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巖本真理弦楽四重奏団による 

ドヴォルザーク「アメリカ」を聴いて

▼標題音楽について

▼ロマン派の覇者リヒアルトシュトラウス

ザルツブルグにて

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ザルツブルグより

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巖本真理弦楽四重奏団による 

ドヴォルザーク「アメリカ」を聴いて   2011・8 北井正毅

かつてのホルンの仲間、松岡さんから珍しい曲がメールで配信されてきた。巖本真理弦楽四重奏団演奏のドヴォルザーク作曲、弦楽四重奏曲「アメリカ」である。1969年録音盤と言うから正に貴重品だ。演奏は巖本真理弦楽四重奏団で第1ヴァイオリン巖本真理、第2ヴァイオリン友田啓明、ヴィオラ菅沼準二、チェロ黒沼俊夫とあった。我々が第7回定期演奏会で巖本真理や黒沼俊夫と共演したのが1966年のことなので、なんとその三年後に録音されたもので、我々は、世界の巖本真理や黒沼俊夫のその絶頂期に会ったことになる。考えただけでも恐ろしくなるほど奇遇な出会いだったのだ。以来、巖本真理、黒沼俊夫の二人はずっと私の心を温めてきた、最も親しみのある演奏家である。

巖本真理は言わずと知れた天才ヴァイオリニストで日本ヴァイオリン界の先駆者的存在である。1926年日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、幼い頃ハーフとして差別を受けたという話があるが、実に悲しい。六歳からヴァイオリンを始め、小野アンナに学んだ。1937年、わずか十二歳で第6回日本音楽コンクールの第1位に輝いた。二十歳にして現在の東京芸術大学に当たる東京音楽学校の教授に迎えられたのは驚きだ。その後1959年渡米してジュリアード音楽院でパーシンガーとエネスコに師事し研鑚を積んだ。1959年芸術選奨文部大臣賞、芸術祭奨励賞受賞。1964年民放祭最優秀賞受賞。帰国後1966年に結成した巖本真理弦楽四重奏団はわが国のカルテットの草分け的存在となり、毎日芸術賞受賞。1971年再度芸術選奨受賞。1974年モービル音楽賞受賞した。

その後、ガンが発見され、病魔と闘いつつ演奏活動を続けたという。最初に現れたのは左胸の乳ガンで、そのために左乳房切除の手術を受けた。彼女は執刀医にこう訴えたという。

「先生、どうかヴァイオリンを弾けるようにして下さい。治っても、ヴァイオリンが弾けないくらいなら、生きる意味はありません」

そもそも、彼女が胸のしこりに気づいたのは、入院より半年以上も前のことだった。自らの「巌本真理弦楽四重奏団」の公演を優先し、地方公演を続け、十二月最後に予定された演奏会を終えてからようやく入院したのだ。我々オケとの共演時は、まだその兆候はなく、女史四十一歳の心身共に最も脂の乗りきったときであった。実にその十三年後の1979年乳がんのため急逝した。あまりにも若すぎる五十四歳だった。

弦楽四重奏曲「アメリカ」を作曲したドヴォルザークは、1892年9月、ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長としてアメリカに渡った。アメリカ生活がその後の作品に大きな影響を与えている。その代表作が交響曲第九番「新世界」であり、チェロ協奏曲である。弦楽四重奏曲「アメリカ」もその頃の作品だ。1894年4月には、ニューヨーク・フィルハーモニーの名誉会員に推されるという栄誉を受けた。一方、偶然にも、グノー、チャイコフスキー、ハンス・フォン・ビューローといった優れた音楽家の訃報にも触れた。弦楽四重奏曲「第十二番ヘ長調 (アメリカ)」はスメタナ弦楽四重奏団やブダペスト弦楽四重奏団の演奏が有名だ。巖本真理弦楽四重奏団の「アメリカ」を聴くのは今回が初めてである。

常に細やかな心遣いのある、かつての名ホルン奏者松岡廣志さんに感謝して、早速聴き始めた。

第1楽章の第1主題は五音音階によるどこか懐かしい雰囲気の旋律で、ヴィオラにより歌われる。第2主題はイ長調で第1ヴァイオリンが提示する。快活なメロディーが流れる。ヴァイオリンのはじけるような響きが新天地にいる喜びを如実に伝える。巖本真理のヴァイオリンの響きに再び出合って感涙にむせてしまった。

