マンモスに学ぼう
グローバルな今日の社会で大切なことは、   思ったことをはっきり健康的に発言することです。       日頃感じていることを大いに語ろう。
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Theme

▼有意義な人生

▼母と沈丁花

▼ざくろ

散歩

▼読みやすい文章を書くには   ハードボイルド

競馬はビジネス、「競馬を愉しむ法」

▼「馬単トータル勝利者への道」

    「上高地の匂い」

 学生時代、初めて北アルプスに登った。アルバイトの稼ぎだけでは少し足りず、母に援助を頼んだ。毎月仕送りしてもらっていたので、それ以上の無心は気が引けたが止むを得なかった。速達と小包がすぐに届く。書留には頼んだより多くの金額が入っていた。装備が不十分で事故などに遭わないようにという母の心配りを知り、封筒を額に当てて感謝した。小包には母が夜なべして作った厚手のチョッキが入っていた。予想外だがこれは欲しかった。ふっと顔を包むと母の匂い。

 アルプス銀座の山道では、行き交う登山者に「ガンバ!」と声を掛け合う。野営になる頃には、周囲の荒涼たる山々は不気味な姿に変わりつつあった。陽が落ち、辺りは明りを失って完全な闇となったとき、誰もが孤独になった。人間世界から隔絶された冷酷さをひしと感じたのも束の間、思索もそぞろ、昼間の疲れで睡魔にたちまち崩れ落ちた。
 山の朝は夏とは言え肌を刺す。夜間、岩肌に広げ、汗がやや引いたチョッキをすばやく着る。ボタンを留めるときふと母を思い出した。友達の声で我に返り、今日もまた頑張って歩くぞと気持ちを引き締める。日中は暑くなりそうだ。ザックの重さに少しよろけながら、槍、穂高、常念、三俣蓮華などを連日縦走した。ダムまで続く黒部の源流も一足でまたいだ。

 行程はあっという間に過ぎ、名残を惜しみながら振り返るうちに麓の上高地へ着く。そこには、懐かしの人間社会があった。風は顔をなでるがもう山の清らかな風ではない。通り過ぎる街の女性はみなカラフルで美しい。その周りにはふわっといい香りが充満している。待てよ。これはなんだろう。チョッキの母の匂いを思い出した。それはもう汗にまみれていた。

「おふくろよ、ありがとう」

 お陰で念願の夏山を果たす事が出来た。上高地の匂いは母の姿を浮かばせた。そして、矢も盾もなくふるさとへ帰りたい衝動に駆られた。  完

                       

 「逆境に勝つ」強さ

 受験の問題は今始まったことではないようだ。またいじめのことも今始まったことではない。親の過保護や無関心も今始まったことではない。誰かの責任にする問題でもない。子どもの時に大切な自立心や思考力に蓋をしてしまってい日本国民全体の考え方の移り変わりだ。人口の多いときより少子化となった今日により問題はクローズアップしている。裕福になった国民は心が貧しくなった。

いろいろ考えて手を打っても、それが適切かどうかは分からない。「ゆとり教育」はよかったのかどうか。今ごろまた舵を切り替えている。無責任のようだが、教育は誰かがどうするかと言うようなことでは治まらない。「逆境に勝つ」と言う言葉があるが、憂うべき状態が逆境の時であり、人が育つ時である。日本はそうやって地歩を築いてきた。

全て、そのままにしておけ。

ただし、「簡単に死ぬな」と言うことだけはモラルでしっかり身に付けさせることが大切だ。死んで解決すれば逆境に勝つことはできないからだ。

古いようだが生きてこその人生であることだけは教えておきたい。

有意義な人生

 あなたは人生を有意義にしっかり生きていますか。

 問われるまでもなく「人生は実に楽しい」とか「自分の思うままに生きているさ」「常に充実している」という人もいらっしゃる事でしょう。それは大変結構な事です。まちがいなく、「人生は楽しくて有意義であるべきです。」そう思わない人もたくさんいます。どのような環境に生れようと、どのような境遇にいようと、人は平等に生きる権利を有しています。

