マンモスに学ぼう

グローバルな今日の社会で大切なことは、   思ったことをはっきり健康的に発言することです。       日頃感じていることを大いに語ろう。

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 「ベートーベンさんに会うなんて」

△トルストイ著 「クロイツェル・ソナタ」

▼ばちがあたる

▼人はなぜ生きるのか

▼今の瞬間を堂々と生きる  釈迦尊

▼仏教 無常観

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      「ベートーベンさんに会うなんて」

                         正機

 この前、ベートーベンさんに会ったんだ。夢の中だけど本当だよ。いくら夢の中だって、まさかベートーベンさんに会えるなんて、信じられますか?

 あれは演奏会の真っ最中だった。僕はどうしたわけか、あまり夢中になってしまって、気がついたら、ステージに上がってしまっていたんだ。1曲が終わったとき、矢も楯もたまらなくなって、ベートーベンさんにお願いしたんだ。

「僕にも指揮をさせて!」

 ベートーベンさん、初めは無愛想だった。僕のお願いが聞こえたのかどうか、そのとき知らない顔していたんだけど、時間になると、僕をちゃんと指揮台まで案内してくれて、楽団のみんなに「宜しく」とお願いしてくれたんだ。そして指揮棒を渡してくれた。

 まさかのことなので呆然としていると、ベートーベンさんは僕の身体を半回転させ、手で頭を押さえお辞儀をさせてくれたんだ。聴衆を見たら、はじめ暗くてよくわからなかったが、暗い中に人が見えた。それも大勢の人だ。演奏会なのに会場はひどくがやがやしていたし、物珍しげにぎょろぎょろとした顔の中に白い歯が見え笑っているんだ。二階にも三階にも人がいて、どの顔も口があいているように見えた。無言だが、「しっかりやれ」と励ましてくれているようだった。もう一度お辞儀をすると、拍手はわーっとわれんばかりになったが、僕がくるりと背にすると、場内はさっと水が引くように静まった。

 中央に黒くぴかぴかの大きなグランドピアノが扉を開けてでんと据わっていた。曲は僕の大好きなピアノ協奏曲第五番「皇帝」だった。ピアノのそばにはすでにすらりとしたソリストがにこやかに立っていた。あまりのかっこよさに見とれて戸惑っていると、いきなり握手をしてくれたんだ。とても緊張した。このベートーヴェンさんの「皇帝」だけど、大好きなんです。ずっと前から毎日聴いていて、そらで歌えるほどになっていたものだった。 

静寂の中、僕は両手を高く上げて思い切り棒を振った。

「ジャーン」

 これは最初の音だが、音がでてビックリした。言葉ではこれしかいえないけど、これはすごい音なんだ。希望と喜びに満ちた音なのだ。この音が出たときはあまりの嬉さに身体中に血がたぎり飛び出てしまうような気がした。そして勇気も湧き出た。こんなすべてが満足することがあるなんて、これはひょっとして夢ではないのかと思った。

 その後の軽やかなメロディはとても気持が良い。いよいよ独奏ピアノが演奏に加わって入ってきたとき、僕の胸は興奮のるつぼだった。ソリストは身体中のエネルギーを注ぎ込むようにピアノに向かっていた。時折り、ソリストは僕の顔を、瞬間ではあるが、充実した自信のある顔で捉えて、オーケストラの波に溶け込んだように、きめ細かい表情で弾いた。流れがあまり自然だったが、ふと何気なく目が合ったのだが、幕の向うでベートーベンさんが満足そうにしているのが見えた。フルート、オーボエなど木管の響が心地よい。弦楽の流れるような艶のある音色に魅せられた。トランペットも優雅に奏でる。楽団員の気持の入った演奏をバックにピアノはベートーヴェンさんのその真髄を見事に引出した。 

 指揮者には譜面が無かった。無我夢中で演奏しているところがどこの部分なのか分らない。しかし、脳裏にきっちり埋め込まれた旋律が次々と現れた。これは夢なのか。夢ならさめないでほしい。