第2楽章は一転して憂鬱な曲想に変わる。ヴァイオリンが黒人霊歌風の歌を切々と歌い、チェロがこれを受け継ぐ。このチェロは真に聴き応えがある。中間部はボヘミアの民謡風の音楽となり、郷愁を誘う音楽である。

第3楽章はスケルツォだが、2楽章の憂鬱さを引きずっている。中間部はヘ短調で、主部から派生した主題を用いて構成されている。この主題は、スピルヴィルで耳にした鳥のさえずりをメモしたものといわれる。ヴァイオリンの高音で心の目が覚めるがあくまでも淡々としている。この楽章は他の楽章より短くなっているが、次に続く4楽章への橋渡しのような部分のような感じがする。

第4楽章は軽快に始まる。軽快なリズムの伴奏に乗ったヴァイオリンの流れるようなメロディーが素晴らしい。幾度と現れる弦楽の単純ハーモニーが楽しい。ドヴォルザークが新天地「アメリカ」にきて、人生を謳歌している様子を想像してしまう。最後は激しいリズムの刻みで終わった。何度聴いても飽きることがない。その中心が巖本真理のヴァイオリンだと思うと居ても立っても居られない気持だ。

巖本真理に関することが書かれた向田邦子のエッセイを読んだことがある。不慮の飛行機事故で亡くなった作家でシナリオライターの向田邦子が巖本真理と雑誌の対談をした時の話だ。向田邦子の父のおっちょこちょいな話から始まった。ある日、父が落語の独演会を聞きに行ったのだが、会場を間違えて違うところに入ってしまったらしい。そこは異様に静かで、耳を澄ますとヴァイオリンが聞こえて来たという。帰って来た父が「お前、巖本真理っていうヴァイオリン弾きを知っているか」と聞いたので、巖本女史のことについて少し説明したのだが、父はそのあと「今日はその巖本真理のヴァイオリンを聞いてきたぞ」と自慢げにしゃべったという。下町の親子のユーモラスなエピソードだが、対談相手の当の巖本真理はこれを聞いても不思議そうな顔もせず、笑いもせずにいたとか。孤高の芸術家は対談の主旨があくまでも音楽や芸術論などを話す機会としていたのだろう。世間の些事には全く疎く興味がないという風だったという。巖本女史らしい一面だ。

第7回定期演奏会の共演の時の独奏ヴァイオリンの音は今も耳に焼き付いているが、練習本番を通じて彼女の肉声を聞いたものはいなかったようだ。今までの我々の練習がうそのように、プロフェッショナルのリハーサルは真剣そのものだ。鬼気迫る雰囲気で、全く近寄りがたい存在でもあった。アマチュア相手でも決して手を抜かず、自分の音楽を聴衆に届けるために全力を尽くすという意思がはっきり伝わった。

楽団員はこれを呆然と見ていたわけではない。名人の高邁な精神を壊してはいけないと、技量は伴わなくても心構えだけは身が引き締まるほど緊張していた。その学生の純粋なる心意気は少しは巖本真理にも通じたかもしれない。

偉大なるソリストのおかげで、初めてブラームスに挑戦することができた学生たちの喜びは一入だった。曲が終わって、お決まりのようにソリストは聴衆にあいさつしたが、その後、楽団員に向かって、うやうやしく頭を下げた。そのとき私は意外な一面を見逃がさなかった。巖本真理が一瞬、温和で満足そうな顔つきになったのである。下手なアマチュア・オケのパートナーという重荷を背負って、難曲をやり遂げたという安堵感があったのだろうか。一人の音楽家として、学生と真摯に音楽をつくりあげたという芸術家魂があったのだろうか。パートナーを讃えるという人間巖本真理の優しい面に触れるということができたのはまさに幸運だった。

全てが終わり、丁寧にお礼を述べた後、東京名古屋間の交通費やホテル代などの実費と、わずかな謝礼を合わせて渡そうとしたが、巖本真理はそれを受け取らなかった。

「みなさんの活動のためにお役立て下さい」

女史は初めから決めていたようだった。これを聞いたもの全員唖然として言葉を失った。学生とはいえこれではあまりにも虫がよすぎる。東京からわざわざ足を運び、我々にこれ以上ないほど幸せな時間を与えてくれた人に対して、何とも済まない気持ちだった。その心に報いる手段がないのは残念だった。崇高な芸術家、世界の巖本真理に感謝し、全員頭を垂れた。以後の我々には、巖本真理のように、常に真剣に取り組み、その信念を貫くよう努めることしか恩返しの手段がないように思われた。