 しかし、学校では体力や運動能力によって、その成果等には差がつきます。又、学力においても、自然に差がつくものです。これはやむを得ません。

 自分なんか生まれてこない方がよかったなどという人もいます。これはいうだけで実際はそう思っているのではないのでしょうが、口に出して自己否定することは決してプラスにはならないことを考えるべきです。前向きに生きることを考えよう。隣人を愛し、大きな力を信じて強く生きることが大切です。

 動物の世界では弱肉強食で淘汰や循環という仕組みが出来ているほどです。動物の世界ほどでないにしても、人間社会にも優位に立つ人と、そうでない人が存在します。社会には役割という分業が必要であり、お互いの利益になることを考えれば、ある意味ではこの平等でないことは受けいれなければなりません。しかし、これは人生が有意義かどうかについて、問題にならないほど小さなことなのです。(中略)

 大切な事は満足できる生き方であったかどうかなのです。自信を持って、迷わす正しく生きた事を確信できるかどうかです。

マンモス・キタイ著「有意義な人生への極意」はしがきより抜粋

主なテーマ

日本は[バイオマス国家]を目指せ

 ヨーロッパで環境先進国と言われる国々ではバイオマスへの対応が盛んである。石油・石炭などの化石エネルギー獲得は、金さえあれば可能となる安易なもので、将来の化石燃料枯渇問題を棚上げしている。資源の枯渇だけが勿論問題なのではなく、炭酸ガス発生の根源であり、地球環境保護の最大の課題であるということを、今一度真剣に考えなければならない。

 一方、特に先進国に於ける贅沢思考は、生ごみや廃棄物をどんどん発生させ続けている。世界は、一刻も早く、循環型環境へ転換しなければならないが、その緒にもついていない。バイオマスにおいて、スウェーデンのように進んだ国があれば、日本のように全くお粗末な国もある。

 日本をはじめ先進国は、いまこそ、リーダーシップを発揮するべく、バイオマス循環社会を、確立しなければなりません。生ごみや廃棄物の処分場を造ったり、探すのではなく、バイオ技術で循環させてエネルギーに換え、CO2を削減しなければならない。

 牛の糞尿から発電エネルギー熱、肥料へ循環する酪農家も増えている。

 食べるものがなくて困っている国がある一方、日本で見られるホテルなどの飽食の結果の大量の残骸が廃棄されている現実に矛盾はないか。

 世界は人々全てが地球の子として、人類共存の輪を創らなければならない。国家や民族という狭いパラダイムでは、早晩、共に滅ぶ道を辿るだけになってしまう。

戒・定・慧 

 釈迦が修行のすえ、体得した「八正道」

「八正道」とは悟りにいたる八つの中正なる道

三学とは戒律、禅定、智慧のこと

この三つを身につけて、煩悩を断ち、生まれ変わり、生きかわる事のない人物は理想

八正道 戒律    正語、正業、正命、

    禅定    正念、正定、

    智慧    正思惟、正見    

    三学共通  正精進

正:中道をえらぶ;度はずれた行動やひとりよがりに傾くことを否定する態度を意味する

正はsamma

正念はsamma sati

ざくろ

 ざくろは柘榴と書いたり、石榴等と書くようだ。

 柘榴の榴と言う字が動脈瘤の瘤に似ている。

 外見はいかめしいが中には美しいピンク色の宝石が詰まっている。子供のころすっぱいものとして敬遠していたが、何の何の!この柘榴には微妙な、他では味わえない切ない甘さがあり、希少価値の味わいがある。日本のものは小粒で市場には出ないのだろう。スーパーで見るものは外国のものであろういかにも巨大で大変高価である。

 どういう訳か、我が家に一本の柘榴の木がある。

 柘榴の木の季節の変容は激しい。冬には完全に落葉し、もう二度と実を付けないような恍惚とした風情。しかし春がきて光り輝く黄緑の葉をつけるころから、その威容は日に日に驚きをもたらす。葉の色が、これほど鮮やかに変化する木も珍しい。しまいに全体が真っ赤に紅葉する。沖縄で見たハイビスカスに似た情熱を表す紅さで、あまり大きくない花が咲くとそれは柘榴が息吹く前兆となる。そして淡いうす緑の実が幾つもなる。全体が緑の実でいっぱいになった時はまだ夏も初めころ。盆を過ぎるころから実は大きくなり、野性味を帯びて早熟の柘榴は赤い歯を露わにする。それからはなんのきっかけもなしにやたら実が落ちる。残った大きな実がいたく頼もしく見える。