 派手なパフォーマンスをしたように思えた。ざわめきの中に、我に返って気がついたとき曲は終わっていた。聴衆の拍手喝采はカーテンコールやソリストに対する花束などの間も延々と続いた。ぎっしり詰め込まれた拍手の中にも、私の思いは違っていた。

「こうしてはいられない。ベートーヴェンさんに会わなくっちゃ」

「ベートーヴェンさんはどこにいますか?」

「ベートーヴェンさん!」

どこを見てもその姿は見当たらない。呼んでも声はしない。誰かに聞いても知らないと言う。まさか、最初からいなかったのか。そうではない、確かにさっき目の前にはっきりいたのを知っている。指揮台に連れて行ってくれたのは、そのベートーヴェンさんだったから。

いまでも、いつ、夢から覚めて現実の戻ったのか記憶がない。

 しかし、信じられないでしょうが、私はベートーヴェンさんに確かに会ったのです。

 「ばちが当たる」 1

子供のころよく聞いた。この言葉には執念深さがこもっている。

お釈迦様は決してばちは与えない。そうなるとだれがばちを与えると言うのか。全然理論的でない。「ばちが当たる」と言う人はみんなが次のように考える事を望んでいる。「その世界は人間を超越した何かわからない強い力があり、人々の行為を天上から観察している。それは瞬時のときもあり、永年にわたった継続的な場合もある。そして正しい見地から裁きを執行してくれる。」

 理屈で証明することしない時代であって、祈祷や迷信を盲目的な信仰が、生活の重要な一部であったときのことだから、たしかに「誰が」とか「どんな作用で」などと分析するのは本来説を最初から認めていない人間の一方的な解釈だとそしられかねない。現にいまでも一部のアフリカの未開地では怪しげな信仰が尤もらしく生活を仕切っているのを見ることが出来る。祈祷師の言葉はいつもこうだ。「祟りじゃ」

 主語も述語も正確でないこの言葉だがけっこう今でも遣われる。「そんなことをするとばちがあたるよ。」「今にばちが当たるよ」

北井正機著「有意義な人生への極意」より

 人の一生は、そのプロセスに運・不運はあっても、人そのものの価値には影響を及ぼさない。結局諦観である。諦観を悟るとき、生の意義が生ずる。何にも縛られず奔放に生きること。出世や財産の欲求はきりがない。上には上がある。飽くなき追求にはジレンマがつきもの。

 人は、静かに現実の生きる喜びを素直に受け入れるときに幸せが訪れる。

 

人は「なぜ生きるのか」

「生きがいは何か」

 といつも考えているわけではない。本来人間は他の動物と変わらず、ただひたすら生きることを宿命付けられている単なる地球上のいきものにすぎない。

一人の人間がこの世に生を受ける確率は非常に小さいと言われる。

地球上に生存することが、まさに貴重な存在と言うことを噛締めなければならない。

その人間が生きていていろいろ迷うのは、やっと生を受けた貴重な人間に与えられた人間の特権なのである。たとえどんな境遇であっても焦る事はない。人間は必ず死ぬと言う必然がある。どんな一生を過ごそうと最後は死でしめくくられる。

いわゆる成功者も、不成功者でも最後は同じように死ぬ。歴史に名を残したとしても、死んでしまえば、その人はこの世に戻ることはない。あくせくすることはない。生きている間は悠々と生きればいいのだ。

この世が面白いのは、人間がいろいろ欲を持つ様に性格つけられている事かも知れない。地位を得たり、大金をつかむためにあくせくする人もいる。心の友と充実した時を持つことを望んだり、あるいは孤独で安寧に浸りたい人など、考え方はいろいろある。人の生き方は多種多様である。
▼「今の瞬間」を堂々と生きる。

上座仏教(テーラワーダ仏教)