巖本真理の知己でもあった指揮者の石井恭平先生に次のように言われて少しは気持ちが晴れた。

「真理は、若いみんなと一緒に迸るような演奏が出来たのがよほどうれしかったのだろう」

これは、ずっと未熟なオケの指導に当たってきた、石井恭平先生自身の偽らざる心境でもあったようだ。

憧れの存在から、さらに身近に感じた巖本真理という人への尊敬心がいよいよ増すばかりだった。

私の青春の一ページを飾った不滅のヴァイオリニスト、巖本真理は今もずっと心の中で生きている。

 パブロ・カザルス

「仕事と価値のあることに興味は尽きない。日ごとに私は生まれ変わる。私は毎日再び始めなければならない。」

この言葉の意味は深すぎる。あの名手にしての言葉ではあるが、極めることへの情熱は計り知れない。天才はそれを確かなものにするために、凡人には途方もない努力と気力が伴わなければならないことを思い知らされる。まさに、鬼気迫るものを感じる。

    ベートーベン不滅の恋人  2007・4・10

 これは永遠のなぞとなっている。いろいろな説があるが、それは遺された名曲の所以を知るためにも貴重だ。しかし、現実にはその価値に変化をもたらすものは何もない。ピアノソナタの「月光」が素晴らしい。また「熱情」も胸を打つ。これらが、テレーゼやジュリエッタに捧げたかどうかはあまり意味はない。崇高な音楽だけが孤高に生き続けているのみである。

 ベートーベンに普通の恋愛があったかどうかは興味深い。それは人間味を知ることによって更に身近に感じることが出来るからである。アントーニアの様子を知れば、当時の桎梏(しっこく)な愛は理性で阻まれている事に不満はない。不倫はない。それゆえにベートーベンが人妻に思いを寄せることは、不思議なことではない。しかし、その狂おしさは想像を絶するが、名曲の華麗さからは到底推し量ることは出来ない。したがって、人間味にはどうしても触れることが出来ないのだ。

 ベートーベンはロマン派でもあり、古典派でもある。音楽性をきっちり色分けすることはそれほど意味はないが、自然にその流れは定められる。しかし、ベートーベンは音楽の革命を常に意識していることから、それまでの古典派の作曲家とは完全に一線を画している。これは確かにベートーベンであるが、過去のベートーベンを超越している。恋の狂おしさから完全に解放された不滅の恋人の存在が伺える。第4交響曲のように、ロマン派の息吹が聞く者の身体中の血潮に湧き上がるものを感じさせないではいられない。ベートーベンはこのとき、不滅の恋人に出会っているのだ。

注:桎梏;厳しく自由を束縛すること

  

   モーツアルトイヤー・ファイナル・ガラコンサート
              2006・12・10  正機

 家族でモーツアルトガラコンサートに出かけた。ぎっしり満席だった。ガラコンサートはモーツアルトの生誕250年を記念するもので、聴衆は全てこの日を楽しみにしていたに違いない。 

最初の曲目はホルン協奏曲第四番変ホ長調だ。ホルン奏者はヨハネス・ヒンターホルツァー。初めて聞く名前だったが、そのすらりとした容姿から迫ってくる華麗なテクニックと迫力に、心の準備さながら、完全に魅了されてしまっていた。完璧なプロの演奏だ。型破りなカデンツァの見事さは圧巻そのものだった。

たとえ、どんな秀逸な演奏であっても、コンサートで驚くことはめったに無い。意外だった。その驚きはホルンの重音奏だ。重音奏といっても複数の人が演奏するものではなく、ソリストが二つの音を同時に出すのである。繰り返すが、ここで聴いたのは、一つは低音を、一つは高音を、一人のソリストが同時に発したのである。まさかと耳を疑う。どんなテクニックなのか、驚きだ。弦楽器やピアノでは二つ以上の弦や鍵を同時に弾く奏法は知っている。弦や鍵が複数あるから物理的に可能なことも分かる。しかし、一人のホルン奏者が二つの音を同時に出すことなど、それが空想やアイデアであったとしても、頭の片隅にさえ浮かんだことがない。ああ、またまた、人生ここに来て、どう考えても解決できない問題を抱えてしまった。