   文学のための「F+f」 ものを書く基礎

             2002/7  北井正機
 論文は文学ではない 

F+f。これは夏目漱石の「文学論」の冒頭に書いてあるものである。

単純な考えであるが執筆に携わるものにとっての基本である。分類すれば、文章には「F」だけのもの「f」だけのもの、そして「F+fの三種類がある。f

「F」はFact、事実のことである。これは認識的要素である。事実に基づくものとして、新聞のニュース、技術論文、レポート、企画書、教科書の記述などが主である。事実を伝えることだけを目的とする。順序良く、分かりやすく書かれていることが重要で、その他の特別な工夫は必要としない。

「f」はfeeling、感情である。情緒的要素であり、感情や心の動きが主となる。「ぞくっとした」「本当に恐かった」「超、気持いい!」など感情だけのフレーズである。

文学は当然「F+f」でなければならない。文学が内界を表現する芸術である以上、feelingのないFだけの伝達では、小説的感動は起こらない。「F」だけが主の論文やマニュアルは必要な情報であるとしても、その中身に感動は要らない。記述パターンがあって、伝えるべきFactがわかればいい。論文には理論的根拠が必須であるが、パターンの決まった文が書けるからといって執筆に長けていることにはならないのである。「f」は断片的な話し言葉で、それだけを聞いただけでは何がどうなっているのかはわからない。

 小説やエッセイを書こうとしたとき、まずアイデアが浮かぶ。小説のアイデアは、そのテーマが「F+f」でないと必ず行き詰まる。歴史上の人物も「F」だけなら教科書に書いてある。歴史教科書に「f」はない。物語とするなら人物の業績だけでなく、何に惚れたか、何に心が打たれたかという「f」が必要である。

 文学は「F」を丹念に調べても、歴史や事実を語ることだけが目的ではないので、調べた事実の伝達のみにこだわることはない。ロマンを語るには、一旦これを捨てることさえ必要にもなる。「切断」という作業だ。一旦すべてシュレッダーにかける。事実の切断をして、それまでの文献や調査を打ち切りすべてを無にしてみる。その後、何かが自分の脳裏に再び蘇ってきたとき、そこに自分があたかも体験したように感動が生まれ、情緒的なものが生き生きと湧き出てくるのである。司馬遼太郎の歴史長編小説は渾身の人間の生き様が髣髴としている。血が滾り、ロマンへの架け橋となってその世界へ誘ってくれるのである。

 ものを書くという行為は、自分の自由な心を自由に生かせるように解放してやることであるとも言える。学校で学んだ常識や因習など、学習による意識の、心からの解放である。このとき成果があるなしや挫折などは実に取るに足らないことなのである。一時の世間からの分離である。

 書くとき、初め「F」に抑圧されている。自分の経験や知っていること、また身辺のことである。そのときまだ充分な「f」はない。本来あるべき想像の世界の大きさに比べればちっぽけなものだ。

 想像には自分の世界がある。自分を陶酔させるもの、勇気付けるものが溢れた世界である。これが生命の湧き水であり、止まることなく滾々と出る。旅人が回り道の中で、湧き水の発見に至るとき、ここに初めて人間が単調な世界から抜け出せることができるのである。

 そして、創造の世界とは、まさに自由な世界なのである。したがって、その内面的活動の成果は派生的な世間の評価は本来必要ではないのである。極論をすれば、短期には理解する人が一人でもいれば良いと思う。

 小説は緊張と解放の連続線だ。楽あり苦あり。そもそも人間には緊張と解放かが交互にやってくるので、少しの苦痛にも耐えられる。どちらかに偏れば必ずひずみがでてくる。自由な創造をするためには、心を広くし、すべてに納得できる鷹揚さがなければならない。書く喜びは知る喜びにも?がる。

