やがて冬の到来を感じさせる。

◆平成二年 五月号

囀の枝移るとき昼の月

囀:さえずり

強東風の浪音に覚む磯泊り   覚む:さむ

強東風:つよごち 東から吹く春風 春の季語

落椿 美くしければ掃かずあり

◆平成三年 六月号

   花菜漬け 帰国する娘を待つばかり 

娘はシンガポールへ夫と共に赴任していたが、漸く帰国する。さて何を食べさせようか。今、季節の花菜漬けはおいしく出来たし、早く会いたいものだ。

◆平成二年 四月号

雪間より掘りし大根瑞瑞し 

冱返りつつ蝕に入る夜半の月 

冱返り:さえかえり 瑞瑞し:みずみずし

  冱:こおる こごえるように冷たい

冴と同じ 冱寒(ごかん)いてつくような寒さ

茣蓙帽子 被て千代尼像 寒明くる 

茣蓙(ござ)藺草(いぐさ)の茎で織ったむしろ

紅を解く梅の一樹に歩を止めし

◆平成三年 七月号

鞦韆の 離れし子らへ揺れ止まず  

 鞦韆:しゅうせん:ぶらんこ 春の季語

春愁の解きほぐされし娘の帰国 

 春愁:春の季語 春の季節の、なんとなく愁わしい気持ち。なんとなく気がかりだった娘がやっと帰国する。ほっとした気持ちが伝わる。

麗かや 娘と富士五湖を巡る旅

表富士 より裏富士へ春の旅

◆平成七年 六月号

薄氷を ピシリと踏みて登校す

強東風の 浪音高き磯泊り

一の瀧二の瀧峡の雪解かな

野火走り北アルプスのたたなはる  

野火:春の季語 早春に野山の枯れ草を焼く火 たたなはる:かさなりあってつらなる(畳なはる)

◆平成十四年 二月号 

晩学のなほ深め度き 去年今年 

露消しや 那谷寺深く茶筅塚   雑草園

     茶筅:ちゃせん  筅:ささら

葉牡丹の 寄せ植ゑ管理聞く講座

袴著や カメラに畏まってゐる  四季選

冷まじや鶴仙渓の水飛沫  水飛沫:みずしぶき    

◆平成十五年 七月号

静けさに ゐて沈丁の香の中に

新しき ウォーキングシューズ青き踏む

句座の庭 眩し山茱萸花明り

冠木門 潜り囀る塚ほとり

句碑を訪ふ 土手の連翹花ざかり 

     連翹:れんぎょう

咲き初めて 空へ一途の花辛夷    

     花辛夷:はなこぶし

◆平成十五年 六月号

米寿なほ縫う楽しさの針祭る

黄水仙 どっと香の立つ花舗の朝

真弓坂 のぼる山茱萸の花明り

     山茱萸:やましゅゆ

啓蟄や 心はすでに畑にあり

     啓蟄:けいしつ

◆平成十年  七月号

薫風や合掌交す修行僧

花種を蒔く白山の輝く日

山路来て蘗に見るいのちかな

里人の百花葺き上げ花御堂     

選評:里人がそれぞれ百花葺き上げた花御堂。素朴ではあるが心ある花御堂に小さなお釈迦様もさぞかし喜んでおられることだろう。百花葺き上げとは簡にして見事に心のこもった表現である。

         「母と俳句」    2005/11  正機

 麗らかな春、忽然と母は亡くなった。半年ほど経ったある日、墓参りにいった妹からどさっと本が送られてきた。母が俳句の投稿を始めてから、二十五年の間の同人雑誌である。150冊もあった。母が俳句を始めたのは六十をとうに過ぎていたが、きっかけは、父が亡くなったころだと記憶している。さぞ寂しかったのだろう。俳句に没頭することで気を紛らわせようとしたらしい。初盆に行ったとき、記念に二十冊ほど貰ってきたのだが、ほかにも母の入選句が載っており、全部欲しかったと妹に漏らしたことがあった。 