モーツアルトのホルン協奏曲といえば、全四曲ともほとんど完全にそらで歌えるほど身についている曲だから、演奏会では各パートとの緻密なアンサンブルの妙まで聴き分ける余裕があったはずなのに、全く意表を衝かれたのである。もう一つはホルン音域最低音の響きの美しさだった。高音のトリルを華麗に吹いたり、低音、高音を交互に早いテンポで演奏することはあっても、カデンツァで最低音の響きをひけらかすように演奏することも稀だ。ヒンターホルツァーはモダンホルンだけでなくハンドホルンの名奏者でもあるそうだ。全てのホルンの音域を意のままに困難さから解放した。その昔、好きだった名ホルン奏者のデニス・ブレインや日本の千葉馨らとの比較は出来ないが、新しい領域を切り開いていることに気がつく。ホルンも進化し続けているのだ。ホルンが進化すればモーツアルトも進化せざるを得ない。しかし、ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院に学んだ音楽家であることは重要だ。モーツアルトそのものの音楽は頑固なまでに継承し続けている。あくまでもリズムは厳格に、そして歌うところは節度を持ってやわらかく、まさに王道を行く極致だ。

最後に聴いた曲がジュピター。これほど鮮明なジュピターは記憶に無い。はじめの出だしは簡潔であったが、それは機械的、客観的な簡潔さではない。聴き手の心の扉を開き、かまわずずんずん入ってくる。他人行儀なところが無い。ともに音楽を楽しもうとばかりに、たちまち虜にしてしまう。ところが、その次に現れたモチーフに唖然とする。テンポががらりと変わったかのような優しさが伝わる。それは単に優雅とか華美というようなものではない。自然にはいっていってしまう誘惑の夢の世界なのだ。ここから聴衆はこぞって夢をみることになる。第二楽章に入りいよいよ頭が朦朧として、無意識状態を意識する。何度、無理やり放心状態から覚めるように気を取り直して戻っても、自分の意のままにならない無意識は再びばねが戻るように彼方へ行ってしまう。変化するメロディーの新鮮さに触れるたびに、天才たる作曲者の多彩な表情を垣間見ることができる。第三楽章の格調高いメヌエットから、第四楽章モルト・アレグロに入るとき、ほとんど間を取らないのが普通だ。演奏者も聴き手にもこの時点ではまだ疲れは無い。蓄えたエネルギーがみなぎっている。全ての人が生命力を感じる瞬間なのかもしれない。「ジュピター」。神々しいその名の通り歓喜の渦の中に曲は終わった。なんと幸せな時間だったのだろうか。何と充実した時間だったのだろうか。素直に生きている喜びをかみしめることが出来る。音楽に浸ることの喜びは何物にも変えがたい。新しい内面を得た気分だ。その心をもたらせたモーツァルトに触れた喜びは人生の最大の収穫だ。

      

ザルツカンマーグート

モーツアルトの生地はザルツブルグである。その東南部のザルツブルグ、シュタイヤーマルク、高オーストリア州の3州をまたぐ山と森と湖に恵まれた景勝地はザルツカンマーグーツである。

生まれたままの環境をそのまま現代に残して、見るも美しい神秘な世界がそこにある。

オーストリア国家および国民の自然を愛する気持ちと野生の動植物が手厚く保護と管理が施された結果だと聞いた。

モーツアルトの名がついたヴォルフガング湖は映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になったところだと、なるほどそういう天真爛漫な高原のスクリーンを思い出す。

ザルツブルグは素朴な田舎だ。見栄もつくろうところも何もない。人々は見るからに素朴に見える。発達した都会から見ると別世界だ。歴史がそのまま残っている。

稀代のクラリネットの名手

ヘルムシュテートを偲ぶ

 会場でもらったパンフレット(ドイツ語)によれば、モーツアルトのクラリネット協奏曲は、当時のクラリネットの名手ヘルムシュテートのテクニックを、最大限に使いこなす目的に作られたと言うが、実際はとても当時の楽器では演奏不可能な難しさであったらしい。現在の発達したクラリネットでも演奏者にとって難曲中の難曲なので当時の驚きは容易に想像できる。天才ヘルムシュテートはそれを半年もかけて取り組み、5〜7鍵の単純な楽器を12鍵に改造してマスターし、遂にこの曲を克服したと言う。その功績は楽器の進歩をもたらしただけでなく、すばらしい名曲が埋もれず、後世に燦然と輝く名曲として愛好家を愉しませてくれる大きな遺産となっている。