未知の世界は無限の宇宙のようにとてつもなく広い。

想像の世界に浸るとエドガー・ポーもヘンリー・ジェームズもヘミングウェイも生き生きと蘇る。完
                                      

大学受験の人へ

この頃小論文の出題が多くなってきています。コツを知っていると役に立ちます。

小論文の注意事項】

[基本] 気負って、無理に難解な内容に入らないこと。自分が思うことを素直に論理的に述べることを心掛けよう。

◎ 課題文の引用はよいが、繰り返しの説明は不要である。

◎ 具体的な社会問題に対しては、その解決策を提言しなければ論文としての条件を満たしたことにならない。

◎ 問題点として論じたところとズレないように注意しなければならない。

◎ 課題文に反応することばかり考えては危険である。課題文に問題がある場合は論点を絞ることが第一条件である。

◎ 具体的な内容を伴わない精神用語は小論文には用いるべきでない。「心」「思いやりの精神」など何を言いたいのか、具体的にどうするのかを明確にする事が重要である「心の触れ合い」「心をこめて」では意味が伝わらない

◎ 筆者の意見そのものについて訊かれているのではない場合なるべく課題文の内容とは別の点から論じる工夫をするとよい。

◎ あなたせの結論は避けること。「政府に努力を望む」ではなく自分が何をしなければならないかを考えなければならない。

◎ 政府や他者の努力を期待するような結論では小論文として通用しない。

◎ 設問の特殊条件は出来るだけ始めのうちに満たしておいたほうが安全である。

◎ 六〇〇〜八〇〇字では「序論」「本論」「結論」の三つの段落展開を基本とする。内容によって「本論の分割」「客観説明」「自分の意見」などに分けてみる。

◎ 主題に特別結び付かない部分は最小限の表現にとどめる

◎ 自説に対する反論を取り上げ、それをさらに克服して自説を補強すると論の正当性が増す。

◎ 「事実であるという保証がない」事実として確認できない事柄を議論の前提として論じてはならない。証拠を出した上での論述なら良い。

◎ 感情が直接表れたような語句は避ける。「馬鹿」など。

◎ 改革も感情的に叫んだだけでは意見としての意味をなさない 論理化の努力が必要である。

◎ 自分の体験を書く場合、あまり具体的なことまで書きすぎて一般性を失わないように注意する。

◎ 自分の案の欠点も考えることが重要。

◎ 着眼点を絞る。問題点を絞る。ただの資料分析に終わらない

◎ 他人の心情を勝手に想定すると、説得力のない議論になる。

日本よ環境大国」へ目ざめよ

 ヨーロッパ諸国に比べ、アジアは著しく環境意識が低い。アジアにおいて、日本のとるべき役割は常に大きい。しかるに環境保護に対する日本国民の意識は、決して高いとはいえない。環境問題を真剣に考えている人がいないわけではないが、国家の政策はあいまいであり、環境省のメッセージは国民には全然伝わらないし、組織的アプローチは全く弱い。少しましな企業においても利益追求との天秤でしか考慮されない。まず環境ありきという発想にはならない。

 国際規格ISO14001の認証企業は増えたが、実際には何の役にも立たないだろう。ISOそのものが仕組みを調えるための形式である。真の取り組みは自主的活動にゆだねられる。

それは当然そうあるべきだが、認証合格後はサーベランスを受けるための最小の活動になってしまう。言ってみれば環境問題の中身はどうでもいいのだとさえ思わせる。認証審査をする側も、与えられる側も環境そのものは単なるテーマでしかなく、真の環境問題解決へ向けたものではない。