アルボムッレ・スマサナーラ師の著書で上座仏教のさわりを読んだ。

八正道が少しだけ分かりやすかった。

目(悟り)が現れる道である。智慧が生まれる道である。心の汚れ、煩悩が消え、心は平安な、安穏な状態になる道である。超越した智慧を体得できる道である。涅槃を体験できる道である。

魔  魔とは欲そのもの、幸福そのもの、理想そのもの。魔とは「皆さん頑張って下さい。頑張ればよくなりますよ」という悪魔のささやきです。

お釈迦様はマインドコントロールを否定しています。すなわちささやきで、人をそそのかすことは良くないことです。ささやきは声をかけることだけではありません。そのように仕向けること全てを指します。

学校教育も、親の教育もそこの所をよく考えた方がいいと言うことです。

「今の瞬間」を堂々と生きる。

「今やらなくてはいけないことを徹底的にやり、いまの瞬間を正しく生きなさいということです。」

「存在はDukkhaであり苦しみである。」

Dukkhaは不満、苦しみ、不完全という三つの意味を持っている。存在は不完全で不満なものであることが理解できればそれで救われます。私たちはなにをしても不完全な結果で終わります。人間の苦しみの原因はその不完全ということを認めないところにあるのです。

正はsammaです。

初めはこのような赤い実だが、成熟すると下のように黒くなる。指の大きさから全体の大きさを推し量ってください。大豆くらいの小さい実です。

 トルストイ著 「クロイツェル・ソナタ」  正機 

 古今東西、嫉妬する心がもたらす煩悶は、不変の感情なのであろう。列車の旅で出会った妻殺しの紳士の話は内面鋭く詳細に語られる。サスペンスの要素が効果を醸し出している。告白小説のようで、だんだん深みに入っていく。妻殺しという結末は、はじめに知らされるが、何故そうなったか、どういう経緯があったのか、知りたくなる。

これは1880年代後半から90年代前半に書かれたトルストイの作品で、特に性の問題をテーマにしている。およそ120年も経っているにもかかわらず、かび臭いどころか現代に相通じるところが多い。浮気とか不倫というのは現代の風潮であり、昔と違って現代の性が自由すぎると考えるのは正しくないようだ。このころでもその氾濫が批判的となっていたくらいだから。一方で現代でも一般に厳格な性観念があるのと同じだ。

結婚は往々にして期待していたのとは違った結果になる。結婚してすぐひっかかったと感じるものらしい。慎重に選んだつもりでも、相容れない感情はあり、いつしか夫婦間に不信というものが巣食っている。夫婦喧嘩による溝が暴露される。性欲のため一時的に仲直りしても、決しては消えるものではない。性欲が満たされても、本当の関係は向かい合ったまま取り残される。愛とは二つの魂の結合であると考えている妻から見れば疑問だ。一体何がいけないのか。結婚で何を望んでいたのか。平凡な妻には理解できない。

妻はあるバイオリニストに出会う。芸術家に憧れる心は誰にでもあるが、対象が異性の場合、親密になれば複雑になる。心が奪われてしまえば、それは不倫も同然であるという考えが、抑えることのできない嫉妬に発展する。しかし、夫婦なら、いくら思いつめても殺すほどの情動は起きない。殺すに至るまでの葛藤が切々と描かれる。妻のピアノと不倫相手のバイオリンの合奏は欺瞞を暴く。二人には既に障壁も無く、成就していた。ここでベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」がふさわしい。夫の厳格な性の観念など、無理解の妻は夫の妄想の犠牲になったとしか考えない。修羅場はさすがに凄まじい。

 トルストイは、様々な欲望の中で、いちばん強烈で、悪質で、根強いのは、性的な肉の愛であるとしている。結婚生活に関して、絶対的な純潔の理想をその作品に披瀝している。性的欲望が人間の生活の様々な悪や不幸、悲劇の源であるとする。絶対の純潔はかりそめの姦淫も許すべからず。現代にまで通じる平等な愛の姿、不倫に対する道徳観だけでなく、結婚が持続するかどうかの問題点を追及している。性の欲望のおそろしさ、罪深さを頑なに表している。この種の道徳観は、得てして宗教の戒律などの押し付けが多いが、この作品にはその宗教の匂いがない。あくまでもトルストイのストイックな考え、人間は誠実に純潔を保って生きねばならないという理念である。トルストイ不滅の古典である。