 母は入選した自分の作品にきちんと小さく丸印を打っていた。投句は一句より二句、二句より三句と入選句数が多いほどいいらしい。一人でかみ締めていたのだろうが、時々電話で「今月は三句とも入ったよ」と喜びが伝わってきたものだ。真剣に取り組んでいる様子は実に頼もしかった。娘や孫や曾孫など家族のことを詠んだ俳句は、家族だけにある深い情愛も感じられた。

 私は一人暮らしの母を思い、ちょくちょく手紙だけは出しており、おわりはいつも「いい俳句ができますように」と結んだが、母からはよく「俳苦」などと冗談が返って来ていた。

「継続は心の励み明けの春」という句が、この年の母からの年賀状だった。挫折のそぶりもなく、亡くなるまでずっと生き生きと作句を続けていた。

 母が亡くなっても三ケ月ほど、同人雑誌は送られてきた。そこには、母が生涯最後となった春を詠んだ句が颯爽と蘇っている。母は仏道に帰依していたが、たまたま、その春、古いお寺へ行ったとき、周りに沈丁花がいっぱい咲いていたようである。

「沈丁の香の添ふ古刹詣かな」

(注:古刹詣こさつもうで:古い寺参り)

この句を目にしたとき、楽しげな母とあの芳しい沈丁花の香りが体中に感じられた。

  里人の百花葺き上げ花御堂  敏子

   正機作品       二〇〇六年  

冬の海 幻惑迫る波の綺羅

はつらつと 緑輝く寒椿      一月十九日

陽当りや とろりとろりと母の影  三月十八日

春うらら 浄土で母は見守りぬ

田舎道 母も見とれし 花御堂

うららかや 心はうつろ一周忌

緑陰に 清楚ゆかしき千代尼塚   四月十七日

春寒し 亡き母偲ぶ 千代の寺   四月十七日

鞦韆や 速き風あり ささ動き
鞦韆(しゅうせん)とはブランコのことで春の季語です。  

筍や 今日忽然と見つけたり

いまはもう消え去りしけり 雨の余花

家々に 連なり踊る鯉幟 

母の忌や 季節先どり柏餅

聖興寺で法要が終わったあとに柏餅が出ました。まだ桜が咲いている頃なのに珍しいものでした。

母の忌や 桜枝垂れし千代尼堂   四月十七日

聖興寺の桜は珍しいものです。頂部から枝が垂れていました。すぐ 傍にゆかりの千代尼堂があります

山茶花や今年もわれを楽します

波の縞白濁として荒れにけり

鮮やかや桜紅葉は手を拡げ

秋の日や帽子押さえて散歩かな

 
マサキの木のそばでポーズ    2006・8・12
 
◇ 母への追悼句

こしへに 愛しき人や沈丁花  正機

報恩講 矍鑠たる人の声     正機

満点星の花のあいだに母隠れ   正機

矍鑠:かくしゃく 満点星:どうだん

  敏子句集「はつらつ」  関係者へ配布

  編集を終えて     正機

 句はどれも心を打つものばかりだった。敏子は自然の変化に敏感であり、新しい発見に心が動いた。

 吟行で初めて訪う名所では、晴れ晴れと生きている喜びが満ちている。ふさぎがちな梅雨の時期には、ハープの演奏会に行き、溢れる感動で生を支えている。冬の寒い日々は縫い物をし、書を読み、じっと寒の明けるのを待っている。

 春になれば花の美しさに酔い、生物の息吹を思う存分句にあらわした。畑にもひたむきにとりくみ、収穫の喜びを味わうなど、土を愛する心が瑞々しく伝わる。

 信仰心は揺るぎなく、慧日の光に心を込めて合掌する姿はすがすがしい。生かされていることに感謝し、生きている喜びがここにも如実に表れている。花御堂を葺き上げている友を讃え、そのできばえに満足している。御講膳の隣の人と仲良くなり、その縁の深さを句にしている。

 家族を思い、子らをこよなく愛し、自らの生への心の支えとしていることも深く表現した。

 敏子ははつらつと生き、はつらつと句を詠んだ。その一句一句に触れることによって、私たちの心の中に、敏子のはつらつさが生き続ける。

 慈愛に満ちた敏子よ また会いに来るよ。

 敏子句集よ永遠なれ      合掌