 所詮ISOでは埒があかない。資格重視主義の日本には国際規格のお墨付きをえるために、競って取り組むが、そこで終わっている。

 日本の進むべき道は、国家がはっきり大局曲的に、環境政策を打ち出し世界と歩調をあわせ、実質的に推進する事がもっとも大切な事である。

最高の人間像/帝釈天はインドで最も優れた神として尊ばれてい 

三学 戒律、禅定、智慧

戒律:悪をやめ、善を修すること 

   汚れに染まない行動や思考

禅定:寂静の中にあって、精神を統一   

   精神の散乱を防いでその統一を図る

智慧:一切の真実を見きわめる     

   経験的知識を超えた霊智

現在執筆中 村上水軍

 真っ青な空。紺碧の海に勇壮に浮かぶ船団の長、高重は感慨深げに前方を見た。敵の船団は平常時の編成で大三角陣形を敷いていた。第三角陣形とは、大将船を中心に前衛船団、左右中衛船団、左右後衛船団の三角形をなして進行する陣形であり平常時のオーソドックスなものであった。

 村上水軍は戦法、兵器、天候、潮流、航海術などを研究した自然における運をも含めた総合的なものであった。歩兵や騎兵など多種な兵法を生み出している陸地と違い、海上では板子一枚下は地獄というきびしい状況にあるため、当然、陸地の戦法とは大きく異なる。三島村上家の家法兵学書には「船に乗る事は天の利とし、天地の利を考えるに長けた者こそ戦略者であり、最良の位置の利を考えるべし。船上は漕ぎ手に至るまでみな家族であり、軍の始むる人の和を先とすべし」とその心得を示している。また「海上は天気の善し悪しなどによって大いに利害となる」という有利不利は全て天気次第の考えを第一に優先していた。

この日は快晴そのものであった。

「こしゃくな」

「あの旗は平郡島か八島界隈の餓鬼共じゃ。けちらしょうぞ」

高重の行き先は豊前蓑島である。来島から伊予灘を通り周防灘を経て、防予諸島を進めば間近に見える九州国東半島を右上に舵を切って迂回しさらに左舵でまっすぐ進めば海岸線が見える。周防灘を形成する普段穏やかな海路であったが、今蓑島は毛利と大友の戦闘中である。瀬戸内海には無数の島、入江があり、無数の海賊が潜んでいた。徒党を組んだ海賊同士の争いは日常頻繁に行われていた。歴とした軍船でも成り上がりの海賊は戦を仕掛けてくることが多かった。食いっぱぐれの海賊まがいのほとんどは相手にもされず蹴散らされたが、中には武器を大量に持っているものや、戦略に長けたものもいて手を焼くことも多かった。戦略に長けたものが首領の場合もあり、あなどって仕損じることがあってはならない。常に一発勝負がかけられていた。

つづく

散歩の楽しみ

 日頃運動不足なので散歩を日課として楽しんでいる人も多い。散歩もだらだら歩くのも良いが、ある程度のスピードでエネルギッシュに歩くと充実感も倍加する。20分までが準備運動のようなもので、そこまではエネルギーの消費はあまりない。それを過ぎたころから体はやわらかくなり、心地よい負担を感じるようになる。エネルギーが燃えているのだ。散歩の充実感はこのじわっと汗が滲み出てくるころからしばらく持続する。

 マイペースなのも気が楽でよい。集団で散歩するのをたまに見るが、一人で気ままに歩くのが何より体にいい。時々デジタルカメラをぶら下げて四季の草花をとりパソコン上でアルバムにするのも楽しみの一つだ。歩いている間は思考は奔放でとりとめもないことを自由に考えるのもすこぶる健康に良い。

散歩を楽しくするために

散歩は健康のため、悠々と歩く。

自然を愛する気持ちを強く持つ。

他人を意識しない。

義務感を持たない。

充実感を味わう。

たまには音楽を聴きながらも悪くない

季節の変わり目には感動を忘れない。

花は近くまで寄って愛でるとよい。

脳裏にしまうことが出来ればなおよい

とにかく散歩はすばらしい。

散歩をする幸せは永遠に続く。

我が家のざくろ  2001年撮影

柘榴は秋の季語である。しかし実際は柘榴が実をつけるのは初夏であり、緑輝く真夏の逞しさは眼を愉しませる。四季を通してこれほど生き様の見事な植物は地球の宝物にさえ思える。事実、柘榴はピンクの光り輝く宝石が内蔵されていて、あるときになると惜しげもなく披露する、その色や艶は自然にしかない、人工的には決して作れないものである。