   司馬遼太郎著「坂の上の雲」感想文     2006・8 
「坂の上の雲」とは、封建の世から目覚めたばかりの幼い日本国家が、そこを登り詰めてさえ行けば、やがては手が届くと思い焦がれた欧米的近代国家というものを、「坂の上にたなびく一筋の雲」に例えた、切なさと憧憬をこめた題名である。

長編でボリュームが多いことだけに驚いてはいけない。中身の分厚さには、読破した充実感だけでなく、多くの戦争に至る必然や世界観など総合知識を得たことは自分の人生観を変えてしまうほどであり、今脱皮して異なった人間になったような錯覚に囚われる。これは学生時代のロマン・ローランの大長編「ジャン・クリストフ」の読後のときのように、茫然としてしまった一時的虚無感と同じだ。「ジャン・クリストフ」はベートーベンをモデルにした主人公ジャン・クリストフの精神的成長を描いたものであるが、奇しくもこれが本書のテーマでもある[日露戦争]開始時期に発行されたものであることに妙な因縁さえ覚えるのである。

司馬遼太郎の全小説原稿量の一割近い分量を占めると言われるほど作家生命をかけた作品である。日露戦争は歴史の一こまではあるが、有色の一小国が白人大国に勝ったと、単純に語られる日本人の歴史認識の不自然さに敢然と踏み込んだ意義は大きい。司馬の著作の中でも特に議論が多いことで有名だが、未だに賛否両論がある旅順攻撃を担当した乃木希典および参謀たちが能力的に劣っていたために多大な犠牲を強いることになったとする見解は意外だった。伝説の人、乃木希典と言う日露戦後もてはやされた国民的英雄が、実は戦争遂行においては無能力者であり、敵の砲弾の中を無防備に突進させ、次から次へと兵士を送り込み、徒に屍の上に屍を重ねる愚挙、ごみ屑のように無駄死にさせたことを国民は知らない。当時の戦争とはそんなものだったのかと驚愕さえを覚える。しかも、人の命を鉄砲の弾と同じように不足分として要求し続けた神経が理解できない。無論、戦争は司令長官の意だけで行われるものではなく、参謀の存在が大きい。参謀とは、軍事作戦・用兵を企画し高級指揮官を補佐する役職。古くは軍師、指南役ともいった。企業の経営者において補佐役として助言する知恵袋のような存在を指すこともある。どのような社会においても、組織においてはその役割の重要さは言を待たない。乃木大将(のち元帥)が孤高の人なれば、参謀の無能力もいっそう問われるべきでもある。しかし、参謀の意に反せずにいた最高司令官として、その責任の大きさを痛感するだけでは済まない。一方連合艦隊司令長官、東郷平八郎大将(のち元帥)の沈着冷静な人間的重みが浮き彫りにさせる。作戦は参謀秋山真之に完全に委譲するも、全体を掌握した総指揮官としての役割は十分果たされた。東郷記念公園にゆかりのある小生にとって、心から湧き出る誇らしさを感じている。