 別稿 モーツアルトの思い出 2001・8

 ザルツブルグで聞いたモーツアルトは、特別なものだった。モーツアルトは何回も聞いて、よく知っているつもりだったのは迂闊だった。当地を訪れたのが初めてのせいでもあったが、いつもと同じように、同じモーツアルトが聴けるものと思って期待していた。

 弦楽四重奏の導入部が流れ出たとき予期しない驚きで叫びそうになった。わが耳を疑ってしまうほど音が澄んでいて、リズムが整然としている。プロの演奏では当たり前だが、精密なハーモニーと躍動するテンポとリズムは同じようでも当たり前さが異なっていた。モーツアルト独特のシンプルな軽快さと、きっちり刻むリズムの中で奏でられるヴァイオリン群のスケールの切れ味が際立っていた。

 朦朧と感動の中に、無我夢中でいる自分に気がついたのは、どっときた拍手喝采が起きたときだった。曲は終わったのだ。何と言う音楽だろう。今まで聴いたことのない、簡潔明瞭な清清しい音楽だ。これこそモーツアルトなんだと思わずにいられない。やがて会場に静けさが戻ったとき、次の曲が始まった。先ほどの余韻がまだ抜けきらないうちに。クラリネット協奏曲だ。

 クラリネットソロのまえに、モーツアルトはおきまりのイントロダクションがある。わざとすっとぼけたような展開で咳き込むようなリズムでクラリネットのお出ましを誘っている様はユーモラスだったが、クラリネットが何事もなかったようにソロに入ったときは、こんなことがあっていいものだろうかと再び驚いた。劇的でもなく華美でなくあまりにも自然すぎた。テンポもリズムも強弱も寸分も乱れることなく、メロディを歌いあげることもなく、まるで機械製造技術者のように演奏している。その軽快さと単純さが心の中までずんずん迫ってくる。自分の肉体の鼓動がこの演奏のリズムと一体になって、いつのまにか全てが囚われてしまっている。

 刻み続ける弦楽と木管のトウッティだけが人間味あふれるリズム感とクレッセンドを誇張している。バランスがとても妙で愉快だ。飾らないポーカーフェイスの淡々とした音楽。これがモーツアルトの真髄なのか。時代が変わって解釈もいろいろある。現代にマッチしたものも一味しゃれているが、この地で奏でられるモーツアルトはその全てを完全に超越していて、どんな細工も追随を許さない厳格さがあり、その感動は精神構造と機能を麻痺させるほどだった。

 

 

学生オーケストラの良いところとは

プロには無いものがあるところといわれる2011年に内容を少し改めました。

                            
      プロにはないもの
           2008・4   北井正毅

 

アマチュア・オーケストラの真髄とは何か。アマチュアとは、言うまでもなく素人のことである。いくら音楽が好きでも、いくら鍛錬を積んでも、究極的には技量が伴わないのが一般的だ。それでも、アマチュア・オーケストラは演奏会ともなれば、しっかり入場料をとって堂々と行う。アマチュアの技量で、お金がとれるのかと指摘する人もいる。しかし、演奏会は興行の一種であるから、主体がプロであろうとアマチュアであろうと、一定の経費がかかるのは確かだ。未熟な演奏を聞いてもらうからといってもこれだけは止むを得ない。ところがどっこい、そんなに卑下することはない。アマチュア・オーケストラにも、お金を出してでも聞くべき価値があるのである。プロにはないものが厳然とあるのである。 

演奏会は音楽芸術表現の一環である。うまいか下手かというものは一般人の単なる印象でしかない。芸術性は一つの評価基準ではカバーできない。うまいかへたかより大切なこともある。その中にどれだけ、音楽の心が詰まっているかを考えることが重要だ。プロはそれが仕事であるから、芸術性への追及は当然のこととして思う存分果たすことが出来る。きちんとやって当たり前で、その技量を持ち合わせている。指揮者はある水準以上の時点から目指すものに対してしっかりまとめていく。演奏の確実性を根拠として、聴衆も納得して期待を込めて演奏会にいくのである。これがアマチュアとなると大変だ。真似ごとはできても、本来、逆立ちしてもできないものはできない。しかし、演奏会を行うというときに、中途半端にここまでで勘弁してくださいとはいえない。貪欲に最終的なものを得ようとする。ひたむきさとか作りあげる喜びのために、損得無しの情熱やお互いへの思いやりや少しでも向上させるという団結心など、およそ芸術とは無関係な要素を振りかざしながら、七転八倒し、必死にもがきながら何かを掴もうとしている。無駄な努力のように見えるが、実はここに異なるものの訴えが聴衆の心を捉えることになる。鈍感な人は、ホルンがミスったとかバイオリンがそろっていないとか、未熟な演奏の方にばかり囚われてしまう。あらや欠点などに惑わされて見逃す場合が多いが、現実にはプロの演奏にはない念力のような味わいが存在するのである。アマチュア・オーケストラといえども、決してこの付随的なもののためだけに、長期間の練習に励んできた訳ではないが、結果的にアマチュアの産物としての貴重な宝となっているのである。