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読みやすい文章を書くには

 文章は読みやすくわかりやすくなければいけない。書籍は読まれるためにあり、読書は読者の自由だとすれば読みにくい書籍は必ず敬遠されてしまう。いろいろの都合で、どうしても読まねばならない論文や文献等なども読みづらいものであれば、他にまとめたものや何か簡単に理解できるいい方法がないかと考える。尤も、内容については砕いてわかりやすくするには限界がある。  

 作者たるは自分の考える読者層を設定し、自分の文章がその読者層に合っているかどうかを知らねばならない。

1 ハードボイルド(Hard Boiled)

 読みやすさを別の観点から見るとすると、テンポやリズムなど音楽的要素が入ってくる。人間は心臓の鼓動に関連して、絶えず全身に脈を打っている。また呼吸もしている。テンポやリズムが読書において、必要な要素であることは、まんざらいいかげんだと否定は出来まい。

 短い文は読みやすさの原点である。引き締まった文章が頭の中で別のことを考えさせることを容赦しない。そのような文章が理想なのである。

 ハードボイルドはハードボイルド・エッグからきている。ゆで卵の固ゆでである。半熟が好きだとかどうかの問題ではない。固くゆでられた卵は無駄なく、引き締まっている。ハードボイルドスタイルを整理すると

1センテンスが短い。

2形容詞は出来るだけ使用しない。行動から表現する。

3行動を描く。心理描写はしない。行動から表現する

何と言ってもハードボイルドの代表的作家はヘミングウェイをおいてないだろう。

ハードボイルドタッチはリズムがあって心地よい進展をもたらすが、多用すると逆効果となることを忘れてはならない。

2「人間的関心」(Human Interest)

 一般的には文章は平易さ(Easy)と人間的関心(Human Interest)が大切である。  

 これはフレッシュ(Rudlf Flesch)の「読みやすさの調べ方」(1951)の説である。

 文章には平易さが必要であり、平易さは読者の年齢や知識修得程度が大きな要素であり、接頭語や接尾語などシラブル数や音節数によるものと、文章の長さによる要素からなる。簡単に言えば、短い文章で抽象的や専門的でないほうが読みやすいと言うわけだ。せいぜい50文字程度が適当だと思われる。聖書を読んだ人なら「マタイ伝」は読みやすさでは最高だろう。

 しかし文章は、読者にとって内容が面白くなくてはならない。それが人間的関心である。

 ところで人間的関心とは人格語(personal word)と人格文(personal sentences)の組み合せによる。人格語は1「私」「あなた」など人称代名詞、

2「固有の人名」や「父」「母」「兄」「姉」など。

3、「人々」、「人たち」などのことばでこの数の文に占める多さによって文の面白さが推定できるというものである。

 また人格文は

1疑問文、命令文、依頼文、問いかけ文など、

2感嘆文、

3文法的不完全文(例:まさかそれを言うとは。)、文章の断片から推定させられるような文。

 人間的関心が文の面白さに富んでいるかどうかをもたらすものである。最高は「ドラマチックである」から最後「退屈である」まで5段回に分かれる。学問にはいろいろあって、こんな分析をしている学者もいることがわかった。しかし作家のほうはまさかこんなことを計算して書いてはいないはずだ。

 昔から名著、名文なるものは形も姿も多種に亘っている。作風はそれによって決まる。三島由紀夫の出だしにおける情景説明の格調の高さはまだ中身まで入っていないのに、これから始まる劇的なシーンを予見させる、震えるような感動をもたらす。三島由紀夫だけではない。名著となるものはその出だしが命で、名文が多い。
 しかしここで懲りすぎるとあとの文章の進展に濃い影響を与えてしまうのでさらりとした簡潔さが要求される。特に名文を意識しては読者が飽きてしまう。

「馬単でトータル勝利者」  マンモス・キタイ著

 2002年7月から発売された馬番連勝単式馬券と3連複。筆者は馬単馬券の究極的方法を編み出した。単にレースを的中させるという観点ではなく、トータルで馬券で勝つ方法。負ける事を前提とした回収率ではなく、ビジネスとしての期間最終利益率を目指す、トータル馬券勝利者となる道である。

現在実践検証中である。医学の世界でも新薬を出す前に臨床実験を繰り返すというが、まさに馬単馬券臨床実験中である。ますます自信を深めた。こんな方法はめったな事では人に教えられない

地球環境主義とは

何かをはじめる時、最初に地球環境の影響について検討して行うことです。

人類は地球があってこそ存在できるのです.それ忘れて、人類は今まで何をしてきたのか?