今日、戦争は悪であるとされているが、かつては紛争解決の最終手段として戦争は肯定されていた。今の時代の価値観や倫理感を機械的に過去へ適用し、批判することは、しばしば歴史の実相を見誤ることになりかねない。明治はよかったと回想する時は終わった。明治のよさを振り返り、現代の人心秩序の崩壊傾向を修復しなければならない。ロシアに屈して属国として生きるかどうかが選択肢であれば、やむを得ないとして戦いの緒についたことは理解は出来る。しかし、これ契機として中国侵略という戦争を経て、大東亜戦争に導かれる所以ともなれば、現在においては決して容認してはならないのである。歴史は繰り返すとは幾度と語られたことであり、人類の歩みは戦争の歴史でもあった。漂流する泡の如く強国に翻弄され続けた中国や韓国朝鮮や幾多の植民地各国はその後独立して国際社会で生きている。ヨーロッパの植民地政策に同調せず、独自の道は歩めなかったのだろうか。後からの非難はいくらでもできるが、当事者の立場で考えれば、そこは甚だ難しい。不幸な結果だけは厳然と残り、今日がある。これが宿命であればやむを得ない。国の将来を担う首脳の責任の大きさをかみ締めなければならない。
藤岡信勝が自由主義史観において、「自虐史観」ともいうべき今日の歴史観への反発がこの作品をきっかけとなった。「自虐史観」とは、状況を踏まえず自分たちの非なる行為に対してのみ、過度なる自責の念を抱くことである。これを逆手に戦争肯定への反動と言う単純な考えでは話にならない。真摯なる反省を乗り越えて、自由で新たな道に進むことの重要さにも目を向けたい。

 東郷は薩摩、乃木は長州と明治維新の薩長中心藩閥政治の流れの中で、傍系である伊予の国、俳句のふるさと旧土佐藩、侍の子弟、病弱、正岡子規は和歌、俳句の道を革命的に生きたが、同郷の土佐っぽ、秋山好古、真之兄弟が明らかに不利で途方もない日露戦争に抜擢され、それぞれ陸軍は騎兵隊長、海軍は連合艦隊参謀となり、コサック隊を蹴散らし、世界最強のロシア、バルチック艦隊を壊滅に追い込んだ活躍を見ることは痛快ではある。夏目漱石、高浜虚子、河東碧梧桐が生々しく登場するのも面白い。バルチック艦隊撃沈には村上水軍の戦略が生きていることにも興味を覚える。しかし明治の気骨の彼らの晩年を見るに諸行無常のはかなさを感じずにいられない。青春を捧げた戦争とは彼らに何をもたらせたのか。農業だけが産業だった日本人は誰も等しく貧しく、頭脳さえ明晰ならば、官費で士官学校を経て、軍人になることは、生き延びるための手段でもあったのだ。

本作品は、明治という時代そのものに対する高評価が基調になっている。日露戦争を一種の自衛戦争であると捉えた司馬遼太郎の歴史観によっているが、歴史の基礎をしっかり踏まえることは重要だ。この書によって日清、日露戦争が今日にもたらした功罪を十分認識することも大切ではあるが、百年や二百年くらいの目先の国益や面目など、小さいことにのみ囚われることなく、広遠なる歴史観をもって、日本及び日本人は今後をどう生き抜くべきかを考える事が最重要である。

広遠といえば、「坂の上の雲」の高邁な道しるべとして、司馬遼太郎の次の言葉が印象的だ。「君たち、君たちはつねに 晴れあがった空のように たかだかとした心を持たなければならない。同時に、ずっしりたくましい足どりで、大地をふみしめつつ 歩かなければならない」  司馬遼太郎 『21世紀に生きる君たちへ』

 「ばちがあたる」 2

 これを神の言葉や仏の言葉だと摩り替えることは許されない。

仏教に限らず信仰は報復を意図しない。親鸞は「歎異抄」で悪人こそ救われると説いている。ばちやたたりはない。

 この言葉は、自分の力で曲がったことや言うとおりにならない場合に、他の力を借りて諭そうとする方便である。または自分が何かをすると差しさわりがあるから、そうでない見えない力が仕置きをすると言う考えなのだ。

 いいかげんな話し方は止めよう。そんな見えない力などは無い。正しく科学的に物事を考えれば解ることだ。

「墓参りをしないと先祖のたたりがある。」

「家や名称を消滅させたら先祖が嘆くし、そのうち必ずばちが当たる」

こんなことはありえない。

 しかしその極意だけを租借すれば、「人の世は愛や調和が大切。」と知らしめようとしていることだ。

 「人に迷惑をかけてはいけない。悪事を働いてはいけない。現金な振舞いもよくない。情けや義理を無視してはいけない。人はお互い助け合わねばいけない。年寄りや自分を育てた父母、祖父母、先祖に対して尊敬と畏敬の念を忘れてはならない。そのたもろもろ」これが結論である。 合掌