中には少々技量の高いといわれるアマチュア・オーケストラも存在するようだ。スマートで華やかで、これがアマチュアかと見まがう場合もある。しかし、それだけでは、結局はアマチュアにしては上々といわれるのが関の山で、技量が未熟という意味では同じになる。演奏技術に対しては、それなりに厳しい目がある。アマチュアである限り、プロとの境目である厳しい障壁があるのは否定できない。その壁がある限り、どう振舞ってもアマチュアの域から脱出はできない。演奏が泥臭いかどうかではない。無知がゆえに、無知がなせる技として、無謀な挑戦を試みる。アマチュアの特権でもある。そのためにありとあらゆる術を駆使する。しかも、難しいからといって初めから誤魔化そうという気はない。それどころか、全く相応しくないものにまでに、敢然と向かおうとするから始末が悪い。

あるとき、アマチュアの演奏会でテンポが異常に速い「フィンランディア」を聴いた。終わってから聴衆は騒いだ。あの「フィンランディア」は速すぎる。プロなら絶対そんなことをしない。いや、あり得ない、奇抜すぎる、などの声が起きたのは常識的で不思議なことではない。しかし、肯定の意見を言う人も確かにいた。思いがけないものに出くわすと人はどぎまぎする。新解釈に満足する人もいれば不満で消化不良になっている人達もいて、議論はエスカレートする。ピアノで静かにするところをフォルテでここまで誇張したら曲想が変わってしまう。ここはホルンの聴かせどころではないだろう。作曲者の意図はこうではない。もっと重厚さが欲しい。いや、その代わり民衆の怒りの爆発が高まる効果があるではないか。玄人、素人入り混じっての評論があるのは平和で健康的だ。芸術における解釈は決まり切ったものではないから、人それぞれ感じ方が異なるのは当たり前だ。説得力があるかないかはさておいて、アマチュアならではの発想も生きる。

公平にするために、今まで伝統的な解釈として聴いてきたことなど一般的な常識は一旦横に置くことも一考だ。新しい発想にチャレンジするのはよい。それをしっかり表現できればご立派だ。プロとかアマチュアとかいう次元の話ではない。これこそ極めつけの音楽観の追求かもしれない。しかし、云うだけでなく、演奏となるとおいそれと簡単にはそれができない。発想が奇抜というだけでは話にならない。前衛的な音楽家も現れ、その都度革命を起こしてきた。自由な身でのチャレンジはよいが、やはりそこに立ちはだかり、容易に革命を果たさせないのが技量の壁だ。

できないものはやはりできない。ところが、その挑戦の中で物凄いものを得てしまうことがあるのだ。アマチュアが誇張したいのは、細かいことにこだわらないで、未熟者が見事に作り上げた奔放な作品という一つの成果である。偶然にも、創造者が描いていた本質的なところにまで、肉薄している場合もある。芸術においての必須条件である、感動させるという究極の結果を果たしているのである。芸術の神がいるとすれば、この偶然に驚くに違いない。ところがそれが予期せぬうちに厳然と起きてしまうのである。

論理から外れるが素人がなせる技と言うべきものだ。そこでは伝わるものが異なるのである。

できた音楽が異質なものであるということではない。やたら不純物が多い鉱石の中からダイヤを見つけるようなものであるが、ダイヤを含めて雑多なものの詰まり方が、実に絶妙なのである。純粋に研ぎ澄まされた音楽性の追求という点では、プロのものとは比べものにはならないが、アマチュアでしかあり得ない無鉄砲な純粋さによる訴えは、一味異なるのである。不ぞろいがもたらすアンバランスがそれぞれ干渉しあってかすかな光となり異様に輝いてしまうのである。音楽を純粋に愛する人にだけ、切に訴えかけているものが、光を放ち、共感を与えるのである。これが、分かる人だけ通じるアマチュア音楽の真髄なのである。