人類は無謀な戦争を繰り返し、経済の発展や安定のため等と言いながら、地球を痛め続けてきました。 片っ端から木を伐採し、石油を燃やし続け、その挙句、地球を覆うオゾン層に穴をあけてしまっています。

 夏は冷房を寒くなるまできかし、背広を着たままの姿が文明社会の習慣となり、逆に冬は汗が出るほどの暖房を焚きワイシャツ姿になる。

 ひところ日本の地下鉄は、香港などに比べて蒸し暑かった。地下鉄は熱い所で仕方がないと我慢ができた。今では夏でも地下鉄は涼しい。涼しい地下鉄は快適に違いない。常識は変化している。

自然の姿を変えると必ずどこからかバランスが崩れてくる。もう昔にもどれないのか

.取り返しのつかないことをしてしまったことを深く反省し、これ以上地球を苦しめることは止めなければなりません。かけがいのない地球を救うためにもはや猶予はありません。

地球上には暑いところと寒いところが人ある。日本には四季があり、夏があれば冬もある。これが天体が及ぼす地球の特徴で自然の恵みであったはずだ。

 競馬に勝ち続ける重要なファクターは、次の基本的な抑制力を身につけるているかどうかである。

1、沈着冷静さ

2、決めた自分のルールに我慢できる抑制力

3、重要なことに気がつく感性、デリカシー

4、視野の広さを身につけている

5、こだわりや思い込みを捨てることができる

 これはあくまでも継続して利益を上げるための考え方である。学問上の分類ではない。重複あり、漏れあり、体系的でないとの指摘をしても仕方がない。勝ち続ける重要ポイントは己の精神力にかかっている。これをしっかり頭に叩き込むことだ。競馬は一日で終わりではない。ほどほど増やして、次に備えることが肝要だ。赤字を出せないビジネスと思うこと。

以降は競馬実践にたとえて論を進める。

1.沈着冷静さを持つこと。ドタバタにならない。馬券が当たっても、外れても昂揚したり、落ち込んだりしないだけの冷静さを持てそうもない人は、すぐやめた方が良い。これは日常の仕事や家庭生活で分かる。胸に手を当てて今から修行によってできるかどうかよく考えてべきだ。

何とかなりそうだという人だけ次に進もう。なぜ沈着冷静さが必要かといえば、貴重な資金投入は、しっかり判断を下して、行わなければならないということだ。これは基本中の基本。的中するか、外れるより狙った結果かどうかが大切なのである。これから指南する「当りのパターン」を遂行するのに無駄は許されない。沈着冷静さは無駄を省く第一歩と肝に命ずること。競馬は連続して行われるので、何でもかんでも手を突っ込んではいけないことは誰でも知っているがそれができない。

2、決めた自分のルールに我慢ができる抑制力

これが結構できない。これができるだけで結果に大きな影響があるのだ。可能性があると思うのが人間の浅はかさで自分がルールを決めるほどわかっている「負けパターン」には手を出してはいけないのである。

以下省略

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「競馬はビジネス、競馬を愉しむ法」

  競馬で勝つということは、一回だけまたは一日だけ儲けることではない。

少なくともしばらく勝ち続けなければ勝っているとはいえない。

簡単に「競馬に勝つ」と言うがそれがなかなかできない。それはその人の人間性と大きく関わっているからである。

だから、いいかげんなやり方では儲けることができないだけでなく、いつまでも懲りず資金をつぎ込むことに終始してしまう。そんな奴はビジネスでも必ず失敗する

いくらやっても駄目だとあきらめることができればまだ救いはあるのだが。

しかし、私が言う次のことができれば、だれでも「永遠の勝利者」になれる。