  人の死

人 の死んだ時の顔は不思議だ。生前とてつもない悪業をした形相の人でも、臨終を迎えたそのとき、優しい顔にすっと変わると言われる。仏になる瞬間だ。もちろん普通の人も同じであろうが、死を以ってすべてが平等になる尊い瞬間である。ここに仏の慈悲の偉大さとエネルギーを感じざるを得ない。また死が荘厳になるのも、人間の最後の瞬間が劇的であるからだ。

しかし原爆で跡形もなくなった人や密林で白骨化したような場合はどうなるのか。心配無用。同じようにその瞬間、人が仏になる劇的な奇跡が起きているはずである。平等に平穏に救われていったのである。 人は生きている間は一生懸命生きなければならない。卑屈になったり、臆病になったり,プレッシャーを負う事はない。逆に怠惰だったり、後ろ向きではいけないだろう。

人はなぜ生きるのか。生きがいとは何か

 「目標」は、人が生きていくプロセスのチェックポイントとも言える。これが人間が人間たる所以であり、いくら高等と言ってもサルやチンパンジーにはありえないことである。

 しかし、そうはいってもこの世に存在して「本能的に生きる」と言う意味では大して変わらない。

人間は考える葦と言われるが 

 人は、時々立ち止まり「何のために生きるのか」と考えることがある。また目標があるうちは、その目標に向かって一心に歩んでいるのだが、達成した時、あるいは挫折して目標を失ったとき、「自分の生きがいは何か」と別のよりどころを探す

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2006・6・13撮影

さくらは春だけのものではない。夏が近づく前に若葉が生え、赤い実をつける。その後黒くなり落ちる。黒い実は実は凝縮された赤で中の種は真赤である。

冬になり桜の花の蕾がつけるころは染料として重要な時期だ。

染料は花びらからとるのではない。冬のころころの皮が材料だ。ごつごつしたいかつい皮があのような柔らかなピンクの元になるとは不思議なことだ。

花だけに見とれていてはいけない。

花のいのちはみじかくない。

人間を遥かに超えた生命と迫力のある日々を生きているのである。

仏教  無常観

 無常観とは世の中ははかないものだとする考え方らしい。

鎌倉時代の不安定な混乱した時代の中で人々は仏教を心のよりどころとした。当時は知識人としては朝廷に仕える人と僧が考えられるが、武家の社会になって王朝を懐かしむ人たちの中で、特にこの無常観が広まったとされる。

権勢や財産に執着するむなしさはそれを得たものが感じるものだが、それがむなしいと感じる人にはあくせくすることがなくなり気は楽になるのだろう。

あきらめの気持ちではなくもっと大切なものが他にあるという考えでなくてはならぬ。しかし、結局価値観の違いで他のものでも大して差がないとすればまだ悟ったとはいえない。

仏教の基本的な考えとして無常観は

1.全てのものは移り変わり、一定でない。

2.どんなに栄えていても必ず終わりがあり滅びてしまう。

3.人生はむなしく、はかないものである。

4.現世の事柄に執着するのは無意味なことである。

これは世の中や人生を否定するものではない。歴史を大きく捉えてみれば現世に栄華を極めても結局同じで、心の平和を願う事こそ価値のあることだと考え、欲に走らず他の人々と出切るだけ公平に物を分け合って生きることが尊いのだと考えることである。国家や宗教や家柄等に差がつくことに紛争の火はつき、醜い争いが起きるものである。キリストでもアラーでも戦争は必ずしも否定されない。仏教も歴史から見れば僧が武装したりしたものを見れば同じ事が言える。無常観はそれらを超越しているから実際のテーマとして本当になかなか受け入れることが出来ないのかもしれない。

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