アマチュア・オーケストラと言えば大学交響楽団やそれらを経て加わる各地市民オーケストラが多い。アカデミックということばは、一般的に大学での学問や研究を指す場合が多く、特に音楽には関係のないものではあるが、この学生らしい、純粋さや執拗な学究的な雰囲気は、やはりアマチュアの中でも、ひたむきに取り組む学生オーケストラの持ち味ともなる。したがって、学究での偶然の発見のように、無謀でも、一心不乱の追及という一途さこそが、アマチュアがアマチュアたる所以でもあるのだ。技術だけをひけらかし、金儲け主義の興行を主としたり、プロのまねをしている模倣の集団ではあり得ない。したがって、この宝はどのアマチュア楽団にもあるとは言えないが、期待せずにいる場合、時として、偶然のなせる妙技がその渦の中にはまり込んでしまうことさえあるのだ。これこそ、プロにはないものなのでもある。どれだけの人がこれを味わったかは不明である。しかし、色眼鏡をかけずに、音楽そのものを素直な気持ちで受け入れる人であれば、必ずジーンと胸を打つという場面に出くわしているはずである。

プロであれば当然だが、アマであっても、独自のスタイルを貫き、人にいかに感動を与えることができるか、計算できない僥倖の幸運を信ずるべきだ。成果だけを追いかけてはいけない。技量の未熟さに悲観することなく、今しかできない自分の音楽を真剣に、思いっきり、表現することが大切なのだ。

☆こぼれ話  神秘的なホルンの音

 管楽器の中でも際立って演奏が難しいのが、ホルン。難しさゆえその音色は神秘そのものだ。

コンサートなどで、ホルンの出だしでコンマ何秒間の不適切な音が興ざめになる。名手でもたまにあるほどだ。

 不思議な事に演奏者は、何事も無かったような顔をしている。細かい事にくよくよしないのがホルン奏者のいいところだ。

 ニュース・トピック 

     2011年1月22日 ニコニコ会 

 今年初めての日本フィルを聴く会 曲目はブラームス「交響曲第1番」ハイドン「トランペット協奏曲」ベートーヴェン序曲「コリオラン」アンコールバッハ「G線上のアリア」  参加者 濱野、服部、田中庸夫、田口、松岡、北井

服部さんは女性ソロトランペット奏者に感動した様子。この後は楽しい集いでした。みんなは音楽よりお酒を酌み交わしながら、昔話をする方が良かったみたい。中にはプロの音楽とアマチュアの音楽の違いなどまともな話がありました。

   2010年 10月 「音楽短編集1集」を贈る

たくさんの感想が寄せられて感激しております。ありがとうございました。中でも、中山さん、福田さん、富岡さん、立花さん、田口さん、伊藤弘さん、加藤範子さんのお便りは心を打ちました。心ある人に巡り合えたようで、作ってよかったなあと思いました。第?集は10月ごろになりますが、まず、感想を寄せられた方だけにお送りする予定です。

 

  2010年9月

  田中庸夫さん、服部伍郎さんからメールあり

           関東在住を知る。

 早速、東京OB会会合を開くべく濱野、松岡さんに連絡した。

   懐かしいなあ。

 2009年立花さんが大阪城ホールの第九に参加した。あの立花さんが、大したもんだ。どんな顔して歌ったのだろうか。

後日談 そのときのDVDが発売されたそうです。合唱団の中に立花一郎さんが映っているそうです。

 伊藤哲夫さんからメールが来た。40数年前の懐かしいことが書かれていた。その頃のことを思い出して心が温かくなった。2009.9

 立花さんと連絡が取れたのは実に喜ばしい出来事だった。

 松岡さんと連絡が取れたのも実に喜ばしい出来事だった。

 NEW 濱野さんから佐治さん、吉田さんとも連絡が取れたとメールがあった

 みんなしっかり生きてきたのだろうな。

 へたくそだったオーケストラを思い出しているのだろうか

2009、3月に濱野さん、松岡さんと千葉県文化会館へ行った。芥川也寸志の音楽ショスタコーヴィッチの交響曲第1番などを聴いた。素晴らしい演奏に感動した。その夜は旧交を温め一献傾けた。しばらくぶりで楽しい時間を過ごした。

 梯剛之の「いつも僕のなかは光」を紹介した。

濱野氏